茨城大学教育学部教育研究所紀要21号(1989)45−52 45
明治期中等学校図画教員の研究(4)
関 東 地 方 金 子 一 夫
1.はじめに
本稿は『茨城大学教育学部紀要』第38号に発表した同題の論文(3)に続くものである。埼玉県と神奈川県に おける明治期申等学校図画教員の一覧を作成して示す。調査の目的,方法等は同誌第37号に発表した(1)に述 べた。
2.埼 玉 県
埼玉県の図画教員の勤務の特徴は特にない。ただ,埼玉県では明治19年に公立中学校が廃止され,28年まで設 置されなかった。28年以後も学校数が少なかったので全体としてやや寂しい印象である。
埼玉県師範一以前の「明治期師範学校図画教員の研究」(『茨城大学教育学部紀要』第32号,1983年)
に発表した内容との違いはない。植松謹蔵については本論文(3)の栃木県立工業学校の頃でやや詳しく触れた。
西垣,鹿子木,福原と不同舎出身者が続く。
埼玉県女子師範・県立高女一県立高等女学校が明治33年,私立埼玉女学校の生徒を引継いで開校。明治 34年女子師範学校が設置され,県立高等女学校はそこに併設の形になり,明治44年に分離するまで続く1)。
図画教員は大正3年まで兼任する。図画教員の勤務期間は「百年史埼玉大学教育学部』(昭和51年)所収の 教員一覧を参照。村越三千男は植物学も担当した教員で『普通植物図譜』(明治39年)他多くを著し,さ あさと
し絵全部を自分で描いている。絵画修業歴等については不明。工藤農と調査理英は(1)の秋田県大館中学の項 で述べた。明治44年に工藤が大館中学に行き,大館中学の中西が埼玉県女子師範に赴任し,勤務先を交替す る形となる。
浦和申学一浦和には明治8年に中学校が設置されるが,!9年の中学校令によって廃校となり,明治28年 再設置,29年開校となる。図画教員は最初の明治29年から大正13年まで桜井節雄が勤める。桜井は東京美術 学校日本画科の出身であるが,明治29年度の使用教科書は浅井忠の「中学画手本』と平瀬作五郎の「中等教 育用器画法』である2)。日本画科出身の図画教員が毛筆画教科書を使わないで,鉛筆画教科書を使うことは 珍しいことではない。
熊谷申学一図画教員名及び勤務期間は「(熊谷高等学校同窓会)会員名簿』(昭和50年)を参照。石川 林平は静岡県掛川の出身で掛川申学の遠藤確山(政徳)や師範の川路新吉郎に学んだ後,不同舎で小山正太 郎に学んだ。小野田伊久馬は埼玉県師範の卒業で専門は博物学と思われるが,龍吟と号し『日本新画帖』
(●セ治33年)や「小学校図画科実験教授法』(明治34年)の著作をもつ図画教員でもあった。田中春吉,高 木左直の経歴等は不明。
川越中学一明治34年から大正7年まで中一十が勤務。中の勤務期間等は川越高等学校からの教示による。
中は師範学校の図画教員であった植松越訴に学び,その後埼玉県師範学校に編入学し,卒業後,植松の後任 となった。その後,小学校校長,私立埼玉中学教員を経て第三中学(川越)の教員となった。
46 茨:城大学教育学部教育研究所紀要21号(1989)
粕壁中学一勤務期間は春日部高等学校の『やぎさき一八十周年記念誌』(昭和54年)所収の旧職員表 を参照した。電縫に菅野,小室の勤務期間は記されていなかったので,春日部高等学校からの教示によって 確定。野村邦己の経歴等は不明である。
私立埼玉中学一明治13年創立,明治19年の中学校令によって廃校,20年に私立埼玉英和学校として再設 置。大正10年,県立に移管し不動岡中学となる。勤務期間は『(不動岡中学校)開校五十年史』(昭和ll年)
の旧職員表を参照。山田源次郎は経歴不明であるが,数学と図画の担当なので,図画は専門でないかもしれ ない。山内菊次郎は新潟市出身で「日本美術年鑑』(大正元年)によれば渡辺文三郎に師事した。 「彰技堂 門人帖」に名があるので,本多錦吉郎にも短期間就いたと思われる。
浦和高女一県立女子師範の項で既述。
月越高女一勤務期間等は川越女子高等学校の教示による。池上恭助は多数の教科を担当しているので図 画が専門ではないと思われる。沢田は川村雨谷に学んだ図画専門の教授嘱託である。
その他一川越染織学校には川越申学の申一十が,県立農学校には熊谷申学の小野田伊久馬が一時期兼 務したことがある。
3.神奈川県
神奈川県も公立中学校の設置が遅れたので,図画教員の勤務一覧としては内容が少ない。しかし,早くか らミッション系の女学校が多く設立され,図画教員が長く勤務する場合が多い。そして,それが神奈川県の 図画教員勤務の特徴であると言えよう。
神奈川県域範一前罪「明治期師範学校図画教員の研究」との違いは,小泉成一の勤務期間が宮城県図書 館所蔵の履歴より確定したことである。
神奈川県女子師範一図画教員は県立高女と兼任なので県立高女の項で述べる。
第一申学(横浜)一明治30年創立。開校後からずっと井上啓次が図画教員として勤める。井上は明治美 術学校に学び,明治29年に明治美術学校が解散した後は松岡寿に就いた3)。岡山県出身で明治8年生まれで
ある。
第二中学(小田原)一勤務期間は「小田原高校六十年史』(昭和36年)の旧職員表や当時の中等学校職 員録,図画教育雑誌の会員消息欄記事から推定。守屋は高等師範学校手工専修科の卒業であるが,中学校な ので専ら図画を教えたのだと思われる。
第三申学(厚木)・一勤務期間は当時の中等学校職員録や『東京美術学校一覧』の卒業生の項より推定。
後藤矩一は明治31年頃から戦役に従し,第三中学に就職したが,明治37年再び応召し,翌年奉天で戦死。柴 田節蔵は栃木県真岡中学校の項で述べたように,松井昇,和田英作,岡田秀等に学んだ洋画家。田中春吉は 埼玉県熊谷中学に勤務したこともあるが,経歴不明。ただ,熊谷中学勤務前に埼玉県の小学校の教員を勤め ているので,埼玉県師範の出身であると思われる。
第四中学(横須賀)一勤務期間は『(横須賀高等学校)創立六十周年記叢誌』(昭和43年)所収の旧職員 名簿を参照。巌本は父巌本円嶺に学んだ日本画家。高木義幸については経歴不明。
県立高女一明治32年創立。明治40年から新設の県立女子師範と図画教員は兼任。勤務期間は『横浜平沼 高校)真澄会名簿』(昭和56年)の旧教員表を参照。ずっと毛筆画教員が続く。森喜一は金沢で最初父に就 き,次いで狩野派の佐々木皇恩,洋画家市村才吉郎に学んだ。小学校訓導を勤めた後上京,荒木寛畝に入門 し,白畝と号した4)。河端直は巨勢小石に師事した日本画家。その後は松岡,多賀屋,山辺と東京美術学校
金子:明治期中等学校図画教員の研究(4) 47
絵画科(日本画科)卒業の教員が続く。松岡輝夫は後の大和絵の大家松岡映丘で,柳田国男の実弟。多賀屋 健吉は後にいくつかの師範学校を経て東京美術学校図画師範科の教授となった。山辺は後に熊本県第一師範
に移る。
逗子開成中学一勤務期間は当時の中等学校職員録より推定。松川は千葉県木更津中学で触れたように,
岡田秀に学んだ人。
共立女学校一勤務期間は「横浜共立学園六十年史』(昭和8年)の記事を参照。ただ,それによっても 明治27年頃林窮が就職したこと,大正期には別の図画教員になっていることしか判明していない。林につい ては次のフェリス和英女学校の項で述べる。
フェリス和英女学校一明治16年から大正6年まで林hが勤める。勤務期間は『フェリス和英女学校四捨 年史』(昭和6年)および林の「葬儀次第」所収の「故林蕩氏略伝」を参照5)。この略伝によると林翁(嘉 永2・8・1〜大正15・7。14)の経歴は次の如くである。美濃国駒塚村石河佐渡守の家臣清水政義の子と して名古屋に生まれる。明治5年に加島信成に洋画,池田小華に日本画を学ぶ。明治ユ0年勧業博覧会に岐阜 県吏員として出張,その時美術館で絵画に感動し,明治11年再び上京し本多錦吉郎に就く。さらに工部美術 学校に入る。主にサン・ジョヴァンニの指導を受けた。在学中,学資のために横浜に酒店を開いていたらし いが,長男の死後,洗礼を受け,美術学校修業後横浜の女学校の図画教員となる。明治19年横浜禁酒会を創 立し,会長に推されたという。この会は後に日本禁酒会となり,さらに明治30年に全国禁酒同盟会に発展す る。林はこの会のために富士実景一一万枚を描いたと言う。以上のように工部美術学校卒業生の中でも異色な 人であった。
横浜高二一明治35年から昭和1!年まで平井鐵次郎が勤める。勤務期間,経歴等は横浜学園高等学校から の教示による。平井は木村立嶽に学び,後に荒木寛畝に就いた日本画家で,立明と号する。平井は同校に36 年間勤めたことになる。
上記女学校一明治39年頃,第一中学の井上啓次が二二師として勤務。ただ,同校の資料焼失のため勤務期 間は不明。また本稿の範囲外になるが大正8年から昭和ll年まで小倉(溝上)遊亀が図画教員として勤務し
た。
横須賀高女一明治39年4月の創立より昭和6年以降まで村岡貞一が勤める。就職時期は『(横須賀高等 女学校)創立三十五周年』(昭和6年)を参照。村岡は東京美術学校ff本下下の出身。昭和ユ0年に没した。
その他一大磯にあった女子三業学舎には明治41年頃,露木良策という図画と体操を担当した教員がい た。また,秦野女学校には同じ頃,宮川憲吉という数学,植物とともに図画を教えた教員がいた。おそらく 図画専門ではないと思われる。小田原高女は明治41年創立であるが,最初は小田原中学の青木一が嘱託教授 を勤める。横浜商業学校は明治15年の創立であるが,図画専門の教師はいなかったらしい。明治30年代に坂 本盛一,41年頃天野清という図画科担当者がいるが,いずれも多数の教科の一つとして図画を教えている。
注
1) 「(埼玉県立浦和第一女子高等学校)創立八十周年記念誌m(同校,1980)。
2) w(埼玉県立浦和高等学校)銀杏樹一八十周年誌』(同校,1975),57頁。
3)井上啓次「松岡先生を想ふ」松岡寿先生伝記編纂会。「松岡寿先生』(同会,194i)155〜157頁所収。
4)東京都公文書館所蔵旧東京府学務課文書中の履歴による。
5)この資料に関しては林の知人である友野宏弥氏の御好意によって知ることができた。
48 茨城大学教育学部教育研究所紀要2ユ号(1989)
付 記
本稿執筆にあたって多くの諸機関,諸個人に御教示,御協力をいただきました。以下に御名を記し,御礼申し上げます。
1.高等学校関係
埼玉県立熊谷高等学校,周川越高等学校,周春珊部高等学校,同川越女子高等学校,神奈川県立小田原高等学校,同厚木 高等学校,逗子開成高等学校,フェリス女学院資料室,捜真女学校,横浜学園高等学校。
2.諸個人 友野宏弥氏
図 の 凡 例
。 校名は原則として地名を冠した明治末年時の名称で統一したQただ,神奈川県の場合は大正2年から地名を冠した名称 となるので( )内に地名を入れた。校名の変遷は繁雑になるので記入していない。創立と廃校の時期は縦の二本線で示し
た。
・ 実線は勤務の期間を示し,その両端の数字が就任と離任の年月を示す。前任者と後任者の就退任の月は/で分けた。
38.8/12は前任者が明治38年8月退任,後任者が同年エ2月就任を示す。同一人が同一年内に就退任した場合は38.8一エ2 のように一で示した。38.4−12はある教員が明治38年8月就任嗣年12月退任を示す。端が矢印の場合は,その時点までは 勤務が確実なことを示す。
。 破線はその附近の勤務と思われる場合,または勤務が確実でも図画担当が不確実のことを示す。
・ 人名の後の括弧内には修学校名あるいは師匠名を記入した。数字は卒業または終了の年月。複数箇所に学んだ場合,原 則として後の方を記入したが,重要と思われる場合,複数箇所や前の方を記入したこともある。
明治5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 4ユ 42 43 44 45
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29.112
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(東美日)……東京美術学校日本画科
(東美西)……東京美術学校西洋画科
(東美図講)…東京美術学校図画講習科
(京府西)・…京都府画学校西宗
(京市美)……京都市立美術学校
(東工)・……東京工業学校
(東師)…………東京師範学校
(東高師手)……東京高等師範学校手工専修科
(東高師為手)…東京高等師範学校図画手工専修科 その他は以上の要領に従って略記。
第1図 埼玉県の図画教員勤務一覧
49 50
明治5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45
11.5 14.8 19.4 22.1 23.11 31.6 34.12 35.4 3 .8 ㊥ 39.4 昭和.
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第2図 神奈川県の図画教員勤務一覧
51 t一 52