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『宗教研究』第3年第10号(*10号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,スタイン蒐集燉煌出土符印 2,聖徳太子の理想と政策,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-39. 3,燉煌出土疑偽古仏典について,矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.41-122. 4,「うしはく」と「しらす」てふ言葉の異同に関する疑義,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.123-140. 5,支那の石経(承前),松本文三郎,Monzaburō MATSUMOTO,pp.141-172. 6,彙報,pp.173-175. Posted in 1919(大正8)年

(2)

髄丁γ− r − せ

..し− ′Jで・二〝ンー

嘩誹牌一昭

隼症パ㌣‘ニJ−l 1∴i■ナ.f ゴヤ差 ヽ・‘ ︵料爵審議淋汁︶

轢坤御中郎細

1‘

、・.¢,ニlヽ’− ∴、亮署勝・

(3)

党政 と 恕理 り子太徳聖

聖徳太子 の理想と政策

l、け設、理想ち一〃人格りカ 〓−四天王寺り経符規摸 軋愈的把昔と通人むは繹 〓、遣梢佐井に留持∴∵り披拾 彿朴〓ヰ義仇二囲際政仙.れ 四、憲法と l 健三安八り頭 ‡用人止り裁小小原理と周政り活用 五、一発の二現悪と読替二批正爪〓苦行

姉 崎

正 治

−J−

(4)

兼十♯ 鵡三欝 東研改宗 ヽ一へヽ−′ヽ′ヽノ\ノ、ノヽ′ ■ヽ一ヽ一■■ヽ■■−ヽl■l■ヽ■l■ヽ■ヽ■■ヽ■■ヽ■■■■■ヽ

衆生り数偲、菩薩の道心と一徳三賓のカ照

六、治掛り親木として聖者の人格

菩薩の修行と併土り拾現

﹁ 序

聖徳太子は理想と信念ある大政治家であつ・花。鰐に事功り跡を尋ねて見ても、氏族割披の勢

力が強い時に、王政許二の婁撃望且明し、又之が賓行の端洛を開き、蘇我氏の勢な制御して、太

子在世の間は、之をして朝改称翼の臣たらしめた。外に封しては、能く新羅の侵略暫洞して、

任那の植民地を安国にし、高脛百餅を撫し、進んでほ終に直接に支那しJの国交を甲︶亡、外交の︻

上には、後世に寛大の影響ある事業を遂げられた。基他細目は略しても、太子撮政の三十年間

は、閲読の内治外交典に︼時紀を劃すペき重大な事蹟に充ちて居、政治家として太子の功績は、

ヰまでの應史が多く停ふるよゎも偉大なるものがある。

叉其の結果の方から見れば、大化新政は、太子の遺祐牢甲大兄皇子が能承せられたもので、

其の法制胡癒に替ったものは、既に聖徳太子が養成せられた聾者人物であつたe続いて滋賀囁

から奈良胡にかけての園内竺と文化の勃興と、此も亦貸に太子の政策が華を開き貨を結ゎた

∴ ハ +

(5)

範 致 と 想∴理.の 子 太 徳聖 ものに外ならぬ。此等の拳銃を政治史文化史の問題として研究して見∴ルば、一方アジア大陸文 明の影響、特に彿故障播の勢力が重大の勢力であるには達ひない。而かも其の中心として、特に は進取と保守との季ひ、氏族割嬢の拳ひが激烈に起って居た際に、国政の中軸として、開国進 取の政策を遊行した太子の政治家的技量が、其間に廃する事がなかつ花なら、日本の統一と進 歩とは、少くとも数十年遅れたに違ひない。否或は王改の統一と文化の勃興も、歴史に見るが 如き途を進み得なかったかも知れない。 豊徳太子は政治家であつ化。然し其の功業に理想信念の根本がなかったトナら、其の功競は一 ヽヽヽヽ 代に留まつたであらう。然るに太子の事業には、一々理想の禄披あり、信仰の熟を以て之智彦 行し、即釘ががを以て之墓配せられた。墓疏︵訂四︶に澤告一生の化警解澤して、﹃夫 れ聖人の虜す所、因縁なきにあらや、必ずや造るに因つて利すべきが故に然る也﹄と云はれた 言は、亦移して太子の事業を解辞し埋骨する管鎗たるべく、北ハ事功には、一々因縁即ち税緩と 由来と目的とが存して居たのである。 此事を説明する虜に、見易い具眼的事質の方面から出発せう。即ち光づ匹天王寸の姓立につ いて見やう。

(6)

披十節 隼三筋 究軒数;;・:

l﹁ 四天王寺の経費規模

昔時の建築が其櫨に存し、又美術上の損品が多く其虞に残って居るため、人−でこそ法隆寺が太 子遺物の代表になつて居るが、基の昔時にあつては、法隆寺は一の草間朗として、云はヾ太子一 箇の私寺であつた。之に反して場末事業として、太子が地政上の規模を代衷するに足るものは 四天王寺であつて、佃北朝頃主では大倍賞砥堀摸と壁間披聾の俸読をも悼 へて水化寺でJ直る。 保守盛の滅亡と北ハに彿法の興隆と字り、其の記念として又周旋俳準り小姓道場として建った のは法典寺であるが、太子撮政第一の建築は四天王せ、釦ち題慮四天モの紳カを以て成界を護 るといふ意味の造寺であつた。 法典寺の規模ほ俸はらないが、四天王寺の造立には牡曾経菅の規模が具はり、彿法の壁間、規 ヽヽヽ 律、音楽、共他百般の技蟄を凍るべ、き退場化る敬田院が其の中心1十行アh、之と弛んで、拭わhu ヽヽヽ ヽヽヽ ヽヽヽ き窮民を救ふ悲田院、病人の褒の痺病綻、醤薬を製作し頒布する施奨院、此の四つが集まつて 一昔かこ仏して居たのである。今日は故旧院たる一介のみが残って、寺院をなして居るが、姥病院 は寺の北方なる湯屋に跡な留め、悲田院は寺の東北に地名∴凄∼l′、施薬院は西北にあつたらし

(7)

麓 致 と 恕 ヨ兜 の 子 太 徳 型 い。奈良勒の寺院にも多くは、此等の′赦骨的設備があつ.ハhのでJわるが、兎に角、此勲に於ける 太子の艶螢は偶於でなく、貰に膵賢攣り所説から出て居るのである。釦ち同紅の眼目たる硫安 正法︵後に詭璧,る︶の三和たる捨身、拾命、拾財であつて、太字は疏に之を解辞して罰研︶ ヽヽ ヽヽ ヽヽ 捨身とは﹃自ら放って奴となる﹄事、拾命とは一丁八の秀に死を取るL串、拾財とは﹃身外の物﹄ を施すにあるとせられた。身を拗って衆生の虜に勤める、即ち今‖で云ふ き㌢−≡ユ琵 が 悲田院と掌り、命を棄てて人の為に誼す〓mが療病院とた7り、自ら持って居る物資を他に紬興 する一面が施薬院となつたのである。 此三院の事業を組癒して云はヾ、腱賢夫人が衆生折比山聖顔中、左の誓を立てたに舶常する。 壮語エ、我れ今〓エり菩捉に至ろまで、自ら己が篤に財物な受持ぜす.凡そ受くろ断わらけ、悉く 貧甘の衆生を成熟する鑑にぜん。 藤政一五を 世雉エ、我れ今〓エリ菩批に至ムまで嘉し孤珊闘軌い⋮疾病、押〃、厄肌囲㌫‖り衆丹∴∵見れげ、終に=普 くも拾−\すして必ず安監克ト︶しめんと欲L、裁一せ以一\便益して、衆帖宜J小肛ぜしめん“︵崗⊥、一“ハ︶ 此の如き慈悲の行を行ふ親木糞は凍安正法でJ直り、此如き正決の修わの虜に、敬附院が囲浣の 中軸であつて、同疏︵細一︶に解繹してある経の本文冨に壕受正法を以て衆生なm示し、衆生 を数社すべし﹄といひ、又庶く一倍三蟹︵後に詮く︶の理想として撃げられた軟化の目的を果す

(8)

壊十箪 年三筋 究研歓宗 道場である。 ヽヽヽヽヽヽヽ 此の如き規模に加へて、四天王寺の位置にも特別打アる意義が存する事を忘れてほならぬ。如 あらはか ち浪華の都は、大和に対 堆或は長良の都が淀河の河口にあつたに勤して、造に露に位し、大和へ通ふ大和河の河出入江 の北にあり、海に臨むだ小丘であつた。即ち天王寺の位避は、瀬月内を航して大和の京へ通ふ者 の要港で、今日の東京に封する梯濱に粕督する。其の要港へ右の如き大規模の寺が撃孔、内外 人共に大和京へ入る者の関門となつたのでぁる。寺の堂塔は南面であるが、特に西方︵即ち海岸 の方︶に門と鳥居とを立て、達雄の人が放から上って京に入る時、先づ此の関門を入ったのであ る。太子の暗から官僚年後、婆羅門滑正が亀に天竺から凍朝した時、行基は之を天王寺に迎へ、 相擁して歓びの涙を垂れたといふ事を明に歴史に倖へて居るが、太子の治世に来朝し空二韓滑 や工人移民も、階位なども皆此と同じく、京に入る時先づ此の開門を入ったのである。今日の 硫濱では、達家の人は、尤づ税関で検査をして上陸させるが、昔日の天王寺は音楽を以て遠凍 の人を迎へ、蔑経線弄を以て此国土に於ける最初の鷹按をなしたのである。常時アジア大陸の 人民ほ皆沸教徒であつたから、彼等と日本人と北ハに、裁に所謂る﹃同韓之炒囚﹄を明にして、 ・・・・・−− ぴ −・・・

(9)

寛 政 と 想 理 の 子 太 徳 里 ヽヽヽヽヽ 彼等を此間土に迎へ入れる、此が天王寺の職務であつた。﹃同時之妙因﹄は、法華一経の眼目であ って、太子の苑琉には発頭に此事を説明して、﹃価⋮長の寓苦、同じく成彿の義に蹄する1冒云ひ、 一︿ ﹃骨とは同じく一に鋳せしむ.コとも、又﹃一因一果≠こも述べてあるが、二言で云はゞ天王寺は法 かい入 聾樫同語の義に基いて、遠人を戚化し引導する﹃開曾﹄﹃閃三茹一﹄の開門であつた。関三顕一 といふのは、三乗、帥ち登聞乗線党乗及軍陣乗を、構造修行の一痍に締着せしめる事であつて、 その義は法華経前平に種々の敬読督喩を以て之を詭明してあるが、太子は養成初三巷で其義を 布野し解寵し、特に化城喩品の義繹で之を総括し、彿造の長い波路の疲れを休める焉に一塊を 作る事を詮かれた。玉疏の文は之を略して、経文の本文を摘録すれば左の通らである。 はろ 五官由旬の険雄志並の破かに絶えて、人なき怖長虎ちらん。若し多くの衆わりて、此遺九こ過ぎ て、珍賓の虎に王らんと欲ぜん。 l の導師ちり、⋮・政道¢巾に於て三菅山血ご竺過ぎて、一城な 化作す。⋮・長のこ岬にふ警棒の衆、心大に款甚Lて、未曾有なりと歎す。⋮・翫時盛伽此の人衆り、比 に止息することみ得て、復改僑なきを知りて、⋮・之に督げて言ほん。梵虚ほ近きに在り、此城 は箕にちらず。⋮・汝今勤めて、清遊して、常に共に賓所に至るべしと。 ︵低域喰l−肘︶ 閑三宗一の義は究寛一乗の理想の虜であるが、其の事は後に譲って、此の開三親一の教育的 方法を説いた右の化成喩の文を蔑み凍れば、太子が達家の人の為に、上陸の地異に道場を建て、 ニ ′′ +

(10)

戟十節 年三筋 先師政宗 彼等の虜に法味を昧ふべき止息の場とせられた御心を、眼前に髪発するを得るではないか。悌 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 道修行の北森は、即ち日本の国都に入る開門の天王寺となつて現はれセのである。

三、造階位井に留学生の漁連

大陸との交通は三韓を立とし、支部とは僅に一二回の公式交通のあつたのみで、太子の時に 至った。太子治世の初には、外交は主として任郷間題を虞置し、内治にあつては彿法の興隆と 共に朝廷政治の整理を事とし、十二年には憲法をも制定するに至った。此に於て太子の着眼黙 は支部に向ひ、支部と直接の交通を闘く事に依って、一は彿法と文化とり輪入を盛にし、一は 大国と封等の交を開く事となつた。即ち十五年小野妹子を隋に迫はし、彼からも同位が凍り、 こちらからも再び国位ぉ出はすに至った。此一事は、後に廷書の朝に遣唐使を麿するまで、約 三富年間、日本の政治と文明とに深大の閑係ある事業の昇一者と㌍つた。 国交といへば鞋に政略、文化と云っても只文物の修飾と考へる如き近代から見れば、造階位 の革も同株に見えやうが、大子の政策は、此黙に於ても深い理想的触接があつたのである。 此の事は、桁雷に載せた蚊者の位命に現はれて居る。即ち其言に日く、 − β −

(11)

範政 と 恕理の子大概盟 ﹃晦閉む菩薩天子、琉h“て仙併辻一世飢ハ†と捌くが孜に、軸外に泣けTl一︼−

隋は暢帝の代で感に係法を興し、周武隋文麿ぬめ碓に傭法を再興しっゝある・こいふ事は、大

子が保守派の排彿に打ち勝って感に彿法を興隆せられたと意気相通するものがある。そこで彼

ヽヽ

を呼んで菩薩といふのは、こちらも亦菩薩を以て自ら任せられたからで、太子の事業が菩薩の

串を行ふといふ址憩から出て居る事は、後に撮安正法の由で訣別せう。兎に角、文化に於てこ

そ開否の別はあゎ、彼から学ぶべき併があるから、彼に位を放し、又留畢生を選ったのである

ヽヽヽヽ が、而かも衆盆を済度するを理想として、共に菩薩の行を行する粛としては、彼も書も封等で

ぁら、共に休園建立の使命を行ふ者である。此に於て国書には此態度を明にし、初のには﹃日

出魔の天子、審冨没鹿の葦に致す品︶とし、後には﹃東天皇、敬で西皇帝に白す志木︶とせら

れた。目出と日没は、位置を示す紫として見れば封等であるが、彼から見れば祓を失する様に

なる塵から、後の様に改め、天真といふ稀耽は国交上の定名とだつた。

ヽヽヽヽヽ

そこで此の封等国交の理想的親磋は、賓に彿法の宇空士菰、餌ち一乗の理想から出て居る事

で、一轟の理は法華立疏に登記してあるが、打漁‡が彿法を戯じた表文にも、北恵警抽現はれて

こ、ぶ、− 居る。即ち上表り始に彿法の殊肪なる事を蓮べて後、﹃且つ夫れ遠く天竺よーリ孝二鮮に泊び、数 + り ∴

(12)

戟十各 年三番 究酢敦余 に依って奉拝して尊敬せざるなし﹄とあるのは、三韓の事だけでなく、アジア大陸の諸堅か皆 之を奉じて居る事を示したものである。而して此は、箪に弘く行はれて居るといふ外延の問題 だけでh与く、其内容に於て萬圃の民を化すべき致だといふ事にある。されば太子は、忍法第二 俄に於ても、﹃四生の絡蹄、常図の極宗﹄として俳法を推し、︵撒詣︶其他、悌法が一切衆生の教 化を目的とし、又其の貸ある敦でぁる事を到る虞に説かれた。 但し備法に於ては、平等を重んすると共に差別を強親しないで、衆生各々其鹿を得しめる事 ヽヽヽヽヽ は、特に法華経薬草喩品にも詮いてある通である。平等と差別との閥係を国家国民の上に鷹用 ヽヽヽヽヽヽヽヽ すれば、各国各其の国情と成立を異にすると共に、又逼迫に字笛的理想を鐸趣とすべきである。 後に詮明するが、悪法筋二億で、三箕を以て萬国の極嘉とせられ佗のも、此の趣意である。帥ち 菩薩の行を行する者は、千差萬別の衆生と国土とをして、各々其の性能を費揮せしめると北ハに、 叉之を同辟一因の彿異に専くべきで、此の如き宇宙的救済の舞婁が即ち偶圃彿土である。され ば、経歴脛には﹃衆生の楯は是れ背薩の彿士﹂といひ、此の彿土の心を解しては、﹃直心足れ菩 薩の浄土﹄と述べてある。 ヽヽヽヽヽ 太子が此の﹃菩薩の彿七﹄を解澤せられわル文は、特に明に国民の別と共に逼迫の理想を明に 鵬−J〃−−

(13)

凍放 と 想理 の 予 大 総 丑 し、以て隋と封等交通を開かれた思想をも詭明するに足る。英文に日く、 買ハれ国土を諭すれば、浄稼の殊ちりと舐し此ほ足れ皆衆独り蕃悪に由つて感一せなすが故に、 衆生に於て圧必ず定めて己が閣と科するの哉あリリ 若し重豊を諭すれば、帥ち智は員如の理に琴合して永ノ、名相の域を姥し、彼なく、此なく、取なく 拾なL。既に太虚を以て放となし、鵠法を照ら†私心とセ㌻T、何ぞ名相として亙るべきゎらん や.串ぞ複定めて巳が囲と稀ぜんや。而して大悲息む=と克く、磯に随つて牝な施す、即ち衆生

讐 憲法と一億三賛の理想

ヽヽヽヽ 太子の窟汝は、政治上から見れば、王政統一牢写言した国家の大典であると典に、敢曾道徳 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 的に、朝民の一致協力、上下の道徳的和合を提示した訓諭でぁる。而して国家の生命は上下の 此から見ても、太子が隋帝に勤して菩薩といひ、且つ宇内に園する封等国として彼と交を開 かれた趣意の棍底を見るに足るべく、而して此の如き差別を蒐んじての平等主義は、濁ら外交 の事だけでなく、内治政策の精翻も亦決して之と別のものではなかった。此に於て、憲法、特 に其の第二償を研究する必要がある。

¢産衣として王らざる析なし。故に云ふ、衆生り顆ほ足れ普匪の悌土セリと

。﹄︵ 経歴 上ノ︼ ー ム仁一ー・・

(14)

銃十節 宰三筋 究軒数ぷ: 和合にぁり、其虜には敢曾に差理や人情や利審の疎隔なきを要し、事理の通達が最大罫と行︸ る。此を以て筋一條に、﹃和を以て貴しとなす﹄と宣言し、以下政治の軍都として提げられた黙 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ は、事理の通達を目的とし、多く論語と鯉託とを典蝮にした訓諭である。 ヽヽヽヽ 然るに此等の義理徳目の一切に亙る大本に脱する太子の理想は、係数で所謂る一乗主苑にか ゎ、国政上の上下一敦は、人民が悉く人生の標準理想に閲して蹄一する所あるを要求する。是 に於て筋二億の三冥崇敬といふ事が、必然に一切を貫通する主義となる。師ち其の文に日く、 ㌣篤く三賓ね故ゼエb 三㌍とに併は暦也︼ 即ち凹生り終打、萬園の・好小ポ︷﹂リ.何れの世、何れの 人か、先の法に姉川Hざるべき 人、尤恵存一つ事鮮し.撞く訣ふれに乃ち北でっ北ハれ三許﹁二Ⅳ〃二Ⅴん ば、何わ以て祉れる㍍こ化さん′﹄ 三貿の解群は、暫く之を後に謙って、兎に角一同人民、耳溌閲の衆生、人は多く軒は異”㌧つ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ても、其の生存の狼底にも発達のR標にも、其の良能を凝揮せしめる教化の力と致化の方法と を饗する。人間には盗人も愚者もあるが、全く巣のないまでに暁落し花も机はなく、能く導け ば、各々其相常の良能を教揮し得る。天性が善か悪かは暫く定めすとも、此∽如く致導威他の 力が人を化し得るといふ信念、如ち人間は数寄し得るもの、茸に至り得るもい、特に政令生活 ∴ 7∴

(15)

麓 政 と 数 理 の干 上こ 徳望 ヽ に於て他人−こ北ハに道を歩み得る瀦だこい、ふ㍍念︵或は仮定︶が∵切故知一り睨本文出聴勲でJ〃る。 ヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽ 勝写経に、﹃撮受正法を以て衆生を開示し、衆生を教化し、・朱筆ぜ建丑す といひ、又ご.速度成 熟﹄等とあるのは此の為である。俳陀が成迫の始に、弟子等を四方に派して追ぉ体へしめに時 に、﹃衆生にして法を聞かば、法を㍍受せん﹄と宣せられたのも、此と同意であつて、三賓に掠 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽ 依の漂準肇不した所以は、三軍の故化と衆生の心し﹂相成鷹するといふ信念から出た事である。 即ち憲法第二條の1趣意は、一方に先住が掃依の目標、丑活の録趣を示すと典に、他方衆生の 霊性に信任し、人民の良能を箪空qやこいふ根本主義竺ポし、此に政治、道徳、散骨、ま数等 ヽヽヽヽヽ に亙る虜敦詣の信條を表し㍍ものである。此黙は、侮ほ次境に﹃昔億の直心﹂√﹂して説明せう が、近くは明治天皇が憲法発布の詔に、人民の﹃麓徳良能を憩遷せしめん.﹄と宣せられたも此 ヽヽ にある。をこで然らば教化の標準目標如何といふ勲に於て、太子は、三賓を標示し、此が一切 東珪の締着咄⋮であり、萬間の儀衰、骨住不捷の躇低目櫻、此にあゎとせられ克。 然らば三貿とは何かといふに、此は偶数の見解では、人雄仝惜に瓦る叫抑依の標準でぁるが、 膠窪終に之を廉澤して日︿、 ﹃骨仕り錆伐とに、・期末廊〓訂正昔一骨珊∵・㌔ 法と隼佃:1此れ.二乗の∴尤も昔く守リー鮒とH、=尤れ ー Jβ−

(16)

東十節 年三筋 究軒数鏡 三乗の衆セ∵リ。﹄ ︵膠政、七五十〇 太子は此文を解辞して、三貿の表面形式、即ち通常世人の考ふる如き有形鼻腔い彿像や経文 や膠尼の謂でなく、一切を統合した一乗の法に基き、一切衆生を容れ、あらゆる生類を威化す る永遠の備陀、警針針炉甲告いが宗富事塞かれた︵鯛㌢︶。 其の意味を一般の言葉で云はゞ左の如くなる。 OC00 物あれば則あり、宇宙の生存一として偶然なるものh甘く、商事皆秩序法則で動いて居て、此 が一切を統轄する。即ち一乗の放である。法は其れ自らで厳存し、寓物は其に随って運行する 00 が、而かも之を螢す自覚する人格が㍍くば、法は死物に均しい。ニュートン以前にも重力の法 則は行はれたが、ニュートンが之を研究し教授して、蚤力ほ法則として人間の理性に現はれ た。道徳汝や園蝕も此と同一であつて、里人や賢明な立法者が、之窒息扮し発揮して、始めて人 間の覚悟に賓勢力と打アる。宇宙わ大法を党知する彿陀ほ、餌ち一乗法を身に憶現して、之を人生 に螢揮する人格であり、又此の正法に依って衆生を教化する導師、衆生を建立する恩人である。 此に於て衆生は、此の教化に依って始めて一乗の追を歩むを得、人生の牲菰に基︿生活を遂げ1 0C00 人と人と相櫛け相補ふ和合園結を遂げる串が出家る。此が即ち偲でふ∵る。 一 l  ̄■■■■ ̄ J・ノ  ̄ ̄ ̄ ̄

(17)

矩放 と 恵 理 ¢ 子太∵怨∴聖 之を一国について云はゞ、囲には人民があるが、其は置に偶然に生まつた烏合の姦で与\ ヽヽ 各自囲の生命を負捺し、国家の理想を奉じ、国家の法を盛り要しゝ生存する削結である︵師ち 滑︶。国民の図絵は、要するに、国の生命、現想、法則を発揚する基〃生活であつて、此の如き ヽヽ 法則秩序の紙鰹が即ち法、国憲である。而して此の如き理想あゎ法則ある結合の中軸しし㍍ゎノ、 ヽヽ 国鰹の鰹現者、叉従って国民の導師統御者と㍍るは、国王である。俳敦では如来といひ怖といふ に曹る。彿如凍の人格は、過去現在未来に亙って数々現はれると同じく︵即ち腱身︶、君主は代々 相続ぐ個々の人格であるが、而かも仰の傭たる所以を統轄して見れば、常住の法身写り如くに、 ヽヽヽヽ 囲にあつて岩王の位は、個々代々の君主を〓貝して常任である。此の如き意味での王位と国憲 ヽヽ と民生の三者は、此の如く相補聯して離れす、搬足の三一であるから、之を一姫三賞といふ。 ヽヽヽヽ 一陛三賓の貰が即ち人紘一如の法身でム∵り、園で云はゞ囲惜である。此の法身を事皆の生命に 現はす道が即ち一乗造であるから、太子が窓法第二備に宣せられた趣意は、三経霊琉到る厨に ヽヽヽ ヽヽヽヽ 現はれて居る︼衆道、鋸ち一腰三箕の理想にある。 そこで〓提三貿といふ櫨本原理に封して、別醍三賛、師↓圭一者一ぜ各別に見ても、俳に踪依す れば、其の億仰の中には法を食重する事、偲を尊敬する事を自然に含み、法に蹄依すれば彿と ー ヱ5−

(18)

放十第 隼三節 究研:凱∵読 偲とは自ら基につゞき、滑に録放すれば彿と法とに1、0蹄使せざるを得ない。別滑とはいへ、≠暦 一倍であるが、一滞といlルけも、穴ナナで混一寸′るのでは定く、三にして一、一にして三でJで0。 之を圃に移して云はゞ、君主には東署サるが、腫法を薫んせす、人民な軽んするししいふ筈はある べきでなく、国法に随へば、・忠常愛氏は自然に之に随ひ、而して人民の秀に計るには、君主と岡 ヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽ 法とぉ凍んせぎるを待ない。此の如くにして、国開といふ事わ云ふ場合にも、署と法と民との ヽヽヽヽヽ 三一報開不離を無税し、其の一に㍍泥して他を着通しては、不全の陽性祝と打了る。 此の如く三にして一、一にして三なる三賛は、場合に應じて、をの何れから着眼しても、蹄 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 君は一とわ与るが、而かも人生の〓既として見れば、北への中心は俄にある。故に繹の本文には此 ノで説いて円く、 コ射し凍生みつて、如衆に調伏ぜられて、加東に⋮ル依し、法り津澤Jせ得て信望の心む丑じ、放と僧 上に錨伏ぜんに、‖疋の二錆依ほ此や冗∵れ〓らの三瑞依にあらす、走れ如衆に揖依†ろ亮り。 第一義に蹄依甘=心隼如来に㍍伏する八八り。・・此 い二昆依こ粋が一差▲こに県てに、此れ究克、軸心小 而して太子は此を解澤して、忘輔二霜尺直立場から見れば、法一ぜ偲とら、加水に於て二鳥托乙事 に拓伏すろ王り。 ︵路婁琉七六︺ −− 7(:−

(19)

貸 政 と 教 理 ¢ 子太 徳 輩 を明にし、條を離れて法や滑に旛依するを非とし、最後に結んで、﹃一鯉三蹄依は同じく=走れ究 貴社皇へ豊右︶といひ、又﹃三依は即ち是れ表、同じく是れ究寛即ヱ鰹、﹄︵諾右︶とて、第 ヽヽヽヽ 一義を明にせられた。太子が王政統一の主義は、賓に此の第一義から出花事であつて、感性第 四億に﹃薩を以て本となす﹄といひ、第十二億に﹃百姓を枚数する勿れ﹄といふ人民尊重も、﹃圃 に二者なく、民に雨主なし﹄とある王政統一も、共に第二條に含まれて居るのである。 三賓を此の如く相隣不離として見凍れば、其の一腹の賓を奉げるのは、和の一事に嫁し、和 ヽヽヽヽヽヽヽ かな は理に基くを要し、憲法第一條に﹃上和し下睦く、事を諭するに譜へば、別事理自ら通す﹄と いひ、其他線俵信義を重んする革も、其の結果として出家る。そこで勝寛経本文に、進んで加 水の人格を説明するや、太子は之に註して日く、 ﹃骨任り法身詣彿賓とな†。此の法身、髄く物の二筋に軌則たれは、自ら法務㌻と兄り、又此の法身ほ 即ち能く理と和合†れlて亦倍繋たり。若し揖佐一せ雑ぜば、其の習解蹄悉の岱にほ即ち別遭ね 先とな†べしじ 但し旨序に逮はすんば、必ず一盟を要とす。﹄ ︵膠疏七七左︶ 彿法に於ける抜身の敦と其の活用とについては、後に之を説かうが、大鰹で云はゞ、右に掲げ 、ヽ ヽヽ た法身は即ち一鮭三賓の本鰹であつて、国家に苑てて云はば即ち慣盟である。即ちこの一腹別 ・・・−−・エア・−

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幾十許 年三鼻 先軒数余 箆の関係を国家に移して見れば左の如くなる。 ﹃永遠不襲の国経は、皇位にちり。此の園確発して融合の秩序む規定する国法となれば、自ら軌 諒となる。叉此の尉位は、能く人生の理に基きて軋愈的紙合在途げしむ、之ね∴馴,ヮ闘H氏と克†。 芳し此等の巨疎み分別Lて云ほヾ、人民の啓蟄朴に懲悪の銭には、三者な分別して、法律の執行 井に民衆の数偲を月俸と†るを要†。但し最後先発の蹄蔚に重りてほ、三者を一蛙と†・る■み

要す。﹄

此の黙に陥して、偶数り世界観にとつても、又国政の賓際にとつても、君と民との馳係につ いて重要の勲が出て凍る。此難を明にする鰯には、少しく法身といふ教義を説く要がある。 ヽヽヽヽヽ 彿敦藩流の間には、法身を理と見るや人と見るやについて、具備向はあるが、牡若人格の生命 、、、、ヽヽ に理が質現するのも法身、理法のカが人格を鏡冷するのも法身であるから、二者不離で人牲

ヽヽ

一如である。即ち個人の人格が眞理を鰹現する方から見ても、其人の人格は、革に偶然の個人、 勝手泉佳の生活でなく、故に随ふ人格、即ち法身である。此と同じく、眞理法則も人間の自覚 に入って始めて人生の事箕となるのであるから、人間の覚悟に現はれて其の生活を支配する眞 理が即ち抜身である。而して宇宙には千差寓別の事賓が存在し、人間の天性にも亦節々櫨難な 性情が具はるのであるから、汝身は此等を容れて之を統轄する人格又眞理賓粕である。此の如 ーJβ−

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架 政 と 恕 埋 り 子大 鶴∴聖 ヽヽヽ く宇宙と人生とを線描して、之な法身彿と見れば、基は無毒就であつて、千象常化、皆其中か ヽヽヽ ら現はれると見るペく、此を以て之を如凍蕨と名ける。即ち経に説いて日く ﹃恒沙に過ぎこ∵る不能不股不異不忠鼓の彿法成就†るみ如衆の抜身と訟く。 先の如き如来 の法身ほ、夙悩京を離れざろみ如衆萩と名く。﹄ ︵膵流入九︶ 此を現代の言菜で云はゞかうなる。宇宙には千象常化が行はれ、共には骨法則があるから、 宇宙は法の世界であり、此の法則の中には、あらゆる八倍の撥動があつて無益寂である。而し て法身と如凍減と、見方によつては異なる。帥ち抜身は悟りであゎ、加水寂は無益寂となるが、 而かも二者一線である。太子は此事を説いて日く、 ﹃際を如死蔵となし、鉾ね法身となす。隠顕殊なりと雛も、即ちtt光れ一粒なり東に輿鯉なし。﹄ ︵同上八九右︶ 此を国家に鷹用して云はゞ、加水寂は国土人民並にあらゆる制度産業を包括して、其の活動 ヽヽヽヽヽ の基礎となつて居る人生の無毒蕨智指し、即ち国民の絶鰹であゎ、法身とは此の無益寂が一国 ヽヽ の生命囲膿となつて、組織あり秩序あゎ、皇位を中心とする国家を成すに督る。即ち人民の鍾 命、人生の遅行には、あらゆる善悪邪正、紛擾困難をも含む︵如ち煩脂を離れす︶が、而かも国 家の生命は、此等紛々善悪を統御し、人民を教化し訓練して、共同に秩序を立て組織を成就す ー Jβ−

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耽十番 卒三界 究研教条 る。此の如き国家の生命が宇宙で云はゞ法身に普わ′、郎十り国際である。即ちあらゆる活動や紛 擾、襲遷や困難に封臆して、而かも微妙不思議に国法を運用する、其れが国捜のカ用であら、 此の圃饅は現はれて政治制度と捏7り、民をして各其虞を得しめ、人をして其志を落げしめ、囲の 活力が共同に現はれる。荷ほ経の本文にあてはめて云はゞかうなる。国には多くの民衆あり、 人には恒河沙にも過ぎた八倍の教動があるが、此等の千差寓別を離れす、捨てす、人情に背か すして、而かも不思議最勝の眞撃ぜ鷺現し、国憲を宣揚して、国家の生命は進行し慰達する。 ︳ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ 此の如き周家生命の塊底が即ち蛸隠で、弟つて、政治といふも図鑑活用の一面、即ち人民の垂を 増進し悪を細別し、人情に基いて民意を螢揚し、人をして各々姻家り丑命を負踏せしめる。此 が即ち圃鰻を串賃に現はし、国家の隆昌を凍す所以である。 三貿とは、此の如くにして字笛生命の三方而として一階であり、人生は此の一視三繋の理を ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 革質に括現する舞壷である。太子が三貿を以て、四生の終辟、嵩園の施宗とせられたのに、岡 家の生命に於て、民衆のみならす、∬主も共に蹄依の目標を此に定め、一鰹三軍の理想を上下 和合事理通達の政治に賓行せうといふにある。即ち太子にぁつては、一牌三貿の理想は革に彿 致の理論でな′、、又箪に便宜政策の規則でな′、、宇宙人生の根底に槌はる眞理を、直に隣家の .−−∼Iβ−

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須 放 と 恕 規 の 子 太 概 要

生命に活用せられた活思想であつたのである。

此に於て、太子の事業を一骨内容に立ち入って観察する秀には、化暮の限目にる掻受正法の

観念を明にするを要する。

五、叫乗の理想と持受正法の苦行

宇宙的に見れば、宇宙の大震彿智と衆生の心と合一して、弦に眞理に随順する人生があーり、国

政の上から見れば、忍民同心に国後皇且揚して、国家の埋想を行ふ。此の彿智窒息揚凝拝して

ヽヽ

衆生を教化救解するが昔藤でふ∵り、国憲を充賃貸行して、閲腔の理想に人民を向けるのが異教

ヽヽヽヽ 治家の事業でJいる。秋本の理想は一乗道にあ・リ、其の賓行が塙受立法であるから、鼓に太子の

如き人あつて政治家として菩薩の行を行する場合には、其の事業は国政の上に囁受正法を箕行

する事となる。太子は賓に此一り如き理想あゎノ、菩薩を以て自ら任する政治家であつた。

そこで政治家の人格、即ち治間の事を司る菩薩に封して、太子の抱かれた観念を明にするを

要するが、其事を述べるに洗って、允づ菩薩行の内容たる碩受五誌を考へて見やう。

輯受立法といふのは、約して云はヾ、眞理道義に縫って自らを正し、以て衆生を戚化幣導す

る撃じ、太子が≡は能く稀︵彿智の︶を威じ、下は能く衆生を化す﹄︵諾五右︶といひ、或は﹃上 ガ_才 一

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披十弟 年三多 発軒数森 弘菩提、下化衆生﹄或は﹃悲心挨苦、苦心鼻梁﹄︵雛鮒練朋讐諾︶等と云はれた作用を指す。 此の如き自利利他の轟は、偽数の通養、菩薩の生命でぁり、法華経安楽行品の四行を解絆して、 太子は左の如く日はれた。 慧別のニュ符︵身口意の普︶ほ即ち是れ自行にLて、後の一、慈悲の行は即ち足れ外化爪〓汀セリ。菩陳 の道ほ、脾に他を正さんと欲して、先づ己れの身を正しうすJ 已わ止しう寸るむ要は・三行に如 つらな くほ英く、他一せ正すの要ほ慈悲を本とな†。天下り讐灯疑ろと膿も、嬰ほ此り二行にちり二 ︵法撃硫四の一入右︶ 此が貸に太子の掻受正放であつて、之を彼の俸散大師並に日蓮上人と封照して見るに、太子 、ヽ、、ヽ ヽヽ の規模はどこまでも正面の教化字王とし、俸致大師は折伏に於て一歩を進め1日運上人に至 ヽヽヽヽヽヽ っては、全然安楽行を排して勒持品の折伏を振らかざすに至った。同じく法華経を主として も、此の如く着眼勲ゐ異なるのは、時代境遇にも依らうが、又人格性質の差異も関係して居る と考へられる。但し日本に於ける法華経主義の此の三大偉人について、其の閑聯異同を詳にす る事は別諭に譲る。兎に角聖徳太子を以て或は単に日蓮主義の発願となし、或は又親貸主養わ 模本と片附けてしまふ如きは、太子の理想と事業とを馨揮する所以の造でない。 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 絵著する所、聖徳太子が萬般の施設は、皆埼受正法の菩薩行であつた。但ト、此の如き理想 ∴ フハ =

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架放 と 想漫の 早大徳聖 に基いた施設には、之を遊行するカを要する。宗教信仰も力であれば、国政も亦カであゎ、而 して二者は︼衆愚といふ同一の租底から出るカとして、相助け相補はなければならぬ。此の二 ヽヽヽヽ 者の踊係は、所謂る道路と聖法との関係である。後輩に之哲説かうが、二者に亙って力の應用 に二面ある。帥ち威力︵又は権力︶と道義の力とであつて、意を制すると蓄を奨勘するとにあ る。太子は勝算疏に之を渾して日く、 ﹃カに二種ちり、一は勢力、二ほ法力なり。⋮・重患ほ即ち勢カみ以で︵之空所伏し、極悪は即ち迫 力を以て碑受†。︵此り如くにして義を息め昔を修すれげ、即ち窒化、他に任して、即ち昔爽り忍 去るが故に、天人充満し、悪道減少す。逆器故に槍ぜ管帥ち悌法煙く垣に樽すべし。﹄ ︵膵成一七︶ 此は、膵馨夫人が、党づ備前に衆堕臍度の十受誓願を立て、路度の一面として怨を征服する 事を誓った文に関する註解である。而かも此の如く意に封する威力を行ふ棍底は正義にあり、 正義は又心を正しうするのが大本であるから、夫人が進んで、﹃正法を掻受して終に忘失せざら ん﹄と誓った事が一切の旛着である。如ち偽造修行者が、他を威化し済度するにも、自らの心 を正しうし、心の正睦を凝見するのが旗本であつて、太子は此を解移して日く、 r能く萬行を横†るの心ね最愛とな†。︵此の如くにLて︶修する伊¢畢理に常つて邪にちらぎ 一望β−

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憤十欝 年三井 究軒数乗 るが故に立と冒ひ、物¢軌則十∵るが故に法と首、・が。﹄ ︵同上こ二右︶ 如ち聖人の教化事業は自ら正す事によつて他を正すと典に、他を教化する単によつて自ら鍛 錬する。之を絶話して云はゞ訂射であるが︵琵嫡男㌫彗芸︶、但し教化を行ふに富って、 自他何れにしても不正邪悪があれば之を制伏するのは、慈悲に敏くべからぎる要件であり、慈 と悲とを分けて慈心輿奨といふ方は積極であゎ、悲心按菩は消極であるが、二者は一鰹である。 そこで先に奉げた道力と勢力、壌受と折伏とも亦不離であるから、経歴鰹には、塵々に悪魔降 伏を説き、太子は之を将して日く、 ﹃菩匪ほ盛らに成を視じて︵窓空伏ぜんと欲†ろ=となし。但し虎ほ選れ邪見の圭なり今大士 の造ね見て、白銀に耽を懐くが故に、義み以て伏制と首ふし﹄ ︵放⊥八右︺ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 同脛の本文に﹃魔行を過ぐと雄も、而かも衆魔を降伏するを現す﹄とあるも同意であつて、 初には物部氏を降伏し、後には蘇我氏を制御せられた心地が、自ら此等の中に現はれて居ると も見える。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 兎に角慈悲一睡で致化を宥ふ者は、萬善を己れの一心に収め、此によつて正法を世に街ふ。 此の如き正牡の行を心の底から行ふ修行者は、汎く云はゞ一切衆生に亙るが、叉特別に其の圃 一郎−

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果敢 と 想理 の 子太 徳尭 満な寒行者を云は宣、八地以上の菩薩であつて、﹃㌻念の中に備に萬布を修する心﹄︵望むむ ヽヽヽヽヽヽヽヽ 練り、丁心の中に一切衆生を轟し得る人、餌ち心と心と直に戚臆して威化の鷺を馨げ得る人た るを要する。此黙は王陽明が商事を良智の上、一心の上に牧めて観たと同じで、妊摩髭の本文 ヽヽ には、之を直心と解し、太子は之を解帯して日く、 記号匪m凹にせTろの日伝行中︶にざら無細り改心み修し、用つて衆生なして虹心む修ぜし㌔ ‡ 薩爪∵然別∵り祈心ほ即ち俳果み感L、衆生の有柑爪ツ直心は自b浄土を感ずじ 然らば即ち衆丑の 虹心み薔のこ〓囚となし、菩匪の直心は但だ遠鉄なり。﹄ ︵推上三三︶ 即ち彿道修行の理想を通常の言葉で云はゞ、自ら正うして他を化する菩薩行にあるが、此の上 求菩提下化衆生の作用を二面に分って観察し得る。餌ち今右に述べた如く、人を正すには先づ 自ら正すを要する事は、勿論の次第であつて、接受正法の本鰹は菩薩自らの丁心に収まゎ′、常 幸を壊する心が菩薩行の源泉でかゎ一、此の原因があつて衆生臍歴といふ結果を生じ得る。然る に菩薩が自ら心を正しうする、即ち直心を修するには、あらゆる智慧を箕現し、慈悲を行ふを 要し、此の賓行へ仏くぼ、無空中等︶の直心といふ事は姦理に過ぎれ仏い。而して智慧を磨くには、 宇宙寓象を観じ、Jのらゆる人間の活動に接するを要し、又慈悲を行ふには、人間の善悪に勤し て沸受折伏の事業を算術するを要する。富来をかへて云はゞ、掌握行の目的が衆生前度にぁろ ・・・−・・・−・2万一

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彼十第 年三夢 死折数宋 以上、衆生といふ事鷺の目的物がなくば、菩薩は済度の行を行ふ事も出家す、又従って自らの直 心を修する事も出家ない。菩薩は、衆生を済ふ事に依って、菩薩としての直心を修し得る。衆生 といふ済度せらるべき者があるから、済度を生命とす今昔薩も其行を修し得るので、此黙から 見れば、衆生あるが故に菩薩あるといふ事に行7り、衆生の直心を以て菩薩行の因とする、とい ヽヽヽヽヽヽヽ ふ意義は此にある。如ち理の上から云はゞ、菩薩が本腰原因であるが、奉賛の上から云はゞ、 ヽヽ ヽヽヽヽヽ 衆生が本鰹である。︵此を日蓮上人は、膿と用との関係で説明せられた。﹃法華経行者日蓮﹄ 二八〇−二八一貫参照︶。 伺ほ此紫は、維摩義疏で右に渇げた註繹文のつづ圭蒜Jに詳しく論究してあるが、其等を 述べる事を略し、他の方面の例を以て、此の因果、本末、鰹用の南面狐Jぜ説明して見やう。例へ ば、教育にあつて、致へる者は教師であるから、此の方から云はゞ、教育の主人公は致師である が、若し畢生がなかつ詑ら致育といふ事賓はなくへ仏る。畢生が目的物であるといふ難から云は ば、畢生が主人公である。此と同じく、国政も亦、君王︵或は壕政︶ が政治を行ふ主人であるが、 其は人民を目的としたもので、人民があつて政治が行はれるから、政治家も自らの事業を行ひ 得るのであら、此黙から云はゞ政治の本鰹原図は人民にある。政治の本は、理の上から云はゞ ークβ−

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集政 と 恕 埋 り 子太 徳究

君王にあ㌔事賓活用の上から云ほゞ人民にある。此の如き見地から政治の本を人民に置くの

を民本主義と移すべくぼ、聖徳太子の民本主義は、此の如き菩薩といふ理想を事箕に行はうと

いふ目的から担て凍る。但し民本といつても君未といふのではなく、又君本だから民末となる

のでなく、要するに二者一腰であつて、此のl建を、表裏或は前後二面から観察するにある。

そこで此の一鰹の娘本如何といふ間暦に移る。

ヽヽヽヽヽ 尤づ此の根底霊屋の直心といふ←から観察して見やう。龍化の菩薩と新化の衆生とを相封

して見れば、二面あるが、而かも二者不離たる事は云ふまでもなく、菩薩あつて衆生は済度を

受け、衆生あつて菩薩あら得るのである。然らば二者不離の連絡はどこにあるかといへば、心

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

の威鷹であつて、菩薩の心と衆生の心と本鰹が一つであるから、相互に威鷹交通し得るのであ

る。−健三貿の一賠汚る所以が法身にある如く、菩薩と衆生との威鷹は一心にあら、此に至っ

ては汝身と一心とは畢寛商事の究寛本鰹である。即ち菩薩は衆生を済度する事によつて、自ら

・曾修練し、直心を修し、此に於て、衆生は此の直心の威他によつて、自らの本心を凝見する。修

練し凝見して見れば、二者の心霊は別のものでなく、同風相通じ同腔空致する。そこで太子

は、腱掌経掻受章に、大波履蜜の緒論として韓受正法の一億を説いた文を解秤して日く、

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戟十第 年三筋 究軒数宗 騎.能揮仰の心ほ餅擢の携行正法と異なる=となく、析粒の携行正江は、能珠の心に異なること甘 く、萌行定法ほ見れ詠史の′心なり。八地以⊥︵の普撃ほ故に足れ法身なるが故に、萬行正江み以 て心となし、心を以て⋮⋮⋮行正法と克て心と法と︼鯉にして更にこ用なし。故にま、か或行正江 ほ帥ら是れ心にして、即ち見れ鴻行氾法なりと。山叫 ︵膀疏三田左︶ 此の心を以て菩薩が寓善を修するが故に、衆生は撃ぜ受け、善に接して威化を受け、此く威 化を受けた衆生の心が又昔碗の心を一骨鍛練し、二者共に心と行とに於て融令する。此の如き 一致結合のカで相搾って彿智法身を成就し、相共に一乗進吾産一ゾで、一鰹三貿の賓を奉げる。 之を国政に應用して云はヾ、発と民と共に国鰐の本質を心とし、此の心と其の資行−こに於て一 致結合すれば、則ち圃の其の生命が現はれる謬にへ.ナ㌔ 経文は、其からつゞいて、六放尿蜜の苦行、即ち施輿、城︵律儀︶、温惇、精進、確定、般若︵智 慧︶の六項を説明して後に、巌後に帯び、此等は皆轟安正法に外ならすとしてある。而して菩 薩が此等の善行を修めるのは、衆生が同じ心になつて、同じ行に進む褒であつて、目的は﹃祓 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ の意を護って之を成熟し、彼の成熟する朗の衆生、正路を建立すべし.単といふ理想現にある。 此の護意成熟又は建立衆生といふ事は、民生の啓螢、民意の礫揚といふべく、先に、太子の理 恵が国政の上に於て、明治憲法忍布の詔にある、人民の斑徳良能を厳達せしめるといふ目的と ーごさ■−

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策 軟 と 想理 ¢ 子永 徳 空 同じだと述べ花のは、此の意味での事であイり。而して憲法新一備にある上下の一致といふ事は、 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 要するに、菩薩の心と衆生の心と同一経たる、着意と民心と結合のにある。而して此の結合の基 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 本は匪饅にあつて、彿致で云はゞ、悌智と人心との結合が能く法身を貨現寸ノるといふ事にな る。其故に経文は右の揚受正法につゞいて、一褒章に於て三賓を訣別し、而して太子は其庭k一 鰹三賞の説明を施され陀。知ら接受正法の戚化が行はれるのは、休心と衆生心と本鰹を一にす るからであり、而して此の一倍が三貿となつて撮受を行ふのである。 撮受正法の行はれるのは、菩薩︵能化能撮︶−こ衆生へ新化所癌︶と直心細通するに因る。而 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽ して此の如く直心痛戚癒するの理を一乗の理−こいひ、又基本鰹を如凍の法身と補する。此の一 、ヽヽヽ 乗の理が事賓に行はれ、如凍の抜身が人生に活動するのが卸ち一腰三貿である。此に於て教化 一で目的とする上から、再び三資の内容を考へ見る要がある。 ヽヽヽヽ 一鯉三貿の理を其の本質根底の方がら見れば、三賓北ハに抜身の鼻はれであり、而して基の中 ヽヽ 軸は最も龍′、汝身・皆既現した如来にある。貼るに係数の目的は致化にJ″Jら、其の∵衆生遊を貸 行する、如ち一切衆生を溶度して彿智に入らしめるにある。此の如くにして憶、師ち潜勢力托 る如雄寂が事賢に開展し、三賀の賃が人生を支配して、崩、即ち猫動力と打てり、一切衆生が如来 ー ゴクー

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華十節 年三界 究軒数余 の法身を陛現する。此の如き目的から観れば、法身といひ、一鰹三貿▼といふも、其の理のみで 見るペきでなく、革質生活に其理想を活現しなければ蛋理に過ぎない。即ち一鰹三野の理を活 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ かすのは、l切衆生をして彿智を鰹現し、法を生命とせしめるにふ∵り、此の方法が即ち提受正 法であつで、太子一生の政策亦其の鷹用に外ならぬ。先に述べた如く、建立衆生、成就衆生、護 憲成熟、令修直心が壕受正法の目的であゎ、此の方南から見れば、三質の中で、伶即ち衆生が特 に目的とたアリ、法は規律、彿は導師となる。此の如くにして、致他作用の結果、能他の保と所 ヽヽヽヽ 化の衆生と共に眞理を陛とする、此が一乗の道である。故に壕受正法︵即ち教化作用︶から見 れば、彿の教化と衆生の信行と一致合性して一乗の賓を馨げて始めて、一腰三貿は理論でなく て人生の事賓になるのである。太子は、此の意味に於ける一乗道を囚とし、一鰹三腎の賓行む 果とし、之を国政に鷹用しては、憲法を基礎として、、君民の一致、上下頃和合を以て国家のノ一 鰹三軍を賓行せうとせられたの右ある。即ち勝富樫に、一切藷偶の撮受正法の作用によつて、 彿の智慧と衆生の信仰との一致を巣げる方法を説いた一喪章の始に、其の大綱を郎繹して日く、 ≡罪は足れ一線三軍∵りmmにし一\、一放け見れ一死の果なり。盟の一路れ二るわ以てこれm川の一 かな なるに況ほんと欲† 故に ⋮・弟既に見れ 〓互ろ︰・亡む拭かさけ、帥︸り因L〓∵ハ・こと明か − βクー

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紫 放 と 憩 埋 り子大穂 輩 此黙については詳しい数理上の解繹がかるが、暫く之を略して、之を国政に應用して観察し て見やう。 先に述べた如く、国家の生命は複雑に、人民の性情は多方面であるが、基を統轄して国民の ヽヽヽヽヽ 生命を賓にし、園家の進運を賓にする中軸は皇位にある。然るに教化の上から云はゞ、人民をし ヽヽヽヽヽ て各々其の良能を凝揮せしめ、此に依って国家の生命む負拾せしめるのが目的であつてt㍍も ヽヽヽヽヽヽ 民も此の熱に於て同一の自的に向つて同じ道を歩むべきである。此が係数に於ける一乗造の養 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ であゎ、此の造の賓鰹が即ち囲捜である。されば園鰹空中に理想理論に留めないで、国家の生 命を事箕に行はうとするには、君臣同心の一衆道賓行を必要とし、此の同心が原因となつて国 憲を貨行し、民意を成就︵卸する衆生を建立︶し、此に於て園満先賢した匝家、釦一階三貿の果を 呈する。即ち君王と国憲と人民とを離して見す、三者の結合一撃曾管にするのが、囲政の目群で ぁって、民は君の為に活きると北ハに、君は民の虜に治めるといふ単に打アノ㌔釦ち国家の目的か ら見れば、国鰹は、畢に君王にのみ在るのでなく、又囲芯の■みでも、人民のみでもなく、三溝 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 合捜して、君民同心の圃を作る生命が即ち囲経である。此の博捜は帥ち国家萬般の施設活動の 也。﹄ ︵勝竪疏匹二左︶ −−βノー−・

(34)

戟十鈴 年三弟 究研改宗 涼泉立腹であり、君臣一致︵餌ち一乗造︶といふ原因と、薗性の駿揮、国運の進展︵即ち一腹 三実の箕行︶といふ結果と、l一着粕蟄臆して離るペからす。此の理から見れば、宇宙人生一般 に通する蕃も、国家生命の蕃も、同一娘底から出る事であつて、﹃体長は寓蕃よりして起り、此 の卸封ロが釘聖欝置㌫い、世間の取和語蕃も亦、常に一癖の法位に任す﹄︵詣琶といひ 祷る。此を以て太子ほ、勝算陛一轟章の結論に此理を紀話して日く、 ﹃法身ほ足れ高徳の正肥にして∴ 粟私法身のjE阿とな†。所以に侃lこ法身わ琴げて、以て同¢ 先覚を現に†。﹄ ︵勝流七三左︶ ﹃一線三賓を歩げて以て因の一光るね成す︵明にす︶。言ふほ、所感の華故に一位なれば、帥ち因も 亦一なる事一せ詮†べし。﹄ ︵伺七四方︶ ヽヽ 此の意味での法身を国家に通用すれば、即ち囲鰹であつて、開腹が国家生命の正鰹、蘭書萬徳 の原因である。但し此に国鰹といふのは、睾に皇位のみを指すので打て︵、又国憲あみでもなく、 ヽヽヽヽヽ 君民一際となつて国憲を教務する一乗道の貨行が国膣の正囚であり、皇位の神聖も、国憲の告塵 も、人民の良能も、皆源を此の国腔︵萬徳の正睦︶に慰し、此の三者が固浦に合∵すれば、則ち 一鮭三軍の貰が怒が呑、国鰹が活きた生命と掌り、国家の進運といふ結果は、此の三者の結合か ら出る事賢である。而して三溝の結合が出家るといふのは、如ち根本柁る国鰹の正濃が唯一不 一一風崇−−−

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柴改 と 想湿り子永徳聖 二、而かも萬徳を容れて、之を調碍し之を発揮するカたるに囚る。此のカ用の質行活用が即ち国 政上の接受正放であつて、塙受正法を賓行する人格は即ち菩薩である。而して太子は自ら菩薩 ヽヽヽヽヽヽヽ を以て自ら任する埠受正法の行者であつたが、其の意味を沫充して云はヾ、一切衆生菅菩薩を ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 理想として進むペ′∼、一腹三貿の完全往貸行は、一切衆生が菩薩行を修め、以て偶智を凝揮し、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 修法を宣揚するにある。

大、治囲の根本として聖者の人格

聖徳太子が掻政としての治国政策には、︼々理想の娘接ある事を、以上で略々詮明した。其 等の理想は、係数に基き、特に太子の師範等が停へた捏紫宗、帥超絶理想主義の立場から出て居 る。而して其の材料としては、法華、妊摩、膵宴の三経を採り、三経の講義たる菟疏三部は、 太子の著作としで、又日本係数、否日本人の著作中で最初のものとして今日に停はつた。今ま で説明して凍た太子の理想は、大膿に於て一位三賞と茸受立法との二項として観察し得るが、 此の二は主として膵掌の所詮である。此にも亦偶然でない意義がある。 ヽヽヽヽヽヽ 停読によれば、太子が宮中で、推古天皇の御前に膵書経を講せられたのは、埠政第大の年でわ ー ββ・・−

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戟十弟 年三界 死所教条 ♭、其の疏の成ったのは十七、十八年の両年に亙ったとの事で、何れも他む二経に克って居 ヽヽヽヽ る。此脛は、阿政経園の王妃勝富夫人を主人公とし、夫人が彿前に偽造修行の誓を立てたとい ふ事を停へて居る。其経の内容には、特別に婦人に節するといふ事はないが、太子が先づ此姪を 伯母天皇の前に辞せられた意味は、自ら推度せられる。而して先にも説い佗如く、鮭中の掠受 正払を箕存する者ほ、特に八地の菩薩たる事を切にしてある熱から見れば、太子が自ら直に帝 位に上らす、環政として治国の衝に常られた意味も、其中に現はれて居ると考へられる。勿論 埠政として事に皆られ花のは、政治上の理由があつたので、氏族割接を制御するには、却て輔 弼の地にあるを仮とせられたのであらう。即ち此黙は、後に中大兄皇子が大化新政の際に太子 として事に嘗られたと同意であゎ、中大兄皇子︵後の夷智天皇︶は恐らく、聖徳太子の跡を追 ヽヽヽヽヽヽ 、ヽヽヽ はれ花ものと考へられるが、兎に角、聖徳太子には自ら菩薩たる自覚のあつた挙が、掠政太子 たる事の一理由であつたに連ひない。宇宙法界にあつては彿、国にあつては天皇、而して太子 ほ其の菩薩掠政であつたのである。勝宴脛の詩義は、一は推古天皇に射する蹄敬の表白でぁる と共に、又太子が硫安正法の宣言であつた。 そこで絃て廿、廿1年には紅塵疏、廿二、廿三年には法華琉を著作せられたが、紅唐紅の主人 ーーβムー

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貸政 と 想理 の 子大穂 聖 ヽヽヽヽ 公雄摩居士の人物には、発覚として太子自らが現はれて屠る。居士は毘耶離城とて、常時一都 市として濁宜して居た市の長者で、偽造修行に於て囲蒲の域に達し、市民の最も食敬する所で あつ柁。艶文に英人物を詭いて日く、 ﹃人を鹿せんと欲するが故に、書方便ね以て、毘耶離に居る.資財無長にして諸の貧民を沸し、奉 戎清浄にして譜の毀薬み沸し、⋮・決定の怒を以て諸の無智み殺す。 白衣︵俗人︶たりと舐も、沙門活浄の行を奉拝し、⋮・妻子ちるを示ぜども甘に先行み修す。︰︰若し 博変戯虎に至れば、級∵ち以て人を度し、⋮・諺¢四倍に遊びてほ、衆生を餞益し、⋮・詣の学食に 入ってほ童蒙あ誘閲し、諸の姪合に入って∴に、欲の過私示し、諸の洒砕に入つてほ、能く其止小ね立 ば即ち商品を示して同風凰セリ¢ 徳ほ衆聖の義 てほ、内宮¢中の厚として宮女ね化し正し、・⋮ 宕L護惟︵天王︶に在ってほ、護世の中の持として 正法ね以てL、若し王子に在ってほ、王子 の申の市として、示すに巾心孝み以てし、訳し内宜に裁つ 申の告とLて.数ふるに忍辱﹂せ以てし、⋮・若L大臣に在ってほ、大臣の小の隼として、敦ふろに つレ 若L長者に在っては、長者申の尊として、食に膵法を設き、︰・若し利別に在ってほ、剃判り ︵祉上の四八−五〓 諸の衆生を謹る。 此等の事柄を一々太子一生の行路に苑てゝ見れば、貨に思ひ蕾る事が多いが、其等の事は寧 ろ譲者各自の考慮と想像とに任せて、太子が此の経歴居士を柿潰せられた言を示さう。 ﹃練磨託とほ、カち足れ巳登正兜の大豊なり。 本を諭すれば既に眞如と冥一斗リ、迩わ談すれ に冠し、道ほ信心り比狼九で縮し、事ほ軸鑑み以て邪 − g5−・・・・・−・・・・・・

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戟十弗 年三第 究謬=詮索 となし、粕は無粕み以て相と克†。何ぞ名相爪二搭†べ与ちらんや。国家の事鞋な蚊と宣すし但 し大鼓息む︰と克くして、藩ほ物を益†るに存†。形ほ世俗のは土に同じく、虎は毘耶仙恥の∴村落 ︵柾上一右︶ lこ宅†。﹄ 二言にして轟さば、其の精神は既に世態の紛々を超絶して居るが、而かも衆生の焉に教化を 息めす、世を昼するを一生の事業とした人であるといふ事、鑑に太子一生の理想を見得る。此 ヽヽ の超絶精神は備法の賓致、釦ち本、又異諦で、世俗と交って世の焉に働くのは構造、即ち迩又俗 ヽ 諦であるが、些一方面の関係は決して隔離すべきものでないといふのが、太子の思想であつた。 先にも述べた如く、太子は法華経前年で、偶の方便教化を詭いて、方便といふのtは教化の焉に ヽ 用ひる侭あ方法であつて、虚妄と異芸事を説明されたが︵認諾棚︶、紅摩警は、肘︵郎 ち方便と箕︵即ち超絶の眞理︶と併せ照らすが目的となつて居る。即ち推靡居士の如く、版本 ヽヽ に大農を抱き、而して直に之を事質に活用するのが彿法の賓数であゎ、此の箕を行ふ虜に事情 ヽヽ に適應するが方便だと説明された。日く ﹃八地以L﹂の榔作栗二智ほ、本逃殊なりと錐も、井ドニ粟萎匪以下の人︶り併読にれらす。︰︰今此維 持若し並.へて二諦の理を照らすみ貧となし、挺現地成すろね粧となす二弼かも︶此の二智ほ熊 に摘果み緯†ろが故に解脱と耕す。﹄ ︵耽上†寂し ヽ ー ββ−

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塞∴政 と 想丑 の 子太徳空 ヽヽ ヽヽ 箕智の方は即ち理想であ♭、襲現施焉が政策であるが、二者ほ全然離すべからす、政策は理 想から出、理想は政策の貸行を待つ。而して此の如き理想を抱いて此の如き政策を行ひ得るの は、経度の如く利害得失の拘累を温飯した人格、即ち菩薩を要する。此の如き人格は帥ち太子 自らの目的であつて、菩薩の自任については、前に二度述べた通トである。 菩薩の生活は、先に述べた擾受立法にあるが、勝髪夫人は、婦人の身に之を行ふ大願を立て、 練磨居士ほ、世俗生活の中に之を賓行し、眞の宴坐︵坐攣を世務の中に賓行した。帥ち経文 に、﹃造法を捨てすして而かも凡夫の事を現す、是を宴坐となす﹄とあるのが、植箕の合併であつ て、太子は之を解して日く、 ﹃聖法を能すと跡も、亦俗法の申に凡夫の串を現じ、横︵劃手︶に随つて物詣牝†ろJ伊、乃ち宜坐と なす﹄ ︵維上三左︶ 此の如き聖凡l如、借賃合一の生活を、鉛ほ経文の説明で云はゞ、 ﹃密度ほ菩薩の母なり、毒薩ほ︶方便な以て父となし、⋮・法音一伊以て婁となし疲悲心有女と左 し、昔心誠実を男とL、畢克空寂毎食とすぃ⋮■ 四種の産み降伏して勝幡道捻一せ建つ。起滅な・さ存知ると靴L、彼l=示すが故に批わりて、悉く 諸¢国土を現す﹁⋮痘審、禁呪術、エ巧、諮り技撃破く此革九こ現行して譜∵り郡∴∵私情ご此†心︰︰ 制 中に疾疫あらば、視じて訪英草と吏二り、⋮劫叫に後任ちらば東じて飲食となり、劫坤に刀兵わ ー β7・・−

(40)

披十夢 年三界 二究研敦尭 らば、之が蕊に慈悲を起し、彼の〓訝の衆生ね化して無常地に任せしむ。若し大取停ちつて、之み 立つるに等カを以て†れば、菩薩は威勢を現じ、降伏して和安ならしむ。﹄⋮・︵維下七六−八〇︶ 太子が此の経文を蔑み凍って、如何に自分の事業政策の上に戚得する朗あつたかは、穿発と して見るペく、右の経文にある項目は、一々之を太子の生活と事業とに苑てはめて観察し得る。 太子の一生は要するに、治国輿敦の活事業に依って自分の信仰を繰♭、菩薩光る人格を鍛ひ上げ るにあつたのである。此の活事業は、国家の生命に一題三賓の賓を蓼げ、自ら其の中軸として 掻受正法を行ふにあつた事は、段々述べた通りである。 此の如く理想と政策と能く結合して、現に歴史に見る如き治世を得たのは、貸に自ら菩薩を 以て任する太子の人格が然らしめたのである。而して此の如き人格のカは、彿致の致へる直心 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ に蹄暮し、菩薩の直心が、即ち国家の昌隆、国民の慶福と捏アり、菩薩の浄土が其虞に現する。 故に日く、 ﹃心直きが故に能く衆行ち聾す。然らば帥ち直心ほ≠〃ち足れ萬行の始なり。︰義行既に耕し って馴∵ち其道心特上羅L∴︰・道心故に深きが故に、能く慧﹂せ葉て喜に従つて急に慮超なし。 心解く詞柔なろが故に、則ち︵法空開いて、誼の如くlニ行すろ=と左程。⋮・詑の如くに行すろ辞 み得るが故に、髄く衆に施して共に彿先に回†。︰︰故に能く回向して両かむ著せざるが故に、 一一・・・ ββ−

(41)

策 政 と 想理 の 子 太 徳堅

最後に、太子の志は係数超絶の理にありながら世俗の生活で政務を執られた事について、末

法濁世の彿故に謝する準備であるとして、恰も太子を以て浄土眞宗の先駆である如く解辞する

人がある。結果形迩について見れば、此の詭は一鷹尤もに見えるが、末法だから特別の修行を

要するといふ思想は、太子の著作中に存しない。正法五首年と正法減五首年といふ事ほあるが

︵謂左︶、此を以て、平安朝後牛以後に強くなつた末法思想と同一成するは、牽強の嫌がある。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 之に反して妊摩居士の人格は、時代の差別を超越し、形籾位置の別に拘泥せすして、直に其の

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

大勢を一切世事に活用して居る。此の如く拘泥なき自在の活用といふ理想は、特に文殊品以下

の問答で縦横に之を説いてあるが、要するに、太子の人格は此の如き理想を昔時の日本に活現

したものであつた。

仙ち大乗方便の二併由とセろ。⋮・既に大乗の方便ちるが故に、則ら能く衆生一年成就†るの行な 立†。︰︰衆生既に辞行み立するが故に、則ち能く浄土↓せ柑。︰︰土澤うして稼なけれげへ即ち澤 詑あり。︰︰批に静設わー〃が故に、牝一せ受くるり経、篤く洋惹一せ得■ 浮智既に生すれば、心亦随っ て卯なり。⋮ふほ薔徳の本セリ、今、心既に拝し、則ち妨生一切の功徳、郵ぞ不坪山uるすげ温んや・ ︵杜上田〇左丁⊥四︼右︶ ﹁ ・ * − βクー

(42)

てい就lこ典儒脊髄旋土出蛤煉 本港ほ曾て冨不敬軒先﹄第五、六、入に載ぜし﹁スタイン氏克典濱坦地方出音焉体外桁訟日録﹂中筋−紐即に戯†るLあ1中 泉低級十八部に更に七部を繋甲\音衆散逸Lて今偲に其一部ね存ぜろ疑似相打購妄姓の吹払ぜられし年代と其内容の一 班とみ叙ぜんとするに在り。﹃大日本按政経h申疑偶俳典を牧むるちり此他疑偽l︰罵†るもの一二に止らざるL木簡に牧 銀†るほ放て散伏して久しく世に停へざりし音偶経のみとす。前篤ほ旋偶併収の概詮、後錯ほ廿七低級の各現にこして酌蔑 中、僕達二致の儒軽装作に隠する交渉の逆ほ﹁造寄り数日及び分掬、二、偶経り代淡﹃化胡経﹄三、道経文中の敬併 託載、四、道家の偶作と彿語劉窺、五、遺窪臼の五項全部な﹁道家の偶釈に如いて﹂り一浩に牧め﹃乗数界﹄第拾四巷 第九戟に掲載せるを以て今之み省けり。叉復籍肘鎗申、第廿一以下第廿七に至る七購鯉ほ控投に単一﹂ざるものわ嶽簸ぜ り。此隼七綾中、三厨経と七千彿紳兄放と借伽利伸欲入漁盤詮六政経とほ最も逆数のロ瞼に親し、ざものと†。併託目録 申、﹁道教﹂の下︵﹃乗数研究﹄入校︶に掲載ぜる太上造本通徹妙経巻十︵開元二年十一月廿五日l追士索洞吏︶金県玉光八 景○綬︵如意元年五月十二日経生畑山心︺の二級に明に逆数に属すべさものと判定して註に之わ省けり。第廿八符印は偶 経とセす.へきに非るも便宜上之を附ぜり。此他スタイゾ克集克本申、騎偶旋併収ハに脇すべきも¢わる︶b且らく他〓l二腰 O 0︵︶ る。後節中経題下に記入ぜる数字ほスタイン支那宜本の巷説にて託と耕†るほ﹃顆粒製本調立自記﹄にして日銀に上紀

燃焼出土疑偽者傭典に就いて

矢 吹 慶

輝 ー ムJ −

(43)

♯十第 年三界 究新教桑 静髭自社﹄¢略班と†。 静義 経博偶鼻紙説一、最偏経論鼓 二、正恵と侭経、低級製作の事情 三、旋悌の意義、抄経と失課 四、免停 経の挟着 後‡ 旗相出古悔経︵隋衆軽線所讐一、救疾鮭 二、清浄荘厳敬扇経 三、併記天公窪 田、花魁鯉 附五、妙法 蓮華経馬明菩薩品第三十 六、太子語、︵内典繰所収︶七、究寛大避妊入、大威儀清閑経︵武周録所駐︶ 阿瑚 陀併発誇大来観身控 †現観官受鮭 十一、併記棟命経 十二、併設延寄合経 十三、如来成這鮭 十四、 併設法王恕 十五、併記無畳大慈政経︵閑元線所載︶十六、繹門経 十七、示析犯者稔伽法鍍紐 十人、嬰行 捨身法 十九、三厨捜︵阿哲二十、併設七千俳紳呪鯉廿一、僧伽和樹欲入捏琴聖ハ皮紐 廿二、併母艶 廿 三、併設地蔵菩踵経 廿四、闘操王捜詑四衆逆修生七衝功徳往生浄土捏 廿五、併記解官生怨毅陀羅尼鮭 廿 六.救藷衆生一切菅維経 廿七.新書匪経 廿八、符印

前篇 疑償彿典故説

−、疑償経論数 古来疑備経の膠多紀7りしは匪政所停に明かなヒV而して﹃閃元雄﹄侶妄乱暴雉に蒜州強迫経﹄

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二番に就て﹁右一線余香昇︶親見=其本如こ是湊貌之代此方撰琴非二梵本職二川鉄︵武周刊定拙︶ 之中瓶左入〆正今以−義琴衰攣依レ鮎︵肝兢出三蕨記︶編二之償放こ︵鉱五の三五しといへり。文法 、 ー・・・・Jク ー

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