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人権教育方法論としてのボランティア活動

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

人権教育方法論としてのボランティア活動

著者 阿久澤 麻理子, 中川 喜代子

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

44

1

ページ 191‑208

発行年 1995‑11‑24

その他のタイトル Volunteer Activity as a Practice of Human Rights Education

URL http://hdl.handle.net/10105/1634

(2)

人権教育方法論としてのボラソティア活動

阿久津 麻理子ホ・ 中 川 喜代子

(奈良教育大学社会教育教室) (平成7年4月28日受理)

1.はじめに

I.問題提起

国際連合は昨年の第49lUl総会において、 1995年からの10年間を「国連人権教育の10年」とする ことを決議し、今年はそのスタート年となった。第二次世界大戦後の、国連と国際社会の歩みは、

『世界人権宣言』 (1948年) 、 『国際人権規約』 (1966年)をはじめとして、 23の国連人権条約 を生み出してきたことをみても、まさに人権尊重の精神を具体化し、方向付ける努力の歴史であ り、いまや人権は「人類共通の言葉(1)」として認識されるものとなった。このような背景のもと に、人権教育の重要性が世界的に確認されている今日、日本国内でもさらに活発な取り組みが望 まれている。

さて、今日の国際社会では、南北問題、環境問題、地域紛争や民族主義の台頭による難民問題、

ボーダーレス化にともなう人の移動など、人権問題に直結する新たな課題が増え、また複雑化し つつある。このように考えるならば、この機会に、日本で取り組むべき人権教育の内容を議論す ることも重要であるが、 I一一万で筆者は、 「どのようにそれを学習するのか」という方法論の検討

も必要ではないか、と考えている。

というのも、これまでH本国内において、人権教育の分野でt導的な役割をはたしてきた同和 問題学習のすすめ方を、特に社会教育にかぎってみると、現在、それが必ずしも学習者にとって 効果的な方法論として機能していないのではないか、と思われるからである。関西、特に大阪府 下の自治体では、同和問題を中心とした人権啓発事業に、自治体が相当の予算と機会を保障して おり、 l根毛にとっては、学習を行う機会と場が広く提供されているにもかかわらず、市民の中に は、毎年同じような内容の啓発を受けること‑の反発が見られたり、これを避けようとする傾向 も広がっている。また、 「学習した内容が差別するために使われたという事例も跡を絶たない」

という(2)。行政主導によって、同和問題に関する啓発が実施されているのは、同和問題を解決す るための、国策樹立請願運動などの強い働きかけに対応して、 1965 (昭和40)年に出された『同 和対策審議会答申』に「その早急な解決こそ国の責務である」と明記されたことに基づくもので

あって、行政が人権問題の解決に対して、積極的責任を果たしているものと評価できるが、その Il一一方で、なぜこのような否定的姿勢が、学習者の中から生まれてくるのか、が問題であろう。

筆者の関わった、 1994年の「大阪市人権啓発推進員」 (3)に対する「人権問題に関するアソケー ト調査」の分析結果(4)からは、このような行政主導の研修会・学習会の多くが、地域の既存住民 団体(町内会など)を通して行われることが多く、自発的参加者が限られていること、また、学

*現在 山本登研究所研究員

191

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阿久滞麻理子・中川喜代子

習じたいも知識の上でのものにとどまりやすいことなどが、問題点として確認された。その結果、

このような「啓発型教育」には、市民の日常的な行動の中での、公然の差別をなくすという ‑定 の効果はあるものの、 「自分は被差別の当事者ではない」という意識を持つ市民は、啓発の「受 け手」にとどまりがちとなる。人権問題とは、知識として知っているだけではなく、すべての人 が主体的に関わってこそ、問題解決へとつながるのだ、と考えるならば、より市民の自発性を生 かした、人権教育の方法論を模索することも必要であると考える。

このような認識から、筆者が具体的に提起したいのが、 「市民参加型ボランティア活動」であ る。何がボラソティア活動であるか、ということについては、内容や形態などをめぐって議論も あり、明確な定義があるわけではないが、 「ボラソティア」という英単語の意味‑「志願者」

「義勇兵」 「有志」など‑の言葉通り、市民が自発的にある問題に関心を持ち、解決を目指し て行動を起こすことである、と筆者はとらえている。活動の内容や形態も多様であり、その定義 もまだ明確とはいえないが、ともかく、市民が自発性と行動力を発揮し、人権問題に取り組む過 程が、これまでの「啓発型教育」における問題点を克服する‑一つの方法論となる可能性をもつの ではないか、と筆者は考えている。近年生涯学習の面から、また、最近では「阪神大震災」の経 験によって、ボラソティア活動への関心が高まっており、すでにネットワ‑ク論(例えば、金子 郁容,1992年)や、市民公益活動の分析(田中尚輝,1994 ;総合研究開発機構,1994年)といった 視点からは、いくつかの研究もみられるほか、部落解放運動の立場からは、広範な市民参加を可 能とするボラソティア活動の論理を同和教育の中にも取り入れることを提案する論文(森,1994 午)もみられが、ボラソ ティア活動を人権教育の方法論として位置づけ、分析するまでには至っ ていない。

2.本稿の目的と調査方法

以上をふまえて、本稿では、 「市民参加型ボラソティア活動」を人権教育の 一方法として位置 づげ、具体的事例の検討を行い、その可能性と問題点を明かにすることを目的とした。事例とし ては、神奈川県内で、在住外国人に日本語を教える活動( 「日本語ボラソティア」活動)を行っ ているグループを取り上げることとしたが、なぜ「日本語ボランティア」活動を選ぶか、という と、これが神奈川県内で近年、もっとも顕著に増加しているボラソティア活動であり、市民の人 権問題に関わる自発性を分析する上で、適当であると判断したためである。

さて、調査方法であるが、まず神奈川県内で「日本語ボラソティア活動」に関わるグループの 数を1993年3月末と、 1994年8月末の時点で把握した後、グループの形態(行政との関係を基準に) による分類を行い、それぞれの増加状況を明らかにした.というのも、 1980年代に神奈川県内で

「日本語ボランティア」活動が始まった時点では、市民が自発的に結成した、任意の草の根グルー プによる活動が、そのほとんどを占めていたが、その後、急増する在住外国人の日本語学習のニー ズに応えるため、自治体が「日本語ボラソティア」養成講座を開講し、養成したボランティア講 師により日本語教室を運営するケースが増えるなど、形態が多様化してきているからである。完 全に草の根主導のグループと、行政と一定の関係を持ちつつ活動している場合とでは、ボランティ アの自発性に差があり、それゆえに活動の発展性にも違いが見られると予測されるため、このよ

うな分類を行った。次に、このような形態の違いを意識しつつ、 4年以上活動を継続し、積極的 な運動の展開が見られる3事例をケース・スタディとしてとりあげることとし、詳細な聞き取り 調査を行った。

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なお、グループ数の把握方法であるが、任意の草の根グル‑プは、行政による統計がない。そ こで、阿久洋が、 (財)神奈川県国際交流協会在職中、外務省額事移住部外国人課の委託を受けて 行った、県内在住外国人支援組織eifffl体への聞き取り調査(神奈川在日外国人問題研究会, 1991年)および、 1993年3月に実施したFl本譜ボランティア団体の実数把握調査(5)を特に参考と

した。また、本論文中では、この活動そのものを指す用語としては「日本語ボラソティア」活動、

あるいは単にボラソティア活動とし、そこで活動する個人を指す言葉としては、 「日本語ボラソ ティア」または単にボランティア、とすることを断っておく。

2. 「日本語ボランティア」成立の経緯と増加状況

さて、まず神奈川県で「日本語ボラソティア」が急増した背景に触れたい。図1に、 1975‑93 年の神奈川県における外国人登録者数の推移、また図2に、特に急速な増加が始まった1988年と、

1993年の時点における国籍別内訳の比較を示した。 1985年〜93年の間に、登録者数は2倍以上の 増加を見せているが、韓国・朝鮮籍の登録者数には大きな変化が見られず、その急増が主として

「ニューカマ‑」 (6)によるものであることがわかるO また、 「ニューカマー」としては、特に中 国、南米3国(ブラジル、ベル‑、アルゼソチソ) 、フイリピソ等の占める割合が高く、米国、

英国、イソドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)も増加している。中国に関しては、横 浜には開港以来定住している「華僑」がいるが、最近の増加は中国帰国者によるものである。南 米3国については、県内の自動車関連産業などにおいて日系人労働者の雇用が進んだこと、フイ

リイピソについては、エンターテイナーとして来日した女性に加えて、国際結婚の増加が要因と 考えられる。また、インドシナ3国については、インドシナ難民の定住者によるものである。

このような在住外国人の急増は、地域社会で市民が「可視」的な外国人に接触する機会を増加 させ、外国人問題に関心を持ち、支援活動を始めることにつながった。特に「日本語ボラソティ ア」活動に限っていうならば、市民が関わる大きなきっかけとなったのは、イソドシナ難民の定 住である1975年のベトナム戦争終結とともに轟生した難民問題に対し、日本は1978年4月の謝

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図1 1975‑93年 神奈川県における外国人登録者数の維持

外国人登録者賂放

韓国・朝鮮籍

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H¥滞胤I'llf 中I K‑fLJI‑

議了解によって定住を認め、受け入れを開始し、

全国2カ所にその定住促進活動を行うセソターを 開設した。セソターの業務はアジア教育福祉財団 に委託されており、ここでは3‑4ヶ月間の日本 語教育と同時に、生活指導、職業紹介等が行われ ている。神奈川県では、 1980年に「大和定住促進 セソタ‑」が開設されて以降、定住者が漸次増加 し、全国で最も定住者数の多い県となっている(7)。

さて、定住難民はセソタ‑において‑・定の日本語 教育、 ′壬三活指導等を受けてはいるものの、実際の 地域生活において、それらは決して十分とはいえ ない。当初、地域に定住した難民のケアは、すで に海外の難民キヤソプで支援活動を行ってきた民 問の海外協力団体(8)に負うところが大きく、生活 相談や日本語学習のプロジェクトが神奈川県内各 地で開始された。しかし、こうした団体の事虜所 2

は東京にあり、いちいち東京からスタッフが駆け つけることには限界がある。たとえば、 「ガスの o

元栓の閉め方がわからない」といった、本来近隣 にたずねればこと足りることがらまで相談に持ち 込まれたこと‑の反省から、定住難民のケアを地

aa問 インドシナ3回

*a フィリピン

南米3国

1993

図2 1988‑93年 外国入費録者数維持の内訳

域で行えないか、との検討が行われ、 「日本国際ボランティアセソクー」では、神奈川支部をも うけ、地域ボランティアの組織化に着手した0 ‑万、日常生活で外国人に接触する機会の増えた 市民からも、生活上二の支援をしたいとの声があがり、定住者をはじめとする在住外国人にとって、

最も切実な問題である日本語学習を支援する活動が、地域レベルで始まることになった。 、lj時は、

中曽限首相が留学/iI̲受け入れ10万人計痢を発表した後で、日本語教師に対する関心が高まってい たことも、ボラソティア志望者が多かったことの背景

にあろう。その後は、 『国際識字年』 (1990年)を契 機として、外国人の識字問題に関心を持つようになり、

活動を始めたという団体もある。

なお、白1本語ボラソティア」活動の急増状況であ るが、 (財)神奈川県国際交流協会在職中に、阿久洋が 把握したものが、 1993年3月の段階ですでに25kfl体41 教室あったが、 1994年8月には76団体104教室が把握 されている(9)。以ド表1によって、神奈川県における 白子本譜ボラソティア」活動の増加の様子と活動の現 況について概説する。

(1)任意の市民グループによるもの

完全に市民の自発的な活動として行われている活

表1 日本語ボラソティアの分析と増加状況

19 9 3 .3 1 9 9 4 .」

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動は、 20団体35教室から、 70団体94教室となった。団体数では3.5倍、教室数では2.7倍と、最も 急増している形態である。

(2)行政の外郭団体主催のもの

行政の外郭団体である国際交流協会等が主催する日本語教室に、ボラソティア講師を導入して いるものである。特に増減は見られなかった。

(3)行政主催の教室でボランティアを活用しているもの

市町村自治体が開設したH本譜教室で、ボランティアを講師として活用しているものは、 2同 体3教室から3団体7教室‑と増加した。ただし、日本語講師養成講座を開設し、ボランティア 養成を行っている自治体と、養成までは行っていないところとがある。また、ボラソティア養成 講座を行った後、日本語教室の開催にまでは至っていない自治体もある。例えば(財)神奈川県国 際交流協会では、 1992・93年度、県下のIOifi町村自治体と共催で「日本語ボラソティア養成講座」

を実施したが、それらのうち日本語教室を実際に開催したのは、今のところ1自治体のみである。

(4)その他

横浜市の「互助学習会」の運営には、中国帰国者自立横浜支援会という市民団体があたってい るが、横浜市社会福祉協議会の支援事業として行われている。また、主として在日韓国・朝鮮人

‑一世のためのH本譜識字教室を開催している「川崎市ふれあい館」は、市が民間の社会福祉法人 に館の運営を委託する形をとっている。

なお、市民による「日本語ボラソティア」活動がイソドシナ難民の定住をきっかけに始まった のは、 80年代後半であり、すでに8‑9年活動を続けてきた固体もある一一万で、最近結成された 団体まで、かなりの幅がある。また、任意の市民グループの活動ではあるが、活動が地域に根ざ し長期間行われてきたことから、行政が援助を行うようになった団体もある。援助には公民館・

市民館などの使用料免除、事務費の負担、助成金などさまざまな形態が見られる。

3. 「日本語ボランティア」における人権学習

さて、筆者がこれまで行った聞き取り調査で、 「日本語ボランティア」に、活動を始めたきっ かけについてたずねると「何かお手伝いがしたかったから」 「子どもの手が離れたので何かをし たかった」 「海外で現地の人にお世話になったから」という回答が多く、また活動の内容を日本 語としたことについては「日本語ならば教えられるのではないかと思った」 「自分が勉強してい

る語学を使うよい機会だとも思ったから」という声が最も多かった。個人的な、小さなきっかけ ではあるが、さらに一定の時を経て聞き取りを行うと、ボラソティアは人権問題についても、関 心と学習を深めている様子を把挺することができた。

それでは、 「日本語ボラソティア」活動が、ボラソティア白身にとって、どのような人権学習 の側面を持つかについてまとめてみると、まず言葉の学習を媒介に外国人学習者の生活や問題を 知ること、異文化を持つ人との接触がボラソティア側にとっての異文化適応教育となっているこ と、さらに持ち込まれた生活相談などを通じて、外国人の直面する人権問題に対して、共に解決 する行動に一歩を踏み出す、といった面があげられよう。

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阿久津麻理子・中川喜代子

第1の点に関しては、例えば、藤沢市善行公民館の例がある。館では1990年より中南米からの 日系人を対象とした日本語教室をはじめ、現在専門の日本語講師によるクラスとボラソティアに よるクラスの両方を開講している。筆者が1990年に訪問した際には、プリソト教材には「高温注 意」 「非常口」 「危険」など工場で見かける用語が集中的にとりあげられており、学習者の日本 語学習が、命にかかわる切実な問題であることが示されていた。また、相模原市のボラソティア グループ「葦の会」では、県営上清団地内の公民館で開催している日本語教室で、医療を受ける 際に必要な言葉(例えば医療機関から処方された薬の袋に書かれている、服用方法など)を取り 入れていた。外国人学習者が必要とする言葉は、当然のことながら、彼らのおかれている生活状 況を反映する。それゆえにボラソティアは、学習者の生活や労働環境などにも間接的に関わるこ ととなるのである。そして既製の教科書では、生活に密着した日本語が学習できないという壁に ぶつかった「日本語ボラソティア」たちが、日本語教育の専門家と協力し、独自に教科書作成に 取り組んだ事例もある。この教科書作成は1991年度に(財)神奈川県国際交流協会の事業として取

り組まれ、同年8月『わたしのこと‑自分を表現するための日本語‑』というタイトルで出版さ

・am

異文化適応教育の側面については、学習以外のコミュニケーションからも深まっている。 1994 年3月に横浜市海外交流協会の主催で開催された「日本語ボラソティア研修講座」では、中国帰 国者に対して「中国では食後どんなお茶を飲むのですか。ウ‑ロン茶とか?ジャスミソ茶とか?」

とたずねたところ、 「中国ではお茶は高くて買えません」という答が返ってきた、という事例が 報告された。中国であればお茶を飲むものだ、といったステレオタイプにもとづく意識・態度が、

外国人学習者に不愉快な思いをさせたのではないか、と思われる事例であるが、こういった経験 をもとに、相手の言語や文化に対する関心や理解を深めるボラソティアは少なくない。同協会に ボラソティアとしてかかわる小山八千代は、 「文化摩擦が起きれば人びとはそれを処置する中で

‑柔軟性を手に入れる(10)」とも指摘している。

さらに、生活相談を持ち込まれた場合には、ボラソティア自身がその解決のために行動を求め られることとなり、活動がいわば人権問題に対する体験学習の場ともなっている。外国人労働者 の多くは、特に「バブル崩壊」以前においては長時間労働に就き、職場以外で口本人との会話を 持つ機会が極端に少なく、またアジアからの「花嫁」たちの場合、夫・姑以外との接触が少なく、

「結婚して以来ほとんど家にいてテレビなどを見ている(ll)」といった場合も多い。そこで日本語 教室が職場、あるいは夫とその家族以外の日本人と付き合う唯一の場、といった学習者も多く、

生活上のさまざまな相談がボラソティアに持ち込まれることとなる。相談は住宅探し、病気の不 安、あるいは子どもの保育園や学校からのプリソトの読み方、予防接種の受け方から労働災害に 関するものまで多岐にわたる。こうした相談に対して、ボラソティアは外国人学習者と同じ地域 に暮らす住民であるため、地域の情報などを適切に伝えたり、行動を共にしながら問題解決を援 助することができる。また、プリソトが読めない、予防接種の受け方がわからない、といった相 談に対しては、単に情報を翻訳するだけではなく、行政に対して外国語の情報提供を求める運動 を展開するようになったケ‑スもあり、これについては、以下のケース・スタディとして紹介す る。人権問題に対する学習が知識の上だけではなく、ボラソティアの実際の行動に結びつくこと は、ボラソティア活動の重要な側面といえよう。

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4.ケース・スタディを通して見る

「日本語ボランティア」活動の実際

そこで実際の活動事例をさらに詳細に検討するため、以下「日本語ボラソティア」の活動を行っ ている3グル‑プを取り上げ、ケーススタディとしてまとめた。ケースで取り上げたのは、任意 の草の根グル‑プによる活動例: 2事例と、行政がボラソティア養成を行った1事例である。

【ケース・スタディ1】 相模原市の市民ボランティア団体「葦の会」

「葦の会」は、インドシナ難民のための定住促進セソタ‑のある大和市に隣接する相模原市に おいて, 87年に結成された市民グループである。日本国際社会事業団(ISS)から委嘱されて難 民定住相談員をつとめていたSさんが、より多くの市民の協力の必要性を感じ、呼びかけたこと がきっかけとなった。当初は「日本語ボラソティア」活動と、生活相談という、当事者への直接 の支援活動を中心に取り組むこととなったが、ボラソティアは生活相談や家庭訪問をする中で、

その後会の転機ともなるいくつかの問題に直面した。 1つは、子どもの就学問題である。 1987年 10月、会員のTさんらが「日本語ボラソティア」として、あるカソポジア人家庭を訪問した際、

その家庭の女の子に、 「お誕生日はいつ」と訪ねたところ、来年度から小学校に入学する学齢で あったことがわかった。しかし、定住生活に入ってまもなく、本人にも家族にもまったく自覚が なく、会のメソバーが急いで手続きを行い、ようやく入学にこぎ着けた。会はこれを機に、外国 人には就学案内が送られていないことに気づくこととなり(12)、 1988年5月、市に対して定住者に 対する個別の就学案内を送付することを要望した。しかし同年10月、今度は就学時期をすでに6ヶ 月も経過してしまった子どもの存在が把握された。カソポジア人家庭で、それまで家にいた母親 が働きに出ることになり、子どもの保育園入園の手続きをとったところ、長男がすでに学齢に達 していたことがわかったのである。教育委員会、小学校長、この子どもの両親との話し合いの場 を急いで設定し、中途入学が認められたが、外国人は義務教育の対象外であるから、当事者の意 志に応じた柔軟な対応が可能だったのではないか」と会の代表北村真佐子氏は言う。市は、以前 に在日韓国・朝鮮人にあてて就学案内の個別通知を行ったところ、かえって批判的に受けとめら れたため、外国人には案内を出さないとの原則をたてたとのことであったが、会では、相手の実 状に即した対応を求め、イソドシナ難民に限っての就学案内送付(1988年) 、さらにイソドシナ

3ヶ国の言語による送付(1989年)が実現されるに至った。

もう一つは、予防接種問題である。 1988年、会員の0さんがある定住者の子どもの3種混合の 予防接種に付き添った時のことであるo予防接種では、乳幼児の健康状態を知り、また保護者の 同意を確認するため、保護者に問診表の記入が求められるが、日本語の問題から内容を十分に理 解できず、ボラソティアはその子の予防接種歴が確認できないという事態に直面した。会場の担 当者にたずねたところ「大丈夫じゃないの」と言われ、確認があいまいなまま予防接種を受けた が、その子どもがあとで勲を出し、 0さんは不安な思いと同時に「これは命に関わる問題でもあ り、ボランティアの限界を超える、むしろ行政が責任を持つ問題だ」と感じたという。これを契 機に会は、イソドシナ3国の言葉による問診表の設置を市に求めることになった。翻訳作業は会 の側で人材を探して行い、すぐにでも市が利用できる形で持ち込み、同年2月に市の関連部局の 担当者との懇談会が実現した。しかし、これに対して市側からは「前例がない」 「少数言語なの で、翻訳が正確かどうか確認できない上、確認のための予算もない」という回答が返ってきた。

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阿久滞麻理子・中川喜代If‑

また外国語の使用については庁内全体との関わりがあるとのことで、交渉には時間を要し、すべ ての予防接種会場にこれらの問診表が設置されることとなったのは約1年後であった。

会では、こうした具体的経験を通じて、 「定住者に対してボランティアがはりついて面倒をみ るのではなく、定住者が自立して暮らしてゆける社会の土壌づくりが大切」と考えるようになり、

ボラソティア活動の内容を定住者への直接的な支援から協力型へと転換させていくこととなった。

そこで、行政に対するさまざまな制度づくりの要望をまとめ、実現して行くために、地域で外国 人問題に関わる、他の市民ボランティア団体にも呼びかけ、 「榊模原・地域の国際化を考える協 議会」を結成した。協議会からは、例えば「外国人対応窓Hの設置要望」 (1991年)などを出し

てきたが、これは市役所を訪れた外国人がタテ割の行政組織の構造が理解できず、適切な窓口に なかなかたどり着けない状況を解決するためである。なお、現在は加入団体に若干の入れ替わり があり、 「相模原の国際化をすすめる協議会」と名称を変えている。

このように定住者の自立を側面的に支援しようとする同会には、定住者自身もメンバーとして 参加しており、定住者からのさまざまな要望も寄せられている。例えば、 「夜間中学が欲しい」

との声が寄せられ、会では取り組みを検討し始め(1992年5月) 、八王子第5「卜学の見学などを 行ったほか、カソポジア新聞発行への協力依頼(1992年12月)に対しても支援を開始した。

もちろん、 「日本語ボラソティア」活動という当初からの活動についても、取り組みを続けて いる。会の主催で、地域での「日本語ボラソティア」養成講座を1990、 91年の2年間にわたって 開催し、そこからあらたに「にはんごの会」というグル‑プが誕生している。日本語を教える対 象者も、定住者だけではなく、他の「ニューカマー」をふくめたものとなってきた。そして、日 本語を教えることが、一方で、外国人の親とTのコミュニケーション・ギャップを生みだし、日 本で育つ+どもたちが、母語や母国に対して誇りを持てない、あるいはアイデソティティの混乱 を経験する、という側面にも気づき、これをきっかけに、 l市立図書館へカソポジア語などの外国 語図書の設置についての要望も行った(1991年9月) 。また、定住者の親たちに、自分のrども に対して自らの文化をどう伝え、教育してゆくのかについて、将来的展望を持って欲しい、との 願いから、 H本の学校教育について詳しく理解してもらうための冊子、 『がっこう‑カソポジア 語による日本の学校ガイドブック』を作成した(1992年12月)ほか、さらに定住者の{どもたち のためのカソポジア語・ラオス語教室「プソルーセサ」 (クメ‑ル語で「輝き」の意)を開始し た(1993年3月) 。現在、この教室では、定住者の父親が交替で先生をつとめている。

このような会の活動について、代表の北村氏は次のように話している。

「メンバ‑では、会の活動を市民運動として位置づけよう、と確認しあっています。これに対し て、当事者を直接支援するボランティア活動は、いわば私たちが問題認識を深める生きた"場"

です。具体的活動にかかわっていなければ問題は見えないし、運動が空洞化してしまう。アドボ カシーだけでは運動はできませんから。それから、市民の側から1‑一つ‑‑1つ、必要だと感じた制度 を行政に対して要望しつづけていく作業はたいへんなことですが、これは多様なメソバーがいる からこそ可能なことです。会には、以前保育所づくりの運動に取り組み市会議員となった経験を 持つメソバー、国際協力関係団体で仕事をしてきたメソバ‑、自治体研究をしてきた人、もと教 師などさまざまな人がいます。多様な課題の検討や、行政‑の要望の具体的な出しかたなど、そ れぞれのメソバーの経験から得るものも大きいでしょう。 」

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【ケース・スタディ2】 川崎市の市民ボランティアEfl体「あいうえおの会」

「あいうえおの会」は川崎市高津市民館の1室で、毎週水曜日の午前中、日本語教室を開いて いるグループである。高津山民館はJ R南武線溝のL1駅にあり、南北に広がる川崎市のほぼ中央 部に位置し、沿線には特に南部を中心に、外国人労働者も多く暮らしている。

会は、 1989年から開講された市民館の成人学級講謄「自己表現としての読み書き」を受講して いた仲間が集まって、結成された。会の代表、広川和f∴氏によると、 「当時成人講座で『読み書 き』をやっていましたが、ちょうど『国際識字年』でもあったので、自tサークルをつくって、

みんなで『川崎ii:ふれあい館u3)』の識字教室を見学に行きました。それでとても刺激を受けて、

わたしたちも識字にかかわりたい、との思いが強まりました。もっと識字について学ぼう、との ことで、館をお借りして人権についての学習会(8回)を開き、翌年1991年3月までそれを継続

してから、 6月に15名のボランティアで教室をスタートさせました。 」とのことである。

教室を開くにあたって、会場を探すのもたいへんな苦労だったようである。自発的な活動であ るため、市民館のI一室でこれを行うには、他のサークルと同様、部屋を有料で借りなければなら ないL、毎月の抽選もある。しかし毎回会場が替わるような事態になれば、学習者も混乱してし まう。そこで無料で部屋を貸している他の社会教育施設にも申し込みをしたが「毎回不特定多数 の外国人の 入りするものには貸せない」との返答であった。その後、川崎市の社会教育ボラン ティアとして教育委員会に登録を認められれば、 rけ民館の施設使用料の減額・免除が受けられる ことがわかったため、会で話し合いを持ち、これを実現し、部屋も定期的に使用できることになっ た。

また、教室の存在を知ってもらわなければ、と案内のちらしをつくり、市の外国人登銀窓口、

郵便I。工駅などにも置かせてもらったo 「市民館だより」にも案内を掲載してもらった。そうL で学習者として教室を訪れてきたのは、日本人と結婚したフイリピソ、韓国、中国、台湾の女性 たち、中国帰国者、イソドシナからの定住者、南米からの日系人労働者、などであった。日本語 学習にともない、さまざまな学習者の生活も見えてくる。国際結婚をした女性たちの多くは小さ な子どもがおり、教室での学習は容易ではない。そこで保育ボランティアを依頼するようになっ た。また、教室は昼間に開かれているため、夜勤の後で教室を訪れる外国人労働者も多く、彼ら がどんなft事をしているかについても知るようになった。中には、外国人を雇用している会社の 社長が、教室の開かれている間は特別に仕事を休むことを認めた事例もある。ボラソティアの側

も、月INの例会の後で学習会を持ち、学習者の実状等を学ぼうとしているほか、学習者と共に、

料理会、座談会など、一緒に楽しみながら学び合う企画も行っている。

さて、ボラソティアは家族の転勤などによって、結成時からは入れ替わりがあり、現在は17人 となっている。男性が1名、あとは全員女性で、主婦、定年退職者、学生などである。仕事とし て日本語教師をしていたが、不況で勤務先の日本語学校が閉鎖となり、職場を失って会に加わっ た、という人もいる。また、学習者の方も「バブル崩壊」後は外国人労働者が減り、日本人と結 婚した女性たちが中心となり、毎回の出席者は40名前後である。 「学習者はほとんどが外国の方 ばかりですが、福祉事務所のケ‑スワーカーによると、この地域にも、読み書きが困難な方たち がいらっしゃるとのことです。この教室は、日本人もふくめて地域の人みんなに開かれているも のだと思っています。 」と広川氏は言う。

なお、川崎市では、 1994年末の段階で、高津以外の5つの市民館が、市の主催で「日本語ボラ ソティア」養成講座を開講し、その終了者が、館の日本語教室でボラソティア講師をつとめてい

(11)

200

阿久滞麻理子・中川喜代子

る。日本語匪室も市の主催事業として行われており、高津市民館の教室だけが「あいうえおの会」

という市民

「現在の館 れからも自 だけ、それ ていた。

【ケース・

さて、行 川崎市で最 が増えた背 いう側面が 市では、在 おこり(19 指針」が制 ついての取 特に中原市 の入学希望 として独立 その後、

室を開講す

の自主的なグル‑プにより運営されていることになる。このことに対して広川氏は、

の担当者からは、将来これを市民館の主催事業にしたい、といった話は特になく、こ 主的に運営していくと思います。自主的な運営にしなければ、ボランティアは教える けやって帰る、といったことになってしまいかねないのでは、と思います。 」と語っ

タディ3】 川崎市によるボランティア養成「中原市民館日本語教室」

主催で「日本語ボランティア」養成講座と、日本語教室をセットで開講する方式を、

那こ始めたのが中原市民館である。行政が「日本語ボランティア」を養成するケ‑ス 寮には、 「ニューカマー」の増加により、日本語学習‑のニーズが高まったから、と

、まずある。しかし川崎市の場合、それだけではない。京浜工業地帯をかかえる川崎 日韓国・朝鮮人をふくむ義務教育の未終了者ために、夜間中学の設置を求める運動が

2

午) 、さらに在日韓国・朝鮮人を中心とする運動によって、 「在日外国人教育基本 (1986年)されるなど、これまでもさまざまな人びとに対する「学習権の保障」に 組みが存在しており、これが外国人のための日本語教室開設のF敷きとなっている。

館の場合は、夜間中学設置が実現した後、日本語学習を目的とした「ニューカマー」

があいついだため、まず夜間中学に日本語科コースが設置され、それが日本語学級 て市民館で夜間開講されるようになった(1982年) 、という経緯がある。

間の教室の体制だけでは、急増する外国人学習者に対応しきれなくなり、 >4.間の教 ため、館では、ボランティア養成に取り組むことになる。日中の時間帯、というこ とから、ボlラソティア志望者は、主に地域の主婦から集まったが、そのことについて1994年3月 まで輔市桓館で事業を担当していた島田秀雄氏は、 「昼間のクラスの圧倒的多数は、日本人や 在日韓国人

もを抱え、

なるのでは どもが保育

世と結婚して地域に暮らすようになった女性たち。彼女らの多くは現在小さな子ど 育園の便りが読めないことから始まって、将来自分の子どものことを理解できなく あるいは母親が外国人だからいじめられるのでは、と不安を抱いている。自分の子

、学校に行くようになって社会との接点ができ、悩みや問題を深刻に感じ、それを 相談できる録が必要になっている。日本語の語学力も必要だが、彼女らに一番必要なのは、同じ 地域に住む

「 I 「fcufi

としている かけ、ボラ 意味などに は、日本語

民と知り合ったり、同じ国の出身者と出会う場ではないか」と指摘している。

ボランティア」養成の方法は、市民館ごとにまちまちで、 1、 2回の講座のみで終√

ところもあれば、 1年間かけている場合もある。しかし、これからはゆっくり時間を ソティア志望者どうLでの「話し合い学習」を行い、外国人にとっての日本語学習の いて理解を深めて行こう、とする方向性を共通に確認している。中原市民館の場合 授法と同時に外国人の人権問題に関する講座の双方を組んでいる。もちろん、養成 講座だけで転なく、ボラソティアは教室に関わる経験の中から学ぶことも多い。教室が始まって 以来、帽桓民館の日本語教室にボラソティアとして関わ‑てきた飯塚左保子氏は、上したい、

〜したかっ恒という言い回しの学習をしたときのことについて、こう書いている0

‑ 《〜iしたい、 〜したかった》という言い回しを学習したとき、それぞれに子どもの時の夢 を語♭てもらっていたのだった。その時Rさんは『スチュワーデスになりたかった』と語っ

l

た後し『本当は採用テストに合格したけれど早く収入が欲しかったので、他の仕事に就い

(12)

たんです』と寂しげにつけ加えた。 ‑ 『私は今、モップを使う仕事(マソショソの掃除) をしています。日本では若い女の人はしない仕事だということは知っています。フイリピ ソの大学で学んだことを生かして、昼間の仕事にかわろうとおもったけれど、掃除の仕事 しかなくて。それを考えると悔しくて。 』 ‑=・いつも快活なRさんの目から涙がこぼれた。

‑ 『先生から子どもの頃のことを話すように言われて、私はとても考えさせられたんです。

日本には私たち外国人には入れない世界があります。私たち外国人を平等に扱ってほしい。 』 仕事につくために日本語を学習したいと日本語学級に入ってきたRさん。 《〜したかっ た》の学習をする中で自分が現在置かれている状況をはっきり言葉で意識した、という。

・・学習者たちが日本語を学ぶことで、自分白身を再確認し、自分を表現していけること、そ して自分の存在を日本社会の中で積極的にうけとめていけることを心から願っている。日 本語学級での学習のお手伝いが、そういう彼女たち‑の支えになれたら、と思う(14) 学習者が自らの生活を日本語で綴り、自分が社会で置かれている位置を確認してゆくさまは、

「生活綴り方教育」にも通じるものがあるが、また、ボラソティアの側もその過程を目のあたり にしながら、学習者に対する自らの関わりの意味を問われているといえよう。

さて、中原市民館で「日本語ボランティア」による昼間の教室が開設されて、現在でほぼ5年 になるが、他館もふくめて養成講座には、毎回、かなり定員を上回る応募者がある。行政を通じ てボラソティア活動にかかわる市民も増えているわけであるが、ボラソティアと市民館との関係 は、館によって差が見られる。例えば中原市民館をふくむ2館では、教室の運営がボラソティア の紅tグループに任せられているのに対し、他の3館にはグル‑プがない。行政が教室を運営し、

ボランティアはあくまで学習だけを提供する、という位置づけに置かれているO このようなボラ ソティアを行政では「施設ボラソティア」と呼ぶとのことであるが、 I‑一定の時間、一定の労力を 行政に対して提供するボラソティア、との意味あいのようである。双方の形式の差が、ボランティ

ア活動の発展性にどういった影響を与えるのか、についても、気になる点である。

以上の3ケ‑スにおいては、いずれの場合もボランティアが活動を始めた動機は自発的なもの であり、だからこそ外国人学習者との関わりの中から、ボランティア自身が、さまざまな人権問 題に対する自己学習をすすめている姿がうかがわれる。しかし、 「市民参加型ボラソティア活動」

は、万能なわけでは決してない。自発的な活動であるがゆえに、関心のある人が自由に関われる 反面、 「熱しやすく冷めやすい」ボランティアは活動に継続性がなく、学習者に対して無責任に なりがちな場合もある、といった指摘も聞かれる。そこで、このような長所、短所をふくめたボ ランティア活動の特徴を整理した上で、人権教育にとっての意味を考える必要があろう。また、

行政のボラソティア活動‑の関与についても検討が必要であろう。 「あいうえおの会」の広川氏 が指摘するように、市民主体の運営がなければ、 「ボランティアは教えるだけ、それだけやって 帰る」といったことになりかねず、主体的な人権学習という側面が欠落しかねない。このような 問題点についても、以下で検討したいと思う。

5. 「市民参加型ボランティア活動」の特徴

以上をふまえて、 「日本語ボラソティア」を例に、人権教育の視点から「市民参加型ボランティ ア活動」の特徴を徴を抽出すると、筆者は以Fの4点に集約されるものと考える。そこで以下こ

(13)

202

阿久滞麻理子・中川喜代7‑

の4点について、詳述したい。

1.コミュニケ‑ショソを通じて高まる当事者意識 2.アソシエーション型活動

3.参加の機会均等と平等 4.発想の原点としての日常性

1.コミュニケーションを通じて高まる当事者意識

「市民参加型ボラソティア活動」の最大の特徴は、相手とのコミュニケ‑ショソが活動の中核 にある、という点である。コミュニケ‑ショソには、 rfl本語ボラソティア」活動の場合、 H本 譜を教える行為だけでなく、教室等での日常会話などもふくまれるが、それらはいずれも具体的 な体験であるため、知識中心型の学習と異なり、ボランティアは学習者の置かれている社会状況 や問題を経験から知ることとなっている。また、学習者から持ちかけられた相談に対しては、ボ ラソティアも、共に解決のために具体的行動をとらざるをえない場合も多い。そして、これらの 経験はいずれも大きな刺激となり、ボラソティアはあらたな活動の動機を獲得していく。このよ うにコミュニケーションは、相手と問題や行動を共有することにつながり、市民が経験から人権 についての思想を構築してゆくことを可能にしており、知識の上での学習からは得られない、重 要な側面となっている。

さらに、このような経験の積み重ねのrfTで、ボラソティアたちの多くは、学習者である外国人 が直面している問題が、 「彼ら」の問題ではなく、 H本社会の‑自分たち‑側の問題でもあるこ

とに気づく、という過程を経験している。例えば、 「葦の会」のケ‑ス・スタディでは、次勺:一度 就学予定の年齢の子どもと両親が、仝くそのことを知らなかったという事例に出会い、ボラソティ アは、外国人に就学案内が送られていなかったという日本側の問題、また、なぜ送られていなかっ たかという経緯を認識するに干っている。こうしてこれまで「外閑人の」問題として認識されて いたことが、自分の社会の問題として認識された結果、ボランティアは当該の問題に対する当‑Jv 者性を獲得し、自発的に取り組もうとする行動力を獲得しているのである。

また、こういった意識の転換は、自分の地域、社会を点検しなおすことにもつながり、ボラソ ティアは、 「現場で把握したニーズを外国人にかわって代弁すると同時に、自分の社会を変える ため、政策という形で自治体に提言する」 (15)役割をも果たすようになる。そしてこのような政策 提言を行うにあたっては、必然的に他の地域住民の理解を求める必要も生まれてくるため、ボラ ソティアは、周囲の市民に対する人権教育においても、有効な役割を果たすこととなっている。

2.アソシエーション型活動

「市民参加型ボランティア活動」の第2の特徴は、市民が個人の自由な関心に基づいてグルー プを形成する点にある。町内会などの既存住民組織が地縁に基づいたものであるのに対して、ア ソシエーショソ型の活動と呼ぶこともできよう。行政主導で行われる「啓発型教育」の多くが、

既存住民は体を通して行われ、参加者が地縁のしがらみもあって、研修等に参加せざるを得ない こと、また、自由な発言や活動がしにくい状況にあることとは対照的である。ただし、神奈川県 は東京都に隣接し、その通勤圏にあるため新興住宅地が多く、 「新しい」住民が多いことも、結 果としてアソシエーショソ型活動が生まれやすい条件になっているように思われる。新興住宅地 には、サラリーマンが多く、経済/f二活のレベル、ライフスタイルの似ている住民が集中しやすい。

(14)

もちろんこれは、一定の年収のあるものでなければ宅地を購入できない、という皮肉な事情の裏 返しでもあるが、住民同上にとっては、関心の似かよった仲間を見つけやすい。しかしながら、

自発的なアソシエーショソ型活動が、新興住宅地等の「新しい住民」にしか生まれ得ないのか、

といった疑問も残り、この点については、別の機会に検討を行う必要もあろう。

3.参加の機会均等と平等

第3の特徴は、関心のある人が誰でも参加できるオ‑プソな活動であり、しかも活動メソバー の間の関係が平等である、という点である。升ド田猛は、現代のIIJ民・住民運動の特徴の つと して、参加者間の対等性の貫徹を挙げているが、それはr行民・住民運動が、単 ‑の争点を克服し たいという問題意識を持つ者たちの、ゆるい組織形態であるからこそ可能なことなのだ、と指摘 している(16)。しかし、オ‑プソでゆるい組織形態である、ということは 方で無責任な活動姿勢 につながるおそれもある。松本康は、大都市コミュニティを「退出自由」と表現し、またジャノ ヴィッツを引用して「有限責任のコミュニティ」と定義している(17)が、これはまさに現代の「市 民参加判ボラソティア活動」にもあてはまる。しかしながら、松本はこの「退出自由」で「有限 責任である」という条件は一一見消極的ではあるが、 ‑方で人びとが選択性を有することを意味し、

それ相応の根拠を持って参加することを可能にするものだ、と評価している。

また、メソバーの相互関係が平等であるということは、個々のメソバーの持つ特性を最大限に 生かせる条件ともなっている。 「葦の会」の聞き取りでは、市会議員経験者、海外協力関係の仕 事の経験者、自溶体の研究者などさまざまな人材がメソバ‑に組み込まれており、例えば、行政 との交渉にあたっては、 if/会議員経験者のノウ‑ウが牛かされた、との声が聞かれたO 年齢、職 業などに閲係なく、平等な関係にあるがゆえに、遠慮無くお互いの特性が引き出しあえるからで

.あ/1・蝣‑)‑,

4.発想の原点としての日常性

「市民参加型のボランティア活動」の第4の特徴は、メンバーが日常的な発想から活動を組み

¥/.てている点にある ¥U)¥「雄巳は、 「最近の市民運動が、一時のそれのようなイデオロギー性や 反体制的な′突出性をあまりもたず、いわば日常性をベースとした合理的思考にもとづいて展開さ れている(18)」と指摘しているが、これはボラソティアが、当事者とのコミュニケーションを通じ て、相手の生活課題に触れながら活動を展開しており、また活動体がオ‑プソであり、さまざま な特性をもった人びとが集まってはいるものの、誰かが突出した存在とはならず平等な関係で議 論を行えるからである。このように考えるならば、 「iIj民参加型ボラソティア活動」は、人権問 題について、市民が日常牛活の中で考え、自然体で取り組むことを可能にするものともいえよう。

さて、以上にあげた4点の特徴をもとに、 「市民参加型ボランティア活動」をフローチャート にしたものが、図3である。

ボラソティアはコミュニケーションを通じて、相手の課題にふれ、共にそれを解決することに なる。当初の課題は日本語の不自由さや、さまざまな生活上の問題などである。これらの課題の 解決に取り糾んだ経験、そこから得た知識は、さらにボランティアにフィードバックされ、ボラ ソティアは活動に対する新たな動機付けを獲得することになる。このような相互作用の総体が、

ボランティア活動の巌も基本的な中身であり、国中点線で囲まれた部分である。しかしボラソティ アが新たな動機付けを重ねるうち、活動自体もその幅を広げることとなる。課題の解決のため、

(15)

201

阿久揮麻理子・中川喜代子

ボラソティアは行政に対して制度の確立を要望するなど、相手(学習者)との直接の関わりだけ ではなく、周囲の環境へも働きかけを行うようになる(太線矢印) 。こうしたベクトルは点線で 囲まれたボラソティア活動の範囲を拡大させることとなり、活動の舞台は地域社会、そして市、

県、国、国際社会レベルにまで拡大する可能性を持つこととなるのである。

図3 市民参加型ボラソティア活動のフローチャ‑卜(日本語ボラソティアを例に)

6.行政関与の問題点

以上のような特徴から、 「市民参加型ボラソティア活動」は、具体的活動を通して、市民の人 権問題に対する意識を高め、積極的に問題解決に働きかける態度を育てることが認識された。

「啓発型教育」が、知識のLでの問題理解にとどまりがちとなることを考えるならば、この問題 点を克服するものとしても、 「市民参加型ボラソティア活動」は、今後人権教育の新しい方法と して、さらに活用されるべきではないか、と思われる。しかしながら、行政がこれを活用するに あたっては、以下のような問題点も残されている。

第1には、行政が安易にボラソティアを利用することにならないか、という問題である。行政 がボラソティアという言葉を使う時、 「行政から見た安上がりの穴埋め、重宝に今だけ手伝って もらっているという語感もある」 (19)との指摘もある。しかし、日本語を学習したいという外国人 の急増に対して、予算等の問題もあり、すぐに行政だけでは対応できないI‑そこでボラソティ アを活用する、というのは現在多くの行政にとっての本音でもあろう。もし、こういった行政の 対応も、現実的にはやむを得ない面もあるのだ、と認めるならば、行政が、自ら参加を呼びかけ、

養成を行ったボラソティアとの間に、どのような関係を結んでゆくのかが次の課題となろう。

ケース・スタディでとりあげた、川崎市によるボラソティア養成の事例では、 「施設ボラソティ ア」という言葉が登場したが、教室運営の主導権は行政側にあり、ボラソティアはあくまで一一定 時間、一定の労力を提供するだけ、というスタイルは、単に行政が労力を囲い込むことにもつな がりかねない。それはまた、市民の自発的な学習意欲や、活動の発展性を制限することにもなろ う。

これはまた、行政が、ボラソティアに何を期待するのか、という問題でもある。行政自身が養

(16)

成したボランティアが、活動を通して、何らかの社会的な問題に気づき、状況を変えようと立ち Lがったとき‑具体的には、行政に対して何らかの要望を行ったとき‑行政はそれに耳を傾 けられるだろうか。あるいは「 ̀̀おL''にたてつく市民」とみることにはならないだろうか。ボ ラソティアに関わる市民は、人権問題に関する、さまざまな政策提言をもなしうる吋能性を持つ 存在である。行政が期待するのは、単なる労力なのか、政策提言もふくめた活動なのか、という ことが問われよう。

また、なぜ行政が「日本語ボラソティア」養成講座を開催するケースが急増したかについて、

(財)神奈川県国際交流協会の荻村哲朗氏は、 「ボラソティアブーム、日本語ブ‑ムといった双方 の要因があって、受講者を募集すれば、定員を大幅にLまわる希望者が殺到する。行政にとって、

都合のよい企画でもあるからだ」とも指摘する。参加者が多数集まるから、というだけでは、こ れまでの行政主催の人権啓発事業が、町内会等の既存住民組織を通じて、人集めをした発想と、

あまり変わりがない。人が集まるから、ではなく、呼びかけに応じた市民の自発性を尊重した講 庫のあり方、その後の運営の仕方についての検討が望まれよう。

しかしながら、このような問題を有しながらも、 「市民参加型ボラソティア活動」が、全体の 中ではまだ、 ‑ ・部の積極的な市民の参加を得るにとどまっていることを考えるならば、今後、参 加者のすそ野を広げるため、行政に期待するところも大きいことは事実である。何かをしたいと 思っていても、自分でグル‑プを作ってまで、活動に踏み出せない市民‑いわゆる潜在層‑が、

行政の呼びかけを契機として、 I‑一歩を踏み出す可能性も考えられるからである。

7.まとめ

「市民参加型ボランティア活動」は、いわば市民の自発性と行動力の上に成り立つ、体験学習 判の人権教育である。社会において、現実に生起している問題に対して、具体的行動を起こすこ とは、知識の上での学習とは異なり、日常生活のI‑・部として、当事者意識を持ちながら、人権問 題に関わることを可能とする。また、それだけにとどまらず、ボランティアたちは地域で行動を 起こすにあたっては、他の住民の理解も必要となり、働きかけを行うことから、周辺‑の波及効 果も発生する。こうして、ボラソティアは、地域におけるオどこオソ・リーダー的な役割を果た すこととなり、行政‑Lからの啓発によらずとも、より広い市民層が、人権問題について自ら学 ぶ契機を作り出している。このような点において、 「市民参加型ボラソティア活動」は、これま での「啓発型教育」の問題点を克服した、新たな人権教育の方法論となりえるものである。

しかしながら、同和問題を中心として行われてきた人権啓発の現場に、 「市民参加型ボラソティ ア活動」を持ち込むことには、心理的な抵抗感も予想される。部落解放運動の視点からは、これ まで行政闘争の論理の中で、ボラソティアとは行政の責任放棄の結果生み出されるものとみられ てきたこと、また、被差別の直接の当事者でないものが取り組むのは、同情にもとづくものでは ないのか、ととらえられてきたことが指摘されている(20)。後者の指摘に関しては、活動を通して、

ボラソティアが当事者意識を獲得してゆくことを先にも指摘したが、前者‑市民が、行政の取 り組んでいない課題に、自発的に取り組み始めることが、行政の責任放棄につながる危険性‑

については、重要な指摘と思われる。人権問題とは、誰もが変革の主体となりえるものであり、

行動を起こしてこそ解決されるもの、と捉えるならば、人権教育において、市民の自発性は最大 限に尊重されるべきである。しかし、それは、市民が何もかも抱え込んでしまうことが良い、と

参照

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