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音楽科教育に対する文部省の措置について

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(1)

音楽科教育に対する文部省の措置について

一敗戦直後から第1次学習指導要領音楽編(試案)作成に至るまで一

臼 井 英 男

(1980年11月15日受理)

は  じ  め  に

戦後の学校教育の出発点は,敗戦による混乱期にあった。連合国軍による占領下という特殊事情のも とに進展していく教育の舵取りは文部省がしたわけであるが,連合国軍最高司令部の指令に基づき,

同司令部内の民間情報教育局の許可を得ての作業であった。

この小論は,戦後の混乱期における文部省の措置のうち,第1次学習指導要領音楽編(試案)作 成までの音楽教育に関するものを中心とし,最初に,敗戦による象徴的な教科書問嶺を,第2に戦 後の教育のあり方に大きな影響を与えた新しい教育方針を,そして第3に最後の文部省著作教科書

(音楽)と民間情報教育局からの突然の命令で作成された学習指導要領音楽編(試案)との関係を

取り扱う。

1.教科用図書に対する文部省の措置 教科用図書中の修正又は削除

 第2次世界大戦における日本の無条件降伏の日から1ケ月後の昭和20年9月15日,文部省はく新 ゥ本綴ノ教育協〉を「世界平和ト纐ノ福祉項献スベキ」ものたらしめる燗こ,「従来ノ 戦争遂行ノ要請二基ク教育施策ヲー掃シテ文化国家,道義国家建設ノ根基二培フ文教諸施策ノ実行 二努メテヰル」と前段でおさえて後,今後の新教育の方針は「益々国体ノ護持二努ムルト共二軍国 的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管国民ノ教養ヲ深メ科学的思考力ヲ 養ヒ平和愛好ノ念ヲ篤クシ智徳ノー般水準ヲ昂メテ世界ノ進建に貢献」するものとしている。<新 日本建設ノ教育方針〉は11の項目より成っているが,3番目の項目に掲げている教科書について1よ

「新教育方針二即応シテ根本的改訂ヲ断行シナケレバナラナイガ差当り訂正削除スベキ部分ヲ指示 シテ教授上遺憾ナキヲ期スルコト」とし,更に文部省は,この件に関し昭和20年9月20日の通牒 q終戦二伴フ教科用図書鰍方二関スル犀〉で「追テ何分ノ指示アルマデ現行教科用図書ヲ継鞭 用シ差支ナキモ戦争終結二関スル詔書ノ御精神二鑑ミ適当ナラザル教材」は下記の規準に照らし省 略,削除又は取扱いに慎重を期せと述べ,その例を国民学校後期用国語教科書において示し,最後 に「全教科目ニツキテハ追テ之ヲ指示ス」と結んでいる。

省略削除又は取扱上注意すべき教材の規準

(イ)国防軍備等ヲ強調セル教材

回 戦意昂揚二関スル教材

(2)

(勾戦争終結二伴フ現実ノ事態ト著ク遊離シ又ハ今後二於ケル児童生徒ノ生活体験ト甚シク遠ザカリ教材ト シテノ価値ヲ減損セル教材

(ホ)ソノ他承詔必謹ノ点二鑑ミ適当ナラザル教材

なお洞年1。月22日付の齢国騒副旨令部からの指令く日本教育制度二対ス・レ管理藤〉にお いても,教科書中の削除の件が出されている。

音楽の教科書中の削除

昭和20年代において,音楽の教科書のみについての具体的な省略,削除等の通牒はなかった。又 他教科で行われた墨塗り教科書に関連して,戦後の音楽行政の舵とりをした作曲家の諸井三郎氏は u音楽のほうで蝿で消したという覚えはありませ£」と述べている.しかし,当時の音楽教育の 代表格であった井上武士氏は,前記の文部省通牒に対し,一個人の意見と断って,<国民学校音楽 教材のあつかひ彦として,当時の音難誌《音楽購》1・国民学校に於ける音楽教育の使命は

「児童の音楽的本性に立脚し児童の音楽生活に即応して,彼等の音楽的性能を啓培し,以て平和新 日本建設に役立つ日本人を造ること」であり,児童の音楽的本性,音楽生活は「面白い歌を歌ふこ とを喜び,面白い音楽を聴くことを喜ぶ」ことであると述べ,このためにも現行の教科書を全面的 に改変する必要を説いて,取りあえず現行教科書中の削除すべき教材を掲げている。戦時中の軍国 的な歌唱,鑑賞教材の氾濫を再めて知る上にも,参考までに井上氏の削除すべきという歌唱教材の 中から初等科用のみを次に引用する。

ウタノホン 上 (初等科第一学年)

十八兵タイゴッコ

うたのほん 下 (初等科第二学年)

四 軍かん,十五 おもちゃの戦車,十七 兵たいさん,十九 日本 初等科音楽 一 (初等科第三学年)

八 軍犬利根 十四 潜水鑑,十六 軍旗二十 三勇士

初等科音楽 二 (初等科第四学年)

十一 靖国神社,十四 入管十八 廣瀬中佐,十九 少年戦車兵二十 無言のがいせん

初等科音楽 三 (初等科第五学年)

三 忠霊塔,四 赤道越えて,七 戦友,九 大東亜,十二 橘中佐, 十五 特別攻撃隊 十九 白衣の勤め

初等科音楽 四 (初等科第六学年)

四 日本海海戦,八 満洲のひろ野,十一 落下傘部隊,十二 御民われ,十四 船出,

十六少年産業戦士,十八水師管の会見,二十 日本刀       6)

コ和21年4月に入って,音楽の教科書にも直接関係する通牒く新学期授業実施二関スル件〉であり,

《ウタノホン 上》,《うたのほん 下》は「現下ノ用紙事情等二依リ発行困難又ハ削除訂正箇所

大部及ビ寧ロ新編纂二譲ルヲ適当ト認メ発行供給ヲ見合ハセタリ」ということで2度と日の目を見

ることはなかった。

(3)

ドレミ階名唱法の復活

芸能科音楽では戦時中, 「音の高低,強弱,音色,律動,和音等二対シ鋭敏ナル聴覚ノ育成二力 ムベ易として音感訓練腫視し,・ドレミ階名唱法〃を・.、ニホ音名唱法〃に変えさせられ燃 これは軍部の圧力によるもので,内実飛行機の爆音や兵器製造における機械音の聴き分け等軍事上 の要望であったことは周知の事実である。

この ハニホ音名唱法 は,戦後の音楽教育のうえで解決しなければならない大きな問題であっ たので,教育音楽家協会(昭和21年 会長 小松耕輔,副会長 外山国彦,理事長 井上武士)は イロハ音名唱法 か ドレミ階名唱法 かを決める材料を得るために,全国500人の識者に対し て・読譜唱法興論謂を行ったところ次のような結果を翻、。

イロハ音名唱法       36 固定ド唱法         67 固定ドを階名と誤った者   25 移動ド唱法        304 其の他      39 不明      29

上記の結果から教育音楽家協会は,移動ド唱法(ドレミ階名唱法)を絶対的に支持すべきとして 文部省に次のような上申書を提示した。

上申書

国民学校・中学校・師範学校等に於ける芸能科音楽の歌唱には,従来の音名唱法を廃止して移動ド階名唱法 を採用せられたし。

文部省は昭和21年8月28日 イロハ音名唱法 を廃止し,従来の ドレミ階名唱法 を下記の通 蓬で復活させた。r従綱民学校及び中騨校に於ける音楽鱒にあたり聴覚訓練特に和音訓練の 極端なる重視からイロハ音唱法が採用されていたが,種々検討の結果,爾今国民学校及び中等学校

に於いて音楽を指導する場合には原則としてドレミ階名唱法に則ることとした。ただし事情により 音名唱(イロハ音名唱法及び固定ドレミ唱法)を継続して実施するも妨げない。尚音名は従来通り

日本音名を使用すること」

明治時代初期の洋楽導入期のように,外国の旋法を受け入れるための唱法取扱いにう余曲折が見 られるのは理解できるが,長年用いていた ドレミ階名唱法 を戦時体制下における軍部の圧力に よるとはいえ イロハ音名唱法 に変えられたことは,世界の教育史でも例を見ないものではないだ ろうか。唱法の変更は,児童,生徒,特に教師に大きな混乱と負担とを生じさせるものであるので,

文部省は前記の通達において「ただし事情により音名唱を継続して実施するも妨げない」として唱 法変更のための時間的余裕を与えていることは,当然の処置と思える。

2. 新 し い 教 育 方 針

連合国軍最高司令部(略称,GHQ)は昭和20年10月2日に民間情報教育局(略称, CIE)を司令

部内に設置し,新しい日本の教育課程を作るための勧告文を作成し,文部省に指令又は指導を与え

ていた。GHQから発表された4つの指令〈日本教育制度二対スル管理政策〉(昭和20年10月22日

(4)

付),〈教員及教育関係官ノ議除外銅二関ス,レ鴇(同年1。月3。日付),<国家宇申遣神 社髄二対スル政府の保証,支援保全監罰二引布ノ廃止二関ス,曜〉(同年12月15日付)及

びく修身,日本歴史及ビ擁停止二関ス,耀〉(同年12月31日付)は,躰の教育輝イヒと民主主 義化を目的としたものであるが,昭和21年3月5,6日にGHQの要請で来日した27名からなるア メリカ教育使節団のく賠署〉(昭和21年3月3。日付)は,前述の禁止令的な}旨令よりもより蝦 的にしている。

_方文部省は昭和21年5月2旧から〈新教育指罫〉を分冊の形で遂次発表し漸しい教育改革 構想を打ち出しているが,その冒頭のはしがきで,「国民の再教育によって,新しい日本を,民主 的な,平和的な,文化国家として建てなおすことは,日本の教育者自身が進んではたすべきっとめ である。マッカーサー司令部の政策も,この線にそって行なわれており,とくに教育に関する4つ の指令は,日本の新教育のありかたをきめる上に,きわめて大切なものである。本書の内容はこれ

らの指令と深い結びつきをもって記されている。それゆえに巻末の附録として4つの指令をかか夙 読者の参照に便することとした」と述べているように前述のGHQの4つの指令をその骨格として いる。さらに,はしがきにおいて「ここに盛られている内容を,教育者におしつけようとするもの ではない。したがって教育者はこれを教科書としておぼえこむ必要もなく,また生徒に教科書とし て教える必要もない」と強制的なものではないことを強調し,「むしろ教育者が,これを手がかり として,自由に考え,ひ判しつつ,自ら新教育の目あてを見出し,重点をとらえ,方法を工夫せら れることを期待する。あるいは本書を共同研究の材料とし,自由に論議して一そう適切な教育指針 をっくれるならば,それは何より望ましいこと」として,新しい教育上の手がかりを提示している。

実は,この〈新教育指針〉は,CIEが文部省教科書局に新教育の根本方針に関する教師向けの ガイド・ブ。クとして作成するように昭和2。年の秋から働きかけてできたものとのこ1 Qである力斗

はしがき,第1部前ぺん 新日本建設の根本問題 ,後篇 新日本教育の重点 ,第2部 新教育 の方法 からなっている。第1部は新教育の理論であり,第2部はその実際であるこのく新教育指 針〉は,戦後の教育課程改革の本格的な歩みを示したもので,後の学習指導要領の前身とも受けと

められている。

〈新教育指針〉の中で音楽は,その第1部後篇第6章 芸能文化の振興 で扱われている。始め に,全体的な構図をつかみ易くするために項目のみを下記に掲げ,次に大項目にそって考察する。

第1部 後篇 新日本文化の振興 第6章 芸能文化の振興

1 戦後になぜ芸能復興の要求が起ったか 2 新しい芸能文化は,いかにあるべきか

1)新しい芸能文化は,それ自身が人生の目的として追求せられるべく,他の目的の手段 であってはならない。

2)新しい芸能文化は統一調和を本質とし,平和建設に役立つものでなければならない。

3)新しい芸能文化は明朗で健康的でなければならない。

3 いかにして新しい芸能文化を振興すべきか 1)幼少な者に芸能の芽生を育てること

2)乏しい物的条件にもかかわらず,芸能文化の本質を発揮させること

3)芸能的情操を日常生活において実現すること

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4)すぐれた芸能作品を民衆のために公開すること 研究協議題目

1.芸能に対する生徒の興味を調査し,同じ種類の芸能に興味を有する分団に組織して,特別の 研究をさせよう。

2.生徒に簡単な楽器を作らせて演奏させよう。

3.生徒に学級及び町村における生活環境の美化を実行させよう。

4.郷土における芸能作品の展覧会を学校に催し,これに対する生徒の鑑賞,批判を指導しよう。

5.町村の青年の芸能を指導して,彼等の演芸大会の向上を図ろう。

6.郷土で行われている子守歌を調査し,その内容を改善しよう。

第6章 芸能文化の振興 において,芸能とは絵画,彫刻,音楽,文学,映画,演劇等を指して いるので,文中に出てくる芸能を音楽という言葉で置き換えると理解し易い。1の 戦後になぜ芸 能復興の要求が起ったか において, 「戦後の荒れはてた環境の中で,食糧や住居の欠乏に苦しみ ながらも,人々は芸能に対する強い要求」を感じていることは, 「人生には覧ゆとり と黙うるほ ひ とが必要」であり,この ゆとり と うるほひ が「生活に新鮮な活力をあたえる」もので 戦後の復興と建設という容易ならざる事業に取り組むために,「生活の・ゆとり〃と・うるほひ〃

と,それを有効に用いる黛たしなみ とが必要である」と述べ,その必要に答えるものは芸能であ ると結論づけている。音楽教育は,戦前はさほど重要視されず,戦中は軍部の意向で大いに利用さ れ,戦後になって音楽文化(芸能文化の1分野としてではあるが)の振興が新日本教育の重点と持 ちあげられたことの不自然さは拭いきれない。しかし,音楽が学校教育の中で重要な1教科である ことには異論はなく,又,一般社会においても人に ゆとり と うるおい をもたらすことは事 実であるので,その存在価値を認められたことは当然のことである。

2の黙新しい芸能文化はいかにあるべきか において,「新しい芸能文化は,それ自身が人生の 目的として追求せらるべく,他の目的の手段であってはならない」とし,戦時中芸能文化が「戦争 目的の手段とせられ,戦意昂揚のために統制せられた」ことに対しての反省をしている。

又,芸能文化は「他のいろいろの文化と並んで,同等の価値をそれ自らにもって」おり,それぞ れの文化は平等に扱われるべきであると説き,文化の根底にあるものは人間性であることを強調し,

従って「人間性を尊重する民主主義は芸能文化の栄える地盤であり,また芸能文化の栄えるところ に民主主義も栄えるのである」と結び,芸能文化と民主主義との関係は不分離であるとしている。

新しい芸能文化は,いかにあるべきか の他の要点は 統一調和 と 明朗で健康的 である 一 ことの2点である。前者の説明は,「音楽において,多くの音はそれぞれ固有の高さや強さや長さ を保ちながらも,全体がよく統一され調和されて,美しい調子(リズム)と旋律(メロディー)と をあらわす」もので,「それはあたかも民主的な社会において,人々がそれぞれの個性を発揮しな がら,秩序と協同とによって結びつき平和な生活をいとなむことと同じ原理に立っているのである」

とここでも民主的な社会を強調している。又,後者の場合には,敗戦による混乱の中で絶望的にな ってはならないということを根底に「これからの日本人は,明るい希望をもって,永久平和の理想 に生き,戦争による破壊のあとを修理回復し,進んで高い文化を建設するために積極的な活動をし なければならない」としった激励しており,このことは当時の社会状態を思い起こせば大いにうな ずけることである。

3の いかにして新しい芸能文化を振興すべきか は,芸能教育の実践を述べたもので,「母が

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歌う子守歌の調子や旋律は,幼な児の音楽的な感覚に大きな影響を及ぼし,少年少女時代に清純な 環境に育つか,俗悪な環境に育つかは,一生涯の情操の高下を左右するであろう」と家庭及び学校 においてもその初期の教育が取り分け重要であるとしていることは,いつの時代にでも当てはめら れることである。又,戦後の物資のない時代であったので立派な楽器や音楽室は望むべくもなく,

特に楽器は手製のものをと大いに奨励していることは当然である。

現在,学校教育において,音楽は特に生活化が叫ばれているが,戦前には見られなかったこの生 活化を,この項において「美を求め美を味わう芸術的情操をひろく日常生活にはたらかせ,身辺の 物言をできるだけ快く高尚であるように工夫することが必要である」と説いている点は重要である。

最後に すぐれた芸術作品を民衆のために公開すること にふれ,「芸能作品のすぐれたものが,

ひろく民衆に親しまれるようになることが必要」であって,しかも低料金で鑑賞することができ る社会は民主主義の社会であると最後まで民主主義を結びつけている。

研究協議題目は6項目あるが,これ等は,第6章 芸能文化の振興 を実践に移すための具体的 な目安として掲げられている。

3.最後の文部省著作教科書と第1次学習指導要領(試案)との関係

連合国軍最高司令部は,その指令く日本教育制度二対スル管理政策〉のCの(Pで,「急迫セル現 情二鑑ミー時的二其ノ使用ヲ許サレテヰル現行ノ教科目,教科書,教授指導ソノ他ノ教材ハ出来ル 限リ速カニ検討セラルベキデアリ,軍国主義乃至極端ナル国家主義的イデオロギーヲ助長スル目的 ヲ以テ作成セラレタル箇所ハ削除セラルベキコト」と教科目,教科書等の検討及び軍国主義的なも のの削除を促し,それを受けて文部省は,教科書については墨塗り教科書や昭和21年度発行のいわ ゆる暫定教科書等で努力した。又,同政策Cの(2)においては「教育アル平和的且つ責任ヲ重ズル公民 ノ養成ヲ目指ス新教科目,新教科書,新教師用参考書,新教授用教材ハ出来ル限リ速カニ準備セラ レ現行ノモノト代ヘラルベキコト」と教科目,教科書等の一新を促したことに対し,文部省は,教 ネ書1こ関しては教科用図書委員会を文部大臣監督下}、昭和21年1月9日付の勅令第4襲設立して 応え,続いて同月25日には教科書局長名で通牒く国民学校後期使用図書中ノ削除修正箇所ノ件〉を 出している。その中で文部省は,「終戦後ノ新事態二即応スベキ各学校用新教科書二関シテハ本年 中二新編纂ノ上明二十二年度ヨリ之ヲ使用セシムル予定ヲ以テ目下之ガ準備中ナリ」と昭和22年を 目指しての新教科書発行の予告をした。

この予告の意味するところは,前述の教科用図書委員会がCIEの意向を打診しつつ結論を下す ことであった。この年の3月30日には第1次米国教育使節団のく報告書〉が出され,文部省として もく新教育方針〉を5月21日から逐次発表しながら教科書編さんに力を入れているさ中,CIEか ら突然教科書作成を中断して,  コース・オブ・スタディ なるものを編さんせよとの命令が同年

6月頃にあったと, コース・オブ・スタディ 作成委員の一人であった諸井三郎氏は述べ,又,      17)それがどのようなものであるのか始めのうちは全く分らなかったとも述べている。その後,新しい

教科書と コース・オブ・スタディ (発表時には学習指導要領となる)の編さんが平行して行わ れ,学習指導要領一般編(試案)が昭和22年3月20日,音楽編(試案)は同年6月25日に発行され ている。又,新しい教科書(音楽)は,同年5月から7月にかけて,〈1ねんせいのおんがく〉か

ら〈六年生の音楽〉までを,続いて〈中等音楽>1,2,3が発行されている。なお,〈学校教鳶法〉

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は同年3月29日に,〈教育基本法〉は同じく3月31臼に公布されて,戦後の一新された学校教育は 昭和22年度から始められている。

学習指導要領は,元来教科書編さん前に完成していなければならない筈であるが,戦後の占領下 という特殊事情のために,新しい教科書編さんが学習指導要領編さんよりも先行してしまった。し かし,どちらの作業も,連合国軍最高司令部から出された教育上の指令や米国教育使節団の報告書 等にしばられ,或いはCIEの許可を細部にわたって得なければならない事情をもあり,新しい教 科書と第1次学習指導要領(試案)は,作成の時間的制約による不備があるとはいえ,共通の理念 で編さんされている。教科書は,この後検定教科書となり,又,学習指導要領もその後4回にわた る改訂を経て,徐々にその内容も変化しているが,その基礎は戦後の混乱期において作られている。

お  わ  り  に

昭和20年8月15日の敗戦の日から第1次学習指導要領音楽編(試案)作成までの文部省の措置の 1部をみてきた瓶文部大臣官房文書課の《終戦教育事務処理提要》を調べるとその措置件数が多く,

当時の文部省の多忙な日程が想像できる。

戦後,文部省が教育問題で手をつけたことは,軍国主義の排除であった。教科用図書中の修正,

削除は,その対象の多くが軍国的なものであったが,その数の多いのにも再めて驚かされる。連合 国軍最高司令部の指令になる民主主義を根底とする教育方針が打ち出され,文部省においては,戦 後の新しい教育方針としてく新教育指針〉を公表し,これを根幹に,最後の文部省著作教科書と第 1次学習指導要領(試案)を作成した。その教科書は,最後の国定教科書とはいえ,教科書として の本質を十分に具えており,現在用いられている教科書との関連を読みとることができる。又,学 習指導要領に関しては,CIEのコース・オブ・スタディを邦訳する際に学習指導要領と決定した 理由を,第1次学習指導要領音楽編作成委員であった諸井三郎氏は次のように述べている。 「学習 指導という言葉に相当深い意味がある。学習指導はいわゆるガイダンスのことであるが,このこと ばに盛られている精神は教育の主体を児童の側においているということである。つまり新しい教育 はあくまでも押しつけ,天下りのものではなく,児童の学習を指導し助言するものでなければなら

      18)ないという考えで,これが学習指導要領の根本精神となっている」戦前の学校教育においては考え

られなかった新しい教育の基礎が,戦後2年間で築かれ,そして今日に及んでいる。現在の学校教 育にとって,戦後の混乱期は重要な意味を持っている。

1)石川謙,緒方富雄,木下一雄,平塚益徳監修《新日本教育年記》第1巻(学校教育研究所,1966年》

292〜293頁。

2)《終戦教育事務処理提要》第1集(文部大臣官房文書課,1945年),217〜219頁。

3)同上書,27〜29頁。

4)〈特集戦後音楽教育の出発〉《音楽教育研究》第64号(音楽之友社,1971年),30頁。

5)〈国民学校音楽教材のあつかい方〉《音楽知識》第3巻第3号(音楽雑誌,1945年),6〜8頁。

(8)

6)《終戦教育事務処理提要》第3集(文部大臣官房文書課,工949年),673〜678頁。

7)〈教育課程総論〉海後宗臣監修《戦後日本の教育改革》第6巻(東京大学出版会,1971年),52頁。

8)《音楽教育》第1巻創刊号第1号(音楽雑誌,1946年),62頁。

9)《終戦教育事務処理提要》第3集,695頁。

10)《終戦教育事務処理提要》第1集,37〜39頁。       ●

11)同上書,44〜49頁。

12)《終戦教育事務処理提要》第2集(文部大臣官房文書課,1946年),3〜4頁。

13)石川謙,前掲書,208〜233頁。

14)同上書,297〜341頁。

15)海後宗臣監修,前掲書,135頁。

16)《終戦教育事務処理提要》第2集,384〜385頁。

17)諸井三郎〈学習指導要領音楽編(試案)の誕生〉《日本の音楽教育75別冊》(音楽之友社,ユ975年),

101〜102頁。

18)同上書,103頁。

参照

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