殺∧しのノラヘイ\セ:ン.ス
ー安楽死再考−
▽小滓犬照彦…………I
(人文学部国際社会コミュニケーション学科)
On
the Licenseソto Kill; 犬
Considering
Euthan:as!aこ
∧ し \ i Teruhiko OZAWA ● 十
(Departrれent of International Studies,二Faculty)レof Humanities and Economics)
. 二 一目. 二一次 ‥. ・ 十 (序) づ ・・ .・.・・・. .・・・. .・ けト安楽死の分類‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ (2)ニ「消極的安楽死」と十「積極的安楽死」 (3)日本の「安楽死丁事情 … …… (4卜不治の判断 ‥ ‥‥ ‥ ‥ (5う「苦痛緩和」\七\丁生命の質」 (¨6)「自己決定権」 ‥ ‥‥‥‥ ‥ (.7)異なる道 犬 ……… \ (序)‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥万 八入 ∧ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 2001年4月11日丁12日ミ新聞各紙は、オランダで「安楽死卜を合法化する刑法改正案が議会を通 過したごと、世界で初めて国家レベルで可決されたこと√今秋にも施行されるごとになうたごとを 報道した。与れぽ[安楽死]\に係わった医者を自我折助罪から除外する法案であ戻卜医者にノ「殺し のライセンス」犬が与えられたのである/このようなサスペンス小説もどきの表題によって、わたし は、医師に「殺しのライセンス」を与える必要性について倫理的な考察を行ってみようと思って ・いるノ ● ●●● ●● ● ●● ●●●●●● ▽ …… □ 十 現代の「死」は単純に寿命をまっとうするような丁自然死」ではな:く、=医療の進歩とともに「死」 :の概念に人為的要素が加わってきたよさらに丁臓器移植に関する法律」(1998年10月施行)以来、 丁脳死」の概念が加わり、はからずも「死」が単に個人的な出来事ではなく、多くの人々の意図が 絡み合う人片の関係の中にあることも明らかになっできた。∇すでに、加藤尚武によって指摘された ように√我々の死は、ほとんど「自然的選択」=という状況を超えて、「人為的選択」あるいは丁道 徳的・制度的選択上の領域に入ってき\ている(ヤ)。 ………万 I 上 上 = ト ト 現代の日本め医療体制の中では、死ぬに任せるというしような状況はほとんどなく、何らかめ形で 医療が関与しできている。・老年期における癌や脳卒中、∧心臓疾患は言うまでもなく、欧米では刊肝 炎」は「老夫の友」=と言われていたが(・2)、そのような疾患に対しても治療が行われ、病院で死ぬ」
10 :上 ト ∧高知大学学術研究報告∧第50巻∧ぐ2001年yゾj==人文科学編二………1………=ヶ>コ………j……… . ・ .・・ . ・..・.│・ ■■ ■■ ………一六一一、……… 人の数が急増七てきたレ日本ではミ1卵O年代寸、病院寸死本人四談は√……全丿死・j者.11.中70・.%.1万と言われてy たが[サ▽現在はもうと多いかレ廿しれ=ないノこうニ\に過剰医療古心言え]右状況が生まヶれレスパゲソディ 症候群と言わ]れる状態で死を迎えるよ\りもて jJ&.ly.ゝMI・`-1一一・●″.・●- - ・'.一一w●・.'j ̄・.-・-・・ 患者め千白豆決定権トを尊重す右=考え方心生まれてノきト な患者の意思を尊重し、へ医者が患者の意思に従うて 心ぐ口゛ノ心りQQ`リ'-r-'y・いQ.・y♂uJ●M 'lw・'w"s9 一一 ,-医師に=「殺・しのケ不センダンを与士るに\とによ昇ミ「ま する\ことができるのか」聯リ√「どの決定が人間め幸4 減らすのかヤサとい丿=問いを念頭にレごれま寸の∧T いう選択肢が、\日本の現状仁あづでも、つ我々\の生活 正義と幸福かも犬介してぐれるものであ右か、犬そ:れ
りケ)へ安楽死のノ分類
丁安楽死1についでは:√それを肯定す芯積極的推進4 ることができるよ当然√部分的な肯定分部分的な否定 ンがあるレそのようしな事情は、千安楽死上七いう……ご:と・.・にI.穴 相違と√=それぞれめ意味白下安楽死卦に対する見解彦 型的な分類を挙げておごケム >…………=\:………j\………J、= 宮川俊行はレ人の生存を無意味七判断するノこ七亦万らう 「尊蔽死ム=非人格的な生を無意昧どしてノ生存を拒否jj 痛を伴うノ生を無意床と士で生存を拒否する考え方√臼末期患者:に生命維持治療を坤止し、人間:としての
め場合を区別して論じている勝7=し中山の分類に 然死」。と変わ・り\がないので、千安楽死土入として圃 として見るなjらばい病院首死ぬ仁七が寸安楽死丁 史=だがJと思う ば丁………そ=Iのよう トも=のである・。 も……=も万ら万と:よく 生みだし苦を と こ ’︱ レ 窓 ' t<J =万………:重度jの奇:形新生凭1を手 二死期レをノ早め)る七知レり=や もづこ=と\を=引かサな
に直接生
殺しのライセンス(小潭)
11項目は排除して考えるほうが、論点が明確になるだろう。
また、中山の「安楽死」と「尊厳死」の区別は、回復の見込みのない癌などの「末期患者」に対
して生命維持治療を差し控え、あるいは停止する問題と、丁植物状態の患者」の生命維持治療の差
し控え、あるいは停止する問題との区別である。植物状態の患者については末期かどうかの判断が
むずかしく、自発呼吸もあるので、末期患者とは異なる状況の下にあり、両者を同じ観点から論ず
る危険を避けるために、両者を切り離す必要があると考えられたからである(・8)。だが、生命維持
治療を差し控え、あるいは停止する問題としては、「消極的安楽死」と「尊厳死」を同義に扱って
いる場合もある(叫)。
上述したような「安楽死」の分類と規定に関する異同は、F安楽死」が問題にされてきた過程と
関係がある。欧米での議論の受容とそれに対応する日本での事例に基づく議論の進展、そのような
具体的事例と議論との係わりで論者たちの「安楽死」に対するスタンスの違いにより、また強調の
置かれる問題の相違などにより、異同が生じたと思われる。近年では、議論の成熟とともに使用概
念は、「1ド積極的安楽死」[積極的自発的安楽死](2日消極的安楽死)[間接的安楽死]に大別され
てきた。「積極的安楽死」としては、医師が致死薬などを用いて直接生命を短縮させるものと、致
死薬を処方して患者が自ら服用するもの、つまり自殺幇助が含まれているが、厳密には医師が手を
下す処置と自殺幇助は区別されるべきであろう。また、「消極的安楽死」とは生命維持治療、つま
り延命処置を差し控え、あるいは停止することを指している(徴o)。
(2)「消極的安楽死」と「積極的安楽死」
/前述したようなイ安楽死」の分類と区分は、すでに示唆したように「安楽死」が問題にされてき
た過程と関係している。次に、その過程を概観し、問題点を絞っていこう。「消極的安楽死」ある
いは「尊厳死」の問題は、植物状態にある患者の生命維持治療の差し控え、あるいは治療の停止の
問題として、アメリカのカレン・アン・クインライン事件を契機に起こった。そして、この裁判を
契機に、1976年「カリフォルニア自然死法」が成立している。この法案は、自律の尊重と無危害の
原則の観点から、「無益な治療の停止ないし拒否」を求めたものであり、「殺すことと死なせること」
の議論として、多くの文献を生みだしてきた(・11ソ
このような治療の停止をめぐる議論の過程で、アメリカの最高裁判所は、スプリング事件の判決
において、「医者には効果がないと分かったら、治療を続ける義務はない」(直2)という判断を示し
か。無益な治療の停止を求める運動が、1976年の「カリフォルニyア自然死法」のように、リビング・
ウィル巾ving
wm)、あるいはアドバンス・ディレクティブ(advance
directive)などにより、
終末期に陥る以前に自らの意思と医療に対する指示を表し、不治の病に冒された終末期に延命処置
の差し控え・撤去を法的に保障することを求めた法案制定の運動を生み出してきた。
丁976年の「カリフォルニア自然死法」は、「いかなる時であれ、もし私か二人の医師によって末
期状態だと証明された不治の傷病に冒され、生命維持処置の適用も私の死の瞬間を遅らせるめに役
立つにすぎず、しかも生命維持処置を利用しようとしまいと私の死が差し追っていると私の医師が
認定した場合には、私は、そのような処置の差し控え・撤去がなされ、自然に死ぬことを許される
ように指示する」(・13)という内容である。だが、カレン・アン・クインラインのような植物状態に
ある患者は、自発呼吸を行っているものもあり、昏睡状態であっても意識を推定することもできる
のであって、「不治の病に冒された終末期」の患者ではない。それゆえ1976年の「カリフォルニア
自然死法」の対象にはなっていない。
1994年の寸カリフォルニア自然死法」は、「もし私か、二人の医師によって不治で回復不能な状
12 高知大学学術研究報告 第50巻:(2001年= ■■■■㎜㎜㎜㎜J 態だと診断され、生命維持処置を施さなければ比較的短時間のうちに死に至るであろう場合または ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●●● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 不可逆的な昏睡や持続性植物状態に至った場合であって、もはや私か自身の医療上の処置に関する 決定を下すことができない場合には、私は私の主治医に対して、……力IJフオルニア自然死法の定める とごろに従って、人為的に施される栄養や水分を含め、死にゆ/く\過程や不可逆的々昏睡や持続性植 物状態を引き延ばすだけであり私の安楽や苦痛の緩和のための不必要な処置を、差し控え・撤去す ることを指示する」(白4)というように改正された。治療の差し控え・撤去の対象は、「不可逆的な 昏睡」状態にあるものやて持続性植物状態」にあるものに拡大ざれた。これはもはや「自然死」を 求めているのではなく、脳死に向かいつつある患者や植物状態め患者めト「消極的安楽死トを考慮」に 入れたものである。後に見るように、植物状態にある患者から:治療の差し控え\・撤去することが 「消極的安楽死」なのかどうか問題である。 このような変化の背景には、脳死患者からの臓器摘出、持続性植物状態の患者の処理という問題 が、患者の「自己決定権」に基づいて決定されるという点に比重が移ってき穴ニ‥とにある。そのよ うな展開に寄与したのは、生命倫理(Bioethics)の登場とそこでめニ自己決定権」をめぐる議論 であろう。 H.トリストラム・エングルハートやピーター・シンガーはミ医療資源の適正な配分、過剰医療 の排除、人格概念の区分による「消極的安楽死」、『積極的安楽死』△の正当化を主張していた。エン グルハートは、人間の「生物学的生命」と[人格的生命]を区別七く=さちに後者を自律性に基づい て、「厳密な意味での人格」、「社会的意味での人格」に区別するレそして、このような区別に基づ いて、人間の「生物学的生命」、例えば胎児や「人間とは言い難いほどの極度の障害をもった新生 児」の排除を正当化し、[社会的意味での人格]も条件付きで排除することを主張しているぶ‰彼 らの論理は、医者の「パターナリ」ズム」よりも患者のて自己決定権」∧を優先する\ことによって、 「無益な治療の停止ないし拒否」を行い、医療資源を節約し有用于な利用に向けるべきだというもの である(注へ 上 この見解は功利主義に基づくものであり、最大多数の最大幸福を達成するために、無意味な治療
に医療資源を費やすことに反対しているのである。従って、そ
尊重することが、個人主義的民主主義の原点でありダ、何よ非もj
は、患者のブ自己決定権上を
れるべきだという、民主主義
社会の根幹に係わる主張であったと思われる。彼らがそのような主張をするのは、欧米の特殊事│責、
アメリカの保健医療制度、特に中絶問題を含む特殊事情などから理解できるが、そのまま日本でも
適用できるかどうか問題である。 。・。・・。・・ ・。。
注意すべきは、=エングルハートやシンガーによっ七、それま\プ○医療の「パ夕ニナリズム士に対
して、患者の意思の尊重という点が強調され、インフォーム下‥。.j/口ンセントを求める運動や治療の
拒否権を求める運動が形成されたこと、医師と患者の関係に新たな観点が導入さノれたことである。
その影響は、「無益な治療の停止ないし拒否」から「品位ある死しを選ぶ患者白身の権利の要請」と
して安楽死の見方:に変換をもたらしてきた(副7⊃後者は一般に寸尊厳死)と呼ばれ\るものであ名。
患者の自己決定権の尊重は、患者が「治療の停止ない七拒否上する権利の問題から、死を選ぶ患者
の「死ぬ権利」の問題へと変わってきたのである。上述した「力刀フォルニア自然死法」の改定は、
そのような変化を明確に表しているといえるだろう。
「安楽死」が問題にされてきたもう一つの過程は、オランダの事情である。オランダでは、1973
年に「ポストマ医師安楽死事件レの裁判があづた。……1971年レポズノトプ医師はぐ脳溢血で倒れ、予後
に苦しんで自殺未遂を繰り返していた患者を、実母の意思をぐんで、I致死量のモルヒネを注射して
死なせ、自首した。医師は「一週間の懲役並びに一年間の執行猶予」の判決を受ける。この事件は、
患者や家族、他の市民の医師に対する同情と支持を生みだし、支援活動が生まれ、それ以後、「オ
殺しのライセンス(小渾)
13ランダ自発的安楽死協会」が設立され、「医師による自発的[積極的]安楽死の実施を法的に容認
する法改正を求める運動」が始まった世‰1993年の「埋葬改正法」の成立までの経過は、多くの
人々によって紹介されているが、ようするにその改正法は、「長年やってきたことを追認しただけ
である」というものである(ヤ‰
特に、オランダにおける「積極的安楽死」議論の中心は、患者の「自己決定権」を中心に展開し、
「死ぬ権利」を認める方向で進んできており、その結果が、今回のオランダでの安楽死法案の議会
通過とな1つている。いずれにせよ、個人の権利意識の高い欧米では、裁判に訴えることによって、
権限を明確にしていくシステムがあり、そのような裁判を重ねることによって、「自律尊重の原理」
が確立されていった。
(3)日本の「安楽死」事情
日本では、多くめ人々によって植物状態の患者に対する問題の重要性が指摘されているにもかか
わらず、現実には「消極的安楽死」については、クインライン事件のような訴訟は起こっていな
い白‰だが、すでに1962年の名古屋高等裁判所の判決に見られるように、世界に先駆けて「安楽
死の六要件」が提出された。この場合に対象となっている「安楽死」は、「積極的安楽死」であり、
言うなれば、末期患者の殺害、および自殺幇助が違法性のないことを容認する要件である。その六
要件は以下のものである:ニ ト
一、病者が現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかも死が目前に迫っていること
二、病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること
三、もっぱら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと
四、病者の意識がなお明瞭であって意思の表明が出来る場合には、本人の真摯な嘱託または承諾
のあること
五、医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には医師によりえないと首肯するに
足る特別な事情があること
六、その方法が倫理的にも妥当と認容しうるものなることo ■■ .・・ . ・
この「安楽死の六要件」に患者の意思の確認が明確に表現されたにもかかわらず、現実には、
「東海大学事件」√「京北病院事件」が起こった。これらの事件は、「安楽死」裁判として注目された
のであるが、識者の中には、それらが安楽死事件として報道されたことに危惧を述べるものもいる。
なぜなら、それらは「慈悲殺」あるいは「嘱託殺人」であって(に、「安楽死」の要件を満たして
いるかどうか裁判されたのであるが、訴訟罪状は殺人罪であった。
東海大学事件では、第一段階の「治療の停止」についての評価、これは起訴されていない。第二
段階の「ホリゾンおよびセレネースの注射行為」、これも起訴対象ではない。第三段階の「ワラソ
ンとKCLの注射」が殺人罪として起訴されたレすでに患者は昏睡状態にあり、肉体的苦痛を除去
するための代替手段がなかったともいえず、また患者の積極的な意思表示もないゆえに、「積極的
安楽死」の許容要件を満たすものではないと判断された(皿)。京北病院事件は不起訴処分となった。
ようするに、日本の裁判では、「安楽死」の問題は、「積極的安楽死」に焦点があり、「消極的安楽
死」、つまり治療の停止・差し控えは問題にされていないのである。
だが、それにも係わらず、「日本尊厳死協会土は、次のような内容の「尊厳死」に関するリビン
グ●ウィルの法制化を求めている: =
14 高知大学学術研究報告 第50巻(2001年)人文科学編 (1)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が追っていると診断された場合に は徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おごとわ=りいたします。 ‥ ② 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下=さい。そのため、たとえば麻 薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。 (3)私が数力月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥ったノ時は、千切の生命維持措置をとりやめ て下さい(・24に 十 +1‥‥‥‥‥‥‥‥‥ []本尊厳死協会の法制化を求める内容は、基本的には、「白己決定権且仁よる「尊厳死」を求める 法制化で・あり、1994年の「カリフォルニア自然死法」とは=とんと同仁内容である宍。 このように見てくると、「安楽死丿の法制化と称する問題も、オヲンダのような医師による「積 極的安楽死」を自殺幇助という刑事罰の対象と=し/ない法制化、つよりj・=……「積極的安楽死」を容認する 法制化と、「カリフォルニア自然死法トのように過剰医療の停止や「消極的安楽死」づ尊厳死」を 求めるリビング・ウィル、あるいはアドバンス・ディレクティブを法的に保障するための法制化に 区別されることになる。 し、。・j 。 ………=一万。・j ……… ただ問題は、「カリフォルニア自然死法」に見られ、またそれに倣づたと思われる日本尊厳死協 会が求めている法制化に見られる植物状態の場合であろう。そのような患者の[消極的安楽死]あ るいは「尊厳死トの要求は、単純に末期患者の過剰医療の停止・差七控えとは別の問題を生み出し てくるよその要求の基礎にあるのは、「自己決定権」の優位であり、本人の意思があるからそれを 尊重すべきだという発想である。これは「消極的安楽死」あるいは「尊厳死」を「積極的安楽死」 へ拡大することを含意している。 十\ ………I 土入 …… これまで過剰治療・延命治療の停止、あるいは差し控えの観点に基づく「消極的安楽死」と、医 師による患者の生命の停止の観点に基づく「積極的安楽死」を区別してきたの寸あるが、今度は、 両者の類似に眼を向けてみよう。そうすると、まず、第ブレにレレ│萌者の場合において「不治」と判断 されるという条件が見いだされる。第二に、「苦痛緩和」め条件が見いだされる/。第三に、「本人の 意思」の確認が条件である。次に、これらの条件、「不治」、「苦痛緩和」、「自己決定権」(自律の尊 重)を検討し、「消極的安楽死」と丁積極的安楽死」の基礎にある考え方を明邨かにしよ△うと思う。 (4)不治の判断 ト \ まず末期で死が差し迫っているという判断がなされたならば、治療行為は論理的に矛盾している ことになる。もし、治療が病気の回復を目的とするならばミ末期で死が差し迫くっている患者に対す る治療行為はありえないだろう。その場合の医療的処置は√延命処置であり、=……万考=れを治療行為と称 するならば、過剰医療となるだろう。むしろ、末期の生をレ持続させミ精神的にも肉体的にも苦痛を 持続させるだけであるならば、そのような延命処置は残酷な行為であるかもしれない。従って、論 理的には延命処置や過剰医療の停止を妨げるものは何有な宍いレそれ泰友延命処置の停止はミ「消極 的安楽死」あるいは「間接的安楽死」と言えるようなものでぱなく\、あくまでも医療処置・治療の 停止なのであり、「自然死」である。先に挙げた、1976年の「カリフォルニア自然死法トは、その ような措置を求めるものであった。 ノ ニく一 ダノレIj \\ 。。・。 ・。 しかし、この場合、患者の意思は必要なのであろうか。治療の効果がない場合には、治療を拒否 するという患者の「自己決定権」の問題は、一見すると無意床な議論のように思える。なぜなら、 医師、あるいは複数の医師が回復不可能の判断=をした場合ご……医゜白市にHi
殺
のうイゼンス(小渾)
15 止できるということと、回復の見込みがない場合には治療を停止して欲しいというl患者の意思は、 七の場合、基本的には一致していると思われるから恰ある。その後め=処置については、病院で死を 迎えるか、家に帰るかという選択は、介護の負担や経済的理由√患者の希望によって決定されるだ ろう。● ニし ‥ 犬● ト ト ●。ゾ ・ 。・ 。 ・。。し わたしが主張しようとしている立場は、「殺しめライセンス」を医師に与えないで、死なせるご と、あるいは治療の停止を受け入れていぐという犬ものである(自‰末期で死が差し追っている患者 に対して治療停止処置を行うことは、必ずしも本人の意思の確認は必要ない:と思われる。延命処置レ 過剰医療を抑制する問題は、必ずしも患者の自己決定を求め√「消極的安楽死」<の要請としで扱わ れる必要はないのではないかと思われ/る。日本の場合にぱ、治療の停止は医師の判断と家族に対す る説明で十分であるように思われし、現実にそのような判断に基づいて最後の七レモ二十が行われ ている。 も っ と乱当人や家族が延命処置を求め名ならば、それは当人や家族の経済的負担と人的 負担め問題になるだろう6これは「日常的治療と特別な治療」レあるいは「義務的治療と選択的治 療」の区別として論じられた問題であり(自6)、末期の延命処置は、て特別な治療」、あるいは「選択レ 的治療」と見なされてよいだろう。 犬 ・。。・。。・ 。・。 しかし、当然ヤあるが、不治の病の終末期の判断は難七い。治療法のない病気は原則的には不治 であ年、そのよ丿な病気の診断がなされた後、すべでの医療行為は原則的には下延命処置」しとなる。 この問題を、HTV感染者、痴呆症やアうレツハイマー症の患者、筋萎縮性索硬化症の患者、「生活習 慣病」と言われ不治とされる糖尿病ミ高血圧、腎不全の患者√ハンチントン舞踏病を含む治療法の ない遺伝病をもつ多くの患者に適用するならば、どうい‥う事態が生ずるだろ万か。いつどのような犬 状況になったなちば、それらの病気の延命処置の停止が求められ、あるいは求めることができるめ であろうか。 j 犬 \ 十 上 ●●● ●●● ●●●● 差し迫った死め判断が困難なことは多くの人によって指摘されでいる。それは、数日なのか、¬一 週間なのか、半月なのか、一ケ丹なのか、そのよ引こ、終末期ダを法的に規定することは、当然√猶 予を持たせて半年とか一年とかに延長されていくことになるだろうふそのような法的規定は、切迫 の判断をかなり緩和することになるだろう。そのように終末期加法的に緩和されることになると、 本来「積極的安楽死」の対象になり得ない患者力八\「消極的安楽死上ではなく、「積極的安楽死」犬を 意思する、あるいば意思することを強いられるごとになるかもしれない。■ ■ ■ ■ ■ ・■■■■■■㎜■ ■ このような不治の判断は、いわば死の宣告に等しいくのであるから、軽々しくなされるべこきではな いだろう。下手をすると自殺教唆に心なりかねない。犬不治の判断と告知は、医師にとっでは、純粋 に医学的知見に基づく診断の一環であろうが、患者の側からは、死刑の宣告に等しいのである。特 に、上述したような治療法の確立していない患者に対して、その病名を告知することはまさに死の 宣告である。 犬 十 ト 十 上 そして、この不治の告知が、丿生命の質(quality of玉秘)]の問題と結びつぐと、治療の無意味 から、「積極的安楽死」の決断を促すことになる。HTV感染者の自殺が急増してい名ごとの一端に は、その告知があるごとは明らかだろう。このような構造を見るならば、当然、告知にも細心の注 意が必要になる(直呪入 上 \ ノ ト ●●●●●●・ ●●・ 十病名の告知を含むインフオームド・コンセントは、あぐまで:も治療を前提とする肴のであって、 不治の病の告知とは別のものと考えられなければならない。例えば、上述した治療方法のない病気\ について、それを告知することは、はっきり言えば、「死の宣告」であり①その上うな告知がなさ れなければ、丁積極的安楽死」のよ犬うな選択肢令選ばなjかったかもしれないのであるブ‰癌め末 期を含め、そのような丁死の宣告」があれば、患者の方は、不可逆的に死に向かづている状態にあ るのであるから√それを受け入れるには、患者自身の人生観二死に対する考え方が重要な要因にな16 ‥‥‥‥‥ ‥‥ト∇高知大学学術研究報告コ第50巻(………)(顛Ot年)……1=::万ノyI文科学帽(≒……1……… 1 万……::……=‥‥‥く‥ ‥ ‥‥ ‥ るソ告知=与=れて敢然とそれに立ち鋼分子犬√愉状態仁な藻ノ人1………才ノれ二氷ざ……ま万一に.さ=.ま.=.・なJ死生観・4。万こ・対応し でくパ、さま犬すまな反応ソ行動か生まれでノく土石尤ろう二.ト== I :・:り・.・yメ:にず=れ.・j . と・万一ニj。せ=、J;・・.:j。:・=:万・『.・死万.・:.の・=宣告 I 』 . j。2=・7り・ I ダ・ .・I一一j万「・積.・極.的・安楽死ト の選択への契機となる√それぞれの人皇の死生観ぬ多様性仁対応す万万に√=『積植竹安楽死』………=:とj、)・ う選択肢が適切なめかどうノか疑問である.……だが、]少雁首と:万も①\才………ラプ==丿レダヴ=j………「稜極的安楽死」…………め?去制 化と↓994年のす丿フォレルヰア自然死法の法制化のよ丿座方向壮ぐJ…… I ソ予牡訟う(スな .一不=.・壮 でしVふ.…………∧‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥ ∧ 十 ‥ \j〉□………レ………二十:…………二=ノノ〉‥==………=………ト………∧l………=………I………
)(5①「苦痛緩和」ことダ「=生命の質」
中山研十は√東海大学事件の判決が……〔積4i るよかな条件を〕提示七だことトを認めている]。・ 縮するこ=とに寸患者が明示的巻意思表示上で同意す名 が尽くさ]れていること上を求めて\いるか=ら寸あるレ6……=乙y・そ 患者は明確/な意思表示をできトなぐなう\で工√まう子呪\ すれば、本人内意=思表示といノう要件を推定的意思ま==。七 がないとい寺要件を緩和ずる以外仁ぱないで=あろ寺子 件の判決がyらはぐ「積極的安楽死」トが許容ぎれるよプ 決は△「積極的安楽死1を封殺するレものであ・・り‥√も とすれば√末期の領域を拡大しレ本人の意思を のであ=る⊇十‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ オケンダではまさにそのようくな方向へ進んで=いづ 由仁寸積極的安楽死」を求める\事例が登場する(ザ≒ 体的苦痛の)区別は⊃精神に由来する苦痛√身体的傷 え、苦痛の緩和が身体的傷害に起因する苦痛から精 さらに、才チンタでの丁積極:的安楽死」………=.要.・詳 ていく:こ七」である=という報告もあ/るノダ)レそれ忙レ 理由は.……「ずづとベナドに横たわづ七:いな叶紅ばな/」 「すべて\を他人にたよらなければな:らなソ寸呻ノ七い 話になって生/きること丁郷リという\よう・に、……自・:立Iがtlこのよう=な観点から、名古屋高鉄の安楽死
真にこれを見る:に忍びない程度のもの.なノるこトと」丁と卜 状とはかけ離れた要件であるごとがわかる。特に。I=し………:=東・=j が「肉体的苦痛言に限定さ九万こノと=は√……日本の万司=・?去。=のi.・」・半I るクとも解釈される可能性を示しているyのであるサヤノニ∧ ト千病者の苦痛]トに関す盾議論は、かつ七の森鴎外のく してめ千積極的安楽ノ死且を肯定する\よトうな風潮に対上ぺ せた。その意義は極めて大きい/と思われる6 苦:痛 なく。、苦痛をユントロール七√苦痛奎緩和する技 れてき大白≒こ宍よ丿な観点から↓ホス\ピス喰べ われているゲト日本での現在め議論も、下消極的安も4 末期医療めあり方の検討の方向心見ら=れ石コ郷)。=ダl 要な選択肢であ(現在の在宅ケアめ制度jが充実 用卜眼を向けレざ トを見石のでは 々グによづてな=さ殺しのライセンス(小滓)
17ならば、それも有効な制度となるだろう。
もう一度、オランダの現状に戻ると、自立が失われる精神的苦痛という主張を考慮するならば、
それは厳密な意味ではもはや苦痛の問題ではなく、患者の「生命の質」についての判断の問題であ
ることが分かる。「生命力質」についての考察は、すでにカレンニ・アン・クインライン事件より問
題にされてきたものであり、末期患者や植物状態にある患者が生命維持装置に繋がれていることが、
「生命の質」をおとしめることと見なされ、人間としての生を維持できないならば、尊厳ある死を
求めるという1994年の「カリフォルニア自然死法」や、リビング≒ウィルの法制化を求める日本尊
厳協会の運動の基礎にある考え方である。それゆえ「生命の質」の判断という点では、オランダの
「積極的安楽死」を支えている考え方も、「消極的安楽死」を法制化しようとする考え方も同じなの
である。
ガが、「生命の質」の議論について注意しなければならないのは、「生命の質」を考慮することに
よって、「治療の無意味卜が患者の寸生存の無意味」に転換されてしまうことで/ある。自立が失わ
れる精神的苦痛という訴えの背後には、このような「生存の無意味」の判断があるレこの「生存の
無意味」の判断は、オランダではいつでも「自律性」の喪失に対する恐れと不可分に結びついてい
る。このような関係にあっては、寸自律性」の喪失は、生を無意味にするものとなる。それゆえ、
「自律の尊重」は、欧米にあっては、いつでも優先性の高い原理の地位についている。そうして、
終末期の苦痛に苦しんでいる患者が、医者に「積極的安楽死」を求めた場合、それを法が禁止する
ならば、法が患者の自律を尊重せず、むしろ自由を奪い、患者に不利益を与えることになるので、
むしろそのような法こそ改定されるべきだという主張になる。
しかし、自律性の喪失は、果たして我々の生を無意味にするものであろうか。先に紹介したオラ
ンダの「積極的安楽死」の事例によれば、オランダでは苦痛緩和の技術も発達しており、それが実
施されているし、ホスピスなど終末期の患者を世話する福祉制度も充実している尚≒だが、それ
でもなお「積極的安楽死」が慣行化している。その理由は、自立が失われる精神的苦痛であり、
[人間の尊厳]が失われる恐怖にあるということである。それがまたホスピスや老人ホームを拒絶
する理由でもある。オランダでは、望ましい死の迎え方は、自宅で、自立した死を迎えること、そ
れができなければ、安楽死、そしてホスピスの順になるということである(i±40)。
気になるのは、そのような慣行上の相違よりも、「積極的安楽死」を求めている人々の置かれて
いる状況である。オランダでの「積極的安楽死」に関する多くの報告は、個人主義の記述で行われ
て・おり、そこには配偶者との死別、離婚、子供がいない、子供の独立などの理由で、人間関係から
切り離され、孤独になっていく人々の姿が見いだされる。それに対七て、「積極的安楽死」を回避
し、「自然死」を迎えることになった事例では、娘が「安楽死」に対して熱心に反対した結果、「自
然死Jを迎えた患者や(141)、孫との係わりの中で、「積極的安楽死」ではなく、苦痛を回避するこ
とに意欲を示しか癌の末期患者(注42)などが紹介されている。後者の事例を紹介する筆者たちの論点
は、寸積極的安楽死」という制度がそのような精神的余裕を生む/ということであったが白へ社会
生活からの孤立化が、「生命の質」の判断、生存の意味・無意味の判断に大きな影響を与えている
と推測できるだろう。
そのような推測が正しいならば、自殺者にあっても同じことであるが、人々に生存の意味をもた
らす人間関係からの排除、あるいは孤立化が「積極的安楽死」を要請する大きな要因であると推測
できるだろう。「生存の意味上は、へ芒者の主観的な意味づけによってもなされるだろうが、実際に
は人間関係の中で与えられる。語の意味は文脈によって与えられるとフレーゲが指摘したように、
個々の人々の生存の意味も文脈、ごの場合は人間関係という脈絡の中で与えられるのである。患者
がこのような脈絡から切り離されるならば、彼にあるのは病気の進行とともにただ孤独の中で自立
18 高知大学学術研究報告 第50巻ト(2001年)
が失われる精神的苦痛だけだろう。その場合、それを回避できるのは、そのような病苦からの解放
をもたらしてくれる「積極的安楽死」だけであろう。
このような「生命の質」の判断が、植物状態にある患者になさすしるならば、まさにそのような患
者は、昏睡状態にあって社会的関係から切り離された状態にあるこニめTさあるから√ただちにそめ生存
は無意味と判断されることになるだろう。それゆえ寸積極的安楽死」ごを求める患者の場合も、植物 状態にある患者の場合も、両者が人間関係から切り離されていることにより、その生存を無意味と 判断する考え方が共通に見られる。従って、わたしは、[積極的安楽死]も「尊厳死」と呼ばれる 場合の「消極的安楽死」も基本的には同じ「生存の無意味トというレ判断に基づいていると考九了 しヽる(注伺。 : ……1 ●●●●●●●●● ●● それでは、植物状態になった場合、あるいは不治で末期の状態になった場合に、死をもたらす援 助を求めるリビング・ウィル、あるいはアドバンス・ディレクティブの意味は何であろうか。「積の重視、あるいは「自律尊重の原理」といわれるものの重視であ」り、
ということである。次にそれを問題にしよう。 ト
寸生存の無意味」という判断 たった特徴:は、「自己決定権」 ようするに本人の意思の尊重 (6)「自己決定権」 ‥‥‥‥‥‥‥万……=ト……:万」:万 く‥‥‥‥‥‥ ‥ト 「自己決定権」は、医療の領域でも、他の領域でも、選択肢が十分用意されてJいる場合には、医 療従事者と患者の関係に信頼をもたらし、また民主的な人間関係、を維持するのに有効であることは 認められるだろう。だが、「自己決定権」は、「積極、的安楽死」および\「消極的安楽死」の問題と結 びつくと、「死ぬ権利」の議論を形成する。特に、)↓り94年のカザフ牙ルニす自然死法やリビング・ ウィルの法制化をめざす日本尊厳死協会の運動では、「消極的安楽死」の中に、植物状態に陥った 場合に死なせることを求めるリビング・ウィル、あるいはアドバンス・ディレグティヴが含まれて いる。患者が死を選ぶことのできる「死ぬ権利上は」、このよ。うなダビング・ウィフレやアドバンス・ ディレクティヴが法的に認められ、強制力を与えら札るならばぐノ:ノ……ま・・さ6こ保障され=ることになる① 確かに、死は個人に訪れるという点て個人的な問題ではあるが↓生か個人的であるとともに公共 的・社会的であるのと同じように、我々は、肉親の死などの経験によって、死もまた公共的・社会 的性格をもつこ鮒を知っており、そのような慣行の申で生・死を捉えている。それゆえ、生と死に ついての「自己決定権」の行使については、公共的盤面からの説肝も必要とな居丿なぜなら、死に たいから死ぬというのは、殺したいから殺す、盗みたいから盗むノというのと同じように、単なるエ ゴイズムの表現でしがないからである。 ■■■■ 例えば、小西恵美子、デービス・アン・Jの調査は、「死ぬ権利」と「死ぬ義務」(J)について、 このような公共性についての日・欧米の意識の相違を指摘していレる七ここで問題になっている「死 ぬ権利」と「死ぬ義務」という表現は、「延命治療を拒否する上奏右いは寸延命治療を拒否すべき である」という意味であるので、「積極的安楽死丁の議論と直接結びつかないが、イ消極的安楽死」 あるいは[尊厳死]の背景にある公共的・社会的理由を明らかにする上で、この議論を見ることは 有効である。次に、その報告を簡単に紹介しよう。 \\十 ……… 日\・欧米においで[死ぬ権利]は多くの人々が支持して七丿上下死ぬ権利卜について賛成者T日 本91%」、「欧米100%」である。それに対して、「死ぬ義務」にう万いては、家族め負担を配慮して支 持するのは[日本39%]、「欧米80%」、社会的負担を考慮して支持するものは「日本37%」、「欧米 61%」となっている。「死ぬ義務」における相違は、家族の負担を理由に延命治療拒否には賛成で殺七のライゼンズ(小潭) 19 きないとするものが、「日本56%」、「欧米16%」、社会に迷惑という理由によ右延命治療拒否には賛 成できないとするもめが「日本62%」、「欧米34%且となっている尚‰ 」 犬 し このアン、ゲート調査は「回答者が生命倫理に関心をつもつグループであり茄果の一般化には限界が ある」(注47)とことわりがあるが、生命倫理に関心めあるグルププでさえ、・「死ぬ義務」⊃こついて日本 と欧米で差異が出たことは大変興味深い結果である。「死ぬ義務」については、支持しないは明ら かに日本人のほうが多く、欧米は少数派とな芯。「死ぬ権利」も丿死ぬ義務」も:、それを支持する 理由の第一のものは、「自己決定」、つまり本人の意思であるが、「死ぬ義務」に関しては、日本人 は本人の意思をあまり尊重していないことになる(自‰筆者たちは、「欧米は、日本と同様に高齢 人目の増加と医療費高騰の問題をかかえていjる」こ七を指摘七た上で√欧米が「延命治療は資源の 浪費であるという意識が高い」のに対七て、「わが国では、ト末期患者や老人の延命治療は日常的に 行われ、末期医療を抑制する動きはとくになく=、また、そのような患者は社会の負担という考え方 をする人もあまりいない上と指摘している(白‰\そ七で高齢者対策と医療費高騰の問題に対応する ために、終末期患者のタこミナルケアにおいて√「死ぬ義務1が議論され、政策に取り入れられる 可能性を示唆している。 ‥ コ ……… この報告を読むと、T死ぬ権利」と「死ぬ義務上が相関的関係にあ万、欧米では「死ぬ権利」と 「死ぬ義務」の相関的関係が理解されているのに対七て、六日本ではその相関的関係があまり理解さ れていないかのような印象を与える。確かに、原理から演鐸される厳密なカントの義務論的議論を 別にすれば、権利と義務の関係は、ある種の相関関係にあるレ「職業が強制しよテとしている義務 は、他の人々の権利に相関的な任務義務である上呻‰例えば、患者ので自己決定権」、づまりプラ イバシーの権利に対して医者の「守秘義務」が相関的に対応する⊇あるいは、ある人の何らかの権 利を正当化する規則が制定されるならば、その規則によって他の人に対してその権科を促進する義 務、または妨害しない義務が定められるごとになるレ つつ ・・。・。・。・・ ・。。 ・・ ・。 「Xの権利は、ある関係者にはXがYをする場合に妨害しないか、XにYを与える義務があるこ とを必然的に伴う。貧窮している市民へ食物や医療サービスのような財を与える義務が国家にある ならば、必要性の適切な基準にかなテどんな市民も、食物や医療サービスを得る資格を要求するこ とができるト42)。だが、いかなる権利にも必ず対応する義務を含意するというような明確な相関 関係があるわけでもない。ビーチャムとチルドレスが示唆すjるように、「我々はしば七は慈善行為 の必要、あるいは義務に言及するけれども、誰でも、他の人の慈善行為を権利問題として要求する ことができるわけではない」宋‰ 上 く 1 、 ・。 ・・・・ ・ ・ ■ ・・■ 。 ビーチャムとチルドレスは、完全義務と不完全義務といケ伝統的な区別を導大していそのような 義務と権利の相関関係を説明している。汀正義は完全義務の例であるよ完全義務は、丿目関的な権利 を必然的に伴う。それに対して、親切、寛大、慈善は不完全義務の例であるレ不完全義務はミ相関 的な権利を必ずしも伴なわない」(ち3ソそのような区別に基づけばU1)恩恵[benefi雨nce卜の義務 のあるものは、完全義務であるづ例えば√救助の義務や子供を保護する親の義務几万2)恩恵の義務し のあるものは、不完全義務である(例えば、親切や寛大)。しかしミ(3)恩恵の義務のあるものは、 完全でもなく不完全でもない義務で、自ら課七だ要求であるづ例えば、いくつかの形式の親切と寛 大)。第一のタイプの完全義務には、権利と義務め相関性がいつでも成立し、‥そのような権利と義 務は、我々が一般的に道徳的拘束と法律上の制裁による強討として適切であると思うものである。 なぜなら権利の侵害と義務の不履行が含まれているからであゐ。それに対して、第三のタイプめ自万 ら課しか要求は、任意に選択でき、決して相関的権利をもたない。第二のタイプの義務には、相関 的権利がある場合もあり、ない場合もあるということになる上白 犬 それでは、汀死ぬ権利」と下死ぬ義務卜の関係ぱどうであろうか。も七患者の「死ぬ権利」が成
2 0 立する・なノら]は、……万医一者あるいjは家族昨「死摩せレる義務 患者の丿死ぬ義務」上は成立し=なトノだがミ家族が患 いは医療資源の限界に↓=り患者を千死なせ基権利」ノ こ七にな言だろうし\ようするニに√ノ「。死ぬ権利」………と・y」。・「夕 関的関係仁は=ないム‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥j ……… /どの権利にどめ義務が対応するのか明瞭仁しない なるよ丁死ぬ権利レは、……末期である=どか、何らかの討 いだろう⊃なぜなら√「死ぬ権利レは、・▽:明」ら・力i=4こ=我々.= jいるから]である⊃「Xには生存権があ右」……と……V・:ゝうこと:.l.・・ ムうが他の人々にXの命を奪お喰い義務を、課すとい]ヅ ムと千年ドレスは、・‥「こ=め権利はミ特に√安楽死奇行 他の関係者とXが合意すlることが寸きレないしという=ニス 「生存権」と寸死ぬ権利上が異なノる脈絡にあるべ二=ゲとを= 者の場合についてすでに述べた:よAに、この脈絡を妻 も触れたように√不治の宣告に対:しては・、……徐片に迎j れる死か√という=選択肢しがな=いのであ八丿確か仁=ぐ/ 律の尊重は√そのような選択を強=いることで心あ右ノヤ≒……ゲ\\ト]J…………yj; このよう=に公共性との関係で寸死ぬ権利』……を正当イビ の負担への配慮、社会の負担ぺの配慮が働いている⊃ 述べたオラヅダヤのイ積極的安楽死」の背景忙もあ盲 的な負担を配慮七た結果、汀他人の世話仁なり赳くなj けることは屈辱々ある」という/意識が働いていたのゲ七 このようレな公共性への配慮と寸自己決定権しめ結び 停止=を\求める場合にもっと明白ノに=なるレ植物状態仁庚 完全な昏睡状態にあるわけでもなく、\自発呼吸くもあ=足 りも多いノこ○ような植物状態にあ百人の延命処置=lノタ宍 吸器、レ栄養装置、水分補給器:の剥奪による\ならばレノy こと卦を意味するノそれは回復力可能性を全トく否定す るもめであjる六。‥‥‥‥ ト …… …… ………=。 それ=にもかかわらず、ス植物状態仁陥る前に√そのTよ 置の停止を求め\るレ意思を法制化して執行力jをもた廿ズ ようにレ、/それが実行ぎれ石根拠麟士治療の無意床でレ口 前の意思決定はレその上うな状態で生き続けたぐな万 に見たよ\う犬なノ医療資源四貧約よ・、I人的負胆力軽談七大 ある丿 ………IJ十\‥‥‥‥J………:.j.・I.万 植物状態は不治と:ぱ言えないのだが、……同しじこレとはぺ…… ろうTHIV/感染が宣告されたなら掻、生活習慣病に町 治療法のない遺伝子柄が宣告されたな\らは/、……我j々=a:ま=爰 ることになる死か、それとも直ぢ忙心たら\がれる死丿力 か。実際レに、そのような病名が宣告ざれた人癩よ丁十 る場合もあ\るノそのよケな事情を考慮して√残酷な=じ回 迎える:方がよい)という判断万万ら①「積極的安楽死士を万
れば
ノらな 七て ビトチヤ・こどを
ノと述べて、 川犬熊石恵 二のレ問題で 二当然で:あ毎がぐ…………家族√すでに
社会
話を受…… ミ………想:像するよ 世卜1の万配慮が で\も言えるくが 厄:、ゲある万t、ゝ1よ √徐ダに迎ノえ ないのレだ程う殺しのうイ\センスヶ(小滓 21 ような見解は、現実に自殺しようとしている人を前に、寸死にたいんだ9たら積極的安楽死もあしる= よ」と言づてぃるようなもので、近視眼的な見方でありミ何か大きな問題を見過ごしているように 思われる(白)。 ニ 犬 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥十 ・ ・・。。・ 。・ 。 ・。 ・・・ 。。 ・・・・ 植物状態にある患者や不治の病にある患者などに対する家族の負担や介護者の負担は、実際には、 介護に当たったものにしか分からないのであるが、精神的にも肉体的にも、。大変な負担である。現 状では、家庭崩壊、人間関係の崩壊を招く場合もあるレそれゆえ、きれいごとでレはすまないことも 明らかであるが、これは、介護体制の整備、社会保障の整備に問題があるのであうて、、昔者本人の ’公共心や意思を問う問題ではない。 / し ‥‥‥‥‥ これまで見てきたように、イ死ぬ権利」は、患者本人の意思とは別の、経済的負担、医療保険制 度の不備、医療資源の不足、患者の家族や介護する人し々の負担といづた社会的要因と不可分な関係 がある。それにもかかわらず、患者の意思決定を尊重するという「自己決定権トを根拠にするなち ば、例えば、回復の見込みのない患者が移植のために臓器を取り出しで有意義な死を望む自己決定 も、植物状態にある患者が延命処置の停止を求める汀尊厳死丿の自己決定、あるいは家族の負担や 社会的負担を配慮七て「積極的安楽死」を求める自己決定も同心ことになる尹‰臓器移植のため の臓器提供どいう利他的な動機は、人間社会を形成する上で尊い動機である。患者の利他的な意思 犬を尊重して、その願いを適えることに違法性はないレその場合、脳死め判定を行うことは、そのよ∇ うな本人の意思に反ずるこどになるだろうレ死んヤ他の大の役仁立つという考え方は、・義務を超え た恩恵(supererogation)である。そして、同じよ丿な公共性への配慮は、「消極的安楽死トや 「積極的安楽死」の場合にも見られるのであるノ介護する家族い医療を担っている人々丁死んでそ のような人々の負担を軽減しようという意思は、:尊いものか廿しれない。 ノ ‥‥‥ だが、犬このような考え方は、生存が無意味と判断される人々、他の人に役に立だない人々、他者 の負担を考慮に入れない人々に対する排除の思想/を生み出すだろう。これが、汀死ぬ権利」 士から 「死なせる権利」への移行に含まれる動機であるレこのような丿「自己決定権」に根拠をおく議論は、 それが個々の場合において、、臓器移植の場合の脳死判定というような限定を受けないと、一人歩き して自己決定万能論を形成することになるだろう(郎)。 ‥‥‥‥‥‥ 我々は自己の誕生につぃては自己決定できないにもかかわらずご生の多くの過程でj自己決定め有 効性を知り、全てを自己決定に還元できるかのよノうに錯覚七、そ/の結果、自己の死さえも自己決定 できるかのような幻想を抱いているの廿はなかろうかノそのような幻想は「自律的人向の理想」と/ 呼ばれてよいだろう(注6‰ .I ニ犬 ▽ ` ‥‥‥ 欧米の個人主義では、「自律的人問たれという理想」は√「自分め人生計画を選択\し、外部の権威 および他者からの操作的あるいは威圧的行為から独立言で行為する人間」呻1)として捉えられてき た。これが先にオランダの事例で触れた際に述べたよjう=な、犬自立が失われる精神的苦痛をもたらす/ ものの正体なのであるぷ‰ビーチャムとチルヂレスはレそのような「自律的人間の理想上に対す るイロバート・バードの批判トを紹介しているサ≒それによへると、し「理想というのは、づ固人的と いうよりも社会的ミあるいはコミよニテイ的なものである」が、「自律的人間の理想」:は社会的、 あるいはコミユニテイ的であるのかどうか疑わしいというのである。 \ ニ ト パートの批判は、「障害をもって生まれできた新生児を殺し\ても/よいとする決定を認めた公共政: 策士に反対するものであった。「たとえ、この決定が新生児の最大の利益に基づいたものであれミ そのような政策は、アメリカのコミユニテイの理想を表現していないし、また究極的にはその理想 を傷つけることになる」と・バードは主張している。障害をくもつ新生児の延命治療を差し控えること に対して、社会的正当性を認めることはU1)「恐るべき異邦人」の社会奇生みだし、犬しかも=、づ峠∧ 延命治療を差し控える権利を超えて、この治療を差七控えるめは「義務且だと確信する方向へと進
221 ‥‥‥‥‥‥‥‥高矢N大学学術研究報告……第5:o巻……=]2001年)=:し……]]人文科学編〉…………y………:………トj………IT/………ト…… ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ - ・. ・ ・・ ・・ :・..・ 一 万、親にそづ考える\よ/う圧力しを分けるごとにな貢が⑤斜∧首卜⑤爪球ダ│ノナ塵に徐ヤ口社貪け、・……(3) 障害=をもう子供たちを寸土土二テ丿的関係レの申に入礼六①な卜仁卜斤/こレケ仁↓レノ………ヨミ。tz・:jy一万1万1.一万.号=・巾・ネ古平・jと・I=・.し.・で . .i i.・ y・・ヽ=-.ヽ一一:ヽパv・・・ ヤn・ゝ.・)‥ヽl・=「→一と唇三ら≒・-み>」・に………ぷ4Jtし=:tしy==トじづ=∧七十①目目工豪し/まだ目目才六ナ(yスレトにか 彼らの存在を冷遇す:るごと①恐/ら{は、………F不寛容をノも万ら るからであるよさレら忙√彼が確信する七ごろでは=。……瀧jj もっだけでなレく①親のみがこの決定を下七う石上ことjレ=.Iリ 「親は√自己決定権の名の下に」、\コ:ミ土三テ万丿力s 雄jならざる親は√コづミづこデイから十分な援助が得
を下すこと.になるだ程う」√それゆえ丿自律的人間
精神遅滞者レ高齢者:、\重症患者にマイナズめ意味、 このよ:うなT自律的人間\め理想」=に対ずる批衿は 極的安楽死且を決断しよう七レし七いゾる人ヤにもあて を認め、そのような人々の存在巻容認していくの亡 会的弱者を廿会的関係から切り離七、無意味化するく .MM、j9り口Q●ふー-″・"yrvlf1'・「 −.yヾ・、・ . る白呪ト我々ぱ末期患者や不治め患者仁は……「生存権J」万一yy:Ily日本でもさまざまな状況で本人jめ意思を確かめ=る
ほとんど本人の意思々jはなく、∧そ:の場め多数者の意思〕を木 合が多い⊃『楢山節考』しでも/、ト・貧困な社会の習慣加前提払レズ ペ行くぞブ66)と万:ヽう/「牡り\ん」\の発言は、\本人の言己決ダ ような自己決定は√あ名意味首は共同体の慣習の㈹弁寸あ 慣習としの係わりを薬れた自己決定などはこないの寸あ壮・'浅才.・.・1・l・=・.:jlるだろう。つま=り「消極的安楽死」プもニ「積極的安噪
のように見でいるかという=慣習の表現である:という
∧ ……1・。(。7.1.・)・。・異なる六道……… ……
東海大学事件で√裁判官は\「末期医療を見る‥ニ が行われはしないかとの不ぐ安を与えかねなj=いおそl 表明していた。そり懸念が現実化していズるのかどう: '・' ̄・'・`・a li・W-●←→・・。ゝ 上で判断:されねばならなレいが=、.・=末期の る↓ケに思われるノ終末揖にあるぐ人々/√不治め 意味」と判断するよゾう=な社会では、そこに生者入る大湊レ; ■ k lk .- -- ・i● ● ・ : ●・・.・.`● 排除ずる方向へ向かうだ・ダうj 特=に√「自己決定権」\を根拠にした:リビングy「ヴイ乙=……j」」・ そのようレなj「生存の無意味」を合法化するかのトようト= 絶に関してミ母胎保護法が√「母性の生命健康を保岳 妊娠中絶トを行うことが寸ぎる‥もレのを親定七√基本 経済的理由によ圧母体の健康を著しく害するおそ=れ は抵抗若しぐは拒絶するごとができ喰=い聞に姦淫さ=サ を禁止しているにもかかわちずミ本人の伺意さえあご= 誤解されているの=と同士事態を迎え石のでぱないが ごのような懸念ぽ、1㈲4年力「力丿フ牙フレ土ア自ソ ンが示した懸念と才同じであるノ「そのよ丿な法律内命 したノここと………1こな ふみレが決定権を t]をソ尊重し多様な人間 想]=ノ………に基づ卜すぐ………j社 とレしでい石よう\であ 丿るレぞれ:ゆえレこ/の 右斤∠まレ=たそ:のようレな卜 体の意思の反映でもノあ を含社社会的弱者を七 じず:きてい 『生存力無 ヰブめ法制化は√ソ よ1ミyj人・・工・妊丿娠収 且条寸√「人工 励す身体的又は を迫によ万づて又 人工妊娠中絶 tズいjるザよトうに づ〉ドノケオーキ ノなノ乙.・・しの:だろう殺しのライセンス(小腸)
23か。人々が医師や医師の職業意識に対して払う尊敬の念に、どのような影響を与えることになるの
だろうかよ ト。ダ。。‥殺人が法的に承認されるごとによっで、社会全体が、死についてより無神経に
なるといケことはないのだろうか。\殺人の合法化は、身体刑と同様あるいはそれ以上に、こう七だ
方向に影響をもつごとしになりはしないのだろうか」(岬)と彼は懸念している。そのような法制化は、
それに反対する人々にもその法律に定められたことを強い/ることになるだろう。千自己決定権」を
根拠にしたリビング・ウィルやアドバンス・デイレクテ土ブめ法制化は慎重にならなければならな
いだろう。十 ゲ 十 犬
わたしは、「自己決定権」に基づく丁消極的安楽死」乍丁積極的安楽死」め容認を批判的に扱つ
てきた。だが、何か何でも「自己決定権」を否定しよう万としでいるわ計では巻いレ選択肢が十分に
用意されている場合には「自己決定権」は医療の現場でも有効な権利である。\だが、末期の状態に
陥ったとかや、不治の診断が下されたときミどうする○かというようケな形で自己決定を求める自律
の尊重を否定しでいるのである。我々は死に関して本当に「自己決定権」トを主張できるのであろう
か、その決定は我ヤの社会的慣行の反映ではないのか、上といケのが根本的な疑問であっ九。そ七て、
上述七だように、そのような自己決定を求める背景には、丿自律的人間の理想土方見いだされた。
それは欧米の個人主義の理想であり、欧米社会によづて要求されている人間像の一つである。アメ
ー− ㎜ ㎜
リカやオランダのように個人の意思の多楡匪を尊重する倫理的風土が形成されているならば、「自
己決定権」を根拠にした「消極的安楽死」や「積極的安楽死」=め議論も意味があるかもしれないレ
だが、我々はアメリカやオランダのような寸自律的人間の理想」を実現しようとするような社会
を造ろうとしているのだろう\か。もしそうであるならば、、少=なくとも「自己決定権」の行使を可能
にするよケな前提を確保する必要があるよ倫理的考察の進歩は、千選択肢を知ること」であるかも
知れないというバナー才・ウィリアムズの助言に従えば(h)、日本で=は「自己決定権」を根拠とす
る汀積極的安楽死」や「消極的安楽死」を法制化する方向に向かうよりも、まず末規患者、不治の
病にある患者、難病心苦しわ患者、高齢者に対して√少なくとも、オランダのような社会福祉制度、
末期医療制度、苦痛緩和指置の実施などのような選択肢をより多く作り葬す必要があると思われる。
そのような前提とな芯制度が欠けている状況で丁消極的安楽死」やブ積極的安楽死」ごを議論し、
㎜ -・¶・'・・│●医療資源の節約と社会的負担の軽減を意図七た政策立案は、不公平感を生み出すだろう。相応の税 −。 金や社会保障費を徴収しておきながら、高額医療という理由で、難病の患者に対して医療へのアク セスを拒否することは、公平さに欠けるだろう。ましてや社会的効率の名の下に弱者を切り捨て、 多数者のために少数者を切り捨てるような政策も公平さを欠ぐことになるだろう。なぜなら少数者 であづても応分に社会的負担に応じている人もいるからである。 十 ‥「自律的人間の理想」は必ずしも我々の死へのプロセスに幸福をもたら七てくれるものでもない。
むしろ、そのような理想からほど遣い日本のほうが世界に名だたる長寿国なのである。その点を考
慮すれば、日本の現実の慣行がかなりうまく機能していると考えることもできる。我々はアメリカ
やオランダの向かっている道を歩く必要もないだろケよ ・。・・・。 ・・。。
丁自律的人問の理想且の限界は欧米でも意識され器ようになって:き七いる6契約↓こ基づく権利・
義務や、自己決定権・自律・自由競争ばかりが強調されでいる欧米社会にあっても√個人の自己決
定を尊重しつづ、/寛容と連帯を重視した「親密さ」を求める試み=が始まっているというこどであ
る心大〉個々人によっで死や生に対する考え方、死生観が異なるように、それぞれの文化圏が形成
する慣習によって死生観が異なっていることは、大きな問題ではない。日本では、我々個人の死も、
そのような「親密さ」、つまり相互依存性の中に置かれてきノだ。そのような相互依存性の仲で√死
につつある人は、有意味な連関の中に置かれてきた。そのような慣行を継承するのに何らためら矢
必要はないだろう。 十 犬
レof………Moral 区別トじ、=/前者の 極的仁殺すこと /うノ見解が議論さ 言刀紬=、・……jiQむond 心レ弛urth edi-ふ㎜・ ====- ・ij ・ ・ ・ ■ ■ ti血丿])χfordい994,す>1卵ス………1レレ│し……1 1:j=J==jJI=:j=万: 仙 資料\・生命倫理と法打犬『安楽死・・/尊厳死十末期医療卜信山社4 したム‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥j………〉………<……ソ………│=・Ij=・. ・・ 一一・・・ ・-͡・ g-しl・1二1.1,壬を,rヽ・J・_・J,・, -/_L-fin l・ J・, ・・‥=y…………l…… ・ために付加 ト朝旧レ出版. 14□同上ミゲロト172、傍点は比較のノだダ)に付加しだ。 15 エングルハートレ狂。トガス下\ラム寸バイオエシ 24 ………1…………高知大学学術研究報告∧第50巻………了2001年)………=人文科学編◇レレゾ……:\…………:…………===………… ウィサアムズは√「直観」\と呼ばれる・倫理的信念か:らy.ご出発七丁子慨ようノド「倫理的ノ経験よ……=ル 理理論を形成する\ごとを主張し七い右=(皿≒ペニ:のよ星な千倫理的経験卜=を)重視土石ス考友方はソ、………j。「文 ・JIJIIIlf・WJ●〃・--・・ 化的相違土七容認し√倫理的信念に関七了、 るもめであ名……(S73)・。・・こ め ような考え方によれば√ で再び個人のレ習慣の形成=と社会的慣行とレの相関関係に /この・よう\に文化的多徐匯を認め名こ七はまだ√ダリゾ 「倫理」十の可能性を考え:るこしとである:。彼らがT 理的問題はレ、ト∧入寮の性向1=と社会的環境\との柑関関 ような社会的環境め形成=と密接に関係くし七いるだ ような社会を造る=ならレは√我々の社会は万残酷吝を/ できく/高度老齢化社会ミ=医療費の高騰レ社会的負 的安楽死上やて積極的安楽死卜を議諭しないです か]、・「よ≪生き。る\とは士ういうごとかレというイ云 を造ろ丿と……して\いるyめか」√「我々はどのような社 換えられる必要があるだろうノ ……… 十日本の社会では、死に対してどのよう・な体糾を を形成七てよいしレそのようにすぺ/き寸為=右とレ思 な独自性を確立する仁はあまリパこか貧弱マあるノ いで√死喰せ名ことレうま丿治療の停止を受け人 不治の患者に対する:医療に\さトまざまノな選択肢を ろう\6ト 犬………: ‥‥‥‥ト (注)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 1十加=藤尚武/『バイオエシツペク\ス七はなにか』万来来社√/ 2 ビデオゾ『生命倫理を考える……ホ冬わ裡のない8編の物1 3十柏木哲夫レr生と死を支える↓朝日兼間柱、1987年ミ] 4ニRorty, Richard; .戸hilosoj:〕hダdnSSocial百顛己 5 Rort元Ri(出衣d; "Trapped Between K八峠/a
Philosophy、7大谷大学大学院特別ヤ‥ダナー公問記念 6\宮川俊行r安楽死め論理と倫理トUP選書工砺√東京 7 中山研プ.『安楽死と尊厳死L獄文言、j000年j、pズ……51 8十同上てし.p・.・.・34f。p・/53よ………j.・ レプ 上 ………ぐ 旧白同上、一p……叩………:………:..…… ………六白……:. 10 星野二正\『わたしの生命ぱだれめもの』∧犬蔵省印刷 H∧American Medical Association寸全米医師会評F
慈悲殺を否定/し、後者を/認めたこ=と/に対して。・〉・治療 も有意義に区別できないとい丿見解七ミ患者の匪己
れでき・だ。一参照。・Steinbo・ck,Bonnie andしNorc ed.,レFordham un如収sityヶPr臨sレ√NewYork,
WIII-.- ̄ ̄' ̄--'--'・・・ ・.. g・. . .
12十Beauchamp√To皿L・, andレChildress, James……Fj;