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密教研究 Vol. 1936 No. 60 010大山 公淳「明治前期の高野山經濟觀 P160-184」

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一六○

此 慮 で ぱ 本 誌 本 號 の 目 的 上 明 治 大 正 期 に 於 け る 高 野 再 經 濟 に 關 す る 小 史 を 綴 つ て 見 た い と 思 ふ 、 勿 論 筆 者 は 此 の 問 題 を 取 り 扱 ふ 爲 め に は 正 眞 正 銘 の 素 人 で あ つ て 、 全 く 無 資 格 者 に 属 ) る も の で は あ る が 、 披 見 す る を 得 た 少 々 の 資 料 を も つ て 序 述 の 便 と し た 。 此 の 素 人 の 小 記 幸 に 大 方 の 参 考 の 一 端 と も な れ ば 幸 甚 こ れ に 過 ぎ な い 。 然 し て 今 述 ん と す る 所 は 高 野 山 寺 領 を 朝 廷 へ 奉 還 し た 以 後 、 明 治 三 十 三 年 高 野 山 興 隆 會 の 獲 起 さ れ た 前 後 の 頃 ま で の 大 要 と す る 。 資 料 の 不 足 序 述 の 錯 誤 等 御 高 見 の 節 は 偏 に 御 示 教 を お 願 し た い 。 二 高 野 山 は 人 も 知 る 如 く、 古 く は 十 七 萬 三 千 百 石 絵 と い ふ 如 き 大 寺 領 を 擁 し て ゐ た け れ ど 、 豊 臣 ・ 徳

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川 爾 氏 の 政 権 と な り て ぱ 二 萬 一 千 石 が 與 へ ら れ 、 嵯 峨 天 皇 よ り 賜 は つ た 再 林 中 、 宗 組 結 界 七 里 内 の 密 林 二 千 六 百 町 絵 は 、 明 治 初 年 ま で 綾 け ら れ て ゐ た 。 そ の 爲 め に 二 再 の 衆 徒 は 食 に 困 難 す る こ と な く 、 布 教 興 學 の 道 に 専 念 精 進 す る こ と が 出 來 て ゐ た 。 然 る に 明 治 三 年 十 二 月 杜 寺 領 現 境 内 を 除 く 外 悉 く 上 地 す べ き の 布 告 あ り 、 版 籍 奉 還 の 所 謂 維 新 墾 革 と 共 に 、 初 め 数 年 間 逓 減 月隷 定 め ら れ そ の 給 付 あ り し と は 云 へ 、 急 に 無 緑 無 檀 の 裸 膿 の 姿 と な り 、 忽 ち に 衰 弊 を 極 め 、 當 初 再 内 六 百 入 十 除 箇 寺 あ り し に 、 明 治 二 十 入 年 の 頃 に 及 び て は 百 三 十 ヶ 寺 を 歎 へ ら る 、 に 過 ぎ す 、 誠 に そ の 衰 運 言 語 に 絶 す る も の あ る を 覺 え る 。 然 し か 、 る 衰 弊 に 直 面 し た 當 時 の 山 僧 が 、 無 爲 徒 食 に 過 し た か と い ふ に 決 し て そ う で は な い 。 あ ら ゆ る 努 力 を も つ て 大 勢 の 挽 回 と 大 法 の 興 隆 と に 蓋 力 さ れ た の で あ る 。 そ の 策 一 は 明 治 四 年 辛 未 十 月 本 山 よ り 一 再 各 院 へ 各 々 永 久 に 存 績 し 得 べ き 方 法 を 建 自 す べ き 議 案 を 配 し 、 そ れ に 封 し 各 院 よ り そ れ ぞ れ 答 申 し た そ の 答 申 案 に 表 は れ て ゐ る 。 今 の 經 濟 史 と し て は 直 接 關 係 な い こ と か も 知 れ 譲 け れ ど 、 嘗 時 の 議 案 に 示 さ れ た 問 題 を 掲 出 し よ う 。 ヲ シ ニ 一 、 從 前 之 役 院 療 更 可 二撰 墨 事 ヲ キ 一 、 正 議 所 之 名 目 置 百 事 可 令 ご熟 議 事 ニ シ リ ノ ン コ ノ シ ア 一 、 一 再 一 宗 關 渉 其 他 重 大 之 件 々 賓 議 事 一者 議 員 撰 基 是 可 令 二議 決 一事 ヲ ラ

二同

明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 ー 六 ー

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明 治 払樹 期 の 山尚 野 山 經 濟 勲 鱗 ー 六 ニ 一 、 一 再 在 來 之 寺 院 合 併 減 少 之 蒐 込 相 立 更 員 数 可 定 事 ハ 一 、 高 野 明 棘 依 レ爲 一地 主 一復 祐 臼 可 二奪 敬 事 ヲ キ ヲ リ ア ル ヲ ト ス 一 、 言 路 開 公 議 公 論 取 建 言 可 要 事 ノ ヲ シ 一 、 當 再 俗 弟 子 小 姓 膿 者 癒 下 男 之 外 可 禁 事 現 在 の 吾 入 と し て は 今 一 歩 と 思 ふ よ う な こ と も あ る け れ ど 、 當 時 の 一 山 寺 院 と し て は 可 成 り に 練 議 さ れ た 。 中 に は ﹁ 二 山 永 世 不 朽 之 案 ﹂ と し て 一 、 山 内 檜 侶 総 て 俗 事 を 捨 て 如 法 修 行 す 。 上 下 二 和 し 銘 々 所 住 の 坊 含 破 壊 す る を 厭 は す 輩 に 人 と 法 と を 興 隆 し 諸 伽 藍 を 修 補 す る の 外 他 事 な し と し 、 一 山 合 併 の 上 人 法 再 興 の 科 目 左 に 記 す 。 事 相 院 灌 頂 院 ぱ 寺 家 の 事 相 院 に て 兼 ぬ 。 槻 法 院 ぱ 奥 院 の 事 相 院 に て 兼 ぬ 。

自 宗 他 宗 の 修 學 此 院 に 限 ろ 。 大 坊 四 ケ 院 を 以 て 定 む 。

儒 學 院 洋 學 な 無 あ

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人 員 随 意 に 住 す 傳 授 講 澤 等 ほ 其 院 に 出 す 。

陽 地 の 小 坊 三 四 ケ 院 存 以 て す、 七 院 の 内 洞 者 め 左 時 氏 疾 に 此 院 に ,移 し 藥 用 ぜ し む 。

宿

道 筋 の 大 坊 五 ケ 院 を 以 て す 、 諸 國 よ り 肇 詣 の 人 並 に 入 院 内 佳 侶 知 音 の 者 登 再 の 時 此 院 に 止 宿 ぜ し む。 陽 地 の 中 坊 三 ケ 院 奄 以 て 定 む 五 十 歳 以 上 切 巳 下 略 と い ふ よ う な 思 ひ 切 つ た 改 革 論 を 唱 ふ る 人 も あ つ た 。 然 し こ れ ら は 特 例 で あ つ て 、 多 く は 前 掲 入 箇 條 に 封 す る 所 見 を 述 べ て 、 一 山 護 持 の 方 策 を 講 じ た の で あ つ た 。 然 し 急 に 寺 領 に 離 れ 山 林 上 地 の 結 果 、 日 に 日 に 經 濟 的 困 窮 に 堕 ち て 行 つ た こ と は 察 す る に 難 く な い 。 そ の 結 果 は 各 院 共 に 借 財 に 苦 し む こ と ゝ た つ た 。 そ れ は 現 在 金 剛 峯 寺 の 經 藏 に 保 管 さ れ て ゐ る 各 寺 院 の ﹁ 借 財 目 録 ﹂ に よ つ て 明 瞭 で あ る 。 そ れ は 明 治 五 年 頃 の も の で あ る が 、 少 き ぱ 百 爾 二 百 爾 、 多 き は 一数 百 爾 の 多 額 の 金 額 が 録 せ ら れ て ゐ る。 そ れ に は 皆 元 金 に 月 六 朱 と か 、 入 分 と か 、 高 き は 一 割 位 の 利 子 が 加 へ ら れ て ゐ る 。 或 は 借 財 の な か つ た 寺 も あ る か も 知 れ 漁 が 、 大 部 分 の 寺 院 は そ れ に 苦 し ん で ゐ た こ と が 分 明 す る 。 誠 に 悲 惨 と い ふ の 外 な い 。 こ れ に 就 い て 明 治 七 年 十 一 月 五 日 、 無 量 壽 院 道 癒 ・ 明 王 .院 増 隆 ・ 西 繹 院 快 猛 の 三 師 東 京 大 漱 院 に 在 り し が 、 東 京 よ り 二 山 の 住 侶 へ ﹁ 建 白 ﹂ 書 を 逸 り 、 一 山 再 興 の 議 案 を 呈 示 さ れ て ゐ る 。 そ の 文 章 中 に は 當 時 を 序 し 、 眞 情 の 溢 る 、 眞 に 愛 再 護 法 の 士 に あ ら す ば と 思 は る 、 言 句 の 連 綾 で あ る 。 今 て の 要 黙 を 摘 記 せ ば 、 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 齪 ー 六 三

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 ー 六 四 今 般 寺 緑 逓 減 の 御 布 告 に 付 き 二 再 大 墾 革 有 之 、 寺 務 所 爾 教 頭 始 め 寺 家 一 同 二 人 扶 持 宛 配 當 の 山 し 驚 嘆 不 ン過 之 、 右 は 永 績 の 方 法 に は 非 す し て 、 寺 家 自 滅 の 虚 法 と 存 じ 候 、 其 諜 は 壽 院 始 め 王 分 の 大 寺 の 銘 々 修 理 の 手 當 召 使 の 資 糧 も 無 之 往 職 一 人 に て 寺 務 勤 ま る 可 き 謂 無 之 、到 底 住 職 に 不 堪 者 は 退 寺 離 再 可 致 不 ン言 計 の 呵 法 に 候 歎 、 檀 縁 有 之 寺 院 の み 相 穫 り 候 と も 、 回 檀 配 札 も 禁 制 た れ ば 漸 々 檀 施 も 相 減 じ 、 追 歳 衰 微 に 付 て は 諸 入 の 信 向 も 薄 ら ぎ 、 墾 詣 の 檀 施 も 無 之 大 師 明 紳 の 守 護 も 不 相 成 噌 キ ハ ル エ 様 可 二立 至 眼 前 に 相 見 悲 涙 に 不 堪 候 即 回 檀 配 札 の 如 き 行 事 ま で 禁 ぜ ら れ れ て ゐ る の で は 、 當 時 二 再 の 大 衆 と し て ぱ 手 も 足 も 出 で す 、 全 く 粧 濟 的 に も 自 滅 を 待 つ の 外 な き こ と で あ る 。 更 に 該 建 臼 書 に は 語 を 績 け て 、 殊 に 朝 廷 よ り は 相 癒 の 稟 米 も 賜 り 候 を 、 私 の 計 に て 寺 僧 住 職 も 不 和 成 二様 の 配 當 に て は 、 上 の 御 仁 賜 を 擁 塞 す る に 當 り 封 二 朝 廷 恐 入 事 に 候 、 公 私 の 所 在 深 く 御 勘 考 可 有 之 (中略)一 再 寺 家 相 績 の 爲 め を 患 ひ 互 相 に 合 力 候 事 は 、 僧 侶 和 合 の 本 分 一 味 公 不 の 所 分 可 然 事 に 候 、 今 般 も 右 の 公 雫 論 に 倣 ひ 、 各 自 私 情 を 離 れ 、 唯 ん 一 再 永 綾 の 二 方 に 心 を 寄 せ 、 大 公 李 の 論 を 立 て 、 再 内 寺 院 の 員 を 減 じ 、 奥 院 壇 場 の 牧 納 ぱ 勿 論 、 寺 院 檀 施 等 の 諸 牧 納 不 均 に 配 當 し 、 召 使 の 人 員 を 定 め 嚴 し く 奢 移 を 制 し 、 同 心 協 力 二 再 一 家 の 思 ひ を 爲 し 、 只 管 教 導 振 起 寺 家 相 綾 に 心 を 委 せ 候 は い 猶 歎 十 年 の 光 榮 も 可 ン看 歎 、 其 方 法 如 左

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と て そ の 方 法 を 記 す 。 そ の 文 長 き 故 取 意 す れ ば 、 一 、 寺 家 減 少 事 寺 務 爾 門 首 共 惣 じ て 一 百 箇 寺 又 は 五 十 箇 寺 、 客 寺 二 十 四 箇 寺 、 そ の 療 寺 に 薦 す る 現 在 の 住 職 は 相 癒 の 寺 一 二 院 に 合 居 し 、 會 下 住 居 の 意 得 に て 學 業 勉 働 或 は 生 徒 の 教 諭 に 從 ふ 。 老 偲 分 は 小 坊 閑 居 勝 手 た る べ し 。 病 氣 の 信 等 復 こ れ に 準 せ よ 。 寺 家 減 少 の 事 は 實 に 慨 嘆 に 堪 え ざ る も 惣 潰 れ に な ら ん よ り は 、 減 少 し て 相 績 せ ば 佛 祖 へ の 忠 孝 も 相 立 つ べ き か 、 止 む を 得 ざ る の 論 、 悲 察 こ れ あ る べ し 。 一 、 牧 納 合 併 一 再 惣 檀 縁 の 牧 納 は 是 を 合 二 に せ ん こ と 尤 も 難 關 な る べ し 、 然 れ ど も 永 績 の 目 的 大 衆 協 議 の 骨 髄 な れ ば 、 屹 度 圓 頂 の 本 意 に 鋸 り 俗 情 私 意 を 離 れ 、 只 管 護 法 の 誠 心 に 基 づ き 公 論 を 立 つ べ し (下 略 ) 一 、 寺 家 配 當 事 (此 の 下 六 箇 條 あ り 前 三 條 な 略 す 。 奥 院 壇 場 等 供 養 諸 牧 納 等 惣 じ て 百 ケ 寺 に て 取 締 り 、 年 爾 度 役 員 立 合 出 納 勘 定 致 し 、 掛 り 立 合 ひ 封 キ 印 致 一入 庫 一置 朝 廷 稟 米 金 に 合 し 、 二 分 は 基 本 並 不 時 用 に 積 み 置 き 、 又 一 分 は 役 員 役 料 に 充 て 、 残 り を 諸 院 へ 雫 等 に 配 當 可 有 之 現 今 借 財 返 辮 方 は 七 十 ケ 年 又 は 五 十 ケ 年 無 利 足 に て 年 賦 可 二頼 入 一事 百 箇 寺 の 内 に て 壇 上 奥 院 掛 り 檀 客 掛 り 二 人 又 は 四 人 宛 定 め 置 き 、 無 油 断 取 締 可 有 乏 、 若 し 不 行 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 ー 六 五

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 親 一 六 六 届 の 義 有 之 者 輕 き は 科 料 、 重 き は 寺 務 教 頭 よ り 管 長 へ 申 立 可 免 二教 導 職 一、 免 職 の 上 は 住 職 不 二相 成 一、 客 寺 會 計 課 出 張 の 仁 は 最 も 簾 重 な る べ し 、 若 し 過 有 る 時 は 罪 科 準 之 右 在 京 の 者 重 々 示 談 、只 管 護 法 の 爲 め を 存 し 忌 揮 な く 忠 告 す 。 一 同 御 探 用 あ ら ば 一 山 の 幸 不 過 之 、 若 し 私 情 を 募 り 眼 前 自 己 の 活 計 あ る を 頼 み 、 一 山 守 護 の 遠 計 を 不 思 、 徒 に 異 義 を 生 じ 探 用 無 之 時 は 野 峯 の 法 運 是 迄 と 存 候 (下 略 ) と 、 そ の 所 述 現 在 猜 教 へ ら る ゝ 所 多 き が 如 く 、 明 治 ・ 大 正 ・ 昭 和 を 蓮 じ 九 高 野 再 經 濟 史 上 の 貴 重 書 と も 考 へ ら れ る 。 然 し 急 に は そ の 通 り に な ら な か つ た で あ ら う が 、 年 と 共 に 荒 磨 に 蹄 し 自 然 磨 寺 に な つ た よ う な 寺 の 多 か つ た 二 と は 既 に 述 べ た 通 り で あ る っ 三 東 京 大 内 青 轡 居 士 の 編 輯 に な る ﹁ 明 教 新 誌 ﹂ 館 二 百 十 七 一 (明 治 八 年 十 二 月 二 十 四 日 獲 行 に は 、和 歌 再 縣 下 に 於 け る 眞 言 宗 寺 院 七 百 有 蝕 あ れ ど 、 雫 は 無 住 、 雫 は 貧 寺 小 寺 に て 、 住 職 は あ れ ど や つ と 一 人 の 糊 口 が 難 し い 程 の 有 様 に て 、 時 の 政 府 か ら 狡 令 し た 中 教 院 の 設 立 も 未 だ 出 來 ぬ ほ ど で あ る の で 、 権 少 教 正 齊 澄 辮 師 ・ 鼎 龍 曉 ・ 室 戸 意 塔 の 二 師 等 心 を 合 せ て 説 諭 拗 説 し た か ら 、 野 再 の 諸 寺 院 嶺 く 奮 狡 し て 相 當 の 寄 附 金 が 集 ま つ た の で 、 和 歌 再 鈴 丸 町 の 萬 糟 院 を も つ て 中 教 院 と な し 、 近 々 開 院 の 手 讐 と な つ た こ と を 報 じ て

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ゐ る 。 そ の 時 の 寄 附 金 に は 野 山 圓 満 院 が 五 十 圓 、 輪 光 院 ・ 青 巖 寺 及 び 戸 次 玄 意 氏 が 三 十 圓 つ つ 等 、 総 じ て 三 十 二 名 、 金 額 五 百 十 入 圓 ほ ど 集 ま り 、 そ の 他 の 諸 寺 院 で も 追 々 出 金 せ ら れ る と 云 ふ て あ る 。 經 財 的 困 窮 の ド ン 底 に 落 ち 入 り な が ら 、 か ゝ る 浮 業 も 成 さ れ て ゐ る こ と は 、 甚 だ 明 朗 の 戚 な き に 非 す で あ る 。 猶 同 誌 第 二 百 六 十 九

明 治 九 年 四 月 十 二 日 獲 行 ) に は 、 全 國 に 於 け る 眞 言 宗 寺 院 の 総 藪 一 萬 七 千 九 百 三 十 五 箇 寺 、 そ の 内 総 本 再 二 箇 寺 本 山 二 箇 寺 、 本 再 が 四 百 三 十 四 箇 寺 、 中 本 寺 が 五 百 二 十 三 箇 寺 、 小 本 寺 が 七 百 五 十 入 箇 寺 、 無 本 寺 が 五 百 四 十 入 箇 寺 、 無 檀 が 七 千 入 百 二 十 六 箇 寺 、 信 侶 の 絡 数 七 千 三 十 人 、 そ の 中 尼 僧 が 二 百 五 十 二 入 と 記 す 。 最 も 此 の 時 代 は 現 今 の 如 く 新 義 派 古 義 派 の 別 を 明 に せ す 、 総 合 し た 上 の 計 藪 と 思 は る 。 そ れ よ り 二 年 を 經 た 明 治 十 一 年 十 二 月 三 十 日 調 査 の 、 全 國 各 宗 寺 院 総 歎 合 計 七 萬 二 千 七 百 九 十 箇 寺 、 内 眞 言 一 萬 三 千 三 百 五 十 と あ る 同 紙 十 三 年 八 月 二 十 四 日 號 )に 比 す れ ば 、 僅 か 二 年 の 間 に 四 千 五 百 歎 十 箇 寺 を 減 じ た こ と に な つ て ゐ る 。 こ れ は そ の 何 れ か に 若 干 の 誤 算 が あ つ た の で あ ら う 。 明 治 十 二 年 ・ 十 三 年 ・ 十 四 年 ・ 十 五 年 度 に 於 け る 金 剛 峯 寺 の 収 支 を 録 し た 帳 簿 が 残 つ て ゐ る が 、 先 づ 十 二 年 自 一 月 至 十 二 月 に は ﹁ 入 方 芝 し て 二 金 三 千 百 月七 拾 入 圓 四 拾 銭 四 厘 五 毛 奥 之 院 諸 牧 納

伽 藍 諸 堂 饗 銭 及 牧 納 金

諸 國 末 派 入 衆 及 色 衣 詐 可 料 其 他 諸 牧 納 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 六 寺

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 六 八

﹁ 出 方 ﹂ に は

萬 燈 油 料 螢 繕 其 他 諸 入 費

大 學 林 寮 舎 新 築 費 其 他 生 徒 教 養 費

諸 伽 藍 螢 繕 、 大 中 致 院 課 出 諸 費

自一 月 至 十 二 月 は ﹁ 入 方 ﹂

﹁ 出 方 ﹂ は

同 十 四 年 度 ( 自 一 月 至 十 二 月 は ﹁ 入 方 ﹂

﹁ 出 方 ﹂ は

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西

自 一 月 至 十 二 月 ﹁ 入 方 ﹂

﹁ 出 方 ﹂ は 小 計 金 豪 萬 千 三 百 三 拾 圓 九 拾 九 銭 六 毛 差 引 金 五 千 五 百 五 拾 壼 圓 貳 拾 貳 銭 入 厘 二 毛 不 足 毎 年 共 十 二 年 度 通 り の 記 載 あ れ ど 今 は 私 に 略 し て 牧 支 の 計 と 差 引 の 差 額 を 出 し た 。 何 れ に せ よ 年 々 雫 均 五 千 圓 内 外 の 赤 字 財 政 を 遣 り 繰 り し て ゐ た こ と が 察 し ら れ る 。 か 、 る 財 政 を 年 々 繰 り 返 し て ゐ た の で は 金 剛 峯 寺 と し て は 追 々 破 産 す ・る の 外 な い の で 、 内 務 卿 山 縣 有 朋 氏 に 封 し ﹁ 保 存 金 下 附 願 ﹂ の 書 を 呈 し 、 そ の 衷 情 を 訴 へ た 。 連 名 に は 高 野 再 衆 徒 中 総 代 西 門 院 住 職 中 講 義 摩 尼 慶 明 、 同 如 意 輪 寺 住 職 大 講 義 阿 圓 我 、 一 本 に は 清 浮 心 院 住 職 大 阿 宥 經 と 正 さ れ て ゐ る 。 そ れ に 門 首 寳 性 院 住 職 中 敏 正 楠 玉 諦 、 同 無 量 壽 院 住 職 中 教 正 高 岡 増 隆 、 金 剛 峯 寺 住 職 大 く 正 獅 岳 快 猛 列 名 さ る 。 そ の 上 願 書 文 の 一 節 に は 、 輕 近 維 新 の 期 に 逃 て 善 職 を 奉 還 し 畢 つ て 、 今 は 唯 是 れ 伽 藍 奥 院 近 傍 の 山 林 並 に 諸 寺 院 の 境 内 を 免 除 せ ら れ 、 且 つ 結 界 の 禁 を 開 放 し て 二 等 這 路 の 制 を 施 さ れ け れ ば 、 是 が 爲 め 山 内 自 然 に 清 潔 な る こ と 明 治 前 期 の 高 野 山 綻 済 觀 一 六 九

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一七○ を 得 難 し 、 加 之 又 憎 坊 数 百 の 中 に は 資 力 を 蜴 し て 院 宇 屡 壊 に 就 き 離 散 の 族 数 多 有 て 、 其 所 を 得 ざ る を 奈 何 せ ん (中 略 ) 大 小 共 に 凡 そ 百 箇 院 許 を 相 綾 住 持 す る は 、 縫 に 檀 縁 を 依 怯 と し て 存 亡 計 り 難 し と 錐 、 現 在 の 衆 徒 中 の 赤 心 は 偏 に 大 師 の 素 意 を 紹 ぎ 、 弘 仁 帝 の 叡 願 を 保 全 し て 、 大 塔 を 再 建 し 伽 藍 を 護 持 し て 、 永 く 鎭 護 國 家 の 所 を 精 勤 せ ん 者 云 々 と 云 ひ 、 復 宜 く 御 詮 議 の 上 何 卒 永 綾 の 資 本 御 下 附 只 管 上 願 し 奉 る な り 。 若 し 亦 然 ら す ん ば 歳 月 を 追 ふ て 疲 弊 を 極 め 、 佛 閣 信 坊 漸 々 壌 頽 に 及 び 、 老 若 の 僧 侶 も 亡 散 し て 、 山 中 荒 涼 の 地 に 囑 せ ば 、 近 里 の 人 民 も 亦 産 業 少 き な ん ど 棲 愴 何 を か 喩 と せ ん 。 是 を 以 つ て 敢 て 泣 血 の 衷 情 を 陳 述 し て 衆 徒 一 同 天 恩 を 仰 願 し 奉 る こ と 如 斯 誠 裡 誠 恐 謹 言 こ れ は 明 治 十 七 年 に 呈 出 さ れ た ら し い 。 誠 に 本 再 の 苦 衷 察 す る 除 り 、 赤 心 の 程 威 激 あ る の み 。 然 し 此 の 時 は 上 願 の 趣 意 達 せ ら れ す 、 明 治 二 十 入 年 に 及 び 復 ﹁ 保 存 金 下 附 願 ﹂ の 運 動 と な つ た 。 時 の 政 府 は 取 る べ き も の を 取 つ て. 與 ふ べ き も の を 與 へ な か つ た の で あ る か ら 、 誠 に 止 む を 得 ぬ こ と と し な け れ ば な ら ぬ 。 此 慮 に 特 記 す べ き は 明 治 十 五 年 十 二 月 十 一 日 、 時 の 農 商 務 大 輔 品 川 子 欝 の 苗 樹 寄 附 数 萬 本 に 及 び 、 女 人 堂 入 口 山 林 に 植 樹 さ れ 、 現 今 の 美 事 さ を 實 現 さ れ た こ と で あ る 。

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四 明 治 十 四 年 七 月 九 十 ・ 十 百 の 三 晶 に 亘 り て 、 天 保 十 四 年 焼 失 以 來 如 何 と も 爲 し 得 な か つ た 大 塔 再 建 の 起 工 式 が 行 は れ た ・ 手 斧 始 式 と 幕 し て ゐ る 。 同 矢 月 七 日 及 び 十 三 日 の ﹁ 同 善 新 聞 ﹂ (佐 々 木 三 郎 氏 主 幹 ) に そ の 時 の 光 景 が 載 せ ら れ て ゐ る 。 初 日 の 記 に 日 く 、 蝉 山 根 本 大 塔 再 建 起 工 式 に は 、 畿 内 京 阪 等 近 國 易 論 、 九 州 四 國 等 し 至 る ま で 登 再 の 溢 俗 甚 だ 多 く 、 其 道 筋 の 族 店 其 他 稀 有 の 利 潤 々 得 た り と の 磐 れ ば 、 其 塵 推 し て 知 ら る べ し 。 一 再 の 各 寺 院 身 八 九 千 人 を 宿 泊 し て 鯨 地 を 穫 呉 す 、 女 人 の 参 籠 所 は 少 狭 に て 何 の 用 も な さ す 、 町 家 に 隙 の ゆの ら ん 限 り は こ れ を 宿 泊 せ し め し か ど 、 是 と て も 入 蓋 手 、 已 む を 得 す 此 の 法の 曾 三 日 聞 に 限 り 、 寺 院 に 女 人 を 宿 泊 せ し む る も 苦 し か ら 率 と 二 宗 長 者 の 教 正 に 伺 ひ し に 、 事 情 止 む べ か の す と て 特 別 に こ れ を 許 可 せ ら れ 客 寺 に 宿 泊 せ し め て 露 宿 を 免 れ し め た り 。 祝 餅 三 十 石 散 銭 数 十 圓 を 投 す 。 数 千 萬 の 麓 老 若 あ ら そ ふ て こ れ を 得 ん と す 。 そ の 雑 沓 い ふ ば か り な く 、 憐 貧 、 し 李 有 十歳 の 老 人 を し に 打 た れ て 帥 死 す 其 他 傷 な ど 受 け 、 た る も 爾 三 人 あ り 、 と 。 嘗 の 導 腰 三 乗 粟 饗 者 、 職 衆 一 篠 名 、 午 後 時 よ り 始 め ら れ た 。 第 二 日 心牟 後 一 時 三 十 、 分 よ り 庭 儀 大 曼 茶 羅 供 、 大 論 は 昨 日 に 同 じ く 、 繋 に は 高 岡 ・ 楠・ 鼎・ 距・ 今 來 の 五 教 正 外 六 十 口 、 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 觀 一 七 一

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 七 二 祝 餅 四 十 石 散 銭 若 干 を 投 す る こ と 前 日 に 同 じ く 、 第 三 日 は 午 後 二 時 よ り 法 曾 、 職 衆 三 百 四 十 口 、 大 般 若 轄 誼 法 會 、 法 要 後 祝 餅 五 十 石 散 銭 若 干 投 與 し た 。 時 の 再 建 総 督 は 壽 門 主 高 岡 増 隆 中 教 正 で あ つ た 。 誠 に 其 の 盛 大 な 起 工 式 は 想 像 に 徐 る 。 大 塔 再 建 と い ふ 大 理 想 實 現 で あ る だ け 勧 募 以 外 に 、 借 入 れ 金 も 相 當 多 額 で あ つ た ら し い 。 金 剛 峯 寺 に 保 管 さ る 、 大 塔 係 ﹁ 金 貨 借 入 帳 ﹂ に 依 つ て 一 目 分 明)る 。 然 し そ れ ら は 大 塔 再 建 の 爲 め に の み 使 用 さ れ す 、 他 に 貸 附 け も し た ら し い 。 そ れ は 璽 明 治 十 五 年 二 月 大 塔 係 り の ﹁ 金 貨 貸 附 標 ﹂ に よ つ て 知 ら れ る 。 一 方 本 再 は 年 々 多 額 の 赤 字 財 政 に よ つ て 困 窮 せ る に か ゝ わ ら す 、 大 塔 再 建 の 大 計 を め ぐ ら す こ と 、 少 々 無 謀 に 思 は る れ ど 、 こ れ は 我 開 山 大 師 の 祀 意 を 達 成 し て 、 法 の 威 力 を も つ て 赤 字 財 政 克 伏 の 勝 計 と せ ん と し た も の か と も 考 へ ら れ る 。 然 し そ れ は 意 の 如 く 成 ら す し て 大 塔 は 再 建 さ れ す 、 途 に 宗 祖 一 千 百 年 の 御 遠 忌 に 於 い て 完 成 さ れ る こ と ゝ な つ た の で あ る 。 尤 も 大 塔 は 高 野 一 再 の 中 心 塔 に し て 、 密 敢 々 格 の 根 本 を 表 象 し 、 高 祖 の 意 願 に 依 つ て 建 て ら れ て ゐ る も の で あ る か ら 、 こ れ が 焼 失 後 の 再 建 は 不 断 に 二 山 住 侶 の 念 願 と な つ て 現 は れ る 、 明 治 十 四 年 の 再 建 は 第 二 回 目 で あ つ て 、 明 治 二 年 已 に そ の 計 劃 は 成 さ れ た 。 そ れ は 同 年 の ﹁ 大 塔 再 建 規 定 書 ﹂ に よ つ て 知 ら れ る 。 そ の 中 に は 、 一 、 大 塔 古 銅 瓦 費 梯 此 代 金 凡 そ 二 萬 爾 に 見 積 右 金 子 を 柱 礎 と な し て 早 々 再 螢 に 取 掛 り 申 す べ き 事 一 、 此 年 來 當 再 大 事 件 に 付 き 総 宰 廃 二 再 事 務 所 ) 極 疲 弊 す 。 依 之 今 般 重 々 評 談 の 上 (中 略 ) 當 巳 よ

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コ ク り 來 る 寅 年 ま で 十 箇 年 之 間 年 々 玄 米 三 千 石 差 引 除 き 此 代 金 石 に 付 凡 そ 七 爾 に 見 積 一 ヶ 年 分 合 せ て 金 貳 萬 千 爾 宛 を も つ て 、 當 巳 よ り 未 年 ま で 三 ヶ 年 の 間 に 総 宰 磨 新 供 凡 そ 六 萬 爾 精 々 爲 濟 方 致 之 、 來 る 申 歳 よ り は 右 引 除 米 大 塔 再 建 へ 指 入 申 す べ き 筈 之 事 と い ふ よ う な 規 定 も 見 え て ゐ る 。 け れ ど こ れ が 完 成 し な か つ た こ と は 明 で あ る 。 更 に 明 治 十 七 年 は 宗 粗 大 師 二 千 五 十 年 御 遠 忌 の 正 當 と な る 。 こ れ に 依 つ て 一 再 各 院 共 に 螢 繕 を 施 し て 面 目 を 改 め よ う と し た 。 そ の こ と は 明 敢 新 誌 千 六 百 三 號 明 治 十 六 年 十 二 月 十 日 獲 行 、 に 、 ﹁ 高 野 山 内 の 諸 寺 院 は 伽 藍 の 再 建 修 繕 等 粗 行 き 届 き 大 い に 塞 再 の 荘 巌 を 加 へ た ﹂ と 報 道 さ れ て ゐ る こ と に よ つ て 知 ら れ る う 其 の 爲 め に 使 用 し た 費 用 に 就 い て 同 誌 千 六 百 二 十 四 號 十 七 年 一 月 二 . 十 六 日 幾 行 こ ふ よ 、 高 野 再 弘 法 大 師 大 遠 忌 に 付 き 螢 繕 費 の 総 計 を 本 誌 千 六 百 十 四 號 に 凡 そ 三 千 入 百 除 圓 と 記 し た る は 全 く 道 路 修 繕 の 費 用 に て 、 奥 院 伽 藍 金 剛 峯 寺 の 螢 繕 費 は 僖 臓 ま で の 精 算 が 二 萬 二 千 六 百 徐 圓 に し て 、 其 他 清 浄 心 院 を 始 め 諸 寺 の 修 繕 再 建 費 を 出 納 係 に て 取 り 調 べ ら れ た る 分 の み に て も 凡 そ 六 萬 入 千 二 百 七 十 圓 あ り と 記 し て ゐ る 。 此 の 時 の 法 會 の 實 際 は 別 文 に 記 さ れ て ゐ る の で 今 は 二 切 を 略 す る 。 但 し 時 の 御 遠 忌 総 裁 は 楠 玉 諦 ・ 原 心 猛 雨 師 に し て 、 ﹁ 明 激 新 誌 ﹂ 千 六 百 七 十 二 號 に は ( 十 七 年 五 月 . 入 日 嚢 行 そ の 大 遠 忌 に 登 嶺 し た 道 俗 ぱ ﹁ 初 日 よ り 結 願 ま で 凡 そ 四 十 五 萬 人 の 多 き に 及 ん だ ﹂ と 。 猶 同 誌 六 月 二 十 六 日 號 に 報 す る 所 に 依 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 觀 一 七 三

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 狸 一 七 四 れ ば 、 別 虞 大 教 正 の 一 建 立 に 係 る 輪 藏 は 全 く 此 の 稚 完 成 し た 。 大 工 は 淡 路 の 木 田 杢 李 氏 に し て 、 職 工 三 十 徐 名 を 引 峯 し て 登 山 、 各 々 口 に 眞 言 を 唱 へ な が ら 工 事 を 進 め た 。 費 用 は 落 成 ま で 凡 そ 一 千 入 百 圓 で あ る 。 此 の 入 佛 供 養 は 同 十 七 年 入 月 六 日 、 楠 ・ 高 岡 爾 門 主 出 會 ぱ れ て 懇 勲 な 理 趣 三 昧 を 執 行 さ る 。 叉 伽 藍 内 に て 昨 年 入 月 よ り 工 事 に 懸 つ た 準 提 堂 は 、 悉 く 泉 州 境 の 川 盛 仁 不 氏 の 一 建 立 に て , 十 七 年 四 月 上 旬 ま で に 成 就 し た が 、 該 費 財 は 三 千 四 百 圓 で あ る 。 又 同 氏 の 先 代 は 孔 雀 堂 を 一 建 立 し 、 其 上 根 本 大 塔 の 本 奪 五 智 如 來 も 同 氏 の 一 建 立 に し て 、 中 奪 大 日 如 來 は 二 丈 六 尺 、 他 の 四 方 四 佛 は 皆 二 丈 蝕 の 大 奪 像 に て 、 安 政 年 中 の 安 置 に か 、 る 。 そ の 費 用 三 千 鯨 圓 の 互 額 に 及 ぷ と 。 此 の 孔 雀 堂 は 彼 の 輪 藏 と 共 に 、 昭 和 元 年 十 二 月 二 十 六 日 早 朝 金 堂 と 共 に 炎 上 した こ と は 惜 し み て も 録 り 有 る こ と で あ る 。

(明 治 十 七 年 六 月 二 十 二 日 獲 行 に は 時 の 高 野 山 座 主 金 剛 峯 寺 獅 岳 快 猛 大 教 正 は 昨 春 、 山 内 の 警 察 分 署 新 設 費 の 中 へ 金 百 五 十 圓 を 寄 附 せ ら れ た る に 付 き 、 去 月 十 五 日 大 政 官 よ り 木 盃 三 個 を 賞 賜 せ ら れ た こ と を 記 す 。 當 時 の 快 事 と 思 は る 。 高 祖 一 千 五 十 年 の 御 遠 忌 を 濟 ま し た 十 七 年 の 入 月 二 十 六 日 に は 大 風 襲 來 し 、 金 剛 峯 寺 初 め 諸 寺 風 損 多 く、 其 の 修 繕 の 豫 算 一 再 に て 凡 そ 三 千 二 百 鯨 圓 の 見 込 み と 報 せ ら れ て ゐ る 。 同 じ く 明 教 新 誌 明 治 二 十 年 七 月 十 日 の 號 に は ﹁ 野 再 の 氣 候 は 今 袷 着 用 位 、 人 情 穏 に し て 、 物 傾 は 総 て 高 け れ ど 豆 腐 の み は 然 ら す ﹂ と 報 じ て ゐ る 。 興 味 多 き こ と に 思 ふ。

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上 述 の 如 く 高 野 山 は 維 新 前 ま で は 、 寺 轍 も あ り て 諸 法 會 初 め 各 堂 塔 の 修 繕 等 百 般 の 費 用 を 支 辮 し 來 つ た が 、 維 新 後 は 寺 緑 墾 じ て 逓 減 緑 と な り 、 そ れ も 僅 か の 期 間 に し て 、 牧 納 物 ぱ 年 々 減 少 し 永 遠 維 持 の 目 的 立 ち 難 く 、 加 之 政 府 よ り 達 示 の こ と も あ つ て 新 に 學 林 は 設 置 し な け れ ば な ら す 、 彼 れ 此 れ 費 用 相 積 み 、 爾 宗 法 隆 盛 の 爲 め 大 塔 再 建 の 墨 あ り 、 年 々 失 費 相 嵩 み 、 然 も 世 上 の 不 景 氣 は 、 諸 國 よ り の 寄 附 物 歳 々 減 少 す る の み 。 金 剛 峯 寺 所 有 の 再 林 よ り 生 す る 利 盆 の み を も つ て は 到 底 相 償 ふ を 得 す 、 愛 を も つ て 止 む を 得 す 借 金 政 策 の 途 行 と な り 、 他 よ り 借 り 入 れ た る 金 員 は 漸 次 重 み 、 利 息 等 の 爲 め 終 に 亘 大 な 金 額 の 負 債 を 生 す る に 至 つ た 、 そ の 負 債 の 最 も 大 な る は 大 和 宇 智 郡 五 條 町 栗 再 藤 作 氏 よ り の 借 り 入 れ 金 で あ る 。 そ の 金 額 最 初 何 程 を 借 り た る も の か 判 明 し な い け れ ど 、 明 治 十 七 年 十 月 一 日 金 壼 萬 圓 を 借 用 し た こ と は そ の 假 謹 文 の 存 す る こ と に よ つ て 判 ぜ ら る 。 或 は 此 の 年 初 め て 膏 萬 圓 を 借 り し か 。 翌 十 七 年 十 一 月 に 復 萱 萬 圓 借 用 の 假 誰 券 が あ る 。 明 治 十 九 年 ﹁ 裁 判 言 渡 書 ﹂ に ぱ 明 治 十 入 年 三 月 二 十 三 日 栗 山 氏 よ り 高 野 再 へ 金 萱 萬 圓 貸 付 ﹂ の 記 あ り 、 そ の 當 時 の 利 息 ぱ ﹁ 元 金 千 圓 に 付 き 一 ケ 月 金 拾 圓 也 ﹂ と 記 さ れ て ゐ る 。 明 治 二 十 年 ﹁ 蓮 花 谷 院 内 決 議 目 ﹂ の 中 に は ﹁ 山 外 負 債 豫 算 額 三 萬 七 千 圓 、 向 ふ ニ ケ 年 間 利 子 豫 算 豫 備 額 金 壼 萬 圓 と 見 込 み 合 せ て 四 萬 七 千 圓 也 ﹂ と も 記 す 。 別 の 記 録 で は ﹁ 金 剛 峯 寺 教 議 所 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 七 五

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明 治 前 期 の 嵩 野 山 經 濟 觀 一 七 六 負 債 総 額 明 治 二 十 年 四 月 迄 元 利 合 計 金 五 萬 千 三 百 五 十 九 圓 十 七 銭 也 ﹂ と 記 し 、 そ の 中 再 外 借 入 分 参 萬 入 千 六 百 四 十 入 圓 六 拾 銭 再 内 寺 家 よ り 借 入 分 壼 萬 七 百 拾 厨 五 十 七 銭 外 に 武 千 圓 別 途 借 入 分 と 出 す 。 明 治 二 十 一 年 頃 に は そ れ が 七 萬 圓 の 借 金 と な つ た ら し い 。 容 易 な ら 組 大 金 額 で あ る 。 そ の 中 栗 再 氏 の 金 子 ぱ 途 に 裁 判 沙 汰 と な り 、 明 治 十 九 年 十 二 月 こ 十 五 日 附 に て 高 野 再 各 院 に 於 い て 速 か に 辮 濟 可 致 事 の 和 歌 再 始 審 裁 判 所 の 判 決 が あ る こ と な つ た 。 勿 論 か 、 る 制 決 を 無 爲 に し て 唯 手 を つ か ね て 待 つ て ゐ た の で は な く 、 一 山 大 衆 誓 つ て 政 府 へ 金 員 の 御 下 賜 又 は 拝 借 を 懇 願 す る と か 、 若 し そ れ が 成 立 し な か つ た ら 一 山 の 寳 器 等 悉 く 政 府 へ 預 け て 相 當 の 金 額 を 借 用 す る と か 、 金 剛 峯 寺 所 有 再 林 を 抵 當 に し て そ れ を 伐 木 ) る と か 、 様 々 の 悲 槍 な 練 議 が 繰 り 返 へ さ れ て 、 何 れ も 成 立 せ す し て 該 判 決 と な つ た の で あ る 。 判 決 が 下 る や ﹁ 二 再 負 債 消 却 法 ﹂ を 新 に 考 慮 し な け れ ば な ら ぬ 。 即 翌 二 十 年 四 月 末 の 頃 練 議 さ れ た ﹁ 方 法 皇 日﹂ を 見 る に 、 第 二 條 第 一 項 伽 藍 内 御 祉 山 抜 伐 木 凡 そ 戴 拾 本 程 と す べ き 事

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七買

彿

彿

彿

彿

明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 七 七

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 七 八 第 五 項 奥 之 院 一 橋 唐 銅 手 水 盟 及 金 剛 峯 寺 内 一 心 院 案 内 所 前 唐 銅 手 水 盟 等 費 彿 の 事 第 六 項 奥 之 院 墓 所 立 木 扱 切 の 事 但 し 其 筋 の、 願 濟 を 乞 ふ も の と す 節 七 項 大 円 銅 瓦 責 彿 の 事 但 し 古 堂 保 存 金 あ り 因 て は 其 筋 へ 願 濟 す べ し 此 分 も 壷 却 の 都 合 は 前 項 の 如 し 第 二 條 二 、 官 林 立 木 萱 萬 二 千 本 責 佛 の 事 但 し 債 格 武 萬 圓 と 豫 定 す る な り 一 、 金 壼 萬 圓 は 一 再 各 院 賦 課 支 出 す る 事 但 し 賦 課 法 は 明 治 十 七 年 度 の 法 に 依 準 し 現 課 す る 能 は ざ る 入 は 相 當 の 諸 財 産 抵 當 差 入 る べ き も の と す 第 二 項 賦 課 出 金 度 は 本 年 よ り 二 ヶ 年 中 と す 、 尤 も 現 金 額 出 金 す る 者 は 賦 諜 高 七 歩 額 を 差 出 す も の と す 第 二 項 賦 課 す る 力 無 き 者 は 一 再 へ 義 務 無 さ も の と 見 倣 し 退 職 す る も の と す 第 三 項 一 再 内 各 寺 院 よ り 借 入 金 凡 七 千 圓 と 見 倣 し 消 却 方 法 無 き を 以 て は 共 有 再 林 々 債 主 中 へ 相 渡 し

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申 す 可 き も の と す 右 明 治 こ 十 年 四 月 二 十 入 日 よ り 本 日 に 至 り 大 衆 練 議 の 上 決 議 候 條 猶 執 行 の 前 後 を 計 り 、 重 要 物 品 は 特 別 有 志 者 を 募 り 保 護 の 方 法 可 相 設 ぱ 勿 論 萬 一 其 成 績 を も 見 す 不 幸 に 際 し 無 止 事 務 者 に 於 い て 前 條 所 掲 の 蓮 り 實 行 相 成 候 も 大 衆 一 同 に 於 い て 毫 も 遺 憾 無 之 候 依 て 血 泣 締 盟 す る 事 如 斯 と 、 誠 に 一 山 の 入 と し て は 血 泣 そ の 事 で あ つ た と 思 は る 。 此 庭 に 出 さ れ 穴 も の ゝ 中 に は 勿 論 實 行 さ れ す に 解 決 し た も の も あ る け れ ど 、 不 幸 實 行 に 移 さ れ た も の も 多 か つ た こ と は 悲 し い 事 實 と し な け れ ば な ら の 。 山 内 各 院 と も に 分 憺 金 を 支 出 す る こ と は 止 む を 得 ぬ と し て そ の 決 議 に 加 は つ た け れ ど 、 そ の 牧 納 は 容 易 な ら す 、 栗 再 氏 一 方 よ り は し き り に 返 金 督 促 あ り 、 時 の 教 議 所 は 随 分 に 困 つ た ら し い 。 師 明 治 二 十 年 六 月 一 日 の 議 員 決 議 は 、 一 、 栗 山 藤 作 氏 へ 返 辮 金 各 院 分 推 金 未 出 之 人 説 諭 の 爲 め 在 席 議 員 及 掛 り 等 手 分 け 巡 回 の 上 懇 諭 に 可 二及 候 事 一 、 前 條 説 諭 不 受 に し て 萬 一 財 産 差 押 へ の 困 難 を 受 る 者 は 無 糠 候 事 但 明 二 日 午 前 七 時 限 り 決 定 す る も の と す と い ふ 如 き 、 手 嚴 し い 回 達 が 登 せ ら れ て ゐ る 。 そ の 前 五 月 二 十 五 日 に は 、 過 日 よ り 申 達 置 候 五 條 栗 山 藤 作 負 債 清 却 課 金 既 に 時 日 相 迫 り 甚 不 都 合 に 候 間 今 月 中 に 御 持 参 相 成 度 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 觀 一 七 九

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明 治 前 期 の 高の野山濟観 一 八 ○ 假 令 自 下 調 金 難 相 立成 向 も 示 談 の 爲 め 至 急 御 出 頭 可 相 成 候 也 と い ふ よ う な 回 達 が 出 さ れ た 。 前 後 併 せ 見 れ ば 事 情 容 易 な ら 沁 も の あ る を 察 し 得 ら る 。

他 の 人 に よ つ て 記 述 さ る 、 如 く 、 明 治 二 十 二 年 三 月 二 十 三 日 に は 、 高 野 山 上 未 曾 有 一の 大 火 あ り 。 前 述 の 如 き 經 濟 的 困 窮 は 合 膿 不 動 堂 の 雨 漏 り さ へ 修 繕 す る 能 は す 、 こ れ を 責 却 せ ん と し た こ と が あ る 。 乃 明 治 こ 十 三 年 十 一 月 十 五 日 西 生 院 住 職 一 柳 玄 静 師 は 一 の 建 自 書 を 敢 議 所 へ 出 し 、 宗 租 開 山 の 本 懐 を 述 べ て こ れ が 阻 止 に 努 め た 。 か く の 如 き 各 種 の 問 題 が あ つ た け れ ど 愛 山 護 法 の 達 士 朝 夕 の 苦 慮 と 三 地 爾 所 の 冥 護 に よ り 、 栗 山 氏 に か 、 る 困 難 な 問 題 も 一 癒 は 解 決 に 趣 い た も の ゝ 如 く 、 文 献 と し て も そ の 後 前 項 所 述 以 上 の も の を 見 な い よ う に な つ て ゐ る 。 そ の 後 始 末 と 云 ふ べ き か 、 明 治 二 十 三 年 の 秋 頃 に は 一 山 改 正 の 義 が し き り に 論 ぜ ら れ 、 山 規 改 正 の 問 題 が 現 ぱ れ る よ う に な つ て ゐ る 。 そ れ に 就 い て 同 年 十 月 凱口回 木 開 實・ 坂 本 諦 道 爾 師 よ り ﹁ 再 改 正 に 付 意 見 ﹂ 書 が 呈 出 さ れ て ゐ る 。 全 文 は 長 い が 、 そ の 中 に 、 一 再 財 務 の 困 難 な る こ と は 叢 に 贅 す る を 待 た す と 錐 、 凡 そ 事 業 の 墨 否 よ り 經 螢 等 都 て 專 ら 曾 計 を 先 と す 。 故 に 會 計 法 を 定 む る は 目 下 の 急 務 な れ ば 薙 に 其 の 一 二 の 實 行 を 望 む こ と あ り 。

各 院 柔 り 借 人

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金 ) 大 凡 登 萬 圓 と し 、 既 の 重 債 を 償 却 せ ん と す る に 商 路 に 依 る は 素 よ り 其 道 に あ ら す 。 然 ら ば こ れ を 十 方 の 信 者 に 募 ら ん か 、 斯 の 財 政 困 難 の 秋 、 世 事 頻 繁 の 際 、 焉 ん ぞ 積 塵 再 を 作 す の 長 日 の 迂 路 に 逞 々 す る こ と の 良 計 た る を 知 ら ん や 。 こ れ に よ つ て こ れ を 親 る に 他 に 良 計 の あ る を 認 め す 。 然 れ ば 負 債 逐 年 檜 加 す る の み な ら す 、 一 再 の 事 務 閉 塞 の 外 な し (中 略 ) 今 般 本 縣 よ り の 調 査 に 確 定 せ る 現 存 寺 院 凡 百 五 十 ヶ 院 、 此 等 は 皆 將 來 維 持 方 の 確 實 な る も の な れ ば 、 此 の 百 五 十 ヶ 院 を 藪 等 に 分 ち 、 等 級 に 癒 じ て 年 々 合 金 膏 千 圓 づ 、 出 金 せ し め ば 、 十 ヶ 年 を 經 て 萱 萬 圓 に 充 つ 云 々 と い ふ 意 見 も 出 さ れ て ゐ る 。 當 時 の 寺 院 藪 に 就 い て 雑 誌 薄 燈

萌 治 二 十 四 年 三 月 二 十 一 日 に は ﹁ 高 野 山 百 三 十 徐 の 寺 院 既 に 合 併 し 、 穫 る 百 五 十 録 ヶ 院 は 何 れ も 永 縛 方 法 の 立 ち 居 る も の と 記 し て あ る 。 叢 に 及 び て 、 明 治 七 年 十 一 月 高 岡 増 隆 ・ 麿 道 雄 ・ 獅 岳 快 猛 師 等 の 主 張 せ し 寺 家 減 少 の こ と が 自 然 か 人 爲 か 、 何 れ に せ よ 順 次 具 膿 化 さ れ 來 つ た こ と を 知 る 第 二 項 . 墾 照 然 し て 再 外 負 債 の 二 と は 述 べ て な い こ と に 注 十意 さ せ ら る 。 大 約 此 の 頃 ま で に は 前 年 の 大 火 の 後 を 受 け な が ら 、 再 外 負 債 の 問 題 は 二 段 落 し た の で あ ら う。 つ の 後 覇 治 二 十 八 年 に 及 び て 金 剛 峯 寺 座 主 原 心 猛 師 外 一 再 総 代 の 人 よ り 、 ﹁ 保 存 金 下 附 願 ﹂ の 願 書 が 、 時 の 内 務 大 臣 子 欝 野 村 靖 氏 に 封 し て 呈 出 さ れ た 。 こ れ は 金 剛 峯 寺 に 藏 せ ら る 、 此 の 書 類 ﹁ 綴 ﹂ に よ つ て 知 ら る 。 該 願 書 の 文 面 に よ り て 古 來 の 山 徒 が 如 何 に 森 林 を 大 切 に し 、 こ れ を 愛 護 し 、 如 何 に 使 用 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 觀 一 八 一

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 八 二 し た か よ く 知 ら れ る の で 、 一 節 を 出 す こ と に す る 。 其 山 林 の 如 き は 、 當 時 所 管 に 係 る 堂 塔 修 理 に 用 う る の 外 、 各 寺 院 に 醤 し て ぱ 非 常 の 災 攣 に て 再 建 を 要 す る 時 、 間 数 に 懸 す る 制 限 に 随 ひ て 用 材 を 下 附 す る 、 其 他 竺 切 伐 木 を 禁 じ 、 取 締 法 最 も 巌 重 を 極 め た り 、 例 せ ば 領 内 人 民 に し て 若 し 隻 樹 片 枝 た り と も 恣 伐 す る も の は 、 其 者 の 片 髪 を 剃 除 し て 領 内 を 放 逐 し 、 其 村 庄 屋 以 下 伍 組 に 至 る ま で 各 過 料 に 麩 す る 二 と 等 、 制 法 嚴 重 な り し が 故 、 森 林 繁 茂 を 恣 に し 、 實 に 欝 蒼 他 山 に 其 比 を 見 ざ る に 至 れ り 。 然 る に 御 維 新 月に 際 し 、 版 籍 奉 還 し て 無 緑 と な り

な し 、 然 る が 故 に 隆 盛 比 た き 山 門 も 忽 ち 衰 頽 し 、 伽 藍 は 大 塔 未 再 建 の 外 諸 造 螢 物 漸 く 維 持 す と 錐 も 、 他 の 寺 院 塔 含 の 如 き 二 十 徐 年 の 間 に 於 い て 十 中 七 八 は 磨 絶 せ り 。 實 に 嘆 息 に 堪 え す 。 異 に 御 省 より 古 堂 保 存 金 と し て 金 二 千 圓 御 下 附 相 成 、 之 を 整 理 公 債 に 換 え て 所 有 す と 錐 、 僅 に 二 宇 保 存 の 資 料 に 充 た す 。 猶 数 十 宇 の 堂 塔 あ り 、 藪 百 黙 の 寳 物 あ り て 、 修 理 保 存 に 困 難 を 極 め 候 、 因 て 今 回 の 御 省 令 第 七 號 に 依 り 、 建 物 碑 硯 及 寳 物 の 保 存 金 御 下 附 被 成 下 度 (下 略 ) 明 治 二 十 入 年 十 二 月 二 十 七 日 金 剛 峯 寺 經 財 の 推 移 も 亦 此 の 一 文 中 に よ つ て 大 略 察 し 得 ら れ る 。 此 の 頃 よ り 佛 教 各 宗 本 山 一 致 し て 、 上 地 再 林 還 附 の 蓮 動 を 起 す こ と ゝ な り 、 高 野 再 も 亦 こ れ を 熱 望 し 、 途 に 大 正 七 年 十 一 月 よ り 年 々 分 牧

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金 の 交 附 を 受 け る こ と 實 現 し 、 高 野 肉 の 困 難 な 經 濟 問 題 は ﹁ 摯 に 解 洗 さ れ る こ と ゝ な つ た 。 然 し 此 の 問 題 は 別 に ﹁ 文 と な る べ き も の な る を 思 ひ 今 は 燭 れ な い こ と に し た い 。 さ て 、 前 に 一 山 負 債 償 却 に 就 い て 金 剛 峯 寺 所 有 の 山 林 を 伐 木 し 、 復 各 寺 院 負 債 整 理 等 の 爲 め 、 各 所 有 才林 を 伐 木 し た も の も 多 か つ た で あ ら う 。 そ の 爲 め に 一 再 は 非 常 に 寂 し く な つ た 。 そ れ に 就 い て 一 高 野 旬 報 ﹂ 明 治 三 十 三 年 五 月 十 日 號 に 幅 田 快 圓 帥 ﹁ 財 源 を 森 林 に 養 ふ べ し ﹂ と い ふ 意 見 を 狡 表 し て ゐ ら れ る 。 見 る べ き 黙 が あ る の で そ の 一 節 を 掲 げ よ う 。 吾 再 の 如 き 官 林 は 別 問 題 と す る も 私 林 は 殆 ん ど 四 百 蝕 町 歩 に 達 す 。 若 し 夫 れ 今 日 の 禿 山 を 整 理 し 、 植 樹 を 等 閑 覗 せ す ん ば 、 数 年 な ら す し て 無 蓋 の 財 源 は 玉 川 の 如 く 湧 出 し 、 萬 燈 の 光 は 日 月 と 明 を 競 は ん と 。 復 私 有 林 の 多 か つ た こ と を 知 る べ き で あ る 。 同 年 五 月 十 七 日 東 京 華 族 會 館 に 於 い て 、 高 野 山 総 持 院 龍 池 密 雄 師 等 の 主 張 に 成 る 興 隆 會 の 狡 曾 式 あ り 、 小 松 宮 彰 仁 親 王 殿 下 を 総 裁 に 推 戴 し 、 九 條 道 孝 公 欝 を 會 長 に 、 九 鬼 男 欝 を 副 曾 長 と な し 、 大 い に 一 山 興 隆 の 計 を 廻 ら す こ と 、 な つ た 。 然 し 総 裁 宮 殿 下 御 麗 去 の 悲 報 や 、 會 長 の 僻 任 等 の こ と あ り 、 一 再 の 足 並 も 十 二 分 揃 は す 、 所 期 の 成 果 の 達 せ ら れ 冷 か つ た こ と は 遺 憾 で あ る け れ ど 一 再 獲 展 の 爲 め に 相 當 の 有 形 無 形 の 事 跡 を 獲 し た こ と は 事 實 と し な け れ ば な ら 沁 で あ ら う 。 大 乗 大 圓 師 記 明 治 三 十 六 明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 観 一 八 三

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明 治 前 期 の 高 野 山 經 濟 觀 一 八 四 年 十 一 月 十 四 日 、 時 の 座 主 原 心 猛 師 へ 呈 出 の ﹁ 意 見 書 ﹂ に 依 れ ば 、 當 時 の 高 野 山 興 隆 會 問 題 や 中 門 再 興 、 或 は 明 治 二 十 九 年 來 の 軍 濁 立 問 題 等 あ り 、 前 年 來 の 負 債 の 獲 り も あ り 、 相 重 な り て 再 び 多 額 の 借 財 を 積 む こ と 、 な り 、 途 に ﹁ 五 萬 圓 の 負 債﹂ 弘 榮 前 官 の 面 影 三 五 頁 に 及 ん だ と の 事 で あ る 。 そ れ ら の 爲 め 親 王 院 水 原 弘 榮 師 の 如 き 、 金 剛 峯 寺 へ の 勤 務 は 手 辮 當 無 給 の 奉 仕 を 長 い 間 綾 け ら れ た 弘 榮 前 官 の 面 影 二 四 真 。 外 に も か ゝ る 愛 山 護 法 の 士 の 勤 務 も あ つ た こ と ゝ 思 ふ 。 今 日 か ら 考 へ て 威 涙 な き を 得 沁 。 こ れ ら の 負 債 整 理 法 等 本 文 の 筆 は 鑑 き 滋 け れ ど 、 こ れ を も つ て 二 癒 欄 筆 す る こ と に し た い 。 最 後 に 本 論 起 草 の 爲 め に 多 藪 の 資 料 を 提 供 さ れ た 高 野 山 史 編 纂 所 へ 甚 深 の 謝 意 を 表 す る 。 ︻ 附 記 ︼ 高 野 山 親 王 院 水 原 僧 正 の 著 ﹁ 弘 榮 雨 官 面 影 ﹂ (八 十 一 頁 ) に よ れ ば 、 明 治 入 年 水 原 弘 榮 師 は ﹁ 高 野 田 協 合 説 設 立 願 ﹂ を 時 の 境 縣 令 紳 山 氏 へ 提 出 さ れ た と の 事 で あ る 。 こ れ は 今 日 の ﹁ 無 藩 講 ﹂ 若 く は ﹁ 頼 母 子 講 ﹂ に 類 す る も の ら し く 、 本 誌 中 別 に 論 述 す る 如 く、 講 肚 結 成 運 動 と 共 に 、 經 濟 的 困 窮 の ド ン 底 に あ つ た 二 山 を 起 死 回 生 せ ん と ) る 大 方 途 よ り 出 で た も の で あ る こ と は 察 す る に 難 く な い 。 右 附 記 し て 本 論 を 補 ふ こ と に す る 。

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