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デューイ平和思想への視点(荒木廸夫教授退官記念論文集)

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デューイ平和思想への視点

小  西  中  和

はじめに  わが国においてプラグマティズムの哲学者ないしは進歩主義の教育学者とし て知られているジョン・デューイ(John Dewey)はアメリカの1920年代におけ る平和運動の積極的参加者の一人であった。本稿は彼の平和思想の中心を占め る戦争違法化という観念についての理解の仕方をめぐって若干の検討を試みて みようとするものである。そのことを通じて彼の平和思想の意義を把握する手 がかりを得たいと思う。  ところで,戦争違法化というのは一般には耳慣れない言葉かもしれない。英 語では,outlawry of warというもので,その厳密な意味内容は論者によって 異なるところがあるけれども,共通するところとしてとりあえずは, 「国際法        1) 上戦争が原則として違法と評価されるという観念」として理解されよう。もっ と分かりやすくいえば,その観念は諸国歯間の紛争解決の手段として戦争を放 棄するという考えを含むのであり,これまでに,国際連盟規約(1919年),不戦 条約(1928年),国際連合憲章(1945年)といった今世紀に入っての国際関係を 律する重要な文書に取り入れられてきたと言われている。われわれ日本国民に とって身近なものとしては,憲法第九条(1946年)がその観念を具体化してい       2) るといってよいであろう。 1)大沼保昭「東京裁判から戦後責任の思想へ〔増補版〕』(1987>,32ページ。 同『戦争責 任論序説』(1975)。 2)Wright, Q., The Role(Oflnte7veational Law in the Elimination(of War(1961),p.59.久 野収『憲法の論理』(1969),深瀬忠一『戦争放棄と平和的共存権』(1987),大沼保昭「「平和憲法」と 集団安全保障(一)」『国際法外交雑誌』92巻1号(1993),江藤淳編『占領史録(下)』(1995年)。

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178  荒木廼夫教授退官記念論文集(第300号) 1920年忌のアメリカの平和運動は不戦条約の成立に大きな役割を果たしたの であるが,それは戦争違法化について異なる考えを持った諸個人あるいは諸グ        3) ノレープによって担われていた。その中で,デューイの考えはすべての戦争を放 棄し,かつ違反国に対する制裁を認めないという内容を含むことにおいて,最 もラディカルなものと言ってよく,それ故に,その評価をめぐって論議を呼ん        4) できた。筆者はかつて彼の戦争違法化思想の内容に検討を加えたことがあるが, 本稿では,最近の研究動向をふりかえりながら,前罪では触れられなかった論 点をも提示しつつ,改めてその思想の意義を理解する手がかりを探ってみたい と思う。 1 戦争と平和についてのデューイ.の考え方に対しては,彼の国際関係認識にお するリアリズムの欠如という問題が従来から指摘されてきたが,そのことをめ ぐっての議論が最近あらためて提起されている。ディギンズ(Diggins,J.P.)と ウェストブルック(Westbrook,R.B.)の著作がそれである。これらをまず取り    5) 上げよう。  ディギンズは,ニーバー(Niebuhr,Reinhold)との対比において,デューイ 3)1920年代のアメリカの平和運動については,次の著作が検討している。Charles Chatfield, For Peace and lzastice(1971),pp.102−106. Charles DeBenedetti, Origins of the Modem Amen’can Peace Movement,1915−1929 (1978) ,pp.185−221. 4)拙稿「ジョン・デュウイの平和思想についての一考察」横越英一編著『政治学と現代世 界』(1983),同「1930年代におけるジョン・デュウイの政治論についての一考察(2)」『東海女 子大学紀要』第4号(1985)。なお,次のようなデューイ政治思想研究のモノグラフ4一の 中に,彼の戦争違法化思想の検討が含まれている。Howlett,C.F., Troubled PhilosoPher fohn Dewey and the Struggle For World Peace (1977). pp.80−113. Bullert,G., The Politics offohn Detvey (1983) ,pp.113−123. Westbrook,R.B.John Dewey and Amen’can Democracy (1991),pp.260−274. Ryan,A.Joha Dewey and the High Tide ofAmen’can Liberaltsm (199 5),pp.210−215, 5) Diggins,J.P,,“Power and Suspicion : The Perspectives of Reinhold Niebuhr”, Ethics and international Affairs, Vol. 6 (1992). Westbrook,R.B.,“An lnnocent Abroad ? John Dewey and International Politics”, ibid.,Vol. 7 (1993) .

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       デューイ平和思想への視点   179 の社会哲学における権力についてのリアリズムの欠如を見いだし,それが特に 彼の戦争違法化思想に現れていることを指摘している。彼によれば,デューイ は第一次大戦期には,アメリカの参戦を支持したけれども,1920年忌には戦争 違法化の運動に参加し,30年代には「平和主義(pacifist)の立場に近づいた」。 つまり,デューイは,「1917年の軍事力の行使の主張」から,「1939年の武力の 行使の否認」へと移行したのであり,それは,「権力と対立として歴史をみる リアリズティックな見方」から「平和主義的な理想主義」への変化を意味して         6) いるというのである。ディギンズ自身は,第一次大戦期のデューイの立場を良 しとして,その後の変化をネガティヴにしか評価しないように見える。したが って,デューイの戦争違法化思想は「権力についてのリアリズムからもろいセ ンチメンタリズムへの移行」だと指摘するわけである。  しかし,このような評価の仕方に対して,ウェストブルックは異議を唱えて いる。彼は,デューイにおける戦争支持から戦争否定への立場の変化をリアリ ズムからセンチメンタリズムへの移行と理解するのは正しくない,権力につい てのリアリズムが無くなっているわけではないとして,その理由について次の ように述べている。すなわち,「デューイが1930年代の半ばに国内政治の文脈 において明らかにしたデモクラシーの再建とラディカルな政治による権力の再 配分との必然的関係は1920年代における彼の戦争観を考え直す努力のまっただ        7) 中で彼が始めて定式化したものだ」と言うのである。かくして,ウェストブル ックは「デモクラシーの再建とラディカルな政治による権力の再配分」という 観点からデューイの戦争違法化の意義を検討している。  ウェストブルックによれば,デューイはヴェルサイユ講和会議の後に「『民衆 によるコントロールの確かな手段』に服すことの無いような指導者の手中に自 分の民主主義の理想の運命を決してゆだねることをしないと決心した」。この決 心が彼の戦争違法化の思想と運動に反映されているのであって,したがって, それを単にセンチメンタリズムへの移行と理解することは,その基本的目標を 6) Diggins,op.cit.,p.152. 7) Westbrook [1993],op.cit.,p.206.

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180  荒木麺夫教授退官記念論文集(第300号) 見誤ることになる。その目標とは,すなわち「民主主義の運動に力を付与して 外交政策のエリートの支配に挑戦しうるようにし,それによって戦争の可能性       8) を減らす」ということである。かくして,ウェストブルックは,デューイの戦 争違法化思想が外交政策における民衆の「政治エリートに対する反抗」を含意       9) していると理解し,その点に何よりの意義があると言うのである。ラディカル な政治による権力の再配分という彼の見方もこの点にかかわっており,したが って,デューイにおいて権力へのリアリズムが欠如していたというのは当たら ないというわけである。  しかし,デューイにおけるリアリズムの欠如についてのディギンズの指摘が 国際政治における軍事力の行使としての戦争の否認に関してであったとすれば, このようなウェストブルックの主張はディギンズの議論といささかズレている のではないだろうか。そうだとすれば,ウェストブルックはディギンズのデュ ーイ批判にまともに答えていないと考えることができるかもしれない。だが, それは軍事力の行使=リアリズムという立場を認める場合であって,ウェスト ブルックは単純にその立場には立っていないようである。といっても,彼は力 の行使一般を否定するわけではない。彼は次のように言っているからである。 「戦争違法化運動へのデューイの参加は,あらゆる観念が,デモクラシーの観 念さえもが,その実現のために力の行使を必要とするという第一次大戦期の彼 の確信の放棄を示すものだとディギンズは考えている。私がここで主張したい のは,デューイはその確信に忠実であり続けている一(力の行使の特殊な場 合としての)戦争がデモクラシーの理想の効果的な手段だというかっての確信          10) が変化したのである」。かくして,ウェストブルックは,デューイが戦争以外の 形での力の行使を認めていることに彼のリアリズムを把握するだけでなく,む しろ国際政治における戦争防止という課題にとって,政治エリートによる外交 政策に対する民衆のコントロールの確保を考えることがリアリズムの現れであ 8) lbid.pp.207−208. 9) lbid.,p.214. 10) lbid.,p.208.

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ると理解しているとみてよいであろう。ウェストブルックはこのような観点か ら,デューイの戦争違法化思想の特徴を考察する。それを簡単に見てみよう。  ウェストブルックはレヴィンソン(Levinson, S. L)によって定式化された戦       11) 争違法化思想の中心的な考えを次の三つにまとめている。   1.国際法において,戦争は違法化され,犯罪として宣言されるべきこと,   そして紛争解決の手段としてその使用は廃止されるべきこと。   2.文明.諸国家の会議が平等と正義に基づく国際法の創出と法典化のため   に開催されるべきこと。   3.国際法典によって規定されたすべての真に国際的な紛争に対する管轄   権を持った裁判所が樹立されるべきこと。  かかる内容を含む戦争違法化思想には,様々の批判が投げかけられたが,ウ ェストブルックはとりわけ「説明し説得的に擁護するのがより困難な」問題と して, 「制裁」と「自衛」についての考え方をあげている。  レヴィンソンやデューイたちの戦争違法化思想は,戦争が違法化された後で, それに違反して紛争解決を戦争に訴える国が出てきた場合,その国に対する制 裁を考えない,むしろ制裁を禁止することを強調した。この点で,1920年代の アメリカで不戦条約の成立のためにともに運動を行ったバトラー(Butler,N. M.)やショットウェル(ShotwellJ.T.)たちのいわゆる国際主義者のグループと 決定的に対立することになった。というのは,彼らは,防衛戦争と侵略戦争を 区別して,後者のみを放棄しようとし,また制裁のための戦争も肯定しようと       12) したからである。  デューイやレヴィンソンたちも1921年目では,「戦争が犯罪とされるならば, 国際的強制力が防止と刑罰のために必要となる」,「戦争の違法花には国際裁判 所の判決の強制力による執行可能1生が伴わなければならない」として,制裁の         13) 観念を肯定していた。しかし,その後,彼らは「制裁を発動することは戦争を 11) lbid.pp.209−210. 12)Howlett[1977],op,cit.,105−109. Bullert[1983],op.cit.,pp.117−119. 前掲拙稿[1  983],512−515ページ。

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182  荒木辿夫教授退官記念論文集(第300号) 違法化する法律を執行するために戦争を使用することであり,筋が通らず,効 果の無いことだ」と考えるに至り,制裁を否認することになった。これに対し て,違反国に制裁を行うことは,国内において法律違反の個人に対して警察権 力を行使するのとアナロガスであるとして制裁を肯定する見解が示された。し かし,デューイは,両者が「根本的に異なる」こと,つまり,違反国への制裁 は,国民全体への強制力の行使である限り,それを何と呼ぼうとも戦争にほか ならず,結果として戦争システムを永続化させることになると反論して制裁に あくまで反対した。かくして,そのような態度は,「力が国際政治において果 たさなければならない役割を放i棄し,戦争違法化を効力の無いセンチメンタル な計画にとどめる」という印象を与えるごとになったのである。  だが,ウェストブルックによれば,デューイは戦争としての制裁を否定した けれども,戦争を禁止する法に違反する者への強制的執行の問題をまったく無 視したわけではない,とされる。その点を示すために,彼は,デューイ自身に よる次のような戦争違法乱騰の要約に注目鍔.   第一に,国際法の改訂は紛争解決の合法的手段のカテゴリーから戦争を除   外するのであるが,この変更は世論の教育と記録を確実にするために国民   投票により成し遂げられあるいは注目されなければならない。第二に,国   際法の修正と法典化はあらゆるその部分と新しい行動との調和を保証しな   ければならない。第三に,戦争の可能性のある紛争に関して積極的管轄権   を持つはずの国際司法裁判所が設置されなければならない。第四に,アメ   リカ合衆国憲法第一条第入節の主旨に一致する形で,各国は国内法におい   て国際法違反を犯罪であるとし,その結果彼らの国内法で戦争首謀者を裁   判にかけ処罰するという用意をすべきである。  デューイのこの要約を先に示したレヴィンソンの定式化と対比して,ウェス トブルックは両者には「根本的な違い」があると言う。それは第四番目の項目 であり,レヴィンソンの定式化においては見られなかったものである。彼の理 13) Westbrook,op.cit.,p.210. 14) lbid.,pp.212−213.

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解では,第四番目の項目は,デューイが戦争違法化の実効性を担保するための 違反国への制裁という観念を拒否する代わりに,違反国の戦争首謀者へのその 国民自身による処罰というあり方を提起するものであった。そしてそのことは 「これまで競争する国家エリートたちの戦争遂行に付与されていた権力をデュ ーイが民主主義的な市民の平和への確信にゆだねる1ことを意味していたので ある。  このようなデューイの考え方は,民衆の側での戦争反対の態度の存在が前提 になっている。だから,「世界の道徳的感情が戦争・を非難する地点にまで到達        15) しないならば,それについてなしうることは何もない」と彼は語るのである。 だが,そう言うだけで終わるならば,それは余りにもナイーヴだと考えざるを えないのではなかろうか。なぜなら,L般の人々も指導者と同様に戦争に傾 きがちである」ということを戦争の歴史は示しているからである。したがって, デューイ批判者たちは,デューイが「あらゆる人間の心理に内在する権力への 意志を,あるいは,道徳的確信によっては克服されえない本能的ないし条件的 反応を見逃している」と指摘するわけである。これに対して,ウェストブルッ クはデューイの立場を次のように理解しようとする。つまり,「十分に民主的 な社会は戦争に進む可能性が少なく,社会の中でそうしようとする指導者がい ればそれを処罰するだろう」というのは「仮説」であり,デューイはかかる仮 説を「検証するある種の『実験』」として戦争違法化を構想したのだというので ある。しかし,彼の理解するように,デューイにとって,「国際的戦争を抑止 する唯一の道が政治的指導者を民主主義的で,反戦的な公衆の権力と意志に服 せしめること」であり,しかも,それが「実験」的課題として考えられていた のだとすれば,そのような公衆がいかにして存在しうるのかはデューイにとっ て喫緊の課題となるであろう。デューイはそれにどのように取り組み,そして その可能性をどのように見いだそうとしていたのだろうか。ウェストブルック はこの点に関して十分な議論を展開していないように思われるが,それを問題 15) lbid.p.215.

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184  荒木廼夫教授退官記念論文集(第300号)       16> にするのがハウレット(Howlett,C.F.)の議論である。次にそれを検討してみよ う。 II  ウェストブルックとの関連で言えば,ハウレットの議論の要点となるのは, デューイが戦争違法化の実現の基礎におこうとした民衆の反戦感情はそれ自体 では堅固なものではなく,したがって,彼らは政治指導者たちのマヌーヴァー などによって強いナショナリスティックな感情をかき立てられることにより戦 争支持へと向かうことがある,にもかかわらず,デューイはこのような問題に 取り組むことができなかった,というこ.とである。そして,その理由は彼が絶 対的な「平和主義」の立場を軽視したからだということである。  ハウレットはシーデル(Ceadel,M.)の著作に従って,戦争に反対する立場を       17) 二つに分類する。ひとつは,「平和論者」(pacificist)であり,他は,「平和主 義者」(pacifist)である。前者は「戦争反対を政治的考慮にもとつかせる人々」 であり,「責任倫理となる」と言われる。これに対して,後者は「十分な哲学 的推論や個人的確信によって獲得された道徳的信条を支持することによってい かなる形態での殺人にも抵抗する」人々であり,「非暴力の観念を受け入れる 人」というのが適切である。「平和主義者」は行動が一貫しており,予測可能 だと言われる。ウェーバーの用語を借りれば,,「平和論者」の「責任倫理」 16) Howlett,C.F.,“John Dewey and Nicholas Murray Butler : Contrasting Conceptions of  Peace Education in the Twenties”, Educational Theo2 y, VoL37(1987).この論文に対する 反論を含むものとして,Bullert,G.,“John Dewey on War and Fascism:A Response”,  ibid.,Vol.39(1989),があり,さらにそれに対する反論として, Howlett,CF”““Twilight of Idols”Revisited:A Reply to Garry Bullert’s“John Dewey on War and Fascism:A  Response”,ibid.,Vol.39(1989),がある。バラート(Bullert,G.)によるデューイの戦争違法化  思想の理解はウェストブルックのそれに近い(Bullert[1989],op.cit.,p.77)。ハウレット  とバラートとの違いは,デューイにおける絶対的「平和主義」の立場の拒否をめぐって,  前者がそれを問題にするのに対して後者はそうしないという点に現れている(Bullert[1  989] , op.cit.,p. 76) . 17) Howlett [1989],op.cit,p.82.

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に対比して「心情倫理」一丁ウレットはこの用語を使用していないが一で       18> 動く人々と言ってもよいであろう。  このような理解をふまえて,ハウレットは,デューイの平和への希求がもっ ぱら「政治的考慮」と結びついていたが故に一ということは「責任倫理」で 行動しようとする「平和論者」であった故にということであろう一,「道義 的な力や勧告による平和」という考えが結局のところは「武装した強制力や権       19) 力による平和という理論にほとんど完全に屈服する」ことになったと指摘する。 換言すれば,デューイには,平和への希求を支える不動の基礎をとしての個人 的な道徳的信念への,その意味での絶対的な「平和主義」の原理への,問題関 心が欠如しており,このことは「あらゆる絶対主義的なるものを拒否する」と いう彼の哲学そのものの特質に由来している。ハウレットによれば,これは「天 気のように変化する」彼の態度決定にも現れており,例えば,第一次大戦期に はアメリカの参戦を支持し,1920年代には戦争違法化を唱え,さらに,1930年 代後半には差し迫る第二次大戦の危機の中でアメリカの武力介入に反対の態度 を示しながらも,結局は,日本の真珠湾攻撃をきっかけにしたアメリカの参戦       2e) には反対しなかった,というのである。ハウレットの言うように,デューイが 絶対的な「平和主義」の立場をとらなかったのは確かであり,それについては 彼なりの理由があったと考えられるが,ここでは,デューイにおけるその立場 の欠如ないし軽視がいかなる問題を持つことになるのかについてのハウレット の議論を見ておくことにしよう。  ハウレットによれば,「歴史的に見て諸国家は武力の使用あるいは武力の威 18)ハウレットが依拠しているシーデルは次のように述べている。「ウェーバーの有名な区  別を用いれば,pacifismは‘究極的目的の倫理 とみなされるに違いないのに対して,  pacificismは‘責任倫理’に近くなるJ(Ceadel,M.,勲6廊挽in Britain 1914−1945:The  Definig ofa Faith (1980) ,p. 5 ) . 19)Howlett[1987],op.cit.,pp.460−461. ハウレットはシーデルの研究の示唆によって  かつての“pacifist”としてのデューイ理解から“pacificist”としてのそれへの自分なりの  「成長」があったと述べている(Howlett[1989],p.82, cf.Howlett[1977],p.89)。 20) Howlett [1989],op.cit.,p.84.

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186  荒木麺夫教授退官記念論文集(第300号) 嚇によってその存在を主張し合いまた国境を規定し合うという相互の関係にお いて自己を確認している。そして国際社会が主権国家からなるかぎり,それら の問での戦争はあらゆる政府がもっともな考慮を払うべき可能性として存在し

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続けている」。だから,ボーンが「戦争は国家の健全な状態だ」と言ったように, 「戦争の問題を国民国家の構造そのものに内在するものとして取り組む」こと が必要になる。さもなければ,「もしナショナリズムが戦争を引き起こしうる とすれば,戦争・はナショナリズムを引き起こすことができる」という20世紀に 現れた「アイロニー」を説明できないし,あるいは,「国家的忠誠といえども それが個人の道徳的選択の義務から市民を解除しない」ということを人々に確        2.3) 信させることが困難となるであろっ。だが,このようなことを可能とするには, 思考が国家の論理や政治の次元をひとたび超える観点に媒介されることが重要 である。したがって,デューイのように,戦争と平和の問題を考えるに際して そのような次元にとどまることには限界があるのではないかとハウレットは言 うのである。  このような彼の指摘は,国民の意志に基づく政治をたてまえとする民主主義 国家において戦時に国家から要求される忠誠義務の問題とそれに対する個人の 側からの対応がいかに困難であるかという問題にデューイが十分に取り組んで いないのではないかということを含意している。そして,その問題に取り組む には,国家や政治の論理を超える次元に立つことが必要であり,その意味で, いかなる事態においても人を殺すことを拒否するという個人の道徳的信念にか かわる絶対的な「平和主義」の観点が重要になる。だが,デューイにおいて, そのことがほとんど軽視された。かくして,ハウレットによれば,「あらゆる 将来の戦争を阻止する方法として平和主義的な選択肢を考えるように公衆を促 す代わりに,デューイは自分のプラグマティズムが平和を達成するための最後        24) の手段として交戦状態を正当化することを認めた」というわけである。 21) Howlett [1987],op.cit.,p,455. 22) Bourne,R.,The Radical X’Till Selected VVritings 1911−1918(1977),p.360. 23) Howlett [1989],op.cit.,p.84:

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 ハウレットの理解は先に見たようなディギンズやウェストブルックのそれと は明らかに問題の局面を異にしたところでなされている。このことは,ハウレ ットが,「デューイにおいてどこが『非現実的でナイーヴで』あるかと言えば, 彼が戦争違法化の道徳的義務性を,または,『道徳的知性』が政治家の思考に いかに影響を与えうるかを,公衆に対して哲学的に確信させることができなか          25) つたということである」と指摘する点に示されている。これに対して,ディギ ンズやウェストブルックはデューイにおけるリアリズムの問題を権力への認識 があるか無いかという局面で捉えようとし,特に,ディギンズにおいては,ハ ウレットとは逆に,デューイによる道義的な要素への強調を「非現実的でナイ ーヴで」あると考えたのである。では,以上に見てきたようなデューイの戦争 違法化思想をめぐっての異なる見方を結びつけることはできないのであろうか。 その点を次に考えてみたい。 III  まず,ハウレットのデューイ理解を検討しよう。彼の批判の要点を振り返っ てみれば,それは,デューイが戦争違法化思想の提唱において,戦争反対とい う個人の態度を支える不動の基礎としての絶対的な「平和主義」の原理を無視 し,そのために,「平和を達成するための最後の手段として」戦争’を是認する という考え方を許すことになった,そしてまた,国家と個人のかかわり,とり わけ戦争をめぐっての国家への忠誠義務に国民がいかに対応しうるかという問 題をデューイは十分に扱いえなかった,ということであった。このようなハウ レットの批判が,戦争や平和の問題を考える際に,政治的な考慮のみならず, 絶対的な「平和主義」の観点をも考慮することが重要であるということの指摘 を意味しているとすれば,それ自体は妥当なものだ言ってよいであろう。それ は,例えば,石田雄が,一方での「平和のための戦争」と,他方での「絶対非 戦という個人の原理としての『平和主義』」という二つの表現における「平和」 24) lbid. 25) lbid.,p.83.

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188  荒木麺夫教授退官記念論文集(第300号) という言葉の持つ意味の違いを問い,その間に生じる緊張を平和認識に生かす       26) ことを提起したことにも相通じると理解されるのである。  デューイが絶対的な「平和主義」の原理を自己の究極的立場として採用せず に,従ってまた,他者にそれを採用するように勧告しなかったのはハウレット の言うとうりである。では,それは何故であろうか。そして,その原理を拒否 したために,彼の戦争違法化思想の中に戦争をめぐっての国家と市民の関係を 考える手掛かりを見いだすことはできないのであろうか。  第一次大戦期には,デューイは「平和のための戦争」という観点からアメリ カの参戦を支持し,それを批判した絶対的な「平和主義」の立場を「センティ メンタリズム」であると論難した。しかし,戦後において彼の平和認識の立脚 点となった戦争違法化思想は「平和のための戦争」という考え方を原理的に否 定したものであった。にもかかわらず,その思想は国家の自衛の権利をそれに       27) 固有のものとして認めていた。その理由について,戦争違法化運動におけるデ ューCの仲間であったモリソンは,「国家の自衛の権利の問題は純粋に倫理的 なものであり,いかなる法的な基準や手続きにも関係がなく,またそれに影響 されるものではない」,その意味で,それは法律によって「奪われえない権利」   28) である,と述べている。換言すれば,絶対的「平和主義」の立場が考えるよう に,突然攻撃を受けた国家が敵国に対して軍事力による対抗手段をとることを 禁止するような法律を作るわけにはいかない,なぜなら,そのような手段をと るか,あるいはとらないかという選択は,当該国家の決定にかかる問題だから だというわけである。おそらく,国民の生死にかかわるその決定には,絶対的 「平和主義」の「心情倫理」のみに立脚するわけにはいかないであろう。デュ ーイが平和認識において絶対的「平和主義」を自己の立場として採用しなかっ 26)石田雄『日本の政治と言葉 下』(1989),4−9,121−128ページ。このような問題局面  に関しては,ウェストブルックやバラートのデューイ理解は掘り下げが不足していると言  わねばならないであろう。 27) Dewey,J.,“What Outlawry of War ls Not”, The Middle Worles,Voi.15,p.117. 28)Morrison,C.C.,The Outlawry of War(1927),p.211. デューイはモリソンのこの著書に,  Afterwordを書いている。

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      デューイ平和思想への視点   189 たのもこの点とかかわっているように思われる。政治の問題,ひいてはその極 限的ケースとしての戦争の問題において,彼はウェーバーのいう「責任倫理」 の観点に立脚することがまず重要だと考えていたからである。  しかし,このことは,デューイが「平和主義」の観点の意義をまったく否定 したということではないように思われる。むしろ,第一次大戦期の自己の平和 認識のあり方一「平和のための戦争」の肯定一の挫折を自覚した上で提起 された彼の戦争違法化思想にはボーンのような絶対的「平和主義」の立場から 投げかけられた批判を彼なりに受けとめた部分があるように見えるのである。 その点をハウレットの指摘する戦争をめぐっての国家と市民との関係という問 題に即して検討してみよう。それはまた,ウェストブルックの理解の意義を確 認しつつ,なおその不十分さを補うということになろう。  先に紹介したように,ウェストブルックはデューイの戦争違法化思想の意義 を戦争や平和の問題における政治エリートに対する民衆のコントロールの確保 という狙いに見いだした。しかし,彼はそのことをデューイの戦争違法化思想 の内容に即して十分に説明しきれていないようである。それは,民衆のコント ロールが常に確実に戦争防止に向かうとは限らない,むしろ国家への忠誠義務 の論理を一子にして個々の市民が戦争へ巻き込まれていく,というハウレット がこだわった問題についてウェストブルックがあまり言及していないことにも 示されていると言えよう。だが,ウェストブルックが展開した議論の中に,そ してデューイの思考の中にそのような問題を追求する手がかりは見られないの だろうか。  ウェストブルックは,他の戦争違法化論者と異なるデューイの思想の特徴を 戦争首謀者の処罰という考えに見いだし,それが国家に対する制裁に代わるも のであり,さらに,「競争する国家エリートたちの戦争遂行に付与されていた 権力をデューイが民主主義的な市民の平和への確信にゆだねる」ことを意味し た,と指摘していた。私見によれば,戦争をめぐっての国家への市民のかかわ り方についてのデューイの考えを探る糸口がここに見いだされるように思われ る。デューイは戦争違法化の条約を侵犯する国家への制裁を否認するひとつの

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190  荒木廼夫教授退官記念論文集(第300号) 理由として一決定的なものではないとしながらも一,「制裁が無享の民に 苦痛を引き起こす」ことを指摘した。このことを先の戦争首謀者の処罰という 考えと結びつけてみれば,デューイの思考の中に国家において指導者と一般国 民を区別して戦争責任を指導者に追求するという方向を見いだすことができる のではないだろうか。これは例えば,大沼保昭の言う戦争責任論における指導 者責任観に通じる考え方であると言ってよいように思われる。  指導者責任観については,大沼がきわめて示唆的な考察を行っているのでそ れを簡単に紹介してみよう。彼によれば,指導者責任観は戦争違法観と結合し て,侵略戦争の開始,遂行を犯罪とする「平和に対する罪」を生み出した。戦 争違法観とは,国際法上戦争が原則として違法と評価されるという観念であり, デューイたちがその実現をめざした考えであると言ってよい。この観念は,19 世紀から20世紀初頭に支配的だった無差別戦争観  戦争は国際法の評価の対 象とならない超法的現象であるという観念  を克服するものとして,20世紀 初頭から次第に有力となり,「満州事変」当時にはほぼ確立していた。これに 対して,指導者責任観とは,国際法上否定的評価を受ける国家的行為の責任が 国家の指導者に課せられるという観念であるが,第一次大戦末期に登場するも のの,戦間期には十分な展開を遂げることなく,第二次大戦勃発後に再び有力       30) に主張され,公的承認を得るに至ったものである。その結果,これらの二つの 観念の結合によって構成される「平和に対する罪」が,第二次大戦後に,ドイ ツおよび日本の戦争指導者に対する「ニュールンベルク裁判」と「東京裁判」 を基礎づける法理となったのである。  大沼の考察で,興味深いのは,指導者責任観の現代的意義として次のことを 指摘している点である。まず,それは「国家を論理的に指導者と一般国民とに 解体して,指導者に国家の違法行為の責任を追求するというすぐれて今日的意 29) Westbrook [1983],op.cit,,p.214. 30) Dewey,J.,“Are Sanctions Necessary to lnternational Organization? No”(1932),The  Later Worhs,Vol, 6 ,p.208. 30)大沼前掲書[1987],32−33ページ。

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味を持っている」ということである。次に,指導者の責任を追求する反面とし て,国民の側に,「違法な国家命令に対する不服従の義務」が生じるというこ とである。大沼は述べている。「民主主義体制のたてまえのもとで,形式上国 民の意志にもとつく政府指導者であるのに,指導者が違法行為の責任を問われ, 一般国民が問われないためには,一般国民がそうした違法行為に協力しないと いう事実がなければならない。…  こうして,一般国民は自国政府が違法な 戦争を遂行する場合には,そうした政策を批判し,阻止する権利を持つばかり       31) でなく,その違法性が明白な場合にはそのような義務を負う」。  このような大沼の見解は,戦争をめぐっての国家と市民の関係の検討を提起 したハウレットの問題視角に通じており,それへの一定の解答を含んでいると いえよう。そして,大沼の見解が指導者責任観の意義として提示されているこ とをふまえてみれば,同じような考え方一あるいはその萌芽一一がデューイ の戦争違法化思想の中にも探り出すことができるのではないだろうかというの が私見である。その手がかりは,先にも示したように,デューイが戦争違法化 思想の第四の必須項目としてあげていた国内法にもとつく戦争首謀者の処罰と いう規定の中に見いだされるであろう。デューイの考えにおける戦争首謀者の 処罰は「ニュールンベルク・東京裁判」のように戦勝国によってではなくて, 自国民によって行われることが想定されている。それだけにいっそう国民の責 任は重くなっていると考えられる。ウェストブルックはこの規定の中に政治エ リートに対する民衆のコントロールというデューイの基本的考えが含まれてい ると指摘したが,大沼的観点によってその意味をさらに考えてみれば,そのコ ントV一ルが違法な戦争を行おうとする国家への民衆の側での抵抗や不服従の 義務という側面を随伴していることを示すことができ,ハウレットの議論との 接点を持ちうるように思われるのである。  ところで,国家の戦争政策に対する国民の側での抵抗や不服従という態度は 単なる厭戦感情を超えた戦争反対への確固とした個人の信念を必要とするであ 31)同書,52ページ。

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192  荒木麺夫教:授退官記念論文集(第300号) ろう。その意味で,絶対的な「平和主義」の原理の重要性を説いたハウレット の議論は一定の意味を持っていたと理解される。しかし,それが一般国民にそ の原理にもとつく行動をストレートに要請することを含んでいるとすれば,そ れは彼らに英雄的な行動を期待することになりかねないであろう。凡人たる多 数の一般国民はその困難さにとまどい,途方に暮れるのではなかろうか。ハウ レットの批判にもかかわらず,デューイは一般国民にそのようなことを要求し たりはしないように思われる。  しかしだからといって,デューイは「平和主義」の立場に立つ人々を否定す るわけではない。戦争違法化が実現されれば,彼らは「反対者,厄介者,危険 人物,あるいは消極的妨害者などではなくて,積極的に愛国的な義務を果たす       32) 市民」とみなされるようになるであろうと,述べている。そしてその反対に, 戦争首謀者や好戦的な人たちこそが「非愛国的で犯罪者」となる,と言う。な ぜなち,戦争が国際法上犯罪とされれば,戦争反対の良心は法律によって正当 化され,支持されることになると考えられるからである。だが,このことは「平 和主義者」たちのみに妥当すると考える必要はないであろう。デューイによれ ば,「ほとんど誰もが戦争一般には反対である」。しかし,自分の国家が戦争に 乗り出そうとする時,戦争反対の良心を持っている人は誰でも「その戦争に賛 成するか,それとも国家の行為と法に敵対するか」という「悲劇的な道徳的苦 境」に陥らざるをえなくなる。ハウレットは,この局面を問題にしたわけであ る。デューイによれば,この時,戦争が違法化されていることによって,国家 に抵抗して戦争反対の態度をとってもその入は法律によって正当化され,支持 される。したがって,戦争違法化の狙いは一般国民の側での戦争反対の「道徳 的確信と感情が作用するチャネル」を作り出すことであった。その意味で,そ れは,絶対的な「平和主義」の原理に立脚して英雄的な行動を行いえないとし ても,戦争反対の.良心を持った一般民衆が国家の戦争政策を批判し,それに抵 32)Dewey,J.,“If War Were Outlawed”(1923),The Middle〃∂廊,Vol.15,pユ11. Do.,  “Afterword in C.C.Morrison’s The Outlawry of VVar” (1927) , The Later Worlas,Vol. 3 ,pp.3  53−354.

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抗するという態度決定を行うことを援助しうるような制度的条件の実現をめざ       33) す意味を持っていたのではないかと考えられるのである。 むすびに代えて  デューイは,以上にみてきたような戦争違法化思想に基づいて,1920年代か ら30年代にかけて戦争と平和の問題に対する自己の態度決定を行った。それは 1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵略を契機に勃発した第二次世界大 戦を眼前にして,アメリカ国内で高まってきた参戦論に抗して,あくまでもそ れに反対するという態度となって現れた。参戦論者たちにとって,それは何と       34) も頑迷なものに見え,したがって,少なからぬ批判が彼に投げつけられた。政 府の政策と世論が参戦の方へ向かう中でなお戦争反対を主張するというデュー イの態度決定は,基本的には「責任倫理」に立脚しながらも,ハウレットの強 調する「心情倫理」を何ほどか含んだものだったと思われる。しかし,1941年 の日本によるハワイ真珠湾攻撃を受けるに至ってようやく,アメリカの武力行 使を黙認した。彼にとって,それは自衛の権利の行使と考えられたのであろう。 そして,このたびは,第一次大戦期のような積極的な義戦論を展開することは まったくなかったのである。  ところが,第二次大戦後になって,デューイはアメリカ政府の冷戦政策にあ る部分で支持を与えるような様子を示している。というのは,1948年大統領選 挙で,ソ連との協調を唱えるウォレス候補をこっぴどく批判し,また,トルー マン・ドクトリンやマーシャル・プランへの支持を表明しているかに見えるか    35) らである。このことは彼の戦争違法化思想とどのように関連しているのであろ うか。その思想に何らかの変化が生じたのであろうか。彼のソ連観とも併せて, 33)大沼前掲書[1987]は「違法な国家命令への不服従という観念が国家の明白な違法行為  を犯した場合における個人の国際法上の義務として規定されること」の意義を述べている  が(52−54ページ),デューイの考えに通じるところもあり,きわめて示唆的である。 34)前掲拙稿〔1985] 35) DeweyJ.,“Henry Wallace and the 1948 Elections”(1948),“Amercan Youth, Beware  of Wallace Bearing Gifts” (1948), The Later Workis,Vol.15.

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194  荒木廼夫教授退官記念論文集(第300号) その点を検討する必要があると思われる。  さらに,デューイの戦争違法化思想の今日的意義を検討するには,それが国 際連合による集団安全保障体制のあり方とどのように関連するのかを考えてみ る必要がある。そのためには,バトラーやショットウェルたちのような国際主 義者の考え方を手がかりにしながら,それをデューイの思想と対比する方向が         36) 考えられるであろう。しかし,小稿でこれらのことを検討する余裕はもはやな いので,他日の課題とせざるをえない。 36)CfStoner,J.E.,op.cit.,pユ88−190.

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