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『宗教研究』134号

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(1)

――目次――

1,

支那における竃祭の起源, 池田末利, The Origin of Hearth-festival in Chinese Religion, Suetoshi IKEDA,

pp.1-13.

2,

旧約聖書における「義」, 中沢洽樹, “Righteousness” in the Old Testament, Kōki NAKAZAWA,

pp.14-31.

3,

歴代志略に対する一考察:歴代志略とサムエル書の比較, 山崎亨, A comparative Study of the Book of

Chronicle and the Book of Samuel, T

ōru YAMAZAKI, pp.32-46.

(2)

失 6 字 0 じ は 柴 播 。

等で

と す 。 の。 く 老 す 柴 。 札 に あ 共 竃 る 老 誤 。 播 婦 L す 記 よ る に の に 婦 で。 柴 即 云 。 の っ 以 五 神

卒 か 萎 る し 奥 に 語

譲併

に は

で る れ で 尋己 道 が

支那に於ける

祭の起源

(3)

及び老婦 先炊 の 祭 とは如何

と堅 とを区別し、能楽に当つて神主・ 裂 との 奥 との関係を強調するはい ュ ⑧

やはり 全 民同様の欠陥を免れぬものである。

レ致 。 誤 、 祭レ脩 、弘光 ゑ 公 - ⑦

又 これ 丈 げでは雛祭 と先炊 との区別も不明確である。 次に陳寿 祓 6 本別個の見地から る 。併し 奥と賎 とを区別し 述 なく、交配 祭と云ふが如 担当時以 為 ニ年若 2 発 - 、 轄裂 - 、 宗婦祭 。 之 、一 成之説非 №。 Ⅰ 一

を 掌る京人 が萎塞を廟 門外の

ぬを 夫々炊いたもの ム 併称 ある。

全祖望は

老婦 之祭 、歴世 奉以為臣先 欣 - 、申哀別集 レ竃、 而以レ奥配レ 2 、文荷二尊

(4)

柴は即ちその方法を示すもの 一 一

篇 、左伝 昭公 二十九年礼

ある。そこで炎帝が火を創 周礼 説 として﹁ 頴項 氏子有 たビ

や 。祝融は乃 ち是 れ五把 の

別してゐる。礼器の文が示 を 以て社陵丘 祀五 嶽を祭る L 鄭注とはその見解を異にす

在り、四時、五行の気を四 ・ 五嶽 共に外 楽 であるから後

もう 。 士の説明では 荷は 犬神・ 竃

祭の始源形態に就 て 触れて居られない。そこ で 次に改めて考察を加へて 置 く 。

ある。而して老婦先攻 は Ⅰ ノ ノ 。

(5)

に 多分の疑問を抱 て 見よう。 竃の場所と 云へ 別の場合であり、 焼て推考 し

祀と云ふ特

所 、更に

のであらうか。私は此の事 ならぬ。 令 よ、 力し に竃 ⑩

の ふ め 老婦の祭に於ては倫理的意義が強い。 器 とを 。 事 とが 祀 の一でもあってその時 んよりは寧ろ竃に媚びよ して、 廟 門外の酉 室 の 奥 ある。

、宗廟の祭礼申 月 平金 認められるが、殊に此の 本来犬神なる祝融が 竃神 から漢にかけて三神が区 との混同も当然であり、 。此の意味から狩野博士 四

たものである事を見遁しては

(6)

五 あ を % へ Ⅰ

﹁ 竃謂 なり﹂とあって 、そ ⑯

らく蛙の暗黒色に基 く 字音 と考

が、

壷は届 諾 でその

横切 併し 潮 つて金文に 筑字 を求 昧 網 なり。周礼鏑を以て祝融を祠 る 。穴に 扶ふ、 礒 の 省声 。 竃 或は省せず 巨と 云って

食物を創造するなり﹂と

対する。

アッアランは

ラタウ

)

禁忌である。デ

フス

シナタ

ラアン等の祭

p

考察して置かねばならぬ。説文には㍉亀は炊

れる。此のパロ

ルとツ

アツアラン

れを逆にしたものであるが、神の

れてゐる点に於て一致する事は興味深い。

比塊

場所は経に明文が無

い 事を述

である。

後述の如く室の⑫

セ罷

つた箭祭

8 尾

廟 不分離の原初

届かぬ暗い処である。神の

(7)

希 、四千世、上から覆ふ 綱 -

意を示す音符であ -

、 此が更に 雙 声の

隠 闇の所が択ばれ

て、 他にも多くの

かった筈で、従 っ 神の場所と如何なる

自明となる。 る 。説文 Ⅰ 造 L の る事は想 神々が 信 てその 棲 関係に在 掩 、 潰肉 Ⅱ 醜 。 榔 、 准 英之 北 、 へられる。一方 譲 字 でその音は は音通仮の字で の意味が認めら 奄 、積地。 艶 、青黒血。 掩 、袋地。 掩 、塵地。 金文案公 設の ﹁ 紬 百四方 ヒの 語は 依 横切︵・ め 寧ヨ︶人の日︶であるが、 ある。声音通ずれば意義も亦通じ れる, 例へば 轟 、黒地。 薙 、真也。 蝿 、 懐也 。 掩 、革具 也 、 掩覆 詩経の皇 夷篇 には㍉ 奄 百四方 L に作る。 元来櫃の属する 明 母と奄の属する 影母 たければならぬ。現に 胆 ・奄に 徒 ふ 字レ 0 具。 奄字 は とは王通 には共に ニ Ⅰ 4 " ノア "@ Ⅹ 聞一多も指摘する如く竃の 蘭 係 に在るから、 睡と奄 と ﹁暗黒﹂或は類義の﹁ 掩覆 b

(8)

也の解に到っては説文学者 ぎ 抽象的説明に終始するか、

の 同音字によって説くのみ

解字に盲従するからである。

ん室也

、 択レ 米吉 辮字 、扶 レ

で、来は審であり、奴は探

るは頗る興味深い見解である

れば葵の音符に 非る 事を指摘

於て説明したい。 ⑲

加へて 禽 ︵ 寮 ︶となって

への転化を示すものである。 奥手も不同様の変化を経たものである。即ち 釆

1本

@% |来大 1 % 奥

始 象形に両手に火を扶 奏 する

の 深奥であるに由る 丈 げで な

ある。かくて奥がト辞 褒祭 ⑳ 支那 に於 6% 祭の起源

る 事と相応ずるものである。 モ

に扶ふ、

炎の声

L

云って

封切︵・

曲弓

・ ひ拍

読んで

る。爾雅秋官

(9)

事実を傍証するものに荘子達 生 篇の文がある。 吉 敷の返答として向日く有 OOOOO ﹂の 能 神と思はれる書が何の意であるかに 就て は 注釈家の間に異論が存する を 萬の仮借と見る。鹿は轟の とされるに到ったのであらうと 云ふ のである⑱ 思ふに書をの 商 仮借とするは 聾 であり 又狭 にも

作匂

。 佛 ば 奥は 承ける に主た 奥が するト辞 突 祭の伝統を 詞曲礼に㍉居るに 奥 るのである。 抹 するが、更に右の

である。

かュる

死者或は祖神の祭祀に当つ

祖神︵或は半祖神︶

及ぴ

。そこで奥が

煥 祭の伝統を継ぐものとすれば、

その対象も亦元来は祖神であ

って行はれるが、雪中

は未

に置

、神位を東面とするの

ひがし

沖き

牢 鎗金

祀に

﹁同官臭

に範す

てゐる。

士喪

趙は固より

奥に

設ける事である。然ら

(10)

支那に 於 6 億祭の起源 九 9 可 。 度思 、 矧可レ射思 。

に 西北隅であれば西南隅 詩 の節義も説く如く、儀礼 厭の礼が見える。即ち神位 西北隅を何故屋漏と称する

ナ - Ⅰ

西

す 篇に 二子天親 - 、 神 Z 構思、 不 - 京職 に ﹁猛教彰 不髭 L の 話 はり長毛の鬼神の称であ て帰結を一にするもので ものである かくて 竃 神の前形態な 楽所となってゐるものに に於 ある。 縮 有髪とは即ち 網 有泉と天 ふ 事である。 ホす 神の 題 となる。 神 典 の で に と あ 列 し る 用 て が し 表 馬 喜 ⑳ 馨 氏 と ら は な れ こ つ る め て 事 髭 ゐ は 力 ; る 臣 何 に バ 故 よ l 翻 り ト 神 智 ソ と を ン な 髭 ・ る の ス か 誤 ミ は 字 ス 明 と の 瞭 見 学 て、 る げ な 。 る

い姜ア

とはう

云 説 ブ つ 文 人 て に の ゐ は 門

ジン

併 貌 ヒ し と 等 更 し が に て そ 考 ゐ の ふ る 例 ね 。 で

れ %

選書

ばが

玉 の は 燭 西 竃 實 称 は で 即 あ ち ゑ ⑳ 物

然神

( も の ば 義 形 ) Ⅱ て、 佛 あ ( り 害 又 ) 翅 @1 や・ ブ ヒ 援 。 通 Ⅱ ず 葮

Ⅰ る 髭 面 は し 長 て 毛 姥 を は 有 識 す 女 る に 鬼 老 神 物 即ち

( 祖 ) 神 の て、 精 な と く し て て は ゐ な る も が ; ぬ 鬼 超 の 趨 参 者 即 が ち 住 屋 々 毛 長 を 手 具 な へ 育 た す も る の 6 ム

(11)

格 が定立せられねばならぬが、 一 ュも 指摘する処である。即ち 巨 1% @

関係を有し、古代人は此を合して 体 聖火と祖霊とが同一視された事は西洋 に 於て聖火の祭檀の擬人化された﹁ ヘス ク イモン 一つの宗教とじた。 竃神 ・ 守霊 ・神人・ @O 温奥 なるなり L と云ふ 如く ① と云ふ 事になる。但し奥 袖 すれば奥がその 二 要素中後に と 共に屋漏に祭られるに到っ の 変化過程を示すもの 又 如く 、前述のアミ族の住居と比較した場合、全然 無稽の論とも 云 へないであら 形もその古文 熟 或は瘤玄麦 が 玉篇には魑の別体として ⑪ ある。さすれば屋漏は屋 魍 歴 、 竃 有髪﹂は結局屋漏 と した荘子達 生篇の ㍉ 沈有履 L の語である。 何となればこの三字は釈文に引 る 。是等の説は大別し 6 口義とする 説 ︵傭人 ︵日偏 説 ︶とに分れる。

﹁漏れ

まく

る説

10

(12)

一一 支那に 於 6 億祭の起源 証 ②狩野博士仝上書 九 01 九一頁。 ④ 犠祀 鄭注に旧説として上記の事を引いてゐる。 ⑤ 鯖埼 草葉外編、 稗奥 。 ある。 ⑦五経異義疏 証巻一 、七十九案︵真清経 解本 ︶。 非 として

ゐ墓を

注意して置く。 ⑨史記 孝 武本記 索終引 の譲文同じ。 の湖 源 的形態に関しては稿を 改めて論ずる事とする。 ある。 支那宗教に於ける祖神崇拝

二重性格を具有するもので

に 体ならず聖火は祖神の象徴

祖神が一家の守護神として最高の信仰対象で

あった事とが

両者の宗教的

(13)

なに少牢 及特牲祀に 嵌を の 大略を窺 ふ 事が出来る。 ⑪論語正義春 三 、十八1元 棄 。 ⑫ 馬叙倫 荘子義 証巻 十九、十薬。

諾 してゐる。 ⑭同教授者、同原始文化の探究 L 一二 01 一頁。

意 である。 な えへん の亦 ぬ音して 旭勉 の 甘 ともなる。

が、 雅は即ち黒である︵ 朱 駿声 、譲文摘 訓 産声帯 部 徒字 下 ︶。

語 ではないであらう。

九等がそれである。

未刊 |に 詳説してゐる。 ⑳荘子 今腱 五五葉。

H 、 揮揮如 レ人、被 レ援 、読

投法 筆等 ︶。 費佛輔脅で ある。

︵ 、 0 コロ 0 丘田罵べ 。 づ ・ 3%

伝 には引いて碑に作る。 暉

︶ と 五通する事を注意し て 置く。 ⑳荘子義証券十九、十 葉 。 一二 t2

(14)

支那に 於 6 億祭の起源

⑳詳細は別 稿 ㍉屋漏・・ 申宙 同源 考 Ll 未刊 |

むべき

隅の は 即ち 屋 有漏Ⅱ 屋 有史である。 ㊤田辺見之助氏課コ古代都市 L 七九頁。 ④仝 上 、八一頁。 ⑪仝 上 、七二頁。 ⑱仝 上 、七九頁。 @ ⑲仝 上 、八二、八九頁。

的区肌

ほほ 要 性を 窺ふ 事が出来る。

として 庶 士庶人は 一 祀を立てるが、それは月神威 時代の後端を行︵庶民階級である。此の点からも 一部分である。 神 である。凡そ封建 の原始信仰に 於 6 室 1丁 |

義 であるから 沈有履 と 云ってゐる。 エ 3

(15)

、旧約の中で最も重要な

﹂とは周知の通りである。 従

甚だ複雑であり、後代にな

われる。 ョ 一ョ ッパ 各国語

乱 R ︵ 英 、仏︶等の語があ

一二アンスとは大分違った 感 の語の用法の主なるものにつ ついて権威ある西洋の学者の 説 、辞典の説明を顧みておこう。

なこと﹂の意であろうとい

レビ詔一九 ノ 三六、申

ている場合に見られるので で 用いられている。権威ある

旧約聖書にわげる﹁

沢沿樹

︶ 四 14

(16)

して用いられるに至った、というのである。

が 支配的であった時期、第二 う な意味が列挙されているだ 体の規範に従 う こと、端的に のパ一ス 。ヘクディ ヴ が加わ のと見、それは宗教的共同体 範 に適っていること︵ 之 0q ヨ ・ セ 十年ばかり前に、ドイッ 理的 評価であったが、後に 由 ののの 叶ゆ Ⅱゴロ B ︵のし W ︶ トヨ 表した︵ 沐 , 叫ナづ 曲目・

大なる学者 べ一 デルセンの

の ㌧ 9 せ 0 目 Ⅰ1目 いのか 0 ︶の

速 させて、﹁健全なこと、ノーマルなこと、 存 在 が全く調和していること﹂ 三 二八頁︶。この契約関係に 理解も大体この線に沿って 進 ヒュ アンスに富んだ、重要 のように区別されるかが問題 一五 旧約聖書にやける﹁ 義 ﹂ 15

(17)

か 。十二章の初めにアプラム を 大なる国民となし、汝をめ 次に古典的な個 処は 、創世記十五 ノ 六である

なし拾へり。﹂

︶に属するといわれ

に 於てパウロがこれを

一ブ 六︶に度々引用し と 連関 の 根拠 。ハウ 甘

係から判断して大体察知

然か 為せり﹂︵

六ノ 三三

﹂ 圭 つた

こ ヰハ 。

てい

わ け ︵ P ︶ 、セノ五 ︵ J ︶︶とあるのえんである。 一山、 /

の 意味を検討して見よう。

︵前者は祭司 典 P 、後者

れている、即ち邦訳聖書に よると ﹁ノアは義人にしてその世の完全き者なりき﹂

(18)

、汝らほ 諸々の氏にまさりてよりよⅠ主と

るべた

旗わ ト仏 し。﹂ とあり、二十 章 の 十誠 ︵ E ︶の申には 旧約聖書における﹁ 義 ﹂ モ

れを神は彼の﹁ 義 ﹂と数え

というのは、ここでアブラ ふか 初めて信じたのではなく、信じつづげた、

確認された、という 煮 てあ

ている︵ 旨 ・口口許 H@ N 毛色

をもった、青紫にあたる解釈

神と人との間の人格的な

かえって九章にも、更に十

いるが、これらは何れも 実

︵㏄ 目 すのⅡ ぃパキ目 % 一 叶ロコひ Q0 叶叶の ㏄・

されている。十九章五節︵ J ︶ こま 従って出で﹂往いた。十五 ために止むなく養子をしょう かくの如くなるべし﹂と 言 能 なことであったから。﹁ ま 17

(19)

︵甘口内 ひま ︶であって、抽象

を 子に報い、子の子に報いて三四代に及ぼす者。﹂

いうことは、神が真実であ

恩恵と刑罰、審判と救済で

ている !1

の義 となるべし。﹂

れが人間の義と考えられてい

従の要求は民に君臨する王者

義 が真実と共に語られている

一二﹁ ねが はⅠ 、は ヤハウェ 各

に 匹敵するほど古 い もので

し、 :::ヤハウェの 萎 しき業をたたへ、そのイスラ エレノを 治め 給う毒 、、、 しき 業を たたへよ﹂︵ 一 0 、一・一︶。 一八

われを愛しわが 隷 命を守る

山、 ノ ︶。

︶記者の加筆であるとする 句

一四 ノ六、セ ︵ JY. ︶には

も 施し悪と過と 罪 とを赦す 18

(20)

フェルの勝利、カナンの栓 桔 は 勝利の意になるかといえ

イスラエルがヤハウェの 誠 めに背いて異教の神を拝するようになると、

改めてヤハウェに帰るならば

罰 的な思想は後の申台記的な る 契約を中心とする神と民と 叙述されている。

げる﹁ 義 ﹂の根本概念は、契約によって規定 される神と民との正しいあ にそれでは予言書においてはどうであろうか。 しばしば共に表われる語であ

と 思 うが 、それは少し前の

と 全く同義語であるかの 如

裁 き ﹂は﹁正しい裁 き ﹂を 意

義 ﹂と訳されている巾の幸 川吋川は

いわゆる社会正義という 概

の 契約、その契約に基ずく 旧約聖 吉 における﹁ 義 ﹂ 一九 Ⅰ 9

(21)

とちっ て、 ヤ ハウェ とイス も露骨な筆致 が通りすがり 節 ︶、とある。

あるのは、 ャ

このことを 最 で 描いているのは エ ゼキエル 吉 十六章である。

たのをヤハウェ

属 とした﹂︵ 八

でに配慮し 、 の 規範としての正義を意味するものと見たい。 次に イ ザヤ書に移ると、その冒頭に 主を知り革 馬 はその も O し 厩

しけかの・い収 ぃ ︶この う抜ゴづ 川こ

ここではやはりそのよ う いることからしても明らかで 約の精神に帰って︵ 出挨及 するな、というのではない かと思われる。 用いられたことを暗示する。 に 裁判官からその青方を認 記 二五 ノフ イザヤ書 五ノ 二三参照。︶ 為

(22)

旧約聖書におけるコ % ﹂ Ⅰ一一

具体的には国の指導者たち

結局同じことを指すわげであ

よ,フ 。 お ち

ゆ べし:::然る後汝は再び正義の町、忠信の町と称 へられん。﹂

は 注意すべぎである。忠信な へられる

︵Ⅱ川のす 州い ︶と呼ばれたこと は 既にふれた通りである。

むかって

にて満ち正義その中に宿りしに⋮⋮﹂ 並々ならぬ忍耐 と 愛とをもって幼い な 衷情をもって報いるべぎであるの けである。しかしヤハウェはこれに 白くなり、紅の如く赤くとも羊の毛 0 発達に大なる寄与をなしだと思 う の 根本契機と見ており、たしかに 法 英語のまぬ ォ付 あるいは出生 ョ など 同時に、その主張の正当 さ 、ある ぃ クエ の恩義に対してイスラエルは献身的 いたのであるからその罪は甚だ大きい わ ん、汝 らの罪は緋の如くなるも嚢の如く

﹂の法廷における論告の思想は義の観念 ︶は法廷的な義の観念を旧約における 義 解される場合がある。ドイッ語の力の 0% はまるものであり、それらの語が権利と までもない。そこで判決の結 某 その主張

(23)

︶と呼ばれているのは、義が

される。ダビデの 商よ り 起

べし。﹂

イヤ新正当世

デこ

八年貢・

記ルこ

これが後人の重複挿入で

﹂こに言われている義がさ

っ ダビデの位にすわりてその国を治め今ょ り後 永遠 に 公平と正義とをもてこれ

を 引用するならば

二 %

(24)

の 牧者は一人なるべし。 か

永遠の契約となるべし﹂ ︵三七 ノ 一五 ・二 二八︶。

約等 の諸契機が 悉,へ表 われ

思想の根本原理を述べた十八 旧約聖書における﹁ 義 ﹂ Ⅰ一一一一 23

かれらを集めてその地に導

し 。かれらは重ねて二つの に れ ュ い 沿 い の か て ア い んこの後の名称が イェレ ﹁ 、へ あったが義を行 3 力に欠 け

を 示したものであることは明瞭であるが、 そ のような 義 とは何であろう おいて 義 とはたしかに全体 極 において我らを 審き 、 救 イスラエル固有の神政々 象徴的意義をもっに過ぎな 此 に分裂したイスラエル と いても明らかであるが、 そ 述べている

||を

最も強調したのは予言者 ヱゼキエ ルてある。 いてもそのことを次の よう

を 取りてその上に ユ ダおよびその 侶 なるイスラエル の子孫と書き、また一片の 0

本となせかれら

(25)

︵の・の・ 円 oH,q-m@ ︶ⅠⅠⅡ∼︶ - ゆ m か -n 一 o ︵︶ 巨 0 のⅠ R は岳抽ガのご 、 刃 R すり叫の岸 ︶においてはⅠ ノッデ が第二 の方では、一八九八年に チェ 円 ・ ホ ・のすの ぜ 局の 、づす の い 00 オ oh 改訳において、お叶っ 珪 Ⅱ づ 。お・ すの 0. ドし、 更に一九二七年 の笘ざ 5 等の語が加わり︵の ヨ Ⅰ 鯨 1000 年の憶 色 、 円 すのの oN 口ロ︶の叶の ロノヴ ︵の 乎リコ 成員 エ ヤに 一一一一 義 訳語

悪 はその人に帰すべし﹂ ︵ 九 、二 0 節 ︶。

質を表わす概念であると見られるが、その 個 人はあくまでも共同体の

通じてのみ現成するのである。

特に重要な点のみにふれることにする, 学者の い わゆる第二 ィザ ムに 述べた 故 ︵宗教研究

に 展開されているかは、西洋近代の註解学者 たちの次に掲げる様々の

組曲註解︵戸口車 ョ、 二四 章 である。 24

(26)

二五 旧約聖書における﹁ 義 ﹂ 語源が 、 力ナ い 乃至真直ぐな、とい ばかりでなく、それは少くとも第二 以下において雄揮 に 展開しているの

概念が派生し得ることは容易に背かれる である。なぜならば第二 イ ザ ヤ が 四 0 章 であるからである。すなわちヤハウェは

ヨす叩日抽 の 夷 ぎす・ Ho ミ ︶。その

単 な説明を加えている。スキンナーに ょ れば、 これらの義は一貫した、 た ブットは づ仁 Ⅱ づ 0 ののを、後の一一つにの曲 仁 ののを あてているが、それはど うい よりも前にイギリスでは既に

Ⅱ㏄曲目 曲プ

ない。旧新約を通じ

幸 にして近代語の申にはこの

よりうくる義なり﹂︵五四

ノ 一七︶。

(27)

* 私訳 ︶。

ありと。⋮⋮イスラエルの

ら 我を仰ぎ望めさらば救は 四 る 照 ゲ こ は 能 し な 五, 。 ) 審 な 力 な る 後 / た 述 削 い で が 理、 の

の側における公明正大

あるといえよ う 。しか

意志であると共に能力であり、し な 調和にもたらす統治の 力 全体

ぃ 概念内容を示す語で

ころでその神の経 倫

ては既に︵一八頁 参 三 一以下と五① ノ 八である ||

者の指摘する通りであ

しておぎたい。それは Ⅰ一山 トノ

してあらわれる。そしてそ

まれる、一貫した目的、計

のもすべてこの世界救済とい

に 秘められ、時に﹁ョ一口﹂︵ 四

れらの 個処に 於て 義 と呼んだ のである。 囲

(28)

二七 旧約聖書における﹁ 義 ﹂

賜物としての義は 、 体 的に な 章であり、この 章 だけで 世界救済の計画、目的、経 輪 と解することが最も妥当であると思われる 約苗臣は ﹁勝利を得﹂と訳し 上げ、その失われた権利、 る 論告の形をとっておること 法の今一つの例は五 0 ノハ、 九である ち ゃ。﹂ 一人称で語り、自ら励まし であろう。 こ,フ 。 の 苦難の後に光を見、打 自ら 丑 レ 一の譲に従った。 ろにある。この僕を苦しめ 、フ ことによって 、 彼は多く て、い わゆる毛のヰ件 簿 Ⅰョせ 岸 ・ 人の徳行、功績、権利等に関係なく、恩恵、 賜物として与えられる義であ ぎるが、その場合には 代墳

(29)

二八

にしばしばあらわれる術語で

における本質的な契機を要約

して見るならば次の如くてある。

関係︶を

人と人との

ることを見た︵一九頁

のであることに於て変りはな

ある。またこの関係を可能

ある。契約は自然発生的な関

いても責任はある。民がそ

て 責任を感ぜず

改めない

といわれるのは、この

審ぎ

の 義は他の面において恵み

罪を赦され、再び神の民

ミヤ

, 二一ノ三

一 |

二四参照︶。旧約の神の怒

りの

だけを義と見て赦しの

。預言者、特に第二イザヤ

主として宇宙的に展開さる

意味をもつに至ったのである

したことであろう。この

28

(30)

二九 29 旧約聖書における﹁ 義 ﹂

- - と

事の軽重を重んじ、 重 ぎに

素行の士 談 によると﹁

とし

﹁ 神

鱒的

もの

しと

ヵよ、

一面があり、恐らくこの

思われる。最後に最も注

いわば否定的に媒介せら

は 表面に出ず、新約の時

において神の義と人の義

(31)

を 想い 浮 べるとき一つの ァ ェの 絶対的主体性において 成

否 吾郎 と呉 鳳の場合は異

であり、そこには民の罪を

著名な史実あるいは物語の申

とを知らないが 一 ︵あれば 御

我々に 畝 如していないと忠久 -

道、あり方、たてまえ 縦の階層的人間関係に余りに

、、

、、

ち 社会正義に展開せしめられ ることが少なかつた。 遂行す せられ 純粋な の惨酷 一朝事 あると ぎ はす さにも拘らず 感動性を伴つ る 場合にはそ ることは人と の話がそ のように がら遂行 る 義務を 件 である。

三 O ㏄ いて君につくことが正にある てはどこまでも私事であり、

(32)

旧約聖書における﹁ 義 ﹂ 一一一一 は 立

正に象徴的意義11それ

するものということはできないであろうか。

一九五三、 ニ 、 一 0

(33)

序 此の小論文は 、ヘ プル人の間に存在した祭司 も てある。 歴代 志略は 、ヘルプ語原典に於ては、サム ェ 本吉の表題は、原典にはし ぎ Ⅰの ヱ の せぜ が 5% ヨ 塞 いて 附 げられるに至った。 一 、ダビデに関する 記趙 ていたかを探索した、一つの として用いつつ、或る点に 於 見解が見出されると考えたか 、 と書 う に 、 然らずして、 後約段階に至って編入された 百年から二百五十年の間に書 目的立場の史家である。 の王の﹁日々の事件﹂に 対 用いたラテン語のけ 弓 0 三の曲に

歴代

志略

に対する一考察

歴代

志略とサムエタ

書の

此 較

古了

32

(34)

何にダビデを重要視したか

叙述であって、本書独特の 記述である。

り、 即ち彼はヤハウェの くち よせ

一 三、一四︶と誌している。

ェ ならざる神に問 う 事をした

依るものとする、祭司的

キ シュアは一時に他界して、

歴代上一一・一 ・ 圭は サムエ ル後五・一 。 三に 甚 いているが、若し資料たる

Ⅰ - セ l 二九︶及びイスラエル

は、ヨ ナタンに重要な地位を

イスラ ヱル 民族の統一を念願する故に、南北 の 闘争を快く思っていなかつ た 事を挙げることが出来る。

が 、歴代 志略 には、ダビ

小群口であった事が述べられ を代表するダビデの姿が強く描写されている。

されている。此の位置に

ル書 編集には存在しなかった 歴代 志略 に対する一考察 一一一一一一

(35)

百人なり﹂の デ 擁立のため とっては、 ダ

人々が、ダビ

代志 略記者に ろなく現われて

節 Ⅱ と 二一 - 一 1匹 0 節の二つ

げられているが︵歴代上一二

ぬ 0H. し Ⅰの口口の ダ の甘口の弓の ゴ Ⅱ・

目弓 ︵田の 、 円すの い 00 ガの 0 ヰのゴ Ⅱ 0 廿

者達の名の或るものは、ダビ

らかの資料には 甚 いていると

ビデの臣下として記述したの

ムェ ル前 二二・二﹁また悩め

れとと屯にある者はお ょそ四 あまた ち 三四

編集者の創作と考えること

目 挿す︶之は独立資料たる 事

コぬぎ由曲印下 ・ ロ,づぢヴ 山口内の 鰻

認めている。 お ち もて

の 重なる者は左のごとし﹂

のあった事を示し、以て彼 巴

(36)

起すものでなく、寧ろ押っ

サレムの都に移した事が理解される。 歴代 志略 に対する一考察 三五 ヱ ルサレムに運び入れる事に ている。之は ヱ ルサレムが、新首都として 政 治の中心と成ると同時に 、之 信拠性を有する サ ムェ ル 書に ︵ サム らしむるを好まず、 2 を 転 テ月間置かれ、その家に 於

﹁ダビ神の櫃を

オベテェド

﹁軍旅﹂

リオ

勝コ

かは﹁

つた。

シュア

八・一玉

処は腱

なる資料に属している。︶

成り立つて居り、その

はこ

るや、直ちに

オベデェド

そ のころ

くなれ 9 し︵歴代上一二・三

(37)

三上Ⅹ ノ

兎も角 歴代 志 略記者は、

、契約の櫃を ヱ ルサレムに 移したと書き改めている。

、 之が庶物崇拝︵刊の芽 千

に 考えられ、 ヱレ ミヤ記に

記 一一一・一 レ Ⅰ︶。 ま - ト , 力 ・

︵︶ 0 ︶ ゲ @

道具として使用した事に原因

ルサレム神殿礼拝に於ける 櫃

したヱ ルサレム神殿の構造が

ロモソ ︶其処にヤハウェの契約の欄を置んとて 家の申に設けたり﹂︵ 列王 上人

ルビ ム を造れり﹂︵ 同 六・二二︶と述べ・其の後 に ﹁祭司、ヤハウェの契約の まさ

ムは 翼を櫃の所にのべ、 且

象徴であるから、ケルビム

述 される以前に存在したと 思

が ︵出校友詞二五・三︶ 、 此の

神殿の崩壊︵ 丑 五 % 五 全八年︶

処 には祭司文献の記者 の櫃

だ者 と考える事が出来る。 36

(38)

三七 歴代 志唯 に対する一考察 37

づ 申す い口抽のコ, い の巾い ・の・初申

は、すオ仔す ・ 円ダの毛 。弓ガ

定の意を強く現わして居り

かと言 うに 、ダビ ヂ王

て、 櫃を入れる建築物を

タンを通じて告げられた 神 の 建 が 、 ゑ ナこ

処は 、サム エ ル 符睾用 七草

めに、我の住むべ き 家を建

家を建っべからず﹂︵歴代上 一

定 を現わす 語 ︶が後者に 於

8% 即ち疑問文を現わす

つ 後者に於ては此の語の前に、 前 拉した 如 ︵ 、 否定を現わす語 ら ・が附け

︵Ⅰ づの co コの 宝お︵に第一人称

0 目の神Ⅰ ac ︵︶の形︶ と 成って

記述 と殆 んど同様と見られ

(39)

一一一八

試 されず、次のソロモン 王 ム ェ生首に見出された記事 モ ノ に依って建立されたと 云 事 が出来たわげである, としても、その資料たる エ ル書に於ける此の記録の史

いる︶の筆に拠ったもので

潮を持っ律法主義者の流を汲 つて、予言者をして神の言

﹁ 我 ︵ 神 ︶はイスラエル ひとなと ナみ

屋の中に歩み居たり﹂︵ サム 徴 している 事 ︵ ボセア 十一章 参 強く示している。 挨及 脱出か

ら 、家屋を建てる事は不可

重要視するの余り、カナン の 居た事、ナザレ人︵ 民 敬紀 関係のあった事は、 列 正紀

執着を持っていた事は 、理 38

(40)

。 而 かも之が歴代 志 略記者

す 場面に展開するの観を懐 ィ、

る 。﹁イスラエルの家 よ、汝

想 仰信仰生活と考えていた

説く予言者の前に立つダビデ

いる歴代 志路 上第十五章に 於

者を﹁ 只 レビ人のみ﹂と限定 しっ

と 奉と鋳鉄などの楽器を持

は異る 意味の対陣 を 、予言

む 者の当然に懐くところのものであろう。

例えば﹁神の契約の櫃﹂

而 かも歴代忠昭上一三・一 |

られている。

れをゆるしたまは ば、我

祭司とレビ 人 とに至らせ、

二・一 1.- 一︶ 0

﹁留まれる﹂は 巨銭 日ぃ の F,

動詞の之も ァ ・七円

ヴ田ヨ

三九 ぽ代 志略 に対する一考察 39

(41)

四 O

此の単語は、俘囚後に於て

一二年︶、 北 王国イスラエルの

に 対して、用いられた語で

々の中に書き込まれている 事

志 略記者の時代には、 ヱル

イスラエルの﹁潰れる者﹂を

を 懐いていた故に、その理由

く 必要があったものと解され

に 集まらしめ ん しとする 前

場合にも﹁ 放 らもし之を善七 サ Ⅰ ら

ダ 0 人々の兄弟たる﹁潰れ

事が 、この記述の中に充分

ばなり﹂︵一二・ 口 ︶と記載し

までのイスラエルの人をこ 二 、歴代 志酪に 於ける特殊な用語 A 宗教思想的用語 顔をた づねよ し︵歴代上 一 40

(42)

四一 歴代 志略 に対する一考察 あほ

ん ﹂と誌し、その次の節には 聖所 たるべ き家、 即ち神殿建設の事に言及し 士ハ ・ 一 0 、一一︶ ﹂の意味を有っている︵ ョ あの ダ も﹁践む﹂又は﹁打ち " ての意味するところも類似 している。 二九・八等に見られるが、

変化を含む︶によって﹁ヤハ

、二二・一九、二八・九、下一二 九 、三一・二一、三四・三︶。 ヤ 求めずして、医師を求めた 様である。然るに予言者達 ︵ イ ザ ヤ ︶なる文章を構成し

げる﹁ 善 ﹂を指しているの

ょ ﹂なる句にかけ ろ ﹁求め

践 せよ﹂の意味である。 然 之が 語られたとするならば、

ならないであろう。

(43)

歴代 志略に 於て特殊な用法と 成った所以は 、 之が レビ の祭儀的役割として、 れを果す者がレビ族に限られ

処 でもピー エル 形であ っ

用いて、神の力及び神 よ り

の 語が用いられている︶。 B 祭儀的用語 抹 するものと解する事が出来 は 悪の道から方向転換して、 用 解 て

渋 さ い な れ る 芭 三

%

驚岱

通 る

由比占用

路 じ 。 此 て 少 の

予 く 文 言 と 章 者 も か

と「

魔神権

ら 代 を 測 志 、 求 を 略 め 進 記 者

るめ

」 る の こ な

相 と ら 異 を ゥ 3 ミ 見 に 「 な 形 顕 , ロ、 二 る ば め と " る 形 ぽ 、 神 」

ぅ殿と

に は 天 て 「

一が

、 ら 礼 ヤ 挿 ハ す ゥ る ェ 事 な

と ネし 成 拝

る す

で」

る 形

医 て 四 に れ

さ 称 : て

我 三 あ 的 の 理 42

(44)

・一七、 亡 Ⅰ:九・一二、一九、

二 0 、 二 Ⅰ 二 Ⅰ二九・七、 、一六、二一、三五・ ニ 、 二 0 、一五、一六︶ 三 、歴代 志 略記者の根木方針 A 歴史記述の特色 歴代 志略 に対する一考察 二八・ 何不

器 として用いられ、

0 . 二八、二九・一一六・

卸 す卸す ア の 叫ヰ す つ が

一七、一レ 巾 ︶。 つとめ

える﹂を意味する

二八 二 % ト 二八︶。

を 供え を 意味す いられているのは、 予言者ではなく、所謂

例えば歴代 志 上二五 つとめ 他志不二九・三 0 には 述 している。

す 事が

に 於て ね うはち

﹂と 記

事が :供物を献ずるに準じ た 重要な位置を占めた事を、意味する。 43

(45)

実 てあるが、歴代 志 略記者は、

神殿に入って杏を焚こ う とした。

とは、汝のなすべ き 所にあらず﹂ 斬 る業病に捕えられる事は、異常な罪悪の 之を知った祭司 アザ リヤは八十人の祭司を と古け、香をたく事が、アロン系祭司の職 代志略に砕 いて歴史記述の変更にまで 干 見出される歴史経過が、上述の原理に合 さえ 敢 てしている。例えば、 列 正紀路上 人物︵ 十 Ⅰ十二節︶として記述したが、 る 。然るに 志 略記者は、 ア サが晩年に扱 ち 予言者ハナ目の口を通して、アサ王が して、彼が神に対して罪を犯した事を予 へ ﹁汝は愚なる事をなぜ り ﹂との論断を している︵歴代春時下一六, キ 一こ る 。即ち後者に於ては、資料に於て

に 則ったものの如くに書き改める 事 為し﹂ た 人物、﹁諸の偶像を﹂除いた ﹂︵二十三節︶と有りの偲を誌してい ろ斯る 不幸を生ずるに至った原因と 実であるかの如く叙述している。 即 なかった事に対する非難の言葉を述 し 、予言者を獄屋に入れた、と記述 四四

に 対して熱心であることが 幸

。 斬 る原理は、予言者的 精

て見出される。併し歴代 志略

参進めて、祭司的特色、 即

じた中食 記的 歴史観が 、歴

(46)

潔 は 依 B 世 三 文 に た き い の な 詞 務 更 め 、 る 歴 を 三 は 移 サ ゆ た 記 そ い に で ョ 記 代 興 治 ・ 全 さ レ か 等 事 の 。 む あ , 祭 事 シ 述 志 儀 め 一 く れ ム れ の を 反 か そ, に 、

悪地面

@ ㌧ 二群 て : 。 ど 懇 親 を 明 発

し 蹴 合 う を 王 る の 間 行 に 為 を 癩 阻 病 止 そ し 扱 い 就 勅 し の よ 額 う

職 歴 述 二 別

ね た としに り か 」 と 王

記 は 述 「

し 怒 人

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四二

五 I ろア Ⅰ ,迂 ャこ

於 て

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、五章,

自 やし 詳 に 描 年 の 来 ビ れ ン 壇

述 身 於 写 し を て に の

間代、

・歴ず 口

ンヱ曳築行

をにを

善 せ 祭 m, の

(47)

ⅡⅡ 市 上ハ ている。

結語

而 かも前述の如く、ギリ 代の宗教家の立場に立つていた。

ずェ ジブト、バビロン、 だけの社会を構成していた。 ヱ ジブ ト に出現 した ユダヤ人社会に於ては、 方 には、ゲリジム山に神殿 殿 である 可キ善筈 である事を 、 一 神殿︶を建立する記事は 、

の 記述の申に書き込み、 ギ る 。 及び社会的規範は、細部 を 推進する意図を有っていた歴代 志 略記者は、 祭司文献の歴史記述の続篇 である。 46

参照

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