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印 度 か ら 支 那、 支 那 か ら 朝 鮮、 朝 鮮 か ら 日 本 へ と 東 漸 の 佛 激 は、 其 れ に 關 す る 踊 度 交 物 に 拠 て も、 か ゝ る 経 路 を 辿 つ て 傳 播 さ れ た 事 は 云 ふ ま で も な い。 朝 鮮 に 陀 羅 尼 が 傳 播 さ れ、 古 來 多 く の 陀 羅 尼 を 載 せ た 経 典 が 出 版 さ れ た 事 は、 高 麗 藏 経、 其 の 外 各 種 の 経 文 中 に 依 つ て 明 で あ る。 而 し 陀 羅 尼 集 の 形 式 上 か ら し て 見 れ ば、 此 等 の 眞 言 集 は 殆 ん ど 漢 鐸、 郎 ち 支 那 漢 字 音 繹 の み に 限 ら れ て ゐ る 様 で あ る。 逐 次 佛 敷 の 漱 勢 と、 其 の 画 内 浸 潤 の 如 何 に 依 つ て、 此 の 眞 言 陀 羅 尼 集 に も、 二 三 種 の 形 式 上 互 に 異 つ た も の が 顯 れ て 來 た の で あ る。 帥 ち 漢 字 と 諺 文 と の 樹 照 に 依 る も の、 漢 字 と 梵 字 と の 甥 照 に 依 る も の、 漢 字 諺 文 梵 字 饗 照 の 三 饗 音 課 の も の で あ る。 此 の 中 で 漢 字 諺 丈 樹 謬、 並 に 漢 諺 梵 封 照 の も の は、 比 較 的 後 世、 即 ち 朝 鮮 に 於 け る 諺 文 製 作 以 後 に 顯 れ た も の で あ る 事 は 云 ふ ま で も な い。 此 の 種 の も の の 内 容 は、 元 來 朝 鮮 語 學 の 立 場 か ら、 研 究 さ れ つ ゝ あ る の で あ る が、 此 れ と 立 場 を 異 に し て、 悉 曇 梵 字 梵 梵 漢 諺 封 音 鐸 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 三梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 四 音 を 中 心 と し た 方 面 か ら、 梵 漢 諺 三 樹 音 謬 樹 照 の 興 昧 を 味 ふ も、 密 家 に と つ て は、 ど う か と 思 ふ の で あ る。 私 は 特 に 梵 漢 諺 三 樹 音 課 の 完 成 版 と 見 倣 す 可 き、 望 月 寺 板 の 眞 言 集 を 中 心 と し て 思 付 を、 纒 め た い と 思 つ て ゐ る。 此 れ に 就 い て は、 朝 鮮 に 於 け る、 悉 曇 入 傳 の 由 來 も 明 に し て 置 く 必 要 が あ り、 叉 諺 文 に 就 い て も 其 の 大 略 を 附 言 す る 必 要 が あ る の で あ る。 朝 鮮 の 佛 教 に 關 す る 史 料 は、 今 更 云 ふ ま で も な い が 極 め て 乏 し く、 各 學 徒 が 一 様 に 此 れ を 探 用 し て ゐ る の で あ つ て、 主 な る も の は、 三 國 吏 記、 海 東 高 僧 傳、 三 國 遺 事、 東 國 通 鑑、 朴 永 善 の 朝 鮮 灘 激 考、 李 能 和 の 朝 鮮 佛 数 逼 史、 或 は 二 十 四 史 等、 其 の 外 の 小 論 に 過 ぎ な く、 他 の 書 は 此 等 の 書 の 殆 ん ど 模 述 布 術 に 外 な ら な い の で あ る。 か ゝ る 荒 涼 の 中 に、 悉 曇 入 傳 の 由 來 を 明 か に す る 事 は、 無 能 な 私 に と つ て は、 殆 ん ど 無 謀 な 事 と 云 は ね ば な ら な い の で あ る、 が 而 し 今 は 此 等 の 史 料 を 中 心 と し て、 な る 可 く 無 端 虚 妄 の 説 に 近 寄 ら な い 機 に 勉 め て 入 傳 の 模 様 を も 臆 測 し て 其 の 概 略 を 形 造 り た い と 思 つ て ゐ る。 一、 朝 鮮 に 於 け る 悉 曇 梵 本 入 傳 の 臆 説 朝 鮮 に 佛 激 の 初 め て 傳 來 し た 年 代 に 就 て は 三 國 史 記 に、 小 以獣 林 王 壬 申 二 年 夏 六 月、 秦 王 櫨 例 堅、 遣 使 邊 浄 屠 順 道 及 佛 像 佛 経 晶十 高 句 麗、 王 遣 使 謝、 以 其 堂 舅 教 子 弟、 高 句 麗 佛 法 始 此。
と あ り、 海 東 高 信 傳 巻 一 中、 繹 順 道 の 傳 記 中 に も 於 是 君 臣 以 會 遇 之 禮 奉 迎 子 省 門、 投 誠 敬 信、 威 慶 流 行、 尋 遣 使 廻 謝、 以 貢 方 物。 と あ る を 見 れ ば、 王 は 佛 敢 の 傳 來 を、 非 常 に 激 迎 し た も の の 様 で あ る。 其 の 後 百 濟 に、 佛 激 の 傳 へ ら れ た の は、 三 國 史 記 に、 枕 流 王 甲 申 元 年 九 月、 胡 僧 摩 羅 難 陀、 自 替 至、 百 濟 王、 迎 致 宮 内、 薩 敬 焉、 百 濟 佛 法 始 此。 と あ る よ り す れ ば、 高 句 麗 に 初 め て 佛 法 入 傳 後 十 二 年 目、 東 脅 孝 武 帝 太 元 九 年 (紀 元 後 三 百 八 十 四 年 ) で あ つ て、 海 東 高 僧 傳 巻 一 の 繹 摩 羅 難 陀 の 傳 記 に も、 王 出 郊 迎 之、 遜 致 宮 中、 敬 奉 供 養, 稟 受 其 説、 上 好 下 化、 大 弘 佛 事、 共 賛 奉 行。 と あ れ ば、 當 時 如 何 に 孚 嶋 へ 新 参 の 佛 敏 が、 創 興 開 拓 の 氣 運 に、 恵 れ た か。 將 來 の 朝 鮮 を し て、 佛 数 國 た ら し め る に、 充 分 の 基 礎 を、 成 立 し 得 た の で あ る。 新 羅 に 佛 教 の 傳 來 し た の は、 百 濟 へ 佛 法 入 傳 後 百 四 十 四 年 を 経 た る、 法 興 王 の 十 五 年 (紀 元 後 五 百 二 十 八 年 ) と さ れ て ゐ る。 海 東 高 僧 傳、 繹 阿 道 の 傳 記 中 に、 自 永 平 至 大 浦 丁 未、 凡 四 百 十 籐 年、 句 高 麗 興 法 已 百 五 十 鯨 年、 而 百 濟 已 行 一 百 四 十 籐 年 尖。 と あ れ ば、 其 の 間 の 消 息 を 推 知 し 得 る の で あ る 。 注 此 庭 に 云 ふ 大 通 丁 未 ぱ、 元 年 に し て 法 興 王 の 十 五 年 に、 大 通 二 年 戊 申 の 年 な れ ば、 此 の 一 年 の 差 ぱ、 蓋 し 海 東 高 僧 傳 の 撰 者 蝿 梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 五
梵 漢 鷲諺 封 鵬日 羅 畔朝 鮮 院 羅 尼 集 小 孜 六 六 訓 の 通 算 の 都 合 上、 便 宜 良 永 平 至 大 通 丁 未 (元 年 ) と ぜ し も の で あ ら う。 而 し、 吾 々 は 以 上 の 如 き 三 國 佛 法 各 入 傳 年 代 に 於 て、 高 句 麗 に 入 傳 後、 百 濟 に 入 傳 す る 年 隔 が 十 二 年 な る に 封 し、 獅 り 新 羅 に 入 傳 す る に 至 る 年 隔 の 百 四 十 籐 年 は、 鯨 り 其 の 差 の 大 な る に 驚 ぐ の で あ 急。 當 時 三 國 鼎 立 の 孚 島 の 地 域 よ り す れ ば、 多 く と も 其 の 隔 は 二 三 十 年 位 な も の で は な か つ た で あ ら う か。 海 東 高 僧 傳、 繹 阿 道 の 傳 記 中 に は、 始 新 羅 訥 祇 王 時、 有 黒 胡 子 者、 從 句 高 麗 至 一 善 郡 宣 化 有 縁。 と。 此 の 訥 祇 王 の 郎 位 は 百 濟 の 膜 支 王 の 十 三 年、 百 濟 へ 佛 法 入 傳 後 三 十 三 年 後 な れ ば 、 已 に 新 羅 に も 此 の 年 忙 に か ゝ る 形 式 状 態 に て、 佛 法 の 入 傳 が あ つ た も の で は な か ら う か。 勿 論 王 の 餅 依 に 依 る 正 し ぎ 佛 法 の 入 傳 は 大 通 二 年 と す る も、 已 に 此 慮 に 至 る 繭 芽 は、 以 上 の 形 式 に 依 つ て あ つ た も の で あ ら う。 畳 訊 は 海 東 高 僧 傳、 阿 道 傳 記 中 に、 然 按 古 記 梁 大 渣 元 年 三 月 十 一 日、 阿 溢 來 至 一 善 郡。 と 述 記 し て ゐ る が、 此 れ に 依 る と、 黒 胡 子 も 阿 道 も 年 時 こ そ 異 な れ 共 に 一 善 郡 に 來 つ た 事 に な つ て ゐ る。 そ し て 海 東 高 偲 傅 の 記 事 に 依 れ ば. 其 の 事 跡 も 殆 ん ど 同 じ 趣 き と な つ て ゐ る が、 こ れ は 恐 ら く 黒 胡 子 は 居 士 で、 阿 道 に 先 立 つ て、 佛 敏 の 事 情 を 新 羅 に 傳 入 せ し め た も の と 惟 れ る。 畳 訓 は 此 の 爾 者 の 爾 跡 に 封 し て、 又 阿 道 之 跡 同 黒 胡 子 阿 哉、 と 筆 勢 を 留 る 邊 り 思 ひ 孚 に 過 ぐ る も の が あ る。
如 斯 に し て 佛 敢 は 朝 鮮 一 帯 に 順 調 な 傳 播 普 及 を な し、 佛 像 経 巻 の 請 來 は 此 れ に 随 件 し て、 諸 文 化 を 漸 次 傳 播 せ し め、 其 の 文 化 は 年 と 共 に 獲 展 し て 行 つ た の で あ る。 此 の 間 に 於 て 梵 本 の 傳 來 は 如 何 で あ つ た で あ ら う。 三 國 史 記 や、 東 國 通 鑑 に 依 れ ば、 百 濟 聖 明 王 四 年、 梁 武 帝 普 適 七 年 に は、 百 濟 僧 謙 盆 な る も の が、 梵 交 梵 本、 或 は 律 部 攻 究 の 爲 め に 中 印 度 に 入 つ た 事 情 や、 遣 梁 使 を し て 毛 詩 博 士、 浬 繋 経 義 工 叢 師 等 を 求 め た 事 が 記 載 さ れ て ゐ る。 か ゝ る 庭 か ら す れ ば 已 に 梵 文 梵 本 に 謝 す る 留 意 も 自 ら の 冊 に あ つ た か の 如 く、 百 濟 に 初 め て 佛 法 を 入 傳 し た、 繹 摩 羅 難 陀 は 胡 僧 で あ り、 高 句 麗 に 始 め て 佛 法 を 入 傳 し た 順 溢 は、 海 東 高 僧 傳 の 彼 の 傅 記 中 に、 或 説 順 道 從 東 督 來、 始 傳 佛 法、 則 秦 替 莫 弊、 何 是 何 非、 師 既 來 異 國、 傳 西 域 之 慈 燈。 と、 此 等 の 爾 者 も 異 國 入 來 の 土 産 と し て、 或 は 梵 文 梵 本 の 経 巻 三 部 な く と も、 多 少 断 片 を 請 來 せ な か つ た か。 邦 國 欽 明 帝 十 三 年 百 濟 よ り 佛 法 傳 來 間 も な く、 已 に 法 隆 寺 寳 庫 に、 般 若 心 経、 尊 勝 陀 羅 尼 の 梵 語 梵 本 が 懸 れ て ゐ た 事 を 思 へ ば、 此 の 間 の 消 息 を 思 ひ 至 る も の が あ る の で あ る。 高 句 麗 の 初 め て の 佛 法 入 傳 は、 我 國 へ 佛 法 入 傳 前、 凡 そ 百 八 十 年 前 に 當 る の で あ つ て 法 隆 寺 寳 庫 の 二 貝 葉 梵 本 が 朝 鮮 を 適 じ て 我 國 に 請 來 さ れ た も の と す れ ば、 朝 鮮 に 梵 本 の 請 來 さ れ た の は、 孚 島 へ 佛 法 入 傳 の 可 成 り 初 期 で あ つ た 事 を 想 像 し 得 る の で あ る。 又 海 東 高 僧 傳、 或 は 義 浮 の 求 法 高 僧 傳 中 に は 新 羅 の 高 信 に て 入 唐 入 竺 し て、 梵 學 に 精 通 せ る も の の あ る 事 を 暴 げ て ゐ る 0 帥 ち 貞 槻 年 間 に 入 竺 那 欄 陀 等 に 命 を 終 へ た 新 梵 漢 諺 勤 音 繹 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 七
梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 八 羅 僧 恵 業 の 如 き、 其 の 梵 本 の 寓 本 爾 那 欄 陀 寺 に 在 り と 記 さ れ て ゐ る。 此 の 外 恵 輪 の 如 き、 玄 恪 の 如 き、 玄 遊 の 如 き、 何 れ も 新 羅、 高 句 麗 西 遊 渡 天 の 高 僧 で、 而 も 梵 文 梵 語 に 殆 ん ど 精 通 し て ゐ た も の の 如 く で あ る。 此 等 名 信 の 活 躍 は、 朝 鮮 孚 島 一 帯 へ 佛 法 全 く 普 及 さ れ た 新 羅 へ 佛 法 の 入 傳 し た 法 興 王 の 十 五 年 よ り 百 年 前 後 で あ り、 日 本 へ 初 め て 佛 法 入 傳 の 欽 明 帝 十 三 年 よ り 約 七 十 鯨 年 後 の 事 で め る。 欽 明 帝 十 三 年 佛 法 傳 來 後、 間 も な く 我 國 に 請 來 さ れ た 二 貝 葉 の あ る を 看 れ ば、 遅 く と も 此 等 の 諸 高 僧 に 依 つ て 先 進 佛 敏 國 た る 朝 鮮 雫 島 に 當 時 梵 文 梵 本 の 請 來 さ れ て ゐ た 事 は 疑 ひ も な い 事 で あ る。 而 も 高 句 麗 は 北 方 に 位 し て、 其 の 領 域 を 支 那 の 勢 力 範 園 内 に 入 れ て 居 り、 古 く 漢 代 の 頃 よ り 此 れ と 交 通 修 好 あ り、 東 洋 正 史 の 上 か ら、 高 句 麗 が 階 代 東 突 蕨 の 啓 民 可 汗 と 結 ん で 階 に 當 つ た 事 な ど 思 ひ 巡 せ ば、 高 句 麗 が か ゝ る 蚤 族 と 修 好 す る 以 前、 或 は 相 當 爾 者 の 間 に 關 係 が あ り、 随 つ て 西 域 地 方 の 文 物 が 直 接 朝 鮮 宇 島 へ も 楡 入 さ れ た 事 と 惟 れ る。 か ゝ る 事 情 を 惣 合 し て 看 れ ば、 渥 く と も 紀 元 後 五 百 年 迄 に は、 已 に 梵 経 梵 文 の 入 傳 は あ つ た も の と 想 像 し 得 る の で あ る。 私 は 百 濟 へ 入 佛 當 時 を 前 後 と し て 入 傳 あ つ た も の と 推 論 し て、 此 の 事 の 確 實 な 考 謹 文 献 の 顯 れ ん 事 を 侯 ち た い の で あ る。 二、 朝 鮮 の 陀 羅 尼 箕 言 の 傳 播 事 情 以 上 に、 梵 文 梵 本 の 朝 鮮 入 傳 の 臆 説 を 述 べ た が、 而 し 此 等 の 梵 本 入 傳 の 最 初 の も の は、 其 の 内 容 が
如 何 な る も の で あ る か と 云 ふ 事 は 認 識 さ れ す、 只 輩 に 梵 本 梵 文 と し て、 其 の 如 何 な る も の か 不 明 で あ る が、 珍 し き 佛 聖 語 の も の と し て、 入 傳 さ れ た も の で あ ら う。 此 れ が 完 全 に 認 識 さ れ て 所 謂 梵 本 と し て の 内 容 誰 明、 學 術 的 慣 値 の 嚢 見 さ れ た の は 恐 ら く 入 傳 以 後 の 事 と 惟 れ る。 元 來 眞 言 (凋 考、 ) は 短 い 発 文 を 云 ひ、 陀 羅 尼 (qam ) は 総 持 と 云 ひ、 長 い 長 文 の 文 字 を 或 は 語 句 を 表 徴 し て、 此 れ に 關 連 し て 宗 数 的 信 念 を 憶 念 し て 自 己 の 散 心 を 統 一 す る も の で あ る、 が 朝 鮮 の 兵 言 集 は、 嚴 格 な る か ゝ る 意 味 を 離 れ て 爾 者 が 混 合 編 纂 さ れ て ゐ る の で あ る。 眞 言 兇 文 は、 得 樂 解 脱 と か、 一 切 の 幸 幅 を 願 ふ と か、 其 の 人 の 威 情 の 自 然 の 登 露 で あ り、 陀 羅 尼 は、 強 ひ て 云 は ば、 文 字 を 樹 照 と し て ゐ る が、 矢 張 り 第 一 義 は 憶 念 の も の で あ り 得 る の で 共 に 文 法 に 依 つ て 其 の 多 く は 解 繹 の 出 來 ざ る も の で あ る、 か ゝ る 融 に 於 て 此 の 爾 者 の 當 然 混 同 し て ゐ る の は、 我 國 の 眞 言 集、 陀 羅 尼 集 諸 本 も 同 様 で あ る 。 望 月 寺 本 眞 言 集 中、 第 二 葉 目、 眞 言 集 総 論 の 最 初 に、 此 の 眞 言 集 の 編 者 が 眞 言 の 意 義 を 次 の 様 に 述 べ て ゐ る。 夫 眞 言 者 艘 名 名 陀 羅 尼 此 云 総 持 用 名 児 兇 者 税 也、 以 其 法 親 之 使 從 所 所 也 開几 或 諸 佛 密 語 如 王 之 密 語 一 語 含 四 實 之 類、 或 鬼 神 王 名 呼 其 王 名 則 妖 魔 蜜 伏 故 也。 以 つ て 其 の 如 何 な る も の を 眞 言 集 に 編 纂 し た か は 察 知 し 得 ら る ゝ の で あ る。 か ゝ る 佛 敏 の 眞 言 発 文 が 朝 鮮 に 入 傳 し、 多 ぐ 以 上 の 定 義 に 使 用 せ ら れ 始 め た の は 何 時 頃 で あ つ た で あ ら う か。 此 の 事 は 殆 ん ど 朝 鮮 の 秘 密 佛 敏 史 を 説 き 及 ぶ 事 に な る が、 其 の 重 要 な る 初 期 を 中 心 と し て 梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 六 九
梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 〇 大 略 其 の 経 路 を 叙 述 す る 事 に す る。 三 國 分 立 時 代 の 晩 年 に、 恵 通、 明 朗、 密 本 な ど の 密 激 僧 が、 互 に 密 敏 的 呪 術 か ら、 穰 災、 治 病 の 功 を 治 め て、 當 時、 非 常 な 名 勢 を 拍 し て ゐ る。 彼 等 の 行 つ た 秘 術 は 一 盤 如 何 な る も の で あ つ た の か、 恵 蓮 は 三 國 遺 事 神 呪 編 に 初 神 文 主 登 疽 背、 請 候 於 通、 通 至 呪 之 立 治。 と 紳 文 王 の 疽 を 治 し て ゐ る。 或 は 亦、 往 唐 謁 無 畏 三 藏 請 業、 藏 曰 隅 夷 之 人 量 堪 法 器、 途 不 開 授、 殖 不 堪 輕 謝 去、 服 勤 三 載、 猶 不 許、 通 乃 憤 悲、 立 於 庭、 頭 戴 火 盆、 須 婁 頂 裂、 聲 如 雷、 藏 聞、 來 覗 之、 撤 火 盆、 以 指 按 裂 虚、 調 神 呪、 癒 合 如 平 肩、 有 蝦 如 王 字 丈、 因 號 王 和 衛、 深 器 之、 傳 印 鐸。 此 れ に 依 る と 惑 通 の 兇 術 は 善 無 畏 三 藏 よ り 授 つ だ も の の や う で あ る 。 此 の 肥 が 如 何 な る も の で あ つ た か 不 明 で あ る が、 恐 ら く 眞 言 児 文 で あ つ た で あ ら う。 而 し 此 慮 仁 注 意 す べ き は 善 無 畏 三 藏 と 恵 通 と 時 代 の 異 な る 事 で あ る。 恵 通 が 支 那 よ り 蹄 朝 し 元 の 鳳、 三 圃 遣 事 に は 降 龍 の 記 事 と 共 に 以 麟 徳 二 年 (唐 高 宗 紀 元 後 六 百 六 十 五 年 ) と あ り、 三 國 史 記 に は、 文 武 王 乙 丑 五 年 (唐 高 宗 麟 徳 二 年 ) 新 羅 高 檜 惑 萢 入 唐、 傳 善 無 畏 三 藏 印 訣 而 還 と あ り、 善 無 畏 三 藏 の 來 唐 は、 唐 開 元 四 年 (紀 元 後 七 百 十 六 年 ) な れ ば、 恵 通 蹄 朝 後 五 十 年 後 の 事 で あ る。 し て み れ ば、 恵 通
は 支 那 に て 如 何 な る 人 に 此 の 男 術 を 傳 授 し て 貰 つ た の か、 西 域 か ら 支 那 に 密 敢 の 入 傳 し た の は 善 無 畏 三 藏 の 時 よ り 四 百 年 前 に 潮 り 得 れ ば 恐 ら く 西 域 の 一 檜 で は な か つ た か と 想 像 し 得 る。 明 朗 は 善 徳 王 元 年 (唐 貞 槻 六 年、 紀 元 後 六 百 三 十 三 年 ) よ り 同 四 年 迄 四 年 間 入 唐, 密 法 を 修 學 し、 其 の 修 學 し た 文 豆 婁 法 を 以 つ て、 新 羅 國 の 爲 め に 一 大 氣 勢 を 揚 げ た 當 時 の 名 密 僧 で あ つ た 様 で あ る。 彼 は 三 國 遺 事 起、 近 有 明 朗 法 師、 入 龍 宮 傳 秘 法 而 來、 請 詔 問 之、 朗 奏 日、 狼 山 之 南、 有 神 遊 林、 創 四 天 王 寺 於 其 地、 開 設 溢 場 剛 可 粟、 時 有 貞 州 使、 奏 報 曰、 唐 兵 無 数 至 我 境 廻 薬 海 上、 王 召 明 朗 日、 事 已 逼 至 如 何、 朗 曰、 以 彩 鶴 假 溝 宜 也、 乃 以 彩 畠 螢 寺、 草 推 五 方 神 像、 以 喩 伽 名 僧 十 一 言 貝、 明 朗 爲 上 首、 作 文 豆 婁 秘 密 之 法、 時 唐 羅 兵 來 交 接、 風 濤 怒 起、 唐 船 皆 没 於 水、 と 述 べ ち れ て ゐ る。 此 日の 文 豆 婁 法 は 如 何 な る も の で あ つ た か、 丈 豆 婁 な る 封 繹 音 は 封 謬 の 梵 語 の 如 何 に 依 つ て 二 様 の 解 鐸 が あ る。 帥 ち 遜 尋 (印 契 ) と な す の と、 AB (神 児 ) と な す の と で あ る が、 此 れ は 巌 格 な る 意 味 で な く す れ ば 文 豆 婁 法 に は、 此 の 雨 者 が 必 要 で あ つ た 事 と、 特 に 灌 頂 経 に は、 胡 言 文 豆 婁 者、 替 言 神 印 也 と 註 説 あ れ ど も 推 察 し 得 る の で あ る。 此 の 文 豆 婁 法 の 出 所 は、 漢 鐸 佛 典 中 大 藏 経 秘 密 部 中 に あ る、 東 晋 戸 梨 密 多 羅 諜 出 の 佛 説 灌 頂 経 の 中 の 第 七 巻、 佛 説 灌 頂 伏 魔 封 印 大 神 莞 経 中 所 説 の 文 豆 婁 法 で は な か ら う か、 此 の 文 豆 婁 法 の 内 容 が 明 朗 の 傳 記 中 に あ る、 前 文 の 文 豆 婁 法 の 事 情 に 相 廼 す る も 梵 漢 諺 欝 音 騨 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 放 七 一
梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 二 の が あ る の で あ る、 今 彼 の 経 の 文 の 相 通 す る 慮 を 抜 抄 す れ ば、 天 帝 繹 稽 首 佛 足、 長 脆 合 掌 而 白 佛 言、 九 十 五 種 道 法 之 中、 術 有 丈 豆 婁 法 ⋮ 佛 告 天 帝 鐸、 是 爲 五 方 神 王 名 字、 若 後 末 世 四 輩 弟 子 危 厄 之 日、 取 上 五 方 神 王 名 字、 及 其 春 屡、 寓 著 圓 木 之 上 名 爲 文 頭 婁 法、 其 義 如 是、 汝 宣 行 之、 天 帝 繹 言 圓 木 文 頭 婁 縦 廣 幾 何、 佛 言 縦 贋 七 七 分、 天 帝 繹 言 何 木 最 勝、 佛 言 金 銀 珍 寳 最 爲 上 者、 次 栴 檀 木 種 種 雑 香, 以 此 爲 文 頭 婁 形、 若 有 疾 病 危 難 恐 怖 邪 鬼、 往 來 中 傷 嶢 人 者、 當 如 前 法 存 思 三 想、 及 五 方 之 神、 形 色 像 類、 使 一 一 分 明 如 樹 目 前、 如 人 照 鏡 表 裏 盤 見、 如 此 成 就 無 余 分 散 恵 心 一 意、 病 者 除 愈 恐 者 安 稔、 邪 神 悪 鬼 無 不 辟 除 胡 言 丈 頭 婁 者、 晋 言 神 印 也 此 印 所 向 之 威、 無 不 致 輻 却 諸 悪 前 諸 書 也 ⋮ ⋮ 此 の 文 に 依 つ て 文 豆 婁 法 の 如 何 な る も の か が 窺 れ る の で あ る。 此 文 豆 婁 法 所 載 の 灌 頂 経 は、 其 の 内 容 か ら 或 は 支 那 撰 述 の も の で は な い と 異 論 さ れ て ゐ る も の で あ る が、 而 し 晋 宋 の 時 代 に、 已 に 此 の 法 が あ つ て、 明 朗 の 入 唐 求 法 以 前 に は、 支 那 に も 相 當 實 修 さ れ て ゐ た も の の 様 で あ つ た の で、 今 其 の 備 経 云 々 の 異 論 に 差 支 は な い の で あ る。 明 朗 が 唐 兵 浸 入 防 禦 の 爲 め に 喩 伽 の 僧 十 二 員 と 共 ハ に、 此 の 法 を 修 し て 國 難 を 救 ひ、 遽 ひ に 神 印 宗 の 元 誼 と な つ た こ と は、 眞 言 陀 羅 尼 が 朝 鮮 へ 入 傳 以 來 將 來 に 其 の 償 値 を 扶 殖 す る 大 快 事 で あ る と 云 は ね ば な ら ぬ の で あ る。 注 明 朗 の 傳 記 に 依 う と 彼 に 密 法 た 海 龍 よ り 龍 宮 に 於 て 傳 授 さ れ ぬ 事 に な つ て ゐ ろ、 此 に 彼 の 秘 法 ぬ ろ 文 豆 婁 法 々 三 暦 紳 秘 づ け ん
爲 の 一 種 の 虚 構 説 と さ れ て ゐ る 。 よ し ん ば 又 虚 構 談 と し て 明 朗 の 傳 記 筆 者 が 認 識 し て 書 い ぬ に し て も、 前 丈 恵 蓮 が 入 唐 求 法 し て 善 無 畏 三 藏 に 授 法 さ れ ぬ と 錐 も 爾 人 の 間 に ば 五 十 年 の 年 差 が あ る、 恵 通 の 傳 記 筆 者 ば 此 れ 々 善 無 畏 三 藏 と 結 び 付 け て ゐ る が、 庇 等 の 間 に ほ 只 輩 に、 庇 の 記 事 の み な ら す、 そ れ 以 外 に 此 の 記 事 の 檬 つ て 來 る 事 情 が あ り は し な い か、 龍 宮 ば 密 教 に 關 連 し 糞 傳 記 に 多 く 見 受 け る の で あ ろ が、 此 の 龍 宮 に 如 何 な る 庭 で あ つ ぬ の で あ ら う 。 此 の 龍 宮 ば 所 謂 龍 族 た 云 ふ の で に な い か、 湖 品 q 國 北 蔀 に 佳 居 し て、 早 く か ら 新 思 想 も 開 獲 ぜ ら れ ぬ 種 族 で、 此 の 地 で 大 乗 経 典 も 作 ら れ 種 々 の 秘 密 経 典 も 存 し、 佛 在 世 當 時 に に、 非 常 な 丈 化 た 持 つ て ゐ ぬ と 云 ば れ て た り、 而 も 支 那 人 の 子 孫 で 此 の 種 族 が あ る と 云 ぱ れ て 奄 れ ば、 此 の 種 族 が 西 域 と 交 渉 あ り、 西 域 よ り ば 支 那 へ 密 教 が 明 朗 等 入 唐 當 時 よ り 約 四 百 年 も 前 に 傳 來 さ れ て ゐ ぬ の で あ る か ら、 當 時 支 那 の 三 地 方 一 部 に、 特 に 此 の 龍 族 を 代 表 す 可 き 密 教 的 諸 文 化 々 有 す る 虚 が あ り、 明 朗 等 に 特 に 此 の 地 に 寄 往 し て 西 域 曾 か ら 丈 豆 婁 法 を 修 得 し ぬ も の で に な か ら う か、 恵 通 も 恐 く か し る 事 情 で あ る と 推 考 し 得 る の で あ ろ。 密 本 の 行 跡 は 三 國 遺 事 に、 善 徳 王 徳 曼. 選 疾 彌 留、 有 興 輪 寺 法 暢、 癒 詔 侍 疾、 久 而 無 敷、 時 有 密 本 法 師、 以 徳 行 聞 於 國、 左 右 請 代 之、 王 詔 迎 入 内、 本 在 震 杖 外、 讃 藥 師 経、 巻 軸 縄 周、 所 持 六 環、 飛 入 寝 内 刺 一 老 狐 與 法 暢、 倒 榔 庭 下、 王 疾 乃 疹、 時 本 頂 上 螢 五 色 神 光、 親 者 皆 驚。 と。 或 は、 丞 相 金 良 圖 爲 阿 骸 時、 忽 口 繁 禮 硬、 不 言 不 途 ⋮ 須 輿 本 (密 本 ) 至 不 待 開 経、 其 疾 乃 治、 語 通 身 解。 此 等 に 依 れ ば、 密 本 は 藥 師 経 を 讃 論 し て、 王 初 め 丞 相 金 良 圖 の 疾 病 を 治 愈 し て、 其 の 名 勢 を 博 し て ゐ る の で あ る。 し て み る と 藥 師 経 が 已 に 朝 鮮 に 流 布 し て ゐ た 事 は 明 な 事 で あ る が、 此 の 密 本 の 藥 師 経 は 梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 三
梵 漢 諺 劃 音 講 覇 解 陀 羅 尼 集 小 孜 七 四 如 何 な る も の で あ つ た の か。 東 晋 畠 戸 梨 密 多 羅 翻 繹 の 佛 説 灌 頂 抜 除 過 罪 生 死 得 度 経 が、 宋 孝 武 帝 大 朋 元 年 鹿 野 寺 比 丘 慧 簡 の 抄 撰 に よ る 藥 師 琉 璃 光 経 當 り の も の で あ つ た と 思 は れ る。 三 國 遺 事 第 五 に 汝 見 我 神 通、 乃 奉 傭 蒐 香、 俄 頃 五 色 雲 旋 達 頂 上、 天 花 散 落 と あ れ ば、 當 時 の 朝 鮮 に は 道 教 的 児 術 も 相 當 に 行 は れ て ゐ た 様 で あ る。 而 し 藥 師 経 等 の 男 術 か ら す れ ば、 か ゝ る 道 敏 的 児 術 よ わ も 已 に 脱 し て、 藥 師 如 家 の 本 願 を 説 き、 其 の 功 徳 利 釜 を 高 調 せ る 當 り は、 外 道 的 児 法 よ り 三 頭 地 を 抜 い て ゐ た に 相 蓮 な く、 少 く と も 明 朗 恵 通 密 本 邊 り の 密 僧 の 兜 術 鳳 當 時 一 般 の 児 法 か ら 看 れ ば 進 歩 が あ り 他 の 追 從 を 許 さ い る 眞 言 陀 羅 尼 莞 法 の 優 越 力 を 有 し て ゐ た に 違 ひ な い の で あ る。 か ゝ る 雑 部 の 密 激 が、 善 無 畏 三 藏、 金 剛 智 三 藏 が 支 那 へ 正 純 密 漱 を 傳 へ る 以 前、 朝 鮮 に も 相 當 に 傳 播 し、 而 も 其 の 勢 力 は、 已 に 正 純 密 教 を し て 入 傳 々 播 さ す 可 き 機 運 を 孕 ま し つ ゝ あ つ た の で あ る。 其 の 後 新 羅 が、 百 濟、 高 句 麗 を 合 し て 宇 島 を 統 三 す る に 至 つ て、 不 可 思 議 玄 超、 義 林 等 相 織 て 出 で、 不 可 思 議 の 如 き は 入 唐、 善 無 畏 三 藏 に 師 事 し て、 大 毘 盧 遮 那 経 供 養 次 第 法 疏 を 撰 述 し 大 い に 正 純 密 教 の 源 底 を 汲 ん と し て ゐ る の で あ る。 悟 眞、 恵 百 等 は 弘 法 大 師 入 唐 二 十 鯨 年 以 前 已 に 恵 果 和 爾 の 門 に 入 り 密 数 を 受 學 し て ゐ る。 三 國 分 立 後、 新 羅 統 一 時 代 の 朝 鮮 に 於 け る 密 教 の 襲 展 は 實 に 密 嚴 國 土 で 此 の 間 に 於 け る 諸 種 の 密 敏 経 典 の 入 傳、 随 つ て 眞 言 陀 羅 尼 の 一 般 民 間 に 於 け る 傳 播 普 及 の 隆 盛 は 云 ふ
ま で も な く、 眞 言 陀 羅 尼 を 口 諦 す る 事 は、 當 時 民 謡 に 等 し か つ た も の ゝ 様 で あ る。 帥 ち 三 國 遺 事 第 二 に、 南 無 亡 國、 刹 尼 那 帝、 判 尼 判 尼、 蘇 判 尼、 子 子 三 阿 予、 見 伊 娑 婆 調。 と、 陀 羅 尼 口 調 の 形 式 を 以 つ て 新 羅 第 五 十 一 世 眞 聖 女 王 の 悪 政 を 颯 し て ゐ る を 看 れ ば、 當 時 一 般 民 間 に 於 け る 陀 羅 尼 の 位 置 が 窺 れ る の で あ る。 朝 鮮 入 傳 初 期 外 道 的 眞 言 と 此 庭 に 至 る 大 約 三 百 年 間 に 於 け る、 眞 言 陀 羅 尼 の 普 及 其 の 登 展 共 に 封 比 し て 黒 白 の 威 が あ る の で あ る 。 か ゝ る 間 に 西 紀 九 百 三 十 五 年 新 羅 は 高 麗 に 降 り、 太 租 朝 鮮 を 統 二 す る に 當 り、 佛 敏 を 國 敏 と し て 待 遇 せ し が 爲 め に 盆 々 隆 盛 を 極 め 密 歌 も、 前 新 羅 に 劣 ら ざ る 黄 金 時 代 を 現 出 す る に 至 っ た の で あ る。 高 麗 史 な ど に 依 れ ば、 太 組 二 十 一 年 (西 紀 九 百 三 十 八 年 ) に 西 天 竺 密 僧 魚 可 導 渡 來 の 時 は、 王 は 西 街 の 威 儀 を 備 へ、 法 駕 を 以 つ て 迎 へ た と 云 は れ て ゐ る。 太 租 を 初 め 高 麗 歴 代 の 各 王 は、 國 家 の 大 業 は、 佛 法 の 加 被 力 に 依 る も の で あ る 事 を 信 じ、 事 の 大 小 を 論 せ す、 此 れ を 高 僧 に 諮 問 施 行 し た の で あ っ て、 文 宗 王 の 如 き も 國 に 鍵 鼠 あ る に 際 し て は、 文 豆 婁 の 道 場 を 設 け て 蕃 兵 擁 災 の 爲 め に 其 の 秘 法 を 修 せ し め て ゐ る、 顯 宗 王 二 年 (紀 元 千 十 一 年 ) 以 後 崔 士 成 に 勅 し て よ り、 交 宗 王 此 れ を 繊 綾 し、 再 び 高 宗 王 四 十 二 年 (千 二 百 五 十 三 年 ) に 至 る 間 に 大 成 せ る、 高 麗 ︼ 切 大 藏 経 は 實 に 蕃 兵 懲 伏 の 登 願 よ り 成 つ た も の で、 李 齊 賢 の 書 爲 せ る、 朝 鮮 佛 敢 史 に 所 謂、 泥 金 の 密 敏 大 藏 九 十 巻 も 恐 ら く か ゝ る 願 意 に あ つ た も の と 惟 梵 漢 諺 封 音 繹 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 政 七 五
腺 凡 備漢 諺 駈 劃 出 臼 螺 岬朝 鮭 岬陀 羅 尼 盤 朱 小 孜 七 六 は れ る。 か ゝ る 間 に 於 け る 眞 言 陀 羅 尼 の 普 及 は 勿 論 新 羅 の 晩 年 よ り も 盛 な る と も 劣 ら ざ る も の で あ つ た 事 は 云 ふ ま で も な い。 此 の 如 き 佛 激 萬 能 は や が て 多 く の 弊 害 を 生 じ、 時 勢 此 れ を 相 入 れ ざ る の 徴 漸 く 至 ら ん と す る に な つ た の で あ る、 帥 ち 恭 慰 王 八 年、 儒 者 重 房 者 上 言 あ り、 恭 譲 王 の 時、 成 均 博 士 金 翻 の 上 書 あ り、 王 は 共 に 其 の 上 書 を 憤 り、 此 等 を 殺 害 せ ん と せ し も 途 ひ に 果 さ す、 其 の 言 を も 容 る ゝ に 至 つ た の で あ る。 當 時 已 に 儒 数 の 勢 力 宮 中、 府 中、 都 鄙 共 に 扶 殖 せ ら れ、 其 の 潜 勢 力 は 抜 く 可 ら ざ る も の が め り、 瞳 落 し つ つ あ る 佛 敏 を 攻 撃 す る に 十 分 で あ り、 佛 敏 排 斥 の 氣 運 は 盆 々 其 の 密 度 を 濃 厚 に し て 來 た の で あ る。 朝 鮮 世 組 朝、 成 侃 の 傭 齊 叢 話 に は、 當 時 高 麗 の 古 俗 と し て 行 は れ て ゐ た、 種 々 の 佛 激 儀 禮 が 掌 ば 嘲 笑 的 に 記 さ れ て ゐ る を 看 れ ば、 高 麗 末 の 佛 数 の 堕 落 も 想 像 し 得 る の で あ る。 か ゝ る 佛 教 の 歌 態 に あ る 時 千 三 百 九 十 二 年、 朋 の 太 覗 洪 武 二 十 五 年 七 月、 高 麗 は 亡 び て、 李 成 桂、 國 を 朝 鮮 と 號 し て 王 と な る や、 佛 敢 の 弊 を 察 し て 極 端 な る、 排 佛 主 義 を 執 り、 三 代 太 宗 は、 寺 説 の 奴 脾 土 田 を 没 牧 し、 而 も 無 用 な る 寺 胤 を 屡 し、 宗 派 も 尤 も 弊 害 の 少 な い と 見 ら れ た る、 敢、 暉 の 二 宗 に 止 め ら れ、 千 四 百 十 七 年、 太 組 の 十 七 年 に は、 密 教 に 關 す る 諸 書 を 焼 き、 其 の 弘 通 を 禁 止 し、 経 典 儀 軌 等 も 殆 ど 滅 濫 の 非 運 に 立 至 っ た の で あ る。 而 共、 佛 敢 の 傳 來 以 來、 深 く 島 民 に 憶 持 せ ら れ、 精 神 的 に、 物 質 的 に、 あ ら ゆ る 鍵 革 を 及 ぼ し、 嶋 民 信 教 の 根 底 と な り、 上 下 共 に 浸 潤 せ る、 眞 言 陀 羅 尼 の 如 き は、 爾 民 間 に 流 通 諦 唱 さ れ て 扱
ぐ 可 ら ざ る も の で あ つ た の で あ る。 三、 諺 文 の 製 作 と 梵 漢 諺 樹 音 繹 眞 言 集 の 成 立 諺 文 は 李 朝 四 代 の 英 主 世 宗 が、 鄭 麟 趾、 崔 恒、 申 叔 舟、 成 三 問 等 の 諸 名 臣 の 輔 佐 に 依 り、 世 宗 二 十 五 年 (千 四 百 四 十 三 年 ) 十 二 月 に 製 定 さ れ、 其 の 後 二 年 間 の 精 錬 を 経 て、 二 十 八 年 に、 全 國 民 に 頒 布 さ れ た も の で あ る。 諺 文 の 制 字 に つ い て は、 訓 民 正 音 序 文 鄭 麟 趾 の 倣 古 蒙 説、 世 粗 朝 成 侃 傭 齊 叢 話、 並 に 宣 租 朝 李 牌 光 芝 峰 類 説 の 倣 梵 字 説、 英 租 朝 李 濯 星 湖 倥 説 の 倣 畏 吾 兇 字 説、 正 宗 朝 洪 良 浩 耳 漢 集 の 初 聲 象 形 説、 同 朝 李 徳 懸 盤 葉 記 の 古 蒙 象 形 説、 等 の 諸 説 あ り て 各 々 の 一 理 を 主 張 し て ゐ る、 而 共 ハ今 日 學 説 の 一 致 す る 所 は、 牙 舌 唇 歯 喉 の 登 聲 器 官 に 象 れ る、 耳 漢 集 に 所 謂、 初 聲 象 形 説 で あ つ て、 此 れ は 最 初 よ り 音 表 文 字 と し て 創 作 さ れ た も の の 様 で あ る。 諺 文 制 作 當 時、 其 の 撰 定 補 佐 を つ と め た 鄭 麟 趾 が 訓 民 正 音 の 序 文 に、 象 形 而 字 倣 古 蒙、 と 云 ふ な れ ど も、 其 の 租 述 す る 慮 を 見 れ ば、 自 然 に な る と も 云 ひ、 頗 る 曖 昧 な 慮 が あ り、 か ゝ る 曖 昧 な る 問 に 創 作 の 因 由 を 葬 ん と し て ゐ る が 如 く で あ る、 此 れ は 惟 ふ に 此 の 文 字 を し て 中 華 文 字 敬 慕 か ら、 中 華 文 字 の 創 作 因 由 に な ぞ ら へ て 漫 然 と、 倣 古 蒙 説 を 提 唱 す る 事 に な つ た も の の 様 で あ る。 諺 文 制 作 の 目 的 は 繁 雑 な る 中 華 文 字 を し て、 自 國 の 方 言 に 轄 音 し 讃 易 か ら し む る 爲 で あ り、 自 國 方 言 を 一 般 國 民 に 文 字 と し て 知 ら し め ん 爲 め の も の で あ る 事 は、 訓 民 正 音 梵 漢 諺 封 音 繹 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 七
梵 漢 諺 野 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 八 に、 画 之 語 音 昇 乎 中 國、 與 文 字 不 相 流 通。 故 愚 民 有 所 欲 言、 而 終 不 得 伸 其 情 者、 予 爲 此 欄 然、 新 製 二 十 八 字、 欲 使 人 々 易 習、 便 於 日 用 耳。 と あ る に 依 つ て も 明 で、 此 の 交 字 の 出 生 の 胎 意 に 已 に 民 衆 の 便 盆、 民 意 の 暢 達、 或 は 民 衆 の 教 化 を 目 的 と し て を れ ば、 其 の 文 字 の 綴 字 書 方 並 に 螢 音 法 を 急 速 に 又 頒 布 普 及 す る 必 要 が あ つ た の で あ る。 そ し て 亦 此 れ に 一 面 樺 與 を 附 輿 せ な け れ ば な ら な か つ た の で 世 宗 二 十 七 年 に 成 つ た、 李 朝 先 組 の 頭 徳 歌 な る 擁 飛 御 天 歌 を 二 十 九 年 に 正 音 諺 文 を 以 つ て 著 し た の で あ る。 急 速 な る 普 及 を 計 ら ん 爲 め に は 民 衆 に 最 も 能 く 謄 爽 さ れ て ゐ る も の を 諺 文 に 國 鐸 す る の 功 果 的 で あ る と こ ろ か ら 佛 敢 の 経 血、 眞 言 陀 羅 尼 の 諺 課 を な す に 至 つ た の で あ る。 帥 世 宗 天 順 年 間 に ば、 天 順 元 年 二 十 歳 で 昇 遽 し た 世 租 の 長 子 徳 宗 の 追 善 の 爲 め に、 法 華 経、 榜 巌 経、 金 剛 経、 圓 昼 経 な ど、 魏 謬 名 義 と 云 つ て、 諺 文 で 音 と 句 讃 を 附 し、 下 に 諺 文 の 解 繹 を 付 し、 又 徳 宗 の 妃 た る 仁 粋 王 后 は、 主 上 容 算 露 長、 消 珍 魔 怨 の 爲 め に、 佛 頂 心 陀 羅 尼 経 を 諺 解 し、 成 化 二 十 一 年 に は 從 來 行 は れ て 來 え、 梵 漢 鋼 照 の 眞 言 に 諺 音 注 を 加 へ、 五 大 眞 言 な る 一 本 を 以 つ て } 般 民 衆 の 調 唱 の 便 を 計 つ て み る。 此 の 本 の 践 に、 此 経 梵 漢 奇 奥 讃 者 病 之、 於 是 求 得 唐 本 注 諺 重 刊。 と ゐ る を 見 れ ば、 此 の 時 已 に 梵 漢 樹 照 の 眞 言 集 は 相 當 に 流 布 さ れ て ゐ た も の の 様 で あ る つ か ゝ る 時 に
諺 文 の あ る 事 は 必 然 的 に 眞 言 陀 羅 尼 讃 諦 の 便 宜 上 か ら、 梵 漢 諺 饗 音 諜 の 顯 れ て 來 る こ と は 明 な 事 で、 當 時 諺 文 が 如 何 に 珍 重 さ れ つ ゝ あ る 氣 運 に あ つ た か、 而 も 此 較の 種 の 佛 書 に 其 の 封 昔 以 上 の 償 値 を 有 し て ゐ た か、 私 所 藏 の 弘 治 十 三 年 (紀 元 千 五 百 年 ) 慶 爾 道 陳 川 地 伽 耶 山 鳳 栖 寺 開 板 の 姑 蘇 洞 庭 沙 門 行 深 編 纂 の 賢 首 諸 乗 法 数 の 重 刊 本 の 後 践 に、 海 印 寺 の 燈 谷 が、 傍 諺 繹 修 心 訣 亦 入 木 而 傳 云 々、 と 云 へ る に 依 つ て 見 る も 窺 ひ 得 右 の で あ る、 尤 も 此 の 書 は 五 大 眞 言 の 諺 解 さ れ た 十 五 年 後 に て、 後 蹟 後 の 刊 板 功 徳 文 中 に 大 施 主 李 氏 が 當 時 主 上 殿 下 を 初 め と し て 仁 粋 大 王 大 妃 殿 下 壽 萬 歳 と 書 す を 見 れ ば 未 だ 仁 粋 王 后 の 六 十 四 歳 に て 昇 遽 の 五 年 前 で あ り、 尤 も 梵 漢 諺 饗 鐸 の 債 値 付 け ら れ つ つ あ る 時 代 で あ つ た か ら で も あ る。 成 化 二 十 一 年、 五 大 眞 言 集 が 梵 漢 諺 封 音 鐸 さ れ て か ら、 嘉 慶 五 年 (紀 元 千 八 百 年 ) 京 畿 道 楊 州 望 月 、 寺 板 の 重 刊 眞 言 集 二 巻 (私 所 藏 合 本 ) が 出 る 迄 三 百 十 五 年 間、 其 間 に 於 け る、 此 の 種 の 眞 言 集 の 開 刊 さ れ た も の、 或 は 模 刻 さ れ た も の は 實 に 良、 不 良 を 合 し て 多 種 で あ つ た の で あ る、 此 の 種 の 箕 言 陀 羅 尼 集 が 如 斯 多 種 多 様 に 刊 行 流 布 し た の は、 一 面 雫 島 民 と し て、 其 の 國 音 に 依 つ て 自 由 に 護 諦 す る 事 の 出 來 な い 不 便 な 漢 字 音 課 が、 諺 昔 と 云 ふ 自 國 方 言 音 と、 而 も 音 表 文 字 と し て の 同 類 に あ る 発 音 と を 調 比 併 讃 し 得 る 檬 に な つ た か ら で も あ る と 惟 ふ。 望 月 寺 板 眞 言 集 中、 水 槻 居 士 の 践 に、 我 東 諺 書 與 西 土 梵 文、 最 爲 精 巧、 初 絡 清 濁 漿 朕 可 賭、 云 々、 と あ る 邊 り か ゝ る 状 態 を 想 像 し 得 る の で あ る 。 梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 七 九
梵 漢 諺 欝 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 八 ○ 四、 望 月 寺 板 眞 言 集 の 内 容 A、 内 容 の 組 織 水 観 居 士 の 践 に、 右 眞 言 集 一 部、 奮 爲 龍 嚴 粛 公 與 其 高 足 自 嚴 叡 公 編 録 鐘 行 板 藏 和 順 縣 萬 淵 寺、 以 災 儘、 今 爲 暎 月 奎 公 就 加 修 正 重 鐙、 藏 板 於 楊 州 望 月 寺。 と あ れ ば 乾 隆 四 十 二 年、 重 刊 神 言 集 萬 淵 寺 板 の 災 儘 し た る を 以 つ て 暎 月 朗 奎 が、 此 れ を 修 正 し て 再 版 し て 望 月 寺 に 藏 し た も の で あ つ て、 施 主 秩 三 紙 中、 最 後 に 制 本 の 順 序 組 織 が 略 述 し て あ る。 郎 ち 謹 正 碧 滴 章 聖 喩 書 梵 華 岳 志 卓 化 縁 暎 月 朗 奎 鳳 巖 正 俊 薫 役 信 士 智 榮 眞 言 集 合 編 一 冊 序 至 目 録 二 十 六 枚 巻 上 三 十 六 枚 巻 下 五 十 五 枚 践 一 枚、 施 主 秩 三 枚 総 一 百 二 十 一 枚 刻 劫 鄭 潤 哲 南 陽 洪 泰 運 書 と。 而 し 私 の 模 寓 本 の 原 本 は、 序 文 一 枚 を 脱 略 し、 践 を 開 巻 初 題 に 畢 げ て ゐ る が、 此 れ は 前 記 に 依 つ
て 制 本 の 誤 り と 信 す る。 次 に ﹁ 眞 言 集 総 論 ﹂ は、 乾 隆 四 十 二 年 以 後 の、 開 刊 年 月 不 明 の 翼 言 集 に 載 せ ら れ て ゐ る も の で、 眞 言 陀 羅 尼 の 名 義、 梵 書 創 造 の 由 來、 夷 字 等 宇 音 を な す 所 以、 聖 人 設 漱 の 所 以、 製 ・奥 遜 の 字 趣 を 簡 要 に 論 述 し て ゐ る。 此 れ を 看 れ ば 相 當 に 梵 字 に 精 通 し て ゐ る 者 の 作 者 の 論 作 な る 事 は 明 で あ る。 今 望 月 寺 板 が 此 れ を 牧 載 す る 事 は、 其 の 板 を 一 層 債 値 付 く る に 充 分 で あ る と 信 す る。 次 に ﹁ 阿 字 論 ﹂ で あ ゐ が、 私 の 模 寓 本 の 原 本 は 其 の 論 題 登 載 の 一 板 を 脱 略 し て 欠 い て ゐ る 爲 め に 正 し く ﹁ 阿 字 論 ﹂ で あ る か は 不 朋 で あ る が、 其 の 内 容 文 義 は ﹁ 阿 字 論 ﹂ に 相 違 な い の で あ る、 此 の ﹁ 阿 字 論 ﹂ も 次 の ﹁ 庵 呵 畔 字 論 ﹂ も、 次 の ﹁ 悉 曇 章 解 義 総 論 ﹂ も 共 に、 萬 淵 寺 板 眞 言 集 の 附 録 新 加 の 部 の 終 の 註 に、 重 刊 眞 言 集 後 四 年 庚 子 七 月 日 伽 梵 達 麿 三 藏 所 課 千 手 與 書 像 千 手 因 以 付 此 爾、 と あ る よ り す れ ば、 乾 隆 四 十 五 年 追 加 増 補 せ あ れ た も の で、 萬 淵 寺 板 の 後 部 付 加 中 t あ る 可 き 此 等 の 論 を 此 の 望 月 寺 本 に 最 初 の 部 に あ る は 暎 月 の 編 纂 の 意 圖 か ら で あ つ て 巻 末 な る 不 禮 裁 を 新 修 正 訂 し た も の で あ る。 此 等 の 論 賦 何 れ も 梵 字 梵 學 の 秘 極 を 盤 せ る 當 代 一 流 の 梵 學 者 で な け ね ば 論 述 し 不 能 論 旨 で あ る。 萬 淵 寺 板 の 筆 者、 龍 嚴、 及 其 の 高 弟 白 嚴 は 其 の 序 に、 近 世 暉 家 解 梵 字 多 類、 皆 依 様 書 薦 胡 盧、 濁 吾 龍 岩 和 術 観 其 妙、 登 前 人 之 所 未 登、 同 門 子 白 岩 叡 公、 随 侍 累 歳、 傳 其 要 領、 講 若 書 一、 白 岩 亦 希 世 也、 云 々 と あ れ ば 正 に 當 時 の 梵 學 の 剛 大 名 師 で あ つ た 如 く、 し て 見 れ ば 此 等 の 諸 論 も 龍 巌 師 か 自 嚴 師 の 何 れ か 梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 柁 羅 居 集 小 孜 八 一
練凡 漢 諺 野 音 騨 潮 鮮 陀 羅 尼 集 小 放 八 二 が、 別 に 論 述 せ し も の を 附 加 し た も の で あ る か、 特 に 萬 淵 寺 板 眞 言 集 の 爲 め に 重 刊 後 其 の 必 要 な る 慮 か ら 一 筆 付 加 し た も の で あ ら う か は、 次 の ﹁ 眞 言 集 凡 例 ﹂ の 内 容 か ら し て 推 察 し 得 ら る ゝ の で あ る。 此 の 凡 例 の 題 下 に は、 海 東 沙 門 龍 巌 増 粛 稜 封 と あ れ ば 正 し く 萬 淵 寺 板 の 本 文 の 初 は 此 慮 か ら で あ つ た の で、 此 の 十 項 に 亙 る 凡 例 は 龍 嚴 の 梵 字 梵 昔 漢 字 音、 諺 音、 等 樹 課 上 に 於 け る 學 識 の 総 て を 窺 ふ に 充 分 で あ る。 第 三 項 に 梵 字 八 終 聲 與 諺 文 八 終 聲 法 大 同 云 々 と 解 け る 如 き は 諺 文 倣 梵 字 説 者 に と つ て は 一 文 の 論 糠 と な り 得 可 き 箇 慮 で あ る。 次 の ﹁ 洪 武 韻 字 母 之 圖 ﹂ ﹁ 諺 本 十 六 字 母 ﹂ ﹁ 梵 本 五 十 字 母 悉 曇 章 ﹂ は 共 に 其 の 内 容 は、 從 來 の 眞 言 集 所 載 の も の と 根 本 的 の 解 鐸 に 於 て は 別 段 相 蓮 は な い の で あ る が 其 の 周 密 さ に 至 つ て は 從 來 の 其 れ と 隔 段 の 差 が あ る の で あ る。 ﹁ 洪 武 韻 字 母 之 圖 ﹂ は 洪 武 正 韻 に 諺 文 を 配 當 し た も の で あ る が、 漢 字 の 一 字 母 に 謝 し、 昔 韻 爾 様 に 諺 文 に て 爆 ぐ る 慮 は、 師 の 聲 韻 學 の 周 密 さ を 顯 し て ゐ る も の と 云 へ る。 ﹁諺 本 十 六 字 母 ﹂ に 於 て も、 從 來 の 訓 蒙 字 會 の 凡 例 を 脱 し て、 洪 純 甫 編 述 の 韻 書、 三 韻 聲 彙 に 習 ひ、 新 た に 尋 光 H 月 の 合 中 聲 獅 用 二 字 な る も の を 暴 げ て ゐ る。 次 の ﹁ 梵 本 五 十 宇 母 悉 曇 章 ﹂ は、 諺 文 樹 梵 學 の 朝 鮮 に 於 け る 文 献 資 料 と し て 償 値 あ る も の で、 此 れ は 封 課 眞 言 集 成 立 以 前、 諺 文 の 制 作 後 間 も な く、 何 人 か に 依 つ て 研 究 さ れ て ゐ た も の で、 眞 言 集 は 殆 ん ど 其 の 儘 を 探 用 し た も の の 様 で、 望 月 寺 板 の 眞 言 集 ま で が、 殆 ん ど 此 の ﹁ 悉 曇 章 ﹂ を 登 載 し て ゐ る よ り す れ ば い諺 音 謝 梵 音 の 樹 比 は、 其 の 間 に 於 て 大 し た 饗 化 は な か つ た も の で あ ら う。 而 し 各 眞 言 集 は、 編 纂 者 自 身 の 雫 観 的 立 場 で 多 少 微
細 な 黙 に 改 墾 を 加 へ ら れ て ゐ る は 明 な 事 で、 隆 慶 三 年 (紀 元 千 五 百 六 十 九 年 ) 刊 本 の ﹁ 悉 曇 章 ﹂ と 望 月 寺 板 の 其 れ と の 間 に は、 大 字 の 悉 曇 梵 字 は 殆 ん ど 書 型 共 に 同 一 で あ る が、 其 の 註 鐸 音 は 梵 諺 爾 字 共 に 多 少 の 異 り を 生 じ て ゐ る、 帥 ち 隆 慶 三 年 本 の 奥 字 の 註 諺 文 字 は 鞘 ( a ) 字 で あ り、 墾 月 寺 本 は 叫 ( wa ) 等 で あ つ て、 凡 て 隆 慶 三 年 本 は 一 (u 或 はeu )字 を 有 せ な い の で あ る が、 望 月 寺 本 は 此 れ を 凡 て 付 加 し て ゐ る の が 多 い の で あ つ て、 此 の ー ( u 或 はeu ) は 牙 音 孚 外 開 口 音 に し て、 T (u) の 如 く 永 く 引 か す、 而 も 終 聲 に は 用 ひ ざ る 韻 で あ っ て、 此 の 相 違 は 寧 ろ 望 月 寺 本 が 繁 雑 す ぎ る 戚 が あ る が、 乾 隆 本 と 望 月 寺 本 と 年 隔 二 百 三 十 三 年 も あ れ ば、 其 の 間 に 於 け る 徴 細 な 襲 音 上 の 相 異 と 見 徹 し 得 る。 次 に、 護 符、 脱 符 で あ る が 此 塵 に は 二 十 四 の 一 定 長 方 形 の 呪 符 と、 花 毫 と 天 蓋 に 包 ま れ た る 一 個 の 三 重 の 卒 堵 婆 と 一 個 の 一 見 不 可 解 な 護 念 圖 で あ る。 此 等 の 二 十 四 個 の 呪 符、 護 符 は 大 方 漢 字 の 墓 印 形 と、 河 圖、 洛 書 の 如 き 文 字 と の 混 合 よ り 成 つ て ゐ て、 其 等 の 符 の 名 目 を 畢 ぐ れ ば 次 の 如 く で あ る。 避 熱 符、 救 産 符、 善 神 守 護、 當 得 見 佛、 當 生 浮 土、 諸 罪 能 滅 写 所 望 成 就、 滅 罪 成 佛 果、 金 銀 自 來 富 異、 破 地 獄 生 佛 土、 鬼 神 不 侵、 宅 内 百 紳 不 浸、 萬 劫 不 受 生 死、 夫 婦 子 孫 和 合 長 壽、 三 光 百 霞 雷 電 不 侵、 白 吠 遠 離 三 災、 見 君 密 護、 能 避 孚 訟 □ □、 爲 畏 入 念、 産 女 胎 血 能 出、 能 産 印 朱 書 呑、 之 即 出 大 招 官 職、 疾 病 消 除 増 霜 壽 等 で あ る。 此 等 の 符 は 古 來 か ら 一 般 に 行 は れ た 護 念 符 で あ る も の の 標 で あ る。 梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 放 八 三
梵 漢 諺 野 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 八 四 次 は 正 し く 此 の 眞 言 集 目 録 で、 巻 上 に、 結 手 文 四 十 九 則、 志、 磐 文 三 十 五 則、 仔 饗 文 四 十 六 則、 黙 眼 文 三 十 一 則、 正 本 携 巖 呪 と 共 に 凶 百 六 十 二 則、 巻 下 に、 無 量 壽 決 定 光 明 王 如 來 陀 羅 尼 以 下 六 十 則、 佛 頂 心 観 世 音 菩 薩 姥 陀 羅 尼、 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼、 藥 王 菩 薩 陀 羅 尼、 勇 施 菩 薩 陀 羅 尼、 諸 眞 言、 千 手 陀 羅 尼 以 下 新 増 二 十 二 則、 囲 大 随 求 陀 羅 尼、 正 本 携 嚴 呪、 諸 経 字 母、 金 翅 鳥 王 眞 言、 造 像 経 眞 言 四 十 六 則、 計 一 百 二 十 八 則、 上 下 爾 巻 通 じ て 二 百 九 十 種 の 多 き を 翠 げ て ゐ る。 諸 眞 言 集 を 通 じ て 其 の 陀 羅 尼 登 載 の 多 き 黙 に 於 て 慨 の 望 月 寺 本 は 一 等 と 見 微 す 可 菩 で あ る。 次 は 施 主 秩 に て 此 経 開 刊 の 功 徳 に 依 り、 主 上、 王 妃、 世 子 冬 殿 下 の 萬 壽 を 所 り、 國 界 安 寧 己 革 消、 天 下 汰 季 法 輪 輻 と 頭 暑 し て 後 多 く の 施 主 名 並 に 此 れ に 有 縁 の 道 俗 列 名 を 記 し て ゐ 乃。 次 に 巻 上 巻 下 各 陀 羅 尼、 次 に 巻 末 に、 金 剛 阿 闊 梨 観 想 儀 軌 を 學 げ て ゐ る。 此 の 儀 軌 は 一 種 の 道 場 親 組 織 の 観 想 法 で あ つ て、 阿 梨 闊 入 定 製 凝 嵐 壱 等 の 諸 字 を 観 想 し、 身 口 意 共 に 金 剛 不 壊 と な う、 而 る 後 眞 言 加 持 の 萬 能 を 謹 念 し 陀 羅 尼、 印 呪 の 信 受 奉 行 す 可 き を 説 い た も の で 、 此 の 眞 言 集 所 載 の 眞 言、 皆 か ゝ る 観 想 の 基 に 阿 閣 梨 な る 可 き 者 此 れ を 信 受 奉 行 す 可 き を 顯 示 せ ん 爲 め に、 此 眞 言 集 の 最 後 巻 末 に 登 載 し た も の と 惟 は れ る。 龍 巌、 白 巌 の 如 き、 繹 家 の 師、 か ゝ る 密 激 的 観 想 法 に 精 通 せ る を 看 れ ば 蓋 し 八 宗 兼 學 才 徳 兼 備 の 高 僧 で あ つ た 事 を 想 像 し う る の で あ る。 B、 望 月 寺 本 の 灘 鐸 普 上 に 於 け る 梵 字 形 音
元 來、 悉 曇 字 母 の 配 列、 並 に 其 の 字 数 に 於 て は、 其 の 所 傳 の 異 な る に 随 っ て、 多 少 の 異 り を 有 す る も の で あ る が、 此 面の 望 月 寺 本 の、 ﹁ 梵 本 五 十 字 母 悉 曇 章 ﹂ に 於 け る 字 母 の 配 列 は、 但 軍 に、 経 軌 の 示 す 所 に 擦 つ て、 な さ れ た も の で な く、 此 の 字 母 を 眞 言 集 に、 編 入 す る 筆 者、 或 は、 此 の ﹁ 悉 曇 章 ﹂ の 最 初 の 樹 諺 作 者 が 相 當 に 配 意、 配 位 し て ゐ る 様 に 惟 れ る。 配 列 の 形 式 は ﹁ 全 眞 悉 曇 次 第 ﹂﹁ 難 陀 三 藏 ﹂ 所 傳 の 如 く、 型 凝 鋸 寄 菖 も マ 尋 3 敬 夷 遜 の 次 に 愚 愚 璽 外 の 四 音 を 助 音 と し て 別 記 し、 次 に 子 昔 三 十 三 字 の 最 後 に 尋 の 一 字 を 加 へ、 五 十 字 母 と な し て ゐ る。 此 れ は、 金 剛 頂 経 繹 字 母 品、 文 殊 問 経 字 母 品、 大 荘 嚴 経 示 書 品、 義 浮 南 海 寄 蹄 傳 等 の 諸 系 に 屡 せ ざ る も の で あ る。 此 れ は 勿 論 か ゝ る 通 系 を 総 合 野 照 し て 一 方 に は、 朝 鮮 古 音、 諺 文 等 の 關 係 上 改 憂 せ ら れ た も の で は な か ら う か と 惟 は れ る。 此 書 全 膿 を 通 じ て、 悉 曇 文 字 の 書 型 は、 四 五 種 類 あ る の で あ る、 第 一 は ﹁ 梵 本 五 十 字 母 悉 曇 章 ﹂ に 於 け る も の で あ る が、 此 れ は 書 型 の 美 術 的 技 巧 の 具 合 か ら 見 て、 或 は 西 藏 文 字 に 其 の 筆 勢 の 似 て ゐ る 所 よ り す れ ば、 恐 へ ら く 悉 曇 蘭 査 禮 の 影 響 を 受 け て ゐ る も の で は な か ら う か。 此 の 書 禮 は 小 文 字 は、 古 膿 の 悉 曇 梵 字 と 云 ふ よ り は 勿 ろ 攣 膿 的 悉 曇 文 字、 帥 ち 彫 刻 文 書 禮 の 交 字 で、 紀 元 後 八 百 年 代 以 後 の も の で、 等 罵 汚 貿 戯 書 燈 と、 悉 曇 書 禮 こ の、 鍵 革 期 に 屡 す る も の で は な か ら う か と 惟 れ る ゆ 巻 末 新 増 部 中 に、 華 嚴 四 十 二 字 母 を 翠 げ て ゐ る が、 此 の 書 膿 が、 此 の 文 字 で あ る が、 こ れ に 依 る と、 か ゝ る 書 型 の 古 経 に 依 る も の で あ ら う。 第 二 は 普 遽 陀 羅 尼 に 封 課 さ れ て ゐ る 悉 曇 文 字 で あ る が、 是 も 黙 書 が 文 字 に 不 釣 合 に 大 き な 曜 梵 漢 諺 封 音 課 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 政 八 五
梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 八 六 虚 日、 或 は 文 字 其 の も の が 角 張 つ て ゐ る 慮 よ り す れ ば、 彫 刻 文 字 を 模 刻 し た も の で は な か ら う か と 惟 れ る。 此 れ は 元 々 眞 言 集 の 梵 字 源 刻 當 時、 梵 書 に 無 経 験 な る 彫 刻 師 が 彫 刻 に 當 つ た 爲 で は な か ら う か。 殆 ん ど 眞 言 集 諸 本 の 梵 字 が 此 の 書 膿 に あ る を 親 れ ば、 其 の 後 の 版 本 は、 此 等 の 源 刻 書 膿 を 模 倣 し た も の で あ る ら し い。 一 見 其 の 書 髄 が 古 風 の 如 く 見 受 け ら れ る 虚 か ら 尤 も 雅 致 に 富 ん で ゐ る と 云 へ ば、 そ れ 迄 で あ る が、 角々 し い、 其 の 間 に 何 ん と な く、 字 と し て の 流 漉 を 敏 い て ゐ る の は 梵 字 書 膿 と し て 幾 分 幼 稚 の 趣 が あ る の で あ る。 大 膿 此 の 書 型 も、 前 記 華 嚴 四 十 二 字 母 の 書 型 と 視 て よ か ら う。 第 三 は 新 増 部 中 に あ る、 喩 伽 金 剛 頂 経 字 母、 華 嚴 十 二 字 母、 大 曼 筆 羅 浮 諸 悪 趣 呪、 救 抜 餓 鬼 呪、 の 書 型 で あ る が、 此 等 の も の は、 其 の 間 互 に 多 少 の 異 は あ る が、 殆 ん ど 皆 漢 字 の 大 蒙 小 蒙 に も 等 し い 書 型 で あ る。 此 は 梵 書 が 鍵 型 さ れ て 西 藏 文 字 に な つ た 如 く、 或 は 中 國 人 に 依 つ て 改 攣 せ ら れ た 書 型 を 模 刻 し た も の で あ ら う。 梵 書 の 古 騰 と 云 ふ よ り も 憂 膿 で あ る。 特 に 後 二 呪 の 文 字 は 此 の 戚 を 深 く す ゐ も の で あ る 。 縄 家 の 梵 學 僧、 圓 山 達 音 師 も、 其 の 編 述 陀 羅 尼 字 典 中 に ﹁ 古 謬 藏 経 在 ﹂ と し て、 文 殊 同 経 字 母 の 異 膿 字 を 載 し て ゐ る が、 此 等 も 恐 く 此 の 書 禮 の 系 統 に あ る も の と 惟 は れ る。 梵 字 の 音 に 就 て は ﹁ 梵 本 五 十 字 母 悉 曇 章 ﹂ に 於 て、 梵 字 一 字 に 甥 し、 大 膿 四 音 の 諺 音 繹 字 を 付 し て ゐ る、 此 の 諺 音 字 の 右 に、 梵 字 の 當 騰 字 の 異 形、 或 は 母 音 に 於 て は 種 々 な る、 其 の 字 の 黙 書 と し て 書 す 可 き 書 膿 を 學 げ、 子 音 に 於 て は、 其 の 字 の 略 形、 並 に 字 樟 分 離 の 如 き 各 字 の 一 書 つ つ を 顯 し て ゐ る。
爾 字 同 字 に て、 一 方 長 呼 の も の は、 四 聲 の 黙 こ そ 異 な れ、 諺 文 樹 謬 音 字 は 同 一 の も の で あ る。 一 梵 字 に 饗 し て 四 つ の 野 謬 音 を 顯 し て ゐ る 事 は、 微 細 に す ぎ て、 殆 ん ど 其 の 異 の 間 に、 登 聲 機 關 よ り 來 る 正 確 な 音 差 は 顯 し 難 い 程 で あ る。 異 國 音 は 互 に 顯 し 難 い の で あ る。 梵 字 に、 漢 字 を 付 し た も の に 諺 字 を 付 し た の で あ る か、 漢 字 に 梵 字 を 樹 鐸 し た も の に 諺 字 を 付 し た も の で あ る か、 不 明 で あ る が、 漢 繹 樹 暑 字 も、 各 経 字 母 品 の 封 謬 漢 字 に 異 な る 文 字 を 付 し て ゐ る も の も あ る が、 此 等 は 當 時 唐 音 の 韻 書 に 依 つ て、 謝 音 謬 し て 付 し た も の で は な い ら し い。 助 音 の 愚 等 の 四 字 の 灘 鐸 諺 文 の 如 き は 四 字 共 に 四 聲 こ そ 異 な れ、 四 字 共 ハ に 相 同 じ き は、 當 時 未 だ 改 革 登 展 の 道 程 に あ つ た 諺 文 に あ つ て は 無 理 か ら ぬ 事 で あ る。 奥 字 一 宇 の 甥 鐸 諺 文 に 就 て も 隆 慶 三 年 本 と 望 月 寺 本 と に は 異 が あ る、 帥 ち 隆 慶 本 は a a o u の 四 智 符 を 付 し、 望 月 寺 本 に はwa wa wo wu の 四 音 符 を 付 し て 隆 慶 本 の 重 聲 と な し て ゐ る の で あ る。 此 等 は 時 代 の 進 運 と 共 に 亦 諺 文 も 改 攣 さ れ つ ゝ あ る 事 を 示 し て ゐ る も の で あ る。 C、 望 月 寺 本 の 樹 課 音 上 に 於 け る 諺 文 形 音 眞 言 集 に 於 け る 諺 文 の 書 型 に 就 て は、 其 の 線 の 多 少、 太 細 の 差 の み に て、 制 定 當 時 の も の、 或 は 現 今 の も の、 其 の 中 間 に 位 す る 十 七 八 世 紀 の も の も 墾 り は な い 様 で あ る。 而 し 四 聲 の 關 係 や、 濁 音 な ど の 昔 聲 的 愛 化 に 依 つ て 來 る 文 字 の 簡 復、 或 は 磨 字 新 字 の 塘 減 等 に 依 る 鍵 化 は あ つ て、 其 の 間 書 型 の 墾 化 の 道 程 も 窺 ひ 得 る の で あ る。 梵 漢 諺 灘 音 謬 瑚 鮮 陀 羅 尼 集 小 政 八 七
梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 院 羅 尼 集 小 孜 八 八 此 の 謝 鐸 音 諺 文 は 梵 漢 爾 封 課 宇 に 注 意 し 乍 ら も 當 時 の 朝 鮮 方 言 を 多 少 無 覗 し て、 陀 羅 尼 口 調 の ま ゝ の 習 癖 を 記 し た の で あ る。 此 書 の 諺 音 課 全 騰 を 萢 じ て 爾 國 宇 音 の 音 韻 的 に 相 通 せ ざ る 言 語 學 的 支 障 の あ る 事 は 勿 論 免 れ 得 な い の で あ る。 自 國 の 言 語 に 不 必 要 な、 文 字 を 作 つ て、 此 れ を 彼 の 國 音 に 謝 音 課 し て、 彼 國 の 言 語 の 如 く、 強 ひ て 呼 ば し む る、 樹 鐸 音 の 囲 難 が あ る の で、 此 本 の 全 騰 各 所 に 此 の 例 を 見 受 け る の で あ る。 望 月 寺 本 は、 朝 鮮 の 字 書 と し て 殆 ん ど、 完 全 な る 崔 世 珍 の 訓 蒙 字 會 に 捻 れ る も の の 如 く 見 受 け る の で あ る が、 此 の 眞 言 集 に も、 訓 蒙 字 會 に、 爾 脱 し 得 な い、 歯 膏 の 重 濁 聲 △ (j ) な ど が あ り、 或 は 音 に 四 聲 の 黙 を 付 し て、 呼 薦 の 繁 雑 さ を 添 へ て ゐ る、 元 來 諺 文 の 四 聾 は ﹁ 諺 本 十 六 字 母 ﹂ の 注 繹 文 中 に、 凡 字 音 高 低、 皆 以 字 傍 黙 之 有 無、 多 少 爲 準、 平 聲 無 鮎、 上 聲 二 黙、 去 聾 入 聲 皆 一 黙。 と あ る も の で、 此 れ は 訓 民 正 音、 龍 飛 御 天 歌 に 範 を 垂 れ た も の で、 元 元 は 只 高 低 の 爾 聲 し か な か つ た も の で、 四 聲 の 如 き は 全 く 有 せ な か つ た も の の 様 で あ る 。 此 の 四 聲 音 調 に 至 つ て は、 平 聲 哀 而 安、 上 聲 属 而 墨、 去 盤 清 而 遠、 入 盤 直 而 促、 諺 解 亦 同。 と あ る 如 く、 支 那 の 四 聾 の 聲 調 其 の も の を 踏 襲 し て ゐ る の で あ つ て、 此 れ は 理 想 上 の 匿 別 と し て 規 定 し た も の で、 實 際 朝 鮮 の 言 語 に は、 平 入 聲 は 低 調 に、 去 上 は 高 調 に 呼 ば る る の で あ つ て、 此 の 四 聲 の 礎 別 は、 隆 慶 本 と、 望 月 寺 本 と の 問 に は 遜 々 に 相 異 を 生 じ て ゐ る の で あ る。 此 れ は 欝 課 諺 文 を 反 つ て
繁 雑 に し て ゐ る の で あ る が、 此 の 四 聾 を 持 に 附 加 し た の は、 眞 言 集 に 漢 字 が あ る と こ ろ か ら で も あ ら う 乏 惟 れ る。 今 日 の 朝 鮮 に 於 て は、 重 濁 音 は、 語 頭 に 呼 び 得 な い 事 に な つ て ゐ る の か、 諺 文 制 作 當 時 の △ (j ) 音 或 は 牙 音 の 重 濁 音 ◇ ( g )、 喉 音 の 重 濁 聾 ぢ ( w ) の 如 き は、 全 々 磨 字 と な つ て ゐ る 様 で あ る。 萄 ( P ) 唇 音 の 次 濁 音Do (pu ) の 如 き も、 他 語 と の 連 聲 に は 登 音 し 得 る も の と さ れ て ゐ た が、 今 日 此 れ も 整 理 さ れ 壌 字 と な つ て ゐ る 様 で あ る。 誌 喉 音 重 濁、 卒 歯 音 重 濁、 巫 歯 音 重 濁、 閃 唇 島 日 重 濁、 巴 舌 音 重 濁、77 牙 音 重 濁 の 如 き は、 乾 隆 四 十 二 年 本 は 馬 此 の 重 濁 音 全 部 を 灌 奉 し 探 用 し て ゐ る が、 望 月 寺 本 は、 殆 ん ど 採 用 せ す、 亦 乾 隆 四 十 二 年 本 以 前 の 眞 言 集 (成 化 二 十 一 年 ) に も、 此 れ を 殆 ん ど 採 用 し て ゐ な い 様 で あ る、 し て み る と 此 の 重 濁 音 が 取 捨 探 用 せ ら れ な く な つ た、 の は、 諺 文 の 頒 布 後 約 四 十 年 後 の 事 で、 此 の 頃 に は 已 に、 訓 民 正 音 の 御 製 諺 文 に 樹 し て、 相 當 改 鍵 自 由 で あ つ た も の の 様 で、 乾 隆 四 十 二 年 本 の 眞 言 集 に 又 此 の 重 濁 音 の 多 く 探 用 さ れ て あ る 事 は、 其 の 筆 者 の 意 向 に も あ つ た に せ よ、 其 の 問 約 三 百 年 間 鳶 構 諺 文 は 無 整 頓 時 代 で あ つ た か の 如 く 惟 れ る。 而 し 此 れ は 明 に 自 國 方 言 に 適 合 せ ざ る 交 字 を 作 つ て、 異 國 の 方 言 に、 無 理 に 國 音 を 適 合 さ せ 様 と し た、 文 字 潤 色 の 矛 盾 か ら で は な か つ た で あ ら う か (眞 言 集 に 於 て )、 只 軍 に 諺 文 を ﹁ 簡 軍 に な つ た ﹂ と か、 或 は ﹁ 複 雑 に な つ た ﹂ と か 云 つ て、 此 れ を 見 逃 す の は ど う か 乏 思 ふ。 特 に 乾 隆 四 十 二 年 本 に は、 重 濁 音 と な る 可 き 文 字 に、 重 濁 音 に 非 ら ざ る 樹 課 諺 文 梵 漢 諺 封 音 謬 朝 鮮 院 羅 尼 集 小 孜 八 九
梵 漢 諺 罫 音 謬 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 政 九 〇 を 付 し て 爾 者 混 同 の あ る 事 は、 婁 謬 音 の 過 程 に 於 て 見 逃 す 可 ら ざ る も の で は な か ら う か。 朝 鮮 語 に 原 音 を 最 も 急 促 に 内 鰐 に 反 響 さ し て 登 す る 音 が あ る の で、 古 來 此 の 音 表 字 と し て 日、 入 の 爾 字 が あ り、 此 れ を 原 字 の 左 傍 に 添 し て 原 字 を 急 促 に 登 音 し た も の で あ る。 現 今 で は 軍 に 入 一 字 の み を、 甜 (PP) 凋 (kk ) 巫 (ss ) 等 の 如 く 使 用 し て ゐ る の で あ る が、 眞 言 集 望 月 寺 本 に 於 て 為 、 次 の 様 な も の が 見 受 け ら れ る。 暫 戸 建 町 傭 巷 前 費 悉 底 哩 也 悲 託 悪 閉 悪 緻 塞 詑 哩 娑 底 也 史 捲 鴬 ・ 畔 燐 湖 周 々 司 暦 君 tta lia. tta. ppioi. tti. kkali. ttia. ttam. 以 上 の 如 き 樹 謬 に て、 而 も 悉、 蘇、 塞、 娑、 史、 等 が 急 促 音 符 と し て 假 り ら れ て 使 用 さ れ て ゐ る も の で あ る が、 此 等 が 皆 急 促 音 符 と し て、 書 記 さ れ た も の で あ ら う か、 寧 ろ 此 の 眞 言 集 に 於 て は、 新 増 の 部 の、 ﹁ 華 撮 十 二 字 母 ﹂ を 畢 ぐ る 中 に 町 (洗 ) の 欝 鐸 測 を、 恐 ら く 急 促 音 ぽ 一 と せ す し て si oi=syoi と 謝 鐸 す 可 き を 姜 當 で は な い か と 惟 へ ば 入 の 急 促 音 符 の 付 す る 郵 課 諺 文 を し て 悉 く 急 促 普 と な す 事 は ど う か と 思 ふ。 朝 鮮 雫 島 民 の 固 有 の 襲 聲 音 な れ ば、 か か る 虚 に 封 課 音 の 困 難 が 偲 ば れ る の で あ る。 尚 朝 鮮 人 起 は 其 の 習 癖 と し て、 頭 初 に ﹁ ラ フ ル レ η ﹂ の 舌 音 は 呼 び 得 す、 ﹁ ア イ ウ エ ォ ﹂ の 喉 音 が、 ﹁ ナ ニ ヌ ネ ノ ﹂
の 舌 音 に 轄 呼 登 聲 す る の で あ り、 又 ﹁ 二﹂ を 頭 初 に 呼 ぷ 時 は 此 れ を ﹁ イ ﹂ に 轄 音 す る の で あ る。 而 し、 ﹁ ラ リ ル レ ロ ﹂ 又 は ﹁ ニ ﹂ も 言 語 の 次 に 連 績 し て 用 ひ ら る る 時 に は 正 式 に 登 音 し 得 る の で あ つ て、 此 等 の 習 癖 は 勢 謬 音 字 と し て は、 眞 言 集 中 に 認 め を ら す 正 式 に 調 繹 音 字 を 付 じ て ゐ る が、 護 調 の 時 は 恐 ら く か か る 習 癖 も 認 め ら れ て ゐ た も の と 惟 は れ る の で あ る。 D、 眞 言 集 中 一 陀 羅 尼 の 例 望 月 寺 本 所 載 の 陀 羅 尼 の 例 と し て 殆 ん ど 各 宗 使 用 し つ つ あ る、 熾 盛 光 佛 頂 眞 言 (漕 災 妙 吉 鮮 陀 羅 尼 ) を 墾 げ、 特 に 私 に 英 文 字 で 諺 文 の 登 音 を 記 し て 置 く。 漕 災 吉 鮮 陀 羅 尼 可 罫 呵 凋 需 巡 餐 ネ 慨 ミ 倫 騨 胃 貿 イ 汀 ネ 南 無 三 満 多 没 駄 哺 阿 鉢 羅 底 賀 膨 舎 薩 嚢 楠 噂 ヱ、 舜 聾 骨、 暑 可 ぜ、 呼 曾 畔、 苛 鷲 祥、 母 叶 呂、 n a mo s g man ta mot tg b ag pala ti ha sia sa na nam. 胃 邑 郡 壱 珂 圃 翼 犠 凋 蜜 嚢 も 築 誉 て 費 て 但 禰 也 佗、 庵 怯 怯 怯 晒 怯 晒 噂 噂 入 嚇 曜 入 嚇 羅 燐 砕、 曇、 譜 冴、 珊 謝、 潜 剤、 喜、 喜、 守 可 叫、 マ 断 叫、 梵 漢 諺 欝 音 鐸 潮 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 九 一
梵 漢 諺 樹 音 灘 朝 鮮 院 羅 尼 集 小 孜 九 二 ta
nia ta om kha kha kha hioi kha hioi huam huam apa la apa la
笥 督 て ミ 愛 て 含 寒 含 喜 倦 敗 倦 敗 鉢 羅 入 願 曜、 鉢 曜 入 嚇 曝、 底 麸 曙 底 蘇 託、 蘇 緻 哩、 蘇 緻 哩 回、 磯 守 断 畔、 肩、 畔 守 堺 蹄、 司 綱 司 層、 周 司、 周 司、 pa
la apa la pala apa la ti
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蕊 呑 夏 呑 賛 衝 添 會 劉 響 鄙。 薩 螢 旺 薩 登 託 扇 底 迦 室 哩 曳 娑 騰 賀 周 可、 層、 鷲、 旭 胃 井、 剤 周 醐、 本 既 苛。 s p pa ta s ppa ta sion ti ka s a a il i ioi s a i l i s a a p a h a s a p a 眞 言 集 の 如 き 梵 字 の 書 騰 は、 此 を 如 實 に 此 威 に 顯 出 す る 事 は 不 可 能 で あ る が、 其 の 書 禮 に 相 當 す る 字 を 書 し て 置 い た の で あ る。 此 の 陀 羅 尼 は、 梵 漢 爾 字 に 於 て も、 各 の 我 國 に 傳 は れ る、 そ れ と 相 異 つ て ゐ る、 此 れ は、 眞 言 集 制 作 當 時、 此 の 陀 血羅 尼 を 載 す 所 依 の 原 本 が、 か く あ つ た も の で、 編 纂 者 の 意 向 に な さ れ た も の と は 惟 は れ な い の で あ る。 其 の 調 唱 に 於 て も 今 日 吾 々 が 此 の 陀 羅 尼 を 唱 へ る に、 各 宗 の 異 昔 少 ぐ と も 五 種 類 を 畢 げ 得 る の で あ る。 勿 論、 此 等 の 異 音 は、 梵 音 の 相 適 關 係、 連 聲 關 係、 或
は 漢 鐸 字 普 に 從 つ て 來 る 唐 音 等 の 護 調 關 係 に 依 つ て 生 す る の で あ る が、 朝 鮮 興 言 集 所 載 の 此 の 陀 羅 尼 護 調 昔 も 一 異 音 と し て、 畢 げ 得 可 き も の で あ る。 勿 論 此 の 眞 言 集 中 の 陀 羅 尼 音 は、 朝 鮮 民 族 方 言 の 習 癖 口 調 に も 依 つ て ゐ る も の で あ る が、 兎 も 角、 此 の 一 陀 羅 尼 に か く も 多 歎 の 異 な れ る 讃 調 音 の あ る 事 は、 音 韻 學 的 に、 或 は 言 語 的 に も 一 研 究 の 便 値 を 有 す る も の で あ る と 惟 れ る。 (目 下 起 稿 中 ) 五、 結 語 以 上 朝 鮮 に 於 け る、 梵 漢 諺 封 音 課 の 眞 言 集、 特 に 望 月 寺 本 を 中 心 と し て、 其 の 内 容 の 大 綱 の 如 何 な る も の な る か を 尋 ね 得 た と 思 ふ。 (而 し 此 れ に つ い て は、 ま だ 多 く の 問 題、 研 究 事 項 が あ る、 其 等 は 後 月 の 考 究 に 譲 る 事 に す る )。 注 意 す 可 き 臓、 此 の 種 の 眞 言 集 が、 暉 家 の 師 に 依 っ て 編 纂 さ れ て ゐ る 事 で あ る。 此 れ は 李 朝 代 に な つ て、 前 言 の 如 く 其 の 國 策 の 上 か ら 最 も 弊 害 の 少 な ぃ と さ れ た 繹、 敢、 二 宗 の み 許 さ れ て ゐ た 爲 め で も あ ち う か。 こ れ は 國 民 信 敢 に 根 強 く 膳 爽 さ れ て ゐ る、 此 等 の 陀 羅 尼 が 彼 等 の 信 教 に 非 常 に 役 立 つ た 爲 め で は な か ら う か。 後 に は 護 念 の 爲 め の 兇 符、 護 符 さ へ 添 付 番 れ て 信 仰 的 に 一 層 債 値 づ け ら れ、 病 災 清 除 の 爲 め に、 或 は 何 々 の 爲 に 等 と 云 ふ 護 符 を 得、 共 に 此 れ に 陀 羅 尼 を 諦 唱 す る と い ふ 標 な 信 仰 的 に 一 種 の 肥 術 の ﹁ 虎 の 巻 ﹂ と な つ て も 來 た し、 又 如 斯 使 用 さ れ た も の で は 参 か ら う か。 梵 漢 諺 欝 音 鐸 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 九 三
梵 漢 諺 謝 音 諜 朝 鮮 陀 羅 尼 集 小 孜 九 四 此 の 書 が 巌 密 な る 韻 書 の 校 合 に 依 ら す、 出 來 た と し て も、 梵 漢 に 饗 す る 諺 文 の 讃 請 登 督 法 の 上 に、 或 は 言 語 學 的 研 究 の 好 材 料 と も な り 得 る の で あ る。 我 國 の 梵 漢 假 名 樹 膏 謬 の 陀 羅 尼 集 あ る を 思 ひ め ぐ ら せ ば, 朝 鮮 に 於 け る 此 の 陀 羅 尼 集 の 使 用 上 の 意 義 亦 思 ひ 宇 に 過 ぐ る も の が あ る 。 我 國 の 此 の 陀 羅 尼 集 が、 眞 に 梵 語 を 解 せ す し て、 假 名 に て 護 調 さ れ つ つ あ る の 多 き を 顧 み て、 朝 鮮 に 於 け る 此 の 眞 言 集 も、 輩 に 最 初 は 諺 文 の み に 依 つ て 梵 語 を 護 み 得 た 事、 少 く と も 最 初 は、 此 の 書 の 目 的 は 其 威 に あ、 つ た の で あ る が、 今 日 ま で 正 し い 梵 語 の 理 解、 正 し い 漢 宇 音 の 理 解 の 上 か ら、 此 の 封 鐸 諺 丈 を も、 讃 諦 し 爾 債 値 付 ら れ ん 事 を 黎 ん で ゐ る の で あ る。