Ⅴ 平成15年度の研究の成果と課題
1..視点(1)友達の論理との絡みにおけるその子ならではの学びを構想する
本年度の研究では、教科の認知を追究の軸としてその子ならではの学びを構想していく時、教師は 友達の論理との絡み合いやその場の学級の雰囲気がその子の追究に影響を与えると考えていた。その 子ならではの学びの構想を立てて子どもたちの追究を追っていくと、子どもは、教科における認知と 情意とを常に結びっけながらも、共に追究する友達の論理によさを感じたり、差異を気にしたりして 自らの論理を変容させていった。実際に行った授業の中では、友達の論理との絡みによってその子の 論理が大きく揺さぶられたり、強まったりしている子どもの姿が多くあった。
たとえば、国語におけるM子さんの追究である。全体の話し合いでは、登場人物の立場で二人の関 係について語る子や、自分の友達関係の中で感じてきたことをもとにして発言する子がいた。そこで は、登場人物と自分自身、自分自身と周りの友達の考えとの間で思い悩む子どもたちの姿が見られた。
M子さんは、教材文に出てくる二人の登場人物が、物語の中で友達になったか、なっていないかが気 になっていた。M子さ,んの発言からは、自分の「友達」に対する考えを幾度となく変えているように 見えた。しかし、言葉では自分の考えを度々変えているようだが、彼女は「仲の良い二人でいてはし
い」と常に願っていた。本文中の『何よりも友情を大切にする』という言葉に強く響きながらも、
「友達関係に嘘があってはいけない」「相手が傷っかない嘘はいい嘘」という友達の考えに自分の友達 に対する日頃の思いを感じることで彼女の心は揺さぶられた。彼女は、友達がどうしてそう感じるの か聞き返すことや、正直に言わないと友達ではないと友達の考えに反論する中で、追究の軸となって いるM子さんらしい「友達」に対する価値観を見っめることになった。友達の考えとの間で思い悩み ながらも、彼女なりに「二人は友達になったのか」を判断していった。彼女は、話し合う先には互い にわかりあえるような結論が導き出せると思っていた。また、友達と話し合うことの心地よさも味わっ ていた。追究の最後に「二人の気持ちが分かりました。二人はお互いに大切な人なんだなと思いまし た」と自分が願っていた二人の姿に出会えた。友達の論理に出会うことで、彼女は「友達」に対する 価値観を広げたり、強めたりした。そのことは、彼女が自分の生活の中での友達関係と重ね合わせ、
友達の論理と絡み合いながらも自分自身を見つめている姿であったと考える。
子どもたちは、相手に自分の考えを伝えようと一生懸命話したり、なぜ伝わらないのかと自分の考 えを見っめて言い方を変えたりしてわかってもらおうとしていた。時には自分の考えを変えていかな くてはいけないと思ってみたり、自分の生活経験から登場人物が友達になったのかを考えたりする子 もいた。子どもたちは、「友達」への思いを強め、友達の論理とが絡み合うことで自らの論理を見っ めていく。その学級でしか醸し出せない雰囲気の中で、子どもたちはその子らしい姿を表していた。
子どもたちは、教科の認知を追究の軸として、友達に自分の考えを伝えたり、友達の考えを受け入 れたりしていた。また、子どもたちは、自分の考えを友達に伝えることや意見をぶつけ合うことに楽 しさを感じ、その子の論理は友達の論理と絡み合った姿として表れていた。友達の論理に賛同や共感 をしたり、時には憤りや差異を感じたりする中で、子どもたちは自分の内にある伸びようとする芽を 表出し、自らの論理を見っめていた。子どもたちは学級の醸し出す雰囲気の中で、互いに自分の考え を伝え声り、友達の考えを受け入れたりしてそれぞれの人がもっているよさや可能性を感じていく。
共に追究する友達のよさや可能性を感じた子どもたちは、当初自分がもっていた価値観を広げたり、
強めたりしながら自分らしくなり、自分のよさや可能性を感じていくことになった。このことは、
「友達の論理との絡み」の中でのその子ならではの学びが明らかになった姿であり、学級という共に 学ぶ雰囲気の中で「子どもは常に、友達と共に学ぶ存在である」ことを確かにした。
2.視点(2)「とらえ・願い・関わり」からその教師の内面に迫り、教師の学びを探る
■本年度の視点(2)では、とらえることの大切さが改めて浮き彫りになった。子どもの追究が進んでい く中で、子どもはどう感じているのか、本当にその子らしいのかと、とらえに立ち返る教師の姿があっ た。目の前の子どもの姿から教師は、なぜそう思ってしまうのか、子どもへの見方を自問自答してい
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た。その積み重ねの中で、その子への「とらえ・願い・関わり」がよりその教師らしくなっていった。
その子が論理を変容させ、その子らしくなっていく時、学びを支える教師は自分のとらえでよかった のかと、自分自身を見つめることで、子どもへの見方を広げていった。
実際の実践の中では、教師が自分自身の構想をふり返り、思い悩みながらも子どもへのとらえを見 つめる場面が随所で見られた。理科のカエルの解剖を行う追究の中で、教師がとらえた以上の表れを 見せる子どもがいた。S男君は生き物への恐れからカエルの解剖へは積極的に取り組めないのではな いかと教師は思っていた。しかし、彼は教師の当初構想していたとらえを大きく越え、黙々と解剖に 向かっていた。S男君は、自らの対象に働きかけ、自らの論理を強めたり、広げたりしながらその子
らしくなっていったのである。彼が解剖と向き合い、自分自身で解剖に踏み切ることに価値があると 考えていた教師は、彼自身が解剖する判断をしたことに彼の達しさを感じた。彼への願いをもちなが ら彼の判断を見守っていた教師は、自ら解剖に立ち向かって行く彼の姿に魅了され、感動し、彼への 見方を広げていくことになった。同時に、今までS男君に対してどう関わることが彼を支えることに なるのかがは三きりとせず踏み出して行けなかった教師が、彼へのとらえをもとに自分自身を見つめ、
自然に関わりがもてたことで、教師は自分らしくなっていった。
自分の構想とは違う表れをする子や構想通りの表れを見せる子もいる。どちらも目の前の子どもの 表れこそが、教師がその子どもをとらえていく時の蓄えとなる。教師が子どもの表れを蓄えつなげて
いくことは、その教師のその子への見方の広がりになっていく。さらに、教師がその子の伸びようと する芽に働きかけ、関わった自分の内面を見っめ、自分らしさとは何かを改めて考えることで、再び 子どもにかえっていく。とらえと自分自身を見っめた教師は、その人らしい目で子どもを幅広く見る ことができるようになる。教師が自分の内面に迫っていく様は、その教師が自分らしく子どもへの見 方を広げていくことであり、これを私たちは教師の学びであると考えた。しかし、子どもへの見方を 広げることだけが教師の学びだとはっきりと言い切れないことから、子どもと共に歩む教師の学びと
は何かに踏み込んでいく必要性を私たちは強く感じた。
実践の中で起きている教師が自分らしくな\っていくような例は、その教師一人だけに起こることで はない。同じ場を共にする教師同士が、その子ならではの学びを探る一人の教師の内面に迫ることで、
それぞれの子どもの見方を共有していくのである。追究過程に書かれている内容についての話し合い では、自分の内面に立ち返りながら互いの見方を出し合い、教師同士の論理がぶつかり合うこともあっ た。子どもへの「とらえ・願い・関わり」という教師の内面を深く吟味し、自分の思いを伝えたり、
同僚の考えを受け入れたりしながら互いの心の内に迫っていった。一人の内面に迫っていく過程では、
他の教師との違いに気づき、自らの内面を見っめていく。このように、子どもと教師が自分らしくなっ ていくことは、副題「自分らしくなっていく 子どもと教師との営み」に対する教師の具現の姿だと 言える。
これら2つの視点から、私たちは、子どもと子ども、子どもと教師が織り成すこと、すなわち営み の中で「その子どもらしさ」「その教師らしさ」「そのクラスらしさ」を感じてきた。子どもと共に過 ごす学級の雰囲気を感じ、子どもへの「とらえ・願い・関わり」に厚みを増していくことで「その子 ならではの学び」を見出せると私たちは考えた。
3.これからの課題
私たちは、本年度、教科での授業を通して、子どもと教師がつくり出す営みを大切にしながら、そ の子ならではの学びを構想していくことの必要性を感じることになった。それは今一度「とらえ・願 い・関わり」を見っめ、改めて「子どもの学び」を子ども側から、教師側から明らかにしていく時で あるということでもある。そこで、来年度の視点を次の2つのように設定していく。
(1)子どもへの「とらえ・願い・関わり」から、その子ならではの学びを構想する
(2)その教師らしさに迫ることで、教師の学びを明らかにする
(1)については、私たちの考える「学び」というものを改めて見っめていくことを意味する。教材は その子との営みの中で生み出されるもーのである。教科における認知、友達関係、自己内対話や子ども
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との営みをもとに、その教師がどのように子どもをとらえ構想してきたのかに立ち返る必要がある。
本年度、友達の論理との絡みに視点をあてたことで、その子ならではの学びには、友達の存在や子ど も同士の絡み合いが深く関与していることが見えてきた。学びを構想していく過程で、子どもを十分 にとらえられていないことや、思いもよらない子どもの表れに出会った時には、教師はその子らしさ をどのよう′に考えるのかと自らのとらえを今一度見っめ直すことにもなった。その上で、子ども同士 がどう絡んでいるのか、どうしてそのようなことが起きるのかなど、その子を取り巻く背景やその子
のよさや可能性など、もっと幅広くその子との営みの中で学びを構想する必要性を強く感じた。 そ こで、来年度は、その教師がその子との営みの中で子どもをどうとらえてきたのかを絶えず見っめて いきたい。今の子どもの姿を見っめ、子どもと子ども、子どもと教師、教材、教科の特性が子どもの 学びをどう際立たせていくのかを考え、その子への「願い・関わり」を十分に吟味し、その子ならで はの学びを構想していく。出会わせようとしている教材で構想する学びは、その時教師がどんな営み をもとに考えているかによって異なってくるだろう。その際に、その子らしさをとらえた教師が何を 願い、どのように子どもべ関わり、学びとして子どもにどうかえしていくのかを吟味していくことが 大切である。教材はその子との営みの中で生み出されるという、学びを構想する私たちが大切にして
いることに立ち返り、改めて学びとはその子ならではのものであることを見っめ直すことになる。
このように、子どもと教師との営みの中で「とらえ・願い・関わり」を繰り返すことは、子どもへ の見方を広げながら、−その子ならではの学びの構想を可能にするだろう。
(2)では、子どもの姿をもとにその教師ならではの教師の内面にさらに深く迫っていく。
教師は、その子ならではの学びを感じている時でさえ、常に新たな目で子どもへの見方を広げてい く。自分の構想とは違う子どもたちの姿や構想を越えた表れを見せている子どもに教師は立ち止まる 姿が見られた。本当に自分のとらえでいいのかと、自分の構想とは違う子どもたちの姿に、今までの
とらえでは今のその子にどう関わっていいのかわからなくなり、思い悩んでいく教師の姿を見ること が多かった。そんな時こそ、教師はその子との営みをもとに今までのとらえをもう一度見っめ直し、
新たな関わりとしてその子にかえしていかなければならない。このような積み重ねの中で、その子へ の見方がその教師らしく広がり、その子への関わりもまたその教師らしくなっていく。
教師のその子への見方の広がりは、その子と自分との間にある営みの中から生み出されてくる。子 どもと教師との営みを積み重ねていくことで、教師自身が自分らしくなっていくことを感じていける のである。子どもが学んでいる時、子どもの姿をもとに自らの内面に迫る教師は、その子への見方を 広げていき、自分らしく関わることに教師の学びもあると考えていきたい。
具体的には、追究過程で問いに位置付けた教師の内面を子どもの表れをもとに話し合う場では、そ の子の追究の姿に感じる互いの見方や感じ方、考え方を教師同士がぶっけ合うようなことにもなるだ ろう。教師の子どもへの見方はどうか、自分がその立場だったらと、自らの内面をぶっけ合うことで、
自分自身はどうなのかと改めて立ち止まり自らの内面を見っめていく。その時、教師は子どもに対す る見方や感じ方、考え方に広がりや強まりを感じることになる。
さらに、自分自身を感じていくのは一人だけで行うものではなく、教師同士が互いに子どもたちの 追究を追う中で、その教師の内面により鋭く迫り、語っている教師自身も自分の変わりように気がつ
いていく場にもなる。このように、その教師らしさに迫ることで、子どもの学びを支える教師の学び が明らかになってくるものと考える。
これら2つの視点をもとに研究を進めていく。その際に、具体的な研究内容を記すためにも顕在化 できる可能性があるものについては積極的に取り組んできたい。今まで取り組んできた、教材に込め る願い、追究過程、本時案の充実と共に、学びの履歴や本校の考えるカリキュラム、追究過程の表し 方、教材と教材とのつながりなど、子どもの学びを具体的にできることについては今後検討したい。
私たち教師だからこそできることがある。それは、子どもに対する見方を少し広げることであり、
より幅広く子どもたちをとらえることだ。教室の中で起こる小さな出来事に目を向け、ゆっくりと時 間をかけた積み重ねの中で、子どもにとっても教師にとっても学校が学びの場となっていくことを私 たちは願いたい。
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