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佛教学研究 第68号 003村上, 明也「智顗と潅頂における『涅槃経』観 : 吉蔵撰述書との比較を通して」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

智鋲と潅項における﹃浬繋経﹄

││吉蔵撰述書との比較を通して││

智l1Jiと j舘Tliにおける r混然経』観 天台大師智顔(五三八│五九七)が禎明元年(五八七)並ぴに開皇十三年(五九三)頃に講説した﹃法華文句﹄ や﹃法華玄義﹄には、嘉祥大師吉蔵(五四九

l

六二三)の﹃法華玄論﹄﹃法事義疏﹄が随処に抜抄されることから、 天台﹁法曹疏﹂は、智鎖入滅の後、門人章安潅頂(五六一ー六三二)によって現行形態が整えられたと考えられ ① ているが、従来の研究では、知日郎副・海頃と士口臓の著作聞における本文的な文献交渉にのみ重点が置かれてきたよ う に 忠 わ れ る 。 近年、天台・三論の研究が新たに直面する課題として菅野博史博士は、﹁智顕と吉蔵の法華経観の総合的な比 較研鈴﹂の必要性を唱え、これを受けた奥野光賢博士も﹁これまでの研究はどちらかといえば両者の依用関係の 解明が中心であり、両者の経典観の同奥といった思想上の比較研究は今後に残されているというのが実際のとこ ろであ何﹂と述べておられ旬。 先生方の論旨を私的に解しているかもしれないが、これらは結局のところ、天台三大部などにおける智額真説 筒所と潅項加筆筒所をめぐる本文の弁別を充分精査した上で、なおかつ智顕・洛項の天台教学と吉蔵三論教学と の決定的な相違が何処に求められるのかを問うていることに他ならない。

-

(2)

23-問題の所寄

智顕と潅項における r浬祭経』鋭 周知の通り、智頭説潅項記﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄や吉蔵撰﹃法華玄論﹄﹃法華義疏﹄などにおいては、光宅 寺法雲(四六七

l

五二九)の﹃法華経﹄解釈を痛烈に批判して、﹁﹃法華経﹄の仏身は常住を明かす﹂﹁﹃法華経﹄. @ にも仏性は説かれる﹂などと主張されてきた。 ここで筆者が注目したのは、﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄が法雲への反駁を行う際、﹃浬紫経﹄の中にも少しだけ ﹁久遠実成﹂の義ありと論じて、﹃法華経﹄と﹃混紫経﹄が共に﹁仏身常住﹂を説く同一の経典であると理解し て い る こ と で あ る 。

- 2

4一

一言うまでもなく、﹁久遠実成﹂とは、歴史的人物としての釈尊が仏陀伽耶で成道したのは、仮のすがた(近成) を示しただけであって、実は久遠の昔に既に成仏(遠成・先成)していたとする﹃法華経﹄独自の思想をいう。 従来、﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄が﹃浬繋経﹄に﹁久遠実成﹂義を認める箇所は、嘉祥大師吉蔵の﹃法華玄論﹄ によく似た議論が存するため、天台と三論の聞に教義交渉があるのではないかとの指摘がなされている向、章安 ⑦ 潅項が大業十年(六一四)から武徳元年(六一八)にかけて撰述した﹃大般浬般市経疏﹄には、明らかに﹃浬紫経﹄ に﹁久遠実成﹂義を読み取っていることが分かってきた。 したがって、本稿では、知目顔・潅項と吉蔵における﹃浬紫経﹄観を同時代的な視座から比較検討することで、 両学派の決定的な教学相違を明らかにするとともに、年代的に吉蔵著作を参照し得た潅項﹃浬鍵経疏﹄における 教学的特長について論及したい。

(3)

守 淫 般 需 経 L に

﹁久遠実成﹂義ありとする﹃法華玄義﹄と司法華文句﹄

制限と j鑑別における q~祭経』観 ﹃畑出紫経﹄が﹁漣を閲かず、本を顕す﹂経典であると説かれるが、従来、同 段落にて使用される﹃浬繋経﹄の教証は、吉臓が会稽嘉祥寺時代(五八九 i 五九七)に撰述したと考えられてい ⑧ る﹃法華玄論﹄と本文的に一致するという指摘が末光愛正先生によってなされてい旬。 又 F 浬 紫 -云 夕 、 是 ノ 経 ノ 出 ω コ ト 世 ュ 如 日 彼 ノ 果 賞 イ 、 多 叫 所 = 利 益

t

。 安 = 柴 ニ 二 切 サ 、 能 ぷ 主 衆 生 ヲ シ テ 見 詰 ト 如 来 ノ 性 ↓ 。 如 百 円 ハ 法 華 経 ノ 中 ノ 八 千 ノ 聾 間 得 斤 受 切 ル ヨ ト ヲ 記 苅 ↓ 成 勺 市 大 果 質 目 、 如 持 ト 秋 牧 冬 議 シ テ 更 ニ 無 オ 所 ν ぇ 。 若 - v 八 千 ノ 聾 問 、 於 好 法 華 ノ 中 一 -不 竹 見 = 悌 一 性 ↓ 、 浬 繋 ノ ミ ヲ 不 ν 一 一 懸 カ -指 叫 。 明 文 信 験 ァ リ 。 何 ソ 持 シ ク 荷 ュ 執 セ ン 。 ・ : 中 略 : ・ 且

y

担 架 ハ 猶 ホ 帯 比 三 乗 ノ 得 道 サ 、 此 ノ 経 ハ 純 一 無 雑 ナ リ 。 浬 繋 ハ 更 ニ 不 v 立 浩 子 、 此 ノ 経 ハ 瀬 川 本 ヲ 義 彰 ラ カ ナ リ 。

- 2

5

まず﹃法事玄義﹄巻第十上には、 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ = = 一 了 八

O

三上) 波線部の箇所から検討すると、﹃法事玄義﹄は﹃浬繋経﹄の﹁法華における八千の声聞が記別を受けて大果実 を成じるというのは、(穀物などを)秋に収穫し冬に貯蔵した後はもう何もすることがないようなものである﹂ ⑪ O という文を積極的な根拠とし、﹁﹃法華経﹄には﹁仏性﹂が説かれない﹂とする法雲の主張に対して、﹃浬繋経﹄ において﹁法華﹂の名が出されるのだから、﹃法華経﹄が﹁仏性﹂を説くのは明らかであると反論している。 しかしながら、吉蔵﹃法華玄論﹄は、前掲の﹃法華玄義﹄所引の﹃浬繋経﹄を用いて以下のようにいっている。 問 フ 、 何 ? 以 テ ヵ 、 知 和 ャ 至 つ 法 端 之 即 チ 了 悟 ス レ ハ 不 川 須 れ 湿 繋 M 耶。答フ、大経ノ菩薩品三五夕、如で法華経ノ中ノ八千ノ 設 問 得 吋 受 ヨ ョ ト ヲ 記 苅 サ 成 制 ル ヵ 大 果 質 却 、 知 計 ト 秋 牧 冬 議 シ テ 更 ュ 鉱 山 勺 所 v ス 。 故 -知 ン 耳 、 至 判 手 法 華 / 時 4 即 チ 知 叫 予 備 性 サ 巳 ュ 得 叫 ナ リ 了 悟 サ 也 。 又 タ 過 去 二 部 ノ 日 月 燈 明 偽 ハ 説 持 法 華 サ 党 リ テ 便 チ 入 品 、 湿 紫 4 。故 ι 知 ン ヌ 、 閉 す 法 華 経 サ 巳 -究 ニ

(4)

智阪とi極現における fi竪祭経』観 覚 ス レ ハ 悟 イ 、 不 叫 ナ リ 須 内 説 コ コ ト ヲ 浬 般 市 寸 也 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 四 ・ 三 六 七 中 ) ここはまず﹁﹃法華経﹄にて了悟すれば、﹃浬繋経﹄は用いなくてもよいのか﹂との問いが設けられ、その答え として﹃法華玄論﹄は、前の﹃法華玄義﹄と同様の﹃浬般市経﹄の文を教証として用い、﹃法華経﹄で﹁仏性﹂を 知れば了悟を得ると論じている。 したがって、天台と三論の雨学派が同じ﹃浬繋経﹄の文を用いながら、﹃法華経﹄に﹁仏性﹂ありと主張して いることが末光愛正先生の研究により明らかとなったが、前掲﹃法華玄義﹄の傍線部分を見ると、﹃浬紫経﹄の 教説は三乗の得道を帯ぴ、しかも﹁越を閲かず、本を顕す﹂点で、純一無雑や﹁漣身を開いて本身を顕す﹂﹃法 華経﹄に劣るといっているので、少なくとも﹃法華玄義﹄は、﹃浬般市経﹄に(未来常住、もしくは久遠実成の) ⑫ ﹁本身﹂が説かれることを認めている点で注意を要する。 さらに言えば、﹃法華玄義﹄巻第十上が﹃浬般市経﹄に﹁漣を聞かず、本を顕す﹂と述べる文は、予てより吉蔵 ﹃法華玄論﹄における﹃浬繋経﹄の教証を使用する筒所と閉じ段落であるため、ここは智顕滅後に現行形態を完 成させた潅項加筆のあととも考えられよう。 次に﹃法華玄義﹄や﹃法華文句﹄が﹃浬紫経﹄にも少しだけ﹁久遠実成﹂義ありと明言する箇所を検討したい。 まず注目されたいのは、知日顕説潅項記﹃法華文句﹄﹁釈寿量品﹂が吉蔵の﹃法華玄論﹄を参考にしたと考えら れている文であ旬。 -

(5)

26-符節とi径項における q盟悠紙』鋭 ⑬ ﹃ 法 華 ・ 文 句 ﹄ 巻 第 九 下 ﹃ 法 事 玄 論 ﹄ 巻 第 二 問、近成是方便、速成目疋真賞者、華般一又問、若以近成為方便、以久成為寅説者、法華明久成、此 寂滅道場、大経超前九劫皆成方便。若一賞説、議・般排始成正覚、・便是方便。未可然失。又大経云我 爾法華開迷覚、常不軽那更近。嘗知、一間半偶超嫡勅九劫先得成働。今諮問之。超九劫者、為是資 法華巳復方便。若爾舎三蹄一覚、亦聴一説為是権教。若是寅説者、則法華為方使、又若超九劫為寅 不合三蹄一。若爾開三穎一諸悌道問、一説者、諸小乗経論明超九劫。若爾三磁為賞教、法華日疋機経。 開近穎遠亦諸仰道問。若爾諸仰皆爾、一若言法華明久為賞、大経明超九劫為椛者、則法華為賞、湿 非樹縛迦。若濁縛迦前諸義壊。一娘為椛。又法華巳開近、云何浬繋更覆逮耶。若近遠雨経過 答云、日疋我方便諸仰亦然。又諸菩薩問一互者、コ二之教義亦賂然。又問、若法曹関近頼述、明久巳 議量殺願、願我於未来説議亦如是。此一成仰為本近成為漣者、何故常不鰹品克服供述明近、隠本排越 即諸側道問。亦不偏言一近一遠。故知、一耶。不聴一経之内前後相違。若一経之中本漣或覆或閥、則 寄・無始無終無近無遠頴法身常住、有始=二或曾或不舎也。又若此経為明久己成仰寅説者、則初開 有終有近有逮論其聴遮。用此義望諸経、一三瀬一諸悌共同、開近顛遠則稗迦猫有也。若言此義為例者、 射線維異終不異也。既了衆経諸師不可一下分別功徳品諸菩薩皆殺願、願我於未来説蒋亦如是。宣得 師 也 。 一 言 同 稗 迦 猫 有 閲 近 穎 遠 而 除 悌 無 耶 。 以 此 衆 事 詳 之 、 但 知 、 n 疋 寄無始終以顕法身常義。有始終者皆是賂漣。以此義通上諸 経無一家滞也。此義難明。本迩義及蒋量品文、更成論之。

- 2

7一

(6)

﹃法華文句﹄巻第九下の文は、 ﹃法華玄論﹄巻第二を読まねば意味が通じないとの指摘があるの句、﹃法華玄 論﹄の内容に従って解釈してみたい。 対象表下段は、﹃法華経﹄における釈尊の仏陀伽耶での近成道を方便とし、釈尊の久遠実成を真実としたなら ば、﹃華厳経﹄や﹃浬般市経﹄の経文が方便となってしまい、それ以外の教説にも多くの矛盾が生じることを問難 したものである。 智E震と施I貨における ri望祭経』観 また﹃法華文句﹄﹁釈寿量品﹂には、﹃法華玄論﹄を計三段落にもわたって援用したとの報告例がある的、前掲 の対照表上段直後の問答にも吉蔵撰﹃法華玄論﹄と密接に関連すると思われる文が存在する。 まず智顕説潅項記の﹃法華文句﹄は、﹁問う、(文ではなく)義によって推し量れば、(法身が)常住であるこ とは理解できる。しかしながら、経文による線拠はどこにあるのか﹂との問いを設け、その答えの一つとして次 - 28

の よ う に い う 。 又 P 文 -有 一 日 多 少 -。 浬 般 市 ハ 以 苛 未 来 ノ 常 住 寸 為 川 ハ 告 示 ト 、 其 ノ 文 則 チ 多 シ 。 不 で 以 計 過 去 / 久 成 立 雰 宗 ト 、 其 ノ 文 則 チ 少 シ 。 若 シ 随 な ぞ 棄 以 レ ハ 少 ヲ 、 則 千 日 疋 レ 魔 説 -シ テ 非 け ル ナ リ 偽 説 4 也 。 此 ノ 経 ハ 以 討 過 去 / 久 成 ↓ 為 吋 ハ 告 示 ト 、 勤 塵 モ テ 敷 内 コ ト 界 デ 其 ノ 文 則 チ 多 ・ 2 未 来 / 常 住 ハ 其 ノ 文 則 チ 少 シ 。 ・ : 中 略 ・ : 又 P 此 / 経 ハ 慮 慮 -一 明 日 法 身 ↓ 。 法 身 宣 -不 叫 ャ 常 ト ナ ラ 耶 。 (﹃大正蔵﹄三四・一二七下) また現行﹃法華・玄義﹄巻第七下の﹁本浬紫妙﹂にも﹃法華文句﹄巻第九下とほぽ同趣旨の文がある。 大経 - r 典 " -此 / 経 . ﹁ 義 同 シ ナ リ 。 対 矧 ぺ 凶 州 制 倒 引 制 幻 哨 叶 刻 刻 ぺ 釧

d

1 劇 劇 詞 刈 顕 一 斗 未 来 ノ 常 倒勺列引州刈剣劇ペ謝剣叫。為 U 法 華 -巳 -説 サ ヵ 故 ナ リ 。 彼 / 経 ハ 難 時 一 雨 慮 -説 サ ト 、 不 ν 可 弓 判 シ テ 一 為 日 近 成 ノ 短 命 叶 。 今 経 ハ 正 シ タ 明 日 後 遺 顕 本 サ 。 無 量 ノ 議 命 ヲ 為 昨 告 示 ト 、 少 シ タ 説 コ 未 来 ノ 常 住 ↓ 。 錐 均 一 雨 慮 = 少

- Z

説て、不 ν 可 弓 判 ・ y -T 為 以 無常 4 0 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 一 二 三 ・ 七 六 九 上 )

(7)

~yllti と i館別における q泉繋経』鋭 ﹃法華玄義﹄の文だけを解釈すれば、﹁﹃浬繋経﹄と﹃法華経﹄の義理は同じである。﹃浬紫経﹄は仏身の﹁常 住﹂を宗要とする。迦葉菩薩が仏の長寿を問い、仏がそれに答えるところに、多く未来の仏身常住が顕説されて おり、本地の仏が久遠に成じた寿命についても少しだけ明らかにされる。すなわち、﹃法華経﹄においてすでに 久遠実成が説かれたため、その後の﹃浬紫経﹄は未米常住を多く示すこととなる。ょっで、﹃浬繋経﹄は一一経の 中に仏身の久遠実成(少)と未来常住(多)の両方を説くけれども、決して﹃浬紫経﹄の仏身を伽耶近成の短命 なるものと誤判してはならない。他方、﹃法華経﹄は釈迦の仏陀伽耶での成道の方便を聞いて久遠実成の本仏を 顕説する。これはまさしく久遠実成(発漣顕本)を明らかにしている。だから﹃法華経﹄は無量の寿命を宗要と し、少しだけ未来の仏身常住についても説く。つまり、﹃法華経﹄は一経の中に仏身の久遠実成(多)と未来常 住(少)の両方を説くけれども、決して﹃法華経﹄の仏身を無常であると誤判してはならない﹂といっており、 ﹁﹃法華経﹄の仏身は無常である﹂とする法雲への批判に対して﹁﹃法華経﹄の仏身は常住なる法身を明かす﹂と ⑬ 主 張 し て い る 。 円 L 要するに、﹃法華文句﹄巻第九下や﹃法華玄義﹄巻第七下は、﹃浬紫経﹄にも少しだけ﹁久遠実成﹂が説かれる と明言するのである。 しかしながら、﹃法華文句﹄﹃法華玄義﹄の当該箇所と無関係でないと思われる文が吉蔵の﹃法華玄論﹄巻第三 ⑬ に は あ る 。 法 華 ハ 虞 ク 明 日 ヲ 一 因 一 果 ザ 為 言 品 ハ ノ 正 宗 ↓ 、 無 所 得 及 ヒ 仰 性 ヲ 為 ロ 其 ノ 傍 義 斗 。 浬 繋 ハ 虞 ク 明 ラ 仰 性 常 住 寸 、 為 す 斥 ロ ル ヨ ト ヲ 無 常 ノ 之 病 サ 為 的 其 ノ 正 宗 斗 、 一 一 来 及 ヒ 無 所 得 ヲ 為 以 ナ リ 其 ノ 傍 義 4 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 四 ・ 三 八 八 中 ) ﹃法曹玄論﹄は﹁﹃法華経﹄は同一の困によって同一の果を得るという一乗因果を明らかにすることを正宗と し、無所得や仏性を傍義とする。他方、﹃浬紫経﹄は仏性常住を明らかにして無常の病を排斥することを正宗と

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一乗や無所得を傍義とするのである﹂と述べ、﹃法華経﹄と﹃浬般市経﹄にそれぞれ正義と傍義を読み取って い る 。

将Miと海項における r湿祭経』観 したがって、﹃法華文句﹄﹃法華玄義﹄が﹃法華経﹄と﹃浬紫経﹄に﹁宗の多少﹂を、﹃法華玄論﹄が﹁傍正﹂ を論じているため、天台と三論の所談には趣旨の一致ありと指摘されてきたのである。 加えて、天台の﹁多少﹂、三論の﹁傍正﹂という、同学派のよく似た議論は、偶然の一致といえばそれだけの ことだが、﹃法華・玄義﹄巻第十上において﹃浬繋経﹄が﹁泌を聞かず、本を顕す﹂経典であると評価する一段と 同様、﹃法華文句﹄巻第九下と﹃法華玄義﹄巻第七下の﹁宗の多少﹂をめぐる文もまた、智顕滅後に吉蔵﹃法華 玄論﹄を参照した潅項編集箇所なのかもしれな旬。

潅頂における﹃浬鍵経﹄の

﹁久遠実成﹂義解釈

- 30

ここで一つの問題が浮かび上がってくる。すなわち、﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄は、光宅寺法雲への反駁を通し て﹃浬紫経﹄にも少しだけの先成、つまり﹁久遠実成﹂を認めるものの、天台三大部やその他の智顕の著作には ﹃浬繋経﹄のどこでそれが説かれるのかを明示しておらず、わずかに﹃法華玄義﹄が﹁迦薬ハ初f-間三長寿イ、 仏 ノ 答 へ ノ 中 ﹂ と い っ て 、 ﹃ 浬 紫 経 ﹄ ﹁ 長 寿 口 問 ﹂ を 示 唆 す る だ け で あ る 。 結論を先取りすれば、﹃浬繋経﹄における﹁久遠実成﹂義は、潅項﹃担架経疏﹄に詳述されており、ここに潅 項の﹃浬繋経﹄注釈の大きな特長が見られるとともに、嘉祥大師の三論学との決定的な教学相違を読み取ること が で き る 。 まず潅項が注釈対象とする﹃浬繋経﹄﹁長寿品第四﹂の文を挙げておきたい。

(9)

云 何 ン ヵ 得 叫 ャ 長 薄 ュ シ テ 復 P 以 日 何 ノ 因 縁 サ 金 剛 ナ ル 不 壊 身 サ 得 日 ャ 大 堅 固 カ ↓ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 二了六一九中) ここは、迦薬菩薩が仏に対して﹁どうして仏は長寿で、しかも金側なる不壊身を得たのか。またどのような因 縁によって大堅固力を得たのか﹂と問い掛ける場面である。この中の﹁云何ンヵ得叫長寿ごについて潅項は﹃浬 切断とi舘Tftにおける rj星祭経』鋭 般市経疏﹄巻第四上で以下のように注釈している。 今 試 ミ ュ 出 以 其 ノ 意 ↓ 。 云 何 ン ヵ 得 叫 ト ハ 長 掛 芳 、 此 レ 問 幻 常 呆 元 本 ノ 之 因 サ 。 悌 答 へ - 7 云 夕 、 若 シ 業 能 7 為 で 菩 提 ノ 凶 斗 者 、 至 心 ・ 4 榔 受 シ 問 キ 巳 テ 縛 説 セ ョ 。 我 修 司 T 是 ノ 業 イ 得 = 三 菩 提 サ 。 今 復 7 為 山 人 ノ 虞 7 説

M

J

疋 ノ 義 イ 。 如 げ ノ 此 ノ 之 図 、 蓋 シ 非 以 近 世 づ 如 ω 法 華 ・ ノ 中 ノ 貼 座 数 劫 毛 猶 ホ 不 勺 能 い 知 ル コ ト 。 今 正 シ ク 問 幻 此 ノ 久 遠 ノ 之 困 ↓ 。 本 若 シ 無 常 ナ ラ ハ 、 果 不 ν

Z m

ナ ル 。 本 若 シ 臼 疋 レ 常 ナ ラ ハ 、 常 ハ 不 v可づ修 z o 而 シ テ 未 げ 能 山 知 山 コ ト 長 蒋 常 呆 ノ 所 図 云 何 ↓ ル カ ヲ 。 若 シ 間 町 此 / 義 サ 、 任 運 ι 自 ヲ 額 以 非 常 非 無 常 ノ 之 常 国 、 獲 = 得 ス ル コ ト ヲ 非 常 非 無 常 ノ 之 常 果 す 因 果 常 / 義 既 ェ 鍛 ハ ル レ ハ 、 果 上 / 高 徳 ハ 悉 夕 日 疋 レ 盤 非 / 之因

t

。 獲 二 得 ス 箆 非 ノ 之 果 イ 。 義 雄 巧 ・ 無 法 寸 ト 一 往 結 撒

Z

2

、 是 レ 問 幻 ナ リ 過 去 本 初 ノ 因 果 行 住 響 願 功 徳 智 慧 道 品 六 @ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 八 ・ 七 七 上 )

円 。

度 等 ノ 諸 法 門 ↓ 。 傍線部だけに注目して解釈すれば、迦薬強口躍が長寿を問、ったのは、仏が常住の果を得た元本の因を問うことと 同じで、この元本の悶は釈迦が仏陀伽耶で得た悟りを指すのではなく、﹃法華経﹄所説の五百盛点劫をもってし ても得知することのできない久遠の困であるという。 さらに迦葉の問いに仏が答える﹃浬繋経﹄の文は以下の如くである。 爾 ノ 時 悌 讃 ラ ? フ 迦 葉 菩 薩 ザ 、 善 ヒ 哉 善 ヒ 哉 。 善 男 子 、 汝 今 未 吋 得 二 切 種 智 ↓ 、 我 レ 巳 ニ 得 オ 之 ? 。 然 ル ュ 汝 / 所 ω 問 フ 甚 深 密 議 ハ 、 如 M 一 切 知 日 ノ 之 所 U 諮 問 可 、 等 ン タ シ テ 無 防 有 川 コ ト 異 リ 。 善 男 子 、 制 叶 剖 苛 謝 捌 ペ 割 矧 倒 ペ 判 寸 州 司 劇 刈 川 正 覚 寸 。 爾 ノ 時 無 量 阿 僧 紙 恒 河 沙 等 ノ 諸 働 世 界 ュ 有 叫 諸 ノ 菩 薩 由 。 亦 P 曾 テ 問 つ 我 ニ 是 / 甚 深 ノ 義 サ 。 然 ル ュ 其 ノ 所 ω フ 句 義 功 徳 毛 亦 P 皆 ナ 如 w是 ノ 等 シ ク シ テ 鉱 山 有 川 コ ト 異 リ 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ =了六二

O

上 )

(10)

ここで﹃浬般市経﹄は、﹁その時に仏は迦葉菩薩を讃歎して、汝(迦薬菩薩)は一切種智を得ていないが、我 (仏)はすでに証得している。ところが、汝が問う甚深なる密蔵は一切種智を得たかのような質問である。迦薬 菩薩よ、我は道場の菩提樹下に坐して初めて正覚を得た。その時、数えきれないほどの諸仏の世界にいる菩薩た ちが、迦葉菩薩と同じ聞いを我に尋ねてきたのである。彼らの閑いの句も義も功徳も迎葉菩薩のそれと全く同じ であった﹂という。 智顕と泡項における q笠怨経』観 そして、潅項は傍線部を注釈して以下のようにいうのである。 萄 解 ス 、 坐 道 場 -一 亦 P 曾 テ 問

7

1

者 、 或 ハ 言 夕 、 是 レ 華 般 ノ 中 -問 フ ト 。 翻 経 不 ν サ 、 其 ノ 文 未 げ 来 ラ 。 或 ハ 畳 一 回 夕 、 目 定 レ 偏 方 不 定 教 ナ リ ト 。 文 亦 タ 不 ν ラ 。 或 ハ 吾 一 同 夕 、 是 レ 秘 密 教 ニ シ テ 非 ロ ト 顕 露 ノ 揖 づ 義 皆 ナ 不 v ラ 。 今 明 日 道 場 ハ 乃 チ 是 レ 元 初 ノ 聞 涌 始 坐 -一 v -T 非 坊 ル ヲ 方 便 ノ 道 場 づ 第 二 巻 三 五 夕 、 我 レ 己 = 久 シ タ 於 討 ヨ リ 無 量 劫 一 -・ 来 P 、 久 シ タ 巳 -成 偽 ? 。 亦 P 知 計 法 華 ノ 成

1

割 刻 刻 溺 叶 。 昔 諸 ノ 菩 薩 曾 テ 閉 口 コ ト 此 ノ 義 ↓ 、 如 w -シ テ 今 ノ 不 v 異 ラ 。 正 シ 7 封 斗 過 去 ノ 之 問 一 -、 非 ロ 一 化 ノ @ 之始三。不 v聴岳部品寂滅道場及ヒ偏方秘密 4 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 八 ・ 七 八 中 i 下 ) 要約すれば、﹁①旧解は﹃浬繋経﹄の﹁仏が道場の菩提樹下に坐して始めて正覚を成じた時、諸の菩薩が曾て 仏にこの甚深の義を問うた﹂の﹁曾て﹂を﹃華般経﹄の会座における聞いとするが、そのような文は﹃華厳経﹄ のどこにもなく、もし﹃華厳経﹄にこの文があったとしても、いまだ中国本土に伝来していな旬。また他にも② ﹁仏が道場の菩提樹下に坐して始めて正覚を成じた時、諸の菩穣が曾て仏にこの甚深の義を問うた﹂という文を 漸教でも頓教でもない不定の教えと規定したり、或いは③秘密の教えとするが、①から③はすべて誤りである。 つまり、﹃湿般市経﹄に説かれる﹁道場﹂とは仏が初めて悟った元初円満の成道であり、﹃法華経﹄に説かれるが知 き甚大久遠の成仏と解釈すべきである﹂といっている。 したがって、海項が﹃浬紫経﹄﹁長寿品﹂の経文の中に﹁久遠実成﹂の義ありとみたことは、以上の文から明 - 32

(11)

瞭 で あ る 。 ,\'~と洛項における rj笠鍛経』鋭 ところで、この﹃浬紫経﹄﹁長寿品﹂の文に対して嘉祥大師は知何なる見解を示しているのであろうか。比較 的早い時期に撰述したとされる吉蔵の﹃大般浬紫経疏﹄(以下、便宜上﹁吉蔵﹃浬繋経疏﹄﹂と称す)は、現在散 逸して披読することができないが、平井俊栄博士は、日本三論宗の諸師による吉蔵﹃浬繋経疏﹄の部分的引用を @ 集めて本疏の復原並ぴに再構成を試みられている。幸い、この逸文の中に潅項﹃浬般市経疏﹄が注目した﹃浬般市 経﹄の注釈箇所が残っていたので、以下に嘉祥大師における﹃浬繋経﹄注釈を見てみたい。吉蔵﹃浬繋経疏﹄巻 第 五 に は 、 明 三 如 来 初 成 道 ノ 時 サ 、 巳 ュ 有 川 菩 薩 -、 此 ノ 事 ト 輿 ニ 今 ノ 問 叶 等 シ タ シ テ 無 防 有 川 コ ト 異 リ 。 他 / 欝 ユ ハ 指 ラ 華 厳 経 サ 、 明 お 牌 迦 成道、摩掲陀園、寂滅道場、七島八舎等品、己ュ有川テ菩薩-、問勺此ノ事 M 。 今 明 ヵ -一 不 ν ぅ 。 華 般 ノ 中 / 何 レ ノ 蕗 ュ ヵ 即 チ 問 ヒ 、 輿 ユ 今 ノ 問 叶 相 似 ス ル ャ 耶 。 他 ι 云 夕 、 我 レ 取 巧 ハ 茸 つ 問 意 ↓ 、 相 = 似 ス 今 明 4 2 3 此 ノ 中 . 二 五 夕 、 然

2

其 ノ 所 w フ 句 義 功 徳 モ 等 シ ク シ テ 、 無 オ 有 川 コ ト 異 リ 。 何 ソ 止 P 言 幻 ャ 其 ノ 意 ↓ 耶 。 既 ュ 鉱 山 守 相 似 ペ ル コ ト 故 ュ 知 叫 ナ リ 非 ヲ 也 。 今 明 吋 ハ 初 成 道 ノ 時 ↓ 、 説 的 無 量 ノ 経 4 云 何 ン ヵ 止 タ 是 レ 華 般 ナ ル ノ ミ 也 。 又 タ 初 成 道 ノ 時 、 何 ソ 必 ぇ 不 ν 吋 漏 出 繋 ↓ 。 八 相 成 道 ノ 一 一 / 相 ノ 中 ュ 復 夕 現 以 ル ナ リ 八 相 サ 。 ( 平 井 俊 栄 ﹁ 吉 蔵 著 ﹃ 大 般 浬 繋 経 疏 ﹄ 逸 文 の 研 究 ( 上 ) ﹂ ・ 七

O

)

とあり、﹁﹃浬繋経﹄に﹁知米が初めて成道した時、すでに菩薩がいて迦葉菩薩と同様の問いを起こした﹂という のは、他の旧解に﹁﹃華厳経﹄の釈迦成道、摩掲陀園、寂滅道場、七処八会の菩穣が迦葉菩薩と同様の問いを起 こした﹂といっているが、これは明らかに誤りである。﹃華厳経﹄の中の何れの筒所でそれが問われ、﹃華厳経﹄ のどこに迦葉菩薩の問いと相似する箇所があるのか。また他にも﹁その問いの意を看取すれば、﹃華厳経﹄に相 似した聞いがある﹂といっている。ところが、﹃浬繋経﹄には﹁彼らの聞いは句も義も功徳も迦葉菩薩のそれと 全く同じであった﹂と述べるのだから、なぜ今﹃華厳経﹄の文意を取って自説を主張するのか、非を知るべきで

-

(12)

33-担顕と議頂における『混鍍経』鋭 ある。今﹃混紫経﹄の﹁如来が初めて成道した時﹂というのを明らかにすれば、無量の経典にそれが説かれてい る。どうして﹃華厳経﹄だけに限定して論を進めるのか。また加来が初めて成道した時、どうして浬繋の義を説 かないのか、つまりは八相成道の一々の相の中に八相は示現されるのである﹂と述べられている。 また、吉蔵﹃浬繋経疏﹄と同趣旨の議論は、﹃法華玄論﹄巻第三に以下のようにある。 又 P 大 経 -云 夕 、 我 レ 初 成 道 - Z 亦 P 有 つ 菩 薩 -、 己 ニ 曾 テ 問 て 我 レ ニ 日 疋 ノ 甚 深 / 義 ↓ 。 即 チ 初 後 -一 皆 説 話 出 般 市 ↓ 。 不 ν 三 一 同 幻 浬 繋 ハ 是 レ 漸 -一 - y -ァ 而 華 般 ハ 是 レ 頓 サ リ ト 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 四 ・ 三 八 四 中 ) ここでも、﹃浬繋経﹄﹁長寿口問﹂の﹁我が初めて成道した時にも数えきれない普躍がいて、迦葉菩薩と同様の問 いを起こした﹂という文を引いて、釈迦一代の初めから終わりに浬繋の義が説かれており、経典の内容を推し量 って﹃湿繋経﹄は漸教、﹃華厳経﹄は頓教であると主張してはならないといっている。 したがって、潅項﹃浬紫経疏﹄と吉蔵﹃浬紫経疏﹄は、迦薬菩薩の問いを﹃議・厳経﹄の問いとする旧解を扱う @ ことで一致しているが、結局のところ現行の﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄﹃浬般市経疏﹄では﹃浬繋経﹄に﹁久遠実 @ 成﹂義を読み取っていくのに対し、吉蔵﹃浬繋経疏﹄や﹃法華玄論﹄が釈迦所説の﹁浬繋﹂義は無量の経、いわ @ ゆる仏一代の一切聖教中に述べられていると理解していたため、ここに天台教学と三論教学の根本的な﹃浬般市 経﹄観の相違を見ることができる。

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34-結

以 上 、 天台と三論との比較を通して﹃浬繋経﹄観の相違を考察してきたが、これまでの要点を箇条書きにする と次のようになる。

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①陪代仏教を代表する天台や三論の商学派は、﹃法事経﹄に﹁仏身常住﹂や﹁仏性﹂の教説ありと唱えて @ ﹁当時に独歩﹂していたとされる法裳の﹃法華経﹄解釈へ激しい批判を行っている。 ②この﹁仏身常住﹂などの問題をめぐって現行﹃法華玄義﹄﹃法華文句﹄の中には、﹃浬紫経﹄に﹁久迷実 成﹂の義を認める文が存在するが、潅項﹃浬繋経疏﹄にも﹃浬繋経﹄﹁長寿品﹂に﹁久遠実成﹂を示す文あ りと明言していたので、智顕・潅項における天台教学は、﹃法華経﹄独自の﹁久遠実成﹂を﹃浬繋経﹄の中 にも読み取っていることが分かる。 符顕と術現における q'l悠経』鋭 ③ さらに、﹃法事玄義﹄﹃法華文句﹄﹃浬繋経疏﹄には、全て嘉祥大師の﹃法事玄論﹄とよく似た議論がある ものの、知日顕・潅項と吉臓の﹃浬繋経﹄観を比較してみると、天台はあくまでも法事浬繋同時間味に依拠し て(追説追浪の後番)﹃浪般市経﹄にも(前番)﹃法華経﹄と同じように﹁久遠実成﹂が明かされるとし、他方、 吉蔵は無量の経典に﹁初成道﹂や﹁浬般市﹂の義ありと把捉することからも分かるように、両学派の根本的な 教学相違が経典観の上に如実に表れていたのである。 ④ところで、天台と三論における論旨の一致は、全く偶然とまでは言い切れないが、順に智鎖滅後の開皇十 七年(五九七)から仁寿二年(六

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二 ) 、 大 業 元 年 ( 六

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五)から貞観三年(六二九)の問に現行形態が捲った と考えられている﹃法務・玄義﹄と﹃法曹文句﹄、大業十年(六一四)から武徳元年(六一八)にかけて者され た﹃混繋経疏﹄の成立事情に鑑みると、潅項が吉蔵﹃法華玄論﹄(五八九

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五九七)などを参照して如上のよ うな論を展開させたと主張することも充分可能であろう。 ⑤しかし、たとえ﹃法華玄義﹄や﹃法華文句﹄における﹃浬般市経﹄の﹁久遠実成﹂義をめぐる議論が智顕真 説ではなく、潅項による吉蔵撰述書参照のあとであったとしても、年代的に吉蔵疏を閲し得た潅項﹃湿繋経 疏﹄が、﹃浬紫経﹄に﹁久遠実成﹂の義を子細に読み込み、三論学の大成者である吉蔵との教学相違を明確 - 35

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に打ち出していると考えられるので、ここに潅項﹃浬繋経疏﹄の教学的な特長を認めてよいように思う。 いずれにしても、章安潅項にとって﹃浬般市経﹄の具体的な経文の中に﹁久遠実成﹂義を読み取ることが、 結果として嘉祥大師との教学相違を示す格好の素材となったことだけは間違いない事実といえる。 ⑥ 智朗と治I貨における ri皇祭経』観 註 ①佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄(百華苑、昭和三十六年三月)や平井俊栄﹃法華文句の成立に関する研究﹄(春秋社、 昭和六十年二月)を参照 ②菅野博史﹁日本における中国法華経疏の研究について﹂(平成十一年十二月九日付﹃中外日報﹄一及ぴ八面)の八 面。また同様の意見は菅野博史訳注﹃法華文句﹄ ( I ) ( 第三文明社、平成十九年六月)の八八頁にもある。 ③奥野光賢﹁三論告示﹂(阿部和雄、問中良昭縞﹃中国仏教研究入門﹄所収、大蔵出版、平成十八年十二月、一四七 l 一六四頁)の一五九頁 ④また末光愛正先生も﹁但し、古臓の玄論と天台の法曹疏を比べた時、天台の場合の方が同一問題に対し体系化が進 んでいる様に思う。吉蔵自身には体系化を否定する様な性格もあるが、﹁教判﹂の類似例等は吉臓の方が未整備の様 に思う。:・中略:・この様な両者の相違を指摘し、どの様な理由によって、どの様な独自性を主張したのか等に、その 意義価値を見い出す事も一つの方法ではないかと思う﹂と述べ、天台と三論の教義上の相違研究の必要性を唱えられ ている。(﹁吉蔵の法華玄論と天台の法華玄義・文句

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引用における諸問題│﹂(﹃曹洞宗研究員研究生研究紀要﹄第一 四号、昭和五十七年七月、一一八 1 一 三 六 頁 ) の 一 三 四 頁 ) ⑤これは法雲が﹃法華経﹄を﹃浬繋経﹄の一段下の同帰教に位置付ける教判的立場に対する反論である。なお、法 雲・智顔・吉蔵を比較した代表的な研究として横超慈日﹃法華思想の研究﹄﹁法華教学における仏身無常説﹂(平楽寺 書庖、昭和六十一年五月(筆者所見は第三版)、二三一 1 二六四頁)や岡村芳郎﹁法雲の﹃法華義記﹄の研究﹂(坂本 幸男編﹃法華経の中国的展開﹄所収、平楽寺書底、昭和四十七年三月、一七五 1 一=二頁)を挙げることができる。 ⑥奥野光賢﹃仏性思想の展開

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吉蔵を中心とした﹃法事論﹄受容史│﹄第一筋﹁吉蔵およぴそれ以降の﹃法華論﹄依 用と仏性思想﹂第五章﹁天台教学と﹃法華論﹄﹂第一節﹁天台における﹃法華論﹄受容!吉蔵との比較において

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﹂ - 36

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初郎と j位TJi における ri.l~鍛紙』飢 (大蔵出版、平成十四年十月、二三五頁の脚注(二二))を参照 ⑦大正蔵巻三八所収の﹃大般浬般市経疏﹄三三巻は、撰号に﹁陪章安項法師撰唐天台沙門湛然再治﹂とあるので、一 般に潅項の﹃浬鍵経疏﹄に天台第六祖剤渓湛然(七一一ー七八二)が再治を加えたものと考えられており、現在でも どこからが潅項の自撰でどこまでが湛然の再治であるのかが分かっていない。しかしながら、湛然再治筒所は﹃浬紫 綬疏﹄中に散見される﹁私調﹂﹁私云﹂﹁私問﹂﹁私諮﹂などの文から、また権項自撰筒所は弧山知日円(九七六│一

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二 一一)の﹃浬繋経疏三徳指帰﹄二十巻に引用される権項﹁未治本﹂の文から弁別することが可能である。したがって、 ﹃浬繋経疏﹄における潅項自撰箇所の全文解明は、我が国にも将来され、現在は散逸した﹁海項未治本﹂(﹃大正蔵﹄ 五 五 ・ 一

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五六中)の発見を侠たねばならないが、本稿においては、上記の弁別方法に細心の注意を払うことで、現 行﹃浬繋経疏﹄を権項撰述書として扱えるものと判断する。 ⑧平井俊栄﹃中国般若思想史研究│吉蔵と三論

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﹄第二抑制﹁吉蔵における三論教学の思想的研究﹂第一軍﹁古蔵の著 作﹂第二節﹁撰述の前後関係﹂(春秋社、昭和五十一年三月、三五八 1 三八一頁)を参照。なお、奥野光賢博士は、 あくまでも推論の域を出ないとはいうものの、﹃法華玄論﹄の成立が﹁五九四年撰述、少し幅をもたせれば五九四年 前後の撰述﹂(﹁﹃法華玄論﹄の撰述時期について﹂(﹃仏教史学研究﹄第コ二巻第一号、昭和六十三年六月、一

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一 i 一 一 四 頁 ) の 一 一

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頁)であるといっている。貴重な指摘ではあるが、本稿では平井俊栄博士の研究に従って、会 穂高祥寺時代の[五八九

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五九七]としておいた。 ⑨末光愛正﹁天台五時教判と三論教学﹂(平井俊栄監修コニ論教学の研究﹄所収、春秋社、平成二年十月、二九七 i コ 二 七 頁 ) の コ 一 一 一 一 1 = 二三頁を参照 ⑬厳密にいえば、法雲は﹃法華義記﹄において﹁仏性﹂の語を全く使用していないが、今は智顕・吉蔵の評に従って、 このように表現した。(悶村芳郎﹁法雲の﹃法華義記﹄の研究﹂の一一一四頁を参照) ⑪ こ の 文 脈 で 法 雲 の 名 は 出 さ れ な い が 、 当 該 筒 所 の 少 し 前 に は ﹁ 次 ュ 難 刊 第 四 時 ノ 同 蹄 教 ハ 、 正 シ タ 是 ル 牧 = 束 シ テ 前 普 ↓ 、 入 訓 告 於 一 乗 で 不 v 日 悌 性 ザ 、 神 通 モ テ 延 辺 可 、 前 ハ 過 討 恒 沙 サ 、 後 ハ 倍 以 レ ト 毛 上 ノ 般 で 亦 P 不 匂 明 け 常 ヲ 。 此 レ ハ 不 ν 山 爾 ル ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄

= =

-7

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二下)とあり、明らかに法雲の﹁神通延寿﹂説を意識している。詳しくは脚注⑤に紹介した論文を参 照 ⑫なお、天台学では一般に第五時を法曹担架同時間味と理解するが、従来からこの﹃法華玄義﹄巻第十上の文を線拠

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37-智lIliと掘現における riI~経』観 にして﹃法華経﹄と﹃坦繋経﹄の優劣関係が論じられてきた。 福田発穎﹃天台学概論﹄(三省堂、昭和二十九年八月、一一六頁) 凡そ斯くの如く、浬繋経には一切衆生悉有仏性と説いて、如何なる者も皆な成仏すると談ずるが故に、法華の十 界皆成悌の教理と異り無い。故に法華、浬鍵の二経を合して同じく第五時となすのである。併し乍ら若し厳密に その所談の内容を批判する時は、法華のあくまでも純円無雑なるに対して、浬繋は猶ほ三乗の得道を交へ、四教 を追説するが故に、その問純雑の相異ある事を知る可きである。 安藤俊雄﹃天台学│根本思想とその展開│﹄(平楽寺舎応、昭和四十三年六月、七八 1 七 九 頁 ) 爾前に華厳時・鹿苑時・方等時・般若時の説法が行われ、後に浬繋経の説法も行われるのであるが、いずれも法 華経の知く円教を純粋に説くものではない。・:中略・:円教を純一無雑に説く部としては、ただ法華時のみが存在 するのであって、後番の浬繋説法といえども、この点では法華経に及ぷことができない。 藤井教公﹁天台智顕の﹃法華経﹄解釈

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如来蔵仏性思想の視点から│﹂(勝呂信静編﹃法華経の思想と展開﹄所収、 平楽寺普底、平成十三年三月、三六三頁) ﹃浬繋経﹄の経文を重要な教証としている。しかし、その﹃浬繋経﹄自体については、﹁且らく﹃浬鍵﹄は、猶 三乗の得道を帯よ。此の経は純一無雑なり。﹃浬繋﹄は更に越を発せず。此の経は本を顕す義彰かなり﹂として、 ﹃浬紫経﹄に対する﹃法華経﹄の優位性を主張している。 これら光学の理解からも分かるように、司法華玄義﹄巻第十上の文は﹃法華経﹄にて悟る者を想定し、﹃浬禁経﹄の 教説を必ずしも必要としない議論であることが分かる。 ⑬平井俊栄﹃法華文句の成立に関する研究﹄第三筋﹁法華文句における吉蔵註疏の引用﹂第一部﹁法華文句と法事玄 論﹂二十二﹁釈寿畳品﹂の四九二頁を参照 ⑪﹃法華文句﹄(﹃大正蔵﹄一二三・二一七中 1 下 ) ⑬ ﹃ 法 華 玄 論 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 一 一 一 四 ・ 三 七 七 下 1 三七八上) ⑬ 脚 注 ⑬ を 参 照 ⑫ 前 同 ( 四 八 五 1 四九八頁) ⑬また﹃法華玄義﹄は直後に﹁二経互ヒュ血勺。利線ハ知て本常寸

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、 未 来 毛 亦 タ 常

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。 解 サ ハ 未 来 ノ 長 高 男 、 亦 よ 僻 日 本 来 ノ 長 o o q a

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智郎と j館現における riM祭経』鋭 議 サ 。 其 / 義 日 記 レ 悶 シ 。 又 タ 此 ノ 級 二 蚊 敏 現 竹 生 ヲ 現 川 ト ア ル ハ 滅 ヲ 者 、 生 ナ ル ヨ ト 非 日 府 民 ノ 生 一 、 滅 ナ ル ? 非 諮 問 ノ 滅 一 、 常 住 ノ 義 穎 ル 。 又 タ 二 部 ノ 燈 明 ト 迦 葉 ハ 皆 ナ 不 ν 誌 は 繋 サ 。 紙 夕 於 計 法 事 一 明 日 ノ ミ 本 常 ト 未 来 常 円 。 揃 ョ 見 山 法 華 ニ 明 以 常 ヲ 義 顕 刊 ル ヲ 云 一 五 。 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 一 二 三 ・ 七六九上)といっているので、この段落が法雲の﹁﹃法華経﹄の仏身は無常である﹂という主張に対する反駁である ことは明らかである。 ⑬ 脚 注 ⑥ を 参 照 @これまでに挙げた﹃法事玄義﹄巻第十上(﹃大正蔵﹄コヲ了八

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三 上 ) 、 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ 巻 第 九 下 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 四 ・ 一 二七下)、﹃法華玄義﹄巻第七下(﹃大正蔵﹄コ三了七六九上)の文が智顔真説箇所なのか、海項編集箇所なのか、は っきりとしたことは不明といわざるを得ない。しかし、たとえこれらを智凱真説筒所と認めたとしても、天台大師は ﹃浬紫経﹄に﹁久遠実成﹂義が示される根拠を﹁迦葉ハ初 f 一 間 三 長 寿 ↓ 、 仏 / 答 へ ノ 中 ﹂ に 求 め た だ け で あ り 、 何 れ の 経 文がそれに相当するのか、具体的なことを一切語っていない。 @智円の﹃三徳指帰﹄に権項親述簡所と湛然再治筒所を弁別する﹁米治書﹂の文はない。(﹃新出統臓﹄巻三七・三九 一 中 ) ⑫智円の﹃三徳指帰﹄に潅項親述箇所と滋然再治筒所を弁別する﹁未治宝田﹂の文はない。(﹃新国統蔵﹄巻三七・一ニ九 五上 l 中 ) @この旧解は、浄膨寺慈逮(五二三│五九二}の﹃畑山紫経義記﹄に﹁我レ坐日:道場一亦 P 脅 す 問 ヲ 等 ト ハ 、 邸 中 勺 事 般 ノ 巾 ・ 4 菩 薩/問ヒナリ也。﹂(﹃大正蔵﹄三七・六五六上)とあることから、慧述、もしくは慈遠以外の地論諸師の説と考えて間違 い な い で あ ろ う 。 @平井俊栄﹁吉蔵普﹃大般浬紫経疏﹄逸文の研究(上)﹂(﹃南都仏教﹄第二七号、昭和四十六年十二月、五五 i 一

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頁)及び﹁吉蔵者﹃大般裡鰐経疏﹄逸文の研究(下)﹂(﹃南都仏教﹄第二九号、昭和四十七年十二月、三七 i 一 九 三頁) ⑮潅項﹃埋繋経疏﹄と吉蔵﹃浬鶏経疏﹄は、﹃事般経﹄に基づく旧解を批判しながら、自説を展開する点で共通して いるため、ここに櫛項が吉蔵書を参照した可能性を指摘することができる。加えて、河村孝照先生の研究に従えば、 潅項﹃浬繋経疏﹄と一具の﹃浬繋経玄義﹄に引かれる﹁有人﹂の説は、吉蔵﹃浬繋経遊意﹄の所説と一致すると考え られているので、潅項﹃浬繋経疏﹄の中に士口蔵撰述書が意識されていても何ら不思議ではない。(河村孝照﹁海項撰 - 39

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持顕とi笛項における q霊祭経』鋭 ﹃淫繋経玄義﹄における﹁有る人﹂とは誰を指すか﹂(﹃印度学仏教学研究﹄三四(二、昭和六十年十二月、二一八 l 二二五頁)や同﹁章安の浬繋経観││とくに浬紫玄義において││﹂(﹃東洋学研究﹄第一九号、昭和六十年三月、 一 一 l 四六頁)を参照) @﹃法曹玄義﹄巻第十下には、﹁若で浬祭/醍醐/揃教り、別 - E 論 ス レ ハ 在 剖 第 五 時 4 。通 ν テ 論 ス レ ハ 亦 タ 至 日 於 初 イ ・ 一 。 何 ト ナ レ ハ 者 、 鰐 論 -云 夕 、 従 出 初 稜 心 -常 -一 観 弓 浬 繋 ↓ 行 寸 道 ヲ 。 前 来 J 諸 教 ハ 堂 -鉱 山 討

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ャ 稜 心 ノ 菩 瑳 ノ 観 コ ル コ ト 担 架 寸 耶 。 大 経 -云 夕 、 我 レ 坐 弓 道 場 ノ 菩 提 樹 下 て 初 〆 テ 成 守 正 覚 ↓ 。 爾 J 時 無 量 阿 僧 紙 恒 沙 ノ 世 界 -諸 / 菩 薩 ァ リ 。 亦 P 曾 テ 問 勺 我 -一 日 疋 ノ 甚 深 J 義 イ 。 然 2 其 ノ 所 ω 問 ? 句 義 功 徳 竜 亦 P 皆 知 昨 日 疋 / 等 y タ ン テ 無 川 ト 有 山 コ ト 異 リ 。 知 吋 / 日 疋 / 問 ヒ ハ 者 、 則 チ 能 7 利 ユ 益

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無 量 / 衆 生 ザ 。 此 レ 則 チ 通 シ テ 至 日 於 前 4 0 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 三 ・ 八 一

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上)とあり、﹁約通﹂(一般に﹁通の五時﹂と呼称されるもの)の立場から第五時の﹃浬鍵 経﹄説法が五時の初めにも通じることを述べているが、本稿で取り扱った智朗・洛項の﹃浬鍵経﹄における﹁久遠実 成﹂義は、﹁約別﹂(一般に﹁別の五時﹂と呼称されるもの)に関する議論である。なお、末光愛正先生は、﹃法華玄 義﹄巻第十下﹁約通別﹂に見られる経典引用の一部(計五箇所)は、﹃法華玄論﹄巻第三を参考にしたものであるとし、 ﹃法華玄義﹄﹁約通別﹂の引用文及ぴ主張内容が吉蔵の﹃法曹玄論﹄と一致することを詳細に検討されている。(﹁天 台五時教判と三論教学﹂を参照)しかし、引用経典の類似はともかく、﹁通五時﹂の思想的な構成自体は智顕に存し たという反論もなされている。(張堂興志﹁﹁通別五時﹂孜﹂(﹃天台学報﹄第四九号、平成十九年九月、一七三 1 一 八 四 頁 ) ) @他にも吉蔵は大乗経典が真理を顕す点において平等であることを﹃法華玄論﹄巻第二に﹁諸ノ大乗経二顕以

7

道 ヲ 乃 チ 嘗 戸 鉱 山 凶 作 異

27

﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 三 四 ・ 三 七 八 下 ) と い っ た り 、 ﹃ 法 華 義 疏 ﹄ 巻 第 五 に ﹁ 諸 ノ 大 乗 経 -額 以 ョ ト 道 ヲ 無 一 一 ナ リ ﹂ ( ﹃ 大 正蔵﹄三四・五一八下)などという。 ⑫﹃法曹玄論﹄巻第一(﹃大正蔵﹄三四・三六三下)。なお、 長 ト 。 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄

= =

-7

六 九 一 下 ) と あ る 。 - 40

﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 巻 第 一 下 に も ﹁ 今 古 ノ 諸 綿 、 世 -以 日 光 宅 サ 為 川 キ ー ワ ー ド 智 頭 、 吉 蔵 、 潅 項 、 ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 、 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ 、 ﹃ 法 華 玄 論 ﹄ 、 ﹃ 浬 繋 経 疏 ﹄ 、 久 遠 実 成

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