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司
電
82聞かれた窓一一「嵐が丘」解釈試論一一
I 「嵐が丘J
は、出版以来多くの人々によって様々に 読まれ、解釈されて来た。当初との作品は、原初的情 念の吹き荒れる、 「粗末な材料から彫り出された(1)J
ど く素朴な作品とされたが、次第に大いなる謎と考えられ るようになり、むしろ理解不能性ζそが、乙の作品の本 質ではないかとまで考えられるに至っているo したがっ て、解釈の方法は不特定で多岐多様に渡ると考えられる が、作品内部から、作品全体を解釈する場合iζ は、その 方法は二つの選択技によって分類するととが、可能であ るoそれを説明するために、まず「嵐が丘J
の解釈の古 典的な例を二つ、引用するとと iとする。第一の例は、デ ヴィッド・セシJレの形市上的解釈であるo 生あるものもないものも、精神的なものも物質的な ものもともに含み創造された宇宙全体は、ある活力あ る精神的原理の表現となっているo一方は、言わば嵐 の原理、組暴、無慈悲、野性、活力の原理であり、もう一 方は、凪の原理、優しさ、慈悲深さ、従)1頃、抑制の原 理である。(中略〉舞台は、エミリー・ブ、ロンテが構 想したとおりに、宇宙的構造を持った小宇宙となって いる。一方花、あらゆる自然の猛威に曝されて立つ、 激情的で野性の嵐の子供であるアンショウ家の人々に ふさわしい嵐が丘が、不毛なムアーの高台に存在し、 もう一方には、凪の子供である、優しくおとなしいリ ントン家の人々にふさわしいスラッシュクロス・グレ ンジが、奥まった葉の茂った谷あいに存在するo ζ の二つの集団がそれぞれの領域でそれぞれの本性iζ 従う乙とで、宇宙の調和が保たれているのである。乙 の調和の崩壊と再構築とそが、との物語のテーマであ る。
(2) 次は、アーノJレド・ケトルのマルクス主義的解釈o新 妻 昭 彦
キャサリンは、二人とも我がものにできると信じ込 み、ヒースクリフを裏切り、エドガーと結婚するが、 その後、ヒースクリフを否定した乙とによって、自分 が死を選択したととに気づく。乙の場合の葛藤が、社 会的葛藤であるととは明白で、あるoスラッシュクロス ・グレンジは、ブjレジョワの生活の美L
く快適な側面 を体現し、キャサリンを誘惑するのであるo (中略) そとでヒースクリフは失践し、キャサリンはスラッシ ュクロス・グレンジの奥様におさまる乙とになるo ヒースクリフが成長し金持ちになって帰って来ると、 直ちに社会的葛藤が再び強調される。 (中略〉 したがって、 「嵐が丘Jは、十九世紀資本主義社会 iとおける、個人的、精神的な抑圧、緊張、葛藤iζ対す る想像芸術からのー表現なのであり、乙の小説iとは、 観念論や虚偽の快楽など一切存在する乙とはないし、 さらに、作中人物の運命を支配している力が、人間自身 の闘争と行動の及ばぬと乙ろに存在するなどという乙 (3) とが、示される乙ともないのであるO 以上の引用は、 「嵐が丘J解釈に見られる相反するこつ の方向(形市上的と社会的、あるいは、超越的と内在的) を代表する論文の一部であるが、乙の両者は、内容で相 対立していながら、その方法自体は、類似しているので あるoまず第ーに、両解釈とも乙の作品の中心的構造と して、一つの楕円の二つの中心として相対立する、嵐が 丘とスラッシュクロス・グレンジ(以下、 W.H., T.G. と略記〉という空間的、地理的構造を選択しており、そ の結果、時間的推移、すなわちプロットは、二次的なも のとして扱われている。また、空間的構造を選択した以 上、両解釈における中心的キャラクターは、半ば必然的 i ζ、作品全体iと渡りW.H.を代表し、 T.G. ~r:敵対し続 貯るヒースクリフが選択され、その結果、キャサリン・ アンショウは軽視される乙とになるo ヒースクリフを中 心的キャラクターとして選択するという乙とは、同時i乙i
懇欝
キャサリン=ヒースクリフ=エドガーの関係についての 解釈の選択を意味し、キャサリンの詰婚は、単なる「裏 切りJ
、 「不貞節」、 「誤り」と見なされ、逆にヒース クリフのキャサリンへの一途の愛は、彼の美徳と考えら れる。との場合、キャサリンは、最大に評価されても、 ヒースクリフにとっての「魔性の女」、「つれなき美女」 i ζとどまる乙とになるのであるo 「嵐が丘」の解釈の方法には、二つの選択枝が存在す る。一つは、その中心的構造を空間的構造とするか時間 的構造とするかであり、もう一つは、作品全体を支配し 主題を明示する中心的キャラクターを、ヒースクリフと するかキャサリンとするかである。作品の悲劇性と全体 性、その主題とヴィジョンを考える場合、第二の選択は 決定的になるのである。 その本質を理解する上で、 「嵐が丘」における空間性 の問題はきわめて重要である。 I嵐が丘」から我々が受 ける印象花、確固たる全体性、統一感と、遠くかけ離れ た存在感があるo とうした印象が、セシルの言う「小宇 宙」の源としてあるので、あるo一殻的花、小説が何であ れーつの法則によって、絶対的に支配される時、その小 説空間は、我々の日常的現実の一片とは全く異なる自律 的空陸になる。現実社会に生活する人々は、多数の法則、 あるいは大きな漠然とした一つの法則の下で、それぞれ 一人一人が、各自の人間関係、生い立ち、関心、動機を 持って生きている。乙れを暗示するキャラクターを創造 し、その自由をある程度容認するプロットを設定すると とで、写実主義小説空間のリアリティとヴィリシミリチ ュードが確保されるのであるo逆iと、プロットが絶対的 i ζキャラクターを拘束するようになると、それに伴い、 キャラクターの自由は減少し、あるいは、キャラクター がプロットの要求する行動や関心iと専念するようになる と、それに伴い、作品中の原理や法則の数は減少し、や がて一つに収散するととになるo 「嵐が丘」はとの極端な例である。すべてのキャラク ターは、一つの空聞に閉じ込められ、何と三十年間ζi渡 って、プロットに無関係な行動は一切行われないのであ るO 乙の作品ではネリーによって語られない乙とは無に 等しい。フランセスの生い立ちも、ヒンドリーの大学教 育も、重要なはずのヒースクリフの二年間の不在中の所 業も、単iと語られていないのではなく、存在しないので ある。小説空聞を創造する上で、ほかの十九世紀写実主 義小説家ならば、積極的に活用したであろう素材を、エ ミリー・プロンテは、意識的に切り捨てているのである。 その結果、 「嵐が丘」の独特な小説空間が成立する。絶 対的なもの、超越的なものの存在が予感され、プロット 83 は必然性を得、時の流れは「運命」的性格を帯び、空間 は、現実社会とは異なる法則によって支配される自律独 立する小宇宙となるので、あるo 「嵐が丘J~ζ おけるプロットの重要性を論じたものに、 エドウイン・ミュアーの古典的小説論があるo ととでミ ュアーは、 「劇的小説」である「嵐が丘」の、プロット、 時間、そして結末の重要性を説いているo エミリー・ブ.ロンテが過渡的な場面を描いている時 でも、作中人物の全生涯、過去に起った乙と、そして 未来に起ろうとしている乙との全ては、無意識のうち にその場面に含まれてしまうのである。 I嵐が丘J
の プロットは、はじめから完成した絵のように、エミリー の頭に浮かんでいたはず、であり、作中人物は、ある一日 の不変の姿としてではなく、時とともに変るものとし て、その全生涯に渡る推移上の姿として、エミリーの 脳裏iとあったにちがいないので、あるo (中略〉劇的小 説の作中人物には、運命と見た場合の完結性と、発展 と見た場合の前進性との緊張が存在する。劇的小説の 作中人物という概念そのものに、すでに時閣の問題が 含まれているのであるo (中略〉そしτ
、時間乙そが、 キャサリン・アンショウの本質を明らかにするのであ るo時間という要素において、キャサリンは自らを開 示し、その運命は最終的に完成されるのであるo した がって、劇的小説の結末は、きわめて重要なのであ る。(4) たしかに、 W.H.とT.G.とが、「嵐が丘」の小宇宙に における二つの重要な原理であるととに間違いない。し かし、 「嵐が丘」の解釈における第一の選択枝のうち、 乙の作品の悲劇性の本質を明らかにし得るのは、時間的 構造、すなわちプロットであるO とれに、エミリー・ブ ロンテのヴィジョンの独自性が、密接に関連していると とについては、後iと示される乙とになる。 「嵐が丘」のプロットは、意外かもしれないが、実は きわめてコンヴェンショナルで、通俗的な要素から成り 立っているのであるo三角関係、失恋、かけ落ち、不倫 の関係、復讐、媒略、二つの家の対立、立ち聞きとすれ 違い等々、どれを取ってみても、その作品から受砂る印 象ほど独創的なものは存在しない。兄のプランウェノレが 居酒屋で「嵐が丘」の草稿を読み上げたという、「嵐が丘」 プランウェル作家説の中核をなす悪友どもの証言iとして も、単iととの事実を確認しているiとすぎない。 I筋 書 き」だけを取ってみれば...I嵐が丘」は、どくありふれ た物語的出来事の集合体にすぎないからである。つまり、肝 ト
84
エミリー・ブ、ロンテは、乙の使い古された物語素材を用 いて、自らの真ζi独創的なずィジョンを表現したのであ るo 乙とに、 「嵐が丘」の物語としてのポピュラリティ と、 「嵐が丘」解釈の第一の落とし穴の原因があるo読 者は、あらかじめ持っている物語のコンヴェンションに 従って、文字どおりに「嵐が丘」を読むために、混乱し、 最悪の場合、きわめて通俗的な解釈を創り上げるという 誤ちを犯すととになるor
嵐が丘」花、外側から既成の 文学的主題やキャラクターの原型を持ち込み、当てはめ るととで、その解釈を完成させるというのが、最もよく 用いられる方便である。しかし、 「嵐が丘」は、自らの ヴィジョンと主題を明確 iとするのに、既成のものを必要 としないのであるo是非とも強調しておかなければなら ないととは、 「嵐が丘」は、情熱の赴くままに書き上げ られた単純素朴な作品なのではなく、独自のヴィジョ ンを表現するために、真の天才に基づいて、綿密K計算 され組み立てられた作品で、あるというととであるo ヒースクリフの視点から「嵐が丘」を読む時、通俗的 な解釈に陥りやすく、ヒースクリフを中心的キャラクタ ーとして、解釈を進めて行くと、必然的iとヒースクリフ 共々、「全く情けない結末J
~L 到達するととになる or
嵐 が丘jの悲劇的ヴィジョンを認識するととができるのは、 キャサリン・アンショウを通して読まれる場合だ日であ るo キャサリンを軽視する解釈は、作品の主題と全体性 についての洞察と、その明確な表現を欠くζとになるの で、あるoセシノレの解釈が、所々に示唆iと富む指摘がある にもかかわらず、断片的であるのも、ケトルの解釈が単 純で力強いにもかかわらず、深みに欠けるのも、さらに、 両者ともとの作品の本質のそれぞれ一方しか示すととが できないのも、とれが原因なのであるoキャサリンを正し く理解できるか否かは、 「嵐が丘J
理解の試金石と言え るo したがってζの試論においては、作品分析のための中 心的構造として、プロット構造、中心的キャラクターと してはキャサリン・アンショウを選択するととになるo その根拠および正当性は、その分析の過程と結果によっ て論証されるζとになるのは言うまでもない。 キャサリンを中心的キャラクターとし、プロットを分 析する時、その転機となる第一の出来事は、 「本当にひ どい日曜」に始まるT.G.の「発見」である。 T.G.滞 在以降、キャサリンの世界は、 W.H.だげの一元的世界 から、 W.H.とT.G.からなる二元的世界へ、無垢の子 供時代から経験と分裂の大人時代へと、推移して行くと とになる。乙のプロットの展開を、キャサリンの変化をマ~零
に三 通して知る乙とになる。 キャサリンは、五週間の滞在以来、リントン家の人 達との交際を続砂ていました。リントン家の人達と一 緒にいる時は、自分の粗雑な面を見られたくありませ んでしたし、いつも変らぬ礼儀作法を目のあたりにし て、不作法を恥じる分別も生れ、キャサリンは持ちま えの人なつっとさを発揮して、心ならずも老夫婦に巧 妙に取り込み、イザベラの憧れの的となり、その兄の 魂までも捕えてしまいました。とうした成果花、キャ サリンは、始めからすっかりいい気持ちになってお りました。野心家だったのです。そして、金も嘉まろ もりなど全くなかったのですが、ダブル・キャラクタ ーを身につけるととになったのでした。(八章付点 引用者) 作品世界の二元性は、キャサリンの「タやブlレ・キャラク ター」となって現われるoW.H.とT.G.というこつの 原理が、キャサリンにとって、それぞれヒースクリフ、 エドガーによって具現化されるととは言うまでもない。 とのダブル・キャラクターの暖昧な三年閣の後花、第九 章の有名なキャサリンの告白が来るのである。とのよう に時間の流れの中にあって変化を余儀なくされ、意 iと反して、あるいは知らず知らずのうちに、ダブル・キ ャラクターを演じている限り、キャサリンはプロットζi 対し受動的であると言わざるを得ない。しかし、やがて その変化を内面化し、それを認識し、自らのヴィジョン を持つ時、キャサリンは、プロットを体現し、それを押 し進めるキャラクターとなるのであるoそのための契機 の一つが、第九章の告白である。 との名高い告自において、ヒースクリフとの同一性に ついてのキャサリンの宣言が、あまりに強烈で、印象深 いために、や争もすると、二人の熱情的な関係のみが注 目されがちであるが、作品同様、 ζの告白の場面も、そ の全体を詳細に読まれなくてはならない。まず第ーに留 意されなくてはならないのは、キャサリンの宣言が、精 神的混乱の状態でなされているという乙とである。 キャサリンの表情は、困惑し、何かを恐れているみた いでしTこ0唇は半ば聞かれ、まるで今にも何かを言い出 しそうな様子でした。キャサリンは息を吹い込みまし たが、言葉にはならず、ため息となって現れただけで したo(中略)r
ああ、ネリー。」とうとうそう言い出 しました。r
私はとっても不幸だわ。(中略〉私は自 分の秘密のために、とっても悩んでいるの。どうして~
もそれを打ち明けなくちゃならない。どうすればいいの か、知りたいのよ。J
(九章〉 乙の乙とを正しく認識するならば、 「キャサリンの言葉 はきわめて明解で論理的で、ある砂れども、同時K矛盾iと 満ちているのであるJ
(5)という].H.ミラーの言葉の 理解も、容易になるだろう。キャサリンの精神的混乱は、 外面的に描かれていた「ダブ、ル・キャラクター」という 自己同一性の混乱が、内面において葛藤となって現われ た結果である。キャサリンの告白全体は、大きな時の流 れに位置づけられ、プロット上の一つの出来事として読 まれな貯れば、真の理解は不可能であるo まず初めにキャサリンが宣言するのは、エドガーへの 愛で、あるo乙れもほかの告白同様に、真剣に語られてい るoキャサリンのエドガーへの愛を軽視するのは誤りで あるoキャサリンは、ヒースクリフ同様iζ エドガーも愛 したのであり、二人iζ対する愛の違いは、質の差であっ ても、程度の差ではない。キャサリンの夕、、ブル・キャラ クターの一方の要素がエドガーへの愛であり、時の流 れがその方に向っているととを、思い起すべきであろうo 次花、ヒースクリフとの同一性の宣言がなされるo 「すべてのものが滅び‘去ったとしても、E
二
三
b
j
I
ラが残っていれば、私も存在し続ける乙とができるわo でも、ほかのすべてが残ったにしても、ーヒースクリフ がいなくなってしまったら、宇宙全体が全くの他人に なってしまうわo私がその一部だなんて、考えられな いと思うのo (中略〉ネリ一、私はヒースクリフなの よo ヒースクリフはいつだって、いつだって私の心の 中にいるのoたしかに喜びではないわ。それは、私が 自分のととを、喜びと思わないのと同じととでしょうo そうじゃなくて、私自身の存在として、私の心の中に いるのよoJ
(九章〉 乙の宣言を前iとして、我々は、その詩的表現の強烈さに 心を奪われるととなく、キャサリンのダブル・キャラク ターを念頭iと置いて、ミラーの言葉iζ耳を傾けるととに しようo 恋人達の深遠な霊的交渉は、自分違が別々の人間で あると彼らが意識する以前にのみ存在する乙とが可 能であるように、本来語られるものではなく、ただ生 きるととができるだけのものなのである。(中略)r
私 はヒースクリフなのよoJ
と言うととができるという ζとは、暗黙のうちに、その言葉が表現しているこ人 85 郡 部 磁 器 臨 鮒 臨 zk r L d v 邑 B ' ' s ' ' ' s t i -の同一性が、実はすでに失われている乙とを認める乙と になるので、あるoキャッシーのとの言葉は、 rAはB である」という命題がすべてそうであるように、矛盾 と否定を含んでいるのである。キャッシーは、自分が とースクリフとの同一性を持っととを主張するために、 二人の分裂を告白しなければならなかったのであるP
すなわちキャサリンは、ヒースクリフとの認識論的同一 性を主張するととにより、その存在論的同一性を否定し ているととになるo存在論的同一性とは、未分裂な世界 や無垢の状態といった、エデン的理想状態でのみ可能で あり、キャサリンはすでに、自意識と経験の世界、分裂 の現実へと踏み込んでいるからであるo したがって、キ ャサリンがT.G.の滞在からW.H.へ戻り、ヒースクリ フと再会する時、キャサリンは、初めて「自己J
を客観 視したととになるのであるo キャサリンは、ヒースクリフが隠れているのを見つ けると、とんで行って酋iζ抱き付き、またたく聞に、 ヒースクリフの頬に七っか八つ、キスを与えました。 そして抱きついた手をほどくと、ふと後ろに下り、ぷ っと吹き出してしまいました。r
まあ、まあ、おまえ は何て黒くて不機嫌そうな顔をしているんでしょう/ それに何てζっけいなの、そんなにむっつりして/ で もとれはきっと、,私がエドガーやイザベラ iζ慣れてし まったからなのねoほら、ヒースクリフ、おまえは私 を忘れてしまったの。J
(七章〉 キャサリンは、ヒースクリフとエドガーの両方を愛し ているoだから、エドガーの求婚を受け入れようとする のである。r
どうやってヒースクリフと別れるととを耐 えるのか、考えましたか。それに、ヒースクリフがとの 世界iζ一人見捨てられて、どうやって耐えて行貯ばいい のかつてとともね。」というのが、大人のネリーの意見 であるo しかしキャサリンはそう考えない。r
そんな代 債を払う気ならば、私はリントン夫人iとなんかならない わoJ
キャサリンは、自分の二つの愛が同時に成り立ち 得る、成り立たなければならないと信じている、あるい は信じようとしているのである。もちろん、ネリーの常 識がとれを認めるととはない。r
あなたの話から分ると とは、あなたが結婚に伴う義務を全く御存知ないのか、 そうでなければ、よほど性悪な、無節操な娘なのか、ど っちかっていうととですよoJ
乙れが、キャサリンのヒ ースクリフとエドガーに対する態度へのー殻的な意見で あり、キャサリンの次の言葉は、ひどく子供っぽく聞と86 えざる得ないのである。「ネリ一、分ったわ、おまえは私を わがままな娘だと思っているんでしょう。でも私とヒース クリフが結婚したら、私達は乞食になっちゃうのよoそ れに比べて、リントンと結婚すれば、私はヒースクリフ を兄さんの手から助げ出して、出世させる手助けができ るのよoまったく、おまえにはそれが分らないのoJ 二つの相反する愛、無垢の状態でのみ成就する愛と現 実社会で成り立つ愛、との両方を同時に手iとするととが できる、というのが、キャサリンのイリュージョンであ るo具体的には、二つの誤りとなって現れるo一つはエ ドガーについてoキャサリンは、エドガーが「自分のヒ ースクリフに対する感情」、つまり、ヒースクリフとの イノセントな同一性を理解できると考える。もう一つは ヒースクリフについてoキャサリンは、 「私は、ヒース クリフがとうしたととは何にも分っちゃいないと思いた いのo知らないわよねo ヒースクリフは、恋をするなん てとと、知らないわよね」と言いながら、同時花、 「私 がエドガーと結婚するのは、エドガーと私自身ζi対する 私の感情を、すっぽりと包み込んでしまう人のためなの よ
J
と言う。r
私の感情J
とは、もちろん「恋をすると とJ
であり、キヤサリンは、以前同様に完全な同一性 が成り立っている時のままでありながら、同時花、エド ガーを愛する現在の自分とも同一性を持ち得るという虚 構のヒースクリフを創り上げているのであるor
ヒース クリフが、自分のエドガーに対する感情を理解できるJ というのが、キャサリンの第二の誤りであるo何故なら ば、エドガーもヒースクリフも、ネリ一同様に、キャサ リンのイリュージョンを理解するととができないからで ある。 キャサリンは、自らのイリュージョンを、タψブJレ・キ ャラクターを巧みに演じるととで、三年間保持するとと ができた。しかし、時の流れは着実に進み続け、ダブ ノレ・キャラクターに対し、決着を要求しているoそれ故、 キャサリンの「不協快な良心」が、彼女を「不幸jIとす るのである。キャサリンの宣言が、断固たるものである 反面、終止おどおどしたものであるのも、乙のせいであ るo 「ネリー、私はヒースクリフなのよo ヒースクリフ は、いつだって、いつだって私の心の中にいるのo (中略〉私自身の存在として、私の心の中にいるのよ ーーだから、もう二度と、私達が離れ離れになるなん てとと、言わないでね一一そんなζと、有り得ないん だから、ねえ一一」そ乙で言葉を切りますと、キャサ リンは、私の服のひだに顔を埋めましたo (九章〉 キャサリンがエドガーの求婚を受砂入れるととを決め ると、プロットを画す出来事が起る。ヒースクリフの失 践であるoその晩、嵐が吹き荒れ、雷鳴が轟く。τ
寄
a てっきり、雷が私どものただ中へ落ちたのだと患い ました。(中略)私も、 ζれは私達iと対する神の裁き だ、という気がしましたo私の考えでは、ヨナはアン ショウさんでしたo (中略〉しかし二十分もたつと、 嵐はすっかり去ってしまい、私達は会員無事でした。 ただ一人、キャッシーは別でした。強情をはって、家 の中へ入ろうとせず、ボネットもショウルも着貯ずに 外 iζ立っておりましたので、すっかりずぶ濡れになっ て、髪も衣服も、乙れ以上濡れようもないほどのあり 様でした。キャサリンは、入って来ると、ずぶ濡れだ ったのですが、そのまま長椅子ζi横になり、長椅子の 背の方を向いて、顔を両手でおおっておりました。〈九 章) 神の裁きは下ったのであり、ヨナはキャサリンであるo 何故なら、キャサリンは、神の摂理に反抗しているから で、あるo ヒースクリフはいなくなってしまった。客観的 iとは、キャサリンの子供時代は、完全に終ったのであるo キャサリンのかかる熱病が、それを暗示しているo キャサリンの行動が、神の摂理ζi対する反抗であるの は、そのイリュージョンが、同時に野心であり、ヴィジ ョンであるからである。キャサリンは自らのヴィジョン 一一二つの愛は同時に成り立ち得るーー乙そが、摂理で あると信じている。だから、ヒースクリフの帰還によ って、キャサリンは、自分の神と人類からの孤立が 終ったと考えるのである。r
今夜の出来事(ヒース クリフの帰還)のおかげで、私は神と人類と仲直り が で き た の よ 。 私 は 今 ま で 、 神 の 摂 理 iと対して、腹 を立てて反抗して来たのよ。ああ、とてもとても辛 く 苦 し か っ た の よ 、 ネ リ ー / (中略)でも、それも 終ったのよ。(中略)おやすみなさい一一私は天使 よ/J
(十章)ヒースクリフの帰還以降、 キャサ リ ン の 全 努 力 は 、 自 ら の ヴ ィ ジ ョ ン の 成 就 に 向 け られる乙とになる。しかし第九章以後、プロットは キャサリンのずィジョンの破滅へと動き出すのであ る。 第十一章の台所での衝突が、キャサリンのヴィジョン の破滅を決定的にするフ。ロット上の出来事となるo乙 の衝突は、ヒースクリフとエドガーとの共通の関心事で ある、イザベラの「ヒースクリフに対する突然の恋心」FF
をきっかけとしているが、との時のキャサリンの感情が、 イザベラζi対する嫉妬心ではない乙とは、もはや言うま でもないだろう。キャサリンの感情は、そんなに余裕の あるものではないのだ。同様に、ヒースクリフとエドガ ーの根本的な関心も、キャサリンが二人ζi強いている関 係ζi対する不満にあるのも明らかであろう。ヒースクリ フもエドガーも、三人の現状の関係に、決っして満足し ていない。エドガーらは自らの既成の関係を守る乙とを 望み、ヒースクリフは失なわれたキャサリンとの同一性 を取り戻す乙とを願っている。キャサリン一人だけが、 乙の偽りの平和の問、 「天使J
だったのである。キャサ リンのヴィジョンは、虚構の状況でなければ成り立たな いので、ある。ヒースクリフとエドガーは、たがいに理解 し、好きにならなくてはならない。しかしヒースクリフ はエドガーを憎んでいる。そしてエドガーは、 「キャサ リンを、あんなくだらん男と一刻たりとも話をさせてお くわけにはいかん。乙れ以上、甘やかすわけにはいかな いjと言って立ち上るのである。キャサリンは、自らの 誤りに直面する乙とになる。まずヒースクリフが、自分 の考えを主張する。 「それにあんたのととだ、キャサリンo事のついで だから、一言言わせてもらおうか。あんたに手ひと、い 自に会わされたって乙とを、との俺はちゃんと知って いるってととを、あんたに気づ、いてもらいたいのさ一 一全く地獄の苦しみだったぜ/ おい、聞いているのか い。もしとの俺が何も知らないと思って、いい気にな っているんだとしたら、あんたはとんだ馬鹿者だ。二 言、三言のおいしい言葉で、乙の俺をまるめ込めるな どと考えているんだとしたら、間抜貯もいいと乙ろだ。 との俺が、復讐もせずに泣き寝いりしちまうなん思っ ているんだとしたら、そんなととは断じてないってと とを、はっきり思い知らせてやるよ、いずれ近いうち になoとりあえずは、イザベラの秘密をわざわざお教 えいただいたととに礼を言うもせいぜい利用させて いただくこと iとするよ。あんたは邪魔しないで見ててく れればいいのさoJ 「おまえの性格花、乙んな一面があるなんて知らな かったわ。J
リントン夫人はび‘っくりして叫びましたo 「私がおまえを手ひどい自に会わせたですって一一そ れでおまえが復讐するんですって/ 一体どうやって復 讐しようっていうのよ、乙の思知らず一一体私が、ど ういう風におまえに地獄の苦しみを味あわせたってい うのoJ
(十一章〉 87 ヒースクリフが、 「狂暴で冷酷で狼のような男」である ととを知っているキャサリンにとって、ヒースクリフの 性格の驚くべき一面とは何だったのだろうか。明らかに、 ヒースクリフは、 「キャサリンの感情をすっぽり包み込 む人物」ではなかったので、あるoキャサリンとヒースク リフでは、現状の認識の仕方が、全く違っているoキャ サリンの基本的願望は、三人の現在の関係を維持すると とであり、最も恐れるととは、 「私達みんなが、ばらば らになって、いつ会えるか分らなくなるJ(十一章)乙とで あるoキャサリンは懸命にヒースクリフを宥めるが、そ 乙ヘエドガ}が入って来て、ヒースクリフに対し、屋敷 の立ち入りを禁ずる旨を言い渡すo とれに対しキャサリ ンは、 「まあまあ、私が二人にしてあげた親切が、何と もうれしい報いを受貯たものね。一方は弱虫で、一方は 悪党。そのニ人を今まで、ず、っと甘やかして来てあげたっ て言うのに、まあありがたいととに、そのお返しに、恩 知らず、の見本を二つ頂けたってわけねo馬鹿馬鹿しくっ て、気が変になるわ/J
(十一章〉と反論する。しばし ば指摘されるキャサリンのエゴテイズムは、自らのイリ ユ}ジョンζi対する、彼女のイノセントな信念に根ざし ているのであるoキャサリンはネリーに、 「今度のとと で、私は全く悪くないってととは、おまえだって知って るわよねJ
とさえ言うのであるoしかしエドガーのJ
君 は今後、ヒースクリフを捨てるか、さもなければ、乙の 僕をあきらめるかだ。君が、長と£ゐ嘉と、同時に仲良 くするのは不可能なんt~'o さあ、どちらを選ぶのか、是 非ともはっきりさせてもらいたい。J
(十一章〉という 決定的な宣告が、キャサリンを狂乱の状態へと追い込む ととになる。 「おまえのずィジョンは不可能なのだ」ととの世の無 慈悲な法則が言っているoキャサリンは乙の時、ヒース クリフとエドガー、子供時代と大人時代、小宇宙の二つ の原理であるW.HとT.Gから孤立してしまうoすでに 後戻りは出来ない以上、 「神の摂理ζi対する反抗」の結 果である孤立は、キャサリンを「第三の世界」、すなわ ち「死」へと導く乙とになるo 第十二章の狂乱の場で、キャサリンは運命を認識する。 まず初めに、キャサリンは自らの真実の姿を知る。 「夜だってととも、ちゃんと分っているわoそれに、 テーブルの上にロウソクが二本あって、それで黒い戸 棚が黒玉みたいに、キラキラ光っているとともねoJ 「黒い戸棚で、すって。どとにあるんですか。寝ぽ貯 ているんですよ/J
「壁のととろよ、いつもどおりじゃないのoでも変88
だわーーだって中K顔が見えるんですものoJ 「との部屋iとは、戸棚なんでございませんo前から ずっとありませんよoJ 「ねえ、おまえには、あの顔が見えないの。」真剣 に鏡をのぞき込みながら、キャサリンは言いました。 (中略〉私は立ち上って、鏡をショウノレでかくしま した。 「まだあの陰にいるわ/J
すっかりおびえておりま した。r
ああ、動いたわ。一体誰なの。おまえが行っ た後で、出て来たらどうしようO ああネリー、との部 屋は幽霊が出るのよo一人でいるのはとわいわoJ
「誰もいやしませんよ。あれは丞走元Z
面白身ですよ、 リントンの奥様o さっきまで御存知だったくせlζ。J 「私自身で、すって」キャサリンは苦しそうに言いま した。「ああ時計が十二時を打っているわ/ それじゃ、 本当なのね。私、とわいわ/J
(中略〉 「まあ、まあ、一体どうしたっていうんですか。全 く臆病者になってしまってo目をさまして下さいな/ ζれは鏡ですよ、いいですか、鏡なんです、リントン の奥様。そして中花見えているのは、あなた御自身の 顔なんですよ。ほらね、あなたの側iζ 、私が映ってい るでしょう。」 気を動転させ、ガタガタ震えながら、キャサリンは、 私lζ しがみついておりました。が、恐怖は次第に、そ の表情から消えて行きました。(十二章) 現実を映し出す鏡が、キャサリンをイリュージョンの世 界から現実へとヲ│き戻す。ネリーの「それはあなた御自 身ですよ、リントンの奥様」という平凡な言葉が、劇的 効果を帯びて来る。自らの虚構の姿を失って初めて、キ ャサリンは自分のイノセンスの状態が失なわれた乙とを、 認める乙とになるのである。 「ネリ一、私が考えたととをおまえに話すわね。何 度も何度もくり返して考えて、しまいには気が変にな ったんじゃないかと,思ったほどなの。(中略)私は、自 分が嵐が丘の樫のはめ板のベッドにいるんだと思ったo 私の心は、たった今回ざめたばかりの何か大きな悲し みで疹いているんだけど、それが何なのか思い出せな かった。一体何なのかしら、といろいろ思い巡らして みたわo本当に奇妙なんだけれど、との十二年間の私 の人生が、全く空自になってしまって、その聞に何が 起ったのか、何ーっとして,思い出せなかったo私は子 供だった。父さんのお葬式が済んだばかり。私の悲し みは、ヒンドリーの命令で私がヒースクリフと引き離 された時から、始まったの。初めて一人で寝かされて、 一晩中泣き明かした揚句、重苦しいまどろみから目を 覚まして、私ははめ板を開けようとして、手を伸し元。 そうしたら、手があのテープルにぶつかったの.ノ・織強 をなでていたら、記憶がさっと蘇って、底知れぬ絶望 の思いが襲って来て、それまでの悲しさなんて吹き飛 んでしまったわoどうしてあんなに激しく惨めな気持 ちになったのか、分らないわ一一きっと一時的な錯乱 でしょうねO だって、はっきりした理由なんてないん ですもの。でも、十二の時花、嵐が丘から、子供の時 iとなじんでいたものから、そしてその時私の全てだっ たとースクリフから引き離されて、あっという聞にリ ントン夫人、スラッシュクロス・グレンジの若奥様、 見も知らぬ人の奥さんに変えられてしまった。その時 から、在は、子供の時の世界からの追放の身、流浪者だ ったのよoJ (十二章) 「十二才」とは、ヒースクリフ失践の年でもエドガーと の結婚の年でもなく、初めてT.G.
を知った年であるo キャサリンは、 「失われた」子供時代を求めて窓を関貯 る 。 そ れ は 同 時ζ 「生きる機会J (十二章)を求めるi ととでもあるo 「もう一度、少女になれたらいいのになあo野性の ままで、元気一杯の、自由な少女i乙なれたらなあoひ どい仕打ちも笑い飛ばして、決っして苦しんだりしな いのよ/ どうして私は、乙んなに変ってしまったのか しらoちょっと何かを言われると、どうして乙んなに 血が乱れてしまうのかしらoあの丘のヒースの中へ行 げば、きっとまた、昔のままの自分になれるはずだわ。 もう一度窓を開けてちょうだい。聞けたままにしてお い て / 早く、何をぐずぐずしているの。J
(十二章) しかし、現実のW.H.が窓から見えないように、再び 「少女J
!C戻るととは不可能であるから、キャサリンは 必然的iζ 「死J!C直面せざる得なくなる。 W.H.はギマ トン墓地のむ乙うに存在するのであるo次の引用は、同 時に死後の予言となっているo 「嵐が丘へはきびしい道のりだ、わ。行乙うとする気 持ちはくじかれてしまう。それに、あそとへ行くには、 ギマトン墓地を通って行かな』ずればならな~)わねO よ く幽霊なんか怖くないって言っては、墓地のまん中ヘ 立って、幽霊出て来い、なんて言ったわねoでもヒー‘ , Z S 6 8 L ・ , . 巴 z f -k ・ 、 ー ュ F } ζ乙で言う、 「あの輝かしき世界
J
とは一体何か、いか なるものであろうか。とれは明らかに、キリスト教の天 国とは違う。何故なら、ネリーがとう付け加えているか らt
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キャサリンが、人聞の肉体とともに、人聞の本 性をも捨でなければ、たしかに天国は彼女にとって、 追放の地であるのももっともだと思いましたoキャサリ ンの今の表情は、青白い頬iとも、血の気の失せた唇にも、 ギヲギラと輝く自にも、激しい執念にも似た感情が、燃え上 っておりました。J(十五章〉それが何かを知るためには、我 我はこの作品の後半を読み進めなければならないのである。 89 'クリフ、私が今、おまえにやってごらんと言ったら、 υおまえにその勇気があってo もしおまえにその気があ るのなら、私はおまえを離しはしないわo私はあそ乙 i乙、一人きりで寝たくないの。私は十二フィートの深さκ
埋められて、上から教会を載せられたって、おまえ が私のととろへ来るまでは、安らかに眠ったりしない わよo決っしてするものですか/J
(十二章〉 ヒースクリフではなく、キャサリンiと従って読み進ん で行くと、プロットはその悲劇性を明らかiとする。乙れ は、キャサリンとヒースクリフとの悲劇的主人公として の、質の違いによるものである。キャサリンは、プロッ トの進展を自らの変化とし、その反抗と死によって、そ の悲劇性を明らかiとするととができるのに対し、ヒース クリフは、とうした内的変化とそれに伴う運命の認識を、 トラジツク・ヒーロー 決定的に欠いている。悲劇的主人公としてのヒースクリ フの第一の特徴は、主人公が持つ他の作中人物iと優る認 識能力を、欠く点にあるのである。 「とれでやっと分ったぞ、。あんたがどれほど残酷だ ったかー残酷で不実な女だったかって乙とがなoど うして、乙の俺を軽蔑したんだ己どうして、自分自身 のJむを裏切ったんだ、キャッシーo俺は愚めの言葉な んか言わないぞムあんたは当然の報いを受けたんだ。 あんたは自分で自分を殺したんだぞーそうさ、俺にキ スするがいい。泣き叫ぶがいい、俺からキスと涙をし ぼり取るがいい。いくらしぼり取ったととろで、あん たを傷つ妙、呪うだ砂だからなoあんたはとの俺を愛 していたんだーーで一体どんな権利があって、との俺を 捨てたんだ己一体どんな権利だ、さあ答えてくれ。リ ントンの馬鹿に、つまらぬ浮気心を起したからなのか。 いかなる惨めさも、堕落も、死も、神や悪魔が押しつ 砂るいかなるものであろうとも、俺達を引き裂貯ゃし なかったんだ己あんただ、あんたが自分の意志で、そ うしたんだー俺があんたの心を破ったんじゃない一一 あんたが自分でそうしたんだ一一自分の心を破って、 その乙とでとの俺の心を破ったんだ己J
(十五章〉 キャサリンの認識は乙の時点で完成する。すでにキャサ リンは、第二の世界に属していない。何故なら、イリュ ージョン無しに、現実世界で自らの存在を維持するとと が、キャサリン iとはできないからである。現実世界、一 般的人閣の代表者であるエドガーに、キャサリンを引き 止める乙とはできない。キャサリンはエドガーに言う。 「あなたの御本のと乙ろへお帰りなさい。あなたに慰め るものがあってよかったわ。あなたが私の内に持ってい たものは、全て無くなってしまったので、すから。J(十二章) エドガーのみならず、ヒースクリフもまたキャサリン を救うととはできない。ヒースクリフはキャサリンを理 解する乙とができないからであり、認識においては、彼は エドガーやネリーと同じ俗界に留まるからであるo第一 世界ヘ戻れぬ以上、ヒースクリフもまたギマトン墓地を 越えなくてはならない。最後の会見において、キャサリ ンは現実のヒースクリフ花、イノセントな同一性を取り 戻すととを断念せざる得ないのであるo 「ああ、分った、ネリー。乙の人は、私がお墓に入 るのを引き止めるために、ほんのちょっと、優しさを 見せるのも嫌がっているのよo私を愛しているってい っても、とゐ定度だったのよ/ いいわ、かまわない わ。乙れは私のヒースクリフじゃないんだから。私は 私のヒースクリフを愛し続けて、一緒iζ連れて行くわ一一 私のヒースクリフは、私の心の中にいるのよ。J(十五章) しかし、エミリー・ブロンテにとって、死は単なる否 定ではない。キャサリンは死について、自らのヴィジョ ンを語るo 乙れは、アーノJレド・ケトノレが言うような「倫理的情 熱d,(7~などでは決っしてなく、ヒースクリフの悲劇的主人 公としての限界を示すものである。意識の程度から言え 「結局、一番うんざりさせられるのは、との虐いた げられた肉体という牢獄だわ。もう乙とに閉じ込め られているのはうんざり、うんざりだわo私は、あの 輝かしき世界K入り込んで、ず、っとそとにいたくて仕 方がないわ。涙ににじんで、虚ろに見つめたり、痛む 心の壁越しに憧れたりするんじゃなくて、それと一体 となり、その中に入り込むのよoJ
(十五章〉. 90 ば、ヒースクリフはネリーやエドガーを決っして上回る ととはない。ヒースクリフは、自分の貧しさと醜さ故に キャサリンζ 「振られた」と考えており、帰還後も、キi ャサリンの自分iと対する気持ちか分らずに、キャサリン の顔色を窺う。ヒースクリフが、キャサリンが自分を愛 していると確信するのは、最後の抱擁によってであり、 その結果が前の長広舌である。したがって、キャサリン の悲劇をヒースクリフの視点、から読めば、単なる感傷 的恋愛物語になってしまい、キャサリンの誤りは、富と 社会的地位と外観的美貌 iと目が舷んだとととなり、キャ サリン自身は、二人の男を弄ぶ小悪魔的女性あたりに落 ち着くととになってしまうのである。 悲劇的主人公としてのヒースクリフの第二の特徴は、 その受動性である。キャサリンが言うように、ヒースク リフはいつも彼女の後をついて来るのであり、彼の存 在と行動とは、常iとキャサリンとの関係によって決定さ れるので・あるo乙うした欠点にもかかわらず、ヒースク リフが悲劇的主人公たり得るのは、彼がキャサリンと同 じ同一性の感覚を持ち、(8) その喪失を苦しみ、それが何
下
事
ニア・ウルフが言うように、たしかにエミリーは、「大い なる混沌iζ 引き裂かれた世界を見つめていたJ
仙のである。 もしヒースクリフが、埋葬直後のキャサリンの墓の前 で死んだのならば、あるいは、ヒンドリーを蹴倒してキ ャサリンの部屋iと入り込み、翌朝、ネリーが発見したよ うに、イザベラによって死んでいるのを発見されたなら ば(すなわち、との小説の後半が書かれなかったならl功、 「嵐が丘J
は純然たる悲劇で終ったであろうo しかし、 エミリーは、ただ単iζ 「大いなる混沌iと引き裂れた世界 を見つめていたJ
だけではない。ウルフは続けて言うo 「そしてエミリーは、自らのうちに、小説内においてそ の世界を結び合せる力を感じていたのt
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ζの大いなる 野望は、小説の至るととろで感じられるo登場人物遠の 口を通して何かを言おうとする、半ば挫けかげではいる が、たしかな確信iζ満ちた努力が小説の至るととろで感 じられるo (中略) [j"我ら人類は………』とか、『故、永 遠の力は………』とか。しかし、その言葉は途中で終っ ているのであるoJ
(1)0ある意味で、ウルフは正しい。何 故なら、そもそもエミリーの「大いなる野望」は、キャ たるかを認識するととはないものの、その失われた同一 サリンが自分の秘密を明確に言うζとができないように、 性を取り戻そうとして、超人的な奮闘を行うからである。 登場人物の口を通して表現する乙とができないものだか すなわち、ヒースクリフの人並みはずれた妄執と苦闘乙 そが、彼をして悲劇的主人公たらしめるので、あるoキャ サリンが「意識J
の悲劇的主人公であるのに対し、ヒー スクリフは「行動J
の悲劇的主人公であるoキャサリン が乙の作品の主題を明らかにするのに対し、ヒースクリ フはそれを実現するのである。道徳的認識能力を含む一 切の認識能力から白白そ£急ととが、うよ言C
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主人公とし てのヒースクリフの特異性であり、彼が小説の枠をはみ 出す一因となっているo 通常の恋愛悲劇は、現実社会における種々の原因 (社会的、政治的、歴史的、倫理的、宗教的、個人 的等〉による、恋人達の結合の困難さ、不可能さを通し て形成される。しかし、キャサリンとヒースクリフの 「恋愛」悲劇は、みろそli1i主:Ò~~~会場 C そふ fc.,ifゐ理 想的結合、理想的世界、理想的存在が、宿λゐ歳長 I~鼻 って(則ち、時の経過に伴って)、失なわれる乙とによっ て生じる。乙のため、乙の悲劇はエデ‘ンの喪失を象徴し、 キャサリンがヒースクリフを「自分を超える自分の存在J
と呼ぷ時、キャサリンの悲劇は、人間存在の本質に関わ る普遍性を得る乙とになるのである。人聞は真の存在を 喪失し、孤立し苦しまねばならないというのが、キャサ リンの悲劇的認識である。キャサリンのプロットは、乙 うした現実認識の劇化にほかならない。そして乙れは、 エミリー・ブロンテの悲観的現実観でもある。ヴァージ らである。したがって、 「大いなる混沌iζ 引き裂かれた 世界」を結び合せる「大いなる野望」を実現するプロッ トを構築する場合、いかなる社会的背景も持たないヒー スクリフが、理想的で好都合なキャラクターになるので ある。彼は、神の摂理について何の観念も持たず、社会 的、宗教的倫理感化拘束される乙ともなく、ただ単に自 らの天国を求めて、何も考えずに奮闘する乙とができる からである。またヒースクリフの乙うした意識の欠除乙 そが、そのアモラリティの源となっているのである。 エミリーの「大いなる野望」は、キャラクターよりも 大きな媒体によって表現されていると、私は考える。 E 「嵐が丘」の結末をいかに読むかは、解釈上の難問と なっており、我々が作品全体と解釈しようとする時、ミ ユアーが言うように、 「きわめて重要」で、避けて通れ ぬ問題である。 ミリアム・アロットは、その論文「ヒースクリフの拒 絶 ?J
(1)ζおいて、との作品の前半と後半の違いに着目I し、結末の二元的構造の解明を試みている。アロットに よれば、乙の違いは、エミリーの「まさK個人的な問 題J
、すなわち「エミリーの心と頭の相対立する葛藤J
が、!
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91 その原因となる。前半のキャサリンとヒースクリフの世 お屋敷の猟園を出るととはありませんでした。亘那様 界はエミリーの「感情J
を表し、それがあまりにも強 に連れられて一マイルほど外へ出た乙ともありました 烈であるため、我々に「パイロンのマンフレッドやカイ が、それもどく稀なととで、したし、旦那様は、自分以 ンJ
という「不吉な連想」を呼び起してしまうoそのた 外の人に預貯るようなととは、決っしてなさいません め、前半を書き終えた時、エミリーは、自らの「より穏 でした。ギアトンも、キャサリンの耳iζ は、全く現実 やかな要素jの要請を聞くととになるor
その答はやっ 味の無いもので、自分の屋敷を除けば、出入りをする かいである。との作品の後半は、代急~~精神的な寄り 建物と言えば、教会ぐらいのものでした。嵐が丘もヒ 拠を検証し、別の問題を提起しているoすなわち、嵐の ースクリフさんも、キャサリンにとっては、存在しなかっ. 価値観が危険であり望ましくないものであるなら、嵐の たのでした。キャサリンは完全に世間から切り離されて、 ~6!C そ受け入れなければならない凪の本質とは、ー それで完全に満足しているようで、したo く十八章〉 体いかなるものか、という問題である。}
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付点引用者〉 そ乙でエミリーは、頭の判定を書いたのである。アロッ 乙の点で、第二キャサリンは、第一キャサリンと同じ状 トによれば、 「その分だけ、エミリー・ブロンテの小説 況にあるととになるo しかし、乙の後二人のキャサリン は、宣活白羽定幸下しているととになる」ω
のであるo は、全く対照的な軌跡を辿るととになる。第一キャサリ しかし、エミリーの感情は、第二十九章で、ヒースクリ ンは、大人の世界に入り地上の幸福を失う。乙れに対し フがネリーに対し、キャサリンの棺を開けた乙とを打ち て第二キャサリンは、自足的な子供時代を脱砂出るとと 明砂るととろで復活する。そのため、結末は明らかにヘ によって、地上の幸福を手iと入れるととになる。まさに アトンの勝利で、終っているものの、エミリーの心と頭の 第二プロットは、子供時代を脱け出したいという、キャ 葛藤は未解決のままなのである。 サリンの欲求iと従って展開されるのである。乙の欲求は、 しかし、その結論にもかかわらず、アロットは二つの ペニストン・クラッグズに対する憧れ主して、象徴きれ 価値観を、たがいに独立しいず、れか一方を選択しなけ るoそれ故、キャサリンが、ペニストン・クラッグズへ ればならぬものと考えているため、その論調は、結末に 行く途中で、リントン・ヒースクリフよりも早くヘアト おいてヘアトンの勝利を主張する批評家のものと、事実 ンに会うという事実が、重要なのである。 上変らないのであるo私は、アロツトの論証および結論 ζのニ人の間iにとは、恋の障害は何ら見い出せなLい、、o障害 がすぐれたものであるとは決つして思わないが、その が現れるのlはま、キヤサリンがネリ一 iにと連れられて帰ろ 作品構成の分析自体は、一考の価値があると思うoさら うとする時である。 i ζ重要なととは、セシルがW.HとT.G.との対立に当て はめた「嵐Jと「凪」を、アロットが作品の前半と後 「ねえ、私の馬を連れて来てよ」と、キャサリンは、 半との対立にも、適用している乙とであるo 自分のいと乙とも知らずに、お屋敷の馬丁の一人に言う アロットは、前後半の違いを「自然のイメージ」を対 ように、ヘアトンに言いつ砂ましたor
おまえも一緒 照することで明らかにしたが、乙乙で、はそれをプロット に来るのよ。私は、お化けの猟師が招から這い上つて の分析を通して行う乙と iとする。プロットに着目すれば、 来るのが見たいし、それからおまえが言うヨーシエー アロットの「心と頭の葛藤」の代りに、ある種のダブル (妖精〉の話も、もっと聞きたいから一一ねえ早くし ・プロットが手に入る乙とになる。 てよ。どうしたっていうの。馬を連れて来なさいって、 第十八章から、ネリーは第二キャサリンについての新 しい物語を、語り始める。乙の物語は、キャサリンが ペニストン・クラッグズヘ行く途中でヘアトンに会うと とに始まり、二人の結婚が約束される乙とに終る。キャ 私は言っているのよ。J
(十八章〉 第一の障害は、キャサリンの偏狭きである。乙れが階級意識 などではなく、単に子供っぽい世間知らず、未熟きである という乙とは、次のキャサリンの言葉からも分る。r
でもエ サリンとへアトンの「正当なJ
結婚をゴールとして、プ レンoどうしてとの人は、私iと乙んな口のきき方をする ロットを考えると、第二プロットが明らかになるのである。 のかしらo私の言うとおりにしなくちゃいけないんじゃ 第二フ。ロットも、第一プロット同様、一元的世界から なくてo意地悪、おまえが私に言ったととを、みんなパ 始まるo パに言いつ砂てやるから一一見てらっしゃい/J
(十八 章)(3)キャサリンの無知は、甘やかされた子供のそれで、あ 十三の年になるまで、キャサリン嬢さんは、一人で り、その偏狭さは彼女が閉じ込められているT.G.のそ石 B p t
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・ ぃ i l l i t -- 92 れであり、ともにエドガーの父親としての溺愛が、その源 となっているo したがって、エドガーとそが第一の障害 であると言うべきかもしれない。何故なら、キャサリン を子供時代にとどめようとするのはエドガーであり、キ ャサリンは、 「私は、パパ以外の人は誰も決っして愛し たりしないわ」と言うからである。 第二の障害は、リントン・ヒースクリフで、あるoキャ サリンとリントンのロマンスは、キャサリンとへアトン の正当な組み合せを遅らせ、一時は乙ちらの方が正当で あるかのような印象さえ与えるが、ヒースクリフの「強 欲で冷酷な計画J
が表面化するに従って、その欺踊性が 明らかになって行く。乙のリントンとのロマンスもまた、 キャサリンの未熟さの表れである。 乙の偽りの恋愛が、そのクライマックスへ近づいて行 くと、最大の障害である I色黒き悪党」が姿を現わすo とのクライマックスは、エドガーの死によって完成され、 ヒースクリフの勝利となり、キャサリンは、ハッピー・ エンディングが予想困難な悲劇的状況に陥る乙とにな るo とれが小説冒頭、ロックウッド滞在中の状況であり、 続いて語られるネリーの第一キャ.サリンとkースクリ フの物語の雰囲気と、合致するので‘あるo ロックウッド再訪時のネリーの最後の語りにおいて、 プロット上に初めてハッピー・エンディングへの動きが 現れるo二つの障害は、すでに二つの死によって取り除 かれ、また内的障害であるキャサリンの未熟さも、彼女 の歳長 IC::土二そ(則ち、時の経過によって)、除去されて いる。乙の意味で、第二プロットは、十九世紀写実主義 小説の多くがそうであるように、教養小説の要素を含ん でいる乙とになる。「成長J
の持つ意味が、第一フ。ロットと 第二プロットでは正反対であり、その意味では第二プロ ットの方がより「小説的J
と言えよう。キャサリンの成 長において、反T.G.的要素であるへアトンやヒースク リフとの接触は、教育的意味を持っていたのである。し7
こがって、ヒースクリフの復警は、キャサリンの成長iζ重 大な役割を果したととになる。たとえば、 キャッシー嬢さんが知っている悪業は、せいぜい御 自身の気の短かさや軽率さから、わがままを言ったり だだを乙ねたりするぐらいの、細やかな乙とぐらいで、 それにしても、その日のうちにすっかり後悔してしま うのが常でしたから、何年もの間復讐の執念を燃し続 け、良心の苛責も感ぜずに、用意周到にして冷静にそ の企てを実行して行くといった精神の邪悪さを知って、 すっかり驚いてしまいましたo今まで考えた乙とも、 教えられたζともない、人閣の本性のとうした一面に 新たに目を聞かれ、ひどい衝撃を心に刻み込まれた操 子でした。(二十一章) その上ヒースクリフは、キャサリンから、文字どおり T.G.を取り上げてしまうので、あるoしたがって、最大 の障害(ヒースクリフのヒンドリーに対する復讐には、 二人の結婚の妨害が含まれている〉が、皮肉にもキャサ リンの成長を促し、障害を取り除き、ハッピー・エンデ ィングを創り出す乙とになるのだム事実、第二フ。ロット のハッピー・エンディングは、ヒースクリフの自滅的な 死によって完成されるのである。キャサリンとへアトン は、タナボタ式1c::W.H.とT.G.、および全ての動産を 手花入れ、二人の結婚は、新しく素晴しき世界を約束す る「新年の日JK、行われるととになるのである。 第一プロットと第二プロットの違いは、ネリーの語り の視点iと負うと乙ろが大きい。ネリーが第十八章で「次 の十二年間は、私の最も幸福な時でした」と語り始める 時、乙の物語は最愛のキャサリンの物語なのであり、ネリー の同情は、キャサリンとエドガーの側に寄せられ、語り の視点と価値観とは、完全にT.G.のものとなっている。 前半のキャサリンとヒースクリフの恋愛物語においては、 ネリーの同情は、あくまでもキャサリンとヒースグリフ の側にあった。キャサリンの死後でさえ、林の中で苦闘 するヒースクリフに対し、ネリーは同情するととができ たのであるoつまり、第一プロットと第二プロットとでは、 語りの視点は、 W.H.とT.G.聞において、逆転してい る乙とになるo第二プロットにおいて、ネリーは始めか らヒースクリフを主役ではなく「ヴィラりとして語って いるのであるつまると乙ろ、c
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ま防〉つ乙うの物語」なのだ。 同様に、第一プロットにおけるW.H.とT.G.との関係 は、第二プロットにおいて逆転する。ネリーが、キャサ リンの「完全に世間から切り離された」状態とキャサリ ンをT.G.の外側iと出すととに対するエドガーの懸念に ついて語るにつれて、 T.G.は「聖域」的性格を帯びて 来る。乙れは、キャサリンがミニーに乗って越えて行く 「垣根」と、木から外側i乙降りた時iζ ヒースクリフと遭 遇するζとになる「外壁J
の存在によって、強調されるo そのT.G.が、ヒースクリフの陰謀iζ曝されるととにな るoつまり、第一プロットにおいては、擁護すべき一元 的世界はW.Hの方であり、 ζれに侵入する異質な原理は T.G.の方であったのに対し、第二プロットにおいては、 侵入者はW.H.の方になる。つまり前半と後半とでは、 物語の中心的価値観、原理が逆転しているのである。 前半と後半iとお貯る二つの世界の原理の違いは、二つのフ。ロットの違いと一致しているo仮にプロットだけを 考えるならば、第一プロットは悲劇的プロットであり、 第二プロットは岳劇的プロットであるo二つのプロット における時の流れが正反対になるのは、したがって当然 で、一方は地上の幸福の必然的な破局と主人公の死をも たらし、一方は地上の幸福の成就と一組の結婚をもたら す。さらに単純化するならば、二つの世界の違いは、悲 劇と喜劇の違いであり、悲劇的原理(超越的原理〉と喜 劇的原理(内在的原理〉の違いであると言えるo第一プ ロットの「嵐のキャラクター