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(1)

茨城県における都市システムの変容

著者

高橋 伸夫, 井田 仁康

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

12

ページ

61- 85

発行年

1988- 03- 25

(2)

茨 城 県 に お け る 都 市 シ ス テ ム の 変 容

@

I は じ め に

E 茨 城 県 に お け る 商 業 機 能 の 地 域 的 変 容 立- 1 人 口 規 模 か ら み た 地 域 的 変 容 II-2 開 業 販 売 額 か ら み た 高 業 機 能 の 変 容 II-3 人 口 規 模 と 商 業 販 売 額 と の 関 係

班 茨 城 県 に お け る 消 費 行 動 の 地 域 的 変 容

盟- 1 ヨ用品! 出資行動の変容

l l i - 2 買 回 品 購 買 行 動 の 変 容

直 一3 余 暇 行 動 の 変 容

百 茨 城 県 に お け る 都 市 シ ス テ ム の 変 容

百- 1 1974年

IV -2 1980年 IV -3 1985年 V む す び

I はじめに

近 年 , 大 都 市 鶴 内 部 に 地 域 的 な 構 造 変 革 が 生 起 し て い る と 論 じ ら れ て い る . 大 都 市 の 諸 機 能 が 周 辺

地 域 に 向 か つ て 分 散 す る 様 相 は , 居 住 機 能 ・ 工 業 機 能 に と ど ま ら ず , 都 市 機 能 を 構 成 す る 重 要 な 要 素

である小売商業機能にもおよんでいる. したがって,小売商業機能の郊外への分散過程に若目して,

大 都 市 閤 の 発 展 過 程 を 論 じ る 論 文 がJ唱える傾向にある. 藤井1) は

1960

年 以 降 , 大 都 市 閣 の 小 売 商 業 機

能 は 都 心 商 業 地 誌 の 維 持 ・ 発 展 と と も に 郊 外 の 商 業 地 区 の 急 速 な 成 長 を 示 す よ う に な っ た こ と を 明 ら

かにした. とくに, 商 業 機 能 の 分 散 過 程 の 初 期 に お い て は , 小 売 商 業 機 能 の う ち 高 次 な も の は

C B D

にとどまる傾向がある一方, 低次な小売商業機能が大都市周辺地域へ分散する様相が認められるの.

また,伊東3) は,福岡・札幌

jjlT

Ir

il

を 事 例 と し , 小 売 業 の 業 種 に よ っ て , 分 布 特 性 が 異 な る と し て , 次

の 4 つ の タ イ プ を 導 き 出 し た . す な わ ち , 衣 料 関 連 の 諸 小 売 業 , 百 貨 庖 か ら な る 「 求 心 型 」 と 食 料 品

関 連 の 諸 小 売 業 , 家 庭 用 機 械 器 具 小 売 業 か ら な る 「 分 散 型

J

の業種グノレープである. 以上の2 大 類 型

に加えて3 自動車関連小売業,農耕用品小売業などからなる「主要幹線指向型」とスーパーマーケッ

イャセュ T N

商業機能の地域的分散化を言及するときには,さまざまな様態を考察しなくてはならない.

大 都 市 圏 内 の 小 売 商 業 機 能 の 郊 外 分 散 化 の 動 向 の 中 で , ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト を 中 心 と す る 大 規 模 小

売 広 の 立 地 展 開 が 重 要 な 役 割 を 果 た し て い る こ と が 指 摘 さ れ た の5) スーパーマーケットの立地は,

1960

年代から急増し,その集積過程は,郊外で、の人口増加に対応し,大都市とその市街地連担地

IR

ら錆星都市域へと外縁部に拡大をとげた. それに伴って,スーパーマーケットの形態も衣料中心のも

のから多数の広舗が入り込む多業種からなるショッピングセンター形式へと形態も変化してきたの.

以上のような小売業機能の大都市閣内での分散は,津)11

7

) が 指 摘 す る よ う に , 周 辺 都 市 に も 商 業 機

能 を 充 実 さ せ る こ と に も な っ た . す な わ ち , 従 来 , 大 都 市 通 勤 者 が 単 に 居 住 す る に す ぎ な か っ た 周 辺

諸 都 市 が , 商 業 機 能 を 中 核 と す る 諸 機 能 を 有 す る よ う に な り , そ れ ら の 都 市 成 長 が 自 律 的 に な っ て き

(3)

一方,商業機能以外の機能から大都市│習の分析も当然進められている.

1980

年 の 国 勢 調 査 結 果 に 基 づ き 人 口 流 動 か ら み た 都 市 シ ス テ ム を 分 析 し た 森 )

1

1

8

) の 研 究 が 注 目 さ れ た . 日 本 の 都 市 シ ス テ ム の 中 で 東 京 が 中 心 的 位 置 を 占 め る . 東 京 を 中 核 と し た 首 都 閤 周 辺 に お い て は 東 京 の 直 接 支 配 地 域 が 著 し く 拡大し,県庁都市を仁! コ心とする従来の局地的都市システムは首都圏の

i

隣 接 地 域 か ら 次 第 に 崩 壊 し て い る. また3 金 融 機 能 を み る と , 苦 都

l

習 に 典 型 例 が み ら れ る よ う に , 都 心 と 副 都 心 の 限 ら れ た 地 底 に 貸 出 金 量 が 年 々 増 大 し , 貸 付 空 間 が 形 成 さ れ る . 同 時 に 人 口 の 郊 外 化 と と も に , 預 金 空 間 は 大 都 市 鶴 内 で 外 縁 部 へ 拡 大 し つ つ あ る . 東 京 は , そ れ 自 身 の 大 都 市 閣 と と も に , そ れ 以 外 の 地 域 か ら も 資 金 を 吸 収 す る た め , 二 重 構 造 を な す 預 金 空 間 を 有 す る の .

以 上 の よ う に , 都 市 機 能 に 応 じ て 大 都 市 閣 の 構 造 変 化 が 異 な っ た 様 相 を 呈 し て い る . そ こ で 本 稿 は , 大 都 市 留 に お け る 近 年 の 構 造 変 化 を 詳 細 に 把 握 す る た め に , 大 都 市 圏 外 縁 部 に 位 置 す る 茨 城 県 を 事 例 と し て 分 析 す る こ と を 目 的 と し た . そ の 際 , 地 域 間 の 相 互 依 存 関 係 に 着 目 し な が ら , 研 究 を 進 め る こ と を 念 頭 に お い た . 最 近 , ー 留 ま た は 一 地 域 か ら な る 相 互 に 関 連 し 合 っ た 一 群 の 都 市 を 都 市 シ ス テムと定義している10) わ が 密 で は

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12) の 著 作 に よ っ て 刺 激 さ れ, 都 市γ ステムの研究が進み, 田辺13) が 日 本 の 研 究 を ま と め て い る . 都 市γ ス テ ム 研 究 に お い て は , 都 市 相 互 間 の 連 結 関 係 が 基 本 的 に 重 要 な も の で あ る . た と え ば , 人 口 , 通 勤 ・ 通 学 , 電 話 通 話 , 物 資 な ど の 地 域 間 流 動 に よ っ て 分 析 さ れ て き た が , 資 料 的 な 制 約 が 大 き か っ た .

幸 い に し て , 常 陽 産 業 開 発 セ ン タ ー は

1970

7

月 以 降 , 定 期 的 に 茨 城 県 内 の 商 圏 変 動 に 関 し て 調 査 を 行 っ て き た . 第8 IEi Iの調査14)は,

1985

7

1 I

ヨ に 実 施 さ れ た . 調 査 対 象 地 域 は 全 県 に わ た り , 県 内 公 立 中 学 校 の 第l 学 年 生 徒 を 子 弟 に も つ 全 世 帯 で あ る . 各 中 学 校 で , 担 任 教 師 を 通 じ て 生 徒 に 配 布 される. サンフソレ数は,

1974

年 度

2

8

347

( 有効回答率

85. 9%

)

1980

年 度

3

6

278

(

1

89. 2%

)

1985

3

8

601

世帯( 向

80. 5%

)

であり, 各年度における県内全世蔀は, それぞれ,

5. 9%

6. 1%

6. 3%

の 抽 出 率 で 、 あ り , き わ め て 貴 重 な 大 規 模 調 査 で あ る . 上 記 調 査 は , 各 種 商 品 の 消 費 地 点 が 主 た る も の であるが,本摘ではそのうち, 日用111Z購 貿 行 動 と 寅 @ 品 購 買 行 動 そ れ に 余 暇 行 動 を 中 心 に 分 析 す る よ

う努めた.

部 業 活 動 は , 機 能 的 に は 最 終 消 費 者 へ の 商 品 供 給 活 動 と 定 義 さ れ , 流 通 の 末 端 を 担 う 活 動 で あ る . し か し そ れ ら が 集 積 す る 商 業 地 区 は 都 市 空 間 の 中 で 重 要 な 役 割 を 果 し 都 心 部 に 位 置 す る も の や , 都 市 化 地 域 に も 必 ず 付 随 さ れ る も の で あ る15) ま た , 人 文 地 理 学 の 研 究 対 象 は , 従 来 , 主 と し て 人 間 の 生 産 的 な 労 働 に 向 け ら れ て き た . そ の た め , 人 間 が 生 産 活 動 か ら 離 れ て 行 動 す る プ ロ セ ス を 研 究 対 象 と す る も の は , 比 較 的 少 数 で あ っ た . 現 在 , 都 市 化 の 進 展 に 伴 っ て 人 間 の 余 暇 の 大 衆 化 が 全 国 的 に 進 み , 余 暇 活 動 も ま た 人 間 の 生 活 様 式 に と っ て 重 要 な 側 面 に な っ て き て い る16) し た が っ て , 本 稿 は 消 費 生 活 行 動 に お け る 重 要 な 要 素 で あ る 消 費 と 余 暇 行 動 を 分 析 す る こ と に よ り , 日常的都市システム の 解 明 に も 至 る と 忠 わ れ る .

本 調 査 の 対 象 は , 県 内 公 立 中 学 校 第1学年の在学生を持つ世帯で、あるため,特定化されている. 年 令 階 層 の 主 体 が

4

1

---4

5

才 で あ り , 年 々 恒 常 的 通 勤 労 働 者 の 割 合 が 高 ま っ て い る .

(4)

茨 城 県 商業統計表と国勢調査結果を月弘、て,

n

では,

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ゥ hセ

におし、ては,

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1

)す に お け る 各 中 心 地 の 商 業 機 能 の 変 容 を1974"- ' 85年 に つ い て 考 察 を 行 っ た .

上記の常│場産業開発センターのw ,

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I

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1W,の購買行動と余暇行動の経年 1:lij変化を追求するために,

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l主主にお

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査莱を法にして,

質 問 品 購 買 行 動 そ し て 余 蝦 行 動 に 応 じ て い か に 茨城県内の都市システムが│ ヨ用i品購買行動,

変 容 し て い る か を 考 察 し た . いては,

北 部

iセ AAェl jTPォュ

調 査 対 象 地 域 と し た 茨 城 県 は 荏 都 閣 の 北 東 部 を 占 め ,

総 面 東j或 の 主 要 部 分 が 東 京 都 心 か ら1 0 0 k m

I

調内に位置する. 茨城県においては, まで約1 6 0 k mで,

残る1 ,8 2 0 k m2が 山 地 で あ り , 平 坦 地 の 面 積 が 広 い . 積 の 約7 0 %に当たる4,2 9 0 k m2

が 平 地18)にj高し,

交 通 東 関 東 自 動 車 道 の

2

本 の 高 速 道 路 が 敷 設 さ れ た の を は じ め , 東京都心から常磐自動車道,

近年,

とくに県南地震で、は社会増加が進 条 件 の 整 備 も 進 ん で い る . 県 内 の 人 口 の 自 然 増 加 と 平 行 し な が ら ,

む と と も に , 工 場 の 進 出 も 多 い た め 急 速 な 都 子

1

1

化 ・ 工 業 化 が 進 展 し て い る . 本 稿 が 対 象 と し た 商 業 活 全国的に! 古都絹を有する百貨! 古をはじめスーパ 茨 城 県 で は 各 商 業 舗 は 近 代 化 す る と と も に ,

動も,

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っている.

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茨 城 県 に お け る 商 業 機 能 の 地 域 的 変 容

消 費 者 の 存 在 が 人 口 規 模 か ら み た 地 域 的 変 容 高業を成立させるためには,

E

1

1

y e g g A V p t £

消費 まず, 必要不可欠である. そこで本稿は,

者となる人口の分布ノミターンを明らかにする.

1974年の茨城県における市I lIJ村JJIJ人 第

1

1

盟は,

示 し た も の で あ る 均 . 1974年 日立子15であり, において最も人口の多いのは,

仁iを階層区分し,

水 戸 市 ( 19 20万2千の人口を有する. 続いて,

土 浦 市 (

9

8

千) , J]9

1

1

3

3

市 (

7

7

万1千),

古 河 市 ( 5万6千)

下 館 市 ( 5万7千) , 千) ,

これら

6

市 が 第1 階 層 に 属 のJI顕に人口が多く,

特 に1:1立 水 戸 市 に 集 中 し て い る と い え る . 第

2

階 層 す る . 茨 城 県 の 人 口 は こ れ ら

6

市,

市,

取手市, 石岡市,

に属するものは,北茨城市,

o

30km

茨城県における人仁i分布ノ〈ターン( 1974年) X= 2 4,999, S= 3 0,087

( 全国人口・世帯数表より{ 乍成) 第1図

こ れ ら の 市 も 消 費 者 と な る 人 口 が 多 い と い え る .

結城市であり,

人 口 の 少 な い 第4お よ び 第511皆j習に帰 県北地区の西部および県四, 属するf!J11I ] 村は,

(5)

o

30km

第2図 茨城県における人口分布パターン ( 1979年) .i = 2 7, 232, S= 3 2,079

( 全人口・世帯数表より作成〕

県南地区の郡吉

g

に 広 く 分 布 す る . 特 に 県 北 地 匿 の 西 部 で は 人 口 の 著 し く 少 な い 村 が 集 中 し て い る.

1979

年 に は , 水 戸 市 の 人 口 が

2

0

9

千 と な り

, 1ヨ立市の

2

0

5

千 よ り も 多 く な り , 県 内 第

1

となった. 第

2

1

玄! は, QYWY iIゥセイ J習区 分 し た 結 果 を 示 し た も の で あ る . 第11習と比較 す る と , 以 下 の よ う な 変 化 を 指 摘 す る こ と が で きる. まず第1は,第111昔! 震に属する市が6市 であることに変化はなし、が ,

1974

年にこの

i

世間

に窟Jしていた古河市は第

2

f持層になり,代わっ て取子市が第2階 層 か ら 第l階 層 へ と 移 行 し Tこ.

2

の特徴は,

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L

北j並区の東部および行方郡 ・鹿島郡において,第51i昔j膏に属する町村が増 加 し た こ と で あ る . 具 体 的 に は , 県 北 地 区 で IJ -l 方IllJが第4階 層 か ら 第5f借! 賓となり,県・

1

ヒ地区 西部の人口の著しく少ないl J lJ村 の 地 域 的 集 中 化

が一層強まり, ャ yiQセ U ZQS

認 め ら れ る よ う に な っ た .

1985

年になると茨城県全体の人口は,

1974

年 の そ れ の 約

1. 2

倍 に 増 加 し 市 町 村 あ た り の 平 均 人 口 は

2

5

千 か ら3万 近 く に 達 し た . 第31翠は

1985

年 の 階 層 区 分 さ れ た 人 口 の 分 布 を 示 し た も の で あ る が,

1974

年 お よ び

1979

年 の も の と 比 較 す る と , 県 南 地 区 の 市 町 村 が よ り 高 い 階 層 へ と 移 行 し , 県 南 地 区の人! : ] が著しく増加していることが切らかである. 特に,常磐線沿いの取手市,龍ヶ11崎市,牛久IHJ は , 極 め て 多 い 人iコ を 有 す る よ う に な っ た . 他 方 , 県 北 地 区 で は 人iコの著しく少ない1 J l } 村の集中がな お 一 層 強 ま り , 金 砂 郷 村 と 十 王IHJが

1979

年 の 第

4

階 層 か ら 第

5

階 層 へ と 移 行 し , 大 子IlJJは第

3

階)脅か ら第

4

1

1皆) 習へと相対的に人口の少ないIUJへ と 変 化 し た . ま た , 行 方 郡 ・ 鹿 島 郡 に お い て も 人 口 の 少 な いIBJ村 が 集 中 す る 傾 向 が 進 み , 大 野 村 , 鉾 田 町 が よ り 下 位 の 階 層 へ と 移 行 し , 霞 ヶ 浦 南 方 の 稲 敷 郡 東 部 の 各IllJ村とともに相対的に人口の少ないH 1J村 が 集 中 し て い る 地 域 と な っ て い る .

このように,

1974

年 か ら

1985

年にかけての人口分布を検討すると,水戸市, 臼立市,土浦市, 時) 133 市,

T

館市に人口が集中している傾向は変わらないものの, I投手干

1

1

を は じ め と す る 県 南 地 区 の 人 口 増 加地域と,

J

泉 北 地 区 お よ び 県 南 地 区 東 部 の 人 口 の 相 対 的 な 減 少 地 域 と が 明 瞭 に 分 か れ て い く .

l l - 2

商 業 販 売 額 か ら み た 商 業 機 能 の 変 容

(6)

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茨城県内における

1974

年から

1985

年ま

iセi

で の 商 業 機 能 の 変 容 を 検 討 す る .

第 4図 は , 耐 業j坂売右足による ililJJJ 村 別 の 順 位 の推移を示したものである.

1974

年 に お い て 奴 そ の 額 は 売額の最も多いのは水戸市であり,

第 2{:立は土市で、あるが,

4

600

億円である.

水 戸 市 と は 著 その販売額は1,

620

億円であり,

しい差がある.

1985

年 に お い て も 水 戸 市 の 優 位 は 変 わ ら ず , 第2位以下の市U lT村 を 凌 駕 し て い る.

1974

年から

1985

年 ま で の 市 IflJ 村の1)鼠位変化を

1974

年 に 第

1

位 で あ っ た 水 戸 市 を は じ 下 館 市 の 上 位4i'

I

J

は, 臼立市,

ゴニ精子

I

J

, みると, め,

1985

年 に お い て も 変 化 が み ら れ な い . 茨 城 県 で

o

30k m

は 一 般 的 に 上 位 の 市 IJ J Hiーには変化が少ないが,

茨城県における人口分布パターン ( 1985年) X= 2 9, 557, S= 3 4,085

(全国人仁1•

t

! . l : ; } j l : 数表より作成) 第3 図

下 妻 市 が

1974

年の

1

5

位から

1985

年には

6

位まで 下 妻

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1976

年から 上 昇 し た の が 注 目 さ れ る

1979

年 に か け て 販 売 額 が 著 し く 増 加 し 順 位 も

そ れ ぞ れ の 市 町 村 間 で 販 売 額 の 差 も 大 き い た め 販売額が大きく,

J

二界した. IJ鼠{ 立が上位の市IU日寸は,

iセi N

これらの

1985

年において

1

5

位 以 下 の 市 町 村 間 で は 頗 位 の 変 動 が 顕 著 に 認 め ら れ る . それに対して,

まず

1

0

ランク以上) 1 撰{立があがっ 市 町 村 の う ち , 特 に

1

0

ランク以上の変動があったものに注目すると,

大 洋 村 , 茎11符H1J,常澄村, 谷和原村,旭村,

美野里町,豊里町,

iセuQj

桜村,

ャji Aャ tセN ゥ Ai iャ j

1974

年の

69

位から

1985

年 の

1

6

位 ま で 上 昇 このなかでも特に桜村の順位変動は著しく,

五霞村である.

そ れ に と も な い ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト お よ び 百 貨 屈 な ど が これは筑波研究学園都市が建設され,

した.

谷 和 原 豊里町,

上述の桜村,

立地した結果による. 筑波研究学密都市およびその周辺の市町村は,

また,鉾田 IllJ および友部H l

T

は,

1976

年から

1979

年 村 , 茎 崎 町 を は じ め ラ ン ク が 上 昇 す る 傾 向 に あ る .

に か け て 飛 躍 的 に ラ ン ク が あ が っ た こ と に 特 徴 が あ る .

牛歩1m 江戸崎町, 大 子 IIIJ ,新治村,

笠間市,潮来町,

1

0

ランク以上低下したのは常控太田市, 他方,

県 北 お よ び 霞 ヶ 浦 潤 辺 に 位 置 す る 市 町 村 それらは,

これらの市町村では人口の増加が相対的に少なく,

そ の 住 民 が 賄 業 販 売 額 の よ り 大 き い 市 町 村 で 縞 賀 す る よ う に な っ た と 推 測 さ れ る . 換 言 モ ー タ ワ ゼ ー シ ョ ン の また,

金砂郷村である.

迅速! ! lJ,桜川村, であるものが多い.

明 野 IHJ,

1

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v

l

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i

進展により,

近隣に商業機能を増大させる中心地が成長したことにも影響を受けてし、

上 述 の よ う な 変 動 は あ る しかしながら,

1974

年 お よ び

1985

年の簡業販売額の市町村順位をみると,

そ れ ら の 市111]片すは, すれば,

(7)

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1985-''1

1982-''1

1979"F

1976年

1974年

都 市 名

f l f J J 3 3 2 I l i -f F I F T I -1 1 1 7 1 7 I l i -ー

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商 業 年 間 販 売 額 に よ る 順 位 の 推 移 ( 商業統計表より作成)

(8)

も の の 人 口 規

i

実の大きい子

l

'JIIIJi寸 が 上 位 に 位 置 し 県 北 地 区 な ど の 人 口 規 模 の 小 さ い 市IHJ羽 が 下 位 に 位

i

置 す る 傾 向 が 認 め ら れ る . この傾向は, 日

-

3

に お い て 詳 細 に 検 討 さ れ る .

-

3

人 口 規 模 と 商 業 販 売 額 と の 関 係

MQ MR イェ Gj iiijセ

調Hvこ検討するために, こ こ で は 相 関 分 析 お よ び 回 帰 分 析 を 援 用 し ,

1

m

帰 分 析 か ら 得 ら れ た 残 差 を 地 図 化 し 特 徴 を 考 察 す る . 分 析 の 対 象 年 次 は

1974

年 お よ び

1985

年 で あ る .

1974

年 に お け る 人 口 規 模 と 商 業 販 売 額 に 相 関 分 析 を 施 し た 結 果 , 相 関 係 数 はQ.

834

と な り , 著 し く 高 い 正 の 相 関 を も つ こ と が 明 ら か と な っ た . 次 に 独 立 変 数 を 人 口 規 模 と し 従 属 変 数 をJ塩 業 販 売 額 と し て, 単

1

m

帰 分 析 を 実 施 し た . 導 出 さ れ た 単 回 帰 式 は ,

F

検 定 に よ り

1

%

水準で有意と判明] レた. この 単 回 帰 式 に 人 口 規 模 を 代 入 し て , 商 業 販 売 額 の 期 待 値 を 算 出 し , 実 際 の 商 業 販 売 額 と の 残 差 を 導 い て ,

全f l JllI

J

・ 村 の 残 差 の 平 均 と 標 準 偏 差 か ら そ れ ら の 残 差 を 区 分 し .

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化 し た も の が 第

5

lZl

で あ る20) この 関 か ら 次 の 特 徴 を 指 摘 す る こ と が で き る . 第1 の特徴は, 人 口 規 模 か ら 期 待 さ れ る 商 業 販 売 額 ょ っ も 著 し く 高 い 商 業 販 売 額 を も つ の は 水 戸 市 で あ る こ と で あ る . 水 戸 市 は 人 口 規 模 も 大 き い が , そ れ に も ま し て 商 業 販 売 額 が 大 き い このことは, 周 辺 市 IHJ村 か ら の 買 物 客 を 多 く 吸 奴 し て い る こ と を 示 唆 す る. すなわち, 中 心 性 が 著 し く 高 い . これは, 土 浦 市 に つ い て も 同 様 で あ る . なおp 弱? 治村, 牛 堀 IJIJ に つ い て も 高 い 正 の 残 差 が 示 さ れ て い る が , この21町 村 は 人 口 規 模 が 著 し く 小 さ い こ と が 影 響 し て い る と 考 え ら れ る .

2

の特徴は, 高 い 負 の 残 差 が 示 さ れ る

r

li

iIlJ 村泊三 水 戸 市 に 隣 接 し て い る こ と で あ る . 負 の 残差は, 人 口 規 模 に 比 べ て 商 業 販 売 額 が 少 な い こ と を 示 し て い る . 勝 目3市, 自立市は人仁i規 模 が大きいにもかかわらず, 著 し く 高 い 負 の 残 差 をもつが, これは那珂Il I

r

, 茨域U 1

J

と と も に そ れ らの市 IHJ村の住民が, 翼 物 を 水 戸 市 で 行 う こ と を推測させる, ま

T

こ, 県境に{ 立 j置する市Il lJ な か で 負 の 高 い 残 差 を も つ も の が あ る が , そ れ

らの市 IllJ 村 の 住 民 の 買 物 行 動

i

習 が 他 県 に 及 ん で い る た め と み な さ れ る .

次 に

1985

年 に お け る 人 口 規 模 と 諮 業 販 売 額 に ついて, 相 関 係 数 を 算 出 す る と

O

.

846

となり, こ の 両 者 の 相 関 が

1974

年 の そ れ と 何 様 に 著 し く 高 い こ と が 明 ら か に な っ た . さらに, 上 述 の

1974

年 に お け る 人 口 規 模 と 商 業 販 売 額 と の 単

I

:!I

I

帰 式 お よ び 残 差 を 求 め た 手 続 き と 同 様 に し て ,

闘 争

s孟

協 同 什s

皿 ー すs孟 く れ 日 ー が 孟 < ー すs

D

<

ーすs

(9)

」争与s主孟玉 協すs込戸孟幻<什す 皿 ト す い5豆ぶ< すs 巴 一 す がS妥μ <一去れs

S

く一→壱わ

第6歯 単回帰分析に基づく技,差の地域的分布パター ン ( 1985年)

1985

年のそれを算出し, 区 分 し た 残 差 を 第6 区

i

に示した. なお,

1985

年 に お け る 単 @ 帰 式 も

F

検定により

1

%

水 準 で 有 意 で あ る こ と が 検 証 さ れずこ.

6

図について, まず¥正 の 残 差 が 大 き い 市

IHJ村に注目すると, それらは2タイプ。に大別で、 きる. 第1の タ イ プ は 人 口 規 模 の 大 き い も の で ある. このタイプには水戸市,

- r I

J

,下 妻 市 が含まれる. それら3市 は 人 口 規 模 お よ び 商 業 販売額ともに上位にランクされるが, 人 口 規 模 か ら 期 待 さ れ る 商 業 販 売 額 よ り も しく高い版 売額を有している. したがって, イ也市町村より 買物客を吸収しているとみなされる. 特に, 水 戸市, 土 浦 市 は 人 口 規 模 お よ び 商 業 販 売 額 が 最 上位にランクされることから, この

2

つ の 市 は 県の2大高業仁! コ心地であることが明らかであ る. 第

2

のタイフ。は人口規模の著しく小さいも

のである. このタイプには新治村,牛堀町ーをはじめ県北地区の村が属する. このタイプのものは, 人

口規模が著しく小さいため, 単

i

ヨ 帰 式 か ら 適 切 な 商 業 販 売 額 を 算 出 で き な い と 理 解 さ れ る21)

他方,負の残差が大きい市町村は, まず, 水戸市に隣接する! 隣国市, 万

I

s

f

可!!l

r

:

, 常陸太田市そして日 立 市 で あ る . そ れ ら の 市 町 の 商 業 販 売 額 は , 人 口 規 模 か ら 期 待 さ れ る 商 業 販 売 額 よ り も 著 し く 小 さ い も の で あ り , 商 業 機 能 か ら み る と 水 戸 市 へ の 依 存 度 が 高 い と い え る . また,常磐線沿線の] 投手市, 龍

ヶl崎市,牛久町,阿見町も負の高い残差が示されるが, それは, 土 浦 市 お よ び 千 葉 県 , 東 京 都 と い っ ナこ商業機能のより盛んな都市の影響を受けたものと考えられる. さ ら に 福 島 県 に 接 す る 北 茨 域 市 , 栃 木県あるいは埼玉県に接する結城市, 古 河 市 , 総 和i町¥千 葉 県 に 近 い 波 崎 町 で も 負 の 残 差 が 高 く , 県 境に接した地域で、あることから,他県の都市の影響を強く受け3 人 口 規 模 に 比 較 し て 商 業 販 売 額 が 少

なくなっていると考えられる. このことは,後章で言及する.

このように,

1974

年 の 第

581

にみられる特徴は,

1985

年 の 第

6

図でより明瞭になったといえる.

盟 茨 城 県 に お け る 消 費 行 動 の 地 域 的 変 容

前 章 に お い て 茨 城 県 の 商 業 機 能 の 変 容 を 人 口 規 模 お よ び 高 業 販 売 額 の2側 面 か ら 考 察 し た . 次 に 本 章では,消費者行動に差目し,実! 擦の消費者の行動パターンから地域的変容を把握する. なお, 日用 品の購買行動と寅回品の購買行動では柏異がみられ, そ れ ら に よ り 階 層 的 な 都 市 シ ス テ ム が 形 成 さ れ ることはすでに指摘されている22) 本稿では日用品として食料品を指標とし,

(10)

ャンなどの余I l 良行動のノミターンについても言及する.

J I I - 1

1:1用1171購 買 行 動 の 変 容

前述したように日j乱罪! として食料品に着目し,その購買行動を分析する. 第

7

図 は , 食 料 品 を 購 入 す る た め に , 市 町 村 間 を 移 動 す る 住 民 の パ タ ー ン を

1974

年,

1980

年,

1985

年の

3

カ年について示した ものである. なお, この図では,各市11 ! J ; f寸を商業販売額によって4階 層 に 区 分 し て い る23) また,購 買 客 の 移 動 を 示 す 線 は , 各 市ITIJ村における! 脂質客のうち何% のものが他市町村で購買をするかを示し ている. 食料品の購買は, 13市II1J村 内 で な さ れ る こ と が 多 く , 他 市 町 村 へ の 購 買 率 は 概 し て 高 く は な

U

1974

年 に お け る 購 買 客 の 行 動 パ タ ー ン を み る と , 次 の よ う な 特 徴 が 明 ら か に な る . ま ず 第

1

は , 購 買 客 が 特 定 地 域 に 集 中 す る 傾 向 が 顕 著 に み ら れ る こ と で あ る . 特 に 水 戸 市 , 土 浦 市 へ の 集 中 が 著 し い. この

2

市は, 江主主で考察したように,人口規模,賄業販売額も著しく多く,購買客も集中するこ とからp 県 内 に お け る 最 も 高 次 な 中 心 地 で あ る と い え る . 水 戸 市 は , 県 北 地 区 の 大 部 分 の 市ffl]片すから 購 買 客 を 吸 収 し て お り , 著 し く 広 範 な

i

荷 簡 を も っ . ま た , 大 宮 町 , 常 陸 太 田 市 , 石 岡 市 , 下 館 市 , 水 海道市,龍ヶi崎市,取手市,鉾│壬

IlllJ

,鹿島町なども隣接する市f H ] ー村から

2 5 %

以 上 な い し

5

%

以上のj特

質 客 を 吸 引 し て , 地 域 的 な 中 心 と な っ て い る .

2

の 特 徴 は , 購 買 客 の 行 動 パ タ ー ン か ら 県 域 を 大 き く 県 北 地 区 , 県 南 東 部 , 県 南 西 部 , 県 西 地 区 の

4

地 域 に 区 分 で き る こ と で あ る . 県 北 地

IK

は3 行政l拐 な 範 域 と 多 少 異 な っ て , 水 戸 市 を 中 心 と す る 笠 間 市 , 岩

1

1

oJ

]lllT

, 鉾

m

n

l J

,大洋村から北の地域である. 県南東部は,鹿島町ーを中心とし,大野村,麻 生町,東村,被! 埼f1 !

J

で 閉 ま れ た 比 較 的 狭 い 範 域 で あ る . 県 南 西 部 は , 土

r

t

lj

市 , 石 同 市 を 中 心 と し た 地 域であり,県西地区は,下館市,吉河子15, 水 海 道 市 を 中 心 と す る 地 域 で あ る . 上 記4地! 玄関での購買 客 の 移 動 は 著 し く 少 な い の で あ る . 県 の 南 部 が

3

地区に区分されるのは, iセi

N QQセj QQA QQQ I

1

1

があり, ま た , 県 南 西 部 と 県 南 東 部

の 問 に 霞 ヶ 浦 が あ る . そ れ ら の 存 在 が 時 間 的 距 離 あ る い は 経 済 的 距 離 を 長 く し , 食 料 品 の 購 買 行 動 を 規定している.

1980

年になると,

1974

年 の 購 実 行 動 の パ タ ー ン に 大 き な 変 化 は な い も の の , 若 干 の 顕 著 な 変 化 を 指 摘 す る こ と が で き る . 県 北 地 区 に 注 自 す る と , 地 域 的 な 中 心 地 と し て 高 萩

r

l5

お よ び 勝 田 市 が 台 頭 し て

きている. 高萩市は,

1974

年 に お い て も 北 茨 域 市 お よ び 十 王111]・から

I

I

持買客を吸引していたが,

1980

になるとその傾向がより強くなっており,地域的な中心地としての地位を高めた. また,勝田市は,

1974

年においては,

5

%

以 上 の 購 買 客 を 吸 引 す る 線 を 保 有 し な か っ た が , 隣 接 す る 東 海 村 , 那 珂 湊 市 から購買客を吸引するようになった. 他方,大宮町ーは

1974

年において

5

%

以 上 の 購 買 客 を

4

村 か ら 吸 収しており,地域的中心地となっていたが,

1980

年には

5

%

以上の購買客がみられる

IllJi

守がなくなり, 地域的中心地とはもはやいえなくなった. なお,常陸太│ 沼市,鉾E l3!IIJは

1974

f,j三

1980

年 を 通 し て 地

i

或 的中心地であり,

1980

年 に お い て は そ の 様 相 が よ り 明 瞭 に な っ て い る .

(11)

a) 1974i j三

- 第1;1皆) 音 第2P岩層

セ 3;皆1) 言

[クセ 4;1皆}喜

一 一 7 5 %三五

-

5 0 %豆く7 5 %

一 一 2 5 %孟く5 0 % 5 %話 く2 5 %

(

) 20km

L一一L. . . . - . J

c) 1985i j三

第7陸 Q ZQ セiwZi H ゥセGZ ) 購 買 客 に つ い て の 市 町 村11司流動ノミターン

(12)

規 棋 の 人 口 を も ち な が ら 商 業 販 売 額 が 著 し く 少 な い の は , 水 戸 市 が 多 数 の 広 範IIHな市rllJキすからj満員客:

を政収しているのに対し, 1::] 立市は{ 也市rlf]・村へ吸引される購買客は少ないものの,

f

也 市 町 村 か ら の 購 買 客 が 少 な い こ と に 嬰 悶 が あ る と い え る . I正臼2ヨi立干市│行7がこのように{他虫 F市

i

行7予刊[1均H句iり]

主 安 な 交j通迅網が

7

常言磐線およひび、

i

国頭道

6

号 と い つ た 海j岸; 羊争判絹線

f

おj母浪j長: に沿つたものでで、あり' 背 後 に 山 地 が あ り 地 形 の 制 約 上 交 通 網 の 発 展 が 阻 害 さ れ る こ と , お よ び 岩 間 ( 1987) 2. 1) が切らかにしているように, 日立市は 工 業 地 域 社 会 と し て 発 展 し て き て お り , 商 業 的 活 動 が 活 発 に な さ れ な か っ た こ と に よ る と 考 え ら れ る.

県 南 東 部 お よ び 県 南 西 部 に お い て は 変 化 が ほ と ん ど み ら れ な い が ? 県 西 地 区 に お い て は , 下 館 市 , 古 河 市 , 水 海 道 市 が 地 域 的 中 心 地 で あ る の に 変 わ り は な い が , 下 妻 子

1

1

が 隣 接rLl

Y

i

寸の購買客を! 顕著に吸 収 す る よ う に な り , 地 域 的 中 心 地 と し て 台 頭 し て き て い る . 他 方 , 水 海 道 市 は 隣 接IllJ村 と の 結 合 を や や弱め,地域的中心地としての地位を低下させてし、る. また,古河i '1日土地域的中心地としてよりi克

l

に な り , 県 西 地 区 に お い て 確 屈 と し た

B

諸問を形成しているー

QYXU Qセ ZZj ゥ N まず! ヨ立

市 が よ り 高 次 な 地 域 的 中 心 地 と な り , 独 立 し た 小 規 模 な 荷 閤 を 形 成 し て い る . ま た , Iヨ立子

1

'

]

の商障の も と で 高 萩 市 が よ り 低 次 な 中 心 地 を 形 成 し て い る . 水 戸 市 は 依 然 最 高 次 な 中 心 地 で あ る が , そ の 路 間 の も と で は 地 域 的 な 中 心 地 が 他 市111]牛すからの購買客をより増加させ3 階 層 構 造 が 明 瞭 に な っ て き た .

jj QSS iャァセ eャS Q GQ ゥ }iht

れ ら の 市U1Jーにはより低次なi可 村 か ら の 購 買 客 が 吸 収 さ れ て い る . 県 南 東 部 に お い て は , 鹿 島 町 , 神 地 I

l

I

T

が 地 域 的 中 心 地 と な っ て い る . し か し こ の 地 域 に お い て は 各 市 町 村 か ら 発 生 す る

5

%

以上の! 特異客 の指向先は複数の市I l I

T

で あ る こ と に 特 徴 が あ る

県 南 西 部 に お い て は , 石

i

時市,土浦市,龍ヶ,1崎市,取手市といった1974年 お よ び1980年 に お い て も 地域的中心地であった常磐線沿線の市だけでなく, 小 川 町 , 桜 村 も 地 域 的 中 心 地 と し て 台 頭 し て き た . 特 に 桜 村 の 成 長 は 著 し く , 商 業 販 売 額 に お い て も

1980

年 の 第3階 震 か ら1985年 に は 第l 階 層 に 属 す る に 至 っ た . さ ら に , 桜 村 は 県 南 西 部 で 最 も 高 次 な 土 浦 市 か ら も 購 買 客 をi汲 引 し て い る . ま た , 桜 村 の 時 間 は , 土 浦 市 の 西 部 に お い て 土 浦 市 の 高 間 と 競 合 し て い る . 換 言 す れ ば , 桜 村 の 商

1

1

告は,土浦

イイャセイエ￯ N

と な っ て き た の は , 百 貨jお を ふ く む 複 数 の 大 型 自 が 立 地 し た こ と に 起 因 す る . 県 南 西 部 の 階 層 性 に 注

i

ヨ す る と , 県 南 西 部 で 最 も 高 次 な も の は 土 浦 市 で あ り , そ の 酪 閣 の も と で 石 岡 市 , 小 川 町 , 桜 村 , 牛 久rUTの 地 域 的 中 心 地 が 形 成 さ れ て い る . ま た , 取 手

l

r

' 1 は独立1'1サな商

l

還 を 有 し , そ の も と に 龍 ヶ 崎 市 と い う 地j或的中心j也がある.

iセ 1980年 ま で は 最 も 高 次 な 中 心 地 で あ っ 市 を も 商 問 に 組 み 入 れ た . ま た , 県 西 地 区 で は 下 妻 子1'1 ,古河子1' 1 ,水海

i

草 市 が 中 心 地 と な っ て お り , そ れ ら は ほ ぼ 向 規 模 で 存 在 し て い る .

(13)

指 向 地 が 多 様 化 し た こ と , お よ び 地 域 的 中 心 地 が 成 長 し て い る こ と で あ る . 特 に 最 も 高 次 な 中 心 地 で ある水戸市に隣接した1I1YEElilj"と 土 滞 市 に 隣 接 し た 桜 村 は 注 目 さ れ る .

]]1- 2 買l . i il品 購 買 行 動 の 変 容

8

図 は , 人 び と の 背 広 ・ ス ー ツ ・ 呉 服 に よ る 購 買 行 動 の 市 町 村 間 移 動 の パ タ ー ン を 示 し た も の で

NA WQ ャ ャゥz jェャセ

:

1

"1

:

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f:J'J,

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,である食

料品のそれよりも移動する割合が多く,その距郎ーも長く,特に県外へ指向する! 満員客が著しく多くな

り,さらに,水戸市3 土浦市への集にl: r が一層顕著で、ある. 翼@J ',

T

,の購買行動が! ヨ

J

f:J J'iT:,のそれよりもよ り 高 次 な 中 心 地 へ と 指 向 し , 寅 回1511の 商 闘 が よ り 広 範

i

盟なことは,ベリー ( 1972) 25),西村 ( 1977) 26), 碓 井 ・ 藤 村 ( 1986 )27) な ど 多 く の 研 究 で 指 摘 さ れ て い る が , 木 稿 で は1974年, 1980年, 1985年 の 背j

・スーツ・呉服の! 特異行動パターンを詳細に検討する.

1974年 の 背 広 ・ ス ー ツ ・ 呉 服 の 購 買 客 の 流 動 を 示 し た 密 か ら , 以 下 の 特 徴 を 指 摘 す る こ と が で き る. 第1 の特徴は,水戸市および土浦市の商騒が著しく広く,県西の一部地域を! 換し、て茨城県全域が 水 戸 市 お よ び 土 浦 市 の 商 閣 と な っ て お り , 二 極 構 造 を 示 し て い る こ と で あ る . 特 { に 水 戸 市 の 蕗 簡 は 著しく広大であり,県北地区, 1. 琵行地区,県西地涯の一部地域を包含している. さらに,水戸市,ゴ二

エGセセiᅫ G￯N

2

の 特 徴 は , 県 外 を 指 向 す る 購 買 客 : が 多 い こ と で あ る . 特 に こ の 傾 向 は 県 南 , 県 西 両 地 区 に お い て 顕 著 で あ る . 両 地 区 に お い て は 東 京 都 , 常 磐 線 沿 い の 千 葉 県 柏 市 を 指 向 す る 購 買 客 が 多 く , 鹿 行 地 区の南部のIUJ村 で は 利 披 川 対 岸 の 佐 原 市 , 銚 子 市 へ 購 買 客 が 指 向 す る . ま た , 協 和IUT, 下 館 市 , 結 城 市 か ら 栃 木 県 小 山 市 を 指 向 す る 購 買 客 が み ら れ , 北 茨 城 市 か ら は2 5 %以 上 の 購 買 客 が 福 島 県 い わ き 市 を指向する.

なお,地域的中心地が形成されていないわけで、はなく, 1::1立 市 , 大 宮111]", 鉾11illlJ,石!利子11, 下 館 市 古河市,水海道市,取子市,龍ヶ! 崎市は,近隣の市町村からj特 質 客 を 吸 収 し 地 域 的iや心

Jill

となって し、る.

1980年 に お い て も 水 戸 市 と 土 浦 市 の 二 極 構 造 は 鎖 著 に 認 め ら れ る が , jjjL外 を 指ji:iJ する購買客がより 増 加 し て い る . 特 に 県 西 , 県 南 に お け る 東 京 都 , 柏 市 へ の 指 向 は 著 し い も の で あ る . ま た ,

1

県西の栃 木 県 と の 県 境 に 接 し て い る 市IHJ村では,小山市をはじめとする栃木県への指向が顕著で、ある. さらに 県 南 地

i

玄 東 部 の 千 葉 県 に 接 し て い る 市IIJJi寸では,

i

左j京 市 を は じ め と す る 千 葉 県 で 購 買 す る 客 が 多 く 認 め ら れ る . ま た , 地 域 的 中 心 地 に 注 目 す る と , 食 料 品 の 場 合 と 何 様 に , 大 宮IHJが 地 域 的 中 心 地 と し て の地{ 立を失った反面, Jl芽1:1

5, 鹿 島 町 が 地 域 的 中 心 地 と し て 台 頭 し て き た .

1985年 に お い て も , 水 戸 市 , 土 浦 市 の 二 通 構 造 は 認 め ら れ る がp 土浦市の商圏域内で、は,桜村の台 頭などで, 1溜域内の各市I lJTi寸 の 競 合 が 激 し く な り , 土 浦 市 , 桜 村 を は じ め と す る 県 南 地 区 の 中 心 地 と 下妻子15, 右 下IJJ] といった県街地

i

玄 関 と の 購 買 客 の 移 動 が 活 発 化 し て い る .

そこで,次に商閣の階層性を検討する. まず,水戸の硲圏は, QYXUセQ こ

(14)

c ) 1985年

銚子市

b ) 1980: ; : [三

a 第1;1皆層

@ 第21;告層

第31; 皆}言

。 第4階層

7 5 %孟 一 - 5 0 %孟<75%

一 一 2 5 %話 く5 0 %

一一一 5 %孟 く2 5 %

20krn

I

第8図 ゥャセセ ( 背 広 ・ ス ー ツ ・ 呉 服 ) !lI #買客の市町村I'M:1流 動 パ タ ー ン

H ェ QSQセ I

部市のi活 用 区 分 は 荷 業 年11品販売額による

い わ きili

(15)

jjセ￝

E

El

ilT

,日立島1111' が地j或1'1'9中J心j告となっている.

iiij ヲサZセ

たが,質問品においては水戸の商! 習に組み入れられている. 土台

m

のj {;81認では,石岡市,

r

m

ヶ11崎市が地 域的中心地となって階慢性を示しているが,土浦市から四の地域では,1記 述 し た よ う に 桜 村 の 台 頭 で 複 雑なパターンを呈している. すなわち,土台 Iq市 と 桜 村 で は 相 互 に

5 %

以 上 の 購 買 客 の 流 動 が あ り3また,

Miセ iャ ij ャゥェ N

} ihjQ iセ ュ ゥ

れていないが,下館市,結主主

;r

!:i

, 古 河 市 , 水 海 道 市 , 取 手 市 に 購 買 客 が 集 中 す る た め , そ れ ら の 商 闘 の競合は際立っている.

県 外 を 指 向 す る 購 買 客 も1980年 と 向 様 に 多 い .

-f

餅¥rll,￯セ￯ イQQ A￯Aiシ

は , 狭 域3!せ な 商 閣 を 形 成 し て い る が , そ れ を 覆 う よ う に 広 域 的 に は 東 京 の 商

i

惑 に 組 み 入 れ ら れ る と い っ て も 過 言 で は な い . さ ら に , 石 岡 市 , 鹿 島 町 な ど か ら も 東 京 都 へ 指 向 す る 購 買 客 が 認 め ら れ る . ま た , 下 妻 市 , 水 海 道 市 , 谷133エセセ iャ ij ↓セセ ャ ゥ ェ N

河 市 は , 独 立 し た 狭 域 な 商 閣 を も つ が , 広 域 的 に は 隣 接 県 の 大 宮 市 , 小 山 市 の 商

i

習に組み込まれる. 栃 木 県 に 隣 接 す るi

l

'

i!IIJー村は, 1980年 と 問 機 に 小 山 市 , 真 岡 市 な ど の 高 閣 と な っ て い る .

このように質問11111の 購 買 客 の 指 向 先 は , 概 し て 多 様 で あ り , そ の 結 果 , 高 閣 の 競 合 が 県 内 の 中 心 地 の み な ら ず , 県 外 の 中 心 地 の 影 響 も 受 け て 激 し い も の と な っ て い る . そ れ は 県 南 地

I

X : および県同地i > (

で顕著であり,

11- 3

の人口規模と商業販売額の関係でみたように,ここの地域で、人口規模から期待

さ れ る 商 業 販 売 額 よ り も 実 際 の そ れ が 著 し く 少 な い こ と の 重 要 な 要 因 で あ る . ま た , この地域の購買 客 が 東 京 都 お よ び 柏 市 な ど に 指 向 す る の は J投手

ili

以 南 の 交 通 網 が 発 達 し て い る こ と , 東 京 と い っ た よ り 高 次 な 中 心 地 が 存 在 す る こ と な ど が あ げ ら れ よ う . そ れ に 対 し て , 県 北 地

IR

に お い て は 水 戸 市 の 高 次 な 中 心 性 は1974年 か ら1985年 に か け て 変 化 は な い .

111- 3

余 暇 行 動 の 変 容

余暇行動に関する資料は, 1974年 お よ び1980年 に 限 ら れ る た め , そ の2カ年について考察を加える. 第9図 は , 人 び と が パ チ ン コ ・ マ ー ジ ャ ン な ど の 余 暇 を 享 受 す る た め に , 市1I1

J

村 間 を 移 動 し た 住 民 の 様相を示したものである. 本密の特徴は,第71翠,第8図と比較した場合,多くの独立的な余暇! 劃が形 成 さ れ て い る こ と で あ る . 1974年においては,最も広大な余暇簡を有する水戸市をはじめ, 1ミi立市, 土 浦 市 , 下 館 市 , 下 妻 市 , 水 海 道 市 , 古 河 市 , 境IIIJ)

r

f

y . 手市,鹿島IHJ,ネ1'1楢IlIJが 独 立 し た 余 暇 簡 を 有

し て い る . そ れ ぞ れ の 余 暇 閣 は 水 戸 市3 土浦市を除いて大きくないため, 11皆j習はほとんどみられない. ただし

3 水 戸rlJの余暇翻のもとでは,常│ 陵太田市,大宮市,針; 日3IHJ,石岡市が地域的中心地となり,

i

持 層 構 造 が み ら れ る . ま たp 県 南 地 区 の 各 市 町 村 か ら は 東 京 都 に 流 動 す る 住 民 も 多 数 認 め ら れ る .

(16)

a ) 1974 年 銚子l I i

b ) 1980年

第9 鴎 余111立( パチンコ・マージャンなど) 客の1 '11町村間流動ノミターン ( 常陽産業

s

i1J

3

モセンターによる調査結果および賄業統計表より作成) 都市の結層区分は高業年11,J¥販売額による

層 構 造 を 形 成 し て い る . 土 浦 市 の 余 暇 閣 の も と で も , 筑 波 町 , 牛 久 町 , 江 戸 崎 町 が 地 域 的 中 心 地 の 役

N ヲョセ QQQ}B

含まれるIl I

J

村 間 の 住 民 の 移 動 は 相 互 に 複 雑 に な さ れ て い る . さ ら に , 県 南 地

i

玄 に お い て は 東 京 都 へ 指 向 す る 客 が 増 大 し て い る .

パ チ ン コ ・ マ ー ジ ャ ン な ど は 日 々 の 余 暇 行 動 で あ り , 比 較 的 近 距 離 で な さ れ る 傾 向 が あ る . 1974年 から1980年 に か け て 指 向 先 が 多 様 化 す る に つ れ , 比 較 的 狭 域 の 独 立 し た 階 層 性 の な い 余 暇 鴎 が 多 数 み られるものの,市町村間の行動のノミターンは複雑になっている. 例えば, 1974年 に お い て 独 立 し た 余

ゥ iャャj QYXU iセ N

市 は , 商 業 販 売 額 の よ り 低 い 岩 井11I ] " ,石下町子こ5 %以上の客を吸引されるようになった. 他方, 1974

年において水海道市の余暇簡であった岩升二市,水戸市の余暇閣であった石岡市は独立した余I l 夜間を有

す る よ う に な っ た . こ れ ら の こ と は , モ ー タ リ ゼ ー シ ョ ン の 進 展 お よ び パ チ ン コj百などの立地などと 密 接 に 関 係 し て い る と 考 え ら れ る .

さらに, 1980年 に お い て は , 近 距 離 の 行 動 の み な ら ず , 県 南 地 区 か ら 東 京 都 , また県西地区, ! 泉北 地 区 か ら 栃 木 県 と い っ た , や や 距 離 の 長 い 余 暇 行 動 パ タ ー ン も 顕 著 に み ら れ る よ う に な っ た .

N 茨 城 県 に お け る 都 市 シ ス テ ム の 変 容

(17)

1974年 か ら1985年 ま で 経 年 的 に い か に 変 容 し た か を 考 察 し た い . 1974・80・85年それぞれにおいて, 各 種 行 動 別 に 都 市 間 の 階 層 構 造 を よ り 詳 綿 に 検 討 す る た め に , 森

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玄│化方法を採用し

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動 の 自 市II!J村 内 購 買 率 が 表 示 さ れ て い る . そ し て , 各 中 心11,J¥は 依 存 率 の 程 度 に 応 じ て 線 で 結 ば れ て い る. このような区

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の表示によって,中心地の機能の大きさを表現しようとした. すなわち,仁│ ごI心 地 で 多 種 類 の 財 ・ サ ー ビ ス が 供 給 さ れ て い る 地 域 で は ) 1種 類 な い し 少 数 の 種 類 の 中 心 的 財 ・ サ ー ビ ス し か 供 給 さ れ な い 地 域 よ り も , 中 心 的 財 ・ サ ー ビ ス の 消 費 が 多 く な る . 換 言 す れ ば , 大 き な 中 心 地 を 有 す る 地 域 で は , 小 さ な 中 心 地 を 有 す る 地 域 よ り も , 相 対 的 に 大 量 の 中 心 的 財 ・ サ ー ビ ス が 消 費 さ れ る . そ の 理 由 は , 同 一 中 心 地 で 多 く の 種 類 の 財 ・ サ ー ビ ス を 同 時 に 求 め る こ と が で き , 節 約 さ れ た 交 通 費 を よ り 多 く の 財 ・ サ ー ビ ス の 消 費 に あ て る こ と が で き る た め で あ る . ま た , 高 次 の 中 心 地 は3 直 接 , 低 次 の 中 心 地 か ら 顧 客 を 吸 収 す る . そ れ は , 高 次 の 中 心 地 で は 中 心 的 財 ・ サ ー ビ ス の 消 費 が 比 較 的 多 く , 隣 接 地 域 の 需 要 を も 充 た し さ ら に 同 一 中 心 地 で い く つ か の 財 ・ サ ー ビ ス を 同 時 に 受 け る こ

とができるためである30)

なお) 1985年次には,余暇行動について調査がなされなかったため, を割愛した.

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- 1 1974年

前 述 の よ う に , 財 ・ サ ー ビ ス の 種 類 に 応 じ て , 住 民 の そ れ ら に 対 す る 需 要 行 動 が 奥 な る た め , 地 域 開 の 結 合 の 様 相 も 当 然 異 な っ て く る .

高 次 な 財 と し て の 寅 回 品 の 例 と し て , 本 稿 で は 背 広 ・ ス ー ツ ・ 呉JJ[ i の購買行動を取りあげた. これ ら の 商 品 に 対 し て は , 住 民 は 購 入 の た め に 購 買 地 を 選 択 し , そ の た め に 都 市 間 の 階 層 構 造 が 明 瞭 に 表 現 さ れ て い る ( 第10図 的 . 都市の階層構造の基本的形態は, ま ず 水 戸 ・ 土 浦 の2大 極 化 地 域 が 県 北 と 県 南 地 区 に そ れ ぞ れ に 存 在 す る . 両 者 の 勢 力 が 交 錯 す る 地 域 も 厳 存 す る が , そ れ ぞ れ が 比 較 的 単 純

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く , 逆 に 周 辺 地 域 か ら の 依 存 率 が 比 較 的 低 率 で あ り な が ら も , 水 海 道 を は じ め 古 河 ・ 下 妻 ・ 結 城 ・ 下 館 な ど に 局 地 的 都 市 シ ス テ ム が 存 在 す る .

一方,水戸閣の中に包含されながらも, 日立・常陸太田・石岡・鉾田がそれぞれの地域で小関係! 強

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り,県西地

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乏で、は人口 3" " ' 5万 の 小 規 模 な 都 市 し か 存 在 し な い た め , 一 部 の 地 域 で は 水 戸 ・ 土 浦 へ も 購 買 客 が 流 動 す る が , 小 関 係 閣 が 群 立 す る 様 相 を 呈 し て い る .

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水 戸 か ら の 直 総 距 離

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水 戸 か ら の 直 線 距 離

日 用 品 購 買 行 動 に よ る 都 市 シ ス テ ム ( 常 陽 産 業 開 発 セ ン タ ー に よ る 調 査 結 果 よ り 作 成 ) 40

80

第 11 図

(20)

40 ( km)

40 ( km) 水 戸 か ら の 直 線 距 離

余11夜行動による都市システム

( 常陽産業開発センターによる調査結果より作成)

第12図

は , 食 料 品 を 周 辺 地 区 に 供 給 す る 中 心 地 が 多 い . 以 上 の よ う に 食 料 品 の 供 給 か ら 考 察 す る と , 県 内 に す で に 県 外 と は 比 較 的 均 等 に 中 心 地 が 分 布 す る と い う 都 市 シ ス テ ム が 検 出 さ れ う る .

1974

年時点は,

日 用 品 の 商 閣 が 地 域 的 に 分 割 県 内 に 本 部 を 霞 く ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト がj苫舗締を拡充するi時期であり,

さ れ て ゆ く 背 景 が あ っ た31)

パ チ ン コ ・ マ ー ジ ャ ン に よ る 余 暇 行 動 に 基 づ く 都 子

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ス テ ム を 表 示 し て い る . 静 岡 県 第

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図aは,

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は 日 々 余 暇 活 したがって,

平 日 余 暇 活 動 の 第l 位はノミチンコであり, 浜 松 で の 調 査32)によると,

動 に よ る 都 市 シ ス テ ム と し て 読 み と る こ と が 可 能 で あ る . 都 千

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皆 震 性 は 水 戸 閣 を 除 い て き わ め て 水 戸 と 土 滞 の 二 極 構 水 戸 を 中 心 と し て 狭 い 範 域 で 階 層 構 造 が 完 結 し て い る . す な わ ち ,

単純であり,

県 内 各 地 fこ普通的に分布している.

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1980

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1974

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主i誌 の も の と 比 較 し て 基 本 的 に 大 き

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水戸間や土浦閤内で、は他の地域から

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荷 客 を 吸 引 す る 比 較 的 低 次 な 中 心 地 が

1974

年 か ら

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年 の

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自に多数 誕生したことがわかる. 例えば,

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者 で は 高 萩 , 笠 間 , 勝

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, 鹿 島 な ど で あ り , 後 者 で は 牛 久 , 江 戸 1

1時 な ど で あ る . そ の 他 , 県 西 地 区 で は ド 妾 , 水 海 : 道 , 古 河 が ほ ぼ ! 弓 率 の ,

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率 を 有 す る よ う に な っ て き た . 衣 料 品 な ど の 買 白 品 を 購 買 す る 大 型 ! 苫 舗 が 各 地 に 立 地 し , 都 市 シ ス テ ム を 変 容 さ せ て い る こ と が わ か る . 買 回 品 購 買 行 動 に 特 徴 的 な 点 は , そ れ が 県 外 地 域 に も 存 在 し , そ の 結 果 県 外 に 流 出 す る こ と で あ る . 県 北 地 区 で は 隣 接 す る 福 島 ・ 栃 木 県 へ , 県 西 地 区 で は 小i上1. 真 岡 な ど の 栃 木

AA_l iセi ) 克行地区では銚子,佐原,小見川などの

千 葉 県 へ 流 出 し , 東 京 都 で の 購 買 行 動 者 も 全 県 に わ た っ て い る . 県 外 流 出 の 現 象 は

1974

年時々こもすで に顕著な事象として存在していたが,

1980

年 に な っ て よ り 目 立 つ も の に な っ て き た . す な わ ち , 茨 城 の 都 市 シ ス テ ム も , 当 然 , 県 内 で 完 結 す る も の で は な く , 広 域 的 に 考 察 さ れ な く て は な ら な い

第11 図

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は , 食 料 品 購 買 行 動 に よ る 都 市 シ ス テ ム を 表 し て い る .

1974

年 の 向 種 の 図 と 比 較 し て , 水 戸 ・ 土 浦 の 二 極 構 造 が や や 不 明 瞭 に な り , い わ ば 多 核 的 な 郁 子

1

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階 層 構 造 に 移 行 し つ つ あ る 様 相 が み う けられる. 県北地

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玄 に は , 水 戸 以 外 に , 自 立 ・ 高 萩 と い う 自 市 内 購 買 率 の 高 率 地 域 が 存 在 し3 それらよ り も 階 層 が 低 次 な が ら , 常 睦 太i王! . 笠間・

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田 ・ 那 珂 湊 が 高 次 な 中 心 地 と し て 成 長 し つ つ あ る . ま た, 1. 琵行j也匿では同様に鉾田・鹿島・ネI jl楢の食料品販売力が増加したために, 自市I l l

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内綿貫率を高め,

i中 心 地 と し て は 高 次 な も の に な っ て き た .

類 似 し た 現 象 は 土 浦 閤F,! ヨにもみられ,江戸崎,牛久,谷EEl 部,筑波などの中心jを と し て の 発 達 も 注 目 さ れ る . 県 西 , 県 南 地 区 に お い て も , 新 た に 岩 井 , 石 下 , 協 和 , 守 谷 , 真 壁 な ど の 台 頭 に よ っ て 都

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雑 に な っ て き た .

1970

年 代 後 半 か ら

1980

年 初 期 に は , 主 と し て 食 料 品 を 取 り 扱 う ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト の広告

n

が 県 内 各 地 に 拡 充 さ れ , 人 び と の 購 買 行 動 が 居 住 地 に 近 い と こ ろ で な さ れ る よ う に な っ た . 一 方,小売忠告1i の経営企業側も,既存の都市からの距離を重視して,広告I i を立地させていたものが,人 口 規 模 に 対 応 さ せ て 立 地 さ せ る よ う に 変 化 す る よ う に な っ た33) こ の 背 景 に は , 住 民 の 自 動 車 所 有 の 普 及 が あ り , 消 費 行 動 に お け る 移 動 性 の 高 ま り も 無 視 で き な い .

余 暇 行 動 に よ る 都 市 シ ス テ ム ( 第

1

2

b)

は,

1974

年時点にみられた地域的に分割された! 塑域構造 の 特 性 を よ り 強 化 す る も の に な っ た . す な わ ち , 余 暇 行 動 の サ ー ビ ス を 供 給 す る 中 心 地 が 全 県 的 に 新 た に 誕 生 し , そ れ ぞ れ の 中 心 地 問 に は , 他 の 行 動 と 比 較 し て 階 層 構 造 を 有 す る こ と が 少 な い . パ チ ン

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る.

町一

3

1985

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