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日本国憲法を考える 西 修

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《講演》

日本国憲法を考える

西  修

駒澤大学名誉教授

1.世界の憲法動向について

ご紹介いただきました西です。よろしくお願いいたします。

本日は、レジュメにあるように、第1部「世界の憲法を知ろう」、第2部「日 本国憲法の成立過程を知ろう」、第3部「日本国憲法のありようを考えよう」

の3部構成でお話をさせていただきます。

パワーポイントとレジュメを使用しながら、進めていきます。

まず第1部「世界の憲法を知ろう」について。

表1「各国憲法の制定年(~ 1940 年代)と改正の実際」をご覧ください。

これは、世界の成典化憲法 189 を制定順に 1940 年代まで並べ、あわせて改 正の実際を示したものです。

第一にいえることは、46 年 11 月3日―まさに本日から 73 年前―に公布さ れた日本国憲法は、いまや古い方から 14 番目に当たるということです。よ く「日本国憲法は新憲法」といわれますが、完全なる誤りであることがおわ かりいただけるでしょう。

第二に、世界の憲法はかなり頻繁に改正されているということです。70 年 以上にわたり、無改正の国はありません。日本国憲法の異例、異様さが、一 目瞭然です。日本国は、旧世代の憲法なのです。このことをまず頭に入れて おいていただきたいと思います。

各国の改正の実際について、少しお話いたします。1814 年のノルウェー憲 法をご覧ください。「改正は頻繁(400 回以上とも)」と記されています。あ

比較法制研究(国士舘大学)第 42 号(2019)85-108

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る本に“more than 400 times”と書いてありました。そこで正確な回数を知 りたいと思い、ノルウェー大使館のホームページに入り、問い合わせました。

しばらくしてから、司法省から回答がありました。「私たちも分かりません」。

考えられますか。所管の省が憲法改正の回数を掌握していないのです。「社 会が変われば、憲法も変わるのが当たり前ではないか」。そんな感じでした。

1か条でも変えれば、天地が引っくり返るようなわが国とは大違いという感 じでした。

メキシコもすごいですね。100年間で何と225回(のべ687か条)とあります。

インドは、70 年間に 103 回も改正しています。そしてドイツは、今年の3月 までに 63 回を数えます。この3国は連邦国家ですが、連邦国家では概して 改正が多くあります。なぜならば、連邦国家の憲法は連邦と州の管轄を細か く定めており、状況の変化により管轄範囲が変わることが多いからです。

ドイツの憲法について言及すれば、敗戦によって東西に分裂、西側では 1949 年にボン基本法(憲法に相当)が、東側では 68 年に社会主義憲法が制 定され、体制の違う憲法が併存していたのですが、89 年 11 月にベルリンの 壁が崩壊し、西側が東側を吸収合併しました。その後、西側で施行されてい たボン基本法が全土に適用されています。ボン基本法は、当初、軍備条項を もっていなかったのですが、54 年3月、徴兵制を含む軍備条項が設けられ、

また 68 年6月には、20 数か条に及ぶ国家緊急事態条項が導入されました。

スイスは、1999 年4月の国民投票で新憲法が採択され、2000 年1月1日 に施行されました。この憲法は、今年の3月までに、すでに 36 回改正して います。1年に2回ぐらいの頻度です。なお、同国では旧憲法の 1874 年憲 法が、1999 年までに約 140 回改正されています。

そしてもう一つ、フィンランドでは、2000 年3月1日に新憲法が施行され ました。

この憲法は、18 年 10 月までに、すでに4回改正されています。両国とも 民主主義国家です。私はこれらの憲法をミレニアム憲法といっているのです けれども、憲法を改正することをまったく躊躇していません。

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表2へまいります。「平和条項の態様と採用国」というタイトルになって います。よく「日本国憲法は、世界で唯一の平和憲法である」といわれます が、本当にそうでしょうか。私は 189 の成典化憲法を対象にして、17 のジャ ンルを設定しました。結論からいいますと、いずれかの平和条項を憲法に明 記している国家は、189 のうち 161 にみることができます。85.2%に及びます。

いまや平和条項を憲法に入れるというのは、ごく当たり前のことになってい るのです。

この表について、2つだけ指摘しておきます。

⑪をご覧ください。わが国の9条1項と同じく「国際紛争を解決する手段 としての戦争放棄」は、アゼルバイジャン、エクアドル、イタリア、ボリビ アの諸国憲法にみられます。わが国では、この文言により、あらゆる戦争を 放棄しているとの解釈があります。

日本以外の上記諸国は、すべて軍隊を保持し、しかも兵役の義務規定を設 けています。このことは何を意味するか。これらの諸国では、「国際紛争を 解決する手段としての戦争放棄」には、自衛戦争は含まれないと解釈されて いることを意味します。「自衛戦争を含む全面的な戦争放棄」と解するのは、

日本でしか通用しないということです。

実は、1928 年の不戦条約に、これと同旨の規定があり、放棄すべきは侵略 戦争であるという国際的な合意ができていました。

もう一つ、⑬をご覧ください。「外国軍隊の通過禁止・外国軍事基地の非 設置」とあり、フィリピンがあげられています。フィリピンでは、フィデル・

マルコス大統領の独裁政権が崩壊し、コラソン・アキノ大統領が誕生しまし た(在位 1986 ~ 92 年)。夫のベニグノ・アキノが上院議員だったのですが、

マニラ空港で射殺され、その身代わり候補だったのです。その息子のベニグ ノ・アキノ3世は前大統領職を務めました(在位 2010 ~ 16 年)。

コラソン・アキノ大統領のもとで、1987 年に新憲法が制定されました。自 国に他国の軍事基地を設置しないという「平和」条項の設定が、目玉の一つ でした。

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その結果、米軍は、スービック海軍基地とクラーク空軍基地を閉鎖し、撤 退しました。その後、何が起きたでしょうか。中国が南シナ海に人工島をつ くり、滑走路を建設、軍事基地化しています。「平和」条項の行きつく先を 表しているといえます。もって他山の石とすべきでしょう。

表3へいきます。「1990 年2月(ナミビア)以降、2019 年8月(スーダン)

までに新しく制定された各国憲法(104 か国)の動向(態様)―新しい権利、

平和・国家緊急事態対処条項などを中心に」とあります。なぜ 1990 年以降 にしたかといえば、この時期、ベルリンの壁の崩壊をきっかけにヨーロッパ における社会主義国家が消滅しました。ソ連邦が崩壊し、いくつもの独立国 家が誕生しました。その 1990 年を起点にして、今日まで世界でまったく新 しく誕生した 104 か国の憲法を入手、分析しました。この約 30 年間に 104 もの国家で新憲法が誕生したという事実に、私も非常に驚きました。

これら 104 の憲法について、9項目を立てて、どの国の憲法にどの条項が あるかを調査しました。104 ×9= 936 です。936 のマスの中を全部埋める のは、大変な作業でした。その結果を示したのが、表3です。

これらのうち、80%以上の憲法で取り入れられている項目をあげると、環 境の権利・義務・保護条項が 99 カ国(95.2%)、プライバシーの権利 87 か国

(83.7%)、家族の保護 87 か国(83.1%)、政党 91 か国(87.5%)、国民投票

〈憲法改正を含まず〉93 か国(89.4%)、平和 102 か国(98.1%)、国家緊急事 態対処 104 か国(100%)になっています。新しい権利としての環境条項が、

非常に多くの憲法で導入されていることに驚きました。

私がこの表で何よりも強調したいのが、国家緊急事態対処条項を採択して いる国家は 104 か国中、104 か国(100%)だということです。一方、平和条 項は 104 か国中 102 か国(98.1%)で採択されています。このことは何を意 味しているか。世界の憲法は、平和条項と国家緊急事態対処条項とをセット にしていることです。平和を志向するが、その平和を万が一、侵された場合、

憲法秩序をしっかり保っていくために国家緊急事態対処条項を設定する―こ れが世界の憲法常識なのです。

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わが国では、国家緊急事態対処条項を憲法に入れれば、国民の権利が侵さ れるという見方がありますが、むしろ多くの国民の権利や生命、身体を保護、

維持していくのが国家緊急事態対処条項なのです。このことをしっかり認識 しておく必要があります。

以上のデータについては、出版されたばかりの拙著『憲法と正論』(産経 新聞出版、2019 年)に掲載されていますので、ご高読いただければ幸いです。

2.日本国憲法の成立経緯について

(1)マッカーサー草案起草者たちの証言

私は、1984(昭和 59)年から 85(昭和 60)年にかけて、アメリカで在外 研究をした折りに、連合国総司令部(GHQ)民政局で日本国憲法の原案たる マッカーサー草案を起草した8人を含む、米国における関係者 18 人にイン タビューをしてきました。またその前後に、存命だった日本側の当事者およ び関係者 27 人にインタビューしました。これだけの人びとから証言を得た のは、私以外にいないと自負しています。

最初にパワーポイントで6人を映し出し、かれらがどんなことを語ったか、

その要点をお伝えします。

この人は、リチャード・プールという人(海軍少尉、26 歳、当時。以下、同じ)

です。ハーバーフォード大学を卒業し、スペインのバルセロナ領事館副領事 などを務め、GHQ に入りました。

天皇や憲法改正の章などを担当しました。なぜ、天皇の章を担当するこ とになったのか。誕生日が4月 29 日だったからです。おわかりでしょうか。

昭和天皇の誕生日が4月 29 日だったのです。民政局員 20 数人の誰がどの章 を担当するかは、半日程度で決められましたが、こんな感じだったのですね。

印象深かったのは、憲法改正手続き条項についてです。現行憲法の 96 条は、

改正案が両院で総議員の3分の2以上の多数により国民に発議され、国民投 票で過半数の賛成を得なければならないという、きわめてハードルの高いも

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のになっているのですが、プールらが起草した第一次案は、もっと厳しいも のでした。概要は、以下のとおりです。

①制定から 10 年後の 1955 年までは、改正してはならない。

② 10 年の経過後に、国会(1院制)の特別会を召集して審議する。

③その後も 10 年をへるごとに、国会の特別会が開かれる。

④ 特別会では、国会議員の3分の2以上の議員により提案され、4分の3 以上の多数の賛成がなければ成立しない。

10 年間の改正禁止、特別国会における3分の2以上の議員による提案と4 分の3以上の賛成が要件であり、非常に厳しいですね。

私がプールに「なぜ、10 年間、憲法改正が禁止されるのですか」と聞いたら、

こんな答えが返ってきました。「私が読んだ本に『日本はまだ、民主国家で はない』と書かれていました。だから、民主主義憲法をつくったとしても、

保守反動グループは、すぐに変えてしまうでしょう。いわば民主主義の学習 期間として、10 年は必要だと考えたのです」。

この第一次案が、形を変えて現行憲法の 96 条になったわけです。GHQ は、

日本の民主主義を信用していなかったことがうかがわれます。

プールについては、こんなエピソードがあります。戦争放棄を定めている 9条に反対しました。そうしたら、民政局次長で、マッカーサー草案の取り まとめをした運営委員長のチャールズ・ケーディス大佐から、つぎのように 問われました。「この9条は、どこから出てきたか知っているかね」。プール は答えました。「ノー、サー」。ケーディスが言葉を続けました。「これは、マッ カーサーから出てきたのだよ。何か質問があるかね」。プールはかしこまっ て答えました、「ノー、サー」。マッカーサーの栄光がどれだけ強かったか、

この会話を聞けばよくわかります。

プールと同じ章を担当したのが、ジョージ・ネルスンです(陸軍中尉、25 歳)。ロックフェラー財団研究員をへて、GHQ に勤務。パリのオルリー空港 から約2時間のフライト、さらに車で1時間という片田舎に住んでいました。

非常に残念なことに、フィルムが切れてしまい(当時は 24 枚とか 34 枚撮り)、

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写真を撮ることができませんでした。彼との対談で重要な点は、天皇の「象 徴」は自分が提案したと語ったことです。ネルスンは、英国の著名な政治学者、

ウォルター・バジョットの“The English Constitution”という本のなかで英 国の国王の地位を表現した部分に、“尊厳性”との関係で、“living symbol”(生 きている象徴)との語があったので、日本国憲法に取り入れたというのです。

天皇の「象徴」の出所がわかり、非常に有意義でした。

二番目のこの人は、オズボーン・ハウゲです(陸軍中尉、32 歳)。セント・

オラフ大学を卒業し、駐米ノルウェー大使館などに勤務していました。マッ カーサー草案では、立法権の章を担当。同案は国会の構成を1院制にしてい たので、私はその理由をたずねたところ、マッカーサー元帥の指令だったか らだという返事が返ってきました。私は疑問に思いました。というのは、一 般にマッカーサーが指示したのは、天皇の地位、平和条項(9条の原点)、

封建制の禁止など3原則といわれているもので、1院制は入っていなかった はずだからです。ハウゲは、私に答えました。「一般に3原則といわれてい るが、私の記憶では、約半ダースあって、そのなかには一院制も入っていた はずだ」と。

実はこの3原則は、ケーディスらがあとになって思い出して書き残したも ので、真相ははっきりしません。ケーディスは私にこんなふうに話しました。

「私は、そのときのメモを民政局長のコートニー・ホィットニー准将の息子

(ジュニア)に渡してしまっており、後日、問題になったので、見せてほし いといったら、ジュニアは、引っ越しのとき紛失してしまったと告げました」。

ホィットニーの息子には、歴史的資料という認識が少なかったようです。

三番目のこの人は、ミルトン・エスマンです(陸軍中尉、27 歳)。エスマンは、

GHQ へ入る前に、プリンストン大学で博士号を取っていました。私が会っ たときは、コーネル大学というトップ・クラスの大学の教授をしていました。

GHQ では、各国の行政制度を研究していた関係で、行政権の章を担当しま した。

彼は「行政権は、内閣総理大臣に属する」という規定にすべきことを主張

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しました。現行憲法は「行政権は、内閣に属する」となっており、行政権を ただ一人の内閣総理大臣にではなく、合議体としての内閣に帰属させていま す。

エスマンは当時、日本国憲法を外国人が起草するのはおかしいとも主張し ました。エスマンは、自分の主張に固執しすぎたようで、作業の途中でケー ディスら上司によって、日光で休暇を取るように命じられ、最後まで参加し ていません。

四番目のこの人は、ベアテ・シロタです(非軍人、22 歳)。彼女の父親は、

レオ・シロタという著名なピアニストで、東京音楽大学(現在の東京芸術大学)

教授に招聘されました。ベアテは、父母とともに5歳のときに来日し、10 年後、

渡米してミルズ大学へ入学します。卒業後、タイム・マガジン社などに勤務、

22 歳のときに父母のいる日本へ戻り、GHQ で勤務しました。

彼女は、女性の権利や家族の権利を起草しました。日本語に通じていたの で、都内のあちこちの図書館で各国の憲法などを借りてきて、非常に重宝が られました。「みなさんに大変喜ばれて、私はヒロインになりました」と目 を細めて笑っていたのが印象的でした。

この人が、チャールズ・ケーディスです(陸軍大佐、40 歳)。コーネル大 学卒業後、ハーバード・ロースクールを修了し、弁護士をしていましたが、

陸軍へ入隊、ヨーロッパでの作戦に参画しました。このときは民政局次長の 地位にあり、マッカーサー草案をとりまとめる運営委員長として全体を統括 し、またその後の日本側との折衝のすべてにかかわり、まさにキーパースン 中のキーパーソンです。私はかれに4回会っていますが、84 年 11 月には、

マサチューセッツ州の郊外にある自宅で、数時間、話を聞きました。のちほ ど9条の成立過程との関連で、お話をします。

もう一人、この人はだれかおわかりでしょうか。ジーン・マッカーサー夫 人です。これは、夫人がバージニア州のノーフォークでおこなわれた占領史 学会へゲスト・スピーカとして招かれたときに、私と握手しているところで す。実はその前日、マッカーサー記念館で調査していたら、夫人が係官に伴

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われて現われ、係官から問われた写真などについて、てきぱきと応答してい ました。とても 86 歳とは思えないほどかくしゃくとしていました。

これらの写真にはありませんが、セシル・ティルトン((陸軍少佐、44 歳)

は、カリフォルニア大学(学士号、修士号)、ハーバード大学ビジネス・スクー ルを修了し、コネティカット大学助教授の経験を有しています。地方行政の 章を担当しました。自分が地方へ視察に出かけたら、あまりにも中央主権型 で、地方にはほとんど権限がないことを知り、草案には地方に多くの権限を 与える条項を盛り込みました。ところが、運営委員会で自分の案がボツにさ れてしまいました。そのことに悲憤慷慨し、40 年近く経っているのに、恨み 骨髄という感じでした。

もう一人、フランク・リゾー(陸軍大尉、42 歳)は、コーネル大学卒業後、

ニューヨーク大学大学院(経済学、財政学)、ジョージ・ワシントン大学大 学院(政治学、国際関係論)を修了し、投資銀行などに勤務。陸軍入隊後は、

占領地域における財政問題の研究に従事していました。そのような履歴から、

財政の章を担当しました。

皇室財産の民主化、国家と教会の分離、教育への金銭的介入の抑制などに 留意したということでした。

リゾーはまた、9条の発案者について、民政局長のホイットニーから聞い た話として、大変興味深いエピソードを語ってくれました。それは、1950 年 6月に朝鮮戦争が勃発する前までは、9条の発案は「アワー・オールドマン

(マッカーサー元帥)」だといっていたが、朝鮮戦争勃発後になると「ユア・

オールドマン(幣原首相)」に変わったというのです。朝鮮戦争時、日本に 駐留していた米軍が朝鮮半島へ出動しなければならず、日本が空白状態にな る、そうすると非武装憲法の発案者の責任が問われ、マッカーサー元帥だと いうことになるとまずいと考えたというのです。

以上、広大なアメリカ大陸を東西南北に足を伸ばしただけでなく、フラン スの片田舎にまで足を運びました。かれらの証言は、日本国憲法の成立過程 において、重要な意義を有するものと確信しています。

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総括として、つぎの3点のみを指摘しておきたいと思います。

第1点は、巷こうかん間、「日本国憲法の原案はアメリカの素人の軍人によって作 られた」といわれていますが、いわゆるたたき上げの軍人ではなく、民間で 高いレベルの教育を受けてきた人たちだったということです。私との会話に おいて、民主主義の理念を中心すえたことを強調していました。

第2点は、しかしながら、日本の歴史や文化には浅薄であったことは否め ません。憲法前文は、世界の歴史的文書の完全なコピペです。憲法には、ヨ コとしての共通性とタテとしての固有性が必要ですが、日本国憲法には、日 本国の歴史にもとづく固有性が包含されていません。

第3点は、私がインタビューをした8人のうち、シロタを除いて、40 年間、

一度も改正されていないことを知らなかったということです。ケーディスで さえ、私が訪問した前年、日本政治史の研究者を通じてはじめてそのことを 知ったと語っていました。自分たちはマッカーサー元帥の命令によって日本 国憲法案を起草したが、それは暫定的な性格をもつもので、日本国民が改正 または新憲法を作成しているとばかり思っていたということでした。

(2)9条の成立経緯

9条が、現在の条文になるまではいくつかの変遷をとげています。重要な 変換点をあげます。

① 9条の原点は、マッカーサー・ノートの第二原則にあり、そこには「日 本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持す るための手段としてさえも戦争も、戦争を放棄する」と記されていまし た。この条項では、自衛戦争をも放棄しなければならないことは自明で す。

② この条項を受け取ったケーディスは「自己の安全を保持するための手段 としてさえもの戦争」の部分を削除しました。なぜ、削除したのでしょ うか。みなさん、今日は英語の勉強として、ケーディスと私との会話を 録音した CD を持参しました。お聞きください。

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ケーディスの言葉を要訳すると、つぎのようになります。

“I omitted the words, even for preserving its own security, because it seemed to me that it was not realistic, to say that if Japan were attacked, it could not defend itself.”

おわかりでしょうか。「私は『自己の安全を保持するための手段としてさえ』

の部分を削除した。なぜならば、私には非現実的であると思えたから。すな わちもし日本が攻撃されたら、日本はみずからを守ることができなくなるか ら」というわけです。

③ 衆議院で帝国憲法の改正を審議した小委員会で、委員長の芦田均が9条 2項の冒頭に「前項の目的を達するため」の語を入れました。いわゆる 芦田修正といわれるもので、これによって、自衛のためならば「戦力」

の保持が可能であると解釈できる余地ができました。

④ この芦田修正に、極東委員会が敏感に反応しました。私は、この部分の 重要性を強調していますので、以下ですこしばかり詳しく説明します。

極東委員会とは、日本と戦ったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中 国(国民政府)など戦勝国 11 か国(のちに 13 か国)で構成されていました。

同委員会は、46 年2月 26 日に発足しますが、日本の占領政策の決定機関と なります。GHQ の上部組織になりました。

芦田修正を受けて、9月 21 日、極東委員会で熱論が展開されます。修正 によって、自衛のためであれば、戦力=軍隊を保持できるようになった。軍 隊ができれば、軍人が政治をコントロールする恐れがある。明治憲法体制に おいては、陸軍大臣および海軍大臣は現役の大将または中将でなければなり ませんでした。それがさまざまの問題を引き起こしたことを極東委員会のメ ンバーは、熟知していました。そこで同委員会は、シビリアン・コントロー ルを実施するための条項として、大臣はシビリアンでなければならないとの 条項の導入を強く要求しました。もし委員会が日本を非武装国家にしようと いうのであるならば、「自衛戦力の保持を可能」とする芦田修正そのものに 反対しなければならないはずです。けれども、芦田修正そのものには反対し

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ていません。この点が9条の解釈との関連で非常に重要なポイントです。

9月 22 日、アメリカの陸軍次官補、ピーターセンがマッカーサーに至急 電報を発し、極東委員会での議論を紹介し、憲法にシビリアン条項を入れる ことを求めました。この電報を受け取ったマッカーサーは、24 日、ホイット ニー民政局長を吉田首相のもとにその旨を伝えさせます。

こうして、9月 28 日から 10 月4日にかけて貴族院の委員会で議論され、「シ ビリアン」を「文民」と訳し、66 条2項として「内閣総理大臣その他の国務 大臣は、文民でなければならない」が誕生したのです。

最終的に、10 月6日、貴族院本会議で可決され、衆議院へ送られました。

翌7日、衆議院本会議で可決、ここに日本国憲法が成立しました。

文民条項については、衆議院ではなんらの審議もなされていません。そし てまた、政府は、極東委員会でどんな議論がおこなわれたのかをまったく知 りませんでした。それゆえ「文民とは、過去において職業軍人の経歴を有し ない者」という的外れの解釈を示しています。このような解釈では、シビリ アン・コントロールの母国、アメリカで、ヨーロッパ戦線において元帥とし て総指揮をとったドワイト・アイゼンハワーは、大統領になることができま せん。「文民」とは本来、「非軍人」の意味です。「現在、軍人であるかどうか」

が問われるのであって、「過去において軍人であったかどうか」は問われま せん。

私は、極東委員会での審議録を精読した結果、憲法9条と文民条項とは不 可分の関係にある、という結論に達しました。

衆議院で文民条項について、ただの1分も議論されなかったこと、政府が 極東委員会での議論をまったく知らなかったこと、ここに日本国憲法の成立 過程のいびつさが象徴的に表れているといえます。そして、そこにこそ、9 条の運用を混迷に陥れている最大の原因があるのです。

このことを私は何十年来、主張してきているのですが、あまり広がりをみ せていません。それは、政府、改憲派、護憲派にとって都合が悪いからです。

政府は、いまさら「知らなかった」といって、解釈を変えるわけにはいき

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ません。

護憲派は、自衛隊違憲説に立っていますから、自衛隊を合憲に導く私の説 をとることができません。

改憲派も、自衛隊違憲の立場に立って改憲を唱えた方が都合がよいのです。

そしてもう一つ看過できないのが、憲法学者の知識不足です。みなさんが 憲法書で9条の解釈を読むとき、文民条項の成立との関係に触れられている かどうかをポイントにされることを望みます。

以上、GHQ のメンバーとのインタビューや、9条と文民条項の不可分性 について、拙著『証言でつづる日本国憲法の成立経緯』(海竜社、2019 年)

をご高読いただければ幸いです。

私がもっとも大切にしたいのは、事実(ファクト)と証拠(エビデンス)

にもとづく分析が最優先されなければならないということです。

3.憲法9条のありようを考える

(1)立憲民主党・枝野幸男代表の9条改正私案

以下で、現在、自衛隊を憲法に明記することに反対の立場をとっている立 憲民主党の枝野幸男代表、共産党、そして朝日新聞について、検討したいと 思います。

枝野氏は、『文藝春秋』2013(平成 25)年 10 月号に「改憲私案 憲法9条  私ならこう変える」と題し、9条の改正案を提示しました。それは、現在の 9条1項と2項をそのまま残し、9条の2と3を加えるものです。ここでは

「9条の2」のみを掲載します。

「1項 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するた めに他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我 が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国 民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することがで きる。

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2項 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部 隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他の適当 な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を 及ぼすおそれがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同 して、自衛権を行使することができる。

3項 内閣総理大臣は、前2項の自衛権に基づく実力行使のための組織の 最高指揮官として、これを統括する。

4項 前項の組織の活動については、事前に、又は特に緊急を要する場合 には事後直ちに国会の承認を得なければならない」(アンダーラインは西が 付した)。

そして、つぎのように記述しています。「そもそも、こうして個別的か集 団的かという二元論で語ること自体、おかしいです。そんな議論を行ってい るのは、日本の政治家や学者くらいでしょう。それもこれも解釈に頼って歯 止めをかけてきたからです。そうではなく、条文上で明記することで、より 緻密で具体的な線引きが可能になります」。

上記9条の2の第1項は、個別的自衛権です。問題は第2項です。

「国際法規に基づき、我が国の安全を守るために行動している他国の部隊 に対して」とありますが、米国の部隊が想定されます。その米国部隊に対し て「急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他の適当な手段が なく、かつ我が国の平和と独立、並びに国及び国民の安全に影響を及ぼすお それがある場合においては、必要最小限の範囲で」、当該他国=米軍部隊と 共同して、自衛権を行使することができます。

まさにこれは集団的自衛権です。ただ「我が国の安全を守るために行動し ている他国部隊」ですから、限定的な集団的自衛権といえます。政府が提案 して、国会で成立した平和安全法制とおなじです。枝野氏は、平和安全法制 の廃止を訴えていますが、みずから提示したこととまったく矛盾しています。

そして「個別的か集団的かという二元論で語ること自体、おかしいです。

そんな議論を行っているのは、日本の政治家や学者くらいでしょう」と語っ

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たことを完全に忘れてしまっているようです。

(2)共産党の第9条絶対反対

共産党は、1946(昭和 21)年8月 24 日、帝国議会衆議院本会議で党を代 表して、野坂参三氏が、以下の最終的な意見表明をしています。

「現在ノ日本ニ取ツテ是(9条)ハ一個ノ空文ニ過ギナイ、政治的ニ経済 的ニ殆ド無力ニ近イ日本ガ、国際平和ノ為ニ何ガ一体出来ヤウカ、(中略)我々 ハ此ノヤウナ平和主義ノ空文ヲ弄スル代リニ、今日ノ日本ニ取ツテ相応シイ、

又実質的ナ態度ヲ執ルベキデアルト考エルノデアリマス、ソレハドウ云フコ トカト言ヘバ、如何ナル国際紛争ニモ日本ハ絶対ニ参加シナイト云フコトデ アル、(中略)要スルニ当憲法案第二章ハ、我ガ国ノ自衛権ヲ抛棄シテ民族 ノ独立ヲ危クスル危険ガアル、ソレ故ニ我ガ党ハ民族独立ノ為ニ此ノ憲法ニ 反対シナケレバナラナイ」(アンダーラインは西が付した。『官報号外 昭和 21 年8月 25 日 衆議院議事速記録第 35 号』より)。

9条は「平和主義の空文」であり、「民族の独立を危くする危険」があるので、

絶対に反対しなければならないと強く主張していました。

私はゼミで、出典を伏せて、これは憲法制定議会でどの党の代表演説かを 聞いたところ、共産党という答えは誰からも出ませんでした。共産党は現在

「9条を含め、全条項をまもる」といっていますが、この変節をきちっと国 民に説明していません。

(3)政府解釈を理解できない朝日新聞

2017(平成 29)5月9日付の朝日新聞「社説」に紹介された9条に関する 政府解釈の理解は、完全に誤っています。同社説は、つぎのように記述して います。

「自衛隊は歴代内閣の憲法解釈で一貫して合憲とされてきた。

9条は1項で戦争放棄をうたい、2項で戦力不保持を定めている。あらゆ る武力行使を禁じる文言に見えるが、外部の武力攻撃から国民の生命や自由

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を守ることは政府の最優先の責務である。そのための必要最小限度の武力行 使と実力組織の保持は、9条の例外として許容される─。そう解されてきた」

(アンダーラインは西が付した)。

問題は、自衛隊の存在を政府が「9条の例外として許容」してきたのかと いう点です。

この点について、16(平成 28)年9月に内閣法制局が情報公開した『憲法 関係答弁例集(第9条・憲法解釈関係)』(内外出版、2017 年)で確認してみ ましょう。以下のように記されています。

「憲法第9条は、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のほか、我が国 と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存 立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明 白な危険がある場合における我が国が主権国として持つ固有の自衛権まで否 定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を行使するこ とは認められているところである。

同条第2項は、『戦力の保持』を禁止しているが、自衛権の行使を裏付け る自衛のための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止する趣旨のも のではなく、この限度を超える実力を保持することを禁止するものである。

我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は、憲法 に違反するものではない」。

政府は、9条全体について、わが国が主権国家として固有の自衛権をもつ ことを否定しておらず、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは 認められるとしたうえで、第2項については、「戦力の保持」を禁止してい るが、「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」は、禁止されている「戦力」

に当たらず、合憲だという解釈をとってきています。

政府は、自衛隊が創設されてから一貫して、自衛隊の存在は「9条の枠内」

であって、合憲であると説明してきているのです。いったい朝日社説は、ど の部分をもって、「9条の例外」として、政府が自衛隊を許容してきている というのでしょうか。「社説」は、論説委員が十分に協議した結果、社論と

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して外部に発表するものでしょう。一記者の記事とは本質的に異なります。

まして、朝日は9条にかかわる政府批判の急先鋒としての姿勢をとってきて います。しかしながら、批判すべき政府の9条解釈を正しく理解していない とすれば、その無能力さを示すと同時に、説得力を著しく欠くことになりま す。いまだに訂正されていないようです。その点で、記憶されるべき社説と いえるのではないでしょうか。

(4)自民党の9条改正案(たたき台)

自民党は、18(平成 30)年3月 24 日、4項目の「条文イメージ(たたき 台素案)」を発表しました。そのうち、9条改正案は以下のとおりです。

「第9条の2

① 前条の規定は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つた めに必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、

法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮 監督者とする自衛隊を保持する。

② 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制 に服する」。

この案文につき、二つの問題点を指摘しておきます。一つは、自民党は「従 来の政府解釈を否定しない」と述べながら、政府の解釈を否定しています。「前 条の規定は、・・・自衛の措置をとることを妨げず」と定められています。「妨 げず」とは、政府のこれまでの解釈が「自衛の措置」をとることを妨げてき たと読めます。政府解釈を踏襲していないことを示しています。

もう一つの問題点は、シンプルではないということです。改正案の第9 条の2の最初に出てくる文言は「前条の規定は」です。「前条の規定」とは、

すなわち「9条の規定」です。そこで9条をみると、2項の冒頭に「前項の 目的を達するため」とあります。そうすると「前項の目的」とは何かを頭の なかで再整理しなければならず、複雑さが倍化します。シンプル性からほど 遠い感じがします。

(18)

(5)私の案

私の案をご紹介します。

「第9条の2

① 日本国は、その平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための実力 組織として、法律の定めるところにより、内閣総理大臣を最高の指揮監 督者とする自衛隊を保持する。

②自民党案におなじ」

この案は、現在の自衛隊法3条を参考にしたものです。

時間が押し詰まってまいりました。私は、改正すべき条項をあえて5つに しぼるとすれば、自衛隊の明記のほかに、以下を提起したいと思います。

・国家緊急事態条項 すでに指摘したように、平和条項と国防および国家 緊急事態対処条項はセットとして導入されなければなりません。

・家族の位置づけ 家族の崩壊が問題になっています。参考までに『世界 人権宣言』(1948 年)16 条3項をかかげておきます。「家族は、社会の自然 かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」。

・環境の権利・義務・保護 いまや環境問題は、全世界が直面している重 要な課題です。16 歳のスウェーデンの女性、グレタ・トウーンベリさんが国 際社会に向けて温暖化の危機を強く訴えていますね。表3にみるように、90 年以降に制定された 104 の憲法中、99 か国(95.2%)の憲法にとり入れられ ており、憲法の必置条項といえます。

・健全な財政 19(令和元)年度の一般会計予算は 101 兆 4564 億円で、新 規国債発行額は 32 兆 6598 億円、予算の約3分の1は借金に依存しています。

債務残高の GDP(国内総生産)比は 237.5%に達し、先進国で最悪を記録し ています。次の世代に対して借金を負わせてはならないと思います。各国は、

憲法で財政の健全化を規定する国家が多くなってきています。

(6)東大憲法学の「呪縛」からの解放を

せっかくなので、明日(11 月4日)の産経新聞に掲載される予定の拙稿『正

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論』について触れておきたいと思います。見出しは「東大憲法学の『呪縛』

を解こう」です。

東大憲法学を斬りました。その源流の宮沢俊義氏は、現行憲法の有効性を 説明するのに、フィクションというべき「八月革命説」を持ち出しました。

要するに、天皇主権の明治憲法から国民主権の現行憲法へ移行したのは、日 本に民主主義を要求する『ポツダム宣言』を 45 年8月に受け入れたからで あって、いわば法的な意味での「革命」だっだというのです。「革命」とい う虚構に依拠し、明治憲法との切断をはかりました。

宮澤氏のあとに憲法を担当した芦部信喜氏は、この「八月革命説」を容認 しています。

芦部氏と同時期に憲法を担当した小林直樹氏は、9条について「非武装平 和主義をとることこそ、わが国の安全に資するのだ。たとえユートピアであっ ても、それに合わせなければならない」。こんなふうに述べています。幻想 憲法学の世界です。

そのあとに東北大学から着任した樋口陽一氏は、個人絶対主義の立場で、

婚姻の自由を定めた 24 条について、個人の尊厳に基礎をおく家族解体条項 であるとして、その意義を高く評価します。家族解体礼賛は困りますね。

そのあとを受け継いだのが長谷部恭男氏で、現在は早稲田大学教授です。

朝日新聞(2015 年 11 月 19 日付)で、こんなことを述べています。「いろい ろ憲法問題はありますが、最後は、法律家集団のコンセンサスが一番いいの です。その法律家集団のコンセンサスに、一般の人々が合わせなければいけ ないのです。こういうことを考えてほしい」。何と一般国民は、法律家集団 のコンセンサスに従えというのです。憲法問題は、主権を有する国民だれも が考えるべき課題でしょう。上から目線の傲ごうがんふそん遜な態度といわなければな りません。

そしてもう一人、現職の石川健治氏について。この人の好む言葉は、革命 やクーデターです。朝日新聞(2013 年5月3日付)に「96 条改正という『革命』」

との見出しのもとに、自民党の憲法案が憲法改正の発議要件を「総議員の3

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分の2」から「総議員の過半数」へ下げたことに関して「96 条を改正して、

国会のハードルを通常の立法と同様の単純多数に下げてしまおう、という議 論が時の内閣総理大臣によって公言され」と記しています。まったく違いま す。通常の立法は、出席議員の過半数で成立し、しかも開議のための定足数 は3分の1です。最低限、3分の1の出席と過半数の賛成、すなわち総議員 の6分の1以上で成立するのです。「総議員の過半数」とは全然、違いますね。

このような中学生でもわかる間違いが堂々と朝日新聞に載ったことに、私は

「戦慄」を覚えました。

実は、最近、東大系の憲法学者の論稿をいくつか読んだという人から、こ んなコメントを聞きました。「東大の憲法学者の論稿に明るさがないですね」。

私は答えました。「もとからですよ。灯台もと暗し」。

最後に、本日は学生諸君の顔も多くみられますので、研究方法について、

この2年間にノーベル賞を受賞した二人の言葉を紹介しておきます。

一人は、昨年ノーベル医学賞を受賞された京都大学名誉教授・本ほんしょたすく庶 佑先 生で、このようなことを述べています。「まず、関心を持ちなさい。それを 突き詰めて続けていきなさい。教科書などは信じる必要がありません」。私は、

文民条項の導入過程に関心をもちました。けれども、憲法の教科書は何も教 えてくれませんでした。

もう一人は、今年ノーベル化学賞を受賞された旭化成のフェロー・吉野彰 先生です。こんなことを語っています。「頭を柔らかくしなさい。そしてそ の対象に向かっては、執拗に、徹底的に究明しなさい」。

私のモットーは「事実と証拠にもとづくこと、付和雷同しないこと、ユー モアを大切にして自分らしさを貫くこと」です。今後とも、私なりに発言し ていきたいと思っています。

ご清聴ありがとうございました。

参照

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