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本 四 , 四 三 \ 入 の 盤 ・ 界

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(1)

巴 本四︐四三\入の盤・界

ーー孤猫釣精紳の傳糊置ー

文︐

二 一

四 三

、芭西赤孤 蕉行入欄

めののと

世世世澄 界界界心・

       幽 ︑孤掲と澄停心 愚      覧﹁       一

  もほ  ノ       リド       ご    ゑ  ゴ       ぷねもノやち       ぎ 井伊蕩は︑彼の茶道の幾成書秦湯茶.集﹂裁庭︑その極意とし三塑會の論を港.郵茶湯の蕃は.

一期一會とぴて︑たとへば︑幾度おなじき主客墨筆するとも︑今鱒の會に函た滋がかへらざる事を思へば︑.賢忙我︑         さ        を  ド     くば  いぶエかそまつ        ド き  世︸度の會なり︒蒙るに式り蔑主人は萬事に心を配り悔柳も鹿宋な謹やう︑探切下意を卑し︑内曇にも此愈に叉逢ひ

      き      け      リリ       みならタ が禿き事を辮へ︑亭主め趣向何一つもおろかならぬを感心し︑費意を以て交る肉きなり︑是を︸︑期一挙といふ︒︑泌

まを         なにざタ      ミ  ぎ ド       げ        お 々・主客とも等閑には一服をも催すまじき筈のとと︑羨即一呼集の極意なり︒﹂と嘗ってみる︒茶の湯の交會が眞に深佳

      をド       ヨ       し       う 境に入る道は︑主客がそれを一世晶度の交響の機會と畳悟予て深切な﹁費賑しを卜すにあることを論顛た噛ので・あ

.職

(2)

      いつ る.叉同書では︑舜猫座観念の境地に及んで︑ ﹁主客とも絵素残心を催し︑内退出の挨拶終れぽ︑囁客も露地を出るに︑高

      ン      も   ほな       しっか    ぜ      ヘ      ロも       あ        も 灘に咄さず﹂静にあと見かへり出で行けば内亭主は六器のこと︑客の見えざるまでも見攣るなり︒撮中.潜り猿戸簿その﹁

外戸障子など・阜々しめ麟などいたす集嬰萬二臼の諜も暫なる嚢れ剛決七馨の言路見萎とも・鴨. かた付け穣べから鳶いかにも翫暴席笠懸懸守臨駐夢吉塚を・焼前に猫座して・管掌御三 有るぺ詮・もばや何方まで轟舞今旦雲叢みて・尭春返らぎる事姦越し或は猫嬰もい奪

事︑是一﹁會極意の⁝習な・り︒しと言ぴ隔︑更に語を纏⁝いで触       .

  このとぎせぼばく      が        ち      ジ チ       をやうがい   此時論莫として㍉打語らふものとては︑釜一口めみにして︑外に為なし︒誠に自得せざればいたりがたき境界なり︒

乏言ってみる︑ ﹁實意﹂を盤七た主筆の交愈が終って櫨前猫座の閑寂にぴたる時の妙境を論い旋ものである︒私は茶

道め事はわからない︒しかし3茶道論書を讃んでみてかうした境地が述べられてみるとごろに出會ふと甚だ感動せし︑

められる.そして.かうした境地は實は自然詩人の世界のあり方に外ならな寧といふ事に氣つかしめられて來るので        ビふしゃくに ある.芭蕉は﹁奥の細道しの中で︑ ﹁清閑の地﹂立石寺にいたって次のやうな有名な一撮を遺した筍

      く壌       灘い      ・       卜欝  い賦ほ か爆訟       しやづはく菰しふ瞬  お︐せ藷郭い   こけなめら蜘︐   日いまだ暮す冶麓の坊に宿かり置て山上の堂にのぼる噂署に巖を重て山とし︑松柏年奮︑土石発て︑苔滑に︑   岩去院鵡嘗て物の蓼忌んす・膿めぐ碁鍮って佛緊巷・俺黒籐讐←て心すみ犠のみ謬ゆ・︑・     蹴.さや岩にしみ独蝉の二一    y

      れ  右の一勧をも一翼集﹂の言葉に讃みくらべて見るならば︑ ﹁一會集﹂の︑﹁寂箕として︑打語らふものとて鳳.釜輔

賛のみにして外に物なしごの雛は・まさに・翼の細道﹂の﹁堂の院藁ゼ離て物の蓼こえす・岸をめぐり   渡つ      .       ゆく        岩を這て佛閣を拝し︑佳景寂奨として心すみ行のみお眠ゆ︒しの境地であか﹂﹁一脅集﹂のh釜︐一口のみしの澄韻は

﹁奥の細道﹂の句の﹁岩にしみ入る蝉の聲﹂の畳韻に外ならなかったといって類いであらう︑ ﹁一二集﹂の﹁濁座﹂

   夢      〜   亨       牽       ︑      圃コ

(3)

三       伽 は人と人との世界からの逃避ではなくし三あくま書深切な﹁實意﹂による交響を一換言すれば﹁まこと﹂に回

る主客め和合を忙したあげくの孤猫の世界であり︑さうした﹁孤猫しにあって︑﹁澄心﹂の境地に到達した時︑其虞に

あったものば釜一口の澄み入ったひびきに統一せられた物心一如の寂糞の世界だけであったが︑私は︑金事に︑ ﹁風       饗.         ︑       ♂ 雅σ誠﹂に生ぎつつ︑﹁孤猫﹂の寂箋に全身心を澄み入らしめて自然の一韻にいみじくも合一し旋芭蕉の世界を鯵舞

たらしめる事が出回るので回る︒  . ︐    ︑      ︐.     ﹁    

 ﹁一蟻集しの著者井伊直弼は︑茶道でははじめ石州流に雛び後に一派をなした入︑灘離にも通じて所謂茶騨一味の

境地を求めてみるが︑ 二愈架﹂の完成は弘化三年︵西紀一八四六年︶頃と推定せられてるるから︵莚一ζ芭蕉の.﹁奥

の細溢しの族の元勲二年︵酉紀一六八九年︶におくれる事百五十徐年である︒レ尤も︑周知の吊り﹁奥の細道﹂の

      が   げ       ミ      へ 囁稿が成ったのな元藤七年で︑族串迄成った句の中にも推厳の重ねられた為のがあり︑﹁閑かさやしの伺のごとぎも﹁さ

︑ ︑ ︑ ︑ .      ︑ ︑      ︑ ︑ ︑ ︑        ︑ ︑      . びしさや岩にしみ込む蝉の聲﹂﹁淋しさの岩にしみ込む蝉の聾﹂の二つの卜形が傳へられて居り懇三︶︑・﹁閑かさや岩       ﹁㌃ にしみ入る蝉の聲﹂の句形となったのは族や以後推敲の過程を齪てからの事であるが︒−i⁝しかし︑右の事は︑私に

芭蕉が﹁笈の蘭交﹂に﹁西行の和歌における︑宗紙の蓮歌におけるハ雪舟の総における︑利休が茶における︑典貫道.

する物は一なり︒﹂と蓮べだ心をあらたに想起せしめるものがあると共に︑ 田本の慮然詩人の世界のあゆ方に写して ︐考察をめぐらす一つのいとぐちを見いださしめるものがあるのである︒

へ註﹂︶ ︵註二︶

︵註三︶ ﹁臼本哲撃全書﹂第十一巻i藝術論篇一所牧︒  ・    ・︑ ﹁井伊大老茶道談﹂の解題の申で述べられた申村駕篭氏の読︒但し︑今同書を見る事が出盛ないので︑ ﹁臼三哲墨ゑ 書﹂の茶道論書の校訂者三枝博書疑の解説によった︑︒

しい事を傳へてるるゆ さの岩にレみ込せみの脅しの墨形が傳へられてるる︒又﹁句選年考﹂には上五に﹁諄しさやレとあるものもあったら  , 艶艨v及び﹁泊船集﹂に﹁さびしさや岩にしみ込獺のこゑ﹂の句形が傳へられ︑﹁芭蕉翁遽悼こがらししに﹁淋し

(4)

二赤人の世界

      へ   島木赤彦倣︑﹁萬葉集の鑑賞及び其批評﹂の申で︑山部赤人の作︑

     エし ぬ   ぼさや    ま    こ ぬれ     ここだ     み吉野の象山の際の木末には幾許もさわぐ鳥の聲かも   ︵萬藻集毬六〜

駁して︑﹁膏の寒寒にして︑澄み入る騒騨天地の慰籍に合してみる・し轟して歌の姿の轟である謬

・指摘し︑・︐更に︑柿本人鷹の﹁雄渾た性格に徹し﹂た歌に比して赤魚の歌は﹁沈潜し旋静粛な性格に徹もてしみると論

 いた﹁歌道小見しの丈を引用して居り︑同じ時の赤熊の作︑.     ぬばたまの拠の灘けぬれば嬬馬跳ふる溝き沸離に千鳥しば鳴く ︵萬葉集巻六︶

 に珍しては︑﹁静粛な感動しのあらはれがある事︑﹁〜種澄み入った世界へ誘ぴ入れられる心地しのせられるものがあ・

 る事︑h一首各音の捕つ響きが塵ましく緊まってみる﹂・二等を指橘してみるが︑叉赤人の特色に要して.﹁赤人は人麿魚

 の如き豪肚さがなくて.誰よりも深い沈潜がある︒沈潜の心は幽かにして静かな心である︒それがよく現れれば︑白

 らにして天地の寂蓼に合し︑悪しぺすると︑練板にして生心のないものになる︒﹂のであって︑右の歌のごときは州そ

 の長所を遺憾なく嚢回し得たものしの中に入るといふ事を述べてみる.手       ︐

  島木赤彦の以上のやうな手前い歌競が萬葉集における赤人の塒色を叢だ鮮明ならしめ赤心の漱を新しく債値づけた︐・

      ドき       ら      む       あ  事については慮評があるじたしかに︑赤人の世界はがゲし疫把握の仕方を揮ぶ事によってその本質に迫の得るのであ

 らう.ただしかし︑﹁深い沈潜﹂と言ぴ﹁静粛な身動﹂と言ぴ﹁澄み入るしと言ひ﹁天地の寂饗相に合してみる﹂と

ち       しっか

   Aつ啄︑芭蕉の粛さや岩にしみ入信の聾﹂のゼと歪封してもこれちの墓はあ℃嵌め轡憩のであって︑潤的

 が同時代の作家に劃する特色の關晦と言ふやうなところにある場合はともかく繁して︑赤人や芭蕉め史的位置をもあ

       轟  ・ 一   ・ 一四

(5)

       繍罪

・肇らかにしょうとする煮らば︑これ以上の性格の追求をも念はぜ試みなくてはならな類のである︒. ︐

 土居光知氏は︑がって︑ ﹁発汗難読﹂の中で赤入を論じて﹁彼が自然の難壁さを讃美した裏面には入生の汚濁さを

︐厭悪する心があったであちう︒﹂乏し︑﹁馳駆奈良の就會はすでに籠臣が櫻を七転らにし.風俗が騰製し始めてみたし事

及び﹁奈良の都響生活を見ると既に腐敗し︑彼をして面をそむけしめるものがあった﹂事を指摘せむれた以外にハ﹁蜘︑

部の姓が示す如く代々山林官であったとすれば︑自然に親しむ性情を遺薄して來たのであらうしと考へられる事・

 ﹁赤ぎ﹂と.﹁溝き﹂とは古代語どして同じ意味を有してみたから﹁墨入の名にも涛潭を慕ふ心が察せられるし事等を       ノ も墨げられて﹁清浮なるものを慕ひ鴨自然のうちに放浪したし理山とぜられてるるが︑赤人の綻歴は不幸にしてあき 多  召      瑠       〆        .      寵       蓼 らかではなく︑かうした方面からする自然詩人としての赤人の世界への追求もさして見るべき成果を期待せしめない

であらう︵註寸言叉阿じ書に土居光知氏は﹁赤人は自然0素朴な移入であって・自然との融合がおめっからできるし作・

者であっだと為蓮べて居られるが︑かうした蘇方からも赤人の世界があ凌らかになって罵ると鳳思はれないのであ−

Oo      ノ      ・    / ザてこ縫.私は彦赤人の瑠的団七い唾凝ければ講席.﹃㌃︑

   若の浦に潮瀧ち來れば潟を無み・葦邊をさして鶴鳴き渡る    ハ萬葉集総六﹀﹁    ︑−

       へ       や  赤人の此の一首について︑島木赤彦は︑特に第三句の﹁潟を慰み﹂が﹁赤人流の微細味を持ってる七︑猫多少灘智       礎 的につてみる︒しと評してみる蕪飯︶︒しかし︑此の理智的なととろは軍なる技巧だけの問題を越えて實κ赤人の全

作晶養いてるる叢るべ葛のであらう・赤κは融濫に登っていだいた奮都へ要点の情を・

    あ す か が賦      . 奏 ..㌧    明日香河川淀さらず立つ霧の思ぴ過ぐべぎ懸に.あらなくに  ︵萬葉集三三隔  戸

と詠∵じ︑春a野での︑︑コ逢ぱぬ兇ゆゑしの懸愛の情を︑      弓荒  ︐.︑       ・ ・

       ︑      ︑       ズ

(6)

   みかくら       や     つ    .高按の三笠の山に鳴く鳥の止めば糠がるる轍もするかも ﹄︑︵萬葉集落馬︶

と詠じてみるが︑懸傭を詠じても︑それは理智の中から静かに燃︑え立ち︑燃え立つものを理智によって抑制し悔凝親

しつつ噛みひめてゆやといったやうなものとならざるを得なかったのであって︑かうした傾向は特に相聞歌のごとき

ものの歌がらをどうしても小さいものとしてしまふといふ傾両に向はしめるのである︒島木赤彦が﹁沈潜した艀粛な       たかくら 性格﹂と言ったやうな性格は此の理智的な性格に山上してみるのだと思︐ふ.島木赤彦は﹁高按の﹂の歌を嵌入の傑作

どして激賞し︑﹁微細所を捉へ・てるる﹂爲生歌として入麿その他の何人も及び得ないものがある薯を強調した︵雛ハ︶が.

しかし︑五味保義氏もその赤人論︵溢七︶で︑﹁此一首の短調にはどこか理智的にひfいて來都ところがあるやうに思ふご.

と言はれたものは赤人の牲格に走って本質的なところに守れられたものであり︑此の歌にあっても見のがす事の出来

ないものなのである.

 赤人がかやうに理智的であったと言ふ事は︑工みつがらをして︑容易には︑劉象への漏壷としての﹁槻る姿勢﹂を

崩さしめなかったと零ふ態度にも連ってみる︒例へば︑故壷掘大臣藤原家〜亡くなった藤原不比等の家一⁝の山池

を詠じた歌︑      内 ・    ・      馬         ︐     ︐

         ふる   つつみ      み ぐぶ が    いにしへの誉き堤は年深み池の渚に水草生ぴにけり  ︵萬葉集雀三︶         ︐       ふる つつみ        ︑・      ゐ凄さ     ∴ といふやうな一種幽玄な深さを湛へた作品にあってさへも︑﹁奮き堤﹂と言ひ﹁年深み﹂と言ひ﹁池の渚と﹂言ひ﹁水

だもさ 草生ぴにけり﹂と言ふやうに︑封象の精密な把握と語句の黙然たる配列とからは︑灘かな凝観とそれを支へてるる冷        ひ乱みしのみこ      −  おめ 徹な理智どを感ぜしめるものがあり︑H並皇子の﹁かりもがり﹂の際の人磨の挽歌﹁ひ婁かたの天下るごとく仰ぎ見  みこ  みかど      .      融れり     みた       諮りそ        お      . 郭 し皇子の御門の荒れまく惜しも﹂へ萬葉集雀二︶や同じ時の舎人の歌﹁御立たしの島の荒磯を今見れば生ひざりし草生

・ぴにけるかも﹂︵萬葉集雀二︶のごときに線の太い把握どそれを支へてるる奔騰した二親とが見られるのと比較して見

      一六

(7)

一七

るならば︑その特色は瞭然たるものがあるであらう︒そして︑赤入の此の﹁繋る姿勢しから生れたものσ中︑最も代

表的なものを學げるとすればぐ萬葉集懇三の富士山を望んで詠じた歌を推さなければならない遭

   あめつお      ・. かむ      す惹が      ふ じ   たか職    あま      ・       ・    天地の 分れし時ゆ幽思さびて 高く貴ぎ駿河なる 布士の高嶺を 天の源 ふりさけ見れば 渡る肩の   ︐影も璽ひ照る月の光も見集曇もい行き響時じくそ簿降りける語瞬ぎ囁 〜暮響行

      ふ 恥︶       ︐      .       ﹁   内      ク   匹       宰 ・ 難かむ.不蓋の高嶺は  ・     ・       .  兎       ︑

   ・亀  ・反 ..歌      ミ

   謄の浦かうち瀞でて見.蜘ば銀白にぞ庖塾の県営に雪は誇りけ菊       畷  此の歌は富出山の澄高雄大な自然美を表現した適のとしてたしかに傑作といふべきもので影らう・ ﹁赤人め歌風分︑ ︐完成ξ註八︶言ボ評のごときが行は砦事も雷然であらう︒しかし・既の歌には・講の自然な流露とい贈りはむ

しろ整齊澄徹の緊張感によって私共をうつて借るものがあり︑内面的な氣息の深ざといふよりはむしぢ高潔な知性的

氣謄よつて私共を動かし泰をの罹るのであみが︑﹂種冷嚴で人君的息吹には警ものの陥る事も認めひめ

けに行かない︒此め事は︑言ひ換へれば芦赤人の理智の限が︑嵩高雄大な富士に接して起され允感幡の波動から離声

れ︑封象を他者として下る事に透徹して行ってみるといふ事に外ならないのであって︑此の愚慮のために︑私共に主必       お  やげば      ち 客の距離感から脱しがたいもののある事を蝿えしめるのである︒賀茂眞淵は︑ ﹁萬葉考し︑.の大饗に︑赤人の歌につい

て鍔みをなさす有るが建まに﹂.詠身妙なる歌となったの準本の心の葛ぎが至ウ﹂であると述べ逸るが︑樹

    た       ノ 象が劉象の世界の側に即して墜齊の美を形成し︑作考自身のさうした高潔な八聞的世界は︑その翻る膜を封象の世界

に澄み入らしめてみるけれども︑あくまでもその繁る位置を崩さない事によって整齊の美を一層冷からしめてみると

言ふ事が出來るかと思ふのである︒..      ㌧.    ︐ 一  . .   ︐ 鴇   ︐   .

(8)

善 内

  しかし︑入獄としては眞淵の言ふやうに高き心の持主であの︑理智的にしてしかも観る事に沈潜しつつ︑物の眞實

に澄み入る事を求めてみた赤人のごとき詩人にとって︑冨士山の詠のごときはたまたま素材自象がおのつから制作活 動に異常藁雁垂濡のしらべを成さ←め燦あって︑むしろ還御垂て箋の世界に纂つ弼︾

 と誉み事がその本質癒のではなからうが︒そして︑共庭にこそ︑﹁自然詩趣しとじての赤八の眞の聖誕がうかがはれ

 るといふ蔑きなのではなからヶか︒かやうに考へて見て︑私には轟び最初に掲げた二首の歌に蹄つ鳥行かなければな

 らない事が感ぜしぬられて回る︒     み三野の総雌の降泉瀬には欝︒謙もさわぐ鳥の聾かも  . 3

      よ   ふ 瓢    ︒ ひ惑蓬 お    ・  ︑かはら     ぬばたまの夜の深けぬれば久木生ふる満き河原に千島しば鴨く

 赤入の此の二酋の歌は次に掲げる長歌に劉すみ反歌である噂        おほ匙み         よし識 .      ・悉歌が営  ・   ふはなみ    やすみしし 廊ご大王の 高知らす 芳野の宮は たたなつく青培こもり 河波の臨塞き河桐ぞ 麻べは

      をを         ぢ       ち ぜ      ますセノヒ      ゴ      ももサぬ ま    花険き挑り・秋されば 霧立ち渡る・その山の いや釜々に この河の 絶ゆること無く 百磯城の 大宮入        璽

   は常に通はむ     ︑

・ 赤人は︑長歌において︑吉野の宮をめぐる﹁済き﹂自然を詠じ︑そめ自然の幽久感を詠ずると共に︑吉野の宮の永

遠の繁榮を難してるるのである.が︑赤し︑すで髭進によって指導ちれてるるやう量︑野の宮を詠じ盗歌

 ではかうした詠じぶりには實は類⁝型的なものがあるのである.柿本入寮には︑    ・

  

@ やすみしし吾螢㊨朧養す縢の秘露はしも拶あれども山川の蓼灘と繧を諏壁

  .︸        ︒     ㌦ ㎡ぺ      ふとし       ももし嚢      ふ離な       受響幅獣     の國の 応益らふ 秋津の野心に 宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮入は 船並めて︑朝川渡り 舟競ぴ    夕露わたるこの川ρ.維ゆるこ惹くこの山のいや高知らす旗撃瀧の雛は見れど簸か賦も

      扇八

(9)

一塾

    ︵萬葉集巻剛︶

があり︑・大俘族人には︑

  轟 ・ よしぬ    よし心        磐       話や     ︑   譲めつ勤   沸 み吉野の 芳野の宮は 山かち七 貴くあらし 川からし︐驚けくあらし︑︒天地志 長く久しく 攣らす姦ら        4    釜 :       ︑ ・        〆 壽囁   ・−    む いでましの宮   ︵萬葉集巻ごζ  .竃    ・ . ・魯

旗あるのに選べて見ればあ奮かであらう︐.叢に嶺て.赤会心讐養畜身との關係の世界にあり︑㌧ .はば︐

公式的謹嚴さの世界にある分であって︑その慮りでは︑人麿や族んと共に圓∵漏な㎡教養人とし︒.て砂存在なのである概し

   ン かるた︑反歌になると︑かうした類型的な長歌を承けたものでありながら︑それぞれの作者は猫樹の世界をあきらか

にあらはして來るのである︒   −囁   ︐      囁   ︑    見れど飽か犠勤の河の催濫の絶ゆる之.となくま盈登見む

       .奢誤   を が賦       二     慧や   .       さ         −    嘱欝見し象の小河を三児れ峡よよ溝けく肇にけ強も︑

 前者は人畜の反歌であ・P︑後者は族人の反歌である︒入麿は長歌の律動と氣格の流れと〜をがっしりと承け止め︑盛

       ヨ       ド       サ リあがった錨を逞しく歌ぴあげて淀むところが無塾︒振人は長歌の世界から呼び起されて來た懐奮の世界に立ρ

      ぼさ      げ    て︑眼前の﹁象の小河﹂の清けき姿に封ずる感動を歌ぴあげ︑七か竜蕊ハ庭に長歌の世界をも承け止めてしちべを高め        よしぬ ・て行ってみるのである︒七かし︑赤人にあっセは︑﹄み吉野の﹂︑の歌にしても︑﹁ぬばたまの﹂の歌露㌧ても︑.自己の︒

世界を長歌の世界かち絶ち切りゑくの始孤啓しに置いて自然の二軸に枕潜しょうとしてみる態度が見いだされるであ

らう.かうした態度はもはや赤人の世界の本質的煮ものだと塾ふ外はなか︒      ︐

       ち       やち      もちぎ 私ぱ 以上の考察において︑理智的にして︑.親る事に透徹しようとし︑量器においセ寂箕に澄み入らうとする赤人       野      ・      ド       評

(10)

       幾 の世界をあきらかにしで見たつものである︒そして︑︑かやうに槻て來ると︑自然詩人としての赤人の世界は︑肖然詩

吟と℃ての西行や芭蕉の血続に熱してまさに原型的意味を持つものであっだ事を思はないわけに行かないものがあ5

る.土居光知氏は﹁文學序論﹂の中で︑﹁自然け愛.の爽黙しといふ方画から︑自然詩人の系譜にりいて﹁西行や芭蕉

も赤人を租としてみる︒﹂と述べて居られるが︑私は以上のやケな角度から赤八・西行・芭蕉の關聯を考へて見たい

のである︒ ・︐       一    嚢

 ︑︵註四︶ 赤入の場立の此の問題に顕しては︑五昧保義氏も﹁萬葉集講座し第州釜中の﹁山部赤人しの論に﹁その時代の就會的       情勢などから︑容易に作贔を論じ得られぬ﹄黙を強調して居られる︒   6駐五︶ 島木赤彦﹁萬葉集の鑑賞及び其批評﹂   ︵註六︶同  右   ︵註七︶ ﹁萬葉集講座﹂第一雀一五昧保義氏﹁山部赤人﹂  ヒλ註八︶同 右書       .

       .三.西行の世界

 萬葉集以後の詩人で︑深く寂蓼の中に生きた詩人としては第一に酉行を學げる箏が出煮る︒彼も亦自然の中に生き

るべき世界を見いだし︑身を﹁孤猫﹂に握き︑寂蓼に面して︑ ﹁澄心﹂を求めた詩人であった︒しかし.西行になる        ︑継 と︑その和歌にあっては古今時代からの理智的反省的傾向を眞實探求の蜴としての詩の世界に深めて行って居り.更

にその﹁入間﹂にあって鳳先づ境涯を嵩家として限界づけ︑現象界を超越して眞如界に悟り入るべき場に生逢て澄み        ノ 入唐を求めてみたと言ふところからその詩の世界もい選るしぐ二言上的であ妙槻念的であった︒したがって・

西行の世界は赤入の世界に齢して樹駄的なものとして成立してみたと言はなければならないであらう︒さうし允もの

      −二〇

(11)

       吋二

でありながら私共をして大いなる寂蓼に燭れ深い哀れに鰯れさせないではおかないのが西行の歌なのである︒

      あけぼの       じズ        むせ    墨7き身にて聞くも惜しきは鶯の霞に咽囁ぶ曙の聲

   しをほ      ゴ    回せで猫山深く分け入ぢむ憂き事︐聞かぬ乏ころありゃとち:・

西行は﹁憂き﹂を厭ぴ﹁憂き﹂境から離脱して悟りのh澄心しに入る事を求めた︒    いかでわれ清く曇らぬ身︒となりて心の月の影を磨かむ       あか    影.冴充てまζとに月の明き夜は心巻塞に浮びてぞ澄む          たび  ド       うつ    何となぐ汲む度に澄む心かな岩井の水に影映しつつゼ酵       ここ お    瀬を早み宮瀧嵐を渡り行けば心の底の澄む心地する

 西行がいかに深切に清浮0世界に澄み入る事を求めてみたかを知り得るであらケ︐・そしで︑右の歌は︑西行の求め・

       う    て沁たものが︑先づ悟りとしての眞如の月の世界であった事を示してみるみである︒しかし︑〃︑思ふにまかせぬ入闇のド

心は容易に﹁回心しの境地に透徹し切る事を許さない︒西行にとってば︑まさに︑ ︑

   如何にせむ影をば袖に宿ぜども心の燈めぱ月の曇るを  . ・.

  ︑涙の一みかき暗さるる蕨なれやさやかに見よと胤は澄めども

が彼の生の姿の眞實であった︒﹁如何にせむ﹂︐の歌の﹁刑しには涙が曙示せられ︑﹁周の曇る﹂には涙に曇る意味が曙

示せられてみるのであって︑ 一は﹁月の曇るを﹄であ妙一は﹁月は澄めどもしであるが︑いつれめ歌も涙のために心         が曇らされてしまふ歎きの歌に外ならな塾︒そして︑彼の﹁寂しさしに堪へると胃ふ生活も實は此の涙をとちへ.囁

.﹁澄心﹂と﹁煩悩﹂との聞にあって︑しみじみと入聞の心を省みると書ふ生活に外ならなかったと言ふ事が出 來るで.

あら㍉う︒ ・    二  ︐         ∴・  F  ︑  .㍉ 炉 ︑      一.︑

(12)

r

  訪ふ入も思ひ絶えたる山里の寂しさなくば住み憂からまし        ノ  よぶ こ どり   山里に誰をま﹂たこは呼子鳥ひとりのみこそ住まむと思ふに.

  賭化も散り人も都へ齢りなば山寂しくやならむとすらむ          いと   山里にうき世厭はむ友もがな悔しく過ぎし昔諮らむ

  寂しさに堪へたる人の叉もあれないほりならべむ冬の山鼠

r脱俗の境涯にあり︑﹁澄心﹂を求めて︑自然の中で﹁孤猫﹂の﹁寂家︹に住し︑﹁嘉穂﹂にあって﹁寂蓼﹂に堪へる

と言ひながら︑・﹁寂蓼﹂に徹し切れず︑⁝逆に︑そのために﹁人冊﹂の漁界へ深く蹄って來てるると言ふのが四行の世

界であった︒しかし︑そ.れにもかかはらす︑西行ぱ﹁孤猫者﹂としての出家の位置を断じなかったのであって︑其腱

ζ︑ 一       葛   こがらし       もろ   木枯に木の葉の落つる山里は︑涙さへこそ脆くなりけれ

のごとき堪へがたい涙の歌が生れ︑         ﹁         ・      ま   谷の間にひとりぞ松は立てりけるわれのみ友は無きかと思へば    ・      おと   水の晋は寂しき庵の友なれや嶺の嵐の絶え閥絶え間に・

のごとき︑自然の姿の中に自分の姿を見いだし︑自然の姿の中に友の姿を見いだしてみる歌が生れたのである︒そし

てかうした西行の心が︽寂蓼の素直な享受となって表現せられると︑

  松風の晋哀れなる山里に寂しさ添ふる日ぐらしの醗        しぎ      ら      ノ   心なき身にもあはれ鞍知られけり鴫︐立つ澤の秋の夕ぐれ

のごとき歌となり︑あたたかい入間的息吹の流露となって表現せられると︑       謬

      一ご一

(13)

       二三

     と       ミ      むけ   したみぢ   岩間閉ぢし氷も今朝臨解け初めて苔の下水道求む・らむ  ︑︑   吉野血三筆のしをドリの道かへでまだ見ぬ竣の花をたつねむ︒ ︑︐  .

  道のべ・の清水回るる柳蔭しばしとてこそ立ち︐どまりつれ. ︑  ゴ   F︑. ・  ・︐撫雌昧の庵近野鳴︽鹿の書におどろかされて嘉どうかすかな   ・

わご疑き歌となり︑更に︑時としで︑︐韓じて自然の爽掠・溝澄の柑に槻照の腿をそそぐと︑

   よられつる野︐もせの草のかげろひて涼し・く曇る夕立の室        かげ   三三︐みて浪こまかなδさざ︐れ水渡りやられ融山川の光     ・.・

︷のこどき歌が生れ︑自然の生命の躍動の相に鱗れると︑ ・         たゑ れ      り   降り積みし高嶺のみな雪解け起けり清瀧川の水の白浪

のでとき繁生れ券で髪︒しかし︑・西港の歌境は︑馨︑﹁底澄みてしの歌や﹁降轟みとの歌の方向に徹し..

て行く事が出來なかったのであって︑むしろ次のやうな作にこそその中核をなしてみるものを見いださざるを得ない

ので汐る︒        ︑         塾   .      −       〆    囁   ︐   吉野山楕の花を回し矯より心は身に懲添はずなりにき      ︑   .   〜

  眺むとて詫三略いたぐ馴れぬ滋ば散るわかれこそ悲冗し冠かりけれ一       こ ヌ       もお   吉野麿花の散りにし木の下にとめし心・は我を待つらむ

  捨てて出炉でし憂ぎ世に月の︑澄まであれなさらば心のとまらざらまし   ゆく へ  ︑行方なく月・に心の澄み澄み・て果はいかにかならむとすらむ      ・

 酉行は自然の中に身を投じながら︑・その生み話す歌境は心の妾の把握に向って居り︑しかも其虞に結ばれる槻念か

(14)

︒ら再び自然の姿に麟ρて行くといったやうな世界に生嚢てるた詩人でみったといふ事が出寂るであらうか︒︐深切に心

の澄み透って行く事を求めてぬた筈の人間でありながら︑.﹁捨てて出でし﹂の歌や﹁行方なく﹂の歌のごときが生れ       しテげ てるるのも︑彼の﹁澄心しが封象の演實に鰯れて澄み入うて行くところに求められすして親試の世界に求められたも・

のであったからに外ならないと思ふ︒︑   .・

 赤人があくまで竜﹁観る姿勢﹂を崩さすして樹︐象忙澄み入らうとした態度に生登てるたのに零して︑西行は槻念的

鷲に生きて﹁燈心﹂を求め︑しかも途に﹁憂き﹂寂しさを脱し得な︐い心を抱いて自然を友とし︑口然を友としつつ心の 塗を反省し槻念の世界を廣げ且つ深めて行ったのであるが︑西行のかうした熊度臨︑歴象かあ把握せられるものの整

齊透徹の美を成さしめるところは無かったかはりに︑其の歌の世界に内面的な深さが投影せられてるたり丙面的な葛︑        げ       ド  藤の気息が波うつてるたりして︑その友めに︑悠揚迫らざる廣がりの世界をも形成せしめるところがあったのであ

る︒しかし︑西行のごとき態度からは眞の意味の主客合一といふごとき境地が見いだされるのは容易ではないであら

         と       チて     こけ   しなみつ う︒例へば︑囲下聞閉ぢし氷も今朝は解け初めて苔の下水道求むらむ﹂の歌について見ると隅此庭掲は︑たしかに︑ .溜雅にして迫らざるしあべの中に森の自然の動きが微妙にあらはれてみる︒しかし︑結句の﹁道求むらむ﹂は作者の

槻念の世界の投影であって︑生命感の流動を阻んでみるものがある事を認めないわけに行︑かないコ更に︑勿論境地は

睡じではないが︑良寛の歌に︑   −        ・       ・    山かげの織蹄をつだふ都鵬のかすかにわれ︑はすみわだるかも

のごとき立派な作のある事を想起ザると︑西行が﹁尉幽閉ぢ七﹂の歌のやうな素材を取り上げながら何故に澄み入る

事をしなかったかといふ事に想到せざるを得なくなって至る︒が︑その理由はもはや更めて説明するを要しないであ

らう◎       二四

(15)

       二五        歪 ︑︑  かうした西行の世界をいみじくも超え得た自然詩人は芭蕉であった.

  曽 \蔑  .   ・      ・ 帝     監島      \    ︒  四芭蕉の世界鋳

 芭蕉は元緑四年の﹁嵯峨旧記﹂の四月二十嚇二口の條に次のやうに書いてぬる︒.

      ふる       .      が奪  導      漁声の二滋ぱ   甘二臼︒朝の間雨降︑今Hは入もなくさびしきま﹄に︑むだ書して遊ぶ︒其詞︑

  

    徒然に住するものぼつれん\を主とす.         .      ノ @  q居るものは悲しみを募じ競︑酒辱舅のしみを響し︑馨住蓬の懸をあるむとし︐

  さびしさなくばうからましど︑西上んのよみ侍るはふさびしさを主なるべし︒叉よめる︑  .

    山里にごにまた誰をよぶこ鳥びとりすまんと思びしものを

  ひとり        ︑         省やうせう  . いはぐ        かん   猫すむほどおもしろきはなしρ長囎隙士の口︑客は牛日の閑を得れば.主猿孚澱の閑をうしなふと︒︷素堂此こと︑       妻     象 冗.        ㌔   葉を常にあはれむ︑予も叉︑     うき我をさびしがらせよ・.かんこ︐鳥

  とは︑ある寺に猫居していびし句也︒

 即行の詠じたと匝ふ﹁さびしさなくばうからまししの歌は︑﹁山家集﹂に見える.﹁訪ふ人も思ひ絶えたる山里の城        ミノ      キ         ノ しさなくば蕾み憂からまししを指し︑﹁山里に﹂の歌竜同じく騎行の作でハ﹁山家集﹂に見える﹁由里に誰をまたこは 撃衡とりのみこそ讐む意ふに﹂藷してみる︒芭蕉は・砦峯・﹁寂し清に鯵﹁寂し三をあるじと

した酉行の心を昧はひつつ︑洞℃く﹁寂しさ﹂に住し﹁寂しさ﹂をあるじとする自らの生活を反省し︑更に.西行の

・﹁山里に﹂の歌に求めちれてるる﹁同居﹂の生活の趣を禮︐讃して︑臨らの﹁同居しの句を示してみるのである︒㌧

(16)

   訪ふ人も思ぴ絶えたる山里の寂しざなくば住み憂からまし    憂き我をさびしがらせよかんと︑鳥

 芭蕉の﹁﹁憂き我を﹂の句が酉行の﹁訪ふ人もしの歌を路まへて成ったものである事は言ふを侯たない︒しかし︑此

のこつの詩境は決して等しいもので.はない︒なるほど芭蕉は﹁孤猫﹂の﹁寂しさ﹂に住して上行の﹁寂しさしに仕し       ノ       ね た世界ど等しいもののやうに言ひ︑西行の歌を引用した筆の勢ぴを承け﹁予も嫁しと言って﹁憂き我を﹂の句を示し        おるじ て居り︑句そのものも酉行の歌を蹴まへてはみる︒が︑酉行の歌が・﹁寂しさ﹂に住して﹁寂しさ﹂を主としつつしか

       ア      あるじ も﹁寂しさなくば﹂と反省して﹁憂き﹂に及んでみるの忙封して︑芭蕉の句は︑ ﹁憂き﹂に住し﹁憂費﹂を主とした

とてうに立って︑ ﹁寂しさ﹂に徹したい心で﹁かんこ鳥﹂に呼びかけてみるのであるの西行の﹁憂き﹂は︑此の歌の.

場合.現下に其虞に佳してるない︑すでに脱し切ってみる筈の世界に外ならないに七ても︑彼は﹁寂しさ﹂艇徹し得

すして﹁憂き﹂畳界に羅び心を返してみる.しかるに︑芭蕉の﹁憂きしは現實に住して噛みしめつつある心であり︽

その航に立って﹁寂しさ﹂に徹して行かうとする境地であった︐しかも内 ﹁寂しがらせよかんこ島﹂と詠じた時︑芭︑︑

蕉の心は﹁憂き﹂身のままに﹁かんこ鳥﹂と共に﹁寂爽﹂の世界に限りなく澄み入りつつあったのである︒したがっ

て.也蕉の﹁寂し三は迷て﹁澄む﹂事を恐れ奮後をふりか翰たりするやうなものではなかったのである︒そ

れは.西行の﹁寂しさ﹂が槻念としてその﹁入聞﹂から離れたところにあったのに晒して︑論巴蕉の﹁寂しさ﹂がその

・﹁入間﹂のあるがままの心の上に﹁澄心﹂の世界として見いだされてゆくべきものであっ悔と言ふ相違でもある︒和

辻哲郎博士はかつて此の句について﹁﹃憂き﹄は清極的な︑重く沈んだ心ですが︑﹃寂しさ﹄鰍積極的な︑無限を懸轟

胤と云った様な逃高風昇る心です︒この涯別をハツキリと心得て︑自然の内の深い﹃寂しさ﹄を強くかみしめてみた

芭蕉はえらいと思ひます︒し︵註九︶と述べられたが﹂私は以上のやうに親て來てかうした解織に自然に從ふ事が出來る︑

二六

(17)

       睾二七

︾芭蕉ぱ元肇年の秋一・︑す七難後の年の鰍に有名な次の句を遺してゐ.⇔︒     此め・道や製行べ入なしに秋の︑慕.︑︑

  すでに周知の通り︑︐此の句が域つた時にノ    ︐.臣    雪︑ 儲

    入.聲 や 此 の 道 か へこる秋の孔暮  ︑      ﹁

 の句も成ったが︑結局っ此の這や﹂の句の方を遙かにすぐれ充ものとして︑取るべき事に定まったのだといふ︒支考        年      募鱗ど      ︑.  の﹁笈H記﹂に﹁此二句の添いつれをかと申廻れ←に︑この道や葎ひとなしにと猫翻したる所貸馬かその後にしたが

  さふらほん      ヒ      も  ひ候律とて︑是に︑所思といふ題をつけて︑牛歌仙侍り︒﹂と記されてみるのである.芭蕉の心には﹁人聲﹂への﹁懐

 かしさ﹂︵註δyが先づ動いたのであらう噂其虞に﹁入盤や﹂の句が生れたのであちう.しかしさ彼の心の深奥から破

 を衝き土げてるたものは彼の俳譜の道を彼以外にはつぴに行く人もないといふ徽しさであり簿その寂しさが﹁入聲﹂

・によって混獲されて溢珍出て來た詔其々に﹁此の遁や﹂の旬が生れたのである︒私には﹂此庭に︑ ﹁灘浜や此の廼か

べる愁暮﹂の弱齢芒のけ三寂しさの極みに覆して行ぐ芭蕉の叫び蜜語の衡叢垂が出謬るやうな

 氣がする︒西行は﹁寂しさに堪へたる人の叉もあれないほりなちべむ冬の墨筆﹂と詠じて﹁人懐かもさしに低難しだ       ゲ         がハ芭蕉はさうした﹁寂しさ﹂をのりこえて更に前進したのである︑此の相違は西行の﹁訪ふ人もしの歌之芭蕉の﹁憂︑

 き我聾﹂の句とσ相違にも相通するものだと思ふ︒=加藤徽邨氏は︑﹁此の遁や﹂の句について︑﹁芭蕉講廃し︵麩一︶の

 巾に.﹁﹃所思﹄.と題してこの句が提出せられた時は︑もう純粋な躍然の厨家あみではない︑心申に﹃此の道守を俳譜の

 湛としてみる狐猫極りない心持がはつぎりとみつめられてるたに相違ないのである︒この夢合の﹃行く人なしに﹄獄

 道路をたどる行人や︑抽象的な人といふやうなものではなく︑ ﹃此の道﹄に眞實を探究する人のないととが意識せら ・

・れでるるのであ喝︒﹂と述べて居られるが︑総じてv芭蕉の句には︑・形而上的なものが多分にあって︑さうし癒黙矯

  ︑      ﹁         ㍗    ㌔

(18)

西行の歌の世界に甚だ近いものがある︒しかし︑酉行の歌のそれは︑軍なる親念の世界として浮きあがって行く傾向

が多分にあり︑そのために﹁寂七さ﹂を求めても不安を絆ふものとならざるを得な姻といふやうなものであったが馬.

芭蕉の句のそれ濾︑自らの生きる必然必至の道の眞實に蓮なってみたのであって︑ ﹁寂しさ﹂の極限を求めて澄み入

らざるを得ないものであったと言ふ事が出回るであらう︒.    ..      ・     俘.

 しかし︑芭蕉はかうした道に生きたが故に︑﹁風雅の誠﹂を責める事を識き︑心性を高雅ならしめる纂と﹁私意﹂

を離れて封象の﹁﹁本情﹂.を確と把握する事とを重んじないわけに行かなかった︒芭蕉︑のやうな世界にあっては︑眞に

すぐれた詩は心に形而上的なものの眞に高いものがあってはじあて生れるのであレ.又︑それは封象の筆勢と心の眞

實とが感合した︸顯において把握せられる時にのみいきいぎと輝き出て來る筈だからである︒

   しら  ぎく       ロ       おり      ボ      白菊の目に立てて見る塵もなし・

 芭蕉の死期にも近い元藤七雫九月の園女亭の會に示された此の句について︑加藤徽邨氏は﹁冷光を放つまでの念力

の籠った凝覗﹂.と﹁内奥のものが凄いまでに迫ってくる﹂溝澤感とを指摘して居られるが︵註三︶︑ これこそは右のや

うな芭蕉の世界から生れたトつの頂鮎だと言っても過言ではないと患ふ.此虞まで來ると︑私は︑西行の世界を超え

てかの赤人の高潔な心性と透徹した凝親との世界が呼態してみる事をはっきりど感じて躍る︒ しかも︑ 芭蕉の世界

は︑もはや赤入の世界ではなく︑あきらかに西行の世界を通過し︑いつれの世界をも自らの世界への傳統として立た

しめつつおのつから醇乎たる詩境を完賊せしめてみるのである︒  9    .     ・

  ぎ      しづ  私共は﹁奥の細道﹂の﹁閑かさや﹂の句の境地のごときも以上に槻て來たやうな芭蕉の世界に置いてのみはじぬてλ

正しい理愈に到達する事︑が臨 來るのではなからうか︑

一二八

(19)

二九   松風や・軒︑を廻って秋暮れぬ・

  此㌦の秋卍は何︒で﹂年景よる雲に鳥 .    ︐〜    秋 深 き 隣 ば何.を︑︑する・人 ぞ    

       が  こ轟はいつれも死期に近い頃の芭蕉の句であるが︑q誠箕﹂﹁から無限珍﹁寂輿﹂へど澄み入って行った﹁入欄し・の

記録に外なむない︒しかし︑それはなほ且り﹁族におのれが心を責めて物の實を知る生き方﹂釜ご瓢︶に徹してゆく事         と離れてぽあり得な︐かった︒西行は︑  .  ド         ﹄ 鐙

        ま       ド       ロ  ぐ  一ねがはくは躰化の下にて春死な一むそのきさら︑ぎの蜷月の頃    ﹁        ・・︐

と詠じたが︑芭蕉鳳︑途に︑       めぐ   ∴籏に︑病んで夢は枯・野をかけ廻る

と詠じて死ん.で行かざるを得なかったのである︒        ︑硬

︵註九︶

八垂○︶ へ藁一︶

︵註三︶ ﹁︵註曇︶ ﹁綾芭蕉俳句研究﹂ 内 嚢雷﹂掲載の能勢朝次博士の琶蕉岱論評馨の御璽参照︒ ﹁芭蕉講座﹂第三毬︒ 同右.  二.  ・︑・.・  .♂ ︐・憲 ﹁逡許六識しに﹁古へより風雅に情ある人々は︑後に笈をかげ草鮭に足をいため︑破笠に霜露をいどふて︑をのれが 心をせめて︑物の實をしる箏をよろこべり﹂とある︒

       ジ︵一九四八︑五︑ 輔六︶  . 5

参照

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