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子ども・青年の人間関係の特質と

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子ども・青年の人間関係の特質と

    いじめにおける仲間関係

一近年の「いじめ問題」を中心に一

  富田充保

(法政大学非常勤講師)

はじめに

L1985年以降の「いじめ問題」の推移 lL近年の子ども・青年の人間関係の特質と  「親密さの今日的変容」

川.今日のいじめを生み出す仲間関係の特質 lV.小括と今後の課題

はじめに

 1985年を前後として、全国の小・中学校での いじめが社会問題化した。「葬式ごっこ」に象徴 される中野区富士見中「いじめ自殺事件」をは じめ、10数件におよぶいじめを苦にした自殺事 件がおこったのである。いじめは、その程度や 質を異にしながらも、確かにかなり昔からずっ とあったものではある。しかし、この時期のい じめは、その自殺にまでいたらしめる深さ、広 がり、手法等を有しており、ただならぬ事態が 進展していることを社会に訴えた(「第一次い

じめ多発期1)」。以下「第一期」と略称)。

 にもかかわらず、10年後の今日、1994年11 月におきた愛知県西尾市の大河内君のいじめ自 殺事件を含め、いじめに絡む自殺は、1994・

1995年度あわせて「第一期」を大きく越える数 に達しており、「第二次いじめ多発期」(以下、

「第二期」と略称)ともいうべき、より深刻な事 態に直面している2)。

 こうしたなか、わたしたちは、「第二期」とい う今日の事態をとらえるのに、いったい85年前 後の「第一期」と何がどう変化しているのかい ないのか、改めて検討し直す必要にせまられて いる。そして、どのような論点が改めてとらえ

直されなければならないのかが、問われてい

る。

 そうした課題意識にたち本論は、「いじめ問 題3)」の検討を通して、「子ども・青年の人間関 係の特質といじめにおける仲間関係」を明らか にすることを目的とする。

 以下ではまず、「第一・期」において明らかにさ れてきたいじめの実態と考察の到達点の一端に っいて検討した上で、「第一期」から「第二期」

にいたる変容過程について言及する。次に、そ うしたいじめの背後にある「人間関係の特質」

について、同じく「第一期」と「第二期」に提 起された、代表的な見解を比較検討する。そし て最後に、「今日のいじめにおける仲間関係」

を、愛知県西尾市の大河内君のいじめ自殺事件 の検討を通して提示し、今後の「いじめ問題」

の新たな把握と求められる実践課題の一端を示 すことにしたい。

1.1985年以降の「いじめ問題』の

  推移

1.量的推移

 まず、いじめの量的な推移はどのようなもの であろうか。文部省調査によれば、1985年度

(上半期だけの集計)には、155,066件を数えた が、その後86年度は年間で52,610件、87年度 は35,067件とはっきりとした減少傾向をた

どっていた。

また、学年別いじめ発生件数を見ると、85年 度こそは小学校6年をピークにしていたもの の、86年度以降は中学1・2年を山としている

1

(2)

構図は、近年まで変わっていない。

こうした統計結果もあって、86年以降いじめ の沈静化が指摘されてきていたが、これ以外の 調査結果はどのようになっているだろうか。

 滝充は、1985年から87年にかけて、宮崎県 の一都市の中学校区(中学校1校・小学校3校)

の小学5年生から中学3年生までの児童・生徒 1300名前後を対象に、3年間の追跡調査(ただ し、年度ごとに対象学年が1部ずれてゆき、小 学校で半分・中学校で3分の1が入れ替わるこ

とになる)を行った 1)。この調査は、 いじめ っいて、①〈仲間はずれ、無視、陰口〉②〈い やがらせ、いたずら〉③〈わざとぶつかる、叩 く、蹴る〉④〈脅かす、暴力、金銭を要求する〉

の4つを典型的なタイプとして設定して、さら にその4タイプのそれぞれをいじめの強度に応

じて、 悪質群 過剰反応群 中間群 5)とし て、いじめ経験の推移を追っているものである

(図1−1・図1−2)。

 ここでは煩雑になるので小学校5・6年の結 果と、滝の見解を紹介する。これによると85年 から87年にかけて、まず加害経験においては、

〈仲間はずれ、無視、陰口〉タイプが 中間群 のみならず 悪質群 においても減少したが、

それ以外には大きな差はなく、いわゆる軽微な いじめ の減少としている。また、被害経験に ついて、①②③については3タイプともに2年

目に一旦減るものの、3年目に再び増加して元 に戻っている。また④については微増してい る。結局、被害経験から見る限り、 いじめ 沈静化という傾向は指摘できず、横ばい傾向と 指摘するのがふさわしいとしている。また、目 撃経験については(L②③④ともに2年目で一旦 減少し、3年目で再増というパターンをとって いる。そして全体として、目撃経験からのみい じめの沈静化(というより減少傾向)を指摘す ることは可能だが、このことは単にいじめが目 撃されなくなったという事実の指摘にすぎず、

加害経験・被害経験からうかがえるとおり、文 部省統計にいうような沈静化とはとても言えな いとしている。

 この調査が追跡調査という貴重なものであり

ながら宮崎県の1都市の中学校区に限定された ものであったのに対し、88年度の全国政令都市 11市と東京都区部の約6,000名の中学2年生に 実施した調査で、一定の減少傾向を指摘したの は、森田洋司であった。これによると、「1988 年度の私達のデータでも、4年前の84年度調査 と比べて、いじめが減少傾向にあることを窺わ せる結果が現れている。調査の対象となった中 学2年生の生徒全体に占める割合を両年度で比 較してみると、いじめっ子は、14%から4%へ と減少し、いじめられっ子も、全生徒の11%か ら8%へと減少している。また、両年度内の1 年間学級でいじめが発生していたことを知って いた人数を示すいじめ認知率は、7割から4割 に低下している(森田洋司編著『「不登校」問題 に関する社会学的研究』大阪市立大学社会学研 究室、1989年)」6)。

 この結果をふまえ、いじめの一定の減少傾向 について、以下に四点に渡って評価を下してい

る。

 まず、①85年度から89年度までの減少率が 7割を超える大幅なものである文部省統計と比 べて、自分たちの調査の減少率はもっと穏やか なものであること ②そしていじめっ子、いじ められっ子の人数および学級内の発生認知率 が、それぞれ一様な減少率を示していないこと  ③文部省の公式統計が担任教師を対象として

教師が認知したいじめの発生件数を学校、都道 府県教育委員会を経て文部省に報告されたもの であるのに対し7)、我々の調査が子どもたちか らの報告に基づいており、対象も方法も異なっ ていること、④したがって、両者の数値の違い には、両者の目に映ったいじめの見え方の違い が反映していること、を指摘している。

 以上の評価は、いじめの沈静化如何をとらえ る上できわめて重要な示唆を与えている。つま

り、84・85年から88・89年にかけてのいじめ の減少傾向が、何より学校・教師にとって大幅 な減少としてとらえられたにすぎないものであ り、子どもたちにおいては、宮崎調査にも示さ れていたように、いじめに対する加害意識の減 少と、被害感情のわずかな減少であって、とて

(3)

30一  繊

20

10一

0

富田充保 子ども・青年の人間関係の特質といじめにおける仲間関係

図1 1  いじめ 経験率の推移(加害経験)小学校(%)

%201510

50

仲間はずれ・無   視・陰ロ

蕪.

85年 86年  いやがらせ・

   いたずら

回國留 團回認 回圓國 

85年 86年 87年  わざとぶつか    る・叩く

團回回 回匝司國

 おどかす・暴    力・金銭

図1・一一2  いじめ 経験率の推移(被害経験)小学校 (%)

85年86年87年

仲間はずれ・無    視・悪口

85年86年87年

 いやがらせ・

   いたずら

85年86年87年

 わざとぶつ  かる・叩く

85年86年87年

 おどかす・暴    力・金銭

3

■悪質

■過剰 團中間

■悪質

■過剰 國中間

(4)

も沈静化したとはいえないものであった。

 以上が、85年前後からのいじめの量的推移の 中から導き出される点であることを銘記してお

こう。

 実際、愛知県西尾市の自殺事件をはじめとし ていじめが社会問題化した後に、94年12月か

ら95年2月15日までにかけて、いじめの総点 検を学校・教育委員会を対象に全国で行った文 部省調査の結果は、新たに1万7,800件ものい じめが発見されたことを明らかにしており、最 終的には平成6年度のいじめの発生件数は、前 年度を35,000件も上回る56,601件にのぼった

ことが、そのことを証明している8)。

2.質的推移

 それでは、85年前後には質的にはどのような 事態であり、それがどのように問題化されてい たのであろうか。85年に出された著書の中で、

小林剛はいじめ集団の構造と特徴についてまと

め一モ「る9)。当時における実態と考察がどのよ うなものであったのかを窺いしれるので取り上 げることにしたい。

 まずいじめ集団の構造については、①「集団 化したいじめっ子と孤立したいじめられっ子」

という構造②いじめの「標的の転換」③強 者への収敏④無言と傍観の第三者が圧倒的多 数であること、を指摘していた。また、特徴に ついては、①相手に対する攻撃が陰湿であるこ と②期間が長期化していること ③いじめ行 為を正当化するものが多数派をしめていること  ④いじめが偽装されて本当の姿が外部に見え にくくなっていること⑤実に巧妙な手口が使 われていること、を先行研究や自らの調査・臨 床体験から挙げていた。

 また、ほとんど同時期に出されたもので、当 時における実態と考察を知る上で検討に値する と思われるものの一つに乾論文があるIo)。乾 は、84・85年に小中学生を対象に行われた深谷 和子らの調査を下に、いじめの展開過程に対

し、少年期から思春期にかけての発達過程をて いねいに掬いとりながら考察を加えている。

 まず小学校低学年では、いじめる側はあまり 集団化しておらず、内容も「無視、仲間はずれ」

は少なく、「悪口・からかい」が多い。中学年に なると、①「クラスの全部」②「男子の全部」③

「女子の全部」で50%を越え、いじめる側の集 団化傾向が見え、内容も「無視、仲間はずれ」等 が増え、集団いじめ的なものが登場し、「ぶつ・

蹴る」などの暴力的いじめが小学校では最多と なる。高学年では、いじめる側の集団化傾向は さらに高まり、先の①②③で6割を越える一 方、いじめられる側の特定化傾向も進み、いじ めの期間も学期を越えるなど長期化している。

中学校では、やや状況が変わり、いじめられる 側の特定化傾向が続くものの、いじめる側は

「一部のグループ」「ある1人」で約5割から7 割を占め、内容では「暴力」「金品をとられる」

等の非行的色彩を帯びてきて、いじめられた場 も「クラス外」が3割あり、その相手も5割が

「同級生グループ」だが、「上級生を含むグルー プ」「部活動という場合も少なくない。

 こうした実態を踏まえて乾は、「このように 学年を追ってその特徴を見ると、いじめの今日 的特徴である『集団いじめ』が、少年期なかば の小学校中学年から次第に顕著になり、少年期 の後半、思春期の入り口に立つ5・6年生でそ の量的拡大がピークに達するとともに、中学生 に入るとそれは非行的性格も帯びながら陰湿に エスカレートし、多数の傍観者たちの消極的肯 定を含んだ『いじめ構造』を形造ることがわか る。したがってこのことは、少年期後半から思 春期にかけての子どもたちの発達の今日的状況 が、いじめ問題と深く結びついていることを示

している」と指摘している。

 こうして小林・乾の論考を踏まえると、85年 前後において次のような実態と、それに対する 考察がなされていたと整理できるだろう。すな わち、小学校中学年から高学年にかけて、いじ めがクラス全体を巻き込むほどの集団化を示す とともに、「標的の転換」を含みながらいじめら れっ子が少数に特定化されてゆき、そして中学 校にはいると、いじめの場やいじめグループの 範囲を広げながらも、いじめっ子の側は次第に 少数のグループに絞り込まれると同時に、それ を多数の観衆・傍観者たちの消極的肯定が支え

(5)

富田充保 子ども・青年の人間関係の特質といじめにおける仲間関係

ているという構造の下で、その内容は陰湿で非 行的色彩を帯びたものとなり、いじめが長期化 かつエスカレートし歯止めがきかないで陰惨な 事態を生み出しているというものである。

 こうしてみると、85年当時においてすでに、

今日的ないじめの構造と特質の大半は指摘され ていたように思われる。この点を、実際86年に 出版した旧版を94年に新訂版として改訂した 森田洋司の論文を比較の対象として確かめてみ よう11)。彼は、その旧版の「lntr(⊃duction変わ

りゆく『いじめ』の世界一いじめの今日的特 徴一」を全面的に書きかえているが、旧版当時 の状況からの変化を再検討した上で、あらため て次のような今日的特徴を指摘している。

 まず第一に、いじめの可視性の低下である。

それは、子ども集団の外からの見えにくさ、教 師や大人からの見えにくさであり、それだけい

じめが子どもたちの世界の裏側でひそかに行わ れているということである。第二に、立場の入 れかわりである。いじめの初期の鞘当ての段階

に、こうしたことがよく見られるが、グループ 内の「使いっぱ」が、他の同級生をいじめる役 を強要されたり、昨日までいじめられていた子 が集団圧力を前にして無視する側に回るなど、

陰湿な場合にも入れかわりが見られるのであ る。第三に、スティグマの拡大である。スティ グマとは烙印を意味する言葉であるが、従来の いじめが主として社会的弱者への攻撃であると すれば、現代のいじめは弱者・強者を問わず、

集団全体から上下・左右すべての方向にはみ出 すものへの攻撃を含んでいる。それだけに、い じめのスティグマは拡大し、誰しもがいじめの 対象になる可能性をもっている。第四に、いじ めの集合化である。昔のいじめっ子は特定のや んちゃ坊主であったが、現代のいじめは、いじ めっ子が不特定多数に広がり、いじめが陰湿に なるにしたがって、いじめられっ子が特定の少 数に固定されてくる傾向がある。第五に、歯止 めの消失である。現代のいじめは昔に比べて陰 湿で残忍な方法がとられ、しかもそれが長期に わたって続くといわれている。現代の学級集団 の中には仲裁役をかって出るものがほとんど見

られなくなっている。まわりで見ている者も、

かかわりをおそれて無関心を装う雰囲気が支配 的である。こうしたために、いじめは長期化す ることになる。第六に、従来、悪に染まった子 どもたちによって引き起こされる事件とされて いた非行と普通の子どもたちの間で起こってい る問題行動であるとされていたいじめとの接点 が徐々に重なり合っていることである。この重 なりは、単にいじめの方法のなかに犯罪的要素 を含んだ行為や粗暴行為がもちこまれていると いうことだけではなく、非行といじめを引き起 こしている背景の共通性に由来している。

 以上の指摘を踏まえると、より近年のいじめ の構造と特徴は、いじめっ子の不特定多数への 広がりと、より非行・犯罪的様相を深める形で はあるが、基本的な特質は変わらず、すでに明 らかにされていた85年前後のいじめのいっそ うの深化・拡大であるといってよい。だとすれ ば、85年前後のいじめの構造と特徴からは、子 ども集団の外・教師や大人から見えにくくな り、一定の減少を示したかのように見え、文部 省が沈静化を指摘したにもかかわらず、この 10年間ちかく、ほとんど歯止めらしい歯止めを かけることが出来ずにいっそうの深化・拡大を 招いてしまったということになる。いったい、

それは何故なのだろうか。

 ここで、その根拠を、社会一般・学校や教育

一・ハの問題に解消することなく、それらと切り 結びながらも85年以降のいじめの変容そのも ののなかに内在的に探ることが、教育学・生活 指導研究の固有の課題であろう。何故なら、そ うでなければ、今後の教育的指導の方途を、そ うしたいじめの事態の内部に具体的に設定する ことが出来ないだろうからである。

 この問いに答えるために、筆者は、森田の指 摘する「スティグマの拡大」に注目したい。「ス ティグマの拡大」は、従来からのいじめの口実

(「不潔」「のろま」「憶病」等のどちらかといえ ばマイナスの価値)に加えて、「まじめ」「正義 感が強い」「成績や運動が得意」というようなプ ラスの価値を与えられていたようなことまでが いじめの理由となっていることを意味するばか

5

(6)

りでなく、子ども集団のアイデンティティーや そこでの人間関係が、そうしたプラス・マイナ ス、弱者・強者を超えて、相互により同質化す る方向に収敏する「相互監視・相互暴力」とい う特質を相乗的に高め合っている実態を示して いるといってよい。これを、相互に傷つけ合い、

差異を消滅させ同質化することによってはじめ て、子ども集団のアイデンティティーやそこで 人間関係が保持されていると言い換えてもよ い。そしてまた、たとえ一時的なものであるに せよ特定の少数のいじめられっ子が媒介となっ てはじめて、子ども集団のアイデンティティー が確保され、そこでの人間関係が強化されるか らこそ、加害意識も希薄な遊び感覚・ゲーム感 覚で半ば興奮しながら、少数のいじめられっ子 を「異質」として特定化してゆくいじめが繰り 広げられているとも言えるのである。

 能重真作が現代のいじめを考察して「いじめ の本質はストレス解消のシュミレーションだ。

それは抑圧されているもの同士による『水平暴 力』というパワー・ゲームであ」ると指摘する のも、同様な問題把握だと言えよう12)。

 これが、この10年間ちかく、いじめにほとん ど歯止めらしい歯止めをかけることが出来ずに いっそうの深化・拡大を遂げたことの、いじめ に内在する重大な根拠のひとつではないだろう

か。

ll.近年の子ども・青年の人間関係の   特質と「親密さの今日的変容」

 上に指摘した「『異質』を特定化し排除しなが ら同質化に向かう相互監視・相互暴力」という 特徴は、いじめ集団の構造や方法・手口の変容 とならんで、子ども集団のなかで競われている 価値をめぐるものであり、そこでの子ども同士 の人間関係の質をはかる上でも重要な指摘だと 思われる。にもかかわらず、そうした把握のま までは、いじめられっ子が異質として特定化さ れ排除されるいじめが必要となるのは、それほ

ど子ども集団のアイデンティティが不安定で関 係性が希薄であるという視点ばかりがクローズ アップされるものとなってしまう危険性がある

こともまた事実である。もちろん、近年のいじ めの深刻化、とりわけ中学校段階におけるそれ に対し能重真作が「現代のいじめはこれまで、

異質排除の論理で説明されてきたが、大河内清 輝君のケースのように標的を排除するのではな く、グループの中に隷属的な関係で取り込んで 同質化させる形態のものが多くなっている」と の指摘もしている13)。つまり、いじめられっ子 を含んであるグループ内では一面で関係性が強 化される中でいじめが起こっているという着目 がされてもいる。けれどもいずれにしても、こ うした「異質排除」「同質化」といういじめ把握 のままでは、いったいそこで何が、どのような 価値が、子ども同士の中で競われ問われている のかを、なお具体的内在的につかみ切れていな いといわざるをえないだろう。

 そこで以下ではまず、回り道のようだが、一 般的な子ども・青年の関係性の質を検討するこ

とから、その課題にせまりたい。

1.近年の子ども・青年の人間関係の特質  まず、近年の子ども・青年の人間関係の特質

を、その関係性の不安定さや希薄さにあるとと らえている議論を検討しよう。

 85年前後の中学・高校生の人間関係を、希薄 化として調査・分析した代表的なものに、東京 都生活文化局が詫摩武俊に委託して行った『大 都市青少年の人間関係に関する調査 一対人関 係の希薄化の問題との関連から見た分析一』

(1985年)がある。まず、友達関係のつきあい 方として「一人の友と親しくするよりはグルー プ全体で仲良く」「心を打ち明け合う」「うける ようなことをよくする」の3つが51%でトップ にならんでいる。この後には、「することや話題 によって相手をかえる」(30%)「相手に甘えす ぎない」(25%)「一人の友とのつきあいが大切」

(15%)「おたがいの領分にふみこまない」(15

%)「突然まじめな話をして相手をしらけさせ ない」(13%)と続く。「心を打ち明け合う」「一 人の友とのつきあいが大切」というように、一 定親密なつきあいがある一方で、その他の項目 は友達とのつきあいが、気づかいを多分に含ん

(7)

富田充保 子ども・肖年の人間関係の特質といじめにおける仲間関係

だものであることを示している。こうしたつき あい方の下でも、友達関係への満足度は、「大 変」「かなり」「だいたい」を加えると、全体で 89%と極めて高い。さらに、特に親しい同性の 一人の友とのつきあい方では、「遊びに行くと きはたいてい一緒」(56%)「ほかの人には話せ ない悩みなどを打ちあける」(48%)「よく電話 をかけあう」(45%)「悪いところはおたがいに 注意しあう」(34%)の順に多く、「人間の生き 方などについて真剣に話し合うことがある」

(20%)「むきになってけんかすることがある」

(17%)などはやや少ない。ここには、「悩みを 打ちあけたり」「注意し合ったり」という率直な 関係が示されているとともに、遊びや電話など たえず行動をともにすることが親しさの証であ るかのような姿が見て取れる。また、「もっとた くさんの友達が欲しい」(74%)「本当に心を打 ちあけられる友達が欲しい」(68%)という思い も強い。しかし、そうした特に親しい同性の一 人の友を親友と思うものは8割を超えて、親密 な友人を多くのものが有している。

 こうしてみると、一方で、中学生・高校生は それなりに親密な友人関係を有しており、しか

もかなりの程度満足している姿がうかがえる結 果である。しかし、他方でお互いにあまり深入 りせず、気遣いしながら表面的に同調し、むし ろ距離をとりたいという意識も明らかであるよ うに見える。虚心に眺めれば、その両者の矛盾 ないしは併存の姿が、一般的傾向であるように 見える。にもかかわらず、この調査視点が対人 関係の希薄化の検証に向けられているためか、

次のように調査のまとめがなされている。

  「このように、現代の青少年の対人関係のあり方  を全体にわたって検討してみると、いくつかの点  で対人関係が希薄化している可能性が認められる。

  その第一は、青少年の対人関係が、親、友人など  の一定の範囲の親しい間柄の人物に限定されてい  て、そこでの人間関係に自足しているためか、それ  以外の他者と積極的には関わりを持とうとしない  傾向が認められる点である。このようにごく狭い  範囲の対人関係にだけ充足していて、自分と社会  的立場の異る上下関係のある人間関係が、現代の

 青少年の対人関係には欠落しているように思える。

 また、最も親しいはずである友人とのつきあいで  も、互いに気をつかいながら深いつきあいをしよ  うとしない傾向が認められるのも、対人関係の希  薄化のもう一つ別な側面であろう。このような友  人づきあいの新しいパターンに、青少年自身が回  答しているように、全員に近い者が満足していれ  ば問題はないのであるが、新しい友達づきあいの  パターンの背後には、心理特性の分析で認められ  た『人間不信感』や『孤独感』が結びついている可  能性が認められる」。

 こうしたまとめから、その後希薄化を実証し た調査として取り上げられるという傾向がある ように思われる。たとえば、佐瀬稔は、「女子高 生コンクリート詰め殺人事件」を引き起こした 少年たちの取材から、彼らにも上記の青少年の 対人関係の姿が当てはまるとして、このまとめ の部分を引用している1の。また、尾関周二は、

佐瀬の指摘を援用して、青少年の「人間関係の 狭隆化と希薄化」に言及し、「今日の〈いじめ〉

には、共同性欲求、コミュニケーション欲求の 充足の疎外された形態がみられる」という立場 から、いじめ現象を引き起こしている大きな2 つの心理的要因の融合について展開している 15)。「一つは、『本当の友達が欲しい』という声 にみられるような共同性欲求の充足であり、も う一つは、『重たい恨み心』(ルサンチマン)の 発散である。つまり、〈いじめ〉とは、ある特定 個人に対する共通の排除行動によって各人の恨 み心を発散させると同時に、共同的関係の歪め られた確認行為である。いじめは、仲間が欲し いという欲求と本当の仲間なんてありえないん だ、仲間は外観で本当は敵だというアンビヴァ レンツな気持ちの表出をともなうコミュニケー ション関係、いわばダブル・バインド的な相互 行為といえるのではないか」。

以上が、一般の子ども・青年の関係性といじめ を、「希薄化」から説明しようという、いくつか の議論のあらましである。こうした議論に対 し、筆者は、青少年の対人関係の狭隆化と希薄 化が進行し、だからこそ「本当の友達が欲しい」

という気持ちが一般的潜在的に存在している、

7

(8)

ということを全て否定するつもりはない。がし かし、尾関が言うように、現代の青少年は「本 当の友達が欲しい」と真に欲望しているといえ るのだろつか。この点を深めるために、さらに 別の視角からの調査と議論を検討しよう。

2.親密さの今日的変容

 ここで、総理府や総務庁の青少年を対象にし た調査から16)、「心をうちあけられる親友の有 無」と「親友数」の近年の変化を見てみよう(表 1・表2)。これらの結果から、約7・8割の者 が心をうちあけられる友人をもっており、しか もその割合が徐々にではあるが近年になるほど 増えてきているのである。また、親友の数をた ずねたものをみると、とくに学生において2〜

3人の親友がいるという者の割合が減り、4人 以上の親友がいるという者の割合が増え、86年 の調査では4人以上が断然トップとなるにい たっているのである。この点は、87年に行われ たNHKの中学生・高校生調査でも、5年前と 比べて「親友jの数が「4人以上」いる者の割 合が44%から51%に増えているという結果が でているln。さらに、「友人関係の満足度」につ いて表3に示した。ここでも、「満足」「やや満 足」を合わせたものがいずれの時点でも8割を 越え84年には9割になっている。しかも最近に なるほど「不満」である者が減ってきているの

である。

 それでは、家族・親に対してはどうだろうか。

表4をみると、やはり「満足」と「ほぼ満足」を あわせて約8割を占め、高校生・大学生に関し ては、以前より増え、9割前後の満足度を示し ている。これは、先の東京都調査でも、両親、と くに母親との関係は良好で、「満足」「やや満足」

をあわせると7割という数字となって現れてい

る。

 さらに、先のNHKの中学生・高校生調査に、

対人関係におけるつきあい方を調べたものがあ る。表5をみると、「親友」の場合でも、「何の かくしだてもなくつきあう」は、65%から59%

へ減少し、逆に「ごく表面的にっきあう」が9

%から13%に増加している。この傾向は、「兄

表1 心をうちあけられる親友の       有無(%)

1955   1970   1975 いる

いない

66.9   75.6   78。1 33.1   24.3   21.8

(備考)総理府広報室「青少年の社会的   関心」(1955).総理府青少年対策本   部「青少年の連帯感などに関する   調査」(1970,1975)による。

弟・姉妹」「担任の先生」「お父さん」「お母さん」

との関係でも見られる。この点では、以前に比 ベガードを固くし、お互いに深入りしないで距 離をとろうとする、中学・高校生の一面が強 まっていると言えるかもしれない。けれども、

むしろ目を引くのは、中学生・高校生になって も、親と「何のかくしだてもなくつきあう」者 が、父親とで4割強、母親とでは5割をしめて おり、その濃厚な親密さぶりに驚かされる点だ

ろう。

 そのうえで、今までの調査結果から「親友」

とのつきあい方をめぐって問われるべきは、一 方で「親友」とのつきあい方が以前に比ベガー

ドを固くし、お互いに深入りしないで距離をと ろうという姿勢が増えてきているにもかかわら ず、他方で「親友」のいる割合もその数も以前

と比べて次第に増加しているという事実であ

る。

 それは、「親友」の中身が表面的で薄いもの に、その内実が変わってきたのだという意見が 調査者からは指摘されている。けれども、表5 に示されているように、「親友」とは別に「普通 の友達」という項目があり、そこでは「ごく表 面的につきあう」ことが支配的な傾向であるこ とが示されている。つまり、「親友」と「普通の 友達1の区別をつけているのであり、それなり に冷静に意識したつきあい方をしているのであ る。したがって、問題は「親友」とのつきあい 方が以前に比ベガードを固くし、お互いに深入 りしないで距離をとろうという姿勢が増え、し かもそれをそれなりに冷静に意識しているにも かかわらず、なぜそうしたっきあい方でも「親 友」と呼び、その割合も数も多くなっていると

(9)

富田充保 子ども・青年の人間関係の特質といじめにおける仲間関係

答えるのかという問題が浮かび上がっ てくるのである。

 こうした事態は、次のことを意味し ていると考える。すなわち、親友関係 において、互いに「深入りせず距離を とる」ことが、「それなりの親密さ」を 保証し、満足感を与えているという事 態である。いいかえれば、互いの距離 を詰めないことが、親密な関係を保持 する術になっているということである。

それが、人間関係の距離を詰めずにい ながら、たえず離れずに行動をともに することが「親友」の証になるという ような関係を生み出しているのであり、

多数の親友という意識を成立させてい るのではないだろうか。その意味でい えば、筆者が先の東京都の調査から、

「それなりに親密な友人関係を有してお り、しかもかなりの程度満足している 姿」と「お互いにあまり深入りせず、気 遣いしながら表面的に同調し、むしろ 距離をとりたいという意識」が矛盾な いし併存しているとしたのは、ここに いたってとらえ直されねばならない。

両者は、矛盾しているのでも併存して

表2 親友数の変化(%)

  1980a   1980b  1985    1986 在学生有職者        大学生有職者   1人

 2〜3人  4人以上 1人もいない

10.9   13.0  10.7  18.3   6.2 42.7   54.2  58.1  54.4  31.9 37.6   22.6  24.6  29.8  58.7 8.8   10.2   6.6   7.6   3.2

9.4 44.6 43.0 2.3

注)1980b、1985は「4〜5人」、 f6人以上」というカテゴリーがあ  るが、他と合わせるために「4人以上」としてまとめた。

(備考)総理府広報室「将来選択期(15〜19歳)における青少年の  意識調査」 (1980a)、総務庁青少年対策本部「現代青年の生活  志向に関する研究調査」(1986)、総理府(総務庁)青少年対策本  部「青少年の連帯感などに関する調査」(1980b,1985)による。

表3 友人関係の満足度(%)

1972  1977  1984

「満足」+「やや満足」

「やや不満」+「不満j

83.9   83.9   89.8 16.1  15.8   7.1

(備考)総理府青少年対策本部「世界青年意識調査」

   (1972,1977,1984)による。

表4 家庭に対する満足度(%)

調査年 対象者:

1972

(18〜24歳)

     1980

高校生  大学生   在職者     (18,19歳).(15〜19歳)

 満足

ほぼ満足 やや不満  不満 分からない

39.3 39.9 15.9 4.7 0.2

46.0 43.0 8.6 1.6 0.8

44.0 44.6 8.4 2.4 0.6

32.8 47.4 14.9 3.1 1。8

(備考)総理府(総務庁)青少年対策本部「世界青年意識調査」

(1972),総理府広報室「将来選択期(15〜19歳)における青少年の意識 調査」(1986)による。

表5 「つきあい方」今回と前回の比較(中・高生全体の男女別)

なんのかく烽ネくっきあうしだて 心の深いところはだウないでつきあう つきあうごく表面的に いない 無回答 わからない

1982年 1987 1982 1987 1982 1987 1982 1987 1982 1987 L親友

全男 65%

T6

59 T0

22 Q6

24 Q8

912 13

奄W

33 22 22 22

73 70 17 20 6 7 3 1 1 2

16 12 32 29 50 57 0 0 3 2

担任の先生 18 14 33 28 46 55 0 0 3 2

13 9 31 29 53 60 O 0 3 3

41 35 35 16 18 3 3 3 4

お父さん 47 43 32 31 15 19 3 3 3 4

41 38 39 38 16 16 2 3 3 5

53 50 33 31 11 15 1 1 3 3

お母さん 50 47 34 31 13 19 1 1 3 3

57 54 32 30 9 11 1 1 2 3

11 9 45 40 43 50 0 0 1 1

普通の友達 13 11 39 33 46 54 0 0 2 1

L_

8 8 51 47 40 45 0 0 2 1

鵯1:器男鯛1慰女囎1鰍

(10)

いるのでもなく、「深入りせず距離をとる」こと が「それなりの親密さ」を保証するという関係 にあるのである。

 筆者は、こうした事態を「親密さの今日的変 容」と呼びたい。これは、思春期以降、基本的

に同性の一対一関係において成立するという

「親友」概念とは明らかに異なり、発達論の通説 の今日的変容が迫られるような事態である。

 いったい、こうした事態はどのような社会的 背景から生み出されてきたのだろうか。まず、

子ども独自の集団を作り、悪ふざけや馬鹿騒ぎ をしながら、社会性や自分たちの規範を学んで いくとされるギャングエイジを中核とした「仲 間関係」の時空のやせ細り、すなわち発達論の 通説にいう少年期の希薄化という今日の子ども の生活の変化が挙げられるであろう。そこに は、「早期教育」や受験に向けた第一ラウンド の選抜の低年齢化(例えば私立中受験のための 通摯)による、少年期の圧迫という実態がある。

そこに地域における共同体的関係や多様な異年 齢集団の衰退が並行していたことは、いうまで

もないだろう。その意味では、「たえず離れずに 行動をともにする多数の親友」という意識に は、積み残され先延ばしにされた少年期の遅れ ばせながらの回復という側面があるといえるか もしれない。その分、かえって少年期的「仲間 関係」をいつまでも引きずっている姿と見るこ ともできなくはない。したがって、少年期にふ さわしい発達課題一社会性や規範形成一を充 分こなしてこなかったがゆえに、思春期の「親 友関係」が、成立し難くなっているのだという

こともできよう。

 けれども、それらを踏まえたうえで考察すべ きは、そうした発達論の通説の今日的変容、す なわち親友関係において「深入りせず距離をと る」ことが「それなりの親密さ」を保証すると いう関係にあるという事態が、一体何を意味し ているのかということであろう。

 筆者は、一言でいえば、「一人でいること」

「個別的に存在すること」が、「たえず離れずに 行動をともにする多数の親友関係」において保 証されないことを意味していると考える。それ

は、だれにとっても「一人でいること」「個別的 に存在すること」、と、「群れながら行動をともに する人間関係」がともに必要であるにもかかわ らず、その両者の自由な往還が阻害されている ことへの、彼らなりの一つの対応であり、実際 のところ異質な他者の経験を自らに組み込むこ との欠如=他者性の不在であると言いかえても よい。そこには、「対人関係の希薄化」というよ りむしろ、「本当の友達とは何か」ということを 充分に試行錯誤し納得する前に、「友達・仲間・

グループに加わること」を、相互に強迫しあう ような関係に置かれていることが示唆されてい ると言うべきなのではないだろうか。だからこ そ、他者性を削ぎ落とすような関係を強めなが らも、親友がいる、しかもたくさんいるという ことを自分に言い聞かせ、他者に表出しようと する意識が、広範な子ども・青年に共有される

ことにつながっているのではないだろうか。

 したがって、問われているのは、「一人でいる こと」「個別的に存在すること」と、「群れなが ら行動をともにする人間関係」との自由な往還 を可能とするような「適度な位置」「適切な距 離」を、どう生み出していくかという課題なの だ。そしてまた、異質な他者の経験を自らに組 み込むことを可能にするスキルの獲得と、「適 度な位置」「適切な距離」を相互に承認しあう集 団秩序と規範の新たな形成という課題なのだ。

その点で、「深入りせず距離をとる」ことが「そ れなりの親密さ」を保証するという姿には、「一 人でいること」「個別的に存在すること」を、本 格的に尊重するような集団的関係を求めなが ら、それがかなえられていないことを示すもの とも言えるのであり、「一人でいることj「個別 的に存在すること」を求める押し止めがたい子 ども・青年の動向が示される時代に立ちいたっ ているともいえるだろう。

川.今日のいじめを生み出す仲間関係   の特質

 それにしても、以上のような一般的な子ど も・青年の人間関係における「親密さの今日的 変容」と対比したとき、今日のいじめにおける

(11)

富田充保 子ども・青年の人間関係の特質といじめにおける仲間関係

仲間関係は、一体どのような特質を帯びている のだろうか。

 先に紹介した乾は、同論文のなかで、すでに 85年前後に、深谷和子らの調査の「どんな子が いじめられたか」の変化を追いながら、学年を 追うごとに「とても仲よし」が増加し、中学3 年では、「前から仲の悪かった子」18%「ふつう のつきあい」45%「とても仲よし」37%と、「い じめの多くが、むしろ比較的親密と思われる仲 間関係のうちでおきていることを示している」

としていた。そのうえで、子ども同士の関係が 学級という閉鎖的空間内部に閉じ込められ始め たという他の調査結果を示しながら、そのため 子どもたちの仲間への人間関係的欲求のすべて が学級に向けられるが、閉鎖空間内部にあるだ けに、凝集性が高まる以前にグループ間の対 立・葛藤が激しくなるなど、持続性はきわめて 弱い。そこで、凝集性を高めるための触媒とし て、集団内部の異端分子を排除する行動、すな わちいじめを通しての、仲間同士の同一性の確 認ということが必然的に多くなるとする。しか し、閉鎖空間であるが故に、先の触媒が集団外 にはない以上、いつ自分がいじめられる側にま わされるかわからないという不安感を抱き、仲 間集団内部で自分を表現することは、きわめて 不自由になり、異常なまでに他者に気づかうこ とになる。「したがって、小学校高学年から中学 生に移るにつれて、表面的で凝集した関係をさ らに維持・強化させようとする一部の生徒たち の間では、いじめがさらにエスカレートして非 行的様相を深めていく。その一方では、他の多 くの生徒たちの中に、他者への非関与的傾向を 芽生えさせ、彼らをいじめに対する傍観者的位 置へと移動させる」と述べている18)。

 しかしながら、中学生におけるいじめを苦に した自殺事件が多発している今日の時点から見 れば、深めるべきいくつかの課題もまた浮き彫 りになっていると思われる。一体、表面的であ りながら凝集的である仲間関係とは、具体的に はどのような内実を持った関係なのか。また、

仲間集団内部で自分を表現することがきわめて 不自由で、異常なまでに他者に気づかう閉鎖空

間の中から、なぜに表面的で凝集した関係をさ らに維持・強化させようとする一部の生徒たち が生まれてくるのだろうか。その一部の生徒た ちの間で、一体何が、どのような価値が競われ 問われているのか。こうした問いに答えること が、今日の課題であると考える。

 この点で、先に検討した尾関は注目すべき新 たな加筆修正を95年の論考で行っている。大河 内君の事件をめぐる毎日新聞の取材では、大河 内君が加わっていた「社長」と呼ばれるA君た ちの「社長グループ」と「非社長派」の2つの グループの存在が見て取れるとしながら、「非 社長派」の複数の生徒の声がでている次の部分

を引用している。

  「『A君は嫌いじゃない。でも考えがあまりに違  いすぎた。僕たちは平等だから。』そう話す非社長  派男子は、『そりゃあ僕だって、ずっとトップにい  られるのなら、階級社会のほうがいい。でも、下に  落ちたら最低』と、社長グルー一一プの『社会』を評し  た。『じゃあなぜ、A君たちは階級制を選んだのだ  ろう』と尋ねると、しばらく考え、『階級がないと  怖いのかも。平等社会には「いつ仲間外れにされる  か」っていう不安があるから』と答えた。

 二つのグループを比べると、仲間同士のつながり  に決定的な違いがあった。『階級制』を選んだA君  たちは、パシリに塾へ送らせたりしていた。遊びに  行く時にも常に一緒で、濃密な人間関係を築いて  いた。『平等』を選んだ非社長派の男子たちは、特  に決まったメンバーと遊んでいるという生徒は少

 なかった。」19)

 この引用の後、尾関は次のように述べる。

  「ここから、推察できるのは、クラスの中に支配  的なものとして、友愛のある平等な仲間関係の代  わりに、むしろ支配と抑圧を含んだ歪められた濃  密な仲間関係か、あるいは逆に孤立した者同士の  平等ではあるが希薄な仲間関係か、という両極化  された事態があることである。われわれはここに  共同性への欲求と自立性への欲求が両立しえない  今日の子どもの歪んだ人間関係をみる(略)20)」。

 ここには、「表面的で凝集した関係をさらに 維持・強化させようとする一部の生徒たち」と いう先の乾の把握と重なりながらも、微妙では

11

(12)

あるが決定的な違いがある。それは、今日の時 点ではいじめ一いじめられ関係を作るグループ は、「表面的」でありながら、凝集的な関係を維 持・強化しようとしているのではない。まさに そのままで「濃密な」関係そのものであること がとらえられなければならないのだ。問題は、

「濃密な仲間関係」を作ることが、そのまま支配 と抑圧の関係を呼び込んでしまう「親密性」の 質なのだ。

 ここで、大河内君が加わっていたいじめグ ループの行動で、筆者が注目せざるをえないの は、彼らが何度となく繰り返した「じゃんけん ゲーム」である。西尾市立東部中学校の公表資 料には、次の記述がある。

  「6月16日彼と同級生等が、じゃんけんゲーム  で遊んでいた。そのゲームの中で、同級生等は悪口  を言う命令の結果、殴り合いになった21)」。また、

 社長と呼ばれたA君の反省文を取り上げた記事に  は、次のような記述がある。「『清輝君からたかった  カネでカラオケボックスに行った。八人くらいい  た。清輝君にすしなどを注文させた。僕たちが部屋  でタバコを吸っているのがばれるとまずいので、

 清輝君にボックスの外で出前が来るのを待たせた。

 その後、部屋で、僕が清輝君にB君の悪口をいわせ  て、B君が清輝君を殴った。次に、 B君が清輝君に  僕の悪口をいわせて、僕が清輝君を殴りました』

  B君は副リーダーの一人。何も抵抗できない清  輝君が、殴られると知りながら悪口をいわされる  のを、集団で見て楽しんでいたわけである22)」。

 このように、清輝君をいじめていた者たちの 行動は、金品強奪・物理的暴力等の犯罪行為そ のものである。そしてまた、彼らの関係は、拒 否すること許さない権力的な支配と抑圧の関係 そのものである。こうした行為が、決して許さ れるものでないことは、何度強調してもし過ぎ ることはないであろう。けれども、いじめ事件 の多発という事態からは、そうした批判がいじ め一いじめられ関係にはまり込んでいる当事者 たちの耳にほとんど届いていないという、問題 の困難さが浮き彫りにされているのである。そ れは、こうした行為が、ほとんど罪悪感もなく 遊び感覚・ゲーム感覚で行われていることに裏

書きされている。それほど無自覚なままであり ながら、何かに突き動かされる形で行われてい る行為なのである。だとすればなおさら、眼の 前で相互に相手の悪口を言い合う「ジャンケン ゲーム」などというようなものが、なぜ無自覚 のまま何度も繰り返されているのかが問われな ければならない。そうしなければ、彼ら当事者 の耳に届く指導のあり方を、おそらく構想する ことは出来ないのだ。

 それにしても、一体何に突き動かされて、

「ジャンケンゲーム」などというようなものが、

何度も繰り返されていたのだろうか。ここで、

閉鎖的ないじめグループが形成されていくのに 並行して、多数の観衆と傍観者が生み出されて くることが想起される。彼らが、「いつ自分がい じめられる側にまわされるかわからないという 不安感を抱き、仲間集団内部で自分を表現する

ことは、きわめて不自由になり、異常なまでに 他者に気づか」い、非関与的な関係を結ぶ傾向 にあることは、すでに見てきたとうりである。

こうした多数者の関係性と対比したとき、確か にいじめグループが権力的な支配と抑圧の関係 そのものであることは明白なのだが、にもかか わらず、彼らが「眼の前で相互に相手の悪口を 言い合う」という、いい意味でも悪い意味でも 相手の人格と内面に影響を与える直接的なコ

ミュニケーションを、何度となく繰り返してい たことを見逃すことはできない。いいかえれ ば、そうした直接的なコミュニケーションを求 める想いに、衝動的強迫的に突き動かされてい たということなのである。

 問題は、そうした行為が、権力的な命令に よって始まり、最終的に「強者」が「弱者」を 殴るという暴力的な形で終結し、それまでの権 力的な支配と抑圧の関係を一層強化する形でし か閉じられないことの悲劇性なのだ。そしてま た、「濃密な関係」であることが、そのまま権力 的な支配と抑圧の関係を一層強化することにつ ながってしまう構造なのだ。それは、一言でい えば、相互の「親密さ」の追求が、性急で過剰 なのだ。いいかえれば、「いますぐここで俺を全 面的にわかって欲しい、分かり合いたい」とい

参照

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