『
天
台
伝
仏
心
印
記
』の
研
究
→ は じ め に 題 ド に コ 兀 代 に 天 台 の 宗 教 を 伝 え た 、 興 教 大 師、 虎 渓 の 沙 ( − ) 門 、 懐 則 が 述 す る L と 記 す 。 本 書 の 著 者 、懐
則 の 伝 は 『 続 仏 祖 統 紀 』 に も で ず 不 詳 で あ る が 、 四 明 知 礼ー
南 屏 梵臻
−
慈 弁 従 諌 ー 車渓
択
卿i
竹 菴 可 観 − 北峰
宗 印−
刻 源 覚 先 − 雲 夢 允 沢 ( 2 )−
虎 渓 懐則
−
子蒙
省 初 と い う 教 学 相 承 の 系 譜 に あ る 人 で あ る 。 本 書 の撰
述
年代
は 、 記 す と こ ろ が な い が 、 懐 則 に は 、 外 に ( 3 ) 『 浄 土 境 観 要 門 』 一 巻 、 『 一 心 三 観 』 の こ 著 が 現 存 し て お り 、 『 浄 七 境 観 要 門 』 の 末 尾 に は 、 至 大 三 年 ( 一 三 一 〇 ) 冬 至 、 前 三 日 と み え る か ら、 本書
も 、 ほ ぼ 至 大 ( 二 二 〇 八 〜 三 二二
) 年中
に 著 わ さ れ た で あ ろ う と 推定
さ れ る 。 本 書 成 立後
の 研 究 状 況 に つ い て は 、 諸著
に 引 用 さ れ る実
態 駒 澤 大 學 佛 敏 學 部 論 集 第 十 一 號 昭 和 五 十 五 年 十 一 月池
田
魯
参
な ど を 検 べ る 余 裕 が な い今
は 何 と も い え な い の で あ る が 、 刊 行 さ れ た 本 格 的 な 研 究 と し て は 、 幽 渓 伝灯
の 『 天 台 伝 仏 心 印 ( 4 ) 記 註 』 . 一 巻 が 最 初 で あ る 。 『 註 』 の序
文 に は 、 大 明 天 啓 七 年 ( 一 六 二 七 ) 歳 次 丁 卯 、 僧 白 恣 後 二 日 、 伝 持 天 台 教 観 比 丘 伝 灯、 述 於 厳 楞 壇 之 不 瞬 堂 と み え 、 又 、較
閲 者 の 沙 門 霊耀
の 跋 語 が あ り 、 是 書、 刻 於 天 台 高 明 寺 、 久 而 蠧 蝕 矣 、 耀 応 住 楞 厳 経 房 之 明 年、 囚 緇 白 慕 楽 記 註 之 慇 、 乃 細 加 較 閲 白 之 護 法 、 少 抽 蔵 経 之 資 、 刻 於 経 . 房、 永 遠 流 通 庚 申 ( 一 六 八 〇 ) 端 日 、 比 丘 霊 耀 謹 識 と記
す 。 又 、 紙 末 に 、 天 台 教 観 比 丘 霊 耀 、 営 理 経 房 之 明 年、 用 羨 余 刻 此 康 煕 十 九 年 ( 〜 六 八 〇 ) 六 月 日 識 と み え る 。 こ れ ら の 記 事 か ら伝
灯 の 『 註 』 は 一 六 二 七 年 に 欝 七 五『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) ( 5 ) わ さ れ 、 「 源 流 図 叙 」 を 撰 し た 、 馮 夢 祺 が 橋 本 者 と な っ て 、 天 台 山 高 明 寺 で 版 刻 さ れ た が 、 そ の
後
、 霊耀
が 蠧 蝕 し た 本 書 を み っ け 、較
閲
し て → 六 八 〇 年 、 本 書 を 再 版 し た こ と が 知 ら れ る 。 我 が 国 で 本 書 が 刊 行 さ れ 研 究 が 盛 ん に な る の は、 い ず れ も伝
灯 の 『 註 』 が 刊 行 さ れ て 以 後 の こ と で あ る 。 因 み に 『 昭 和 現 存 天 厶 ー− 宗 書籍
綜 合 目 録 』 に 掲 げ ら れ て い る 、 異 本 や 末書
を参
考 ま で に 示 し て お こ う 。 ▽ 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 「巻
ω 延 宝 九年
( . 六 八 → ) 伏 見 屋 刊延 宝 九
年
( 一 六 八 一 )長
谷 川 刊紛
元禄
八 年 ( 一 六 九 五 ) 団 ω 文 久 元 年 ( → 八 六 一 ) 東 叡 山 蔵 版 ▽ 『 天 台 伝 仏 心 印 記 註 』 二巻
ω 元 禄 …○
年 ( 一 六 九 七 ) 長 谷 川板
行 ▽ 『 天 台 伝 仏 心 印 記 詳 解 』 .巻
、 泰 然 解 、 元 禄 六 年 ( 一 六 九 三 ) 山 村 刊 ▽ 『 天 台伝
仏 心 印 記 佩 綬 』 二 巻 、 日 光 山 主 海 蒿 、 元 禄 一 〇 年 ( ] 六 九 七 ) 刊 ▽ 『 評 釈 天 台 仏 心 印 記 註 』 二 巻真 泉 撰 、 享 保 九 年 ( 一 七 二 四 ) 大
和
屋 刊 ▽ 『 天 台伝
仏 心 印 記講
録 』 一巻
、 霊 空 講 、 亮 厳 録 、 享 保 一 六年
( 一 七 三 「 ) 伏 見 屋 刊 ▽ 『 天 台 伝 仏 心 印記
箋 要 』 一巻
、 光 謙 撰 、享
保 一 六 年 ( 一 七 六 七 三 一 ) 河 南 刊 ▽ 『 幽 渓 伝 仏 心 印 記 註 指 謬 』 一 巻 、 光 謙 撰 、 享 保 一 六 年 ( 一 七 三 → )刊
(箋
要 と 合 本 ) 〉 『 箋 要 書 添 』 一 巻 、 光 謙 撰 、 寛 保 三 年 ( 一 七 四 三 ) 刊 ▽ 『 天 台 伝 仏 心 印 記 集 註 』 ] 巻 実 観 纂 刊 ▽ 『 仏 心 印 記 饒 舌 談 』 二巻
痴 空 撰 、 嘉 永 四 年 ( 一 八 五 一 ) 日 光 山 蔵 版 こ の
外
に も 『 仏 書解
説 大 辞 典 』 巻 八 に は、 ▽ 『 天 台 伝 仏 心印
記 科 本 』 一巻
、 天 禄 八年
( → 六 九 五 ) 刊 と み え る 。 本 論稿
は 、 便 宜 上 痴 空 の 『饒
舌談
』 の 科 文 に し た が い ( 必 ず し も 全 面 的 に 正 し い と は 思 え な い が ) 、 本 書 の 原文
を 通 釈 し 、 問 題 点 等 は 遂 次 註 記 の 形 で 指摘
し た い 。 註 記 (1
) 伝 灯 の 『 註 』 に は 「 虎 渓 沙 門 懐 則 述 」 と だ け 記 す 。 (2
) 『 仏 祖 統 紀 』 巻 二 四 ( 正 蔵 四 九 巻 二 五 七 頁 上 ) の 系 譜 で は 「 方 冑 懐 則 法 師 」 と で、 上 杉 文 秀 作 「 支 那 天 台 宗 系 譜 」 で も 「 方 岩 懐 則 」 と 出 る 。 ( 3 ) 止 蔵 四 七 巻 所 収 。 ( 4 ) 続 蔵 三 輯 六 套 四 冊 所 収 。 (5
) 伝 灯 の 「 序 」 に 載 す る 。 「 賜 進 士 第 翰 林 院 編 修 宗 天 台 教 観 、 菩 薩 戒 弟 子、 携 本 、 馮 夢 祺 、 薫 沐 拝 撰 」 と 記 す 。ゴ
『 天 台 伝
仏
心 印 記 』 の 通 釈 「 只 、 具 の 一 字 が 、 天 台 の 宗 義 を 顕 わ す 。 性 に 善 を 具 す る こ と は 、 他 師 も 知 る が 、 悪 の縁
・ 了 を 具 す る こ と は 、 他 師 は ( 1 ) ( 2 ) 皆 、 測 ら な い 」 と い う 。 だ か ら 今 家 の 「 性 具 」 の 功 は 、 「 性 悪 」 に あ る こ と が 知 ら れ る 。 も し 「 性悪
」 を い わ な い と 、 必 っ と 九界
の 修 悪 を 破 し て 仏 界 の 性 善 を 顕 わ す の だ と い う よ う に 解 ( 3 ) さ れ る で あ ろ う 。 こ の よ う な 理解
は 、 「縁
理 断 九 」 の 理 解 で あ り 、 こ れ か ら 論 じ よ う と す る も の と は 異 な る も の で あ る 。 ( 4 ) ( 5 ) だ か ら 『 止 観 』 が 説 く 十 乗 の妙
観 は 、 陰 等 の 十 攬 を観
じ 、 ( 6 ) 三障
、 四 魔 の 一 一 に お い て 、 皆、 円 妙 の 三 諦 を 成 ず る 。 発 心 と 立行
の 、 こ れ が そ の 体 格 で あ る 。 こ れ に 過 る 「 円 頓 」 が 外 に あ ろ う か 。 初 心 の 修 観 は、 内 心 を 先 と す る か ら 、 三 科 に お い て 、 十 八 界 と 十 二 入 を揀
却 し 、 ま た 五 陰 に お い て 、 前 の 四 陰 を 除 い て 的 し く 識 陰 を 取 り、 そ れ を 所 観 の境
と す る の で あ る 。 そ れ は さ な が ら 丈 を 去 っ て 尺 に 就 き 、 尺 を 去 っ て 寸 に 就 く よ う な も の で あ る と い え よ う 。 こ れ は 総 無 明 心 で あ る が 、 こ の総
に つ い て さ ら に 別 を 明 す と 、 第 六 識 で あ る 。 そ れ は ち ょ う ど、 樹 を 伐 ろ う と し て 根 を、 病 に 炙 し よ う と し て 穴 を得
( 7 ) る よ う な も の で 、 そ れ に よ っ て 千枝
も 、 百 病 も 自 然 に 消 殞 す る よ う な も の だ 。 そ れ が 有 効 で な け れ ば 、 そ の後
に 、 余 の 一 心 に 歴 た り、 余 の陰
入 に 例 し た り 、 あ る い は 九 境 が 発 る の を 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) 待 っ て 、 諦 観 す る の で あ る 。 発 ら な け れ ぽ、 観 察 し な い で い い の だ が 、 実 際 は そ れ ら の い ず れ か が 発 り 適応
す る 。 こ の よ う に 、 九 界 、 三 道 の 修悪
の 当 体 は 、 実 は 性 悪 の 法 門 な の で あ る 。 性 悪 で あ る か ら 、 ど ん な 法 で も 融 通 し て 趣 か な い こ と は な く 、任
運 自 在 に 仏 界 の 性善
を 摂得
す る 。 こ の よ う に 修 悪 そ の も の が 性 悪 と し て あ る か ら、 修悪
だ か ら と い っ て 破 さ れ る も の で は な く 、 性悪
だ か ら と い っ て 顕 わ さ れ る も の で は な ( 8 ) い 。 こ の 辺 の こ と を 「悪
の 全 体 は悪
」 ( す な わ ち 性 悪 ) と い う の で あ る 。 即 の 義 は 、 こ こ に 成 り 立 つ 。 今 家 が 明 す 即 の 義 は 、 全 く 諸 師 の 理 解 と は 異 な る も の で 、 二 物 相合
の 即 で な け れ ぽ、 背 面 相翻
の 即 で も な く 、直
し く 当 ( 9 ) 体 全 是 の 即 を 説 く か ら で あ る 。 こ れ は 煩 悩 や 生 死 を 断 除 し て 、 方 め て 仏 界 の 菩 提 や 涅槃
を 顕 わ す 、 と い う よ う な 一 般 の 理 解 を 超 え る も の で あ る 。 と こ ろ で 、 こ の 性 の善
悪 に つ い て 、 諸 経典
は 、概
念 の 規 定 の 仕 方 が 必 ず し も 同 じ で は な い か ら 、 広 ・ 略 の 異 が あ る こ と を 了解
し て お か な け れ ぽ な ら な い 。 い う と こ ろ の 概念
規 定 が 同 じ で な い と い う こ と だ が 、 例 え ば 『 華 厳 経 』 で は 、 能 く 染 浄 の 縁 に 随 っ て 、 十 法 界 を 分 か っ ( 10 ) て い る 。 迷 え ば 十 界 は 倶 に 染 、 悟 れ ぽ 十 界 は 倶 に浄
と い う こ と で あ る 。 七 七『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) 十 法
界
を 、 離 合 に つ い て読
む と 、 三因
を 具 足 し て い る 。 三字
を 合 せ て 読 む と 、 九界
を悪
の 正 因 と し 、 仏 界 を 善 の 正 因 と す る 。 十 の字
を 独 つ 呼 び 、 法 界 を 合 せ て 呼 べ ぽ 、 了 因 であ
る 。 ( 11 ) 十法
を 合 せ て 呼 び 、 界 の字
を 独 つ 呼 べ ば 、縁
因 で あ る 。 『 法 華 経 』 で は 「 諸 法 実 相 」 を い う が 、 権 実 を 出 る も の で ( 12 ) は な い 。 諸 法 と は 、 同体
の 権 の 中 の善
悪 で あ り、 縁 、 了 で あ る 。 実 相 と は、 同 体 の 実 の 中 の 善悪
で あ り 、 正 因 で あ る 。 九 界 の 十如
は 、悪
の縁
因 で あ り、 仏界
の 十 如 は 、 善 の 縁 因 で あ る 。 ( 13 ) 三 転 で 読 め ば 、 三 因 を 欠 く こ と は な い 。 『 涅 槃 経 』 で は 、 闡 提 と善
人
と の 二 人 は 、倶
に 性善
と 性悪
( 14 ) を有
ち 、 そ れ を善
悪 の 縁 因 と名
づ け て い る 。 三 因 は、 す で に 妙 で あ る か ら 、 縁 を い う と 必 ず 了 と 正 を 具 し 、 了 を い う と 必 ず 正 と 縁 を 具 し 、 正 を い う と 必 ず 縁 と 了 を具
す
る 。 一 は 必 ず 三 を 具 え、 三 は 即 ち ] な る も の で あ る 。語
に と ら わ れ て 円 意 を害
し、 聖 意 を 誣 罔 す る よ う な こ と が あ っ て は な ら な い 。 だ か ら 九 界 の 三 因 は、 性染
が 了 因 、 性悪
が縁
因 、 染 悪 不. 一 が悪
の 正 因 で あ る 。 九界
を 修悪
と の み解
す る こ と は で き ぬ 。仏
界
の 三 因 は 性善
が 縁 因 、 性浄
が 了 因 、 善浄
不 二 が 、 善 の 正 因 で あ る 。 七 八 こ の よ う な 性 の善
悪 を 、 「 性 浄 性 穢 」 と い い 、 あ る い は 「 理 明 理暗
」 と い い 、あ
る い は 「常
無 常 、 雙 寂 の体
」 と い う の で ( 15 ) あ る 。 『 請 観 音 経 』 な ど で は 、 単 に 「 毒害
」 と 名 づ け て い る 。 毒 害 と は 性 悪 の こ と に 外 な ら な い 。 い ず れ も皆
な 、 ] 体 の も の に つ け ら れ た 異名
で あ る に す ぎ な い 。 機 の 利 鈍 に 随 っ て 広 略 の 異 が あ る と い う 点 に つ い て い う と 、 略 せ ば 十界
で あ り 、 広 げ れ ば 三 千 で あ る 。 だ か ら善
悪 は 、 十 界 を 出 な い こ と が 知 ら れ よ う 。 十界
の 性 は 融 じ 、 互 い に 具 し て 百 と 成 る 。 界界
に 十 如 を 具 え る か ら 千 如 に 成 る 。 仮 名 ( 衆 生 ) の 千 と、 五 陰 の 千 と、 国 土 の 千 と 、 以 上 の 三 千 が 、 現 前 の 一 念 の 、 修 悪 の 心 に 、 本 来 的 に 具 足 し て い る の で あ る 。 造 作 に よ っ て 成 っ た わ け で も な い し 、 相 ( 三 千 ) を 生 ず る か ら そ う で あ る の で も 、 相 ( 三 千 ) を 含 む か ら そ う で あ る の で も な い 。 . 念 が 前 に 在 っ て 、 三 千 が 後 に 在 る の で は な い 。一 ( 16 ) 念 は 少 で 、 三 千 は 多 で あ る と い う の で も な い 。 そ れ な ら ば 、 情 は 破 さ な け れ ば な ら な い が 、 法 は 破 す べ き で な い と し て 、 法 に 執 す る な ら 病 に 成 る か ら 、 こ れ も 同 よ う 破 さ な け れ ば な ら な い 。 す な わ ち 、
善
悪 、 浄穢
は 、 法 門 の 理 体 な の であ
る 。 体 は 本 よ り 明 浄 で あ る か ら 、 繊毫
た り と も 断 ず べ き も の は な い 。 す な わ ち 断 証 、 迷 悟 は 、 た だ染
浄
に つ い ( 17 ) て 論 ず る に 外 な ら な い の で あ る 。 ( 18 ) 往 人 は 、 法 を 択 ぶ 眼 が な い た め に 、 情 と 理 を 分 け る こ と も 、薬
と病
を弁
え る こ と も で き な い で 、 わ つ か に 空 . 中 は遮
に 名 づ け 、 一 相 も 立 て な い と い う の を 聞 き 、 た だ ち に そ れ を 断 滅 の 意 に 解 し 、 仮観
を 照 に 名 づ け 、 三 千 宛 然 な る を 、 定 ん で 三 千 立 法 の 意 だ と し て い る 。 そ れ な ら ば 、 三諦
を 倶 に遮
す る 時 に は 、 三 千 の 法 を 言 う こ と は で き な い こ と に な る 。 迷 情 は 破 さ な け れ ぽ な ら な い か ら 、 即 空 即 仮 即 中 を 用 い 、 こ の 一 念 の 修悪
の 心 が 、 即 ち 三 千 の 妙 境. で あ る と 達 る の で あ る 。 し か し こ の 修悪
は 、 即 ち 性 悪 で あ っ て 、 理 と し て 三 千 を 県 え て お り 、 こ の 修悪
は 妙 事 の 三 千 に 外 な ら な い 。 理 具 を 観 ず る な ら 、倶
に 破 で あ り 、 倶 に 立 で あ り 、倶
に 法 界 で あ る 。 自 然 に事
用 の 三 千 を お さ め つ くす
。 三 千 は、 真 実 で あ っ て 、 あ ら ゆ る 相 は 同 よ う で あ る 。事
と 理 は 、 本 よ り 融 じ て お り 、 数 の 多 少 に 関 わ る も の で も 、 所 破 、 所 顕 の い ず れ か に偏
る も の で も な い 。 ( 19 ) だ か ら 「 諸 仏 は 性 悪 を 断 じ な い 。 闡 提 は性
善
を 断 じ な い 」 と い う 。 こ の 一 意 を さ え 点 検 す る な ら、 衆 滞 は 自 ら 消 釈 す る で あ ろ う 。 問 う 。闡
提 と 仏 は 、 何 の よ う な 善 悪 を 断 ず る の で あ ろ う か 。答
う 。闡
提 は修
善
を 断 じ 尽 し、 修 悪 を 満 足 さ せ る 。諸
仏 は修
悪
を断
じ 尽 し 、修
善
を 満 足 さ せ る 。問
う 。 修 善 も 修悪
も 、妙
の 事 で あ る か ら 、 所 顕 に 属 す る も 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) の で あ ろ う 。 何 う し て 所 破 の も の と い え よ う か 。答
う 。 修 の善
悪 は、 即 ち 性 の 善 悪 に外
な ら な い と い う 立 場 で は 、 論 ず べ き 修 の善
悪 は存
在
し な い 。 前 の 問答
で 示 し た こ と は 、断
の 義 に よ っ て お り 、 諸 仏 は 修 悪 を 断 じ 尽 し 、 闡 提 は 修善
を 断 じ 尽 す と い っ た の で あ る 。 修 の善
悪 は 性 の善
悪 に 即 す る と い う 観 点 に た て ぽ 、 断 ず べ き い か な る 修 の善
悪 も 存 し な い こ と は 、 い わ れ る 通 り で 、 そ れ は 不 断 の 義 であ
る 。 断 で も 不 断 で も、 そ の な か に は 妙 の義
が あ る の で あ る 。 問 う 。 闡 提 は 、 性 善 を 断 じ な い か ら 、 修善
を 起す
こ と が で ぎ る 。 諸 仏 は 性 悪 を 断 じ な い と い う か ら 、 還 っ て修
悪 を 起 す こ と が あ る の で あ ろ う か 。答
う 。 闕 提 は、性
善
を し ら な い ま ま に 、 し か も そ の 善 に染
せ ら れ る か ら、 修 の善
が起
る の で 、 広 く 諸悪
を治
す る こ と に な る 。諸
仏 は よ く悪
を し り 、悪
に お い て 自 在 で あ る か ら 、 悪 を 起 す こ と は な い 。 広 く 諸 悪 を 用 い 、 衆 生 を 教 化 し救
済 し て 、 し か も そ の 妙 用 に と ら わ れ る こ と が な い 。 こ れ が 「 性 悪 の 法 門 」 で あ る 。 悪 に染
礙
す る こ と は な い が、 悪 を 性 に 具 す る の で あ る 。 博 地 は、 但 だ 理 即 で 、 名 字 即 で 初 め て 聞 き 、 観行
即 で も 、 未 だ 顕 れ な い 。 そ の実
体
は ま だ 迷 な る も の で あ る 。 六 根 位 で 相 似 即 が 発 し、 初 住 位 で 分 真 却 を 見 、 妙 覚 位 に 果 を 成 じ 、究
竟 即 が 明 顕 す る 。 す な わ ち 理 即 は 、 親 証 に よ っ て そ の 相 を彰
七 九『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) ( 20 ) わ す と い う こ と で あ る 。 喩 え ぽ 、 曹 操 の 天 下 取 り の 相 は 、 身 内 に 隠 さ れ て い て 、 衣 服 を 脱 い で み な い と 見 え な い の と 同 じ で 、 六 即 の な か の 四 即 は 、 ま だ 理 を 親 証 し て い な い の に く ら べ ら れ よ う 。 又 、
孫
権
と 劉 玄 徳 は 、 面 上 に 顕 わ れ 、瞭
然 と し て 見 る こ と が で き る の は 、 分 証 即 、 究 竟 即 が 親 し く 理 を 証 る ( ユ 2 ) の に 喩 え ら れ る であ
ろ う 。 あ る い は 、 波 の 全体
が 湿 ( 水 ) で 、 湿 ( 水 ) の 全 体 は 波 で ( 22 ) あ る 。 波 相 の 方 は識
り 易 く て も 、 湿 性 の 方 は し り 難 い の に喩
え ら れ よ う 。 こ の よ う な 事 、 理 に は 、 三 用 が あ る 。 事 理 は 一 法 の 体 用 で あ り、 同 } の 三 千 で あ る が、 即 空 は 性 の 了 因 、 即 仮 は 性 の縁
因 、 即 中 は 性 の 正 因 で あ る 。 三 諦 は 、 性 具 の 構 造 の も の で あ る か ら 、 即 義 が 成 立 す る 。 三 千 が 三 諦 で あ る だ け で な く 、 三 諦 は 三 千 で あ る 。 中諦
は 、 一 切 法 を 統 べ 、 真諦
は 一 切 法 を 泯 じ 、 俗諦
は 、 } ( 23 ) 切 法 を 立 て る 。 三 千 は 即中
であ
り 、 中 を 主 に し て 、 一 に 即 し て 三 で あ る か ら 、 本 有 所 観 の妙
境
と 名 づ け る の で あ る 。空
・ 仮 は 、 即中
で あ る か ら 、 皆 な 性 に 属 す る 。 中 は 即 空 仮 で あ る か ら 、 ま た 二修
に 帰 す る 。 三 千 は 即 空 で あ り 、 空 を 主 に す れ ば 、性
の 全 体 を 修 に起
す か ら 、 こ れ を 因 中能
観 の 妙 観 と す る 。 仮 ・中
は 皆 な 空 であ
る 八 〇 か ら 、 三 は 皆 な 観 に 属 し 、空
は 即 仮中
で あ る か ら 、 ま た 用境
に 帰 す る 。 三 千 は 即 仮 で あ り 、仮
を 主 に す れ ば 、果
上 解 脱 の 大 用 と 名 づ け る 。 中空
は 即 仮 で あ る か ら、 三 は皆
な 用 に 属 す る 。 仮 は 即 中 空 で あ る か ら 、 還 た境
観 に 帰 す る 。 一体
の 三法
で あ る 、 が各
各
を 二 に対
し て 明 し 、 三境
( 中 ) 、 三観
( 空 ) 、 三 用 ( 仮 ) を 論 じ た の で あ る が 、 三 法 の 関 係 は 、 即 か ず 離 れ ず 、 縦 な らず
横
な ら ず 、 即 ち 遮 し 、 即 ち 照 す と い う よ う に 、対
極 の 義 が 同時
に 成 り 立 ち 、 ま こ と に 玄 妙 、 深絶
( 24 ) な る も の であ
る 。 そ れ は ち ょ う ど 、 三 点 で 成 る 伊 字 の よ う な も の で 、 冖 で あ っ て も 相 い に 混 じ ら ず 、 三 で あ っ て 相 い に 離 れ る こ と が な い 。 大 な る 涅 槃 と は、 こ の よ う な こ と を い う の ( 25 ) で あ る 。 次 に、 能 観 に つ い て 、 三観
を 論 じ よ う 。 所 観 は 、 前述
の 三 諦 で あ る 。 ( 26 ) 三観
に つ い て 、 即 空 に よ る か ら 、染
礙
の 情 を 破 し 、 一 相 も 立 て ず 、 こ の 三 千 が 同 冖 の 性 で あ る こ と を 顕 わ す 。 一 切 は 即 ち 一 で あ り 、 同 し く 一 念 に 居 し 、 こ れ を 派 れ ば 、 い よ い よ 合 い 、 衆 の 珠 が 、 威 な 】 つ の 珠 に つ ら な る よ う に 、 畢 竟 し て 清浄
で あ り 、 断 無 ( 否 定 の た め の 否定
) の 空 と は 異 な る 。 即 仮 を も ち い る と 、 互 い が 具 し 互 い が 摂 し 、諸
相 は 宛 然 と し て あ り、 三 千 は自
体
を 失 な わ な い こ と が 顕 わ れ る 。 一 は 即ち 一 切 と 顕 わ れ 、 同 よ う に 一 念 に 居 し な が ら、 即 し て い よ い よ 分 れ る 。 一 の 珠 の 影 が 、 衆 の 珠 の な か に 入 る よ う な も の で
思
議 を 超 え る 。 こ れ は 頼 縁 の仮
と は 異 な る 。 即 中 を も っ て す る か ら 、 こ の 三 千 は 一 で も 一切
で も な く 、 分 で も 合 で も な い 。 二 辺 を と も に 遮 る か ら 、 二 相 は な く 、 二諦
を と も に 照 す か ら、 空 仮 は 宛 然 と し て あ る こ と が 顕 わ れ る 。 だ か ら 「 但 中 一 が 諸法
を 具 え る こ と が な い の と は 同 じ で は な い 。 一 が 空 な ら 、 一 切 は 空 で あ り 、 三 観 は 片 な 空 で あ り 、総
べ て が 空 観 と な る 。 一 が 仮 で あ る な ら 、 一 切 は 仮 で あ り 、 三観
は 皆 な 仮 と な り 、総
ぺ て は 仮 観 と な る 。 一 が 中 で あ る な ら 、 一刧
は 中 で あ り 、 三観
は 替 な 中 と な り、 総 べ て は 中 観 と な る 。 こ の こ と は 、 ど の よ う な こ と か と い う と 、 終 日 、 相 を破
し て も 諸 法 は 皆 な 成 じ ( 空 ) 、 終 日 、 法 を 立 て て も 繊 塵 を も 必 ず 尽 す (仮
) 、終
日 、 待 を 絶 し 、 二 辺 は 熾 然 と し て は た ら く ( 中 ) 。 こ の こ と を 、 即破
即 立 ( 空 ) 、 即 立 即 破 ( 仮 ) 、 非 破 非 立 而 破 而 立 ( 中 ) と い う 。 あ る い は 、 即 遮 即 照 ( 空 ) 、 即 照 即 遮 ( 仮 ) 、 非遮
非 照 而遮
而照
( 中 ) と い う 。 説 は 次 第 し て も 、 行 は 、 三 観 が 同 一 時 に あ る 。 こ の よ う な わ け で あ る か ら 、 理 と し て 立 た な い も の は 一 つ も な く 、情
と し て 破 さ な い も の は 一 つ も な ( 27 ) い 。 断 無 の 空 や 、 頼 縁 の 仮 や 、 二 辺 を 出 る 中 な ど を 説 く 立 場 と 、 こ れ を 同 日 に 語 る こ と は でき
な い 。 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) ( 28 ) 故 に 「唯
だ 仏 が仏
と の み 、 よ く 究 尽 す る 」 と い う 。 稲 麻 の よ う に 多 く の 二 乗 や 、 恒 沙 の よ う に 多 く の 菩 薩 で も、 こ の 義 の少
分 で さ え 知 る こ と は で き な い 。 こ の よ う な 三 千 の 様 態 は 、 諸 部 に も 通 ず る も の で あ る が 、的
し く は 『 法 華 経 』 に 在 る 。 昔 経 は 、 「 つ は 兼 帯 の 過 が あ り 、 二 つ は 隔 偏 の 失 が あ る の に対
し て 、 今 経 は 、 但 だ 、 純 一 で 無 雑 ( の 円 教 ) で あ る と い う だ け で な く 、 よ く麁
を開
い て 妙 に ( 29 ) 即す
る か ら 、 題 し て 「 妙 法 」 と 称 す る わ け で あ る 。 こ の 絶 待 の妙
法 を 用 い て 観体
と す る な ら 、 譬 え ぽ、 日 光 が や み ( 30 ) い か な る 暗 も の こ さ な い よ う な も の で 、 終 窮 の 究 竟 の 極 説 と い え 、 「 仏 祖 正 伝 の 心 印 」 と い う の は 、 正 し く こ の こ と で あ る 。仏
は 、 こ れ を 迦葉
に 伝 え、 迦葉
は 、 こ れ を阿
難 に 伝 え、 こ の よ う に し て 二 十 四 代 の 師 子 比 丘 ま で 伝 え ら れ た 。 師 子 は難
に 遇 い 、 後 に 伝 え る こ と は で き な か っ た が 、 こ れ は 「 金 ロ の あ 祖 承 」 で あ り 、 いず
れ も 皆 な 見 っ て こ れ を知
っ た 者 で あ る 。 ( 31 ) こ の こ と は 『 付 法 蔵 伝 』 に み え る 。 と こ ろ が 、 前 に 六 仏 を 加 え 、後
に 四 祖 を 添 え て 、偈
を 説 い て法
を付
し 、 華 を拈
じ て 微 笑 し た こ と を 唱 え て 、 教 外 別 伝 を 〔 32 ) い う も の が あ る が 、 こ れ は 経 論 に憑
る も の で は な く 、 誰 れ 人 も 許 容 し な い 。漢
の 明 帝 が 、 夢 に み た 金 人 を 求 め た こ と か ら 、仏
法 は 東方
八 一『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) と き に 流 伝 し た の で あ る が 、 北 斉 の 間 に 至 っ て 、 慧 文 師 が あ り 、 『 釈 論 』 を 究 め て 一 心 三 智 を 悟 り、 ほ し い ま ま に 竜 樹 を
宗
と し た 。 推 察 す る に 、 竜樹
は 二 十 四 祖 の中
の 第 十 三 師 に 当 る 。 お し え慧
文 師 は 、 だ か ら 見 っ た わ け で は な い が 、 聞 に よ っ て 知 っ た わ け で 、 そ れ を 南 嶽慧
思
( 五 一 四 ・ 五 一 五 ー 五 七 七 ) に授
け 、南
嶽 は 、 法 華 三 昧 を克
証
し 、 六 根 清 浄位
を獲
て 、 こ れ を 天 台智
顎 ( 五 三 八 〜 五 九 七 ) に 伝 え た 。 天台
は 霊 鷲 山 で 親 し く 承 け た の で あ る が 、 大 蘇 山 で 妙 悟 し 、 初 旋 陀 羅 尼 を 静 に 因 っ て発
し 、華
頂 峰 上 で無
師 独 悟 し 、 法 華 の 妙 旨 を 用 い て 、 三 千 絶 待 の 妙 観 を 結 成 し た の で あ る 。 そ し て こ れ を 章 安灌
頂 ( 五 六 → 〜 六 三 二 ) に 伝 え 、 章 安 は 法 蔵 を 結集
し、 こ れ を 二 威 (智
威 ( ? 〜 六 八 〇 ) と 慧 威 ( 六 三 四 〜 七 一 三 ) ) に 伝 え 、 慧 威 は 左渓
玄 朗 ( 六 七 三 〜 七 五 四 ) に 伝 え 、 左 渓 は 荊 渓湛
然 ( 七 冖 一 〜 七 八 二 ) に 伝 え た 。荊
渓 は 広 く 伝 記 を 作 り 、 大 義 を 輔 翼 し、 日 や 星 の よ う に 昭 ら か に な っ た 。 前 か ら 後 へ 取 る こ れ ら 六 祖 あ は 、 皆 な 見 っ て 知 る 者 で 、 一家
の 教観
は 四 海 に 光被
し た の で あ る 。 始 め は 、 安禄
山 ・ 史 思 明 が法
難 ( 七 五 五 ) を な し、 中 ご ろ は 、 武 宗 の 会昌
の 廃 仏 ( 八 四 五 ) に 因 り、 後 に は、 五 代 の 兵 火 ( 後 周 世宗
の 廃 仏 ・ 九 五 五 ) に 因 っ て 、 天 台 の 教 蔵 は絶
滅 に 瀕 し 、 ほ と ん ど 伝 わ る こ と が な か っ た 。 螺 渓 義 寂 ( 九 } 九 ー 九 八 七 ) は 、 失 な わ れ た 教籍
を 旧 聞 に訪
ね 、 天 下 に 網羅
し て 探 し 求 め 、銭
王 弘 俶 ( 九 二 九 〜 九 八 八 ) は 、 高 麗 や 日 八 二 本 に 使 を 遣 わ し 、 教 観 の 典 籍 は 旧 に 復 す る に い た っ た が 、浙
江 の 辺 に 盛 行 す る に は い た ら な か っ た 。 し か る に伝
が 四 明 知 礼 ( 九 六 〇 〜 → 〇 二 八 ) に 至 る や 、 荊 渓 が 記 さ な か っ た も の に記
し 、 四 種 三 味 の 行 じ 難 い も の も 悉 く 行 じ 、 天 台 学 を 中 興 し た 。 天 に 輝 く 太 陽 は 何 も の に も 掩 わ れ な い よ う な あ り さ ま お し え ( 33 ) であ
る 。 こ れ ら の 人 は 聞 に よ っ て 知 っ た も の で あ る 。翰
林 の 染敬
之 は 、 「 百 家 を 抗 折 し 、 諸 説 を 超 過 す 」 と い い 、員
外
郎 の柳
子厚
は 、 「 聖 を 去 る こ と 逾 い よ 遠 く 、 異 端 並 び 起 ( 34 ) る 。 唯 だ 天 台 大 師 の み 、 其 の 説 を得
た り 」 と い っ て い る 。 二 人 の 賢 者 が こ う い う の は 、 も っ と も な こ と で 、 虚美
な賛
辞 と は考
え ら れ な い 。 諸 宗 は、 性 に 悪 法 を 具 す る こ と を 知 ら な い か ら 、 九 界 を論
( 35 ) ず る と き は 、 唯 だ 「 性 起 一 と い う 。 た と え 円 家 は 性 具 を も っ て 宗 と す る と 説 い て も、 只 だ 性 に 善 を 具 す る こ と を 知 る だ け で 、 性 に 悪 を 具 す る こ と を 知 ら な (灘
し だ か ら 「 煩 悩 即 菩 提 」 「 生 死 即 涅 槃 」 と い っ て も 、 鼠 が 喞 き 、 鳥 が空
に鳴
く よ う な も の で 、 そ の 言 は 意 味 を も た な い 。 き ま っ て 九 界 の 修 悪 を 翻 じ て 、 仏 界 の 性善
を 証 す る の だ と考
え る 。 さ ら に 「 直指
人 心 、 見 性 成 仏、 却 心是
仏 」等
を 説 い ても
、 そ れ は 真 心 の 成 仏 を 指 し 、 妄 心 を指
す の で は な い 。有
る 人 は 、即 心 是 仏 と は 、 真 心 の こ と で あ る か 、
妄
心 で あ る か 、 と い う ( 37 ) 問 に 対 し て 、 「 真 心 で あ る 」 と 答 え て い る 。 又、 有 る 人 は 、 「 修 証 は 確 か に あ る の だ が 、 修 行 し て 証 る の ( 38 ) だ と 染 汚 ( 執 着 ) し て は い け な い 」 と い う 。 こ の よ う な考
え 方 は 、 た だ 清 浄 な 法 身 を標
し 、 そ れ を も っ て 教外
別 伝 の宗
と す る も の で あ る 。 又 、 あ る 人 は 、 「 報身
、 化 身 は 真 仏 で は な い 。 亦 た 説 法 す る ( 39 ) 者 で も な い 」 と い う 。 も し そ う だ と す る と 、 大 い な る 功 用 ( 教 化 ) は 、 報 身 化 身 で な く て 何 が す る と い う の で あ ろ う か 。 報 ・ 化 身 が 功 用 を な す こ と が解
れ ぽ 、法
身 だ け を い う の は 、 染 汚 に 滞 る も の と い わ な け れ ば な ら な い 。 そ れ は と う て い 「 仏 が 護 念 す る 所 の も の 」 で は な い か ら 、 そ の 説 に し た が っ て 頓 に 法 身 を 見 る こ と な ど は で き な い だ ろ う 。 こ れ ら は 皆 な、 但 中 ( 別教
) の 義 以 上 に は 出 な い も の で 、仏
界 の 但 中 の 性 が 三 身 を 具 え る と い う こ と も知
ら な い の で あ る か ら、 九 界 が 三 身 を 具 え る こ と な ど 想 い も 及 ぼ な い 。 こ れ ら の考
え方
は、善
悪 に つ い て 言 う と 、 偏 え に 性 善 に属
す
る も の で 、 十 界 に つ い て い う と 、偏
え に 仏界
に 属 し 、 真妄
に つ い て い う と 、 偏 え に真
に属
し 、 九識
に つ い て い う と 、偏
え に 真 常 な浄
識 に属
し 、 四 教 に つ い て い う と 、 偏 え に 別 教 に属
し 、 陰 等 の 十境
に つ い て い う と 、菩
薩
境 に 属 し 、 未 だ 三 障 、 四魔
を 離 れ な い も の で あ る 。 こ れ ら に 「 円頓
の 心 印 」 と 名 づ 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) け る こ と な ど で き な い 。 知 ら れ る よ う に 、 諸 師 が い う 即 は 、 「 真 即 真 」 を 指 す の で 、 「 妄 即 真 」 と 指 す 天 台 の も の と は 異 な る 。 そ れ は 「 菩 提 即 菩提
」 「 涅槃
即涅
槃 」 と い う べ き も の で あ る 。 陰 に 即 い て 示 す こ と が な い か ら 、 修 行 を 発 す 相 も な く、 偏 に 仏 界 の 真 心 を 指 し 、 一 を 破 し 一 を 立 て る と い う こ と に な る 。 こ れ は 別 教 に お け る 理 に縁
っ て 九 を 断 ず る 立 場 の も の で あ る 。 そ れ だ け で な い 。 性 悪 が 仏 性 の 異名
で あ る こ と を 知 ら な け れ ば 、 煩 悩 の 心 や 、 生 死 の 色 に は 仏 性 は な い と い う こ と に な ろ う 。 煩 悩 の 心 に 仏 性 が な い か ら、 法 相 宗 で は 、 定 性 の 、 一 乗 と 極 ( 40 )悪
の闡
提 は 成 仏 し な い と い う 。 生 死 の 色 に 仏 性 が な い か ら 、 性 宗 ( 華 厳 宗 ) で は 、牆
壁 瓦 〔 41 )礫
は 成 仏 し な い と い う 。 九界
の 煩 悩 や 生 死 の 修悪
を 破 し 、 仏 界 の 性善
の 仏 性 を 顕 わ さ な け れ ば な ら な い と い う 。 だ か ら 果 地 の融
通 だ け を 知 っ て 、 因 心 の 本 具 を 知 ら な い の で あ る 。 そ う で あ る と す る な ら 、 但 だ無
情 に 仏 性 が 無 い だ け で は な く 、 有情
に も 仏 性 は な い こ と に な ろ う 。何
故 な ら 、 真 如 心 に つ い て 「唯
心 」 を 説 く の であ
る か ら 、遮
那 (仏
) に 仏 性 が あ る と い う だ け で あ り、 真常
の 色 に つ い て 「唯
色 」 を 説 く の で あ る か ら 、寂
光
( 土 ) に 仏 性 が あ る と い う だ け で あ る 。 有情
の 煩 悩 の 心 や 、無
情 の 八 三『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) ( 42 ) 生 死 の 色 に
関
わ る こ と は な い 。 『 金鋳
論 』 の中
で 具 に説
く と お り で あ る 。 問 う 。 有 る 人 は 、 南 嶽 や 天 台 は 、 三 諦 の 理 に 依 っ て 、 三 止 三 観 を 修 め る こ と を 説 き 、 教 義 は 極 め て 円 妙 な も の で あ る が 、 そ の 趣 入 の 門 戸 は 漸次
次 第 の も の で 、高
僧
た ち が 修 す る 四禅
八 定 な ど の 諸 禅 の 行 相 に す ぎ な い 。達
磨 が 伝 え た 禅 だ け が 、 ( 43 )頓
に 仏 体 に 同 ず る も の で あ る 、 と そ う い う 。 こ こ で 示 さ れ る 内 容 と 随 分 違 う が 、何
う か 。 答 う 。 そ の 人 は、今
家 で 第 六 識 を 立 て て 所 観 の陰
境 と 示 す お し え の を み て 、 こ れ は 権 教 の 所 詮 で あ る と 判 じ 、 第 九識
を 観 ず る こ と が 仏 体 に 同 ず る こ と だ と 考 え る よ う で あ る が 、 こ の よ う な 指 斥 は 甚 だ 謬 っ て い る 。 前 述 し た こ と に 関 わ る が 、今
、 更 に そ れ を 評 釈 し よ う 。 境 を 問 題 に す る と き は 、唯
だ 近 要 を尚
ん で 、 第 六 識 心 を 所観
の境
と し た の で あ る が 、 妙 に お け る 三 識 は 、 未 だ か っ て 一 瞬 た り と も 離 れ た こ と は な い 。 一 見 し 、 一 思 す る の は 、 一 識 で あ っ て も 、 い ま だ か つ て 三 識 を 観 と し な い こ と は な く 、 三 識 を も っ三
見 と し ま ハ ニ と よ船
)霆
、 ろ5
° 」 亅 丿匿 」 ’ 、 」 ‘ を 7 し ‘ }3
」 ノ巳 こ の 心 を 、 直 ち に 仏 界 の 実 相 の 理 に 縁 ら し め る の は 、 ち ょ は す の い と の ぼ う ど藕
絲 を 用 い て 山 に 懸 る よ う な も の で 、 徒 ら に 分 別 を増
し 、 念 を 絶 つ こ と な ど で き な い で あ ろ う 。 な ぜ な ら 、 こ の 第 六識
心 は 、 す で に 見 思 を 熏 じ起
し 、 よ く忻
獸 の 分別
を起
し 、善
悪
八 四 の 因 と な る も の で あ る か ら 、 修 悪 であ
る 。 こ の 修 悪 が 性悪
で あ る と体
達 す る の が 、 能 観 の 観 法 で あ り 、 所 顕 の 法 門 で あ る 。 そ れ 故 に 、 荊 渓 は 「 忽 し 都 て 性 悪 の名
を 聞 か な い な ら 、 ど う ( 45 ) し て能
く 性 徳 の 行 が あ る こ と を 信 じ え よ う 。 」 と い う 。 修 悪 が 性 悪 で あ る か ら 、 三 観 、 十乗
は 、 破 す べ き 惑 も 、 顕 わ す べ き 理 も な い 。 こ れ こ そ 無 作 の 妙 行 と 名 つ く べ き で あ る 。 な い し し め果
上 に 普 現 す る 色 身 は、 形 を 九 界 に 垂 し、 六 道 に 遊 戯 し 、 性悪
を 全 う じ て起
す か ら 、 無謀
( 無 作 ) に し て 応ず
る と 名 づ け る こ と が で き る 。 も し も 悪 を 翻 じ て 善 と し 、悪
を 断 じ て 善 を証
る と い う の で あ れ ぽ 、 因 中 の 行 は 有 作 と な り 、 果 上 は 同 よ う に 作 意 の 神 通 と な る 。 外 道 の そ れ と 、 そ れ は 何 れ ほ ど の 異 い が あ る と い う の か 。 こ の よ う な も の を 、頓
に 仏 体 に 同 ず る も の で あ る と い う な ら、 そ れ は ち ょ う ど、魚
目 を 明 珠 と 認 め 、 山 鶏 を 鸞 鳳 で あ る と 指 す の に等
し い 。 そ の 程 度 の 謬 り は 、 小 さ な 童 子 で も わ か る で あ ろ う 。 性 悪 を 性善
と 対 し 、 十 界 の 次第
に 約 し て 迭 い に 論ず
る な ら 、 六 界 が悪
で あ 敵 ば、 二 乗 は善
で あ り、 八界
が 悪 で あ れ ば 、菩
薩 は 善 で あ り 、 九 界 が 悪 であ
れ ば 、 仏 界 は善
で あ る こ と に な ろ う 。最
後 の 九 ・ 一 が 、 悪 の 際 で あ り 善 の 極 で あ る か ら 、 こ こ で も 九 ・ 一 の 極 に つ い て善
悪 を 論 ず る の で あ る 。 か た よ ( 46 ) 円 教 の 人 は 、 性 に 善悪
を具
す る 。 そ れ は 「 君 子 は 器 ら な い 」で 、 善
悪
を 倶 に 善 く す る の に 似 て い る 。 体 で も 用 で も 同 じ で あ る 。 別教
の 人 は 、 性 に 悪 を 具 え な い か ら 、 そ れ は淳
善
の 人 が、 悪 を 造 る こ と が で き な い の に 似 て い る 。 無 明 の た め に 牽 か れ て つ い に は 悪 を な す の で あ る 。 さ と り 『 釈 論 』 で は 、 「 婬 欲 は 即 ち 道 で あ る 。癡
で も 恚 で も 同 よ う ( 47 ) で あ る 」 と い う 。 三 法 ( 欲 ・癡
・ 恚 ) の 中 に、 一 切 の 仏 法 を 具 し て い る 。 婬 ・ 欲 ・ 癡 ・ 恚 は 修 悪 で あ る 。 一 切 の 仏法
を 具 え る の は 性 悪 で あ る 。 又 『 法 華 経 』 に は 「 弾指
、 散 華 、 低 頭 、 ( 48 ) 合 掌 、 皆 な 仏 道 を 成 ず 」 と い う 。 弾 指 な ど は修
善
で あ り、 「 皆 な 仏 道 を 成 ず 」 と い う の は 性 善 で あ る 。 あ た か も こ の よ う に 、法
界
の 有 情 の こ と ご と く は、 こ の 本 有 の 自 性 に 復 さ な い も の は な い 。 山 林 の 下 に あ る 草 沢 の 士 が 、 仏 教 を精
究
し て 聖 化 を 弘 宣 す る こ と が で き る の は、 こ れ に 基 づ く 。 あ る も の は 、 師 の 門 で 耳 に 提 げ 面 に 命 じ て 、 見 の あ た り に こ れ を 知 り 、 あ る も の は お し え 経 、疏
に よ っ て 研 幾 し 索 隠 し て 、 聞 に よ っ て 知 る 。 見 で も 、 聞 で も、 両 つ の 心 が 柑 い に 照 ら し、 玄 く 領 い 黙 し て 契 う の が 「 伝 」 で あ り 、 我 が 心 が 本 か ら 具 え て い た の で 、他
か ら得
た の で は な い の で 「 不 伝 」 と 名 づ け る 。 心 に 本 か ら 具 え て い る と い っ て も、 点 示 し て は じ め て 知 る の で あ る か ら 「 伝 」 で あ る が 、 こ の 不 伝 の 妙 ( 伝 ) は 、 即 心 に 印 す る よ う な も の で あ る か ら 、 こ れ を 「 心 印 」 と 名 づ け る 。 こ の 心 印 を 知 る 者 を 「 妙 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 )解
」 と 名 づ け、 こ れ を 行 ず る 者 を 「 妙 行 」 と 名 づ け 、 こ れ を証
る 者 を 「 妙 果 」 と 名 づ け る 。 こ の 外 に 仏 者 の な す べ き こ と は な く 、 こ の こ と に 尽 ぎ て い る 。 こ れ ま で に 論 じ た こ と は 、 し ぽ ら く 仏 の自
行 に お け る も の で あ っ て 、 ま だ 仏 の 化 他 に つ い て は 説 か な か っ た 。 何 と な れ ( 49 ) ぽ 、 迦 葉 は譬
説 の な か で 一 た び 聞 い て 悟 り 、 修 持 す る ま も な く 、 具 に 五 時 の 施 化 を 領 じ た 。 説 法 は こ れ に 拠 っ て い る か ら 、 施 開 は 自 在 な の で あ る 。遂
に 迦 葉 は 如来
の 述 成 と授
記
を蒙
け 、 こ の 心 印 を 伝 え る の で あ る が 、 そ れ は 、 的 に 『 法 華 経 』 に お い て で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 譬 を 聞 い た の は 妙 解 であ
り 、 悟 入 は 妙 果 で あ る 。 だ か ら 「 今 、 法 王 の 大 宝 、 自 然 に 至 ( 50 ) ほ か る 」 と い う 。迦
葉
に し て そ う で あ る か ら、 余 の者
も 同 よ う であ
る 。 金 口 が そ う で あ る よ う に 、今
師 も ま た そ う で あ る 。 北斉
の 慧 文 は、 「 た び 文 を 披 い て 、 朗 然 と し て 大 悟 し 、 南嶽
の さ と慧
思 は 、 九旬
に し て 証 り 、 天 台 の智
顕 は 、 二 七 日 に し て克
っ お し え た 。 い ず れ も 聞 に よ っ て 思 い 、 思 修 し て 証 っ た も の で あ っ て 、 根 性 は 不 同 だ か ら 、証
に 遅 速 が あ る に す ぎ な い 。 化 他 を 論 ず る と 、 そ れ は 「付
託 」 で あ り、 「 嘱累
」 の こ と で あ る 。 こ れ に は 通 と 別 が あ り 、 通 ず れ ぽ 四 衆 を該
ね る が 、 別 す れ ぽ 迦葉
に あ る 。 す な わ ち 、 勧 持 、 読 誦、 嘱累
、流
通 な い し 余 の 深 法 中 の 示 教 や 、 利喜
な ど の よ う に 、 声 聞 は 具 に 八 千 人 もあ
り 、 菩 薩 の数
は無
量
無 教 で あ る 。 別 す れ ぽ唯
だ 迦 葉 に 八 五『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) 在 る と い う の は、 す な わ ち 、
付
嘱 は 】 処 に局
ら な い で 、 『 涅 槃 経 』 の 中 で は、 会 衆 の う ち に い な か っ た が 、 四 衆 に 迦 葉 を 敬 信 さ せ よ う と し て 、 「 我 、今
、 所 有 の無
上 の 正 法 を 摩 訶 迦 葉 に ( 51 )付
す
」 と い う 。 又 『付
法 蔵 伝 』 に は 、 「 化縁
、畢
ら ん と し て 、 当 に 滅 度 せ ん と し て 、 大 弟 子 、 摩 訶 迦 葉 に 告 ぐ 、 我 は 今、 般 涅 槃 せ ん と す 。 こ の 深 法 を も っ て 、 用 い て 汝 に 嘱 累 す 。 汝 は 当 に 後 に お い て 、我
が 意 を 敬 順 し 、 広 宣 し 流布
し て 、 断 絶 さ ( 52 ) せ る よ う な こ と が な い よ う に 」 と い う 。 こ の よ う に 涅 槃 の 会 座 に 迦 葉 が い た こ と を 説 く 経 典 は 、 ま だ中
国 へ は も た ら さ れ て い な い の で あ ろ う 。 迦 葉 独 り に 付 す る 所 以 は、 次 の よ う な 三 意 で あ る 。 一 つ は 、 如 来 の 縁 が 謝 り 、迦
葉 の 縁 が 興 る こ と 。 二 つ は 、 迦 葉 は 苦 行 に よ っ て 能 く 仏 法 を 久 住 さ せ る こ と 。 三 つ は 、 小果
( 迦 葉 ) に 附 せ ば 、 化導
が 行 い 易 い こ と で あ る 。 例 え ば、 浄 明 徳 仏 が ( 53 ) 一 切 累 生 電 q 見 菩 薩 に 付 嘱 し、 流布
せ し め た よ う な も の で 、 こ こ で は 縁 が 彼 に は な か っ た か ら 、 迦 葉 に 付 託 し た ま で で あ る 。 仏 心 印 を 伝 え た も の は 独 り迦
葉
だ け で 、 余 の も の は 伝 え な か っ た と い う よ う な こ と は い え な い 。 匿 の 人 は、 こ の 意 を 知 ら な い で 、 聖 賢 を 欺 罔 し、 妄 り に 戯 論 を 生 じ て い る 。 そ れ は 自 行 と 化 他 の 、 的 伝 の旨
を 充 分 に 知 ら な い こ と か ら 生 じ た こ と で あ る 。 お し え あ あ 、 こ れ こ そ は 、 一 家 が 古 今 に 絶 す る 唱 であ
り 、 仏 祖 の 八 六 正 伝 で あ る 。 そ の 唱 は 白 雪 の よ う に 高 貴 で 、 陽春
が 溶 か す よ ( 馳 ) う に 和 す も の は 寡 い 。 幸 い に も嘉
い 運 に 逢 い 、 鄙 陋 の 身 を 辞 さ な い で 、 輒 す く 紙墨
に 憑 り 、 見 聞 を 広 く述
べ 、 『 法 華 経 』 の 「 若 く は 田 に お い て ( 55 ) も、 若 く は 里 に お い て も 」 と か 、 『 涅槃
経 』 の 「 若 く は樹
に 、 ( 56 ) 若 く は 石 に 」 と あ る 説 に 効 お う と し た の で あ る 。 毀 謗 を 生 ず る な ら 、 私 は そ の 人 の た め に 敢 え て 強毒
と な る こ と も 辞 さ な い 。 獣 が 河 を 渡 る 時 は 自 分 の 尾 が 濡 れ る こ と な ど. 憂 え な い 。 そ ん な こ と な ど に か ま っ て お れ な い の で あ る 。 天 台 伝 仏 心 印 記終
註゜ 記 (1
) 『 観 音 玄 義 記 』 巻 二 ( 正 蔵 三 四 巻 九 〇 五 頁 上 ) に 「 二 答、 只 冖 具 字 弥 顕 今 宗 。 以 性 具 善 諸 師 亦 知、 具 悪 縁 了 他 皆 莫 測 、 故 摩 訶 止 観 明 性 三 千 、 妙 玄 ・ 文 句 皆 示 千 法 、 徹 乎 修 性 、 其 文 既 広 、 且 義 難 彰 、 是 故 此 中 略 談 善 悪 、 明 性 本 具 不 可 改 易、 名 言 既 略、 学 者 易 尋 」 と 出 る、 知 礼 の 言 閉 を ふ ま え る 。 こ れ は、 智 顎 の 『 観 音 玄 義 』 巻 上 ( 同 八 八 二 頁 下 ) に 「 問 、 縁7
既 有 性 徳 善 、 亦 有 性 徳 悪 否 。 答 、 具 」 と み え る 段 の 註 釈 で あ る 。 懐 則 ば 、 知 礼 の 言 葉 を 証 権 レ ‘一 し て 帽 頭 に 掲 げ る こ ご で 象 徴 さ れ る よ う に、 以 下 の 論 の 展 開 は 、 概 ね 知 礼 教 学 を 基 礎 と し て い る 。 (2
) 慧 澄 の 『 饒 舌 談 』 ( 二 丁 左 ) に、 「 性 悪 」 と 「 悪 性 」 の 差 異 を 記 し て 、 「 性 悪 ノ 言 ハ 法 二 隔 テ ノ 無 キ コ ト ヲ 究 メ 尽 シ テ 顕 ス 名 ナ レ バ 、 中 道 ト 言 ヒ 、 三 千 三 諦 ト 昌 」 ロ フ ニ 同 ジ 。 然 ル ヲ 理ノ 中 二 、 情 ヨ リ 見 取 ル 所 ノ 悪 ヒ 性 ガ 有 ル ト 意 得 レ バ 、 『 起 信 論 』 二 対 治 ス ル 所 ノ 、 真 如 二 生 死 ノ 法 有 リ ト 計 ス ル 邪 執 二 堕 ス 。 故 二 性 悪 ノ 名 ハ 、 法 ノ 本 有 二 従 ヒ 、 悪 性 ノ 名 ハ 、 情 謂 ノ 分 別 二 従 フ 、 情 理 ノ 途 ヲ 善 ク 意 得 ベ シ 。 是 レ 自 他 宗 ノ 学 者 ノ 大 ヒ ニ 謬 ル 所 ナ リ 」 と 説 く 。 又 「 性 悪 ト 言 フ ハ 、 法 ハ 皆 ナ 釣 合 ニ テ 立 チ 往 ク コ ト ニ テ、 片 タ 落 チ ス ル モ ノ ニ ア ル ズ 。 故 二 凡 聖 迷 悟 善 悪 依 正 色 心 、 是 レ 皆 ナ 持 チ 合 フ テ 立 チ 往 ク ス ガ タ ナ リ 。 故 二 何 レ ヲ 何 レ ト 指 シ 分 ケ テ 隔 テ ラ ル ル モ ノ ニ 非 レ , ハ 、 迷 悪 ノ 当 相、 何 レ カ 理 具 ノ 法 ナ ラ ザ ラ ン 。 此 ノ 本 有 二 称 ヒ シ ヲ 仏 ト、 }、 ロ フ ナ リ 」 ( 一 丁 左
↓
と 示 す 。 よ く い い え た 表 現 で あ る 。 ( 3 ) 「 縁 理 断 九 」 は、 前 文 に 説 く 意 で 仏 界 の 一 善 を 顕 わ す た め に 、 九 界 の 悪 を 破 す る の だ と い う 超 越 論 的 な 考 え 方 。 別 教 の 説 き 方 で あ る 。 湛 然 以 後 に 盛 ん に 使 用 さ れ る 言 葉 で あ る 。 知 礼 は 禅 宗 の 実 相 法 門 は 縁 理 断 九 の も の で あ る と し て 批 判 す る 。 ( 4 ) 「 十 乗 」1
観 不 思 議 境、 2 真 正 発 菩 提 心、 3 善 巧 安 心 止 観4
破 法 遍、5
識 通 塞 、 6 道 品 調 適 、 7 対 治 助 開 、8
知 次 位、9
能 安 忍、 10 無 法 愛 の こ と 。 『 摩 訶 止 観 』 巻 五 上 ( 正 蔵 四 六 巻 丘 二 頁 中 ) 参 照 。 ( 5 ) 「 十 境 」 1 陰 入 界 境、2
煩 悩 境、 3 病 患 境 、4
業 相 境 、5
魔 事 境、 6 禅 定 境 、7
諸 見 境、 8 上 慢 境 、9
二 乗 境、10
菩 薩 境 の こ と 。 『 止 観 』 巻 五 上 ( 同 四 九 頁 上 ) 参 照。 (6
) コ、 一 障 四 魔 」 報 障 ・ 煩 悩 障 ・ 業 障 、 陰 魔 ・ 煩 悩 魔 ・ 死 魔 ・ 天 子 魔 の こ と 。 互 発 の 第 十 に 説 か れ 、 十 境 の 組 識 が こ の 三 障 四 『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) 魔 を 出 な い こ と を 説 く 。 『 止 観 』 巻 五 上 ( 同 五 〇 頁 中 ) 参 照 。 (7
) 『 止 観 』 巻 五 上 ( 同 五 二 頁 上 ) に は 「 若 欲 観 察 、 須 伐 其 根、 如 炙 病 得 穴、 今 当 去 丈 就 尺 、 去 尺 就 寸 、 置 色 等 四 陰、 但 観 識 陰、 識 陰 者 心 是 也 」 と 出 る 。 こ れ を 三 科 揀 境 と い う 。 (8
) 「 全 悪 是 悪 」 は 、 知 礼 の 『 指 要 鈔 』 巻 上 ( 正 蔵 四 六 巻 七 〇 七 頁 中 ) に 「 頓 頓 者 仍 云 、 本 無 悪 元 是 善、 既 不 能 全 悪 是 悪、 故 皆 即 義 不 成 」 と み え る 。 宗 教 的 理 想 化 ( 善 ) は 現 実 ( 悪 ) と の 緊 張 関 係 を 前 提 に し な い と 堕 落 し て し ま う と い う 意 か 。 (9
) こ の 「 一 二 種 即 義 」 を 説 く 一 段 も 『 指 要 鈔 』 巻 上 ( 同 七 〇 七 頁 上 ) に 「 今 家 明 即 、 永 異 諸 師 、 以 非 二 物 相 合 、 乃 非 背 面 相 翻、 直 須 当 体 全 是、 方 名 為 即、 何 者 煩 悩 生 死 、 既 是 修 悪、 全 体 即 是 性 悪 法 門 故、 不 須 断 除 乃 翻 転 也 」 と 出 る 文 を 踏 え る 。 知 礼 の 三 種 即 義 は 湛 然 の 『 輔 行 』 巻 一 之 一 ( 正 蔵 四 六 巻 一 四 九 頁 下 ) に 「 即 者 、 広 雅 云 合 也 、 若 依 此 釈、 仍 似 二 物 相 合 名 即、 即 三 而 } 与 合 義 殊 、 下 去 皆 然 」 と 出 る 意 見 を さ ら に 展 開 し た も の で あ る 。 拙 稿 「 四 明 知 礼 の 皮 肉 髄 得 法 説 」 ( 印 仏 研 究 二 六 巻 一 号 ・ 昭 五 二 ) 参 照 。 (10
) 『 華 厳 経 』 巻 一、 二 六 ( 正 蔵 九 巻 六 二 八 頁 中 下 ) な ど に よ る 。 ( 11 ) 「 十 法 界 の 離 合 」 は 『 法 華 玄 義 』 巻 二 上 ( 正 蔵 三 三 巻 六 九 三 頁 下 )、 『 止 観 』 巻 五 上 ( 正 蔵 四 六 巻 五 二 頁 下 ) な ど に 出 る 。 『 止 観 』 に は 「 法 界 者 三 義、 十 数 是 能 依 、 法 界 是 所 依、 能 所 合 称 故 言 十 法 界 。 又 此 十 法 各 各 因 各 各 果、 不 相 混 濫 故 言 十 法 界、 又 此 十 法二
当 体、 皆 是 法 界 故 言 十 時 界 」 と 出 る 文 に 基 づ く 。 湛 然 は 『 輔 行 』 巻 五 之 三 ( 同 二 九 三 頁 上 ) で 初 句 は 真 諦 に 約 す る 所 依 釈、 次 句 は 俗 諦 に 約 す る 隔 異 釈、 後 句 は 中 道 八 七『 天 台 伝 仏 心 印 記 』 の 研 究 ( 池 田 ) に 約 す る 法 界 釈 で あ る と 釈 す 。 三 因 と 関 連 づ け る 説 き 方 は 『 輔 行 』 ( 同 二 九 六 頁 上 ) に コ 家 円 義 言 法 界 者、 須 云 十 界 即 空 仮 中、 初 後 不 二 方 異 諸 教 、 若 見 観 音 玄 文 意 者 ( 後 略 ) L と 説 く 意 向 に そ う も の で あ る 。 ( 12 ) 『 玄 義 』 巻 二 上 ( 正 蔵 三 三 巻 六 九 三 頁 下 ) に 「 束 為 五 差、 } 悪 、 二 善 、 三 二 乗、 四 菩 薩 、 五 仏 、 判 為 二 法 、 前 四 是 権 法 、 後 一 是 実 法、 細 論 各 具 権 実、 且 依 両 義 、 然 此 権 実 不 可 思 議 」 と 出 る 文 に も と つ く 。 (