産大法学 44巻3号(2010.11)
講演「世界を変える・日本を変える・地方を変える」
東 郷 和 彦
本稿は、平成22年6月11日、法学会春季講演会の講演の内容を収録し、
若干の修文を行ったものである。
岩本先生から大変暖かいお言葉を頂戴し、ありがとうございました。
今日ここで講演するようにというお話が法学部の法学会からありまし た。それで何のお話をしたらよいのかと考えました。岩本先生からご紹介 にあったように外務省で34年仕事をしておりましたので、外務省でやっ ていたころの話とか、特にその中での北方領土の話とか、日米間の密約の 問題でここ半年間国内で発言してきましたので、そういう話をしてもよい かとも、思いました。
けれども、せっかくこういう機会を与えていただきましたので、やはり 今私が一番心の中にあること、一番私が考えていること、一番皆さんに話 したいことを言うのが一番よいかと、思いました。そこで、「世界を変え る・日本を変える・地方を変える」。これはたいそうな演題であります。
でも、今私の心の中にある一番大事なこと、これからやらなくてはいけな いと思うことを言葉にすると、演題のようになったわけです。しばらくの 間ですが、よろしくお願いします。
日本を変える
世界の中における日本
外務省をやめたのが2002年、そのあと、6年外国におりました。この 間、「日本は元気がない」「日本はどこにいったんだ」という感じが、常に
ありました。これは、日本人として非常に残念でした。しかし、私がおり ました、オランダ、アメリカ、アジアのいくつかの国で、いろんな話をし ていますと、どうしても、日本の話は最初からはでてきません。
どこの話が最初にでてくるか。なんといっても中国ですね。中国の今の 動きは半端なものではありません。20年、2桁以上の成長を続け、経済 力をつけてきた。単なる経済力ではない。経済力・貿易力を、中国は、歴 史上初めて世界中に広げてきた。昔の中国は、東アジアを中心とする世界 だった。いまの中国はそうではない。今の中国は、グローバル。アフリカ のエネルギー資源、中南米のエネルギー資源、それをフルに活用して国の 発展を考える。それからもう一つ。国の体制をつくるにあたって、中国共 産党の支配、この権力は絶対に離さない。共産党がリードして、13億の 国民を豊かにしていく。富国。そしてそういう富国を実現するために、軍 事力をつけていく。強兵です。富国強兵。こういう動きを20年こつこつ 積み上げてきました。
中国だけではない。韓国。韓国は元気がよい。人口5000万。日本の半 分以下なのですが、外国にいて見ていると、本当にアジアの中で元気がよ い。プリンストンに2年いました。中国人の学生がたくさんいるというの は、これは、解ります。いまの急成長の下で、特に理工学系の優秀な中国 の学生がグループで来ている。しかし、中国人の学生と同じくらい韓国人 の学生は、元気がよい。これは何故なのかと思います。たぶん、韓国と言 う国は、非常に大きな目的をもっている。それはいつかの時点で、北朝鮮 と統一して民族として一緒になる。今の政権でも前の政権でもその根底に 流れているものは同じだと思います。もう一つ。戦後の韓国の発展を見て いますと、ちょうど君たちと同じような学生が韓国を変えてきた。その
「自分達が国をつくってきた」という自負、たぶんそういうようなものが あって、韓国の学生はものすごく元気がよいのだと思います。
しかし、それだけではない。インドです。インドは冷戦が終わるまで元 気がなかった。私はソ連関係の仕事をしてきたので、モスクワに於けるイ ンド大使館の活動など見てきました。立派な人達がおられたけれども、総
じて、元気がなかった。ところが、冷戦が終わってから経済体制が変わっ た。市場経済を基礎とする新しい経済体制となったことによって、インド 人は、自分達の才能、IT分野での才能をもって世界の中心に行くと思う ようになった。この前ある会議で、インド人と話をしていました。そうし たら、「自分たちインド人は、一度たりとも、中華文明がアジアの中心に いたとは思っていない」と、言っていました。なかなかの発言ですが、今 のインドの発展を見ていると、そういうことを言うだけの理由があるなあ と思います。
最後にアメリカ。言うまでもなく、20年前アメリカは冷戦に勝利した。
帝国主義、これは、よいイメージの言葉ではありません。しかし、アメリ カは新しい帝国主義といわれる様になった。それだけ、アメリカの力が圧 倒的なものになったということでしょう。ところが、2001年9月11日、
アルカイダの同時多発テロが起き、そのアメリカが猛烈な攻撃を受けた。
そのあとイラクを攻撃し、たぶん、政治面でアメリカはやはりやりすぎ た。そして、リーマンブラザースのショックがおき、アメリカがリードし てきた世界経済でも大きな困難が生じた。今、オバマ大統領がでてきて、
これからの21世紀をどうリードしていくかについて、半端でない力を集 めてきている。
さて日本はどうか。スライドでイメージを描くなら、非常に小さい(資
料1)。
6年外にいると、日本はほとんど見えないくらい、陰が薄く見える。し かし、日本の力は、本当にそんなに小さいのでしょうか。本当に日本は元 気が無い国なのでしょうか?そんな、馬鹿なことはありません。少し前ま で、日本は素晴らしく元気な国でした。私は今日本が文明史的な転換点に あると思っています。中国だけではない。日本が今文明史的な転換点にあ る。ただ、その新しい方向性が、ちょっとだけ見えなくなっている。その ことによって、日本の陰が薄くなっているのではないか。
日本の文明史的な転換
日本の文明史的な転換とは何なのか。3回、日本は文明史的な転換をし たと思います。第1。前近代。中華の世界。確かに、中華の世界はあっ た。ここから日本は青銅、農工作を受け入れ、漢字、儒教、仏教、律令制 を入れてきた。そして、そのなかから、風景と調和した日本の神道、古来 からの神話、そういうものを集大成してきた古事記、日本書紀、万葉集、
そういう日本独自の文化を作り出し、ひらがなを生み出し、源氏物語と言 う当時の世界でも最高の文学を生み出した。更には、武家階級が権力をも ち、天皇制を一方に残しつつ、日本の政治をしきるようになった。武家中 心の社会が、鎌倉・室町、戦国時代を経て、安土桃山、そして江戸時代へ と発展した。260年間、武家の集団が治める日本は、平和で、貧しいけれ ども、文化的に非常に発展した国になった。渡辺京二という先生が書かれ た「逝きし世の面影」という本があります。これは、江戸時代日本を訪れ た多くの外国人が、いかに日本に魅了されたかという、胸をうつ記録であ ります。260年、中華と言うアジアの大きな文明の中から、日本はその エッセンスを引き出し、日本でしかない文明世界をつくった、これが第一 の転換だと思います。
しかし、19世紀の半ば世界は変わりました。ビクトリア女王の下で、
イギリス帝国は世界の海をしきった。ヨーロッパの植民地から独立したア メリカは、南北戦争という難しい課題を乗り越え、東海岸から西海岸にフ
ロンティアを広げ、太平洋にフロンティアを広げ始めた。マッキンレー大 統領の下で、アメリカは、フィリピンという、日本と中国の目と鼻の先ま で、植民地を広げてきた。更に、ロシア。18世紀の初めに、ピーター大 帝という巨人一人の力で、古いロシアを一挙に西欧化させ、ナポレオン戦 争勝利の原動力になり、19世紀の初めには、ヨーロッパの最強国の一つ になった。19世紀のロシアは、軍事力の面でも、文化の面でも最も極め て興味深い国になる一方、ひたひたと東進してきた。
そういう情勢の中で、日本はどうしたか。言うまでもなく明治維新で す。明治維新によって日本がやったのは、文明開化、脱亜入欧、先進欧米 諸国の一番よい物を学ぶ。学んで豊かになり、力をつける。40年、富国 強兵を続け、その間に、日清・日露の国の命運をかけた戦に勝利し、世界 の一等国になりました。日露戦争で日本がロシアを破ったのを見て、当時 のアジアの心ある革命家は、皆、韓国で後に伊藤博文を暗殺する事になっ た安重根、中国で辛亥革命をおこした孫文、トルコのケマル・アタチユル ク、インドのチャンドラ・ボース、西欧帝国主義に対して戦わねばと思っ ていた人たちは皆、「これはすごい。新しいアジア解放のリーダーが現わ れた」と思った。けれども、そこから日本は、アジアの帝国主義の一員と なり、アジアに於ける帝国主義国として、米英に抗して開戦するわけで す。日本はこの時、大東亜共栄圏というアジア解放の理念をたて、特に戦 争中の外務大臣重光葵の理念によって、大東亜共栄圏会議の開催まで行っ た。けれども、戦況は壊滅的となり、1945年、敗戦とともにこの理念も 姿を消したわけです。
敗戦の結果、米軍が日本を占領した。そこで日本人は力を喪失したか。
とんでもない。日本人は、原爆を二つ落とされ、400以上の都市が爆撃さ れた廃墟の中から立ち上がった。日本人は、働いた。富国強兵、これはや めます。日本は、平和で行きます。富国平和。働いて、働いて、働いて、
平和の中で日本を再建する。アメリカの主唱する民主主義と市場原理に立 ち、文化的にもアメリカ化の流れを受け入れ、ほぼ40年の間に日本は、
この目標を達成した。新幹線。トヨタ。ソニー。世界の中で、日本の新し
い製品、新しい技術が評価されるようになった。新幹線、トヨタ、ソニー に止まらない(資料2)。
クール・ジャパンというのがでてきます。これは、日本の伝統的な文 化、富士山、お茶、生け花、そういう伝統文化だけではなくて、日本の新 しい生活の中に、新しい文化を見出す。一つは、すし。日本人の食生活。
戦後日本人の食生活はものすごく改善された。私は外務省の仕事で世界の あちこちに行きましたが、日本ほどおいしいものが、いろいろな値段で、
いろいろな場所で、手に入るところはない。日本食の象徴がすしですね。
世界の主要都市で、すしのない所はないくらいひろまった。もう一つは、
着るもの。日本のいろんなデザイナーもいますが、一番象徴的なのは、コ スプレ。まったく新しい発想です。更に、クール・ジャパンの代表は、ア ニメ。さきほど、日本が見えないと言いましたが、例外があるとすれば、
欧米の若い人たちの間にある、日本人気。これはほとんど例外なく、アニ メからきている。
日本の国家目標
さて、そういう戦後の発展は、それでよかったのでしょうか。私たちは 幸せになったのでしょうか。ここで重要な問題提起をしたいと思います。
私たちより少し若い世代から上の世代は、一生懸命働いた。働いて、働い 資料2
て、よい日本を造ろうとした。私たちの世代は、この写真で示されるよう な日本、新幹線とトヨタとソニーの日本を造ろうと思った。でも、結果的 には、こちらの写真で示されているような日本、コンクリートの果てしな い塊が無秩序に続く醜いとしか言いようのない日本を造ってしまったので はないか。日本の発展の中で何か失ってしまったもの、あるいは、達成で きていないものがあるのではないか。君たちに聞きたい。こういう日本で よいのでしょうか(資料3)。
おおざっぱにいって、こういう無秩序な建設が大幅に進んだのは、実 は、1989年、冷戦が終わり、昭和が終わり、世界史が大きく転換したそ のあとの20年でありました。平成の20年の漂流です。ここに、丁度発売 されたばかりの、「文芸春秋」があります。藤原正彦氏が、「日本国民に告 ぐ」という論文を書いておられる。すごく、私と共鳴する点があります。
私と少し考えが違っている面もある。けれども、戦後の日本が何か重要な ものを失ってしまったという点で、完全に共鳴するものがあります。ア レックス・カーというアメリカ人の評論家がいます。2000年の初めに「犬 と鬼」という本を出版しました。是非読んでください。読むと、「外国人 にここまで言われるのか」と思うかもしれません。私も最後まで読むのが つらくなる。でも、彼は、「あなたがた日本人が造ったのは、こういう醜 い日本ですよ。これが本当に、あなたがたが創りたかった日本なのです
か」と問いかけているのです。
私のような世代の人間が、平成に生まれた君たちに言うのは申し訳ない と思います。平成になってから、特に日本が失ったものがある。君たちが 生まれた後になって、失ったものがある。その責任は君たちにはありませ ん。しかし、私はこの失しなったものをとりもどさねばならないと思って います。そのために、できるだけのことはしたい。けれども、君たちにも やっていただかねばならないことになります。
そこで今本当に考えなくてはいけないのは、平成の国家目標です。藤原 先生の論述はとてもよいのだけれど、具体的な目標まで言っておられな い。私は、それは、「クール日本」から「新しい日本化へ」だと思いま す。それは何かと言うと、日本の中にある一番よいものを、今こそ日本の 中に造りなおすことです。それは、何なのか。自然。1945年、日本は、
戦争で負けた。国土は廃塵となった。その廃塵の中で、私たちが失ってい なかったものがある。それは日本の山河。山と河。湖。海。「国破れて山 河あり」、という有名な中国の詩があります。日本の山河の中から、いず れ新しい日本を再興できるのではないかと、その当時の人たちは思った。
また、日本に残っていた伝統があった。江戸時代、明治維新、それ以来残 して来た日本人の生活、風景、伝統、そういうものがあった。「新しい日 本化」は、戦後のアメリカ化の後に、そういう日本の最もよいものを再興 してみようという試みです。
それを実現するために、もう一つ、絶対に必要なことがあります。それ は、戦後日本発展の原動力となってきた技術を更に発展させること。伝統 を現在の日本に再興するために絶対に必要なのが、技術。そういうことを なしとげていくためには、心と精神がなくてはならない。心の再興が必要 になる。
そういうことを視覚的に示すために、2枚の写真をお見せします。1枚 は、福井県の農村です。この家並には、ある種の調和があります。どの家 も白い壁に黒い格子がはまってできている。この集落に人が住む。夕暮れ になる。家に明かりがつく。これは、生活そのものです。その生活の風景
に、家並みと山河の間に調和がある。この集落では、それぞれの家を作る 時に、皆、村全体の風景を考える。自分の住んでいる村の共同体としての 風景を考える。みんなで、ちょっとナイスなものを造ろうという共通の意 識がなかったら、こういう村は造れない。もう1枚は、そういう風景を 引っ張っていく力。これは愛知万博の時に展示された、トランペットを吹 くロボットです。つまり、技術です。この技術が伝統と自然を支えるよう な国をつくる(資料4)。
結論として、最高の知能を持った人であれ、熟練労働者であれ、単純労 働者であれ、多くの外国人が、一生に一度でよいから行ってみたい、しば らくの間でよいから、住んでみたいと思うような国をつくれないか。それ が、私の提起したい、国の目標です。
世界を変える
世界問題とは何か
今までお話したことは、私の専門外のことです。最近国際会議などで、
私はこういう話を少しずつし始めています。時々聞かれます。あなたは、
ものすごく内向きなのではないか。最近の日本人は、皆内向きの話しかし ないのではないか。世界には、重要な話がいっぱいあるではないか。な
資料4
ぜ、そういうことについて、話をしないのですかと聞かれます。
確かに、日本にとっても、世界にとっても、大切な話は、たくさんあり ます。まず、中国の台頭。さきほどお話ししました。これは、日本にとっ ても、世界にとっても、大問題。今の中国は、東アジアの中国ではなく て、グローバルな中国。国内においては共産党が強力な力を維持し、大変 な矛盾をかかえこみながらも、富国強兵によって国力を拡大しようとして いる。けれども、強兵となれば、周りの国、世界中の国が、中国の軍事力 がどこまでいくのかわからないと考える。こういう問題について、なぜ もっと真剣に考え、発言しないのか。確かにそういう問題があります。
次にアメリカ。帝国としてのアメリカはどうなった。オバマがでてき た。しかし、今後アメリカはどうするのか。政治にしても経済にしても、
国内の様々な勢力に対し、どういうアメリカ社会のビジョンを創るのか。
中東からアジアに至る様々な外交問題にどのようなリーダーシップをとる のか。日本として、何をやり、何を要求するのか。確かにそういう問題が あります。
決して、アメリカと中国との問題だけではありません。経済の持続可能 性という問題がある。これは、本当に大変な話です。経済発展というの は、開発をして発展すればよいと思われていた。けれども、今の世界はも はやそういうことはない。環境・温暖化の問題があります。環境問題にき ちんと対応しないと今後の経済発展が維持可能でなくなる。温暖化がよい 例ですね。それからエネルギー。炭化水素エネルギーというものは、いず れ枯渇していく。そういうものに依存し続けると、いずれ快適な生活はで きなくなる。水の問題もあります。水は有限な資源。海水の真水化という のは実現するのか。技術はどこから持ってくるのか。中国のように、大開 発をしていると、水が枯渇し、汚染されてくる。これをどう防ぐか。人口 の問題しかりです。そういう大きな問題に関して、日本は、どういう解答 があるのか。確かにそういう問題があります。
それから、イスラム。およそ、現代の外交問題の中で一番難しくなった 問題の一つに、イスラムとアラブの問題があります。少なくとも二つの大
問題がある。一つは、アラブ人の住むパレスチナの地に、イスラエルと言 う国をつくったこと。第1次世界大戦のあとのいろいろな国際情勢の下 で、パレスチナの地に、イスラエルという国ができた。しかし、イスラエ ルという国ができたことによって、そこから、パレスチナ人が追い出され た。それから、4回も戦争をやって一定のバランスができてきたが、イス ラエルと周辺諸国の対立は激しくなるばかり。もう一つは、アフガニスタ ン。遠因は、1979年、中東の重石として君臨していたイランのシャー体 制が崩壊したこと。力の真空を感じたソ連が直後にアフガニスタンに侵 攻。そこからアメリカの支援を受けて、サウディアラビア人を中心にアル カイダと言う反ソ戦闘集団が生まれた。ところが冷戦の終焉とソ連のアフ ガン撤兵によってアルカイダは母国サウディアラビアに帰った。そこで、
第1次湾岸戦争でサウディに駐屯する米兵に遭遇することになった。イス ラム教の聖地になぜ米兵が駐屯するのか。ここからアルカイダの反米テロ が芽生え、10年後の「9・11」に繋がっていく。それから10年たっても、
アルカイダとその支援者は力を弱めていない。
しかし、今のような話を外国人としていて、最後にでてくるのは、「日 本はどうするのですか」という問いです。ところが、そういう問いがでて きた時に、その問題に対する答えだけを話していると、「あー、そうお」
ということであまり議論が深まらないで、終わってしまう。なにか、通り 一遍になる。そういう問いが出た時に、「日本はこう考える。なぜかとい うと、日本はこういう国をつくろうとしている。その大本があって、そう いう国にするためには、こういう対応が必要なので、こういう政策をと る」と言うと、相手の目が輝きだすのです。
上海フォーラムでの国際的な議論
一つ最近の例を述べます。上海フォーラムというフォーラムがありま す。つい1週間ほど前の5月29日と30日、出席してきました。これは、
世界から3、400人の学者、研究者、経済人、オピニオン・リーダーが集 まり、今年で5年めです。参加者の4分の3くらいが中国からです。去年
知人の縁で、そこに呼ばれました。驚きました。上海のフータン大学が外 国に関係のある学生を動員して、準備していました。3、400人の人を、
航空賃、宿泊費を含めて招待するという贅沢なフォーラムでしたが、お金 がどこからでているかというと、韓国。韓国の大企業が研究財団をつくっ て拠出し、このフォーラムの経費は、すべてその基金で運営されていまし た。今年もまたどうぞというあり難いお話で、「大変ありがたいけれど、
今年は忙しくてペーパー書けないです」と言ったら、「あなたが今書いて いるペーパーでよいです」と言うので、「でも今書いているペーパーは、
日本とイスラムと言うペーパーで、このフォーラムで議論するには、あま りにも周辺的なテーマです」と言いました。そうしたら、「ペーパーがな いならパワー・ポイントを創ってくれますか」というので、「それではパ ワー・ポイント使ってやりましょう」ということになりました。発言時間 は、1人10分。7つのサブ・フォーラムがあって、私はその中の国際関 係フォーラムに出席。40人くらいの参加者がいるので、1人10分という わけです。「日本の国家目標と、日米・日中関係」というテーマでやると いうことにしました。パワー・ポイントのスライド5枚を準備しました。
それぞれ写真を2枚その下に主要な言葉を入れたものです。
1枚目のスライドは、鳩山前総理の写真と普天間飛行場の写真。「去年 日本はものすごく大きな変化があった。私たちも、日本は変わるかなと 思った。けれど、大混乱が起きている。日本人自身、何が起きているかわ からないような混乱。日米関係では、普天間基地をどうしてよいか解らな いような混乱が起きている。けれども、そこのところだけを見ていると、
皆様もわからないでしょう。こういうことが起きている根源は、日本が3 回目の文明史的な転換点にいるからです」。
2枚目のスライドは、宮城(昔の江戸城)の写真と日露戦争でバルチッ ク艦隊に面して戦艦三笠の上で指揮をとる東郷平八郎大将の写真。「日本 は中華の世界から江戸の世界をつくりました。文明開化・西欧化から日露 戦争に勝つところまで行きました。しかしうまくいかなかった。戦争に負 け、それまで積み上げたものを失った。そこから、経済大国・富国平和・
アメリカ化の動きがすすみ、いま「新しい日本化」が始まっています」。
3枚目のスライド。このスライドは、さっき皆様にお見せした、福井県 の村落とロボットのトランペットのスライドとほとんど同じです。新しい 日本化はどういう方向で進むか。自然・伝統・技術、そういう日本の一番 よい物を再興する。その大きな変化のために、今日本の中央と地方の政治 は混乱している。これは非常に大きな課題ですが、これを乗り越えて、グ ローバリゼーションの課題を乗り越えるつもりでやっている。そこで、標 題ですが、英語で「日本化」というと、Japanization。これは、あまり、
パンチ力がない。そこで、いろいろ考えて「新しい開かれた江戸」とやっ てみました。さきほどの藤原正彦さんが江戸に対して言われたことと、私 の意見と非常によくにている。しかし、日本で「開かれた江戸」と言って も、あまり通じないのではないかと思って、国際会議で初めて言ってみま した。いずれにせよ、これが我々が目指している国家の大本ですと言った あとに、では日米・日中はどうですかと問いかけた。
4枚目のスライド。「こういう日本をつくりたい。そのためには、平和 な環境が必要だ。そのためには、今、安全保障上でのアメリカとの協力が 必要だ。」そこで、最初の写真は、米軍のパイロットと航空自衛隊のパイ ロットが協力している写真。2枚目の写真は、オバマ大統領。「そういう 協力関係があれば、この大統領とも、国際経済問題、地球温暖化、それか ら、核不拡散などの問題について、創造的な対話をやっていける。」
最後に5枚目のスライド。中国です。聴衆50人くらいで、その4分の 3は中国人。何を言うか。最初に上海の発展している写真。「経済発展は すごいと思っています。一緒にやっていきたいと思っています。けれど も、私たちが今中国というと思い浮かべるのは、2枚目の写真。ヴァリ アーグという数奇な運命をたどった航空母艦です。」元々ソ連の航空母艦 だったこの船は、冷戦が終わった80年代にほとんどできあがっていまし た。けれども、ソ連の黒海艦隊に所属していた。ソ連が崩壊したときに、
ウクライナとロシアが割れた。そこで、ヴァリアーグをどちらが持つかと いうことで、ウクライナとロシアは大喧嘩した。結局ウクライナのものに
なった。ところが、ウクライナ海軍、こんな、とてつもない航空母艦など 持てない。そこでこれを売ることにした。どこか買ってくれないか。しか し、高すぎてどこも買わない。そうしたら中国が買うと言い出した。最初 中国は、「私たちは航空母艦としてはこれを使いません。博物館や展覧会 をこの上でやります」と言った。少なくともそう報道された。そうやっ て、この空母は、インド洋からウラジオストックに持っていかれた。とこ ろが、最近の報道では、これが実戦に配備される。2014年と言われてい ます。あと数年すると、この航空母艦を初めとする空母が実戦配備され て、日本の近辺にでてきます。そこで、会議場でこう言いました。「これ は、私の持論なのですが、1945年以前におきたことについては、日本が 謙虚であるべきだと考えています。しかし、この問題、海軍力を初めとす る軍拡の話は、あなたがたが考えてください。現状変更をしているのは、
中国側です。今のままではおさまりません。」
一つ補足しておきますが、私の発言で、順番は大変重要だったと思いま す。中国人40人を前にして、「あなた、この軍拡やっているでしょ」「私 たちこれは、嫌なんです」「従って日米同盟を強化します」「軍拡をやめ て、きちんと対応してください」と議論をしたら、なかなか先に話がすす みません。実は、要求している内容はさほど違わないのだけれど、相手 は、話し合いのテーブルに乗ってこない。上海フォーラムでは、日本の国 家像というところから話を始めたことが、成功だったと思います。会合が 終わってから、まず、ロシアの人がやってきた。ロシア人は、こういう民 族の精神的価値とアイデンティティのような話は解るのですね。それか ら、インド。インド人もピンと来る。イギリスの、バリー・ブザンという 文明論の重鎮。彼は、自分の発表の中で、「これまでの世界の思考軸に なっていた19世紀以降の帝国主義の軸は時代に適合しなくなったのでは ないか、これからのユーラシアは、19世紀以前の世界秩序にもどって考 えられるのではないか」と発言した。これは、正に、江戸時代ではないか と、見解の一致にお互いにおどろきました。アメリカ人で中国のアイデン ティティを研究している人。何人かの中国人。というわけで、何人もの人
と話をすることができました。
この会議に出て、「世界は待っている。世界は日本からの発信を待って いる。この平成の20年の漂流に終止符をうち、日本は、こういう国にな るんだ、そのために、こういうことをするんだという発信を待っている」
という強い印象を持ちました。
地方を変える
観光と風景
そこで、最後の「地方を変える」に入ります。
私は、これからの国づくりのエッセンスは、外国人が「日本に行って住 んでみたい」という国にすることではないかと述べてきました。「日本に 行ってみたい」という人はたくさんいる。それでは、「日本に行って、し ばらくでもいいから住んでみたい」という人はどのくらいいるか。直ちに ものすごく減りますね。元来、日本に、どこにいけば住んでみたいという 場所があるか。どこに行けば、彼らが本当に心がなごみ、癒され、知的に も満たされ、しばらく滞在してみたいと思う場所があるか。東京でしょう か。仕事は、刺激的で面白い。けれども、家族を連れて、10日でも東京 に住みたいと思うか。そういう人にあったことはありません。
しかし、そういう「住んでみたい」国にしたいと思った時に、言葉の深 い意味に於ける観光は、とても大事だと思います。観光は、ホテルとか交 通手段の問題ではありません。神社仏閣、歴史的建造物、彼方に見える富 士山、いわばそういう、額縁に入った風景ですら、観光の中核ではありま せん。観光は、そこにすんでいる人々の生活そのものが、心を休める空間 になっていること、生活空間が持っている魅力、それがエッセンスです。
そこで、「観光:風景を変えない」という話をしてみます。「崖の上のポ ニョ」の動画を紹介します
(1)
。なぜこの歌を紹介したか。ポニョの風景を、
監督の宮崎駿さんがどこで得たかと言うと、広島県で瀬戸内海に面した鞆 の浦という所なのです。これは、日本の最も美しい風景の一つして、万葉
の時代から知られていた場所であります。大友旅人が歌った和歌が二首万 葉集に残っています。
鞆の浦の 磯のむろの木 みむごとに あいみし妹は 忘れえぬやも
―鞆の浦にある、むろの木という、そこにある非常に特徴的な樹木 のようですが、それを見るたびに、昔それを一緒に見ていたあなたのこと が忘れられない。彼の好きだった人は、もうなくなっているわけです。
わぎもこが 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなし
―あなたが見ていた鞆の浦のむろの木はそこにある。でも、それを 見ていたあなたはもういない。
これは日本人の心の中にある風景であり、日本人の心に残っている歌だ と思います。ところが、約10年ほど前からここに高速道路を通す計画が 浮上しました。湾のところをうめたてて高速道路を入れるという計画が進 行しています。住民の一部が「やめてくれ、これは日本人だけの宝ではな い、世界の宝なのだ」と主張した。さっき言った外国人が、どこに行きま すか。鞆の浦のような場所が、そのままある種の原型を残しながら、今の 日本の技術と資金力と国民のコンセンサスで快適に生活できる空間を、風 景に調和した形でつくったら、私は、そこに住んでみたいという人は現わ れると思います。けれど、ここに高速道路を割り込ませてしまったら、来 ませんよ、誰も。だから、「やめてくれ」と、住民も主張したのです。と ころが、この高速道路計画を推進しているのは、鞆の浦の市であり、広島 の県である。そこで、住民側が裁判を起こした。2009年10月1日、ちょ うど民主党が政権をとった直後に、広島地裁で最初の判決がでた。原告勝 訴。高速道路の建設を中止してくれという住民側が、一応勝った。しか し、その10日後に、市と県は控訴した。曰く「この判決は景観に配慮し すぎている。鞆の浦の住民のちゃんとした生活をまっとうせずに、景観配 慮はない」。
この点については、私は、はっきりした意見を述べておきます。「それ では、景観をこわさずに、生活を造るという方策はないのですか。もちろ ん、それにはお金がかかる。住民の生活している道路は、大変細くなって
いる。しかし、それなら、景観をこわさずに、道路を作る方策を皆で考え ようではないですか」。そのために、日本の地方が方針を出し、国もそれ を支持してやっていく方法があるのではないかと思うのですが、そういう 方向にならないのですね。私は、この話はあまりにも胸が痛かったので、
2008年に日本に帰ってきたあとに、日本イコモスという民間団体があっ て、その団体に加入しました。この団体は、ユネスコと提携しながら、景 観保護と世界遺産登録をやっている団体です。そこで、「どうしてこうい うことになるのですか」と質問しました。そうしたら、「実は問題は中央 ではないのです。地方なのです。地方の利権なのです」というお話が、
内々ありました。なるほどと思いました。結局ここに高速道路を入れるこ とによって、ものすごい金が落ちるのですね。ここに高速道路をつくるこ とによって金が落ちるということを、10年前にきめたら、確かにその建 設業者は譲らないでしょう。けれどもそれでよいのでしょうか。
もう少し明るい話題に行きたいと思います。「観光:風景を変える」。お わら風の盆という踊りがあります。それを見てみましょう(2)。高橋治という 人の書いた「風の盆恋歌」という恋愛小説があります。外国にいたとき、
本当にきれいな小説だなと思っていました。丁度君たちぐらいの学生で好 きになった男女がいて、お互いにひかれているのですが、いろいろな事が 起きて、それぞれが結局別の人と結婚して20年くらいたちます。けれど、
お互いに忘れられない。そうしているうちにまた会う機会ができる。そこ で、1年に1回、9月の初めに富山県の八尾で風の盆の踊りをやっている のを見にいくのですね。そこで2人の関係ができてくるのですが、最後は 悲劇的な形で終わるという、悲しくも美しい物語です。
富山県に行く機会があって、その時に八尾に是非いきたいとお願いして この街をおとずれました。行ってみて驚きました。八尾のメーンストリー トがあります。おわら風の盆という群舞、笠を深くかぶって坂のうえから 踊りながら降りてくる。その通りが、白い壁と茶色の木の枠でととのった 実に美しい家並みでできている。この家並みは、比較的最近、全部造り替 えたそうです。しかし、ここは人の住んでいる通りなのです。いまの日本
として、十分快適に住む条件を皆そなえている。八尾の町の人たちは、も ちろん、風の盆という踊りに誇りをもっている。けれども、踊りがあるの は、年に1回。残りの歳月は、かれらがここに住んでいる。その住んでい る街の外観が、きめの細かい色と形で調和し、統一されている。新しく生 まれ変わった通りの裏には、普通の日本のなんの特徴もない通りもある。
けれど、街の人たちは、街全体をつくり変えていく決意をもって、いろい ろな場所を変えはじめている。なんのために、こういうことをするのか。
もちろん、1年に1回外から来る観光客に対して、調和のある街にしてお きたい。それはあるでしょう。しかし、もっと根本的なことは、そういう 文化のあるところを創造し、そこに自分達が住んでいこうという、その心 意気ですね。この感覚を日本人が持つことができるかどうかということだ と思います。
その観点から考えると、やることは山のようにある。一つは、一次産 業。農林漁業ですね。ここは私も専門外なのですが、日本の農業。外務省 で仕事をしてきて、本当に恥ずかしい。なんで世界の中で日本の農業が、
日本の保守性の象徴として、あれだけ叩かれなくてはいけないのか。なに かおかしいのです。国敗れて山河あり。私が言っているような日本の風 土、私たちが一番大事なものとして受け継いできたものの中に、日本の風 景があり、日本の農業があることは、疑いようがない。そこを失わないよ うにしているのに、なぜ、日本が
WTO
で保守的だと言われねばならない のか。絶対に変えなければいけない。今度民主党になった。抜本的に新し い農業政策をやるのかと思っていたら、どうも、新しいばらまきであり、国際的な説得のラインも見えてきていないように見える。
林業。日本は、中央指導で、杉林をいっぱいつくった。その結果、太古 からあった自然林、これがなくなってきている。私たちが求めているの は、画一的な杉林ではないのだと思います。人間と共生してきた、自然 林、これを復興して自分達と一緒にすんでいくためには、どうしたらよい のか。
日本の技術。最近がんばっている3D。3Dは、がんばらねばならな
い。けれど3Dだけでよいはずがない。海底都市の写真があります。12歳 の千葉県のお嬢さんが描いた絵です。「海の中で人間と魚が触れ合うため の海中都市です。地上にはない、割れない海のシャボン玉に入って自由に 移動できます。ドームの中は、地上と同じように人々が暮らしています」
こういう夢を日本人は持ってよいと思います。もちろん、もしこれをやる のであれば、これが自然破壊にならないようにしなければいけない。太古 から受け継いできた日本の自然と両立するようなものをこれからつくって いかねばならない。そういう創造的な新しい自然との共生をやるには、技 術をもたねばならない(資料5)。
地方の時代と公の復興
しかし、そういう日本の再興を、だれがやるのか。東京がやるのか。ど うもそうではない時代に入ってきたのではないか。「地方を変える」と標 題に記しましたが、これは、「地方が変える」と考えねばならないのでは ないか。なぜ、地方から、地方が、変えるのか。これは、今日の私の話の 中で申しあげたかったことのポイントの一つです。鞆の浦の例を話しまし た。鞆の浦をどうするか。これは、中央が決めることではなくなってきて いる。鞆の浦に住んでいる人たち、鞆の浦が所在する地方、あるいはそれ をバックアップする世論が鍵になってくる。鞆の浦で生活している人たち
資料5
が、自分達が住んでいる場所が文明論的な意味がある。その意味に応えて いきたいと考える。そのことが、自分たちの生活を最終的にはよくしてい く。そういう距離感を地方で生活している人たちが持てるのか。そこにこ れからすべてがかかってくるように思うのです。したがって、ものごとを 決めるのは東京ではない。地方です。
最近、そういう変化を最もよく表している建築家として、隈研吾という 方がいます。今日私が申しあげていることは、アレックス・カーはもとよ り、藤原正彦氏にしても、オリックスの宮内氏にしても、同じ方向の意見 を言っている方は多いように思います。しかし、その中でも、決定的に重 要なのは、隈研吾氏だと思います。彼の一番のメッセージは、「20世紀の 建築はコンクリートの建築でした。21世紀の建築はそうではありません。
21世紀の建築は、紙・木・石、特にその地方からでてくる材料を使った 建築です」というものです。そういう視点で本当に見事な建築を造り始め ている。世界でも、ひっぱりだこです。
中国政府は、北京の古い区画を壊したあとの再開発を隈先生にたのんで きた。ブータンは、風景と伝統建築に調和したホテルの設計を隈先生にた のんできた。ブータンは、人口わずかに600万の小さな国ですが、開発と 伝統と風景の調和を実現した本当にユニークな国です。そこの指導部が、
ヨーロッパの建築では足りないと考えて、隈先生に頼んできた。これは、
すばらしいことだと思います。本当に嬉しいです。ある意味でこれは、
クール・ジャパンの延長だけれども、大きな違いは、隈先生の建築が、日 本の大地にしっかりと根ざしていることです。是非先生に、日本の私たち の生活でも、私たちの住んでいる場所の空間を、どうやったら、文明の領 域に達するようなものにできるのか、指導していただけたらと思います。
しかし、地方がリーダーシップをとるために、一つはっきりしているこ とは、中央から言ってくることを聞いているだけでは、だめだということ です。けれども、地方がリーダーシップをとるということは、大変な責任 をともなうということです。鳩山政権の下で、何回も「地方主権」という ことが言われました。この言葉を使うかどうかは別として、この考え方は
これからも続くと思います。しかし、これは、失敗したら大変なことにな ると思います。
どうしたら、成功するか。一つの鍵は、東京を見ないこと。世界のトッ プを、地方が見る必要がある。日本の近代化はこれまで、東京が引っ張っ て、地方はその東京においつくというやりかたでした。そういう時代では なくなった。地方は、世界の一番よいものを自分の目でみる。自分の力で その一番よいものを吸収して実行する。これは、大変だと思いますが、も し地方が従来のように、東京イミテーションという形で進んでいったら、
まちがいなく、地方は沈むと思います。
もう一つ、地方が、右を見て左を見て、隣近所の持っているものと同じ だけのものをつくろうと思ったら、必ず失敗すると思います。右と左を見 ることは、絶対に必要です。しかしそれは、どうやってその地方全体とし て、周辺との違いを生かしながら、分担していくかという課題だと思いま す。最近の言葉でいえば、道州制にちかいと思います。そういう方向で地 方がやる。その方向でいけば、日本は、グローバリゼーションの中で、勝 ち残っていけると思います。
そこでそういう方向で行くためにもう一つ。さっき申しあげましたが、
戦後の日本の中ででてきた一つの特徴として、自分自身とその周りさえよ ければよいという意見があった。そこに、根本的な問題がありました。自 分だけでは、足りない。周りと一緒にやっていく、公というものが必要な んだと思います。鳩山政権の最後に、「新しい公共」という概念がうちだ されました。私は、決してこれに反対というわけではありません。最近の 日本社会の問題の中で、確かに解決しなければいけない問題として、雇用 の問題があり、年金の問題があり、医療の問題があり、教育の問題があ り、そういう問題を解決していかないと、政府としての、余裕がでてこな い。それは、全くそのとおりです。そういう問題を解決していく鍵とし て、鳩山前総理は、国民・市場・政府がばらばらでやっていたことを排 し、これを「新しい公共」と概念化し、皆が皆を助け合うことを提案し た。三者がそれぞれ助け合い、参画しあうことによって、日本のかかえて
いるひずみを解決し、新しい日本をひきいるヴィジョンをつくろうとし た
(3)
。日本の中で壊れていたものを立て直すためには、このアプローチは必 要なのですが、これだけでは、足りない。必要とすることは何か。私は、
こう考えます。
「私たちは、富国平和をめざしてひたすら走り続けることによって、個 人の利益を追求しさえすればよしとする、戦後独特の価値感にひたってし まった。個人もしくはその延長としての家族とその所属集団を超えた、自 分達の住む共同体、地域社会、更には国家をよくするために、わずかなり とも個人の欲望をがまんすることが如何に大切かという、そのずしりと重 い「公」という感覚を失ってしまった。」
結局さっき言った鞆の浦。高速道路を造れば、金になる。でも、日本 は、それだけですか。なにかもっと大事なものが日本人としてあるのでは ないですか。それは何なのですか。それを発掘するのは、中央ではなく て、地方が、自分たちの生活、自分達の家から発掘していくということに なるのではないでしょうか。
学生たちへのメッセージ
そこで、誰がこれからの本当の担い手になるか。私は、1945年生まれ、
できるだけのことはしたいと思います。でも、私の世代の努力だけでは、
そういう新しい「公」は見出せない。若い世代が、これからの探求の担い 手になる他ないと思います。それは、君たちです。そこにバトンがいく。
だから、がんばってほしいと思います。今日ここにきている学生の方は、
それぞれ専門をもって勉強しておられると思います。それはそれで、是非 やっていただきたいことです。しかし、今日ここでお話をしたことの担い 手になるような、そういう人間に育っていくために、三つアドバイスを申 し上げたいと思います。
第1に、歴史を勉強していただきたい。日本が世界の中で置かれている 位置や、今後の方向を考えるとき、歴史的な経緯を知らないで、深い思考
がでてくることはありえません。
第2に、世界に出て自分の目でみていただきたい。東京を見ないで、世 界のトップを見る。しかし、自分の目で見なくて、どうして世界のトップ が見られるでしょうか。外国に出たとき、それなりに自由に動くには、語 学は必須です。中でも、英語は必須です。「英語を楽に身につける方法は ないですか」と聞かれることがあります。たぶん、無いと思います。あま り難しく考えないで、一定の時間を使って、きちんと勉強して、トーフル の点をあげることです。そして、実地に使いながら、身に付けていくこと です。これはけっこう大変だけれど、1回身につくと楽になります。若け れば若いときほど勉強は早いです。ある程度集中しないとだめです。だら だらやるのは勧めません。京都産業大学もいまいろいろの制度がありま す。できれば、この大学にいる間に語学を勉強して、半年なり外国の大学 に行って、住んで、勉強すること。できるだけ、単位の交換ができるとこ ろで、勉強すること。旅行で行くことと、住むこととは大違いです。そう やって学生の時代から、視野を世界に持つ。ここは京都の大学です。で は、京都を世界一にする。どうしたらよいか。それには、とにかくパリに 行って、3ヶ月なり半年なり住んでみること。住んで見なければ、パリと 京都がどうちがうか、なかなかわからないと思います。
第3に、自分の意見と哲学をもつこと。哲学というとたぶん難しそうだ なと思われるかもしれません。私は、この言葉には非常に思い出がありま す。私が大学に入った時、けっこう不真面目な高校生だったので、大学で は、真面目にやろうと思いました。その時偶々ある先生に出会いました。
井上忠というまだ若い哲学の先生でした。この先生の授業に半年でて、本 当に目から鱗が落ちる思いがしました。先生の専門は、アリストテレスと ギリシアの形而上学でしたが、その先生が言っていたことは一つでした。
「他の人のいう意見、目の前に流されている意見を信じるな、自分で問 え、自分で考えろ。絶えず、『何か?』と問い続けろ」。私は、ほんとう に、ショックを受けて、大学の後半から外務省に入った研修の1年を含む 3年半、西洋哲学史を、アリストテレスから現代にいたるまで、こつこつ
読みました。最後に、実存主義という当時良く読まれた思想につきあた り、カール・ヤスパースというドイツの哲学者を読み、ああ、これだと思 いました。
「人間とはなんであるかという問いに対してはどんな答えも十分では ありえないことをわれわれは見てきた。なぜなら、人間が何でありうる かは、彼が人間である限り、やはり、彼の自由のなかにかくされている からである。このことは人間の自由の結果から、やはり明らかになるだ ろう。人間が生きている限り、自分自身でたえず努力して獲得しなけれ ばならないものがあるはずである。規定されえないものを代表している のが、人間の品位である。人間が人間であるのは、彼が自己のうちにこ の品位をもち、またすべての他人のうちにこの品位を認めているからで ある。きわめて簡単に、カントはこのことを言い表した。どんな人間 も、人間によって手段として用いられてはならない。各人はみずから目 的である」
(カール・ヤスパース「哲学の小さな学校」)
ヤスパースは、この講演をしてから、1年後、私が外務省に入って間も なく死にました。しかし、この人間の品位とその根源的な自由と責任とい うことは、非常に強い印象を私に残したと思います。さて、皆さん、おそ らくは初めてヤスパースの言葉を聞かれてどう思ったか解らないのです が、哲学の言葉は、決して、哲学書の中でのみ語られているのではありま せん。最近の若い人の中でよく知られている「エヴァンゲリオン」という 動画があります。その最終章を見てみます(4)。
「ぼくは、ぼくがきらいだ。
でも、好きになれるかもしれない。
ぼくは、ここにいてもいいのかもしれない。
そうだ、ぼくは、ぼくでしかない。
ぼくは、ぼくだ。
ぼくで、いたい。
ぼくは、ここにいたい。
ぼくは、ここにいてもいいんだ」
私は、この最終章を何回となく見ました。私には、ちょうど君たちの年の ころ読んだ、ヤスパースと同じメッセージを出しているように思われます。
これからの地方の、日本の、世界の担い手は、若い人である。
どうか、がんばってください。
これで、講演を終わります。
註
(1) YouTube「崖の上のポニョ」の主題歌を紹介。
(2) YouTube「八尾のおわら風の盆」を紹介。
(3) 内閣ホームページ「新しい公共」を紹介。
(4) YouTube「エヴァンゲリオン」最終シーンを紹介。