• 検索結果がありません。

死に関する子どもの意識の日米比較・序説 ―長崎での調査とクーハーの調査―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "死に関する子どもの意識の日米比較・序説 ―長崎での調査とクーハーの調査―"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

死に関する子どもの意識の日米比較・序説

―長崎での調査とクーハーの調査―

上 薗 恒太郎

Comparing the Child's Consciousness of Death between

U.S.A. and Japan, Introductory Rearks

―Research by Koocher and in Nagasaki―

Kohtaro KAMIZONO

1.文化に依存

 長崎で子どもたちの死に関する意識を調査しているうちに筆者は,子どもが死を擬i人化 しているという説が妥当しないことを見いだした1)。ブダペストでのM.Nagyの調査 から広がったこの説は,子どもにアニミズムと呼ばれる世界像をもつ時期のあることが広

く知られていたために,人々に信じられやすかったという事情があろう。ところがアニミ ズムは,死の一定の擬人化されたイメージではない。アニミズムはみられても,死という 特定のことがらを,子どもたちが一定の人のイメージとしてもっためには,イメージを形 作る材料が子どもを取り巻く文化のなかになければならない。草刈鎌やどくろ絵などが死 のイメージとしてヨーロッパ中世末にとくに盛んであった伝統をもつ文化のなかにいる子 どもたちと,骸骨マークも閻魔大王も有名人ではなく,これらはキャラクターとしても軽 いものになっている文化のなかにいる子どもたちとは,擬人化された死のイメージを持つ かどうか,おのずと異なるであろう。

 そうであるならば,ある文化圏にいる子どもたちの調査によって,子どもは一般に云々 と説明することは難しい。子どもの問題にとどまらず,死にたいしてどのように対処する かは,人間の文化の根幹をなすものであろう。子どもの世界は誕生の最初から文化に彩ら れており,また子どものためのなにものかを特に設定するということ自体がすでに一定の 文化によるのであって,子ども一般をどの文化にも属さない抽象的存在と見なす方法的態 度は,死の概念を調べる際には難点がある。

 子どもたちがいつも一定の文化のなかにいるという点を認めたとしても,子ども文化が 形成されて行き着く先が大人のもつ一回忌文化であると前提してかかることはできない。

大人の文化が多様であること,また変化していくことは,同時に子どもの世界が多様で,

変化していくことである。今世紀になって大人の死に対する態度が変化していることは,

G.ゴーラー2)やPh.アリエス3)などによって指摘されてきているところであり,この変 化に子どもたちの死の概念も対応していないと前提することはできない。子どもを死の場 面から遠ざけることが近年の大人の対応であるならば,それに対応して子どもは死とはな にかを自分のなかに形作るほかはない。死という具体的なテーマに関して大人が持つと想

(2)

28 上 薗 恒太郎

定される概念が,子どもの死の概念の到着点であると見なして,子どもの発達の階段を大 人に向けて切っていく方法的態度は難点をもつ。

 死に関する子どもの意識研究はこれまで,発達にともなう意識成熟の度合を明らかにす ることに主要な関心を抱いてきた。そこでは, 発達段階 と 成熟した死の意識 との二 つが想定されてきた。この二つはなるほど普遍的であるように工夫されてきた。 成熟し た死の意識は,死の理解に関して不可欠と思われる概念の構成要素,多くの場合,普遍 性,不可逆性,機能停止の三つ4)に設定された。しかしこれらになお前提されているのは,

個体としての死である。類,家系の死はそこには登場しない。類の死はじつは,小学校低 学年の子どもたちにとって,たんぽぽ等の死を考える際に採用されることが多い。生ある

ものは死す,というテーゼとたんぽぽを個体として考えることとは重ならない。死を個体 について考えることがさしたる異議なく認められるには,西欧近代思想の広がりを前提に しなくてもよかったのだろうか。現代の大人の多くが受け入れる死の概念の三つの構成要 素が,死とは何かの普遍的な答なのだろうか。欧米の研究者のなかからも反省は出されて いる。クラットは「あまりに文化に依存している(この場合は北米の文化に一引用者 註)」と,これまでの研究の普遍性の再検討を旨とする発言をしている5)。

 発達と死の意識研究についても,知能の発達という形式的フレイムワークと,死という 意識内容との関係を問い直す時にきているのではないか。現代の大人の多くが認める死の 概念に到達しているかを発達の判定基準にすることが子ども理解の方法として妥当か,検 討すべきであろう。知能の発達は,それが形式ないし機能の展開過程であるならば,死に 関する意識内容の展開と即応するものではない。知能の発達の図式が直線的ではないと主 張するにしても,それならばどのような発達の経路が,特定の意識内容の形成と関わって いるかを問わなければなるまい。発達段階に対応しているか否かの論議から,何が子ども にとって生み出されるのか考えるときにきていると思う。

 死の教育を日本において展開することを視野に収めた場合,上述の諸点はあらかじめ研 究され配慮されるべき課題である。教育するという立場は行為論的であって,発達といえ ども一定の内容をともなった,意識的にせよ無意識的にせよ,すでに行われた文化的教育 的行為の結果である。

 死の意識が普遍的であるとともに特定の文化に規定される面と,発達の形式と内容のか かわりの問題のうち,本論では文化に規定される側面に視点をおいて,日本とアメリカ合 衆国の子どもを比較したい。そのために長崎での調査とGerald P. Koocherの調査をと

りあげる。比較に際しては,調査上の技術的な差による問題のほかに,例えば再生と転生 との内容の違いが認められる。再生(reincarnation)は再び肉体を得ることで,人間と しての受肉であるが,転生は死と同時に他の所で他の人として誕生すること,虫や動物と して生まれ変わることを内容として含んでいる。宗教的文化的背景の違いによる意味内容 の違いをそのままに比較する限界,また質問や調査対象が重ならない点があるなど,比較 に限界はあるが,一つの試みとして検討したい。文化圏の相違による子どもの死の意識の 相違を明らかにしておくことは,これまでの死の意識研究の成果の普遍妥当生を知る上で 欠くことのできない作業だからである。

(3)

H.調査

H−1.長崎における子どもの死の意識調査

 長崎における子どもの死の意識調査は1991年と1992年に,長崎市および佐世保市内の幼 稚園,保育園,長崎市内の学童保育所,長崎市,時津町,東彼杵郡の小学校,さらに長崎 市内の大学,短期大学でおこなった。調査対象は次のとおりである。

6歳:総数245人。男子51.4%,女子47.8%,性別不詳0.8%。

7歳:総数339人。男子46.6%,女子52.8%,性別不詳0.6%。

8歳:総数341人。男子48.7%,女子51。O%,性別不詳0.3%。

9歳:総数199人。男子51.3%,女子48.7%,性別不詳なし 10歳:総数211人。男子49.3%,女子50.2%,性別不詳なし ll歳:総数167人。男子52.1%,女子47.9%,性別不詳なし 20歳:総数265人。男性41.1%,女性57.4%,性別不詳1.5%。

   平均19.95歳。内訳は,19歳が35.8%,20歳が39.6%,21歳が16.2%,22歳が5.7%,

   24歳が0,8%,年齢不詳だが19歳から24歳の間であることが確実な者が1.9%。

基本となる質問は,<死ぬとはどんなことだと思いますか。あなたが考えていることを教 えてください〉である。調査は,8歳の一部までは面接により,それ以上の年齢層は自分 で調査表に書き込んでもらう方法でおこなった。回答は自由記述式であり,複数回答が許 される。「考えていること」との質問の表現で,死の概念だけに関する答が返ってくるこ とはなかった。思いと考えの間は区別されず,子どもたちは自分の考えていること,思っ ていることを語ったと判断された。

H−2.調査結果

 く死ぬとはどんなことだと思いますか。あなたの考えていることを教えて下さい〉とい う質問にたいする回答のすべては五項目に分類され,それぞれの細目に分けられた。さら に,その次に示す二項目に該当するかどうか検討された。本論では必要な項目を示すにと どめた。表1である。いくつかあった意味不明な回答,わずかのその他の回答および無回 答は表から省いてあるが,百分率の中には入れてある。無回答は9歳の8%,5歳の7.2

%が高く,7歳の2。9%,ll歳の3。6%が低く,20歳では6.4%であった。以下各項目と解答 例を示す。

五項目:事柄に関して述べたもの

      事柄:になる;骨になる,灰になる,土に還える,焼かれる          動かない;息が止まる,動かない,血が出る

         病気;病気が死ぬこと,手足がちぎれて死ぬ          歳;歳をとって死ぬ,寿命で

         同義反復;命がなくなる,終わり

         消える;この世界から消える,いなくなる,滅びる     死にまつわる感情について述べたもの

      感情:悲しい          寂しい

         恐い,恐ろしい

(4)

30 上 薗恒太郎

         苦しい

         可愛そう,残酷

         嫌なこと,悪いこと,死にたくない          楽になる,明るい,いいことがありそう          何とも思わない,当り前,しかたない     さまざまな死の説明

      説明:他界,死後に別世界がある;天国,地獄,極楽,あの世,霊界          魂などについて述べたもの;魂,霊,幽霊になる

         転生について述べたもの;生まれ変わる

         他のさまざまな死の説明;眠り,地球から離れる,神,仏,天使,運        命,旅立ち,解放,肉体の滅び

    人に関わることについて述べたもの;義績が残る,会えなくなる,いなくなる 二項目:死の原因について述べたもの;病気,事故,誘拐,殺されて,自殺

    死に関わる儀式について述べたもの;墓,燃やす,壺に入れる,手を合わせる 以上のような項目による分類の集計結果のうち比較に必要な部分は以下のようである。

表1

回答の分類結果

事柄

(になる 感清 説明

(他界

(魂

(転生

5歳

 % 20.9 5.8 15.8 15.O 12.2 0.7 0.7 1.4

6歳  %

19.2 6,5 23.7 16.7 14.3 2.0 0.4 2.4

7歳

 % 23.0 6.2 36.O 15.O lO.0 3.2 1.2 2.1

8歳  %

29.0 4.7 37。O 13.5 6.2 2.9 0.6 3.8

9歳

 % 32.7 1.5 31.2 17.6 11,1 2.5 2.0 3.5

10歳  %

37.0 0.5 20.9 27.9 12,8  5.2  2.8  5.2

11歳

, %  46.7  1.8  12.0  42.O  l9.8  10.2  4.2  6.6

20歳  %

40.8 1.9)

 7,9 57.0 6,4)

ll,3)

5.7)

 8.7

小計 53.1 62.0     76。1 83.3    85.0    91.O    lO7.3    114.4

わからない 38.8     34.3     32.4 17.0 13.6 10.4 5.4 3.0

原因 儀式

14.4 4.3

8.2 3.7

8.0 2.9

7.3 2.6

2.5 0.5

1.9 0

1.2 0

O l、1

llO.6   108.2   119.4   110.2   101.6   103.3   113.9   118.5

皿.アメリカ合衆国,Koocherの研究との比較 皿一1.Koocherの研究結果

 最初は1974年に発表され,1985年に再び出版されたG.P. Koocherの研究は6),6歳 から15歳を対象に調査を行った。質問は What will happen when you die? When will you die? What will happen then? )であった。結果については次のようにまと められている。「この質問に対してはバラエティ豊かな反応が観察された。…埋められる

(5)

ことへの言及は52%の子どもに見られ,天国へ行くか地獄へ行くかの判断ないし何らかの 種類の死後世界へのその他の示唆は21%,葬式をすることへの言及が19%,死がどのよう にして起こるかの特定の予想が10%,眠りの何らかの観点への言及が7%,他人の記憶に 残ることへの言及が5%,再生への言及が4%。火葬への言及が3%であった。」

 結果についてKoocherは解釈の難しさに言及しながらも,アメリカ合衆国の子どもた ちが次のような対処機制によって死を処理しているのだろうと考察する。「…大半の子ど もたちが埋められるとの考えを述べており,何人かは埋葬について詳細に描写してみせる など,広範な反応があった。とくに興味をひくのは,わずか5%が他人がどのように反応 するかという形で自分たちの死について論じていることである。むしろ調査対象者の大半 は,葬式の詳細な説明とか墓の中で 腐ってしまう とかいった,何が起こるかについて の具体的ないしステレオタイプ化された記述に集中している。…さしあたってのサンプル において言語抽象能力の水準が平均以上である子どもでさえも一貫して特殊具体的に答え る。おそらくアメリカの子どもたちは,死を卓越する,したがって死を 支配する やり 方として擬i人化よりも細部の固有性を用いる方に傾いているのであろう。それはいわば

もし自分が死んだときに何が起こるかを知っていれば,今は死について重い煩う必要は ない ということである。」

 この結果と長崎での調査とを比較し,アメリカ合衆国と日本の子どもたちの死の意識に 違いがあるかどうか検討したい7)。

 比較に際して,Kloocherの調査が15歳までであることを考慮して,長崎での調査では 年齢の上昇による傾向性をみるために,表としては年齢別の数値を示した。6歳から11歳

までを合算したうえでの百分率は,適宜本文中に示した。またあとで述べる理由によって,

「感晴」項目分を差し引いたうえで6歳からユ1歳までを合算した数値も本文中に示した。

皿一2.比較 的一2−1.埋葬

 Koocherは,52%の子どもが埋められること(being buried)に言及していると記し,

それをまたアメリカ合衆国の子どもたちの死への対処機制の特徴の根拠としている。この 点で長崎の子どもたちは,埋葬を含む,儀式,火葬,土葬,そして骨になる,土に卜える といった発言を合わせて,最大で10.2%(6歳),次に多いのが9.1%(7歳)であり,最 小では0.5%(10歳),次に少ないのが1.8%(ll歳)である。 Koocherが15歳まで計算に 含めていることを考え,20歳まで見てみても3%であり,9,10,1!歳も3%を超えるこ とはない。この流れからすると,長崎の子どもたちにおいて,埋められることへの言及が 半数を超えるとは想像し難い。

 長崎の子どもたちの場合,火葬も葬儀の一つとして集約してある。Koocherの言う埋 められることがどれほど土葬を含むのか判断し難いが,現代ではカトリックの人々の間に

も火葬が浸透しており,また日本の場合遺骨を墓に収めることが埋められることとして必 ずしも認識されない。したがってここでは儀式全般を含めて比較してみる。そうすると,

Koocherのいう52%は,火葬の分を含めて55%という数字になる。これは葬式をするこ とへの言及を別集計しての数値である。長崎での「儀式」,火葬,土葬,それに「になる」,

骨になる,土に還える,を含めた数値よりもはるかに多い。

(6)

32 上薗恒太郎

 その要因の一つに,Koocherの場合と本研究での質問の相違があげられる。 Koocher What will happen when you die? と質問しており,子どもは,死んだら何が起こ るか,どうなるかを答えることになる。本調査では「死ぬとはどんなことだと思います か?」と質問し,何でも思ったことを,すなわち感情に関しても答えられる。Koocher の質問は,例えば父母が泣くといった答も可能ではあるが,葬儀がどのように行われるか を引き出しやすい。子どもたちは質問の形式にとらわれずに自分の考えを述べる傾向があ るが,それにしても,質問の差による回答の差に無頓着でいられるような差ではない。

Koocherが15歳までを対象としている点からは,高年齢で質問形式が影響することを考 えるべきだろう。そして,Koocherの質問が引き出しにくく,長崎での質問が引き出し ているのが「感情」の項目であろう。この質問の違いによって「感情」の項目が左右され た可能性が考えられる。ところがじつは「感情」表現を用いる回答の多さが日本の特徴で はないかと思うのだが,「二二」項目分を百分率から引いた数値とも比較しておくことが,

本調査での数値をKoocherのそれとより等しい条件におくことになろう。したがって以 後比較に際しては,「感情」項目分を除外した長崎の数値とも比較する。

 上述のように,「感情」項目分を引いて計算し直すと,先の数値は7歳で14.3%,6歳 で13.4%である。以後年齢につれて数値が上がることはなく,20歳で3.2%である。この 傾向が続くとすれば,12歳から15歳の間で突然のように数値が高くなることはない。6歳 からll歳まで「感情」分を差し引いて合算して計算すると8.3%。ということは,長崎で

「埋められる」に関して過半数に達することは考え難い。

 長崎の子どもたちは次のように発言する。なお発言は当該の項目に該当する以外のもの を含んでいても,全体を示す。「墓に入れる。お参りしにくる」「恐いこと。焼かれたり,

埋められたり」「墓に埋める」(以上6歳)「人間が箱に入れられて,火で焼かれて,骨に なること」「体を燃やして骨になる。かわいそう」「骨になること。壼に骨を入れられる。

暗い」「わからない。悲しい,苦しい?淋しい,暗いところ。お墓の誓いがいどこにもい かない」(以上7歳)「遺骨で箱に入れられて,何も考えられなくなる」(9歳)

表2

埋葬などに関する言及

事柄:になる 儀式

6歳  %

6.5 3.7

7歳  %

6.2 2.9

8歳  %

4.7 2.6

9歳  %

1.5 0.5

10歳

 %

0.5 0

11歳   20歳  %    %

1.8    1.9 0     Ll

  言十       10.2        9.1        7.3

「感情」を除いた場合の上記の計の百分率         13.4     14.3     11.6

2.0

2,9

0.5

0,6

1.8

2.0

3.0

3.2

皿一2−2.葬儀

 葬式(funera1)への言及をKoocherは19%という。火葬も葬儀の一部であると解釈 すれば,3%を加えて22%の合衆国の子どもたちが葬儀について言及したことになる。長 崎での「儀式」の項目のなかには「火のなかで焼かれて壼に入れられる」(8歳)といっ

(7)

た発言も含まれている。

 長崎での調査で「儀式」をみると,6歳の3.7%が高く,10,ll歳には葬式や儀式に関 する発言はみられない。6歳から11歳までを合算した「儀式」の百分率は1.9%,「感情」

項目分を除いて再計算しても6歳の4.8%が最も高く,合算した数値が2.7%である。長崎 では19%,ないし22%という数値は現れそうにない。

表3

儀式

儀式

6歳  %

3.7

7歳  %

2.9

8歳  %

2.6

9歳  %

0.5

10歳

 %

0

11歳   20歳  %    %

O     l.1

「感情」を除いた場合の百分率

         4.8    4.6 4.2 0.7 0 0 1.2

皿一2−3.死後世界

 天国や地獄にいくとか,また何らかの種類の死後世界を示唆する回答についてKoocher は21%の数値をあげる。長崎での調査における「他界」と「魂」項目の6歳からll歳まで の合計のパーセンテイジの単純平均が15.4,10歳で18%,ll歳で30%であることを考えれ ば,20歳の17.7%を考慮しても,両調査に大きな開きはないと考えていいだろう。

 「感情」項目分を除いて計算するとll歳の34.0%,10歳半22.8%,また低い方では8歳 の14.4%などで,6歳からll歳までを合算して出した数値は21.6%となり, Kloocherのあ げる21%と,両調査の値は同じと言っていい。

表4

死後世界

説明:他界 説明:魂

6歳  %

14.3 2.0

7歳  %

10.0 3.2

8歳  %

6.2 2.9

9歳  %

ll.1 2.5

10歳

 %

12.8 5.2

11歳   20歳  %    %

19.8    6.4 10.2    11.3

  言十       16.3       13.2        9.1

「感情」を除いた場合の上記の計の百分率         21.4     20.7     14.4

13.6

19.78

18.0

22.8

30.0

34.0

17.7

19.3

皿一2−4.予想される原因

 死がどのようにして起こるかの特定の予想をKoocherは10%という。これは長崎の調 査では「原因」の項目に当たると考えられる。長崎での「原因」の項目は6歳からll歳ま

で合算すると5.5%,「感情」項目を除いて出し直した数値は7.8%になる。Koocherの10

%と近接した数値である8)。

 長崎の調査での「原因」の中には,次のような発言がある。「バイクでひかれること」

「フォークで刺すこと」「包丁で殺される」「鯨に食べられる」「殺されたり,病気,道路で

(8)

34 上 薗恒太郎

殺されたり」「包丁で死ぬこと,海で溺れて死ぬ」「テレビでみた,痛い,階段からころ げて死ぬ」「自分でナイフでお腹を刺すと死ぬ」(以上5歳)「ひどい病気になったりした

とき」「車にひかれたら。鉄砲で撃ったら」「知らない人にだまされて,知らないところに 連れていかれて,殺される」「首を締められたり,心臓にナイフを刺したり」(以上6 歳)「鉄砲で撃たれること」「交通事故,強盗にナイフで刺されたりする」「爆弾で殺され ること」「ガンになったりする」「病気」(以上7歳)「交通事故で,どか一んとなること。

嫌なこと。こわいよ」「やせすぎること」「殺されたり,弱って病気で死ぬ。年をとるこ と」「寿命とか,交通事故などで死ぬ」「死ぬとは,事故や病気で死ぬことです」「死ぬと いうのは,殺されたりすることだと思います」「しょうがなく,病気とかで死ぬ」「病気で 息ができなくて,心臓が止まることが死ぬ」(以上8歳)「寿命や,病気か,殺されたりす

るのが,死ぬと思う」(9歳)「病気で死んだり,事故で死んだり,人から殺されたりする」

(10歳)「自分から自殺することだと思う」「交通事故や年で死ぬ」(以上ll歳)

表5

原因

原因

6歳  %

8.2

7歳  %

8,0

8歳  %

7.3

9歳  %

2.5

10歳

 %

1.9

11歳

 %

1.2

20歳

 %

0

「感情」を除いた場合の百分率

        10.7     12.4 11.6 3.6 2.4 1.4 0

皿一2−5.人とのつながり

 他人の記憶に残ることへの言及が596であることにKoocherは,「とくに興味をひく のは,わずか5%が他人がどのように反応するかという形で自分たちの死について論じて いることである」と,その少なさに驚いている。

 長崎の子どもたちの場合,「人」の項目は6歳からll歳を合算して3.7%,6歳からll歳 までの総計から「感情」項目分を除いた「人」項目の割合が5.1%となる。そうすると,

年齢が上がるにつれて数値が上昇する傾向があり,5.1%という数値自体は上がるかも知 れないが,5%という数字はおよそ,子どもたちにとって妥当なところだということにな る。少ないと感じる必要はなかった。       ・

 おそらくKoocherが少ないと感じたのは,20歳の9.4(8.7)%の数字にみられるよう に,大人にとって,ひょっとすると大人になるほど,死んで遺される者のことを考えるか らであろう。その大人の感覚からすると,子どもは大人ほど遺される人のことを考えてい

ない。

 長崎では,次のような子どもたちの発言がみられた。「動けなくなったり,心はまだあ るから,思い出に残る」「お母さんたちが悲しむこと」「全体,親や子どもに会えない」

(以上7歳)「恐いです。お母さんとはぐれる」「人が悲しむ」「もう絶対みんなに会えない んだな。死ぬという言葉がなかったらよかったのに」(以上8歳)「家族が一人減ると,悲

しくなってしまう」「お母さん,お父さんを泣かせることになる」「みんなと別れる」「友 だちに会えないから苦しい」(以上9歳)「もう二度とその人に会えなくなる。その人を見

(9)

ることは一生ない」「みんなと一緒に遊べなくて,自分の体から魂が出てしまうこと」(以 上ll歳)

 同じく人に言及するにしても,例は少ないが次のような発言もある。「殺した人に復讐 する」(7歳)「お墓をつくって,天国にいって,幽霊になって,いままで憎んだ人を恨む こと」(8歳)また次のように,死んで人に会うことを考える例もある。「わかりません。

恐い,悲しい,暗い。死んだら仲間がいる。一人ぼっちじゃない」(7歳)

表6

人への言及

6歳  %

2.4

7歳  %

2.1

8歳  %

3.8

9歳  %

3.5

10歳

 %

5.2

11歳   20歳  %    %

6.6    8.7

「感情」を除いた場合の百分率

         3.2    3.2 6.0 5.2 6.6 7.5 9.4

皿一2−6.転生

 再生への言及が4%という点はどうであろうか。再生(reincarnation),肉体の再付与,

復活という言葉は日本においては,宗教的背景の違いによるのであろう,同じく肉体が再 び復活するにしても,転生,輪廻転生,再生といった言葉を当てはめることが妥当である ど思われた。

 そしてこの転生は,長崎では6歳から11歳までで2.1%,「感情」を除いた場合の6歳か らll歳までの「転生」の割合が2.2%であり,9,10, ll歳と「転生」を考える子どもの 割合は上昇しながら20歳では6.1%に至る。すると,15歳まででは,2.2%という11歳まで

の数値がまだ上昇することが予想される。このように考えると4%と2.2%の差はもっと 近接しているはずだといえる。

 長崎では,次のような発言があった。「もう一度生まれ変わる」(9歳)「生まれ変わる」

「死ぬとは地球からいなくなり,また新しい生命に変わることだと思います」(以上ll歳)。

転生は必ずしも人への生まれ変りとは限らない。「ほかの虫や生き物に生まれ変わったり する」(9歳)。

表7

転生

転生

6歳  %

0.4

7歳  %

1.2

8歳  %

0.6

9歳  %

2.0

10歳

 %

2.8

11歳   20歳  %    %

4.2    5.7

「感情」を除いた場合の百分率

         0.5    ユ.8 0.9 2.9 3,6 4.8 6.1

(10)

36 上薗恒太郎

皿一2−7.結果の比較考察

 結果の考察について比較してみる。Koocherは「おそらくアメリカの子どもたちは,

死を卓越する,したがって死を 支配する やり方として擬人化よりも細部の固有性を用 いる方に傾いているのであろう。それはいわば もし自分が死んだときに何が起こるか を知っていれば,今は死について重い煩う必要はない ということである」と述べる。

この根拠として2点があげられる。ひとつは「…大半の子どもたちが埋められるとの考え を述べており,何人かは埋葬について詳細に描写してみせるなど,広範な反応があった」

という点であり,もうひとつは,「何が起こるかについての具体的ないしステレオタイプ 化された記述に集中している。…さしあたってのサンプルにおいて言語抽象能力の水準が 平均以上である子どもでさえも一貫して特殊具体的に答える」という点である。「埋葬」

への言及と,「特殊具体的」な答がその根拠となっている。

 この考察においてKoocherの頭のなかにあったのはM. Nagyの擬人化のテーゼで あった。擬人化については,Nagyが調査したブダベストでは見られても, Koocherが 調査したアメリカ合衆国,また長崎での調査では見られないと筆者が別に論じたところで

ある。Koocherは擬人化に対するに,「細部の固有性」をアメリカの子どもたちの特徴と してあげる。その根拠となる二点について,長崎の子どもたちと比較してみる。

 先にみた1と2の点(三一2−1,皿一2−2),埋葬と儀式に関しては,アメリカ合 衆国の子どもたちの方が長崎の子どもたちよりもはるかに高い割合を示していた。長崎で は,葬式に関して詳細で具体的な説明をする子どもは少ない。したがって,これらの点に ついてはアメリカ合衆国の子どもたちの特徴として挙げることができる。

 しかし,発言が具体的であるという点については,死に関する子どもの発言のしかたと して一般化できるのではないか。アメリカ合衆国においてだけではなく,長崎においても 子どもたちは人がどのようにして死ぬかについて具体的に答える。その様子は,すでに4

(皿一2−4)の原因項目を掲げた際などに示しておいた通りである。また「体温が低下 し,息をせず,動かない」「心臓がならなくなること」(ll歳)といった死の特徴を具体的 に挙げるものもある。また「墓のなかで寒い思いをする」(10歳)といった具体性もある。

しかし,墓のなかで何が起こるかについての記述は,長崎の場合,少ない。具体的ないし ステレオタイプ化された記述という点では,長崎では,骨になる,という答が多い点で,

Koocherに同調するが,葬式,儀式の詳細な説明が長崎の子どもたちの特徴とは言えな い。具体的なのは,とくに死の原因に関して表現される。ナイフで,心臓を,あるいは首 を締められて9),といった具合である。

 どの点で具体的に表現するかは異なるが,死に関する答が具体的であるという点におい ては,アメリカ合衆国の子どもたちも長崎の子どもたちも変わらない。

 そのほかの諸点,3.魂,4.死の原因,5.人の記憶に残る,6.再生と転生,につ いては数値はほとんど等しいか近接していた。少なくともアメリカ合衆国と日本の子ども たちには,共通にみられる諸点であるといえる。

 Koocherの研究では見られずに,長崎の多くの子どもが挙げたのが,感情に関する項 目であった。6歳から11歳までを総計すると,感情の割合は28.8%になる。とくに7,8,

9歳では30パーセント台と高い。Koocherの場合と長崎では質問が異なる点は考慮に入 れなければならないが,アメリカ合衆国において感情に関する発言が目を留めるほどには

(11)

出てこなかったということは,注目に値する。宮本一史らの,連想による言葉の収集では,

〈死という言葉を聞いて思い浮かべる言葉を書いて下さい〉と,小学校4年前から中学生 までに質問しているが,そこでは47.2%が感情に関する言葉を書いたという10)。こうした 結果からすると,アメリカ合衆国においてKoocherが質問しようとせず,また子どもた ちの答にもとくに認められなかった,そして日本においては高い比率で出現した,死につ いて「感情」の問題として応答する点が,日本の子どもたちの特徴であろう。

皿一3.男女差についての比較

 死の意識の男女差があるか否かという点に関してKoocherは,「人種や性に帰せられ る顕著な統計上の差異は認められない」という11)。

 これに対して宮本一史は,調査を踏まえた座談会で次のように語る:「生物,無生物の 識別に関しては男女差がございませんでした。ただ,死のイメージなんていうのは四年生 以降,男女差が出てくるのはかなりありますね。死というものをどう捉えているか連鎖反 応で調べたんですけれども,男子のほうがやや即物的に捉えている。…(生命の有限性は どうですか,との編集者の質問に一引用者註)これは男女ほとんど変わりませんでし た」12)。また宮本は本文では「女子と男子では,女子の方が感情的に捉えているのに対し て,男子は即物的なイメージが強い」という13)。

 長崎での調査の結果からは,統計上顕著な差異は認められないという:Koocherの結論 が支持された。この調査では,ll歳の「説明」の項目で男子が多く(とくに比喩による説 明),10歳で「人に会えなくなる」との発言が女子に多いが,9歳では「感情」のうち

「嫌なこと」で女子に多い傾向がみられる程度で,8歳になるとll歳とは逆に「説明」の 項目について女子が多くなり,7歳で「事柄」に関して述べる男子が多い傾向を認める。

しかし,一つの差異がその前後の年齢ではとくに認められないなど,一貫した男女差の傾 向ではなく,また差異もとくに顕著なものとはいえないものが多い。確実な男女差が現れ るとすれば20歳であろうと思われるが,20歳で「事柄」に関して男性,「思い出」に関し て女性が多い傾向を認、めるけれども「感情」について差異は認められなかった。したがっ て総合的に判断して,男女間の特筆すべき差異は認められなかった14)。

1)上薗恒太郎;子どもの意識における死の擬人化,長崎大学教育学部教育科学研究報告第43号,

1992,PP.1〜15参照

2)Geoffrey Gorer;Death, Grief, and Mouring in Contemporary Britain,1965(宇都 宮輝夫訳;死と悲しみの社会学,1986,207頁など)

3)フィリップ・アリエス,伊藤町,成瀬駒男訳;死と歴史西欧中世から現代へ,1984,また,ア  リエス,成瀬駒男訳,死を前にした人間,1990。530頁には,「私たちは今,死を前にした,新しく 奥深い変化の直前にいるのではないだろうか」と,具体例を挙げながら現在進行中の変化について 述べている。

4)例えば,Mark W. Speece and Sandor B. Brentは, irreversibility, nonfunctionality,

universalityの三つの概念を取り上げている。(Children s Understanding of Death:A Review of Three Components of a Death Concept, in Child Development, vo1.55,

No.5,0ctober,1984, p.1673)

(12)

38 上薗恒太郎

5)H−J.K:1att;In Search of a Mature Concept of Death, in Death Studies l5,1991, p.

 !78

6)Gerald P. Koocher;Talking with children about death, in S. G. Wilcox and M.

Sutton;Understnading death and dying, an interdisciplinary approach, Mayfield publishing company,1985。この調査は, midwestern university com皿unityを舞台とし て行われ,調査対象数は,6歳から8歳が20名,9歳からll歳が35名,!2歳から15歳が20名であ  る。以下の本文の2つの引用はp.265およびpp.267〜268。

7)眠りへの言及と:Koocherが言うとき,その内容は分けるべきだと思われる。死と眠りとの区 別をしない場合と,眠りを死の比喩として使う場合とは,意識が異なる。

  長崎での調査で最も明瞭な死と眠りとの同一視は3歳児の次の発言にみられる:「夜は死ぬ。で  も寝てるだけ。死と眠りはいつしょ。王女様の所に助けにくる」。眠り姫などの物語では死と眠り  は区別されない。それがこの子どもの考えの原因となったかどうかはともかく,死と眠りを同一視 する考えを支えているのであろう。この子どもにとって「夜は死ぬ」のであり「死と眠りはいつ  しょ」である。他方11歳の子どもが「死とは安らかに眠ること」というとき,毎夜の眠りと死とを  区別していないとは思えない。この子どもの答のなかで眠りは比喩として使われている,もしくは 少なくとも比喩として使われた表現を知っている。同じく眠りに言及するとしても,死に関する意 識にこれだけの差がある。したがってここでは比較の対象とはしなかった。

  また火葬については「埋められること」のなかで言及し,独立した比較はしなかった。

8)二つの調査による数値が実際どれほど近いのかの統計上の計算はできない。Koocherの調査の 年齢分布が不明であるし,精密におこなうためには発言の分類の比較からおこなうべきであるが,

 そこまでの詳細な点は示されていない。

9)こうした点について,次のような解釈もあった。Schilder, Pau1&Wechsler, Davidは,

 (The attitudes of children toward death, J. Genet. Psychol,45,1934,406〜451.5歳  から15歳,76人に対する,質問および絵を見せての調査。調査は:Bellevue精神病院(ニューヨー  ク)で行われた。)「子どもの死の概念はおもに喪失(剥奪:deprivation, Entziehung)の概念  から生じる。死は生の自然な終わりとして起こるのではなく,暴力によって,特に(身体の)破壊  によって起こる。死に関する概念と見方はサディスティックな傾向と緊密に結び付いている」とい  う。この点については死の原因について具体的に述べる,という解釈でいいと思う。こどもにとつ  ては,死は,生の自然な終わりとして起こるよりも,具体的には身体の破壊によって,しかも思い  がけなく起こる。こどもを死から守ろうとして言い聞かせる大人の子どもに対する注意も,交通事  故,病気,誘拐などであり,子どもは,親の子どもに対する配慮から自分の死の可能性を知ってい  るという面を考慮すべきであろう。

10)東京都立教育研究所,相談部児童生徒研究室;子供の「生と死」に関する意識の研究,12頁,

 1983。また稲村博・小川捷之編,前掲書70頁。さらに,同調査の結果は,宮本裕子;幼児教育と両  親の役割,また,稲村博;小学校教育,としても,アルフォンス・デーケン編;〈叢書〉死への準  備教育 第1巻 死を教える,メヂカルフレンド社,1986,pp.64〜82, pp.83〜96,に発表され  ている。

11)G.P. Koocher;ibid. p.262

12)稲村博・小川捷之編,シリーズ・現代の子どもを考える16死の意識 192頁 13)前掲書 71頁

!4)20歳,事柄に関する男女差のカイ2乗検定値6.1,同思い出に関しては4.9で,顕著に差があると  はいえない。同,感情に関する値は0.4であった。

  3つの調査の方法に違いはあるが,それがどのような影響を及ぼしたのかわからない。Koocher  は面接法で,質問は What makes things die? How do you make dead things come

(13)

back to life? When will you die? What will happen then? といったものであった。

(Koocher;ibid. p.260)また,宮本は,調査票で小学校4年生から中学校3年生までに「死と いう言葉で思い浮かべる言葉を書いて下さい」と質問し,第一順位にあげられた連想語を集計した。

(宮本ほか;子供の「生と死」に関する意識の研究,東京都立教育研究所相談部児童生徒研究室,

1983,12頁)長崎での調査では記述に順位をつけて集計することはしなかった。ここで取り上げた 三つの研究の男女構成比率はほぼ等しい。Koocherの研究では対象者が6歳から15歳まで含めて 75人と多くない。宮本ほかの研究では小学校4,5,6年生で計961人の対象者数を誇るが,ここ で使われたのは小学校2校分の198名であるらしい。上薗の研究では9,10,11歳で計577人である が,感情の細目など,細目として表示した部分では該当者数はそれより少なくなる。Koocher,宮 本いずれの研究でも結果の詳細な数値,カイ2乗検定値などはわからず,具体的な数値をあげての 比較はできなかった。

参照

関連したドキュメント

1  ミャンマー(ビルマ)  570  2  スリランカ  233  3  トルコ(クルド)  94  4  パキスタン  91 . 5 

どんな分野の学習もつまずく時期がある。うちの

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機

[r]

今回、子ども劇場千葉県センターさんにも組織診断を 受けていただきました。県内の子ども NPO

□一時保護の利用が年間延べ 50 日以上の施設 (53.6%). □一時保護の利用が年間延べ 400 日以上の施設

原田マハの小説「生きるぼくら」