−「地域自給経済」論と消費者運動−
吉田省三
1.はじめに
協同組合運動や有機農業運動を通じてたんなる市場外流通から区別される 多様な生産者と消費者とのつながりが発展してきている。消費者および生産 者の結びつきの発展は,従来の「産直」という言葉に換えて「産消提携」と いう言葉を生み出して一時的流行ではなく従来の支配的生活様式に変わる新 しい生活様式を模索する試みの一つとして取り組まれはじめている。このよ うな運動は資本主義社会における消費者運動・協同組合運動の持つ限界を当 然有しているとはいえ,全国的にも地域的にも極めて競争的に組織された日 本社会での新しい「提携」という関係の発展は注目されるものがある。この 運動は食糧運動,地域づくり運軌協同組合運動,消費者運動等の諸側面を 持っているが,個別的な食品の安全を求めることから始まった運動が食生活 全体の安全を守る運動に,さらに生産者と消費者の双方に環境に対して負荷 の高い生産様式や生活様式に対する反省を促す契機をもたらしているという 関係が生まれている点でも注目に値する。
消費者と生産者の直接の結びつきの運動はすでに30年近い歴史を持ってい るが,流通全体から見るとその規模は,市場取引に対して十分な影響力を有
(1)
しているとはいえない。この運動の発展を正確に捉えその理論的展望を示す ことは重要である。そのような試みの一つとして,生産者と消費者の提携運 動を生産力の発展を抑制し脱商品化=非市場化を目指す運動として把握する
見解がある。「地域自給経済」論と特徴づけることのできるこの議論はいわ
ば消費者運動におけるエコロジズムとでもいうべきであるが,本稿では,こ
のような見解について検討する。
(1) r
産直」あるいは,
r産消提携」についての規模を示す指標は,産直そのものの概念
‑内容が,取り組みの主体によって異なっており充分ではな
L、。生活協同組合の行う 組織産直については,地域生協の事業高では,
30%のシェアを持っている。しかし 諸外国に比較して,小売総額に占める生協のシェアそのものが
2%未満と低
L、。他方,
有機農業運動を通じて生産者と結びつく消費者は,国民生活センターによれば約
100万 世帯といわれている。
2
.産消提携運動の発展と現状
消費者の取り組みによって始まり のちにはスーパーなどの資本主義的企 業も販売促進の手段として手がけるようになった産直は 現在では凪語辞典 にも収録されている。小学館『国語大辞典~ ( 1
981年)によれば産直とは,
rw産 地直送』の略で,野菜 魚類などを市場を通さず,直接産地から消費者に小 売すること」とされている。この理解は産直の「市場」を経由しない流通と
L、う特徴を捉えたものであり,一般的な理解といえるが,実際には取り組み の主体によってさまざまな内容を持っている。
①市場外流通
上記の市場を経由しない取引と
L、う特徴をとらえて,産直を市場外流通と 位置づける考え方がある。秋谷重男氏は次のように産直を定義している。
「直産はなによりも中央卸売市場に対抗するものとして登場したので、ある。
つまり産直とは,中央卸売市場を経由せずせり取引を原則としない流通方式 であり,それは従来の支配的な流通方式に対して対抗力を発揮しようとの意 図のもとに開発される流通方式である と定義することができる」
このような市場外流通という考え方は 市場が規格品しか扱わないという
卸売市場の運営に対する批判,支配的流通方式に対する対抗と
L、う意味では
評価できるものである。ところが規格品でなくても安全なものであれば消費
者に支持されるというところに目をつけた小売大資本による産直も登場して
いると
L、う状況のもとにおいては市場外流通と
L、う位置づけは広すぎるとい
わなければならない。市場外流通=産直というこのような考え方にたいして
は「産直運動を混乱させる」と L 、う批判もある。
①協同組合あるいは消費者グループによる生産者との継続的取引
消費者と生産者が相互に組織的にむすびついて生産物を流通させることが 本来の産直の内容であった。その特徴は消費者と生産者が互いに流通につい ての責任を分担すると
L、う関係が前提になっていることである。消費者運動 によって始められた産直運動もスーパーや百貨庖が販売促進の手段として積 極的に推進し,あるいは行政が消費者行政の一環として仲立をすることで類 似した取引が行われている。このような資本主義的企業等が主体となった市 場外取引と区別するために,運動主体の側では「産直」と
L、う言葉に換えて 生産者と消費者の直結と
L、う意味で,生消直結あるいは「提携」と
L、う言葉 を使うようになっている,本稿では⑦の意味での取引を提携と
L、う言葉で表 現する。
提携あるいは産直は協同組合組織にまでに展開しない消費者クソレープと生
産者ク
Vレープの聞の関係も含むが典型的には消費生活協同組合と農業協同組
合との協同組合間協同(提携)として成立する。この場合には協同組合間で
協定が結ばれ協同組合の事業として行われることになる。協同組合による提
携であっても事業が大規模化した場合には 消費者と生産者の情報交換・交
流と L 、う関係からみると一般市場の取ヲ│と比較して変化のないものに変質す
る危険性が存在する。したがって協同組合間の提携の場合においても参加者
の主体性を保持していくために 消費者と生産者の交流に意識的に取り組む
必要がある。京都生協の実践から生まれた「産直三原則」は①生産者と産地
が明確なこと,⑦栽培方法(農薬,肥料等)が明確なことと
L、う原則ととも
に,①組合員と生産者が交流できることと
L、ぅ提携を行なう両方の組織の構
成員の間の交流を大きな柱のーっとして加えていることは注目される。提携
が大規模化すると流通センターや集配センターを利用することは避けられな
いが,生産者と消費者の結び、つきを形骸化しないための様々な配慮が工夫さ
れている。生産者と消費者との交流に加えて,組合員全体の需要に応じるこ
とのできない規模の小さい場合には生協の支所,庖舗毎にクソレープを組織化
することなどが試みられている。
提携参加者の直接民主主義的な参加と要求を尊重すること,また地域の食 文化を豊かにすること 異種の協同組合間の提携による地域の農業の再生・
振興等の要求を考慮すると地場・地域での提携を重視すべきということにな るが,他方資本主義企業との競争を前提にしなければならないので,広域の 提携も無視することはできない。規模の小さい地場の提携,地域の提携,全 国的な広域の提携を統一的に位置づけていくことが必要である。
この点でも京都府において取り組まれている「地域食糧確立運動」は参考 になる。京都府における「地域食糧確立運動」は①地域の生産物を第一に考 える食生活と食習慣を確立し,地域住民の食生活を豊かに発展させる,①地 域の農林漁家とその組織を固め農林漁業を振興して,地域特産を柱にした「総 合産地づくり」で食糧供給力を高める,①「広域流通」の改善,地域の加工
・流通の強化等を目標とした運動である。地域食糧確立運動は,農林漁業と 食糧問題を住民全体の自治の重要な課題として位置づけているという点で重 要であるが,この運動の中から生協と農協の新しい提携関係が生まれつつあ りその具体化のーっとして産直運動が取り組まれている。農家が自給運動と して展開してきたものが消費者と結びついた, I 自給」農産物の商品化,い わば「自給自足型産直」の取り組みも開始されている。
80
年代に入つての提携運動の発展の背景には次のような問題がある。食糧 の危機とその背景にある農業生産・漁業生産の危機,輸入農産物の拡大によ る食糧自給率の低下,食糧の農薬・添加物による汚染,食糧自給政策の放棄 と国際経済政策における大企業優先によって農業の危機が加速化した。
消費者運動は農薬・食品添加物による食品公害の問題で行政や企業に対す る運動を続けるとともに,加工食品の氾濫,食文化の崩壊の問題に対しては 食糧の消費態度・食生活の姿勢に対する自主的検討をはじめた。食糧の安全 性よりも経済性・効率性を重視する既存の流通機構に対して批判を続けると 同時に自ら農民と提携して安全な食糧を手に入れるようになった。
他方農村でも化学肥料,農薬を多用する農法による農業者自身の健康破壊,
機械化農法による地力低下,環境破壊的農法にたいする反省がはじまり農薬
や化学肥料を使用しないあるいは多用しない新たな農法の模索が始まってい
る。また高度成長を通じて地域の共同生産・消費の機能が徹低的に解体され 尽くした過疎地における地域再生の運動も始まっている。この運動は地域住 民による内発的な地域再生の運動として,農産物の加工品の商品化等の運動 として始まったものであるが,地域間の競争を煽る「一村一品運動」に見ら れるように上からの統合政策との対抗・交錯のなかに置かれている。地域再 生の住民のエネルギーが,上からの政策によって体制内化されるのか,住民 自治につながる内発的な運動として発展していくのかということはその地域 において食糧・農業問題について生産者と消費者の間での合意が存在してい るかし、ないかにかかっている。過疎地における地域再生,村おこしは, 一一 特産物っくり,商品化がすべてではないがー一例えば地域で生産された特産 品の販売を資本主義的企業にまかせていくのか,自ら共同販売施設を建設し ていくのか,生協などの協同組合企業と提携していくのかで は,運動の発展 に大きな違いが出てくるであろう。
既存の市場では実現されない安全性の問題を中心に出発した消費者と生産 者の結びつきはそれ自体が自己目的ではないので,消費者が安全な食糧を日 常的に市場取引を通じて手に入れられるようになれば支配的市場取引に対す る批判という目的を達しこの提携運動はその意味を失うということになる。
消費者の食品の安全性に対する関心が高まり,商業資本も自然食品,無農薬 青果物,有機野菜等の研究や販売を開始している。しかし 8 0 年代の流通産業 の戦略の一環として「生活文化」を標梼し, I 情報」を付加した商品の開発 をすすめるとし、う範囲内において行われていると
L、う限界を持っている。安 全な食品も商業資本にとっては商品差別化の手段となっている。流行のいわ ゆる「消費社会論」はこれらの商業資本の行動の反映であると見ることがで きる。
現在の提携運動の発展段階は,支配的市場流通に対する十分な対抗力が形 成されているとはし、えず さらに発展させていくことが必要である。産直の 問題点残された課題としては,自治体農政との関係,価格の決定方法等で改 善すべきものを持っている。
以上で検討したように,産消提携の運動は 食糧・農業問題に対する消費
者=労働者と生産者の協同の問題を解決する一つの具体的形態として地域的 全国的課題の統一的な解決を求める運動として発展してきているということ ができる。しかし次に検討する国民生活センターの研究者による「地域自給 経済」論は,主として日本の有機農業運動の調査研究を通してこのような展 望とは異なった特異な結論を導いている。
(1)
秋谷重男『産地直結 流通の新しい担い手』日経新書,
1978年 ,
10ページ。
(2)
大島茂男「食糧消費をめぐる消費者・生協運動の現状と課題
JJ l I 村琢他編『農産物
市場体系 3 農産物市場問題の展望~,農山漁村文化協会, 1977年, 138 ページ。(3) 生産者と消費者の提携の方法について」日本有機農業研究会『土と健康~ 1979
年
2月,一楽照雄『協同組合の使命と課題』農文協,
1984年 。
(4 ) 伊東勇夫編著『協同組合同協同論』御茶の水書房, 1982
年 。
(5)
渡辺信夫・長廻正「京都生活協同組合」日本生活協同組合連合会『産直一生協の実 践 ‑
~ 1984。馬場富太郎「産直活動の到達点と展望
JW転換期の生活協同組合~ 1986年 。
宮崎宏「産直活動のすすんだ教訓」日本科学者会議編『都市の食糧問題~ 1983年,京 都府生活協同組合連合会編『生協に何ができるか』かもがわ出版,
1987年。京都の食 糧を考える会編『産直物語』大月書庖,
1987年 。
(6 ) 中村行秀「食を考える一食事・食餌・飾餌JW思想と現代~ 5
号 ,
1986年 ,
94ページ 以下。
(7 ) 鈴木文烹 rw
村おこし』をめぐる対抗関係
J80年代後期展望研究会編『地域社会と民 主的連帯』芽ばえ社,
1985年 ,
120ページ以下。
(8)
農政ジャナリストの会編『青果物の新しい市場戦略』日本農業の動き
70,農林統計 協会,
1984年。農文協文化部『管理される野菜一商品流通と品質主義一』農山漁村文 化協会,
1985年 。
(9)
生産優位の社会から消費優位の社会へという消費社会論について,石井伸夫
rw脱産 業化社会」の夢と現実一山崎正和氏の現代社会像一」東京唯物論研究会編『戦後思想 の再検討・政治と社会篇』白石書庖,
1986年,古茂田宏「仮面舞踏会の哲学一『軟ら か
L、個人主義の誕生』をめぐって」二宮厚美/自治体問題研究所編『地域と自治体第
15集地域生活者と共同への回路』自治体研究社,
1986年 。
(
1
ゆ 国民生活センター編,多辺国政弘・桝潟俊子共著『日本の有機農業運動』日本経済
評論社,
1981年。国民生活センター『地域自給に関する研究(
1)一島根県奥出雲地域に
おける農家の変容と有機農業運動~, 1983年。国民生活センター『地域自給に関する研
究(且)一和歌山県色川地区における農林業の変遷と自給運動jJ,
1984年。国民生活センター
『地域自給に関する研究(田)一愛媛県明浜町狩浜における農漁業の変遷と有機農業運 動 j J ,
1985年。
3. r
地域自給経済」論の問題点
国民生活センターの有機農業運動に関する調査研究を通して芽生えたとい われている「地域自給経済」の視点に基づく研究は,多辺国政弘・藤森昭‑
桝潟俊子-久保田裕子『地域自給と農の論理一生存のための社会経済学~ ( 学 陽書房,
1987年)にまとめられている。本書によれば, I 地域自給経済」論 の視点はおおよそ次のようにまとめられる。「地域自給経済」の視点は現代 社会の抱える危機一生態系破壊,管理化社会等ーの解決を農村の自給=脱商 品化と消費者運動の結びつきと農村の村落共同体を中心としたエコシステム の保全に求めるというものであるが,その解決方法は現在進行している有機 農業運動の中に認められる。そして有機農業運動の調査研究から次のような 結論を導いている。
(1)
農薬・化学肥料や大型機械・施設(つまり石油製品)をできるだけ排除 する農法は,農家を有畜経営による堆厩肥資材の自給,連作障害の排除のた めに輪作・多品目作付へと向かわせる。
(2 )消費者との提携は安全な食べ物の自給から始まり単品から多品目へと発
展する。そのためには農家の自給の延長線上に消費者の食卓を考える,とい
う方向性を持っている。
(3 )農法としては,個別農家内あるいは地域内で農業生産資材の循環する有
畜複合経営へと向かうにつれて 農家経済そのものも市場依存型から自給型 へとむかっている
(4 )消費者には次のような変化が現れる。食べたい時に食べたいものをとい
う都市側の消費欲求に合わせた市場依存型から,自然のリズムのなかで供給 される旬にあわせた農場自給体系依存型の食べ方に変化している。これは食 の近代化路線とは異質な流れである。
独特な「地域自給経済」という視点は現在進行中の有機農業運動における
地域自給運動の実態を捉えることによって発見されたとされているがこの自 給=く脱商品化〉を通して地域自給経済の再生の可能性へと構想してし、く。
生態系破壊をくいとめると
L、う共通項を持って結びついた農民と都市消費者 の提携運動によって農業を再建し 農山漁村の自給力と更新生(エコシステ ム)を保全する。具体的には「農漁村が商品経済化の論理に完全には巻き込 まれていなかった時代(村落共同体がまだ生きていた戦後にほぼ 1 0 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑1 5 年ま で) J が「地域自給経済」論の描いている自給力と更新性をもったシステム と言ってよい。
そして, I 現在の危機の脱出口を,エントロビーの増大化のみをもたらす 巨大都市のなかにではなく,開放定常系を保章する農山漁村の再生」に求め,
農業を中心とした非市場経済=地域自給経済の展開の可能性が構想される,
その中心が有機農業運動であるというものである。
この「地域自給経済」の視点は, 日本の有機農業運動とし、う具体的な運動 をその根拠としているが 現在のエコロジー主義の潮流との共通するものを 有している。むしろ
K・ポランニ一等の理論を日本の消費者運動,有機農業 運動の根拠にしていこうと
L、う試みであると
L、う方が正確かもしれない。し たがって,現代資本主義文明や現代資本主義の生産力にたいする批判・危機 意識‑問題把握等は エコロジー論と同様の限界を有している。
「地域自給経済」論は,従来の経済学の方法にたいして市場的接近と制度 的接近と
L、う批判をし 「日本の社会科学が方法論や枠組み,分析道具の西 欧からの直輸入のなかで侵した過ちからひとまず自由でありたい,という方 法論的意志」を持っているが,経済学の理論そのものに懐疑的である。それ は従来の経済学が非市場経済=共同体を捉える視点を持っていないからであ ると
L、う。そこで共同体を把握する理論として K. ポランニーや 1.
‑1リイチの理論が援用される。
「地域自給経済」論は,生態系の危機という現代の問題状況をもたらした ものを大規模工業化と市場経済化を内容とする高度成長にあるととらえてい る。また高度経済成長を「この過程は商品と貨幣の流量と流速を増す一方で,
それに比例して生産そのものの基礎である環境(土地)と人間(労働力)を
汚染し破壊して L 、く過程でもあった」と L 、う把握をしている。商品論的なこ の把握は,自ら「市場的接近」と批判する方法と極めて類似した高度成長の 捉え方であるといえないだろうか。「高度経済成長」を単に「商品関係
Jr市
場関係」の全面的展開として市場経済の拡大,商品化の論理のみで捉えてお り資本賃労働関係の拡大と
L、ぅ視点が欠落しているかまたは極めて弱い。ま た「商品関係」の展開を強調しても,
r商品関係」の展開の負の側面のみを とらえている。資本主義経済のもとで商品経済は最高度に発展する。日本の 高度成長の時期に起こったのはこのことであった。農村においても家族や共 同体内部の機能が資本主義的商品によって置き換えられ,残存していた自給 自足的経済は基本的に崩壊した。たとえ農家であっても主食以外の食物を貨 幣で購入するという生活様式が一般化した。しかし資本主義社会のメルク
マールは商品関係の展開ではなく資本・賃労働関係の展開にある。ところが
「地域自給経済」論は,高度成長による農民の賃労働者化を「土や水から切 り離されたきわめて脆弱な基盤のうえに成り立っている」ものとして否定的 にのみ見る。資本主義発展の後進国であった日本では戦後の高度成長期に世 界的にも例のないスピードと規模で農民の賃労働者化が進行した。そのため にその過程は犠牲が大きく悲惨であり矛盾が大きかったことは事実である が,土地から切り離された労働者の悲惨さを分析するだけでは農民の賃労働 者化を前提にした新しい都市と農村の関係の構想は生まれてこない。高度成 長によって日本でもはじめてもはや帰るべき所をもたな L 、労働者が形成され た。そのことの肯定的意味を考えるべきである。戦前の資本主義では失業者 を農村に吸収する「帰農」とし、う現象が見られたが高度成長を経た今日では
このような現象はもはや見られない。
過去に遡るのではなく,与えられた条件=
r追いつき型近代化」によって
達成された経済成長の事実から出発する以外にはない。高度成長以前の農村
の「自給」に戻ることはできなし、。現在の危機をもたらしている生産力の発
展が矛盾の解決の諸条件をつくりだしているのである。「地域自給経済」論
が現代の生態系危機からの脱出を労働者と農民の国民的運動として構想する
のではなく,有機農業運動と消費者運動の提携にのみ展望を見出すのはこの
ような見方の限界である。文明批評としてはユニークさをもっているが,社 会変革の力としては弱
L、というエコロジ一理論と共通の弱点が「地域自給経 済」論にもみられる。
次に,
I地域自給経済」論が,高度成長を商品論のレベルのみで、把握して いると同時に商品関係の展開の一面のみを捉えていることについて述べる。
「地域自給経済」論がこの点で指摘するのは,商品関係の展開による農村の 伝統的自給自足的生産様式‑生活様式・生活技術等の破壊,消費の地域性・
個性の喪失の側面である。そのため自給による脱商品化=市場経済からの離 脱と L 、う展望が語られることになるが,ここでも,商品関係の展開過程の両 面を見ていくことが必要で 商品関係の展開による生活技術・生活文化の衰 退という側面と同時に 消費生活手段の商品化と L 、う過程はそれじたいとし て見れば労働過程の社会化と同じように歴史的に進歩的なものであるという 見方が前提であると考える。しかし,労働の社会化が歴史的進歩であるとし ても,この過程は労働者の犠牲を伴って行われたと同様に商品関係の展開も 伝統的生活様式・文化の衰退と
L、う犠牲を伴う。労働の社会化は労働組合に よる労働者の新たな結合を生み出したように,商品・貨幣関係の展開は,協 同組合などの消費者の新たな結合様式を生み出し,共同消費の機能を再建す る。古い機能が解体する過程で新しい契機が芽生える。この問題は「商品・
貨幣論的発達論」として議論のあるところであるが,自給による脱商品化と
L、ぅ展望ではなく,商品化を乗り越えようとする住民の新たな結合が生み出
されると
L、う事が事実に即していると思われる。現在発展している消費者運
動や生活協同組合の運動,協同組合間の提携等もこのような消費の社会化に
対する制御の過程の展開として捉える視点が必要である。もちろん資本主義
のもとでこれらの機能が自動的に再建されるものではないことはし、うまでも
ないが,生活過程の集団的規制の取り組みの中で必要な生活技術・生活文化
が再建・創造される。また農民と消費者の提携運動では く脱商品化〉では
なくて,商品化こそが課題となっていると言わねばならない。有機農業運動
で言えば農薬や化学肥料を使用しない,有機質を重視した農作物が従来の市
場では正当に評価されないゆえに,提携という形でその商品化が試みられた
のであった。もちろん過疎地域,農村の活性化,再生の運動を農産物の商品 化の運動のみに限定するわけではないが,消費者との結びつきも先ず商品を 通じて行われることに注意すべきである。有機農業運動では例えば「生産者 と消費者の提携の本質は 物の売り買い関係ではなく 人と人との友好的付 き合い関係である」ということが理念的には強調されることがあったとして も,この関係はやはり商品を通じた関係以外のものではないのである。
「地域自給経済」論では,自給=非市場化の基盤として農村の村落共同体 が重視される。農業の持つ更新性は共同体と不可分の関係で考えられている。
また共同体における慣行,例えば「結」の慣行は,労働の商品化をもたらす ことなく人間の協力関係を維持するメカニズムとして評価される。同時に人 会地等も共同体成員の生活保障メカニズムとしての「共有ないし非所有領域」
=
I 共の世界」として評価される。村落共同体とL、う非市場的な生活基盤を 基礎にして脱市場経済=脱商品化,地域自給経済の再構築が検討されること になる。
共同体論においても 「地域自給経済」論は 共同体の関係のー側面=共 同体の持っていた積極的な面のみを強調しているように考えられる。高度成 長以前の農村には家父長制家族と共同体的規制と結びついた人格的従属が残
っていなかったか, と L 、う側面の検討は,行われていないのである。
「地域自給経済」論の特徴を見ていくと,当然、のことではあるがもっとも 根本のところでは,生産力発展にたいしてどのような態度をとるのかという 問題に帰着する。「地域自給経済」論は,生産力の発展が人間解放の条件を つくりだすという考え方に対しては 歴史は生産力増大へ向かつて必然的に 進歩する,と
L、う硬直した進歩主義的世界観あるいは「地下資源、の無尽蔵を暗 黙の前提とした生産力神話」と L 、う批判をし,物質的生産力の発展が人間解放 の条件を作るという考え方に懐疑的である。「近代的な進歩主義思想は,社会主 義をも含めて『ある種の物質主義的 生産力主義的な人間解放観』に根差し て展開されてきた」と歴史の進歩という思想すらを生産力信仰と批判している。
ここには,生産力の発展一般と資本主義のもとでの生産力の発展の混同が
あることは明白であり,資本主義的農業による地力の破壊,農薬による農民
の健康の破壊,農産物の汚染,食品公害が資本主義的商品生産の一面の現れ であることを見逃している。資本主義と L 、う生産様式ではなく,工業化と生 産力発展,大規模化を批判しているのである。
現代における生産力と科学技術の発展が,人間と自然、との聞の正常な物資 代謝の過程を撹乱し,
r核戦争による人類破滅の急性の危機」と「人間生存 環境の破壊による慢性の危機」としづ人間の生存条件の二つの危機によって 人類の生存を危うくさせている状況にあることは否定できない事実である。
しかし,このことによって直ちに工業生産力の発展を抑制すべきであり生態 学的農業技術にのみ活路を見出すべきだという「地域自給経済」論の結論を 出すことには大きな疑問が残る。生産力の発展によって人間と自然の間の物 質代謝が撹乱されるかどうかは生産力の発展の水準それ自体によるだけでは なく,人聞が生産力をわがものとしているかどうかにかかっている。
農家の自給運動も農村の住民もスーパーで野菜を買うというような生活習 慣にたいしてその商品化 商品依存の行き過ぎを直そうと
L、う運動としては 意義があったということができる。しかし「人間の市場経済,商品化経済へ の従属の姿」は,脱市場化=自給によって解決するものではない。
国民生活センターの研究者は「現実に進行している有機農業運動や地域自 給運動の展開は生産力発展を軸とする発展段階論では説明できない展開を示
している」と述べている。私見では逆に国民生活センターの調査した有機農 業運動のどこに脱商品化,脱市場化の傾向が見出せるのか疑問に思う。有機 農業運動や過疎地域の再生運動をあまりにも「地域自給経済」という視点に 引き寄せて見てはいないだろうか。そのために食糧・農業問題,消費者問題 における全体としての対抗関係を見失いその解決の方法を発見することがで きないのではないだろうか。共同研究者の一人である桝潟俊子氏は「管理社 会に組み込まれたサラリーマン生活にあきたらない人びとや退職者,あるい は有機農業運動はじめ 反公害運動や自然保護運動など エコロジカルな運 動にかかわるなかで生命や自然、に対する感覚を呼び醒まされた都市住民(と くに若者)が百姓を志願し,帰農する流れが生まれてきた」としてこれを,
「都市と農村への住み分けや,生産者と消費者とし、う分業形態をつき崩して
L
、く一つの力になりうるかもしれなし、
Jと評価している。私たちは「帰農」
や「家庭菜園運動
Jr週末農業」の流行を趣味として論じることは出来ても,
これらに食糧・農業問題の今後を託すことができるだろうか。脱サラや帰農 が可能であるのは大多数の労働者が労働者として働き続けているからであ る。小沢修司氏が生産力の制御の課題と関連して述べているように「市場経 済から生活を切り離し,あるいはシュマッハーのいう『適正技術~ (~中間技 術~ ~等身大の技術』ともいわれる)を採用して,都市的生活様式に見切り をつけ田舎での生活を選ぶ者がふえようとも 社会全体としてみれば,巨大 な生産力と情報を手にした資本や国家の権力が依然、として強権をふりまわす 事態には変わりはな
L、」のである。
(1)
地域自給経済」論の特徴をとらえるために,共同研究者の一人である多辺国政弘 氏による「地域自給研究の基礎視角ーもう一つの戦後・もう一つの戦前一
J~国民生活研究』第
24巻
2号
(1984年
9月)も利用した。
(2) 寺西俊一「環境危機とマルクス主義一近年にみる Eco1ogism の潮流をめぐって一 J~経
済科学通信
J39号 ,
1983年
6月,寺西俊一「 環境危機"とエコロジー問題の経済理論」
基礎経済科学研究所編『講座構造転換回経済学の新展開』第
6章 。
(3)
広井敏男・本谷勲「自然保護論の深化をめざしてーエコロジスト理論の特徴と問題 点ー
J~経済J 1982年
9月 ,
72ページ。
(4)
商品・貨幣論的な発達論」について,池上惇「人間の全面発達と現代経済学」島 恭彦監修『講座現経済学
I経済学入門』青木書店,
1978年 ,
200ページ。経済科学研究所 の座談会「基礎研運動が提起した理論的諸問題
J(~経済科学通信J 50号 ,
1986年
9月) では,この問題が議論されているがそこで森岡孝二氏は「商品・貨幣論的発達論」に ついて次のように述べている。「商品・貨幣論的発達論というのは,労働過程論的,時 間論的発達論からきりはなして論ずると 非常に危険をもっていると思います。商品 貨幣関係をとおして資本は労働者を原子的個人に引き裂いていくその引き裂いてい く過程では,資本と市場は新しい多様な使用価値を創造して欲求を刺激し人間の生活 圏を広域化していきますが,その結果はまた共同的生活諸関係の一層の解体である。
その市場の強制力に逆らって例えば協同組合的消費様式とか,あるいは労働組合的な
結合様式とか,工場法的な制御装置とかそう
L、う発達の契機を,むしろ資本主義の反
対勢力が生み出すと見た方が
L、
L、と思います。
J(48ページ)。二宮厚美「家族の発達と
社会的民主主義) (成瀬龍夫・小沢修司編『家族の経済学』第
6章)もこの問題を論じ
ている。二宮氏は
H.プレイヴァマンの「普遍的市場」の理論を用いながら,家族生 活の「商品化」が生み出す貧困とそれを克服する契機の形成について次のように述べ ている。
「消費単位としての家庭は,一方では個人への解体が進み,消費機能を衰退させて,
商品の生産過程にたいしてまったく受け身の無力な存在になって行くが,他方では,
個別家族の枠を越えた集団的消費を発展させ,それにより,商品生産に自らの要求を 反映させ,消費の主体性をとりもどす方向も発展させつつある。」
(5)
人間生存条件の二つの危機について 渋谷寿夫・林智・志岐常正編『人間生存の危 機一地球史の中で考える』法律文化社,
1984年 。
(6 ) 浜林正夫「社会科学をいかに学ぶか一最近の社会科学論の批判的検討JW
季刊科学と 思 想 . J ]
No .
63,浜林正夫『現代と史的唯物論』大月書庖,
1984年 。
(7)
荷見武敬・鈴木博・根岸久子編『農産物自給運動』お茶の水書房,
1986年 。
(8)多辺国政弘他『地域自給と農の論理.J],
380ページ。
(9)
小沢修司「家族の再建と経済学の課題‑1.イリイチの『シャドウ・ワーク』論の 検討を含めて
J(成瀬龍夫・小沢修司編『家族の経済学.J]
6章 ) ,
202ページ。
4.
おわりに
生活協同組合の産直活動や有機農業運動に見られる消費者と生産者の提携 運動は,地域に根差した食生活・食文化を豊かに発展させる運動として展開 している。それは市場流通に全面的に代わるものではないが,市場流通に対 抗し併存するものとなっている。この提携運動をつうじての農民と消費者の 結びつきは,両者の間の利害の不一致を誇大に取り上げる議論にもかかわら ず,食糧・農業問題の危機を打開するための国民的合意の形成の基礎の一つ になる可能性を持っている。外国農産物の輸入拡大を防ぎ食糧自給率を向上 させること, .安全な食糧を安定的に供給する食糧政策の確立のためには労働 運動を中心として広範な国民の連帯が必要である。
80年代における消費者運 動や自然保護運動の展開にくらべて,現在の日本の労働運動の停滞とその発 展が容易でないことは事実として認めなければならないが,農民の自給と結 びついた消費者の運動にのみ食糧問題の解決・地域再生の方向を見出そうと
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