印度學佛敎學硏究第六十七巻第一号 平成三〇年十二月
乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究
菅
原
研
州
一
はじめに
本論は、江戸時代中期に活動した曹洞宗の学僧・乙堂喚丑 ︵一六七四?︱一七六〇︶ の主著として扱われる ﹃正法眼蔵続絃 講 議 ︵以 下、 本 文 中 は﹁本 書﹂ ま た は﹃続 絃 講 議﹄ と 略 記︶ ﹄ に つ いて、この度、発見・確認された写本について検討したもの である。二
﹃続絃講議﹄関連略年表
本書は、天桂伝尊﹃正法眼蔵弁并調絃﹄について、特に ﹃正 法 眼 蔵﹄ ﹁面 授﹂ 巻 に 係 る﹃弁 ﹄ と、 ﹃調 絃﹄ に 対 し 乙 堂が反したものである。 これまで判明している本書の成立経緯や関連事項を略年表 として記述すると、以下の通りとなる。 年不詳 天桂﹃正法眼蔵弁解﹄成立 一 七 三 〇 年 ︵享 保 一 五︶ 天 桂﹃正 法 眼 蔵 弁 並 調 絃﹄ 成 立 ︵龍 水本調絃奥書︶ 一 七 三 一 年 ︵享 保 一 六︶ 江 戸 赤 坂 盛 徳 寺 山 内 に て﹃続 絃 講 議﹄ 成立 ︵本書序文︶ こ の 頃 か? 乙 堂 が 面 山 に﹃続 絃 講 議﹄ 筆 削 依 頼 ︵﹃面山広録﹄巻二三︶ 一 七 三 五 年 ︵享 保 二 〇︶ 夏 に 盛 徳 寺 方 丈 で﹃続 絃 講 議﹄ 再 治 ︵本書奥書︶ 同年 一二月に天桂伝尊遷化 一 七 四 一 年 ︵寛 保 元︶ 夏 に﹃洞 上 叢 林 公 論﹄ 述。 同 書 下 巻 にて乙堂は、 ﹃続絃講議﹄上梓への意欲を見せる 一七四三年 ︵寛保三︶ ﹃洞上叢林公論﹄版行 一 八 六 八 年 ︵明 治 元︶ 頃 か? 盛 徳 寺 山 内 所 蔵 の﹃続 絃 講 議﹄ 版木を山口屋 ︵森江︶ 書店へ払い下げか? ︵﹃正法眼蔵解 全書﹄別巻・解題︶ 一 八 七 二 年 ︵明 治 五︶ 西 有 穆 山 が 上 州 桐 生 鳳 仙 寺 に 晋 住 ︵明 治 一 〇 年 に 遠 州 袋 井 可 睡 斎 へ 転 住︶ 。 こ の 頃、 同 寺 内 で﹃続 絃講議﹄ の乙堂自筆本発見か? 一 八 八 三 年 ︵明 治 一 六︶ 西 有 穆 山 が 遠 州 長 松 院 に て﹃正 法 眼乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ 蔵開講備忘﹄を提唱し、鳳仙寺所蔵の﹃続絃講議﹄乙堂 自筆本について言 及 1 一 八 九 六 年 ︵明 治 二 九︶ 西 有 穆 山・ 権 田 雷 の 校 訂 に よ る ﹃続 絃 講 議﹄ ︵全 五 巻。 以 下、 西 有 校 訂 本 と 略 記︶ 刊 行 ︵出 版 は貝葉書院︶ 。底本は乙堂自筆本 ︵西有による凡例参照︶ 一 九 一 四 年 ︵大 正 三︶ ﹃正 法 眼 蔵 解 全 書﹄ 第 一 〇 巻 刊 行。 ﹃続絃講議﹄の序や凡例などを除いた、本文を全収録。 底本は西有校訂本。 一 九 四 五 年 ︵昭 和 二 〇︶ 三 月、 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 東 京 大 空 襲 で、 全 焼 し た 盛 徳 寺 山 内 に 保 管 さ れ て い た﹃続 絃 講 議﹄乙堂自筆本が焼失か? ︵盛徳寺関係者の証言︶ 上記内容から明らかなように、本書は従来、西有・権田両 名によって校訂刊行された﹃続絃講議﹄版本か、安藤・神保 両名による編集の﹃解全書﹄収録本に依拠して研究される しかなかった。しかし、今回、一本の写本が発見され、また もう一本の写本の内容も確認されたことから、従来とは違っ た底本に基づく研究が行われるべきであることが分かった。
三
﹃続絃講議﹄写本二本の紹介
筆者は二〇一七年一二月、本務地の愛知学院大学図書館情 報 セ ン タ ー に て、 本 書 写 本 ︵以 下、 愛 学 本 と 略 記︶ を 確 認 し た。 本 論 は、 そ の 発 見 に 基 づ い て 論 じ る も の で あ る。 ま た、 既に﹁曹洞宗文化財調査委員会﹂が一九八一年一〇月二三日 に行った調査によって、長野県山ノ内町興隆寺山内での、本 書 写 本 ︵以 下、 興 隆 寺 本 と 略 記︶ の 収 蔵 が 報 告 2 さ れ て い る。 筆 者は二〇一八年七月九日に同寺を拝登し、興隆寺本の調査を 行った。 以下には両写本の概要を紹介したい。 ●﹃続絃講議﹄愛学本 一、冊数 三冊 ︵巻号は法報応︶ 一、構成 法巻 上之本・上之末、報巻 中之全、応巻 下 之本・下之末 一、料紙 楮紙 一、大きさ 縦二七センチ × 横一九・五センチ 一、装丁 袋綴 一、題目 外題 ナシ、内題 正法眼蔵面授巻続絃講議 一、 枚 数 法 巻 六 八 ︵二 〇+ 四 八︶ 丁、 報 巻 七 三 丁、 応 巻 一〇四 ︵四四+六〇︶ 丁 一、行字数 平均して毎葉一二行 × 毎行二五字 一、書写年 不明 一、書写者 不明 ︵一人による書写︶ 一、所蔵者 現在・愛知学院大学図書館情報センター、旧蔵 者・朴魯人 ︵詳細不明︶乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ ●﹃続絃講議﹄興隆寺本 一、冊数 四冊 ︵巻号は開示悟入︶ 一、構成 開巻 上之本・上之末、示巻 中之全、悟巻 下 之本、入巻 下之末 一、料紙 楮紙 一、大きさ 縦二三・七センチ × 横一六センチ 一、装丁 袋綴 一、題目 外題 正法眼蔵面授章続絃講議、内題 正法眼蔵 面授巻続絃講議 一、 枚 数 開 巻 五 二 ︵二 七+ 二 五︶ 丁、 示 巻 九 六 丁、 悟 巻 五六丁、入巻 八七丁 一、行字数 平均して毎葉一〇行 × 毎行二〇字 一、書写年 不明 一、書写者 不明 ︵四人による書写、入巻は畔上楳仙か︶ 一、所蔵者 現在・長野県山ノ内町興隆寺、旧蔵者・畔上楳 仙 ︵興隆寺一七世、大本山總持寺独住二世︶
四
両写本の比較について
両写本を比較したところ、同一と思われる原本から、各々 別 個 に 書 写 さ れ た こ と が 分 か っ た。 理 由 は 以 下 の 通 り で あ る。 ①愛学本には各巻末に原本の紙枚数が記載されていた。その 枚数は、興隆寺本と一致しないため、愛学本は興隆寺本と は別個に原本から書写されたことが理解出来る。 ②愛学本の応巻冒頭、興隆寺本の悟巻冒頭の書写方法に違い がある。特に比較すべきは、 ﹃正法眼蔵﹄ ﹁面授﹂巻本文第 一 五 段 落 に 対 す る 乙 堂 の 釈 で あ る が、 こ の﹁続 絃﹂ 第 一 五 節 相 当 は、 西 有 校 訂 本 に 記 載 さ れ て い な い 部 分 で あ る。そして、両写本は、原本で大きく欠けた部分を極力残 しながら写していた。 ま た、 愛 学 本 の﹁続 絃﹂ 第 一 五 節 二 行 目 に は、 ﹁本 初﹂ 二字が見えるが、興隆寺本には無い。よって、愛学本の書 写時期よりも、更に破損が進んだ状態で興隆寺本が書写さ れ た と 推 定 さ れ る。 両 写 本 の 写 本 時 期 の 前 後 を 定 め る 際 の、参考基準となる違いでもあり、両写本が別個に原本か ら書写されたことを示す違いでもある。 ③書写時期の問題だが、両写本ともほぼ同時期で、前項など から愛学本の方がやや早い時期であったと推定される。具 体的には、本書乙堂自筆本を発見したのが西有穆山による 鳳仙寺晋住を機会とすると仮定し、それ以降、西有校訂本 の 発 刊 ︵明 治 二 九 年︶ 前 で あ ろ う。 つ ま り、 明 治 五 ︱ 二 九 年の間であったと思われる。 ④ 両 写 本 の 内 容 に、 同 一 底 本 を 否 定 す る 重 大 な 差 異 は 無 い。 ただし、両写本とも複数、書写時の誤字や欠落などが見ら乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ れる。例えば、愛学本には応巻末尾にあるはずの、乙堂に よる奥書﹁享保二十歳次乙卯夏再治盛徳方丈裡畢﹂が無い 等である。また、興隆寺本はしばしば、西有校訂本を用い て対校を行い、その結果を頭に附記している。興隆寺本 開 巻 ︵上 之 末︶ は、 ﹁続 絃﹂ 第 三 九 節 で 途 切 れ、 以 降 同 巻 は 欠如している。書写時か、写本整理時に何らかの事故が起 き た 可 能 性 を 指 摘 す る も の で あ る。 愛 学 本 応 巻 ︵下 之 本︶ 冒頭の一部には乱丁が見られる。
五
両写本と西有校訂本の比較について
西有校訂本については、凡例での記述の関係から、乙堂自 筆本をそのまま刊行されたものだと考えられてきた。 右、 凡 例 は 乙 堂 和 尚 手 沢 の 本 の 写、 一 字 を 換 え ず、 唯 だ﹁欲 写 去 者 勿 以 己 意 改 削 焉﹂ の 一 條 の み 除、 全 書 固 よ り 一 字 を 加 刪 せ ず。 ︿中 略﹀穆山謹んで識 す 3 西 有 は﹁全 書 固 よ り 一 字 を 加 刪 せ ず﹂ と し て い る の だ が、 今回両写本と比較することにより、西有校訂本には以下の問 題があることが判明した。 ①本書の題名 ︻興 隆 寺本︼ ︿外題﹀正法眼蔵面授章続絃講議 ︻西有校訂本︼ ︿外題﹀正法眼蔵続絃講義 既 に 内 容 の 検 討 を 通 し て、 ﹁講 議﹂ が 正 し い こ と が 明 ら か と な っ て い る 4 。 そ の 上 で、 本 書 校 訂 に 関 わ っ た 西 有 穆 山 は ﹃正法眼蔵開講備忘﹄の提唱において﹁講議﹂ ﹁講義﹂両方が 記録されてしまってい る 5 。また、同様に校訂者であった権田 雷も本書のことを﹁続絃講義﹂と表現してお り 6 、本書題名 の混乱は校訂者両名の誤認によるものであろう。 ②各巻の巻数名や著者名の変更 ※各巻の巻数名 ︻両 写 本︼ 正 法 眼 蔵 面 授 章 ︵ま た は 巻︶ 続 絃 講 議 上︿之 本﹀ ︵以下、下之末までの全五巻︶ ︻西 有 校 訂 本︼ 正 法 眼 蔵 面 授 章 続 絃 講 議 巻 之 ● ︵● に は 一 ︱ 五が入る︶ ※著者名 ︻両 写 本︼武府 ︵または武江︶ 盛徳禅寺沙門 丑乙堂 ︻西有校訂本︼洞上老比丘 乙堂喚丑 本 来 は、 両 写 本 の 通 り の 記 載 で あ っ た と 思 わ れ る。 し か し、西有校訂本では、分かりやすいと考えたためか、著者の 肩書や表記を改めている。 ③書体の問題 本 書 に 引 用 さ れ て い る﹃正 法 眼 蔵﹄ ﹁面 授﹂ 巻 の 本 文 は、 天桂﹃正法眼蔵弁﹄に引用されている本文に類似している も の の、 所 々 で 独 自 な 字 句 が 見 ら れ る こ と が 判 明 し て い る 7 。乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ しかし、今回の調査から、字句の独自性は翻刻ミスである可 能性も出て来た。 ※﹃正法眼蔵﹄ ﹁面授﹂巻本文 ︻両 写 本︼漢字・変体かな交じり文 ︻西有校訂本︼漢字・カナ交じり文 ※引用された ﹃正法眼蔵﹄本文 ※﹁続絃﹂本文 ※﹃弁﹄引用文 ※﹁講議﹂本文 ︻両 写 本︼漢字・カナ交じり文 ︻西有校訂本︼漢字・カナ交じり文 大きな違いは、引用されている﹁面授﹂巻本文であり、本 来 の 天 桂﹃弁 ﹄ 写 本 ︵龍 水 本 を 参 照︶ で は﹁面 授﹂ 巻 本 文 は、 ﹁漢 字・ 変 体 か な 交 じ り 文﹂ と し て 引 用 さ れ、 他 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 諸 巻 引 用 文 は﹁漢 字・ カ ナ 交 じ り 文﹂ で あ る か ら、 両写本の書体が﹃弁﹄本来の形式に近いことになる。西有 校訂本では、本来の﹁変体かな﹂を﹁カタカナ﹂に変更して し ま っ た の で あ る。 し か も、 そ の 時 に 正 確 な 翻 刻 が 出 来 な かったのか、独自の仮名遣いとなってしまった。なお、西有 校訂本を底本にした﹃解全書﹄では、この部分を﹁漢字・ かな交じり文﹂ に改めている。 ④本文の大胆な削除 今回の写本の確認により、西有校訂本では、原本で一部分 でも読めない箇所が存在した場合には、該当する一節を丸ご と削除する編集方針を採ったことが分かった。 以下の節が該当してい る 8 。 a﹁面授﹂巻本文第 一五段落に対する ﹁続絃﹂ 具 体 的 に は 愛 学 本 応 巻 ︵下 之 本︶ 冒 頭、 興 隆 寺 本 悟 巻 ︵下 之 本︶ 冒 頭 に 当 た り、 西 有 校 訂 本 で あ れ ば 第 四 巻 冒 頭 で あ る。 西有校訂本では、第一五段落に相当する﹁面授﹂巻本文を挙 げ た 後 で、 ﹁続 絃﹂ 部 分 が 無 く、 直 ち に 天 桂﹃弁 ﹄ 第 一三〇節へと進む。しかし筆者は、本書全体を通して、この 例外が当該箇所のみであることに、以前から疑問を抱いてい た。今回、写本が確認され、当該部分に欠落が見られたこと で、西有校訂本に﹁続絃﹂第一五節相当文が無い理由が判明 した。 b ﹃講議﹄第 六八節︱ ﹃弁﹄第六九節の間 具 体 的 に は 愛 学 本 法 巻 ︵上 之 末︶ 末 尾 に 当 た り、 西 有 校 訂 本 で あ れ ば 第 二 巻 末 尾 に 相 当 す る。 ﹁面 授﹂ 巻 本 文 第 五 ︱ 六 段 落 の 間 は、 ﹃弁 ﹄ 本 文 の 長 大 さ や、 乙 堂 の 問 題 意 識 を 承 けてか極めて長文の応答となっている。 原 本 に 欠 け て い た と 思 わ れ る の は、 ﹃弁 ﹄ 第 六 九 節 相 当 に対する﹁講議﹂第六九節相当箇所のごく一部である。部分 的に虫損などが見られたのか、愛学本では欠損箇所を四角で
乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ 囲 い、 字 の 空 き を 指 摘 し て い た。 よ っ て、 ﹃弁 ﹄ 第 六 九 節 相 当 箇 所 は 全 文 が 残 存 し て い る の だ が、 ﹁講 議﹂ の 一 部 が 欠 けていたため、西有校訂本では両方とも一節丸ごと削除され た。 ま た、 西 有 校 訂 本 第 三 巻 の 第 六 九 節 ︵本 来 な ら 第 七 〇 節 相 当︶ 以 降 は、 両 写 本 に 見 る こ と が 出 来 る た め、 西 有 校 訂 本 で は前後の繋がりなどを考えず、とにかく残った部分のみを繋 げて編集したことが分かる。 ⑤本項の小結 両写本で欠けている箇所が、西有校訂本でも編集から除外 されていることから、西有校訂本と両写本とは同じ底本を用 い て 編 集・ 書 写 が 行 わ れ た も の と 推 定 さ れ る。 具 体 的 に は、 西有校訂本凡例から、乙堂自筆本を底本にしたことは明らか であるため、西有校訂本・愛学本・興隆寺本は、それぞれ同 じ乙堂自筆本を底本にしたと思われる。 本書の凡例には、 ﹁此の書を写し去んと欲する者の、請う、 脱誤し、或は己意を以て改削すること勿 れ 9 ﹂とあり、両写本 は著者乙堂の願いに応えるように書写が行われているが、西 有 校 訂 本 は 改 削 の 手 を 入 れ て し ま っ て い る。 こ の こ と か ら、 今後本書の研究を行う場合には、両写本を対校させつつ進め るべきである。
六
結論
本論は、曹洞宗の江戸時代の学僧・乙堂喚丑の主著として 扱われる﹃正法眼蔵続絃講議﹄について、新たに確認された 写本を紹介しつつ、当該資料の意義について検討した。 その結果として、今回紹介した両写本は、従来の研究で用 いられていた西有校訂本よりも原本に近い状態であることが 分かった。その上で、西有校訂本には編集時の問題があるた め、今後は研究の底本としては採用されるべきではないこと も判明した。 そして、最も重大なのは、両写本の検討から、従来の西有 校訂本には無かった文脈を複数見出すことが可能になり、両 写本に残存する部分を詳しく見ることによって、本書の全体 像を明らかに出来る可能性も出て来たことである。また、従 来 曖 昧 で あ っ た、 乙 堂 が 参 照 し た﹃弁 ﹄ 本 文 の 確 定 作 業 も、精度を高めて行うことが可能になったことを意味する。 本書は元々、自筆本が秘蔵されるのみで、乙堂と同時代的 に参照された可能性は、ほぼ絶無といってよい。しかし、乙 堂喚丑という一人の学僧が、徹底的に﹃正法眼蔵﹄本文を読 み、検討した結果を知ることで、当時正統と目された卍山道 白系統の思想的立場について、詳細を知ることが可能になる のである。乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄写本の研究︵菅 原︶ ︻謝辞︼ 今 回 の 研 究 に 際 し、 調 査 及 び 資 料 の 閲 覧・ 使 用 を 快 く 許 可 し て 下 さ っ た 長 野 県 山 ノ 内 町 興 隆 寺 御 住 職・ 山 本 興 仁 老 師 に、 御 礼 申 し 上 げ ま す。 な お、 興 隆 寺 本﹃続 絃 講 議﹄ 入 巻 の 書 写 を 畔 上 楳 仙 禅 師 が 行 わ れ た 可 能 性 が あ る と の 御 教 示 を 賜 っ た こ と に ついても、重ねて御礼申し上げます。 1 西 有 穆 山﹃正 法 眼 蔵 開 講 備 忘﹄ に つ い て は、 興 隆 寺 所 蔵 の 写 本︵旧蔵・畔上楳仙︶ を参照した。 2 ﹃曹 洞 宗 文 化 財 調 査 目 録 解 題 集 7︵北 信 越 管 区 ︶ ﹄﹁興 隆 寺﹂ 項︵七三︱七八頁︶ を参照した。 3 西有校訂本第一巻六丁表、訓読は菅原。 4 菅原 二〇一三 bを参照されたい。 5 興 隆 寺 本﹃正 法 眼 蔵 開 講 備 忘﹄ 六 丁 表 本 文 は﹁続 絃 講 議﹂ と するが、同丁冠には ﹁続絃講義﹂ とあり、混乱が見られる。 6 権 田 雷 ﹁禅 と 浄 家 の 十 住 心 摂 属﹂ ︵﹃雷 毒 語﹄ 所 収、 権 田 一九九四、二〇六頁︶ 7 菅原 二〇一三 bの ﹁記 1﹂ を参照されたい。 8 ﹁面 授﹂ 巻 本 文 の 段 落 数、 ﹁続 絃﹂ 及 び﹁弁 ・ 講 議﹂ の 数 え 方、番号については、筆者が独自に付したものである。 9 愛 学 本 法 巻 一 丁 表。 西 有 校 訂 本 は、 こ の 凡 例 の 内 容 を 変 え て しまっている。 ︿一次資料﹀ ﹃ 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 ﹄︵ 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 刊 行 会 編 、大 修 館 書 店 、 一 九 七 四 ︱ 一 九八 二 ︶ を 参 照 し 、 引 用 時 は ﹃ 蒐 書 大 成 ﹄ 巻 ○ ○ と 巻 数 を 含 め て 略 記 し た 。 引 用 時 は 、 原 典 に 従 っ て 訓 読 し つ つ 、 カ ナ を か な に す る な ど し て 、 表 現 を 見 や す く 改 め て い る 。 ﹃続 絃 講 議﹄ は、 ﹃蒐 書 大 成﹄ 巻 二 〇 を 参 照。 原 漢 文 の 場 合、 訓 読 は 本 書 の 訓 点・ 送 り 仮 名 に 従 っ た。 な お、 国 立 国 会 図 書 館 デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン︵旧・ 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー︶ で も 全 巻 が公開されている。 愛 学 本 ﹃ 続 絃 講 議 ﹄ は 、 愛 知 学 院 大 学 図 書 館 情 報 セ ン タ ー に 所 蔵 。 安 藤 文 英・ 神 保 如 天 編﹃正 法 眼 蔵 解 全 書﹄ ︵本 文 全 一 〇 巻・ 別 巻︶無我山房、一九一三︱一九一四。 ︿二次資料﹀ 権田雷﹃権田雷著作集﹄巻一四、 うしお出版、一九九四 曹 洞 宗 文 化 財 調 査 委 員 会 編﹃曹 洞 宗 文 化 財 調 査 目 録 解 題 集 7 ︵北 信越管区︶ ﹄曹洞宗宗務庁、二〇〇六 菅 原 研 州﹁乙 堂 喚 丑﹃正 法 眼 蔵 続 絃 講 義﹄ の 研 究﹂ ﹃印 度 学 仏 教 学研究﹄第六一巻第二号、二〇一三 a 菅 原 研 州﹁乙 堂 喚 丑 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 釈 の 研 究﹂ ﹃印 度 学 仏 教 学 研究﹄第六二巻第一号、二〇一三 b ︿キーワード﹀ 近世仏教、曹洞宗、正法眼蔵続絃講議 ︵愛知学院大学准教授・修士︶