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圓熟期近松の二傑作と人間性の發展

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圓熟期近松の二傑作と人間性の發展

著者 橋詰 光春

雑誌名 同志社文學

号 9

ページ 53‑74

発行年 1930‑11‑20

権利 同志社大學英文學科文學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016753

(2)

蕗 熟 期 退 訟 の 一 一 探 一 件 三 人 間 性 の 議 展

り 山 し

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3

日口

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yト泳シノミコワタフタデマツルゾノウタミイ内グ

共 衣 遁 王 蔵 歌 共 歌 日 那 都 久 位 能

︑ 阿 比 碇 能 被 腕 能

︑ 加 岐 賀 比 繭

︑ 阿 斯 布 麻 須 那

︑ 阿 加 期 童 特 宮 躍

@那抑制久佐能は夏草之にて問問比況の枕詞なり︒@阿比況は地丸山古たるべしc或日︑容し(は此の時夏にて︑卒薬の茂りて廃き合ひた

る護迭をよみ給へるにもやあらむ︒然らば演'は庚︿遣の潟設をのたまへる也︒@加校資比情附は務員になり︒@阿裁布腕須那は勿口島

路にて︑瀦殻のある上を絡みて足を傷ひ日明ふ勿と認ふ也︒府間口問加斯豆一松宮路は令v

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簿

53

己は大きく丈高く左らうとしてふくらみ過ぎた︑所詮君ハ筆者註口物を否定する一品目指メフキストフェレスを指す)位の

地伎に居る筈の己だらう︒犬たる譲は己を排斥して︑自然の戸は己の前に鎮された︑思量の糸は切れて︑あらゆる智識

が恒吐を催し相になった︒Eうぞ官能世界の深みに沈めて︑燃える情慾の渇を墜してくれ給へ︒未だ嘗て塞げられた事

の無い秘密の霊衣の背後に︑一つ/¥の奇襲が己建の窺ふのを待って居る口さあ時の早瀬に︑事件の推移の中に此の身を

投げよう︒受用と︑痛苦と︑成就と︑失敗とが︑あらん限りの交錯を没してくるだらう︒活動して暫くも休まやに居て

(3)

とそ

男児

だ︒

ファウスト第一部一七四回行l一七五九行

いやさっきも言ふとほり己は快壊は貧ら念い︒最も悲しい受用に︑受用のよろめきに︑身を委ねよう口離に迷ふ心の

惜︑爽快に伴ふ胸悪さに委ねよう口物の識りたい歓を榔ったとの胸は︑とれから甘んじてEん友苦痛をも迦へて︑人開

会躍の受くぺき筈のものを︑との内の我で受けて味って見ょう口との己の襲で人間の最上のもの︑深甚のものを捉へて

額害をも苦痛をもとの胸の中に積んで︑との自我を印人生になるまで横大して︑迭にはとの人生と言ふものと同じく滅

び て 見 ょ う

︒ 同 前 一 七 六 五 行

i一七七五行

朝需の中から︑夕陽を浴びて︑悠脚部たり威如たる共の姿を見せて居る比叡の山︑その山の翠嵐の揺曳する姿を遠望し

て感嘆を久しうして居る時︑三千の借兵を擁して法皇の曲?を驚かした千年の握史に包まれて︑悲喜哀鞍の種々相を秘め

た法鼓の響きを如何にして如質に知bる事が内楽るのであらうか︒

園民文事の俸続の上に於ける近松の委は︑との山の姿に似友い事もない︒遥かに仰ぐ山の姿は美くしい口之を踏破し︑

之を精在しで︑吾等の直観の世界にかの美くしさを再構成すると一言ふ事は︑努力を要する︒同じ努力を以て近松の醤街

の真髄たる世話浮瑠璃の一部分に足踏み入れて︑さで何を以てか酬いられるであらう︒宰しき荻のたとづれに諦念の吐

息を均すのみかも知れたい︒

園民文惑としての偉大さは︑間平に今日の吾叫甲子にも興を催させると言ふ理由だけでは測られ左い︒そとには吾等の生命

を鼓舞し作興する永遠の憤値ll泡立つ無限性を認めるものでなければ友らない︒それには近松の金風貌を観察し得る

地位に立たねばならない口然るに︑吾等には共の出議酔加に於で越ゆべからぎるハンヂキャップをつけられで居る︒邸ち

近松の偉大は︑其の綜合審術として︑舞踊的要素としての操りと︑歌謡的要素としての義太夫簡と︑割問'詩としての文壌

との美しき調和の上に成立つものであるのに︑不幸にして︑五口等事徒には前二者に劃する教養が輿へられて居︑ないばか

(4)

りでなく︑文融市座の正統的舞憂に於ですら近格の作品の上設は先づ殆ど札ないのである口五口等は二 i譲み物としでの近松﹂

だけに就で一五詩ずる以上の事は許されて居ないにも拘らや︑治近松の偉大が察せらるLと言ふのは︑益々近松の無限の

同情

仙一

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詮す

るも

ので

はな

いで

あら

うか

さて此庭に︑天の網島と地地獄との闘熟期のご傑作を選んで︑共の讃後の貧弱な感想を纏めるに雷って︑最初に近松

の偉大さの必然山口に就で反省する事は︑十分必要友順序であらねば左ら友い︒

近代文明の出護鮪は︑中世の謹人遣が基督教に依つで精神的素地を訓練された上に古代希践の朗らかな人間的な謹備

を復興し︑的めで人間性の自由友る解放を創始したルネッサンスにある一挙は︑定訟であらうo日本園民文壌の倖統に於

で︑一冗誌の持世粧を同じくルネヲサンスとしで︑中古以来の人間性の庫一越に割し︑共の解放の凱旋曲と見る見方は︑緩

めて暗示が深い︒

土居光知氏に依れば︑﹁目新しい要素を加へる事無く静誌な吠態が永績ずる時には︑ある枇舎の文化は同定して共の枇

命的及び婿神的統一は︑型に蹴った人物のみを作らんとし︑思想を強制し︑個性の護展を拘束し︑個人の欲求そ抑躍す

る一挙茜しきに至るじ斯くの如く沈滞した股態が久しくつどいて︑その弊害に堪へ難く友る時間宮積した人心は過去の停統

の重荷を放棄し熱烈な反抗的精神を以って猛然として悶覚醒する時が来る口かくて注入的友過去の形式的教育及び書籍的

智識の空虚をだじ︑成立せる理想文化の憤値を説本的に疑ひ現震を重んじ︑一切り中間に介在するものを除去して︑自

己を自由に成長せしめ︑震に現賓の世界に生き直接に自然と人生とに援しようとするo

文 串 序 説 ベ イ タ ア の 批 評 的 精 神 五 七 凶 頁

ルネッサンスを右の様に解躍したペイタアは伊太利を中心として欧洲諸国に波及した文化的運動の格極を︑世界最大

の古典主義者グlテ︑シルレルまで鰭くものとして理解して居る口市して此の精神を如賓に瞳現して居るのがファウス

トである口胃一践に引用した共の一節は︑此の解放された個性のアルファーでもるり︑叉オメガでもなければならない︒

﹁己自身を人間性それ自身まで高める詩︑人情の渦輸の中に勇敢に飛び込んで行く﹂精神である︒

55 

(5)

探しかLる反抗的友︑現質的及︑享築的友人格は︑官探その多岐多様なる冒険的選出の故に︑自己を統御し統一する

努力を忘れたる故に︑内的生活の分裂を来し易い口元総時代までに鎌倉室町を通して否定された人間性の一面は︑一令安

朝の教養の目様であった感情と趣味の醇化を人生の理想と見る見方であり︑従って一五誌の精一紳は千安朝の教養への復錫

を意味し︑文筆の上では作情的要素の強調で4なければ友ら左い︒契沖や光間が窃かに古代精神への事問的友静かな足ど

りを進めて居た時に︑一近松@芭蕉8西鶴は︑此の精一紳を表現して花やかた文皐上の成功を牧め得たのであった︒

一行情を語るに営って︑最初に概念上の峻別を要するものは︑色情と純梓感情としての愛との区別である口前者は衝動

的であり︑古もつ禁的友人間性を刺戟して一患の幻惑の世界に入らしあるにも拘ら歩︑それ自身に矛盾と撞着とを含んで︑

精一紳の浪費でるる徒らなる田却奮以外の何物をも残さない︒︑氷河返たるものへの思慕は人間の止むに止まれぬ要求であるが︑

それは高貴なるもの続料たるもの︑全龍的なるもの︑一言にすれば﹁一﹂なるものへの還蕗と同時に︑雑多なるもの︑

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山居

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もの

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L否定であるo愛とそは︑功利的判断主超越して︑一切を挙げて之に浸入社}しめる愛こそ

は︑かLる﹁一者﹂では︑なからうか口近松の偉大は︑かLる愛の使徒たる結にある︒かL

る愛

を揮

然た

る話

一一

衡の

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包み得た博大友る同情と洞察と技巧の上にあるo日本文串の揺詮法的展開の理論に従へば原始浮瑠璃は幸若錘の系統に麗し︑散漫なる叙事的の文をば謡曲的たる拍子

を主とせる形式的一音梁によって語ったもので︑人情の自然を抑墜して意志的統一を求めようとした戦闘士人に向くもの

でるったのに釘し︑一方歌舞伎は官能的な華やか友踊りを伴ふた極めて汗情的な小限i白それは日本人の感情生活を表

現するに趨した旋律中心の祭出である

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を民用して居た︒それが元総期に入って︑歌舞伎に釘ずる尾治から市川流の

荒事の用ゐられたに反し︑浄瑠璃は所謂﹁金一千もの﹂全盛の時代が過ぎ︑関民築器として最も煽情的友三味繰が採用さ

れ︑一一間近松の議院によって︑その内容も純化され︑世話物が中心となって持病詩的傾向が濃厚となり︑とLに雨者の

精一紳が特設されたのである口近松はとの鱒換の絶頂に立ち︑叙事的行情詩の最高峰をこ不すものであると言ふのである︒

文庫ナ序説一七六百一l一七七真大要

(6)

高野辰之氏の日本歌謡史には古浮瑠璃の内︑散漫なる叙事︑本地物武勇物が減じて︑人情物の増した事によって新浮

瑠璃が翠街的慣値を獲得したのだと簡明に指摘して居る口いづれにもぜよ︑近松の偉大は︑日本人の言ほんとしてはぐ

︿みつLあった愛の信僚を道破した鮪にある口功利的葛藤を超えた奥に不滅の光を放つ愛を賭火した事にある︒

斯一く考へ来れば︑人間性の解放としてのル︑れへけりスの事室︑厳粛を道念佐一伴はぬ色慾描寝を敢てした西鶴でもなく︑枯淡の中に幽玄の中に人間の情緒生活友止揚した芭蕉でも友く︑置に大近松その人であらねばならない︒市して

共の

心中

物一

が閥

的釆

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げた

いと

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胃頭に事げたのはも主事記中の一呑痛ましい悲躍の女主人公衣語王の哀歌である︒姫はその膚衣を遇して耀いた程の

麗人であった露︑木梨軽太子の不倫の癒を受けた︒此れは時人の控斥する所となり太子は伊譲に流され給ふた︒共の後の

悲しい賜先日の歌の一首であるc建閣に流された愛人に劃して︑螺貝に足を傷けん事を丹念に歌って居る素直友韻律の中

に何と一一一口ふ素朴的危崇高な統一された情感が金湧して居る事であらう口吾等は無俊件に之に討たれる口何一つ陰影の友

い朗らか訟愛と一一一日はうより︑訟りに熱烈なるが故に一切の世上の雑多を忘れて思慕に波頭した黙に一向に頭を下げる︒

而して皇室の挙殿︑国家的読一の偉大︑園民的精一脚の組織力を高調した本居室長が︑﹁殊にあはれなる﹂御歌だとしで

同じく一閣を下げて居る口太子と女王との最期は吾が閣最初の情死者と友したが︑此の偉大なる園民的天才が営時の道徳

律の圏外に出て︑自ら政一叫に急いだ個性に満睦の同情を滋いだ一挙は︑近松の心中物に︑日本人が同情した事と同一類の

現象でたくて何であらう口斯くて近松は自ら主張する事なき国民的詩人である︒

57 

さもあれ︑古事記俸の著者は軽太子に翻しては十分同情を一不さない口男性の統一一は輿へられた境遇︑内面的分裂の克

服の潟に無限に努力する事にあらねばたらたい口グ1一アの語を借れば︑﹁人間は努めて居る聞は迷ふ﹂べきものである︒

しかも努めて止まざれば︑﹁心の澄む境﹂が一紳によって用意されて居るのである口故に英雄的男性の無限の分裂の重荷

を教ふものとそ結特なる愛の持主

l

i永遠の女性でたければ友らたい口小春とそはかLる女性の代表者であらうD

だが

小春はベアトリ1チヱでも友ければグレェ1ツチェンでも添い口小春は小春として個性と生命力とを持つ︒共等は大阪

(7)

の町人階綾の代表者たる紙治と封して光明を事げて居る︒

斯くて現震の作品を通じて︑再び近松の翠摘の持つ債値を反省し直したいと思ふ口

心 中 天

の 組

側 島 研 究

一︑

華やかX様子風の小唄にて関曲︒曾根崎新地潟庄の場︒入り込む小春を前に﹁野良らしい﹂姿の太兵衛が統治の授︑態を言ふ︒孫右衛門武士に様裳して小一本の容として来り︑驚いて大兵衛出で行く︒(以上を上ノ巻の序と考へる︒)

孫右衛門︑小春︑紙治︑太兵衛の問問の葛藤︒孫右衛門の治兵衛説得の言に露五左衛門の一徹と︑始の菅哀を逮べしは後段の伏線︒

治兵衛小春の凌心を怨み︑起請文二十九枚を投げ出し︑小春も亦之を孫右衛門に渡す︒︿上ノ念の破)

孫右衛門女文字の

ll

買は治兵衛の一委おさんの手続を懐中し︑小春は﹁それで忍が立ちます﹂主治兵衛の足蹴を受げ泣きながら二

人を見怒る︒無心中か心中か鈴讃溺々︒ハ上ノ巻の念) 道化役阿呆三五郎の滑落︒おさんの母性愛︑世話女房の純情︒伯母と孫右衛門悶遣にて治兵衛の猿獄︒嘉手左衛門の一徹に赫怒す

る一鳴の服用には甥なれど

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‑‑

沓股ぎ学分下りられし﹂を押止め賛否を採り︑雨入の口迩一致に安心・誓を書かせて降る︒幸編なる

印象︒近松も﹁立ちかへる心ぞ直円︑に偽なる﹂と詠嘆して居る︒(中J

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治兵衛の滞解が第二の破綻︒おさんは三角関係の矛盾を嘆き質草を三五郎に負はゼ治兵衛の易委を調へて出さんとす︒ハ中ノ傘の被)自身五左衛門突然来りおさんを連仰い蹄り︑二人の子の泣葬を後に二段竹の夫婦の長き別となる︒ハ中ノ容の念﹀

大山相屋の軒媛︑深一兵の迎ひ鐙は荒涼中の時酬として却って麗惨の気を強む︒治兵衛大和屋を出で算用仕舞にて安倍を一訴し︑忘れたる脇差に陰惨なる貝塚後を深想せしむ︒(下ノ巻第一の序﹀

孫右衛門治兵衛を案じて訪ね︒治兵衛京上りと閥︑き﹁気持渇ひで身が深ふ﹂弟思ひ︑

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除に感涙を呑む︒(下/巻第一の破﹀ ﹁小中本は二階に媛てお出でいりや﹂に一安心して

(8)

雨入心中の息地併は﹁一門一家裁兄弟が国慢を蒋んで験航仰を援む﹂憂慮の中に議行し︑忍び出た小春と治兵衛は︑愈々悲し︿痛ましい道行となる︒ハ下ノ巻第一の念U

名残りの橋づ︿しの自在の筆致を検めた遂行文は幅極秘たる愛情と段の世の名残を惜む情とが花町γかな文飾の中に生動し︑新︿で溺

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Aの銭に死場所を嬰へる申冷静況を切るが如︑雪小潟藤︒ハ下ノ巻第二の被)

大長寺の長告炉︑る鎧に驚かされ︑先づ脇差にて小中本今一耕一し︑治兵衛は細胞の上に終死して﹁な司瓢﹂の撲な死委を見令︑

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般の奪回ひの籾烏心中と日毎に涙をかげ﹂たのであつれ︒(下/巻第二の念﹀

近松の作品が綜ム口語備として理解されねばたらない事︑操りと言ふ舞壷上の約束に随順した鹸曲である事は日Tく気付いて居るのであるが︑操りや義太夫節の節奏に劃しては︑門外漢たる吾等の一指を染むる事を許さ友いのである︒遇讃

しつ

L感やる一事は︑此の一篇が戯曲として如何に整然たる組織を有して居るか︑又共の組織が如何に簡静緊密で効果多

きも

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劇詩の構成に就ては西洋に於て三段五段の設がある︒大障より別って

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﹃解決﹄の三段に別ち︑更に

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)を別ってベイ)葛藤の昂進︑(ロ)葛藤の最高潮︑(ハ)葛藤の轄肉︑の三契機とし全躍を

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吾︑か閣に於て︑一冗曲の影響を受けたとは言へ︑岡氏文庫ずとしてユニークた護建をした能楽が︑雅柴の根本理論たる序

破念の開展を庭用して︑能業の大成者世阿禰の﹁一番の能は序破急の三段よりたり︑その破の中には更に序破急がある︒﹂

との

一誌

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る︒

古語瑠璃が大韓六段組織であるのを︑近松が新浮瑠璃を大成して︑共の時代物に五段組織を創始し︑世話物に主とし

iで三段組織を採用しで居るのである︒がそれは意識的に謡曲の作劇法を海瑠璃中に採用したのだと解轄してよいと考へ

る︒近松及び竹本義太夫に大影響を興へた宇治加賀様が︑平く謡曲を挿入する事によっで諜瑠璃を急速に進歩させて居

'

1

(9)

た史資一からでもそれは想像するに難くはない︒

序破急は初め舞梁の曲鰹を一不す名稀であった口序は序引で一曲の冒頭を占め︑共の奏法は無拍子であるのを特色とし

た︑破は入破の義で拍子の弐第に細障に入るを意味し︑同時に節度の緩漫を伴った︒其の綬漫が漸戎牧拾されて結末の

迅速なる節拍とたって流れ走るのを念聾又は単に念とも言った口

世阿認に従へば︑序は本風の姿で直ぐに正しき躍であり︑破は細かに手を入れて寝し表はず物真似の風態であり︑念

は破を残す名残の鰹で︑援み寄せて︑凱韓とか︑働とか︑目を驚かす景色がなければならぬと一一百ふのである︒

野 上 豊 一 郎 氏 著 能 一 一 二 九 頁

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一同

一頁

此の三階段を︑近世最大重要の論理としてへ

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ルの臨例措眠法が開展さした理法に一致すると考へるのは︑必やしも附q

舎の

一一

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静か

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し て紳韻の世界に這入らしの︑破に於て種々の葛藤を主人公と共に憂ひ悲しみ喜び望ましめつL最後の会轄直下に赴く一奈

は︑美くしい情緒活動の必然的形態でなければなちたい口

世話物が三容の組織を持って居る事は之を示して居る口上記梗概を辿れば︑所謂河庄の場は大序であって︑たさんの

手紙が弐の紙治の場といふ大破を生む契機であり︑心中の一段が急である︒

探も自分の分間でゆけば︑共の各段毎に叉三細段を別って︑明らかに序破告の閲展を認め得るし︑特に下ノ巻の如き

共の二回の繰越しをすら認め得るのである︒(之は一回の序破念として︑大和屋の段i序︑道行l破︑情死

l A

誌と

して

理解するの更に自然なりとも考へられる口)

此の分析で五口俊寸は二面より近松の偉大を見る事が出来る︒第一一は此の作劇の論理を十分に調和整正の優採用した共の

理解カである︒殆ど水も均らさぬ綿密たる展開である︒第二にはか﹄る形式傘重が時とし℃陥る形式化作詩化の山一一の痕

一避をも智め守︑事件は必器に第二の事件を生み︑前件は後件を字み︑唐々高潮し行く緊張と念越は︑全篇一黙の破綻守一

見せ守︑宛探たる如資の人生の一断面︑無縫の天衣の如き自然味に充ち溢れて居る一惑である口とれば近松の偉大にして

(10)

始めモ可能な事であって︑後年竹田出雲や並木戸一京特あたりの優れた舞事技巧が訟りに巧みに過ぎて︑自然味そ失って仕

舞った一事と考へ合せて︑尚更近相官の偉大さを感服せゃには居られない︒本篇が近松の六十八歳の作︑闘熟期の頂勤を一不

すものである事も忘れて友らたい︑わが園民文皐中の重賓とも言ふべき作品である︒

︑ 其 の 文

近松の文章︑が如何に魂麗流暢しかも明快にして適切であるかに就ては︑古来人々に唯夫した様々の逸話すら停って居

る口例へば曾根崎心中の道行に劃して荻生租来が感嘆之を久しうしたといふ如きである︒

併し今日の五口等は︑此の繁雑なる文簡に封して若干の抵抗と医迫を感やる事無くして議み進み難いのを感やる口近松

山仏一一間﹃辞様﹄の天才である︒其の才分の魚泉されて居るのではゑいかとまで疑はれるD調子に乗れば何鹿きで積くや

ら解らない様な塁出ずる﹁言ひかけ﹂﹁縁語﹂﹁引用﹂﹁抑揚﹂の類は無用の長物ではなからうかとさへ思はれる︒或

はさうであらう︒一種の技巧地獄であるoだが其の時代を観念する時又別種の長所を認めやには居られ友い︒よく比較

される英のシェイクスピアが韻文で其の戯曲を書いて居た時勢である事を忠へ︒七五調のマンネリズムに堕ぜやして朗

問訴すべき韻律を持たせ︑冗漫たる説明調の叙事を棄てL︑簡潔明型なる措詩的なる文鰹を以て︑濃厚なる持情味を漂

はせたるが如き︑之を一時代前の︑而して古持瑠璃の粉本たりし舞の本ペ註o幸若舞の文)︑私自伽草紙等の文章に比し

て︑︑何と一戸一回ふ清新さ何と一一百ふ力強きであらう︒そればかりでなく︑之が詰まれやして語られたるもの︑歌諮的性質を具

じたるものである一惑を思へば︑此等言ひかけ縁諾の類が

1

i特に著しく目に立つ同聾の文簡が必やしも諒物として味ふ

事のみ知って居る吾等に輿へる様な抵抗を感じさせ友かったらうと言ふ事は容易に推察されるのであるo

例︑関姓爺の道行念備が所望ぢやと杉が袖から報謝の銭たった一銭二銭で三千飴塁を隔てたる大明闘への長放はあはぬ

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だ悌あはねだ

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言ふ

て行

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右の一句の如きセン!とプツの向聾を巧みに利用して事も穣持の感が無い口文字を離れて聞く身に去れば却って理解左易

から︑しめる一助でもあらう︒共の意味で︑古来遁行文の長所を生かし短所を蔽ふて︑玉成の文章を作り上げたのは其の

61

(11)

数多い道行文である︒近松共の人が戟詑物語以来の道行文の大成者であるだけに自在の筆致を極めて居る︒叙事と拝情

を︑

一一

一一

口び

かけ

を連

用し

L巧みに雨義に利かして一行にして︑二行の効果を輿へつL︑決して単調とマンネリズムとに

墜しなかったのは︑何と言つでも大手筆︑而して閣文壌上の一偉観たるを失はたい︒

序でながら︑近松の文致が如何に自在を・極めて共の語り出づる内容とぴったり調和して居るかの一例としては︑上記

三段の巻の績け方を見る事が出来る︒邸ち序の平静の調には﹁:::誰が文も見ぬ騒の道別れてとそはかへりけれLと援

徐の調を以て結び︑破念の高潮した情感に躍とでは︑﹁:::後に見すっる子を拾っる薮に夫婦の二股竹永き別れと:::﹂

として居る︒(下ノ容)﹁懇ひ情と与を瀬にせん観川Lは永久の別離を種ひとがれるのと識の渡り瀬の親川と積く︒又﹁心

の卒灘鶴川流るL同けに逆らひて足をばかりに﹂は︑(名残の橋づくし)﹁走り書き︑謡の本は近衛流野郎帽子は若紫・﹂と

なり︑足まかせに走り出すと︑遊治郎の紫帽子を賠出せん掲の柏々無意味の劉句近衛流の走り書を提出したのである︒

筆致に流動の態があって語るを聴いたら嘱生動の気が深からうと思はれる︒近松は翠に舞文曲筆の徒ではなかったので

ある

一一

寸其

容 の 内

はし書きに書いた人間性を解放しで︑現賓たるもの自然的なる衝動の満足に︑自我の充賓人格の生き甲斐を認めゃう

とするルネッサンスが︑何故大阪を中心として捲き起ったであらうか︒hセれは大阪が町人の都であったに外たらたい︒

又京都程過去の纏威の鹿迫がひどくたく︑江戸程新開地の粗野が甚しくたかったからに外なら友い口

武士階級は︑営時の文化の支持者であり︑高い教養を持って居たにも拘ら歩︑彼等は昔時の窮屈友主従関係︑煩鎖友

停統に縛られ︑自己の力を築しみ︑自我の充置を翼ふだけの新しい創造力に快けで居た口而しで世は戦乱時代を通過し

て一冗和健武以来の泰子は︑商人階扱の富の像力を意識させ︑立ハの宮の用ゐ方も︑自己の力で蓄へたものを自己の享築に

(12)

用ゐるのは差支ないのであった︒故に向日己の力の充資と棋大を築しむと一言ふ事は町人の特纏であった口講談の題材とな

った紀ノ園屋文左衛門の豪脊の如きは其の一例であらう︒一一言にすれば︑町人とそは営時の文化の第一線に立ったので

あった︒町人の生活はニ様に分裂する︒一は共の奔放な情緒生活の開拓である︒共の著しい特色は享壊的な事であった‑︒

西鶴の浮世草紙は如置に之を倖へて居る口他の一一は町人特有の義理の確立である口町人は武士程の道徳律に縛られない

が臨業の取引が生んだ信用の重大性が金銭取引の上に現れて︑第↓に金銭上の厳格さ︑共いで一般的に韓商の重頑と言

ふ事が護達した︒而して彼等に文字が普及し︑叉営時の支配階級たる武士の武士道の巌格友る義理を見羽田ふて通俗化さ

れたる武士道の精紳が︑所謂義理の内容となって加ってゆく︒との雨者の調和は︑道徳律と自然律との闘浦なる調和で

ある︒併し町人は↓践に枇合組織の綾漫友る枇舎にあるが故に︑との雨者は多く一帯離して営時享柴の場として念速に護

達した遊廓に誘惑さ中日勿い︒共庭に三角繕愛が生じ︑愛と義理とのこ一冗的相蛙が生やるのである口若し義理の震に情緒生活が墜倒されてしまったなら︑共鹿には美くしいものL影が消えるであらうロ愛は直接である

が故に力強い︒人情の勝利とそ愛の聖壇である口然も新しい町人は意志的訓練が不充分であったが故に︑情熱と義理と

を自己に内存せしめる努力を敢てしなかった︒若し端的にとの情熱の勝利を模験せしめ得たならば︑それは彼等に劃す

る救援でるらう︒此の希望に定形を興へ︑営時の一般の希望に十分に副ひ待たのが近松の戯曲でるった︒役叫警は醤術の

ヱグスタシ

lの中に︑人情の勝利︑自我の充賓横大を鰹験したのでるる口

性格の解剖と悲劇の本質

63 

最も可憐なのはたさんであらうo世話女房で純情で︑夫の放蕩に劃して不ヂより先にまづ夫を業中る渡我的犠牲的な

性格︑﹁いとしゃ小春は死ぬるぞや﹂と共の助命に熱狂しつL︑不固反省しては﹁子供の乳母か飯焚きか隠居か﹂と悲Lむ謹り︑美くしい性格が輝いて見える︒男五左衛門と姑とは共に類型を出ないが︑面白いのは五左衛門のたさん離縁

の言守分であらうロ﹁縁組の衣類二切に乎をつけぬ中に早く縁伊一切らう﹂と一言ふのは︑山口同時の商人気質を示して居る︒

夫婦の愛の如何と言ふ事は共の話頭に上らない︒部ち其の頭脳は完全に物質的である︒孫右衛門は格始立役者としてい

(13)

たはり深い弟思ひとして)﹁一門一家同時をのんで臓蹄を挟んで一居る代表者である口本篇の人皆好人物である中最も

親しみ深い好人物として描き出されて居る口大和屋の前で﹁身が傑ふ﹂思ひで治兵宿小春の治息を聞くあたり誰とても

ほろりとせね者もあるまい︒小春は娼婦であるo近松は共の世話物二十四篇中十三詰まで遊女を女主人公として居る︒

心中物十一篇中六篇までは遊女との心中であるo此れは何故であらうか︒

良家の子女の癒愛には常に義理ゃ︑生活の保諮に関する関心や︑鰭面︑地位去一一一口ふ如き雑多な僚件の混入するを免れ

ないc彼等の心情は容易に純一に愛人に依存するに至らない︒共の黙に於て遊女は︑第二義的友るものを棄てL︑愛そ

のものに蕃迭する勇気がるる︒それが巷設に上る様な事件を生む一惑が多い原因であり︑一面遊廓が所謂人気の多い土地

柄だけに︑近松も世評を思って寧ろ好んで其の濯に筆を執る宮市もあったのであらう︒

明らかに小春は近松の理想の女性であるo日本が生んだ永遠の女性の一人でもある口然も同時に一克誌の女性である口

そとに小春の個性が生れる︒太兵衛をして﹁.連れ衆内々附した心中よし意気方よし床よしの小春どの一一山々'﹂と紹介せし

めて居るが︑﹁心中﹂﹁意気方﹂だけで女性の精紳的美黙は議くされて居るに拘らや︑﹁床よしLと言ふ享業的一言辞を弄

させ守には措かなかった庭に元践の個性が感じられる口だが︑唯愛する事をのみ知る所の︑愛の故に一一切を浮化ずる所

の女性

il

iそとに小春の永遠性があるのではなからうか︒後悔は人格の分裂を来し︑震践力を弱めるが故に悪であると

倫理事者は一言ふのである口然るに小春のめ中︑何庭に一ー識せざらましかば﹂との嘆きが掩れて居るであらう︒後悔を知

らぬ女

li

t‑

愛するが故に限り友︿強きは彼女である︒

'戯曲の主人公でるり4ながら案外個性の南弱た感じを興へらるLのは紙治共の人であらうι超経験界に柱ずるのみで摘

むのが人間の定ならば︑五日響は此の美しき純情の展開の中に幸一隅感に溺らされてしまふであらう︒だが経験界の矛盾は

菩等に此の幸一耐に羽田るを許さない口それは邪悪でなく︑社合百組織の中に内在する有限なる人間相互の悲しき矛積衝突で

ある︒若し此の三角強愛が地上のものとして解決を要求せられた場合に︑反省と意志の力で︑解決に向って推し進むべ

きは治兵衛の地位である︒若し此の解決が理想的精神的であり過ぎて︑恰も雪中をわけ上るプランドが一一切か無かを否

定の方に解決して死し往いたとLても彼は悲劇の主人公として一般の同情を惹くに足りた筈である︒併し近松はさうは

(14)

描出し友かった︒近松は一一切でるるが故に無でもある様に見える渡理想的大詩人であった様に思はれる口彼は治兵衛を

何底迄も一冗掠の遊蕩児以上に措か友かった︒共時代の享築的無思考の代表である︒町人の道徳郎ち義理に劃して無反省

の信奉を捧げて居る口従って︑内部生命の燃焼とも一言ふべき愛に封ずる信念は徒らに扶乏して居る︒戯曲は小春と情死

の誓約以後に落筆ぜられて居るから治兵衛の共れ迄の内面的苦闘は知るべくもないが︑それがなかったと思惟し之益支

へ友

い佼

易﹄

?と

死に

急い

で居

る︒

悲劇は個性生命力が︑封抗する事物の上に支配櫨左及ぼさうとする斬り結ぶ様友緊張から生れる事を肯定するたら︑

之はそれと類を異にLた運命悲劇と言ふ事が出来るであらうo吾等は犯し難い蓮命の読むづかしい顔つきの前に脆︿踊

れゆく象牙の塔を見守ればよい︒

斯くて近松の此の作品は美くしく優しき意志が︑﹁舵ム何回的必然の過程の中に亡びゆく無限の哀感を歌ったものと見る一挙

が出来る口謂はば一篇の持情的劇詩である︒

問︑接されたる一この問題

65 

{ )

主人公の感情的で意志薄弱友黙は︑近松が日本のシェイクスピアと一一一口はれると相似て︑共の傑作ハムレットの主人公

に似て居る︒ハムレットは輪廓とそ大きく複雑であれ︑主人公の性格には一脈相通やるものがある︒併し日本人と英人

の相違は随庭に横って居る︒共の最も著しいのは︑反省的懐疑的たるハムレットに劃して︑本篇には何等思索的注調子

が見られぬ鮪である︒従って︑本篇に人生批評を求める一挙は出来ない︒而して之は日本人の国民性の一断面ではないか

とも考へられる口純粋なる直観性

ll

宣観なるが故に生命を創建すると一一日ふ事は五口が国民文撃の特色ではたからうか口

本居室長が﹁物のあはれ﹂の人生上に於ける結劃的憤値を主張して謬術に封ずる巧利的見方を批難したそれに棋た意味

で︑

五口

等は

本篇

l近松の作品一般にかけて共の仔情詩としての償値そ強調したく思ふ口市しでこの事はハムレットの

道化役と本篇の三五郎との比較に於て更に著しい︒役は十分意識的で頗るアイロエカル友視剰を敢てするが︑一二五郎に

(15)

至つては可愛い痴呆に過ぎない︒何慮迄も自然を失はないのである︒

( )

一一読してゆく中︑最後の情死の描誌が飴りに残酷に感じられてならない︒小春の死に際の苦痛︑治兵衛の縦死を生り

瓢に警へた共の中には︑何となく冷淡に叙し去った様た物足りたさ

1

1悲惨に劃して作者が十分敏感でない恨みを感

41

o悲劇が過度の敏感によって生やる専は︑メエーテルリンクの紳秘劇が最好例であるが︑近松のは多少の遊戯的諮刺

的傾向があるのではなからうか口

﹁人間的な何事でも自分にとって儀所事?ない﹂のは羅馬の詩人テレンスの句を︑ヘーグルが文瞳の本質として掲げた

のであるが︑近松に此の精神が精々曇らされて居たのではあるまいかと言ふ疑問を抱かせられるのである︒

女 殺 泊 地 獄 研 究

一︑

脇市

﹁舟は新迭の乗り心﹂云々と言ふ例の多少享掛端的なる小唄にで関曲︒野崎の間援︒花色め︿寺詣での訴衆を叙して字々艶一一段︒自信

茶屋に休らふ七左衛門委お古に︑奥兵衛枠内の放蕩を意見せらる︒(上ノ巻の序﹀

輿兵衛小菊の事にて舎津客と喧峰︒小巣八捕の倍加士頭貨は奥兵衛の伯父山本森宥衛門に捕はる︒後七左衛門の滑稽なる嫉妬等あり

て夫椋は寺に詣づる︒(上/巻の破)奥兵衛の一狼狽︒森右衛門に斬られんとする奥兵衛八慨に助げらる︒(上ノ容の念﹀

奥兵衛妹おかちの加持を山師りの山伏に相暗む︒太兵衛栄町奥兵衡を廿HOかし遜わざる徳兵衛ルニ認め︑母も諌めて勘円前を主張して居る蕗に︑加持を頼んだ山畑町りの白稲荷法印来り太兵衛齢去す︒ハ中/巻の序U

おかち兄の願に依り︑﹁婿とりを止め身代奥兵衛に譲らざれば苦しむ﹂出口走るを一献らんとする山伏を奥兵衛採援す︒山伏も争ひ

(16)

y

がらん町からよ¥﹂撮って行︿︒此漫筆・勢加盟送自在︒(中/念の破)¥鈴りん引き摺り下せば又紬げ上る不動の良一言どたくた︑わつれりぼったりだ︑引︑き?り下され山伏も錫杖からF

奥兵衛乱暴の紋

l l

父︑おかち︑AU争中釘撚︒併し並行箆暴に一服の殺気を見返し得ず︒最後に母の﹁町中努ぜて遮ひ出さん﹂の言に

恐れをなし民一三行︿後姿を︑終兵衛と母とは涙に滋んで見送る︒(中ノ巻の念)

陰惨なる悲劇の麹望︒端午の節勾︒穂々の凶兆︒﹁町へ断る﹂と催憶し︑奥兵衛に今瑞円中の返却を約束させ︑﹁詞で奥兵衛の首しめる綿居小兵衛は隙り行︿︒﹂ハ下ノ典せの序﹀

徳兵衛︑おさかの奥兵衛思ひの振舞︒奥兵衛明朝に治る父の難儀を救ひた告故新銀二百の貸輿を謝絶せられて殺意を生?︒(下ノ

念第一の破)

逃れんと焦るお古を後より刺し︑{今死んでは年はもゆかね三人の子が流浪する︑それが可愛いL

死にともない己主悩乱す

Z

を ︑

﹁俺も組問を可愛がる親父がいとしい故いる金ほし﹂と殺L金を盗んで逃走︒(下ノ巻第一の念﹀

お吉一ユ十五日の逮夜︑同行衆七左衛門を慰め居る時︑梁より鼠の措惜し士奥兵衛白筆の野崎の舗の番付に血痕あり︑磁たる穀擦に一

向喜ぶ︒ハ下/巻第二の・破﹀

奥兵衛七左衛門等より逃れ外へ出づるを勢変に捕へられ︑中門袷の血痕も誇擦を一所し︑遂に︑暇な︿殺人を敢てぜし﹂事を白放して引立てらる︒(下ノ巻第二の念υ ﹁裁を思ふ平一情より他人の不幸を忠ふ

ドラマツルギー本曲も一般の世話物同様上中下三巻になって居るo此の三巻の組織は︑大韓近松自身が意識的に能楽の作劇法の楳本

理論たる序破急といふ競護法的展開を想起させる範臨時を依り来ったものである事も疑ひが友いと考へられる︒唯近松自

身は飽迄之を墨守せ宇自然の開展に依存したらしく思はれるのは例へば︑曾根崎心中の海然たる一段に此の一一一段の開展

を盛り込んである様友例を見るからである︒然らば本曲は如何と反省して見ると︑梗概にも指摘して置いた様に︑土中

下三巻を一篇の序破告と見ゃうとする時︑下容の女殺しの場面と輿兵衛逮捕の場面とがどうしても有機的に結びつか友

い恨みがある︒かと一言ふて︑興兵衛逮捕を一点強調立させるには飴りに共の内容の賞弱さを感やる口近松は語り手の音量

61 

(17)

なり時間友りを顧慮する座付作者︒自然の本能により︑かLる理論が理論として同守さるぺをでない事を理解して居た様に思はれる︒(後段近松の欝術観を参照する必要がある︒所謂虚賓皮膜の論なるもので︑それは︑厳格なる理論に劃

する近松の軽視を示して居るからである︒)故に彼は如何にも自然らしく一一一段に纏めてしまって居る︑が霞際は明らか

に四段の展開を経て結末が来て居る事は︑共舞喜及び後者の明瞭友差別が出来て居るので察せられるであらう口即ち第

一段は場所が野崎詣でL︑た吉と輿兵衛と森右衛門が立役である︒第二段は興兵衛と共の家族のみが役者で舞事は輿兵

衛内である口第三段はゐ吉の最後で完全に烏士日中心で一貫して居る口第四段は興丘衛逮捕であるが︑之を一貫して活動

するのは寧ろ森方衛門共人である︒謂はどワキ投でありながらシテ役一の輿兵衛よりは還に銃一的友印象を輿へるのであ

o此の三凶を無理に一段に纏めた所に筋の上に若干の分裂があり︑曾根崎心中や天の網烏ほど無縫天衣とも言ふべき

揮一一味を失って感ぜらるL

ので

ある

共の理由は︑併し本曲の主題が二誌に分裂して居る事に基問する︒近松は此の世話物では常に女性の味方である口本

曲でも長士口が飴りにしぼらしく請浮に描き出されて︑然も悲惨なる運命に甘んやるが故に︑而して題名が自然にた吉中

心である事を暗示するが故に︑諒衆は︑む士口の宿命的な悲劇である様な印象を受ける︒共の鮪から畳一日へば︑あの陰惨な

殺害の場面が全曲の﹁念Lとして結末まで来て居るのである︒然るに一両からは輿兵衛と一一一口ふドラ息子が強情我慢を惑

にした拳句︑自己の借財の話父を苦しむるを遺憾に感じ出した明瑳の金銭慾︑殺人をも敢てして刑罰に就くといふ人性

内部の悪の悲劇だといふ主題が成立する︒共の立場からは殺人後の業報としての刑罰が伴はなければ結末へ来たい︒ζ

の品凶は近松の国熟期の傑作には遼ひないし︑文章構想共に国抜けて居︑ながら︑営時世許芳しからやして︑共の員債の見

出され近代劇脚本中に伍して猶相官光って居る様に感じられたのは極はりて新しい事に属すると一一一口ふ理由の一つは︑よく

畳 一 口 は

L様に︑女殺しの場面が陰穆過ぎて美感を殺ぐと一マ一口ふ事以外に︑此の主題の分裂が営時の単純な感じ易い鶏衆に

不純な印象を輿へ︑翠術的陶酔の三味境を妨げたのではたいであらうかD

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章 の

(18)

近松の豊富なる寸静様﹂は︑或意味にで共の員債理解の蹟きの石ともなる一挙は︑天の網島の場合指摘 rして置いた︒然

るに本品聞に於ては共の弊が非常に少い口従って非常に明快左流動の自然た作潟の少い文章として大饗清らかた印象を典

代られる︒天の網島上巻で︑芦初のあくどいまでの文飾と︑寧ろ禁屋落に近い自作をもぢったてんごう念悌の如きに驚

かされた人も︑やがて事件の関展十し切迫せる捕寝に至れば自然と文飾が棄てられて一千明自然た文館が採用され内容に

躍じて居る一挙を感じさせられたのであるが︑本曲の文章の文舗は共の量が少く用ゐ方が趨切で非常に効果的である口例

へば問答の野崎詩での如き新株の郊外を背景として︑青い流︑美くしい川船︑その中の一麗一入︑窯風の中を右往左往する

町の人々︑浮かれ気味の口三味説︑讃みゆくにつれて自ら節調に乗せられ︑初夏の爽やかな郊外の幻想が非常た猷一力を

以て迫って来るのを感ヂるではたいか口

元来世話浮噌璃は特に人生詩としての香が高い口自然描窓の優秀を求むるのは無理であるが︑弔への網島が自然に封し

で顧慮する事の少たかったに比し︑本曲には人生の市?に入り込んだ自然を徒らに扱歪して居たい揮然さ請揺さが感じら

れる口故に華麗友文飾も中々効果が多い︒新町遊廓の描馬の如きも簡潔なる叙越の中に高い効果を興へて居て激しい

幻想の生動するのを費える口下巻の胃顕の如きも︑とき構︑漉櫛︑ゆづLAま櫛︑投げ捕︑黄楊の小櫛︑皆例の文飾を伴

つで居ながら賓にしぼらしい家庭の所作が悠揚迫らや描窮されて居るではたいか︒

天の網島空裾模様の振袖に警へるならば︑とれは枚重柳り下を潜り行く素袷姿にも警へょうか︒自然なる魅惑は或は

此れが勝って居るとも言へるかも知れたい︒

三 ︑ 品 品

の 内 '*' 

6

甲 町 人 の 義 理 の 特 殊 性 一冗繰期大阪の町人は所謂天下の町人の白傘心を持って居た口西鶴によれば町人の分限者と一言はるL者は︑生花︑呑口

歌︑俳譜︑鞠︑茶の湯船寺の一般的︑な穀養に骨折ったらしい︒此叫甲子は営時の支配階級武家の教養となるものであった︒百

姓町人と賎しめられ︑利己忘恩の如きずら町人たるが故に許された位踏みつけられた町人階級にも︑教養を求める精紳

(19)

が生き/¥と働き出した口役中等の模倣すぺく志したのは親しい睡迫者である慮の武家階級のそれであった口営時は武

士道が山鹿素行によって理論的基礎付けを了へた許りの頃で︑赤穂の義士の快義一を去る事まだ日も濃く忠義がたび/¥

偶像化されつLあった時である︒

徳兵衛に依って示された義理︑故主の子であるが故に現在の吾が子たる輿兵衛の足を甘んじて受ける事や背き去った

子供に劃して故主に謝する迫慕の故に之に愛荒するといふ精榊は︑明らかに営時の主人と番頭との雇傭関係の上に結封

服従と一言ふ君臣聞の徳を移入反映したものである︒故に輿兵衛は明らかに著しき理想化を経たものを考へねばならない︒

近松の時代物にはとの典型的友君臣閥係が弛かれるが︑明らかに之を主人と傭人の聞に持込んで猶自然味を失はないで

居るのは営時としては珍らしい︒謂はど武士道の遁俗化であり近松の町人軟化機能の一つの表はれとして観察すべきで

あら

う︒

併し町人生活の内面的必然から生やるのは生きた義理である口それが割合に本出に説明せられて居る口上巻

tN吉の諌

めに︑﹁商人と言ふものは一文銭もあだにせや雀の由来もくうにたまる随分稼いで報連の屑助け﹂とき口って居るが︑更に下

︑ ︑

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巻では︑﹁との銭一文でも仇にはなるまい︒肌身につけて一稼ぎ︑長二人の葬糟陀立抵友乗物にのせうといふ気が左け

れは男でも悔いでも‑たいo﹂一五々と忠告して居るし︑共の少し前の所で徳兵衛の述懐には了度之を反観する様に︑﹁葬

•••••••

踏には:::あっばれ死に光りやらうと思ふたに子はありながらその甲斐なく:;;﹂と説いて居る︒此れは町人がまだ内

面的生活を開拓せ歩︑共の義理が道理と言ふ抽象性に捉へられ示︑専ら物質的問題と絡始して居た事を示して居るので

はな

いか

義理の他の一断固は輿兵衛の態度に見られる口部ち義父︑生母を怒に任せて打揮して之を不孝として反省して居友い

... 

@程の輿兵樹も︑借財の詩に町へ断られて金銭上の不名替が父にかLると知った時︑罪もない‑人妻そ殺してまでも之を償

ふべき義理を感じたのであった︒

金銭上の信用を絶封に必要とした町人生活から必然的に生れ出る義理は寧ろ後者を・王轄とすべきであらうか︒而て此

義理の塵力が強ければ強い程義理と人情の高藤は深刻になる口町人間たるが放に︑近松の作口聞を味ぴ得eへき地馴らしが

(20)

平く出来て居たし︑今日猶江戸の歌浮瑠一璃と封抗して︑しんみりした義太夫が大阪では理解される所以では︑なからうか︒

若し此の事が員管である友ら︑輿兵衛の

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吉殺しは始めて普通の物取りと遣って︑殺人の必然的理由が輿へられるで

あらう︒そしてむ吉への申し詳の﹁死にとも左い筈尤も

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︑と宇たの換が可愛いLE俺も俺を可愛がる親父がいとし

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ぃ︒金掛ふて男立でねば友らぬ︒あきらめて死んで下されU﹂が翠なる申し誇で山口同時の町人生活の上に普遍性を有して

居た典型的な感情であったわけであるoそしでこの解緯はやがて後段に鮮かうとする輿兵衛の﹁悪'一の矛盾を幾分統一

し合理化する事にならうo

輿兵衛の﹁悪﹂の解剖

7t 

ファウストの語に従へば︑悪魔は﹁.物を否定する襲﹂二常に惑を欲し却って常に善をなすかの力の一部﹂である口悪

は悪で一貫する時一一暦善の光明を輝かすのである︒近松は殆ど悪人を描かなかった中で︑珍らしく此の様な悪人を出し

それが成功して居る事は中身面白い口部ち輿兵衛の悪が︑徳兵衛やゐさわ友り︑必士口なりの養と美とを輝かす劉照的危

暗さを作って居る口曲全酷から一吉へばさう一吉へる︒然るに輿兵衛の性格の耕一換といふ一面

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人殺しを悔悟して﹁仇も

敵も一つ彼岸南無阿繭陀悌﹂と祈らせて居る事を題目とする時︑そとに徴︑極的な性格の展開の不鮮明さに多少の不安を

費えさせられる︒謂はピ不自然を感じさせられたのである口

若し輿兵衛が父親に封する愛を眼畳ました事を明瞭に肯定するたら︑近松の筆は梢々拡り過ぎて居る口軒下で父母の

純愛を聞いた輿兵衛が︑﹁父母の昂るを見で心一つに打ちうたづき脇差し抜いて懐に:::﹂との描馬は何を意味するの

であらうか︒最初から殺意と物取りの考へがあったと考へねば友らぬ筆致である口父母の愛の震に殺人の決心を斯う簡

翠にさせながら︑結末に至って︑﹁人を殺せば人の嘆き人の難儀といふ一挙にふっと眼っかぎりし:::﹂と滞解させて居

るのは訟りに軽々しいものと一言はねばなるまい口若し此の殺人の動機が︑平気で打四慨する様な而して勘嘗までも受けた

親に劃する一時的の小感激に基く吉目的な意志にあると解醐押された友ら︑た吉はまるで気紛れの最も馬鹿/¥しい犠牲

に過ぎなくたり︑寧ろ一篇の諮詩劇に堕在し︑美くしい拝情的友文句は無用の費物に蹄するであらう︒そしで親息ひの

(21)

12: 

器解は全くの御座なりに過ぎなくなり︑杢篇散漫笑ふべきものとなるであらう口

此の破綻を救ふの遣は︑輿兵衛の改心を貫賓とじて︑員情よりの許願がむ吉に素気友く断られて︑筒動的に兇行に及

ぶといふ解轄である︒とれなら気紛れではあるが常民情を以

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一貫する︒共の震には父母の純愛を聞いた折の心理描寝 の若干行を是非加へでほLい︒他の統一を興へる注は︑義理!特に金銭関係の不義理に闘する峻酷なる一位舎の制裁を

・ ・ ・

・ 唱 ・

想定する世帯である口前に輿兵衛は︑﹁町中呼び出す﹂といふ母の一マ一口葉に畏怖して居る口町の制‑裁が自治的に頗る峻烈で

@ ‑

‑ ‑

あった事は察せられる︒﹁町へ断る﹂と言ふ小兵衛の催促に甚しく長怖じ理性の平衡を失った所へ︑父母の愛を聞いて

病的に昂奮し兇行を敢でしたと解轄する事である︒そしたら共後のドラらしい豪遊も︑兇行後の内心の不安に封する自

己欺摘だと考へられなくもない口とれ友ら兇行に飴程の必然自が来るでるらう︒但し町の制裁の峻烈に就では向一段の

史的考識を要するが︑それは今日のカの及ばない所である︒敢て臆訟を披棟したに過ぎない︒

理'

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人 情

義理に縛られで本然の人情は何底かに噴出口を見付けやにはやま︑泣い︒﹁武家が親類の故局か義理難い﹂去さわが夫

を崎まして興兵構を勘営しつL︑矢張甘い母親らしく綜一把銭五百を窃に持出した内心の葛藤︒とれが近松の段曲の典

型的な現れであるoそしで沿吉の機轄で共の人情の希望する庭が謹せられ相にιなるや泣いで苦努を忘れていそ/¥と蹄

り行く嬉しさ︒とれが近松の作品の讃者聴者に輿へる清躍である︒共の著しいのは近松の情死讃美である︒

﹁.誰が合ぐるとは曾根崎の森の下風一菅にきとえとり停へ︑貴賎群衆の同向の種未来成悌疑びなき識の手本と友りにけ

り 口

﹂ 曾 棋 崎 心 中

﹁直ぐに成悌得股の誓ひの網島心中と目ごとに涙をかけにけり

0

.

天 の 網 島

斯くで義理の桓桔に悩む人情が︑慌惚左る謀術的陶酔の中で勝利を占めてゆく事は︑心に

P T 盾を感じて居る人々にと9

でどれだけか救ひの手の様な慰安を感じさした事であらう口市して近松の偉大さは︑かLる意味にで嘗時の一般具象

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代鰭

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(22)

近松を讃んで離れ難なく感じさせるとの事術としでの慣伎が︑如何なる特殊性左持ち︑司会文壊の分野の中に如何友る

地伎を占めるかを考へるべき時が来た様である口

よく

一一

民は

L様に近松は日本最大の戯曲家として日本のシヱイクスピアと稽せらるLのである口共の︑三イクスピア

の虞債を後見したのは濁謹のがlfアでるって︑共の推奨に端を護して︑シェイクスピアの鶴諜は濁謹闘民文庫一中に不抜

の地歩を占めるに一世一ったし共の感化を含むがlテ一代の傑作がファウストである事は言ふ迄もあるまい口市してファウ

ストの根本精紳は︑本篇の冒頭にも出しで置いた様に︑智識共のものに飽満して︑親しい情感の世界に新しい人間性の

姿を見ょうとする分裂と宵除の精神である︒自己の中たる小宇宙を再構成してゆかうとするのであるo

故に

共・

の鰹

の利郊々々も︑鋭い反省によって支持せられ︑深い自意識が展開してゆくのである︒

反之︑近松の世界は何といふ音柴的友流動的な無反省な純一友精神を以て貫いて居る事であらう口謡曲が平安朝の行

情的詞付を以て構成せられて居る様な印象を受けるに反して︑近松の作品は隆建の小唄をでも聴く様なll俗語の精神

に依って歌はれて居る事を感ぜしめる0・目意識が自我の分裂を楽し易く︑時として二元性の謹宮に五日等を導くに反し︑昔

業的

流動

の世

界は

純'

tた高幸︑な﹁一考﹂の世界一で︑泣くも笑ふも朗らかな気持を失はない︒共の著しい例一司として︑オセ

ロのイヤゴと泊地獄の興兵痛を比較して見るがよい︒

すれば乃公の事を悪第といふのは何故ぢや?乃公の忠告があくまで員賓友好意から出て道理らしうもあ

り︑何様ム

l

Tの機嫌をとり返す方便らしく見ゆるのに︒(中略)へん︑︑地獄道といふ奴ぢや!悪魔が大

きな罪悪を入閣にさせうとする時分には︑先づ神聖らしい様子をして誘き出す乃公が今ずるやうに︒(中略)

そして淑徳をも揮青と見せ︑女めの深明を種にして彼奴等を一網にする大きな投網をとしらへてくれう口

坪 内 造 建 氏 誇

九Q イヤゴ 73 

明らか友意識を以て自己の悪を議行しようとする意闘があるではないかc彼は自ら廻らす種々なる謀計が

ii

特に他

(23)

入の善意と深切を利用して之を陪穿に落す事を愉快と感じて居るのである口破壊とそ彼の天性ではないか口然るに輿兵衛は之と建ふ口中ノ各の狼籍でも筒動的な痢療に過ぎない︒近松自身の解設は︑右の眼の見るた吉殺しは

父を可愛く忠ふ徐り︑そして左の限は七左衛門等の嘆きを知らなかった︒置一賓の意識の悪だと一一一口ふのである口彼の筒動

の波のまに/¥流れゆくのであって︑会韓より見てとそ悪たれ︑部分としては員賓と善き意志││少くとも善悪無記た

る 衝 動 の 支 配 す る 鹿 で あ る と い ふ 意 味 で あ る 口 一

是とそ一人の悪魔的性格の者の居ない朗らかな神話を有する日本人の文庫ナに相躍しいものではなからうか︒不倫な情

捕の震に南海に配流されたる愛人に封し︑﹁君がゆきけ長くなりし﹂を待ちかねて後を誼ふ女性の情熱に満睦の同情を

憎まなかった日本人の文撃の正統ではないであらうか︒

自意識の力的展開は力強い批犬伝悲劇を展開するであらうが︑との小さく可愛い悲劇は又別種の無限の美くしさでた

い 事 も 友 い

︒ 一 九 二 一

0・八改稿

参照

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