戦争の記憶と忘却
“Memory and Forgetting of War”
平林 美都子
Hirabayashi Mitoko
Abstract
“Memory” has attracted a growing interest around the world since the 1990s. It is certain that “the obsession with memory in contemporary culture” (Andreas Huyssen 3) can be seen in virtual memory, the electronic memory of the computer, oral archives by war survivors, or the nostalgic collective memory of refugees. Behind this cultural obsession with memory can be discerned both the influence of postmodernism, post-colonialism, and poststructuralism against the
master-narrative of “official” history, and the disappearance of temporality through the impact of information technologies. How then are wars remembered and recollected? - The first half of the twentieth century was an age tending toward national unity. Memory of war is “connected with the creation of national memory” (Iwasaki 278). A tragic personal experience of war may be kept in memory as a crooked or a blank experience, or, as an aggregate of individual memories, can strengthen the collective sense of a defeated nation. Moreover, memory issues are not only limited to the conflict between collective and personal memory, but also include conflict concerning remembrance of the dead: by whom and how is memory of the dead taken over? Is it distorted or forgotten?
In this paper, I introduce the theoretical framework of how war is narrated through the agency of memory and forgetting. Referring to Anne Whitehead’s study on collective memory, I also consider the possibility of reconciliation between these two parties.
記憶ブーム
1990年代以降、世界中でさまざまな理由から「記憶」への関心が高まってきた。現代文 化はたしかに「記憶の問題に取り憑りつかれている」(Huyssen 3-9)のかもしれない。こ うした記憶ブームの主な原因をアンドレアス・ユイセン(Andreas Huyssen)は高度情報社 会にあると見ている。ユイセンによれば、マルチ・メディアのデジタル化に代表される電 子メディアが進展するなか、情報処理の加速化は生の時間意識を希薄にし、政治的・社会
的・文化的健忘症を引き起こしているということだ。ユイセンは記憶という「時間に繋ぎ とめること」(7)を健忘症に抵抗する「健康的なサイン」(9)だと捉えている。他方、ア ン・ホワイトヘッド(Ann Whitehead)は記憶への執着の原因を高度情報科学の影響だとす るユイセンの考えに理解を示しつつ、別の原因も挙げている。たとえば、集団移民・難民 が自分たちのルーツを求めたり失われた伝統的社会を懐古したりすること、口承記録への 関心、戦争という大惨事とりわけホロコーストを風化させないための様々な試みなどであ る。ただし彼女も指摘しているように、こうした記憶ブームは批評家らによって必ずしも 肯定的にとらえられているわけではない(Whitehead 3)。チャールズ・マイヤー(Charles
Maier)はこのブームを「[記憶]中毒」だと呼んでいるし(Maier 150)、カーウィン・リー・
クライン(Kerwin Klein)は記憶を「歴史的代理人の地位」にまで引き上げてしまうことに 注意を喚起している(Klein 136)。
ホワイトヘッドは著書『記憶』において、記憶を大きな歴史的コンテクストに置き、歴 史の中でどのように記憶が理解されてきたのかを検証している。個人の記憶とアイデンテ ィティの問題については、キャシー・カルース(Cathy Caruth)のトラウマ論を始め、すで に今まで論じ尽くされた感もあるので、本稿ではとくに集合的記憶に焦点を当てて考察し たい。戦争の記憶は年月が経過するなかで忘れられていくため、忘却の問題系が記憶とと もに論じられるようになってきた。共同体における記憶の問題に忘却を対概念として併置 し、ホワイトヘッドの集合的記憶の論考を参考にしながら、以下解説していく。
集合的記憶
19 世紀の回想文学や記憶に依拠した精神分析は孤独な個人的営みとして読まれてきた。
しかし、記憶の働きや思い出し方、思い出された内容にどんな意味を与えるのかなどは、
共同体に共有されているものである。20世紀になって集合的記憶の概念が生まれてきたの は、個人的回想や記憶が所属している共同体の回想から切り離せないことが分かってきた からである(Rossington 134)。集合的記憶の提唱者モーリス・アルヴァックスは「集合的 記憶がその力と持続を得るのは、それが人々の全体を支えとしているとしても、集団の成 員として想い出すのは個々人である」(アルヴァックス 43)と言い、記憶は個人の営為だ と指摘する。過去の出来事や人々が忘れられてしまうのは、記憶していた共同体メンバー がいなくなったからであり、記憶が途絶えたところから歴史記述が過去を保存するとし、
アルヴァックスは集合的記憶と歴史とを区別している(88-93)。彼の集合的記憶は、社会 的ファクターが個人の意識を支配するというエミール・デュルケム(Émile Durkheim)の 社会学に依拠しているが、個人の記憶と集合的記憶の表象の区別をしていないという批判 もある(Nora Gedi and Yigal Elam 1996, 36)。すなわち、構成主義的な集合的記憶には歴史 が依拠すべき固定したイメージや言説がないということである。
ヤン・アスマン(Jan Assmann)はアルヴァックスの集合的記憶が一つの世代にだけ限定
し、その後の記憶を歴史に転換してしまっていることを批判し、「伝達の記憶」と「文化的 記憶」という新たな概念を提示している(Assmann 128)。伝達の記憶は時間軸に沿って最 長80年から100年までという個人の人生の枠内が想定され、アルヴァックスの集合的記憶 に近いものである。文化的記憶は個人が生きている年限を越えた古い出来事に関する記憶 である。ヤスマンの文化的記憶が着目するのは「メディアと文化的実践を媒介として過去 を能動的かつ選択的に構築する文化のプロセス」である(安川281)。J・アンドレスら(J.
Andres et al.)は「文化的記憶は、想定されるオリジナルな状態や文化的出来事の形式を辿
り直す共同体の努力」(Andres 14)だと論じている。
フランスの歴史学者ピエール・ノラ(Pierre Nora)は「歴史の加速」という現象から、
記憶と歴史の断絶を説明した。これまで教会や学校、家族や国家を通じて記憶の伝達や保 存を保証してきた共同体――「生きている社会」(Nora 8)――が、グローバリゼーション や民主化の動きのなかで終焉を迎えてきた。いいかえれば、集合的記憶が希薄になってき たということである。これまで共同体を結び付けてきた集合的記憶に代わった歴史とは、
「もはや存在しない記憶を再構成したもの」である(8)。記憶が存在しなくなったことは 逆に記憶への関心の高まりへと繋がる。記憶が「結晶化して人目につかなくなる場. . . 記 憶が途切れても歴史の持続性の感覚が存在する瞬間」に生まれた「記憶の場」(7)として、
ノラは大掛かりな編集プロジェクトを行なった。安川晴基はこれを「記憶の痕跡を拾い上 げることで、現在の中の過去のイメージを記述する」試みだと説明している(安川 291)。 ノラによれば、古文書や記念碑、記念日の祝典などの「記憶の場」は、失われた集合的記 憶の代替物であり、象徴的な場となっているのである(7-8)。
戦争と集合的記憶
「もし国家の目的の一部が共有する価値観、理想像を作り出すことであるなら、統一国 家の基礎として共通する記憶感覚を作ることも国家の目的であろう」(Young 6)と言うジ ェームズ・ヤング(James Young)の言葉通り、集合的記憶は共同体意識を強固にしていく。
そしてその顕著な例が戦争の記憶である。岩崎稔は戦争の記憶が国民国家のナショナルな 記憶の創出に繋がることを指摘する(岩崎 278)。彼は1990年以降、世界各地での「異な った言説領域」で記憶に関する言説が生まれたと言い、ヤスマンが挙げる三つの原因を紹 介している。一つは活字文化という記憶の形式の終焉とそれに代わる大容量のメモリーを 持つ情報手段へと移行したこと、二つ目は伝統的社会が解体し社会的統合力が枯渇したこ と、三つ目は大惨事の生き証人の世代が絶えかけていることである。とくに最後の原因か ら導き出されるのは体験者の記憶が文化的記憶へと移行していくことだ、と岩崎は指摘す る(209)。戦争の記憶は記念碑や記念式典というコメモレーションを通じて「ナショナル な悲しみへと変換されうる」(278)。実際、文化的な記憶を次世代に伝承するためにさまざ まな記念行事や儀式が行われている。こうした記念碑、記念行事、追悼行事などの「記憶
の場」が記憶の共同体を作り上げているのはもちろんである。が同時に、それらの「記憶 の場」がその場所、式典の時にだけ思い出され、それ以外は忘れているという記憶の外在 装置になっているのも事実であり、集合的記憶の問題になっている。
イェール大学の歴史学者ジェイ・ウィンター(Jay Winter)も集合的記憶のソースとして、
戦争の記憶に着目している。戦争の目撃者は兵士であっても民間人であっても歴史的記録 に貢献しているからだ。しかし戦死者の追悼の目的に関しては、国家などの共同体と死者 にとって身近な存在だった個人や小グループとでは大きく異なっている、とウィンターは 言う。前者は戦死者の犠牲や栄光、栄誉を称賛する記憶物語に向かうのに対し、個人や小 グループは死者を嘆き悲しむ物語に向かっていくからである。このため、公的記念行事の 際に死者追悼の目的が異なる両者間で葛藤が生じやすくなる、と彼は指摘する1。ウィン ターはそこで、国が作る壮大な記念建造物から地域の記念碑へと視点を移し、小グループ による集合的記憶の方を重視していくのである。アルヴァックス論ですでに見てきたよう に、メンバーがいなくなればグループそのものが消滅するため、集合的記憶は一時的なも のでしかない。しかしながら、ウィンターのこうした考察は、特定の場所の特定の人々が 特定の理由によって行う追悼や回想という記憶作業を明らかにする試みとなっているので あろう。
戦争の集合的記憶の表現内容は国によって異なり、さらに戦勝国や敗戦国かによっても 異なる。集合的記憶のこうした違いは、ホロコーストの記憶においてももちろん見て取れ る。グローバル化時代となった近年、国や民族を問わず、ホロコーストは圧政や大量虐殺 に対する道徳的試金石として捉えられるようになっている。ホワイトヘッドは、ホロコー ストの記憶がこのように他の集合的トラウマの暗号(cypher)になっていることに理解を 示し つつ 、ホ ロコ ース トを 苦し みの 暗号 とす るグ ロー バル 化に は留 保を つけ てい る
(Whitehead 150)。ホロコーストの記憶をその土地特定のものとすることこそユダヤ人問
題の最終解決を明確にすることになる、と語るジェフリー・ハートマン(Geoffrey Hartman) にホワイトヘッドも同意する(151)。ホロコーストのグローバル化は第一世界の、とくに ヨーロッパの大虐殺が「虚偽の道徳的優位性」(Margalit 2002, 80)を持ってしまう可能性 があるからだ。
忘却
忘却の概念の理解は難しい。どこに焦点を当てるかによって、私たちは忘却に抵抗した り忘却を受け入れたりする。J.アンドレス(J. Andres and et. al)らは『記憶することと 忘却すること』の序章において、集合的記憶がどのような働きをしてきたのか、どのよう に保存され又は回復されるのかについて論じている。共同体に所属するメンバーは文化的 な出来事を辿り直すことによって共有するアイデンティティを育んでいく。しかしその一 方で、共同体の遺産や歴史は時代とともに修正されていくものでもある。たとえば性、階
級、民族の違いによって、政治的強者は弱者に対してさまざまな迫害を行ってきた。こう した侵害・侵略・虐殺に至る行為は歴史から削除されることもありえる。それは歴史が政 治的強者によって書かれるからであり、弱者が忘却を強いられることを意味している。ミ ラン・クンデラが言うように、まさしく「権力に対する人間の闘いとは忘却に対する記憶 の闘い」(クンデラ 7)なのである。20 世紀の後半に、抑圧されて忘れられた過去を掘り 起し、歴史を書き換える作業が始まった。忘れられた過去が文学作品の中で表現されるこ とにより、共同体の別の歴史を発見することができる。このような作品が忘却の歴史から 作られた共同体のアイデンティティを批判する役割を持つことになる、とアンドレスらは 指摘している(J. Andres and et. al 15)。
纐纈厚はとくに日本現代史のコンテクストにおいて、歴史解釈の修正や歴史事実を歪曲 する動きに懸念を示している。彼は平和思想を「過去を隠蔽しようとする国家」だけでな く「過去を忘却しようとする国民」も「同時に「告発」することを通じて、歴史の<取戻 し>と歴史認識の共有を求めるための智恵」だと説明している(纐纈 32)。
ポール・リクール(Paul Ricouer)は「社会的なもののしるしが最初に探求され発見され たのは個人の想起の行為においてであ[る]」(リクール、上、195)と言い、集合的記憶の 議論に慎重である。彼は集合的記憶がなければ歴史が成立しないことを認めているが、権 威づけられた共同体が公的歴史を操作することによって、特定の出来事が忘却されていく 危険性を懸念している。事実、共同体のアイデンティティですら公的な規範となる物語を 押し付けられて構造化されている。リクールによれば、「社会の当事者たちがみずからを語 る根源的な力を剥奪されるところから生じる、よじれた形がそこには働いて」(リクール
240-1)、忘却が「集合的記憶の規模として機能」するのである(243)。このような「歴史
の特権」とは、共同体を維持するために「特定の共同体の記憶を修正し、批判し、さらに 否認さえする特権なのである」(311)。そして「[記憶を]否認するのは共同体の記憶が他の 共同体の苦しみに対して目をつむり、耳をかさなくなるほどに、自分自身の苦しみに退き、
閉じこもるとき」(311)だとリクールは言う。これはすなわち、共同体の存続が危機的な 状況を意味している2。
一方で、忘却を記憶の補完物だと考える哲学者もいる。アンドレスらはニーチェの記憶 論やボルヘスの短編に言及しながら、忘却の必要性を論じている3。さらに忘却が芸術創 造に果たす役割にも目を向けていく。例えば、ホロコーストをテーマにした大衆映画は 1993年の『シンドラーのリスト』を皮切りに、2000年代にかけ、たて続けに制作されてい る4。ホロコーストを描く作品が多くなった理由は、表象不能だと思われていた大惨事の 恐怖や恥や怒りの「生の鮮烈な感情が薄れた」ためであり、「どれだけ多くを忘れてしまっ たのかを示す指標」だと説明されている(16)。しかし、そもそも文化的記憶の中に過去を 正確に保存することなどできるのだろうか。アンドレスらは、忘却から作り出される芸術 がトラウマを美的に片づけてしまう問題があることを認めながらも、「個人の自己創造と共
同体の解放の手段になっている」と評価している(16)。ただしそれらの芸術品の鑑賞者は、
大衆映画を例に見ればよく分かるように、情動的に、すなわち無批判に「親近感」「共感」
を抱きやすい。加藤幸実が指摘するように、文化を「監視し解釈する社会的責任」(加藤 69) が必要となるだろう。
マーク・オージュ(Marc Auge)の忘却論は、ボルヘスの短編「記憶の人フネス」から始 まっている。オージュもまた、記憶は忘却によって存在すると考えている。フネスの例に 見るとおり、何も忘れないということは一般化(抽象化)できないということであり、選 別・分類などいわゆる編集を行なう記憶は何の意味を持たないということになる。忘却と は記憶にとっての生命力であり、回想はその産物だとオージュは語っている(Auge 21)。 生き残るためだけでなくもう一度やり直したいのであれば、日々の生活に確信を持つこと、
さらに時を支配するために忘れなければならないと彼は論じている(88)。オージュは忘却 によってのみ得られる新しい未来があるとして、現在の日常生活を信じるように主張する のである。
アムニージア(記憶の喪失)とアムネスティ(大赦)
『記憶』の最終章でホワイトヘッドは忘却の可能性について語っている。近年よく目に する公の場での謝罪や和解などの現象は、ホワイトヘッドが指摘するように「記憶から忘 却へと言説のシフトが始まっている」からなのかもしれない(Whitehead 154)。忘却が必 要であり、かつ望ましいものであるととらえる場合、忘却の問題系は個人だけでなく、集 合的忘却や赦しの問題とも密接に関連してくるだろう。
ステーブン・レッグ(Stephen Legg)は特定の時代や場所での個人的記憶は「何を忘れ るか」「何が我々から隠されるか」といった「社会的条件づけに依存している」(Legg 458) と語り、リクール同様、公的規範(物語)の操作を認めている。しかし、公的規範の物語 である集合的記憶は対抗する解釈を排除する物語であるが故に、「別の記憶や忘却への抵抗 という潜在的な可能性につきまとわれる」(459)ことも指摘する。レッグは又、語源を同 じくするアムニージア(amnesia記憶の喪失)とアムネスティ(amnesty大赦)の関係につ いて、「赦すことや忘れることができるのか」「赦すことができないことを記憶し続けるこ とが無条件の赦しの唯一の保証なのか」(460)と問いを投げかけていく。しかしレッグは 赦しについてはそれ以上に議論を進めることはない。彼の関心はむしろ忘却にあり、忘却 が解放の装置となっていたことを歴史的に見ていくのである。たとえばギリシア哲学者の プラトンは、世俗的な事柄を忘れることで高次元の真理に到達できると考えた。真の知識 の 獲 得 は 忘 却 さ れ た イ デ ア 界 を 想 起 す る こ と だ と す る プ ラ ト ン の ア ナ ム ネ ー シ ス
(anamnesis)の概念は、キリストの贖罪の出来事を想起する記念唄(Anamnesis)に伝承
されていく。中世の修道僧たちが記念唄を唱えるのは、些事を忘れて神に全霊を捧げるた めだった、とレッグは論じている(460)。
ジャック・デリダ(Jacque Derrida)は赦しに関して独自の議論を展開する。デリダによ れば、現代は人間の権利の新たな言説とキリスト教化のプロセスを結び付けて、「広大な規 模の告白を生み出している」と言う(Derrida 31)。その上で彼は、許されないものだけを 赦すという不可能な赦しの概念を提案する。つまり、赦すことができるようなものを赦す のであれば、そこには赦しの真の概念は消えてしまう。さらに第三者が介入したら、すな わち、大赦、和解、賠償などの話になれば、純粋な意味での赦しではなくなる。デリダの 不可能な提案としての赦しは、無条件に与えられるものであるが、君主などの権力者によ るものではないのである(59)。
リクールが『記憶・歴史・忘却』のエピローグで触れている赦しに関する主張は、デリ ダの赦しの論の対案とも言えるだろう。デリダの不可能で純粋な赦しは、記憶の「痕跡の 完全なる消失」だとし、むしろ「留保された忘却」こそもっと人間的な赦しの形態だとリ クールは語る(英語版2004, 414)。彼の考えはソリン・アントヒとの対談においてさらに 明瞭に説明されていく。対談の中でリクールは、人を赦すことではなく赦しを求めること を問題にしている(Ricoeur 2005, 9)。リクールはさらに愛と正義を区別し、赦しは「過剰、
[愛の]有り余る潤沢さの関係に支えられている」のに対し、正義の概念は「対等の関係に 支えられている」(9)と論じる。続いて彼はレッグと同様、アムネスティ(大赦)とアム ニージア(記憶の喪失)の語源的近似性にも言及する。大赦は記憶喪失の組織的行為であ り、当事者間の良心にもたらす赦しの平和的和解とは別物だとし、「大赦は赦しと正義を妨 げる」と批判している。
ピーター・クラップ(Peter Krapp)もデリダの赦しの論を基にして、大赦論を展開して いる。デリダが無条件の赦しを提案し、忘却については考察から除外したのに対し、クラ ップは「忘却の政治学として理解される大赦は交渉の産物だ」と言う(Krapp 191)。彼は
「赦しも大赦も共同体の記憶と忘却の修正版」(192)だと考え、赦しが過去を現在に呼び 出す記憶であるのに対し、大赦は当事者が忘れることを前提にしていると両者を区別して いる(190)。そしてデリダが赦すことの不可能なことへの赦しを、しかも当事者間でのみ の赦しを提案しているのに対し、クラップは当事者間で忘れることを前提とする大赦を提 案する。クラップによれば、大赦は「何も起こらなかったかのように、心理的・社会的痕 跡を消すことを求める」(191)ことである。正義を司る法制度に政治的介入がなされる場 合、市民を守るためには大赦という「効力のある忘却」(195)の歯止めが必要だとクラッ プは考えている。大赦と赦しへのそれぞれの解釈の違いはあるが、リクールもクラップも
「幸福な忘却」「倫理的忘却」の可能性を問うているのである。
復讐と戦死者の記憶
虐待や長い拘留、迫害の犠牲者にとり、加害者を赦すことは難しい。たとえ法的に罰せ られても、自分が受けた相応の復讐を求めたい感情も残るのではないだろうか。法学者の
マーサ・ミノウ(Martha Minow)は復讐が過剰に向かい、それでも報復の欲求を鎮められ ず、負のスパイラルに陥るとして、復讐の不毛さを説いている(Minow 9-11)。しかし赦し は法的な罰の代りではないので、赦しを与えつつも相応の処罰を求めることは矛盾しては いないとミノウは言う(15)。むしろ、赦しを与えて罰を与えないことは、行為そのものが 忘却されてしまうという理由から、被害者の尊厳を守らない大赦に彼女は批判的である
(16)。
「赦しは犠牲者(被害者)に保持された力」(17)だというミノウの見解から、記憶の当 事者性の問題が浮上してくる。犠牲者以外の第三者による赦しは、出来事そのものが忘却 されてしまうことを意味し、真の赦しの行為にはならない5。しかしたとえば、赦しも復 讐もできない死者の思いは誰によって、どのように記憶されるのだろうか。
佐藤啓介は、たとえ赦しや復讐の可能性が閉ざされてしまったからといえ、代理の誰か が死者の記憶を特権的に占有することは許されるのかと問い質す。彼は、国民国家のよう な大きな記憶の共同体であっても小さな共同体であっても、追悼行事やモニュメントなど
「死者の記憶の場は、生者のアイデンティティを形成・構築・解体する場として使ってよ いという前提」が共通しており、死者の記憶を生者の「アイデンティティ創出装置」にし てしまっていることを批判する(佐藤 2007)。さらに佐藤は、こうした死者の記憶を代表
=代理して記憶を占有するアイデンティティ・ポリティクスが復讐を正当化していくこと も指摘する。つまり、生きている復讐者が死者の記憶を「特権的に代理=表象し、その記 憶と同一化」していくというのである。そしてその前提として、死者は生者にとって善い 人だったと「死者の善化」が行なわれていくのである(佐藤 2007)。
佐藤が提言するのは、第三者が復讐することでも赦すことでもなく、死者の記憶を「現 在へとそのまま『目覚めさせておく』こと」である(佐藤2005, 15)。すなわち、死者に「復 讐する可能性と赦す可能性を返してやることだと言うのである。さらにいいかえれば、理 解も表象も不可能な「他者」とするような記憶のあり方である。生きているものが死者を 記憶するのではなく、我々こそ彼らの「暗い記憶」によって記憶されている存在だという 捉え方である。
最後に、死者の「暗い記憶」の具体例をイギリス人作家ミシェル・ロバーツ(Michèle Roberts)の『家の娘たち』(Daughters of the House, 1992)から見ていきたい。毎夏訪れる ノルマンディーの従妹の家で、レオニーは毎晩「泣き叫び、詠唱し、嘆く」(Roberts 52) 声に恐怖感を感じていた。その寝室は、戦時中、ユダヤ人家族が虐殺される前に閉じ込め られた部屋だった。大人になった彼女はようやくそれらの声に対峙する決心をした。彼ら の嘆きの声には、自分たちの居場所を密告した教区司祭の名前も含まれているはずだった。
もちろん、ロバーツの小説中で死者の声が言語化されることはないし、レオニーによって 代弁されることもない。しかし、ここには死者の暗い記憶という表象不可能な非言語の存 在を認める作者の姿勢がある。こうした捉え方に死者の「記憶の場」が創出される可能性
が、確かにあるのではないだろうか。
注
1.ウィンターはピエール・ノラが第一次世界大戦の集合的記憶の媒体をフランス国家に 限定したことを批判し、共有した体験を持つ三つの大国(英国、フランス、ドイツ)へ「記 憶の場」を広げるような提案もしている(Winter 10)。
2.カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)の第7作目の小説The Buried Giant(2015)には共 同体が記憶を否認する例がテーマになっている。
3.ニーチェは「生に対する歴史の利害について」の中で次のように述べている。「最少 の幸福においても最大の幸福においても幸福をして幸福たらしめるものは常に一つである。
それは忘却しうることであり、あるいは一層学者的に表現すれば、それの継続しているあ いだ非歴史的に感覚する能力である。一切の過去のない者は幸福の何たるかを決して知ら ぬであろうし、なお悪いことには、他の人々を幸福ならしえることを何もなさないであろ う。諸君は極端な例ではあるが、忘却する力を全然所有せず、至るところに生成を見るよ うに宣告されている人のことを考えてみてくれ給え、かかる人はもはや彼自身の存在を信 ぜず、もはや自己を信ぜず、すべてのものが分散して動点に流れ込むのを見、生成のこの 流れのなかに自己を見失う」(104)。ボルヘスの短編「記憶の人フネス」は、細部まです べて記憶できるがそれらを一般化・抽象化して細部を忘れることができないため、不幸な 人生を終えた若者の話である。
4.加藤幸実は「ホロコーストの「アメリカ化」という現象――博物館・大衆文化・教育 に関して」において、記念碑や博物館だけでなく、文学や映画などの大衆文化がホロコー ストの記憶をいかに「アメリカ化」してきたのかを詳細に分析している。
5.ミノウは被害者本人ではない代理人による赦しを与えることは、忘却を意味し、赦し ではない(20)と言う。これは強制収容所で捕らわれているとき、瀕死の若いナチス親衛隊 員から大量虐殺の赦しを請われたジーモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)の自伝
的小説The Sunflowerのテーマと繋がる。
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リクール, ポール『記憶・歴史・忘却』(上・下)久米博訳, 新曜社, 2005.