ラウンの経営政策と実践
著者
幸田 浩文
著者別名
Koda Hirofumi
雑誌名
経営論集
巻
37
ページ
79-109
発行年
1991-03-30
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005712/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaグ レ ーシャー計 画 とウィル フレ ッド ・
ブ ラウン の経営政 策 と実践
幸 田 浩 文
目 次 はじめにI 。組織内社会集団の経営政策に対する反応II. 賃金政策の組織への影響 と生産性測定への抵抗Ill 。経営政策への社会的・経済的環境からの影響IV. ブ ラウンの経営政策への経営管理思想からの影響 むすびにかえて 79 は じめ に こ れ まで わ れ わ れ は,1948 年 か ら17 年 間 に わた り英 国 のグ レ ー シ ャゞ 金 属 仝 社(TheGlacierMetalCompany )がタ ヴ ィ スト ッ ク 人 間 関 係 研 究所(TheTavistockInstituteofHumanRelations ) と共 同 し て実 施 し て き た,業 務 組 織 と合 理 化 計 画 に つ い ての 一 連 の共 同 研 究 で あ るグ レ ー シ ャ ー 計 画 (TheGlacierProject ) を, 経 営 管 理 論 と経 営 組織 論 の 史 的 展 開 の 中 で 取 り上 げ て きたl)。賃金交渉 過程で みられる労使紛 争の解決策 を模索 す る とい う目的 を もっ て開 始さ れたこの研 究 は, とくに西ロンドン郊外 のアルパ ート ン(Alperton )にあ るロ ンドン工 場 を中心 に展 開さ れた。同工 場は,代表 的 な2 人 の人物,同 社社長兼会長 の ウィルフレ ッド・ブ ラウン(WilfredBrown )2)と調 査 団 の リーダ ー で あ るエ リ オ ット ・ ジャ ッ ク ス(E1110ttJaques )の 知 的 好 奇 心 とあ い まっ てノ 産業 心 理 学, 社会 学 , 経 営 管 理 論, さ ら に は経 営 組織 論 的 研 究 に関 す る一 大 実 験場 と 化 す。 まさ に, こ の グ レ ー シ ャ ー 計 画 は米 国 の 「 ホ ー ソ ン(工 場 )実験 」 に匹 敵 す るほ ど大 規 模 な もの となっ た。 こ の計 画 は 長 期 に及 ぶ もので あ るが, その 実 験 経 過 ぱ 目的 と内 容 に よっ て,1948年 か ら1951年 まで の 第1 段 階 と,1952 年 から1964年 まで の 第2 段 階に分 けられ る。 まず最初 の期 間で は, ①工場 の社会構 造 に影響 を及ぼ す心理的 ・ 社会的 な諸力 につ いての研 究 と, ②工場 協議 会 に関す る調査 が行 われた。 次 の段階で ぱ, ①仕事 それ自体 の構 造 についての研究 と, ②仕事役割 の特質 と その役割 の金銭的価値 との 関係 につ いての研 究が実施 さ れた。 だ が調査 内容 をみて もわか るように, 第1 段階 と第2 段 階で は その内 容が質的 に異 な る。 す な わち, 人間関係論的 な もの か ら課業論的 な ものへ切 り替 わっ てい る。 そ れぱ社長で あ るブ ラウンの経営実践 に関 する政 策変更 の反映 だ と考 えられる。 小稿 は,同 社の経営 や組織 につ い ての政策 の変更の背景 を明 らか にし, そ れが経営 者ブ ラウンの経 営管 理・組 織概念 に どの ような影響 を与 えた かを検 討す るこ とを目的 としてい る。 その ためには, ①グ レー シャー計画 の研究成 果 ぱ もちろ んのこ と, ② 当時 の英 国 の社会的 ・経 済的環境, さ らに③当時支 配的であっ た経営管理思 想 からの影響 も考慮 す る必要があろ う。 そこで まず最初 に, われ われは,工 場 内の産業 社会集団 の動向 につ いて, とくにグレ ー シャ ー計 画の 第1 段 階で みら れる彼 らの賃 金交渉過程 に関 す る 産業 心 理学的 な研 究の成果 から考 察 す る3)。次に社会的 ・経済的環 境 か らの影 響 つ い て,戦後英 国政府 の労 働政 策 の基本方針 の1 つで あ る完 全雇用 維持政 策を取 り上 げ る託 して最後 に当時 の人 間関係論的色彩 の濃い,産業 民主主 義, 労 働者 参加, モ ラール の向上 といっ た概 念や経営管理思 想のブ ラウン への影 響 につい て も言及 す るこ とにす る。 注 1 )①拙稿「グレ ー シャー計画 の特質 と 弓の経営 組織 論史上り 章義 一ウ ィル フレ ッ ド ・ブ ラウンの所論 を中心 として ー」『経営論集』第27 号,東洋大学 経営学 部,1986 年,pp.33 ∼66. こ れはブ ラウン の組織概 念を中心 にグレ ーシャ ー計 画の概 要 を ま とめた もので あ る。②拙稿「 心理学的均衡概 念 と公正理論」『現代 経営 学 説 の探求』第6 章,中央 経済社,1988 年,pp.162 ∼197, こ れは ジャッ ク スの ゛公 正 仕事 給概 念″ を 中心 にグレ ー シャ ー計画全般 につ いて まとめた もので あ る。 ③拙稿「組織 と政 策 の変化 による労働 移動プ ロセ スへ の影響 −グレ ーシャー計 画 前史:1899 年 ∼1948 年 −」『経営研 究所論集』第14 号, 東洋大学経営 研究所,1991 年3 月出版予 定。こ れはタヴ ィ スト ッ ク調査団 によ る最初 の報告 書に依拠 し,グレー シャー金属会 社 が当時 どの ような問題 を抱 えていたかを明 らか にし よ う とした も。ので あ る。
グレ ーシャー計 画 とウィルフレ ッド・ブ ラウン の経営政 策 と実践812 ) こ こ で ウ ィ ル フ レ ッ ド ・ ブ ラ ウ ン の 経 歴 に つ い て 若 干 触 れ て お く こ と に す る。 彼 は,1908 年 に ス コ ッ ト ラ ン ド で 生 ま れ, ロ サ ー ノU・ ス ク ー ル 卒 業 後 , グ ラ ス ゴ ーで の 事 務 や 販 売 の 職 を 経 て1931 年 に グ レ ー シ ャ ー 金 属 会 社 に 入 社 し た 。l935 年 に同 社 が 公 企 業 に な る と同 時 に 経 営 陣 に加 わ り,1939 年 に 取 締 役 社 長(managingdirector )兼 会 長 と な り 全 権 を 引 き 継 く≒ 進 歩 的 経 営 の 実 践 ,人 間 関 係 論 に 関 す る最 新 の 手 法 の 導 入 な ど に 尽 力 し,1964 年 に は 長 年 に わ た る 業 績 が 認 め ら れ マ ク リ ハ ニ ッ シ 男 爵 の 称 号 (SirBrown ) を 授 か る。 同 社 が ア ソ シ エ ー テ ッ ド ・ エ ン ジ ュ ア リ ン グ ・ グ ル ー プ(AssociatedEngineeringGroup )に 吸 収 さ れ た 後 は , 子 会 社 の 社 長 と 親 会 社 の 取 締 役 を 兼 任 し , そ の 後 , 輸 出 担 当 大 臣 (theMinistryofStateattheBoardofTradewithspecialresponsibilityforexports −1965 ∼1970 年 ) や ブ ル ネ ル 大 学 (BruneiUniversity ) の 副 総 長 (Pro-Chanceller )を 歴 任 す る 。 ま た,1970 年 に は 枢 密 院 議 員 に も な っ て い る 。 こ の よ う に ブ ラ ウ ン は 長 年 に わ た っ て 経 営 者 さ ら に は 政 治 家 と し て 労 使 関 係 問 題 に 携 わっ て き た の で あ る。彼 の 経 歴 に つ い て は 主 と し て 次 の 著 書 を 参 照 し た 。WilfredBrown,TheEarningsCo がlict:ProposalforTacklingtheEnter.Henemann,London,1973.3 )I 章 で は丿 たグ レ ー シ ャ ー 計 画 に つ い て の 報 告 書8 篇 の 中 か ら 労 働 移 動 に 関 す る5 篇 を 除 く3 篇 の 資 料 を 中 心 に 検 討 す る。 な お 労 働 移 動 プ ロ セ ス の 統 計 学 的 分 析 にっ い て は 拙 稿 『 前 掲 論 文J1991 年 に 詳 し い 。 I. 組織内社 会集団 の経営政 策に対 する 反応 山 グレー シャー計 画 に至 る背景 グレーシャー金属 会判:は,1899 年 に2 人 の米 国人 によっ て創業 さ れた, ベ アリング と軸受 用 のホ ワイト・ メタル(whitemetal) の鋳塊 の製造 と販売 を 営 む小さな冶 金工 場 か ら出発 した。 その後平軸受(plainbearing )の開 発 と 製造を中心 に発展 し.1950 年 当時 には, 英国 の軽工業 界 の指 導 者的 専門会社 にまで成長 した。 同社 は当時 としては近 代的 な設備を誇 る欧州 随一一のベ アリ ング・メーカ ーで あっ たu 。 同社 は,ベ アリング 需要 の増大 に伴い, 生産 部門 やサ ービ ス部門 を中心 に 順調 に成 長し て きた た めか, グレ ーシャーで働 くもの た ちは, 熟練工 ば なか りで なく半熟 練工 にい た る まで, そこで働 くこ とに自負心 を抱 いていた。 し たがって, その職場風 土 も特 異な ものであっ た。 その一 例 を挙げ れば,1933
年の不況時においてさえ,合同工業労働組合(AEU:AmalgamatedEngineeringUnion) によ る組合 の組織化 を目的 とした, 不熟 練労働 者 に対す るスト ライキ 命令 に も従 わな かっ たほどであ る≒ しかし, こ うした労使関係 の蜜月期 も長 くは続 か なかっ た。1935 年, 同社 で の生産 システ ムの機械化 に伴 う職務 の崩壊 を原 因( 男 子の代替 労働力 とし て低 賃 金の女 子や年 少者の不熟練 労働 者を雇 用 す るこ とに反対 して) とす る ストラ イキが 発生 した。 ちなみに同 年グレ ー シャー 金属 会社 は公企業 に転換 し た。 まさに こうした状況の中でブ ラウン は経営 陣 に加 わっ たのであ る。1941 年 には,現場労働者の代表であ る職場委員会 によっ て合同協議組織(jointconsultativestructure) が設 け られる。こ れに対 して,ブ ラウン は,当時 の 産業 民主化 の影 響を受 け,工 場協議会(WorksCouncil) とい う労働者参加 の た めの組 織作 りを推 進 し, 良好 な人間関係 に基づ く収益性 と生産性の向上 を 目論 むので あ る。 第2 次世 界大戦 のさ なか,軍需工場 となっ たグレ ー シャーで ぱ,政 府 によっ て設 置さ れた労使合同生産委 員仝(jointproductioncommittees) で の協議 に基 づ く生産 体制が組 まれた3)。しか し,グレ ー シャーばか りで なく,こうし た軍需産業 に転向 した工 場で は労 働移動 が規 制 され,工 場 内は慢性的 な人 手 不足 に陥 いっ た呪 グレ ーシャーで は労 働力不足 を解 消 すべ く大幅 な昇進・昇 格 が行 われ, このこ とが戦後 問題 を引 き起 こす こ とにな る。 や が て, 戦争 が終 わり労働移動の 規制 が解 か れる と, 問題 が一一気 に噴 き出 す。 軍需生産 から平時生産 への切 り換 えに伴 い大 幅 な労 働移動が起 こった。 それ も自己都 合退職者数 を中心 とす る労働 移動 が増加 したのであ る5)。こうし た労 働者の頻繁 な移動 とい う事態 は, 戦時中 の地 位 と賃 金の不均 衡問題を表 面化 させ, その是正 に向 か わせた。 ブ ラ ウン によ るタヴ ィ ストッ ク調査団 へ の業務 組織再 編 のた めの調査要 請, い わゆ るグレ ー シャ ー計 画は, こ うした 状 況 に中で 実施 さ れたので あ る。 (2) 協議機 関の動向 と労働者集団 の反応 グレ ーシャ ーで は, すで に みて きた よ うに, 戦 時中 の人手不足解消策 とし ての大 幅 な昇 進・昇 格人事が行 われた。 それが一 転 して, 戦後の労働移動の 自由化 によっ て降格人事に切 り替 わっ た。 その た め産業 社会 集団のモ ラール は かな り低下 した。 こ れに対 してブ ラウン は, 戦時 中設 置さ れた合同生産 委
グレ ーシャー計画 とウィル フレ ッド・ブ ラ ウンの経営政策 と実践83 員 仝 を よ り 民 主 化 し た 業 務 組 織 に つ く り か え る た め に タ ヴ ィ ス ト ッ ク 人 間 関 係 研 究 所 に 調 査 を 依 頼 す る 。旧 来 の 機 械 的 組 織 を 人 間 関 係 論 の 考 え に 沿 っ て , つ ま り 個 人 間 の イ ン フ ォ ー マ ル な 連 帯 を 増 進 さ せ る こ と を 目 的 と し た 組 織 改 革 の 推 進 を 試 み た の で あ る 。 例 え ば , 労 使 協 調 を 目 的 と す る 工 場 協 議 会 に よ る 経 営 参 加 制 度 を 導 入 す るが , と く に 下 級 管 理 階 層 に お い て 身 分 の 不 均 衡 に よ り 不 公 正 な 賃 金 格 差 が 発 生 し , そ の 原 因 が 制 度 に あ る こ と が 分 か っ た 。 ブ ラ ウ ン の 人 間 関 係 論 的 施 策 が 失 敗 し た の で あ る 。 そ こ で 次 に,1949 年 か ら1950 年 に か け て の , ロ ン ド ン 工 場 の サ ー ビ ス 部 門 と ラ イ ン ・ シ ョ ッ プ に お け る 出 来 高 給 (piecerate ) か ら 歩 合 給 (flatrate )6) へ の 賃 金 支 払 方 式 の 切 り替 え プ ロ セ ス で み ら れ る 協 議 制 度 と 産 業 社 会 集 団 の 反 応 を 整 理 し て み よ う≒ 1) サ ービ ス部門(ServiceDepartment)1949 年1 月 に経営側 か らの賃金切 り替 え提 案 につ い ての話 し合 いが もたれ た8)。こうした問題を処理 するた めに,工 場委員会(WorksCommittee) ,事 業部長(DivisionalManager), そして工場管理者で構 成される賃金委員会(WageCommittee) が設立さ れた。 それは,1948 年2 月 に事業 部 長 によっ て初 めて 議題 になっ た歩合給への変更問題 を討議 す る必 要 に迫 られていたからであ る。 サ ービ ス部門 の主 た る業務であ る修理 作業 は, 経験 と即興的 な技 能が要求 さ れ るた め,出来高給 は向 いてい なかっ た。そこで 働 く人 々は,それまで の ゛ミ ニ ッ ツ・ システム″(minutesystem) と呼ば れる請負作業 シ ステムに対 して 不満 を抱 いていた。 こ れは各職務 を秒・ 分で 測定 す る方式で,以 前の経営陣 が採 用 した ものであっ た。 その 結果,不 熟練工 の方 が熟練工 より も賃金が上 で あ るという不 公正 が起こっ ていた。 その よ うな賃 金支 払方式 によ るストレ スが, 生産性 とモラールの低 下 の原因 となっ てい るこ とを労 使共 に認識して いた。 何度 かの話 し合 いの中 から, 出来 高給 を歩合給 に切 り替 える機運生 ま れ,1948 年12 月 に事業 部長 は,熟練工 会議 を招集 し,平均 歩合 給額(2 シンリ グ8 と3/4ペン ス) を提示 した≒ し か七,この数字 は,熟練工 一人当 たり1 時 間1 ペ ニーの減額 とな るので, 従業 員の 中か ら賃 金切 り替 えに対 して慎 重論 を唱 える ものが出 て きた。 結局, 経 営側 は実質的 な賃下 げの代替 策 として雇 用の保障 を約束 した。 こ れに対 して現場レベルで は, 出来 高給労 働者 によ る集団 討議 が なさ れ,
次 の3 つ の事項 を決定 した。 ①賃金 に関 しては基 本賃串プ ラ ス65%を確保 す るこ と。 ②安 全・ 保障問題 で は, 賃金切 り替 えの効果 がみ られ な く とも再 び低率の 出来 高給へ戻 らないこ と。 ③モ ラール問題てTは, 部門監督 者の強圧的 な態 度を改 善 す るこ と, 職場の 雰囲気 を改善 す るこ と, さ らに経営 者の真意 を探 るこ と呪 その後, 職場 委員 会あ るい は賃 金委員会で の討議 や投 票 を経 て, 同 年6 月21 日,職 場委 員会 は, 新 しい賃金支払制度 に対 して次 の よ うな条 件 を付して その導 入を承 認し,6 月28 日に新 しい制度 は実施 のはこ び となっ た。 その際の条件 とは, ①技 能 に基づ く, より均等 な(equable )な賃金支払 方式 にす るこ と。 ② 出来 高賃串 の問題 点 を改 善す る とともに, 変則的 な賃 金を や めるこ と。 ③公正 な(fair) な賃金 を支払 うこ と, などであっ た呪 こ のようにサ ービ ス部門で の賃金切 り替 え問題 は, メンバ ー によ る政 策立 案への参加 の場 とし ての職 場協議会 の設立 を促し た。 し かし, 調査 団 は, こ の一 連の協議プ ロセ スへの参 加を通 じて, 不公正 な賃 金が, すべ ての集団間 の緊 張やモ ラール の低 下 の原因 となっ てい るこ と, その ために公正 な賃金を 測 定す る尺度 の開発 の必要性 を実感 したので あ る。 そし てこ れが後 にジャッ クスの公正 仕事 給概念 へ と発展し ていっ た。 2) ライン・ ショ ップ(LineShop) :サービ ス部門 が賃金切 り替 え問題 との関連で職場 協議 会の 設立 に向 けて動 き出した反 面, ラ 千ン ・ ショップ で は, 労使協議 につ いて無関心で あっ た。 そこで,1949 年]レ1月,ラ イン・ショ ップ の労働者委員会(worker'scommittee) は,タヴ イストッ ク調査団 に その原因の解明 につ いての調 査協 力を依頼したl‰ 当時の職 場 は, 増大 す る製品需 要を満たす ために組織 の拡張 に迫 られてい た。 ライン・ ショップ で 扱 う製品 は高度精密製品であ る とはい え, それ ほど 専門的 な工 学的技 能 を必 要 としてい なかっ た。 ただ, 単純繰 り返 し作業で は あ るが, 多少 の技能が必 要で あっ た。操業 が数 日から数 週 間 まで に及ぶ とい う, この ような ライン現場 の労働者 に対 して, 職務 の変 更 が頻繁 に行 われて い た。 こ うした労 働移動 の激 しい, 切迫 した雰囲気 の中 で働 く労 働者 は, か なりの スト レ スを感じ ていた。 さ らに, 自動 車用部品 とたぶ ん に競争的 な製
グレ ー シャ ー計 画 とウィルフレ ッド・ブ ラウン の経営政 策 と実践85 品 を 扱 っ て い た た め , 作 業 量 は か な り 変 動 的 で あ っ た 。 そ の た め 作 業 上 の ス ト レ ス に 加 え , 雇 用 調 整 の 対 象 と な る 危 機 を 感 じ る も の た ち は , 雇 用 と 身 分 の 保 障 に 不 安 感 を , 経 営 陣 に は 不 信 感 を 抱 い て い た 呪 す で に 述 べ た よ う に ラ イ ン ・ シ ョ ッ プ の メ ン バ ー は 労 使 協 議 に 対 し て 無 関 心 で あ り , 職 場 の 雰 囲 気 は , 社 会 的 ・ 経 済 的 変 動 に よ る 製 品 需 要 へ の 影 響 に 伴 う職 場 内 の 作 業 シ ス テ ム や 管 理 シ ス テ ム の 変 更 に よ っ て 次 第 に 悪 化 し て い っ た 。 調 査 団 の1 人 ラ イ ス (A.K.Rice ) は こ う し た 状 況 を 分 析 す る た め に バ イ オ ン (W.R.Bion )の 集 団 行 動 に 関 す る 概 念 を 用 い て ,集 団 心 理 と 集 団 文 化 の 存 在 明 ら か に し よ う と し た 。 具 体 的 に は , す べ て の 集 団 の メ ン バ ー は 次 の3 つ の 基 本 仮 説 に 基 づ い て 行 動 す る と い う の で あ る 。 ① ベ ア リ ン グ (pairing ): 集 団 は そ れ 自 体 再 生 産 す る と い う 仮 説 。 ② 闘 争 と 逃 走 (fightandflight): 集 団 は 誰 か を 攻 撃 す る こ と で , あ る い ぱ 逃 げ 出 す こ と で そ れ 自 体 を 維 持 す る と い う 仮 説 。 ③ 依 存 (dependent ): 集 団 は メ ン バ ー が 依 存 す る1 人 の 人 か ら 安 全 を 獲 得 す る と い う 仮 説 。 そ し て コ ン フ リ ク ト ぱ ,a. 基 本 仮 説 の と お り に 行 動 す る 基 本 集 団 と そ の メ ン バ ー の 間b. あ る 課 業 を 遂 行 す る た め に つ く ら れ た 非 常 に 複 雑 な 集 団 と基 本 集 団 と の 間 ‥c.1 つ の 基 本 仮 説 に そっ て 行 動 を す る 非 常 に 複 雑 な 集 団 と そ の 他 の 基 本 集 団 と の 間 で 発 生 す る 呪 こ う し た 仮 説 を 用 い て1949 年10 月 か ら1950 年10 月 に か け て の ラ イ ン ・ シ ョ ッ プ の 賃 金 切 り 替 え に つ い て の 労 使 協 議 の プ ロ セ ス を み て み よ う へ 〈 第1 局 面 : 闘 争 と 逃 走 の 文 化 〉1949 年10 月 , 職 場 委 員 会 は , 不 熟 練 な 新 参 労 働 者 が 増 大 し , 労 働 者 の 対 表 と 七 て の 役 割 を 果 た せ な い と判 断, 全 員 が 辞 任 を 表 明 し た 。調 査 団 に よ る と, そ の 原 因 は , 委 員 会 が 職 場 問 題 を 適 切 に 処 理 で き な い こ と に あ っ た 。 経 営 陣 は , 競 争 的 な 市 場 で 勝 ち 抜 く た め に ラ イ ン を 拡 張 し , 大 量 の 不 熟 練 労 働 者 を 雇 用 し た 上 に , 苛 烈 な 条 件 下 で 働 く こ と を 要 求 し た 。 こ れ に 対 し て 職 場 は ② の 闘 争 と 逃 走 の 仮 説 に そ っ た 行 動 で こ れ に 対 処 し よ う と し た 。 つ ま り , コ ン フ リ ク ト が 賃 金 問 題 に 転 嫁 さ れ , さ ら に 作 業 時 間 を 決 定 す る 賃 串 設
定員(rate-fixer)の評価基 準 に疑 問 を抱 くよ うになっ た。彼 をいけに え とし て ストレ スを発散す るのであ る。職場 委員会 ぱ一 度辞任 し,それを撤 回し(1949 年12 月),さ らに1950年1 月 には再 び辞 任 す る とい うよ うに,闘争 と逃走 の技 術 を駆 使 した。 〈 第2 局面 :依存の文化〉1950 年2 月 に入 る と頻繁 な労 働 移動 と新 参 者の導入 といっ た問題 が表 面化 し て くる。 この段 階 になる と, 基 本集団で あ る労働者た ちは, 新 参者や賃率 設定員 を攻撃 す るこ とだ けで 安 心感 を手 に入 れ るこ とが難 しくなっ て きた。 ライン ・ ショ ップ のメンバー は, 依存 仮 説 に そっ た行動 を取 るよ うにな る。 つ まり経営 陣の保護 を求 め るので あ る。 具体 的 には,職 場委員会 が経営 陣 と 歩合給 への切 り換 え交渉 を決 定 した。 経営 陣 との交渉 や職場 集会 の開催 が同 年3 月 まで 繰 り返 され る。 十 < 第3 局面 :闘争 と逃走 の文化 > しカリ。,3 月末 にな る状況 が変 わっ て くる。 新 しい労 働者を獲 得で きな く な り, 職場 にい ま以上 の負担 が かかっ て きた。労 働者 た ちは依 存的 な態度で は長期的 な安心感 を獲 得で きない こ とが わかっ て きすこ。 再 び職場 は闘争 と逃 走 の文化 に回帰 してい く。 ただ今 度 の局面で は, 第1 局面 よ りも安定的 に そ の文化技術 を用 い るこ とがで きた。 このm 階てμ, 丹 ひJ叉勢 に出た労働者 が よ り高 い賃率 を求 め闘争の文化 を築 いた。 その結果 交渉 は決裂 した。 ちな み に, ラ イン・ ショ ップで の歩合 給 への切 り替 えが行 われたの は1951年9 月の こ とで あっ た。 ここで のポ イント は, ①ラ イン・ ショ ップ の職場 委員 会やメンバ ーが, 経 営陣 との賃 金交渉プ ロセ スの中 にお いて, コン フリ クト を解消す るために集 団文化 技法 を使 う というこ とと, ②一般 的 に, 職場委員 会 と職 場労働 者を経 営陣 に対 立 す る行動 を とるもの と考 えられ るが, 現実 の場面で は, 対立的 な の交渉時 にお け る経営陣 と一 部交渉 者であ り, その他,職場管 理者や職場委 員会 や職 場労働 者は一 体 となっ て それぞ れ外 部の競争相 手 と対峙 している と い うこ とで あ る。 庄 1 )ElliottJaques,“StudiesintheSocialDevelopmentofanIndustrialCommunity",HumanRelations ,vol.3,no.3,1950,pp.224∼225.
グレ ーシャー計画 とタイルフレ ッド・ ブ ラウン の経営政策 と実践872 ) 赤 岡 功「 社 会 ・ 技 術 シ ス テ ム 論 の 発 展 と作 業 組 織 の 再 編 成 」『 経 済 論 叢Jvol.117,no.5,6, 京 都 大 学 経 済 学 会,1976 年,p.313.3 』 こ の 委 員 会 は,1942 年 に ぱ じ め て 機 械 産 業 に 設 置 さ れ た もの で , 生 産 や 能 率 の 問 題 に つ い て 協 議 し た り 助 言 し た り す る た め の 協 議 検 関 で , 戦 時 計 画 を 円 滑 に 遂 行 さ せ る こ と を 目 的 と し た も の で あ っ た 。4 ) 例 え ば,1941 年 の 「 重 要 職 務 令 」(theEssentialWorkOrder ) は , 労 働 力 を 調 整 す る た め の 法 律 で , ① 雇 用 の 強 制 登 録, ② 不 必 要 な 労 働 移 動 の 禁 止, ③ 女 子 労 働 力 の 確 保 を 目 的 と し て い た 。 岩 出 博 「 英 国 労 務 管 理 の 確 立 」『 経 済 集 志Jvol.58,no.2, 日 本 大 学 経 済 学 部,1988 年,pp.1 ∼22.5 』 詳 し く は,TheGlacierProject-IT ,p.351 に 掲 載 さ れ た 「 ロ ン ド ン エ 場 に お け る年 度 別 退 職 者 率 」 を 参 照 の こ と。6 ) こ れ は 一 定 の 歩 合 の こ とで , 作 業 に 要 す る 時 間 を 公 定 の 作 業 ハ ン ド ブ ッ ク に 規 定 さ れ た 時 間 で 計 算 し て 労 働 コ ス ト 金 額 を 算 出 し, 労 働 者 は そ の 労 働 コ ス ト の 一 定 の 歩 合 を も ら う と い う も の 。作 業 に 要 し た 時 間 が ハ ン ド ブ ッ ク の も の よ り も か か っ た 場 合 は , 実 際 に 要 し た 時 間 で 労 働 コ ス ト を 計 算 す る。 労 働 大 臣 官 房 国 際 労 働 課 編 『 英 和 労 働 用 語 辞 典 』 日 刊 労 働 通 信 社,1974 年 。7 ) こ れ に つ い て は ,ジ ャ ッ ク ス は も と よ り,ラ イ ス(A.K.Rice ),ヒ ノレ(J.M.M.Hill ), ト リ ス ト(E.L.Trist) と い っ た 社 会 ・ 技 術 シ ヌ,テ ム 論 者 た ち を 中 心 と し た タ ヴ ィ ス ト ッ ク 調 査 団 に よ っ て 調 査 報 告 が な さ れ て い る。そ の 内 容 は 次 の 通 りで あ る。 ①1949 年1 月 か ら6 月 まで の ロ ン ド ン 工 場 サ ー ビ ス 部 門(ServiceDepartment ) で の 出 来 高 給 (piecerate ) か ら 歩 合 給(flatrate) へ の 賃 金 切 り 替 え 過 程 で の 賃 金 委 員 会 (WageCommittee ) の 果 た し た 役 割 に つ い て, ②1949 年6 月 か ら1950 年10 月 まで の サ ー ビ ス 部 門 で の 賃 金 切 り 替 え の も つ 社 会 学 的 ・ 心 理 学 的 重 要 性 と生 産 性 測 定 に つ い て, ③1949 年10 月 か ら1950 年10 月 ま で の ロ ン ド ン 工 場 の ラ イ ン ・ シ ョ ッ プ(LineShop )の 経 済 的 ・ 社 会 的 背 景 と 社 会 的 風 土 の 分 析 , さ ら に は 職 場 委 員 会(ShopCommittee )の 果 た し た 役 割 に つ い て, ④ ラ イ ン ・ シ ョ ップ や サ ー ビ ス部 門 に お け る 労 働 移 動 に つ い て の 統 計 学 的 分 析 と, そ の 組 織 構 造 へ の 影 響 に つ い て の 諸 研 究 が 行 わ れ た 。8 )Jaques,op.cit.,1950,p.227.9 )Ibid.,p.229.10 )Ibid.,p.240 ∼241.11 )Ibid.,p.247.12 )A.K.Rice,"TheUseofUnrecognizedCulturalMechanismsinanExpandingMachine-Shop:WithaContributiontotheTheoryofLeadership (TheGlacierProject-III )",HumanRelations,vol.4,no.2,1951 ,
p.143.
13 )Ibid.,p.144.14
)W.R.Bion, “E χperiencesinGroups",I,11,III,IV ,V,andVI,HumanRelations,vol.1,no.3&4,1948 ;vol.2,nos.l&2,1949 ;andvol.3,no.l&2,1950. 彼 に よ れ ば ,集 団 心 理 と は「 個 人 が 無 意 識 の う ち に … ,集 団 の 意 思 に 一 致 し た 表 現 を と る こ と」 で あ り , 集 団 文 化 と は 「 個 人 の 欲 望 と集 団 心 理 と の コ ン フ リ ク ト の 関 数 」 と し て 表 現 で き る と い う。 n. 賃金政策 の組 織への影 響と生 産性測定への抵抗 田 歩合給 への賃金切 り替 え グレ ー ジャ ーは, 戦時 中, 軍事生産体 制に従っ て生 産部門 の主 力工 場 を支 援 す るた め, その本来的業 務であ る修理 や部品交 換サ ービ スを中止 せざ るを えなかっ た。 しかし戦後,再 び その 市場で顧客 を獲得 す るこ ととなり, 修理 や特 注の仕事 を開始 し た。 その 市場 は戦前 に もまして競 争的であっ たた め, 新 しい賃率設定 や生産管 理 の技 法 の開発が必要 となっ て きた が,工 場で はこ れらについ ての長期的 な政 策 を立 ててい なかっ た。 こ うした中で 賃金切 り替 えが行 われたのであ る。 賃金切 り替 えに際 しては, 労務 管理上以 前の賃金額を下回 らない ように配 慮 す るのが一般 的であ る。 平均 的 なモデル作業 者 を設定 し, 従 前の職 場での 業 績 を下回 らない よう にしな ければ ならない。 歩合 給に伴 う業績 基準 の変更 は, いろいろ な変 数を 考慮 しての標 準時間の設定 という作業 を必要 とす る。 こ うしたやっ かい な問題 が存在 していた に もかか わらず, サ ービ ス部門で は, 全体 として,労 使双 方 とも歩合 給 制度 を好意的 に受 け入 れていた1)。とい うの は労 働者 た ちぱ歩合 給 が公正 な賃率 設定の下で支 払 われ ると信 じてい たし, 経営 陣 もそうし た制度 によっ て, 労働 者 との関係 や職場 の雰囲気 が改善さ れ る と信じ ていた からで あ る。 出来 高給・で の問題 は, その支払 われ る賃金額 の変 動の幅 が大 きいこ とであ る。 歩 合給 はこの ようなば らつ きを平準化 す る。 また, 歩合 給 は高技 能者 と 低技 能者 のこ れ まで の出来 高給の 中間で決定さ れ る場合 が多 い。 その場 合, 高技 能者 の減収, 低 技 能者の 増収 とい う結果 になる。歩 合給 は低 技 能者に は 出来 高給下 よ り も余裕時 間 と安 心感 を与 える一方で,高技 能者 のモ ラール を 低下 さ せてし まうか もし れな い。
グレーシャー計画とウィルフレッド・ブラウンの経営政策と実践89 出 来 高 給 制 度 で 問 題 とな る の は, 職 務 の 生 産 性 を ど れだ け正 確 に測 定 で き る か とい う こ とで あ る。 生 産 性 に影 響 を 与 え る変 数 と し て は, 原 料, ジグ , 道 具 √作 業 速 度, 許 容 時 間 とい っ た もの が あ るが, こ れ を コ ン ト ロ ー ル す る こ とは難 し い。 しか し, 現 実 に は, こ れ ら の 変 数 を モ デ ル 作 業 者 を基 準 に算 出 す る。テ イ ラー(F.W.Taylor )の 異 率 出 来 高 給 制 度 を は じ め とす る出 来 高 給 制度 が, 結 局 は 労 使 双 方 か ら受 け入 れ ら れ な くなっ た 理 由 は, その点 に原 因 があ る。 つ ま り出来 高 給 の下 で は, その 変 数 の 設定 に労 使 双方 共 自 ら に有 利 な値 を つ け よ う とす る こ とか ら, コ ン フ ワク ト が発 生 す る。II で み た よ う に1949 年 か ら1950 年 に か け て の 両 部 門 で の 労 使 の コ ン フ リ クト の 原 因 は そこ に あ っ た ので あ る。 そこで 歩 合 給 へ の切 り替 え に よっ て , その よ うな 賃 率 設 定 上 の問 題 が 解 決 した の か, さ ら に公 正 な 賃 金 を 支 払 う た め の 基 準 とは 何 か につ い て調 査 団 が 関 心 を抱 い た の は し ご く当 然 の こ とで あ っ た。 そ して 歩 合 給 へ の切 り替 えが 実施 さ れ た サ ービ ス部 門 にお い て, その 後 , 賃 金切 り替 え が 労 働 者 集 団 に 及 ぼ す影 響 と, 歩 合 給 実 施 上 重 要 とな る生 産 性 の測 定 に つ い て の 調 査 が 開 始 さ れた の は,1949 年9 月 の こ とで あ っ た。 (2) サ ービ ス部門 にお け る生産性 測 定問題 賃金切 り替 えは, 労働者個 人 に とっ ては公正 な賃金の支払 い によ る増収 の 期待 が,一 方, 経営陣 に とっ ては見積 もり(estimating) と原価計 算(costing ) 手続 きの単純化 と丿 提 条件 として は, ① 全員 に新 しい賃 金支 払 方法 につ いて十 分 に理解 し賛成 し て もらうこ と と, ②納得的, 妥当的 な生 産性 の基準 が設定 さ れてい るこ とが 必 要て七 委 員会委 員(3 人)で構 成 す る賃 金 小 委 員仝 で あう た。 この メン バ ー として 彼 らが選 ば れ たの は, 正確 な生 産 性 測 定 尺 度 を 設定 す るた めに, 現場で の 時 間の消 費実態を熟知 してい る者 と計 算 がで きる者 が必要であっ たからで あ る。 まず予 備調査が1950 年1 月 に開始 さ れた。 現場監督 と労働 者 との話し合い が もたれ, そこで, 現場で の時 間の消 費実態 を正 確 に把握 す るだのに, 日記 をつ けるこ とが決 められた。 しか し, 実験 部門 の人た ちに対 して職場 委員 会 の果 たす役割 が, また職 場委員 会 に対 して その実験 の意義や目的 が十分 に知 らさ れてい なかっ たこ と, さ らに日記の取 り扱い(監督 者が労働者のつ けた
日記 に目を通す) に問題 があっ たこ とから, 結果 として, 最 初の 試 みは頓挫 して し まう。 この ように個 人 の労働時 間の消 費実態を明 らかにす るこ とには か なりの抵 抗 があっ た。 出来 高給の下で のボ ーナ ス賃金の水準 は, 客観的 な管 理技法 に よっ て決 めら れたし, 現場の 能率 は,平均 ボー ナ スの水 準を グ ラフ化 し,数 年 に わたっ て掲示 板(BulletinBoard )に張 り出さ れてい た≒ こ うした数字の もつ非 人格的 な性質, い わゆる客観性 が労働者 に受 け入 れられてい た。 しか し, 歩合 給への切 り替 えによっ て, このよ うな出来 高給 の もつ非 人格的 なメ カ ニ ズムは除去 さ れてし まっ た。 出来 高給で は, 賃 金の刺激 性 が生 産性向上 の重 要 な役割 を果 た していたが, それが薄 れた以上 , 新 しい制度 の下で は, 直接 上 司 が部下 の仕 事ぶ りに強いリーダ ーシップ を 発揮 しなけ れば な らな く な るノ1950 年3 月頃 にな る と, 当初 の予 想 に反 して, 次 第に業績 の低下 が顕著 に なっ て きた。 歩 合給 への切 り替 え前後 の標 準時 間 の平均 値 と標 準偏差 を調査 した結果 をみ てみ る と, 賃金切 り替 え前57週 間 と切 り替 え後72 週 間の標準時 間 に対 す る実 労働時 間の比 率(%)は, 切 り替 え前157 % か ら切 り替 え後142 % と17% も低下 し てい る。 しかし, こ れにつ いて調 査団 は, 歩合 給の もつ安定 性 によっ て業 績 の変動 ぱ それほどで な く,切 り替 えに伴 う一時 的 な混乱 なの で,彼 らが怠業 したので はない との評価 を与 える3)。それ は,まだ その時点 に おいて, 労 働者 自 らの経験 と知識 に一致 した欲求水 準 を もち, それを維持 し よ う とす る態度 を取 っ たか らで あろ う。 こ うした状況 の中で,1950 年3 月 には, 標準時 間以 外 の方法で は生産性 を 測定 す るこ とがで きない と判断 した職 場協議会 は, この歩合 給 への切 り替 え を改 めて是認 す る態度を取 る。職場 協議会 は, 次 に見積 もり と原 価計算の手 続 きの 単純化 に取 り組 み,1950 年6 月 には標準化 と設 定方法 につ い ての基 本 計画 を描 いた。 さ ら に9 月 には詳細 な計画書 が職場 委員 会 に提 出 さ れた。 そ の計画推進 の た めに,生産工学 のコンサ ルタント(productionengineeringconsultant ) が スタ ッフ として参画 した。 ただ, 職 務再 設 定 に関して は次の よ うなこ とが問題 となっ た。 つ まり, そ れまで 作業時 間 は緩 や かであっ た が,段取時 間が不十 分で あっ た ので,厳格 な職 務設定 が なさ れた場合,操業 時 間 との関連で 段取 時 間を ど れだ け取 れ る のだろ うか とい う疑 問であ る。 出来高 給の下で は,怠業 は賃金 の損失 につ な
グレーシャー計画とウィルフレッド・ブラウンの経営政策と実践91 がっ た が, そ れだ け の こ とで あ っ た。 怠 業 は不 公 正 な 賃 率 設 定 へ の 対 抗 手 段 で もあ っ た か らだ 。 しか し,歩 合 給 の 下 で は, 設 定時 間 内 で 仕 事 がで き ない , あ るい は怠業 す る とい う こ とは,短 期 的 に は賃 金 の低 下 に 結 び つ か な い。 そ の か わ り賃 金 の 損 失 の代 償 とし て, 労 働 者 は, 自 尊 心 を 傷 つ け, 罪 の 意 識 を 抱 くよ うな状 態 に陥 るの で あ る。 し た がっ て, 労 働 者 の 公 正 な 賃 金 設 定 へ の 関 心 は強 まっ て い っ た。 それで は罪 の 意 識 を感 じ る設定 時 間 とは どの程 度 と考 えて いた の だ ろ うか。 調 査 団 に よ れば, 設 定時 間 に対 す る実労 働 時 間 が15O % 以 下 の 場 合 に 罪 の 意識 を 感 じ て い る とい う。 し た がっ て職 場 の 目標 は153 % に 設 定 さ れ て い た呪 し か し, 職 場 業 績 に もっ と も影 響 を与 えた の は個 人 の 目標 で あ っ て, 職 場 の 目 標 で は な かっ た こ と も分 かっ た。 結 局, 生 産 性 の測 定基 準 や 結果 を労 働 者 に受 け入 れ さ せ る た め に は, 労 働 者 自身 が公 正 な職 務 賃 率 で 働 い て い る と確 信 し な い 限 り無 理 で あ ろ う。 労 働 者 は技 能 や努 力 を 必 要 とす る職 務 を遂 行 す るこ とか ら, 最 大 の個 人 的 満 足 感 を得 る。労 働 者 は満 足 い く努 力 目標 に基 づ いた 現 実 的 時 間 設 定 を望 んで ぃ た。 ま た, 賃 金 支 払 方 法 の切 り替 えは, 監 督 者 と労 働 者 の 間 の リーダ ー シ ップ 関 係 の性 質 に急 激 な 変 化 を もた ら した。 出 来 高 給 の下 で の 課 業 は, 自 己 啓 発 や 自 己管 理 にあ る面 で 一 部 依 存 し てい た が , 歩 合 給 の 下 で は, こ う した 自 己 訓 練 的 な面 は 薄 れ, 積 極 的 な11 ダ ー シ ップ が 監 督 者 に求 め ら れ た。 注 1 )ElliottJaques,A.K.Rice,andJ.M.M.Hill, “TheSocialandPsychologicalImpactofaChangeinMethodofWagePayment (TheGlacierProject-V )",HumanRelations,vol.4,no.4,1951,p.319.2)Ibid 。p.327.3 )Ibid.,p.321.4 )Ibid.,p.333.
Ⅲ 。 経 営 政 策 へ の 社 会 的 ・ 経 済 的 環 境 か ら の 影 響 田 グ レ ー シ ャ ー・ 計 画 の 内 容 変 更 の 背 景 グ レ ー シ ャ ー 計 画 の 第1 段 階 (1948 ∼1951 年 ま で ) で の 中 心 的 課 題 は , 混 乱 し た 工 場 内 の 秩 序 を , 工 場 協 議 会I )を 頂 点 と し て , 工 場 委 員 会 , 職 場 委 員 会 と い う 協 議 機 関 を 用 い て 回 復 す る こ と に あ っ た 。 こ の よ う な 工 場 内 の 秩 序 の 混 乱 は , 第2 次 世 界 大 戦 中 の 人 手 不 足 か ら 行 っ た (2 階 級 特 進 と い っ た ) 大 幅 な 昇 進 ・ 昇 格 人 事 に 起 因 し て い る 。 そ れ に 対 し て , 戦 後 の 地 位 と 賃 金 の 格 差 の 不 均 衡 を 是 正 し よ う と す る 圧 力 が 労 働 者 側 よ り 荏 じ た 。 そ こ で ブ ラ ウ ン は , タ ヴ ィ ス ト ッ ク 人 間 関 係 研 究 所 の 調 査 団 に そ の 原 因 の 解 明 と , 是 正 の 方 法 に つ い て の 調 査 研 究 を 依 頼 し た 。 .I ■ ㎜ ■ 第1 段 階 で は , 主 に ロ ン ド ン 工 場 の サ ー ビ ス 部 門 と ラ イ ン ・ シ ョ ッ プ で の 組 織 と 政 策 の 変 化 が , 産 業 社 会 集 団 ( 労 働 者 ) に 対 し て ど の よ う な 心 理 的 ・ 社 会 的 影 響 を 及 ぼ す の か , ま た(1941 年 に ブ ラ ウ ン に よ っ て 設 け ら れ た ) 工 場 協 議 会 を ど う し た ら よ り 効 率 的 に 機 能 さ せ る こ と が で き る か , と い っ た こ と を 目 的 と し て , い ろ い ろ な 調 査 , 実 験 , 分 析 が な さ れ た 。 ま た 歩 合 給 の 導 入 に 伴 う 標 準 時 間 の 設 定 や 職 務 評 価 の 方 法 つ い て の 労 使 双 方 の コ ン フ リ ク ト の 解 消 プ ロ セ ス と し て 協 議 シ ス テ ム の 存 在 が 検 討 さ れ た 。 そ の 結 果, 当 時 英 国 産 業 界 で 実 践 さ れ て い た 人 間 関 係 論 的 な 技 法 だ け で は , こ の 秩 序 の 混 乱 を 取 り 除 く こ と が で き ず , そ の 原 因 は 経 営 参 加 シ ス テ ム と し て の 工 場 協 議 会 そ れ 自 体 の 構 造 に あ る こ と が 判 明 し た 。 つ ま り 工 場 内 の 職 場 文 化 を 無 視 し て の 制 度 改 革 が コ ン フ リ ク ト を 助 長 し て い た の で あ る ≒1950 年10 月 , 工 場 協 議 会 は そ の メ ン バ ー を 交 代 し , そ の 組 織 を 全 社 の 意 志 が 反 映 で き る よ う に 改 組 し た 。 権 限 と 責 任 の 関 係 が 曖 昧 な こ と に 起 因 す る 従 来 の 執 行 シ ス テ ム の 混 乱 を 課 業 論 に 基 づ く 組 織 構 造 に よ っ て 取 り 除 こ う と し た 。す な わ ち, 経 営 陣 の 関 心 が 心 理 学 的 特 性 か ら 仕 事 そ れ 自 体 の 構 造 へ と 移 っ た の で あ る 。 こ う し た 背 景 に よ っ て , グ レ ー シ ャ ー 計 画 は1952 年 か ら 第2 段 階 に 入 っ た 。 な お. 第2 段 階 で の 調 査 結 果 に つ い て は す で に 以 前 別 稿 で 取 り 上 げ て い る の で 重 複 を 避 け る た め 本 稿 で は 詳 し く は 言 及 し な い こ と と す る 呪 し た が っ て 次 に こ れ ま で 取 り 上 げ な か っ た , グ レ ー シ ャ ー 計 画 第2 段 階 (1952 ∼1965 年 ) の 英 国 の 社 会 的 ・ 経 済 的 環 境 に つ い て 取 り 上 げ る こ と に し た い 。具 体 的 に ぱ , ま ず 第1 に , 当 時 の 英 国 政 府 が と っ た 労 働 と 経 済 に 関 す る 政 策 が 労 働 経 済 環
グレ ーシャー計画 とウィル フレ ッド ・ブ ラウンの 経営政 策 と実践93 境 に ど の よ う な 影 響 を 及 ぼ し て い る の か , 次 に , そ の 労 働 経 済 環 境 とグ レ ー シ ャ ー 金 属 会 社 の 経 済 的 業 績 と の 間 に ど の よ う な 関 連 が み ら れ る の か , 第3 に , こ の 時 期 一 第2 段 階 − に 労 使 関 係 が ど の よ う な 展 開 を し た の か を み て み る こ と に す る 。 ト (2) 戦中 ・戦後 の英国政府 の労 働政策 まず最初 に第2 次大戦 中(1939 ∼1945 年) の英 国政 府 の労働政 策の基本方針 につ いてみてみ よう。 戦時下 にお い ては, 戦 時計画 を達 成す るた め軍需生産 体制 が敷か れるのが一般的 であ る。 国民 総動 員 に よっ て全国 民の労働力の最 大 活用が意図 され るので あ る。 こ うし た労 働政策 を実施 してい くた めには, 労 働管理者や産業 福祉 スタッフが是 非 とも必要で あっ た。1939 年2 月,英 国 労働 省は, 労働管理協会 に労 働管理 の有資 格者 と産業 福祉 スタ ッ フの登録 リ スト の作成 を依頼 している4)。つ まり,軍需工 場 へ徴用 した不熟練 ・半熟練労 働力 を何 とか1 人前 になるよ うに訓練 す る必要 があっ た。 従業員 福祉 に携 わ る専門管理 者や スタ ッフが求 め られたのであ る。 や がて第2 次大戦 が終了 す る と, 英 国政 府 は, 完 全雇用の達成, よ り高い 経済成長 の実現, 国際収支 の安定化 を目的 として, ①完 全雇用維持政策, ② 主 要産業 の国有化政策, そして③労 使関係 への継続的 関与政 策を実施 した。゛完 全雇用維持政策″ は, 労働者獲得 競争 を激化 させ, 労働 市場 ぱ完 全な売 手 市 場 と化し た。 当然 企業 ぱ, 労働者 を 自社 に引 き留 め るための誘因・定着策 を 取 るこ とを余儀 な くさ れた。 売手 市場 は, 賃金の急激 な上昇 を引 き起 こす。 こ うした背景 の中で,ブ ルーカ ラーの賃 金 は出来高 給あ るは業績 給 といっ た 賃金変動幅の広 い賃金支払 方式 か ら, よ り安定的 な歩合給支 払方式への切 り 替 えが行 われたので あ る。 また従 来ブ ルー カ ラーの賃 金 を勘案 して決定 さ れ て いたホ ワイト ・カ ラーの給与 に も定期昇 給が導 入 さ れた。 こ うした不均 衡 な労 働力需給 関係 ぱ, グレー シャーの地 位 と賃金 の歪 み に拍 車 をかけるこ と に なった。 そこに, 全社レベルで の賃金 統制 の必 要性 が出 て きたのであ る。 そのため新 しい職務の格付けを早 急 に行 わなければ ならなかった。グレーシャー 計画 の第1 段階(1948 年か ら1951年) で み られた, 新 しい賃串 設定のた めの 職務 分析 な らび に職務 評価問題 が,工 場協 議会で の重要 な課題 となったの は このような背景 があっ だか らで あ る/
表1 第2 次大 戦中 における英国の労働法規 と関連 事項 年 月 労働法 規 と関連 事項 内 容 1939年2 月1940 年7 月1940 年7 月1940 年7 月1941 年1 月1942 年1 月 労働省 工場 医療 ・福祉令 雇 用条件 ・全国調 停令 労働 力 の規 制令 重要職 務令 婦人雇 用令 労働管理協会 に労務 管理 者,産業 福祉職 員の確 保依頼 福祉施 設設置 の強制 スト等 の禁 止 労働力 の規 制 労働力の移動 制限20 歳から31歳まで の女性 の雇用統制 資料出所:岩 出博「英 国 労務管 理の確立」『経済集志Jvol.58,no.2 ,日本大学経 済学 部,1988 年,pp.1 ∼2 の本文 より作成。 こ うした労働 力需 給 の逼 迫 によ る急激 な賃金上昇 は物 価 を上昇 させ, イン フレ を引 き起 こす。 こ うした状 態 にあっ て, グレ ー シャー計 画の推進 者で あ るブ ラウンは, 賃金・物 価 イン フレ と失業 の終焉 を目的 として, ①上 訴の権 利, ②参加 の権 利, ③完 全雇 用 の権利, ④構成 賃金の権 利 に関 す る4 つ の提 案を してい る5)。 また彼 は, コ スト削減策 につ いて も提案 し てい る‰ いず れ にせよ, この ような急激 な賃 金の上昇 に対 して, 政府 は1948 年 から2 年 間に わたって 賃金 を凍 結 した。 こ れは, グレー シャー が賃金 / コ スト ・ イン フレ の波 にさ らさ れて い るこ とを物 語っ てい る。 戦 前からの非 公式的 な部分の改 善 による生 産性向 上策 は, 労 務管理 を普及 させ た。 グレ ー シャーで み られた工場 協議会 のよ うな労使 協議 制中心 の従業 員 関係管理 が重要視 さ れ るよ うにな る。つ まり生 産性向 上 のた めに はど うし て も労使 協力 が必 要であっ たので あ る。 そして戦後 は,政 府主 導 によ る労 働 環境 の整 備が行 われ, 労 働運動 は活発化 してい く。 また戦後 にお いて は技術変化 の進展 も目覚 ましかっ た。それぱグレー シャ ー 金属会社 におい て も例外 で は なかっ た。 技術 変化 の進展 は国際 競争 を激 化さ せ,国際 市場 で優 位 な立場 を獲 得す るた めに,企業 はこ ぞっ て コ スト削減 と生 産性向上 に腐心 した。その手 段 が先に述べた労使協力体制 としての労使 協議 制
グレ ーシャ ―計画 とウィル フレ ッド・ブ ラ ウンの経営政 策 と実践95 で あ り,と く に1950 年 代 初 め に み ら れ た 態 度 調 査, 提 案 制 度, 職 場 情 報 制 度 と い っ た 良 好 な 人 間 関 係 を 確 立 す る た め の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 施 策 で あ っ た7)。 政 府 は , 経 済 成 長 を 促 進 さ せ る よ う な 拡 張 措 置 を と っ だ 。 そ の お か げ で , す で に み て き た よ う な 完 全 雇 用 が 達 成 さ れ , 失 業 率 は 低 下 し , 需 要 は 増 大 し た 。 国 際 市 場 で の 優 位 性 は , 輸 入 の 増 加 と な っ て あ ら わ れ , や が て 国 際 収 支 の 悪 化 と い う 事 態 を 招 い た 。 そ こ で 政 府 は 引 き 締 め 措 置 に よ っ て 過 熱 し た 経 済 成 長 , そ れ に 起 因 す る イ ン フ レ に ブ レ ー キ を か け よ う と す る 。 失 業 率 は 悪 表2 グ レ ー シ ャ ー 金 属 会 社 の 財 務 記 録 (1946 年 ∼1964 年 ) 年 度 資本金 純 益( 税引 前) 配当金 配当率 資 本利益 率 1946 1947 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 £(ポンド)189,500189,500189,500189,500189,500300.000520,406520,406520,406650,508750,000750,000750,000750,000750,000937,500937,500937,500937,500£ 78,278 (調整 済)92,537288,499223,226242,790307.922492,176270,649231,217247,279321,468184,217229,018212,464258,694440,052519,424405,542663,129 £ 14,212 14,212 14,212 14,212 14,212 22,500 52,040 52,040 52,040 65,051 86,250 86,250 86,250 86,250 97,500 131,250 159,375 159,375 187,500 % 7柚7] %i 総i 鏝7 総i 総10101010ll 垢li 柘li 垢ll 垢1315171720 % 37.4 44.0 130.0 98.2 128.6 90.8 78.6 44.7 34.1 34.1 37.6 13.1 16.3 21.8 30.8 43.5 51.9 39.8 66.3 資料出所:Ibid.,p.88.
化 し, 労働 市 場 は次 第に買 手市場 へ と移行す る。 そし て賃金 や物価 は鎮 静化 す る。 輸入 は減 少 し,国際収支 が安定す る とい う一一連 の 図式 が描 ける。 この ように国際収 支 の安定化 を犠牲 にして完全雇用 と経済 成 長 を達成 す ると√今 度 は反 対 に それ との引 き換 えに国 際収 支り 安定 化 を図 る とい う,戦後英国で1970 代 の終 わ り頃まで続 けら れた経済 の拡張 と引締 の循環 的政策 を「 ストッ プ ・ アンド ・ゴ ー(stopandgo) 政策」 と呼ぶ8)。 (3) 労 働 経 済 環 境 とグ レ ー ジ ャ ー 金 属会 社 の 経 済 的 業 績9) グ レ ー シ ャ ー金 属 会 社 は, すで に述 べ た よ う な戦 時 中 は 軍 需 産 業 とし て, 戦 後 ぱ6 箇 所 に4,500 人 の従 業 員 を雇 用 す る公 企業 とし て成 長 し て きた。 表2 に示 した ように,1962 年 度 にお け る同 社 の純 益(netprofitbefortaxation) は50 万 ポ ンド を越 えた。 この よ う な業 績 も自 動 車 産業 が か な ら ず し も好 況 で な い と き に達 成 し た数 字で あ る。 グ レ ー シ ャ ー 金 属 会 社 は, あ ま り に も自動 車 産 業 に依 存 し た た め に,1932 年 と比 較 し て,1962 年 自 動 車 メ ー カ ーへ の ベ ア リ ング の 供 給 価 格 は ほ とん ど変 わっ て い な い 。 した が っ て, こ う した 事 態 に対 処 す べ く同 社 で は, 製 品 の 多 角 化 政 策 を 取 っ て きた。 そ れを 支 えた の が 新 しい材料 や製造 技術 の開発であった。グレ ーシャー金属会社の総売上高(tumover) の か な りの 部 分 は, 機 械 産 業 用 の シ ッ ク ・ ウ ォ ー ル ・ベ ア リ ン グ(thick-wallbearing) が占 めてい る。自動車産業 用の シ イン ・ウ ォール・ベ ア リング(thin-wallbearing) とい う まっ た く違 う受 注 体 制 を とっ て い た 同 社 が ,こ の種 の 製 品 を 開 発 す る には そ れ な り の苦 労 があ っ た 。その 甲 斐 あ っ て, 危 機 的 な状 態 にな っ た 自 動 車 産 業 に それ ほ ど依 存 す る こ とな く, こ の10 年 間 に市 場 占 有 率 を15 % か ら50 % に 伸 ば す こ とが で きた。 また 同 社 ぱ , 輸 出 分 野 で も好 成績 を お さ め て い る。 グ レ ー シ ャ¬ の 製 品 は 世 界 各 国 に輸 出 さ れ て い た。 加工 プ ラン ト やベ ア リ ン グ 製 造 の た めの特 別 な 機 械 器 具 の マ ー ケ テ ィ ング が利 益 を 出 し て い た。 しか し, す で に述 べ た よ う に,1962 年 に は50 万 ポ ンド を越 え る まで 成 長 し た が , 終 戦 直 後 を 除 い て,10 数年 間 は20 万 か ら40 万 ポ ン ド の範 囲 内 で 変 動 し て きた 。 か な らず し も順 風 満 帆 の道 程 で は な か っ た。 図1 は , 終 戦 直後 か らグ レ ー シ ャ ー 計 画 の 第2 段 階 まで の 同 社 の 財務 記 録 を示 した もので あ る。 こ こで 特 徴 的 な こ とは, 同 社 の業 績 が 英 国 経 済 の成 長 と密 接 に リ ン ク し て い る こ とで あ る。 同 社 が 国 際 市 場 を 相 手 とし て い る以 上
0 グ レ ー シ ャ ー 計 画 と ウ ィ ル フ レ ッ ド ・ ブ ラ ウ ン の 経 営 政 策 と実 践97 図1 グレーシャー金属会社の財務記録とストップ & ゴー政策( 単位:ポンド・%) ,!946194?194819491950195!19521953195419551956195719581959196019611962!96319641865 年 当然 のこ とい える。具体的 には英国 の 「 スト ップ ・ アンド ・ゴー政策」 にか な り影響 を受 けてい るこ とが分 かろ う。 まず,1954 年 から55年,1959 年 か ら60年, そして1963 年 から64年の期間, 経済 ぱ拡大 す る。 労働力不足 は賃金上昇 を引 き起 こし, これに政府は需要の 抑 制で応じ た。同 時期 におい てグレ ー シャーの純益 も右上 が りのカーブ を描 い ている。 そし て1956年か ら57年,1961 年 に需要抑 制策 が とられ, その結果 とし て1958年,1962 年 か ら1963年 にかけ て不 況 が訪 れる。 この期間はやは り 上昇 曲線 か ら一転 して下 降曲線へ と落 ち込 みを みせてい る。全体的 にみる と,1952 年のお よ そ50万 ポンド 弱をピー クに,1962 年の50 万 ポンド 強 までの10 数 年間 は20万 か ら40万 ポンド の範囲内で変 動 してい た。 この間, 資本金, 配当率 も数字的 には順調 な伸 び をみせてい るが, グレー シャ ー金属会 社の 配当率 はかな り低 い もので あっ た。 このよ うな背景 には, 特 許 に関す る法律上 のト ラブルがあっ た≒ し かし その よ うな特許 の権利 をめ
ぐ る問題 が1950年 に解決 さ れ, 生産プ ロセ スの近代化 ・ 合理化 と新 製品の開 発に より,企業 収益 が伸 び るにつ れ配 当率 は7.5% から10 %(1952 年),11.5 %(1956 年),13 %(1960 年),15 %(1961 年) \1%(1962 年),20 %(1964 年) と段 階的 に引 き上 げ られていっ た。また配当率 を上 げたの には他 の理由がめっ た。 それは, 増資 を 目的 として金融 市場 か ら資金 を調 達 す るた め にどうし て も配当率 を引 き上 げ る必要 があっ たのであ る呪 これはグレ ー シャーの経営 政 策 の中心が生産 か らマ ーケ ティング思 考 に移っ て きたか らで あ る。 こ れにつ い てぱ次 のブ ラウン の1962 年 の株主 への声明から伺 える。 「グレ ーシャ ー金属会 社 の経営陣 は, とくに迅速 な配送,取 引 高 と在庫 の関係,販売 組織 の拡 張, 海外市場 との密接 な関係 の確立 を 目指 し て。 わが組織 を精 力的 に分析 してい ます」12)と。1941 年 か ら1951年 まで の7.5 % という配当率 は, 当時 として相対 的 にかな り 低 く押さえられていたようだ。1945年の利潤税(profittax)は配当益(distributedprofit) に対 して5 %で あっ た し, 来分配利 潤( 内部留保)(undistributedprofit) に対 し ては5 %で あっ た。1947年 予算では,配当益 に対 し て12.5%で めっ た。 これが1947 年]。0月予算 には, 倍 の25 % になり,1949 年9 月 には30% となっ た。こ うした状 況 の下で, グレ ーシャーの配 当率7.5 %はい かに も低 かっ た。こ れについ て,調 査団 の メンバ ーの1 人であ るジャ ツクスによ れば,1941 年以来,株主 への配当 は7.5%で よい とい う取締役会の不文 律な取 り決 めがあっ た とい う。 配当率 を低 く押 さ え, その余剰収益 を次 の5 つの方法 で分 配 し組 織 の成長を優先さ せた のであ るヅ呪 ①研 究開発(R &D) ②作業 条件の改善 ③装置の改善 ④賃金・給与 の引 き上 げ ⑤価格の引 き下げ と製品 の質 の向上 投 資家への リタ ーン より も, こ うした研 究開発や作業 条件 の改 善 といっ た もの に優先的 に余剰利 益 を振 り分 ける といっ た, グレ ーシャー の経済的・社 会的政 策ぱ,当時 の産業民 主主 義,労働 組合主義 に与 えた衝撃 は大 きかっ た。 しか七, やがて, 配当率 は引 き上 げ られ, こ うした政策 も転 換 しなけ れば ならな くなっ た わけだ が,1964 年 の配当率20 % ぱ, グレ ーシャー内 部 にか な りの影響 を及ぼし た。 作業 の研究開 発や従業 員福祉 を目的 と七 だ 高い内部留
グレ ー シャー計画 とウィルフレ ッド ・ブ ラウン の経営政策 と実践99 保 は , 産 業 福 祉 主 義 の 象 徴 で も あ っ た が , こ う し た 内 部 保 留 の 低 下 は , 余 剰 利 益 の 配 分 に 影 響 を 与 え , や が て 組 合 と の 関 係 を 悪 化 さ せ る こ と に な る 。 こ れ は グ レ ー シ ャ ー の 経 営 政 策 が , 人 間 関 係 関 係 管 理 か ら 課 業 管 理 へ の 切 り 替 わ っ た こ と を 示 唆 し て い る 。 (4) 経営政策 の転 換 と労使関係 の悪化 これまで み てきた よ うに,グレ ーシャー金属会社 の戦 前の労 使関係 は1933 年 や1935年 の スト ラ イキが不調 に終 わっ たように他 の企業 とは異なっ た もの であった。ベ アリング需要 に支 えられながら,順調に成長 を続 け るグレ ージャー は,戦時 中で も引 き続 き拡張政策 を取 るこ とがで きた。 だが その 背後 には, 人手不足 に起 因 した戦 中の人事政策 の失敗 によ る身分 と賃金 の不均 衡 が隠 さ れていた。 こ れが戦後 いっ きに表面化 した。景気 の変動 によ る生 産高 のば ら つ きが, 労働移動 一人員 整理 −を頻繁化 し, 労働者 の雇用 の保障 への不安感 を増大させた。 それが経営 者 に対 す る不信感 となっ てあ ら われて きたのであ る。 この解 消策 とし て労使 協議 制 を導 入したがこ れ も職 場の文化 を無視 した た め, 結果的 には うまく機 能 しなかっ た。 とぱい えこ の時 期,ブ ラウン が産 業民主主義や産業 福祉政 策 に よっ て良 好 な労使関係 の確 立 に努 め よう とした こ とは間違い ない。 しかし,グ レ ー シャー金属会社 は, 経済環境 や市場環 境 の変動 と要 請によ り, こうした人 間関係論 的 な経営政 策 をしだ いに課業管 理的 な ものへ と転換 していくこ とに な る。 そこで 次 に第2 段 階で の経営政策 の転 換が産業 社会 集 団 に及ぼ した影響 につ い てみてみ よう。それを象徴 する ような出来事 とし て, グレ ーシャー金属会 社 のキル マー ノック(Kilmomock )工 場 で1957 年 と1962 年 に発生 した2 つ の スト ラ イキを挙げ られる。 それで は まず最 初の1957 年 の スト ライキからみ ていこ う。1957 年2 月4 日,工 場協議 会 におい て経営側 から自動 車産業 の不況 を理 由 として200人の人員 整理 が通 告さ れた。工 場協議 会 は それ を受 け入 れ,その対 象者 には1 週間分 の賃 金が支払 われた。 こ れに対 してA.E.U. の工 場委員会 は 次 のような抗議 を した1呪 ① すべての残業 を廃 止 す るこ と。 ②1 週間 の労働 時 間 を短縮 す るこ と。 ③ 「先任権 」(last-in-first-out) を認め るこ と。
④ 各 部 門 を独 立 した 単 位 とし て 扱 うこ と。 ⑤ 下 請 契 約 (sub-contract ) を 要求 で き る こ と。 し ⑥ 解 胤 の 際,1 ヵ 月 の予 告 期 間 を 与 え る か, あ る い は3 週 間 分 の賃 金 を支 払 う こ と。 ■ ■ ■ ⑦ 既 婚 の 婦 人 を まず最 初 に 人員 整 理 の対 象 者 とす るこ と。 し か し, ブ ラ ウ ン は こ れ につ い て彼 ら と討 議 す るこ とを 拒 否 し た。 そ こで7 人 の 労 組代 表 の 職 場 委 員(shopsteward )は スト ラ イキ を 決定 し,2 月6 日,多 く の労 働 者 もこ れ に 参 加 し スト ラ イ キ が 決 行 さ れた15)。ブ ラ ウ ン が 職 場 委 員 の 提 案 を拒 否 し た 理 由 は , 次 の2 つ に集 約 で き る。1 つ は, 人 員 整 理 に つ い て は すで に労 働 者 代 表 と契 約 を 結 んで い るこ と, い ま1 つ は労 働 者 代 表 で あ る工 場 協 議 会 もこの 提 案 を受 け 入 れ て い る こ とで あ る。 結 局 , ス ト ラ イ キ は9 日 間 続 き2 月13 日 にお さ まっ た が, その 際, ① 先 任 権 の 承 認 と② 週 労 働 時 間 の短 縮 に つ い て 考 慮 す る い ヽう 内容 の 労 使 の 共同 声 明 が 出 さ れた16)。そし て こ の スト ラ イ キ に よっ て興 味 あ る2 つ の事 件 が 発生 し た。1 つ は, 上 級 管 理 者 の一 部 が 組 合 を 結 成 し た こ とで あ る らノ い ま1 つ は 管 理 者 や スタ ッ フ が ス ト ラ イ キ 中 機 械 を操 作 し た こ とで あ る。 こ れが1957 年 の 人 員 整 理 に端 を 発 した ス ト ラ イ キ の 概 要 で あ る。 さ て, こ の ス ト ラ イキ が 当 時 の グ レ ー シ ャ ー の工 場 内 の状 況 を どの よ う に 反 映 し て い る か考 えて み る こ と に す る。 まず,A.E.U. の職 場 代 表 が, 工 場 協 議 会 との 人員 整 理 契 約 が あ る の に それ に 異議 を唱 えた こ とだ が , こ れは彼 ら が工 場 協 議 会 を 労 働 者 代 表 とし て 認 め て い な い こ とに原 因が あ る。 工 場協 議 会 の す べ て の 決 定 ば 全員 一 致 の 原 則 ″ とな っ て い るが , 現 実 に は 全員 の 賛 成 を 得 るこ とは で きず, 経 営側 か ら の提 案 は 変 更 で きな い とい うこ とを知 っ て い た か らで あ る。 つ ま り, 労 働 者 自身 は 協 議 機 関 その もの 機 能 につ い て は 理 解 し て い た が その運 用 には 不 信 感 を抱 い て い た とい う こ とで あ る。 次 に上 級 管 理 者 が管 理 者 ら七 か ら ぬ行 動 を取 り√ さ ら に組 合 を 結 成 し た こ とが 問 題 で あ る。 最 初 の 行 動だ が , こ れ は 彼 らが 管 理 者 として の 自覚 が な い こ とを 示 唆 し て い る。 こ れに つ い て ぱ, 第2 次 大 戦 中 グ レ ー シ ャ ー 金 属会 社 が 軍 需 産 業 に転 向 し た こ とに ま ず 原 因 があ る とい えよ う。 す な わ ち, すで に 何 回 か 触 れた こ とだ が, 当時 の状 態で ぱ最 小 限 度 の 人 手 しか供 給 さ れな かっ た た め に,機 械 調 整 者(setter )が 職 長 に,職 長 が 部 門 長 に,部 門 長 が 全般 経 営 者 へ と大 幅 な昇 格 が 行 わ れ た。 能 力 不 足 の 経 営 管 理 者 には, ブ ラウ ン のグ
グレ ー シャ ー計画 とウィ ルフレ ッド・ブ ラウン の経営政策 と実践101 レ ー シ ヤ ー 哲 学 は 理 解 で き な か っ た の で あ る 。1957 年 の ス ト ラ イ キ は ま さ に 管 理 者 の ブ ラ ウ ン の グ レ ー シ ャ ー ・ シ ス テ ム に つ い て の 信 念 や 知 識 が ひ ど く 欠 落 し て い た こ と を 露 呈 し た 事 件 で あ っ た 。 次 の ス ト ラ イ キ は,1962 年3 月5 日 に お こ り12 日 間 続 い た17)。こ と の 起 こ り は 合 同 エ ン ジ ュ ア リ ン グ 労 組(A.E.U.) に よ る 賃 上 げ と 操 業 短 縮 の 要 求 を 掲 げ た ス ト ラ イ キ に 対 抗 し て , ブ ラ ウ ン が 管 理 者 に 機 械 の 操 業 を 行 う よ う 命 じ た こ と に あ る 。 こ う し た ブ ラ ウ ン の ス ト 破 り 的 な 行 動 が , 現 場 の 数 多 く の 労 働 者 に は 労 使 関 係 を 破 壊 す る 行 為 と 映 っ た の で あ る 。 結 局 ,2 つ の ス ト ラ イ キ の 原 因 は , ブ ラ ウ ン が 英 国 の 労 働 者 階 級 の 文 化 を 適 切 に 理 解 し て い な か っ た こ と, ま た 労 使 の 間 に 存 在 す る 階 級 的 な ミ ソ を 埋 め る こ と が で き な か っ た こ と に あ っ た と い え よ う 。 こ の2 つ の ス ト ラ イ キ は 当 然 の こ と で あ る が , 経 済 引 き 締 め 策 が と ら れ た 期 間 に 発 生 し て い る 。 注 1 )ElliottJaques,TheChangingCultureofaFactory,TavistockPublicationsLtd,,London,1951,pp.l38 ∼141. こ こ で は 新 し い 工 場 協 議 会 の 組 織 に つ い て 触 れ ら れ て い る。 新 し い 工 場 協 議 会 は ,1941 年 に ブ ラ ウ ン に よ っ て 設 置 さ れ た の で , 決 議 は 全 員 一 致 の 原 財(unanimousagreement ) に 基 づ い て な さ れ た が , い くつ か の 欠 点 が あ っ た た め,1949 年 に 修 正 が 加 え ら れ,1950 年 什 月 に 政 策 決 定 機 関 と な っ た 。 工 場 協 議 会 は , 工 場 委 員 会 か ら 組 合 代 表 と し て7 人 ( 議 長 , 副 議 長 , 書 記 ,工 場 委 員 会 委 員4 人), 各 階 層 別 の 職 場 委 員 会6 人 (1 等 職 員1 人,2 等 職 員2 人,3 等 職 員3 人 ) そ し て議 長 と し て 経 営 側 か ら 卜 人 ( 経 営 担 当 取 締 役 ) の 計14 人 に よ っ て 運 営 さ れ た 。 新 し い 工 場 協 議 会 の 目 的 は , 政 策 を 公 式 化 し そ の 政 策 を 執 行 シ ス テ ム を 通 じ て , 全 般 経 営 者 の 手 で 実 践 さ せ る こ と で あ っ た 。 協 議 会 で 全 員 一 致 の 原 則 で 決 定 さ れ た 政 策 は , 全 般 経 営 者 に 一 任 さ れ る が , こ の こ とが 後 に 労 働 争 議 の 原 因 と な っ た 。2 ) 北 野 利 信 編「 ウ ィ ル フ レ ッ ド ・ ブ ラ ウ ン とエ リ オ ッ ト ・ ジ ャ ッ ク スム」『 経 営 学 説 入 門 』 第4 節 , 有 斐 閣,1982 年,p.29,33.3 ) 拙 稿「 グ レ ー シ ャ ー 計 画 の 特 質 と そ の 経 営 組 織 論 史 上 の 意 義 一 ウ ィ ル フ レ ッ ド ・ ブ ラ ウ ン の 所 論 を 中 心 と し て ー」『 経 営 論 集 』 東 洋 大 学 経 営 学 部,1986 年,pp.33 ∼66.4 ) 岩 出 博「 前 掲 論 文jp.l.M.M.Niven,PersonnelManagement,1913 ∼63,IPM,1967,pp.90-92 よ り 転 載 。5 ) 同 書 で は ,4 つ 権 利 を 実 現 す る よ う な 詳 細 な 手 続 き を 提 示 し て い る 。 具 体 的 に は , あ ら ゆ る 雇 用 形 態 で の 賃 金 水 準 を 民 主 的 に 設 定 し 実 現 す る 機 関 , 異 率 賃 金 の規 制 につ い ての 国 民 会議(aNationalCouncilfortheRegulationofDifferntial
Wage-NCRD ) の 設 立 案 で あ る 。 こ れ は , 議 会 に 対 し て 直 接 責 任 を もつ 合 法 団 体 で あ る 。 こ の よ う な 提 案 は 彼 に い わ せ れ ば , こ の 提 案 は , 当 時 の 英 国 の 労 使 関 係 の 状 態 に あ っ て, き わ め て 常 識 的 で ,楽 観 主 義 的 な もの で あ っ た 。WilfredBrown,TheEarningsConflict:ProposalsforTacklingtheEmergingCrisisofIndustrialRelations,Unemployment ,andWageInflation,Heinemann,London,1973.6 ) ブ ラ ウ ン は , こ の 著 作 に お い て , 非 独 古 財 の 価 格 設 定 の 問 題 に つ い て 言 及 し, 実践 的 な作 業プ ロ セ スに関 す る新 し いが 去を提 案 し て い る。WilfredBrown,ProductAnlysis,Pricing: ≒AMethod か・rSettingPoliciesfortheDelegationofPricingDecisionsan £1964.7 ) 岩 出 ( 前 掲 論 文jp.lO.8 ) 栗 田 健 編 著 『 現 代 イ ギ リ ス の 経 済 と労 働J お 茶 ノ水 書 房,1985 年 ,pp.12 ∼15.9 )JoeKelly,/5ScientificManagementPossible?:ACriticalExaminationofGlacier'sTheory 可Organization,FaberandFaberLtd.,London,1968,pp.81 ∼83.10 )Ibid.,p.89.11 )Ibid.,p.87.12) こ れ は , グ レ ー シ ャ ー 金 属 会 社 の1961 年 度 の 年 次 会 計 報 告 書 (1962 年 ) か ら の 引 用 で あ る 。13)Jaques,op.cit.,1951,p.58.14 )Kelly,op.cit,p.113.15 )Ibid.,p.114.16 )Ibid.,p.115.17 )Ibid.,p.118. IV. ブ ラウン の経営政 策へ の経営管理思想 から の影響 (1) 人 間関係 論 からの影響 グレ ー シャー計 画 は,1948 年4 月, グレー シャー 金属 会社 の ロンド ン工場 を中心 に,①工 場 の社会構 造に及ぼす心理的 ・社会的 な諸 力 につ い ての研究, ②労使協 調 を目的 とした労使 協議機関であ る工 場協議 会 の運営 に関 する調査 を目的 とし て始 められた。 そし て, それは, 戦後英 国政 府 によ る経済成長政 策 をイ ン フレ 懸念 か ら抑制 しよ う とす る動 きが みら れた1951 年 まで 続 けられ た。 こ こで の特 徴 は, 当時英 国産業仝で 実践 さ れていた人 間関係論的 な管 理 思 想 に基づ いた実践 手段, た とえば労使協議制 に よ る良 好 な労 使関係 の確立