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児童画分析を起点とした関衛(1889−1939)による図画教育研究

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(1)

児童画分析を起点とした関衛(1889−1939)による図画教育研究 一児童画研究から教授観の形成へ一

向 野康 江*

(1996年10月14日受理)

Studies on Drawing Education Started from Analyses of Juvenile Pictures by Mamonl Seki(1889−1939)

一From the study on juvenile pictures to the making up of ideas as teaching methods一

Yasue KOHNO*

(Received October 14,1996)

Abstract

大正〜昭和初期に,芸術教育領域において活躍した関衛(せきまもる)の児童画 研究について論及することを,本研究の目的とした。まず,小学校の教員として全 科目を教えていた関衛が,芸術教育に関心をもちはじめた契機をつきとめた。それ はフユウザン会主催の絵画展覧会をみたことに端を発していた。図画教育に興味を もった彼は,児童は何を主に好んで描くのかを知ろうとする。そのために多くの児 童画を集めて児童画の分析をおこない,描画発達段階表も作成している。このこと から,関による一連の芸術教育研究は,児童画研究を起点とし,美育の理想よりも むしろ児童研究から出発したことがわかる。特に,『普通教育に於ける芸術的陶冶』

の「中編」の内容は,児童の発達とその教育的観察に研究の焦点があてられ,脳組 織のことも述べられている。結果,児童の描画活動と感情との関係を解き明かし,

児童生徒の個性や心理に応じた図画教育の方法を確立,指導することが肝要である という主張や,図画の稟賦や図画活動などを心理的に分析して見るべきであるとい う見解に至っている。このことは,思想形成上に科学的な作業を導入していること を示す。ここに大正期の文化的教育学と科学的教育学を融合させようとした彼の意 志を見ることができる。以上,科学的美育教授の確立を解明する上で,関自身の児 童観察,児童画研究を究明した。

*茨城大学教育学部美術教育講座(〒310茨城県水戸市文京2丁目1番地の1:Art Education, Faculty of Edu一 cation, Ibraki University, Bunkyo2−1−1, Mito, Ibaraki,〒310 Japan)

(2)

図画教育研究への関心とそのはじまり

エレン・ケイのr児童の世紀』が日本に紹介され,明治期よりも児童研究は,より多くの研究者 によってすすめられるようになった。ここでは,関衛が自らの児童観察や児童画研究によって得た 児童観を究明する。その方法として彼の児童画分析に論及する。これは,科学的な美育の教授を確 立していく経緯を解明することの一環でもある。

そもそも,大正初年より小学校の教員として全科目を教えていた関衛は,どのような契機によっ て芸術教育に関心をもちはじめたのであろうか。研究調査「図画教育短篇」(r長崎県教育雑誌』第 271号所収,大正4年4月25日)には,

余が之に趣味を感じ初(ママ)めたのは,ポスト,アムプレッショニズムの運動があって,我邦で も彼のヒウザン(ママ)会が起り,其れらの絵を見てからのことで1)

とある。また,論文「児童の芸術的生活の一部と教育」(雑誌r小学校』第23巻第8号所収,大正6年 7月15日)では,

教育の新潮は種々の思想に分れて居るけれども,この創造教育を叫ぱないものはないのであ る。此の時代此の思潮の傾向を有する時に於て,創造教育に最も関係の深い図画教育を改造 するが為に我が日本児童の図画能力を研究することは実に肝要なる事であって,是亦児童心 理学建設の上にも有価値のことである。吾人は図画教育に心ある人士が斯道研究の為に一顧 せられんことを乞ふ次第である。余輩先年読売新聞社の階上でフユウザン会主催の絵画展覧 会に列したことがあったが,其の際諸芸術家の作品に接して多少思う慮があり,或る必要に せまられて原始美術の立場から児童の絵画を専攻し,今尚続行して居る次第であるが,其の 一端は不完全ながらも先月頃より「教育実験界」誌上に紹介した2)

と再度その理由が述べられている。このことから,フユウザン会主催の絵画展覧会をみたことが,契 機になっていることがわかる。

では,関は芸術教育のどのような研究領域からとりくんだのであろうか。彼の芸術教育理論形成 の経緯を知る上で,初期の研究に着目しておかなければならない。

関衛の初期の研究は,図画教授方法を確立するための児童画分析であったといえよう。「図画教育 短篇」(前掲),「児童画の心理及び教育」(r長崎県教育雑誌』第292号所収,大正6年1月25日),「児 童の絵画と図画教育及び教授(一)」(雑誌r教育実験界』第38巻第4号所収,大正6年4月1日),「児 童の絵画と図画教育及び教授(二)」(雑誌r教育実験界』第38巻第5号所収,大正6年5月1日),「児 童の絵画と図画教育及び教授(三)」(雑誌r教育実験界』第38巻第7号所収,大正6年7月1日)で の研究は,いわば図画教科教育における教授方法の探求といえる。論文「児童画の心理及び教育」に おいて

児童画の研究は大分古いことで,最近に始まった問題ではないのであるが,併し西洋の学者 に於ても組織的な発表をしたものは多くないのである。本邦に於ても勿論であるが,若し此 方面の研究が進歩するを得ば,図画教育界に何物かを齎らすであらうと思はれる。3)

と述べていることと,「児童の絵画と図画教育及び教授(一)」で「余が直接要求する研究上の目的 は,其の図画教育との関係上からである4)」と述べていることからもわかるように,初期の研究は児 童画研究を起点としている。

(3)

(第一表)       (第二表)        児童画の題材分

【表A−1関衛作成】 【表A−2関衛作成】

備考, 木日

G出ノの

六鳥 類硯

@墨 ,

汽粉 菊竹

士歳 八歳よ

一児童が好んで

職業欄 等富の士

i山

箒動

國填 帆齢

より十 り十歳

描くもの一

農五,漁二な

書i魚

@釣@倒

@蓼

子糎朱弓 び軍艦類 竈物類 年齢職業

歳毒舅女 謬男女

資料

 フユウザン会 蜊テの絵画展覧

? みたことで,

}画教育に興味

男歳十 一 二 一 二

女の一 七 五 二 物人 をもった関衛は,

男歳十 児童は何を主に

女の二 九 三 七 八 物動

農夫

男歳十 三 一 二 好んで描くのか

女の三 七 九 物植

を知ろうとする。

男歳十 一 一 一

五人 女の四 五 一 三 二 家人 そのために,多く

十四

十六

合計 三九

一四一七

旗國 の児童画を集め

夫の子

農六 農四 農四 夫農二六 農五 夫農

オ四

農五

一四 車船 て児童画の分析 おこなう。

,   ,

搴剩

ッ五

七四 二四 二三 一七 一〇

物器 まず,大正4年

の意な

,商

齔ホ, 山

δ

五 二 三 様模 (1915)に発表し

四 四

一〇ム」(前掲)でのた「図画教育短

分析の材料は,

「長崎県南高来郡大三束尋常高等小学校長宮田虎男氏より与ら(ママ)れた,無慮四百の児童の随意画5}」

である。それによって調べた結果,「四百の中百五十三たけ(ママ)は汽車の画であった6)」という。なぜ 汽車の画が多かったのか。その理由に,当時は,島原鉄道が開通して,動く汽車が,動くものを好 む子どもの興味と一致したからであることをあげている。

同様に,「汽車のない代りに,毎日汽船や帆船が出入し,多くの石炭を積む」同郡口之津港の一校 において調査した結果,汽船や帆船の画は「六十五の中の十六」を示したという。「四百の中百五十 三」は38.25%,「六十五の中の十六」は24.6%である7)。このことから,「児童が地方的趣味や,時 の流行や,職業などに影響さるることが実証せられるのである8)」という。これは発展して「児童は 其の境遇の影響に感じやすいもので,彼等の美感は,家庭や,朋友などより導かれることが多いの である9)」となる。職業とは親のそれを意味すると考えられる。さらに「境遇の影響」は,「児童の 幼時のとき喜ぶ絵画は,固より其の観念界に実物の経験があって,彼等が十分に興味を有して居る

ものに限る10)」として「実物の経験」へと進展する。関は,自らのデータに基づいて作成した表,親 の職業を付記した(第一表)【表A−1関衛作成】11)ならびに(第二表)【表A−2関衛作成】12)を 提示している。

また,関は,

(4)

なほ彼のモイマン氏や,サレイ氏,其の他の児童研究家の統計と余の実験と比較して見たが,

是等と大体に於て一致する事を発見した。そして最も多く児童の描く所のものは,やはり人 間の顔面及び全身である。人物画である。13)

という。理由は,「其の形が比較的に画き易いのと,平生よく見慣れて居る為や,直に想像に浮かぶ からであらう14)」という。しかし一方,

我が調査し,実験したる範囲の児童は,メートランド氏の調査した外国児童の如くまで,多 くの人物を描き,或は他の資料に比較して,多くの動物を描くことはない様である。舟や,車 や,日の丸の旗などが,第二表に示せる如く,彼等の発達につれて減少し,草木や,器具の 描写が,反対に増加する傾向の見ゆるのは,其の注意力が,漸次発動的に進歩して行く過程 ではあるまいか。15)

といった課題を投げかけている。

初期の関衛の論文における児童画分析は,一般的に児童が何を描こうとするのか,その現象の追 求が目的であった。この分析結果は,後々まで児童画分析の記録として採用されつづけることにな る。最終的に関は,題材において,子どもの要求と成人の要求とは必ずしも一致せず,児童画をそ の題材上から研究してみると,最初に現われてくるものは人物画であるという結論に至った。同時 に,児童画の題材には,民族・環境,年齢・性の差異にも関係があることに気づき,日本の子ども はどのような対象を好んで描くのか,さらに具体的な調査をし,発達段階別に言及するようになる。

大正6年(1917)1月25日に発表した「児童画の心理及び教育」(前掲)の「三 各期に於ける描 画の対象」では,各発達段階において何が対象として一番多く描かれるのか,「余が主として郡部の 児童約九千人に就き五箇年の外形概算計算で少しもの想像をも交へぬ16)」表【表B−2関衛作成】17)

を提示している。その結果,

絵画本能の発現と共に,児童が如何なる材題を好んで描くかといふ即ち児童画の対象は表示 によって明瞭で各期を通して最も多く描かる、ものは第一に植物で,人物,器物,旗類,人家,

動物,舟車,模様等之に次ぐのである。18)

と概説している。この結果は,先の「我が調査し,実験したる範囲の児童は,(中略)多くの人物 を描き,或は他の資料に比較して,多くの動物を描くことはない様である19)」という仮定を裏づけて いる。また,

男女の如何にかかはらず,衝動的描画期に於て特殊の対象より描出し初め,遊戯的描画の全 盛期に到って,其の観念界が拡張され,経験の多くなるに伴ひ,普遍的に多くの対象を描き,

更に進んで絵画本能の衰退期に到達して亦特殊の対象をのみ表現するに至る傾向が表はれる。

(中略)顔面の機官が身体の他部に比して精細に描写される傾向は明らかであるけれども,或 は眉,鼻を閉却して耳の描かれる事等より推せば,児童が其の躍々たる想像の浮動と共にい かに無秩序に表現することに並に(ママ),一面に於て完全に人間の顔面を写す事に関して比較的 無頓着なることが明らかである。児童の絵画は象徴的である。20)

という見解に至っている。

大正6年(1917)4月に発表した「児童の絵画と図画教育及び教授(一)」(前掲)では,「本稿は 余が最近五箇年間に於て,長崎県南高来郡湯江尋常高等小学校並びに同郡山田尋常高等小学校を中 心として,郡部の児童約九千人の描ける児童画に就ての実験を基礎とした21)」と記されていることか

(5)

【表B−2関衛作成】 ら,【表B−2関衛作成】を

作成したことを記してある

各期 期 四 第 三期 論文「児童画の心理及び教

描意 期描遊 期描遊 期描遊 描衝 育」(前掲)と同一の収集資

書志

咩I 豊戯 書戯 書戯 書動咩I

垂階

料をもとにして研究がなさ

後的 中的 初的 れている。とりわけ,「各

象のA

後十 二 り十

¥三

十八二歳 七五

ホ歳 ホ生四出 期に於ける児童画の対象」

歳以 五歳歳よ 歳よ

@り

より より

の項目では,各段階におい

六〇 九四

1 物人

て何が対象として一番多く

̀かれているのか,(第二

1 1

物動 表)【表C−2関衛作成】

一二四 四四

1 1 δ δ

三八 物植 (後出)を作成している。

…i

1 1 ≡≡

家人  大正10年(1921)発行の w普通教育に於ける芸術的

1 1 西 δ 類旗 陶冶』(東京同文館)では,

δ

1 1

車船 第八章の「十四 日本児童

五九

1 1 δ

物器 は何を描くか」において,

蜷ウ3年(1914)から大正

δ 1 1 様模 7年(1918)までの5年間に

1 1

δ

δ 種雑 わたって,主として長崎県 および東京市外,京都府,

広島県の一部の児童童8900

名の絵画,約26700枚につ

いて調査した結果を報告し ている。そしてまた,それとは別に,長崎県および東京市外の一部の小学児童8600名が描いた「随 想的記憶画」を多数の友人の手によって募集した。そのうち,4200名の男児の絵画の中の52560枚を 選んで調査した結果を報告している。この募集の主な目的は,もともと「児童は或る視覚表象を如 何なる発達時期に於て最も多く図絵的に発表し得るや22)」を確知するものであったという。これらの 調査によって児童が好む事物や画題を研究しそれが年齢の進行にともなって,どのように変わって

いくかを明らかにしておくことが,児童の心理要求に適さない画題をさけ,各年齢における創作力 を伸長させるための画題の基準を知ることができると考えた。

昭和3年(1928)発行のr図画教授の基本問題』(東京モナス)になると,詳しいデータには言及 していない。おそらく以前の調査をもとにした結果であろう。その結果を要約すれば,

①児童の自由画全体を通じて最も多く描かれているものは,植物,ことに樹木に関する描写であり,

また人物,器物,旗類,家屋,動物および船車に関する描写も多い。

②児童の各描写階段を通じて,男児は普遍的に多種多様の対象事物を描現している。女児は男児に 比較して取材の範囲が狭く,ある特殊な対象事物のみを好んで描現しているようである。

③男女児童どちらとも,始源描写時代には,取材の範囲が極めて狭く,自分が興味をもっている特

(6)

別な対象事物を描現する。しかし,年齢の進むにつれて画題の範囲が拡張される。とりわけ観念 描画時代の末頃から自覚描画時代の初葉にかけては,取材の範囲が非常に拡張される。さらに進 んで青春期に入れば,再び自己の愛好する特別な対象のみを描現するようになる。

④一般的にみた児童の画題選択の傾向は,細かにみれば,男女,個性,環境,教育によって,同一一 ではない。23)

という。そして,子どもの好んで描く対象事物を実際にとりあつかってみると,

0児童の年齢の増加にともなって段々と多く描かれる事物

②反対に年齢の増加にともなって段々と描かれなくなる事物

③年齢とは無関係に,常に児童が好愛して描く事物

④反対にいつも児童に嫌がられる事物

⑤ある時期に非常に多く画題にのぼり,それが忽然として描かれなくなり,再びある時期に非常に 多数に描かれるというような事物

などが明瞭になってくる職としている。

昭和8年(1933)発行のr児童図画心理学』(東京南光社)では,東京,茨城,福島,宮城,北海 道,新潟,静岡,名古屋,三重,京都,兵庫,広島,長崎,福岡,鹿児島,台湾,南朝鮮から募集 して,4200名の男児に自由に描かせた絵54560枚と670名の女児の2580枚を調査したと記されている。

論文「児童画の心理及び教育」から論文「児童の絵画と図画教育及び教授(三)」までにみられる描 画期発達区分の成立

論文「児童画の心理及び教育」(前掲,大正6年1月25日),論文「児童の絵画と図画教育及び教授

(一)」(前掲,大正6年4月1日),論文「児童の絵画と図画教育及び教授(三)」(前掲,大正6年7 月1日),r図画教授の基本問題』(前掲,昭和3年11月20日)における描画発達段階区分をみて,ど のような変遷をたどりながらその名称が成立していったかをみてみよう。

大正6年(1917)1月25日発行の「児童画の心理及び教育」では,児童画研究は「二 描画性発達の 経路」「三 各期における描画の対象」でなされており,「児童の描画性の段階」すなわち児童の描 画の発達段階を表【表B−1関衛作成】罰に示し,段階区分について解説している。さらに,同年4 月1日発行の「児童の絵画と図画教育及び教授(一)」で,あらたに着手した視点は,「描画発達の機 能的条件」である。「描画発達の機能的条件」とは,児童の描画を発達させる要件であり,「児童の 描画をして次第に発達せしめる三要件として,ボルト井 ン(ママ)氏の用語に従へば視覚心象,筋覚心 象,運動視覚の系列がある26)」と記している。児童の描画の発達は,「此三要素の調和発達によるも のに外ならぬ27》」という。そして,この論文においては,児童の描画の発達段階表として(第一表)

【表C−1関衛作成】認)をあげている。

「児童画の心理及び教育」での描画期発達区分が,【表B−1関衛作成】に示されているように「一 衝動的描画期」「二 遊戯的描画初期」「三 遊戯的描画中期」「四 遊戯的描画後期」「五 意思的 描画期」であったのに対し,また,【表B−2関衛作成】(前出)が「衝動的描画期」を第一期,「遊 戯的描画初期」を第二期,「遊戯的描画中期」を第三期,「遊戯的描画後期」「意思的描画期」を第四

(7)

【表B−1関衛作成】 (第一表)      期と設定していたのに対して,こ

【表C−1関衛作成】 の(第一表)【表C−1関衛作成】

では,「錯画時代」「位置排列時代」

「形象時代」という段階に設定し,

意志 遊戯 遊戯 遊戯 衝動

「錯画時代」を第一期,「位置排列

描書期 描書後期 描甕中期 描書初期 描豊期

形象 位置排 錯書

時代」を第二期,「遊戯的描画中 冝v「遊戯的描画後期」「意思的描 謚冝vに相当する「形象時代」を 第三期に設定している。同年7月

1日発行の論文「児童の絵画と図

画教育及び教授(三)」の描画期発

歳以後 歳より十 より十二 より七歳 より四歳

績時 八歳よ 五歳よ 出生よ

縫績

達区分(第三表)【表D.関衛作成】

Q9)においても同様である。

五歳 り十五 り七 り四 時期  「児童の絵画と図画教育及び教

(一)」の(第二表)【表C−2

関衛作成】30)は,【表B−2関衛作

慧時代

十歳より土歳 過渡時代 四歳

中心時期

十歳より土 過渡時

中心時期

成】の描画期発達区分の名称を改 ゚たのみであって,資料内容は何

逡マわらない。文中の

@  各期を通じて男児が普遍的 に多くの対象を描出するの に反して,女児は或る特殊 の対象をのみ描出せんとする傾向を有して居る。又男女の如何にかかはらず,鐙画壁伐に於て 特殊の対象より描画し初め, 多 、 に{ける遊,・ 面の全盛期に到って,其の観念界が拡 張され経験の多く なるに伴ふて普遍的に多くの対象を描き, 更に進んで絵画活動の衰退期に到 達して亦特殊の対象のみ表現するに至る傾向が表はれるのである。31)(下線は筆者による。以 下同)

は,先に記した論文「児童画の心理及び教育」の

男女の如何にかかはらず,衝動塑苗画塑に於て特殊の対象より描出し初め,遊戯堕画の全 盛期に到って,其の観念界が拡張され,経験の多くなるに伴ひ,普遍的に多くの対象を描き,

更に進んで絵画本能の衰退期に到達して亦特殊の対象をのみ表現するに至る傾向が表はれ

る。32)

と同文であり,描画期発達区分の名称を意図的にかえていることがわかる。

「児童の絵画と図画教育及び教授(三)」に掲載されている描画期発達区分,(第三表)【表D.関 衛作成】は,【表C−2関衛作成】に,「描画形式」の項を加え,絵画の主題を数字ではなく,絵画の 材題として言葉に置換している。しかし,先にも述べた通り,描画発達段階区分の名称は固定して

いる。

最終的に,どのような描画発達段階を設定するに至ったかというと,大正10年(1921)のr普通

(8)

(第二表)【表C−2関衛作成】 教育に於ける芸術的陶冶』

各期に 第三期 第二期 篁期

(前掲)では,初期研究の三段 Kのものとかわりがない。し

於ける

形象時 位置排 鐘蒔

描豊 かし,昭和3年(1928)にあ 轤墲オた『図画教授の基本間

封象 列時 階段 題』(前掲)の「〔二〕児童画

の図画的表現の発達段階33)」

製口

歳り八 り五 り出 においては,児童画の発達段 十歳

ワよ

七歳

ホよ

四生

ホよ 階を【表E.関衛の描画発達段

総   計

合性@ 別

@ に

@ よ v る

十十五三

ホ歳?諱

@り

至期二八

¥は歳歳一十迄よ

ホ歳(り)及全十  盛

灘 の 四歳 中心時期 階区分】のように分類してい 驕B

@このように関衛の描画発達 i階区分の名称も,研究とと 物人 もに何度も変化しながら設定 物動 されている。これはやはり,

δ δ 物植 関が常に研究の新しい局面と 家人 展開に鋭敏であり,新鮮な情

=: 類旗 報と思考を駆使しつつ,論及 車船 していたことをうががわせる δ 物器 ものである。

δ 様模 種雑

性 籍別

今日的視点からの評価

今日,描画発達段階区分名と諸特徴は, 【表F.子どもの絵画表現変容の段階】のようにまとめられ ている。関のものと比較した場合,「なぐりがき期(1歳〜)」を「始源描画時代(生誕後,初描画作 動〜4,5歳まで)」と名づけ,「錯画時代」ともいっている。衝動的無目的描画運動をするという特 徴づけは,子どもが描く線が何か見たものを再現しているわけではない,いわば「なぐりがき期」の 特徴のことである。

次に「前図式表現期(カタログ表現期,3,4〜5歳)」と「図式表現期(6〜7歳)」を「観念描画 時代(前期・後期)(5〜10歳頃まで,幼稚園,小学校第1年)」と名づけている。自分の知っている ことを表象から輪郭画的象徴的に描現するという特徴づけは,「図式表現期」の特徴である(1)何ら かの「お話」がある場面の表現(2)線描中心(3)正視の形の描写(4)正視の形の組み合わせによる図式 表現(5)透明表現(レントゲン描法)と一致する。自分の知っていることを象徴的に描現することを,

今日「知的リアリズム(知的写実性)」ともいっている。

「前写実期(10〜11歳)」と「写実期(11歳〜)」については,「自覚描画時代(10〜14歳頃まで,

小学校第4〜8学年・中等学校1,2学年)」と名づけ,描画活動が意思によって目的を自覚しておこ なわれるようになるという特徴づけは,「前写実期(10〜11歳)」の絵の中の場面に入り込んでイメー

(9)

粗細

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灘駆 bi譲

鯉細

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1 細盤 丑矧%

X図軽 懸魑・樽・ΨQ摯Q潔細砲摂v°

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(10)

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@◎9 、_ぞ邸 }鄭鰹蕪卦熱

野讐一

薄画圏羅(趣叶 難誼遡潔

壇回粗霊軽

盤回娯鑑 蟄回輝姻緯

(11)

ジの世界に遊んでいた自己が絵の外に出て,外界を観察するような作画態度に変化していくという 特徴と一致している。「視覚的リアリズム(視覚的写実性)」の発達もこのころであるという点でも 合致している。

また,自分の図画を評価して完全に近づこうとするが,理想通りに描くことができなければ創作 的興味を失うという特徴づけは,「前写実期(10〜11歳)」と「写実期(11歳〜)」にみられる観察描 写の意欲に比例してその表現がうまくいかないと描画の意欲を失うという特徴や,再現描写を追求 する意識しかもちあわせていない場合に,袋小路にいく危険があるという特徴に合致している。

「芸術的復活期(15歳〜)」については,「再生描画時代(15歳頃〜)」と名づけている。思春期と ともに創作的興味が再生し,復活する時期であり鑑賞するのみであるという特徴づけは,「芸術的復 活期(15歳〜)」の,画面の論理性が意識され,それと内的イメージを拮抗させながら表現を表出で きるようになり,実製作よりも鑑賞や知的な芸術の享受の方が自己実現できる(想像的な芸術表現)

を可能にする場合もあるという特徴と一致する。

このように,関衛が最終的に設定した描画発達段階は,段階区分もその特徴づけも今日のものと 合致している。ただ,段階区分(時期区分)の名称が異なる。関による児童画研究の内容が,ある 意味でわれわれに新鮮な印象を与えるのは,今日の研究結果を先取りして児童研究を展開していた 点にあると考えられる。

以上の研究の結果,児童の描画活動と感情との関係は本源的なものであるから,児童に対する図 画教授の出発点を「児童が自ら好んで画く力」におかなければならず,児童の発達の各時期におけ る描画活動の特徴を看取し,それに応じて的確な指導をすることが肝要であるという主張に至って いる。同時に,児童生徒の個人的稟賦に適応しない図画教授は,決して満足な教育効果をおさめる ことはできないものなので,児童生徒の個性に適した図画教育の方法を確立するためには,どうし ても図画の稟賦や図画活動などを心理的に分析して見なければならないとも主張している。これら の結論は後に,美育を科学的な教育学として捉えていこうとするときの論拠となっていく。

関衛の芸術教育の研究方法は,【表3.関衛年代別執筆一覧表】舗における執筆順序からも理解でき るように,美育の理想よりも児童研究から出発した。特に,r普通教育に於ける芸術的陶冶』(前掲)

「中編」の内容は,児童の発達とその教育的観察に研究の焦点があてられている。そこではさらに,

脳組織や感覚神経について言及している。同時に,直接,新生児に実験をおこなって新生児の色に 対する反応を調べている。これによると,新生児がはじめて色に反応を示すのは生後90日目であっ たという。また,幼児が何色を好むかという実験では,幼児の眼の前に長方形の太陽スペクトラム の色帯を見せてこれを観察する。観察経過を経て幼児が赤榿黄の「明快なる陽色を好むお)」という結 果を出している。この新生児に対する研究は,何名の新生児を対象におこなったのか詳細ではない。

しかし,ヴントの精神発達学やモイマンの実験教育学に触れつつ,美育という思想史な範躊に科学 的根拠をもった図画教授法を確立しようとしたこのような彼の努力は評価できるものである。

(12)

注  記

1)「長崎県教育雑誌』第271号(長崎教育会,1915年4月25日),24−25頁。

2)雑誌r小学校』第23巻第8号(同文館1917年7月15日),17頁。

3)『長崎県教育雑誌』第292号所収(前掲,1917年1月25日),22頁。

4)雑i誌『教育実験界』第38巻第4号所収(教育実験界,1917年4月1日),52頁。

5)注1同雑誌,24頁。

6)同上。

7)同上。

8)同上。

9)同上。

10)同上雑誌,26頁。

11)同上雑誌,24頁。

12)同上雑誌,25頁。

13)同上雑誌,26頁。

14)同上。

15)同上雑誌,27頁。

16)注3同…雑誌,19頁。

17)同上。

18)同上。

19)注15に同じ。

20)注3同雑誌,19−20頁。

21)注4同雑誌,52頁。

22)『普通教育に於ける芸術的陶冶』(同文館,1921年),426頁。

23)関衛,r図画教授の基本問題』(モナス,1928年),211−214頁を要約。

24)同上書,214−215頁を要約。

25)注3同雑…誌,19頁。

26)注4同雑誌,53頁。

27)同上。

28)同上雑誌,54頁。

29)雑誌r教育実験界』第38巻第7号(前掲,大正6年7月1日),48頁。

30)注4同雑誌,56頁。

31)同上。

32)注3同雑誌,19−20頁。

33)『図画教授の基本問題』(前掲)198−211頁。

34)学位(博士)論文「関衛研究一関衛(せき・まもる,1889−1939)と大正期芸術教育思想の展開一」(筑 波大学,1994年)ならびに論文「関衛(1889−1939)の業績一覧」(『茨城大学教育学部紀要』第46 号所収,茨城大学教育学部,1997年)に収録されている。

35)注22同書,246頁。

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