資 料 紹 介
小
松
豊孝
太
夫記 いざなぎ流御祈禧資料
『日月祭、託宣作法﹄
図ゆ⑯O旬﹃6庁者§露己ロロ松
尾
恒一 〔解題︺ 本 誌 前 号に続く、いざなぎ流太夫小松豊孝氏記の、いざなぎ流祈禧資 料 の紹介。本号には、﹃日月祭、託宣作法﹄を翻刻する。楮紙に墨書さ れ た 袋 綴じ装の本資料は、墨付き四十七丁、縦二八・五×横二四・五糎。 外 題に﹁伊募諾流 日月太祭作法 其の他﹂、内題に﹁日月太祭作法 其の他﹂と記されるが、内容より﹃日月祭、託宣作法﹄と題を認定し、 紹介する。 内容は、目次に次のように記されるように、いざなぎ流の日月祭、及 び、日月祭で行われる託宣の作法からなる。 、日月祭太祭 ソトニワ 外 庭にて行ふ式次第 一 、右大祭に行ふ託宣の作法 一、此の大祭に附いた舞い 一 、おんざき天の神の託宣の作法 ヒジリ 一、山伏聖の託宣作法 日月祭は、文字通り太陽と月を祭祀する儀礼であるが、単独にて祭祀 が 行われることはない。オンザキ様、天の神、及びミコ神と呼ばれる 代々の祖先神をはじめとする家のタカ神の大祭が行われる場合、あるい は、集落の社における氏神の大祭が行われる場合等、これにあわせて行 われる。小松豊孝太夫記の資料には、ほかに家の大祭について詳述した 『 屋 の神、おん崎、現神、日月祭、太小神祭式作法﹄二冊が存するが、 本資料は大祭の際に行われる日月祭について詳解した記録である。 物部のタカ神を祭る家においては、現在でも十一月∼二月の間の一日 に屋祈藤を行う例が少なくないが、一週間前後の日数を要する大祭は、 いわば屋祈禧の規模を大きくした宅神祭である。 日月祭は、通常、十∼数十年に一度行われる、この、家の大祭にあわ せ て行われる日待ち、月待ちの祭りである。月は、三日月、十七夜、二 十三夜のいずれかの月を祭るが、大祭の式日は、この日月祭にあわせて 決 められる。 家の神祭りは、屋内で行われるが、日月祭は、通常家のニワにて行わ れ、これより行事そのものが﹁オニワ﹂と呼ばれたりもする。 ニワには﹁三階高棚﹂の祭壇が作られる。月の出の方角を正面として立 てられた祭壇には、米、酒、餅、栗・干し柿・海苔・昆布・寒天等の 「 海山川の七草﹂等々が膳に盛って供えられ、日待ち・月待ち・水天宮 をはじめとする諸神霊・精霊を祭るための大幣が飾られて、祭儀が行わ れる︹参考−図参照︺。 礼神楽、本神楽をはじめとする諸行事の中、月の出の時刻にあわせて 行われる﹁三十三度の礼拝神楽﹂は、月と日それぞれに対して、起居を 繰り返して行うていねいな礼拝で、ここで、本役の太夫による氏子への れ 祝 福として﹁ノトのひろめ﹂が行われる。月の出とともに大勢の参拝者 が 見守る中、行われる本作法は、日月祭のクライマックスの一つともい える作法である。 山深い物部の信仰を反映した祭儀としてまた重要なのは、﹁五行の神﹂ の 祭りである。これは、﹁神の位を取らない、神仏の位を持たない仏山 ムグン シソク イキレウ ス ソ の 魔群、川の魔群、山ミサキ・川ミサキ、四足、二足、生霊、呪誼のミ ヤマイ サキ、役神病の神、山ス“レ、川流、無縁仏等﹂の祭りで、棚の下の 片すみで御幣を立てて祭り、﹁それぐに分け前をやつてお愛想して、 集つて居る人々に取り愚いたり、大祭のじやまをせん様に言い附けて、 スこヘ カ 基 の 棲 祠えもどる様に処置する作法﹂で、通常、礼神楽が行われるころ に同時進行で行われる。 本資料には、以上の日月祭の祭壇や祭儀について詳解されるが、さら に貴重なのは、現在にはほぼ消失した、託宣の作法について記されるこ とである。 神懸りして激しく﹁くるくる舞い﹂を舞う本役を他の太夫が抱きとめ ることや、家の当主が次のお祝い祭り︵日月祭︶を約束した上で、﹁相 取り日の釈﹂と呼ばれる役の導きによって、共同体の災難事等について 託宣をすることなど、興味深い作法が知られる。ノトが託宣の一連の行 事として行われたことが知られる点等も、ノトー−宣り詞、という本質を 考える上で、貴重である。 日月祭において降ろされる神が日月神、屋の神の大祭において降ろさ ひじり れるのがオンザキ様ということになるが、これとは別に﹁山伏聖の託 宣﹂なる託宣があった。 大 祭においては、埋葬した先祖をミコ神として転成させる儀礼﹁取り 上げ神楽﹂が行われる場合がある。この対象となるのは、生前太夫で あった先祖が多く、“取り上げ”をして﹁新ミコ神﹂となり、さらにこ の 次 の 大 祭において行われる﹁迎え神楽﹂によって、﹁ミコ神﹂となっ て、オンザキ様とともに天井のタカ神として祀られることになる︵拙論 「 死霊・祖霊をめぐるいざなぎ流御祈祷﹂︵福田晃古希記念論集刊行委員会編﹃伝承 文化の展望ー日本の民俗・古典・芸能ー﹄所収、平成十五年︶、参照︶。 しかしながら、取り上げた先祖が生前、山伏であった場合には、ミコ れ ホンザン 神として屋内に祭ることはせず、﹁記洲の国、大峰本山シゲキが基え、 クラエ 今当代の山伏聖と、位置く﹂、すなわち、山伏の行場、紀州大峰の役の 行者のもとへ聖としてお送りするのである。したがって、子孫をはじめ とする氏子とは﹁縁切り﹂をすることとなるが、このときの別れの儀と して、本役が託宣して、氏子らへ会合和合を心がけて暮らすよう諭し、 別れを告げるのが、この﹁山伏聖の託宣﹂で、大祭や日月祭での託宣と 異なり、重々しく、物寂しい気分になったものだと、小松氏は語ってい る。 うだ ちなみに、大正十二年生の小松豊孝氏は、くるくる舞をする本役の抱 き役の経験が五六度あるといい、本資料は、往時の託宣の作法、様子の 実 記 録としての価値を有するものといえる。 ところで、家の大祭、日月祭においては、同じ舞台において法楽とし よめ て、じいさん・ばあさんの﹁面の舞﹂や、﹁十二のヒナゴ面﹂による﹁娘 むご取り﹂の寸劇が行われた︹参考H参照︺。いずれも滑稽劇で、見物人 との応答が人々を笑わせたが、﹁面の舞﹂のおわりでは、山川を鎮める ための反閑が行われた。また、﹁十二のヒナゴ面﹂は、日常はオンザキ
[旧月祭、託宣作法』] ・・松尾恒一 様とともに家のタカ神として祀られたが、悪魔・外道を防御する呪具と して信仰された。特に、この中、角のある﹁式喰い面﹂と呼ばれる面は、 ンキ 外部より放たれた式︵呪誼・調伏︶を失効させる力を有するものとされ、 その恐ろしい力によって、扱いを誤れば災いが起きるものと信じられた。 滑 稽なヲコのワザと呪術とが、分かちがたく結びついている点、注目さ れる。 いるが、ママ 等の注記は最小限に止どめた。翻刻者の注記は右脇に ( )内に記した。 〔凡例︺ ・字体は、正字・異体字・通行字等、でき得る限り、原文に近い字で翻 刻した。 ・行取りは、本文の改行箇所を尊重しつつも、内容に基づき適宜改めた。 その際、唱え言等の詞章は原則として、一字下げ、または二字下げに して、その箇所が明確になるようにした。 ・ 改丁行を、 ﹂ によって示し、その下に丁数を記した。ただし、文 の途中での改丁の場合のみ、あわせて翻刻文中に改丁箇所を / に よって示した。 ・句点、読点は、原文を尊重しつつも、意味、内容に基づき適宜改めた。 その際 ・︵中点︶に改めた箇所も存す。 ・ 原文には、見出し点として ◎ ○ ○ ・ やこれらに類するいく つかの記号、及び、○囲み数字等が使われている。これらは、朱・墨 両 様あり、また細竹の断面で印したもの、筆記したものの両様が混在 する。これらを正確に区別して再現することは困難であり、でき得る かぎり近い記号によって翻刻した。 ・ 末 梢 文字は、原則として翻刻せず、抹消文字が存することも示さな かった。 ・ 原文は、現代の用字とはことなる、いわゆる当て字が多く用いられて
〔参考︺ 1 ①小松豊孝記、日月祭祭壇図︵図−∀ ㍑
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[「日月祭、託宣作法」]……松尾恒一
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②平成十二年 市宇 十二所神社 日月祭祭壇図︵高山和枝図︶︵図2︶H 小 松 豊 孝 記 『 天 の 神本式作法﹄︵平成十二年記︶ ① 面 の舞について おも ○ 次にせめえゑの面ておまう︵さんじの舞いとも云︶ 是 の舞は鎮の作法であるが、木で作った男面と女面ふたりで行ふのが 定めで有る。 アシナカ ○身支度 翁と姥で有るから粗末な書物で、足半と云ふワラで作った履 オビ 物が良い。帯はワラ縄がよい。手拭いは少し汚くしたのが、持物は男は 鍬、女は草かり鎌と昼食用に里芋等、男は水を入れる道具、ヒョウタン か竹ヅツ袋、昼食用のおべんとう入れ。有ればコーリ。食べるふりのむ ふりをするだけ、中は空でよい。何になければ上着だけぬいで其処に有 る品で、鍬と思い鎌と思って芸いをすれば良い。 1、先づ二名面をつけて、棚の下に座し両手を面にあてうつむく。 一名の太夫がかんたん祓いを︵是れはいのり調子︶いのり引き継を 唱る。 2、男面の背中に扇ぎを開いてのせ、祓幣を立て・面を起こす文字を唱 える。文字が行ふ処により少しちがいが生じる。 3、面を起こす文字︵高知県香美郡物部村︶、是れ南は南塩道とて土佐 こロつり 七 郡 の 香 加 美が、郡は物部川とて山も川も谷も多くして、川上より 流 れ出つるが、此の物部村の大栃と申すは物部川の七合目にて、八王 子宮氏神の広前にて、阿弥陀如来様の奥の広野に、海に千年川に千年 ヘネン トシ 山に千年三千歳の歳をゑた炭やきこいぜか、神鎮めにまかりい出て、 ね や 踏 み や 鎮 め て 我 が 任 処え戻ると申す。 5、是よ二人が立ち上り鍬を杖に突いて、なるべく老人の動作に氏子の 方え、杖にすがって手を氏子を右左見る。氏子はちいさん何処からき た、年はいくつ、とか色々の事、たつね、ぢいは言葉は発せずアンヂ クしたり首を横にふったら、色々の動作を氏子と掛け合せ即興でする。 腰に付けた品を下において、翁は鍬をおく。姥は事を刈るまね。氏 子種を蒔いてないが、ぢいたねを蒔いて、向きをかえて蒔いてない処 をたがやす。氏子違ふ処を打っておると言い、時には姥は刈った草を 氏 子に投げかけるまね。ぢいも草をひいて投げかけるまね。是に氏子 が 何とか答える。ちほう老人のまねをする。色々面白い笑わす事を考 え出し、氏子もからかうことを考出して言ふやをらして、ちいさんく わを杖に姥さんすわり込んで腰をたたいたり 道上を見る。氏子、ち いさん、ばあさん、疲れたか腰もすくんだかそろくお昼にしたら、 二 人すわって食事する。二人が分け相って食べるまね。氏子何とか言 ソ ふ。お茶をのむまね。のどにつまったまね。其の度に氏子何かと考え 出して、からかってやらねば役者が芸いがしにくい。しばらくして、 おちさんはタバコをのむまね。是はキセルできざみのタバコをのむま ね。ばあさん、しらみやのみとりを取るまね。氏子なんとかからかふ。 おこっうたふりをして、しらみやタバコのあくや、はな毛をぬいて氏 子に投げかけるまね。手鼻をして吹きかけるまね。二人が組合ってひ るねのまね。氏子、からかう。しばらくして二人が立ち上って立ち小 便するまね。氏子からかう。ちいさんはばあさんのおしりをのぞくま ね。ばあさん、おこってかまを振り上げる。ちいさん、ふせぐまね。 氏 子はなだめる。しばらくしてちいさん面の空を手をかざして見る。 氏子、ちいさん・ばあさん、もう日がくれるからおうちえ帰れ、とす すめる。きこえんふりして、三回位い言わしてうなついて、杖を突い て 棚 の 下 迄もどる。 是よりふみしづめの作法にはいる。翁の方が杖に突いた物を右足の 親指にはさみ、両手で杖に突いて、少し前えか“みにかまえる。太夫、 扇ぎを開いて、祓い幣をそえて、背中にのせて鎮めの文字︵かぐらで うし︶ キノヱキノト ヘンバイサンゴン フ ○ 東しとう方、甲乙が方、山川共に反閑三献、踏みや鎮めてまいらす
松尾恒一 [『日月祭、託宣作法』] る︵相役は足のか“とを付けて、ツマ先で踏む。両手は足の動作をわけ て 上下する。︶ 次、向を替えて南なん方、ひのゑひのと︵以下同︶西さい方つちのえ つちのと、︵同︶ 北 が ほ ん方かのゑかのと、︵同︶、空中方みつのえみつのと︵同︶ お わりて座し、天神の五方立てを、錫杖を振り乍ら いのり調子で唱 える。 奉神宮のまいを、そここ・にまふて終り ②十二の面の舞 ヨメ ○もう一つに本村別役地区に伝わつていた娘むご取りと言ふ作法が有る。 是はそれぞれの役する面が十二有り、十二人がかむりて舞台内に一列 カミガタ に 並 ん で 即 興げきで、田舎言葉でやり取りをする。上方のしんげきの様 な式で進行する。 見 て いる氏子が腹をか・えて笑ふ様に言い合つたり、処作をしなけれ ば いけない。其のあらまし 記しておく。 ナカウド 炭やき他の翁姥老夫婦の二人と仲人、彼の面が苦労話、世渡︵生活︶ 話に始り、息子に嫁を貰ふ話し。仲人がこうした処良い娘がいるが、貰 様に仲人を頼む。仲人先方に行き、いきさつ話を色々面白おかしくして、 娘を嫁に貰い度話に入り、娘の両親が言を左右し、やらんともやるとも 言はん。話を中断して智の家にもどり、先方の言分を傳えて話をし、話 を進めて呉れる様にたのむ。仲人再度娘の家に来て相談にのつて貰ふ様 にたのむ。娘の両親色々やり取りの上で娘との話合も有り、今日は返事 が出来んとなり、仲人は智の両親に先方の話を告し、是非話をまとめて もらふ様にたのむ。仲人娘の両親に承知してもらう様にお願いし、ここ で 娘も両親も承知する。智の両親に話が成立した事を告げる。両親、喜 ん で日時を決め、仲人花聾つれ、花嫁の処に来、あいさつ盃きの取りか わし、花聾帰り仲人花嫁両親つれだつて、花聾の処にきてあいさつをす まし、三、三、九度の盃きをすまし、つれよめ盃をゑぶ棚に納め歌もう たい酒もりをして、花嫁花智に仲人が床入りをさして、二人が重な合ふ たところで、終りにして鎮の面で一人で鎮めのかんたんな作法しておわ り、で花娘は処々ではつかしいふりもする。 此 の作法も、大正の時代以後本式に行つた事は無いと思ふ。決まつた もんくがないのと、此の作法の出来る役者がいなくなつた。仲人と聾の 父と、嫁の父が、とんちの利く人でないとしばいにならん。 又面も十二揃つている家はめつたになく、物部村では古代から面は一 個だけあつても、十二のひなごの太神の化身としてうやまい、箱に入れ て 天井裏かおんざき様の処に安置し人目にふれる事はなく、其の家の守 り神で悪魔下道は防ぐ役目の神の姿で、鎮めの役せき神や囲い神に利用 する神で、大祭以後に出す事はなく、太祭でも面を使用する作法を知つ て いる太夫がいなければ面に対して不敬になつて叱りを受けると、恐れ ツノ て、出す事はえんりよした。角の生えた面は敷喰い面と言つて、其の家 の 主 人しか手をふれない、祀るのにやつかいな面で有る。十二面の揃つ た家では今でも肉食はしない。 大祭のおわりに面の作法行ふ理由は、世渡りの作法と、鎮めを行ふ目 的で、先に書いた法は作物の種を蒔く処が有り、後の法は結婚して子を 作る場面が有る。昭和十年頃まで田舎では男女が好き会同志で結婚する 事はほとんどなく、親同志の話合で決める事が当然とされて、仲人が誰 に来てあそこえなら娘をやりたいと思つても、三回は足を運ばすのが当 然 のならわしで、もつたいをつける家でわ七回くらい、仲人をするには、 わらちが七足半はくかくごで引き受けなければいけない。仲人口と言ふ て、上手口や少々のうそも言わなければいけない。又、仲人口はいくら と言ふ日当の決りもなく、奉仕で有つたのである。
伊弊諾流 昭和五十五年国重要無形文化財指定 日月祭作法 其の他 甲戌平成六年度作本 紙 制 人 香美郡物部村山崎 山崎喜章特別手漉紙 高知県香美郡物部村大栃 癸亥年 小松豊孝 大 正十二年三月十日生 出生地旧香美郡槙山村市宇 鎌ケ峯 二五二番地 目 次 、日月祭太祭 ソトニワ 外 庭 に て行ふ式次第 一、 右 大祭に行ふ託宣の作法 一、此の大祭に附いた舞い 一 、おんざき天の神の託宣の作法 ヒジリ 一 、山伏聖の託宣作法 此 の 様な祀りをする家は、旧槙山村には数歩く有り、得 に岡之内以東に歩い。 全 盛期は、昭和十年頃迄、永い戦争で祭典もたえて、現 在 は 住 民も町え出て、家は空家同然、すべを知つた氏子も クラ いない。心得た太夫も、筆者をふくめて三人位い。後継は、 居ない。昔のものがたりとなる。よつて書き残すしだい也 」扉 り。 マヅ ◎日月祭の式次第 先解設 別の呼名を天当請神とも云ふ。一般に行ふ式と天代式と 二 通り。 祭日は、三日月、十七夜、二十三夜、いつれも旧暦月齢 による。太祭は旧暦十一月、十二月、一月の三ヶ月、冬の 節、枯木の山に修行する習わしで有つた。 祭神として日と水と月を主神として、天神地祇、宇中一 切 の神仏、五行の神もれなく祀り、人間も和合の場とも考 えた太祭で有る。古代神道流に言えば月讃の尊、日讃の尊、 水はめの尊と成る。 古代天竺で考え出された祀りと考えれば、日も月も神と 考えれば、人間に大切な水、海は生物の生れ始めた元。又 チキウ 天 体に水の有る物体は地球以外に存在しない。三千世界と も呼ぶ。 幣飾りにはお日待の幣、中に水天宮の幣、月待の幣と三 チキウ 本 が 主 の幣で有る。幣飾から考えれば日、地球、月とも考 られる。 三日月祭は上弦の月と日、十七夜は中天の月日、二十三 夜は下弦の月日を、祭神として有る。 タユウミコ ボヲサン 又 三日月祭は大夫現が、十七夜祭は主子、二十三夜祭は 山伏が其の作法で祀り始めたものと言ふ設も有る。又三日 月は子供の頃の月、十七夜は壮年の月、二十三夜は老年の 月を祀つたのだと云ふ話も残つて居る。此の話は設得力に トポ 乏しい。 又 何時の時代から始めたかも、書き残した書物は現残つ 扉 」見返し 」 一オ
松尾恒一 [『日月祭、託宣作法』] て 居ない。傳設として筆者の生れた物部村市宇では、月谷 の 谷口に、水の中に大きな岩が有り、其の上は平に成り、 ハ ヤマミサキカワミサキ ツガの木/が生え茂つためづらしい山崎川崎に、山の分 でも川の分でも無い神祀り場に最良の処が有る。其の処え、 キヂ 此 の 土 地に住んで居た撲師が、三階の棚を作つて祀り始め たのが始りと言ふ。 メイヂ しかし明治の終り頃には村の奥まつた地区では、方々で 同じ様な祀が行われて居た記録は有る。 京 都吉田流及び橘家︵チツケ︶の神道法の書物には三階 の 棚はなく、土の上に舞台︵祭段︶作り、中央に盛り土を 作り、榊木を立て・、神道の法で祝詞奉文、大祓いを基本 にして、にぎやかな作法はなく、おごそかを旨とした祀り 法 の書物は有る。 両 法を比較して見るに、伊募諾法として残つて居る法が カミホウラク 古くて神法楽に叶ふ様に見え、神道の法は簡易化して役者 一人でも出来る様に作り替/た法のように思われる。 古代山間部では深山ユウコクでは人間が少く、山の精霊 が強くて魑魅魍魎︵チミモオレヨウ︶が横行して、高神を 下ろいて祀らんと生活が出来がたかった事も有り、年代を すぎるに従い人も多く成り、豊年と氏子の安全を祈願する 祀りとなり、人々が集合して、和合やすらぎの行事に変化 したとも考える。 キヂ 撲師に就いて本尊を是高親王とされる、父︵小松達吾︶ より傳設として聞いた話によると、親王は皇位を継承する 立 場に有つたが、ライ病にか・り宮中を退いて、オ・ミの 国︵シガ県︶に部下をつれて移り住む時に、日本国中の山 ハエ ジウコウ 八 合目以上に生て居る木は自由に切つてよいと上皇よりリ 」 一ウ 」 ニオ キ ヂ ンジ︵許可証︶貰い、其の当時全国/に居た木地を部下と し、山の木を自由に切つて制品を作つて、金や食料に替ヘ グ て 生 活するけんりをあたえて、其の人々から年貢を取り立 キク て、優秀な撲師には菊の紋証の有る巻物を渡し、明治の初 年けん利を時の政府に取り上げられる迄は、山の木、得に 栃の木についてはぜったいのけん利を以つて居た山間部に、 撲師の墓と名付、恐れられて居る塚が今だに点散して残っ て 居る。其の他にも色々の祭事、字文、法文、加持祈祷法 等も教へて許しを渡し、其の人々からも年々年貢を取り立 て・全国を渡る役目を持つた人も居た。 又 地方からすぐれた者を本部え同行さして得別に法文 を/傳授して院号を渡し、其の者が弟子を取り勢力を増す 方法も取られた様な風設も有る。 現 代 迄 に言い傳えとして残つて居るのに、何処の何々と ユル 言 ふ 者 は 許しを貰いに京の都え行つたらしいとか、日光院 の院号を貰つて来たとか、土御門より貰つた定と書いた書 物の有る家も有り、是等の先祖はすべて神道流や伊募諾流、 又は山伏傳の太夫現で有り、此の様な家係には必ず﹁おん ざき﹂、又は天当様、又は天乃神等を祀つて有り、是等の 大祭は三年五年又は八年に一回、豊作で金まわりも良く 「 い み ぶく﹂の掛りのない年、つまり日本靖の良い年を迎 えた年に氏子が相談して、/ひけい諸物もと・のゑて、太 夫現も三人五人と雇い、二夜三日の大祭請神を修行しなけ れ ば いけないと云ふ定をもうけて有つたが爲に、現代迄 色々の祀り法、加持祈祷、字文字法が親から子え、師匠か ら弟子に継承されて居た事はたしかで有る。 物部村のイザナギ流は撲師との間係が深い。其の内容は 」 ニウ 」 三オ 」 三ウ
熊 野 の文化の色合が強い。 天 竺とは日本よりはるかに遠い国と云ふ事で、中国印度 の事。天竺天とはイラン、トルコ、ギリシャ等の事で有る。 日月祭の事にもどる。 個人の家の場合、天当様のおにわの有る家と云い、其の 家には必ず屋の神、オンザキを祀りて居り、天当様たんど くと言ふ事は無い。 又村の氏神様え祀りそゑて有る氏神も有り、是を氏神の 左 脇にそなわる天当様と云ふ。 大祭は戸外え三階の棚をしつらゑて、舞台をもうけて行 ふ の が 本式で、止むを得ん時、常で盛大な祀りの出来ない 時に、家の中に三階のたなを作つて行ふ場合の二通り。外 庭・内庭と呼ぶ。 外庭の場合、案内が無くても世界中の人がだれが参拝に アメ 来ても不都合がない。つまり、天の下者は皆氏子と言ふ意。 た“し﹁イミブク﹂の係る人、檬のか・る人は舞台の内に はは入るなと言定也り。 氏神の左脇の天当様は内庭でと言ふ事はない。又家での 場合、オンザキ様の大祭をせずに、天当様だけの大祭をす る事はいけない。 氏神の場合も同じ。其の年の都合で、オンザキ、氏神の 大祭はするけれども、天当様の分は出来ない、と言ふ事は 止むを得ざる事として許されるとして有る。 此 の 場 合 でも天当様えの分として、くらゑへ上げ︵水グ ラヱ︶は必ず差上なければいけない。家の場合、天井ウラ に祀つて有る幣飾り、供へ物は差し上る定め也り。 ◎ 大祭の式次第 」 四オ 」 四ウ ① 読解、取分け 此 の時に、今年は良い年を迎た故に天当祭も行ふと決め ミテグラ た時には、一階の幣束の他に、もう一基三階の幣束を作り、 ソオ ゴ ンキ 色紙を使用した幣束を用意する、︵是を三階相の五色の仕 立︶と言ふ作り。 読解の時から、 当年は日本晴の世年を受入れたから、天の太おん/ざ き様えの請神ついでを以つて、十六天又は氏神の時に キセイ は 氏神様えのくらゑへ上の、大願祈請の請神ついでを 以 つて、御十七夜の御如来、二十三夜、日天御日待、 ミ カヅキ 御 不動、おん三日月の御如来様えも、大願祈せいの申 ホドキ し解の御祝い祭も差上申さうわけにて、其の御ん爲に 三 階相の五色の仕立も割りや用合仕立て・、御神のザ ヨミヘ ツマえうつろい申した、稜い不浄も讃解け、取り分け、 祓い解の式法しだいの儀にてござる、 と始めから言葉を告げて諸式を行ふもの也り。 ②大祭に取り掛る日取りとして、かりに十七夜祭で有れば、 十七日が祭日となるゆえに、十五日迄に屋の神様の大祭が 荒神しづめを余いて/終らして、十六日には太夫の体そく と大祭の役取りに当てる。 十六日の夜に月の出る位置と時間をあらかじめ見ておく。 フマ 当日朝早く床前氏神の時には神前にて祓い幣、請神の米 ( 八 合 八勺升に入れる︶、塩水を用意して、請神入りの祈願 の 祈り︵請神入りと云ふ︶を行ふ。 作法は、コリ配りの要領で、 地神、公神及び大小神祇尊、現神、高山本尊、大天 狗・小天狗・十万八天狗様え、神がもりめ神楽の役者 」 五オ 」 五ウ
松尾恒一 [『日月祭、託宣作法」] ヤトワレ ミカド は時雇で、天当両御門、大小神祇様え大願祈せい申 しほどきの式法しだいの御祝い祀りの儀にて、三階高 棚結い飾、五万御幣もへぎ飾り式の御膳もこうじ供え て、熊野新宮本宮のおん湯も迎へて祓い清めて、ヤ ソーの神楽/で白金小金の、三階高棚式のこぜんえ迎 へて、しだいしだいで招じのぶたいえ招じ直いて、天 竺柳三川の水汲下ろいて、十二万才くらえてへ上げて、 ライハイ 三十三度の礼拝ヤソーの神楽も差し上げ申さうわけに て ござれば、たしかな前楯、後ろ楯、良き嬉びの御引 アダナ 継を召されて、徒名ヒケイは取らせず、師匠に名折も 神や仏けのおかどもたおさん、花やかつまやか祭り取 らして下され頼みまいらすると﹂ 是より行ふ事を全部ねんごろに、出来るだけ神仏の名前 や 処 在 置をたのんで祈願して、お棚を作る場所、家、氏子 一切を塩水で清める。 祓いの字文は﹁得に釜戸の祓いは、七回か十二回繰り返 し祓い﹂、他は讃華、錫杖、般若心経、塩、其の他の祓い 意 の 如に。 ◎次に天当様の御庭と定められた処え、月の出る方行に向 か つ て お祭が出来如くに︵酉向に作る事に成る︶氏子一同 で作る。前日迄に材料は用意しておく。 棚の作り方に付いては図解にて示す事にする。 ナワ たなの材料にシシクサの木は不可。たな木をく・る縄に ママ は藤かづらの地面を傳つてのびた細長いかつかづらが良い。 藤 ヅ ルを少しでも使ふ習わし。藤はかづらの王とされて居 るからで有る。 榊木は十二本棚と舞台に使ふ。 」 六オ 」 六ウ の カい しめを、七五三、七五三と足をない付にしたもを引きま わし、一ヶ所に出入口をもうけて、シメの子、榊にしでを つけて飾る。此の場合は五色の色紙で作つて、配置良く氏 ウツク 子 が 見て、美しく仕上る。十二のヒナゴ︵コミコ︶を四 チミモウレウ 体 紙 で作つて、如何なる魑魅魍魎、下道の/ものも、舞台 内に入いらん如くに、又祭りに対して五方十二ヶ方から、 法人・法者・出家・主子・太夫に山伏、諸人友柄から、敷 打掛けても字文法文サク字にヌキ字呪誼打ちかけて来ても、 本 人しだいえもどる如に、敷仲式の計合、四万四神ヒナゴ の 大神を行い下ろいて、関を行い使ふて四方の中心処え掛 ける。 又得別の関神として、大半紙に定めの梵字をぬき書した 書物を用意しておつて、当日十三体の本尊様を仏法にて行 い 使 ふて、舞台え出入りの氏子の身体に、チミモウレウが は あ オト つ い て 居 ても、入口でけり落いて元の棲祠に送り返す様に、 ショウジン 氏 子 の 者 が精身が悪くても、肉食・花火・黒ビを食して 居 ても、お叱りをせん如くに広くに許いて、おまいりを受 けて呉れる如くに読分けて、/錦の布に入れて四ツにタタ ン で出入口の上を通つた。シメに祀りが始まれば掛けて置 く。是は日月祭を外庭で修行する時だけにするヒミツの法 で有る。昔の意地の悪い大夫は精身の悪い者が来たら叱る ゲ 様にして有つて、知らずに入いりて叱られた話も有る。下 法に成るから、つ・しむべき事也り。 ◎ 棚 が出来れば上段の奥、左右に幣飾りシメ飾り。 サダメ 定の飾方による︵後で別紙に図解︶おわりて、各段に敷 きござを敷く。昔はシカ皮で有つた。現代はワラでコモを あんで作る。若しビニール、ナイロンシイトの様なものな 」 七オ 」 七ウ
ら少しでもワラをそへるべきと思ふ。 次は、お供え、上段に八膳、中段に四膳と一斗二升一貫 二百、俵らに入れて、五ヶ所しばつて立て・供える。 下 段 は 氏 子 が 持 参した品物/下段は太夫が動且を置く処 にも使ふ。上段の中頃に升に八合八勺の米を入れて五色の 幣を立てる。 カ 中段には線香立ても、線香、有れば金も置く。氏子がお まいりが出来る様なサイ銭箱に替る入物も入用。 向つて左に掛の魚タイニ匹、太根、ネギ、カブ、ニンシ ン、ショグ等縄でククリてツルす。右にテオチンを掛る。 昔は上段に山鳥キジ等も供えた。里イモ甘酒等も供えた。 ◎ 膳 の 組 み方 モチ 八 合 八勺の洗い米、餅、クリ、柿︵干しがき︶、果物、 コクド 酒、国土乃菓子︵ケンピ、ショチウ︶ ナ ナクサ 洋菓子は不可、ノリ、寒天、コブ等で海山川の七ナ草と 呼ぶ。 太夫は正そうして綾笠かむり、口にシキビの葉をくわえ スマオリ て、膳の上に大半紙を角折にして三角に成る。せまい方を モチ カサ 手前に敷紙をしいて、餅三ツを一と重ねとして、一膳に、 モチ 膳 の向ふに横に三組、/餅の次にお洗米、榊木の葉で米ツ モチ ブを八回と半分、各々餅の元に盛る。次々にクリ・柿・寒 天・コブ等は、物により細く切つて盛る。菓子、果物、酒 は、杯に二個又は三杯に少量入れて、其の上に香葉︵シキ フサ ビ︶の房を処ろ々々に千切つてのせる。十二膳同様に。 余つた酒は半紙でのしを折つて附けて上だなに。余つた 他 の供物は、下段のたなに入物に一とまとめにして供えお く。 」 八オ 」 入ウ 此 の 様な供え方を盛りこみ式と云ふ。平安朝時代の貴族 の膳にまねした作り方で有る。 ◎ 湯 立 の 次第 カカ お供に時間が係るので、手の空いた太夫が湯立の行事は 同時進行で行ふのが通例で有る。 作法は是迄設明したのと余りかわらないが、よみ分け理 間の処で、 十七夜祭、又は二十三夜、又は三日月/様えのりうがん ホドキ きせいの受約速の、申し解のお祝祭の爲に、と字文を折る 分と、湯をまぜて占ふ処で、 本日当処ところで、天当様のお祝い祭に、足手の運びの、 子 の年亥の年十二ヶ年の氏子仲場え、うつろい申した、 稼らい不浄のしだいを、けだいて、見せて下され と、其の家内の氏子の分と、二回に分けて行ふ処が余分 也り。 清 める順序も二番目に、天当様の、御神のザツマ、白金 ゴ 黄金の三階高棚のりくら、ご幣鎮守のミシメ式のこぜんを 清める。高山本尊太天狗小天狗様を清める。
薗
他は通情の時と、同じで有る。 ○ おわれば、休憩時間を利用しておんざき様の時と同じ ようにお供えが出来ましたと、氏子と太夫の杯き。 ◎次の作法は礼神楽に入る。 役 者は棚の元に座し、錫杖、扇、綾笠、作法はおん崎の 時又は氏神等で神楽式の祭りの時と同じで有る。 ママ 目的は、是より日月祭の諸礼の神楽差を上るによりて、 トモドモ 天神地神に一同に会して、共々に祀りを盛り上げて下さい とお願を申上げて、幣束やおしめをのりくらでお祝の式場 」 九オ 」 九ウ松尾恒一 [『日月祭、託宣作法』] ハツボ に案内すると云ふ事で、普通の時にはコーリの初穂をまい らする、神楽式では、御札ヤソーの神楽をまいらする、と 唱える。 ◎唱える順序 先づ其の場所の地神公神から稜い消しにつ“いて、 ソナワリ 別儀のしだいでおわしません、当処敷地に鎮座︵ソナ ワリ︶申した地神公神、地代、土偶公神、父播権大王 神、二十八社、火の神/三十六社、清きへんつい荒神、 大師七夕、陽楽七夕乙姫、光る七夕、作るすじようが ママ ウカのめ、ウカの麻、ウカのお魂が恵美須大墨福の神、 王 柳 王様、天中姫宮、天竺伊募諾大神尊様えは、三処 は壱目に御礼ヤソーの神楽をまいらする、下り入り用 合なされて、数もかずくの神楽の役者の、前楯後ろ楯 メ を頼みまいらする、神が盛り硯の神楽の役者は、氏子 ようねん 仲間に時雇われは申して、当所処うに余年久しく百年 此 の かた、祝われはしますお十七夜の御如来、二十三 夜に日天、朝待お日待、御不動おん三日月の御如来様 えの、大願祈請の申しほどきの諸礼の神楽を差し上げ メ 申さう沢にてござるが、神が守り硯神楽の役者の、自 法自力の/しだいに相い参らせんからでは、大小神祇 様をは、御ん礼ヤソーの神楽で送り迎へをしまいらす ヒキツギ る。次第々々のヤソーの神楽の、おん引継を頼みまい らする、 ︵二回目︶当所敷地の総の鎮守の、何々の氏神、お・ ナ れう敷地の七ナ宮八宮︵ナナミヤヤミヤ︶のしば神鎮 ウヂホトケ 守、氏仏、御本尊様、お十七夜のお如来、二十三夜、 日月、日天、朝待、お日待、お不動、おん三日月の御 」 一 〇オ 」 一 〇ウ ドモ メンメ カド 如来様、数もかずくな氏子供らが、各人の家でいた“ き持つたが、お十七夜、二十三夜、おん三日月の御如 サンジョ 来様、天の高神、大小神祇様え、三処は壱メに、おん 礼 ヤ ソーの神楽をまいらする、おりいり用合なされて、 メ 神が守り現の、前楯、後ろ楯をたのみまいらする、 ︵三回目以下は普段の順予でヤソーの神楽、引き継の 字 文も時間が/掛るので、かんたんに附ける︶ 一通りおわれば一度は一寸くわしく次の様に引き継をた のむと良い。一通終りて、 ◎神がもりめは、氏子仲間へ時雇われは申して、天当様 えの諸式のかぐらを、差し上げ申しまいらするが、自 法自力に相いまいらせんからでは、由法がなければ由 ツ 法も附けて、由納も着けて、字文字法も一字は教えて 二字つまつかせず、三字に迷いも無いや如くに七ナ重 ジン ツ ユタ ゲ の 神津に、八重のじんづに、豊かに散華の法ともく・ まし、かみからしもえ、花やかつまやか、見るや聞く よの次第と、くらゑへあげおかいて、あだ名ひけいを 取らせん如くに、神や仏のおかどもたおさん、師匠に 名折も取らせん、良き嬉の、御ん引継を、たのみまい らする、 ( 以 上 の 事は何時の場合も同じで、始とおわりでくわしく 又中間で/少しくわしく、増げんは自在で有るが、祭祀の 種 類によりて、急処をわきまえて唱える事が大切で、歩年 のけいけんと、其の人の持前に掛る次第で、伊募諾流の奥 深いかくれた処と言える。 ◎ ヤ ソーの神楽が終りて、次は常の如く舞台の本地 請神舞台の御本地くわしくよみや開いて参らする、 」
一オ
」 一 一ウ①、林建 ②、おしめ ③、笠︵おわりて笠をかむり、 扇を開きもつて右手に錫杖︶ ④、太鼓︵おわりて太鼓 を打ち始める、︵注沢︶太鼓を打つ人が自分で本地を唱 えておけば、其の時点から打つて宜敷い事に成つて居 る︶ ⑤、お洗米の本地︵弓は不要︶舞台の本地おわりて、 ◎祓いの字文11祓いと云ふ作法は是迄記した通り 一ツには清める、又一ツには廻向両方を意味する。祈り シカ の時には三通り、五、又は七通りと定儀/有り。然し、神 楽の場合には唱える調子が異る故に、時間の事、一連の作 サンゲ 法の流れも有る。如何なる場合でも讃華の祓いは行ふべき と、当流儀の定めで有る。 字文終りて、字文理間は、目の前にしつらゑた品物の名 前を唱えて清めれば良い。 従つて是の場合は、 ◎賛華の祓いをよみや開いて、白金黄兼の、三階高棚の りくら御幣、鎮守のミシメ、くうじ供えた式の御膳、 請神の舞台、綾が千反、錦が千反、いなぎぬ千反、天 スエヒロ シン おもて 竺 三 ヶ長とも、まねばせ給ふた、末広扇に、ご神の面 ツク ︵か“み︶ひけい諸物、法の枕、作りの初穂に、穂花 の初穂、数も数くの氏子仲間、神楽の役者の五尺の体 ハライ を、日本晴とも晴い清めをしまいらする。 の如くに。 ◎神勧請︵神仏をおそなえしたこ膳に迎える事︶ 祓い清めて、大小神祇様を式のこぜんえ、送り迎ゑをし まいらする ︵先づ常の如に地神・公神・氏神・イザナキ様︶ 〇 二回目 其の時に、主として祀る神仏此の地合に次の如 」 一 ニオ 」
ニウ
し ﹁お十七夜の御如来、二十三夜に、日天、朝待、お日 待お不動、おん三日月の御如来、二十八山、五十八山、 タカ 八十八山、百二十八山、五百八十八山、高山、本尊、 大 天狗、小天狗、十万八天狗様を、三処はいち目で、 コガネ 白金黄兼の三階高棚のりくら御幣、鎮守がミシメ、是 れのりくらゑ、おいわい祭りの式のこぜんへ、礼処 ︵レイショ︶礼処で送り迎をしまいらする、いとんよ しつかに、か・りて用合成り賜え、﹂ 以 下は常の如く成れ共、ヤソーの神楽でくわしく声を掛 ア ラ けて有るので、あらくに言葉を掛けて良い。最後は、 ゴオ ◎ 村 でも一社郷でも、一社国では大社の大小神祇、高や ホトケ 仏 の御本尊様、木乃神、火の神、土の神、金の神、水 アル の神、五方の主じ、地天の主じ、荒神様も唯だ一と言 葉で、三階高棚、のりくら御幣、式のこぜんゑ、送り 迎へをしまいらする、いとんよしつかに、か・りて用 合、成り賜え、送り迎への御廻向しだいに、四秀の歌 も歌いかけてまいらする。 ○ ( 是より四秀の歌の字文を唱えて、終れば︶ カミミチ ィ ◎ 大 小神祇様を、送り迎のおん道引には神道、道橋壱ち ダイジ オコナ の 大神で行い招じまいらする、 カミミチ ○ (是 より神道の行い字文︶ リュウガン おわりたら◎立願びらき︵現在迄に氏子が約速したお ガ ンタテ 願 立を礼を云ふて解くと同時に、是から役者の修行する事 リュウガン を成就出来る様に祈願する事を、立願びらきと云ふ︶ リユウガンビラキ カミミチ ◎ 立 願 解 の字文神道の行いにつ“いて モ ト ◎是迄おあらん限りに、日月二体乃月日の將軍様を基本 」 一 三オ 」 一 三ウ松尾恒一 [「日月祭、託宣作法』] タカ に始めて、高山本尊、大小神祇様をは、式のこ膳えは、 ミ ギ コ メ 送り迎も差上申してござれば、是より以前に祈願おき トケ 申した、大願祈請も小願祈請も解てほどけて、良き嬉 の御法楽を、賜れ頼みまいらする、しだいぐで神楽 の 役者は、ご位前様をは、招じの舞台え招じ直いて、 ライハイ 十二万才くらえてへ上げて、三十三度の礼拝ヤソウの マヱダテ 神楽も差上申そうわけにてござれば、確かな前楯て後 て カ うだを頼み参らする、其の御爲には神楽の役者は心揃 て /おん礼千代の神楽をまいらする ◎是より役者は、 アルジマツ ○ 礼 儀 の舞い ○主祀りの舞い ○扇の舞い ○へぎや ○奉神宮の舞い 其の他の舞いを、休憩を利用して色々の舞いを奉納する。 ソト 舞台の外の立ち見の参拝者には酒をふるまいもてなす。 立ち見の参拝者は、休憩時間を利用して舞台には入りて参 拝をする。 タ チ 又 は ハ ツ サ ン マツリ、チドリ、太刀おどり、其の他のお どりをする習いであり、内では役者は神法楽、そとでは氏 ノドツテ ヨミセ 子 供等が多勢集、ご楽談楽、夜店も出る。豊作、安全を 祈願、人神和楽、恵合和合の祭典で有る。 ニジカン ◎ 役者は月の出二時位い前に本神楽にか・る。 サイ 作法最てい三名は合せノト幣を持ち、他の者は/普通 の神楽幣を持つて棚の前に車座に座して修行する。︵合せ ノトとは三尺一歩の幣串に二ヶ所幣を差す様に作つた串に、 ホン 六 枚 ヅ ツ、本たきに五下り切り流の幣束に天井紙二枚、麻 尾一流、串を二枚紙で全体を巻き、こよりで十二ヶ所結ん トク だ 得別の幣︶ 」 一四オ 」 一四ウ 稜いけしにつ“いて継橋の字文 ◎先きしよともには、日月二休の月日の將軍様をは、白 金黄兼の三階高棚式のこぜんえ、送り迎は申してござ れば、次代々々で新し請神の舞台え招じ直いて、くら えへ上げをしまいらするが、ヤソーの神楽で送り迎を ダテ 差 上申した、大小神祇様には確かな前楯、後だて御ん 引継を、たのみまいらする、 ︵次に棚から舞台え迎える︶ ◎ お十七夜の御如来、二十三夜に日天/朝待ち、お日待 お不動、おん三日月の御如来様には、是より右には氏 子仲間は、一度を始め、千度に重なる大願祈請で有り たが、当年取りては、ユミブク晴れのき、日本晴のき コウ れ いな世年も受け入れ申してござれば、氏子仲間は頭 ぺ 首揃ふて心ろ揃ふて、太の氏子が元に始めて、小の氏 子も心ろ揃ふて、枝葉の氏子に言葉を告げて、良い日 サカノ にけん約恵合和合の、差す盃きの上で、物相談も伏せ メ まいらして、神が盛り現も雇い下ろいて、七百七升、 ゴ シン 諸物の上では御神のザツマえ稼いた稜、雲いたくもり ワ ワケ シ ミテグラ も、読解け取り分け祓い解て、四幣が幣束、ダイ婆の 人形、十二のヒナゴえ、読や集めて、王流、釈加流、 釈尊流、月読日読が流とて、流取りかけて読みやひら タイ いて、/ブニ当授けてヒケイもよらめて、字文も封し ネガイ ドウ て、ざいしよの願で七丈下り三丈下り、石が堂段、木 が 精段、イオオバンゼイ、昔千年トウドウ尉門の命の ス ソ 建ておく呪咀の名所え、地を三寸とは買い取り、十三 年の年切り掛けて、打ちや鎮めて、今日今宵を良い日 の良い時と選び定めて、十二人の神楽の役者も雇い下 」 一 五オ 」 」 五ウ
ろいて、東方浄土え白金黄兼の三階高棚結いや飾りて、 のりくら御幣もへぎや飾りて、十二本の榊も迎えて、 請神の舞台も作り支立て、鎮守のミシメも引きやまわ いて、十二のひなごもおりやあそばせ、綾が千反、錦 マ ネ も千反、イナ絹千反、天竺三ヶ長とも模倣ばせ給ふた、 ゴシン オモテ モチ イワグラ 末広扇御神の鏡もへぎや飾り、式のこぜんは餅が岩倉、 ネ クリ コウ 酒があいばで/清きこすいに、清き洗い米、栗柄香類、 コク ド 国土の菓子、作りの初穂、働きかせぎの初穂、海山川 の七ナ草、一斗二升に一貫二百のひけい諸物も取りと う立て・、こうじ供て、熊野の新宮本宮のおん湯もわ かいて、湯ごりが七度、火ごりが七度、潮ごり水ごり、 から火の大神で祓い清めて、其の上よりは、ヤソーの ホドキ 神楽でごぜんえ迎えて、大願祈請の申し解も差上申し てござるが、しだいくで、新し招じの舞台え招じ直 ザイ ゴ いて、天竺柳三川の水、汲み下ろいて十二万才、悟と ダイジ ライハイ うの太神とくらえへ上げ、三十三度の礼拝ヤソーの神 楽で、通り天えくらえへ上をしまいらするが、良き嬉 びを召されて賜れ、たのみまいらする、 ◎ 注 釈 是から先の字文作法は氏神の大祭の後、及びおん さき天の神の/神楽の後で、お十七夜様えの廻向の神楽と 同じで有り、省略する。別の項参照の事。 ◎三十三度礼拝神楽が終ると、氏子にノトを広める行事。 ママ 別の現が神楽の修行中に同時同時進行で、ノト掛ケの祈 祷を行つて置く。 のとを広めるのは、たいてい主役の太夫が行ふ。 ◎日月祭ののとの広め方について 太夫は扇を開いて、のと幣をのせ、スズと幣を一しよに 」 一 六オ 」ニハウ ムネ にぎり、お棚の前に立ち、のとをいた“ける旨を神に申上 げ、氏子の方に向いて歩み寄り、おごそかに、 カド ◎ 本日此処に、足手の運びの氏子仲間のみ門え取りて、 当年、世年、また来る世年え取りて、よそに波立ち風 が 吹くとも、四百四病八百八病、役神病いの神が流行 する共、非なるさいなん/悪魔下道がはいかいする共、 氏 子 の み かどえ入らせん如くに、山を通りて山主魔性、 川を通りて、川主化性、海を渡りて魔群魔性に、行き 合 い来相を致さん如に、夜が六時ひるが六時、十二が の 時を時差し、日ざしもなおに守り叶えて、ツルは千年 亀は萬年、トウボウサツは九万九千年と、守つて取ら せる、 ( 氏 子 が 拝をしたら神前にもどり礼拝をして、幣を棚の上 段に差しおく︶ おんざきの時には限られた氏子、日月祭は限りなき氏子 で有り、言葉が異なる也り。 ノボリ 三十三度の礼拝の時に、月が東方の空に昇始める様に 時間を合わす。神楽は約二時間掛る。月は毎夜少しつつお くれて出る故に、前日に出る方角と時間を見て置くので有 る。 ◎ 役者は休憩をする。此処で役者の勢をねぎらう意もこめ て、氏子と太夫との杯をする。交す言葉は、太夫は首尾良 ホドキ く願ん解が出来ました。氏子は御苦労様でした、後々宜敷 たのみます。 此 の 後 で 太夫連中は、全員が、自分の前として、三十三 度の礼拝神楽を差上る事を儀務附けられて居る。 ガンホド ◎そえ願解きの事 」 一 七オ 」 一 七ウ
松尾恒一 [旧月祭、託宣作法』] ガンダテ 一般の人が是迄に病気其の他の理由で、天当様え願立の 祈祷をして、其の節に入ツ折りシデンの願んの証拠に、何 の年、氏名、年れいを書き、三十三度の神楽を奉納する旨 を書し、祈願の時に、太夫は上み七里、下も七里の間に、 オ ニ ワ ホドク 天当様の大祭の御祭庭が建つた時に、おまいりに行つて解 ば カ 事を約速して有る人の事で、太夫は申出が有れ/心良く解 い て やる儀務が有る。 太 夫は願の証拠を受取り、願立の時の理由を聞く。 頼む人は米八合入勺と心志の金を差出す。 太 夫は神前に供えて、何性、何の年、何才の男︵女︶の ミギ 氏 子 が 是より先に、何故に、天当様え大願祈請をこめて有 つたが、諸願成就によりて当処ところにおにわがたつによ ヤ ガン りて、足手の運びで八ツ折り、シデンの願の証拠に初穂相 ホドカ いそへ、三十三度の神楽で、大願祈請の解し神楽を、良き 嬉びで受取つて下さる様に祈願して、廻向に讃華の祓い、 神道の三種の祓いを唱える。 同時に役者に、三十三度の礼拝を修行して貰ふ。此の場 合 三 人 で修行すれば十一回で三十三度に成る。そえ願のほ ノベ どきは延回数で三十三回に数へるが通例也り。 ホドケ ウカガ 此 の 場 合は解たか、どうか九字にて伺つて見る。受け取 つたと云ふ九字ならば、願主に︵ノトをい・だける︶。此 の時にはおんざきの時の様な字文で良い。御酒を、いた“ ヒカエ モチ フマ ンン けて控として二段目に供えておいた餅を三個、米少々と神 サ ソ 札をそえて渡す。 ◎ 九 字 の貰えん時には更に礼拝を修行し、太夫は月日の眞 言・般若心経・大祓い等、自分の心におぼえた方法をする。 再度九字を取る。 」 一 八オ 」 一 八ウ オト ◎落し願の事 ホドキ 是 れは願主が死亡した、及び、先祖の者が願ん解をおこ カ ビ たつて居たのを、家族が代行する様な時、是の場合可否を 問わない。 他 の 事 柄は願主、太夫共同じで有る。 取り継をする大夫は、其の由をしゆん時に作文して、神 レウカイ に申上げて領解して貰う必要が有る。 ソト ○ 此 の 祀りを外庭にて執行した時には、日本国中どこの神 仏にたのんだ願んほどきも出来る。しかし神仏がきいても、 太夫がきいても、無理からぬ理由のものに限る。でないも のは、やつても受附ない。 ◎時間を見て、一般の参拝者の分も三十三度を修行してや つ ておわれば、一同にノトを広める。手の空いた太夫は三 モ 十 三 度 の時は、祓い幣を以つて、光明眞言、十三仏眞言、 般若心経等で祓ふもの。 ◎日月祭の時には、不特定多数の人が参拝に来て居る手前、 託宣︵神のお告︶をおろすと云ふ式次が有る。必ず行ふと 云 ふ儀はないが、必要と考た時には是を行ふ。やる場合に は此の時点で修行する。法方は別紙にて記さいする。 ◎ 夜 十時頃に成れば、お日待様に三十三度の/法方は、ズ ズを両手でもみ乍ら礼拝。︵氏神の分で設明済︶ ◎十一時頃には祭りの終りの行事を始める。 ①、お供物を貰い下げる ママ 2、太天狗、小天狗を送神。家の内に入りて公神鎮。 一方でおたなを取り納める︵てつしう︶。 ③、神送 ④、座祝 」 一 九オ 」 一 九ウ
⑤、神道法神送り。 後はヒナーレの酒盛り。日月祭は十一時より早くおわら してはいけない。理由は、遠方から参拝に来る人が有るか も知れないからで有る。 ◎ 天台式の作法︵山伏流︶ ウレ 三 階 の 棚 の中心の奥に、孟宗竹の全長十八尺位いの竹に末 に六尺か七尺位いの間は葉を残し、葉の下に藁三貫メ位を タバ 末元打ち違にして、一貫位い当三束作り竹にそえて、しば り附ける。是れに、定められた幣束を串に差して藁を附け た部分に差す。/幣を差す爲に、藁を附けるしだい也り。
サラ
ニ シヂ 更らに竹の葉の先きの部分におはけ︵錦き地の六尺長サ、 バ バは小ババ、同イメ絹、鏡、丸扇、麻尾、女のかみの長 い物かもぎと云ふ、一流一ツにした飾り物︶を附け、元は タヲ 風 が吹いても倒れん如くに地中に建る。長サは棚の高さ地 ンロ 中の建て代により小異。此の竹は棚に着けない様に建る。 お祭には神風が吹くので、棚をこわす恐れ有り。︵幣の種 るい飾方は図解する︶ ◎ 天台式では三十三度の礼拝を扇で行ふ。其の他では始め た時には違つた作法も有つたと考えるが、式次の書物がな い。両方供にホラ貝は吹く定め也り。 ヂウヨウ ◎ 伊募諾の太夫が日月祭の時に重要しされている祀りに、 五行の神を祀る作法が有る。 此 の 祀りをする太夫はいのり調子にてする。 祈 願する字文祭文は礼儀として、ゑびす、公神、地神、 どつくう、山の神、水神、てんげしよう、天神、伊葬諾等 の祭文で、いつれも五方立てで済まさす、本文を唱える。 恵 比須、公神、地神、ドツクウ、公神様には祀りの成就 」 二 〇オ 」 二 〇ウ を祈願し、山の神、水神、てんげしようにはけんぞくの道 びきお祈願し、天神には送り鎮めの上わいん、伊葬諾様に はすべてを祈願し、すべての祀りがおわれば取り分け祀り の時に、ミテグラを仕末する法方にて幣束を集めてなわで しばり、天神の五方立て“/鎮めの上印を祈願して関を入 れて、しづめる処え持つて行ける様にする。 ね ん ごろにすると約三時間位いか・る。病人祈祷のひと 祈 祷にあたいすると言ふ程に大切な祈りで有る。すべての ものお落さずこぼさずに祀る作法で有り、病人祈祷にたけ た大夫がてきにんとされて居る。 此 の 一枚だけ後からとち入れた。書きおとして居たのに 気 が附いたから。 」 二 一オ 」 ニ ウ 理 解し安く設明すると、神の位いを取らない神、仏の位 ムグン いを持たない仏け、山の魔群、川の魔群、山ミサキ、川ミ シソク イキレウ ス ソ ヤマイ サキ、四足、二足、生霊、呪咀のミサキ、役神病の神、 山ス“レ、川流、無縁仏ケ等の事で、天地宇中の神仏を全 部迎え、人間も大勢寄つて来て居るので、当然右のものも 来 て 居るが、資格が違ふから神と同席出来ない。故に、あ ゲドウ らかじめ是れ等外道ものに封する席として、相いあたる幣 束を作りひとまとめにして、湯網大木の幣をそえて、おた なの下の片すみに用意して有る。それぐに分け前をやつ てお愛想して、集つて居る人々に取り懸いたり、大祭のじ スミ カ やまをせん様に言い附けて、基の棲祠えもどる様に処置す る作法で、一般の人に気の/附かない目立ない大切な作法 ﹂二ニオ松尾恒一 [「日月祭、託宣作法』] カド で、病人祈祷の門はつしと同じ様な祈りで、充分心得の有 る大夫でなければ出来ない。 此 の 作法は同時進行で有るから、他の役者が礼い神楽を 始めた時点で、手分けて始める。祈り調子で行ふ。 ◎ 作法 米三合を用意して、祀りて有る処に座して稜いけしに つ “ いて、かんたんに引継と後ろだてを取る。 字文 別儀のしだいでおわしません、本日今宵は数も数くの 神楽の役者は、氏子仲間え時雇われは申して、当処と ヤみン ころでよう年久しく祝われまします、天当様の御祝い デウ アル 祭りの儀にてござるが、ご定の前とて主じの荒神、ご 部類御春属様えも、ご定の祀りで元の棲祠へ送り鎮め をしまいらするが、先きしようともに/は、地神荒神 ﹂二ニウ タカ タカ 様を基に始めて諸天高神、大小神祇、高や仏ケの御本 尊様をは、くわしく送り迎えて、うかごい頼ふでござ れば、唯今よりは、たしかな前楯後ろだてお、頼みま いらする ○注釈もつとくわしくたのみ度いと思えば、伊募諾様を ホト 始め、処の氏神、小宮の氏神、氏仏ケ、生家の高神、師匠 ドウ の方、山の神、星や尉門の命、半徳水神、水神の父母、道 タカヤマ 六神、トウドウ尉門の命、祇圓大明神、十三仏本尊、高山 ヤミコ 本尊、湯網大木、自分が普段にたのむ現神、自分がたより にする神仏等︵本人しだい︶ ◎ 廻向のしだいとして、讃華、錫杖、般若心経、其の他、 塩等の祓いを修行し、次に、 本日今宵は、当処敷地にそなわり申した日月二体の月 日の將軍を基に始めて、大小神祇様をは/送り迎へて、 お祝い祭り、諸礼いの神楽を差上申してござれば、御 ケンゾク 部類御春属様えも、のりくら御幣もへぎや供えてござ ツドウ れば、数も数くの氏子供等も足手の運びで奇りや集て ゴ ござるが、御部類御春属様には、よれつもつれつ、花 の こもんのあそびを召されてござれば、急いでのりく ら御幣、是れのりくらゑ、諸願成就集り用合成り給え、 湯綱大木、摩法の御如来様の、のりくら御幣で御祝い スこヘカ ごちそう諸礼いの祀りで、基の棲祠え送り鎮てまいら する アルジ ◎ 1、主祀り 是迄度々記した通り マキ フマ 東 方浄土え蒔上げまく米は、東方浄土の主じの荒神様 えは、トンコに、賛コに、礼いコに、礼いブツ、礼儀 フマ カンナ フマ フマ の米、現き神楽の役者が法の米、由礼いの米とも/ フマ 米蒔き上げて参らする、米いただいて安座の位いに、 おなおり召されて、諸式の神楽を見事にさせやおかい て、たまわれたのみまいらする、 五方と地中天、十二ヶ方同文、米ツブを少量まく。 2、山の神え チウ 東方浄土の山の神、南方、西方、北方、中方、しもあ カマミ れ 七枚、上あれ七枚、三、七、二十一枚、五、七、三 十五枚の作りの上、ホノギの上に鎮︵ソナワリ︶申し オオ フマ フマ た山の神王太神様えも、米まき上げてまいらする、米 いた“いてまいらする、星や尉門の命様えも、米マキ 上 げ てまいらする、良き嬉で、御春属様を基の棲祠え ミチビキ 御 ん導で送り鎮めて給れ、頼みまいらする ◎ 是より春属を祀る 」 二 三オ 」 二 三ウ