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『都市空間のデザイン:歴史の中の建築と都市』

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Academic year: 2021

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 本書は、昨年(2013 年)1 月に他界し た建築家・大谷幸夫が、1965 年から 1983 年まで東京大学工学部都市工学科で、

1983 年から 1989 年まで千葉大学工学部 建築学科で行った講義の記録である。東 京大学都市工学科における講義のタイト ルは「都市空間の構成」。もぐり学生もい る人気講義であった。内容は、ひと言で 言うと「都市建築史」なのだが、第一線 で活躍する建築家が、独特の類概念を駆 使し、建築がどのように都市をつくって いったか、都市がどのように建築を規定 したかを読み解いていくところが魅力の 講義であった。

 当時大谷は、建築家として、1966 年に 国立京都国際会館本館を完成し、金沢工 業大学、川崎河原町高層公営住宅団地な ど次々と重要な作品を手がけていた。同 時に、都知事選で秦野ビジョンを批判し

(1971)、日照権運動の理論的支柱となり

(1970 年代前半)、宇井純の公害原論へ

登壇して「住民のための都市計画」を語 り(1973)、全国の町並み・歴史的環境保 存運動を支援し(小樽運河保存運動の最 中の全国町並みゼミ小樽大会での講演は 1980 年)、1970 ~ 80 年代のまちづくり論 壇を主導したジュリスト総合特集号の常 連寄稿者であり、「社会派建築家」として 眩しい存在であった。とくに学生たちが 気になったのは雑誌『建築』に掲載され た「麹町計画」とその理論編の「覚書・

Urbanics 試論」(1961)1である。高層大 規模開発へのアンチテーゼとして低層で 高密度を実現する麹町計画のデザインも

「Urbanics 試論」という論文のタイトル もとてもかっこよく、むさぼるように図 版を読み、難解なテキストを理解しよう とした。

 本書はもっと早く出版されるべき本で あった。大谷には、都市と建築に関する 初期の業績として、上記の「麹町計画」

と「覚書・Urbanics 試論」、そして「都

【書評 1】

大谷 幸夫 著

『都市空間のデザイン:歴史の中の建築と都市』

(岩波書店、2012 年)

福 川 裕 一

1 『建築』1961 年 9 月号。『現代日本建築家全集 18』(三一書房、1970)に再録されている。

(2)

市のとらえ方」(1971-72)がある2。「都市 のとらえ方」は「覚書・Urbanics 試論」

を修正・発展させたもので、「試論」が「麹 町計画」の理論編であるように、講義の 理論編という関係にある。ともに東京大 学を定年退官したのを記念して編まれた

『大谷幸夫建築・都市論集』(1985 年、勁 草書房)に収録されている3。しかし講義 に関しては、講義ノートとも言うべき「都 市設計」と題する未完の論文があったの だが4、同書では収録せず、より完成した 形での刊行を期すこととしていた。その 作業に 20 年以上を費やしたのは、ひとえ に担当者である筆者の怠慢にある。しか し、あえて強弁すれば、その内容は少し も色褪せておらず、むしろ 21 世紀を 10 年以上過ぎ、少子高齢化と人口減少のも とで新しいまちづくりを模索する今日こ そ、出版の意義は大きいと思っている。

だからこそ、本書の帯を「人口減少時代 の今日に必要な都市の理論がここにある」

とさせていただいた。以下は書評という より編者としての本書刊行の弁である。

***

 講義は、新設の東京大学工学部都市工 学科に助教授として着任した大谷が、都 市設計(アーバンデザイン)という新し い分野の確立をめざして、ゼロから組み

立てた構築物である。素材は、歴史学(建 築史学)に依拠しているが、都市設計と いう立場から独自の解釈が加えられてい く。そこで目指したことは、本書の「は じめに」に尽くされている。目標は、都 市の基本単位として建築を据え、ひとつ ひとつの建築が集まることで都市を構成 していくという方法論を構築すること。

そのために「建築がつくってきた都市を 認識し、建築によって都市をつくる方法 をみつける」を視座に、都市と建築の歴 史に学ぶことである。

 ポイントは「単位」である。先立つ「覚 書・Urbanics 試論」に次のような記述が ある。「わたくしは、都市計画を科学とし て成立させたいと考えている。それは、

歴史的な経過を通して現実にある都市の 観察からはじまる。すなわち、都市の変 遷、都市の成長、発展の現象をとおして、

都市の構造を捉え、さらにこの運動の機 構と法則性を発見することである。都市 の運動法則や原理を捉えることができれ ば、都市計画はこれを応用する一種の工 学となるだろう。/都市を現実に構成し ている実体的存在としての[都市の単位]

が、このような科学的方法の手がかりに なると考えている」。「試論」では、機能・

空間・主体の三要素が「一体的な体制を

2 1971 年 5 月から 1972 年 2 月にかけ「アーバン・デザイン・セミナー」として『地域開発ニュース』

に連載された。河原町を特集した『都市住宅』の 1972 年 11 月号(特集名「個即全」)にも再録 されている。

3 大谷自身による詳細な注釈があり、本稿でとくに出典を示していない引用は、この本による 4 1972 年 5 月から 12 月にかけて 7 回にわたり雑誌『建築界』に連載された(11 月は休載)

(3)

とって活動している実体的な存在」を「単 位」と定義し、「都市とは単位の存在形式 である」を基本命題に、単位相互の「作 用と反作用が、都市を形成し変化させる 基本的な機構」と捉え、そのメカニズム の解明を課題とした。講義は、それを歴 史の中に探ろうとしたものである。「試論」

には歴史的な都市や建築への言及はない が、麹町計画が「住宅と店、あるいは仕 事場が併存する下町的な住居を基礎単位 として、それらの集合による市街地構成 を模索した」とあるように、そして同計 画が発表された紙面に三重県の庄野宿の 町家がおりなす美しい町並みの空撮が添 えられていることから明らかなように、

歴史的な都市空間への関心は一貫してい た。「単位」は、「都市のとらえ方」及び 本講義で「単体」と呼び変えられ、いっ そうの重みを帯びることになった。「一定 の体制をとった集団が、固有の空間の中 で、固有の活動を果たしている、生物学 上の個体に似た存在」が「単体」の定義 である。

  こ の よ う な「 単 位 」 あ る い は「 単 体」へのこだわりの背景には、戦後一 貫して望ましい都市像として追求され てきた、建物の高層化とオープンスペー スの確保を実現する大規模開発への異 議申し立てがあった。経済の高度成長 と 急 速 な 都 市 化 が 進 む 1960 年 代、日

本の建築界はメタボリズム運動が全盛 となった。当時の同世代の建築家たち は「METABOLISM/1960― 都市への提 案」を発表し、海上都市、塔状都市、巨 大な都市開発(新宿ターミナル再開発計 画)などのプロジェクトを次々と発表し ていった。大谷の古巣である丹下研究室 からは、東京湾に縦横に橋を架け、そこ に海上都市を構築する壮大な「東京計画 1960」が提案された。対して、まったく 同じ時期に大谷が提案した「麹町計画」

は、2 階建ての住居単位を「街区の中庭」

を確保しつつピロティの上に水平に寄木 細工のように並べる。いずれも、社会の 変化や人口の成長に合わせて有機的に成 長する都市や建築を提案しており、その 意味ではメタボリズムなのだが、片や巨 大な人工的インフラストラクチャの建設 を前提としており、大地に単体が自律的 に展開・発展する麹町計画とは、思想も 手法も正反対であった5

 後に大谷は、華々しく打ち上げられた

「都市の未来像、全体像が、一方的に市 民の生活や個々の「まち」の在り様を規 定するかのように扱われていたことへの 反発」がその基本にあったと述べている。

コルビジェの「タワーズ・イン・スペー ス」を徹底的に批判した J. ジェイコブス の『アメリカ大都市の死と生』が「麹町 計画」と同じ 1961 年であったことに、単 5 これらの作品は「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今蘇る復興の夢とビジョン」(森美術館、

2011 年 9 月~ 2012 年 1 月)で展覧された。ここには大谷の作品も含まれている。

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なる偶然以上の意味を感じるのは私だけ だろうか。

 「はじめに」の最後で、大谷は次のよう に述べている:「私たちが目指すべきは、

高層化とオープンスペースとは異なった 方式で、集まって都市つくることができ る建築のあり方を提案し、そのような都 市の性状を社会に提示し、それによって 市民が都市に参画する手順や資格を身に つけることができるようになることであ る」。これは「建築によって都市をつくる 方法をみつける」の言い換えであり、「単 体」にこだわる大谷の意図をもっともわ かりやすく簡潔に述べた一文と言えよう。

どの時代にあっても重要な目標のはずで あるが、人口が増加し都市が成長してい る時代には、無視されがちであった。し かし、人口減少の時代に入り、市街地や 集落の物理的な縮退(シュリンク)が不 可避となった現段階においては、不可避 の目標である。

 わが国の都市では、改善の進まない木 造密集市街地、シャッター街と化した地 方都市の中心市街地、復興が遅れがちの 東北の被災地、老朽化した団地やマンショ ンなど、20 世紀の負の遺産も言うべき既 成市街地の再生が喫緊の課題となってい る。都市の中心を占める既成市街地の再 生は、その地区の問題を解決するだけで なく、人口減少下でコンパクト・シティ あるいはスマート・シュリンクを達成す るためにも欠かせない課題である。その ような地区の再生に「高層化とオープン

スペース」による大規模再開発は、仮に 事業として成立したとしても適切ではな い。望ましいのは、限られた敷地で地域 のポテンシャルを使い尽くす一点豪華主 義的な再開発ではなく、適切な規模の建 て替えで地域全体を良くしていく小規模 連鎖型の再開発である(ここで「再開発」

は、更新、修復、保存を含む広い意味で 使っている。共同化するか個別の建物で 町並みをつくるかは、その都市のポテン シャルに依存する)。こうして、メインス トリートのような市民の集う豊かな公共 空間を、歴史的な都市の構造を継承しつ つ再生していくことができるかどうか、

そこで新しいビジネスを起こせるかどう かが、地域の社会・経済再生の鍵となる。

このプロセスでまさに不可欠なのが「高 層化とオープンスペースとは異なった方 式で、集まって都市つくることができる 建築のあり方を提案」することができて いるかどうか、市民・住民がその建築が 創り出す都市像に共感し、建築を通して

「都市に参画する手順や資格を身につける こと」ができるかどうかである。後半の 実現のためには、事業手法、資金調達、

住民合意など、適切な事業スキームが組 まれる必要があるが、大前提は「集まっ て都市つくることができる建築のあり方」

が言い当てられているかに尽きる。

 本書に、この課題に対する直接的な解 答を求めると失望するかもしれない。都 市と建築を連結する媒体としての「中庭 の再発見」が本講義のハイライトのひと

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つであるが、西洋の中庭型住居や日本の 町家が現実にそのまま適用できる場面は 限られる。中庭に代わる新しい媒体の発 見は、大谷はその建築で模索したように、

それぞれのプロジェクトに課せられてい る。しかし、その発見は、本講義で中 庭の意味が描き出されたからこそ可能に なったのである。

参照

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