日本語学習における目標記述をめぐって
-全学日本語プログラムのCan-doリスト作成に向けて-
鈴木 美加、藤森 弘子、藤村 知子、鈴木 智美 中村 彰、坂本 恵、花薗 悟、伊集院 郁子
【キーワード】 日本語コース、目標記述、Can-do、学習のタイプ、JLC日本語スタンダーズ
0.はじめに
本稿では、東京外国語大学留学生日本語教育センターで作成された「JLC日本語 スタンダーズ」で示されたCan-do各項目について、本学全学日本語プログラム受 講学生が学生自身で「できる」かどうかをチェックしたデータの分析結果を報告す る。次に2011年度より開始した全学日本語におけるCan-doリスト作成に向けた取 り組みの概要と課題について述べ、目標記述の際の留意点や可能性についても触れ ることとする。
1.JLC日本語スタンダーズと全学日本語プログラム
東京外国語大学留学生日本語教育センターでは、2009 年に「JLC 日本語スタン ダーズ」が公開され、2011年3月に改訂版が作成され、公開がなされた。これは、
1年間の大学入学前集中予備教育課程の日本語コース(1年コース)の内容をもと に、日本語学習の初・中・上級のどの時期に何を目標とするかが示されたものであ る。日本語学習においてどの時期にどのような言語要素を活用して、どのような教 材・素材を使い、教室活動を行うかの例も示されている。
現在、全学日本語プログラム(以下、JLPTUFS)では、大学間交流留学生や研究 生、日本語・日本文化研修留学生を主な対象として日本語教育を行っている。
JLPTUFS 履修案内の各科目シラバスには、各授業担当の教師により、授業内容・
目標に鑑みてJLC 日本語スタンダーズの Can-do 記述による目標が示されている。
これにより、学生への各科目の目標の明示を図るとともに、同じレベル内の授業間 の情報の共有と有機的な連携につながっている。しかしながら、JLPTUFSでの「JLC 日本語スタンダーズ」項目の利用時の課題はいくつか挙げられる。以下に、その一 部を示す。
① 記載されたレベル以外でも、その技能が必要、または可能であること
東京外国語大学
留学生日本語教育センター論集 38 : 155 ~ 166, 2012
例・レジュメやパワーポイントなどの資料を示しながら発表できる:上級「話す」1
→必ずしも上級での目標ではなく、JLPTUFSの中級レベルでも行っている。
・研究発表会や討論会などで、臨機応変な司会進行ができる:上級「聞く話す」
→上級レベルの授業科目で、学生による司会進行を目標としない場合もある。レ ベルによって、授業内容が異なり、逆に中級レベルの授業で、小グループの発 表や話し合いで司会の役割を担当する場合もある。
・速読ができる:中級後半「読む」
→中級前半以前でも教材の難度を調整して行っている。
「速読」の定義がコース、教師により異なっていることも予想される。
② 似た内容の項目が複数のレベルに入れられていること
例・指示語がわかる:初級前半「読む」、指示語のさす語がわかる:初級後半「読 む」、指示語のさす内容がわかる:中級前半「読む」
→典型例として指示詞のさす「語」(初級後半)、「内容」(中級前半)とされてい るが、必ずしも指示詞で示されている語がわかるという目標が初級後半レベル だけのものであるとは言えない。
③ JLPTUFSの日本語コースにおける各レベルにおいて、目標とする項目とそうで ない項目があること
例・研究発表会や討論会などで、臨機応変な司会進行ができる:上級「聞く話す」
(→上記①参照)
これらは、プログラムの性質の違いにより、授業の目標及び内容が異なるために 生じており、JLPTUFSの目標、内容に沿ったCan-doリスト作成、明示が必要であ
ると、JLPTUFS運営委員会において認められた。現在、JLPTUFS運営委員を中心
にJLPTUFS全授業担当者により、JLPTUFS技能クラスとしての「聴解」「口頭表
現」「読解」「文章表現」「語彙・文法」グループに分かれ、Can-doリスト作成の取 り組みが始められている。
1 ここでは、JLC日本語スタンダーズ項目とその日本語レベルを示し、その課題となっている内容 の説明を載せる。
2.JLPTUFS受講学生によるCan-doチェックリスト回答 1)実施の概要
JLPTUFS の Can-do 目標リストを作成する目的で、JLPTUFS 運営委員会は
JLPTUFS受講学生に対し、JLC日本語スタンダーズ5技能全194項目のうち、「話
す」「聞く話す」「書く」の全項目について、学生自身ができるかどうかの回答をし てもらった。Can-do チェックリストへの回答(自己評価)は、「できる」「できな い」「わからない」の3つのうち、どれかを選択するという方法で実施した。以下 に実施時期と対象者、実施方法を示す。なお、調査対象としたCan-do項目リスト
(2011年版)は資料1に載せている。
表1 JLPTUFS受講学生によるCan-doチェックリスト実施の概要
実施時期 2010年10月下旬
(秋学期前半)
2011年7月中旬
(春学期終了時)
対象者 2 123名 74名 実施方法 レベル記入、無記名式、
Webでの回答
レベル記入、無記名式、
質問紙への回答
2)Can-doチェックリストの回答の傾向
2010年度と2011 年度のCan-doチェックリストへの回答結果について、分析の
ために以下のことを行った。
①各項目について、レベルごとの回答の傾向をグラフにする。
②各項目について、レベルごとの傾向を調べる。レベルが上がるに従って、「で きる」の回答が増えているかどうかを分析する。
a)各項目のレベルごとの回答の傾向
2010年度と2011 年度のCan-doチェックリストの回答の傾向を図1、図2に示
す。本稿では、紙面の関係で「話す」の項目を中心に載せる3。
図1、図2を見ると、初級前半の項目は、「できる」の回答者が多い。2010年度 の調査は学期初めの実施、2011年度調査では学期終わりの実施であったことから、
2011年度の調査では、おおむねどのレベルでも2010年度調査より「できる」の回
2 JLPTUFSの「集中日本語」・「総合日本語」科目の受講学生を主な対象者として実施した。「総合
日本語」受講者のほとんどは技能クラスを1~複数コマ履修している。JLPTUFS科目一覧は、
以下のURLのp.4に掲載されている。(http://www.tufs.ac.jp/intlaffairs/ international_student/
doc/2011fall_outline_J.pdf)
3 2011年度には、JLC日本語スタンダースが改訂され、調査項目もそれを反映させた。そのため、
「話す」の項目数は2010年度は65、2011年度は70となり、5項目(Q10,Q23,Q24,Q38,Q55) 追加されている。
答が増えていることがわかる。また、レベルを通して見ると、上のレベルの者ほど、
「できる」の回答が増えている。しかし、項目によっては、「できる」回答がレベ ルが上がっても増えず、変動が見られる項目もある(例 2010年度項目11、14、
19、35、2011年度項目35、38など)。
b)レベルの違いと「できる」の回答の伸びの関連
各項目について、日本語レベルが上がるほど「できる」と答える回答者が増えて いるかを詳しく分析するため、レベルと「できる」の回答者数との相関を調べ、統 計的に有意に関連があるかどうかを調べることとした。各年度の各Can-do項目の 結果をもとに、レベルと回答者数の関連をスピアマンの順位相関係数を算出し、分 析した。2010年度の調査を表2に、2011年度の調査を表3に示す。表中の緑色は、
その項目について、レベルと回答者数の間に有意な相関(5%水準)が認められた ことを、黄色は、有意傾向が見られたことを示している。
先の図1、図2を参考にしながら、表2、表3を見ると、初級前半以外の多くの 項目について、有意な相関が見られることがわかる。つまり、JLC日本語スタンダ
ーズのCan-do項目の多くは、レベルが上がるほど「できる」と答える回答者が増
えており、全体としては全学日本語の受講者のレベルの違いを反映した結果となっ た。
初級後半の項目については、特に表3で相関が見られなくなっている。学期初め にはできなかった学習者が「できる」ようになり、ほとんどの学習者ができるよう になったことでレベル間の差が見られず、有意な相関が認められなくなったと推測 される。
個々の項目について見てみると、上のレベルの学習者が、初級・中級レベルとし て示された項目について、すべて「できる」と回答しているわけではないことがわ かる。また、学期終わりの調査(2011 年度)では、その学期の授業での関連項目 の学習の有無が「できる」「できない」の回答傾向に影響を与えていることがわか る。例えば、「相手の誤解を解くための説明ができる」(No.70)は、「できる」の回 答者が300レベルで62%、400レベルで33%、500~700レベルで67~75%であっ た。300レベルの授業では「日本で驚いた経験」や「自国の人々が困っている問題」
を取り上げ、作文を書き、その上で日本人学生を交えた小グループでの話し合いを 座談会形式で行った。話し合いの中では提題者の学生の国だけでなく、参加者の国 の事情について質疑応答がなされた。その中での説明をした経験から、「できる」
と答えた者の数が多い結果になったと推測される。
表2 日本語レベルと各レベルの「できる」の回答数との相関係数(2010年度秋学期初め)
表3 日本語レベルと各レベルの「できる」の回答数との相関係数(2011年度春学期終わり)
3.Can-doリスト作成にあたっての取り組みの概要と課題 1)JLPTUFSのCan-doリスト作成の取り組みの概要
上記に挙げたJLPTUFS受講学生によるJLC日本語スタンダーズのCan-doチェ ックに加え、2011 年度前半に、各技能科目授業担当者が集まり、レベルを超えた 学習目標及び授業内容の突き合わせを行った。その結果、各技能科目の担当教師が お互いに各レベルの授業の目標及び内容、課題についての情報の交換、共有ができ、
技能科目の目標及び内容に、より一貫性を持たせたコース運営を可能にする一歩と なった。2011年度末には、各技能におけるCan-doリストの試行版を作成する予定 である。
2)JLPTUFSのCan-do項目リスト化の今後の課題及び可能性
上記1)での授業担当者の授業目標及び内容の突き合わせを行った結果、目標を リスト化するにあたって問題があることがわかった。現段階におけるJLPTUFSの
Can-do 項目リスト化に関し、今後の課題及び可能性として、以下の点が挙げられ
る。
①複数レベルでの同タイプのCan-do
複数レベルで似たスキルの習得を目標としたり、授業内容が似ていたりすること がある。例えば、「談話(文章)中の因果関係が説明できる」という目標は、初級 後半から上級までの範囲で必要とされる項目である。レベルごとの特徴付けが必要 になるが、使用言語要素や扱う談話・文章、タスクの種類(難度)などにより行う ことができるだろう。塩澤他(2010)は、CEFRのCan-doを「条件+話題・場面+対 象+行動」で示している。「対象」とする談話(文章)のレベルを明示し、条件(例 えば「辞書を使えば」など)を設定したりすることにより、レベルごとの特徴付け は可能になるだろう。
②初級の「集中日本語」と中~上級「総合日本語」で扱う技能のCan-doリスト化 週1回の技能科目を設定していない初級レベルの技能のCan-do項目については、
週10コマの「集中日本語」授業でのCan-doを入れる。中~上級の「総合日本語」
(レベルにより週2~5コマ)で取り上げている技能もCan-do項目として示すよう にしたい。
③受講学生の状況に合わせた「アカデミック・ジャパニーズ」のCan-do設定 JLC日本語スタンダーズでは、大学の授業内で必要とされる「アカデミック」な 場面に焦点を当てた狭義の「アカデミック・ジャパニーズ(AJ)」を範囲として いるが、JLPTUFS の各技能の科目では、AJをもう少し広くとらえ、大学等での 人間関係の構築や、日本あるいは大学での様々な学習者自身の気づき等も視野に入 れ、目標設定をするべきだろう。
④「技能」科目と「総合」科目でのCan-do明示と内容の明確化
技能科目の目標を提示する際、同じレベルの「総合日本語」科目との関係を明確 にしておく必要がある。
⑤技能を支える言語要素習得の位置づけの明示:文法・語彙
総合日本語とは別に設定している「語彙・文法」科目は、技能の目標を設定する ことは難しい。しかし、技能を下支えする言語知識として重要であり、各レベルで 履修学生数も多い。①語彙や文法に関する意識を高めることや、②正確に理解し、
使えるように自信をつけることは、技能でのCan-doにつながる。どのようなリス ト化ができるか検討中である。
⑥態度・意識のCan-doの可能性
技能別のCan-doではないが、「日本語学習の選択を続ける(意欲を持つことがで
きる)」のように、態度・意識の面での目標を立てるのはどうか。態度の変容は長 いスパンでとらえる必要があるが、技能別なら「学生自身の意志で、授業外で日本 語の新聞を開き、どんな記事があるか読んでみる(選択をする)ことができるよう になる」のような項目も可能であろう。
4.終わりに
本稿では、現在進行中の JLCTUFSの Can-do 化に向けた経過をまとめ、①学習
者自身のCan-do 自己評価の結果、②現在のJLCTUFS の取り組みについて紹介し
た。
ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR: Common European Framework of Reference for Languages)が確立され、ヨーロッパだけでなく世界の言語教育に影響を与え始め ている現在、日本語教育においても世界の多くの機関でCEFRを参考に教育の目標 を明示し、教育の改善の試みが進められつつある。JLCTUFS のプログラムについ
ても、日本語の特徴や習得上の課題を検討しながら、JLC日本語スタンダーズを踏 まえ、CEFRを参考に、今後も検討、改善を図っていきたい。
参考文献:
塩澤真季他(2010)「言語能力の熟達度を表すCan-do記述の分析-JF can-do作成 のためのガイドライン策定に向けて-」『国際交流基金日本語教育紀要』第 6 号、pp.23-39.
東京外国語大学留学生日本語教育センター(2011)「JLC 日本語スタンダーズ 2011 改訂版」
根岸雅史(2008)「英語教育における最近の評価の動向」『日本語教育』136 号、
pp.49-58.
資料1 Can-do 項目リスト(2011 年版:紙面の関係で「書く」は一部のみ掲載する。)