期 待 効 用 の 仮 定 と 効 用 の 可 測 性
酒 井 彦 四
郎
Ga br ie l Cr am er 氏や Da ni el B er ロo ul li 氏が 示唆 Lへ A lf re d Ma rs ha ご氏 が用 い︑ かつ 近頃 vo n Ne um an n氏 や
Morgenstern氏が再興した危険をとものう選択についての仮定'即ち︑ちょうどだれもがある量の期待値を極大に
しょうと努めているかのような事情で人が選択するという仮定に取戻ft)れた注意が払ろく払われている︒=このように定義した仮定的登且を︑特に近頃'﹁効用﹂"utility"と呼んでいるoこの仮定が︑もし充分広範囲で程よ‑妥当す
れば'これは経済理論にとっては遠‑及ぶ含蓄せられるものを有することになる︒ET
り 本文 はt he Jo ur na lo fP ol it ic al Ec on om y 第六
〇巻 第六 号( 1九 五二 年一 二月 )に 出て いる Ch ic ag o大 学教 授の Mi
‑t on Fr ie dm an とL .J .S av a的 eと の両 氏の 共著 にな る論 文T he Ex pe ct ed
‑U ti li ty Hy po th es is an dT he Me as ur ab il it yo fU ti li ty につ いて のさ さや かな 研究 であ る︒ 借︑ 本文 の初 期の 原稿 につ いて はW il li am J. Ba um ol とJ ac ob Ma rs ch ak との 両氏 が有 益な
論評を与えている︒
ー本 文は 主に Sa va ge 氏が th eJ oh nS im on Gu gg en he im Me mo ri al Fo un da ti on の特 待研 究員 でか つt he Fu lb ri gh tA ct ( 公 法五 八四
︑第 七九 期国 会) の下 に仏 国で の研 究生 であ った 時に 書か れた もの であ った
︒彼 氏の 寄与 はt he O ff ic e︒ f Na va l Re
‑ se ar ch の後 援を 受け てC hi ca go 大学 での 研究 結田 :R Tで ある
︒
の このような期待値を極大ならしめる覇もやはり行動に対する公哩(Maxim)とみなしてよい︒従って︑その事は統計理論に
対し て︑ 重宴 な含 蓄せ られ るも のを もつ こと を約 束す る L. J. Sa va ge ,
"
Th eT he or yo fS ta ti st ic al De ci si on
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Jo ur na lo ft he
期待効用の仮定と効円の可渕性四一
経
蛍
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四
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神 山 田 神
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E 伸 一 ︒
P第四六議こ九五一年三月)五五!六七一旦参照︒不確実性をとものうEんな他の決定範囲内に
おいてものように︑との笥問内で会理が好結RKT生むか
うかは︑不確雫問の前で概して﹁竪明な﹂立さH '
2 0 . .
行問
4T
安回している
このような決定に個々に関係のある人に︑一般に人々の経済的行動についてのその経験的な検一証の知何によらずその受容性の如何
によ って {疋 まる
︒
それは発散し︑かつ大部分一致しない︑線上で︑囚襲的に理論的に考えられていた二種の経済的行勤!第一︑確か
にそうなると見なされ︑問題の財に対しては終始一貫した選好の梓勾で理論的に考えられるこ者以上の問の選択でか
つ選好尺度の中では最も高い二者以上の問の選択の中の熟考の選択と︑第二︑危険をともな﹃て訟り・﹁危険﹂h広
島=
か﹁不硲実な状態﹂J
ロ の
02
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山口同M13に対して殆んど定義左下されていない選好の昨何で理論的に考えられ︑それは各
個々の場合には特別に立町
00単に決定されるととを除いて︑どん友簡単喝なかっか伝り一般的危叙述を詐さぬという
意味に沿いて犬体﹁理窟に合わない﹂ぷ円g円
o g T .
と見注されるこ者以上の聞の選択!を統一した説明を用意してい
る︒かク又︑期待効用の仮定は可能的に長官︑な経験的内容をもっている︒我唱えが何処か他の処で示したように︑危険
をとものう状態の下での行勤について二︑三の簡単なしかも広く一般に認められて具論のない経験上の帰納的結果は 思いがけね経験上の観察にはるかに容易に力を尽す事の少ない現象に意味のある含苦せられるものを与えようとそれ
に対して充分に仮定の意味を限定するのに用いるととができる︒ゎ乙れらの予言は︑一つやっ順番に︑立証される時
はこれらの予言は仮定の生じた一つの結果でもあり︑その王当さについてのそれ以上の試験となるであろう︒
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との両氏の共著
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第五六巻(一九四八年八月)一一七九i三O
四一
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川 町 三 p s u N
) ・五七l九六一具︑拙稿﹁危険をとものう選捉の効用分析(一)本誌第五九号昭和二七年三月
及び向上(二)同誌第六二号昭和二八年九月︒仮定の実験に基ずいた用法は可・冨
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古口
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向gとの両氏の共著になるo
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︒百 三第 五九 巻( 一九 五一 年一
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一七
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五なる論文に報告してある︒
不幸にして︑仮定の意味︑適切及び役割についての一般的理解が︑それのより初期の用法で二重の誤まりによって
非常に邪魔された︒即ち︑第一︑原点と目盛の単位の外に唯一の数字で表わした効用が憶かだと見なされる理択すべ
き幾クかの者の中からの選択の分析に必要であったという信念と︑第二︑との可測の効用の期特依は同一・方法で危険
をとものう選択すべき幾つかの者の中山らの選択を支配しなければたらぬという信念によって大いに邪魔されたので あった︒とのような数字で表わした効用は危険のない選択を分析するのに必要でないという司
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盟三存可の両氏
及びもっと後の著者逮に工る発見は王しく一つの重要危理論的進歩と見注された︒しかし︑危険のない爵択から出て いる効用の犬きさもやはり危険をとものろ喪択すべき幾づかの者の中からの喪択を支閉したければたらぬといろ観念 の前で︑それは︑危険のない選択から誘導できるのではなく︑期待値が危険をとものう演択すべき幾クかの者の中か らの選択を支配するある函数があるだろうという可能性から注意を他に転じさせた.
乙の北目最に照らして︑近頃仮定を再興しかク再解明した著者達は仮定が原点と目盛の単位の外に唯一の大きさを財
や用役の選好に割当てる乙とを正しいとするか詐す意見にクいては紛れなく明白であるという事に特殊な骨を折るべ
き佐官であヮたし又あんなに不幸な内包をもった﹁効用﹂
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という名前よりもむしろ乙の大きさに一クの新ら
しい名前を用いるべきであったであろう︒不幸にして︑彼等は前者も為さなければ後者も為さ友かった口
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ω百円ロとの両氏は仮定を再興しかっそれにクいての砕蒙的危公理化を提出するに当って︑
誤解に陥らぬよう十分に用心したかったし︑そして︑実際︑いくらかの不用意の陳述によって多分誤解を助長したよ
うであった︒同様に︑仮定と役に立つ経験上の証拠との間の関係の我え独特な説明は﹁可測性﹂
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問題をじかに処理し︑ない為に不適当である︒そして︑経験は状々の問題にクいての持匂の引喰は十分には欠点のない
ものではたかヮたし︑しかも引取はまた誤解を軽減するよりはむしろ助長したであろう事を立証している︒
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5M可誌にのうている近頃の覚書は仮定の採用又は却下が立って
いなければならぬ理由やその採用が効用を﹁可測である﹂
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とみたす事を正しいとするか許す意見を明 白たらしめるための一クの試みによって我えの上り初期の不首尾を幾らか訂正しようと努める一クの素晴らしくよい
きっかけを準備している︒め切
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B ♀氏の覚書は正確にこれらの問題に向けられかク﹁可測性﹂
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期待効用の仮定と効用の可測性
四
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9 William J. Baumつ1民Q"The Neumann. M(】rgeno.ternUtility Index‑an Ordinalist View," Journal of Political
Economy.総1司再調(1 ‑F,同11升11tl!:!)1く1‑1C 1cr:il¥o 1 J足斗Jヰム¥rBaumol区立BernoulliAJ Marshall AJ Q陸由演罷也容lìEQ思IIミィミ「辺昭鼎立恕~~醤必{lî~ Q :l1Hli S1S盤塙喜斗吋0\--1長日えれ}~~:R遺品JtもJQ窓恒夫"1民←.,6lQAJ,..Jνむ(偽兵tDJcon sum"
ers always accept the actuarial value of a risky proposition 'as indicative of its utility" AJムゃ目玉恨み赤J1料給Jνム~~
盟みJ諜坦..J¥Jムの(1C111珂)。リQ~担当縫U@:f:b斗詰v,j AJ'1S fJ,知的。Bernoulli~ Q程科G判断よさ盟国営同盟主よtheSt. Peters‑
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tQO Daniel Bernoulli日誌桜田lÌl(\Q程拭Q*~ñbtæ..JνムtQ:単QÏ\1t\入κf.í1~ρ仰兵兵~Nicholas Bernoulli日以荊ν七時長Qt(tt?Q‑H‑斗Cramertl:¥.t! r認i↑ト右探也辺」esperance mathématique"づいrf$~-1.jQ*霊位~J"esperance morale" 以全f'(νf*~
TOJvEEj哩~1民Jνムト~OAJfred Marshall S王立場'~Q訴卦相ixρ~~主担当E患堪ρ必〉ν崎心兵~毘辻窓m:~;;話再Çì¥JムtDO
Friedman AJ Savage AJ Q目白羽〈除lê;~ïü;8E沼ヤ<111く0ー!く1i珂害関jE翠iu;m:活科(1 ) 111‑gr阿同PtいjUnbBE..Jν必tD4ぬ斡抑
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ド総11QH!il(鐸~足当{p.;(~探ffi2~r/a'震f.J.ぬs‑QJmeasurable" ,1‑6心ばf1~s-QJ makes" 料~QI ~長~~自記号2←(総-
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ro' i~~ñbtæ鑓骨<.j(11‑1C同阿。
一︑仮定を採用するか却下する理由
自然科学上の仮定の機能はまだ観察され泣い現象を我々が﹁予一一目する﹂
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仏百円三ととができる工うにするとと︑R
即ち︑同反ばくされ得るしかク山実は反ばくされないであろう所のまだ観察されない現象について申立てをするとと ができるようにする乙とである︒もしも観察されない現象にクいての申立てには反ぱくがされ得泣いとすれば︑仮定 は空虚であって︑それで予言にとって無駄である
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人は彼が選ぶもの左足ぶであろうという仮定は明らかに﹁正しい
﹂立
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目︒
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3しかク同様に明らかに﹁空虚でありQ﹂J
日古川吋
3
︑そのわけは反ばくする乙とができないから︒もしも 観察三れない現象にクいての申立てが反ばくされるならば(﹁しばしば﹂
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U 1 3 一
か選択的仮定が一不吹する申
立て工りももっと度々でもっと甚だしく)それたら仮定は諮問まっている口仮定を反ばくし得る観察できる現匁の範囲 広ければ広い程︑益えその可能のり
0甘口氏巴効果がそれだけ大となる︑そのわけは乙の事は子一一二日のより犬伝る正椛さ
に同等であるからである︒仮定が首尾よく反ぱくの検査に耐えた
T場合の範回が広ければ広い程︑溢えその妥当性に対
する信頼がそれだけ大となる︒明実た要求は非常に豆確な予一一一口(即ち︑零目勿に誤まり得る予言)を生んだと乙ろの︑
そじて︑今までに多︿のとんた予言託する(即ち︑一尺ばくす悼の各
y¥
の科会があった)のに用い九れた止と九の︑じか
も全く﹁在しい﹂
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月号︑予一一一町在生んだ(即ち︑幾度も幾度も買ばくされ︑なかった)ととろの仮定である'︒
多数の仮定の中からの選択に対する基礎としてのこれらの陳腐なそして余りに簡単にされた観察はここに︑なくては ならない︑何故ならばそれらの暗に合んでいる否決は期待効用の仮定に向けられた多くの非難の主勤者であるからで
あるロ即ち︑仮定はそれは﹁空虚で﹂
JB
々U3
はないから︑即ち︑それは誤まりであり得るから反対されるロ例え ば
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ωロ自己氏は彼氏は期待効用の仮定を反ばくするであろうししかも明らかに﹁病理学上の﹂
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ではないであろうししかも仮定の結呆のあるものは﹁内省的には明白ではない﹂
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と乙ろの行動を想像する乙とができると言っている
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幾分︑国ωロB︒‑氏は思いがけね観察と内省は仮定が誤まってい
る主主示唆するといっている︒乙の主肢は仮定に不利な関係のある証拠である︑というのはそれは未熟のままに観察
期待効用の仮定と効用の可測性
五四
経 営 と 経 済
四六
さ れ る 経 験 は 仮 定 に よ っ て 為 さ れ る 予 言 を 反 ば く す る 事 を い う 事 に な る か . ら で あ る
︒ し か し ωロ国
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氏もまた何か 全 く ち が っ た 事
︑ そ し て そ れ を 彼 氏 は 同 様 に 仮 定 に 不 利 な 関 係 の あ る 証 拠 と み な し て い る
︑ を い っ て い る と い う 事
︑ 即 ち
︑ 仮 定 は 明 ら か に は か つ 必 然 に は 真 実 で な い と い う 事
︑ ど ん な に 未 熟 の ま ま で あ ろ う と も
︑ 乙 の よ う な 行 動 は 観 察 さ れ た と い う 事 よ り も
︑ む し ろ 行 動 は そ れ を 反 ば く す る で あ ろ う 事 が 想 像 で き る と い う 事
︑ は 実 例 や 文 章 の 前 後 の 関 係 か ら 明 ら か で あ る
︒ 前 節 に 照 ら し て
︑ こ の 特 徴 は 欠 点 で は な く
︑ 明 ら か に 自 然 科 学 上 の 仮 定 の 長 所 で あ る
│ 仮 定 が兵でなければならぬ乙とを主張するととだけが確実注根拠のある具︑論である(即ち︑一クの同詰反覆である﹀︒仮定 を 反 ば く す る で あ ろ う 行 動 を 詳 細 に 記 す 乙 と の 可 能 性 は 仮 定 が 空 虚 で な い と い う 意 味 で あ る
︑ そ し て こ の よ う な 行 勤 が明らかには﹁病理学上の﹂
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﹁ 内 省 的 に 明 白 で
﹂ 三 三 円
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はないという乙と は︑もし妥当なものであれば︑仮定は我々がそれなしに出来るよりも一一回正確な予言をする乙とができるようにして やるだろうという意味である︒わ め 同 誌 六
四i
六五
頁︒
り同様に田町E自己氏は﹁如何なる場面もそれの他の場面から推定される﹁効用﹂
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をもつことはできない﹂
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伊=という彼氏自身の解釈についてさも我が窓を得たという様に所見を述べて︒F2
いる(同誌六六頁)口しかγしこれはただ彼氏の仮定は殆んど空鹿であり︑それ故に我々の行動の予一一一日に対する技何に添えることは
殆んどできないという事である︑従ってそれはほとんど少しも興味がない︒
回ωロ自己氏独自の一一一日わず諮らずの基準によれば︑通常の様々な無差別曲線の焦合の順序の効用分析は否認されねばならぬであろ
う︒通常の明確な説述は殆んどしかし全くは空虚ではない︑それは少くとも移行性の意味を含むからである︒
物理学との類似は問題となっている点をはっきりさせるのに助けとなるであろう︒物体間の距離の三乗に逆変する物体問の引力E
については何も﹁病理学上の﹂=句
EE
包Z
g t w
ものはないし︑叉引力が距鵡の二一束に逆変ずるであろう事も内省的には明瞭では
ない︒人はもし観察されるならば逆二乗則を反ばくするであろうところの大いさの順序を容易に想像することができる︒明らかに
これらの申立てのどれも逆二乗則に対する確実な根拠のある異論を主践するものではない︑従ってそれらは単にそれは可能な力を
もっているという事である︒
しかし朋待効用の仮定は多分
uo
g己主守主い結果をもたらし︑しかも丁度例として引いた事がらのようにそれの
採用に対する具議は大部分的はやノれであるとしても︑それを受容れるべきどん左積極的な理由があるのであるか?そ
れは反ばくできる乙との試験にもかかわらや幾度も幾度も生きていたか
7
それはそういう風にするだろうかまたはそ うし続けるかという事を信やる乙とに対するなるほどと肯肯させるどんた理由があるのか
7乙れらの両質問に対して
一つの高度に条件付きの応諾の返答を与えるととができるが︑それ以上の事をしたい︒それだから︑現在の所では︑
仮定がででかなりの年が立っているにもかかわら十︑それは﹁眼の高い﹂Eの号芯色=実験の直接的伝造物から上りも
一一回一間接的危証拠からそのもっともらしさを引き出す見込のある憶測と認められねばならぬ︒
仮定の程験との首尾一貫に関する︑即ちとのような経験によって反ばくされるその含まれた意味がたいとき︑すぐ に役立つ証拠の多くは︑我えのより初期の論文中に簡単に約説されており︑その中の若干は仮定を限定するのに用い
られているD
我々はその論文の中で追加の反ばくのあり仔ぺきととを示唆したが︑我々の知る限りに沿いて︑との事
はまだ開拓されていない口冨
O ω 件 ︒
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とZ
︒ 向
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oとの両氏によるいくクかの近頃の実験と直接な観察に基十く証拠へ︑
しかも仮定を反ばくできない︒しかしそれでも今役に立ク乙の比較的に直接怠種類の証拠は仮定の妥当性を心から信 頼する乙とを正当だと認めるのに充分ではたい︑それ故︑精及︑それは寛容た楽天主義を正当だ正認める︒
的吋
前掲
引用
論文
︒ 確かに︑仮定の本当の魅力は少なくともいくつかの主要広範囲内で仮定がつづいて反ばくされ符注いであろうと乙
ろのそれをなるほどと思わさしめる間接的た一証拠工りもとの直接た証拠からは工り少たく符ている︑と思う︒との間
接の証拠は多少仮定と経済理論の残りとの首尾一貫した緊結さによって準備されている︒はるかにより大部分︑それ
は仮定の由来に対して充ハ?なかっそれから彼等自身を推及なさそれ故仮定の一つの選択的陳述である所の一組の会準
の怠るほどと思わせるものによって規定されている︒とれらの公準が論理上同等である仮定よりももっとなるほどと 思わせるという事の点で︑我々は会準は直ちに思いがけ友い経験上の観察に動かされやすい幾多の合まれた意味(又
は仮定からの予一一一口﹀を思い出す事を意味している︒とれちの含まれた意味が言っている現象の組については︑仮定は
期待効用の仮定と効用の可測性
四 七
経 自 と 経 済
y¥ 四
反ばくに対する多くの機会をもったし︑幾度も幾度も反ばくされ得なかった︒心社拠は﹁間接的﹂E
ト ロ 品 い
お の 円
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であ
る︑
︑なぜならばとれは我々が予一一目するための仮定を用いるととにまや関心がある現象の組ではたいから一口との組に対して
仮定が成功すればそれはほかの︑関係の左い事の注い組に対して成功するであろうという事を友るほどと思わせる
上うにするが︑それは後者の組に対する直接た証拠と同じ信頼を.正しいとはし注い︒
ぐOロ22BED
と 宮
O門向︒ロえ叫吋口との両氏の主要注独倒的な貢献はとの間接の証拠を彼等の仮定の公理化を通して
正催に供給した主である
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我々がより初期の論文で述べたわ
Z2 sg
ロ・
民日
向︒
ロω
Z E
両氏の公準の椛訳に一つの誤 まりがある
(ω gB O} 氏は彼氏の脚註呂で注意を向けてゐり︑叉
M u g ]
﹀ ・ m m E H H O } ω
口氏が我々の注立を呼び出してO
いる)以上︑えω川H J 1 ω
な氏が他と関連した仮定の公準の民貨の基礎に関する仕事をして沿った以上︑公準の性質の証 拠の再説を乙
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不す
︒問
り こ の 誤 ま り は 注 な さ れ て
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門出
口官
E M u ‑ s
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00ミで再版された線刻の中で訂正されている︑同書七一瓦︒
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ここに示したそれに対する公準一糸と一誠迫は大体一致しているい民主目︒
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FM 1m E 己 門
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つ印 ]) 四九 三!
究O六頁の第三節の一渋川寸資料︑と比較されるで色汚う︒
簡単のために︑選択の一つの方法の一人の人に対する故後の結果がいくらかの有限数の可能性︑例えば必要素
UペH・
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・‑ w h F をもっ集合凶︑の中の一つであると仮定せよ︒とれらの結果︑即ち︑台︑は個人に対し多八刀生十るであろう
﹁所
得﹂
λロ
gBg ミという事ができる︑ただし︑所得は︑例えば︑現金所得︑時についての現金所件の一覧表︑多く の詰の財︑恋及び戦争述︑たどにわたっ・ている︑故も広義に了解されるべきである口有限数の結果だけあるという仮 定は明らかに何も実用的な意味をもた泣い︑それ故に︑数学的には︑それは取除くととの出来る一クの欠点である︒
予め個人に役に立つ二者以上の聞の選択は一・組の確率分布から成る︒しばしば﹁見通し﹂
z u g ω U O O F
‑ w と呼ばれるど
れか一方︑まあ確率分布¥︑はど・hRM・‑::・がそれぞれ故後の結果であるであろう確率
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個人に各の
hに対し所得しごを受取るととの確率・﹀を申し出るとばく又は富くじ札と解される︒
公準は右に定義された確定した有限集合凶上で者えられるありとあらゆる確率分布﹀向.wp・::・の集合︑に属する ものとする︒乙れらのすべてがもちろん
εんな特殊の場合においても個人に役立ク要は泣い︒可の一要素¥は記号法
¥日︹¥ご¥了::・・・刊誌︺で表わす乙とにする︑ただしすべての.子はーまで合計している負たらざる数である︒
式・¥hh川は次のように読むべきであり解釈すべきである︑即ち﹁とばく¥は(その個人によって)同工りも選好さ
れな
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ロ{同吉正ロ包)ghpwwそしてそれはもし¥と内とがその個人に役F
に立ク唯一クの選択である
ιならば︑彼は計画的には¥を選ぼうとはしないだろうという意味である︒
まだ公準は一クも提出されていないけれども︑一クの非常に重要な仮定がとれまでの処では明らかにされている措
︐造中に潜在的に合まれている︑即ち︑それは確率が適用される不依定志状態にある人の選好は全く個々の起りうる所 得に結びついている確率によって支配される︑という事である︒乙の仮定はある分析の余地がありかつ価依がある︒
しかし乙の分析はと乙では省かれるであろう︑そのわけは我えは仮定は︑割引きして︑効用の仮定にクいての現今の 批評家に受諾できるという考えを持っているからである︒
公準の陳述は次の記号法の申し合わせによって容易にされる︑即ち︑もし¥日(﹀・:・・・﹀vhu︹Ew‑‑:JFV
かク
oh
Rh
Hた
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RH
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(H
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+(
Hl
R)
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︺で
ある
︒明
らか
に︑
R¥
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Hl
R)
ぬ .
はそれ自身可の一要素でありかクQがそれぞれ同又は
Oのとき¥又はhに化する︒検討される公準は全く形式的にこ
れらである︒
HU
H‑
ha
の中
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べて
の
¥hL
に対し︐
H・¥れ加
. w
又 は h h
・もしH.hh.かク内hbたらば¥hb・ω ・¥
市ω
・ o h R
︿ H で あ る よ う た す べ て の R に 対 し も し R H +
会lR)bh同友らば¥仇内・
MM
ーωE ・0︿良︿Hに対して︑¥h川町なるとさしかもそのときに限り良¥十公lR)bhhk同+公lQ)bω
がある乙とで効用の仮定は厳密に一クの定理としての意味が合まれる︑即ち︑
期待効用の仮定と効用の可測性
四 九
経 営 と 経 済
冗
O
定理
︑
M子
D h M m D
なるときしかもそのときに限り
¥hh
なる工うな数
2w :: JP
があ
る︒
た治その上に︑数
3
と立のどんなこつのとういう数列でもある
F H
について︑
久 ・
1
匂 十 町 内 九
H V O
のとき方程式
によって結びつけられる︒
期待効用の仮定である乙の定理の証明は容易であるが︑乙乙に示す乙とは適当ではない︒山逆に︑より初期に為され た 一 つ の 主 長 を 改 善 す る 所 の
旦l ω
の意味を合む乙とは殆んど明らかである︒
い 刊 同O Hg J1 32 25
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との両氏の共著吋
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第二
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付録
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︒ 我々に対し重要注問題は公準が適度によく観察できる経済行動に相応する事が期待できるかどうかであって︑乙の
問題は今三クの公準に対して一つやノつ取上げられるであろうロ
第一の公準は個人がすべての考えられるこ者以上の間の選択の中から一つの完全な終始一貫した(移行する)排列 をもっと考えられるとのべる︑即ち︑人は二物のどちらを選好するかそれとも両者間には無差別であるかどうかを見 分ける事ができ︑それから彼は何よりも¥をより選好し左いし︑又ゐよりも
hをより選好し怠いならば︑彼は恥より
も¥をより選好しない︒とれらの密接に相互関係のある仮定は経済学者が多くの注意を与えていた︒それらは内省的 には非常に人の胸に訴えるし︑しかも完全ではないが︑それらの経験との一致は引続きの興味に充介一に航するという
一般的た一致がある︒均
川 匂 己
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同氏
︑前
掲引
用論
文二
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・開
・ k r H B E H g m
氏による異見へ論及参照︒拙稿︑前掲引用論文士乙八七頁︑注二三︑参照口
第二の公準は︑全体的に見て内容をもたたいでは訟いが︑全く受けられるように見える︑連続の技術的危仮定であ る︒例えば︑如何に交通量が少なくても︑それは一人の人が通りを横切ろうとしないたちば︑かりに全然危険の原因