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(1)

【論説】

戦士と食卓

ギリシアポリスと政治の条件 的射場敬

目次 はじめに

。-メ-

1.暗黒時代の村共同体

1.1.ミュケナイ文明の崩壊と農民 12.天水農業

13.フラトリア(兄弟団)とプリュタネイオン 2.暗黒時代末期の王政

21「イリアス」の農民戦士 22.ホメロス的王政 3.ポリスの形成と市民

3.1.戦士共同体 32祭祀団体 3.3.ポリスと市民 結びに代えて

はじめに

ギリシア各地に「都市国家」(city-state)という意味でのポリス(polis)が 誕生するのは紀元前8世紀の頃のことである。ギリシア世界は,人口が急増し,

物質的にも精神的にも豊かになってきており,ようやく「暗黒時代」')を脱し 始めていた。紀元前776年には,オリュンピアで最初の競技会(第一回古代オ リンピック)が開催され,ホメロスの英雄叙事詩「イリアス」「オデュッセイ

-1-

(2)

ア』やヘシオドスの「労働と日」が書かれたのも紀元前750年から700年の頃 である2)と言われている。

ポリスの形成についての言説は少なく,アリストテレスも「いくつかの村か ら生じ,言うなればいまやあらゆる自足の要件を満たした,終極の共同体が

ポリス国家である」3)(「政治学」第1巻第2章)と述べてし、るのみである。つまり,

コーメー

ポリスは,いくつかの村共同体(kome)の集合体であるということである。

ポリスの形成についてのまとまった叙述では,プルタルコスの筆になるアテ ナイ建国の王「テセウス」についてのものがある。テセウスは,アッテイカ地 方を治めていた王であった。かれは,その地方に住んでいた人々を-つの町

シュノイキスモス

(ポリス)|こ「集住」(synoikismos)させることで,アテナイを建国した国 民的な英雄として古典期には崇拝されていた。

「アイゲウスの死後,テセウスは大きな驚嘆すべき仕事を思い立ち,アッ テイカに住んでいた人々を-つの町に集住させ,それまでは散在していて全 部に共通の利益のために呼び集めることが困難であるばかりでなく,時には

デーモス

互いに不ボロとなって戦うこともあった人々を一つの国家のひとつの民衆とし た。さて,彼は部落ごとに氏族ごとにまわり歩いて説きつけた。平民や貧民 はただちに彼の訴えを受け容れたが,有力者たちには王のいない国制と民主 制を約束し,自分はただ戦争の指揮者および法律の守護者になるだけで,他 のことについてはすべての人に平等を認めるとやくそくした。

プリュタネイオンプーウレテーリオン

…そこでそれまでそれぞれの部落|こあった公会堂や議事堂や役所を廃止し て,すべてに共通な一つの公会堂と議事堂を現在の町にあるところに作り,

その国家をアテネと名づけ,共通の祭典パンアテナイア祭を創始した。…そ れからテセウスは約束のように王政を廃し,神々のことを手はじめにして国 制を秩序づけた。

…テセウスは国家をさらに一層大きくしようと欲して,平等を条件として すべての人を呼び寄せた。そして「民衆よ,すべての人はここに来れ」とい う文句は,すべての民衆の一種の一体性を確立したときのテセウスの宣言で あったといわれている。…アリストテレスがいうように,テセウスがはじめ

-2-

(3)

て大衆に味方して王政を廃止したことは,ホメロスも軍船表の中でアテネ人 だけをデーモスと呼んで(『イリアス」2巻547),それを証拠だてているよ うにみえる。」4)(プルタルコス「テセウス」「プルタルコス英雄伝」)

ポリスの形成について,プルタルコスに拠りながら整理しておこう。

コーメー

テセウスは,アッティカのいくつかの村共同体Iこ「散在して」いた人々を,

「一つの町に集住させ」,「時には互いに不和となって戦うこともあった人々を

デーモス

-つの国家のひとつの民衆とした」のである。つまり,これが,アリストテレ スがいうポリスは,「いくつかの村から生じ」ということの意味するところで あろう。もちろん,「部落ごとに氏族ごとにまわり歩いて」あることからも分

。_〆_

かるようIこ,地縁団体としての村共同体の存在だけでなく,血縁団体としての 氏族(ジッペ)の存在を窺うことができる。

シュノイキスモス

テセウスは,集住という仕事を上力軋らの命令としてではなく,提案として 出しているのである。提案の対象者は,村の有力者たる貴族だけでなく,平民 も含んでいた。「平民や貧民はただちにかれの訴えを受け入れたが」というニ ュアンスが示しているのは,有力者たる貴族がテセウスの提案を渋ったのでは ないかということである。それゆえ,テセウスはかれらに譲歩し,「主のいな い国制と民主制を約束し」たのである。テセウスは,「戦争の指揮者および法 律の守護者」たることだけを自分の仕事として限定し,「他のことについては すべての人に平等を認める」と約束した。

シュノイキスモス

集住によって,「平等を条件としてすべての人を呼び寄せた」のであり,

「すべての民衆の一種の一体性を確立」としていることから,平民と貴族の間 の関係は,「平等」であり,身分的な支配服従関係はなかったのではないかと 推測される。

ポリスの形成のためにテセウスが行ったのが,「それまでそれぞれの部落に

プリュタネイオンフーウレテーリオン

あった公会堂や議事堂や役所を廃止して,すべてIこ共通な一つの公会堂と議事 堂を現在の町にあるところに作」るということである。つまり,それぞれの

。_〆一

ネオ共同体にあった公的機関を-つに統合したということである。ここで着目し ておきたいのは,「公会堂」と訳されている「プリュタネイオン」(prytaneion)

-3-

(4)

である。そこは,炉の神「ヘスティア」(hestia)が祀られている神聖な場所であ った。プリュタネイオンの統合が示す意味については,後ほど考察したい。

「有力者たちには王のいない国制と民主制を約束し」とか,「テセウスは約束 のように王政を廃し」とあるように,王が存在していたことが分かる。その王

シュノイキスモス

が王政を廃止するというのである力、ら,当然のことながら集住という事態は,

ゴーメー

単に村共同体を統合し,村々に散在していた人々を-つの町に移り住まわせる こと以上の何かであったのである。つまり,それまでは王権によって担われて いた軍事や行政,司法などの仕事が,他の誰かによって担われる必要があっ た。

「約束のように王政を廃し,神々のことを手はじめにして国制を秩序づけた」

シュノイキスモス

ということ力、ら,集住がまさに新たな共同体としてのポリスの形成であり,

意志的な行為としてなされたと思われる。

この小論は,「テセウス伝説」をひとつの手がかりに,いかにしていかなる ものとしてポリスが形成されたかを明らかにすることで,ギリシアにおける政 治的なるものの誕生の一端を明らかにしようとする試みである。

コー〆-

1.暗黒時代の村共同体

’。'・ミュケナイ文明の崩壊と農民

ギリシア世界は,ポリス文明に先行する古代文明を持っていた。ホメロスの 英雄叙事詩の舞台ともなったミュケナイ文明である。紀元前1650年頃から栄 えたこのギリシアの古代文明は,政治.経済.軍事.宗教のすべての権力を_

手に握った「神的王」によって支配されていた。ミュケナイの諸王国は「奴隷 制と貢納制をもつ」官僚制国家であった。オリエント風の専制君主国家であり,

そこでは農民は王に対する貢納の義務を負う隷属民であった5)。

このミユケナイ文明は東地中海世界を襲った「1200年のカタストロフ」6)で 突然姿を消した。宮殿はことごとく破壊された。猛火に包まれた形跡がほとん どの宮殿跡に残っており,破壊は北から南へと進んだ7)という。その原因に

-4-

(5)

ついては,侵略・内部抗争・奴隷の反乱・地震・干ばつ・海賊,あるいは度を こした官僚化の弊害がもたらした制度崩壊など8)様々に指摘されている。

記録は消滅し,壮大な建築物は失われ,人口は全盛期のおそらく5分の1以 下におちこんだと言われている。ドーリア人を始めとする諸種族の移動の波が ギリシアを襲いミュケナイ文明の社会的遺制の多くを洗い流したのである9)。

農民はミュケナイの諸王朝の貢納制から解放されたが,と同時によく整備され た農耕制度もほとんど壊滅し,かろうじて自給自足できる農耕生活に戻ってし まった'0),という。

王権の弱体化,あるいは消滅のなかで共同体規制は弛緩し,耕地の共有や共 同耕作はなくなった。生産が個別的に行われる条件が増すにつれ,私有財産は

=】-〆一

土地にまで及ぼされた。新しし、村共同体が形成されたが,集団占拠した土地

ケレーロス

(共有地)は各家族に分割地として配分された。共同体の成員Iこ持ち分として 分配された分割地は,薮(くじ)引きで分けられた土地という意味で,「クレ ーロス」(kleros)あるいは「クラーロス」(klaros)と呼ばれた'1)。それは小 麦などの穀物が栽培される10エーカー(4ヘクタール)ほどの耕地であり,

境界を示す石がおかれ,オリーブやぶどうなどの果樹園には垣根や溝がめぐら されていた'2)。

1.2.天水農業

山と湾がせまりその間にかろうじて盆地や平野が広がるようなギリシアの地 形では,耕作に必要な水を得るには降雨に頼るしかなかった。このことは,ヘ ロドトスに語ったというエジプト人の言葉からも明らかである。

「というのは,ギリシアの国土はことごとくその灌Ii既はエジプトのように 河によらず,雨を俟つということを知ったエジプト人が,ギリシア人はいつ かきっと大変な当てはずれをして恐ろしい飢饅に襲われるであろう,といっ たことがあるからである。その言葉の意味は,もし神がギリシアに雨をふら せようとせず旱魅を起こされたならば,ギリシア人は飢饅の厄に見舞われる であろう,彼らには天帝ゼウスから賜る以外には水を得る当てがないから,

-5-

(6)

というのである。」(『歴史』巻2.13)13)

エジプトなどのオリエント世界での農業は,「ギリシアの国士はことごとく その灌慨はエジプトのように河によらず」と言うことばが示すように,大規模 な土木事業によって作られた運河から水を耕地へ引き入れることによって可能 となっていた。農業を営むには,王の「官僚制」によって組織された集団労働 による「運河.灌概」施設の建設と維持が不可欠であった。「河によらず,雨 を俟つ」というギリシアの農業が「天水農業」であるとすれば,オリエント世 界の農業は「灌概農業」であった。それゆえオリエント世界の農民は,土木事 業を組織できる ̄人の強大な専制君主に隷属せざるをえなかった'4)のである。

これに対して,ギリシアにおいては,小麦や大麦やぶどうを育てるのは冬季 の雨であり,そしてその雨水をためて湧き出る泉が灌慨や飲料水の源であった。

泉があるところに村落が発達した。まさにオリュンピアにいます神ゼウスが降 らす雨に頼るという天水農業であった'5)のだ。ギリシアの農民は,運河など

の灌慨施設を建設・維持する強大な王権など必要としなかったのである。

クレーロス

分割地という私有地を得た農民は,泉から水をひくi毒を整備し,耕作の畝の 深さを適切にし,剪定を巧みにおこない,種蒔きや植物の成長に対する配慮を 忘れず行うという,まさに家族による,その中にはすでに家内奴隷もいたのだ が,個別労働によって農業を行うことができた。その日常的反復こそが,農民 の経済的自立を保証した16)のである。

したがって,暗黒時代の,ポリス形成前夜のギリシアの農民は,王の土地を

クレーロス

耕す隷属民でもなく,貴族の土地を借りる借地農でもなく,分割地Iこよって経 済的に自立していた独立自営農民であった。ウェーバーによれば,この時代に あっては,「土地に持分地をもつということと一般自由民であるということ」

とは同じこと'7)であり,それゆえ,アリストテレスがポリスは「いくつかの

._〆-

キナから生じ」と述べたところの村共同体は,このような自由民の共同体であっ たと言ってよいであろう。

-6-

(7)

1.3.フラトリア(兄弟団)とプリユタネイオン

暗黒時代の村共同体にとって-番の課題は,生産ではなく,「安全」であっコ-メ_

た。安全を保証するような国家組織が存在していなかったからである。したが って,この段階の社会で,一般自由民相互の安全保証を,「個人の安全を血の 復讐の義務を負うことによって保証しあうひとぴと」からなる,人為的に形成

された団体が,ウェーバーによれば,「フラトリア」(phratry)'8)であった。

このフラトリアという団体は,ポリス形成後には,「フューレー」(phylai)

という「部族」(tribe)の地域的な小区分として「行政的機能と祭祀的機能」

とを持つようになる'9)。フラトリアは,「兄弟団」(brotherhood)という疑似 種族的な血縁団体であり,軍事的な目的をもった,それゆえ人為的に形成され た「戦士の兄弟団」(brotherhoodofwarriors)20)であった。

フォレストによれば,「フラトリアは,国家組織がほとんど存在しなかった ところのドーリア人侵入後の無秩序の時代」2')に生まれた。ウェーバーも同様 にフラトリアの起源を,ギリシア諸種族が移動し征服と定着を行っていた暗黒 時代にあったのではないかと推測している。すなわち,フラトリアは,ドーリ ア人の移動という暗黒時代の「占領地または外敵の脅威をうけた地域における 一般自由農民の慣行を起源とする」22)ものであり,「土地所有者が戦士共同体 として組織された発展段階,かれらの土地が《槍をもって獲得されたもの》と 考えられた発展段階」23)のものなのである。

農民が王の土地や貴族の土地を耕す隷属民であれば,その安全は王の軍隊や

._〆一

貴族Iこよって保証されたはずである。また,村共同体の安全が,村の有力者た る貴族によって担われていたのであれば,そもそも「血の復讐」によって安全

クレーロス

を担保するような団体は必、要ではない。だが,分割地を配分ざれ経済的に自立 していた農民にとって,自らの安全を保証するものは,おそらく自らと自らの 武器でしかなかったのであろう。それゆえ,まさに土地所有者が「戦士共同体」

として組織されざるを得なかったのである。

ここで特に強調しておきたいのは,ウェーバーによる,フラトリアは「_般

二】-メ_

自由農民の`慣行」が起源であるという指摘である。村共同体の安全を,一般自由

-7-

(8)

農民が,自ら武装し,自らで守らなければならなかったという事情である。農 業を続けるために避けることのできなかった集団としての活動は,かれらの生 活と生産の場を隣接共同体の攻撃から守ることであった。そして,富の多寡や 血統によって村の有力者たる貴族と平民という階層分化は生じていたが,それ が身分制的な支配被支配関係にまで転化してはいなかったであろうということ である。つまり,有力者たる貴族が自ら軍事力を独占し,村共同体の安全を守り,.-〆_

平民としての農民を支配するというようなことはなかった。身分的な支配服従関 係は生じていなかったし,いわんや奴隷制的な主従関係になることもなかった24)。

農民と貴族は同じ自由民として村共同体の平等な成員だったのである25)。ゴーメー

プルタルコスが「それぞれの部落にあっ砿芸当:`)と述べているプリュ

タネイオンの意味について,ここで若干述べておきたい。

プリュタネイオンは,ヘスティアという「炉の神」が祀られている神聖な場 所であった。炉の神たるへステイアは,オリュンポスの十二神の一人であり,

ゼウスによって「すべての人間の家,神々の神殿において祭られる特権」を与

ヘスティア

えられていた。家の炉は,家の中`し、であり,この女神は家庭生活の女神とし

へスティア

て崇められただけでなく,炉(よ犠牲を捧げる所でもあったので,祭壇の女神 として祈願も受けていた27)。

ゴーメー ヘスティア

村共同体にプ'ノュタネイオンが存在したということは,そこで炉が祀られ,

ゴーメー

聖なる火が燃やしつづけられていたとし、うことであり,村共同体がひとつの祭

へスティア

祀団体として形成されてし】たということを意味していた。炉が祀られたプリュ タネイオンは,共同体の政務の場所であると同時に正餐の場であった。つまり,

]_メー

プリュタネイオンをもつ村共同体とは,それが,単なる地縁団体Iことどまらず,

食卓共同体としての祭祀団体でもあったということを示しているのである。

2.暗黒時代末期の王政

2.1.「イリアス」の農民戦士

ミュケナイ文明の崩壊からポリスが形成されるまでのおよそ400年の間がギ

-8-

(9)

リシアの暗黒時代であるが,オリエント風の強大な専制国家は民族移動の波の 中ですでに姿を消していた。とすれば,テセウスが廃した王政は,そのような 王政であるはずがない。その代りに出現していたのは,テセウスが「有力者」

と述べている地方豪族による小王国の割拠状態である。新しく生まれてきた

.-〆一 バシレウス

村共同体の上に,あるいは,その隣に,′1、範囲の共同体の「族長」(bashileus)

としての王が,村共同体を勢力圏にとりこ11)うとして,互いに争っていた28)。._〆_

このような暗黒時代末期すなわちポリス形成前夜の王政の姿を垣間見せてく れるのは,ほかならぬホメロスの叙事詩である。「イリアス」には,英雄同士 の決闘や武勇自慢の描写があふれているが,その背後には武装した歩兵集団 (農民戦士)の戦いが見てとれる。

「軍勢は王の言葉を聞いて一層緊密に隊伍を固めたが,それはあたかも-

人の男が,風の力を防ぐべく,隙間なく石を組んで高い館の壁を築くよう,

そのざまにも似て兜とI齊金を打った楯とがぴたりと接し,楯と楯,兜と兜,人ほぞがね

と人とが免れ合う。馬毛の飾りを戴いた兜Iま,首を垂れるたびに,前立の角もた

が触れ合ったが,それほどにも軍勢は隙間もなく密に立ち並んでいた。」29)

(「イリアス」第16歌)

「隙間なく石を組んで高い館の壁を築くよう,そのさまにも似て兜と膳金を 打った楯とがぴたりと接し」「隙間もなく密に立ち並」ぶ軍勢の姿は,ポリス 形成後にはっきりした姿をあらわす重装歩兵の密集方陣の隊形を坊佛とさせる

ものである。

動員されている兵士は,王の食卓で扶養されている従士でもなく貴族の私兵

アゴレー

でもなかった。トロイア攻撃の是非を問う集会の場(民会)(agore)Iこ兵士た ちが召集されていることからも分かるように,かれらは武装自弁の農民戦士で あった。その集会の場(民会)で全軍の総自Ⅲアガメムノンに噛みついたのが,アゴレー

一介の兵士にすぎなかったテルシテスである。テルシテスはホメロスの英雄叙 事詩の中で描かれている唯一の平民である。

「兵士らはみな腰をおろし,それぞれおとなしく席に控えている中で,ひ とりテルシテスのみは,口汚く罵りつづけてやまなかった。…さてこの時も

-9-

(10)

また,大将アガメムノンに向かって金切り声をあげ,悪口雑言を並べ立てた が,アガメムノンに対してはアカイア軍の兵士らの怒りも激しく,心中穏や かならぬものがあったのである。」30)(「イリアス」第2歌)

ここには,壬の権威にひるまず公然と自分の意見を述べてはばからない平民 の姿が,ホメロスによって活写されている。もちろん,すぐに英雄オデュッセ ウスによって叱責され,皆の笑いものになっているが…31)。

2.2.ホメロス的王政

ホメロスが描いた王政,いわゆる「ホメロス的王政」32)はもはや官僚制を備

バシレウス バシレウス

えたオリエント的な専制国家ではなかった。王は,小範囲の共同体の族長の

バシレウス

ー人にすぎなかった。王を補佐すると同時Iこ制約していた公的機関は二つあ リ’-つ'よ,有力者たる名門貴族からなる「評議会」(boulC)であり,もう_プーレ_

クレーロス アゴレ-

つ'よ,分割地所有農民=戦士からなる自由人総会すなわち民会(agOre)であ った。共同体のあらゆる重要事は,評議会にはからなければならず,異常事態 にあっては,つまり,先に引用したトロイア攻撃の是非などを決定する場合に

は,民会Iこも相談しなければならなかった33)。アゴレー バシレウスコーメー

ホメロス的王政の王は,村共同体の部族の長の中でもっとも尊敬されてし、

る者であり,ホメロスが描くトロイア戦争の総帥アガメムノンもミュケナイ社

ワナクス

会の諸王国の「王」(wanax)のような専市Ⅲ君主ではなく,あくまでも共同体 成員のなかの有力者の-人,いわば「同等者のなかの第一人者」(Prmusinter

バシレウス

pareS)34)lこすぎなかった。王は,臣下たちを対立させるような紛争を解決す

る責任をもつ裁判官であり,神々を祭る儀式の最高の長たる神官であり,そして 戦時には軍隊を統率する最高指揮官であり,いわば終身の執政官であった35)。

3.ポリスの形成と市民

3.1.戦士共同体

シュノイキスモス

集住によるポリスの形成へとギリシア人を促したのは,ウェーバー|こよれ

-10-

(11)

ぱ,ギリシア世界における「慢性的な戦争状態」である。「慢性的戦争状態は,

ギリシアの国際法によって,この時代いらい正常的状態」36)と見なされていた

からである。それゆえ「シュノイキスモス[集住]は何よりもまず,フユーレ ーおよびその小区分に編成された軍隊の創出」なのであり,「戦士階級が都市 国家の主人として組織されたことを意味」37)したのである。フユーレーとはす でに見てきたように部族のことであり,部族内には軍事団体としてのフラトリ アが小集団として存在していた。ポリスの形成とは,何よりもフラトリア(戦 士の兄弟団)の結集であり,アテナイなどのイオニア系のポリスの場合は,フ

ープユーレー

ラト'ノアをその内部にもつ四つの部族から編成されていた38)。

ポリスは,都市ではあったが,他の地域における都市のように市場や港など の商工業の中心地や聖域あるいは王の居住地の周囲などに商工業者などが自然 発生的に集まり,漸次的に作られたものではなかった。フラトリアの結集とし ての戦士共同体の形成であるがゆえに,ブルクハルトが指摘するように,ギリ シアにおけるポリスの成立は「つねにただ,強い,瞬間的意思もしくは決意の 結果として,-回的なもの」39)であったのであろう。アテナイ成立におけるテ セウス伝説が暗示しているのは,まさにこのことである。そしてそれはまたポ リスの市民とは何かを規定するものである。ポリスの市民であるということは,

まずもって戦士集団としてのフラトリアの成員であるということを要求したの である。

フオレストによれば,紀元前510年においても,大多数のアテナイ人にとっ て「市民権の必要にして十分な条件はフラトリアの成員権であった」40)。フラ トリアの一員は,同僚が殺人などの犠牲者になった場合には,その犠牲者の家 族を訴訟などにおいて支援する義務を負っていた41)。そういう依然として濃 厚な仲間団体的な色彩をもつ団体の一員であることが,市民権の必要条件であ

った42)のである。

したがって,ポリスの形成とは,何よりも戦士共同体の形成なのであり,市 民は武装自弁の戦士43)であった。ポリスは,防衛能力を有する防衛団体とし

て,自立した国家組織として形成されたのである。

-11-

(12)

3.2.祭祀団体

ポリス形成後のギリシア人は,強固な市民団の内部団結を有していた。時代 は下るが,ペルシア戦争(紀元前500-前448)の時,ペルシアの王クセルク セスー世にアテナイは占領きれ,城壁の外に追い出された。紀元前480年のサ ラミス海戦を前にして,テミストクレスは同盟諸国の将に次のように述べてい る。

「自分たちの兵員を具えた二百の艦船のある限り,自分たちには彼ら同盟 諸国よりも強大な国家と国士があるのだ,現にアテナイの攻撃を撃破しうる 力のある国は,ギリシア中を探しても一国だにないではないか」44)(ヘロド

トス『歴史」第8巻61節)

都市を離れても崩れないような強固な市民団の内部団結,そして生命力をギ リシアのポリスは有していた45)。それは,ウェーバーによれば,ポリスの形 成が,「宗教的に兄弟の契りを結ぶこと」46)によってなされていたからである。

ポリスは「兄弟盟約として構成された団体」47)であり,それゆえ,「市民たち の-市民としての資格にもとづく-団体的信仰」48)によって市民は一体となっ ていたのである。

市民を守る神の座所としての神殿は,アクロポリス(acropolis)と呼ばれる 小高い丘の上に建立されていた。それは,ミュケナイ時代の宮殿跡に建立され ることが多かった。アクロポリスの原義は「高所の要塞」49)である。そこは外 敵の来襲にあたって逃げこめる避難所であり,包囲に耐えることができるよう に城壁で守られていた50)。アクロポリスの丘の神殿は,都市景観上の要とな り,まさにここに国家としてのポリスが存在するということを内外に示すもの でもあった。この意味でポリスとは,アクロポリスの「丘の麓にこの守護神への 信仰をともにする人々が寄り集まって形成された共同体国家」51)なのである。

シュノイキスモス

だがしかし,集住によるアテナイの形成|こおいて伝説の王テセウスが行っ たのは,アクロポリスの丘の上に神殿を建立することではなく,それぞれの 村共同体が祭而E団体として有していたプリュタネイオンを一つのプリユタネイ。_メ_

オンに統合することであった。テセウスは,「そこでそれまでそれぞれの部落

-12-

(13)

プリュタネイオン

にあった公会堂や議事堂や役所を廃止して,すべて|こ共通な一つの公会堂と議 事堂を現在の町にあるところに作」52)(「テセウス」「フルタルコス英雄伝」)ったの である。

コーメーヘスティア

古代ギリシアで(よ,家でも村共同体でも炉が祀られ,聖なる火が燃やしつ

ヘスティア

づけられていた。この炉が祀られた場所が,プリユタネイオンであり,正餐

シュノイキスモス

の場所であった53)。それゆえ集住によるポリスの形成|こおいては,「諸団体 が従来それぞれの正餐のために用いてきたいくつかのプリュタネイオンを廃止 して,その代わりに都市の単一のプリュタネイオンを設置するという手続き」

が不可欠だったのである。それこそが「兄弟盟約の結果としての都市市民の諸 ジッペ[氏族]の食卓共同体を象徴」別)したものであった。つまり,テセウス が-つのプリュタネイオンを作ったというのは,ポリスの統合と独立を象徴す

る聖なる火を燃やし続けるための共通けWEiK51を備えておく建物としての中央

庁舎を作ったということであり,ポリスを-つの祭祀団体としたということで あった。

したがって,プリュタネイオンは,ポリスの有力者であった参政官(プリュ タニス)らの執務する官庁(公会堂あるいは中央庁舎)であると同時に,「最 高執政官や公賓を接待する迎賓館」56)としても使われており,ここで正餐にあ ずかることは,市民にとって最高の栄誉とされていた。外国からの使節や凱戦 将軍,オリュンピア競技の勝者などの特に功労のあった人が,ここで正餐にあ ずかっていた57)のである。プラトンも「ソクラテスの弁明」のなかでソクラ テスにこう言わせている。

「諸君に忠告を与えるために閑暇を必要とする-人の貧しき功労者にふさわ しきものは,何であろうか。アテナイ人諸君,かくの如き人には,プリュタネ イオンにおいて食事をさせる以上にふさわしいことはないのである。」58)(プラ

トン「ソクラテスの弁明」26)

3.3.ポリスと市民

ポリスという言葉のギリシア語のもともとの意味は,「町」(town)や「都

-13-

(14)

市」(city)である。すでに見てきたように,ポリスは何よりも宗教的な兄弟 の契りによって形成された防衛団体であり,そしてまた祭祀団体として結集し た市民団であった。

シュノイキスモスクレーロス

ポリスの中心的メンバーは,貴族とともに集住した分割地所有農民であり,

「ポリスの人びと」という意味で「ポリータイ」(pOlitai)(市民)と呼ばれた。

アテナイのように大きなポリスでは,ポリスは城壁に囲まれた都市と周辺領域 とで構成されていた.都市に住む人々だけでなく地方に住む人々も,ポリスの 中に ̄緒に住んでいるかのようにそう呼ばれた59)のである。

ゴーメー

ポリスが市民団として国家であると同時(こ都市であるためには,村共同体の

シュノイキスモス

人々が城壁で囲い込まれた ̄定区域の共有地に強制的に移り住tfという集住

が,必要であった60)。国家として結集した市民団の恒常性は,城壁の内側に 市民が集まる公共建造物と市民団の居住地を構築することで確保されたのであ る。ギリシア人は,単なる都市でもなく,単なる国家でもなく,都市であり国

シュノイキスモス

家でもある「都市国家」としてのポリスを,集住によって,「強い,瞬間ロ勺 意思もしくは決意の結果として,-回的なもの」として形成したのである。そ

れゆえ,ブルクハルトによれば,ポリスは,「決定的なギリシア的な国家形態」61)

なのである。

アリストテレスによれば,王権が担っていた仕事を担う権利は,「自費で武 装し得る人々に与えられていた」(「アテナイ人の国制」第4章l)62)のである。

市民は戦士として国家の防衛にあたるだけでなく,国家の運営も担った。アリ ストテレスは,市民を「審議と採決に関する公職に参与する資格のある者」

(『政治学Ⅲ第3巻第1章)63)と定義しているが,ポリスは常設の官僚装置や常 備軍を備えていたわけではなかったので,市民団がまさに国家そのものであっ た。それゆえ,市民の政治参加は,まさに当然の要請であった。

結びに代えて

アーレントは,ギリシアポリスと政治的であるということとの関係について,

-14-

(15)

次のように述べている。

「政治的であるということは,ポリスで生活するということであり,ポリ スで生活するということは,すべてが力と暴力によらず言葉と説得によって 決定されるという意味であった。」64)

これに対して,「暴力によって人を強制すること,つまり説得するのではな く命令すること」は,「ポリスの外部の生活に固有のもの」であり,「家長が絶対 的な専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有のもの」65)であった。

つまり,ポリス内部では,つまり,アゴラ(agora)という広場を中心とし た公共空間では暴力が排除され,言葉と説得による政治を市民はおこなってい たが,他方では,市民(よ,かれらの生活を支えていた家(Oikos=household)オイコス

の領域においては,家長として,アリストテレスがいう「主人的支配」を行っ ていたのである。「主人の支配は自然による奴隷を対象」66)としているが,バ ーカーによれば,この主人的支配は,奴隷に対する主人の関係だけでなく,子 どもに対する親の,妻に対する夫の関係も含んでいる67),という。

ギリシアのポリスは,これまでその形成について見てきたように,戦士共同 体であった。それゆえ,フランスの古代ギリシア史家ピエール・ヴイダルーナ ケが言うように,ギリシアのポリスは,「二重の拒絶」で自らを明確にしてい た。ポリスは,女性を拒絶することで「男のクラブ」なのであり,奴隷を拒絶 することで「市民クラブ」68)であった。まさしくクラブともいうべき団体を形 成することで,自由で平等な市民団を形成していたのであり,それ故,女性と 奴隷,それに居留外国人をポリスの世界から,政治の世界から排除していたの である。

アリストテレスも『政治学』第1巻第2章「国家の発生,『人間は自然によ って国家的動物である」」において,次のように述べている。

「国家は自然によるものの-つであり,そして人間は自然によって国家的

(ポリス的)動物である。そして偶運のいたずらでなく,生れついた性質の ゆえに国なき者は,人間として劣悪な者か,それとも人間を越える存在であ るカユのいずれかである。ホメロスが非難したように,

15-

(16)

部族の仲間もなく,徒もなく,家の竈(かまど)もない。」69)

つまり,アリストテレスは,「人間は自然によって国家的(ポリス的)動物 である」と述べているのであるが,すぐに続けて,「生れついた性質のゆえに 国なき者」つまりポリス的動物でないものがいると言う。それは一体誰か。そ れは,「人間として劣悪な者か,それとも人間を越える存在であるかのいずれ か」なのである。

それでは,具体的にはどのような人が,ポリス的動物ではないのかというこ とに関しては直接的な言及はなく,ホメロスの「イリアス」の引用で代えてい る。「ホメロスが非難したように」という限定つきでの引用なので,それは

「人間として劣悪な者」として「国家的(ポリス的)動物」たり得ないものを 指していると思われる。

該当個所は,こうである。

「部族もなく(clanless」,法もなく(lawless),炉もなき者(hearthless)」70)

(ホメロス「イリアス』第9歌63)

ホメロスの引用が明らかにしているのは,ポリスの市民は無条件につまり

「自然によって」ポリス的動物であるのではないということである。われわれ がすでにポリスの形成において見てきたように,ポリスの市民とは「部族」の 一員であること,つまり,ポリスの内情に即していえばフラトリア(戦士の兄

へステイア

弟団)の一員であること,「法」の支配にHRしていること,そして,「炉」を もっているということ,つまり祭祀団体の一員であることを,必要条件とした ということである。

l) 従来の慣用にしたがって「暗黒時代」という表現をつかったが,暗黒時代とい う表記が価値否定的な印象を与えることもあって,最近では価値中立的な初期 鉄器時代という時代名が用いられるようになってきている,という(周藤芳幸

「ギリシア世界の形成」桜井万里子編著「ギリシア史」(山川出版社,2005年),

44頁参照)。

ジョン.キャンプ,エリザベス・フイッシャー,(吉岡晶子訳)「図説古代ギリ 2)

-16-

(17)

シア」(東京書籍,2004年),21-2頁参照。

Aristotle(editedandtranslatedbyErnestBarker),77zePoMcsqfAmstoUle (Oxford,1946,reprintl977),p3.アリストテレス(牛田徳子訳)「政治学」(京 都大学学術出版会,2001年),8頁。

プルタルコス「テセウス」(太田秀通訳)(村川堅大郎編)「プルタルコス英雄 伝上」(ちくま文庫,1987年),32-3頁。

太田秀通「生活の世界歴史3ポリスの市民生活」(河出書房新社,1975年),

24頁参照。

周藤芳幸「ギリシア世界の形成」桜井万里子編著「ギリシア史」(山川出版社,

2005年),42頁。

ジョン・キャンプ,エリザベス・フイッシャー,前掲書,79頁参照。

Cf.,VictorDavisHansen,T/zeOmeγGγee/Cs:WzeFam〃Z/FYL1wzq7zdtノze Agγαγja7zHootsq/WestenzCM伽atZo7Z,zuZt/zα/VeuノP7G/izceqnd BiMogγαp/zZcEssaZ/(UniversityofCaliforniaPress,1995),p28.

太田秀通「ミュケナイ社会崩壊期の研究」,226頁参照。

Cf,VictorDavisHansen,WtL7qsq/ZノzeA〃ciemG7ee/Cs(Washmgton:Smithsonian Books,1999),p33ヴイクター・デイヴイス・ハンセン(遠藤利国訳)「図説古 代ギリシアの戦い」(東洋書林,2003年),36頁参照。

太田秀通「ミュケナイ社会崩壊期の研究」(岩波書店,1968年),341頁参照。

Cf,VictorDavisHansen,opcZf,p44ヴイクター・デイヴイス・ハンセン,前 掲書,56頁。

ヘロドトス(松平千秋訳)「歴史上」(岩波文庫,1971年),169頁。

マツクス・ウェーバー(上原専禄・増田四郎監修,渡辺金一・弓削達訳)「古 代社会経済史」(東洋経済新報社,1963年),78-9頁参照。

太田秀通「ミユケナイ社会崩壊期の研究」,414頁参照。

前掲書,同頁参照。

ウエーバー「古代社会経済史」,180頁。

前掲書,同頁参照。

前掲書,同頁参照。

Cf,SarahBPomeroy,StanleyM・Burstein,WalterDonlan,JenniferTolbert Roberts,A)Me"tG7weece:APO伽cal,SocjalI,a1zdCz(1t"γqlHdstoTZ/(NewYork:

OxfordUniversityPress,1999),pl62

WG、フオレスト(太田秀通訳)「ギリシア民主政治の出現」(平凡社,1971年),

236頁。

ウェーバー「古代社会経済史」,182頁。

前掲書,181頁。

3)

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5)

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8)

9)

10)

11)

12)

113411

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20)

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23)

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(18)

24)太田秀通「スパルタとアテネー古典古代のポリス社会一」(岩波書店,1970年),

50-1頁参照。

25)Cf,VictorDavisHansen,opc肱,p、35.ヴイクター・デイヴイス・ハンセン,前 掲書,41頁。

26)プルタルコス「テセウス」,32頁。

27)高津春繁「ギリシア・ローマ神話辞典」(岩波書店,1960年)「ヘステイアー」

参照。

28)Cf,VictorDavisHansen,opcit.,p33.ヴイクター・デイヴイス・ハンセン,前 掲書,36頁参照。

29)ホメロス(松平千秋訳)「イリアス下」(岩波文庫,1992年),124-5頁。

30)ホメロス(松平千秋訳)「イリアス上」,52-3頁。

31)前掲書,54-5頁参照。

32)クロード・モセ(福島保夫訳)「ギリシアの政治思想」(白水社,1972年),10 頁。

33)太田秀通「ミュケナイ社会崩壊期の研究」,354頁参照。

34)太田秀通「テセウス伝説の謎一ポリス国家の形成をめぐって-」(岩波書店,

1982年),43頁。

35)クロード・モセ,前掲書,11頁参照。

36)マツクス・ウェーバー「古代社会経済史」,200頁。

37)前掲書,同頁。

38)Cf,SarahBPomeroy,StanleyMBurstein,WalterDonlan,JenniferTolbert Roberts,op、02t.,p,162.

39)ブルクハルト(新井靖一訳)「ギリシア文化史l」(ちくま学芸文庫,1998年),

138頁。

40)W、Gフオレスト「ギリシア民主政治の出現」,236頁。アリストテレスは,「ア テナイ人の国制』において,クレイステネスの改革の後においても「彼は各人 に氏族とかプラトリアに所属し,またそこで神官職に就くことを父祖伝来の制 度に従って存続させることを認めた」(アリストテレス(村川堅太郎訳)「アテ ナイ人の国制」(岩波文庫,1980年),46頁)と述べている。村111堅太郎氏の 訳注によれば,市民の新生男児は生後3年ぐらいでフラトリア団員に紹介され,

嫡出子と認められたものが,フラトリアの戸籍に登録された。嫡出の証となる 両親の正式の結婚についても,婚姻届や台帳はなかったが,新郎が自分のフラ トリアの団員のために結婚祝いの供儀と饗宴を行って,団員の確認を得るのが 習慣だった,という(村川堅太郎のフラトリアについての訳注,前掲書,179 頁参照)。

41)Cf,SarahBPomeroy,StanleyMBurstein,WalterDonlan,JenniferTolbert

-18-

(19)

Roberts,op・Cit.,p162.

Cf、PeterLiddel,CMcOMgiatZwza7zdhzd畑d"αlLZbeγt1/伽A7zcie7zMt/ze?zS (OxfordUniversityPress,2007),p73.

ソロンの改革において,市民が戦士であることを坊佛させるようなことを規定 している。「ソロンは国内にしばしば党争が起こるにもかかわらず市民の中に は無関心から成行きに委ねるのを好む者のあるのを見て取り,かかる人々に対 する独特の法を設け,国内の党争あるとき両派のいずれかに与して武器をとる ことのないものは市民たる名誉を喪失し国政に与り得ぬこととした。」(アリス

トテレス「アテナイ人の国制」,26頁)。

ヘロドトス(松平千秋訳)「歴史下」(岩波文庫,1972年),182頁。続けて テミストクレスは,次のように述べている。「しかしもし私の計画を実行して くれぬのならば,われわれはこのまま直ちに家族を収容してイタリアのシリス ヘ移住するであろう。この町は古くからわが国の所有であり,託宣もこの町が われわれによって植民きるべきことを告げているのだ。」(前掲書,183頁)ブ ルクハルトが,近世の都市住民との比較の中で述べている,古代ギリシアのポ リス住民の「移住可能性」(ブルクハルト,前掲書,565頁)が,ここにははっ きりと見て取ることができるだろう。

ブルクハルト,562-74頁参照。

マックス・ウェーバー(黒正巌・青山秀夫訳)「一般社会経済史要論下巻」(岩 波書店,1955年),183頁。

ウェーバー(世良晃志郎訳)「都市の類型学」(創文社,1964年),81頁。

前掲書,82頁。

桜井万里子「ポリスの時代」桜井万里子編著「ギリシア史」,52頁。

ジョン・キャンプ,エリザベス・フィッシャー,前掲書,116頁参照.

桜井万里子「ポリスの時代」,前掲書,52頁参照。

プルタルコス「テセウス」,32頁。

高津春繁,前掲書,「ヘステイアー」参照。

M・ウェーバー「都市の類型学」,83頁。

新しい都市を形成するときには,「市の炉の火が移植民によって新市にもたら された」(高津春繁「ギリシア・ローマ神話辞典」)のである。

ジョン・キャンプ,エリザベス・フイッシヤー,前掲書,253頁。

久保勉「解説」,プラトン(久保勉訳)「ソクラテスの弁明・クリトン」(岩波 文庫,2007年改版),110頁参照。

プラトン「ソクラテスの弁明・クリトン」,58頁。ソクラテスを告発したメレ トスは,かれを「死刑に処することを提議した」のに対して,逆にソクラテス が民衆法廷に提議したのが,「プリュタネイオンにおける食事」である。ソク 42)

43)

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46)

47)

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49)

50)

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56)

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58)

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(20)

ラテスは言う,「もし私が正しきに従って私が当然受<べきものを提議すべき であるならば,私はこれを提議する,すなわちプリュタネイオンにおける食事 を。」(前掲書,59頁)。

Cf,SarahBPomeroy,StanleyM・Burstein,WalterDonlan,JenniferTolbert Roberts,op、Cit.,p、84.

/bid・

ブルクハルト,前掲書,138頁。

アリストテレス「アテナイ人の国制」,20頁。この説明は,紀元前624/3年 にドラコンが制定した制度についての説明の箇所で出てくる規定である。該当 箇所を,そのまま引用しておく。「参政権は自費で武装し得る人々に与えられ ていた。彼らは9人のアルコンと財務官とを十ムナを下らない,負債のない財 産をもつ人たちから選び,その他の余り重くない役は自費で武装し得る人たち から選び,将軍と騎兵長官とは百ムナを下らない,負債のない財産と正妻から 生まれた十歳以上の子供とを示し得る人たちから選んだ。」(前掲書,同頁)。

、/zePo伽Cs.,opcZL,p95.アリストテレス「政治学」,116頁。

HannahArendt,、/zeHM7zq7zCo7zd伽oDz(TheUniversityofChicagoPress,1958, paperbackeditionl989),pp26-7.(志水速雄訳)「人間の条件」(筑摩書房,

1994年),47頁。

IML前掲書,同頁。

T/zePoMcs.,opciA,pl7・アリストテレス「政治学」,23頁。

Cf.,ErnestBarker,op、Cit.,p17.

ピエール・ヴイダルーナケ(金澤良樹訳)「伝承・神話・空想社会における奴 隷制度とく女たちによる支配>」(「現代思想特集=甦るギリシヤ」(青土社,

1999年8月号),229頁。

、/zePoMMcs,OPC伽,p5.アリストテレス「政治学」,9頁。

肋zdここでは,山本光雄訳を用いている。アリストテレス(山本光雄訳)「政 治学」(岩波文庫,1961年),35頁。このアリストテレスのホメロスからの引 用個所は,iイリアス」第9歌63である。邦訳では「無籍者か無法者,または 家を持たぬ浮浪者の類い」(松平千秋訳,268頁)となっているが,意訳のし過

ぎのような気がする。

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60)

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65)

66)

67)

68)

69)

70)

※本稿は,平成16年度-19年度科学研究費補助金(基盤研究(A)政治理論のパラ ダイム転換・研究代表者千葉眞(国際基督教大学)・課題番号16203008)に基づく研 究成果の一部である

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参照

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