基調講演・ラウンドテーブル報告
現代の教育的課題と創価教育
創価大学教育学部 教授 西 穣 司
開 催 日 平成22年12月4日 午後1時半より 会 場 創価大学大教室棟 S201
コーディネーター 宮崎 猛(創価大学教職大学院 准教授)
話題提供者 佐藤 正(青森県公立小学校 教諭)
成清 敏治(東京都公立中学校 教諭)
松浦 賢一(北海道公立高等学校 教諭)
司 会 長島 明純(創価大学教職大学院 准教授)
Ⅰ 基調講演
序―本講演の意図と構成
みなさま,こんにちは。本日はお集まり頂きまして,誠にありがとうございます。
本日は基調講演といたしまして「現代の教育的課題と創価教育」についてお話をさせ て頂きます。大学教員としての経歴を重ねてきた,日本の教育学を進めている一人の 人間の意見としてお聞き頂ければ幸いでございます。私の話の内容は最初に現代の教 育的課題,あまり教育分野に限定しないで,今日の時代,社会そして日本という国全 体の共通の課題を最初に基本的に広い視野から捉えたいと思います。その上で特に今 日は,学校教育の専門家としてご努力を頂いている現職の先生方も多くご出席いただ いておりますので,特に日本の学校教育の中身に関する現状における問題を2番目の 柱として論及致したいと思います。私はここでは,果たして日本は本当に学校教育を 大切に真剣に展開しているだろうか検討したいと思います。はっきり言って,これほ ど教育を軽んじている国はないという気さえ致しますので,そのことを率直に申し上 げたいと思います。そして,第三番目が,本日の主題でありますそのような現代の教 育的課題に対して創価教育はどのように考え,どのように取り組んでいこうとするの か,私の立場から,目指すべき創価教育の基本的特徴とその展望をお話し申し上げた いと思います。
−203−
1 現代の教育的課題
1)人間(とくに子ども・青年)の発達環境の貧困化
そこで,これから第1部から進んで参りたいと思いますが,みなさんいかがでしょ うか。最近の日本の子どもたち,幼い就学前の子ども,あるいは小学生,そして中学・
高校の青年たちは,本当に将来への深く高い希望を持って生き生きと日々の生活を 送っているでしょうか。大変残念ですが,日本の子どもたちの現状について,レジメ に発達環境が貧困化していると記させて頂きました。これは例えば経済的に困窮して まともに食事ができないとか,衣服さえも充てがわれていないとかという意味ではな くて,実は人間としてバランスのとれた発達をしていくという点で,大変貧しい環境 条件に置かれていると認識するわけです。例えば,これは既に公表されているデータ ですが,日本青少年研究所が実施した高校生の学習意識と日常生活調査報告書という のがございます。2005年3月に発表された調査ですが,対象は日本,アメリカ,中国 の三ヵ国の高校生です。この調査結果の中で,自分のことを物事に積極的に取り組む 方だ,リーダーシップをとるのが好きだ,自分の欲望をコントロールする方だ,よく 勉強する方だ,という自己認識を尋ねられた結果,実は我が国の高校生はアメリカ・
中国に比べて肯定的な回答をした率が一番低い。日本の高校生が,かなり厳しい認識 を持っている。高校生だけではなく,小学校,中学校の子どもたちについても,内閣 府が平成19年2月に実施した低年齢少年の生活と意識に関する調査報告では,自分に 自信があると回答した小学生は47.4%。実はこのデータは平成11年9月の調査よりも 約10%低下しています。自分に自信が持てない,勉学や進学についての悩みや心配事 がある,特に中学生に関してですが61.2%,そして友達や仲間とのことで悩みや心配 事があると答えている中学生が20%います。しかし,いずれも同じ項目で調査された 以前の結果よりも,勉学や進学についての悩みや心配事があるという生徒は約15%増 えています。あるいは,友達や仲間とのことで悩みや心配事がある生徒も12%も増え ています。
私たちが考える以上に,今,日本の子ども・青年は必ずしも安定して生き生きとま た伸び伸びと人生を開拓してゆこうとしていない。全ての子どもではございません が,経済的に困窮はしていないにしても,実は精神的な側面,あるいは落ち着いた一 人ひとりを広い視野に立って温かく支えてくれるような発達環境に置かれているかと いうと,決してそうではない。今のこの青年の話に一つだけさらに加えておきたいと 思うのですが,日本の高校生は,同世代の97%以上も進学している。就学率という点 では国際的に見て非常に高い水準にあると言えます。しかし,日本の高校生は,本当 に,真剣に学んでいるでしょうか。毎日新聞社が2004年10月に調査したデータがござ いまして,高校生の内,学校外での学習時間ゼロ,つまり学校外では一切勉強しませ んと回答している高校生が44%いる。もちろん,そんなの当たり前だとおっしゃるの かもしれませんが,またそういう見方をされる人があるかもしれませんが,やはりこ
−204−
れは異常に近い,このまま認めるわけにはいかない。形の上で確かに進学率や就学率 は高いかもしれないけれども,本当にこの時代に価値のある意味のある学びの経験を していない恐れがある。確かに,一方では大変熱心に学校の期待を満たし,親の強い 要望もあり一生懸命学んでいる子どももいることを承知しています。いわば,二極分 解している。まずその意味で実は日本の子どもたちは,国際的な基準から見てもやや 悩み多き,あるいは陰鬱なと言いますか,結構微妙な問題を抱えて悩んでいる子ども がいることを隠せない事実として,私たちは承知しておきたいわけです。
2)個々人の尊厳性や生活の質的充実を軽視する社会構造に従属する教育状況 このような今日の子どもの発達環境の背景にある問題として,2番目に実は日本の 大人を含めた社会全体の悩みと言いますか,あるいは課題,それが子どもたちにも関 係しているように思うのです。確かに日本は,第2次大戦後に飛躍的な経済発展を遂 げて,東アジア地域では唯一先進諸国として経済的に発展した国として扱われてきた が,本当に日本人は質的に価値のある生活を営んでいるのだろうか。このことを二つ 目に考えたいわけであります。そのために,みなさんにお配りしている資料をご覧く ださい。人間が他の生物と異なって特に知的に優れた能力を磨き,そして価値を探求 し,意味ある人生を創り上げていく上で,どのような知識を身につけ,そして活用し て生きて行くかということが非常に大切です。
そのことを「表1 知識の種類と人間の生」というテーマで関連の研究を参照にし ながら,基本的に三つに整理できると思います。細かな内容については,注をつけて おりますので,私のオリジナルな見解そのものではないのですが,これらを参考にさ せて頂いてこういう整理の仕方があるという意味でご覧下さい。
知的活動領野として日々の活動に取り組んでいく際に,まずひとつは「aのどうす べきか」という課題に答える知識が必要です。最新の役に立つ有効な知識を,自分で
表1 知識の種類と人間の生
知的活動領野 知識の種類 人間の生との関わり
a.どうすべきか 事実に基づく細切れの知識
〔操作的・技術的知識〕
未来が不安なものとして 現れる
b.どうなるか 法則性の把握,知的問題解決技能・能力
を支える知識〔理論的知識〕
未来が予測とともに現れ る
c.どう生きるか
主体的に吟味された知識(自己の到達目 標を意識化し,知的に開放された態度を 支える知識)〔創造的知識〕
未来が期待とともに現れ る
(注) 基本的には下記文献に示された堀内守の所論に依拠しつつ,さらにアップル(Apple, M.)の見解も参照して筆者が作成した。
・堀内守『(NHK市民大学叢書32)教育思想の歴史』日本放送出版協会,1975,pp.357
―362.(「X―2 教育構想力」の節)
・M.アップル「カリキュラム・デザインと文化秩序」,島原宣男編・教育人類学研究会 訳『現代社会と教育の実践』新泉社,1978,とくにpp.48―51.
−205−
集めてそれを活用して生きていく。事実に基づく細切れの知識,中身があって役に立 つ知識ですね。例えば,家族の夕食を作るのに今夜のメニューは何にするか,そのた めにはどこのお店に行けば安くて価値のある材料が得られるか,そのために新聞広告 を見たりとか,お店の特売日の情報を知っているとか,とにかく具体的に役に立つ知 識を集めて具体的に活用する。というわけで,こういう知識をやや一般化して言いま すと,操作的・技術的知識と呼ぶことができます。これはやはり生活していくには必 要なものですね。誰もが持っていなければいけません。これについて無頓着では,生 活が現実と遊離してしまう。このような知識は,人間が生きるということとどういう 関係があるか。私は,未来が不安なものとして現れるとしました。それだけ適切な知 識をしっかりと必要な分,新鮮な分を仕入れて活用する。ただし,人間はこのように 目先の課題を乗り越えるための知的な活動だけではなく,さらに世の中がどう動いて いるのか,あるいは私たちを取り巻く自然現象がどのように推移しているのか,時間 的に言えば3年から5年,もう少し長い場合は10年ぐらいの時間の幅をもってどう なっていくのかということを考え,それについての一定の判断をして,自分の意味あ る人生の選択をしていく必要があります。
このような私たちを取り巻く様々な世界について把握をするためには,bにあるよ うな法則性の把握,知的問題解決技能・能力を支える知識など一定のまとまりのある 体系性のある知識が必要です。別の言い方をしますと,理論的知識と呼ぶことができ ます。わざわざ私たちが小学校1年生から高等学校さらには大学まで,様々な分野の 専門的知識を身につけるということは,大半がこの「どうなるか」ということについ ての理論的な知識を身につけるためにあると言ってもいいものです。このような,必 要な一定のまとまりのある法則性のある知識を身につけることによって,未来が予測 とともに現れる。未来に対して一定の難しい課題があったとしても,優先順位をつけ 全体の問題状況を見越した上で,適切な判断をして対処していくことができる。
しかし実は,人間の知的活動の上でもう一つ大切な領野があります。それが「cの どう生きるか」という知的活動を支える領野です。この自分自身の人生をどのように 価値判断し,どのように選択をして,自分自身の価値ある人生を創るか,そして築き 上げていくか。この知的活動を支える知識は,どこで得られますか。例えばみなさん は,それぞれにご自分の人生の選択をし,今までの自分の人生を歩んでこられまし た。それを支えた知識は,どこから手に入れられましたか。例えば本を読んで,ある いは様々な人と対話をして得られて来たでしょうか。それも参考にはなったとは思う のですが,基本的には実は様々な書籍を読み,様々な対話をし,自分の人生を考えた 上で最終的には自分で選び取らないと,自分にとっての価値ある知識とはならないわ けです。私はこう書きました。主体的に吟味された知識,自分自身で苦しみ悩み吟味 しそして見出すことのできる知識です。括弧してこういう説明を加えました。自己の 到達目標を意識化し,知的に開放された態度を支える知識。したがって,簡単に本だ
−206−
とか別の人が仰っている経験談だとか,そこに自分にぴったりの答えがない。まさに 自分で求めて創造して初めてつかみ出される知識。そして,このような知的活動を豊 かにし,自分の人生を選択し,切り拓いていくことが可能になってはじめて,未来が 期待とともに現れる。そこでみなさんに考えて頂きたいのですが,今,申し上げまし た「知識の種類と人間の生」といった角度から見た場合,日本人全体が,このバラン スのとれた知的な活動をし,それぞれに自分にとって最高の価値ある選択をし,人生 を切り拓いているでしょうか。私は自分のことでも精一杯ですのに,他者や日本人全 体のことまで考えている余裕までないんですが,あえて厳しい見方に立って言います と,日本人は「cのどう生きるか」ということについての知的活動が非常に弱い。大 人も含めてです。むしろ世間の基準,あるいは目に見える基準,特に物質的な金銭に 換算できるような,あるいは生活の中で分かりやすい世間的な基準の方に重きを置い ているのではないか,という気がしないでもありません。
日本の経済学分野で活躍しておられた一ノ瀬篤さんという人が,日本病の精神的側 面として日本人に共通する四つの病ということを仰っています。一つ目の病は,思想 の欠如。日本人は主体的で粘り強い思想を欠如させている人が多い。または,そうい う一定の思想を持つことを嫌悪したり拒否したり軽視したりする。そういう見方が強 いという病ですね。二つ目は,恐るべき健忘症という病がある。歴史上の重要な事実 を胸に深く刻んで,今日を生き,未来を切り拓くというような生き方をしていない。
同じ同胞である日本人の沖縄に住む人々が,第二次世界大戦終了時にどのような経験 をしたか,沖縄戦の歴史的事実を胸に刻んで生きてきたでしょうか。アジアの中国や 大韓民国から日本の教科書問題について,かつて痛烈な非難がございました。歴史の 事実を日本人は冷静に率直に教えていないと。いわば,国際問題にもなった経緯がご ざいます。そういう歴史上隠せない事実を胸に刻んで生きていないということです。
三つ目の病気は拝金主義。人生最後はカネだよと。経済的な地位で決まるんだよと。
こういう考えが非常に強い。そして,四つ目に画一的制度への抵抗力の弱さ。みんな がそうするから自分もそうする。本当に高等学校へ行きたいから進む,こういう道を 歩みたいから進む。そうだったら,44%も学校外で一切学ばないという高校生が出る でしょうか。誰もが行かないと世間体が悪い。世間の基準がこうだからという日本人 の価値判断の基準に,このような病気があるという風に見ることもできると思いま す。(一ノ瀬篤「『日本病』の精神的側面」,朝日新聞 1981年8月25日付 朝刊参照)
さて,もう一つ,今は知識の話をしましたので,日本の学校のことも関連して申し 上げたいと思います。表2です。実は先程申し上げた知的活動領野と対応させなが ら,日本の学校での学習ですね,それとどういう関係になっているのかを示すために 作った表です。
大まかに言いますと,日本の学校学習の中で実際には認知的領域だけではございま せんで,体育や芸術領域などもあつかう重要な領域ですが,しかしながら進学試験な
−207−
どではいわゆる受験教科と呼ばれる主要教科が重視されている事情がありますので,
あえて認知的領域に限定して考えると,3種類に分けて考えられます。日本の学校学 習の第一は記憶・再生型学習。これは人間の知的活動を支える基本的な知識や技能な どの決まりきった内容をしっかりと正確に覚える,漢字を正確に書けるようにする,
英語の単語をしっかり覚えて使えるようにするなどのような学習です。生徒から見る と,覚える,訓練して身につけるという学習です。こういう授業は基本的にそれほど 深い説明などはいらないわけで,教材提示的教授でいいと思います。しかし,学校で の学習で,その初歩的な知識・技能は必要なのですが,より複雑な一定の筋道立てら れた学習をして,そして正しい正解に達する学習が必要です。典型的な例は算数や数 学の応用問題ですね。2番目のところに定式化された問題解決型学習というのがあり ます。これはよく意味を理解し,実際にある程度練習をすれば,正しい解答に達する ものです。簡単ではありませんが,修練を積めばある程度適切な解き方が身について きます。生徒から言えば,それなりに努力すればできるという学習です。このような 能力を身につけるための学校の教授様式は,最初から機械的に説明するのではなく,
生徒に考えさせながら,問題提起しながら進んでいくという意味で誘導的な教授と言 えます。
しかし,実は日本の学校教育で非常に不十分だと思うのは,3番目です。了解・創 造型の学習と私は名づけました。人生の本質はこうだったのか,人間にとってこのこ とが大切だったのか。胸の奥深くで,人間の本質や生きることの中核部分に触れ,そ して自分の価値ある人生を切り拓いていくための深い次元での学び,本当に深い意味 でのわかるという学習,実はこれが弱い。これが不十分。だたし,この教授が簡単に できるかというとできないですよね。決して簡単に学校で教えられるとは思いませ ん。しかし,やはり人生自身に真正面から取り組み,教育の本質をわきまえた先生な らば,程度の差はございますが,これに触れるような授業にはなると思うんです。し かし,日本の学校教育は私の見方でいきますと,1と2の学習はそれなりにさせてい るけど,あるいは,中学・高校・大学とペーパーテストで測れる学習はそれなりにや
表2 学校学習(認知的領域)の類型と教授様式の対応関係 学校学習の類型 生徒から見た学習観 教授様式
1.記憶・再生型学習 おぼえる 教材提示的教授
2.定式化された問題解決型学習 できる 誘導的教授
3.了解・創造型学習 わかる 問題提起的教授
(注)「学校学習の類型」については Elliott, J.,「教授様式」については細谷俊夫の見解を 参照。
・Elliott. J., “Implications of Classroom Research for Professional Development,” in Hoyle, E. &
Megarry, J. (eds.), World Yearbook of Education 1980 : Professional Development of Teach- ers (London : Kogan Page, 1980), p. 311.
・細谷俊夫『教育方法(第3版)』岩波書店,1982,184―188頁.
−208−
らせていると思うのですが,この3番目の自分が生きるという本質に触れるような学 習を深い次元において十分に展開できていないと思うわけです。
3)地球社会全体の安定・平和構築への見通しの不確実性
そして,もう一つ,日本の今日の問題として取り上げたいのが,地球社会全体の安 定・平和構築への見通しが十分だろうか。日本は唯一広島と長崎に被爆したという経 験がございます。しかし,残念ながら人類の国家を越えた利害や国際的な軍拡競争が あり,まだその流れを止めることができていません。そして,確かに一部の良心的な 人々によって平和への活動がなされていますが,決して私たちの日々の生活の中に外 国に生きる人々との人権における平等ですとか,ましてや国を越えた相互理解や,地 球市民としての共通感情を大切にし,平和を構築するというアプローチも決して十分 ではないと思うわけです。
2 わが国の学校教育の現状における基本的課題 1)学級規模制度に象徴される教育条件の劣悪さ
さて,もう少しこの後,学校教育の中身に焦点を絞って考えていきたいと思いま す。最初に日本の学校教育の非常に危機的な状況にあると言いましたが,その分かり やすい例が学級規模制度に象徴される教育条件の劣悪さです。日本の小・中・高等学 校の学級定員は最大40人まで認めています。そんな先進諸国が今ありません。私は有 り難いことに1991年から92年にイギリスのケンブリッジ大学に留学させて頂いていた んですが,その時に週に1度ケンブリッジ市の公立小学校へ参与観察法という新しい 調査方法を身につけるためにおじゃましました。その20年前ですら,イギリスの小学 校で人数が多くても最大30人でした。実際に私がお世話になったクラスは26人でし た。少々そのクラスの中にハンディキャップのある子ども,耳ですとか目に多少障害 があって,その子どもたちのためにアシスタント・ティーチャーが週に2,3度来て その子だけを取り出して指導するということもされていました。日本はどうですか。
これ以上は申し上げませんが,日本の公教育の制度的条件はあまりにも安上がりで す。お金を削りすぎています。学級規模を基準にして教職員の定数をはじくものです から,教員の数も少ない。これで優れた価値のあるよい教育をせよと言われても,で きるんでしょうか。分かりやすい例として,OECDのPISA調査というのがございま す。PISA調査では応用的な学力を,リテラシーというような言葉が使われておりま すが,読解力,数学的リテラシー,科学的リテラシーという日本で従来行われてきた 学力調査とは少し性質が異なる点もございますが,この2000年,2003年,2006年の3 回行われた調査で日本の結果,つまり相対的順位がどうであったかは多少ご存知かと 思います。2000年の段階では数学的リテラシーで日本は1位でした。科学的リテラ シーは2位,読解力はやや低くて8位でした。しかし,この順位が回を重ねる毎にだ んだんと下がって参りました。2006年調査では読解力は15位,数学的リテラシーは10
−209−
「理論知」領域 ⑧科学的研究に基づく知見と結論
⑦特定主題に関する科学的研究成果の解説 相互交流領域 ⑥科学的研究に基づく教育活動への実践的示唆
⑤研究開発学校や連携機構による創出知識
④教育場面におけるアクション・リサーチ
③日々の教育活動についての熟考的・反省的思考
「実践知」領域 ②技術的知識の表出形態
①日々の教育活動についての技芸的知識(craft knowledge)
〔出典〕西穣司,2008;222頁。なお,原資料は,Mclntyre, D., 2005.
図1 マッキンタイヤによる8種類の学校知識連続体論(略図)
位,科学的リテラシーは6位ということで,相対的に日本の子どもの学力がこのよう な指標で見ますと,明らかに低下してきたという一つの証拠になっています。この調 査で同じく対象国であったフィンランドが,徐々に順位を上げてきました。フィンラ ンドでは,学級人数も少ないのです。日本では,小・中・高等学校の教育に大体GDP の3.7%しか使っていないのですが,フィンランドでは6.7%も使っています。相当お 金をかけている。学級の規模も小さいし,教員の数も確保し,そして子どもたちが納 得してより質の高い学力が身につけられるように必要なお金を使っているんです。そ れだけの用意をしないで,ただ成果を上げなさいといっても無理だと思います。
あえて,このようなことを申し上げるのは,学校教育の第一線で活躍する専門家で ある教員が,このような国際的に見ても恥ずかしい貧困な条件について「建設的不 満」を持ってもらいたいからです。そうでないと,本当に教育を大事にした国はでき ないと思うからです。ただし,文句のための文句とか,制度条件さえよければ簡単に 教育がよくなるものではございませんが,自分自身ではなく,社会公共のための教育 という基準で是非「建設的不満」を持ってもらいたいという意味です。
2)教職員相互の理解・協力体制確立の困難性
さて,二つ目ですが,教員相互の理解・協力体制の確立ができるだろうかというこ とです。先生方のお仕事が,比較的大きい規模の子どもたちの一人ひとりの個人的差 異を考え,指導要領で求められる水準の学力を満たそうとすれば,決してそれは簡単 ではありませんよね。私は日本の先生方は非常に良心的に勤務時間を超えて体調を崩 すほどに,多くの先生がご努力を頂いていることは,承知しています。しかしなが ら,実際の日本の先生方の教育の専門家としての磨き合いや子どもたちに対する教育 サービスの質を上げるための意味のある意思疎通や意見交換,授業の見せ合い・磨き 合い,これがなかなかできない事態に追い込まれている。そこで,イギリスのマッキ ンタイアによる8種類の学校知識連続体論という図をご覧ください。
これは私が2008年に発表した論文の中に提示している図なんですが,この図は基本 的に学校教育を受け持つ先生方がどのような知識を活用しながら日々の授業をしてい
−210−
るかということを整理した図です。分かりやすいように,その意味をとって台形のよ うな形で表すことができます。個々の先生にとって一番大切な,あるいは教室で発揮 して欲しいのは,①日々の活動についての技芸的知識です。単なる技術だけではな く,一人ひとりの生きた子どもを対象にした芸術的側面も含んだ高度な知識です。英 語でcraft knowledgeという表現です。これはやはり何年も修練を重ねて身についてく るものだと思います。②技術的知識の表出形態というのは,一定のこういう単元の授 業の場合はこういうパターンで,あるいはこういうことに留意してやれば基本的に大 きな失敗はないというような,質的にある程度整理できるような実践の知恵ですね。
もう一方では,教育に関する⑧科学的研究に基づく知見と結論,⑦特定主題に関する 科学的研究成果の解説がございます。
この8種類のマッキンタイアの学校知識連続体論からいきますと,実は真ん中の③ から⑥の部分が弱い。この中身が非常に不十分であるがゆえに,なかなか壁が破れな い。私も微力ながら大学で33年間教員養成の仕事をさせて頂いてきましたが,上越に います時には75人の先生方と日本の学校教育をよりよいものにするためにという意味 で修士論文作成の努力をしたんですが,実はこの相互交流領域がとても重要ですね。
教室での日々の地道な実践を支え,それを磨き上げていけるような研究活動ですと か,一人ひとりの先生の持ち味を生かせる研究授業ですとか,それがなかなか実らな い。マッキンタイアは,この相互交流領域を豊かにし,子ども第一の文化を創り上げ ることによって,学校教育の成果を上げられることを強調しているんですね。日本の この両者が交流する領域が非常に弱い。やっと先生方に大学院の修士レベルで勉強し ていただく制度が広まってきましたけれども,まだ土壌が出来ていない。日頃から 様々な教育問題について率直に議論をし,より質の高い実践をするという文化が出来 上がっていないので,正直申し上げて教職大学院も期待はしておりますけれども,や はり日々の実践とのつながりを考えると難しい点があるようです。特にこの実践知を しっかりと掘り下げ,対象化し,体系化し,しかも教員世界でお互いに磨き合ってい けるような努力が必要だと思っているわけです。
3)子ども・青年の発達環境の整備・充実へ向けての父母・地域住民の対応状況 さて,もう一つ挙げたいと思います。子ども・青年の発達環境の整備・充実へ向け ての父母・地域住民の対応状況についてです。本当に今の子どもたちが置かれた発達 環境の問題について父母は深刻な悩みを持ち,自分のお子さんを広い視野に立って支 援しようとしているでしょうか。もちろんそういう方もいらっしゃるでしょうが,俗 に言うモンスター・ペアレントと呼ばれるような,ご自分のお子さんやご自分の基準 には厳しくても,気に入らない点や他のお子さんのことなどは気にしないとか,学校 としての地道で真剣な実践を支援しようとする父母が果たして多いでしょうか。残念 ながら,地域の事情は様々であるとは思いますが,かなり冷めた父母や地域の学校教 育についての対応状況があると思うわけです。
−211−
3 目指すべき創価教育の基本的特徴と展望 1)基本的特徴
そこでいよいよ,今まで申し上げてきた教育的課題,学校教育の問題を見通しなが ら,私たちが目指すべき創価教育とはどのような教育を言い,そのためにどのような ことが大切か。それを最後に申し上げたいと思います。創価教育の淵源である牧口常 三郎先生や2代会長の戸田城聖先生,そして私たちが尊敬して止まない,またこの創 価大学を創立して下さった池田先生の思想を自分の中に刻みながら,特に大切な事を 三つ申し上げたいと思います。まずは①学校時代に止まらず,生涯にわたってその人 らしい豊かな「学び」と「開拓」を保障する教育の推進が大切ではないかと思ってい るところです。決して学歴水準ですとか,日本で高い価値が置かれている有名校です とか,そのような学校に入学し卒業することだけが,人間の幸せや人間の安定を創る ものではありません。それがどうでもいいというわけではございませんが,いわばそ れは外形的な基準に過ぎません。牧口先生は教育の本質を考えるときに,一人ひとり の子どもの幸福が大事であると述べられています。これは簡単なように見えて,実は 日本の教育に欠けていた大変重要な価値基準だと思うわけです。本人自身が最終的に は自分にとって価値ある人生をどのように選び取っていくのか。そのための学び,そ して自分の可能性を生涯にわたって追求していく。開拓していく。敢えて本人自身の 自学と努力は,これこそ最後の大切にすべきことです。親といえども,期待はしても いいかと思いますが,親の価値基準が子どもの重荷になったり,それが硬直した指標 になったりしてしまっては,やはり不十分ではないか。本人自身が最終的には人生の 主体者でないと,優れた教育とは言えないので,敢えて強調しておくわけです。した がって,学校教員が有名校主義であるとか,わが校は東大へ何人進学させただとか,
それを自慢して,それを基準にして優れた教育が行われているなどの考えを持ってお られるとしたら,寂しいですよ。ある意味ではそういうことも考慮せざるをえない点 はございますが,教育の本質をわきまえて一人ひとりの子どもに接するという点で は,より深い認識を求めたいと思うわけです。
2番目に強調したいことは,②現在の問題状況を凝視し,その克服を志向しつつ,
未来社会を確かに創造する教育を推進していくということです。牧口先生の教育思想 は,基本的に社会的相互依存主義を基底とされています。つまり,人々はひとりでは 生きていけないんだと。人々の有機的結合として社会が成り立つのであって,その一 人ひとりの内面に強く働きかけながら,結果的にはその一人ひとりが社会の矛盾と直 接対峙し,その矛盾を解決しながらよりよい社会を創っていく。そこにまで結びつか なければ,本来の教育ではないのだ。ここが牧口先生の社会化を重視し,社会学的な 見地からデュルケイムなどの説も重んじながら展開された重要な考え方です。確かに 私たちは,地道に一人ひとりの子どもや青年を相手に働きかけるわけですが,その働 きかけが10年・20年先の日本社会を創っていく。こういう責任感を持ちながら,アプ
−212−
ローチしていくことが大事です。ましてや,創価学会の初代会長牧口先生と第2代会 長戸田先生は,自らの信念を貫いて国家権力と真正面から対決されたという歴史を持 つ社会意識の強い思想と実践を展開して頂いたわけです。また,第3代会長の池田先 生は単に一国日本のためだけではなく,アジアや地球社会全体の平和と安定のために どれほどの貢献をされてきたでしょうか。単なる一宗派,一宗教団体のためではない じゃないですか。そのことを認めてくださればこそ,世界の著名な大学から301もの 学術称号が贈られているんです。そのことを私たちは絶対に忘れてはならないと思う わけです。
3番目に,何度も繰り返すまでもございません。③一国の安定・平和に止まらず,
広く地球社会全体の安定・平和構築につながる教育の推進です。
2)展望
以上の基本的な創価教育が目指すいわば基本方針を原則とする考え方に立って,ど のようなアプローチが必要なのか。3点を申し上げたいと思います。
まず,第1点ですが,これは先程申し上げた第一の特徴と関連いたしますが,①人 間の生涯全体を考慮した教育観を基底にして,一人ひとりが自己の個性を認め輝かせ つつ,意味深く幸福な人生を追求してゆくということです。この基本的な土台となる 教育認識を持って進めていくということ。実は牧口先生は,創価教育学体系の第3巻 の冒頭に創価教育六大指標を記されております。しかも,ここにあるように自然の個 性という生まれつき備えている固有の自然的状態が一から六までの教育を経験する媒 介的な支援・援助を受けることによって,下にある文化の人格に到達していくこと。
これが教育の大きな流れを簡略化して,ポイントを示したものだと。すなわち,文化 の人格というのは,文化を学習し自己の内に内在化して形成された人格,豊かな人と しての輝きですね。それを目指すために,6種類の内容の教育が大事だと。大体この 表現で分かるかと思いますが,私はこの中の4番目の「依人の依法化」という箇所に 注目したい。これは仏法の涅槃経六に説かれました依法不依人という教えがございま すが,法に依って人に依らざるというのが基本ですが,それを応用されて牧口先生の 独自的な造語として書かれています。人に頼るという生き方から,より普遍的なこの 人間や宇宙生命全体の法則を説いた法に基づいて,法を基本にして生きていく。本質 的に言いますと,仏法ですね,最高の生命や宇宙の法則を説いた仏法を根本にして価 値ある人生を歩むという真義ですね,本当の意味を込めてこの表現をされていること だと思うんです。5番目に「他律の自律化」というのがございます。これは他の人に 世話になっていた内容を,自ら律し,自らの責任においてこの意味ある人生を築き上 げていきたいということ。そして,私は是非大切なお子様を育んでおられるお若いご 夫婦に,若いご両親の方にお願いしたいんですが,6番目「放縦の統一化」という指 標です。一人ひとりの子どもの要求やよさを認めてあげて欲しいんですが,人間とし て価値ある生き方をするために,好き勝手にさせてはいけない。人生には本質的には
−213−
厳しい面もあるわけで,自分自身の課題や 欠点と向き合いながら,そして気持ちを取 り直し自分を磨き上げ,自分自身を創り上 げていく努力も必要で,この放縦の統一化 というのも,よい意味での親の真剣な厳し い生き方を通し,子ども一人ひとりが自分 の価値ある人生を築き上げていく努力を強 く求めたいと思うわけです。
さて2番目の課題ですが,②学校教育推 進の重要な役割を担う教職員集団と,良心 的な父母・地域住民との協力関係による豊 かな教育文化の創造です。抽象的な表現で
すので,何を言っているのかといいますと,基本的に一つは学校の教育を担われる先 生方がそれぞれのお力を発揮し,意欲的に一人ひとりの子どもを全体として受け止め ながら,適切な教育的援助ができるように勤務条件を是非豊かにし,そして張りを 持って活躍して頂きたい。それと同時に,学校教育の専門家であって,直ちにまた家 庭教育や社会教育の分野まで指導できる立場ではございませんので,実際に次の時代 を担う子どもたちを育てておられる各家庭の父母の皆様は言うまでもなく,私のよう に年齢は重ねてきたけれども,地域社会の一員としてこの青少年をしっかりと受け止 め,伸ばせるような,高めていけるような,そういう父母や地域住民ともよりよい教 育を大切にし,そして現在の目先の基準等に流される日本人ではなく,新しい国づく りができるような日本人になれるように,是非この教育文化を創造していくことです ね。宗教団体である創価学会は,確かに宗教的な活動が基本ではありますが,実はも う 学会 と名前がつくように平和・教育・文化の活動さえ事実している団体であり ますので,様々なお立場の方にも広く学会系の諸行事にも,学会員の皆様とご一緒 に,知らず知らずのうちに深い思想と,池田先生によって切り拓いて頂いたこの大き な流れにご賛同頂けるような活動を展開していく。そのことも私たちにとって大事な 課題であると考えるわけです。
最後に3番目として申し上げますが,③地球社会全体の安定・平和構築につながる 地道な活動の継続的展開も,実践的に言えば私どもも創価学会員として無意識のうち に進めてきたことでもございます。しかし,教育分野としては日本から,国際的に地 球社会全体の平和と安定のために,地球市民を追求する教育を目指して,共に努力し て参りたいと思うわけです。
時間となりました。分かりにくかった点もあったかと思いますが,これからパネリ ストのみなさんに率直なご意見を頂きながら,深めて参りたいと思っております。熱 心にお聞きいただきまして,本当にありがとうございました。
自
然
の
個
性 創価教育六大指標
六放縦の統一化 五他律の自律化 四依人の依法化 三個人の社会化 二自然の価値化 一感情の理性化
文
化
の
人
格
〔出典〕牧口常三郎,1983,12頁。
−214−
(司会)
西先生,基調講演でのご講演,大変にありがとうございました。それではここで,15 分間の休憩の後,宮崎先生をコーディネーターとして,本学教職大学院の修了生でも ある小・中・高の先生方とラウンドテーブルをして頂きます。
― 休 憩 ―
(司会)
それでは,時間になりましたので,ラウンドテーブルを開始いたします。コーディ ネーターは本学教職大学院の宮崎先生です。先程基調講演をして下さいました西先生 にもご登壇頂きます。そして,本学教職大学院の修了生の先生方に登壇して頂きま す。小学校にお勤めの佐藤先生,中学校にお勤めの成清先生,高校にお勤めの松浦先 生です。それでは,よろしくお願いいたします。
基調講演の参考文献
西穣司「教師にとっての『理論知』と『実践知』の現状と課題―両者の新たな関係性創 出のために―」,日本学校教育学会編『学校教育の「理論知」と「実践知」―その 現状と新たな関係性の探求―』教育開発研究所,2008,213―229頁。
牧口常三郎『(牧口常三郎全集第6巻)創価教育学体系(下)』第三文明社,1983。
McIntyre, D.,“Bridging The Gap Between Research And Practice,” Cambridge Journal of Edu- cation, Vol. 35, No. 3, November, 2005, pp. 357―382.
−215−
Ⅱ ラウンドテーブル
(宮崎)
それでは,後半の部のラウンドテーブルを始めたいと思います。先程ご紹介頂きま した,本学教職大学院の宮崎でございます。ずっと聞きっぱなしになってしまいます ので,先程の西先生の講演を受けて,どんなことを感じられたのかということを隣の 方と交流したらどうかなと思います。5分ほど時間を取りますので,どうぞ周りの人 とお話してみてください。どうぞ。
はい,ではそろそろよろしいでしょうか。みなさんには,また後ほど議論の中に 入って頂きたいと思います。よろしくお願いします。早速ですが,先程西先生から創 価教育学や牧口教育学を現代にどう敷衍するかというようなところからお話を頂いた かと思います。このラウンドテーブルでは,さらにそれを私たちの日々の実践や学校 現場での取り組みにどうやって生かすのかという,さらに具体的な議論に入っていき たいと思います。ただ,創価教育学あるいは牧口教育学と言っても,先程の西先生の お話にもありましたように,特別なものではないと私達は捉えています。例えば子ど も一人ひとりの内発性をどうやって発揮させるか。あるいは,一人ひとりの子どもの 違いやよさをどうやって伸ばしていくのか。さらに言えば,それを保障するような社 会,大人も含めて,そういう社会をどうやって創っていくか。あるいは,理想と現実 の中でなかなかそれがうまくいかない。どうやって理想と現実の距離を埋めていくか というところが,牧口教育学の本質なんじゃないかと思っております。
本学は教職大学院を立ち上げて,まもなく三年が終わろうとしているところです。
創価大学の教職大学院は,特に牧口教育学について特化して学ぶとか,牧口教育学を 現実の社会で取り組んでいくにはどうすべきか,など特段を授業で取り上げるなどと いうことはしておりません。ただ先程もありましたように,牧口教育学というのは教 育の本質を追究するものであるととらえています。それを現代に生かすという意味 で,創価大学の建学の精神にもなっていますが,人間教育という理念を標榜していま す。ですから,教職大学院も,その人間教育というのを牧口教育の一つの理念,源流 を支える具体的なものとして,人間教育という授業科目を設定しています。そこでは 教育の本質とはなにか,あるいは人間とは何か,人間と学ぶことってどんなことか,
こういったことを追究しています。その意味で教職大学院とはともすると,腕まくり の方法技術を学ぶところであるという風にとらえられがちですが,むしろ,教育の本 質を考えていくことをしています。もちろん腕まくりの授業技術も大事なんですが,
しかしそれだけではない,もっと大事な教育の本質を考えていくということをむしろ 大事にしています。
そういう意味で,今日は修了生三人に来て頂きました。俗に言うビフォア・アフ
−216−
ターということで,どんな思いで教職大学院に来たのか,そして,教育の本質に触れ たとすれば,その触れたものはどのようなものだったのか,修了後に学校現場に戻っ て理想だとか現実だとか言っていられない,その日々をどうやって生きておられるの か,修羅場の学校現場で教職大学院で学んだ本質というものを生かそうと今どうやっ て戦っているか,その辺のあたりをお伺いしていきたいと思います。一人20分ずつお 話頂いて,教育の本質について語っていきたいと思います。今日は敢えて直球勝負で アポリアへの挑戦をしていきたいと思います。みなさんと教育の本質について議論し ていきたいと思います。よろしくお願いします。その後,フロアーのみなさんに入っ て頂いて,議論をしていきましょう。小・中・高の順番で話して頂きます。では,小 学校の佐藤先生からお願いします。
(佐藤)
どうも,こんにちは。青森から参りました佐藤と申します。今,小学校3・4年生 の算数を教えています。いよいよ来たなと感じております。マイクじゃなくて新幹線 が(笑)。今日から新青森駅まで東北新幹線が開通になるんですね。実は昨日来たの でまだ乗っていません。青森が身近に便利になりましたって駅に書いてあるんですけ ど,私にとっては逆に創価大学がより身近に便利になりましたと感じるんですね。二 年前にこちらの教職大学院の一期生として入らせて頂いて,修了してからもこうやっ て帰って来られる場があることは,自分のふりかえりやモチベーションを保つために も有り難いことです。今は緊張と共に感謝の思い出いっぱいなんですね。また来たい と思います。
先程,宮崎先生からありました教育の本質ですが,重たい難しいテーマです。私が 教職大学院に来たきっかけも,そこと通じるなと実感しています。進学を決めた理由 は二つあります。一つは本当に身近な自分にとっての困り感があったんですね。それ は学級崩壊という今よく耳にすることなんですけれども,そのことが理由で悩んでい る教員がとても多い。私が新卒の頃は,学級崩壊は本当に聞かなかったんです。市に 何校かとか,学校の中でも1・2クラスという風になっちゃったなと思います。自分 が学級担任だった時は,必死になってそれを解決したし,不登校にも必死に関わって 解決したものです。ところが,それを後輩に伝える立場になったときに,自分の経験 を中心に話すんですね。そうすると一般化されないと言いますか,それは自分の経験 なので,それを裏付ける理論をなかなかうまく話せない自分に気がついたんですね。
さらに,今の学校現場では非常に説明責任が問われています。保護者にこうやってい ますよと伝えるときに,どうしてそれをするのかという支える理論が必要になりま す。どうしても,過去にやってきて成功したからだとかでは説得力がないんですね。
やはり,手段だけを説明するだけではなく,何のためなのかということを自分に問い かけてふりかえる必要がありました。
−217−
もうひとつは,なんとなくくすぶっていたんですが,教職現場にいて上意下達の,
いわゆるトップダウン式の雰囲気,先程西先生のお話にも教員同士が率直な対話がで きないということがありましたけれども,1990年くらいから個性豊か,個性を伸ば す,豊かな人間性と言われだしまして,丁度低学年に生活科が入ってきた頃なんで す。それまでは指導という言葉が使われていました。指導案にも先生がどんどん子ど もと関わっていって,発言していくという流れでしたが,1990年の学習指導要領改訂 から,先生はあまり出ないほうがいいんだと。指導ではなく,支援だと。指導案に指 導と書くと,今は支援の時代だぞ,支援って書くんだぞなんて言われてしまって,こ んな言葉を変えるだけの問題じゃないでしょと思いました。上っ面のことだけを書い ているような気がしていました。それから,学習内容を削減してゆとりが目指され,
結局学力低下ということで,今また内容が増えました。それに対して現場のわれわれ は,どうしてだと問いかけることもしているんですけれども,やらないとだめなわけ です。現場にいてなんとなくモチベーションが下がっていく自分を感じました。よく 考えてみると,現場にいてHow toは問いかけて,色々な実践の手立ては自分なりに やってきたんですけれども,Whyという理由,Whatという内容,なぜこの学習内容 が大事なのか,そこの辺りを吟味する時間がなかったんですね。ですから,人に説明 するときもなかなか説明できない。自分の中に基準となるものがなんとなくなかった もので,いつもブレているような気がしていました。なので疲労感や疲弊感が増して きたように思います。やはり,何のためなのかという本質的なことを問いかけていか ないと,例えば今は主体性や生きる力などが求められていますが,主体性とはどうい うことなのか,生きる力って何なのかとか,内容もなぜそれが必要なのかを問うてい かないといけません。そして,教師が自分の中に答えを持っているときって子どもた ちに伝わるし,効果的な教育活動ができると思います。それを問わないで表面の現象 的なことだけをやっていると,効果的な教育はできないし,もしかしたら偽りの主体 性や偽りの生きる力と言いますか,矮小化してしまうのではないかと思うんですね。
これは,教職大学院に来たからこそ持つことのできた考え方です。大学院で学びなが ら,自分が学びたかったことはこういうことなんだなと自覚することができました。
これがビフォーです。
アフターですが,大学院での学びについて少しお話をします。大学院では最新の情 報に触れられたなと思います。また,現代の教育課題に対応している人を呼んで下 さって,その方達と議論をする場に参加できたこと,最新の教育活動を行っている研 究校を見学したこともとても良い刺激になりました。この年になりますと,かなり固 定的な見方になってしまいがちですが,違う視点から自分自身をふりかえることがで きました。中でも自分にとって一番大きな学びというのは,先程お話ししたような問 題意識,何のためだとか,どういう内容をとか,そういうことを先生方や学生同士で 授業の中や自習室で率直に語り合ったことです。率直にでしたので,結構本音も出ま
−218−
した。それで考えが変わったり,自信につながったり,確認できたりと,インフォー マルな学びも非常に大きかったなと思います。特に挙げたいことは,上意下達と言う か,教員の世界って結構な縦社会なんです。年上の管理職の発言は説得力があるよう に捉えられたり,研究授業の協議会で指導主事が話したことが基準になってしまうよ うな,考えが違ったら自分は間違っているのかなと感じてしまうことがあったんです が,大学院に来て,TTの授業を通して考えの違う者が意見をぶつけ合っていること に感動しましたし,自分の独自性を持ってもいいんだと安心しました。自信につなが りました。
私は,子どもの内発的動機づけを高めるにはということを課題にして学んでいたん ですが,現場でも子どもの自律性や人間関係を築く,異質な他者とも交流していく 力,自分はできるんだという有能さ,この三つのキーワードを持っています。今,3・
4年生の算数をもっていまして,私は今までは 俺に付いて来い というような教師 主導の教え方だったんですが,今はここを子どもたちに考えてもらいたいなという時 には「さあ,みなさんで旅をして下さい」と私は言います。本当に分かったかどうか,
教室の中を歩いて旅をして,友だちと会ったら「どうやったの君は?」と聞きなさ い,聞かれた方はノートを指さしながら説明しなさい,説明が終わったら今度は
「じゃあ君はどうなの?」と聞き返しなさい,そして,友達の考えの方が分かりやす いなと思ったら,それを自分の考えにしていいから次の旅で友達に教えてあげなさ い,最低三人とは話しようねという風にやっています。この交流は五分くらいで終 わっちゃいます。三分のときもあります。子どもたちの様子を見ると,にこにこして 話しているんです。自分が考えてた以上に子どもたちはのびのびとやっているんだな と考えさせられました。旅というシチュエーションはとてもいいなと思っています。
子どもに考えさせて,自己決定をする場を授業の中で創っていきたいと思っておりま す。あともう一つ,先程教職員相互の理解が困難であるとありました。全くその通り だと思います。「さっきの授業はこうすれば良かったんじゃないの」と言ってしまう とその人を否定してしまうことにつながってしまうこともありますので,視点を子ど もの実態に向けて話し合うようにしています。例えば算数でしたら「あの子は分かっ たかな」「あの子はどこが分からなかったのかな」と聞くようにしています。「あの子 に何をしてあげたらいいのかな」とかですね,子どもをできるできないで評価するの ではなく,ありのままの実態をアセスメントするという視点ですね。そうすると話し 合いはスムーズに進みました。教職大学院に来て,子どもの実態をしっかりと把握 し,それについて話し合えばうまくいくかなと思って,それを今実践しているところ です。大分長くなりました。これからのやりたい事はまだまだあるんですが,それは また後ほど。
−219−