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古典作品のイメージを膨らませる試み−『平家物語
』『奥の細道』『土佐日記』の授業展開を例として
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著者 下仲 一功
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 27
ページ 41‑53
発行年 2004‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10105/10776
古典作品のイメージを膨らませる試み
﹃平家物語﹄﹃奥の細道﹄﹃土佐日記﹄の授業展開を例として
下仲功
はじめに﹃平家物語﹄ありき
ー﹁平曲﹂のテープを聞かせるー
大学時代に受けた諸先生方のご講義の中で︑とりわけ印象深かっ
たものの一つに︑真鍋昌弘教授の﹁日本文学概説﹂がある︒私がこ
のご講義を受けさせていただいたのは一九八一年度の後期で︑テー
マは﹁中世軍記物語の系譜﹂であった︒歴史的記録から軍記物語が
成立してゆく過程︑﹃平家物語﹄以前から軍記が語り物として存在し
ていたことなどに始まる半年間の熱のこもったお話は︑受講生の心
を虜にし︑朝早くからのご講義でありながら︑遅刻する生徒もなく︑
大変盛況だった記憶がある︒
この講義の九回目のお話は︑第八章として﹁平曲﹂についてのも
のだったのだが︑先生はその折︑カセットテープを用意していらつ
しゃった︒それは現代に伝わる平家語りの資料で︑先生ご自身が語
りの場にレコーダーを運び︑録音されたということであった︒当時︑
中学や高校用の教材ではすでに朗読などを吹き込んだ補助教材が販 売されていたとはいえ︑まだまだ近代の作品が中心で︑研究目的以
外に古典作品を扱ったものはほとんどなかった時代である︒まして
や﹃平家物語﹄が琵琶法師によって語られたことは高校で覚えた知
識として知っていたものの︑流派が脈々と現代にまで受け継がれて
いるとは考えてもいなかった︒したがってこの音声資料は衝撃的で
あった︒冒頭からの琵琶の音︒私はこの楽器の発する音自体もはじ
めてであったが︑長い前奏(実際には前奏とはいわないのであろう
が)︑何分か経ってようやく始まる﹁祇園精舎﹂︑しかもそれは﹁ぎ﹂
だけで何秒も発声し︑テープは約十五分のものであるが︑時間いっ
ぱい使って﹁ただ春の夜の夢のごとし﹂までしか進まない︒ライブ録
音の効果もあって︑しばらくの間︑講義室には中世の辻角で語られ
る﹃平家物語﹄の雰囲気そのものが再現されたのであった︒(実際︑
同じ方が﹃平家物語﹄の同じ部分をスタジオで語ったものを録音し
た教材用CDを持っているが︑雑音を一切遮断したそれと聞き比べ
てみると︑違いは歴然としている︒やはり﹁平曲﹂は人々を目の前
にした語り物の文芸であることをかえって実感した︒)研究というも
の︑アカデミズムというものが決して研究室だけのものでなく︑体 一41
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を動かすものであること︑講義というものは︑その講義で一番効果
的な資料を厳選して用意し︑受けるものの心をつかみ︑ゆさぶるも
のであること︒この講義では﹃平家物語﹄を中心として︑文学の研
究方法だけでなく︑﹁講義﹂を﹁授業﹂と言い換えれば︑それはその
まま中学・高校の教材研究の場面で︑あるいは教室において︑教員
が何を大切にして︑どのように行動すればよいのかを︑先生はお示
しくださった︒
*
中学・高校段階の﹃平家物語﹄は大抵入門期に冒頭﹁祇園精舎﹂
と︑﹁木曾の最期﹂﹁敦盛の最期﹂﹁扇の的﹂の三つのうちから一つ︑(←計ニカ所が選ばれている︒冒頭は全編を貫くテーマが語られる部分
であり︑またそれに続くそれぞれの話も︑当時の武士の気概や︑時
代に生きた人々の思いなどがよく表現される内容である︒
教科書の解説部分を見ると︑いずれの出版社のものも中学校段階
で﹃平家物語﹄が﹁平曲﹂として琵琶法師に語られたものである︑
(2)との記述がなされている︒そしてその本文については和漢混渚文の
リズムの良さの指摘があり︑声に出して読むことを生徒に勧めてい
る︒日本語の音声の再発見︑﹁読む﹂﹁聞く﹂ということが近年盛ん
に言われているが︑そういう点からもこの作品の学習において︑﹃平
家物語﹄の音声を聞かせることが︑生徒に刺激を与えることになる
ことは間違いない︒
ところが︑こんなことがあった︒教職に就いたばかりの頃︑真鍋
先生から複写させていただいた先程のテープを高校一年生の生徒に 聞かせてみた時のことである︒当時﹃平家物語﹄のリズムの良さは︑
テープで朗読を聞かせるよりもむしろ︑斉読で感じさせることが普
通の授業のあり方であった︒しかしそれをそうではなく︑できるだ
け本物で体験させたいという思いから︑私はそのテープを使ってみ
たのであった︒その時の生徒の反応は︑二つのことにおいて︑予期
していたものとは少し異なっていた︒
はじめは︑十五分という長さであるので生徒は退屈するだろうと
考えていた︒大学生が学問として聞くのとは違う︒聞かないでいる
者も出るのではないかとも予想した︒しかし︑生徒は授業が終わった
とたん︑面白半分ではあるが︑平曲の語り口調で会話し始めたので
あった︒(これは今思えば生徒がそのような反応するのは当然と言っ
てよいほど素直な反応である︒)もちろんそれは生徒流にアレンジさ
れていたが︑しばらくは彼らの会話のオチなどに顔をだした︒現在
の会話口調とは異なる︑実にゆったりとしたその速度と︑音を揺ら
す独特の声の出し方がむしろ生徒の印象に強く残ったのであった︒
日本語のリズムの良さというものが﹃平家物語﹄本文の和漢混清
文体に見られることは間違いない︒しかし考えてみれば︑テープの
それは琵琶の音を効果的に使った芸能としての語り口調である︒も
ちろんそれは文章に内在するリズムを基調とはしているであろうが︑
そのレベルをはるかに超えて︑聞く者に強く訴えかける力を持って
いる︒今から考えると︑和漢混清文のもつリズムを学ぶことと平曲
を聞かせることは︑学習目標としては別の問題として準備を進める
べきであった︒﹁本物﹂の意味を考えず︑それらを即物的に結びつけ ﹁42
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平家物繕と琵琶法師ーー紙園蒲舎によせて:.
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噸 トンリブ用導指曲平1図 てしまったのは︑教材の研究として不足であったとも思う︒しかし︑﹁平曲﹂のもつ︑人間の感性に訴える力の強さを改めて感じた体験で
もあった︒
そしてもう一点︑その時の生徒の感想として出てきたものは︑鎌
倉時代から︑そのような語り物が現在にまで伝わってきたというこ
とに対する感慨であった︒人から人へ一種の芸能として崩れること
なく脈々と受け継がれてきた︑人間の行為そのものへの感動であっ
た︒つまり︑この点については︑日本語の響きを聞かせるとか︑興味
付けとして音声テープ試聴させること以上の効果を︑﹁平曲﹂のテー
プは引き出したのであった︒
古典作品は︑一つには古くに書かれた文章であるが︑それだけで
は歴史的記録類と違いはない︒そう考えれば︑古典が古典たるゆえ
んは︑作品が時間を超えて︑現代人にも響き合う感性を蔵している
部分にあるのであろう︒﹃平家物語﹄においては︑テキストの解釈だ
けでなく︑﹁平曲﹂のテープを聴き︑その口まねをし︑そのことに
よって世代を超えてそれを伝えてきた人々がいることに思いを馳せ
るところにも︑古典世界に親しむ糸口があるのである︒
以後︑私は高校段階の﹃平家物語﹄の授業では︑積極的に﹁平曲﹂
のテープを活用することにしている︒図1のようなプリントを作り︑
それが語りとして営々伝わり続けてきたものであることを示す︒こ
れは細かな系譜を伝えようとするものではなく︑感覚的にそれをつ
かんでくれればよいと考えたものである︒それを見せながら音声を
聞かせるのであるが︑聞きながら︑生徒はどうやって語り手がそれ 一43
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