東北福祉大学博士論文
ポストモダン社会における「新しい貧困」
―「実存的貧困」概念の提唱―
学籍番号:16GD002 氏 名:原田和広
a
1.論文題目 (副題を含む)
ポストモダン社会における「新しい貧困」の研究 -「実存的貧困」概念の提唱-
2.論文の要旨
太宰治の私小説・『人間失格』の主人公は(畢竟,太宰治は),果たして「貧困」であろうか.或いは,世に
「東電OL殺人事件」として知られる事件の被害者であり,東京電力のエリート社員でありながら,渋谷の円 山町で約 10年間に渡って街娼生活を送り,最期は暴行された後に殺害された女性は「貧困」だったのであろ うか.
彼らは,闇の様に暗く深い「貧困」状態に陥っていた,というのが,本論文が準備した解である.何故なら ば,彼らを貧困であると理解しない限り,彼らの深い孤独と苦悩,そして極めて自傷的な日々の営みを説明す ることはできないし,同様の状態に置かれている社会的マイノリティへの理解も不可能であるからだ.一方,
太宰や東電OLが貧困であると理解可能ならば,それを敷衍して,世界や日本社会を震撼させた数々の事件の 犯人達もまた,同じ類の貧困であったことが理解できるようになるだろう.
突如として何者かがさしたる理由もなく凶行を犯すような事件は,これまで常人には理解不能な「心の闇」
とされてきた.この種の事件は,インドネシアでは,単にamokと呼ばれる土着の精神疾患として処理される.
アメリカでも,多発する概ね自殺を伴う銃乱射事件はそのように見做される傾向がある.だが,昨今のヨーロ ッパ社会において,比較的高学歴で恵まれた社会環境の若者達が次々とイスラム国へ出国し,イスラム原理主 義に基づく聖戦へ参加する場合は,さすがに単なる精神疾患だけではその行動を説明できない.日本でも,2014 年に北大を休学中の学生がイスラム国に入国しようとして水際で警察に止められる事件が起きた.更に振り返 れば,1990 年代,オウム真理教の高学歴信者達による首都圏無差別殺傷事件に日本社会全体が震撼した.他 にも,不可解な自殺,殺人,テロリズム,その他様々な自傷他害行為,嗜癖由来の事故が,資本主義が十分に 行き渡った先進国を中心に日々起きているが,このような先進国特有の深刻な社会病理に対する理解の補助線 として,本論文を通して「実存的貧困(existential poverty)」という新たな貧困概念を提唱する.
そのためには,社会福祉学における一つの堅牢なアプリオリを最初に棄却する必要がある.それは,「貧困と は必ず中核に経済的な貧しさを伴う」という概念である.我々は,ほぼ無条件に「貧困=経済的な酷い貧しさ」
を想像しがちであるが,貧困=経済的困窮という安易な概念構造に対しては,昨今ヨーロッパを中心に強い批 判が起きている.CastelやPaugam らは,フランスにおける不安定就労者の研究を通して,所謂「新しい貧 困」を提唱したが,Castelはそれを「社会喪失」と呼び,Paugamは「降格する貧困」と表現した.彼らが最 も注目したのは,人々が貧困状態にある時の経済力の欠損ではなく,貧困者が置かれた社会的紐帯の乏しさで ある.何故ならば,経済的に困窮した人々に対して,単なる金銭的な給付によってその経済的苦境を打開した ところで,結局彼らは社会の上部階層に立ち返ることができなかったからである.
Castel,Paugamらが貧困者の社会関係資本に着目して「新しい貧困」を論じたのに対して,Stieglerもま
た,「新しい貧困」として「象徴の貧困」が現代社会において発生していると指摘する.Stiegler(=2006:2)
は,「日本や欧米等,テクノロジーが支配している社会において特徴的な事象は,『個』が衰退し,シンボル(象 徴)の生産に参加できなくなることである」と指摘する.高度工業社会では,我々を同質化する力と,個体化 する力の二つが同時進行するのであるが,その相矛盾するベクトルの中で自己を見失った者達が陥る人間存在
b
Listerもまた,Stieglerと同様にスティグマに代表される貧困の象徴的側面を重く捉えた.そして,彼女は
貧困概念の中核に経済的な困窮を据え,その周縁に「関係的・象徴的貧困」の概念を布置して新たな貧困観を 示した.イギリスの「アンダークラス」の研究を通してListerが明らかにしたのは,貧困者は経済的な困窮よ りも遥かに,社会からの偏見や差別,そして社会関係資本の乏しさに苦しんでいたという事実である.
Lister(=2011:21)は,「貧困は,不利で不安定な経済状態としてだけでなく,屈辱的で人々を蝕むような
社会関係としても理解されなければならない」と述べる.彼女は,「新しい貧困」に関してFraserの「再配分 と承認」の政治論から多くの示唆を受け,剥奪や搾取といった経済的な問題に関わる貧困だけでなく,「非承 認」や「蔑視」といった「文化的・象徴的不正義」への配慮が不可欠であることを指摘しているのだ.それを 表したのが,「貧困の車輪」(図1・上)である.物質的核として,中心に「容認できない困窮(unacceptable hardship)」を配置し,その周囲にあたかも車輪のように貧困の関係的・象徴的な側面を布置した.経済的に 貧しいということが今なお貧困概念の大前提にあり,その状況に置かれてかつ関係的・象徴的にも貧困を味わ っている状態を,Listerは最も深刻な貧困状態であると捉えたのである.
全てでは無いが,幾つかの有用な「新しい貧困」に関する論考が出揃ったところで,ここで再度太宰治や東 電OLは,果たして貧困であろうかという冒頭の問に立ち戻るが,この問は次のようにも換言できる.Lister の「貧困の車輪」から,中核にある「容認できない困窮」を,すなわち経済的困窮を切り離し,なおその状態 を「貧困」として措定できるであろうか,と.Listerは,「象徴的・関係的貧困」を経済的困窮以上に重視して はいるが,それ自身を単独の貧困概念として措定している訳ではない.従って,車輪の中核である経済的困窮 状態が貧困概念には不可欠であるとするならば,富豪の出自である太宰や,超一流企業で総合職として働いて いた東電OLは,貧困ではないと考える他ない.
しかし,Listerが提唱した「貧困の車輪」の外側部分,「関係的・象徴的貧困」が単独で,或いは何らかの要
素との組み合わせによって「貧困」として措定されるのであれば,確かに貧困概念は拡張されるものの,社会 福祉学は対象者理解に関しても広大な射程と奥行きを手に入れることになる.その場合,「関係的・象徴的貧 困」,そして,後述する「実存的貧困」が極めて色濃く人生に付随する太宰や東電OLは,いかに本人達が経済 的困窮を抱えておらずとも,個としては「貧困」であった,と表現して差し支えないであろう.
これまで論じてきた貧困概念を整理し,改めて図化したものが,図 2-1・下である.「実存的貧困」は,「経 済的貧困」と「関係的・象徴的貧困」の中に,横断的に含まれる概念であるが,必ずしも「経済的貧困」を必 要としない.その点において,これは全く新しい貧困概念である.
「実存的貧困」が,「経済的貧困」を伴っている場合は,三重の貧困が凝縮された「絶望的貧困(hopeless
poverty)」であると定義する.「実存的貧困」は,Listerの「貧困の車輪」の枠内に収まる概念であり,「関係
的・象徴的貧困」の安易な拡張版ではない.その意味では,貧困概念を徒に広げたのではなく,更に深めたの だと理解されるべきである.無論,本論文で提唱する「実存的貧困」状態は,Listerが重視した「関係的・象 徴的貧困」よりも,人間にとって一層耐え難い苦悩であることは十二分に強調しておきたい.
本論文では,従来の貧困研究の歴史と新概念の理論背景を概説した後,性風俗産業に従事している女性達の 苦悩に着目したフィールドワークを通して,現代社会において,近代的な貧困観では最早説明できないポスト モダン的貧困が世界中で無数に誕生していること,そしてそのような「新しい貧困」に対する本質的な理解の 枠組みとして,「実存的貧困」及び「絶望的貧困」概念が必要不可欠であることを述べる.そのために,Lister が行った「貧困の再定義」を部分的に棄却,修正し,本論文において貧困を改めて再定義するが,その際鍵概 念となるのはStieglerやBaumanが主張する非物質的な貧困概念である.Stiegler同様,Baumanも「新し い貧困」を提唱し,古典的な物質的欠損としての貧困に強く疑問を呈するのであるが,従来の社会福祉学は
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事実,Listerは,Sen やSpickerらの定義に倣い,貧困の物質的側面を核として,「容認できない困窮」を
「貧困の車輪」の中心に据えて,その周囲に図2-1上のように関係的・象徴的な貧困の諸要素を配置して,社 会的紐帯の乏しさと参加の欠如を重視したのだが,彼女の貧困論も最後まで経済的貧困概念の軛に捉われたま まである.本論文では,この議論を更に推し進め,東電OLのように性風俗産業に従事した経験がある61 人 の女性達の質的・量的研究から,「実存的貧困」という全く新しい概念を提唱するのである.
「実存的貧困」の定義を簡単に言えば,「Listerの『貧困の車輪』から,中核としての物質的な『容認できな い困窮』を除いたもの」である.加えて,図4に示したように,社会的に排除されているという事実とスティ グマの実感,及び4つの心理・社会的な要件を全て満たす必要がある.通常,このようなパワーレスな状態に なるためには,何らかの「非物質的な『容認できない困窮』」が,「物質的な『容認できない困窮』」の代わりに,
この新しい貧困概念の核として存在しているはずである.
Listerらが最後まで拘った,貧困の物質的な中核を取り除くことに抵抗を感じる向きもあろうが,それを除
いてもなお貧困概念が成り立つ理由は,現代社会において,個人が体験する「容認できない困窮」は,必ずし も物質的なものだけとは限らないからである.
「容認できない困窮」は,心理・社会的なものでも十分に成り立つ.Senは,貧困の「還元不能な絶対的中 核」の顕著な事例として,飢餓と栄養失調を挙げた.彼の顰に倣って非物質的な貧困の顕著な事例を挙げれば,
それは虐待である.飢えていなくても,例え王侯貴族でも,虐待され続けた子どもは絶対的に心理・社会的に 貧困である.そして,栄養失調が様々な身体疾患を引き起こすように,虐待は幼児期から様々な精神や発達の 障害を引き起こす.これは明らかに,人間にとって「容認できない困窮」である.
Baumanも,CastelやPaugam同様に「新しい貧困」を語っているが,彼は貧困に関して,Listerらの経 済的貧困概念に拘泥する旧来の社会福祉学的な立場を明確に否定する.
貧困という現象は,物質的な欠乏や身体的な苦痛に帰着するだけではない.貧困は,社会的・心理的 な条件でもある.(Bauman=2008:76)
「貧困=飢餓」という等式は,貧困の持つその他の多くの複雑な側面を覆い隠している.つまり,「ぞ っとするような生活と住宅事情,病気,識字能力の欠如,攻撃性,家族の離散,社会的な絆の弱さ,
将来がないこと,生産能力の欠如」がそれである.これらは,タンパク質を多く含有するビスケット や粉ミルクでは癒せない苦痛である.(Bauman=2008:163)
Baumanが指摘するように,現代社会において,単に物質的な欠乏だけで貧困を語るのは,最早致命的な誤
りである.アフリカのような未だに物質的欠乏を抱えた社会においてさえ,子ども達は学習の機会が剥奪され ていることに遥かに苦痛を感じているのである.
しかし,改めて非物質的な「容認できない困窮」の存在を認めて,Listerの図に併記する,或いは置き換え ればよいのかといえば,事はそう単純ではない.そのやり方では,明らかに図に矛盾が生じてしまう.何故な らば,先に例として挙げた虐待は,親と子の関係性の問題であるからだ.つまり,虐待は,Listerの貧困の定 義で捉えれば,「関係的貧困」に入らなければならない.虐待以外にも「実存的貧困」を引き起こしやすいもの として,研究を通して,DV,性暴力被害,いじめ,極度のハラスメントなどのトラウマティックな事象が浮か び上がってきたが,これらもやはり全てListerの「関係的・象徴的貧困」に加えるべき事象である.従って,
非物質的な「容認できない困窮」を想定する場合,彼女が築き上げた貧困論では貧困の核が内側と外側に二つ
d 求められているのだ.
畢竟,Senがその知見を発展途上国の貧困研究から導き出した結果,飢餓と栄養失調という物質的側面に縛 られてしまったように,Listerもまた,先進国の「アンダークラス」の貧困研究から得られる知見以上のもの,
すなわち「関係的・象徴的貧困」以上のものを見つけ出すことができなかった.そして,両者共に近代的貧困 論の枠を出ておらず,ポストモダン社会特有の貧困をその貧困論の射程に収めていなかった.つまり,経済的 に豊かな状態で,時に人間が極めてパワーレスな状態に陥り,その潜在能力(ケイパビリティ)が制限されて しまうという現実を,彼らは把握できなかったのである.
最終的な結論として,「『実存的貧困』とは,『内的作業モデル(IWM)』の欠陥を抱え,非物質的な困窮状態 を抱えた者が,ポストモダン社会特有の『実存的不安』を,何らかの要因で『実存的空虚』の段階にまで悪化 させ,かつその生育歴において社会的排除に直面し,その過程でスティグマを自らに内面化した状態」と定義 された.そして,その状態は,結果的に必ず以下の4つの心理・社会的欠損状態を引き起こしている.すなわ ち,①希望の喪失,② 自 我アイデンティティの未形成,③低い自尊感情,④生きる意味の不明瞭性,である(図4:「実存的 貧困における存在証明の構造」は,性風俗産業に従事する61 人の女性達に対して実施された筆者の質的・量 的研究から導き出された.)
「実存的貧困」状態は,Listerの「経済的貧困」や「関係的・象徴的貧困」の間に横断的に存在し,「経済的 貧困」とも重なる場合は,「絶望的貧困」と定義される.三重の貧困状態は,考え得る全ての貧困が凝縮された ものであり,その苦悩は筆舌に尽くし難い.そのような状態にある者が,世の理不尽さを嘆き,自らの苦しみ の責任を他者に転嫁させた時,そこに絶望と共に,仄暗いルサンチマンが沸き上がる.その結果,彼らの自暴 自棄な行動化が,図1・下に記されたような,種々の「自傷的存在証明(self-injurious identification)」とな って,社会の中で発露するのだが,それに真摯に向き合うことが,ポストモダン時代の社会福祉学の使命なの である.
i 目 次
序章 はじめに
第1節 社会的排除論の陥穽
第1項 「新しい貧困」理解の枠組み:「相対的貧困」か,「社会的排除」か ··· p1-21
第1章 「貧困理論」の再検討
第1節 「実存的貧困」:新たな貧困概念の提唱
第1項 「経済的貧困」概念の限界:物質的貧困論を超えて ··· p22-29 第2項 貧困概念の変遷:BoothからSenまで ··· p29-35 第3項 Listerの貧困の再定義:「実存的貧困」による貧困の再々定義 ··· p35-41 第4項 Stieglerの「象徴の貧困」:自己の喪失と世界からの疎外 ··· p41-48 第5項 豊かさの中の貧困:「実存的貧困」の意義 ··· p48-88
第2節 社会福祉の新しい支援対象としての「性風俗産業従事者」
第1項 日本における「アンダークラス」と社会的排除 ··· p89-110 第2項 「貧困の女性化」と「居場所」としての「性風俗」 ··· p110-118
第2章 研究の背景:「大きな物語」の喪失と「実存的不安」
第1節 ポストモダン,新自由主義,そして消費社会
第1項 「ハイ・モダニティ」の到来:Giddensと「実存的不安」 ··· p119-134 第2項 「新自由主義」が生み出す格差社会:「近代的不幸」と「現代的不幸」 ··· p134-144 第3項 「新自由主義」的統治と「生権力」:権力への隷従と制度化された社会的排除 p144-152 第4項 「消費社会」における「性の商品化」:「物象化」される性 ··· p152-165 第5項 「孤独」と「生」と「性」 ··· p165-172
第2節 フェミニズムの限界:「可哀そうな被害者」と分かりやすい性的搾取の構図
第1項 当事者主義の欺瞞:サイレントマジョリティへの無関心 ··· p173-186 第2項 「承認の共同体」としての性風俗:「社会福祉は性風俗に敗北した」 ··· p186-195 第3項 性風俗産業従事者の「行為における主体性(agency)」 ··· p196-209
ii 第3節 性風俗産業従事者と社会的排除:「廃棄された生」
第1項 性風俗という「職業スティグマ」:Goffman理論から風俗嬢を捉える ··· p210-220 第2項 「実存的不安」から「実存的空虚」,そして「実存的貧困」へ ··· p220-232
第3章 研究の手法
第1節 混合研究によるアプローチ:(当事者インタビュー,アンケート調査,関係者インタビュー)
第1項 質的研究の手法:グラウンデッド・セオリー(GT) ··· p233-237 第2項 トライアンギュレーション(量的調査)の手法 ··· p237 第3項 トライアンギュレーション(質的研究)の手法 ··· p237-238
第4章 質的研究:52人の「性風俗」に生きる女性達の実態 第1節 水商売(A群)に属する女性たちの研究
第1項 13人の女性達の概略 ··· p239-240 第2項 3人の現役キャバクラ嬢の物語(地方都市・政令市・六本木) ··· p240-246 第3項 2人の定職に就いた元キャバクラ嬢の物語 ··· p246-253 第4項 2人の定職に就いた元キャバクラ・デリヘル嬢の物語 ··· p253-260 第5項 2人の定職に就いた元スナック嬢の物語 ··· p260-265 第6項 2人のガールズバー,パパ活嬢の物語 ··· p265-277 第7項 2人の失業中の元キャバクラ嬢の物語 ··· p277-292
第2節 風俗業(B群)に属する女性たちの研究
第1項 11人の女性達の概略 ··· p292-293 第2項 3人のホテヘル・デリヘル嬢の物語 ··· p293-312 第3項 4人のソープランド嬢の物語(高級・中級・低級×2) ··· p312-332 第4項 2人のセックスワーカーの物語 ··· p332-343 第5項 2人の最貧困風俗嬢の物語 ··· p343-362
第3節 エンタテイメント業(C群)に属する女性たちの研究
第1項 9人の女性達の概略 ··· p362-365 第2項 6人のAV女優(強要被害者・現役専属・元専属×1,元企画単体×3)の物語 p365-407 第3項 3人の地下アイドルの物語 ··· p407-427
iii
第4節 風営法外のサービス(D群)に従事する女性達の研究
第1項 13人の女性達の概略 ··· p427-428 第2項 2人のJKビジネス嬢の物語··· p428-448 第3項 5人の素人売春嬢の物語 ··· p448-470 第4項 6人のパパ活嬢の物語 ··· p470-509
第5節 その他の女性達(E群)の研究
第1項 6人の女性達の概略 ··· p510-511 第2項 2人のシングルマザーの物語 ··· p512-516
第3項 4人の高学歴風俗嬢の物語(元AV・元キャバクラ・高級デリヘル・低級デリヘル・パパ活等)
··· p516-562 第6節 比較群の女性達(F群)の研究
第1項 4人の女性達の概略 ··· p562-563 第2項 4人の比較群(アイドル,タレント等)女性の物語 ··· p563-571
第7節 質的研究(52人のインタビュー調査+比較群4人)のまとめ
第1項 性風俗産業で働くということ:「近代的不幸」と「現代的不幸」の入り組んだ 総 体アンサンブル
··· p571-576 第2項 性風俗産業で働く女性と「実存的貧困」 ··· p576-577
第5章 補足研究の分析とまとめ
第1節 トライアンギュレーション(量的研究)から見た性風俗に生きる女性達の「生きづらさ」
第1項 量的研究の結果と分析 ··· p578-581 第2項 「実存的貧困」概念の妥当性 ··· p582-583
第2節 トライアンギュレーション(質的研究)から見た性風俗に生きる女性達の実態
第1項 支援者の立ち位置:中立派・社会福祉系(X1,X2) ··· p583-592 第2項 支援者の立ち位置:権利擁護派・フェミニズム系(Y1,Y2) ··· p592-602 第3項 支援者の立ち位置:業界関係者(Z1,Z2) ··· p602-616
iv
最終章 研究の総括:Honnethの承認論に基づく新たな「貧困理論」の構築 第1節 社会福祉の支援対象としての「性風俗」
第1項 「実存的貧困」或いは「絶望的貧困」からみた女性達の「貧しさ」 ··· p617-621 第2項 偽装されたセーフティネットとしての「性風俗」 ··· p621-625 第3項 自由意思か性的搾取か:「中動態」を生きる女性達 ··· p6235-628
第2節 結論:「実存的貧困」概念による「貧困理論」の再定義
第1項 新しい貧困概念の検証と課題 ··· p628-642 第2項 「実存的貧困」における存在証明の構造:Camusの「異邦人」的世界観 ···· p643-657 第3項 「自傷・他害的存在証明」:愛着障害+社会的排除+「象徴の貧困」=「実存的貧困」の極北
··· p658-674 第4項 現代のトリスタンとイズー:ある「社会デ ィ ザ喪失者フ ィ リ エ」の悲劇 ··· p674-684
補稿 第4章における会話分析のトランスクリプト(Web公開版では割愛)
第4章 質的研究:52人の「性風俗」に生きる女性達の実態(トランスクリプト版)
第1節 水商売(A群)に属する女性たちの研究 第2節 風俗業(B群)に属する女性たちの研究
第3節 エンタテイメント業(C群)に属する女性たちの研究 第4節 風営法外のサービス(D群)に従事する女性達の研究 第5節 比較群の女性達(E群)の研究
··· p685-686
参考文献 ··· p687-695
1 序章 はじめに
第1節 社会的排除論の陥穽
第1項 「新しい貧困」理解の枠組み:「相対的貧困」か,「社会的排除」か
(1) 従来の社会福祉学,或いは社会学の貧困概念ではその実態が上手く捕捉できない「新しい貧困(new
poverty)」が1970年代頃から少しずつ発見され,1980年代以降,世界中の先進国で一気に顕在化し,現代社
会において急速に拡大してきているというのが,社会学や社会福祉学における一つの共通認識である.「新し い貧困」は,最初は主に欧州を中心に不安定就労者(プレカリアート)が置かれたパワーレスな状態を指す言 葉として用いられた.プレカリアートとは,「Precario(不安定な)」と「Proletariato(プロレタリアート)」を 合わせた造語である.この言葉は,2003年頃,イタリアの路上に「落書き」として突然現れたという.以来,
世界中の不安定なプロレタリアートの間に広まり,ユーロメーデーなどで使われるようになった.一般的なプ ロレタリアートによって組織されている従来の労働組合の行進に対して,非正規雇用故にそこに属すことがで きず,社会保障制度や様々な企業内福祉から疎外されている彼ら「持たざる者」達が自分達を表現する際,社 会へのルサンチマンをたぶんに込めて批判的な文脈で用いたのである.
フランスの社会学者・Paugamは,第二次大戦後「栄光の30年期」と称される経済成長の後半から終焉の 時期と重なるように,フランス社会に現れた上述のワーキングプアの貧困層を発見した.好・不況の荒波に翻 弄される様に時に失業し,時に辛うじて有期雇用契約で就労し,しかし結果的には少しずつ社会の下層に滑り 落ちて沈殿してしまうようなプレカリアートの窮状を,彼は「社会的降格(social disqualification)」或いは
「降格する貧困」という言葉で表現した.
同じ時期,アメリカでは「貧困の女性化(feminization of poverty)」が起きていた.それ以前は,大都市部 のゲットーと呼ばれるスラム街に押し込められていた低学歴の黒人男性達が,悪しき人種差別の歴史から生じ たアメリカの貧困の象徴であった.しかし,1960 年代にリンドン・ジョンソン大統領が貧困の撲滅を目指し て「貧困戦争」を宣言し,重点的にスラム街の黒人男性に対して就労への支援が行われた結果,黒人男性に変 わって台頭してきたのが主に黒人のシングルマザーとその子ども達の貧困である.彼女達は,アメリカ社会の 中で性質の悪い「福祉依存者」のレッテルを貼られ,若いギャング集団の男性達や薬物依存症者と並んで忌み 嫌われる代表的な「アンダークラス」となり,今も増え続ける未婚の母親達は,アメリカ社会において,さな
がらLewisが指摘したような「貧困の文化」を再生産し続けている.彼ら「アンダークラス」に蔓延するのは,
犯罪率の高さ,非行,不衛生な居住環境,虐待の連鎖,高い学校中退率と低学歴,DV,薬物依存,若年での妊 娠・出産,売買春の横行など,不道徳・不品行とされる凡そ全ての事柄である.こうした欧米の「アンダーク ラス」に象徴されるように,「新しい貧困」は単に経済的に貧しい状態を指すだけでなく,寧ろ極めて複雑に絡 まり合った社会問題の 総 体アンサンブルなのである
同様の「新しい貧困」が日本で顕在化したのは,欧米から10年程遅れた1990年代のバブル経済崩壊後であ
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る.それまでも,Hikikomori という英語として海外でも広く認知されていたひきこもりの問題や大都市圏に 特有のホームレスの問題は,社会福祉学が向き合うべき対象として,幾許かは専門家の興味関心を集めてはい た.しかし,「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声の下,高度経済成長を続ける日本社会においては,そ れが社会全体を脆弱化させるほどの大問題であるとは,当時まだ深刻に考えられてはいなかった.婦人保護事 業の対象となるような知的或いは精神や発達の障害を持った女性達の売春等も含めて,当時の社会福祉が関わ る対象は,自分達「常人」とは違う異質な存在であるという偏見とスティグマが,彼らの存在を他者化し,日 本社会の中で不可視の存在にしていたのである.
高度経済成長期,「一億総中流社会」の華やかな幻想の下に覆い隠されていた先述の諸問題は,バブル経済の 崩壊後,小泉構造改革がもたらした労働市場の規制緩和と相まって,一気に社会の中の様々な領域で顕在化し た.増加の一途を辿る非正規雇用労働者,とりわけ住込みの派遣社員は,不況時には雇用の調整弁として簡単 に雇い止めにあった結果,容易くホームレスやネットカフェ難民に陥る脆弱な存在になった.湯浅誠(2008)
が指摘するように,雇用・社会保険・公的扶助の本来あるべき三層のセーフティネットが各層共に著しく劣化 した日本社会は,文字通り一度躓いて雇用の機会を失えば,簡単に社会の底辺まで滑り落ちて行って二度と這 い上がれない「すべり台社会」と化したのである.リーマンショックが起きた2008年の世界同時不況の年は,
全国で一斉に派遣切りが行われ,実家に戻ることもできない程困窮した元派遣労働者達が,湯浅と弁護士であ る宇都宮健児の呼びかけで日比谷公園に集まり,その様子は「年越し派遣村」として全国にテレビ報道されて 日本社会に大きな衝撃を与えた.
東日本大震災発災の翌2012年,日本の「子どもの貧困率」はOECD加盟国の中,統計の無い韓国を除けば 最悪の数字である 16.3%を記録し,実に子どもの 6人に 1人までが貧困という状態に陥った.日本社会で深 刻化する貧困に早くから気付いていた阿部彩は,2006 年に「社会生活に関する実態調査」を東京近郊の地域 で20歳以上の男女2,600人を対象に行ったが,その調査の中に「15歳時点での生活状況」という項目を設け た.その結果から分かったことは,15歳時点での貧困は現在の所得の低さと強い関連があるということであっ た.つまり,15歳という義務教育の最終年齢時において貧困だった場合,限られた教育機会しか得られず,そ の結果恵まれない職に就き,低所得で低い生活水準となってしまう,という図式が浮かびがって来たのである.
子ども時代の貧困は,その時点だけではなく,将来に渡ってもその子にとって不利な条件を蓄積させてしまい,
そしてそれは,次世代にも受け継がれていく場合が多いことが実証されたのだ.2000 年代に入って自民党政 権の下で一層推し進められた構造改革と規制緩和は,日本国内における経済格差を更に拡大することになり,
橋本健二(2018)が指摘するように,日本社会にも欧米のような「アンダークラス」が誕生して,社会の下層 に固定化・再生産されていたのである.
山田昌弘(2007)は,『希望格差社会』の中で,フリーター,ニート,使い捨ての非正規労働者達が被る不 利益と社会的排除の現実に触れ,職業・家庭・教育の全てが不安定化している「リスク社会」日本では,「勝ち 組」と「負け組」の格差は最早救いようが無い程に拡大し,「努力したところで報われない」と感じた人々から
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希望が消滅していく事態を指摘し,将来に希望が持てる人と将来に絶望している人が分裂する日本社会の現実 を克明に描き出した.そして,2020年現在,この状況は一層悪化していると言っても過言ではないであろう.
岩田正美(2007:22)は,「こうした新しい貧困の出現は,80年代以降明確になったポスト工業社会とかグ ローバリゼーションといわれる新しい社会経済体制への移行の過程で顕著になった」と指摘するが,その潮流,
すなわち一般的には「新自由主義(neo liberalism)」と称される市場原理主義の政治経済システムは,日本で 今現在も強力に推し進められている.小泉構造改革に象徴されるこの潮流は,中曽根内閣以降一貫して自民党 政権が堅持してきた政治経済施策であり,近年例を見ない長期政権となった第二次安倍内閣において,鳴り物 入りで打ち出された経済政策・アベノミクスと,それに続く労働市場の更なる規制緩和によって,「新しい貧 困」はより一層先鋭化された.アベノミクスが実施された7年間で,日本社会における経済格差は拡大の一途 を辿り,非正規雇用労働者数は304万人を突破して既に全労働者の約4割に達している.不況や雇用の流動化 の煽りを受けた団塊ジュニアを中心とするロストジェネレーションや若者世代では,ネットカフェなどで暮ら さざるをえない「住居喪失者」が増加し,都内では2017年に4,000人と,この10年間で倍増した.一般社団 法人つくろい東京ファンド代表理事の稲葉剛(2019)は,朝日新聞の紙上で「24 時間営業のファミレスやフ ァストフード店,カプセルホテル,サウナ,友人宅などを転々とし,路上生活の一歩手前で都会を漂流する人 が増えている」と若者の見え難い貧困,所謂ハウジングプアの増加を指摘している.
一方,高齢者に目を転ずれば,藤田孝典(2015)が指摘するように,こちらも下流化に歯止めがかからない.
日本の高齢者世帯の相対的貧困率は,実は一般世帯よりも更に高いのである.内閣府の「平成 22 年版男女共 同参画白書」によれば,65歳以上の相対的貧困率は22.0%である.更に,高齢男性のみの世帯では38.3%,
高齢女性のみの世帯では52.3%にも及ぶ.つまり,単身高齢者の相対的貧困率は極めて高く,高齢者の単身女 性に至っては半分以上が貧困下で暮らしている状況なのだ.この状況を藤田は「下流老人」と呼び,近い将来 日本の高齢者の多くが陥る冷たい現実であると警鐘を鳴らしている.
高齢者の相対的貧困率を超え,現代日本社会で最貧困に位置する集団は,「母子家庭」である.その貧困率
は,1997年の63.1%をピークとし,なだらかに改善傾向にあるものの,2018年の最新の調査に至るまで一貫
して50%を超えて推移している.OECD加盟国の中で,ひとり親家庭の相対的貧困率が50%を超えている国
は日本だけであり,これは先進国として恥ずべき数値である.従って,中村惇彦の『東京貧困女子.』や荻上チ キの『彼女達の売春(ワリキリ)』,鈴木大介の『最貧困シングルマザー』等のフィールドワークで描かれる日 本版「貧困の女性化」は,ある意味,若者や高齢者以上に苛烈であるかもしれない.虐待,精神疾患,発達障 害,借金,売春,自傷行為,多重債務,DV,性暴力被害等のトラウマティックな人生の中に色濃く浮かび上が る救い難い貧困と彼女達に押し付けられた社会からの冷たいスティグマは,貧困であるということが,人間と しての尊厳をここまで奪われるということなのか,と嘆息せずにはいられない程である.しかし,こうした,
大企業に使い捨てられて住居さえままならない若者達,下流化する高齢者,社会から白眼視される母子家庭や,
性を切り売りして辛うじて生きて行く若い女性達の貧困が年々顕在化する一方,新自由主義社会の「勝ち組」
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に属する日本の富裕層(金融資産が100万ドルを超える人の数)は,2019年に316万5,000人に上昇し,ア メリカに次いで世界第2位を記録している.
加速度的に社会全体の貧困化が進む「リスク社会」日本において,同様の速さでニューリッチが形成され,
分断された社会の中に堅固な格差社会が構築されている.富める者は一層富み,貧しい者は一層貧しくなるの が,新自由主義が社会の隅々まで行き渡った資本主義国家の常態なのである.従って,これまで縷々述べてき た単なる経済的貧しさだけに還元できない「新しい貧困」は,明らかに日本を含めた先進資本主義国家に完全 に定着した格差社会の光と影のうち,今日も増え続ける絶望的な影なのである.
(2) 多元的な困窮状態として理解される「新しい貧困」に対して,これまで様々な研究者が,各自の立場 から「記述的概念」として独自の貧困概念を構築してきた.「貧困の文化」,「アンダークラス」,「依存の文化」,
「社会的降格」,「社会喪失」,「すべり台社会」,「象徴の貧困」,「リスク社会」,「希望格差社会」,「下流社会」,
「無縁社会」等々である.しかし,これらの概念が現在の「新しい貧困」を全て包含して説明可能かと言えば,
それぞれに全て限界があるであろう.各概念は,確かに特定の「新しい貧困」の実態を説明することは可能で あるが,包括的な貧困理論として新たに理論化されたものではない.一方で,従来の貧困理論では,1970年代 以降,世界中で「再発見」された,上記の様々な生活課題を抱えた個人や集団の困窮状態を全て包含できない.
従来の単純な「所得貧困」では測定できない「新しい貧困」を測定するために,所得の概念に新たに「時間の 貧困」の概念を追加し,「所得」と「時間」の関数として貧困を措定するVickery(1977)による「二次元貧困 線」なども開発されているが,やはり「所得貧困」を土台とした貧困理論に拠る限り,「新しい貧困」を全て包 括して説明することは不可能である.これが,今の社会福祉学が直面するアポリアなのである.
昨今,世界の先進国を中心に,従来の社会福祉学が「貧困」措定のために用いて来た概念や尺度では上手く 捕捉できない様々な生活困窮状態(多くの場合は経済状況に濃淡があり,かつ複合的な心理・社会的生活問題 を抱える)が無数に存在していることは,最早疑いようのない事実である.このアポリアを打開するため,志 賀信夫(2016)は,貧困理論の新たなパラダイムシフトを提唱し,従来主流であった「相対的貧困」に基づく 貧困理論の限界を示しながら,「社会的排除」を新時代のパラダイムに即した貧困理論として援用することを 提示している.
現在の貧困問題は,タウンゼントの貧困概念では最早理解できない要素があるという理解から出発す るものである.つまり,これまで貧困の範疇に入っていなかった諸問題が社会化し,「新しい貧困」と呼 ばれる社会問題となって生起しているが,これを説明し整理するための新しい枠組みが必要なのである.
この新しい枠組みこそ,近年注目されている社会的排除概念に基づくものであると主張したい.社会規 範に照らして容認できないとされる生活状態のなかに,これまで貧困の範疇に含まれていなかったもの があり,それが社会的排除概念のなかには見出せるのである.そしてこの社会的排除概念によって基礎
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づけられた貧困理論は,これまでになかった新たな展開を伴っているのである.もちろん,依然として タウンゼント的貧困概念の立場に依拠し,社会的排除概念についてこれが貧困概念とは区別されるべき ものであるという主張があるが,本書はそのような主張に異議を申し立てるものである.(志賀 2016:
35)
志賀(2016)は,『貧困理論の再検討』で上述のように記しているが,志賀のこの主張は,残念ながらこの ままでは不十分であり,部分的には牽強付会の謗りを免れない.Listerら,大多数の貧困研究者が従来指摘し てきた通り,社会的排除概念は,「絶対的貧困」や「相対的貧困」のように,現時点では独立した貧困理論とし ては成立しえない.少なくとも,志賀が論じる様な形では認め難いというのが,本研究の主張である.そして,
本研究は,志賀が自身の社会的排除論で構築に失敗した新たな貧困理論を,社会的排除概念とも矛盾せず,両 者の相補的関係性を維持したままで再編する試みでもある.言うなれば,Listerが「貧困の再定義」と称され る業績の中で行った貧困概念の理論化を再修正し,志賀が『貧困理論の再検討』の中で不十分に論じた箇所を 補足することで,「新しい貧困」を十全に捕捉できる新時代の貧困理論を構築すること,すなわち,「貧困の再々 定義」を行うことが,本研究の主たる目的である.
Listerの「貧困の再定義」をいかに修正するかについての詳細は次章以降に譲ることとし,ここでは一先ず,
社会的排除論が「相対的貧困」論に替わる新しい貧困理論である,という志賀の主張を一旦棄却するのだが,
本格的な議論に入る前に,社会的排除について一度概念整理を行いたい.
Percy-Smithは,社会的排除に関して,EUの文書の中で次のような説明を紹介している.
社会的排除は,現代社会で普通に行われている交換や実践,諸権利から排除される人々を生み出すよ うな複合的で変動する諸要素に用いられている.貧困はもっとも明白な要素の一つであるが,社会的排 除はまた,住宅,教育,健康そしてサービスへのアクセスの権利の不適切性をも意味する.それは個人 や集団,とくに都市や地方で,場合によっては差別され,隔離されやすい人々へ不利な影響を及ぼす.
そしてそれは社会基盤(インフラ)の脆弱さと,2重構造社会を始めから定着させてしまうようなリス クと強く関わっている.委員会は,社会的排除を宿命的なものとして受け入れることには断固反対する.
そして,すべてのEU市民が人間の尊厳を尊重される権利を有していることを信じている.(岩田2008: 20-21)
トニー・ブレアがイギリス首相に就任した直後の1997年に立ち上げた,社会的排除と戦う特別機関「ソ ーシャル・エクスクルージョン・ユニット」(Social Exclusion Unit)による定義は,以下のものである.
社会的排除は,例えば失業,低いスキル,低所得,差別,みすぼらしい住宅,犯罪,不健康,そして
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家族崩壊などの複合的不利に苦しめられている人々や地域に生じている何かを,手っ取り早く表現した 言葉である.(岩田2008:21)
いずれも,様々な社会問題と関連した不利の複合性,それらを生み出すリスク,中心社会からの距離が示 唆されているが,イギリスの定義で「手っ取り早く表現した言葉」という直截な表現にも見られるように,
決して学術的には明確な定義ではない.フランスを発祥の地としてヨーロッパに根付いたこの概念は,社会 政策担当者達の政策推進のための言葉として用いられてきた結果,それが何を意味するかを敢えて明確にす ることを避けてきた経緯もある.しかし,それでも社会的排除の鍵概念を構成する幾つかの共通項は見つか る.それが下記の三つである.
一つめが,「参加」の欠如である.社会的排除という言葉は,それが行われることが普通であるとか望まし いと考えられているような社会の諸活動への「参加」の欠如を表現したものである.換言すると,社会関係 が危うくなったり,時には関係から切断されている,ということである.貧困が,生活に必要なモノやサー ビスなどの「資源」の不足をその概念の核とするものだとすると,社会的排除は「関係性」や「社会的紐帯」
の欠損を中核概念とすることが強調される.そして,ここでいう「参加」とは,単にある関係が保たれてい るとか,ある団体への加入が認められているということだけを意味している訳ではない.「関係者」のレベル も階層化されており,例えば「関係者以外立ち入り禁止」のゲートを潜った先にも,様々な「立ち入り禁止」
の札があり,それらを次々と潜り抜けられる人ほど,物事を決定できたり,意見を述べたりするパワーを付 与されていると考えられる.従って,関係の欠如は,同時に声やパワーの欠落でもある.
二つ目が,社会的排除が様々な不利の複合的な経験の中に生まれているということである.また,このよ うな不利の複合の経験は,従来の社会問題の典型的な把握方法とは異なって,「極めて『個別的』な様相を持 っており,従って,統計的に掴むというよりは,人々の人生行路の軌跡の中でしか把握しにくいことも強調 されている」(岩田 2008:24).例えば,フランスの政治から社会問題まで幅広く論じている Rosanvallon は,今日の社会問題が,労働者階級,障害者集団,高齢者集団などの社会階級や特定集団の共通利害を典型 的に示すような問題としてではなく,「原子化・個別化」された人々の多様な人生の中に,様々な「差異や逸 脱の状況」として生じていることを重要視している.従来の福祉国家システムは,分かりやすい貧困や疾病・
高齢・障害から生じるタイプの社会問題に対応してきたので,このような「原子化・個別化」した問題には 対処できない.
それでは,具体的にはどのようなものが社会的排除と結びつく複合的不利として取り上げられるのかとい うと,岩田は,Percy-Smithが7つの側面に区分したそれぞれの排除の指標を整理し,カッコ内のように例 示している.「①経済的側面(長期失業,就業の不安定,失業世帯,貧困),②社会的側面(伝統的家族の解 体,望まない十代の妊娠,ホームレス,犯罪,不満を抱く青少年),③政治的側面(無力,政治の権利の欠如,
選挙人登録率の低さ,実際の投票率の低さ,地域活動の低調さ,疎外,社会的騒乱),④近隣(環境評価の格
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下げ,低質な住宅ストック,地域サービスの撤退,サポートネットワークの崩壊),⑤個人的側面(心身の疾 病,低教育,低技術,自己評価の低さ),⑥空間的側面(弱者の集中や周縁化),⑦集団的側面(高齢者,障 害者,少数民族などの特定集団に上記の特徴が集中していること)」(岩田2008:25)である.
これらを見て分かるように,「参加」の欠如は,やや過剰とも言えるほど,人々の社会活動のあらゆる側 面,或いはコミュニティ全体をその視野に入れており,多面的な社会問題(社会的不利)とその要因が考え られるものが,包括的に表現されている.
社会的排除の三つめの共通項は,排除の「プロセス」の存在である.社会的排除という概念は,「ある状 態」というよりは「プロセス」なのだ,ということが強調される.社会的排除という言葉は,「『誰かが誰か を排除する』といった『動詞』として捉えられ,また,排除の原因と結果の連鎖のようなプロセスとして理 解されている」.(岩田2008:26).
以上,社会的排除について簡単に整理を行った.これを踏まえて志賀の社会的排除論の不足を指摘していく 訳であるが,端的に言えば,志賀の試みは次の6つの点で不十分であり,現状では説得力に欠ける.
第一に,社会的排除という広範な概念が,貧困でないものまで含んでいる可能性を恣意的に無視している.
上記のPercy-Smithの社会的排除の7側面を見ても,貧困は最初の経済的側面の一構成要素に過ぎない.それ
以外は,貧困というよりは寧ろ,それと関係する様々な社会的不利の複合体である.かくも広汎な心理的・社 会的・文化的・政治的・経済的なありとあらゆるハンディキャップ概念を従来の貧困概念と一致させるために は,社会的排除概念の精緻化か,貧困概念の大幅な拡張がなされなければならないはずである.しかし,志賀 の論考では,その部分が明確ではない.
例えば,志賀の理論展開に従って従来の貧困研究の流れを図にまとめると,下記のようになる.
ここで例として,社会的排除に該当する存在で,必ずしも「相対的貧困」状態にあるとは言えない存在を列 挙してみよう.移民・難民・技能実習生・留学生等,ニート,フリーター,ホームレス・ハウジングプア,シ
社会的排除
相対的貧困
絶対的貧困
「相対的貧困」の外側部分で,「社会的 排除」に該当する部分の全てを「貧 困」であると示せない限り,社会的排 除は貧困理論ではなく,単に「貧困」
を包含するメタ概念,或いは「貧困」
の上位概念に過ぎず,「社会的排除論」
=「貧困理論」の等式は成り立たな い.
図1:貧困理論
の拡張