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国と国との関係である 外交を支えるのは 日本と世界の 結局のところ 人と人との絆 新しいストーリーをつくる 外交は最終的に 人と人 一人ひとりの仕事ぶりが国益を左右するといってもいいでしょう より良い未来を切り開くために 一人ひとりが世界的な視野で日本の国益を考え 世界各地の多様な現場で自己の能力や

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(1)

外務省

日比谷線 銀座線 千代田線 丸ノ内線 霞ヶ関駅 国会議事堂前駅 警視庁 合同庁舎 2号館 合同庁舎 3号館 法務省 東京高等・地方・ 簡易裁判所 合同庁舎 1号館 経済産業省 財務省 A4 出口 A8 出口 東京メトロ霞ヶ関駅下車、A4またはA8出口すぐ 〒100-8919 千代田区霞が関2-2-1 外務省ウェブサイト 霞ヶ関駅 虎ノ門駅

日本と世界の新しいストーリーをつくる

外 務 省

専門職員採用案内

(2)

日本と世界の

新しいストーリーをつくる

外交は最終的に「人と人」。

一人ひとりの仕事ぶりが国益を左右するといってもいいでしょう。

より良い未来を切り開くために、一人ひとりが世界的な視野で日本の国益を考え、

世界各地の多様な現場で自己の能力や専門性を最大限に発揮し、

個の力をチームに結集して日本の外交を支えていくことが必要です。

常にチャレンジし、自分を成長させながら、

「日本のために働く」という

充実感とやりがいは、何物にも代えがたいものです。

強い使命感と情熱、そしてあくなき向上心でチャレンジすれば、

そこに、日本と世界の平和と繁栄をつむぐ新しいストーリーが生まれます。

子供たちの笑顔は 、

戦争で傷ついた

サマーワ市民を

勇気づけた 。

そこには水を配る以上の

意義があった 。

国と国との関係である

外交を支えるのは 、

結局のところ 、

人と人との絆 。

国際関係の縮図の中で、

世界の動きを

肌で感じることが

できる 。

相手の共感を

得るための一工夫 。

それは 、まさに

外務省の腕の見せどころ 。

Overview 2 若手省員の声 4 研修制度 10 在外研修レポート 12 キャリアパス 14 大使からのメッセージ 19 人事担当者からのメッセージ 20 採用情報/外務省の組織と機構 21

C O N T E N T S

(3)

在外公館

外務本省

外交政策の企画・立案など 職員:約2,600 名 情報収集・分析 、 外交政策の実施など 職員:約3,400 名 世界150か国・223公館 (大使館・総領事館・ 代表部) 東京・霞が関 ■ 職員合計:約6,000名 ■ 専門職員:約1,700名 (うち女性専門職員:600名)

日本と世界をつなぐ外務省

地域・言語・専門分野の

スペシャリストとして

報 告 指 示

外務省専門職員は、高い語学力を有し、関連する国・地域のスペシャリスト、あるいは条約、経済、経済協力、

軍縮、広報文化などの専門分野のスペシャリストとして活躍することが期待されています。海外においては、

日本の外交官として相手国政府との交渉や政治・経済その他の情報の収集・分析などに携わり、本省にお

いては、その専門的知見を活かして外交政策の企画・立案に携わります。

総合職職員は、本省・在外の様々な地域・ 分野のポストを経験して、管理職さらには 幹部職員として活躍することが期待されて います。一方、専門職員は、研修語と関連 する国・地域の社会、文化、歴史等に通じ た専門家、あるいは経済、経済協力、条約、 軍縮、広報文化等の分野の専門家として活 躍することが期待されています。

総合職と

専門職

専門職員は関連する国・地域のスペシャリ ストとして活躍することが期待されていま す。また、その後の勤務経験を通じて条約・ 経済・経済協力・軍縮・広報文化などの専 門分野のスペシャリストとして力を発揮す る道もあります。外務省専門職員の役割は より重要性を増しており、これまで以上に 深い専門的な知識が求められています。

地域のスペシャリストと

専門分野のスペシャリスト

1年の本省勤務の後、在外研修、在外公館 勤務を経験し、本省に戻ってからは、おお むね5~6年ごとに本省勤務と在外公館勤 務を繰り返し、本省・在外で専門家として 活躍することになります。幹部としての資 質のある者は、本省の課・室長、在外公館 の次席、政治部長等を経て、能力や適性に 応じて、総領事、大使への道が開かれてい ます。

専門職員の

キャリアパス

日本のために働きたいという強い情熱と使 命感に加え、途上国の過酷な環境でも勤務 できるたくましさ、多様な価値観を理解し 受け入れることができる柔軟性とバランス 感覚などが必要です。特に、専門職員は、 地域・分野のスペシャリストとして、長期 間にわたり専門地域・分野の観察、研究を 続けていく粘り強い姿勢が求められます。

求められる

人材

本省と在外公館

外務省は、東京・霞が関にある「外務本省」と、世界150か国に置かれている「在外公館」(大使館・総領事館・政府代表部) で構成されています。外務本省は、外交政策を企画・立案して日本外交を推進しています。在外公館では、本省の意向を 受けつつ、精力的に様々な外交活動に取り組んでいます。

5

つの取り組み

1.

 日本と国際社会の平和と安定の確保

2.

 開発協力~世界の様々な課題の解決への取り組み~

3.

 日本経済の成長と繁栄の追求

4.

 日本についての理解の促進

5.

 「国民と共にある外交」の推進

日 本 外 交

外交の最前線で活躍する 、

地域・言語・専門分野のスペシャリスト

Overview

(4)

研修直後でも即戦力となることが求められる 初めて「外交官」として勤務したのは、世界最貧国の一 つ、西アフリカのブルキナファソでした。同国は2013年の TICADⅤ(第5回アフリカ開発会議)で担当した国の一つでし たが、内示があったときは国のイメージがほとんどわかず、 かつ初めての在外公館勤務のため、何も分からない状態での 赴任でした。 しかし、在ブルキナファソ 大使館のような小規模公館で は、研修直後でも、総務・政務・ 経済・開発協力など複数分野 を担当し、即戦力となること が求められます。最初は責任 の大きさに戸惑い、大使や次 席の指示を仰ぎながら何とか 業務をこなす日々でしたが、 業務に慣れていくうちに、そ れがやりがいに変わりました。 考え方や見方が異なるブル キナファソ人を相手にするこ との難しさの中で、辛抱強く こちらの要望を伝え、相手の 言い分を聞き、両者が納得で きる解決策を導くことの大切 さや、相手はあくまでパート ナーであるという、外交にとって非常に重要な姿勢を学ぶこ とができ、同国で外交官としてスタートを切れたことに心か ら感謝しています。 また、大統領や閣僚と実際に会い、話をする機会が多くあっ たことも、非常に良い経験でした。在任中遭遇したクーデター 未遂事件やテロ事件の際は不安でしたが、周りの方々に支え られ、初の途上国生活も前向きに楽しめたことで、自分の新 たな一面を発見する機会にもなりました。 中南米の人々の温かい人柄に魅了されて 小さい頃は、W杯で活躍する中南米の国々に憧れるサッカー 少年でした。大学3年生の時、バックパックを背負い、メキシ コ、グアテマラ、コロンビアを5か月かけて旅行しました。こ の旅行を通じて、中南米の人々の温かい人柄に魅了され、将 来は中南米で働きたいと考えるようになりました。当初は民 間企業の駐在員として中南米 で生活してみたいと漠然と考 えていましたが、どの業種の 企業に進むのか決めきれずに いました。 そこでたまたま耳にした 在外公館派遣員制度(語学力 を活かして主に後方支援的な 業務を大使館で行う制度)に 応募し、在ベネズエラ日本国 大使館の派遣員として2年間 勤務しながら、将来進む道を ゆっくり考えることにしまし た。その間、昼夜を問わず日 本のために懸命に働く外交官 の方々を目の当たりし、「この 人たちがいる組織であれば、 自分の人生を賭けてみる価値がある」と思うに至り、民間企業 への就職はやめ、派遣員の契約満了後に専門職員採用試験を 受けて外務省に入省しました。 様々な形で「日本の魅力」を発信 在メキシコ日本国大使館では、広報文化班に所属し、日本 の国費留学生の選考、SNSを通じた「日本の魅力」の発信など を担当しています。 国費留学については、毎年多数の応募がある中、書類選考、 試験、面接を行い、日本に留学するメキシコ人を選考してい ます。過去に日本に留学したメキシコ人の中には、日本研究 儀典は大使のメモリーディスクであるべし その後在カナダ日本国大使館に赴任し、今は儀典業務を担 当しています。儀典業務には大使の日程管理や各種アポの調 整、会食の準備などが含まれます。これらの作業は「完璧にで きていて当然」とされますが、本当に「完璧」かつ「当然」に行う ことは難しく、だからこそ非常に大事な仕事です。仕事ぶり 次第では、館全体の円滑な業 務遂行や意思疎通に貢献でき る重要なポストでもあります。 以前、ある上司に「儀典は 大使のメモリーディスクで あるべき」、つまり大使の考 えや経験、人脈を記憶すべし と言われたことがあります。 日々こうした意識をもち、任 国の政治・経済情勢を理解し た上で、大使の頭の中を想像 し、必要となるであろう資料 の準備や参考になるであろう 情報の提供などをプラスアル ファで先回りして行うように 心がけています。 各在外公館は規模や働き 方が異なりますが、研修後 すぐ複数の公館に勤務できる のも専門職の魅力です。学生時代に留学したベルギーとフラ ンスが第二、第三の故郷となり、この経験が外交官を志した 最初の契機でしたが、続いてブルキナファソ、カナダと、故 郷と呼べる国が増えました。その度に感じるのは、「世界は大 きく、同時に小さい」ということです。つまり、世界には確 かに多様な価値観や文化がありとても広いが、その世界と自 分は、各国の友人や過去の経験などを通じ様々な場面でつな がっているという感覚です。私はこの感覚が大好きで、この 仕事を選んで良かったと感じています。 者や日本文学翻訳家として活躍したり、日本企業や多国籍企 業などで活躍する人がたくさんいて、あらゆる場面で「日本の 魅力」を発信してくれています。日本の良き理解者・サポーター を増やすという点で、国費留学選考は非常に重要な仕事です。 また、最近は大使館のSNSを通じた「日本の魅力」の発信の 重要性も増しています。メキシコの人口は日本と同等の約1 億2,800万人ですが、国土は 日本の5.2倍もあります。そ の広大な国土に住むメキシコ 国民と直接つながることがで き、直接情報を提供できる ツールとして、やはりSNSは 効果的です。   震災対応で日本の好感度が 大きくアップ 2017年9月下旬のメキシ コ中部地震の発生に伴い、日 本の緊急援助隊がメキシコ市 で救援活動を行いました。そ の際には、援助活動の写真や 動画をタイムリーに大使館の フェイスブックとツイッター に投稿し、多くのメキシコ国民やメディアから注目を浴びた 結果、ツイッターのフォロアーが4倍に増加しました。SNS広 報の効果もあり、多数のTV・ラジオ・新聞で日本の援助隊の 活動が取り上げられ、メキシコ国民から数え切れないほどの 応援・感謝のメッセージが大使館に届きました。また、援助 終了後に投稿した大使からメキシコ国民に対する感謝のメッ セージ動画は、再生回数が500万回を超えるなど、大きな反 響を呼び、日本に対する好感度がぐっと上がりました。 これからも日本への留学やSNS広報などを通じて、日本へ の理解を促し、日本の存在感や好感度をさらに高めていきた いと思っています。 研修語 仏語 研修語 スペイン語

「世界は大きく、同時に小さい」。

私は、この感覚が大好きです。

この人たちがいる組織であれば、

自分の人生を賭けてみる価値があると思った。

1 日のワークスタイル 1 日のワークスタイル 登 庁 9時からの勤務開始に 先がけ登庁し、時差の 関係で当地時間の夜の 間に接到している電報 やメールに目を通すほ か、大使の一日のスケ ジュールの確認等を行 う。 午 前 外務本省から届い た電 報や外部からのメールを チェックし、一日の仕事 の段取りを確認。メキシ コ主要紙の日本関連報 道記事を確認し、大使 館のフェイスブックに投 稿する記事を選定。 昼休み 大使館付近にはあまり ランチをできる場所が ないため、お弁当を準 備し、執務室内で昼食 を取ることが多い。他 の館員とゆっくり話し たり、読書をしたりと 少し一息つける時間。 午 後 午 前 週に1回行われる幹部 会に出席し、各参加者 の発言のメモ取りを行 うとともに、儀典とし て周知すべき内容があ れば発言。幹部会後は 議事録を作成し、関係 者に共有。 昼休み お 弁 当 を 食 べ な が ら ゆっくり休憩。文化関 係者とランチを挟みな がら会議をすることも しばしばある。週1日 は昼休み時間に家庭教 師によるスペイン語の レッスンを受けている。 午 後 公邸にてレセプション の打ち合わせ。大使館 に戻り、カナダ外務省 への各種照会等を行う とともに、大使の日程 の確保を希望する各班 との調整を行う。 退 庁 自宅に直帰することが 多いが、近くのヨガス タジオでレッスンを受 けたり、館員と夕食を 共にすることも。冬場 には館員数名で近場の スキー場に繰り出して みようと考え中。 退 庁 日本文化イベントに参 加する大使に同行し、 写真やメモなどの記録 を作成。イベントがな い日は、自宅で家族と 共に夕食、子供と遊ん でリラックス。 若 手 省 員 の 声 若 手 省 員 の 声 メキシコでは数多くの日本文化イベントが開催されて おり、関係者との会議を行うこともしばしば。テレ ビ番組やラジオ番組 への出演やインター ビューを受けること もある。 2012年入省。フランスで在外研修後、在ブルキナファソ日本国大使館で勤務。 2017年から現職。

出 口 彩 央 里

Saori Deguchi 2010年入省。スペインで在外研修後、在パラグアイ日本国大使館で勤務。 2016年から現職。

山 方 知 之

Tomoyuki Yamagata 在外公館 在カナダ日本国大使館 三等書記官 在外公館 在メキシコ日本国大使館 三等書記官 ブルキナファソ大統領と

(5)

体制が異なる国で試行錯誤の毎日 ペルシャ語の専門職員として入省して以降、イランでの在 外研修と大使館勤務、隣国アフガニスタンでの大使館勤務な どの経験を経て、現在、中東第二課でイランを担当しています。 主に、政治・経済を中心とする二国間関係全般と、要人往来 への対応に携わっています。 2015年の核合意の締結に より、12年にわたる国際社会 の懸案事項であったイランの 核問題が解決され、イランと 国際社会との関係は改善され つつあります。しかし、イラ ンは今なお米国と国交を有さ ず、一部の近隣諸国と地域政 策を巡り対立関係にあります。 そもそも日本とは体制が異 なる国です。その中で、イラ ンを巡る情勢の変化に敏感に 反応し、目前の懸案を処理し たり、発展的な関係を築くた めに日々試行錯誤しています。 大事なのは自分なりの考えや 意思を持つこと 「日・イラン関係」と一口に 言っても、政治・経済から文化・経済協力まで分野は様々です。 現地の大使館や省内の同僚と意思疎通を密にしながら、情勢 やニーズを正確に把握し、有識者や関係省庁、民間企業の知 見や情報を参考にしつつ、中・長期的な観点から日本の国益 に資する政策を立案するよう心がけています。 このとき大事にしているのは、イラン担当としてどうした いか、という自分なりの考えや意思を持つことです。ややも すれば、米国との関係に気を払うあまり、イランとの協力は 敬遠されがちです。そうした環境の中で、ペルシャ語専門職 条約というフィルターを通し、広い視点で物事を見る 外務省国際法局は、日本政府の中で条約等の締結やその解 釈・運用を担う非常に責任の重い部署です。入省以来、10年 以上にわたってロシア関係の仕事に従事してきましたが、2年 前に国際法局の中にある条約課に着任しました。 条約課は主に政治分野の条約の締結、解釈・運用を担当し ます。私は国際法の専門知識 があるわけではなかったので 大きな不安がありました。し かし、条約課で勤務を始めて みると、条約というフィル ターを通して、条約に関わる 様々な国の考え方や国・地域 間の関係などを知ることがで き、これまでの仕事では得ら れなかった広い視点で物事を 見ることができるようになり ました。 様々な知見を総動員して 文言交渉をまとめる 条約課員に求められる最も 重要な業務として、新たな条 約の締結があります。「締結」と一言で言っても、非常に長く複 雑な道のりです。条約締結のニーズはあるのか、相手国との 間で条約締結は可能なのかといった下調べや情報収集に始ま り、実際の交渉開始となれば、各国にはそれぞれに譲れない 点があり一筋縄ではいきません。 条約交渉は、通常相手国地域を担当する課室と二人三脚で 進めます。特に条約課には過去の条約との整合性や日本の制 度に照らして問題ないかなどを精査する役割が期待されてい ます。歴史上、条約の一つの単語が後に大問題を引き起こし た例もあり、交渉過程では単語一つに至るまでチェックする 緻密な作業が必要になります。同時に、対立する意見を取り 員として、なぜ日本にとりイランとの関係が重要なのか、イ ランとの協力によってどのような成果が得られるのかを周囲 に説明し、理解と協力を得る必要があります。そのためには、 自分の担当に責任を持ち、普段からアンテナを高く張り、担 当分野への理解や洞察力を深めておくことが欠かせません。 有益で厚みのある政策を生み出すために、使命感をもって学 びと鍛練を怠らないことが大 事であると自戒の念を込めて 思います。 訳すだけでなく、 伝えたい意図を読み取る これまで、日・イラン間の 首脳会談や外相会談、各種協 議におけるペルシャ語通訳の 機会に恵まれました。会談や 協議では人権や安全保障など 機微な問題が取り上げられる こともあり、通訳者には発言 者の意図を正確に伝えること が求められます。 今年9月に行われた外相会 談では、核合意が維持された 環境において、イランが米国 をはじめとする国際社会とど う付き合っていきたいのか、その中でイランが日本に何を求 め、日本は何ができるのか、あらかじめ用意された発言要領 に捉われない率直な意見交換が交わされました。その場では 言葉を訳すだけでなく、発言者が伝えたい意図を読み取り、 それを正しく相手に伝達するよう、細部に至るまで神経を使 うことが求められました。通訳の仕事は、普段からの鍛練の 成果が試される瞬間の連続です。専門職員としても、通訳官 としてもまだまだ未熟ですが、これからも様々な経験を積み 重ねていきたいと思います。 入れ、条約の形にまとめ上げることも必要です。様々な知見 を総動員して知恵を絞り、文言交渉をまとめるのも条約課員 の腕の見せどころです。 極めて広範な知識と視野が求められる条約の締結 首脳会談等の成果として、ある条約について「実質合意」な どと華々しく報道されるの を見たことがある方も多い と思いますが、これは政府 間で条約の文言について基 本的に一致したことを意味 するにすぎず、締結の仕事 はこれで終わるわけではあ りません。 内閣法制局による審査、 署名に向けた相手国との調 整、署名後に国会の承認を 要する場合には、国会提出 の作業、実際の国会審議と 続きます。これらを経て、 条約の規定に従って手続を 終え、条約が発効すると晴 れて一本の条約の締結作業 の完了となります。どの作業も一つとして気を抜くことがで きない重要な業務です。 このように条約の締結は、数年単位の期間を要するプロセ スです。その過程では、国際法の専門的な知識に加え、条約 が対象とする分野についての理解、条約の国内での受け止め など、極めて広範な知識や視野が求められます。 条約課の業務は、国際社会や日本の人々の生活をより円滑 にし、より良い方向に導くための法的な枠組み作りに直接携 わることができる仕事です。それを通じて自身の専門性を高 め、幅広い知識と視野を得ることができるので非常にやりが いがあります。 研修語 ペルシャ語 研修語 ロシア語 1 日のワークスタイル 1 日のワークスタイル 通勤時間を利用し、ペ ルシャ語 の ニュース を 聴き、時事単語のペル シャ語訳を確認。また、 イランの現地報道や欧 米メディアに目を通し、 情勢をフォロー。 登 庁 登 庁 省内からのメールや在 外 公 館 か ら の 公 電 を チェック。条約交渉等 に関しての省内担当課 室からの新たな依頼や 相談、交渉相手の動向 などを把握し、その日 の作業を計画。 昼休み 昼休み 午前中の作業が昼休み に食い込むこともしば しば。時間が取れれば、 外にランチに出て、し ばし気分転換。 なるべく庁舎外にランチ に 行って リフレッシュ。 気持ちを切り替えて午後 の仕事に備える。繁忙 期はデスクで昼食をとる ことも。 午 前 午 前 条約交渉や条約の解釈・ 運用に際しての省内か ら急ぎの照会などに対 応。条約交渉について の省内外の打ち合わせ に出席し、国際法局の 意見を伝えることも。 在外公館からの電報や メールを通読。現地の情 勢についての情報や相 手国政府とのやりとり の報告を踏まえ、同僚 と相談しつつ対応ぶり やとるべき措置を検討。 午 後 午 後 時間のかかる調べ物、 条約交渉の対処方針を じっくりと練り上げる 作業などに対応。業務 の合間を縫って、国際 法の知識の底上げを図 るための勉強をするこ とも欠かせない。 二国間協議の対処方針 や政策立案の意思決定 のための資料作り。関 係省庁や企業と面談を 行うことも。多方面か らの情報と知見が視野 を広げる。 退 庁 退 庁 様々な調べ物や省内外 からの照会への対応な どを終えて退庁するの は夜遅くになることも。 所掌案件の進捗状況を 確認し、 翌日以降のTo Doを整理。関係国の 動向や政策について情 報が必要な場合は、メー ルや電報で大使館に依 頼事項を伝えておく。 若 手 省 員 の 声 若 手 省 員 の 声

有益な政策を生み出すためには、

使命感をもち、学びと鍛練を怠らないこと。

国際社会と日本の人々の生活をより円滑に

するための法的な枠組み作りに携わる。

2006年入省。イランで在外研修後、在アフガニスタン日本国大使館で勤務。 帰国後、2015年から現職。

柴 田 愛 子

Aiko Shibata 2002年入省。ロシアで在外研修後、在ユジノサハリンスク日本国総領事館で 勤務。帰国後、2017年から現職。

廣 幡 幸 治

Koji Hirohata 本省 中東アフリカ局中東第二課 主査 本省 国際法局条約課 主査

(6)

通訳にはスポーツのような側面が多くある 通訳にはスポーツのような側面が多くあります。日頃の練 習や過ごし方、体調管理は日々のルーティンの練習であり、 ひとたび通訳機会(=試合日程)が決まれば、それに向けた入 念な準備(=追い込み)、本番や相手方を想定した情報収集や イメージトレーニング、そして本番では集中力を高めて臨み ます。会談当日は乳製品を取 らずに、また直前に食事を取 りすぎて満腹になりすぎない ように気を遣いながらも、空 きっ腹ではパフォーマンスが 上がらなくなってしまうの で、栄養調整食品をカバンに 忍ばせて臨むといったこと も、スポーツの試合と同じか もしれません。会談本番(= 試合)は、準備の成果を発揮 する場であると同時に、予期 せぬ状況に対応する瞬時の判 断や決断が求められる場でも あります。 非専門分野を担当するのも 通訳の面白さ 英語の通訳は少し特殊かもしれません。世界の共通言語で あるため、英語を介した会談機会は外交の現場で最も多く、 その分自分の業務とは全く異なる、全く背景知識を持ち合わ せていない通訳をすることも少なくありません。ほぼゼロか らの準備は大変ですが、担当部局としっかり打ち合わせをし、 チームの一員として本番に臨みます。緊張する本番では、周 囲の人たちが通訳の内容を理解できなければいいのにと何度 思ったことでしょうか。でも、世界の共通言語である英語で はそうはいかず、おかげで少しは肝が座ってきたかもしれま せん。今では、自分の専門ではない分野で通訳を行うことも、 研修時代のすべての経験がバックボーンに 外務省入省後の在外研修では、英語以外の言語の場合、語 学の勉強に集中することも多いのですが、私はより厳しい環 境に身を置きたいとの思いであえて背伸びをし、IE Business Schoolという世界トップクラスとされているビジネススクー ルを研修先として選択しました。一学期につき2つ以上の科目 を落とすとその時点で退学 という厳しいルールがあっ たので毎日必死でした。こ れまでの人生で一番勉強し たのがこの時期だったよう に思います。だからこそ、 すべての課程を終えてMBA (経営学修士)を取得した時 は、何よりも嬉しかったです。 また、ビジネススクール の授業では、1つの課題に 対して様々な解が存在し、 そこに至るまでの論理的思 考が問われるので、柔軟な 発想と論理的思考力を身に つける上でも良い訓練にな りました。(よく勉強するこ とは当たり前として)よく 遊ぶこともこの時のクラスメートたちから教わったような気 がします。飲む時は朝まで飲むのが当たり前、遊ぶ時はとこ とん遊ぶというメリハリをつけた彼らのライフスタイルは、 私にとって新鮮なものでした。この研修時代のすべての経験 が今の通訳官としての私のバックボーンになっていることは 間違いありません。 各国要人の通訳として様々な会談に同席 在外研修後に勤務したボリビアとチリの大使館時代に自分 に課していたルールの1つは、月に1度、現地の大学などにお 通訳官の面白さであり、自分の視野を広げる良い機会である と思っています。 好奇心を刺激する非日常の体験 通訳官ならではの体験も多くあります。一つは被通訳者と の距離の近さです。外務省の通訳は、会談の時だけでなく、 その前後も含めて被通訳者 の近くにいることが通常で す。特に外遊などで出張を する時には、一日中と言っ ていいほど被通訳者の至近 にいます。その際、他国の 要人との立ち話などが突発 的に発生し、被通訳者と自 分以外に日本側関係者がい ないこともあります。通訳 はそんな時にもしっかり対 応しなければなりません。 こうした機会を通じて、 日本外交の最前線で実際に 何が起きているかを目の当 たりにすることは、自分の 好奇心を刺激する非日常の 体験でもあり、今後に活かすことのできる経験を蓄えること でもあります。 外交の現場は思い通りにいかないことはままあり、突然の 会談で十分な準備の時間がないまま本番に飛び込んだり、急 な予定変更に対応したりと様々です。午前1時の一時間後の 電話会談の依頼や、すべてが機中泊だったゼロ泊4日の出張、 1日半で14件の会談の通訳をこなした出張など、数えあげれ ばきりがありません。体力的・精神的にチャレンジングでは ありますが、独特のハラハラ感や達成感もあり、黒子として の謙虚な姿勢を常に持ちながら、これらの体験を自分の糧に していければと思っています。 いてスペイン語で講演会を行うことでした。現地の学生など を対象に、日本について直接スペイン語で発信するという経 験は、語学力の向上に非常に役に立ちました。帰国後、徐々 に通訳の機会を与えられるようになりましたが、通訳とは、 言葉を訳すことだけが仕事ではなく、「会談の全体像や外交的 意義を認識した上で、話し手の意図を理解し、それを双方の 文化的ルールに乗っ取って 再表現するもの」なのだと 理解するようになったのも この頃でした。 その後、安倍総理の通訳 として、キューバのフィデ ル・カストロ前国家評議会 議長、ラウル・カストロ国 家評議会議長との各会談、 ノーベル平和賞を受賞した コロンビアのサントス大統 領との会談、スペインの フェリペ六世国王陛下との 会談といった様々な会談に 通訳として同席できたこと は本当に幸運でした。 首脳会談等の場で話し手 の意図を正確に理解するた めには、外交全般にわたる幅広い知識が求められます。また、 語学は日々の訓練の積み重ねです。一夜にして幅広い知識が 身についたり、語学力が向上したりすることはあり得ません。 忙しい日々の中でも、少しずつでも良いので知識を身につけ、 語学力向上のための鍛錬を行う、その繰り返しこそが通訳官 には求められているのだと思います。私自身、力不足を実感 することばかりですが、それでも総理の通訳を任される以上、 日本で最もスペイン語が堪能な人材でなくてはならない、そ ういう気概を持ち、日々精進することを心がけています。 研修語 英語 研修語 スペイン語 この仕事で大事なことは この仕事で大事なことは 通訳はやはり言葉が大切ですので、普段の業務でも、言葉のニュアンスには気 を配るように心がけています。英語通訳というと何しろ英語力が重要と思われが ちですが、尊敬する通訳の先輩に言われ常に心に留めていることは、通訳に求め られるのは日本語力だということです。日々の業務の中でも、正確な構文や適切 な語彙が使用されているかといった点を、英語のみならず日本語の文章を書く際 にも意識するようにしています。と言うと格好良く聞こえるかもと思って書いて みましたが、実は元々ずぼらな性分でして、通訳だけのために勉強時間を割くの がもったいないから本業や通勤の時間も活用して、「 ながら勉強 」をしているとい うのが本音です…。 現在勤務している国際法局経済条約課/社会条約官室では、この2年間、EPA、 TPP、投資協定、環境条約、社会保障協定、税関協定、独禁協定と様々な分野の 条約を担当する機会に恵まれました。国際法局は外務省最後の砦とも言われてお り、精緻な作業が求められます。他方、通訳官としての仕事では、国を代表する 者同士の真剣勝負である首脳会談等において、話し手の発言の真意を正確にとら えて訳出することが求められます。緻密さが求められるという点で、国際法局で の仕事と通訳官の仕事に求められるものは根本的なところで非常に通ずるものが あると感じています。双方の場で研鑽し続けることが、自分が外務省員として日 本の国益に貢献することにつながると信じています。 若 手 省 員 の 声 若 手 省 員 の 声

通訳は日本外交の最前線で、

何が起きているかを目の当たりにする。

通訳とは、話し手の意図を理解し

再表現するもの。

通訳 北米第二課 主査 通訳 経済条約課 主査 2005年入省。アメリカで在外研修後、在アメリカ日本国大使館で勤務。 帰国後、2016年から現職。

浅 見 麻 紀 子

Makiko Asami 2004年入省。スペインで在外研修後、在チリ日本国大使館で勤務。 帰国後、2017年から現職。

西 雅 之

Masayuki Nishi 日・キューバ首脳会談で通訳を担当(2016年) 提供:内閣広報室

(7)

充実した研修プログラムで

スペシャリストへの道をサポート

専門職員にとって、特に重要なのが語学の習得です。早期に語学をマスターするとともに、関連国の専門

性を高め、外交官として独り立ちすることが求められています。外務省では、職員のために充実した研修

制度を設け、外交のスペシャリストを目指す専門職員を全面的にサポートしています。

スペシャリスト

として

本省及び

在外公館で活躍

配属先や転勤について

能力、適応性、勤務成績、本人の希望等を総合的に考慮し、 配属先が決定されます。おおむね2~3年ごとに異動があ るため、多様な視点から自分の専門性を発展させながら勤 務することができるほか、異なる部署での勤務を通じ、新 たな専門分野を発掘することも可能です。 在外研修終了後は、研修国の在外公館で勤務するか、研修 語を国語(または通用語)とする別の国にある在外公館で 勤務します。本省戻ってからは、おおむね5~6年ごとに 本省と在外で勤務します。

必要な語学力は

試験科目に外国語試験が課されていますので、一定の外国語能力は必要です。 一方で、採用後に外務省研修所での語学研修及び在外研修の機会が与えられま すので、採用時点での語学力よりは、採用後の研鑽によりどれだけ高いレベル を達成できるかが重要です。

専門職職員研修語

入省前

研修言語決定

専門職員は、四十数言語の中か ら、希望や適性などを考慮して 研修語が割り振られます。

M i s s i o n

入省1 年目4 月~

入省2 年目4 月~

入省2 年目の夏~

在外研修 現地の語学学校や大学などで研 修語に磨きをかけるとともに、 その国の歴史、政治、経済、社会、 文化などの諸事情を学びます。

専門職員としての

礎を固める

本省

在外公館

研修期間:2年 英、仏、独、西、露、中、朝、ポルトガル、インドネシア、タイ、モンゴル、 マレー、ペルシャ、ウルドゥー、ヒンディー、シンハラ、ミャンマー、ラオス、 カンボジア、ベトナム、ベンガル、フィリピノ、伊、ギリシャ、スウェーデン、 ノルウェー、デンマーク、ハンガリー、フィンランド、ルーマニア、ポーランド、 ブルガリア、チェコ、スロバキア、オランダ、セルビア、クロアチア、トルコ、 ヘブライ、スワヒリ、ウクライナ、スロベニア、トルコ/カザフ 研修期間:3年 アラビア

海外研修

(2 ~ 3 年)

実務研修

語学研修

(1 年間)

前期研修(4月) 外務省研修所で実務や教養ととも に、研修語の学習に取り組みます。 実務及び中期研修 (5月~翌年3月頃) 本省内の各課に配属され、研修生 として実務を担当します。同時に 週2回半日の研修語の語学研修を 受けます。

本省での

仕事を覚える

集中研修

(3か月)

後期研修 外務省研修所で外務講義や研修語 の学習に集中的に取り組みます。

外交官としての基礎知識を

身に付け 、在外研修に備える

研 修 制 度

撮影:Alex Castro 提供:内閣広報室

(8)

2016年8月、私のフランスでの在外研修がスタートしました。 1年目はストラスブールにあるフランス政府の公務員養成学校 「国立行政学院」で研修を行い、公共政策および国際関係論を学 びました。現在、在外研修は2年目に入り、パリの「経 済紛争学院」および「パリ第二大学」でインテリジェ ンスと法学を学び始めたところです。 国立行政学院では、フランス語圏の国々の公務員 や外交官と共に学び、非常に刺激的な毎日を送るこ とができました。20年近くの職務経験を持つ彼らと 対等に議論し、深い関係を築くことは、語学、経験 の面から非常に困難ではありましたが、そのような 環境に身を置いたことは自分を大きく成長させてく れたと感じています。ここで築いた人間関係は、仕 事の上でも、プライベートでも今後拠り所となるで あろうかけがえのないものです。 言葉の壁に直面することは多々ありますが、異な る文化を持つ国での生活は新たな発見の連続で非常 にエキサイティングであり、また自身の他の文化に 対する寛容な精神を養うことにも役立っています。 在外研修では、語学力を向上させることは言うま でもありませんが、これから関わっていくこととな るフランスという国をいかによく知ることができる かが非常に重要です。そこで、在外研修を通じて、 フランス人とはどういう人たちなのかを理解しよう と努めています。そのために、外国人向けのよそ行 きの姿ではなく、フランス人同士で見せる素の姿を 垣間見ようと、可能な限り彼らのコミュニティーの 中に入りこむべく四苦八苦する毎日です。 今後も自己研鑽のために与えられたこの2年間を 最大限に有効活用し、真のスペシャリストとなれる よう、さらに努力を重ねていきたいと思っています。 東アフリカに位置するタンザニアは、キリマンジャロ山やザ ンジバル島を有する自然豊かな国です。私はその地で、スワヒ リ語の習得およびアフリカ情勢の理解を目的に研修しています。 スワヒリ語はタンザニアの文化に深く根付いており、 日常的に話されているだけでなく、憲法などの国家 文書や音楽・文学にも広く用いられています。 私は、昨年1年間の英国研修を経て、タンザニア にやって来ました。英国では、ロンドン大学東洋ア フリカ研究学院(SOAS)で、アフリカ外交の主要テー マである開発学を学びました。毎日夜遅くまで図書 館にこもる生活でしたが、世界各国から集まった学 生と友人になり、励まし合いながら乗り切ることが できました。 タンザニアでの研修が始まったのは今年の7月か らです。文化の違いに驚くことも多々ありますが、 穏やかなタンザニアの人々に助けられつつ、日々生 活しています。市場に買い物に行った際に、一人で は危ないからとUberの運転手が手伝ってくれたり、 生きた鶏の選び方などを教えてもらったりと、現地 の人々のサポートにはとても助かっています。こう した人々との交流の中で新しいスワヒリ語を知るこ とも多く、研修生活で特に大切にしている時間です。 この9月からは、ザンジバル島でホームステイを しながら、スワヒリ語の短期講習を受けています。 週に1度の課外授業では、スパイス農場や奴隷洞窟 跡を訪れるなど、タンザニアの文化や歴史を肌で感 じています。11月からは、ダルエスサラーム大学で アフリカ政治を専攻し、スワヒリ語の家庭教師を付 けて語学力を伸ばす予定です。残り少ない研修期間、 悔いの残らないよう、しっかり学んでいきます。 ソウル大学は、都市自然公園に指定されている冠岳山の麓に あります。山肌に沿ってキャンパスがつくられているため、校 内の移動はまるで登山をしているかのようですが、四季を感じ られる大自然と大学から見える夕日の美しさは格別です。その ソウル大学の政治外交学科修士課程で、私は外交学を学んでい ます。 授業では、日本人としての意見を求められることも多く、改 めて「日本」について学んでいます。会話の中で韓国人の考え方 に気付くことも多くありますし、価値観の違いや日 本とは異なる文化に驚かされることも少なくありま せん。日本ではおせっかいだと受け取られてしまう 他人への思いやりも、韓国では「情」という言葉で表 現し、人間関係の中で大切にされています。友人の 実家にお邪魔した際には、美味しい手料理と温かな 言葉で迎え入れてくれ、大変感動したことを覚えて います。 韓国語は日本語と似ているため、取り組みやすい ものの、極めるのは難しく、日々新たな発見と学び の連続です。机上の学習だけではなく、言葉の裏に 隠された文化や精神も一緒に学ぶよう心がけていま す。地方を旅行したり、伝統音楽を聴いたり、様々 な人々と交流したりしながら視野を広げています。 毎日、栄養満点の韓国料理を堪能できるのも、韓 国の魅力の一つです。最初はその辛さに苦戦しまし たが、今はキムチなしでは物寂しさを感じるほど。 帰国後も本場の味を再現できるようにと思い、最近、 韓国料理を習い始めました。 研修の2年間は、自分の人生を振り返る機会にも なります。今後も、韓国での様々な出会いを大切に 研修に励み、韓国のスペシャリストとしての視点と 知識を糧にして、日本の外交に貢献していきたいと 考えています。 私は現在、モスクワで家 庭教師に付いてロシア語を学 んでいます。授業では、事前 に準備した様々なジャンルの ニュースを素材にして、語彙 の確認やテーマに沿った会話 練習を行っています。あるニュースをロシアの社会 はどう受け止めているのか。どのように考えている のか。それらについて、ロシアに住み、かつしっか りとした背景知識を持つネイティブから説明を受け ることができるのは、現地で学ぶことの良さである と思います。 授業外の時間は、学生時代から趣味として嗜んで いるボクシングを続けており、モスクワでのボクシ ングを通じて、老若男女を問わず多くのロシア人と 知り合うことができました。共に汗を流す練習仲間 との会話は、北方領土問題のような政治的な話題か ら、日本とロシアのビールの味の違いといった内容 まで多岐に渡ります。このコミュニティー内におけ る唯一の日本人として、しっかり自分の意見を伝え られた時は大きな喜びを感じる一方、言葉の壁に阻 まれた際には非常に悔しく、そうした感情がさらな る語学力向上へのモチベーションとなっています。 これまで海外に住んだことがなかった私にとって、 モスクワでの2年間の研修は、日本とは全く異なる 文化・思考様式に直接触れることができる貴重な機 会です。このような機会を与えていただいているこ とへの感謝の気持ちを忘れず、後悔することのない よう残りの研修生活を有意義に過ごしていきたい、 今はそれを強く感じています。

在外研修レポート

2015年入省 在フランス日本国大使館 外交官補

加 藤 寛 隆

Hirotaka Kato 2015年入省 在タンザニア日本国大使館 外交官補

新 広 子

Hiroko Atarashi 2015年入省 在大韓民国日本国大使館 外交官補

西 島 理 恵

Rie Nishijima 2015年入省 在ロシア日本国大使館 外交官補

有 馬 潤 一

Junichi Arima

その国をいかによく知ることができるか

、それが重要

現地の言葉を学ぶには

、現地の人々との交流の中で

研修の2年間は人生を振り返る機会にもなる

友人と伝統衣装(韓服)を着て、 景福宮(韓国の古宮)へ 左上)ザンジバル・ス トーンタウンの風景 右上)イギリスでの大 学院にて 下)ザンジバルのビー チにて ストラスブールで同級生とともに ボクシングを通じて現地の 人と交流 研修語:フランス語 研修語:スワヒリ語 研修語:朝鮮語 研修語:ロシア語 左・右上)ボクシング仲間とともに 右下)家庭教師とともに

(9)

      

邦人テロ対策室 首席事務官 在インド日本国大使館 参事官

江 端 康 行

Yasuyuki Ebata

佐 藤 仁 美

Hitomi Sato

ロボット親善大使が日本の存在感を世界に示す

「日本人は自由と正義のために血を流していない!」と、学生時代 に留学先のボストンで友人から言われた言葉が心に刺さりました。 時は1990年秋。イラクがクウェートに侵攻し、アメリカの若者が 大挙してペルシャ湾を目指す中、日本が支払った130億ドルという 巨額の資金協力は、米国の友人たちには全く響かなかったのです。 伝わらない、ということは何もしていないことと同じです。日 本の政策や考え方について相手国政府のみならず、一般の人々の 理解や共感を得るための「パブリック・ディプロマシー」が問われ た瞬間です。 私は入省後、この課題と向き合ってきました。例えば、EU拡大 前夜の2003年、日本の小泉総理が初めてチェコを訪問した際、ホ ンダのASIMOをロボット親善大使として同行させました。もとも と「ロボット」はチェコ語であり、チェコ人の誇りなのです。チェ コ人の琴線に触れたこの企画は、大絶賛されて世界中で報じられ、 日本の存在感を欧州のみならず世界に示すことができました。

ゴルゴ13とコラボし安全対策を強化

また、2004年、自衛隊と共にイラクのサマーワで復興支援活動 に従事した際、ODAで供与する給水車に、イラクの子供たちが大 好きな「キャプテン・マジッド」(日本の漫画「キャプテン翼」)の巨 大なステッカーを貼って運行させました。マジッドの給水車がやっ て来ると、自然と子供は笑顔になります。子供たちの笑顔は、戦 争で傷ついたサマーワ市民を勇気づけました。そこには水を配る 以上の意義があったと思います。 最近では、在外邦人の安全対策を強化するために、ゴルゴ13と のコラボによる安全対策マニュアルを漫画で制作しました。この マニュアルは大評判となり、邦人がテロなどに遭わないための安 全対策に一役買っています。相手の共感を得るための一工夫は、 多様化する国際社会の中でますます重要になっています。まさに、 外務省の腕の見せどころです。

醍醐味はマクロとミクロの視点から仕事ができること

外務省の醍醐味は、外交の現場で様々な活動ができること、そ して国際情勢というマクロの視点と、二国間関係や政治・経済協 力などのミクロの視点から幅広い仕事ができることです。 私が外務省を受験した理由は、発展途上国で仕事をしたかった からで、インドを選んだのは大学で専攻した言語がインドで話さ れていたからです。もともとインドには興味がありましたし、自 分が専門とする地域がある方が良いと考えました。その結果、希 望がかない、インドでの研修、インドでの勤務となりました。 その後はインド以外の国々を広く担当しました。その際も、文化・ 経済面をはじめ、多方面でインドと関わったことで、日本とイン ドとの関係を多角的に見られるようになりました。 インドと日本の関係は、1998年のインドの核実験によって冷却 しましたが、インドの経済成長が著しくになるにつれて良好になっ ていきました。そうした中で、インド担当官であった時期も、在 インド日本国大使館勤務中も、色々な経験をすることができました。

国連代表部で多様な考え方や見方を学ぶ

2度目の在インド日本国大使館勤務の後は、ニューヨークの国連 代表部での勤務となり、国連という大きな場でインドと日本を見 つめる良い機会を得ました。国連での各国の活動は、まさに国際 関係の縮図です。各国の主義主張や利害が衝突することも少なく ありません。その場を実際に見て、世界の動きを肌で感じること ができました。 また、国連代表部には、各国から優秀な若手外交官も集まってい ます。彼らとの交渉や交流の中で、インドをはじめ南アジア各国の 外交官と知り合え、多様な考え方や見方を学ぶことができました。 首席事務官という中間管理職になってからは、マネージメント や大使館の運営などについて、様々な角度から学び、取り組んで います。インドの日本国大使館の運営においても、インドや国連 で学んだ知識は非常に役立っています。 入省

1992

1988

入省 在ブルガリア日本国大使館 三等書記官 広報文化担当官として「日 本文化月間」等を実施。 在インド日本国大使館 三等書記官 儀典(大使秘書、儀礼関係) を担当。 在日本政府 国際連合代表部 一等書記官 社会部に所属。国連第三 委員会、クメール・ルージュ 裁判、民主主義共同体等 を担当。

1995

1991

2004

総合外交政策局国際テ ロ 対 策 協 力 室/国 際 安 全・治安対策協力室(機 構改革による名称変更) 首席事務官 所管業務全体を取りまと める 。

2010

在アメリカ日本国大使館 一等書記官 核不拡散を担当。

2005

アジア大洋州局 南西アジア課 課長補佐 パキスタン等を担当。

2013

2001

1997

2014

相手の共感を得るための一工夫 。

それは 、まさに外務省の腕の見せどころ 。

国際関係の縮図の中で 、

世界の動きを肌で感じることができる 。

欧州局中・東欧課 事務官 チェコ に お け る ホンダ ASIMOの「ロボット 親 善 大 使」を企画・実施。ドラガン・ ストイコビッチ氏の「平和親 善大使」および西バルカン・ ピースボール・プロジェクト を企画・実施。川口賞受賞。 アジア局南西アジア課 外務事務官 インド班に所属。インド・ ブータン担当官として従事。 在インド日本国大使館 参事官 大使館の運営に関わる業 務、館内調整等を担当。

C A R E E R PAT H

在外研修(ブルガリア) ソフィア大学で学ぶ。

1993

文化交流部政策課 事務官 文化無償協力を担当。新た に文化遺産無償を立ち上げ。

1998

在外研修(インド) インドの大学での ヒンディー語研修。

1989

文化交流部文化第一課 外務事務官 文化無償資金協力関連業 務、日印文化関係を担当。

1993

在インド日本国大使館 一等書記官 政務班に所属。インド国内 政治を担当。

2000

領事局政策課 首席事務官 所管業務全体の総括 、領 事局全体の取りまとめを 担当 。

2012

在ウィーン国際機関 日本政府代表部 一等書記官 IAEAを担当。

2009

領事局邦人テロ対策室 首席事務官 ゴルゴ13の安全対策 マニュアルを制作。

2016

在イラク日本国大使館 (サマーワ連絡事務所) 二等書記官 無償資金協力による給水事 業 で サマーワ「 キャプテン 翼大作戦」を企画・実施。外 務大臣賞(麻生大臣)受賞。

2004

国際協力局国別開発第1 課/同 第2課(機 構 改 革 による名称変更) 課長補佐 南 西 アジア 班 長 と し て、 南アジア地域に対する政府 開発援助(ODA)の政策立 案等に従事。

2007

ブータン選挙管理委員長との 面談 本省 在外公館

(10)

苦手な仕事にも新たな発見を見いだせる

外務省を志望したのは、大学でドイツ語を専攻していたため、 ドイツ語を使える職業につきたかったからです。また、大学3年時 に経験したドイツでのホームステイも大きな動機となりました。 ドイツの人々が日本に強い親近感と関心を持っている一方、日本 のことを知る機会が少ないことを知り、日本とドイツの架け橋に なれればと考えました。入省後、研修でドイツの地に立ったときは、 本当にうれしかったことを今でもよく覚えています。 しかしながら、その後の道のりは必ずしも順風満帆ではなく、 試行錯誤の連続でした。外交官として求められている能力と自分 の能力とのギャップに悩む日々も少なからずありました。それで も、与えられた仕事を一つひとつこなしていくうちに、苦手意識 のあった仕事の中にも新たな発見や意外な面白みを見いだすこと ができました。

外交を支えるのは人と人との絆

外交とは自国の国益を増大させる試みであり、日本の国益とは 日本が安全で繁栄し続けることです。しかし、これは一国だけで 実現することはできません。世界の平和と繁栄に貢献することが、 ひいては日本の国益を確保することにつながります。その手段が 外交であり、だからこそ外務省が扱う分野は非常に間口が広く、 多岐にわたっています。そうした非常に間口の広い職業において、 最も重要なのは「人間力」だと思います。 これまでドイツやスイスの大使館等において、二国間関係の調 整や任国情勢に関する情報収集・分析を担当してきましたが、究 極の調整段階で最後に物を言ったのは相手との人間関係でした。 現在も様々な外交交渉を行っていますが、彼我の立場に乖離があ る中、交渉の最終段階で重要なのは相手との信頼関係です。 「国と国との関係である外交を支えるのは、結局のところ、人と 人との絆」。これは私の尊敬するある方の言葉です。引き続き、人 間力を磨いていきたいと考えています。

魅力は日々の勉強が即実践に直結すること

私は学んだ中国語を活かして、約13年間にわたり天皇陛下と 歴代総理の中国語通訳を務めました。特に、歴代総理の訪中や中 国要人の訪日といった歴史的な場面に通訳として同席できたこと は、中国分析の観点からも大変貴重な経験となりました。外交の 場における通訳業務は外務省員としての重要な仕事の一つです。 その後、中国専門官、情報分析官として専ら中国分析に取り組む 機会も与えられました。 外務省専門職員採用試験で、国際法は引き続き必須科目です。 私は法学部出身ではありませんが、入省後に再び国際法を真剣に 勉強したのが条約課勤務時代です。外務省の職場は、どこに配属 されても日々勉強であり、皆実によく勉強しています。外務省の 魅力の一つは、日々の勉強が即実践に直結するということです。 私も、条約課勤務時代に実に多くの条約交渉に参加し、また、条 約の法制局審査や国会審議にも取り組みました。

外務省は真の専門家を必要としている

毎日のテレビや新聞の報道で外交のニュースがない日はありま せん。私は報道課首席事務官として、日々行われている日本の外 交活動がどのようにして報道になるのかという現場を経験しまし た。外務大臣に同行して欧米からアジアまで実に様々な国を訪問 し、現場で外務省の対外発信に携わりました。報道関係者に日本 政府の立場を説明したり、激しい議論を行うこともありましたが、 実に有意義な報道課勤務でした。 激動する国際情勢の中で外務省は真の専門家を必要としていま す。外交官の仕事の多くは決して華やかなものではありません。 国と国の関係はつまるところ、人と人の関係です。多くの外務省 員は見えないところで地道に各国の人々と議論し、信頼関係を深 め、相手国の立場を理解しながら日本の国益のため日々努力をし ています。志があれば、外務省には必ず活躍の場があります。ぜ ひ私たちと一緒に日本外交に携わりませんか。

C A R E E R PAT H

国際原子力協力室 企画官

森 万 希 子

Makiko Mori

外交は人間力が勝負 。人間力を磨け 。

総合外交政策局総務課 外交政策調整官

岡 田 勝

Masaru Okada

志があれば 、

外務省には必ず活躍の場がある 。

入省

1987

在スイス日本国大使館 一等書記官 スイス内政・外交に関する 調査・分析等を担当。

2003

在外研修(ドイツ) ボン大学で学ぶ。

1988

欧亜局西欧第一課(現欧 州局政策課) 事務官 欧州との文化交流事業を 担当。

1993

国際法局社会条約官室 課長補佐 社会分野の国際条約(人権、 海事)関連分野を担当。

2008

総合外交政策局政策 企画室 首席事務官

2012

経済協力局技術協力課 課長補佐 中東分野への技術協力プロ ジェクトに関する企画・立 案等に従事。 在ドイツ日本国大使館 一等書記官 二国間関係に関する各種調 整およびドイツ内政・外交に 関する調査・分析等に従事。

2004

欧州局アジア欧州協力室 首席事務官 アジア欧州会合に関する外 交上の総合政策を取りまと める。

2011

1999

軍縮不拡散科学部 国際原子力協力室 企画官 二国間原子力協定の交渉・ 運用を担当。

2015

在ハンブルク日本国 総領事館 副領事 北部ドイツ地域における日 本文化紹介・日本に関する 広報活動を担当。

1990

議員団視察の案内と通訳を務 める

1996

条約局法規課(現国際法 局国際法課) 事務官 一般国際法(海洋法)分野の 関連業務を担当。 国際会議に日本代表団の一員 として出席 入省

1990

在中国日本国大使館 三等書記官 政治部で中国外交を担当。 条約局条約課 事務官 条 約 交 渉、 法 制 局 審 査、 条約の国会審議を担当。

1993

2000

大臣官房報道課 首席事務官 日本外交の発信や日本の報 道機関との関係を担当。

2013

在外研修(中国) 北京大学に留学。

1991

アジア局中国課 事務官 経済班で日中経済関係を担 当。天皇陛下通訳、総理 通訳を始める。

1997

在中国日本国大使館 二等書記官 政治部で中国内政を担当。

2004

在中国日本国大使館 一等書記官 大使秘書として大使の補佐 官的役割を務める。

2010

国際情報統括官組織 第三国際情報官室 情報分析官 中国情勢分析を担当。

2015

2008

アジア大洋州局中国課 課長補佐 政務班長として中国内政を 担当。 天皇陛下と習近平中華人民共 和国副主席の御引見で通訳を 担当(2009年)

2016

総合外交政策局総務課 外交政策調整官 日 本 の 対 中 政 策 の ほ か、 アフリカ と 中 南 米 も 担 当 し、より広い観点から中 国を担当。 日・パナマ外相会談に同席 (2017年) 本省 本省 提供:宮内庁

参照

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