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Mark TwainのPudd'nhead Wilsonにおけるidentity とWilsonの役割

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Mark TwainのPudd'nhead Wilsonにおけるidentity とWilsonの役割

著者 武田 貴子

雑誌名 主流

号 45

ページ 85‑97

発行年 1984‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014960

(2)

Mark Twain の Pudd'nheadW i l s o n   における i d e n t i t yと Wilson の役割

武 田 貴 子

85 

Identityの確立の困難さというテーマに注目して,Pudd'nhead  Wilson を見ると ,Barry  Woodの言葉を借りれば,P. W.はまさしく, a 1aby‑ rinth of 108t  ideiltities  or secret identities

, 

appearances which look real

, 

disguises which symbolize ra1ity"2である.

r

迷路」とたとえられているよ うに,乙の小説の中の identityに関する描写,言及は実に多く, それらは 複雑である.しかし,その中でも, appearanceと hiddenrealityの混乱が 多くの場合,問題にされてきた.そして, identityが問題となる人物に焦点 が当てられがちであり,特に物語の protagonistである似非 TomDriscoll  に集中している観がある. というのも Tomの役割の中には実に様々なレ ベルでの ideni:ityの混乱が見られるからである. そ こ に あ ら わ れ て く る Mark Twainの identityの認識は複雑であり,それは多くの批評家の意見 の分かれる理由でもある.しかし,いずれにしても,その対象となっている のは identityが問題となっている人物であり,その identityを認める社会 の方には目が向けられてはいない.

ことでは,乙の物語の題となっているにもかかわらず¥不当なほど注意を 払われなかった Wi1sonの役割を分析し,そこにあらわれる MarkTwain  の社会への批判を明らかにしたい.そして,その視点より,改めて Tom と Chambersの子供とり替え劇を見ることによって, Mark Twainの identity3の認識を理解する一助としたい.

(3)

86  Mark Twain Pudd'nheadWilson 

Pudd'nhead Wilson は, この小説の題となっているにもかかわらず, 彼 の果たしている役割は, プロットに関して言えばそれほど大きいものではな い. Wilsonが登場するのは, Roxanaにすり替えのきっかけとなる言葉を かける最初の場面と9 その子供のすり替えの事実を立証してみせる最終の部 分においてである. それらは共に重要な場面ではあるが, その間20年 以 上ζl 及ぶ話の流れには,直接, 関わってはいない.

Wilson カえ プロットにおける一人の登場人物として充分に発展させられ た人物でないことは, Mark Twainの次のような言葉からも推察出来る.

1 have never thought of Puddnフuad[PuddnheadJ as a character,  but only  as  a piece  of machinery‑a button  or  a crank or lever, 

mitha useful function to  perform in machine,but with no dignity  above that.< 

このことからも, Wilsonが登場人物としてよりもァ機械の中の「ボタン」

や「レバー」のよう lこ,物語を裏で進行させていく役割を担っていることが わかる

らず,

、、,

~つ.

メインプロットにおいてさほど表だった行動をしないにもかかわ この物語の題となっているのは9 この物語の鍵的存在だからといえ また, 物語の最初と最後の部分で重要な役割を果たしているというこ とは,物語の‑7乏の「枠組JCframe) としての役割もおる.加えて,各章の 初めに与えられているれアilson'sCalendarは各章の「枠組」でもある. の九司Tilson'sCalendarもまた, プロットと何ら関連がないように見えながら,

実はその章を解釈する鍵ともなっている.

というテーマlこ;生白して 次に identitv

彼は社会が与える

この Wilsonを解釈してみると,

った identificationの犠牲者であるといえる. 彼の本来 の名 lま David  Wilson であり, 一 旗 あ げ よ う と し て 東 部 か ら Dawson's  Landing にやってくるよそ者である. しかし,弁護士としてー財産をつくる

(4)

Mark Twainの Pudグ珂 headWilson  87  ために来たにもかかわらず,彼は町i乙来た最初の日に失敗するととになる.

彼の紹介のため,町の人達が集まっている時,遠くで吠えている犬に対して,

彼は「あの犬の半分が僕のものだったらナァ……jと言う.何故かと尋ねる 町の住民に「僕のものである半分を殺してやりたいんだがナァ」と答えるの である.その時の町の住民の反応は,言葉を字義通りに受けとってしまうも のだった.残りの,犬の半分が生きているとでも思ったのだろうかという町 の住民の反応は,すぐさま, Wilsonは Pudd'nhead"であるという評価へ と変わる.その事はあっという聞に町に知れわたり,一週間もしないうちに,

WilsonはDavidという本来の名を失い, Pudd'nhead"というニックネー ムを冠せられるようになるのである.

Wilson ~L ,“ Pudd'nhead" という蔑称をつけて,愚者という誤った iden­

tificationを与えるのは Dawson'sLandingの社会であり,その地域的な偏 狭さ (provincialism)からである.との町でWilsonの皮肉や機智に富んだ 風刺のきいた言葉を理解するのは, 町の知識人である Driscoll判事とよそ 者である LouigiとAngeloの双生児だけである.Driscoll判事が, Wilson 

の馬鹿でない乙とを示すために, Wilsonの風刺のきいた Calendarを町の 者に聞かせれば,ますます,彼らは Wilsonを "Pudd'nhead"と決めつけ るといった具合で、ある.Wilsonの価値を正しく評価出来るのは, Wilsonと 同じように,知識人であるか,あるいはよそ者であるかだけである.機智や 風刺の精神を持たない Dawson'sLandingの社会は, Wilsonの東部で培か われた機智や風刺を評価することが出来ないのである.

Wilsonが,町へ来た最初の日ζ失敗した乙とを,l Mark Twainは物語の 中で次のように書いている.

. he (David Wilson] made his fatal remark the first  day he spent  in the vi1lage, and it gauged"  him.

乙の引用符は,Mark Twain自身のものである.fatal  remarkとは前述

(5)

88  Mark Twainfdd'nheadWilson 

の犬ζl関する警句を指すのである.それがまさしく, Wilsonを, gauged"

一一ー「測ってしまった」のである. gauged"にMarkTwain自身が引用符 をつけた乙とを考えてみれば,そ乙に MarkTwainの主張を誤みとること が出来るであろう.機智や風刺の精神を持たない Dawson's Landingの社 会は, Wilsonの才能を正しく「測るJ乙とが出来ないのである.I測る」人 達が誤っていれば,その結果はやはり誤りである.

Wilsonは,最終的K彼の才能を発揮する機会を与えられるまで, ζの誤 った identificationすなわち,この Pudd'nhead"という蔑称のために,弁 護士としての仕事にっけないままで20数年を潰してしまった犠牲者である.

社会が個人に与える identificationがいかに恋意的で,時として,過ちに満 ちたものであるかを Pudd'nheadWi1sonを通して, Mark Twainは示唆 しているのである.そしてその悲劇が20数年以上も続くところに,その社会 の identificationが容易に払拭きれない強固なものであることが示されてい る.Mark Twain は AlbertBigelow Paine I乙次のように述べている.

Pudd'nhadWilson came into my mind as  an example of that un‑ fortunate type of human being who

, 

misunderstood at the  moment  of entering newcommunity, may spend a lifetime  trying to  live  down that blunder, especially if  he gtscatalogued by some ridicu‑ lous nickname.  Of cource, in  my story 1 brought Wi1son out trium

phant at the end, but it  is  not always so in  life.  Many a man had  been labeled a fool, and has died with that label sti1l on him, when  the community might very well have gone to  him for  wisdom and  counsel,7 

乙のように, Mark Twainの頭の中には,誤った identificationのために 一生あざけりの言葉を浴びせられた不運な男のタイプがまずあった.たしか に,物語の中で Wilsonは最後に勝利を得ているが, Mark Twainの意識 はWilsonの20数年間の悲劇の方に強く向けられていたといっても過言では

(6)

Mark Twainの Pudd'headWilson  89  ない.Wilsonの最終的勝利にもかかわらず最初, Wilsonの悲劇という題を 考えた乙とにも,その MarkTwainの意識があらわれている.

Wilson's  Calendarの最初が次の言葉であったことを思い出すとさらに Mark Twainの意図は明らかになるだろう.

There is  no character, howsoever good and fine, but it  can be de‑ stroyed by ridi'cule,howsoever poor and witless.  Observe the ass,  for instance: his character is about perfect, he is the choicest spirit  among all the humbler animals, yet see  what ridicule has brought  him to.  Instead of feeling complimented when we are called an  ass, we are leβ doubt.8

ここで,Mark Twainはあざけりの比除となるロパも 「その品性は善良 にして欠くるところなしというに近く,全ての動物の中で最上等の精神の持 主である」と述べる.そして,そのような挿捻によって「いかに純良高雅な 知性といえども,崩壊せぬものはない」と言うのである.これは社会の与え るレッテノレがいかに実体と異なるか,すなわち,社会の identificationがい かに誤っているか,そして,それによってもたらされる悲劇を指摘している のである.この Calendarが章の初めにではなく,この物語の初めに冠せら れていることを考えると, 乙の誤った identi五cation とその悲劇に対する Mark Twainの認識がこの小説全体の底流となっていることを暗示するも のである.それ故, Wilsonの役割は, この物語の一種の「枠組」的なもの であり,物語の流れに直接関与する乙とが少なくとも,全体を解釈する際の,

鍵となる象徴的役割を担っているのである. そして, そ の Pudd'nhead"

Wi1sonが象徴すると乙ろのものは,社会の与える identificatIonの不確か きである.

もうーつ重要な役割を MarkTwain は Wilsonに与えている.それは,

唯一確固たる identityを示すものとして, そして,事件を解く鍵としての 指紋の紹介と, 乙の指紋によって Driscoll判 事 殺 し の 犯 人 と Tomと

(7)

90  Mark Twainの Pudd'nheadWilson 

Chambersのすり替えの事実を明らかにする役割である.当時,指紋の特性 はー科学雑誌に発表されただけで,一般には,知られていなかった 小 説 の中では, Wilsonが町の人々の指紋を収集しているが,それも奇妙な趣味,

または Wilsonの Pudd'nhead"ぶりを示すものとして,町の人々からは 見られている. しかし,乙の指紋を証拠として, Driscoll判事殺しの犯人と TomとChambersのすり替えの事実を明らかにするのである.その事件の 解決と同時に Wilsonは20年以上に及んでつけられてきた Pudd'nhead"

という汚名を撤回するζとになるのである.

乙の指紋によって Driscoll判 事 殺 し の 犯 人 と 子 供 す り 替 え の 事 実 を 法 廷で立証してみせる Wilsonの 姿 は , 一 転 し て 英 雄 的 で す ら あ る . そ の Wilsonは次のように指紋の特性について述べる.

Every human being carries  with him from his  cradle to  his  grave  certain physical marks which do not change their character, and by  which he can always be identified‑and that without shade of doubt  or  question....  this  autograph [i. e.  finger  prints]  canrtot  be coun.  terfeited, nor can he disguise it  or hide it  away, nor can it  become  illegible  by the wear and the mutations of time.lO 

このように述べられた指紋の特性は,指紋がいかに確園とした identityの 拠り所となるかを示している. それは裏返せば, 指紋以外の identification の拠り所が,いかにもろく不確実であるかを物語るものである.指紋という 絶対的な identificationの拠り所によって,社会の identi五cationの不確か

さを対照的に浮かび、あがらせているのである.

法廷での Wilsonの活躍ぷりは町の住民の Pudd'nhead" というレッテ

Jレを払拭するのに充分であった. 乙れは Wilson自身に社会が与えた ider

tificationの誤りを指摘するものである.同時K,そのような誤った identi‑ ficationをした Dawson'sLandingの無知蒙昧なprovincialismをあらわに する.乙こで Wilson K課せられている役割は,子供すり替えにおける社会

(8)

MakTwainの Pudd'nheadWilson  91  の identificationの誤りと Wilson自身における社会の identificationの誤 りの双方を明らかにすることであり, いずれも, その誤りの identification をした社会に警鐘を鳴らす乙とである.

ζのような Wilsonの担っている役割を鍵として,メインプロットである 白人と黒人のすり替え事件を見てみると,黒人差別を築いた社会の方により 目が向けられてくる. 白人と黒人の混血である Roxanaとその息子は,共 lと,外貌は白人と全く変わらないにもかかわらず,乙の Dawson'sLanding  の属している南部社会では黒人奴隷という identi五cationを受ける.そこの と乙ろを,・MarkTwainは物語の中で次のように表現している.

To all  intents and purposes Roxy was as  white as  anybody, but  the one‑sixtenthof her which was black out‑voted the other fifteen  parts and made her a negro.  She was a slave, and salable as such.  Her child was thirtyoneparts whit,巴and he, too, was a slav,巴and  by a fiction of laω and custom a negro. [Italics  mineJll 

わずか1/16や1/32であっても, 黒人の血が混じっていれば, 顔が白人と 変わらなくても,黒人奴隷とされる.奴隷とはもはや人 (person)ではなく 財産 (property)であり,従って salable"である.白人と黒人奴隷の間に ある境界線の溝は深いのである. しかし,その奴隷制も南部白人社会がっく り上げた「法と慣習という虚構」であり,その虚構によって Roxana親子 は皮膚の白い negro"となる訳である.

Mark Twainは,物語の始めに Roxanaの外面的措写に10行ほども割い ている.彼女の皮膚がパラ色で,髪,瞳は灰色であったという描写のみなら ず,彼女の動作には気品と優美さがあり,顔は知的で美しくさえあったと描 写している.このような彼女が頭に黒人女特有のハンカチのターバンを巻き,

黒人奴隷特有の言葉を話すというのは,人の意表をつく姿である.皮膚の色

(9)

92  Mark Twain Pudd'nhead1‑Vilson 

の違いで,歴然とした差別の境界線を引いていた南部社会にあっては,彼女 の姿は freakであるといえよう. 皮膚の白さ故に築き上げてきた白人優位 の社会が, 皮膚の白い彼女に黒人としての identityを与える一一一それは白 人の持つ,黒人差別という identificationの矛盾をつくものである. Mark  Twainが,人の identityの問題を考える時,黒人差別という identification の在り方,すなわち黒人奴隷制の問題を抜いて考えることが出来なかったで あろうことは容易に想像出来るだろう.あるいは,その奴隷制が identityの 問題を彼に考えさせたと言えるかもしれない.

Mark Twainは, Roxana によって, この identi五cationの矛盾をさらに ついてみせる. というのは, Roxanaが1/32黒人の血の混ざった息子と主 人の嫡子である白人 TomDriscollとすり替えてしまうからである.黒人奴 隷となるべき運命にあった Roxanaの息子は白人の若主人 Tom Driscoll  として社会に受け入れられるのである.逆に,白人の本当の Tomは黒人奴 隷 Chambersとして,すなわち, Roxanaの子として扱われるのである.

Roxanaが子供のすり替えを思いつくのは fJll下に売るJCsell  down the  ri刊のという主人の言葉に怯えて,子と共に自殺を図ろうとする時である.

彼女はこの世の最後にと,自分の息子に,主人の子供の上等の衣服を着せた 時,着飾った彼女の息子が主人の子と較べて,遜色のない乙とに気付く.同 時に,二人の子供が裸の時,主入が,どちらが彼の子供かと尋ねた乙とを思い 出すのである.Roxanaはもちろん二人の子供が裸の時も区別する乙とが出 来るが,彼女をとりまく社会にとってその二人を区別しているのが衣服だけ であることに気付く時,彼女はすり替えを思いつくのである.彼女は, 'Tain't no sin‑‑white folks has done it!" 12 と自らを正当化して,子供をすり替 えるのである.

確かに,黒人奴隷制という差別は白人の社会がっくり上げたものである.

まさに, whitefolks  hasdone it!"である.白人と黒人の差別が自に見え る皮膚の色の違いによるものならば,今,自に見える範囲で区別のつかない

(10)

Mark TwainのPudd'nheadWilso 93  裸の赤ん坊達が,片や白人の若主人として,片や黒人奴隷として育てられる 乙との理不尽きが乙乙では明白である.ただ衣服という外見だけが,社会の identificationの決め子であり, 乙の差別を助長しているのだという, Mark  Twainの社会への批判を読みとる乙とが出来る.

衣服が人の identityの決め手であるという事実に MarkTwain は早く から関心を持っていたようである.乙の物語より13年前に出版された『王子

と乞食』の中でも, とのテーマを扱っている. 乙の小説は王子と乞食が着て いる衣裳を交換する乙とから起こる身分転換是認である.この中においても,

無邪気に衣裳を交換した二人の子供達を通して,衣裳だけが人の identityを 決めている大人の社会を MarkTwain は笑いの中にも鋭く批判しているの である.

乙うして,衣服一枚を交換するととによって,黒人奴隷とされるべき運命 にあった Roxanaの息子は白人似非 TomDriscollとして,そしてその一 方,白人の若主人となるべきはずであった者は,黒人奴隷として, 20年以上 そ過ごすζとになる. しかし,乙のすり替えが判明した時点においても,

『王子と乞食』の結末のように,めでたし,めでたしとはならない.当然,

乙のすり替えの事実は, Dawson's Landingの小さい町を大きく揺り動かす ものであった.

1 似非 Tom Driscoll は白人から黒人奴隷に転落し, し か も 彼 の 犯 し た Driscol1判事殺しの罪のため,人 (person)ならば,終身刑のところ,奴隷 という財産 (property)になったため,川下に売られる乙とになる. もはや,

人ではなく単なる財産となってしまった似非 TomDriscollの結末,加えて,

川下に売られる乙とが,当時,どのような乙とであったかは,J11下に売られ ると聞いた Roxanaが自殺を図ろうとする乙とからも理解出来よう.

また,白人であることが判明した本物 TomDriscollは奴隷の身から解放 されて,幸福になったかと言うと,実は奇である.彼はすっかり身について しまった黒人の言葉と所作のため,白人社会にいたたまれず, さりとて,

(11)

94  Mark Twain PuddπheadTilson

「心安まる黒人の教会席」にも戻れないという哀れな結末を迎える.乙のよ うな20数年に及ぶ異った社会環境はこの二人をもはや元の位置に戻れなくし てしまっている.乙の小説においては,衣裳による社会の identificationが 人聞をどれほど強く規定するかというととに対する MarkTwainの認識は 13年前の『王子と乞食』ほど単純ではなくなっている.

白人でありながら,もはや白入社会に戻れない本物の TomDriscollの結 末K,因習的な黒人蔑視の基盤が人種本来の違いよりも,置かれた環境によ るものが大きい乙とを MarkTwainは示しているのである.同時に,社会 という環境が個人にもたらす影響の大きさ,言いかえれば,社会が個人に与 えるレッテノレーーidentification‑ーが, レッテノレどおりのものを個人の内に 形成していく力の大きさを知っていたと言えるだろう.

Mark Twain は 20世紀に入って ErikH Eriksonが 明 ら か に し た idntityの概念も,また,その外的環境と identityとの関連日も,もちろん 知る由はない. しかし,たとえ,強く意識していなかったとしても,社会が 個人に与える identificationが個人の identity‑を形成していくプロセスを Mark Twainは把握していたのである.本物 TomDriscollは黒人として 育てられる環境故に黒人としての identityを無意識のうちに形成していく 訳であるが, 白人と判明した時点で, 彼はその黒人奴隷の identityを失う のである.その時,黒人奴隷としての identityは彼の identityのすべてな のである.本物 Tomは白人の居聞に白人としてすわることが出来ず,従っ て, I白人の居間が恐くてたまらずJ,その苦悩はまさに失なわれた identity の苦悩だと言わなければならない.

このように, identity形成のプロセスにおいては,社会の identification  がidentityを形成する力を持っている.そして,社会の identificationが誤 りであっても,その社会に育つものには,その誤りは見えないのである.

Dawson's Landingが当然の乙ととして受け入れている奴隷制が afiction  of  law  and custom"  Cltalics mineJであることを指摘するためには,よそ

(12)

Mark TwainのPUi'nheadWilson  95  者である Wi1sonの視点が必要なのである. Wilsonが東部で育ったよそ者 である乙とは, Mark Twainが, Wilson に与えた役割の上から必要不可欠 な条件だったのである.

Wilsonがすり替え事件において明らかにしたものは, Dawson's Landing  の持つ奴隷制という identificationの暖昧さ,脆さである.そして,よそ者 Wi1son  1乙課せられた役割を念頭に置くと, その identificationをする社会 に目が向けられる.そこには明らかに, Mark Twainの社会への批判が乙 められている.

その社会とは, Dawson's Landingを含む南部社会であり,ひいてはアメ リカ社会である。確かに,エコーのように何度もくり返される i]l[下に売る」

(sell  down the river)というフレーズ)4は,深南部 CDeepSouth)の奴隷制 の残虐さを暗示するものである. しかし,実の息子によってその川下に売ら れる Roxanaを虐待するのは,南部の農盟主ではなく,北部出身のその妻 である. しかも,その妻と一緒 lと残酷な仕打をする奴隷監督もまた,北部,

ニューイングランド出身であるという念の入った MarkTwainの描写から は,明らかに彼が南部社会だけを批判の的としていない乙とがわかるa

Mark Twain は物語の結びの冒頭i乙次のような Wi1sonの Calendarを お い て い る .October  12. the  Discovery.  It  ωαs wonderful to  find  America, but it  would have been more wonderful to  miss it.)5 

r

アメリ

カを発見しなければ,なお良かったのに」という言葉に, Mark Twainのア メリカ社会の存在そのものへの批判がこめられている.誤ったidentification を暗示するロパとあざけりに関する Wilson'sCalendarでこの物語を始めた Mark Twainが,アメリカ大陸発見に関するこのCalendarを結びの冒頭に おいたことは,社会の誤った identificationとその社会への批判がこの小説 の全編を貫いている乙とを示すものである.

人の identityの問題を考える時,黒人差別の奴隷制の問題を抜きにして 考える乙とは, Mark Twain には出来ないことであった.彼lま,物語の結

(13)

96  Mark TwainのPudd'nhead11‑ワlso

び で 奴 隷 制 と い う 残 酷 な identificationの 様 式 を 擁 し て い た ア メ リ カ 社 会 を 批 判 せ ず に は い ら れ な か っ た の で あ る16 それは, Mark Twainが , 社 会 の 誤 っ た identificationを 認 識 し , そ の 上 , そ の 社 会 の identificationが 人 の identityに 及 ぼ す 力 の 大 き さ を 充 分 に 承 知 し て い た か ら で あ る . そ し て , このことは, 乙 の 本 の 題 と な っ て い る Pudd'nhead" Wilson ~乙課せられた 役 割 を 念 頭 に お く と , は っ き り と 見 え て く る の で あ る .

i

テキストは, Samuel L. Clemens, Pudd'nhead Wilson and Those Extraordinary  Tins,ed.  Sidney E.  Berger  (New York: W. W. Norton, 1980)を用いる.以下 P.W.と略す.

2 Barry W oodNarrative Action and Structural  Symmetry in Pudd'nhead Wil.  son" P. W., pp. 377‑378. 

3 identityの概念に関しては, Erik H. EriksonのIdentity:Youth and Crisisの第 一章において,彼自身が再定義しているものを参考とした.Erik H. Erikson, Id切がり,.

Youth and Crisis (New York: W. W. Norton, 1968), pp. 15‑43. 

4 Dixon Wector ed TheLove Letters  of Mark Twain (New York: Harper,  1949), p. 291. 

5 Mark TwainThose Extraordinary Twins"FinalRemaiksの中でも次のよう に述べている.

Some one had to  be brought in  to  help  work the  machinery; so  Pudd'nhead  Wi1son was introduced .. (P.W., p. 169). 

6 P. W., p. 5. 

7 Frederick AndersonIntroduction" to the facsimi1of therstAmerican edition  of Pudd'nhead ~弓lson adThose Extraordinary Twins, quoted in P. W., p. 293.  P.  W., p. 1. Norton以外の板では gaged"となっている.Nortonでは作者の綴り

字まちがいと思われるものは訂正する方針となっているので訂正したものと考えられる.

9 指紋の特性については, Mark TwainFrancisGaltonの FingerPrints (Lon. 

don, 1892)をもとにしたと一般には言われているが,実際には彼が, 1883年に作品の中 で指紋の特性を使っているのをAndersonは指摘している.Galtonが1823年の Johan. nes E.  Purkenjeの論文をもとにしているので, Galton以前にすではその特性につい て知っていたものと考えられる.指紋の特性が一般によく知られていなかったことは,

登場人物の様子からも推察出来る. 乙のことに関しては FrederickAndersonIntro duction,"  quoted in P.  W., p. 291.を参照.

(14)

10  P.  W., p. 108.  11  Ibid., pp. 8‑9.  12 Ibid., p. 15. 

Mark TwainのPuddnheadW ilson  97 

13  Eriksonidentity形成に外的環境の力が大きいととを認めている.彼はそれを次 のように要約している.

we deal with a process located" in there01 the individual and yet  also in the core 01 his communal culture, process which established, in fact,  the identity of those two identities. 

[斜字体,引用符はErikson自身による](E. Erikson, Id仰がり, p.  22).  14  Leslie Fiedlerは次のように述べている.

Down the river' is  the phrase which gives a kind ofwsicalunity to the work." 

[Italics  mine] (The New Republic [August 22, 1955], p.  16).  15  P. W., p.  113. 

16  F.  AndersonClemensslaveryに対する態度を次のように述べている.

Ideological  conflict  in  Clemens' attitudes toward sla very and the other social  institutions of the South must have begun to trouble him by the time he de serted"  the  volunteer  Marion Rangers, informally  organized  to  support  the  Confederacy in 1861.  His commitInent to the Southern causewas ambiguous  during the Civil War; but by the end of the decade his disaffection was com‑

plete.  After 1870, Clemens was a fervent critic in private and in print of the  effects of slavery on all  participants involved in it.  (AndersonIntrod uction," 

quoted in P.  W., p.  284). 

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