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『大日経』における大乗の概念(山本)
『大日経』における大乗の概念
山本 匠一郎
はじめに ――従来の研究史――
インド、中国、日本、チベットの諸地域における密教の展開の諸相にはそれぞれ 異なる歴史的な文脈があるはずだが、従来の研究においては「大乗から密教へ」と いう単線的な仏教思想の発展史観の図式が自明のパターンとされてきた1。しかし 密教形成のルートには、大乗・小乗・ヒンドゥー教の諸要素から発展したと捉える 見方、さらにそれを汎インド的現象としてのタントリズムとする見方があり、まさ しく大塚伸夫氏が指摘するように「密教はこのルートから形成されたと限定しては ならない」2と言えよう。とりわけインド大乗仏教の興隆者である龍樹を伝承の起点 とする真言密教の系譜のなかで、大乗仏教から密教へと展開するルートは、8世紀 以降の中国大陸と日本真言密教の教団成立史を踏まえて、インドから日本へと至る 必然的な仏教の潮流として受容されてきた。しかし、宗門の間で自明とされてきた 教団史と思想史とをパラレルなものとする見方は、経典それ自体に即してみた場合、
既知なものではないし、暗黙の前提でもない。経典の主張によれば、従来、密教経 典とされる聖典が、自らを大乗経典と主張していることからもそれを窺うことがで きよう。つまり密教という概念自体が不明確であり、密教を論じているつもりが、
当の密教が自らを密教であると認識していないのである。これについては内・外の 両者の見方があって、内面的に自らを大乗と率直に自認していたとも考えられるし、
あるいはまた外への主張として、自らの教理実践のなかに非大乗・非仏教(外教)
的な要素が含まれることを意識するがゆえに、大乗サイドに受容される(また同時 に小乗サイドを包摂する)ことを企図して、自らを大乗と自称したとも考えられ、
教団の内部(インサイダー)と外部(アウトサイダー)の両側面から考える必要が ある3。
経典をラベリングする前に、経典それ自体は自らをどのように位置づけているの かを見なくてはならない。従来の宗門的見方や、後世の経典分類法や、大蔵経の分 科といったそれぞれの立場から離れて、まず経典が主張するところを測定する作業 がなされなければならない。大乗および密教という概念自体は、そうした測量によっ
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て導き出されるものではないが、そうした作業によって、私たちを躓かせるところ の研究バイアスに気づくことができるし、従来のラベリングと、経典自体の主張と の位相差が明確になるであろう。密教経典の諸性質や特徴として考えられる諸要素
(マンダラ、灌頂儀礼、供養マニュアルなど)を、「密教経典的」であると色づけて 分類するのではなく、経典自らが語るところの区分と、大乗なり、密教なりをいか に概念規定しているかによって、その位相を測らなければならない。その測量によっ て、既成の研究方法に伴う障害や視野狭窄についても自覚・再認識されるはずであ るし、密教経典の新たなパースペクティブについて示唆が与えられるであろう。
何ゆえに大乗経典とされたり、密教経典とされたりするのか。大乗か、密教かを リトマス紙のように判定する尺度はさほど明確化されているわけではない。またそ れが見極められたとして、経典の受持者・信奉者たちはいかなる人々であったのか という素朴な疑問に対して、彼らの実態が明らかになるわけでもない。もし密教経 典とされるテクスト群が、自らを大乗経典として位置づけていたとしたら、そこで 主唱される大乗は従来の大乗と連続性があるのか、不連続が確認されるのか。もし 変質が見られるとすれば、後期大乗仏教徒における大乗の概念は何なのか。こうし た展望のもと、『大日経』の信奉者たちが捉える大乗の概念について、まずは密教 経典群の経題から検証してみたい。
タントラとスートラという語について
密教経典の呼称として、広く認知されているのは「タントラ」(tantra)である4。 タントラは「拡張する、伸ばす、(織物を)拡げる」という意味の動詞語根
√Tan
から派生した語で、「糸」という意味と密接に関連しており、「織機、経(たて糸)」を意味する。そのほかの語義として「連続、継続、子孫、基礎、基をなす原則、精 髄、法式、標準、要点、規則、教義、教範、学術的作品、摘要書、呪法的にして神 秘的なる経典(の一類)、呪文、医術、妙薬、支配」5といった意味がある。
一般に経典の呼称としてよく知られる「スートラ」(sūtra, √Siv, 縫う)という語 は6、「糸、紐、縄、たて糸」を意味し、「契経、経、経典、契線、教、直説、聖教・
法本、善語経、教えの基本線、教えを貫く綱要」といった意味がある。タントラと スートラの双方の語とも糸という意味を基盤にもち、ほぼ同内容の語義を単語中に 格納している。
この二つの語の間に、そもそも明確な差異が存在したかどうかは疑問である。な
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ぜなら同一の聖典が梵・蔵・漢の呼称において各様であったり、同一の聖典をスー トラと呼んだり、タントラと呼んだりする事例や、後世の注釈者たちによる呼称・
略称もまちまちで、およそ不統一であるからだ。
注釈書においてはタントラをどのように解釈しているのか。タントラの定義と して有名なのは、『秘密集会タントラ』の続タントラにおけるタントラの語義解釈 である7。それによれば、タントラには
prabandha「相続」
8の意味があるとされる。prabandha
には、さらにādhāra「依持」、prakṛti「自性」、asaṃhārya「不奪」(または prabheda「差別」)の三つの意味がある。後世の注釈家たちは、この三者に関して、
依持を『秘密集会タントラ』の第一分、自性を第二分以下、差別を各章で説かれる マンダラ・灌頂・成就法などの各種の差別であると解し、聖典全体の内容区分と考 えている。
タントラのチベット語( )も、糸という語と意味上の連関をもつ9。糸によっ て織られた布地、またはいくつもの珠玉を一本の糸によって貫いた首飾りなどの装 身具のように、それぞれ個別のユニットがしかるべき方法や配列によってまとめら れた作品、オーナメントというイメージを伴っているといえる。タントラの定義
である
prabandha「相続」には、紐、間断のない系列、文学的作品という意味があ
る。prabandhaは蔵訳される場合、 10であり、相続という意味のほか、流派、流 れ、連続体といった意味がある。または因果相続11、自身相続12、心相続13というよう に、もともと倶舎や中観・唯識で重視される用語として使用され、原因から結果へ と移行する際の連続性、輪廻転生の際の同一性、凡夫から仏位へといたる心品転 昇の修行階梯といった、ひと連なりの絶え間ない流れを意味している。この場合、
prabandha
はsaṃtāna
と同類の意味をもつ14。密教聖典としてのタントラとは、いわば数珠のように、異なるそれぞれの要素単 位を一つに結合した連続体を表しており、観想法・マンダラ・灌頂・成就法等の各 儀礼ユニットによって構成されるテクスト全体を意味する。全体を構成する個々の 単位としての作法・儀軌・次第の種類や、ヨーガ瞑想の深化・進展の度合いによっ て、階層化、序列化されていきながらも、全体としてタントラは、個々のテクスト としても、テクストの叢書群としても、一連なりの大系をなしている。こうした構 成単位であるとともに全体的な系列でもあるという意味内容を有するタントラの語 が、後世のタントラ分類法へと発展していくところの語表現を与えられたのも自然 な流れであると考えられよう。
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経題に見るタントラとスートラの用例
大乗経典において、スートラという経題をもつ聖典の用例についての研究には米
澤嘉康
[2012]
があり、それによれば、-sūtraを複合語の後文とする経題の用例はむしろ稀であることが知られる。またチベット訳の密教経典を中心にして、経題中に タントラやカルパの語を含む聖典についての研究に関しては、遠藤祐純
[2009]
が くわしく考察しているように、梵蔵の経題はほぼ一致するが、漢訳は一致せず「最 後に「経」を付して訳出の統一を図っている観がある」とされる15。西蔵大蔵経の 秘密部( 16)中、タントラ、カルパの経題を有する聖典で、漢訳も存する聖典と して『蘇婆呼童子経』、『蕤哂耶経』、『蘇悉地経』などがあるが、その14
例中ほぼ すべての経題が「経」を指示する17。秘密部において、mahāyāna-sūtra(大乗経)という経題をもつ聖典が、およそ
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例ある18。このなかには代表的な密教経典である『真実摂経』Sarvatathāgatatat- tvasaṃgraha-nāma-mahāyāna-sūtra
(大正蔵No.882, 865, 866)が含まれる。そうかと
思えば、いわゆる顕教の大乗経典である『仏説聖仏母小字般若波羅蜜多経』(大正 蔵No.252, Toh530 / Ota159)、『金光明最勝王経』(大正蔵 No.665, Toh556 / Ota175)
や『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』(大正蔵
No.451, Toh503 / Ota135)といった一般
的な大乗経が含まれていたり、漢訳経典中の密教部である『大乗無量寿経』(大正 蔵No.936, Toh674 / Ota361)、『一切如来正法秘密篋印心陀羅尼経』(大正蔵 No.1023, Toh507 / Ota141)、『八大菩薩曼荼羅経』(大正蔵 No.1167, Toh644 / Ota158)、『不空
羂索呪心経』(大正蔵No.1095, Toh682 / Ota366)、『仏説出生一切如来法眼遍照大力
明王経』(大正蔵1243, Toh757 / Ota416)、『虚空蔵菩薩問七仏陀羅尼呪経』(大正
蔵
No.1333, Toh512 / Ota152)、『仏説十二仏名神呪校量功徳除障滅罪経』(大正蔵
No.1348, Toh511 / Ota151)も含まれる。
少なくとも漢訳者はスートラとタントラの語の相違にはまったく配慮せずに経と いう呼称で一致している。さらに密教として分類される経典の多くが自らを大乗経 典と位置づけている。巷間言われる密教=タントラ仏教というイメージは、経典自 体が主張する立場とは異なるケースが多いことが確認され、あまり根拠があるもの ではない。整然と配置されているはずの大蔵経も、諸経典がクラスタのようにまと められているにすぎず、密教の全体像はモザイクがかかっているようである。
『大日経』の経題
『 大 日 経 』 の 経 題 は か な り 特 殊 で あ る。『 大 日 経 』 の 梵 名 は、Mahāvairo-
canābhisaṃbodhi-vikurvitādhiṣṭhāna-vaipulyasūtrendrarāja-nāma-dharmaparyāya
で あ る。ここには
vaipulyasūtra(方広経)と sūtrendrarāja(経帝釈王)と dharmaparyāya(法門)
という経題のカテゴリーを示す三つの語領域が重なって示されている。vaip-
ulyasūtra
という名称は、『華厳経』をはじめ大乗経典の一般的な呼称として知られるが、西蔵大蔵経目録では『大日経』以外には
3
例が見られる19。sūtrendrarājaとい う名称は、『大日経』以外には『金光明経』に見られるのみである20。dharmaparyāya という名称は、秘密部には『大日経』以外に用例がないが、経部、古タントラ部に12
例がある21。米澤嘉康[2012:99]
によれば「梵語大乗経典において、経典自体を指 し示す語としては、むしろdharmaparyāya-
の方が一般的」とされる。『華厳経』や『金光明経』といった大乗経典の雄と同じ経題の用例を具え、秘密部には『大日経』
以外に見いだすことができない一般的な経題の用例をも具えているのは、かなり特 殊であるといえよう。『大日経』は自らを一般的な大乗経典として位置づけている ことが知られる。
経題を見るかぎり『大日経』は大乗経典として自らの立場を位置づけているこ とが伺えるが、後世8世紀以降のインドにおける経典注釈者たちは『大日経』を
Vairocanābhisaṃbodhitantra
とかVairocanābhisaṃbodhi
と略称で呼ぶ。Buddhaguhya22、Kamalaśīla
23がそうであるし、『秘密集会タントラ』の注釈書であるPradīpodyotana
24、Caryāmelāpakapradīpa
25でも『大日経』はタントラと称される。これはもちろん経典成立期と経典流布期の数百年に及ぶ時代的・社会的背景のズ レによるものであろうが26、『大日経』の主張するところと、後世の注釈者たちが主 張するところの位相差を埋めるには、大乗と密教とがどのように位置づけられてい るかを見なくてはならない。
『大日経』・『大日経広釈』における大乗の概念
すでに『大日経』における大乗の概念については先行研究27にまとめられている ので、ここではその結論のみを提示しておこう。『大日経』は「真言行道」という 新しい仏教の立場を宣揚したが、それは従来の「大乗」に包括される概念であり28、 そのなかの神秘主義的傾向をとる立場を表明したものである。「大乗真言行道」29と いう表現がそれを指し示す。大乗における真言行道という新しい仏教部門の旗揚げ
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-(147)- は、真言行こそが最もすぐれた大乗の実践道に他ならないという、大乗のさらなる
革新を志す心性から発せられたものであろう。真言行の修習には、大乗の修習が前 提とされる。そして大乗を学ばない者は、真言門に対して信心を生じないと言われ る。真言門と称する大乗の菩薩信団(それは出家・在家を問わない)は、それまで の大乗仏教に強いシンパシーを感じて、そこに信仰基盤を置きつつ、さらに従来の 大乗を乗り越える新しい存在と自認していた。『大日経』は、自らを大乗と位置づ けるのであるが、真言門、真言道、真言行、真言行道、真言儀軌、真言乗30といわ れる密教の立場を、どのように位置づけているかを、注釈に依拠して考察していき たい。
大乗と密教との二つの立場の差異は、大乗のなかの波羅蜜門と真言門という二 分法をもって理解される。両者は、大乗における普通部門(顕教)と特殊部門(密教)
という二つの実践道における修行法の相違として区分される。『大日経広釈』は次 のように両者を位置づける。文脈は「具縁品」中、マンダラに弟子を引入する場面 である。少し長いが引用しておく。
「秘密主よ、大乗を修習していない者が、この真言を行ずる理趣を見たり、
あるいは聞くとき、ある人々は信仰を些かも生じないのであるが、その者は 過去に大乗の真言行の理趣の無辺門を修習していなかったのである」と説か れるから、菩薩とは二種類であって、波羅蜜門において修行する者と、真言 門において修行する者である。それについては、波羅蜜を修行する菩薩もま た真言行を修行し、真言門において修行する菩薩もまた波羅蜜を修行するの であって、そこでまた区分して、一つには真言を主に修習して波羅蜜を従と して行い、一つには波羅蜜を主に修習して真言を従として行う。そのように 両者を修行する者は多く、大乗の相は一つなのである。そのような大乗を過 去生において聞・思・修の門から入ることなく、実践しなかった人々は、真 言行の理趣によって、諸法を聞いたり、マンダラ等を見たりしても、信受・
歓喜を生じないのである。真言行と波羅蜜行等を過去に修習した者は、両者 ともに信仰を生じて、真言行を修習した者もまた、波羅蜜を見たり、聞いた りすれば、歓喜して信仰を生じ、波羅蜜行を修習する者もまた、真言行を見 たり、聞いたりすれば、歓喜して信仰を生じるのである。それゆえに説いて、
「いずれも過去に大乗の真言行の理趣の無辺門に生まれた者を修習すべきであ る」と言われるのである。それゆえに大乗・真言行の理趣をそのように修習
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した者は、この真言行の理趣を信じる器となるけれども、他の者たちは(器 となることは)ないというのである。31
――
波羅蜜行と真言行という大乗の実践道は、一つの大乗の両面であり、どちら か一方だけを行う者もいれば、どちらかを主あるいは従としつつ両者ともに併修す る者も多かったことがわかる32。波羅蜜行と真言行の双方とも同じ大乗であってみ れば、両者の間に優劣の差はないのかといえば、Buddhaguhyaは「真言門において 修行する菩薩」の方をより優れていると位置づけている。両者は同一側面であり、二つながら行う実践であり、一つの相であると言明しつつも、より優れているのは 真言行であるとする、その微妙な立場をさらに見ていきたい。
最勝乗としての真言行道
先の引例に続いて、文脈は『大日経』「具縁品」中、マンダラに弟子を引入して、
まさに三昧耶戒を授けようとする場面である。当箇所の『大日経』本文は、いわゆ る「阿利沙偈」といわれ、梵文が遺っている。
「この道は最勝であって吉祥を有する 大乗の海は広大である」33ということ から、「最勝乗におけるこの最妙は 理趣のとおりに住するならば獲得される であろう」ということまでには、また彼ら弟子たちを励まさんがために「大 乗のなかに生まれるであろう」34というのであるが、大乗性の因と果の功徳を ここで説くのであって、そのような乗り物をあなたは獲得するであろうと説 示するのである。
「この道は最勝であって吉祥を有する」というのは、無上菩提へと趣く道で あって、それはまた真言の理趣を行ずる道である。「最勝」というのは、声聞 と独覚の乗り物と、波羅蜜を行ずる諸菩薩たちの道より優れているからであ る。波羅蜜を行ずる菩薩の道より何ゆえに優れているのかといえば、波羅蜜 等を行ずることにおいては同等であり、かつ諸尊を歓喜せしめた上で、四支(念 誦)等の真言念誦と供養と護摩等の門から、布施等の波羅蜜の流れ( )を 断つことなく行ずるので、果を速やかに得るであろうから最勝なのである。「吉 祥を有する」というのは、至福35の相である天・人の享受する安楽と、持明等 の悉地を得ることと、あらゆる安楽の相である不住涅槃を次第に得るであろ うから吉祥を有するのである。
「大乗を生ずることが広大である」というのは、真言行の理趣は、大乗の無
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上菩提を生ずる因の最勝であるから、生ずることが広大といわれる。「それゆ えにあなた方が進むならば如来となるであろう」36というのは、そのように大 乗に通達すれば、その果は一切智者の智慧の自性法身37を得ることになる、と いうのである。38
――
以上のようにBuddhaguhya
は注釈している。Buddhaguhyaにとって最勝乗と は真言行道である。声聞・独覚・菩薩の三乗を超える、最勝乗としての真言行道な のである。真言行道は、あらゆる乗り物のなかでも最高の乗り物という意味で最勝 乗なのである。ちなみに善無畏『大日経疏』では当箇所の阿利沙偈を「祕密乘道 を稱歎す」という段落と位置づけて、菩提心の展開の諸相を説いたものと解釈して いる。蔵漢の両注釈とも、大乗真言行道たる秘密乗をもって、大乗の修行階梯の最 上位概念として位置づけている。Buddhaguhyaが上記で引用する『大日経』本文で は「最勝乗におけるこの最妙は 理趣のとおりに住するならば獲得されるであろう」となっている。この箇所は梵文が遺されているので、煩を厭わず梵蔵漢を以下に示 しておこう39。
Skt) idaṃ yānavaraṃ śreṣṭham labhiṣyatha naye sthitāḥ / Bhāṣya)
Tib)
Chin) 是乘殊勝願 汝當住斯道
――「最勝乗」(yānavaraṃ)とは、一般的には大乗を意味する語であり、同義語として、
agrayāna, anuttarayāna, uttamayāna, śīghrayāna
などがある40。より一般的なagrayāna
と いう用例では、すでに『金剛般若経』(Vajracchedika Prajñāpāramitā, 14a)に見られ、『法 華経』(Chap 3, 1v.)、『華厳経』(Gv 44)、『三昧王経』(Chap 1, 2v.)、また後期密教の『秘 密集会タントラ』(Chap 5, 1-2vs.)にも出る。諸テクスト中では大乗を意味する一 般的な用語であるが、Buddhaguhyaはこの最勝乗を大乗真言行道と位置づけて、声 聞乗、独覚乗、大乗波羅蜜門の菩薩より優れた行道であるとしている。つまり大乗 真言門の菩薩は全仏教におけるフラグシップなのである41。何ゆえに最上位とされ るかといえば、念誦法、供養儀軌、護摩等の真言行において六波羅蜜を修行するこ とによって速疾に悉地が得られるからである。その真言行における究極の悟りとは、「自性法身を得ること」であると
Buddhaguhya
は定義している。次にそうした三乗 の階位・序列の内容がどのように規定されているのかを見てみよう。-(149)-
『大日経』における大乗の概念(山本)
『大日経広釈』における三乗説と空性の段階説 ――秘密曼荼羅品――
『大日経』「具縁品」中、阿闍梨のあるべき種々相として、菩提心が堅固であり、
智慧と慈悲をもち、諸技芸に熟練し、般若波羅蜜に精通する等の諸々の特徴・属性 が説かれるが、そのなかに、「三乗の区別を知る」という徳目が挙げられている。
声聞乗・独覚乗・大乗の三乗の区別に精通していることが、阿闍梨たる者の資格と して必須なのである。『大日経広釈』では、その三乗の内容をどのように解釈して いるか、以下に見ていくことにする。
「三乗の区別を知る」と言われるのは、人無我を悟って、蘊と界等は無常・
苦・無我と悟る声聞乗の者と、それらの蘊等もまた縁起の自性と悟る独覚乗 の者と、一切法は本初より無起・不生と悟る大乗の者たちの相を分別するこ とに精通しているとされる。それについて総じて一乗を三つに分類するのは 何故かといえば、乗自体を三つに分類するものではないが、声聞と独覚の者 たちが各々そのように悟る相を分別することに精通しているとされる。42
――
諸乗の階位を空性理解の浅深に即して配当することは、すでに『大日経』「住 心品」三劫段にも見られ、いわゆる日本の真言教学においては三劫・六無畏・十住 心等の精緻な修行階位、心品転昇の過程が論ぜられる。そうした日本密教の浅略深 秘重々のカテキズムに較べれば、Buddhaguhyaの解釈は至ってシンプルである。声 聞乗・独覚乗・大乗の三乗がそれぞれ悟るところの無我説・空性思想の諸段階に精 通していることをもって阿闍梨の必須条件としているのである。さらに次の例を見 ていこう。文脈は『大日経』「秘密曼荼羅品」中、マンダラを描くに足る阿闍梨の 相についての言及である。菩提心を先にすることはまた、まさに阿闍梨の相を説いた際に、阿闍梨は 般若波羅蜜の理趣に精通し、三乗を分別することに精通しているということ 等が説かれたから、菩提心を先に理解すべきである。般若波羅蜜の理趣に精 通することは、空性の自性に精通することであるのは明白である。三乗を分 別することに精通することはまた、人と法における無我の区別に精通するの であるから、空性に精通することであるのは明白である。43
――Buddhaguhyaがここで念頭に置いているのは、先の引例と同様に阿闍梨になる ために必要な資格とは何か、という問題である。「菩提心を先にする」というのは、
菩提心には一種の資格(qualification)または証明(certification)の機能があり、灌 頂儀礼において弟子がマンダラに入るための前提条件として、菩提心の修習が必須
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とされる44。マンダラに入る前に菩提心を修習することを説くのは、『グヒヤタント ラ』、『金剛手灌頂タントラ』でも同様である45。「般若波羅蜜の理趣に精通すること」
も「三乗を分別することに精通すること」も『大日経』「具縁品」所説の阿闍梨の特徴・
属性の一つである。Buddhaguhyaは、それらの特性とはつまるところ「空性に精通 すること」なのであると言い換えている。菩提心の修習とは、端的にはいわゆる菩 提心偈46に見られるように、空性を悟ることなのである。すでに『般若経』において、
菩提心は空性の観念のもとに把握されており、空性の理解をめぐって論師たちは解 釈を重ねていき、論理学、中観、唯識、如来蔵の思想分野で相互に影響しあいなが ら空性の定義を発展させていく。こうした大乗仏教の根底に流れている空思想の展
開相を
Buddhaguhya
は念頭に置いている。『大日経広釈』における三乗説と空性の段階説 ――三三昧耶品――
もう一例、『大日経』「三三昧耶品」から
Buddhaguhya
の三乗説を参照し、さら に空性の最終段階である法無我説の内容を検討したい。三三昧耶とは、3という法 数によって統合的に仏教を把捉しようというもので、善無畏『大日経疏』は、菩提心・大悲・方便の三句が三三昧耶であるとし、Buddhaguhyaは入・住・起の三心が三三 昧耶であるとする。三句も三心も各注釈において極めて重要な用語であり、「三三 昧耶品」は短いながらも重要な章である。法数
3
について、仏・法・僧の三平等、法身・報身・応身の三平等が説かれ、三乗についても説かれている。まず法・報・
応の三身をどのように解釈しているか、見てみよう。
「三身に自在を得る」というのは、色究竟天にて遍く悟られた、まさにその ときに、一切法の空性を悟り、真如の自性となったことが、法身に自在を得 ることである。そのとき報身を顕現するがゆえに、報身の自在を得るのである。
そこから変化身を世間に顕現するがゆえに、変化身の自在を得るのである。47
(中略)「さらにまた秘密主よ、それ自体を三乗に分別すると説く」48というのは、
変化身それ自体を人無我と悟ることを信解する声聞衆たちは、声聞乗に分別 すると説く。諸法を縁起の理趣において滅して、無常と見て解脱させること を信解する衆生たちは、独覚乗に分別すると説く。法と人の両者を無我と悟 ることを信解する衆生たちは、大乗に分別すると説くというのである。49
――Buddhaguhya
は、三身と空性を関連させて理解し、ここでもまた三乗と無我説・空性の段階を対応させていることがわかる。人法二無我を悟る者は大乗であると定
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『大日経』における大乗の概念(山本)
義されているが、これは『大日経』「住心品」の三劫段に説かれる。大乗において 法無我を悟り信解行地に入るのであるが、その法無我さえも諸法本不生と悟ること によって真言門に入るのである。
以上によって三乗を分類すれば以下の表になる。
声聞 独覚 大乗
悟りの内容 蘊界等の無常・苦・無我 縁起・無常・解脱 般若、諸法本不生
無我・空観 人無我 無常 人法二無我
まとめ
多くの密教経典は、自らを大乗として位置づけている。一般に密教経典をさ すとされるタントラの語を、スートラと区別する根拠はそれほど明確ではない。
タントラの語には、諸要素の単位が一連なりになっているという意味での「相 続」prabhandhaという意味がある。多くの密教経典には全体としても個としても 系シ ン タ ク ス統的配列を見ることができる。タントラの語の観念のなかに、のちのタントラ分 類法へと通ずるところの語表現が内包されている。
『大日経』もまた自らを大乗と位置づける。『大日経広釈』では、大乗には大乗波 羅蜜門菩薩と大乗真言門菩薩の二部門があるとされ、大乗真言行道をもって最勝乗 と位置づけられる。全仏教の精緻な修行論は、声聞乗・独覚乗・大乗の三乗がそれ ぞれ悟る無我説・空性思想に対応して理解されている。日本真言密教の精緻なカテ キズムに比して、Buddhaguhyaは極めてシンプルな定義をしているが、究極の目的 であり、密教の思想特徴でもある法身の重視は外していない。大乗真言行の最終目 標は、究極の悟りである自性法身を得ることである。そしてその法身の概念もまた 一切法の空性を悟ることであると定義されている。大乗仏教の根底に流れる空性思 想によって、『大日経』もまた貫かれていることを見てとることができよう。
文献
『大日経』Skt. : J. S. Speyer[1913] Ein altjavanischer mahāyānistischer Katechismus, ZDMG 67.
cf. 松長有慶[1966]「『大日経』の梵文断編について」印仏研14-2.
『大日経』Tib. : Toh494 / Ota126. Mahāvairocanābhisaṃbodhivikurvitādhiṣṭhānavaipulya- sūtrendrarājā-nāma-dharmaparyāya.
『大日経』Chin. : 大正蔵No.848. 『大毘盧遮那成佛神變加持經』
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智山学報第六十九輯
『大日経広釈』Bhāṣya : Toh2663 / Ota3487. Vairocanābhisaṃbodhimahātantra-bhāṣya.
『大日経広釈』Vṛtti : Toh2663A / Ota3490. Vairocanābhisaṃbodhitantrasya padavṛtti-nāma.
『大日経疏』:大正蔵No.1796. 『大毘盧遮那成佛經疏』cf. 神林隆浄訳『国訳一切経』経疏部 14, 1939.
『不空羂索神変真言経』:Amoghapāśakalparāja. 『不空羂索神変真言経梵文写本影印版』大 正大学綜合仏教研究所・中国民族図書館共編、1996. Toh686 / Ota365. 大正蔵No.1092.
『金剛手灌頂タントラ』:Toh496 / Ota130. Ārya-vajrapāṇi-abhiśeka-mahātantra.
『 秘 密 集 会 タ ン ト ラ 』:Y. Matsunaga[1978] The Guhyasamājatantra, A New Critical Edition, Osaka.
参考資料
遠藤祐純[2008]『金剛頂経研究』ノンブル社
大塚伸夫[2013]『インド初期密教成立過程の研究』春秋社
山本匠一郎[2009]「『大日経』サークルの成立与件」『蓮花寺仏教研究所紀要』2 山本匠一郎[2011]「『大日経』諸説の菩提心について」『智山学報』60
山本匠一郎[2016]「『大日経』における転法輪について」『智山学報』65
米澤嘉康[2012]「大乗仏典の呼称をめぐって―sūtraの用例を中心に―」『経典とは何か(二)
―経典の成立と展開受容―』平楽寺書店
注
1)密教の成立問題を発展史的視点から捉える研究としては、古くは大村西崖『密教発達史』
(1918)があり、それ以降、近年に至るまでのインド密教の成立過程に関する研究状況は、
大塚伸夫[2013:1-8]に詳しい。
2)大塚伸夫[2013:6]
3)経典の対論者(opponent)には、インサイダーとアウトサイダーという両側面があって、
そうした二つの視点から説法の対象者の内容を捉えるべきである。山本匠一郎[2016]
4) Mvyut.「mantra-nāyava-nirgatāni(密呪中所説名)」4235, Tantram Tib. 漢「密 呪本続、秘密本続」
5)Monier梵英辞典、梵和大辞典のtantraの項参照。
6)米澤嘉康[2012:94]
7)松 長 有 慶『 密 教 経 典 成 立 史 論 』p.269. 『 秘 密 集 会 タ ン ト ラ 』p.115. Chap 18, 34-
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『大日経』における大乗の概念(山本)
35vs. prabandhaṃ tantram ākhyātaṃ tat prabandhaṃ tridhā bhavet / ādhāraḥ prakṛtiś caiva asaṃhāryaprabhedataḥ / prakṛtiścākṛter hetur asaṃhāryaphalaṃ tathā / ādhāras tad upāyaś ca tribhis tantrārthasaṃgrahaḥ /
8)prabandhaはMonier梵英辞典によれば、次の意味がある。a connection, band, tie, an interrupted connection, continuous series, uninterruptedness, continuance, a composition, any literary production.
9) はDas蔵英辞典によれば、string, chain, that which joins things togetherの意味があ る。Jaschkeは ①string, cord, ②treatise, dissertation, ③connection, relation, reference, ④ character, dispositionを挙げる。
10) はDas蔵英辞典によれば、continuityの意味があり、Jaschke蔵英辞典はa continual fl owing, the fl ow, current, streamを挙げる。
11)因果相続hetu-phala-prabandha, 12)自身相続ātma-bhāva-prabandha,
13)心相続citta-saṃtāna(saṃtati), または
14)saṃtānaとprabandhaについて、たとえばNegi蔵梵辞典では、心相続という意味
のチベット語では と の双方の用例がともにcitta-saṃtāna(citta- santati)の訳語で用いられる。citta-prabandhaの用例は、V.V. Gokhale: Fragments from the Abhidharmasamucca of Asaṃga, Journal of the Bombay Branch of the Royal Asiatic Society, New Series, vol. 23 (1947), p.43. またRatnakīrti Nibandhāvalī, Kashiprasad Jayaswal Research Institute, 1975, p127に見られる。
15)遠藤祐純[2009:68]
16)東北目録中では 十万怛特羅部、 古怛特羅部、 陀羅尼集部
(Toh360-827)に相当する箇所であり、大谷目録中では秘密部 (Ota1-729)に相当す る箇所を指す。
17)秘密部中、タントラ、カルパの経題を有する聖典中、漢訳されたものには以下の 例がある。例外的にタントラを儀軌と記す例が一つだけあるが(Toh481/ Ota114.
Sarvarahasya-nāma-tantrarāja. 大正蔵No.888, 一切秘密最上名義大教王儀軌)、その他の 13例はすべて「経」と記している。
1. Toh417 / Ota10. Hevajra-tantrarāja-nāma. 大正蔵No.892, 仏説大悲空智金剛大教王儀軌経 2. Toh443 / Ota81. Sarvatathāgata-kāya-vāk-citta-rahasyo guhyasamāja-nāma-mahākalparāja.
大正蔵No.885, 仏説一切如来金剛三業最上秘密大教王経
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智山学報第六十九輯
3. Toh452 / Ota87. Ārya-advayasamatā-vijayākhyā-vikalpa-mahārāja. 大正蔵No.887. 仏説無 二平等最上瑜伽大教王経
4. Toh466 / Ota102. Māyājāla-mahātantrarāja-nāma. 大正蔵No.890. 仏説瑜伽大教王経 5. Toh565 / Ota183. Māyāmārīcījāta-tantrād-uddhitaṃ kalparājā-nāma. 大正蔵No.1257. 仏説
大摩里支菩薩経
6. Toh566 / Ota.184. Āryā-mārīcīmaṇḍalavidhimārīcījāta-dvādaśasahasra-uddhitaṃ kalpahṛdayasaptaśata-nāma. 大正蔵No.1257. Ibid.
7. Toh604 / Ota291.Krodhavijayakalpaguhyatantra. 大正蔵No.1217. 仏説妙吉祥最勝根本大 教経
8. Toh663 / Ota342. 大正蔵No.1165. 聖持世陀羅尼経
9. Toh664 / Ota343. 大正蔵No.1165. Ibid.
10. Toh747 / Ota404. Bhūtaḍāmara-mahātantrarājā-nāma.大正蔵No.1129. 仏説金剛手菩薩 降伏一切部多大教王経
11. Toh805 / Ota428. Ārya-suvāhuparipṛcchā-nāma-tantra. 大正蔵No.895. 蘇婆呼童子請問経 12. Toh 806 / Ota429. Sarvamaṇḍalasāmānyavidhi-guhyatantra. 大正蔵No.897. 蕤哂耶経 13. Toh807 / Ota431. Susiddhikara-mahātantra-sādhanopāyikā-paṭala. 大正蔵No.893. 蘇悉地
羯羅経
18)Mahāyāna-sūtra(大乗経)を指示する密教経典として以下のものがある。
1. Toh479 / Ota112. Sarvatathāgatatattvasaṃgraha-nāma-mahāyāna-sūtra.
2. Toh491 / Ota124. Āryapañcaviṅśatika-prajñāpāramitāmukha-nāma-mahāyāna-sūtra.
3. Toh503 / Ota135. Ārya-saptatathāgatapūrvapraṇidhānaviśeṣavistara-nāma-mahāyāna-sūtra.
4. Toh504 / Ota136. Ārya-bhagavānbhaiṣajyaguruvaiḍūryaprabhasya-pūrvapraṇidhānaviśeṣavi- stara-nāma-mahāyāna-sūtra.
5. Toh507 / Ota141. Ārya-sarvatathāgatādhiṣṭhānahṛdayaguhyadhātukaraṇḍa-nāma-dhāraṇī- mahāyāna-sūtra.
6. Toh511 / Ota151. Ārya-dvidaśabuddhaka-nāma-mahāyāna-sūtra.
7. Toh512 / Ota152. Ārya-saptabuddhaka-nāma-mahāyāna-sūtra.
8. Toh520 / Ota221. Ārya-pratītyasamutpāda-nāma-mahāyāna-sūtra.
9. Toh530 / Ota159. Ārya-svalpākṣaraprajñāpāramitā-nāma-mahāyāna-sūtra.
10. Toh556 / Ota175. Ārya-suvarṇaprabhāsottama-sūtrendrarāja-nāma-mahāyāna-sūtra.
11. Toh557 / Ota176. Ārya-suvarṇaprabhāsottama-sūtrendrarāja-nāma-mahāyāna-sūtra.
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『大日経』における大乗の概念(山本)
12. Toh628 / Ota142. Ārya-vaiśālīpraveśa-mahāyāna-sutra.
13. Toh644 / Ota158. Ārya-aṣṭamaṇḍalaka-nāma-mahāyāna-sūtra.
14. Toh658 / Ota335. Ārya-mahāmeghavātamaṇḍalaparivartasarvanāgahṛdaya-nāma- mahāyāna-sūtra.
15. Toh674 / Ota361. Ārya-aparimitāyurjñāna-nāma-mahāyāna-sūtra.
16. Toh675 / Ota362. Ārya-aparimitāyurjñāna-nāma-mahāyāna-sūtra.
17. Toh682 / Ota366. Ārya-amoghapāśahṛdaya-nāma-mahāyāna-sūtra.
18. Toh721 / Ota766. Ārya-sarvatathāgata-adhiṣṭhāna-sattvālokena-buddhakṣetra-nirdeśana- vyūha-nāma-mahāyāna-sūtra.
19. Toh757 / Ota416. Ārya-mahābala-nāma-mahāyāna-sūtra.
20. Toh830 / Ota453. Sarvatathāgataguhyamahāguhyakoṣa-akṣayayanidhidīpa-mahāvratasādha- natantra-jñānāścaryadyuticakra-nāma-mahāyāna-sūtra.
21. Toh831 / Ota454. Sarvatathāgatacittaguhyajñānārthagarbhavajrakrodhakulatantrapiṇḍārtha- vidyāyogasiddhi-nāma-mahāyāna-sūtra.
22. Toh847 / Ota472. Ārya-ratnolka-nāma-dhāraṇī-mahāyāna-sūtra.
23. Toh852 / Ota477. Ārya-saptabuddhaka-nāma-mahāyāna-sūtra.
24. Toh853 / Ota478. Ārya-dvādaśabuddhaka-nāma-mahāyāna-sūtra.
25. Toh883 / Ota508. Ārya-sarvatathāgatādhiṣṭhānahṛdayaguhyadhātukaraṇḍamudrā-nāma- dhāraṇī-mahāyāna-sūtra.
26. Toh901 / Ota526. Ārya-amoghapāśahṛdaya-nāma-mahāyāna-sūtra.
27. Toh947 / Ota572. Ārya-mahābala-nāma-mahāyāna-sūtra.
28. Toh980 / Ota605. Ārya-pratītyasamutpāda-nāma-mahāyāna-sūtra.
29. Toh1064 / Ota690. Ārya-mahāmeghavātamaṇḍalaparivartasarvanāgahṛdaya-nāma- mahāyāna-sūtra.
19)vaipulyasūtraを指示する経典として以下のものがある。
1. Toh44 / Ota761. Buddhāvataṃsaka-nama-mahāvaipulyasūtra.
2. Toh99 / Ota767. Ārya-niṣṭhāgatabhagavajjñāna-vaipulyasūtra-ratnānanta-nāma-mahāyāna- sūtra.
3. Toh257 / Ota923. Ārya-sūryagarbha-nāma-vaipulyasūtra.
ま たToh847 / Ota472. Ārya-ratnolka-nāma-dhāraṇī-mahāyāna-sūtraは 法 天 訳・ 大 正 蔵
No.299『大方広総持宝光明経』と漢題ではvaipulyasūtraを示唆するが、梵文では
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智山学報第六十九輯
mahāyāna-sūtraを指示する。
20)Toh556(557) / Ota175(176). Ārya-suvarṇaprabhāsottama-sūtrendrarāja-nāma-mahāyāna- sūtra. またsūtrarājaという名称ではToh116 / Ota784. Ārya-kāraṇḍavyūha-nāma-mahāyāna- sūtraの梵題がŚrīmadāryāvalokiteśvara-Guṇakāraṇḍavyūhasūtrarājaである。
21)dharmaparyāyaを指示する密教経典として以下のものがある。
1. Toh- / Ota760. Ārya-mahāratnakūṭa-dharmaparyāya-śatasāhasrika-grantha.
2. Toh102 / Ota770. Ārya-saṅghāṭī-sūtra-dharmaparyāya.
3. Toh103 / Ota771. Ārya-acintyaprabhāsanirdeśa-nāma-dharmaparyāya.
4. Toh104 / Ota772. Ārya-tathāgatānām-buddhakśetraguṇokta-dharmaparyāya.
5. Toh274 / Ota940. Ārya-buddhamakuṭa-nāma-mahāyāna-sūtra-mahā-dharmaparyāya.
6. Toh317 / Ota983. Arthaviniścaya-nāma-dharmaparyāya.
7. Toh318 / Ota984. Ārya-arthavighuṣṭa-nāma-dharmaparyāya.
8. Toh319 / Ota985. Ārya-adbhuta-dharmaparyāya-nāma.
9. Toh320 / Ota986. Ārya-tathāgatapratibimbapratiṣṭhānuśaṃsāsaṃvadanti-nāma- dharmaparyāya.
10. Toh514 / Ota149. Ārya-buddhahṛdaya-nāma-dhāraṇī-dharmaparyāya.
11.Toh829 / Ota452. Sarvatathāgatacittajñānaguhyārthagarbhavyūhavajratantrasiddhiyogāgam- asamājasarvavidyāsūtra-mahāyānābhisamaya-dharmaparyāyavyūha-nāma-sūtra.
12.Toh854 / Ota479. Ārya-buddhahṛdaya-nāma-dhāraṇī-dharmaparyāya.
22)『大日経』の注釈がすべてタントラの語を含む。
Toh2662 / Ota3486. Vairocanābhisaṃbodhi-tantra-piṇḍārtha.
Toh 2663 / Ota3487. Vairocanābhisaṃbodhivikurvitādhiṣṭhāna-mahātantra-bhāṣya.
Toh 2664 / Ota3488. Mahāvairocanābhisambodhisaṃbuddha-tantra-pūjāvidhi.
Toh 2663 / Ota3490. Vairocanābhisaṃbodhivikurvitādhiṣṭhāna-mahātantra-vṛtti.
23)Kamalaśīla: Bhāvanākrama, Gyaktsen Namdol, Bhāvanākramaḥ of Ācārya Kamalaśīla (Bibliotheca-Indo-Tibetica 9), Central Institute of Higher Tibetan Studies, 1984, p.175, Skt.:vairocanābhisambodhau coktam.
24)C.Chakravarti, Guhyasamājatantrapradīpodyotanaṭīkā-saṭkoṭīvyākhyā,,1984, p.119. Chap.12, A.Wayman, Yoga of the Guhyasamājatantra, 1977, p.41. Skt.: Vairocanābhisaṃbodhitantre.
25)Christian K. Wedemeyer, Caryāmelāpakapradīpa, Chapter 4, Āryadeva’s Lamp that Integrates the Practices (Caryāmelāpakapradīpa), 2007, p.395. Skt.: Śrī-vairocanābhisambodhi-tantre ’py
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『大日経』における大乗の概念(山本)
āha.
26)山本匠一郎[2016] たとえば仏教の対論者が歴史的に変質していった過程が、その注釈
中に反映されているのと状況が似ていると言えよう。
27)山本匠一郎[2009:18-20]
28)他の密教経典、たとえば『真実摂経』、『金剛手灌頂タントラ』、『蘇悉地経』、『蘇婆呼 童子請問経』、『グヒヤタントラ』、『秘密集会タントラ』等も同様に、自らを大乗と位置 づける。
29)「大乗真言行道」…『大日経』D160b6 / P125a3, Skt.
Speyer[1913:35419] mahāyānaṃ mantracaryānayaṃ vidhim. 大正18, 4b7, 大乘眞言行道法/
D163a4-5 / P127a8-b1,
30)密教をあらわすサンスクリットの歴史的な語法については、松長有慶[1973]「mantrayāna,
mantranaya, vajrayāna」『印仏研』21-2参照。『大日経』の漢訳には「大乘眞言乘道」(大
正18, 5c9)という表現があるが、いわゆる「真言乗」という言葉は見出されない。『金剛
手灌頂タントラ』(D32b3 / P33a7-8. D32b5 / P33b1)に「真言乗」( )という語が 見出される。以下に蔵訳『大日経』の文字検索による用語回数を記せば、真言門(
48)、 真 言 道( 14/ 1)、 真 言 行( 12/ 16/
1)、 真 言 行 道( 5/ 3)、 真 言 儀 軌( 7/ 3/
1)、という結果になる。また松長有慶氏が次のように記す通りである。「真
言乗という言葉は、現在のサンスクリット原典にはほとんど見出されない。それに代っ て実際には真言道(mantra-naya)という言葉が多い。大部分の学者は無批判にこの真言 道を真言乗と同一視して、インド密教の大乗仏教に対する特殊性を論じている。しかし 真言の道は大乗仏教のなかの修行法として、波羅蜜の道(pāramitā-naya)と並べてあげ られるのが常である。それは大乗仏教の信奉者に対する二種の修行法の提示にほかなら ない。悟りを得るために、ある者には六波羅蜜の実践をすすめ、またある者には真言や 陀羅尼の読誦による速道を説いている。真言道といえども、大乗仏教とは異質な思想、
特殊な教説とは認められていないのである」(松長有慶『密教 インドから日本への伝承』
中央公論社、1989, p.21)
31)『大日経広釈』(Bhāṣya)「具縁品」D111b2-112a1/P136b6-137a7.
32)Buddhaguhyaによれば、大乗菩薩は波羅蜜門・真言門の両者をともに兼ねる者が多かっ
た。おそらく修行者の資質において、どちらをメインにするかということであって、両 者を主従関係とするか、兼務関係とするか、表裏リバーシブルとするかは状況に応じて
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智山学報第六十九輯
選択的なのであろう。この場合の「門」(mukhya)という語の意味が、being at the head or at the beginning, fi rst, principal, chief, eminentと記される通りである。
33)『大日経』「具縁品」からの引用文。この箇所「阿利沙偈」は梵文が残されており、
『大日経疏』でも「梵本を誦するは彌よ善し」として梵文音写を示す(大正蔵39, 628a26-b13)。
Skt. Speyer[1913:35529] eṣa mārgavaraḥ śrīmān mahāyānamahodayaḥ/
Bhāṣya. D114b4 / P141a3 Tib. D163b7 / P128a3
Chin. 大正蔵18, 6a17「此殊勝願道 大心摩訶衍」
Buddhaguhyaが引用する『大日経』本文「大乗の海は広大である」は、蔵訳では「大
乗を大いに興す」、漢訳では「大心摩訶衍」となっており、梵蔵漢三者の『大日経』と も「海」の語がない。しかし後段でBuddhaguhyaが引用する『大日経』本文では「大 乗を生ずることが広大である」( )となっており、これは蔵文『大 日経』とほぼ同じであるから、Buddhaguhyaは『大日経』本文の引用に際しては達意的 な引用をしているかと思われる(あるいはmahāyānamahodadhiか、mahāyānamahārṇava に見えたのかもしれない)。ちなみに神林隆浄訳『国訳一切経』経疏部14, p.165の還梵 では漢訳の「大心」に適うようにmahāyānamahāhṛdayaḥとするが、これだと一字多く
なりmeterが合わない。「大乗の大海」という用例については、『不空羂索神変真言経』
Amoghapāśakalparāja(77b2)にmahāyānamahāsāgaraという用例があり、『秘密集会タン トラ』(Chap 5, 3v.)にはmahāyānamahodadhiの用例がある。とりわけ『秘密集会タント ラ』の用例は後述の「最勝乗」の注にも見るように『大日経』の当該箇所の語観念を強 く意識しているように思われる。
34)Skt. tena yūyam mahāyāne śvo jātā he bhaviṣyatha // 『大日経疏』大正蔵39, 627b8-9からの還梵
(『国訳一切経』経疏部14, p.156)D163b3 / P128a7//
大正蔵18, 6a1「汝等於明日當得大乘生」
35)至福… Skt. abhyudaya. Negi蔵梵辞典による。いわゆる生天の類語の一つ
(Mvyut.5377, abhyudayaḥ, Tib. )。
36)Skt. Speyer[1913:35530] yena yūyam gamiṣyato bhaviṣyatha tathāgatāḥ /
Bhāṣya. D115a3 / P141b3 (P.
Tib. D163b7-164a1/ P128a3-4
Chin. 大正蔵18, 6a18「汝今能志求 當成就如來」
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『大日経』における大乗の概念(山本)
37)自性法身… この語は『大日経広釈』(Bhāṣya)「字輪品」D191b6 / P240b2
に1箇所、「秘密曼荼羅品」D195a3 / P244b5に2箇所の計3箇所に見られる。
38)『大日経広釈』(Bhāṣya)「具縁品」D114b4-115a4 / P141a3-141b4.
39) Skt. Speyer[1913:35543]. Bhāṣya. D114b5 / P141a3(D. . P. ). Tib. D164a2 / P128a5-6. Chin.
大正蔵18, 6a24
40)「最勝乗」の用例としては、形容詞が後分にくる熟語形としてyānavara, yānāgra,
yānaśreṣṭha等がみられ、前綴の熟語としてもparamaṃ yānaṃ等がみられ、枚挙に遑がな
い。中村元『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫, 1960, pp.145-146)ではagrayānaの語 が古層のテクストに見られないことから後世の付加とみなし「つまり、「最上乗」とい うような大乗仏教的自覚は後に成立したものであることを示している」と解しているが、
こうした選別・序列化意識を伴う語がテクストに付加されていったという点にこそ、大 乗経典生成の原動力があるように思われる。
41)漢訳では最勝道としての真言乗というニュアンスを強く押し出した表現が多い。勝行 眞言道(大正18, 12a26, Skt. Speyer[1913:35810] mantracaryānayaṃ paraṃ)、最勝眞言道(大 正18, 9a6)、最勝眞言行(大正18, 31b22)、最勝方廣乘(大正18, 45a20)、最上大乘(大 正18, 39b21)、摩訶衍行王無有上(大正18, 42c11)、眞言最上乘(大正18, 45b6)など。
42)『大日経広釈』(Bhāṣya)「具縁品」D105a1-4/ P128a2-5. 43)『大日経広釈』(Bhāṣya)「秘密曼荼羅品」D199a4-6/ P249b6-8. 44)この問題はすでに山本匠一郎[2011:51]でくわしく論じた。
45)山本匠一郎[2011:fn.15, 16]
46)「菩提心偈」とは菩提心の定義としてあまりにも有名であって、漢訳『大日経』第7巻
「増益守護清浄行品」に説かれる九方便の第五「発菩提心方便」の真言の増加の句である。
これは『大日経』「住心品」にも相当する文言が見られ、『秘密集会タントラ』にも見出 される。松長有慶[1966:854]
47)『大日経広釈』(Bhāṣya)「三三昧耶品」D248b6 / P318b5. 48)Bhāṣya. D115a3 / P141b3
Tib. D226b2 / P191a8
Chin. 大正蔵18, 42b27-28「復次祕密主。從此成立説三種乘。」
※ 2019年、智山教学大会の田中公明氏の発表で、『大日経』「三三昧耶品」中の多くの梵
文を回収したという刺激的な報告がなされた。当箇所も新発見の梵文に基づいていずれ 改稿する必要があろう。
-(161)- 智山学報第六十九輯
49)『大日経広釈』(Bhāṣya)「三三昧耶品」D249a4-6 / P319a5-8.
〈キーワード〉『大日経』、『大日経広釈』、大乗、三乗、Buddhaguhya
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