公保険ビジネスとしての環境保険マー ケットの規模の推定
桑 名 謹 三
■アブストラクト
ドイツでは,環境汚染賠償責任保険(EIL)が強制付保化されてから15年 以上が経過した。また,日本においても環境政策のツールとして
EIL
が有 用ではないかとの主張をする論者もいる。しかしながら,ドイツと同様の政 策を日本で実施した場合の経済効果を分析した研究は存在しない。そこで,本論においては,日本で
EIL
の強制付保化政策が実施された場 合に,当該政策が日本経済に与える効果のうち,損害保険マーケットが受け る影響に特化して分析を行った。本論では,現状のリスクの積上げを保険料 に変換するという政策の経済的波及効果を無視した手法と,応用一般均衡モ デルを用いて経済の波及効果を勘案した手法の双方により分析を行った。結果は,経済の波及効果を無視した手法は,EILのマーケット規模を過 大評価することと,EILの強制付保化政策が日本の損害保険業にとって,
大きなビジネスチャンスとなることを示すものであった。
■キーワード
環境保険,マーケット,応用一般均衡
1.はじめに
リスクをコントロールするとともに,被害者の救済を行なう政策手法とし
*平成20年6月25日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成21年1月18日原稿受領。
て,責任保険の強制付保化は,日本のみならず海外においても一般的に採用 されている。特に,自動車による交通事故のリスクおよび原子力施設による リスクは,多くの国において責任保険が強制付保化されている。
環境リスクについては,既にドイツにおいて民営保険者が提供する
EIL
の強制付保化政策が1991年より実施されており,制度導入当初は,強制付保 化の完全な履行が危ぶまれる状態であったが ,現在のその状況は大きく改 善されている 。また,スウェーデンにおいても保険者が国であるものの,EIL
の強制付保化が実施されている 。日本では,1970年代に経験した悲惨な公害問題について被害者救済策とし て
EIL(当時は公害保険)が有用ではないかとの論調があった 。近時にお
いては,EILの被害者救済機能だけでなく,リスクモニタリング機能に着 目して,EILが環境政策のツールとして有用であることを示す論者が出て きている 。そのように
EIL
が着目されるようになってきたにもかかわらず,日本でEIL
の強制付保化政策が実施された場合の経済効果を分析した研究は存在 しないのが現状である。特に,保険者にとっては,今後EIL
にどのように 対応していくべきかを判断するためには,EILの強制付保化政策によってEIL
のマーケット規模はどの程度になるのか,また,EILの強制付保化政 策が損害保険マーケットに与える影響はどのようなものになるのかを把握す ることが必須である。1)
Faure
,M ichael ed
.,Deterrence, Insurability and Compensation in Environmental Liability, Wien
, 2003,pp
.303‑330を参照。2)
Wagner
,Gerhard ed., Tort Law and Liability Insurance, W ien,
2005,pp
.87‑98を参照。3)
W ahlgern, Peter ed., Tort Liability and Insurance, Stockholm,
2001,pp
.191‑232を参照。4) 庭田範秋 損害保険の経済分析 初版,1979年,pp.16‑20等を参照。
5) 黒川哲志 環境保険を利用した規制手法 帝塚山法学 第6号,2002年,
pp.161‑201や境和彦 汚染規制における強制保険の有効性とモラルハザード
経済学研究 第73号,2006年,pp.63‑77を参照。そこで,本論では,日本において
EIL
が強制付保化された場合に損害保 険マーケットがどのような影響を受けるかを分析した。このような新しい保 険の強制化がどの程度の規模のマーケットを生み出すかを把握するためには,従来であれば,現状におけるリスクを積算し,その値を保険料に換算すると いう手法が用いられてきたと考えられる。しかしながら,環境リスクを発生 するすべての産業に
EIL
の付保を義務付けるようなドラスティックな政策 は,経済全体に影響を与える。換言すれば,EILの保険料は,社会的コス トとなって,物価水準を引上げ,さらにリスクを発生する産業の生産量を減 少させる。産業が発生する環境リスクは,当然,その生産量に大きく影響さ れることから,従来のリスクの積み上げ方式では,その生産量の減少等の経 済の波及効果を無視しているため,正確な分析ができない。そ の よ う な 状 況 に 対 応 す る た め,本 論 で は,応 用 一 般 均 衡 モ デ ル
(Computable General Equilibrium Model; CGE Model)を 作 成 し,EIL の強制付保化政策が日本の損害保険マーケットに与える影響を分析した。
CGE
モデルは,1990年代前半頃から,主として税制の変化が経済全体に与 える影響を分析するために用いられてきた 。そのため,保険政策を分析す るためのCGE
モデルは,主として社会保障分野の所得分配機能を有する保 険,具体例を挙げれば,健康保険や失業保険などの制度変更が経済に与える インパクトを分析するために作成され用いられてきた 。所得分配機能を有 しない,給付・反対給付均等の原則を満たす保険のCGE
モデルは,生命保 険を勘案したモデルがあるのみである 。したがって,本論で分析の対象と 6)CGEモデルの詳細については,Shoven
,J
.B. and Whalley
,J
.,Apply-
ing General Equilibrium, Cambridge
, 1992を参照。7)
Abdulkadiroglu
,Atila
,Kuruscu, Burthanettin, and Sahin
,Aysegol
,Unemployment Insurance and Role of Self‑Insurance
,Review of Economic Dynamics,
5, 2002,pp.681‑703や Ballard
,Charles L. and Goddeeris
,John H., Financing Universal Health Care in the United States: A General Equilibrium Analysis of Efficiency and Distributional Effects
,National Tax Journal, 52, 1999, pp.31‑51など。
8)
Jordan, Michael L., A Computable General Equilibrium M odel for
しているような,企業のリスクをカバーする損害保険による政策を評価する ための
GGE
モデルは,先行研究において見ることはできない。これは,企 業のリスクをカバーする保険については,保険料は,企業と保険者間の契約 内容の一つであり,一種の企業秘密に属することから,モデルの中で,内生 的に保険料を計算させるようなプログラムが作成できないためと考えられる。本論においては,ライフサイクルアセスメントの国家プロジェクトの一環 として定められた
LIME
の被害係数 とPRTR
法 に従い企業が排出した 有害化学物質の量を国に通知したものを環境省がまとめたPRTR
データに より,企業が発生する環境リスクを算定するとともに,日本でEIL
を販売 している保険者に保険料水準を照会し,得られた回答結果と環境リスクとを リンクさせてモデル内で内生的にEIL
の保険料が決定できるようにした。シミュレーション結果は,従来の経済の波及効果を無視した手法によるマ ーケット規模の推定は過大になることを明らかにするとともに,EILの強 制付保化政策は,傷害保険に匹敵する収入保険料を生み出すものの,EIL 以外の種目の損害保険マーケットには,ほとんど影響を与えないことを示す ものであった。
本論の以下の構成は,2において
EIL
の強制付保化が有用であることを 確認した後,3でモデルについて簡単な解説を行い,4でシミュレーション 結果およびその分析を行い,5で今後の展望を述べた後,6をまとめと課題 とする。Individual Life Insurance Business in the United States
,Dissertation for Ph
.D. ( Georgia State University
) を参照。9)
LIME: Life
‑cycle Impact assessment Method based on Endpoint Mod- eling。詳細については,伊坪徳宏・稲葉敦編 ライフサイクル影響評価手法
初版,2005年を参照。10) 特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律。
詳細については,大塚直 環境法 第2版,2006年,pp.349‑368を参照。
2.強制付保化の必要性
EIL
の強制付保化の必要性に関し,これまで,和文の文献では,あまり 指摘されることがなかった点を次のとおり明らかにしておきたい。⑴ 被害者救済
被害者の救済のために,責任保険の強制付保化が必要だということは,現 在の日本における責任保険の強制付保化の主たる理由である。しかしながら,
損害賠償制度に則り加害者から,損害賠償金を被害者が受取ったケースのほ とんどに責任保険が付帯されているという事実,換言すれば,責任保険が付 帯されていないと,損害賠償制度が持つ被害者救済機能が大幅に失われてし まうという事実が明らかにされていない。たとえば,1990年に米国で支払わ れた損害賠償金651.99億ドルのうち609.81億ドルを保険者が支払った,つま り,損害賠償金の実に93.5
%を保険者が支払ったことが明らかにされてい
る 。さらに,英国で1978年に起こされた人の生命・健康被害に関する損害 賠償請求のうち,損害賠償金を獲得できたケースにおいて,保険者は,賠償 金の94%を支払っているとされ,さらに,賠償金を獲得できたケースの件数
に占める責任保険が付帯されていた場合の割合は,88%におよぶと推定され
ている 。もちろん,これらの値の高さは,当該地域で強制付保化されている責任保 険があることが影響していることは否めない が,強制付保化されている責 任保険の種目が決して多くはない米国における値の高さは,注目に値する。
11)
Shavell
,Steven
,On the Social Function and the Regulation of Lia- bility Insurance
,The Geneva Papers on Risk and Insurance,
25, 2000,pp.166‑179を参照。
12)
Parsons, Christopher
,M oral Hazard Liability Insurance
,The Geneva Papers on Risk and Insurance,
28, 2003,pp
.448‑471を参照。13) 英国の場合は,強制付保化されている労災保険が責任保険としてカウントさ れていることが大きく影響していると考えられる。
これは,加害者が責任保険のカバーを有していないと,被害者にとって訴 訟を起こす際の取引コストすら回収できない怖れがあることから,被害者が 提訴しないためと考えられる。
特に,環境リスクのように損害の発生のメカニズムが複雑で,加害と被害 の因果関係の立証や,加害者の過失の立証等のために要する取引コストが過 大になる場合においては,被害があっても,被害者が提訴できないという問 題は深刻である 。
加えて,責任保険が付帯されているケースでは,責任保険の存在が裁判官 の心証に影響を与えて,厳格責任に基づく場合でも,過失責任に基づく場合 でも,当該ケースにおいて加害者が有責とされる傾向が大きいとの指摘もあ り,この点においても責任保険に被害者救済機能があるとする説がある 。 以上のように,責任保険が付帯されていることによって,被害者が救済さ れる可能性が大きくなり,その特性は,環境リスクに係る訴訟のように訴訟 に要する取引コストが大きいケースにおいては,極めて有用である。したが って,EILの強制付保化は必要であるといえよう。
⑵ 資源の最適配分
日本では,大きく採り上げられることはないが,責任保険の強制付保化の 理由として,資源配分の最適化が海外においては常識となっている。これは,
1980年代後半より指摘され始めた問題である 。ここでは,簡潔にこの理論
14) 環境リスクほどではないが,被害者の立証要件が厳しい米国の酒場条項に基 づ く 訴 訟 に 関 す る
Betiman
,Ronald S
.,Liquor Liability, Philadelphia
, 2000,pp
.1‑40によれば,加害者が責任保険を手配していない場合は,弁護士 は提訴しないことを検討する必要があるとしている。15) もちろん,責任保険を手配していないことから有責とされるケースもある。
この問題に関する各国の情況については,Wagner,
op. cit.,
が詳細にレポー トしているので参照。16)
Shavell
,Steven
,The Judgment Proof Problem
,International Review
of Law and Economics, 6, 1986, pp
.45‑58お よ びShavell
,Steven
,Eco-
nomic Analysis of Accident Law, Cambridge
, 1987,pp
.186‑261を参照。の概要を示しておくこととする。
賠償資力不足の企業は,損害を発生させても,自身の資産以上の損害賠償 をすることができない。そのため,賠償資力不足の企業が投ずる損害を防止 するための防災費用は最適値より低い水準となる。その結果,社会には,過 剰なリスクが存在するようになる。つまり,防災費用として本来使用される べき資源が適切に使用されないということである。
そのような賠償資力不足の企業が責任保険を購入すると,企業は責任保険 の保険料を最小化しようとするが,責任保険の保険料は,適切にアンダーラ イティングされたものであれば,企業が生じさせる損害の期待値であり,企 業の資産によって影響を受けないことから,防災費用は最適値となる。もっ とも,企業がリスク回避者である場合であっても,賠償資力不足の場合は,
責任保険を手配するインセンティブを有しない場合があることから,賠償資 力不足の企業が投ずる防災費用を最適化するためには,それらの企業に責任 保険を強制付保化する必要がある。
過失責任の場合は,企業が投ずる防災費用が一定レベルを超えていれば,
過失なしと認定され,企業が免責とされるのに対して,厳格責任においては 免責とされることがないため,この賠償資力不足に起因する資源配分の歪み は,厳格責任の場合の方が過失責任の場合よりも顕著になる。
以上が,資源の最適配分のために責任保険の強制付保化が必要であるとい う理論の概要である。前述のとおりこのことは海外では,常識となっており,
た と え ば,2004年 に 出 さ れ た
EU
の 環 境 責 任 指 令(Directive2004/35/EC
)では,自然資源の損害に対する企業の厳格責任を定めたが,資源配分 の歪みが大きい厳格責任を採用したにもかかわらず,責任保険を含む金融保 証の手配の義務化を行なわなかったため批難されている 。また和文の文献では,桑名謹三 環境政策としての損害賠償法の経済分析 政策科学論集 第4号,2007年,pp.63‑84を参照。
17)
Faure
,M ichael
,Economic Criteria for Compulsory Insurance
,The Geneva Papers on Risk and Insurance,
31, 2006,pp
.149‑168を参照。ところで,日本の環境リスクに係る損害賠償法は,過失責任主義を採用し ているものの,4大公害裁判等で事実上厳格責任のような運用がなされてお り ,さらに,大気汚染防止法や水質汚濁防止法においては,一部のリスク について無過失責任が規定されている。このような状況から,日本の環境リ スクに係る損害賠償法が実質的に厳格責任を採用していると考えれば,当然,
資源配分の最適化の観点から責任保険の強制付保化が必要である。
他方,東京大気汚染訴訟の判決 のように環境リスクであっても,明示的 に加害者の過失を認定しない裁判例が近時出てきていることを勘案すれば,
現在の日本の環境リスクに係る損害賠償法は文字通り過失責任を採用してい るといえるかもしれない。この場合であっても,賠償資力不足による資源配 分の歪みは,環境リスクのように小さなオペレーションであっても,巨額の 損害を惹起する可能性のあるリスクについては,当該リスクに適用される損 害賠償法が過失責任に基づいていようと,決して小さくないことが指摘され ている ことから,資源配分の最適化の観点から責任保険の強制付保化が必 要である。
以上より,資源配分を最適化するために,日本の環境リスクに対しては
EIL
の手配を義務付けることが必要であると結論づけられるのである。⑶ ノーロスノープロフィットの原則の位置付け
強制付保化政策においては,自賠責保険のようにノーロスノープロフィッ トの原則が適用されるべきか否かが問題となる。ドイツにおける
EIL
の強 制付保化政策においてはノーロスノープロフィットの原則は適用されておら ず,また,日本で強制付保化されている原子力保険(責任保険)についても18) 牛山積 現代の公害法 第2版,1991年,pp.48‑50を参照。
19) 東京大気汚染第1次訴訟第1審判決(東京地判平成14年10月29日)。詳細に ついては,大塚直 東京大気汚染第1次訴訟第1審判決 判例タイムズ 第 1116号,2003年,pp.31‑40を参照。
20) 詳細については,桑名謹三 賠償資力不足が企業の注意水準に与える影響に 関するモデル分析 環境情報科学論文集 22 ,2008年,pp.43‑48を参照。
ノーロスノープロフィットの原則は適用されていない。
原子力保険についてノーロスノープロフィットの原則が適用されていない のは,①自賠責保険のように保険契約者が個人ではなく営利を目的とした事 業者であること,②そのため保険契約者が保険会社と対等に交渉する能力を 有していること,③ノーロスノープロフィットの原則を適用した保険料で引 受けを行なえば海外再保険マーケットを利用できない可能性があること,④ 自賠責保険のように契約件数が膨大で大数の法則の適用が可能なリスクを対 象としていないことから事故発生のリターンピリオドが極めて長くどの程度 の期間をもってノーロスノープロフィットであればよいのかが判断できない ことの4点を勘案したためというのが,原子力保険を担当する文部科学省研 究開発局原子力計画課の公式見解である。
したがって,EILの強制付保化政策においては,必ずしもノーロスノー プロフィットの原則にこだわる必要はないものと考えられる。
3.モデルの概要
ここでは,モデルの概要について述べる 。
⑴ 部門構成
産業全体を42部門の産業に分類した多部門モデルである。部門の分類の仕 方については,表1に示す。表で番号に網掛けが施されている部門が財・サ ービスの生産に伴い環境リスクを発生するリスク部門である。その他は,環 境リスクを生じさせない非リスク部門である。本モデルの部門構成の特徴は,
従来の
CGE
モデルでは,区分けされずに金融・保険部門と1部門とされて いたものを,金融,生命保険,損害保険の3部門に分割したことである。21) モデルの詳細については,プログラムのコードを含めて公開する用意がある ので筆者に連絡されたい。筆者のホームページ(URL:http://
www
.geocities
.jp/ kkmasahiro
2002/)経由で連絡されたい。⑵ 経済主体の行動
本モデルにおいて,各経済主体は,次のような行動をとるものとして定式 化される。
ⅰ) 産業部門
産業部門は,与えられた財・サービスの価格の下で,生産のために要す る費用の最小化行動をとる。リスク部門は,EILの手配を義務付けられ ているため,費用の中に
EIL
の保険料が含まれる。EILの保険料は,リ スク部門の生産量もしくは,化学部門および非鉄金属部門からの中間投入 量に保険料率を乗じることによって内生的に決定される。保険料率は,LIME
の被害係数と2004年度のPRTR
データおよび一般賠償責任保険の 成績により算出されたリスクと,損害保険会社から得られたEIL
の保険 料水準より決定したもので,あるレンジを持った巾料率である。なお,保険条件は,①保険金額1事故25億円╱保険期間中通算50億円,
②自己負担額500万円,③縮小てん補割合90
%,④保険期間は2007年10月
1日より1年間,⑤リトロアクティブデイトは保険始期の3年前である。表1 モデルの部門構成 (網掛けはリスク部門)
1 農林水産業 15 金属製品 29 運輸
通信・放送 公務 教育・研究
医療・保健・社会保障 その他の公共サービス 対事業所サービス
対個人サービス (クリーニング業) 分類不明
廃棄物処理 石油製品 石炭製品 電力 ガス 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 一般機械
電気機械 輸送機械 精密機械 その他の製造工業 建設
熱供給業 上下水道 商業 金融 生命保険 損害保険 不動産 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 鉱業
食料品 繊維工業製品 衣服 木製品 パルプ・紙 化学製品 プラスチック ガラス製品 窯業・土石製品 銑鉄・粗鋼 その他鉄鋼 非鉄金属 2
3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
ⅱ) 消費者
消費者は,与えられた価格の下で,効用を最大化する。当然,収入の枠 内でという制約条件が付く。消費者は,環境リスクの被害者でもあり,リ スク部門の産業が支払った
EIL
の純保険料に相当する保険金を受け取る。したがって,消費者の収入には,EILの保険金が含まれる。
⑶ 均衡
各経済主体が上記の行動をとった結果,次の均衡が達成されたときの財・
サービスの価格,為替レート,政府の税収がシミュレーションによって求め られる。この結果,EILの強制付保化政策によって,どのような経済主体 にどのような影響が生じるのかを定量的に把握できる。
ⅰ) 財・サービスの供給量と需要量の均衡
ⅱ) 生産要素(資本・労働)の賦存量と生産要素の需要量の均衡
ⅲ) 政府の税収と支出の均衡
ⅳ) 貿易収支の均衡
⑷ データセット
政策が実施される前の段階である基準状態を示す経済データは,2000年の 産業連関表を使用した。なお,経済データが2000年のもので,リスク計算に 用いられた
PRTR
データは2004年のものを使用したこと,つまり,データ に時間的整合性がないが,これはPRTR
制度自体が開始間もないことから 信頼できるデータが2004年のものであったため生じた状況である。もっとも,本モデル構築に際して
PRTR
データは,保険料を各部門に配 分するためのウエイト計算に使用されているのであって,部門間の化学物質 の排出量の分布が2000年と大きく変化しているとは考えられないことから,本モデルに関していえば,経済データとリスクデータのタイムラグの問題は 無視できると考えられる。
⑸ 静学モデル
本モデルは,生産要素の賦存量が一定である静学モデルである。
⑹ 精度
本モデルのプログラムは,C言語で書かれており,その精度は百兆のオー ダーの生産要素の需給均衡式において誤差が50万未満と極めて高い。これは,
本モデルの予測が当る精度ではなく,本モデルのシミュレーション結果間で は,高精度の比較が可能になるということである。
4.シミュレーション
ここでは,シミュレーションの条件とシミュレーション結果について述べ る。
⑴ 定義
保険論と経済学間において用語が異なり,その翻訳が一意的に行なえない ものがあること,さらに,政策実施後の指標は,物価変動の影響を受けるこ とから,基準状態との比較は,基準状態の物価水準に置きなおして行なわな ければならない。したがって,ここでは
CGE
モデルのアウトプットにおけ る概念の定義を明らかにしておく。ⅰ) 保険サービス額=保険料−保険金
ⅱ) 保険サービス量は,保険契約件数に比例する値であることから,以下 においては, 契約件数 ということとする。
ⅲ) 保険サービスの価格は,おおむね1契約あたりの保険料単価に比例す る値であることから,以下においては, 保険料単価 ということと する。
ⅳ)
EIL
の純保険料=リスクの量×リスク乗数リスク乗数は,料率が巾料率のレンジのどこに位置するのかを示す 外生パラメータである。
ⅴ)
EIL
の付加保険料=純保険料×EILの事業費率╱(1−EIL
の事業費 率)×保険サービスの価格╱物価指数(ラスパイレス指数)ⅵ)
EIL
以外の保険種目の保険料=保険サービスの量×保険サービスの 価格╱物価指数(ラスパイレス指数)╱全保険種目平均事業費率
⑵ 前提条件
シミュレーションの前提条件は次のとおりである。
ⅰ) 損害保険者が
EIL
の損害率を予定損害率と等しくなるようにコント ロールできる。EILは引受けに際して問題の多い保険種目であるが,それらの問題の多くは,強制付保化によって改善もしくは解決される ことを勘案して,この前提条件を設定した。
ⅱ) リスクの国内保有が可能であって海外再保険マーケットの影響を受け ない。本モデルで想定している
EILの保険金額は大きくないことか
ら,国内保有が可能であることを前提条件とした。もし,国内にEIL
の再保険プールを設立すれば,さらに国内保有は容易になると 考えられる。ⅲ)
EIL
の保険料水準が2007年6月と大きく変化していない。EILの保 険料水準を損害保険会社より入手した2007年6月よりマーケットレー トが大きく変動していないことを前提条件とした。ⅳ)
EIL
の強制付保化政策がEIL
以外の保険種目の損害率に影響を与え ない。環境政策は,さまざまな保険種目に影響を与える可能性があ る が,本シミュレーションでは,その影響がないことを前提条件と した。ⅴ) 生産要素の賦存量に大きな変化がないこと。
22) た と え ば,Swiss Re,
Emission Allowances and Business Interruption
Insurance in the EU, Zurich, 2008によれば EU
における二酸化炭素の排出 権取引が利益保険の損害率等に影響を与える可能性があるとのことである。⑶ シミュレーションのパターン
シミュレーションのパターンは,次のとおりである。
ⅰ)
EIL
の事業費率は,31%もしくは51 %
ⅱ) リスク乗数は,大中小の3ケース
ⅲ) 経済の波及効果がない場合(リスク積算のみによる分析)と波及効果 がある場合(CGEモデルを用いた分析)
ⅳ)
EIL
以外の保険種目の事業費率は35%
⑷ シミュレーション結果
ⅰ)
EIL
の保険料EIL
の保険料の推定値のうち経済の波及効果を考慮しない場合につい て,部門ごとにまとめたものが表2である。また,経済の波及効果を考慮 したCGE
モデルによるEIL
の保険料の推定値を部門ごとにまとめたもの が表3である。波及効果を考慮しない場合のEIL
の保険料の推定値は,2,393億円〜1兆5,278億円となり,波及効果を考慮した場合は,2,303億 円〜1兆2,519億円となった。波及効果を考慮した場合は,考慮しない場 合に比べて全部門合計の保険料は,3.7
%〜18.1 %小さくなる。各部門の
保険料も,波及効果を考慮しない場合の方が考慮した場合に比べて大きい。特に顕著な差が現れるのは,鉱業で,リスク中・事業費率51
%の場合で,
47.2
%も小さくなる。これは,鉱業は他の部門に比べて輸入量が大きく,
EIL
の保険料を負担することによって鉱業の生産物の価格が上昇するに 伴い輸入量が増加し,鉱業の国内生産量が減少した結果によるものと考え られる。もちろん,鉱業の中間投入量の構造がEIL
の保険料を削減しや すいものであることも影響している。いずれにせよ,経済の波及効果を考 慮しない推定方法では,EILの保険料を過大に見積もってしまうことが 明らかになった。しかも,その誤差は,部門によって大きく異なり,いく つかの部門では,経済の波及効果を考慮しない手法によって推定を行なう ことは決定的な誤りを生じさせることになる。定性的な傾向は,リスク乗数が大きくなるほど,事業費率が大きいほど,
保険料の推定値は大きくなるというものである。
ⅱ)
EIL
以外の保険料経済の波及効果を考慮しない場合は,EIL以外の保険の保険料は変化 しない。経済の波及効果を考慮した
CGE
モデルによるシミュレーション 結果によれば,契約件数が0.017%〜0.0934 %増加し,一方,保険料単価
は,0.031%〜0.1739 %減少し,その結果,保険料は11.9億円〜74.3億円
減少するというものである。リスク乗数が大きいほど,また,EILの事 業費率が大きいほど,EIL以外の保険の保険料変化が大きくなる。これ は,損害保険業は,リスク部門の生産物を中間投入財として購入する度合 いが小さく,そのため,経済全体の価格上昇よりも保険料単価の上昇の度 合いが小さくなり,結果として契約件数は上昇するものの,実質価格ベー スの保険料単価の減少率が契約件数の増加率を上回ることから,実質価格 ベースでは,わずかに保険料が減少するということである。しかしながら,EIL
以外の保険の保険料の減少額は,8兆円程度の日本の損害保険業の 保険料に比べれば無視できる水準にあることから,実質的には,EIL以 外の保険の保険料は,EILの強制付保化政策の影響を受けないといえよ う。定性的な傾向を述べれば,EILの保険料が大きいほど,EIL以外の 保険の契約件数は増加し,保険料単価は減少し,結果として保険料も減少 するというものである。ⅲ) 実現性の高いシナリオでの推定値
政策が実施される場合には,他の環境政策を考慮すると,政策に伴う取 引コストが高額になる等の理由から,リスク部門のすべてが
EIL
の強制 付保化の対象となることはない。そこで,推定値は,実現性の高いシナリ オに基づくものでなければ意味がないこととなる。ここで,実現性の高いシナリオとして,①リスク中,②事業費率51
%,
③損害賠償法がうまく機能しない上下水道,クリーニング業は政策の対象 とならない,④残りのリスク部門の80
%が強制付保化の対象となるという
表2 EIL の保険料推定値(波及効果なし) 単位:億円 部門
事業費率:31% 事業費率:51%
リスク 小
リスク 中
リスク 大
リスク 小
リスク 中
リスク 大
鉱業 24.0 68.8 107.9 34.0 97.6 153.0
繊維工業製品 97.7 280.4 439.7 138.6 397.8 623.8
衣服 5.2 15.0 23.5 7.4 21.2 33.3
木製品 11.0 31.7 49.7 15.7 45.0 70.5
パルプ・紙 97.1 278.5 436.7 137.7 395.1 619.6 化学製品 270.6 776.3 1,217.5 383.8 1,101.3 1,727.1 プラスチック
製品 177.6 509.6 799.2 251.9 722.9 1,133.7 窯業・土石製
品 68.0 195.2 306.1 96.5 276.9 434.3 銑鉄・粗鋼 36.1 103.6 162.5 51.2 147.0 230.5 その他鉄鋼 36.1 103.6 162.5 51.2 147.0 230.5 非鉄金属 183.5 526.5 825.7 260.3 746.8 1,171.3 金属製品 99.7 286.0 448.5 141.4 405.7 636.2 一般機械 66.6 191.1 299.7 94.5 271.1 425.2 電気製品 78.5 225.1 353.0 111.3 319.3 500.8 輸送機械 329.4 945.2 1,482.3 467.3 1,340.8 2,102.8
精密機械 6.7 19.1 29.9 9.4 27.1 42.5
1,366.9 1,571.3 1,933.2 127.4 113.4 12.6 18.4 15,278.3 871.6
1,001.9 1,232.7 81.2 72.3 8.0 11.7 9,741.9 303.8
349.2 429.6 28.3 25.2 2.8 4.1 3,395.2 963.6
1,107.6 1,362.8 89.8 79.9 8.9 13.0 10,770.0 614.4
706.2 868.9 57.3 51.0 5.7 8.3 6,867.2 214.1
246.1 302.8 20.0 17.8 2.0 2.9 2,393.3 その他の製造
工業製品 水道 クリーニング 業
廃棄物処理 石油製品 石炭製品 電力
合計
合計 電力 石炭製品 石油製品 廃棄物処理 クリーニング 業
水道 その他の製造 工業製品
2,303.8 2.8 1.9 16.5 19.9 281.6 244.6 209.9
6,205.2 7.6 5.4 42.1 57.1 714.7 693.4 580.9
9,270.4 11.5 8.3 60.1 89.5 1,018.2 1,076.4 883.6
3,218.9 3.9 2.7 22.8 28.3 388.1 345.9 295.3
8,485.2 10.5 7.5 55.6 81.0 943.1 975.7 805.5
12,519.0 15.5 11.4 77.2 127.0 1,306.8 1,510.8 1,213.3 36.6 24.5
9.1 26.9
17.8 6.5
精密機械
1,432.3 1,031.0
422.9 1,113.2
780.0 306.7
輸送機械
457.3 300.7
108.9 330.5
215.7 77.3
電気製品
341.4 234.1
89.6 255.2
172.0 64.1
一般機械
463.8 326.6
130.2 354.2
244.0 94.0
金属製品
972.3 656.1
247.5 717.3
478.6 177.0
非鉄金属
170.3 119.6
47.4 129.8
89.2 34.2
その他鉄鋼
162.4 115.7
46.8 125.2
87.0 33.8
銑鉄・粗鋼
317.6 224.1
89.2 243.0
167.4 窯業・土石製 64.3
品
1,073.4 696.9
248.7 767.9
496.7 176.0
プラスチック 製品
1,602.8 1,046.4
376.6 1,151.8
748.4 267.0
化学製品
510.2 347.1
131.3 379.0
253.8 93.9
パルプ・紙
67.6 43.7
15.5 48.2
31.1 11.0
木製品
32.4 20.8
7.4 23.0
14.8 5.2
衣服
553.6 367.5
134.7 403.3
265.1 95.8
繊維工業製品
62.9 51.5
26.1 54.3
42.5 19.8
鉱業
リスク 大 リスク
中 リスク
小 リスク
大 リスク
中 リスク
小
事業費率:51% 事業費率:31%
部門
表3 EIL の保険料推定値(波及効果あり) 単位:億円
ケースが考えられる。EILは,引受けや査定に伴うコストが大きいこと から,事業費率51
%は,現実的なラインと考えられる。また,上下水道・
クリーニング業以外のリスク部門の80
%が強制付保化の対象となるという
想定も,他の環境政策を考慮すれば妥当であるといえよう。この実現性の高いシナリオの場合の
EILの保険料は,表3から5,253億
円と計算できる。その場合のEIL
以外の保険の保険料の減少額は,48億 円であるので,差引きの約5,2000億円がEIL
の強制付保化に伴う純増保 険料といえる。この値は,一般賠償責任保険の保険料約3,000億円をはる かに超え,自動車,自賠責,火災に次いで,傷害保険と同レベルにある。5.今後の展望
ここで,EILの強制付保化政策の今後の展望について述べておきたい。
日本は,先進国の中では,政策として責任保険を活用する程度が極めて小さ い国である 。したがって,近い将来に日本において
EIL
の強制付保化が 実現する可能性はないと考えられる。しかしながら,筆者が研究の過程でインタビューをした自治体の職員の間 では,EILの強制付保化政策は,予想外に好評であった。しかも,現実に 自治体が企業と締結している公害防止協定において,EILの強制付保が規 定されているものもある。さらに,これまでの日本の環境政策の歴史を顧み ると,常に自治体が先行し国が後追いをするというのが実態であった。加え て,近時,地方分権化が推進され自治体が採りうる政策の幅は格段に広くな ってきている。したがって,自治体の環境政策のツールとして
EIL
が活用 され,その結果,国の環境政策においても,EILが活用されるようになる という展開は,全く予想できないわけではない。つまり,公保険としての23)
Wagner
,op. cit.
で報告されている各国の強制責任保険の種類の数と日本の 強制責任保険の種類の数(ノンマリンでは2種類のみ)を比較されたい。また,強制付保化されている責任保険の保険金額(たとえば自賠責保険の保険金額)
を海外と比較しても明らかである。
EIL
の命運は自治体の政策立案者に委ねられているといっても過言ではな い。このような状況から,今後,損害保険業が
EIL
を重点種目と認識するの であれば,自治体の環境政策に損害保険業がどのように関与していくかを検 討しなければならないといえよう。6.まとめと課題
本論では,日本において,ドイツと同様の
EIL
の強制付保化政策が実施 された場合に,損害保険マーケットにどのような影響が出るかを分析した。その結果,EILの強制付保化のように経済全体に影響を与える政策の効果 を分析する場合は,従来の経済の波及効果を考慮しないリスクの積算方式で は,EILの保険料を過大評価してしまうことが明らかになった。
経済の波及効果を考慮した
CGE
モデルによる分析では,EILの強制付保 化政策によって,EIL以外の保険は,ほとんど影響を受けず,結果としてEIL
の保険料そのものが損害保険業にとって純増の保険料となることがわ かった。純増保険料は,もっとも実現性の高いシナリオでは,5,200億円と なり,この値は,自動車,自賠責,火災に次ぐ,傷害保険と同レベルとなる。さらに,公保険としての
EIL
の活用を促すためには,損害保険業が積極 的に,自治体の環境政策に関与していくことが必要である。もちろん,EILは,引受けに困難が伴う保険であり,EILを今後の重点 種目とするか否かについては,それぞれの損害保険者が自己の経営資源を考 慮したうえで決定すべきことである。しかしながら,本論で示したことが,
損害保険者が
EIL
について経営判断をするうえでの一つの材料になるもの と確信している。なお,強調しておきたいことであるが,筆者は,EILの強制付保化によ って,損害保険業が超過利潤を得ることを推奨しているわけではない。EIL の強制付保化の目的である被害者救済および資源配分の最適化を国が行なう よりも,また,他のどの産業が行なうよりも,政策を実施・維持するための
取引コストの点から,安価に達成することができる資質を損害保険業が有し ていることが,民営の損害保険者が提供する
EIL
の強制付保化政策を実施 するための必要条件と考えているのである 。取引コストの観点から最安価 に政策の目的が達成できることが,損害保険業が利潤を得るための前提条件 であろう。この点においても,今後の損害保険産業の努力に期待したい。今後の課題であるが,まず,EILの強制付保化政策の問題点として挙げ られることが多い,モラルハザードによる社会的厚生の悪化について,その ような厚生の悪化を生じさせないような
EIL
の付保条件の提示を行ないた い。次に自治体の政策立案者と共同でEIL
だけでなくその他の環境保険も 視野に入れた,自治体環境政策における環境保険の有効活用の手法を開発し ていきたい。さらに,自治体における環境保険を用いた政策の経済効果を分 析するために,できるだけ汎用性の高いCGE
モデルの開発に努めていきた いと考えている。(筆者は特定非営利活動法人環境自治体会議環境政策研究所客員研究員)
24)
EIL
の強制付保化政策は,被害者救済および資源の最適配分を目的として実 施されるべきであるが,同様の政策を環境税(ピグー税)によっても行なうこ とができる。環境税で行なった場合は,もちろん損害保険業は利潤を得ること はできない。EILの強制付保化と環境税(ピグー税)の制度としての優劣は,どちらの制度が取引コストが大きいかによって決定される。したがって,民営 保険を政策として利用するか否かの判断基準は,損害保険業が政策の目的を取 引コストの観点から最安価で達成できるかどうかという点であると考える。な お,環境税(ピグー税)と強制付保化された