1. はじめに
西海市は33,000人程度の人口で、3 年前に、
大瀬戸町、西彼町、西海町、大島町、崎戸町の 5町が合併し西海市となった。我々は「まちづ くり」の一貫として、「西海市の観光地」を市 民が選択した観光地のベスト50に説明を加え、
それにアンケートの項目を集計したものを記入 した冊子を作成し、西海市民の啓発に役立つと よいと考え、無料で1,000冊余りを配布した。
アンケート調査の依頼については「よそ者」へ の警戒心が西海市民には根強いものがあり、快 く引き受けてもらえるか心配したが、各組織・
団体の権力エリート層2) に依頼したこともあ り、調査を好意的に引き受けてくれ、50%を越 える回収率だった。西海市の観光資源地を写真 で写していると怪訝そうに見ている人が多く、
「よそ者」に対する村意識の現れと思えた。実害 を与える者ではないとわかると、村意識特有の
「われわれ意識」でとても人懐っこく仲間のよう に親切に接してくれた。また、旧町(大瀬戸、
西彼、西海、大島、崎戸)同士のセクト意識も
残っており、都市というよりもムラ意識が強い ところである。
2. 西海市
社会学的人間像人間は、社会の影響をうけて生きている、単 に母親から生まれて誕生するだけでは、人間と して生きていくことが困難なことを、インドで 狼の子供として育った少女、カマラとアマラや フランスのアヴェロンの森で発見されたヴィク トールの行動は教えている。このことは肉体的 には人間であっても、後天的に身につける文化 や習慣などにより人間は、社会的存在になるこ とを意味している。意識的であれ無意識的であ れ、他者に関ることによって人間は、集団の一 員であることを認識し、集団に適応することを 学ぶ。集団の人間関係や環境から影響を受け、
その社会に共通な行動様式や社会特有な性格を 身につける。これを社会的性格という。
「町の人が優しい」(大島、女性、10代) 「人 の温かさ」(崎戸、女性、30代)
ボランティア活動と教育
―地域活動を通して―
安 部 芳 樹
(長崎国際大学 人間社会学部 国際観光学科)
要 旨
昨年度、学生と「西海市民が選んだ西海市の観光地50選」の冊子作りと西海市民の意識調査に取り組 んだ。西海市の史跡・観光地・神社・仏閣など観光資源になりそうな場所をくまなく巡るとともに、中 学生以上の西海市民男女に「西海市民意識」のアンケート用紙、5,000通を主婦連、老人クラブ、中高等 学校、商工会、観光協会などの各種団体に依頼し、2,017通が回収できた。この地域活動は学生の要望も あり、取り組んだものである。教育活動として始めた地域活動が、市民からボランティア1) 活動として 評価を受けたのを機会にボランティア活動の観点から地域活動をとらえ、教育とボランティアについて 考えてみた。
キーワード
西海市、地域活動、ボランティア活動 教育
「人が温和」(大瀬戸、男性、30代)「人柄が よい」(西彼、男性、70代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「西海市に住ん でいるとよいと思うことを三つあげて下さい」のア ンケート調査より抽出したものである。
以上のように西海市の人は、人に温かく親切 で人情味がある人間像は共通のものである。
「自然を肌で感じられる」(大島、男性、10代)
「自然がいっぱい、魚がおいしい」(崎戸、女 性、30代)
「四季折々の景観が美しい」(西彼、女性、40 代)
「海・山・川の自然の中で生活できること」
(大瀬戸、女性、60代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「西海市に住ん でいるとよいと思うことを三つあげて下さい」のア ンケート調査より抽出したものである。
以上のように性別、世代をこえ「自然」が豊 富であることは共通の社会認識である。
「ボランティア活動」(大島、女性、50代)
「ボランティア」(大島、男性、50代)
「ボランティアが出来る人はボランティアを する」(西海、女性、60代)
「市民が率先して色々な行事に参加し、ボラ ンティア部などの助け合いが必要」(崎戸、男 性、60代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「活性化するた めに、市民が実行することは?」のアンケート調査 より抽出したものである。
以上のようにボランティア活動が、西海市を 活性化するために、市民が実行できることの トップにきている。自然に恵まれた環境で育っ た西海市民は、優しさに裏打ちされたボラン ティア活動を育成してきたといえる。
「優しさ、情のある」「皆いい人」(大島、女 性、10代)
「人のよか」(西海、女性、50代)
「親切な人が多い」(大瀬戸、女性、60代)
「人柄がよい」(西彼、男性、70代)
「協同の精神」(崎戸、男性、70代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「どのような まち をめざしたらよいか?」のアンケート調査 より抽出したものである。
以上から西海市民は協調性に富む情の篤い人 間像を回答している。我々が観光地を訪ねてま わる際、わからぬ地を尋ねると、農作業をして いても、仕事を止め、目的地まで案内してくれ る人ばかりだった。このことからも、西海市民 の社会的性格が「優しい、情のある」ことがわ かる。崎戸町の江島の住民は、島外からの移住 者を求めず、島の住民だけでこれまで通り暮し ていくことを強く望んでいたが、市としては人 口減少が続くことを避けたい思いから、移住者 を公募した、その甲斐あって、五島市から移住 者が移り住んできたが、一年経過した昨年、そ の家族は五島へ戻ったのである。江島の住民と うまくいかなかったのがその理由である。閉鎖 性が強く排他的なところが色濃く残っているこ とを示す例である。江島の老婆に「どこか観光 に行ってみたいと思いませんか?」と質問した ところ「私は、この島が好きです、他の地に行 こうとは思いません。今のままの生活で満足し ています」と答えが返ってきた。これを贅沢せ ずに心の幸せだけを求めている素敵な生き方で あると捉えることもできるが、島から出たこと がない人は、その土地だけでしか暮らすことを 望んでおらず、他の世界で生きることを億劫に 思っていると考えた方がよい。このように「優 しい、情のある」社会的性格とともに、ムラ意 識の特徴である閉鎖的で官僚制的な面も西海市 民の社会的性格ということができる。
地域と教育力
「地域社会は、基礎的集団のひとつで、人々の 生産や消費が行われるなど、日常生活の基礎的 資源を提供する。」3) 地域社会は、共同生活を営
む過程で、言語、服装、食習慣などその地域で の文化や慣習が形成され、生活の仕方である文 化や気候、風土、自然条件が人々の性格形成に 影響を与える。地域社会での生活は、自然現象 や社会現象の制約の中で築かれ、それが地域の 伝統や文化として形成される。現代の都市社会 では、人は孤立化し、他者との結びつきが希薄 となり、隣の人も知らない生活を送る人が多く なり、地縁で結ばれていた地縁社会が、工業化 により急速に失われていった。地域の若者が都 市の生活に魅力を感じ、集団就職のために集団 列車に乗り都会へ向かったのが、高度経済成長 期である。それは、自足的社会であった地域共 同体、つまり村落共同体の崩壊を意味した。か つては、地域の中で子どもは「地域の子」とし て、村人から見守られ、早期から農作業などの 技術を習い、技術の習得に際しては、父親から 厳しく技術を教えられた。子どもは子供会や青 年団などのグループの中で、年上の子どもか ら、伝統行事への参加や遊びを学ぶとともに、
縦関係やムラでのルールを教えられ社会化され たのである。女の子は、農作業はもちろん、子 守や炊事・洗濯などの家事を習い育ったのであ る。ムラには頑固親父や祖父がいて、時には子 どもを監視する役割を担っていた。その意味で 村落共同体は教育的機能を果たしていた。村落 共同体は、人口の都市集中、産業構造の変化に よって、必然的に解体せざるをえなくなった。
子ども会が主になって子どもを集め開催してい た地域での相撲大会、遠足などの行事は、高度 経済成長下で地域共同体が崩壊していくととも に姿を消し、町内会の下部組織であった子ども の自治的活動の場であった子ども会も少子化と ともに活性化を失いつつあり、地域での子ども の結びつきも希薄化した。自然発生的に生じて いた子ども集団は姿を消し、それに代わり、塾 や習い事、スポーツクラブのような意図的に組 織された集団が噴出し、子どもの集団は、自然 に形成されていた遊び集団から大人によって作 られた意図的集団へと移行し、意図的集団で親
も子も活発に活動するようになった。親による 送り迎えや親の見学など子どもの活動は大人に 管理され、自主的に遊ぶ機会が減少し、地域と の結びつきは希薄となった。公園は沢山作られ たが、人工の場よりも自然が好きな子どもには 人気がなく、小さい子どもを連れた母親が集ま る場所になった。村落共同体がもっていた子ど もを教育する機能は、多様化し、広域化した都 市社会では失われている。餓鬼大将を中心とし た子ども同士の縦関係や子供会などの社会組織 や頑固親父のような社会的父親がいなくなった 状態から、なんとかして地域の教育力を高め、
活性化を図らなければならないという社会的要 請は強い。ボランティア活動は、そのような要 請に応えるかのように現われたのである。
西海市とボランティア
西海市は高齢者比率が高く、財政も逼迫して おり、多くの地方自治体と同じように、赤字財 政に加えて高齢社会、過疎の町でもある。その ような地域でボランティア活動を行う意義は地 域の活性化にあるとも考えられる。他の地域の 住民が入るだけで、多くの刺激を与えることが 可能である。しかも、西海市の人々は、優しく、
親切な社会的特性を備えており、責任者の了解 さえ得ると他の人々は非常に協力的である。
我々の活動を市民はボランティア活動ととらえ ており、馴染むに従い多くの共感を得た。ボラ ンティア活動を重視する西海市では、ボラン ティア活動に好意的であったことは、活動に大 きなプラスとなった。ボランティア活動といえ ば、ある特殊な人が行う「特別な活動」という 見方もあるが、西海市民は、身近なものと意識 していた。
「ボランティア参加」(西彼、女性、50代)
「多くの人がボランティアへ参加」(西海、女 性、60代)
「ボランティア活動の組織化」(大瀬戸、男性、
70代)
「老若男女積極的に社会参加をする。ボラン
ティアの気持ちを持って、できることをやっ てみる」(崎戸、女性、70代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「西海市を活性 化するために、市民が実行できること」のアンケー ト調査より抽出したものである。
以上のように市民のボランティア意識は高 く、ボランティア活動を重視している。現在で も高齢者の人々が市政にボランティアとして携 わっており、市民のボランティア活動の協力な くしては、市自体が円滑に機能することは困難 であると思える。西海市では各町民との交流が 少ない上に、他の都市の人は素通りが多く、市 民も通院などのやむをえない事情で市外にでか けることはあっても、他のまちとの交流は少な い。地域社会における情報の交換は、新しい市 にとって欠かせないものであるが、合併以前に 西海市の旧町と旧町の人との交流は、深いわけ ではなく、観光地については、特別な場所(今 回の調査によると上位3位まで)は知ってはい ても、その他の観光地については、住んでいる 町は別としても、他の町には関心が薄い。
「今回調べてみて、自分の住む町以外のこと をよく知らず、まずは、それぞれの町のこと を知ること、出かけて行くこと」(大島、男 性、20代)
「市民が西海市のことをもっとよく知ること」
(西彼、女性、20代)
「五町をお互い知らないことばかりで、交流 を活発にしたら、西海市の発見につながる」
(大島、女性、40代)
「もっと市民間の交流を多くする」(大瀬戸、
女性、50代)
以上は、2006年9月実施、筆者が行った「西海 市市民意識調査」のアンケート調査「西海市を活性 化するために、市民が実行できること」のアンケー ト調査より抽出したものである。
以上のように「他町のことに関心を持つべき だ」の声は多くあった。西海市は今後とも老若 男女のボランティア意識は強く、活動する人も
増えるであろう、ボランティア活動を通し、市 政に間接的に携わる中で、まちをなんとか市民 の手で活性化し、作り直す機運ができると、ボ ランティア活動として「まちづくり」に参加す る住民は多く、西海市民のボランティア熱が
「まちづくり」を後押しすることはアンケート 結果より読み取れる。
3. ボランティアを問い直す
ボランティア活動と教育「阪神・淡路大震災」が起きた年をボランティ ア元年(1995年1
月)といい、震災後多くの人々 がボランティア活動に取り組んでいる様子が映 像に映し出され、日本人のボランティア意識が 急速に高まりその重要性を国民は認識した。
「1993年総理府調査によれば、日本の青少年の 33.1%がボランティア活動の経験がある。参加 意思を持つ青少年は68.2%である。」4)と青少年 のボランティア活動への関心は高い。
ここではボランティア活動と学校教育につい て考えてみる。現在、「ゆとり教育」が批判を受 け、学力をつけるために「授業時間」を確保す る方向に文部科学省は舵をきった。生徒の自主 性や主体性を重視してきた「ゆとり教育」が問 い直されている中で、生徒の主体性、自主性を 重視するボランティア活動は、生徒の興味・関 心を高め、自主性を生かす意味で大切である。
地域の時代をプライスは「民主主義の学校」と 述べ、地域は生徒が民主的態度を身につけるた めの最適な場であると語っている。ボランティ ア活動は人権を重視し、民主的人間像を育成す るために必要なひとりひとりの意見を尊び、差 別することなく人々を認め合う人権思想がその 根底にある。これは近代教育の不備を補い、さ らに民主教育を促進させる原動力にもなり得 る。「個性の重視」という観点からも、自主性を 生かすことは、基本的には本人の「好きなこ と」・「得意なこと」に取り組むことであり、生徒 のニーズを生かし、自己実現を図る手段として ボランティア活動に、生徒は生き生きとした姿
で取り組める。「ゆとり」教育においても、生徒 の「ゆとり」ある時間をボランティア活動に生 かし、生徒の成長はもとより社会とのネット ワーク作りに生かすことを体験し、充実した時 間を過ごすことができるようになる。「心の教 育」との関連においても他者の役に立つ活動を 体験することで、他者の喜びを自分の喜びと感 じることで自他の感情が豊かになり、同じボラ ンティア活動に参加する人たちとも多くのこと を共有し、絆を結び豊かな社会体験を培うこと ができる。学校現場では総合的学習の時間にボ ランティア活動は取り扱われることが多い、そ れはボランティア活動が、生徒の主体性を生か した活動で、社会貢献型体験学習であり、課題 解決型的な学習や人を思いやり、援助すること で、愛の精神を育てるなどの意味から学校でも 取り組まれている。ボランティア活動が盛んに なった要因として社会の急激な変化に伴う、生 徒の個人化、多様化、社会の少子高齢化、情報 化、国際化などがある。地方の時代と言われて 久しいが平成の大合併で、地方政治の重要性が 改めて認識されるとともに、地方分権意識の醸 成は、それぞれの地域社会の見直しを含めた まちづくり が活発化している。そのような中 にあって学生、生徒がボランティア活動に果た す役割も、高齢者や障害者の支援はもとより、
情報化、エスニティックス、環境問題、伝統文 化、調理、陶芸など多岐に亘り、活躍の場も多 くなった。このように広がりをみせているボラ ンティア活動も、東京都が2005年に「奉仕(活 動)」を義務化すると、「ボランティアは重要で ある。ただしそれを、学校が強制してはいけな い。ボランティアの意味は『自発性』というこ となのに、それを強制するのは矛盾である。だ から、強制されたボランティアはただの強制に すぎない」5)という意見も出されている。東京 都はボランティアでなく、奉仕活動であると いってはいるが、教育現場ではボランティア=
奉仕活動と受け止められている。1988年に教育 職員免許法が改正され、非常勤制度が創設さ
れ、教育委員会の許可があると、教員免許状を 有しない人でも教育にあたることができるよう になったこともあり、多彩なボランティア活動 が学校にも花開いた。授業の補助としての民間 人活用、クラブ活動の指導者、花壇の植栽の維 持管理、集団下校、登校の際の送迎や交通整理 など、これまで学校が拒否してきた、学校内で のボランティア活動はもちろん、校外での指導 など、多くのことをボランティア活動に委ねる ようになった。これは、現在の学校が多くの問 題に直面し、これまでの授業だけのシステムで は機能不全に陥っていることを意味している。
児童、生徒が多様な人と接し、いろんな学びを 通じ成長していくのが望まれている、それには ボランティア活動の協力が必要である。以上み てきたように、ボランティア活動は、現代社会 の中で必要性が増している。その証拠に東京都 では2003年度に「ボランティアの日」を設置し たほどである。ボランティアを学校の特色にし ている学校もあるが、他者からみると「ボラン ティア活動を学校の特色とする学校ではボラン ティア活動を積極的に子どもに呼びかけてい る、その呼びかけは、見ようによってはかなり 強制的である」6) と批判的な考えもある。これ らのことを考えるとボランティア活動は、教育 現場に取り入れられてはいるが、自主性や主体 性を原則とするボランティア活動は、ボラン ティア教育としては、現実の教育現場では「理 念」通りには受け容れられていない。ボラン ティア活動を押し付けたり、進路の評価に使用 することに抵抗感が強いのは、「学校が生徒に ボランティアを押しつけることによって、外面 的で偽善的なボランティア活動になってしま う」7)危険性をはらんでいるからである。花一 杯運動のようなボランティアと称する活動もボ ランティア活動であり、ボランティア教育と呼 ぶのは不適切であると思う。西欧で考えられて いるボランティア教育が日本の教育現場に馴染 むには、時間を要するであろう。
奉仕活動と教育
文部科学省は、教育要領などでもボランティ アという言葉を避け、奉仕的活動という言葉を 用いている。これは、2000年の「教育改革国民 会議」の中で「18歳以上の青年全員が1年間程 度の奉仕活動に参加する」について提言を行っ たもので、奉仕活動の義務化とも呼ばれてい る。「『ボランティア』(Volunteer)の語源は、
ラテン語の『ヴォロ』(Volo)を語源とし、英 語でいう『……をする意志をもつ』という言葉
『will』と 同 じ 意 味 で あ る『ヴ ォ ラ ン タ ス』
(Voluntas)という自由意志を意味する言葉に 変化して概念化」8)したもので、自ら意志する、
主体的に行うという意味が強い、人からの干渉 を受けず個人の自立した意志を重視するのであ る。奉仕活動の奉仕という語源については、
「わが国の……(中略)……最も古く 奉仕 の言葉を記しているのは日本書紀のようであ る。……(中略)……もののなかに 仕え奉ら ん という言葉が使われている」9)「『つかへまつ る』は『仕え奉る』と書き、『奉仕するの意』
となっている。したがって『奉仕』という言葉 の語源をさかのぼると『仕え奉る』となり、そ の仕え奉る対象は天皇であった……(略)」10)言 葉通りに言えば、天皇に奉仕することが奉仕活 動ということになる。奉仕とは社会関係の観点 からは、日本では上下関係があったものと考え られる。「奉仕活動を滅私奉公に対抗してボラ ンティアと呼んだ」11)とあるように、奉仕活動 という意味の自己犠牲は、日本社会特有の古く から培われてきた行動様式である。以上からわ かるように、ボランティアと奉仕活動とは同じ ではない。奉仕活動とは、日本に古くからある 活動で、奉仕活動的なものが制度として古くか ら存在した。例をあげると、相互扶助制度は、
律令によって五保(隣接する5戸で構成し、納 税・防犯などの連帯責任を負う)という仕組み が設けられた。江戸時代には五人組の制度が全 国に張りめぐらされ、年貢納入の連帯責任を負 わされ、相互監視と連帯責任による統治が進ん
だ。これらは、制度として社会的に機能してき た。奉仕活動は、自分の利益より他者の利益を 重視する自己犠牲の精神が根本にある。ゴミゼ ロ運動のように学校という制度の中で実施する ボランティア活動は、制度的制約のもとに行う ことが多く、学校で行うボランティアと称する 活動を奉仕的活動と呼ぶのは、適当なことであ る。奉仕的活動は、自主性や強制などの言葉に 左右されずに活動できる。教育活動に取り組ん でいると、自主的に授業に取り組んでいる学生 ばかりではない、「生徒は全て自主的であり、強 制しては伸びるものも伸びなくなる」とはよく 聞く言葉であるが、現実の生徒や学生の興味・
関心は多様で、自主的(主体的)存在と結論づ けられない。国語に興味を示す生徒が、数学は 無関心だったり、身体を動かす体育は得意だけ ど、坐学である歴史は不得意だ、という具合に である。得意なものは好きで自主的に取り組む が、不得手なものは後回しにする事は、学生に 限らず人間にはある。現実の学生・生徒の教育 は、自主性、強制、褒めるなど多様な方法を取 り入れながら行われている。教育という見地に 立つとボランティアそのものの理念である主体 性が、いつもどの生徒にもあるとは言えない。
西欧や米国は個人主義に立脚し、主体性を尊ぶ 思想が根底にあり、キリスト教の思想によって 個人主義に利他的側面が加わり、個人の自己犠 牲が義務として考えられる社会においては、人 間は主体的存在であるという考えは理念として も現実としても受け入れやすい。相互依存関係 を重視してきた日本社会にあっては、どうして も個という概念が育ちにくく、他者依存的な社 会関係がその背景としてあった。他者依存的で あるから、和や協力関係が尊ばれ、自主的行動 は時としてムラに反逆する行為として映ったの である。このような文化的背景で育った人は受 身的で、攻撃的ではない。西欧の個人主義が世 界共通のものではなく、農耕民族である日本社 会では、個人主義が根付かず、自主性や主体性 が育たなかった風土的理由もある。
むすびに変えて
この活動を通し、学生が気を遣ったのは、高 齢者や市役所の職員など学生より年長の人々で あった。市となったとはいえ基本的な社会構造 は、村落的な社会意識や関係が残っているな ど、学生が育った佐世保市の社会関係や社会意 識とは異なる部分があり、人間関係には、慣れ るまで緊張の連続であった。縦関係が強く、都 市から移住して来た人の中には、ちょっとした 気遣いの欠如によって、協力してもらえない場 合があることも、西海市の人々と交わる中で知 らされた。都市社会で暮らしている学生は、西 海市の人々の素朴で親切な社会的性格に、大変 心を打たれた。しかしながらアンケート調査を 依頼する場合も背広姿の正装で訪問し、言葉遣 いに気を配り、お礼の手紙を出すなど、非日常 的な出来事に対応し、西海市に溶け込む努力を 懸命にしながら、学生は多くのことを学び成長 していた。
今回の活動は、教育活動として取り組んだも ので、参加した学生も、ボランティア活動に取 り組んだという意識はない、学生は研究の一貫 として西海市の観光地の冊子作りに取り組んだ 活動としかとらえていないが、西海市の人はボ ランティア活動と考えていた。そこでこの活動 をボランティア活動の観点からみてみると、挨 拶や言葉遣いに留意し、知らない人との交流を 通じたネットワークの形成などの「社会性」、土 日の休日や夏季・冬季休暇、さらに春季休暇の 一部を割き、食費や交通費は自費負担の「無償 性」、さらには好きなことは進んで取り組む「自 主性」などボランティア的色彩が強い活動と考 えられる。ボランティア活動が自主的な学生の 態度が不可欠なのに対し、教育活動は全て自主 的活動とはいえないこともある、このケースも 実地調査には喜んで参加した学生も、執筆とい う段階になると消極的になる学生もいた、仲間 が参加するので参加するという学生もいるな ど、学生の活動への参加は、全てが自主的とは いえなかった。ここにボランティア活動を教育
そのものとして扱う矛盾を感じてしまう。しか し前述したように、社会性、無償性の原則は、
この活動を貫いていた。西海市民がボランティ ア活動と評価したのも、「社会性」、「無償性」
を評価したからだと思える、「自主性」という内 面的なことは外面的には量り難い側面があるの で、評価しにくかったのだろう。外見だけで は、活動がボランティア活動か教育活動かは判 断しづらいのである。教育との関連では、教育 活動そのものとみることには問題があるが、教 育的機能がボランティア活動の中に含まれてい ることは否定できない。ボランティア活動の教 育的機能を活動を通してみると、学生は地域の 人々と交わることで、非日常的なことや市民の 温かさを学び成長していた。中学生から高齢者 まで幅広い年齢層の人々に出会い異質な人と心 豊かに触れあっていた。アンケート調査や市民 への啓発活動を通し、社会のあるべき姿を訴 え、民主的な「社会的公正」12) への視点も開い ていた。一年間西海市を学んだ結果、全員が卒 論に西海市に関するテーマを選んだことは、こ の活動を通し学生は、西海市への興味、関心を 育てたといえる。この事実をとってみても、活 動の教育的機能に果たした役割は大きいものが あった。
注
1)ボランティアの定義は一様ではないが、「ボラン ティア活動は「自発性」「無償性」「公益性」とい う三つの条件を揃えた行為のこと」の定義にここ では従う。内海成治他共著2名(2006)「ボラン ティア学を学ぶ人のために」世界思想社 5頁 2)鈴木 広他3名共著(2002)「地域社会学の現
在」ミネルヴァ書房 65頁
3)倉橋重史・丸山哲夫編著(1989)「社会学の視 点」ミネルヴァ書房 9798頁
4)興梠 寛著(2008)「希望への力」光生館 158 頁
5)喜入 克著(2005)「叱らない教師、逃げる生 徒」扶桑社 232頁
6)喜入 克著(2005)「叱らない教師、逃げる生 徒」扶桑社 232頁
7)内海成治他2名共著「ボランティア学を学ぶ人 のために」世界思想社 83頁
8)興梠 寛著(2008)「希望への力」光生館 65 頁
9)興梠 寛著(2008)「希望への力」光生館 66 頁
10)興梠 寛著(2008)「希望への力」光生館 66 67頁
11)池田幸也著(2006)「現代ボランティア論」久 美株式会社 14頁
12)内海成治他2名共著(2006)「ボランティア学 を学ぶ人のために」世界思想社 81頁