46 日本看護倫理学会誌 Vol.2 No.1 2010.2
設立 2年目を迎えた日本看護倫理学会の第 2回大会 は、全国から 800名の参加を頂き、基調講演、シンポ ジウム、交流集会各 1に加え、一般口演 57、示説 30、
およびランチョンセミナー 2を企画した。メインテー マ「看護の心」は、本学会の英語名 The Japan Nursing Ethics Association の 名 付 け 親 で 本 日 の 基 調 講 演 者 Anne J Davis先生の言葉である。先生が6年半の日本 滞在中によく口にされた数少ない日本語のひとつが
「こころ」であった。中心、要という意味であり、倫理 は医療・看護の要である、そして倫理はどこにでもあ り、私たちのもの、というメッセージである。
1. 看護倫理:何を、どう教えるか
1.倫理についてナースがもつイメージ
いま、看護倫理の教育に関心が高まっている。来る べき時がきたと言えるであろうが、大事なことは、何 を、どう教えるかではないか。今回の演題抄録の中に は、「倫理や人権の授業で用いられた重大な倫理問題 に強い印象を受け、倫理問題 =日常の看護ケアとは離 れたものという認識が学生の中に形成された」ようだ とある。目下臓器移植法が議論されており、看護職者 はこれらの重大問題に積極的にコミットしていかなく てはならないが、忘れてはならないのは日々のケアの 中の倫理である。多くのナースが、難しい、辛かった と悩むのは、マスコミ的な重大な話題であるよりはむ しろ、足もとの、日々のケアにおいてであると、文献 は指摘している1-3、(p.2)4。
ナースが倫理をどうイメージしているかについては もうひとつある。看護実践能力の出版物等には「倫理 観をもった看護者」とあり、この「倫理観」が何を意 味するのか判然としなかったのでナースに尋ねたこと がある。みんなシーンと黙ってしまい、ある人は「さ ー」と首をかしげて、「きれいごと?」と言った。やや 思いがけなかったので、「それはどういうことです か?」と問うと、少し考えて、「何となく」と言ってそ の方は黙ってしまわれた。これは、倫理教育へのとて も重いコメントと思った。「倫理観」はともかく、「倫
理」について多くのナースが抱いているのは、おそら く、難しい本の中のきれいごと、あるいは、学会など で盛んに言われる「倫理的配慮」という言葉から、「何々 すべき」とか、「すべきでない」などの理想論、禁止論 というようなものであるとすれば、教育者は真剣に考 える必要がある。
2.倫理の目的は「理想」と「現実」のギャップを小さく すること
Anne先生は、最近出版された「看護倫理を教える・
学ぶ」の中でこう言っている。
看護教育は、学生に非現実的な夢を抱かせるような ものであってはならない。学生に教えるべきは「理想
(ought)」ではない。「理想」と同時に現場で実際に起 こっている「現実(is)」を教え、理想と現実には多く の場合ギャップがあるということを学生に認識させる 必要がある。倫理教育は、状況のもつ意味を把握し、
倫理的であると共に実現可能な解決に達する力を学生 が身につけることを助けるものでなくてはならない。
倫理の目的は、「理想」と「現実」とのギャップを小さ くすることなのだ(p.247)4。
理想と現実のギャップを小さく。教員として銘記す べきことである。新人ナースの離職が深刻であるが、
これは、新人受け入れ側の問題であるだけではなく、
我々学生を送り出す側の問題でもあるからだ。
3.学部学生に看護倫理を教える
私は2年前期の看護倫理を担当している。臨床経験 のない学生に、理想と現実のギャップを小さくという ことをどう実現するか、以下はその試みの一部であ る。まず事前に、看護倫理として落としてはいけない 知識・概念をリストアップした。また、臨床現場の現 実を描いている物語や事例を用意した。授業では、そ れらの知識・概念を事例の中から掘りだし、考え、デ ィスカッションするという方針で臨むこととした。
1) 倫理とは:アリストテレスの言葉
会長講演
Ethics as the heart of nursing: collaboration between academic and clinical nursing
■日本看護倫理学会第 2 回年次大会
*第 2 回年次大会会長・佐久大学
「倫理とは」については色々な言葉がある。まずは 倫理の大先達、アリストテレスの言葉(p.15)5を次の ようにくだいて紹介した。
・ 倫理とは、我々が「よく生き」、「よい行いをする」
のを助けることだ。
・「よい行いをする」とは、人としての道を遂行する ような行いをすることである。
ここで、「人としての道」とは、「人として強い覚悟 で歩む道」と、コミットメントという語を使って説明 した。続いて次の事例を提示した。
2)事例:ある新人
Aは入職して4か月、まだ2日しかプリセプターに ついてもらっていない。その先輩は、「私、自分の 生活で精いっぱい」などと言い、Aは話をきいても らう気にもなれないでいる。そして何より今、Aに は自分の中で許せない事がある。それは、プリセプ ターが患者に「死んじゃってもいいよー」と言った り、寝衣が汚れていても「そのままにしておこう」
等、考えられないことを次々に Aに言うことだ。A は人間関係が悪くなるのを怖れて「はい」としか言 えないでいる。だがその日、新人研修にきた仲間た ちと話すことができ、Aは「自分の看護をやってい こう」と決めた(p. 21)6。
この事例をみんなで読んだあと、事例の中の人物の 行為に対する「よい/よくない」の判断と、その理由 を書くように求めた。すると学生は、アリストテレス の言葉と事例とを行き来し、こんなコメントを書い た。「プリセプターは自分のことばかりで看護の道に コミットしていない」、「看護師以前に人間としてどう なのか」、「この新人はプリセプターから嫌われないよ うに必死だろうし、怖いだろうが、看護の道に来た以 上、勇気を出してこの先輩に意見をいう」。
物事の善し悪しについて、学生は自分なりの「内な る基準」をもっているのはいうまでもないが、その上 にさらに、今のアリストテレスの言葉を自分の「外」
の判断基準に使ったことは面白いと思った。そこで、
今度は専門職の立場で善し悪しが言える判断基準を 教えよう、それが、看護の道にコミットしていこうと している学生の道しるべになると考えた。
3)「よいこと」への気づき
もうひとつ、事例に登場する人物の行為をどの学生 も「よくない」と判断したが、これについてもよく考 えなくてはいけないと思った。この事例にはよいこと はひとつもないかと学生に尋ねても、彼らから答えは 返ってこなかった。ということは、よくないことや問 題点には人は感じやすく判断もしやすいが、状況に含 まれる「よいこと」は、その状況をさらに深くつかま ない限り見つけにくいということなのではないだろう か。現場では、若いナースは先輩から怒られることは
あっても誉められることは滅多にない。私はかねてか ら叱るよりも誉めるほうが大事と考えてきたので7、
「よいこと」を探し、「よさ」に気づくことは問題や欠 点探しよりもっと次元が高く、更なる倫理的感性を高 めるという思いを深めた。そこで、「この新人は、とに かくこの状況を言葉にして書いた、それだけでもこの 人はとてもよいところがある」と学生たちに言い、「状 況を言葉にし、記述し、他者に伝えることがナースに はとても大事、倫理はそこから始まる」とつけ加えた。
4)物事の善し悪しの判断基準
それらを踏まえ、次の授業からは「物事の善し悪し の判断基準」と題し、拘束力の違いから「法のレベル」
と「倫理のレベル」に分けて進めている。時には次のよ うな課題を出し、「やりたい課題に立候補した人には ボーナス点」というと、学生は競って手を上げる。
5)課題:法の観点から事例に対する意見・感想を述 べる
この課題に挑戦した学生の発表はこんな具合であっ た。まず、新人看護師臨床実践能力の向上についての 厚生労働省通知から、「新人には技術・知識だけでな く、看護師としての姿勢・態度も教育すべき」との記 述を探し出して先の事例のプリセプターの行為を論 じ、次に臨床看護師にインタビューして意見を求めて いた。その中でひとりの看護師は、「こういう人をプリ セプターに任命した管理者は、その人自身を成長させ ようとして役割をつけたのかもしれない」とプラス志 向のコメントをし、物語に直接的には登場しない隠れ た人物の存在も学生に気づかせていた。専門職者は自 分達の存在が後輩を育てていると思わされた発表であ った。
6)教材としての事例
授業で使う事例には、よいナースもよくないナース も登場する。そこから学生は、ナースが患者を守るた めにどんな行動をしているか、あるいはしていないか を知る。学生は、事例と法令・倫理綱領とを行き来し て、ナースとしての行動を考える習慣がついてきたよ うに思う。事例からはまた、「患者中心」「専門職」な どの概念も学ぶことができるし、「和」や上下関係に まつわる「同調」などの日本的な価値観3、(p.47)8、9も、
事例の中に詰まっている。
7)倫理原則だけに頼ることの問題
さらに、事例を使いながら倫理原則も教えている。
行為の判断基準として、倫理原則は世界の医療の共通 語であり、教育項目として欠かすことはできない。た だし、同時に教えるべきは徳の倫理である。徳の倫理 は、ナース「その人」を焦点に、専門職者としてのあ り方(姿勢・態度)や患者との関わりを検討する。次 の事例を提示した時のことであった。
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Aさんは85歳の女性。Hbが4(半年前は12)とな り、腹水もたまり、入院となった。医師は、「貧血 の原因が胃からの出血かも知れません。今治療しな いと大変なことになります。治療しないと殺人行為 になるのです」と説明した。本人は「もう年だし、
検査はしなくていい」と言い、家族も「本人の意思 を尊重したい、検査がいやなら受けないでいい」と 検査も治療も拒否された(p.166)8。
ある学生は、「検査も治療もしなくてよい、理由は、
自律の原則にあてはまるから」と言った。この学生は、
倫理原則を用いて一見論理的であ。しかし別の学生 が、「看護師は患者ともっと話しをして情報を集める べきだ、医師が治療しないと殺人行為になるというの で患者は怖くてそういったのかもしれない」と言っ た。この学生は、倫理原則に頼る前に看護師にはやる べきことがあると言ったのだ。私は学生たちに次のよ うに言った。①このケースでは、看護師たちの関わり が殆どなく、主治医ひとりで困っていた。治療拒否の 訳をつきとめたのも主治医だった。実は、その高齢患 者は家族に虐待されていることをほのめかし、治療拒 否は医療者に助けを求めるサインだったのだ、②患者 が表面的には自己決定したように見えても、ナースは 患者とよく関わり、患者の真意を引き出さない限り、
患者の自己決定を尊重したことにはならない、③患者 とのこういう関わりは、ナースの感性・ハート・能力 を結集した腕の見せ所である、④行為の判断には、倫 理原則だけに頼るのではなく、ナースの徳もまたケア の心も組み合わせて、よい看護行為を導かなくてはい けない。
患者の表面的な自己決定だけから判断した学生は、
「納得しました。きれいごとではダメとわかりました」
と言った。臨床経験のない学生に、物語や事例をとお して現場に起こっている現実を伝える、よい看護・よ くない看護を考える、物事の善し悪しを判断し、そし てとるべき行為を決める、という授業を通し、「倫理 の目的は理想と現実とのギャップを小さくすること」
に近づきたいと思っている。
2. 実践・教育・研究の協働
本日のサブテーマは協働である。2009年 2月の医学 界新聞で、南裕子氏と国立病院機構の矢崎医師が対 談し、医学と看護のドッキングを話し合っていた(第 2819号)。矢崎医師は、「医師が絶対的な裁量権をもっ て医療を提供するというパターナリズムの体制では、
患者ニーズに合った対応ができなくなっている」と、
スキルミクスという語を使って医学と看護の相互乗り 入れを強調していた。南氏は、「現在のナースは責任
をとる立場での教育を受けてきてはいない、責任をと ってはじめて専門職と胸を張って言える」と、医師と の協働の課題にナースの責任をあげていた。
1.看護師の責任
責任をどうとらえるかは、個々のナースの職業のと らえ方、すなわち専門職意識を反映する。以下の事例 は、病院で実習指導をした若い大学教員が提供してく れたものである。彼女は、ある地方の消化器外科の病 棟でこの状況に出会い、大変怒っていた。
その日は患者 Yさんのドレインを抜く日で、Yさ んは朝から楽しみに待っていた。しかし主治医 W
(女医)は昼になっても来ない。Yさん担当の新人看 護師は、「患者さんが待ってるし簡単な操作だし」
と考え、近くにいる医師に頼んでYさんのドレイン を抜いてもらった。午後 3時頃、W医師がやってき た。Yさんのドレインがすでに抜かれているのを見 て、W医師はカンカンになって新人ナースを怒鳴っ た。「私の患者に勝手に手を出さないでよ」と。新 人は涙を浮かべてうなだれ、「すみません」と W医 師に謝っていた。(B大学臨地実習指導教員提供)
私はこの事例を看護師の研修でよく使わしてもら い、「この事例の一番の問題はどこだと思いますか」と 聞く。すると出てくるのは、ドレイン抜去を看護師が 勝手に判断したのがよくない、とか、ドレインは主治 医が扱うことになっている、といったことで、この教 員が怒っていた問題の核心がなかなか出てこないこと が多い。皆様はこの事例のポイントはどこだと思われ るだろうか。この教員は、「医師が看護師に向かって 私の患者に手をだすなとは何よ」、と怒っていたのだ。
ここには、看護師の責任について看護職者間に異な った見方があることがわかる。ひとつは、患者に対し て専門職としてコミットするという見方、もう一つ は、業務や規則、指示に忠実であろうとする見方であ る。後者は、矢崎医師のいう、医師絶対のパターナリ ズムの医療体制を反映している。その体制のもとで、
看護師は上に忠実であれと教えられてきた。しかしそ れが、看護師に向かって「私の患者に手を出すな」と 怒鳴る医師を生み、そして看護師が涙を流して医師に 謝るという状況を作り出している。いま、モンスター ペイシャントが問題になっているが、これは医師パタ ーナリズムの反動で一部の患者の権利意識が異常に肥 大した状況を表す和製英語と聞く。私は、看護師を怒 鳴ったこの医師を、パターナリズム丸出しのモンスタ ードクターと呼びたいと思う。
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49 2.よりよい医療をめざす協働: 実践と教育との遠慮の
克服
協働とは、目標を共有する異質の専門家が互いの専 門性と強みを尊重しあい、1+1が 2以上になる力を作 りだすこと、とここではとらえたい。臨地実習は極め て重要な協働の場であるとともに、生きた倫理を学ぶ 場でもある10。今のモンスタードクターの例では、実 習先でこの状況に出会った教員は憤りをもった。それ は、ナースの職業意識と責任の見方からくる憤りであ った。しかし、彼女はその状況に踏み込むことはでき なかったという。医師にきちんと意見を言って泣いて いる新人を擁護したかった、しかし、現場に遠慮して それはできなかったと言っていた。
我々教員は学生を実習につれていく。が、教員は現 場に遠慮し、また現場のナースも教員に遠慮すること がよくある。しかし、実践者も教育者も、将来の看護 職者を育てるという目標は共通である。互いの遠慮は 克服しなくてはならない。
3.患者が語る看護への期待
我々が進めている「よい看護師」研究11の中で、患 者たちは看護の力をこう語っていた。「先生は技術者。
手術をするまでが医者の仕事で、そこから元気になっ ていく力をつけてくれるのは看護師さんの力」、「先生 達のどうしても欠落しやすい部分を、看護師さんはマ ニュアルではなくて、ケースケースに合わせて読み取 って機転を利かせた行動をして下さった」、「先生たち は淡々と治療に徹して、あとはもっともっと看護師さ んに活躍してもらいたい」。患者がとらえ、期待する看 護師のケアは、キュアの側面も包含している。将来の よいナースを育て、よりよい看護に向け、実践と教 育・研究が力を合わせ、1+ 1は2以上になっていきた
いと思う。
今大会は、佐久大学の教員と近隣のナースたち、お よび佐久大学の学生との協働で本日を迎えることがで きた。深く感謝の意を表したい。
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