酸水酸化鉄に着目して
Chemical aspects of mineral-water arsenic partitioning : focusing on the role of iron oxyhydroxides
板井 啓明
*Takaaki ITAI *
環境省 国立水俣病総合研究センター
National Institute of Minamata Disease, Ministry of the Environment
摘 要
本稿では,ヒ素の還元溶解機構に焦点を当て,水-鉱物間の分配に関わる研究の変 遷を概説する。1900年代終盤以降,地下水ヒ素汚染は世界各地で発見され,その発 生機構に関する研究が活発に進められた。土壌や堆積物中におけるヒ素の主要な担体 は酸水酸化鉄と考えられている。しかし,ヒ素汚染地下水ではAs(III)が主体である のに対し,酸水酸化鉄に対する分配定数(Kd = 吸着態ヒ素/溶存態ヒ素)はAs(III)>
As(V)であったことから,この差を埋める要因がさまざまな角度から検証されてきた。
そこで,2000年代中盤に実施された吸着実験,インキュベーション実験,フローカ ラム実験の代表例を取り上げ,その要点を解説し,現状の理解について見解を述べた。
キーワード:吸着,酸化還元,酸水酸化鉄,ヒ素,分配係数
Key words:adsorption, redox environment, iron oxyhydroxide, arsenic, distribution coefficient
1.はじめに
1900年代終盤以降,世界各地で顕在化した地下 水ヒ素汚染問題を受け,ヒ素の生物地球化学的研究 は格段に進歩してきた。地下水ヒ素汚染は人為的,
自然発生的な事例が存在するが,後者に限定して も,汚染の形態は表 1の四種(還元的溶解型,アル カリ性脱着型,硫化物酸化型,地熱型)に大別され,
各環境の特徴も大きく異なる。自然発生的な汚染 は,環境に依存してヒ素が濃縮・放出されるために 発生する。このスイッチのオン・オフが,酸化還元 状態やpHの変化だと考えられている。四種の汚染 形態のうち,汚染の空間的規模が大きいのは還元溶 解型である。地下水涵養は,酸化的な表層環境から 隔離されていくプロセスであるため,還元的な水質 変化が生じやすく,汚染範囲が帯水層全体に及びう る。還元溶解型の地下水汚染機構としては,「酸水 酸化鉄還元説」という仮説が提唱されている。これ は,帯水層中で酸水酸化鉄に吸着したヒ素が,(i)酸 水酸化鉄の還元的溶解,(ii)ヒ酸の亜ヒ酸への還元 による脱着,により地下水中に放出されるという説 である。世界各地の汚染地下水の水質調査から,こ の説のおおむねの妥当性は支持されているが,詳細
な化学的機構に着目すると,さまざまな疑問が残さ れている。特に,酸水酸化鉄の溶解とヒ酸の還元の ヒ素溶出への寄与を明らかにすることは重要である。
このことから,2000年代中盤に,さまざまな室内実 験が実施され,水-鉱物間におけるヒ素の詳細な挙 動が明らかにされてきた。フィールドの汚染実態を 解明するには,理論研究・フィールド調査・室内実 験の総合的な実施が必要であるが,幅広い系を設計 できる室内実験の役割は大きい。各種室内実験の占 める位置を示したのが図 1であり,代表的な研究例 を示したのが表 2である。以下,①純物質系吸着実 験,②堆積物のインキュベーション実験,③フロー カラム実験,③堆積物への吸着実験の順に研究例を 示し,還元環境でのヒ素溶解機構について現状の理 解を整理する。
2.用語定義
2.1 水酸化鉄の呼称
Fe(III)は酸化的環境でさまざまな難溶性の酸化 物・水酸化物を生成する。このうち,ヒ素の吸着態 として主要なのはフェリハイドライト (ferrihydrite)
や針鉄鉱 (goethite) だと考えられている。結晶度の 受付;2016年 12月14日,受理:2017年3月24日
プロセス 特徴 帯水層
還元的溶解型
As(III)が主体 還元的,中性
高:Fe2+,Mn2+,NH4+,HCO3-,DOC 低:SO42-
沖積層または氷河性堆積物 例)ベンガル平野
アルカリ性脱着型
As(V)が主体 アルカリ性 低:Fe2+,Mn2+,DOC
検出:NO3-,SO42-
沖積層,砂岩,火山岩,結晶片岩 例)アルゼンチン
硫化物酸化型
As(V)が主体 酸化的,酸性 高:SO42-
高~低:Fe2+
非検出:DOC
基盤岩
例)ウィスコンシン(USA)
地熱型
As(III)が主体 高:Cl-,±HS-
非検出:DOC
火山地域または活動帯 例)アンデス地域 表 1 自然発生型ヒ素汚染地下水の分類(Ravenscroft et al. (2009)1)を一部改訂).
図 1 ヒ素の固液分配にかかわる室内実験研究の概念図 . 実験の具体例を紹介した section を表 2 に併記 .
代表的な研究
純物 質系 実験
(Section4)吸着実験
Manning and Goldberg (1997) 2): As(V); カオリナイト,イライト,Al水酸化物 Dixit and Hering (2003) 3): As(III),As(V); 非晶質水酸化鉄,針鉄鉱
Bostick et al. (2003) 4) Bostick and Fendorf (2003) 5): As(III); 方鉛鉱,閃亜鉛鉱,黄鉄鉱 Chakraborty et al. (2007)6): As(III),As(V); 黒雲母,白雲母
Jönsson and Sherman (2008)7): As(III),As(V); 菱鉄鉱,磁鉄鉱,グリーンラスト
構造解析
Waychunas et al. (1993)8): As(V); フェリハイドライト,針鉄鉱,燐鉄鉱,EXAFS Sun and Doner (1996)9): As(III), As(V); ゲーサイト,赤外分光
Foster (1999)10): As(III), As(V); 非晶質Al酸化物,カオリナイト,スメクタイト,EXAFS Myneni et al. (1998) 11): As(V); ギブサイト,赤外分光
競合反応
Jain and Loeppert (2000) 12): As(III),As(V); フェリハイドライト. リン酸イオン Meng et al. (2002) 13): As(III),As(V); フェリハイドライト. ケイ酸イオン Radu et al. (2005) 14): As(III),As(V); フェリハイドライト,炭酸イオン Simeoni et al. (2003) 15): As(V); フェリハイドライト,ギブサイト,フルボ酸.
天然 試料 実験
(Section7)バッチ系 Stollenwerk et al., (2007) 16): As(III),As(V); 洪積世堆積物 Itai et al. (2010) 17): As(III),As(V); 沖積世堆積物・洪積世堆積物
(Section6)カラム系 Harbel and Fendorf. (2006) 18); Kocar et al. (2006) 19); Tufano and Fendorf (2008) 20): フェリハイドライトをコーティングさせた石英砂,As(III),As(V)
インキュベー
(Section5)ション
Akai et al. (2004) 21) 沖積世堆積物; グルコース,ポリペプトン,尿素,肥料 Van Geen et al. (2004) 22) 沖積世堆積物; 酢酸
Islam et al. (2004) 23) 沖積世堆積物; 酢酸 Polizzotto et al. (2006) 24) 沖積世堆積物; 乳酸 表 2 ヒ素の吸着に関する主要な実験的研究.
高い針鉄鉱はFeO(OH)の化学式を持つ。フェリハ イドライトは結晶度が低く,化学組成も多様である が,XRDスペクトルに基づき6-line フェリハイド
ライトと2-line フェリハイドライトに分類される。
より結晶度の低い後者を別名hydrous ferric oxide
(HFO) と呼ぶ。以下では,これらを総称して酸水 酸化鉄と表記する。
2.2 ヒ素の化学形態表記法
表層環境におけるヒ素の酸化数は主にAs(III)・
As(V)である。両酸化数において,ヒ素はオキソ酸 を形成し,前者は四配位のヒ酸 (HxAsO4
3-x),後者は
三配位の亜ヒ酸 (HxAsO3
3-x)となる。両者の英語名 は,それぞれarsenateとarseniteである。英語論文 では,これらをAs(III)・As(V)と表記する場合と,
arsenate・arseniteとする場合がある。厳密な使い分 けがなされているわけではないように思われるが,
天然のヒ素の形態分析に用いられている主要な手法 を考慮した場合,地球化学系の論文でAs(III)・As
(V)と 記 載 さ れ て い る も の は,ほ ぼarsenite・
arsenateと同義と捉えて支障なさそうである。本稿
では,以下一貫してAs(III)・As(V)表記を採用する。
3.還元溶解型汚染地下水の水質特徴
還元溶解型の汚染地下水は,世界各地で見つかっ ており,特に南アジア・東南アジアでの報告例が多 い。それらの水質は,多少の地域差はあるものの,
おおむね類似している。例えばバングラディシュ
(Bangladesh)のケースでは,汚染地下水は高濃度 の鉄(II)イオン ( > 0.2 mg/L),マンガン(II)イオン
( > 0.5 mg/L),アンモニウムイオン ( > 1 mg/L),重 炭酸イオン ( > 500 mg/L)を含み,硝酸イオンや硫酸 イオンは1 mg/L以下である25)。ただし,上記イオン 濃度と溶存ヒ素濃度の相関は,明瞭でない場合が多
い25)-28)。地下水中のヒ素の化学形態については,
As(III)が主体であることが共通認識だが,As(III)/ As(V)についてはさまざまな報告値がある。ヒ素濃
度が100 μg/Lを超過するような地下水では,大半
がAs(III)であることがいくつかの研究で示されてい
る29)-31)。
4.酸水酸化鉄への吸着実験
吸着実験は,酸水酸化鉄還元説を検証する上で,
もっとも基礎的なアプローチである。地下水で観測 されるpH領域で,酸水酸化鉄へのAs(V)の分配係 数がAs(III)よりも高ければ,As(V)の還元がヒ素 の溶出機構として重要であることが支持される。こ の種類の実験で,もっともよく引用されているのは Dixit and Hering (2003)である3)。この研究では,
As(V)とAs(III)それぞれについて,フェリハイド
Fe比が吸着に及ぼす影響,吸着競合物質としての リン酸イオンの影響が評価された。図 2によれば,
As(V)はpHの上昇に従い吸着量が減少するのに対 し,As(III)はpH依存性が小さく,pH7~9の範囲 で吸着量の極大を示す。フェリハイドライト及び針 鉄鉱のゼロ電荷点(point of zero charge)は,針鉄鉱
が7.8,フェリハイドライトは8.5であり,これ以
下のpHでは固相表面が正に帯電しているため,陰 イオンをよく吸着する。一方,ヒ素は,pHに依存 して段階的にプロトンが解離するが,As(V)のpKa
が2.25であるのに対し,As(III)のpKaは9.24であ るため,主に陰イオンであるAs(V)と,主に中性分 子であるAs(III)で異なるpH依存性を示したもの と考えられる。しかし,一般的なヒ素汚染地下水の pH範囲 (6.5~8.0)における両者の吸着量に着目す ると,As(V)よりもAs(III)の吸着量が大きくなっ ている。これはヒ酸還元説とは相反する結果であ る。
この研究では,吸着量が逆転するpH (cross over
pH) に影響する要因として,共存イオンの存在に着
目している。フェリハイドライトを用いた実験系で,
100 μM (= 3.1 mg/L as P) のリン酸を添加したとこ ろ,crossover pHが8.5から7.5に低下したことを
図 2 (A)非晶質酸水酸化鉄(HFO),(B)針鉄鉱に対する As(III)(黒),As(V)(白)の吸着割合の pH 依存性.
〇は As: 100 μM,□は As: 50 μM. 実験条件は,
0.01 M NaClO4溶液,HFO: 0.03 g/L,針鉄鉱 :
(A)
(B)
報告している。この結果は,As(III)とAs(V)の相対 的な吸着量は共存イオンによって変化することを示 す。ただし,天然で観測されているほどの顕著な差 が共存イオンの影響で説明できるかは丁寧な検討が 必要であろう。リン酸以外の共存イオンについては,
ケイ酸イオン 13),炭酸イオン 14),フルボ酸15)などに ついて影響が検討されている。
天然での観測との食い違いについては,帯水層中 でヒ素の挙動を支配しているのがフェリハイドライ トや針鉄鉱でなく,よりKdの高い鉱物である可能性 も否定できない。純物質を用いた実験では,アルミ ニウム酸化物,ケイ酸塩粘土鉱物に加え,菱鉄鉱,
磁鉄鉱などのFe(II)二次鉱物,黄鉄鉱などの硫化鉱 物に対する吸着実験が試行されてきた (表 3)。これ らの中には高いKd値を示すものもあるが,もっとも 高いKd値を示すのはやはりフェリハイドライトであ る。したがって,現状ではヒ素の主要な担体として 非晶質の酸水酸化鉄以外を想定する合理性はない。
5.堆積物のインキュベーション実験
As(III)とAs(V)の溶解性の差について,天然の 堆積物を用いた実験研究ではどのような傾向が認め られるであろうか?堆積物を用いたインキュベーシ ョン実験は,Dixit and Heringの実験とほぼ同時期 に複数のグループが実施し,その結果を報告してい る。ここではIslam et al. (2004)23)の結果を解説する
(図 3)。本研究では,西ベンガル州のヒ素汚染地域 で採取した砂質堆積物を用い,好気系; 嫌気系; 嫌 気系+酢酸添加 (4 g/L); 滅菌堆積物+嫌気系+酢酸 添加 (4 g/L),以上4種類の系を設定し結果を比較
している。その結果,ヒ素の溶出は,嫌気系と嫌気 系+酢酸添加でのみ観測され,特に後者では顕著な 溶出が認められた。また,鉄(II)イオンの溶出が,
実験開始から約10日でプラトーに達しているのに 対し,ヒ素の溶出が顕著なのは20日前後であった。
用いた堆積物中ヒ素の初期形態は主にAs(V)である のに対し,溶出したヒ素の形態は主にAs(III)であ り,酸水酸化鉄の溶解よりもAs(V)のAs(III)への 還元の方がヒ素の溶出の必要条件であることを示唆 図 3 インド・西ベンガル州の地下水ヒ素汚染地域から 採取された堆積物のインキュベーション実験結 果.(a)酢酸ナトリウム 4 g/L 添加,嫌気環境で 放置 ; (b)滅菌済堆積物を使用し,(a)の条件で放 置. Fe,As 濃度は共存溶液に溶出した量を測定.
(Islam et al. (2004)23)より一部抜粋.)
表 3 中性付近における As(III)・As(V)の水-鉱物間分配係数.
鉱物 吸着種 ヒ素/固相比
(µmol/g) K(L/kg)d LogKd
(L/kg) イオン
強度 pH 出典
非晶質鉄水酸化物HFO
As(III) 830 86000 4.9 0.01 M NaClO4 7 Dixit and Hering (2003)3)
As(V) 1200 73000 4.9 0.01 M NaClO4 7 Dixit and Hering (2003)3)
goethite 針鉄鉱
As(III) 200 3300 3.5 0.01 M NaClO4 7 Dixit and Hering (2003)3)
As(V) 200 2000 3.3 0.01 M NaClO4 7 Dixit and Hering (2003)3)
siderite 菱鉄鉱
As(III) 190 830 2.9 0.01 M FeClO4 7 Jönsson and Sherman (2008)7)
As(V) 190 11000 4.0 0.01 M FeClO4 7 Jönsson and Sherman (2008)7)
biotite 黒雲母
As(III) 3.2 550 2.7 0.001 M NaNO3 7 Chakraborti et al. (2007)6)
As(V) 3.2 1800 3.3 0.001 M NaNO3 7 Chakraborti et al. (2008)6)
kaolinite カオリナイト
As(III) 0.50 11 1.0 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
As(V) 0.50 ほぼ全量
吸着 N/A 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
montmorillonite モンモリロナイト
As(III) 0.50 7.9 0.9 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
As(V) 0.50 17 1.2 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
Al hydroxide 非晶質アルミニウム
酸化物
As(III) 20.0 2300 3.4 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
As(V) 20.0 ほぼ全量
吸着 N/A 0.01 M NaCl 7 Goldberg (2002)32)
pyrite
黄鉄鉱 As(III) 55 2100 3.3 0.001 M NaCl 7 Bostick and Fendorf (2003)5)
している。
もう一つの重要な成果は,微生物反応がヒ素の溶 出に強く影響していることを示した点である。酸水 酸化鉄の還元やAs(V)の還元は,微生物反応を抑制 した系では観測されていない。インキュベーション実 験は,添加する有機物の種類によっても結果に多様 性があるが,複数の実験で微生物反応の重要性が示 唆されている21), 22), 33)。Oremland and Stolz (2005)34)
は,図 4に示した三つの微生物反応が,酸水酸化鉄 からのヒ素の脱着を支配していると指摘している。一 つ目は,鉄還元細菌がFe(III)を還元し,As(V)を放出 するプロセスである。二つ目は,異化型ヒ酸還元菌
(DARPs, dissimilatory arsenate-reducing procaryotes)
が固相表面においてAs(V)をAs(III)に還元するプロ セスである。三つめは,鉄還元能を有すDARPs (例え ばSulfurospirillum barnesii)の 働 き で,Fe(II)とAs
(III)の両方が放出されるプロセスである。DARPsに よるヒ素の可動化は,濃集場を拡散させるため,間接 的なヒ素耐性機構として働いていると推定されてい る。天然においては,これら三つのメカニズムが同時 に進行していると推定されている。
6.フローカラム実験系におけるヒ素溶出挙動 堆積物を用いたインキュベーションは,(i) As
(III)がAs(V)よりも溶出しやすいこと,(ii) As(III)
への還元は溶出の必要条件であることを示した。こ の傾向は,天然の観測と調和的であり,インキュベ ーションと純物質系吸着実験の間を埋めるアプロー チが必要である (図 1)。そこで,2000年代後半に は,両者の中間的な系の室内実験が試行されてい く。以下では,Herbel and Fendorf (2006)18)の実験 を紹介する (図 5)。この実験のポイントは大きく 図 4 微生物活動を介した嫌気性堆積物からのヒ素溶出
モデル.(a)Fe(III)還元菌,(b)異化型 As(V)還 元菌,(c)鉄還元 - 異化型ヒ酸還元菌,の三種の働 きが溶出に関わると考えられる.
Oremland and Stortz (2005)34)より引用 .
四つある。①天然のフェリハイドライトの産状に近 い状態を再現するため,フェリハイドライトをコー テ ィ ン グ さ せ た 石 英 砂 (FCS, ferrihydrite coated
sand) を用いたこと,②吸着実験と併せて脱着実験
を実施してhysterisisを評価したこと,③バッチ実 験とカラム型フロー実験の両方を試行して反応速度 に関わる要因を検討したこと,④働きの異なる微生 物を用いて酸水酸化鉄還元とヒ酸還元の相対的な重 要性を検討したこと,である。④では,具体的には Fe(III)とAs(V)の 両 方 を 還 元 す るSulfospirillium barnesii と,As(V)の み を 還 元 す るBacillus benzoevoransが用いられている。
この研究は多様な実験からなるが,背景にある問 題点を意識すると,重要な知見が多く含まれている ことが理解できる (図 5)。まず,FCSを使っても As(III)がAs(V)よりも高いKdを示すことが確認さ れた点は重要である。しかし,吸着後の脱着実験
(pH7.2のヒ素を含まない溶液による脱着試験。吸着 実験は三日,脱着実験は一日後の値) では,As(III)
がAs(V)よりも多く脱着している。さらに,フロー カラム実験でも,As(III)とAs(V)をそれぞれ吸着 させたFCS充填カラム間で比較すると,As(III)カ ラムの方が流出量が高いことが確かめられている。
この結果をまとめると,「As(III)はAs(V)よりもよ く吸着するが,より動きやすい」と解釈せざるを得 ない。このような現象を詳細に理解するには,見か けの分配比だけでなく,吸着構造に着目した解析が 重要であろう。表面錯体は,固相表面に直接配位し た内圏型錯体と,溶媒分子やイオン対を介した弱い 結合である外圏型錯体に大別できるが,As(III)は As(V)と比較して外圏錯体を形成しやすく,弱い結 合が支配的であるために流動性が高いという指摘も ある35),36)。
この実験は,他にもさまざまな示唆的な結果を含 んでいる。例えば,酸水酸化鉄の還元溶解はAs
(III)・As(V)の溶出を促進すると考えられるが,Fe
(II)濃度が高いほど,両ヒ素化学種の移動性はむし ろ減少することを指摘している。これも意外な結果 であり,高濃度のFe(II)存在下でのヒ素固定機構 はよくわかっていない。Fe(III)を主体とする水酸 化物が還元されると,菱鉄鉱やグリーンラストのよ うなFe(II)を含有する二次鉱物が生成し,ヒ素を 固定しやすくなる可能性がある。またFendorfら は,フェリハイドライトが針鉄鉱や磁鉄鉱へと再結 晶化する過程がヒ素の固定に影響すると考察してい る20), 37)。
Herbelらの実験は,純物質系吸着実験の結果を
天然と比較する際の注意点を示唆している。例え ば,実験室で吸着反応を評価する際に,脱着挙動を 同様に調べて可逆性を評価することは重要であろ う。 こ れ は,ヒ 素 に 限 ら ず 汚 染 物 質 のreactive
transport modelを構築する上で基礎的な問題を提
起するものである。
7.堆積物への吸着実験
最後に,堆積物へのバッチ吸着実験に着目する
(図 1)。筆者らは,バングラデシュ中東部で採取さ れた沖積世堆積物へのAs(III)・As(V)の吸着実験
(pH: 7.3) を実施し,各々のみかけのKd値を算出し た (図 6)17)。その結果,As(V)の吸着量はAs(III)の 約3倍という結果が得られた。また,両化学種の見 かけのKd値は,総Fe濃度とXAFS分析により推定 された鉄(III)水酸化物濃度に比例して上昇する傾向 が認められた。Herbelらによる一連の実験よりはる かに単純な試験だが,汚染地域の観測とは調和的で ある。これはどのように解釈すればよいだろうか。
合成酸水酸化鉄と天然酸水酸化鉄との表面特性の 差は検討すべき要因かもしれない。例えば,天然の 酸水酸化鉄は微生物作用で生成したもの (BIOS, biogenic iron oxides) が多いと考えられるが,BIOS への微量元素の吸着特性は合成酸水酸化鉄と異なる ことが指摘されている 38)。Sowersらは,BIOSと合 成フェリハイドライトの比較実験により,As(V)の 対表面積当たりの吸着量は,BIOSの方が三倍程度 大きいこと示した。しかし,As(III)に関しては両 者で吸着性の差が認められておらず,同一条件では BIOSに対するAs(V)のKdがAs(III)を上回らない ことも示されている39)。BIOSを含め,固相中の不 純物がヒ素の吸着に及ぼす影響は今後も検証される べき課題と思われる40), 41)。
Herbelらのカラム実験は,天然において,吸着・
脱着速度や反応の非可逆性が重要なパラメーターで
図 6 Bangladesh 中東部のヒ素汚染帯水層から採取し た堆積物に対する As(III),As(V)の分配係数と Fe(III)濃度の関係 . 分配係数は pH7.3 における 吸着実験により評価 . Fe(III)濃度は総 Fe に Fe K 吸収端 XANES から推定した酸化数を乗じて算 出.(Itai et al. (2010)17)のデータを使用.)
ある可能性を示した。しかし,筆者らの実験は,よ り単純な機構がAs(III)の高い溶解性を支配してい る可能性を示唆しており,さまざまな汚染地域で類 似のアプローチを実施することが必要かもしれな い。
8.おわりに
本稿では,4種類の室内実験を比較し,ヒ素の水- 鉱物分配に関する研究経過を解説した。筆者の主観 に基づき代表的な論文を取り上げて解説したが,各々 について,近い年代に類似の実験が複数のグループ で実施され,おおむね類似した結果が得られている ことを付記しておく。
還元溶解型のヒ素汚染地下水の形成機構につい て,As(III)とAs(V)の溶解性の差を生じる要因は 研究者間の強い関心事項であったと思われる。関連 して実施された室内実験の知見は,ヒ素の研究に限 定 さ れ な い 示 唆 的 内 容 を 含 ん で い る。 例 え ば,
Herbelらの実験において,平衡状態での固相への
分配が大きい化学種がより速い脱着を示したのは興 味深い。地下水中の微量元素の輸送速度を求める 際,地下水に対する遅れ係数はKdの関数として評 価されるが,吸脱着反応の速度差は帯水層中で吸着 平衡を仮定することへの問題提起となる。また,脱 着速度と吸着構造の関係なども,系統的に明らかに されるべき課題であろう。
アジア各地のヒ素汚染地下水発生地域では,非汚 染帯水層からの地下水利用を一つの対策として採用 している。一方で,非汚染帯水層からの大規模な地 下水利用が汚染帯水層からのヒ素流入をもたらすこ とが懸念されており,予測研究が進んでいる42)。し かし,ヒ素の分配に関する正しい理解がなければ,
流入後のヒ素の挙動予測も困難であろう。水-鉱物 系におけるヒ素研究が活発化してから既に20年ほ ど経過しているが,未だ基礎的な課題が残されてい るというのが筆者の認識である。
引 用 文 献
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環境省・国立水俣病総合研究センター・
主任研究員。2009年広島大学理学部地球 惑星システム学専攻博士後期課程修了後,
愛媛大学沿岸環境科学研究センター・助 教,2012年同専攻特任講師。2014年から フランス国立科学研究センター客員研究 員,2016年より現職。専門は地球化学・環境化学。学位取得 まではヒ素による地下水汚染の発生機構に関する研究を推進 し,愛媛大学では微量元素による環境汚染について幅広い研 究に従事。現在は水銀の生物地球化学的循環について,水銀 安定同位体比を用いた研究を進めている。