海田能宏
(編著)
『バングラデシュ農村開発実践研究
─新しい協力関係を求めて─
』
東京:コモンズ、2003年、351頁、4200円+税、ISBN: 978-4-906640-68-3谷口晉吉
本書は、京都大学東南アジア研究センターの海田能宏らが国際協力事業 団の協力を得て1986
年から2010
年まで3
期にわたって実施しつつある、 バングラデシュ住民参加型農村開発行政支援プロジェクトの2003
年にお ける総括である。 各章の要約 第Ⅰ部「農村開発とリンクモデル」は、第1
章「農村開発のモデルプロ ジェクト」、第2
章「バングラデシュの農村開発」、第3
章「リンクモデル へ向けて−PRDP
のめざすもの−」からなり、すべてプロジェクト統括者 の海田能宏が執筆しており、このプロジェクトの基本枠組みであるリンク モデルの内容とその実施状況を示す。 従来の政府行政機構は郡(タナ)止まりで、また省庁の縦割り行政の弊 害も加わって、一般農民に行政サービスが届き難く、一部有力農民が利益 を独占しがちであった。この欠陥を解消する為に、海田らは、地縁社会(村) を地域の公益を汲み上げる組織として育て、また、行政サービスをユニオ ン(複数の行政村からなる)に下ろし、そこを開発センターとして、行政 サービスを一般農民に届け、同時に、村の共通のニーズを行政に伝達する システムを構築し、それをリンクモデルと呼ぶ。 海田らは、村びとのニーズを絞りこむために自然村的小集落の伝統的な 長老(マタボール)をキーパーソンに据え、村の伝統的な調整メカニズム を最末端における開発センターに生まれ変わらせようとしている。海田は、 マタボールが村代表として適切かという当然の疑問に対して、マタボール が構成する村落長老会議では合議制により特定個人のボス化が抑制されて おり、また開発センターに変身するに当たっては村人総会で会議メンバー を承認する仕組みにより正統性が確保されているとする。こうして、海田 は「マタボール制こそ、バングラデシュ流の民主主義的村落統治のための 制度」であり、さらに、政府行政機構末端にこの開発センターを埋め込む ことによって、プロジェクト終了後もリンクモデルの持続性が担保される 書 評と主張する。 第Ⅱ部「リンクモデルの構成要素」はこのモデルを構成する村、マタボー ルなどの基本要素がいかに見出されたのかを示す
5
章からなる。 第1
章は、安藤和雄と内田晴夫による「マタボールたちと在地の農村開 発−D
村におけるアクション・リサーチの記録−」である。安藤らは、従 来の開発援助プログラムは村びとの個人参加を前提としており村を社会と して捉えず、かつ在村リーダー(マタボール)を無視している、と批判す る。政府行政サービスはマタボールを「案内人」として村に浸透する以外 に方法はないから、政府といえどもマタボールの協力なしに村で開発サー ビスを行うことは不可能である。こうして、安藤らは行政と村とのよりよ いリンクを構築し一般農民の開発への参加を実現するには、マタボールの もつ伝統的リーダーシップを活用することが有効であると主張する。 第2
章は、河合明宣と安藤和雄による「ベンガル・デルタの村落形成に ついての覚え書」である。河合らが想定する「村」は、自然堤防上に形成 された自然村的小集落であり、その地域を開発した草分けを祖とする父系 血縁集団により構成されることが多く、日常的で濃密な地縁的関係が成立 している。 河合らは、19
世紀末の地籍調査事業の設定した行政村(モウザ)は単 なる地籍の集積に過ぎず地方行政機構の一端にはなりえないとし、「個々 の集落がもつ組織性および自治的機能を行政村の中に吸収し、農村開発行 政を活発化させていくには、自然村的小集落=パラにもう一度注目する必 要があると思われる」、と結論付けている。 第3
章は、矢嶋吉司と河合明宣による「オストドナ村農村開発顛末記−DTW
(深管井)導入の「失敗」からの再出発−」である。全世帯加入型 協同組合を設立しようとする矢嶋らの呼びかけに応じて、村びとは野菜栽 培による農業多角化を目指したが、行政からの支援を十分に受けられず試 みは失敗した。この失敗を通して矢嶋らは、「タナには行政サービスも人 材もある。いま必要なのは、既存の組織を効果的に利用し、情報と行政サー ビスを村びとに確実に届けられる現実的なシステムをつくることである」 という認識に達し、タナとユニオン・村をつなげる村連絡会議とユニオン 連絡会議を発足させ、ここにリンクモデルの祖型が誕生した。 第4
章は、藤田幸一による「農村開発におけるマイクロ・クレジットと 小規模インフラ整備」である。藤田は、最近の農村開発計画がマイクロ・クレジット供与による所得創出に傾き、農村インフラ整備が疎かになって いると批判し、両者のバランスがとれた開発計画が必要であると主張する。 また、グラミンバンクの基本仮説(適正な条件で資金を供与すれば、土地 なし貧困層は自分の才覚で自己雇用機会を生み出す)を幻想であると批判 し、グラミンバンクの融資が貧困削減効果を持つのは、その自己雇用創出 効果によるのではなく、土地用益権や家畜などの取得による資産所得創出 効果によるものであるとする。さらに、質地を通して農村下位階層から上 位階層に大量の資金が流れているのだから、金融制約は貧困層の上昇の最 大の制約とはいえないとする。最後に、小規模農村インフラ整備の遅れを 行政の腐敗、農民の依頼心の高さ、公共心の低さに求め、マタボールだけ では村びとを動員する組織はできないと指摘する。 第
5
章は、海田能宏による「将来計画へのプロポーザル−JSRDE
最終セ ミナーにおける報告−」である。前述のリンクモデルの説明であるから、 繰り返しは避ける。 第Ⅲ部「農村開発における「技術」」は、海田らのプロジェクトが実施 した小規模農村インフラ整備事業の意義を示す3章を含む。 第1
章は、内田晴夫と安藤和雄による「農村水文学」である。バングラ デシュの氾濫原デルタでは「動的水文環境」への適応が伝統農業の重要な 課題であり、農業の安定的で持続的な開発はこの適応への配慮が不可欠で あると主張する。 内田は現場の観察と農民の記憶とから明快な動的水文環境図を作成し、 在地技術を採用した小規模河岸侵食防止の方法を考案し一定の成果を収め た。この経験を踏まえ、膨大な費用をかける「洪水の制御」ではなく、在 地技術の潜在的な可能性を引き出して「洪水への適応」を図ることが望ま しい、と主張する。第2
章は、吉野馨子による「バリ・ビティをとおして 見た農村開発」である。吉野は、バリ・ビティ(屋敷地)の研究を目指し て、村の植生の悉皆調査を行い、村人がそれをどのように認識し、栽培し、 利用しているかを記録した。また、村人の望む商業果樹の取り木の確実な 方法を県園芸センターで習得し、村内に普及させた。 第3
章は、海田能宏による「風土の工学」である。海田によれば、「風 土の工学」とは、「単純化した灌漑稲作農業に特化するのではなく、……『在 地の技術』を十分に活かし、多様な土地利用を活かすような技術のかたち」 であり、「環境になじみ、『米・魚・家禽・果樹・野菜複合』経営を旨と」する自給的複合経営である。 第Ⅳ部「農村研究」は、対象地域の農業経営、都市と農村の相互関係、 行政村の歴史などを考察する
4
章からなる。 第1
章は、宇佐美晃一による「コミラ農村の農地流動・労働力・小農経 済」である。宇佐美は灌漑農業のP
村(コミラ市近辺)と、非灌漑農業に 依存するA
村で調査を行い、所得率(純収益/粗生産額)と農業所得率(農 業所得/農家所得)を計算し、A
村、P
村の殆ど全ての階層は農業所得で は生活できないと主張する。宇佐美はこれらの分析に基づいて、農業所得 の不足を農外所得で補い、さらに農外所得を蓄積して農地を借入して耕作 し、その収入により消費を補填するという循環が見られることを指摘する。 第2
章は、海田能宏とケシャブ・ラル・マハラジャンによる「村と町の インターアクション」である。海田らは、農業部門の成長で地方や農村が 発展するという考えはバングラデシュでは幻想であり、村と町の相互関係 の中に村の発展の鍵があると述べ、3
ヶ村の調査に基づいて村と町の相互 関係を考察する。T
村は冬米単作地帯であったが、70
年代末から動力灌漑による春米耕 作が拡大し、水稲二期作地帯に生まれ変わり多くの米余剰が生じた。農業 労働が不足し氾濫原地域から多くの労働者が流入し、村から出稼ぎに出る 者は皆無である。この村は町に米を売り、町から農業投入財を買うという 相互関係にあった。F
村とG
村は高人口密度地帯にあり、70
~
90
%
の世帯は、 家人の誰かが近隣の町やダッカで非農業に就業しており、その収入が村に おける集約農業や農地取得の費用に回されている。 第3
章は、向井史郎による「就業機会の変容に見るバングラデシュの農 村−都市関係」である。高人口密度地帯のF
村での調査によれば、1950
年代から都市出稼ぎが増加し、1990
年代に村と町・都市との結びつきは 一層濃厚になり海外出稼ぎも急増したので、村の労働人口の50
%
が常時 村外で働くという状況が現出した。この結果、村の労働市場では日雇労働 者が減少し、実質賃金が大幅に上昇した(73
年を1とすると、85
年0
.
93
、91
年1
.
67
、98
年2
.
2
)。 向井は村の住民を3つに分類する。①都市高所得家族(全家族の7
%
)は、 富裕農民であったが、現世代になって農地を売り、その資金を都市での投 資に回し、高所得職種を得て都市に定住した。②農業家族(36
%
)は2
つ に分かれる。a
農業−農村中所得家族(8
%
)は、教員、常設店主、工場勤務などを兼業し、非農業職から安定収入がある。都市に出ても季節就業、 期間就業に留まる。
b
農業−農村雑業家族(28
%
)は中等程度の教育を受け、 水田耕作を行い、更に近郊都市や村で雑業収入を得るが、日雇い労働は殆 ど行わない。脱農志向は弱く、海外に家族の一員を送り、その送金で住居 改築、屋敷地購入などの投資を行い、村内の固定資産は増加している。③ 農村−都市雑業家族(54
%
)は、保有農地が小さく飯米を自給できず、不 足分を購入する。現金収入源は、零細商業や肉体労働(単身都市出稼ぎを 含む)である。教育を子供に与える余力は小さく、海外出稼ぎに送り出す 資金もない。 第4
章は、野間晴雄による「バングラデシュ村落社会と村落研究−農村 開発を指向した研究史的展望−」である。野間は、植民地官僚によるイン ド村落観を問い、19
世紀後半から始まった地租査定事業の調査官はベン ガルには北インドのような村所有団体がいないという認識に基づいて便宜 的に行政村を区画したと述べる。次いで、バングラデシュ村落研究史を一 瞥し、現代の農村開発を阻害する村内要因として村の有力者による富と資 源の独占と支配があるとする議論は硬直的であると批判し、故・原忠彦 (1969
)の実証的な研究が再評価されるべきだとする。 若干のコメント 海田(I-
1
、2、3
)、安藤・内田(Ⅱ-
1
)で主に論じられ、本書の主題 をなすリンクモデルは、バングラデシュ農村開発における村と行政の不十 分な連携を是正する卓抜した着想であるが、幾つかの問題を抱えているよ うに思われる。①村びとの忠誠心はまず家族と父系親族に向けられており、 マタボールらが血縁への忠誠心を抑制して村全体の公益の代表たることは 容易ではない。原忠彦やBertocci
、あるいは、藤田(Ⅱ-
4
)が指摘する 村びとの公共・公益観念の弱さはこれと対をなす問題であり、リンクモデ ルの導入によって容易に克服できるだろうか。②既存の公的村落自治組織 であるユニオン議長やユニオン議員が、マタボールを軸とする新組織(村 落委員会)を自分たちの既得権限・権益の侵害者として敵視し、その活動 を妨害する可能性は決して小さくないだろう。③リンクモデルは主に東南 地域での経験に基づくが、向井(Ⅳ-
3
)が示すように、東南地域は高人 口密集地帯であり、更に90
年代に多くの上層農民が土地を売って村から 出て行き、農民間の土地分布は平準化している。だが、一般的に言えば、 農民間には貧富格差が存在し、多くのマタボールは小作人や農業賃労働者に依存する雇用労働型経営を行い、家族労作型の一般農民とは異なる経済 利害をもつ。これは多くのマタボールに「階級的な性格」を与える。村の 中で従属させられる人々の立場を十分に考察した上で、マタボール起用の 有効性を展開して欲しい。④村落委員会の実績をみると、成功村と失敗村 とがあると聞く。そうであれば、両者の詳細な調査を行い、いかなる要因 が成功と失敗を分けたのかを是非解明してほしい。 他の論文についても若干のコメントを行いたい。河合・安藤論文(Ⅱ