第 Ⅲ章 遺
調査地の地形
東院庭園は奈良山丘陵か ら南 に向かって低 く舌状 に延びた台地の南麓 に位置 している。台地 は北 にある航空 自衛隊奈良基地付近か らヨナベ古墳、法華寺の集落 を通 り、先端 は宇奈多理神 社 に達 している。台地の西側 は第二次朝堂院地区 との間に浅い谷が北 に入 り込み、水上池か ら 磐之媛陵の西側へ と続いている (Fig 3)。 東側 も緩やかな窪地が北 にあるウワナベ古墳の方ヘ つづ く。台地の標高はヨナベ古墳南側で75m、 宇奈多理神社境内が
659mで
あるか ら、その間800mで 91m下
がる。約1%の
勾配である。東院園池の西 に接する宇奈多理神社 と池 との高 さ関係 は、上層園池の推定水面高が
6115mで
あるか ら、比高差
475mで
ある。奈良時代 の宇奈多理神社境内地が どのような状態であったの かは、東院庭園の当時の周辺環境、景観 を考える上で大 きな問題である。宇奈多理神社境内で は、1997年
に第283次調査 として、本殿正面西側で発掘調査が実施 された (5奈文研年報 1998‑Ⅲ』1998)。 それによると、標高
654m前
後で江戸時代、標高65m前
後で中世 と奈良時代 の遺 構が検 出され、現状の宇奈多理の社が、中世以降除々に土砂が堆積 し、現在 に至 った ものであ ることが推定で きた。 しか し、宇奈多理神社の東 に接する第302次調査区では、奈良時代 の遺 構面の標高が62m前
後であ り、奈良時代 において も宇奈多理神社側が約3m高
まっていたこと になる。宇奈多理神社境内の周辺 には、称徳朝の「東院玉殿J、 光仁朝の「楊梅宮」 などの宮殿 施設の存在が推定 されているが、発掘調査か らは具体的に確認 されてお らず、今後の発掘調査 の進展が待 たれる。舌状台地は洪積層の強固な地層か らなってお り、東院南面大垣付近か ら南では徐 々に低 くな り、上部は沖積層の軟弱 な地盤 に覆われて しまう。園池は洪積層か ら沖積層への変換点あた り に掘 り込 まれている。園池西側の地山を見 ると、建物が建つ面は粘質土であ り、その下 に砂層 が広がる。下層池や場所 によつては最下層池 も池底 は地山の砂層である。 これで水が溜 まるの か と思 うが、実際、溜 まっている。台地縁辺の地下水位が高い場所であるか ら、 こうした地層 であって も水面 を維持で きたのであろう。池への人工的な給水 は当然なされていたのであるが、
給水その ものは水質 を清浄 に保つ、あるいは流れを作 り出すための ものであって、池の水位 自 体 は園池地区一帯の高い地下水位 に頼 つていた と考えられる。
人工的な給水の水源であるが、ある程度の水量 を安定 して確保する必要があるか ら、舌状台地 西側の谷 を堰 き止めてで きあがった水上池か ら水路で導いていたのであろう。ちなみに水上池の 池尻か ら園池 までの距離はおよそ
700mで
ある。池尻の標高は水上池中央部南側の最 も低い所で71m前
後であ り、ここでの水路底の高 さは不明であるが、仮 に地表下マイナスlmと
す ると、上層園池への給水路である石組溝
SD9051の
底面が62.3m前
後であるか ら、給水路の平均勾配 は約1%と
なる。途中で舌状台地を横断することになるが、高低差 を考えれば十分可能である。宇奈多理の 社 との関係
池への水源 高 い 地 下 水
位
25
│
#
准
.│層
F(諄=Fig。
3
調査 地の地形2 遺構各説
A
園 池 お よび庭 園 関係 遺 構本頂で記述す る園池お よび庭園関係遺構 とは園池 (護岸/池底/築山石組/景石/中島/岬)、 石組 蛇行溝 を含めた給・排水路、園路 などである。庭園植栽 については第
V章
7に記 した。東院庭園の園池 は3期に分かれる。年代の古い ものか ら順 に最下層園池SG5800X、 下層園池
1)
SG5800A、 上層園池
SG5800Bと
呼ぶ。遺構 の説明 も3期
に分 けて行 う。東院庭園の発掘調査で池本体 を面的に調査 したのは、第
44,99,120次
の3回の調査であ り、池北方の給水路等 については、第
HO次
調査で実態 を明 らかに した。その後、1998年度か ら始 まった東 院庭 園の復原整備事業 に伴 う補足調査 として園池お よび庭園関係遺構 を調査対象 とし>│
3時
期 の 園池
一一
︐一
︲
﹁ た
︒
ng.4
最下層園池平面確認位置図27
の 況
謝 池
園 重
たのが、第
271,276,280,284,284補
足,302,323次
の7回の調 査 である。 これ らの調査 で は里道や旧水 田畦畔 な どの未発掘部分 を主 たる対象 として発掘調査 を行 った。園池 は第44次調査 で は上 層園池 の確認 に とどま り、第99次調査 で は じめ て下層園池 を発見 し、
上層 園池 の実測 後 、下層 園池 を調査 区全体 にわた って検 出 した。第120次調 査 で は、上層 園池 を保存す るため、下層 園池 の面 的検 出は部分 に とどめ られた。 しか し、第120次調査 で行 った 西岸 の断割調査 で、最下層 園池 の遺構 を確 認 してい る。 ただ、 この時点 で は、確認 された最下 層 園池 の遺構 は、部分 的 に改4分され た下層 園池 の当初 の護岸 と理解 し、 これ を独立 した池 とは 考 えなか った。 その後 、1996年度 の第276次調査 で園池汀線全体 に断割 リ トレンチ を設定す る とともに、最下層 園池 の地 山掘 り込 み ライ ンを地 山面が露 出 してい る個所 で平面検 出 した。そ の結果、第120次調 査 時 の 断割調 査 を含 め計
Hか
所 で最 下層 園池 の遺構 を確 認 し、平面的 に確 認 した地 山掘 り込 み ライ ン と合 わせ て最下層 園池の概形 を押 さえるこ とがで きた (Fig.4)。 し か し、最下層 園池 は トレンチ調査 と限 られた個所 の平面検 出で部分 的 に確 認 した にす ぎず、下 層 園池 も面 的 に検 出 したの は池北半部 の第99次調査 地 のみで あ る。 この他 の調査地で は、下層 園池が未発 見で あ つた第44次調査 は別 と して、上層園池遺構 を保存 す るため に上層 園池以下 を 面 的 に下 げる こ とを してい ない。 したが って、最下層 園池 、下層 園池 については検 出 した部分 か ら全体 を推定 した記述 に とどまらざるを得 ない ことを、 は じめ に断 ってお く。まず、
3期
の 園池 の層序 関係 を見 てお きたい。 なお、園池 の掘 削 、構 築状 況 、堆積土 の層序 は池全体が均― で はな く、場所 に よって差異があ るが、 ここで は保存状 態が よ く、層位 が明瞭 な断面 を と りあげて説明す る (Fig.5)。調査 地点 は第
120次
調 査 区の池南 半西岸 であ る。 ここで は、 は じめ に地 山であ る青灰 色砂 を 60cmほ ど掘 り込 み、岸沿 い にあ ま り奥行 きのない石 を積 み、護岸 とす る。最下層 園池 の堆積土 は厚 さ5〜30cmの暗黒色 粘 土 であ る。つ ぎにこの池 の岸沿 いのみ を厚 さ15cmほ どの礫 混 り青灰 色砂 で埋 めて、下層 園池 の底石 である径 30〜50cmの扁平 な玉石 を敷 く。 この とき汀線沿 いの池 底 は最 下層 園池 に比べ て35cmほど高 くなる。 さらにその後、下層 園池 を灰褐色粘土 と礫 混 り灰 色砂 で埋 め、上層 園池 の洲 浜敷 をつ くる。下層 園池 を埋 め る整 地土 の厚 さは池北半部 では厚 く30cmほ どあるが、南半部 の薄いところでは下層の石敷 に直接 、上層 の洲 浜礫敷が のる状態 である。
上層 園池 の堆積 は、池底 の礫 敷直上 に厚 さ約20c14の 有機物 や遺物 を多量 に含 む黒褐 色砂 質土 (場所 に よつては黒色腐植 土
)が
あ り、その上 に厚 さ約15cmの暗灰 色粘 質土が の る。 この2層が 上層園池の堆積土であ り、さらにその上 は厚 さ20cmの床土 、同15calの耕 土 となる (Fig 5'6)。園池 の年代 は、第
V章
1で述べ る ように、最下層園池が和銅 年 間か ら養老年 間頃、下層 園池Fig。
5
園池南半部の西岸断面図 (以下凡例は2‑A項
共通)Y‑17,344
→ W
H&6
上層園池の堆積 断面図が養老年間か ら神護景雲年間頃、上層園池は神護景雲年間か ら延暦年間頃 と考えられる。
i
最下層園池SG5800X
最下層園池 は、南半部の汀線 と北半部の東岸、北岸 の位置はそれぞれ一部のみであるが確認 で きたが、北半部西岸 は未確認である (Fig 4、 PL 12)。 しか し、北半部西岸 も建物が建つ 地盤面 は地 山であ り、池痕跡が認め られない ことか ら、西北方向への池の広が りも下層 園池、
上層園池の範囲内に納 まることがわかる。池の基本的な位置や大 きさはのちに作 り直 される下 層園池、上層園池 に引 き継がれる。つ ま り、最下層園池の段階で東院庭園の池の形、敷地地割 りの骨格が作 られた といえる。池全体の平面形 は、東、南岸の線形か ら考えて、単純 な逆
L字
形 をなす もの と見 られる。平面規模 は南北
60m弱
、東西 は、北半部は20〜25m、 南半部の広2)
い ところで45m、 岸 か ら池底 までの深 さは0.5〜
0.8mで
ある。各辺 は、緩やか にカーブす るが、岬や入 り江 と呼べ る出入 りはな く、直線 的 であ る。 ただ し、各 隅 は丸み を帯 びてい る。
護岸 石 は下層 園池へ の作 り替 え時 にほ とん ど抜 き取 られてい るが、部分 的 に確 認 した遺構 を つ な ぎ合 わせ て復原す る と、径30c14前後 の玉石 を
2〜 3段
にほぼ垂 直 に積 み上 げた石積護岸 の 部分 と、径30cm強の玉石 を斜面 に沿 って20度前後 の緩 い勾 配 で張 りつ けた部分が あ つた (Fig.7、 PL.12)。 断 ち割 った範 囲 内 には池 底 に敷 石 の痕 跡 は な く、池底 は地 山の砂 層面 となる。
また庭石組 や単独 の景石 も未確認である。
給水 路 は池 北岸 に推 定 で きるが遺構 は未確 認 で あ る。 ただ し、下層 園池の給水 路SD 8456と 同位 置 に素掘溝 と して作 られていた、 あ るい は最 下層 園池北岸 の未調査地 にある可 能性 は考 え られ る。
排水 路 は池東南 隅 の斜 めの素掘溝
SD17761(PLAN 8、 PL.24)に
想定で きる。池東南 隅か ら大垣東南 入 隅 に45度方 向 に流 れ、入 隅 か らはSD17760と
合 流後 、南 流 す る。幅11〜 15m、深 さ40cmであ る。
この排水 溝 の底 の高 さが60.9mであ り、池 の水 面 は これ よ り高 い はずである。 また、岸 の地 山面 の高 さは全体 的 には
6120〜 6135mで
あ るが 、池東南部 はやや低 く61.05〜6120mで
あ っ た。池底 の高 さは全体 的 には6070〜
60.80mであ るが 、東南部 は同 じ く低 く6025〜 60.45mで
あ った。したが って池 の深 さは全外的 には40て 65cmであ り、東南部 はやや深 く60〜 95cmであ る。
(地山)
Fig.7 最下層園池の玉石張 り斜面 (西南か ら東北方向の断面)
最下層園池 の 平 面 形
排
水
路
29
労
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◇
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X‑145,700
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涵 岬 慟 核 硼 肘 評 Å 急 及
辟 峰
︒
∞ ⑩ 鋒 恕
1 :200 IY一ヽ7,330
Fig.8 下層 園池北半部実測 図
下 層 園 池
また、東南部 の岸面 は大垣 の遺構 面 な どか ら考 える とやや削平 されてい る可能性 があ る。 これ らを勘案す る と池水面 の高 さは
610mよ
りやや高 い程度 で あ った と推 定 で き、その結 果 、池 の 水 深 は全体 的 には20〜30cmと 浅 く、東南部のみが深 く60〜 80cmであ った こ とになる。ii 下層園池
SG5800A
前 述 の ように下層 園池 は最下層 園池 を埋 めて作 るのだが 、 この ときに単調 な逆
L字
形 を改 め、ゆ るや か な曲線 の各辺 をさらにゆるやか な曲線 に、 また、各辺 に
2か
所 程度池へ の張 り出 しを 作 り、全答 を変化 のあ る 自然 形 とす る。池 の平面規模 は最 下層 園池 と大差 ないが、深 さは40〜45cmと 少 し浅 くなる (Fig,8)。
護 岸
護岸 は径30〜 50cmの玉石 を汀線 に沿 つて1石ず つ立 て並 べ 、 その上 は径10〜 20cmの大 きめの礫 を斜面 に敷 き洲浜 と した部分 と、石 を立 てず に大 きめの礫 を敷 いた洲浜斜面 の、
2種
の手法が混在 していた ようであ る (Fig 9、 PL.10‑1、 11‑1)。 洲浜斜面 の勾 配 は西岸 の一部 で はで約
7度
(120/0)で あ る (PL ll‑1)。洲浜 に用 い た礫 の大 きさは場所 に よつて異 なる。 もっ とも大 きいの は池西北部 で径 20〜30cm もあ り、最小 は東岸 中央部の5 cm前後 であ る。
池底 は岸 に沿 って池北半部東岸、西岸 の狭 い ところで1〜
2mの
帯状 に、北岸屈 曲部 な どの 広 い ところで は4〜6mも
の幅 に、径30〜50cmの上面が平 らな安 山岩玉石 を敷 く。 また、池西 南 部 で は帯 状 で は な く、汀線 が 内湾 す る部 分 の 内側 の池 底 に、最 大 幅 で4mほ
どの大 きさ で、半 円形 の島状 に同様 の玉石 を敷 く (PL 10‑2)。 また、南岸西部の園池 に張 り出す建物SB
17582の前面 には幅3m、 東西長 さ
20m以
上 の帯状 に玉石が敷 かれていた可能性が高い。池底 と岸 の 関係 をみ る と、池底 の敷石 と縁 に立 てた玉石 が接 す る ように敷 き詰 めた部分 は北 岸 な どの一部 のみで、他 は敷石 と縁 石 の間 に帯状 に石 を敷 か ない部分 が あ る (PL 10‑1、 2)。
また、池 中央部 は基本 的 に地 山の砂層 を底 としてい るが、池東南部 に玉石 を帯状 や島状 に敷 く 部分が あ るな ど、下層 園池 の底石 敷 きは、敷 いた意 図 を理解 しに くい面が あ る。
排水 回の高 さな ど、下層 園池 の水 面高 を直接確 定 で きる遺構 は調査 で は明 らか にな ってい な いが ここでその推定 を行 ってお きたい。 まず、下層 園池 の排水路 と考 え られ る西南 隅の石組溝 の底石上面が池 に最 も近 い地点で
6020mも
の高 さが あ り、池 の水 面 は これ よ り高か った はず で ある。池底 に敷 かれた敷石面 の高 さは池北部で6090〜 6120m、
南 部 で は6080〜 6095m
である。 また池南部西北部 に残 る下層 園池 の洲浜斜面 の高 さは下部が
6095m、
上部が6123m
であ った。 これ らの高 さを総合 して推定す る と下層 園池 の水 面高 は
6125〜 61.30mが
妥 当 な数 値 であ ろ う。 この結 果 、水 深 は北 部 の浅 い ところで5〜10cm、 南 部 の深 い ところで35〜 50cmで あつた こ とになる。
景 石
下層 園池 に伴 う景石 を明確 に確 認す ることはで きなか った。 ただ し、下層 園池 の池底 や 護岸 の構造 は平城京左 京三条二坊官跡庭 園 (以下 、「宮跡庭 園」 と略称 す る
)と
よ く似 てお り、この こ とか らす る と下層 園池 に も景石 や石組があ った可能性 は考 え られ るが、上層 園池へ の作 り替 えに際 して、取 り外 されたのか、詳細 は不 明である。
給水路 (PLAN 9。 10、
PL 13)
給水 路 は池北岸 の一段 高 い面 を西 か ら流 れて くる水 と、東 面 大垣 西 雨 落溝SD 9040Aを
経 て東 北 方 か ら くる水 が池 東北 部 の北101nほどの地点で合流 し、石組南 北溝 SD 84561こ よ り池 に供給 され る。 つ ま り、西 か ら くる水 は池北岸 の北約
12mの
ところにあ る石組東西溝
SD9045'9046→
石組南北溝SD 9049→石組 東西溝SD 9050→石組南北溝 SD 8456→池 で あ り、東北 方 か ら くる水 は東 面大 垣西 雨 落溝SD 9040A一
石組 東西溝SD 9050→石組南北溝SD 8456→池 とな る。石組南 北溝
SD8456は
、底 石 は残 つてい たが狽1石は抜 かれ てい た。底石 は径20〜40c14の玉 石 を1列も し くは2列に敷並べ た もので、溝 の内法幅 は50cm 弱 に復 原 で きる。深 さは狽1石1石分 とす る と20〜30cmであ る。石組東西溝 SD 90501よ 幅約30cm、深 さ約 20cmで、給水路SD 8456と の接続 点 を境 に東 は西流 し、西 は東流す る。石組南北溝
SD
9049と石組東西溝SD 9045はいず れ も恨↓石 が数個残 るのみで残存状 況 は よ くない。
石組蛇 行溝
SD 18120(PLAN12,PL 15)
池 の西 北 にあ る 曲流 す る玉石 溝 で あ る (以下 、「北 蛇行 溝 」 と呼 ぶ)。 溝 の構 造 、遺存 状 況 は池 の南 西 にあ る石 組 蛇行 溝
SD5850に
酷 似 す る。蛇
行
溝 検 出 した流 れの延長 は約
19mで
あ り、9か
所 で屈 曲す る。溝 の南北両端 での溝底 中央 部 にお ける敷石上面 の高低差 は 9 cmで あ り、縦 断勾配 は0.5%であ る。側石 はすで に抜 き取 られているが、
底 には径 20〜40cmの上面が平 らな玉石 を2〜 4列、幅 70〜80cmに、両側 が高 くな る浅 い皿状 に敷かれている。 また、SD181201こは上流部 に一種 の浄水施設か と考 え られるSX18125、
SX
18130が付 属 してい る。
SX18125は
、東西15m、 南 北3m範
囲 に径5〜15硼の比較 的 ごつ ごつ した石 を詰 めて小判小
池 形 に敷 込 んだ施設 であ る。外 周 部 の石 の残存 状況 が悪 く、推 定 の域 を出 ないが 、東側 には外 周
に沿 うように幅20〜30cnlの帯状 に地 山が高 くなってい る面が あ り、 この上 に縁 石が 巡 れ ば、 内 部 は玉石敷小 池 となる。
SX18130は
、SX18125の
北 に拡 が る玉 石抜 取跡 の集 中部分 で あ る。南 の玉石 溝 部 よ りも幅 広 く石 が敷 かれ てい た ようで あ り、溝 とは考 え に くい。小 さな池 で あ った可 能性 もあ る。復 原 的 に想 定 す る と、北 の給水 路 か ら導 い た水 を一旦 、SX18130に
溜 め、 ここか らSX18125に
水 を入れ、 ここで石 の間 を通 しなが ら水 を浄化 し、SD18120に
流す、 とい う構造が考 え られる。排水路 (PLAN 8。 11、 PL ll・ 17・
18)
排水路 は池西南 隅 と東南 隅 の2か
所 であ る。西南 隅 の排水 路
SD9275は
石組南 北溝 で あ る。池 との接 点 は壊 され てい るが 、池尻 か らまっ す ぐ約9m、 南 に流 れ、南 面大垣 の北 雨 落溝SD 9272Aに
合流 す る。側 石 は抜 き取 られ てい る が 、底 には径30cm前後 の玉石 を2ない し3列に敷 いてい るこ とか ら溝 の内法幅 は約60cmに 復原 で きる。深 さは20〜30cmであ ろ う。東南 隅の排水路 は南北溝
SD5830Aが
あ る。 その詳細 につ いて は次節 でふれ るが 、上層 園池 の 段 階 まで存続 していた もの と考 え られ る。iii 上層園池
SG5800B
下層 園池 の汀沿 いや石組溝 に立 て た玉石 の大 半 を抜 き取 り、浅 い ところで5 cm、 深 い ところ で は30cmほど埋 めて、上層 園池 に作 り替 える。上層 園池 は池底 、岸斜面、 さらにそのタト側 の陸
――H=61 55m Y‑17,869
ng.9
洲浜勾配が緩 やか な部分つけOυ
上層園池の 拡
張
島 中
地部 を含 めて礫敷である。全面洲浜仕様 で作 られた園池 の最初期 の遺構 といえる。
池 の平面形 は全体 的 には下層 園池 を踏襲す るのだが、給水 路が取 り付 く池東北部 を東へ拡張
3)
す るの と、池 の西南部 に中島が新 たに作 られる。
池東北拡張部 (PLAN 9、
PL 8)
池東北拡張部 は、東西 13m、 南北10mほ
どの範 囲であ り、ここには斜 面、底 ともに礫 を敷 かず 、地 山である砂 質土層 の ままであ る。拡張部 の池底東南部 に径40cmの曲物SE 8454が底板 を抜 いた状態 で埋 め られていた。 ここは一帯が砂 質土 の地 山で あ り、湧水 があ った とす れば、池底全体 か らに じみ出ていたはずであ るか ら、湧水 を集め る桝
とは考 えに くい。宮跡庭 園 に も2個所 に据 え られていた水生植物用 の植桝 の可能性が高い。
溜 り状遺構
SX16305(PLAN 9。
10、PL 14)上
記拡張部 の東北部が東西 2.5m、 南北3m
の水 路状 に北 に延 び、 ここに東西3m、 南 北
6mの
小 さな池が あ る。小 さな池 は西辺 に池へ の 給水 路 であ る玉石組 の溝が取 り付 き、護岸や池底 には径50cm前後 の石 を疎 らに配 してい る。池 尻部 に水 を溜 め るための堰状 の石 、 もしくは板 は失 われていたが、本来の機 能 は、 ここに一旦、水 を溜 め、泥 な どを沈殿 させ、上水 を池本体 に供給す る一種 の浄化池であろう。
中島
SX8460(PLAN ll、 PL,7)
中島は、東西 10m、 南北8mほ
どの大 きさがあ り、南北 の 中央部が くびれたいびつ な瓢箪形 を してい る。池底 か らの高 さは50cmほどであ り、島中央部 の残 りは悪 いが全面礫 敷 であ った ようだ。景石 は汀線沿 い に径20〜 40cmの石 を全 部 で15石ほ ど配 している。東岸の岬SX8452・
8450(PLAN 9、 PL.5)東
岸 か ら池 に張 り出す岬 は池 中央 の東西橋 を 挟 んで南 北両側 に作 られてい る。北側 の岬SX84521よ東 西7m、 南北8mほ
どの大 きさの半 円 形 をな し、岬先端部、池 に接す る部分 に景石が据 わ ってい る。上面が削平 を受 けてい るが、残 存 部 と池底 との比 高 は約50c14であ る。南狽Jの岬SX84501よ東 西8m、 南北6mほ
どの規模 であり、景石 は南北両側 に多 く配 されてい る。 同 じく残存比高 は約35cmであ る。
南岸 の岬
SX5929(PLAN 8、 PL 5)
南岸 には東南部 に大 きな岬、西南部 に小 さな岬が作 ら れてい る。東南部 の岬SX59291よ東西7m、 南北9mほ
どの大 きさで池 に張 り出 し、池 中に作 られ た中島 とともに池南半部 の景 を奥行 きのある もの に してい る。岬上面 は他 の岬 同様 、削平 され てい るが、残 っている洲浜斜面 の勾 配が緩 い こ とか らす る と、 この岬 は他 よ り低 い穏 やか な景 をな していたのか も知 れない。景石 は岬北側 と西側 に疎 らにある。西南部 の岬 は東西 (底 辺)、 南北 (高さ)各 4mほ
どの三角形 をな し、斜面 はやや急 な勾 配で立 ち上が る。西 岸 の岬
SX9417(PLAN H、 PL.6)
池南 半部 の西岸 は中央部が南北5m、 東西8mほ
ど の大 きさで池 に張 り出 し岬 を形成 している。 ここには岬縁辺部 のみ な らず 中央部 に も景石 が残 存 してい た。 中央部 の景石据付 面 か ら考 えて、 この岬 は さほ ど上面 の削平 を受 けてい ない こと が わか る。周 囲の池底 と岬上面 との比高 は50cmであ った。SB8490南
側 の岬SX8461・8459(PLAN 9・
12、PL 7)
西岸 中央 にあるSB 8490の南側 には岬が2か
所 に作 られ てい る。西側 の岬SX84611よ中島の ほぼ真北 にあたる位 置 にあ り、東 西3m、 南北27mほ
どの大 きさでやや西南方向 に突 き出 してい る。 ここには景石 はなか った。この岬の東付 け根付 近 か ら東南方 向 に細 く廷 びる出島状 の岬
SX8459が
あ る。残 つてい た礫敷 面 の高 さか ら考 える と岬の途 中部分 はほ とん ど水 面す れす れの】犬態 だ った ようだ。 しか し、 こ の岬 は先端 部 に大 きな板状 の石 (長径1.4m)を
立 て、 その周 囲 に も比較 的大 きな景石 を置 く□ 礫小が多い
□ 礫大小混 じり 圃 礫 大 が多 い
■礫大 (効
―
―
た
俺
6∽
Fig。
10
上層園池洲浜の礫径分布立体 的 な石組 が施 されている。板状 の景石 は発掘調査時点で南側 に倒 れていたが、整備 で は立 て直 して復原 してい る。
岸斜 面 の勾配
礫 が敷 かれた池岸 の勾 配 は、全体 が均一で はな く、比較 的緩 やか な面 と、や や 急 な部分があ る。 しか し、基本的 に礫 敷面 と して安定す る勾 配 であ るか ら、それ ほ ど急 な斜 面 はあ り得 ない。緩やかなFig 9の勾 配が 、
6度
30分(115%)で
あ り、やや急 なFig 5(p28)
で13度強
(234%)で
あ る。景石際 な ど急 に立 ち上が る部分 で も17度弱(30%)ま
でであ る。池底
池底 は池 中央部 に向かってわず か に低 くな りなが ら、最終 的 には池東半部 の中央 にゴヒか ら東南部 まで、くの字状 に敷かれた帯状 の石敷 き
SX8491に
向か って下が る(PLAN 9、 PL 8)。帯状 の石敷 きは幅40〜50cm、 長 さ
55mに
お よぶ 。通常 の池底 よ りもひ とまわ り大 きい径10cm
前 後 の礫 を集めて敷 い た もので、縁 ど りす る形 で並べ られた直線 的形状 は、周 囲の礫敷 と明確 評 。
臼 坊
J 威 凸
︐出ツコ︲
︒ O Oo
却 O嘘
に区別 で きる。池水 をすべ て抜 いて、池 内部 を清掃 す る際 の集水溝 と考 え られ る。 この溝 の南 北方 向 の縦 断勾 配 は約
5%と
、か な りの急勾配 で あ る。池 の深 さ
上 層 園池 の岸 の高 さは
6130〜 6135mで
あ り、池 底 は北 部が6100〜
6110m、 南 部 が6090〜 6095mで
あ る。 したが って、池 の深 さは30〜 40cmと な り、最下 層 園池 か ら新 しくなる に したが い、順 に少 しず つ浅 くなる傾 向が見 られ る。
水深
上 層 園池 の水 面 高 は》H浜 斜 面 や景石 に当 た る水面 の位 置 か ら、
6115m前
後 と推 定 で き る。その結果 、池 の水 深 は北部5〜15cm、 南 部20〜 25∽と、全体 として大変浅 い。洲浜礫 敷 の径
池底 か ら岸斜 面 に敷 か れ た礫 は全体 が均 ― な大 きさで は な く、場所 に よって礫 径が異 な る (Fig 10)。 径 10cmを 越 える大 きな礫 を集 めて敷 いているの は南岸西 部の帯状洲浜 斜面 と池底 中央 部 の集水 溝 で あ る (Fig 10の A・ B)。 つ ぎに大 きいのが北築 山の裾部、東岸 の岬部、池西南部 の底 と斜面 、 な どである (同C)。 逆 に小 さい礫 が優勢 な場所 は池東南部の斜 面 と底 、 中央建物南側 の池底 である (同D)。 これ以外 が大小入 り混 じった場所 である (同E)。
A、
Bは
もちろんであるが、Cも大 きい礫 を意識 して選別 し、敷 き詰めた ものであろう。Cは
中央建物か らよく見える部分 にあたる、 と言 うこともで きる。南岸の改修
洲浜礫敷 きの造成 と南岸の改修
池南岸西部の洲浜は園池 に張 り出す建物
SB17700を
取 り除い た後、改修 される。従前の洲浜礫敷 を埋める形で、径 10cm前 後 の大 きめの礫 を汀線 に従 つて、3個
所の突出部 と2個
所の入江 をなす形 に敷 く。幅は狭い ところで05m、 西端の広い ところで は25mに
お よぶ (Fig 10の A)。 石敷 きは、斜面 に沿 う形で南が高 くなる。
築 山
SX8457(PLAN 9、 PL 4)
北 岸 には池 に突 き出す形 で築 山が作 られ る。東 西 10m、 南 北5m、 下 層 園池 の池底 玉石 敷面 か ら60帥ほ どの高 さに上 を積 み、その 上 に30イ固あ ま りの石 を全体 が 山形 になる ように組 み上 げる。盛土 は砂 質土 、粘質土 を5〜2 0cmの 厚 さに レンズ状 に積 んだ も ので、それほ ど丁寧 な仕事 で はない。築 山 中央 には高 さ1.2mの柱 状 の片麻 岩 を立 て、外側 で は先端部 に向か って棒状 の石 を突 き Fig.11 西岸岬景石断割 り調査位置図 出 す よ う に組 ん で い る 。
中央 の 立 石 は土 圧 な ど に よ り傾 い て い るが 、基 底 部 の石 は 原 位 置 を保 つ て い る もの と考 え られ る。
石 質 は第
V章 6で
ふ れ る よ う に 、 片 麻 岩 の ほ か 、 花 筒岩 、 チ ャー ト、 安 山 岩 な どであ る。築
Fig。
12
景石①・②断割 り断面図X‑145,707 景石④の据付け跡 一―H=61 lm
回 粘質土
□ 砂層 園 粘質土 ■ 粘土層
□ 砂層 ■ 粘土層
Fig。
14
景石④下断割 り断面図その他の景石
園池汀線沿いには全体 に景石が配 されているが、湾曲部 よりも岬状 に突出 した 部分 に多い。大 きさは20〜 80cmで ある。なかには西岸中央 にある
SB8490の
南岬先端部 に立て た板石のように長径 1.4mに お よぶ大石 もある。石の配置はそれほど明瞭ではないが、2石
を一 群 とした ものが2か
所、3石 6か
所、4石
1か所、5石
以上が6か
所認め られる。その他 は1 石ずつ点々と配 されてお り、全体で20か所以上 にお よぶ。石質は片麻岩、花尚岩、チ ャー ト、安 山岩 な どいずれ も平城京周辺で得 られる石材である。特徴的なのは片麻岩 とチ ャー トである。片麻岩は北岸築山石組の主要 な構成材 として使われている他、一群の石組の主役的存在である。
チ ャー トは、大 きさは50〜70cmほ どで、中規模の景石であるが、石の表面 に凹凸が多 く、中国 の大湖石 に似た表情がある。 これを岬先端部や石組の役石 として、意識 して使用 している。
個 々の景石が原位置 にあるのか、後世移動 した結果であるのかは、奈良時代の庭園石組 を考 える上で大変重要な問題である。東院庭園の復原整備段階で これを確認するための断割 り調査 (第284次調査補足
)を
行 ったので、その結果 を記す。調査 したのは池南半部西岸岬
SX9417で
検 出 した4石
で、いずれ も第120次調査 で発見 した 景石である (Fig.11、 ① 〜④)。 ① と② は岬西基部付近 にあ り、石質は①が片麻岩、② がチ ャー トである。まず、①と②の据え付け手順であるが、断ち割ると2石 はぴったりと突き合わさ つており、①を据えた後②を据えたことが分かる
(Fig 12)。②の据付け掘方が①のそれを切 っているからである。しかし、これは2石 の据付けの手順を示すのであって、年代差を示すも のではない。前述のように① と②は2石 を組み合わせた一連の石組であるからである。また、
①の据付け掘方の上面は上層園池周囲の地表仕上げ面と考えられる小礫混 り粘質土でパックさ れていた。つまり、①を据えた後に地表面の礫敷がなされている。これらのことから① と②は 少なくとも上層園池が完成した段階では現在の状態にあったと判断できる。
③ と④は岬南辺にあるチャー トで、西側の2石 とともに4石 で一群をなす石組である。③・
④については石を動かさずに断割った後、さらに石をはず して石の下面にも断割 リトレンチを 入れて土層を観察した。③ と④をはずすと、はずした石の形そのままに周囲に礫敷が残 り、石 の下は窪んでおり、ここには礫敷がなかった
(Fig.13・ 14)。③
o④を検出した第
120次調査
の時点では、上層園池の堆積層序は第44・ 99次調査の所見から明らかであ り、景石や洲浜の検 出は園池内部の堆積土である黒色腐植土を排土する手順で行われた。その結果現れたのが③・④以下の景石であ り、周囲の洲浜礫敷であった。つ ま り、第120次調査の所見では黒色腐植土 の堆積状況、洲浜礫敷の検出状況か ら判断 して、これ らの景石 は原位置にあると見極めたので ある。今回の断割 りはそれを再確認する結果 となった。
給水路 (PLAN10、 PL.13・
14)
上層園池への給水 は東北隅 と池南半部北岸か ら行われてい た。東北隅では、東西溝SD 9051→南北溝SD 9056→東西溝 SD 16304と な り、溜 り状遺構SX
16305へ
注 ぐ。その後、 これ らの給水系路 は改修 され、溜 り状遺構SX16305に
は東西溝SD
16306の みか ら給水するようになる。池東北部の給水路へ導かれる水の源は不明であるが、地
の け 石 付 里示 拒四
Hg.13
景石③下断割り断面図37
形 的 に見 れ ば平城宮 北面大垣 に よつて堰 き止 め られ、で きあが った水 上 池 か ら導水 され た可 能 性 が最 も高 い。 また、東 面大垣 西 雨落溝SD 9040 Cの南 半部での埋 め立 て によ り、西雨落溝 の 水 はSD 5890を介 して上層 園池 に注 が れ る。
上記 の給水路 とは別 に園池南半部北岸 には礫 を詰めた石詰暗渠SD 8472(PLAN 12、 PL 15) か らの水 も注 いでい る。暗渠 は幅60cm、 深 さ2 5cmの 掘 方 に径5〜10cmの礫 を詰 め た もので、
中央建物西南 隅の縁 束柱 の掘方 を切 つて掘 られてい る。つ ま り、石詰暗渠が作 られたのは中央 建 物 が建 つた後 とな る。構 造 か ら考 え る とSD 8472は池へ の給水 路 と しての機 能 は低 く、 中央 建物西側 地 区の水 抜 き施設 としての役割 が高 か った と考 え られ る。
石組蛇 行溝 (PLAN ll、
PL.16) SD 5850(以
下 、「南 蛇行溝 」 と呼 ぶ)は
池 の南西 部 にあ る曲流す る玉石組溝 で、池西南 隅排水路SD 9275の 2.5mほど東 の地点 には じま り、少 な くとも 12回ほ ど屈 曲 しなが ら約37m東
流 し、南面大垣北雨落溝SD9272Bと
併存 す る。側石 はほ と 蛇行
溝
ん ど抜 かれていたが、底石 は よ く残 ってい る。底石 は径30〜 50cmの玉石 で、少 ない ところは 2列、多 い ところは3列に敷 く。 中央がやや くぼむ形 に皿状 を呈す る部分があ る。狽J石は上流 部 にわず か に残 る。 この部分 の側 石 は底 石 よ り小 さい径10〜15 cmの玉石 を、皿状 にせ り上 が って きた底石 よ りも
5硼
ほ ど高 く立 ててい る。溝底 中央部 の縦 断勾 配 は下層 園池 の石組蛇行溝 SD 18120同様 約0.5%で
あ る。下層 園池 とSD5850の
接 点 は石 が抜 か れ て残 つてお らず 、 ここ には水量調節 の施設 の存在 が推定 され るが、その構造 は明 らかで ない。排 水路
SD5830B(PLAN 8、
PL 17・18)排
水 路 は池東南 隅 にあ つた下層 園池段 階 の本樋 暗渠SD 5830Aが
抜 き取 られ、その後石組 に改修 された ものであ る。底石 は用 い られていない。南面大垣 以南 にのみ残 る。
園路
上層 園池 は西岸 に中心 となる建物が建 ち、その東縁 か ら露台 を経 て東岸 に渡 る橋 が架 か る。東岸 を北 に行 くと再 び橋 があ り北岸 に達す る。南 に行 けば、東南 隅の楼 を経 て南岸 の池 に 臨 む建物 を経 由 して、西岸か ら中央 の建物 に戻 る経路が想定で きる。 これ らの建物 や橋 と園池 との密接 な配置関係 か ら、当然 園池 を巡 る園路があ ったのであろ う。 園池 の周 囲がすべ て礫 敷 となってい るこ とも、 これ を裏づ ける。最下層 園池段 階の園池周 囲の建物配置状況 は不 明であ り、 園池 を巡 る園路 の有無 も不 明で はあ る。 ただ し、次 の下層 園池段 階の建物配 置 は基 本 的 に 上層 園池 に引 き継が れ る と考 え られ るか ら、下層 園池段 階です で に園池 を巡 る園路が あ つた、
と想定す るのが 自然 である。
註
1)東
院庭 園の園池 については、 これ まで 『平城宮跡発掘調査部概報』、『奈良国立文化財研 究所年報』等で下層、上層の2時期 と認識 して記述 して きた経緯があるが、復原整備 に伴 う最終段階の第276次調 査等で下層園池 よりも古 い当初期の池 を確認 した。本報告ではこれを最下層園池 (SG5800X)と呼ぶ こととし、従来か ら認識 されていた下層園池 (SG5800A)、 上層園池 (SG5800B)はそのまま本報告 で も下層園池、上層園池 と呼ぶこととす る。
2)池
の水深ではない、あ くまでも岸か ら池底 までの深 さである。以下、同 じ。3)中
島が下層園池段階で、すで に作 られていた可能性 は否定で きないが、下層園池の特徴 である玉石 敷が中島周辺 には全 く残存 しないことか ら、 ここでは中島は上層園池段階で新たに作 られた と考 えた。B 庭 園地 区の建物 と関連遺構 SB8480(PLAN 9・
12、 PL.19・ 20)庭 園地 区中央部 、池 の西岸 にせ り出す 日の字 を横 に した形 の掘込地業 とその四隅 に存在す る柱 掘形 で あ る。 この布掘 の 掘 込 地業 を、建物外周 お よび間仕切 り位 置 と理解 し建物遺構 と判 断 した。東 面大垣 想定心 か ら西 へ33m、 南 面大垣 想定
心 か ら北へ
405mに
位 置す る。建物規模 は、四隅の掘立柱 か ら桁行総長50尺、梁行総長20尺、 造営尺 は29.5cmであ る。 したが って、柱 間寸法 は桁行 、梁行方向 ともに10尺等 間、桁 行5間、 梁 行2間、 四隅の柱 は掘立柱 、それ以外 の柱 が礎石建 ち となる東西棟建物 と想定 で きる。掘込 地業 の形状 か ら、東端 よ り西へ20尺の位 置で東西 に仕切 られる。 ほぼ同 じ位 置で建 て春 えがあり東西棟建物SB 8490と なる。
掘 込地業 は、幅約
23mで
溝 状 に建物外周 と間仕切 り位置 に掘 り込む。残存 す る深 さは約1.4mで
あ る。埋 土 は、一層 10〜20cmの厚 さで、最下層 の第1層には小礫 を含 んだ灰 青色砂 質土、そ れ以外 は黒色砂 質土 となる。 また、第
3層
の底部 には人頭大 の礫 を敷 き詰 めてい る。四隅の掘立柱 は、掘込地業 をお こなった後 に一辺約1.5m、 方形 の掘形 を掘 り、東南 お よび東 北 隅 の柱 で、底 に石 の礎板 を据 え る。石 の礎板 の南北 には東西方 向 に幅20cm前後 、長 さ
12m
前 後 の角材 が置 かれ、それ と十字 に重 なる ように して南北 方向 に角材 が残 る。 また、西南 お よ び西北隅 の柱 穴 で も石 の礎板 はないが、交差 した状態 で角材 が残 る。 この ことか ら、四隅の柱 には東西棟建物SB 5880から出土 した柱根
(PL.26)の
ような、柱 に貫 を通 しそれ を枕 木 で支 える とい う根 固めがお こなわれていた こ とが わか る。東北隅の柱穴では、石の礎板 の上 に柱根 を横 に寝かせ、それを土台 として、礎石 を据 える際 の根石の ように円形 に石 を配置 していた。 これを建て替えと理解 し、SB84801よ 、
SB8490ヘ
と建て替 えられたと判断 した。横 に寝かされた状態で出上 した柱根 は、対辺間寸法が約42cm、 断面正八角形 と見 まちが うが、
辺の
4分
の1強を面 として取 つた大面取 りの角柱である。片方に柱の内側 に向かって緩い くば みを設ける、いわゆる「盗み仕事」が施 されお り、こちらが底面であることがわかる。その底面 か ら約20clnの位置 に幅約14cm、 高 さ約18 cmの貫が通 されていたような穴が掘 られ、 もう片方 は、鋸で切断 された痕跡が残存 していた。底面から貫穴下面 までの距離は、石の礎板 と南北方 向の角材 との距離 に等 しい。 この柱根 を立ててみた ところ、柱根の底部 と石の礎板が合致 し、この柱根が
SB8480の
柱であると判明 した。X‑145,679 些
部 物 央 建 中 の
掘 込 地 業
大 面 取 りの 角
柱
‖=613m
Fig。
15 SB8480掘
込地業39
断面八角形 の
縁
束
根
巻
石
SB8490(PLAN 9,12、
PL 20・ 21)庭 園地 区 中央 部 、池 の西岸 にせ り出す東西棟 建物 で あ る。東面大垣想 定心か ら西へ315m、 南面大垣想定心 か ら北へ
435mに
位 置す る。東端 には露台SB8466が
取 り 付 き、 さ らにそ の東 南 隅 に は東 西橋SC8465が
接 続 し、封岸 に渡 れ る よ うになってい た と考 える。
身舎部分 は、東側柱列の礎石据付痕跡 を検 出 しているのみである。建物外周の柱列か ら身舎 の規模 と柱位置 を推定 した。礎石建 ちの身舎 は桁行
5間
、梁行2間で、柱 間寸法 は、桁行、梁 行 ともに10尺等 間、縁 の出が5尺
、造営尺は29 5cmで ある。身舎東北隅の礎石据付痕跡 には、SB8480の
柱 を横 に寝かせて土台 とし、その上部 に根石 を円形 に並べていた。この重複関係か ら、SB8490は
身舎部分 とSB8480が
ほぼ同位置で、建て替 えられた建物であることがわかる。建物タト周の柱列 は、掘形が一辺約
lmの
方形、残存す る深 さは約 60cmで 、四周合わせて9本
の柱根が残 る。出土 した柱根 は、対辺間寸法が約27cmの 断面正人角形 を呈するが、SB8480や
SB 5880の柱根 のように底辺付近 に貫穴 を持 たない。 これ を柱 にかかる荷重条件の違い と理解 し、廂 ともとれる四周の柱列 を縁束 と判断 した。 また、縁 束の掘形 は上層池SG5800Bに
とも なう整地土か ら掘 り込 まれ、SB84901よSG5800Bに
ともなう可能性が高い。ところで、
SB8490の
身舎東北隅柱の礎石抜取跡か ら凝灰岩製の人角形柱根巻石が出土 して いる。 この根巻石は長 さが約60cm、 幅 と高 さは約30cmで ある。上面および側面の上部か ら15 cm ほ どが平 らに力日工 され、上面 と狽I面との角 は長辺 と短辺 のL字
に面が取 られる。長辺 には人角 形 を半分 に した欠 き込みがあ り、その欠 き込みの対辺間寸法 は約 24cmと なる。出土 した対辺間 寸法約 27cmの 縁東 を挟 んでいた と想定することもで きる。 また、この欠 き込みは上面か ら下面 にい くにしたが つて広がる、いわゆる「盗み仕事」が施 されている。かな り手の込んだ仕事がお こなわれているといえよう(PL,71‑4)。
掘立柱 を礎石建 ちのように見せ るための化雄材 として この根巻石 を使用 したならば、欠 き込 みが長辺の中央 に、上面 と恨1面の面取 りもコの字 となるはずである。 また、複数の柱 を根巻石
A一A´断面
A=¬
ng。
16 SB8490出
上、人角形柱根巻石F意 17 SB8480、 SB8490の重複
41
が連続 して化粧 していたのであれば、上面 と側面の面取 りが
L字
にならず、長辺 にのみ施 され るはずである。上面 と狽1面の面取 りがL字
であることを重視すれば、連続 した根巻石の隅部分 と想定で きるが、その場合 は、欠 き込みか ら長辺 まで と短辺 まで との距離が同 じになるはずで ある。出土 した根巻石 は、上記のいずれにも該当 しないことか ら、縁 または露台か ら池へ と降りるための階段石 であった可能性が高 い。
SB8466(PLAN 9、
PL,21)露
台
庭 園地 区 中央 部 、東西棟建物
SB8490の
東 に位 置 し、池 中 に建 つ南 と北 の端 が揃 う2列
の南北掘立柱列である。 この遺構 を池中に立つ露台 と判断 した。柱 列 は ともに4間
であるが、柱 間寸法 は、西の柱列で北か ら5・ 10・ 10・ 5尺 となるのに対 して、東の柱列 は北か ら5。10,7・ 8尺
と南の端間が大 きくな る。2条
の柱列の間隔は8尺
、造営尺 は29.5cmで ある。SB8490と
西 の柱列 との間隔 は8尺
で あ り、西の柱列 とSB8490と
は東西方向で柱筋が揃 って い る。東 の柱 列 も南 と北 の端 はSB8490に
揃 い、南 か ら第2柱
を除 けば柱筋 も揃 つて くる。 こ の南 の端 間が8尺
になる こ とを、東 に位 置す る東西橋SC8465の
梁行 寸 法8尺
に合 わせ た もの と理解 し、SB8466は
SB8490、 SC 8465に接 す る桁 行4間
、梁行2間の構築物 であ る と判 断した。また、池中に建つことから考えると、露台を想定するのが妥当であろう。
SC8465(PLAN 9、
PL.21)西
橋
庭 園地 区 中央部、露台
SB8466の
東 、池 中 に位 置す る2列
の東西掘立柱列 であ る。柱 間は と もに2間、柱 間寸法 は12尺等 間で、柱列 の間隔が8尺
、造営尺 は29 5cmで あ る。2列の柱列が南北方向で柱筋が揃 うこ と、西 の
SB8466と
の距離が12尺と柱列 の柱 間寸法 と 同 じであ る こ と、2列の柱列 とSB8466は
東西方 向で柱 筋 が揃 うこ とか ら、SB8466に
取 り付 く 東 西橋 と判 断 した。 また、池 の東岸 に橋 脚 の痕跡 はないが、東西橋 が池 を横 断で きる ように、池 の東岸へ取 り付 くと想定 し、 さらに東へ1間 (10尺
)延
びて柱 間4間
の東西橋 であ った と考 える。 この東西橋 を屋根 を もつ渡廊 と解釈 す るこ ともで きるが、西端 に接す るSB8466を
露 台 と判 断 した ことか ら、同様 に屋根や壁 を持 たない橋 と考 えた。SB8470(PLAN 9,12、
PL.22)庭 園地 区中央部、池 の西岸 にせ り出 して建 つ東西棟礎 石建 礎 石 建 物
建物 であ る。東面大垣想定心 か ら西へ 33m、 南面大垣想定心 か ら北へ64.5mに位 置す る。建物規模 は、桁行5間、梁行 2 間で、 その東端 に池 中に建つ露台
SB8471が
付属す る。東妻柱 列 や南 と北 の側柱列 に計5つの礎 石が残 る。柱 間寸法 は桁行 、梁行 ともに10尺等 間、
造営尺 は29,5 calで あ る。 また、棟 通 りに も東 か ら第
3柱
に礎 石据付掘形 が、第2柱
で他 に比 べ て一 回 り小 さい礎石据付掘形が検 出 されている。第2柱
は床東 に ともなうものであろ う。礎 石据付掘形 には、その底部 に小石 を詰 めた後、根石 を置 き礎石 を据 える。礎石 は安 山岩で、
最 も大 きな もので長辺約 lm、 短辺約70cmであ る。上面 は柱 を据 えやす い ように平 らに加工 し てい るが、柱座 の ような造 り出 しはない。礎石据付掘形 は上層池
SG5800Bの
礫 敷 か ら掘 り込 まれてお り、SB8470は SG5800Bに
ともな う建物 となる。SB8470は
、建物SB8480か
ら北へ35尺の位置 にあた り、東西両妻 の位置が ほぼ揃 う。 また、▲
コ 員 □
両者 ともに池 にせ り出 して建つ ことか ら、同様 の機能 を持 った建物 であった といえる。
SB8471(PLAN 9、 PL.22)
庭園地区中央部、東西棟建物
SB8470の
東 に位置 し、池中に建つ南 と北の端が 揃 う2列の南北掘立柱列である。柱 間は ともに2間で柱 間寸法は10尺 等間、柱列 間の距離は7尺
、造営尺は29 5cmである。SB8470と
東西方向で柱筋が揃い、SB8470と
柱列の距離が7尺
と柱列間の距離 と等 しくなる。以上か ら、SB8470の
東 に接 して建 つ桁行 お よび梁行 が2間の構 築物 であ る と考 える。 また、掘形 の大 きさか ら推定 され る柱径が 、
SB8470の
礎 石 か ら推 定 され る柱径 に比べ てか な り小 さ く、床 束 とほぼ同 じ大 きさで ある と推定で きる ことか ら、SB8470の
廂 ・孫廂柱 で は ない と考 え る。池 中 に建 つ こ と か ら考 える と、露台 を想定す るのが妥当であろ う。SC8453(PLAN 9、 PL.21)
池 の東北 隅、上層池
SG5800Bの
東 岬SX8452と
池 の北岸 をつ な ぐ2列の南北掘立柱列 であ る。柱 列 の 間隔 は
95尺
、柱 間 は ともに5間、柱 間寸法 も中央 お よび両脇 間で9尺
、南 北 両端 間で85尺
で ある。造営尺 は29 5cmであ る。この2列の柱列 は柱筋が揃 うことか ら構造物であると理解 し、池 にかかる柱 間5間、梁行1 間の南北橋 と判断 した。西北隅の柱穴が下層池
SG5800Aへ
の給水路SD 8456を破壊 している こと、SG5800Aの
東岸 はち ょうどSC8453と
重 なることな どか らSG5800 Bに
ともなうもの と考えた。池がSG 5800Aか
らSG 5800 Bへと改4分されて、東 に張 り出す ことにより、東岸 と 北岸 との行 き来が困難 となった結果、建設 された もの と考える。SB17582(PLANll、 PL.23)
庭園地区西南部、池の南岸 にせ り出 して建つ東西棟掘立柱建物である。東面大垣想定心か ら
南
北
橋
西へ40m、 南 面大垣 想定心 か ら北へ
105mに
位 置す る。建物 規 模 は桁 行6間、梁行2間で、柱 間寸法 は桁行、梁行 ともに8尺
等 間、造営尺 は29 5cmで あ る。柱掘形は、一辺約
12mの
方形を呈 し、残存する深さは約1.2mと 深い。北側柱列は、東西棟建物 SB 17700の 北側柱列における掘込地業SX 177011こ よつて破壊 されてお り、かろうじて掘
西 南 部 の
建
物 形 と抜 取跡 の一部 が確 認 で きる にす ぎない。 この掘 形 の上面 は下層池
SG5800Aの
石 敷 に よつて覆われ るが、抜取跡 は
SG 5800Aの
石敷上面 か ら掘 り込 まれてい る。 これ をSB 17582の柱 を 立 てた後 に石敷 を整備 した と理解 し、SB17582は SG5800Aに
ともな う建物である と判断 した。柱 穴 の重複 関係 か ら、SB 17700よ り古 い。
SB17700(PLAN ll、 PL.23)
庭 園地 区西南 部 、池 の南岸 にせ り出 して建 つ東西棟 建物 で あ る。東 面大垣 想定心 か ら西へ39m、 南 面大 垣 想 定 心 か ら北 ヘ
95mに
位 置す る。東西棟 建物SB 17582を 建 て替 えた ものであ る。 身舎 は桁行5間、梁行2間、北 に縁 が付 属 す る。 身舎部分には棟通 りに礎石建 ちの床束が ともなう。身舎の南偵]柱列お よび東西両妻中央の柱 は礎石建ち
とす るが、池中に立つ北側柱 と北縁束を掘立柱 とす る。柱 間寸法 は、桁行、梁行 ともに10尺 等
礎石の混用 間、縁の出が5尺、造営尺は29 5cmで ある。
露
掘 込 地 業
SC5800A石敷
0 1
Fig.lS SB17582、 SB17700の 重複 ―
身舎の南側柱列 は、幅約
16m、
残存す る深 さが約 50cmの 東西 に長い布掘状の掘込地業SX
5935を ともない、版築 をお こなった後 に礎石据付掘形 を掘 り込む。礎石 は残 らないが礎石据 付掘形や根石が残存 し、柱位置が確認で きる。東西両妻柱列中央の柱 も同様 に、一辺約15m、
残存する深 さが約10cmの掘込地業 をともない礎石建ちとする。
これに対 して、池中に立つ北側柱列 は下層池 SG 5800 Aの 石敷 を破壊 して立て られる。最大 幅約
25m、
残存する深 さが約1.5mに
お よぶ東西 に長い布掘状の掘込地業SX17701を
ともな い、版築 をお こなった後 に掘形 を掘 り込み、柱 を立てる。北の縁束 も身舎の北側柱 と同様 に、SG5800Aの
石敷 を壊 して一辺約 lm、 残存する深 さが約 70cmの 掘形 を掘 り、柱 を立てる。北 の縁 を北廂 と考えることもで きるが、柱掘形の規模が身舎部分 と異 なっていること、身舎の棟 通 りで検 出 している床束の礎石据付痕跡か ら推定 される柱径 とほぼ同 じ大 きさであることか ら 縁束 と判断 した。S X17701内
では幅約70cm、 残存す る深 さが約 30cmの 東西溝SD 17704を検出 し、柱抜取跡 に分断 されることか ら地覆石の抜取溝 と判断 した
北側柱 と北縁束の掘形は上層池
SG5800Bに
ともなう拳大の礫 によつて覆われるが、抜取跡 はこの礫敷 を壊 して掘 り込 まれる。 このことか らSB 17700の北側柱 と北縁束 を立てた後 にSG
5800Bの
礫敷を整備 していることがわか り、SB177001よSG5800Bに
ともなう建物 となる。また、SB 17704の幅が抜取跡から想定できる柱径 より広いことから、柱 と柱 をつなぐ地覆石 ではな く、柱 を取 り囲む根巻石のようになっていたと考える。そのさまは、石の土台上に柱が 立つ礎石建建物のようにみえたことであろう。北縁束にはそのような痕跡を見いだせないこと から、身舎部分のみ礎石建建物 として見せる意図が働いたものと考える。
SB5880(PLAN 8、
PL.24・25'26)
庭 園地 区東南 隅の掘 立柱 建物 で あ る。東面大垣想 定心 か ら西へ4m、 南 面大 垣想 定心 か ら北へ
4.5mに
位 置す る。桁 行3間、梁行2間の東西棟建 物 の北 に桁 行1間、梁行2間の南北棟建物が東 に寄せ て取 りつ き、 口四お よび二二 の柱 を省略す る。柱 間寸法 は、桁行、梁行 ともに8尺
等 間、造営 尺 は 29 5cmで あ る。 その平面 は単廊 の回廊 隅部分 とよ く似 てい るが、ハニ の蔀
溝 地取
抜
一一 ハ ロ ィ
の 物 立口 南 東 建
IX=‑145,718 X=‑145,718 Y=‑17815 Y=―
17,316
4f
<
卜 ーng.lo sB5880の
柱穴ニー に柱 が立つ点で異 なる。柱 掘 形 は、遺構検 出後 の写真 で イ柱列 お よびハ柱列 が、布掘状 の東西 に長 い掘形 の ように も み える。 しか し、 これ は掘形 間の上壁が崩落 した もので、柱掘形 はそれぞれ独 立 し、いず れ も 一辺が約
2mの
方形 で 、残存 す る深 さは約15mで
あ る。 ところで、SB 5880に近接 す る東面 大垣西 雨落溝 SD 90401よ 、SB 5880の付 近 で あ る時期 の整 地土 に よって埋 め られ、その機 能 を 失 う。 この整地上の上面か らSB5880の
柱掘形が掘 り込 まれてお り、SD9040を
埋めた後 にSB
5880が
建て られている。 また、イ柱列 は東西溝SD 17765を 埋めた後 に、柱掘形が掘 られる。柱根 は
4本
残存 し、断面正八角形、いずれ も対辺間寸法は約34 cm、 底面か ら約30 cmの位置 で断面約 10cm角 、長 さ約16mの
貫 を通 して腕木 とする。 この腕木 を掘形内に据えられた枕木 と交差するようにして置 き、柱が沈下 しない ような工夫 を施 している。同様 に、柱穴の底で も 人頭大の礫 を大量 に入れ、石や木の礎板 を据 えて柱が沈下 しないような地業 をおこなっている。イーの柱穴では上面 を平 らに加工 した径約80cmの 安山岩の礎板 を底 に据 え、その上 には長 さ約
1.lmの
柱根が残存 していた。柱根の底 は外縁部 に約2 cmの平坦面 を作 り、内側は中′とヽに向か って緩い くぼみを設ける、いわゆる「盗み仕事」が施 され、柱根 と石の礎板 の間には、長 さ約 10cm木 製の楔 を多数打 ち込んでいた。 これ らはいずれ も柱 を垂直 に据 えるための仕事であ り、建物の平面規模か ら考えれば手の込んだ仕事 といえる。以上か ら、単層の建物ではな く重層あ るいは楼 閣の ような建物であった と考 える。 また、イニ柱穴 に残 る礎板 は年輪年代測定 によっ て718年 (Aタ イプ :樹 皮 または最外形成年輪残存、一部残存
)の
結果 を得ている。SB9081(PLAN 10、 PL 29)
断面正 八角 形 の 柱 根
閣 楼
庭 園地 区北 部 の東 西棟 礎 石 建建物 で あ る。東 面大垣 想 定心 か ら西 ヘ 10m、 南面大垣想定心 か ら北へ
80mに
位 置す る。建 物 の規模 は桁行 3 間、梁行2間
で 、柱 間寸 法 は桁 行 で11.5尺等 間、梁行 が9尺
等 間、造 営尺 は29 8cmである。礎石 は西妻柱列 中央 の柱 で残 るのみである。残存してい た礎石 は一辺約70cmの方形 で、上面 に径約60cm、 円形 の柱座 を持つ凝灰 岩であ る。東西
溝
SD9053が
埋 め られた後 に、SB9081の
礎 石据付掘形が掘 り込 まれ る。凝灰岩礎石
SB9071(PLAN10・
13、 PL 27)庭 園地 区北部 の東西棟礎石建建物 である。東面大垣想定心 か ら西へ 14m、 南面大垣想定心 か ら北へ
89mに
位 置す る。 身舎 は桁 行9間、梁行2間
で、南 に廂 が取 りつ く。柱 間寸法 は桁行、梁行 、廂 の出 ともに10尺等 間、造営尺 は29 6cmで あ る。礎 石 はすべ て抜 き取 られている。北側 柱列 で根 石 や地業 の小礫 が残 る。
5 m
A
45
り の 物
微 行 雌
桁 梁 長
一 辺約1.4mの方形 を呈 す る礎 石据付掘 形 は、小 礫 に よつて地 業 が お こな われ た 後 、 人頭 大 の礫 を置 き根 石 とす る。礎 石 据付 掘 形 の大 きさや根 石 の状 況 か ら、礎 石 は径
lmを
超 え る もの で あ った と想 定する。南北棟建物
SB9075や
斜行塀SA9061、 東 西塀SA9064と
柱 穴 が重 複 関係 にあ り、SB
9071がもっ とも古 くなる。
SB9072(PLAN10、 PL.29)
庭 園地 区東北 隅、東面大垣SA59001こ近接 して建 つ南 北棟 掘 立柱 建物 で あ る。東 面大垣想 定心 か ら 西へ4倣、南 面大垣想 定心 か ら北へ80.5mに位 置す
る。建物 の規模 は、桁 行9間、梁行2間で 、柱 間寸法 は、桁 行 で
8尺
等 間、梁 行 が7尺
等 間、造営尺 は29,8 cmで あ る。掘形 は一辺約
lmの
方形 を呈 し、残存 す る深 さは最 大約14mで
、残 存柱径30cm前後 の柱根 が計7本
残存 してい る。柱 穴 の重複 関係 か ら東西塀SA 9063や東西溝SD9050よ
り新 し く、東西塀SA 9064や溜 り状遺構SX 16305よ り古 い。SB9075(PLAN10、
PL 28)庭 園地 区北部 の南北棟 掘 立柱 建物 で あ る。東 面大垣想 定心 か ら西へ 14m、 南面大垣想定心か ら北へ78.5mに位 置す る。 身舎 は桁行
3間
、梁行3間で、東西 の2面
に廂 が付属す る。柱 間寸 法 は梁 行 お よび廂 の 出 は10尺等 間 で、桁 行 が 中央 間19尺、両 端 間12尺、造 営 尺 は30 0cmであ る。建 物全体 と して桁 行3間
(43尺)、 梁行 5間 (50尺)と
宮 内で は珍 し く桁 行 よ り梁 行 に 長 い建物 となる。柱掘 形 は、側柱 と入側柱 を一 連 と した南 北
22m前
後 、東西5m前
後 、残存 す る深 さ17m程
度 の布 掘状 の掘 形 とす るが、南北両妻柱 列 中央 の柱
2本
は独立 した掘形 とす る。 また、布掘状 の掘形 には径lm程
度 の石 の礎板 を据 え、その東西 に南 北方 向の角材 (長さ12m前
後)が
残 る。柱根 は残 らないが 、石 の礎板 には対 辺 間寸 法約40cmの断面人角柱 の当 り痕跡 が残 る。池へ の給 水溝SD 8456お よびSD 9056、
SD16304を
壊 して柱掘形 が掘 り込 まれ る。石 の礎 板 の東西 、南 北 方 向 に置 かれ た角材 を枕 木 と理解 し、東西棟 建物
SB5880や
東西棟 建 物SB8480の
四隅 の柱 と同様 に、柱 の根元 に貫 を通 して腕木 と し、それ を掘形 内 に据 え られ た 枕 木 で支 える とい う根 固めが お こなわれ てい た と判 断 した。SB5880と
同様 の根 固めが お こな われてい るこ とか ら、単層 ではな く重層 あ るいは建 ちの高 い楼 閣の ような建物 であ った可 能性 閣が高い。
SB9076(PLAN 13)
庭 園地 区西北 隅の東西棟 掘立柱 建物 であ る。東面大垣想 定心 か ら西へ375m、
南 面大垣想定心か ら北へ
78mに
位 置す る。建物規模 は、桁 行2間、梁行2間で、柱 聞寸法 は、桁 行 、梁行 ともに10尺等 間、造営尺 は30,Ocnlで あ る。南北棟建物 の可能性 も残 るが、南 に池が位置す ることか ら東西棟 と判断 した。
楼