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古典の授業と漢和辞典 ― 漢和辞典の効能 ―

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Academic year: 2021

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(1)Title. 古典の授業と漢和辞典 ― 漢和辞典の効能 ―. Author(s). 西, 信康. Citation. 国語論集, 16: 171-176. Issue Date. 2019-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/10453. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 古典の授業と漢和辞典 ─漢和辞典の効能─. 信康. ( 79 ). 西. であった。これが無 ければ、返 り点 もふりがなもない漢 文 は読 めな はじめに い。そこで、漢文を読む上で最も有用な漢和辞典と言えば、一昔前 中 学 及 び高 等 学 校 の授 業 に漢 和 辞 典 は必 要 か。最 近 、このこと であれば、小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編『新字源』(角川書 を考 えるきっかけがあった。正 直 に言う と、私 には必 要があるとは 思えない。したがって、学 校が購 入を義 務付ける必 要もないと思う。 店 ) であ り、最 近 では戸 川 芳 郎 監 修 ・ 佐 藤 進 ・ 濱 口 富 士 雄 編 『漢辞海』(三省堂)であった。私もこうした認識で大学時代及び しかしながら、一 方 で考 えるべきこともあると思 う 。それは、少 々 大 学 院 時 代 を過 ごし、そして今 日 に至 ったものであるから、じつは 理 屈 っぽい言 い方 になるが、凡 そ 「 必 要性」とは、どのよう な目的 を 他の漢和辞典についてはほとんど目を通したことがなかった。もちろ 設定するかによって、その度合いはいかようにも変わり得る、という ん、 『新字源』や『漢辞海』で全ての疑問が解決されるわけではない。 ことである。つまり、たとえ現 実 には必 要 が無 く、これまでも必 要 この両 者 でも 手 に負 えない場 合 は、諸 橋 轍 次 著 『 大 漢 和 辞 典 』 がなかったとしても、そのことは直 ちに、これまでも、またこれから ( 大 修 書 館 、 全 十 二 冊 )や 、中 国 語 ではあるが、これを更 に詳 細 も、それが本 来 的 に必 要 がないことを意 味 す るのか、という ことで にした漢語大詞典編輯委員会『漢語大詞典』(上海辞書出版社、 ある。これまでの経緯や現状、そして設定される目的は無批判に肯 全十二冊)を引く。したがって、簡便な辞書であれば、 『新字源』か 定 さ れるべきではなく、むしろこれを改めて反 省 す る視 点も、必 要 『漢辞海』かのどちらかを引けばもう十分であって、それ以上のこと であると思われる。 を知 るために、他 の簡 便 な辞 書を更 に引くことはなかった。特に熟 こうした次第で、改めて手元にある漢和辞典をあれこれと繰って 語 に関 しては、 『 大 漢 和 辞 典 』と 『 漢 語 大 詞 典 』の収 録 量は、当 然の みた。世 間 並 みには漢 和 辞 典 に慣 れ親 しんできた者 の立 場 から、 手元にある漢和辞典の特徴 について、それぞれ批評を加えてみたい。 ことながら一 般向 けの辞 書 を大 幅 に上 回る。したがって、大 部の辞 書を直接引いた方が、却って効率的なのである。加えて、 『大漢和辞 漢 和 辞 典 は必 要 かという 問 題 に対 し、わず かでも議 論 す るきっか 典』については、東洋学術研究所編『大漢和辞典語彙索引』(大修 けを提供できればさいわいである。 書館 )を用 いれば、音読み索引で直 ちに該当す る熟語 を引くこと ができる。また、 『漢語 大詞典』については、漢語大詞典編纂処・日 本 禅 文 化 研 究 所 編 纂 『 多 功 能 漢 語 大 詞 典 』( 漢 語 大 詞 典 出 版 社 ) 、及 び『 漢 語 大 詞 典 詞 目 音 序 索 引 』( 漢 語 大 詞 典 出 版 社 ) 一、代表的な漢和辞典 大学時代に、中国思想、中国史、中国文学といった、中国古典を 専 攻 す る者 にとって、漢 和 辞 典 は漢 文 を読 むための不 可 欠 の道 具. −171−.

(3) に素 早 く引 けるものかと感 心 した。と同 時 に、これから授 業 につい てゆけるのか、不 安 になった。そこで思 い切 って、漢 和 辞 典 の部 首 索 引も慣れるとそんなにも速く引けるものか、と隣の学 生に聞 いてみ ると、その答 えは私 には意 外 なものであった。彼 が言 う には、 「音 訓 索 引を使っているのだよ」という ものであった。 「オンクン索 引?」。ま さ か、漢 和 辞典 にそんな便利 な機 能が具わっていたとは予想だにし なかった。その衝撃は今も忘れられない。これを用 いれば、音読みか 訓読 みかのいずれかが分かれば、直ちに該当す るページに行き着く 「遊」という字であれば、しんにょう(「辶」)の ことができる。例えば、 画数を空で描き、しかるのちに部首索引でしんにょう に行き着き、 そして、しんにょう を偏 とす る漢 字 のペー ジを開 き、今 度 は旁 の画 数を調べてよう やく 「遊」のページにたどり着く、などという 手順 を 踏む必要はない。五十音順に漢字を並べた音訓索引で 「あそぶ」「あ そび」「 ユウ」のいず れかを引 けば、簡 単 に 「 遊 」のペー ジに行 き着 く (ちなみに 『 漢 辞 海 』第 三 版 では、 「 遊 」は一 四 三 四 頁 )。今 思 えば、 小 学 校 で漢 和 辞 典 の使 い方 を習 ったときも、自 分 だけがや けに時 間がかかり、恥ずかしい思いをしたよう な記憶もある。教師が何度 説明 しても聞 いていないと答えるのが劣 等生の特徴 とす るならば、 あの時も先生は既に音訓索引を説明していたのかも知れない。ある いは、漢 字 の構 造 を理 解 さ せるために、敢 えて部 首 索 引 や 総 画 索 引を使わせたのかも知れない。いずれにせよ、漢和辞典は部首索引 か総 画 索 引 でしか引 けないものとばかり思 っていた私は、二 十三 歳 にしてはじめて音 訓 索 引 を知 った。これだけで、漢 和 辞 典 の利 便 性 に対する私の認識は、ガラリと変わった。. 三、漢和辞典の効能 以下、手元にある漢和辞典について、簡単な批評を加えたい。 かつて、『 新字 源 』 (前 掲 )が最良 とさ れた理 由 は二 つある。一つ. ( 80 ). を用 いれば、ピンイン索 引 で熟 語 を直 接 引 くことができる。なお、 『漢語大詞典 』については、インターネットでの利用が可能である(ア ドレスは、 「漢典」 http://www.zdic.net 『新字源』と 『漢 辞 )。以下、 海 』からはじめ、手 元 にあるいくつかの漢 和 辞 典 について、それぞれ の効能を紹介をしたい。 二、漢和辞典との再会─音訓索引の衝撃─ 各 種 漢 和 辞 典 の効 能 を紹 介 す るに当 たり、先 ず は私 と漢 和 辞 典との関わりから話をはじめさせていただきたい。 私が中国思 想の専門課程に進んだ一年目は、 『漢辞海』はまだ世 に出ていなかった。その当時、先生や 先輩からは 『新字源』を推奨さ れたので、新学 期が始 まる前に、大 学近くの古本屋に立ち寄り、ヨ レヨレの 『 新 字 源 』を手 に入 れた。専 門 の演 習 では、返 り点 のない漢 文のテキストが配られ、受講者はこれを訓読し口語訳を作成して授 業に臨む。こう した演習の基本方針が初回のガイダンスで伝えられ ると、私 を含 めた受 講 者 の何 名 かは研 究 室 に居 残 り、さ っそく予 習 に取 りかかった。先 ず は 『 新 字 源 』を使 い、これで解 決 しない場 合 は、 『 大 漢 和 辞 典 』を引 き、これでも解 決 しない場 合 は、 『漢語大 詞 典』を引く。こんな手順を先輩から教わった。 当 時 の私 の記 憶 によれば、漢 和 辞 典 は小 学 校 で購 入 し、授 業 で 部首索引の使い方を習って以来、中学や高校では一切使用していな い。そもそも、漢 和 辞 典 なるモノは、漢 字 の意 味 や 原 義 、そして部 首 の成 り立 ちを知るために引 くのであって、訓 読 文 の作 成 に役立 つ のか。漢 和 辞 典 に対 す る私 の理 解 はそんなところであった。そう こ う して、漢 和 辞 典 の部 首 索 引 や 、部 首 が分 からない場 合 は総 画 索 引 で漢 字 を調 べていると、周 りの学 生 は辞 書を引 くのがえらく速 い。 私 は農 学 部 から学 士 入 学 をし、はじめて漢 文 と向 き合 う ことにな ったから、さす が二 年 生 から漢 和 辞 典 を引 いているとこれほどまで. −172−.

(4) は、それが漢 字 の意 味 だけでなく、その読 み方 、即 ち訓 読 の仕 方 を も示してあること。漢字の意味が分かっても、実際の文章に当てはめ た場 合 、それをどのよう に訓 読 す ればよいのかは、漢 字 の意 味 が分 かっただけでは解 決 しない。それが送 り仮 名 も含 めて示 さ れている ところに、 『 新 字 源 』の利 便 性 が認 められた。そしてもう 一 つは、附 録の 「助字解説」が充実していたこと。我々日本人は漢字を使用し、 しかも日 本 語 の漢 字 は現 代 中 国 語 よりも古 い意 味 を多 く留 めてい る。このため、名詞や動詞などのいわゆる実詞の類であれば、辞書を 引 かなくとも何 となく意 味 が分 かり、読 み方 も想 像 できることが ある。だが、それをどのように訓読するのかは、これまた別の知識を 要する。何よりも、 「安」「挙」「幾」などの助字の類は、読み方を知識 として知らなければ、これらが 「いずくんぞ」「あげて」「ちかし」など と訓読 す ることは、とうてい分かりようがない。しかも、これらはそ れぞれ 「ここに」「ことごとく」「 いくばく」など、他 の読 み方 もある。 『 新 字 源 』の助 字 解 説 は、助 字 を音 読 みの五 十音 順に配 列 し、用 例 を挙 げながら解 説 を加える。したがって、非 常 に便 利 かつ実 用 的 で あり、助 字 を一 つ調 べる毎 に、知 識 の増 加 が実 感 できる優 れもので あった。この助字解説は、中国古典学の専門家に好評であったため、 『漢文を読むための助 字小字典 』( 内山書店 )として、単 独の小 冊子で刊行された。同冊子は、内山 書店のホー ムペー ジから直接購 入できる(本体価格は四五〇円)。 『 新 字 源 』に代 わる漢 和 辞典 として世 に現 れたのが、『 漢辞 海 』 (前掲)である。これも漢文読解に特化して編纂された辞典であった。 『新字源』よりも更に見やすく、漢字の読み方(訓読の仕方)と意味 とがフォントを分けて併記され、読み方については、漢字の読みと送 り仮 名 とがハイフンで区 切 られた。しかも、読 み方 及 び意 味 に関 す る分 析 の精 度 は、 『 新 字 源 』を上 回 る。そして、何 よりも圧 巻 は、そ の句 法 に関 す る説 明 の豊 富 さ である。 『 新 字 源 』の特 徴 であった 「助. 字解説」は、ほぼ 『漢辞海』の中に包摂された。 例えば、 『漢 辞海 』は、 「乃」の一字 に対 して、その句 法の類型をま るまる一 ペー ジに渡 り解 説 す る。しかも、その解 説 はじつに簡 潔 で 決して難渋ではない。一例を挙げれば、 「乃」の 「句法一」では、 「副詞 として述語の前に置き、 「すなわチ」、伝統的 に 「いまシ」と訓読する が、さ まざ まの意 味 をになう 」として、 「① 名 詞 述 語 の前 に置 いて、 判 断 の確 認 を表 す 。 「 まさ に」「 …こそ」と訳 す 」、 「② 数 量 を含 んだ りある範 囲 を示 す 述 語 の前 いに置 いて、限 定 を表 す 。 「 ただ」「 たっ た」「わずかに」と訳す」、といった調子だ。 『漢辞海』の凄さは、 「名 詞 の前において」とか、 「数量を含んだりある範囲を示す述語の前に置 いて」とか、文 法 成 文 における規 則性が全 項目 にわたりサラリと書 いてあるところにある。こんなことは、膨大な量の漢籍を博覧しては じめて可能なことである。こうした説明の一 つ一つが、じつは膨 大な 情報 を帰 納 した研究成 果の結晶なのである。また、こうした研究の 蓄積は、同書の附録にも遺憾なく発揮されている。その 「漢字につい て」では、漢字の構造や分化の変遷過程に関する規則性が簡潔に解 説され(同「 漢字の形声字化のあり方」)、 「漢字音について」では、 漢字の音節構造から、日本漢字音や現代中国音のルー ツが解説さ れ、呉 音 、漢 音 の違 いとこれに対 す る日 本 の歴 史 上 の対 応 などが、 じつに要領よくまとめられている。この附録部分の紹介だけでも、一 『漢辞 海』の 篇の書評が書けるぐらいの充実振りである。要す るに、 附 録 には、一 流 の専 門 書 を何 冊 も読 みこなさ なければ得 られない よう な情 報 が、実 にコンパクトにまとめられているのだ。後 述 の 『漢 字典』の附録も合わせれば、これだけでも、漢文概論や中国古典を 読 むための優 れた入 門 書 として、新 書 や 文 庫 で刊 行 さ れてもよい 内容である。 藤堂明保・松本昭・竹田晃編『新版 漢字源』(学習研究社、 一 九九 四年 )は、読 み方 と意 味 とを併記 し、読 み方 を強 調体にし 3. −173−. ( 81 ).

(5) てフォントを分けている。ただし、読み方も意味も、 『漢辞海』の情報 量には及ばない。 「解字」の項目を設け、甲骨文や篆文その他の古文 字を掲げ、文字の原義を解説する分量が多いところに、他書との違 いが認 められる。しかしながら、文 字 の原 義 は、や や もす ると主 観 的 な絵 解 きに陥 る危 険 性 があり、その全 てが学 術 的 討 議が可能 な 客観的証拠に裏付けられたものではない。要するに、文字の原義に 関す る説 明は、本当なのか嘘なのかが客観的に判定できないものが 少なくないのである。これは本書に限ったことではなく、漢字の原義 を探る研究、即ち字源研究には本質的に伴う限界と言える。 したがって、本 書 の優 れた点 としては、附 録 の 「 漢 文 の文 法 」を見 過 ごしてはならない。 「 即 」「 則 」「乃 」「 斯 」は全 て 「 す なわち」と読 め るが、これらに意 味 の違 いはあるのか。Ⅲ「文 の構 造 」を見 れば直 ち にこれが理 解できる。また、三「 情 意 文 (一 )強 調 式 ・感 嘆 式 の文 」、 四「情 意 文 (二 )意 欲 式 ・命 令 式 の文 」、五「情 意 文 (三 )疑 問 文 と疑 惑 文 」、六「 情 意 文 (四 )反 問 式 の文 (反 語 文 )」など は、 「焉」と 「矣」、「或」と「蓋」、「如何」と「何如」、「不敢」と「敢不」 と がそれ ぞれど の ように 異 なるの か 。ニュア ン スの違 いがこ れ ま た 例 文 と と も に 解 説 さ れ て い る 。 我 々 が漢 文 を読 み、作 者 の 細 や かな心 情 を漢 字 の一 文 字 一 文 字 から汲 み取 るためには、どれ も必 須 の知 識である。残 念 なことに、この 「漢 文 の文 法 」は、改 訂第 五版では削除された(いつの時点で削除されたかは、未調査)。不要 と判 断 さ れたためであろう が、私 に言 わせれば、この処 置 によって 辞書としての価値は大きく低下している。 小和田 顕・遠 藤哲夫・ 伊東倫厚・宇野茂彦・大島晃編『漢 字典 』(旺文社、 一 九 九〇年)も、意 味と読み方 とを併 記し、漢 文を訓読するための便宜が図られている。読み方が多様な語につい ては、語 法 欄 を設 け、用 例 を挙 げながら類 型 を示 す 。読 み方 に加 え、 「受け身を表す助字」、 「目的を表す助字」、 「断定を表す助字」. 等 、語 の成 分 をも付 記 しており、それぞれの読 み方 の理 由 や 具 体 例 が示 さ れている。学 習 者 が深 い理 解 に到 達 し、応 用 的 な知 識 が 身 につくよう にとの配 慮 が行 き届 いている。見 出 し字 に関 連 す る 「故事」「発展」による解説も、学 術的に確かな知識を提供しており、 しかも読 み物 としても面 白 い。 「 五 行 説 」「 干 支 」「 志 怪 小 説 と伝 奇 小 説 」「性 善 説 と性 悪 説 」「 節 句 」などを解 説 す る 「 発 展 」は、 「発展 一覧」として目次を具える。授業に飽きた生徒は、教師の目を盗み、 コッソリこれを読むようなサボり方を身につけるのもわるくない。 そして、本 書の真骨頂 は、何と言っても 「漢字の知識」を含むその 附 録 である。中 でも出 色 は、 「 漢 文 の読 み方 」だ。その(四 )「 おもな 句形」では、 「受け身 」から 「類加形」「仮定」「反語形」「倒装 形」等、 十七の項 目に分けて、読み方と意味とが用例とともに簡潔 に解説 さ れている。基 本 的 な文 型 は言 う に及 ばず 、白 文 を読 むための高 度 な読 解 力 を身 につけよう とす る読 者 にとっては、有 用 な知 識 が 満載だ。一例を挙げると、 「叙」「任」「補」等の語は、 「叙せらる」「任 ぜらる」「 補 せらる」と、単 独 で受 け身 に読 む。これは 「位階官職を 受けることを表す字を用いてある場合は受け身に読む」のが慣例だ からだ。こうしたことは、専門課程の大学生が実際に漢文を読む演 習を通して口伝される類の知識であろう。こんなことがサラリと書 いてあるところに、本書の醍醐 味がある。もし本書の解説を熟読 玩 味 しこれをマスター したならば、教 育 現 場 において生 徒 の疑 問 に答 えられないことはほぼ無 くなるのではなかろう か。決 して専 門 家 向 けの論文ではなく、あくまで、漢文を読むための確かな読解力を身 につけたいと願 う 一 般 読 者 に向 けて書 かれている。正 にこれこそ虎 の巻と呼ぶに相応しい逸品だ。先述の 『漢辞海』に比べれば、漢字音 や 詩 文 方 面 の解 説 に物 足 りなさ を感 じるものの、これまた漢 文 概 論として単行されてもよい内容である。度量衡表、器物などの図表 も見ていて飽きない。. −174−. ( 82 ).

(6) 鎌 田 正 ・ 米 山 寅 太 郎 『 新 版 漢 語 林 』 (大 修 書 館 、一 九 九 二 年)は、読み方と意味とが不分明なところが多く、例文も完備して いない。熟語も古典語に特化していないので、漢文を読むにはほとん ど役に立たない。附録も読み易さの点で劣る。 小 林 信 朋 『 新 選 漢 和 』 (第 七 版 、小 学 館 、二 〇 〇 六 年 )は、基 本的 には漢字の意 味の解説を主とし、読み方 については、 「語法」及 び 「 句 形 」として別 項 を設 け解 説 す る。情 報 量 及 び見 や す さ は、 『新字源 』、 『漢辞 海 』等には遠く及ばない。附録は、 「漢字 について」 (三 )「字 体の変 遷」に、甲骨から草書に至るまでの字体変化が図示 されている。類書にない特 徴と言えるが、これが体系的な知識の獲 得に結びつくかは疑問である。漢字の変遷についてしっかりした知識 を身につけたいのであれば、やはり 『漢辞海』の附録がよい。 影山輝国・山田俊雄・戸川芳郎『新明解 現代漢和辞典』 (三省堂、二〇一三年)も、基本的 には漢字の意 味の解説を主とし、 その中 に読 み方 を混 入す る形 式である。実際 に漢文を読むには不 便である。 山口明穂・竹田晃編『新漢語辞典』(第三版、岩波書店、二〇 一 四 年 )も、漢 字 の解説 において、意 味 と読 み方 とが混 在 し、語 法 の例 示 も少 ないので、漢 文 を読 むにはほとんど役 に立 たない。反 切 や平仄に関す る情報もなく、辞書としての情報量が絶対的に不足 している。附録も見るべきものがない。 先に私は、字源研究が絵解きに陥りがちだと言ったが、無論それ は研究の方法論上の問題に過ぎない。漢字の面白さの一つがなぞな ぞ風の絵解きを伴うことにあることは事実である。字源の探求が多 くの人 々 の興 味 の的 となり、白 川 静 『 字 統 』( 平 凡 社 ) や 『 字 通 』( 平 凡 社 ) 等 の一 連 の辞 書 が広 く世 に受 け入 れられている一 因 もそこにあろう 。日 中 の古 代 習 俗 にも話 が及 ぶ両 書 は、今 後 も そうした関心に応えるであろう。. 漢 文 の授 業 を通 して字 源 の探 求 に興 味 を懐 くか、字 源 の探 求 を 通 して漢 文 の授 業 に興 味 を懐 くかは、どちらか一方 に固定 化 さ れ るべきものでもあるまい。ただし、一 つ言えることは、漢 字 の原 義 を 知 ることだけが漢 和 辞 典 の効 能 なのではないことである。それはあ くまで、漢 和 辞 典 に結 晶 した膨 大 な研 究 成 果 の極 一 部 に過 ぎない。 品詞をきちんと分類し、一つの漢字について複 数の読 み方を網 羅し、 句 法 までも詳 細 な説 明 を加 える 『 漢 辞 海 』の圧 倒 的 な情 報 量 と分 析 の精 度 とに目 を見 張 るとき、そのことはおのづと理 解さ れるので はなかろうか。 以上、手元にある漢和辞典について、漢文を読むための有用性と いう観点から、それぞれに簡単な批評を加えた。以上に言及のない 漢 和 辞 典 については、読 者 自 身 が上 記 を参 照 に、それぞれ内 容 を 吟 味 して欲 しい。無 論 、上 記 に批 評 を加 えた辞 書 についても、ご自 身 の目 で確 かめていただきたい。そう す れば、漢 和 辞 典 の新 たな面 白さが発見できるかもしれない。. おわりに 古 典 の授 業 に漢 和 辞 典 は必 要 かという 問 いは、誰 かが答 えを与 えてくれて、公式的な見解があればそれで済むという性 質のもので はないと思 う 。むしろ、我 々 の各 人 が、学 力 と見 識 とを総 動 員 し、 みずからの力で回答しなければならない問 いであると思 う。例えば、 日ごろの授業において、我々教員が何かを解説する最中に、もし生 徒が 「それ、テストに出ますか?」と問うたならば、我々はこれに何 と答 えるであろう か。そう したとき、我 々 はこの問 いを引 き受 けて その枠 内 で答 えるのではなく、むしろこの問 い自 体 の問 題 点 を考 え るように生徒を促すのではないか。古典の授業に漢和辞典は必要か、 という 問 いは、一 見 些 末 なよう で、じつは教 育 の根 幹 に関 わる根 本 問 題 に触れているのではないか。それは本 質的 問題 が顕 在化 した一. −175−. ( 83 ).

(7) ( 84 ). 事例であって、案外に重大な問いであるように思われる。 (にしのぶやす/北海道大学大学院文学研究科専門研究員). −176−.

(8)

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