表現解釈 と表現の 自由
一 日本 の判例 に見 る憲法問題 としての司法事実認定 ―
Die Auslegung der AuSerung und die Meinungsfreiheit
―die Tatsachenfeststellung als Verfassungsproblem in deriapaniSChen Rechtsprechung―
Nobuhiko KAWA
IATA
は じめに 表現行為が裁判において争われる場合
,そ
の表現行為は法的に評価 される必要がある。た とえ ばある表現行為が刑法175条違反 として起訴された場合,裁
判では表現物が刑法上のわいせつ物 にあたるかどうかの法的評価が問題 となる。 この点について,従
来の学説,判
例では,わ
いせつ の定義が考究され,具
体的司法事実に適用する判断基準の精級化がはか られてきた。 これに対 し て,司
法事実の認定の仕方については,必
ず しも十分な関心が払われていなかったように思われ る(0。 しかし,わ
いせつの定義に該当すると表現物が解釈された場合,そ
の表現は規制 されるこ とになる。 ここには,わ
いせつをどう定義するか という問題 と並んで,表
現物をどう解釈するか という問題 もある。そして表現物の解釈 も表現規制を左右するとすれば,そ
れは表現の自由 と関 わる憲法問題 といえるはずであろう。 裁判は,具
体的事案の司法事実を認定評価 し,こ
れに法を解釈適用 して法の定める要件に包摂 し,法
の定める効果にしたがって判決を下す という経過 をた どる。 これに沿 って刑法175条の例 をみるな らば,わ
いせつの定義や判断基準の精緻化は,法
の解釈適用にかかわる。 しかし,実
際 の裁判の場では,司
法事実 も所与のものではない。証拠に基づいて,認
定される。表現が争われ る場合は,表
現物が構成要件を備えるかどうか,解
釈されることになる。つま り,わ
いせつ性に ついて,構
成要件や,わ
いせつの定義に向けて事実 も認定 されてい くのである。本稿が憲法問題 として検討するのは,こ
の認定の仕方である。)。 本稿は,司
法事実認定の憲法適合性の問題につ いて,ま
ず,こ
の問題を積極的に取 り上げて論 じている ドイツ連邦憲法裁判所の判例をみること で,司
法事実認定の憲法上の意義を確認 し,次
いで 日本の従来の事件でこの問題 と関連 し得 るも のを検討する。最後に,事
実認定の憲法問題性を認識することが必要であった と思われる最近の 事例 として,い
わゆる「石に泳 ぐ魚」事件を取 り上げる。1.ド
イツ連邦憲法裁判所の判例(1)判
例の傾向 ドイツ連邦憲法裁判所は,憲
法裁判 (Verfassungsgerichtsbarkeit)イこおける司法事実認定の 意義を認め,表
現の 自由が争われた事件 において,問
題 となった表現を憲法適合的に解釈すべ き であると判断 し,一
般の裁判所 (Fachgericht)に よる司法事実認定を審査 して きている。 この 方向が確立 したのは1984年の Anachronistischer Zug事 件決定によってである。 この事件で連邦 一-43-―県立長崎シーボルト大学国際情報学部紀要 第3号 憲法裁判所は
,判
決に対する憲法異議の場合,一
般の裁判所の司法事実認定 も,そ
れが憲法上の 問題をは らんでいるときは審査 しうるとくり返 し強調 し,実
際に審査 していた。 この傾向は,90
年代に入 っても踏襲 された。 もっとも,1996年
のDGHS決
定では,異
議 申立人によって一般の 裁判所 による司法事実の認定の仕方が争われたが,連
邦憲法裁判所は,従
来の立場を維持 しつつ も司法事実認定の審査 に踏み込 まなかった。)。 けれ ども,2000年
のベネ トンシ ョック広告事件で 連邦憲法裁判所は,再
び司法事実認定に踏み込んでいる。さらに,そ
の後の事件で も司法事実認 定が問題 とされている。 このため,連
邦憲法裁判所 は,Anachronistischer Zug事 件決定以降 は,一
貫 して司法事実の認定の仕方を憲法問題 として捉え,審
査 してきていると見ることができ る。 ここでは,司
法事実認定の仕方が基本権保護に とって重要な問題であることを改めて述べてい る最近の判例である,ベ
ネ トン事件を素材に,連
邦憲法裁判所の理論を確認 してお く●)。 仮に ド イツの学説が言 うように,DGHS決
定で連邦憲法裁判所が判例変更をしているとしても,本
判 決は「再変更」であ り,こ
れが現在の連邦憲法裁判所の立場である。(2)ベ
ネ トンシ ョック広告事件 事案は,判
決 に対する憲法異議である。異議 申立人の編集発行する雑誌が,「H.I.v.POSI_
TIVE」 というスタンプが押 された裸体の腎部の写真 (以下「本件広告写真」)等
を用いたベネ トン社の広告 を掲載 した。 この広告に対 し差止請求がなされ,上
訴審であ る連邦通常裁判所 (BundesgerichtshOf)は,次
の ような本件広告写真の解釈 に基づき,差
止めを認容 した。すな わち,本
件広告写真はAIDS患
者を「烙印を押されて」社会から追放 された者 と描写 してお り ,H.I.V.感
染者に対する差別的表現であると解釈 した (以下「原手続判決」 )。 このため,異
議 申 立人は,本
件広告写真のように多義的な表現が争われているときに,た
とえば H.I.v.感染者間 題について社会的関心を喚起する表現 といった差別的表現 とはみない解釈が成立 しうるにも拘 ら ず,差
別的 とみる解釈を採用 しこれを理 由に差 し止め られることは,意
見表明の 自由を保障する 基本法5条の侵害に当たると主張 した。つまり司法事実たる表現解釈を憲法問題 として争って , 原手続判決に対する憲法具議を提起 したのである。 連邦憲法裁判所は,連
邦通常裁判所の司法事実認定に立ち入って審査 して,原
手続判決を破棄 し事件を差 し戻 した。 判決は,司
法事実である表現解釈の審査 について,ま
ず一般論 として次の ようにい う。「表現 の意味を最終的に確定 した り,基
本権の要請を尊重 して導かれた一つの解釈をより適当 と自ら考 える別の解釈で置 き換えることは,連
邦憲法裁判所の任務ではない。しかし,基
本権の要請 には , 表現がコンテクス トに関連づけて解釈されること,お
よび客観的に有 し得ない意味を付与されな いことが含まれる。多義的な表現においては,裁
判所は,多
義性を踏 まえて,さ
まざまな解釈可 能性を検討 し,見
いだ した結論 に検証可能な (nachvollziehbar)理 由を付さなければならない (vgl.BverfGE 94, 1[10f.])。 」 そして,連
邦通常裁判所の表現解釈を次の ように批判する。すなわち,原
手続判決は,本
件広 告写真が,H.I.v.感
染者を「烙印を押 された」者 として描写 していると解釈 した。 しかし,本
件広告写真は,そ
のような意味だけを有 していると限定されない。広告は写真のみでコメン トが 付されていないため,H.IoV.感
染者を社会的に差別 し排除するとは必ずしもいえない。逆に ,H.I.V.感
染者の排除に対 して一般 に問題提起 しているという解釈 も,少
な くとも同じ程度には 成 り立つ。そ して,広
告がH.I.v.感染者に烙印を押 し,あ
るいは排除 しているという印象は , 広告のコンテクス トか らも導かれない。むしろ,広
告の批判的な傾向や世論喚起的効果は,無
視 ―-44-―川又 仲彦:表現解釈と表現の自由 一 日本の判例に見る憲法問題としての司法事実認定 ― し得ない。本件広告写真がH.I.V.感染者の人間の尊厳を侵害 している という連邦通常裁判所の 解釈は
,少
な くとも唯―の可能な解釈ではない。原手続判決は,広
告が,現
に行われている H.I. V.感染者の差別 と排除に対 して,批
判的な意図で一般の関心を向けようとしているとい う,十
分成 り立ち得 る解釈の可能性を看過 した。 この解釈であれば,H.I.V.感
染者の人間の尊厳の侵 害はない といえるのである。 (3)′Jヽ 結 こういった連邦憲法裁判所の実践に対 して,
ドイツの学説の中には批判的な立場 もある。その 骨子は,司
法事実認定は一般の裁判権の任務であって憲法裁判権の問題ではないか ら,司
法事実 に立ち入 って連邦憲法裁判所が審査することは越権行為であ り,「超上告審化」であるとい うも のである。そして,代
表的な論者の一人は,連
邦憲法裁判所には司法事実認定の道具が欠けてい るのであるから,事
実認定についてはそれが恣意的であるかどうかに限定 し,そ
れ以上立ち入っ て審査すべ きではない とする。 この論者は,憲
法異議において も個別具体的な問題に関わるので はな く,規
範統制に準 じて権限を行使すべきであると主張する。)。 ドイッの議論は,連
邦憲法裁 判所 と一般の裁判所 との権限配分 という 一― ドイツ法固有の 一―問題 とも関わるので,こ
こで詳 細には立ち入 らない。 しかし,連
邦憲法裁判所が述べているように,表
現の 自由の保障 という観 点か らみた とき,表
現をどのように解釈するかは重要な問題である。ベネ トン事件では,表
現解 釈が,そ
のまま基本権保護 と直結 していた。つま り,表
現解釈が基本権保障の成否に決定的な役 割を果たす場合があるのである。 しかも,表
現解釈が事実審の恣意によって決定されると,表
現 活動を行な う者一般 に対 して萎縮効果をもた らす。 このことを考 えると,司
法事実認定を憲法問 題 として捉えることは,少
な くとも表現の 自由保障に とって重要であ り,し
たがって司法事実認 定 も単なる事実問題ではな く,憲
法裁判権の範囲に属 し得 るというべ きであろう。2.日
本の具体例 日本において も,司
法事実が憲法問題 とな り得た,あ
るいは憲法問題 とされた例を挙げること ができる。い くつかの事例を取 り上げてみよう。(1)四
畳半襖の下張事件 日本において,司
法事実である表現解釈が憲法問題 として争われ得た もの としては,た
とえば わいせつ表現についての一連の事件がある。 しかし,実
際には,司
法事実を憲法問題 とする議論 は行われなかった。 ここでは,司
法事実認定に関する基準が示 されていると思われる四畳半襖の 下張 り事件を素材に,若
千の指摘をするにとどめる “ )。 この判決において最高裁は,司
法事実認定の仕方について も述べている。すなわち「文書のわ いせつ性の判断にあたっては,当
該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度 とその手法, 右描写叙述の文書全体に占める比重,文
書に表現 された思想等 と右描写叙述 との関連性,文
書の 構成や展開,さ
らには芸術性 ・思想性等による性的刺激の緩和の程度,こ
れ らの観点か ら該文書 を全体 としてみた ときに,主
として,読
者の好色的興味にうったえるもの と認め られるか否かな どの諸点を検討することが必要であ り,こ
れ らの事情を総合 し,そ
の時代の健全な社会通念に照 らして」わいせつ性を判断すべきである, としている。 この,い
わゆる全体的考察方法は,司
法 事実認定の仕方の基準 としての意味を有する。 したがって,文
書の具体的部分を摘示 して 自ら適 用 して判断するか,こ
の基準に照 らして判断するよう原審に差戻す ことが考えられる。 しかし最 高裁 は,「本件 について これをみる と,本
件『 四畳半襖 の下張』は,男
女の性的交渉の情景 を ―-45-―県立長崎シーボルト大学国際情報学部紀要 第3号 扇情的な筆致で露骨
,詳
細かつ具体的に描写 した部分が量的質的に文書の中枢を占めてお り,そ
の構成や展開,さ
らには文芸的,思
想的価値な どを考慮に容れて も,主
として読者の好色的興味 にうつたえるもの と認め られる」 と, とくに論証することもな く結論づけて しまっている。 学説の反応 も,わ
いせつ性の判断基準をめ ぐっては,さ
まざまに議論がなされ多 くの貴重な業 績が上がっているが,判
断基準の適用の仕方そのものを問題 としているものは,管
見する限 り, ほ とん ど見受け られない。わいせつ性の判断にあたって司汝事実 という事実問題の重要性に言及 しているもの としては,チ
ャタレー事件判決時点における,奥
平康弘による,次
の ような主張が 注 目される。わいせつの「定義の適用の仕方一般の問題 も,憲
法論でなければな らない と思 う。 これ も刑法一七五条の現実の法構造の重要な一環であるか らである。」そして,チ
ャタレー判決 が依拠 した部分的判断方法を「 当該文書の価値 とそれが 自由に読 まれるべ き価値 とを,裁
判所が 何 ら判断を下 さずに,社
会か ら奪 って しまうことを意味する」 として批判 し,全
体的考察方法を 取 るべ きであるとする。また,通
常人の立場を判断基準 とすること,芸
術性の有無を判断すべ き であることなどが述べ られている。 これ らは,四
畳半判決に採用 されているのであ り,重
要な指 摘であることは言 うまで もない。 しかし,こ
れも適用の仕方一般,す
なわち基準を問題にするに とどまっている。具体的にどう適用するかまでは問題 とされていない。)。(2)裁
判官懲戒事件 (寺西事件) この事件は,政
治集会に出席 し発言 したことについて,裁
判所法52条1号の「積極的に政治運 動をすること」 に該当するとして戒告の裁判を受けた裁判官 (以下「抗告人」)が ,最
高裁 に即 時抗告を申し立てたものである。 ここでは,抗
告人の発言 と行動 とを一体化 して評価することが 問題 となった。多数意見による司法事実の評価に対 して, 3名
の裁判官による反対意見があ り, そこにおいて本稿の関心か らみて重要な議論が展開されている。)。a)事
実 最高裁の認定 した事実は,お
よそ次の とお りである。 ・抗告人は,新
聞に「信頼で きない盗聴令状捜査」 と題する投書をし,掲
載 された。 ・いわゆる組織犯罪対策法案に反対するための活動を行っていた政治団体等は,反
対運動の一 環 として,「盗聴法 と令状主義」 に関する集会を行 うことを決定 し,抗
告人にもパネ リス ト として発言を依頼 し承諾を得た。 ・抗告人の所属する地方裁判所長は,パ
ネルディスカッシ ョンに参加することが裁判所法52条 1号の「 積極的に政治活動をすること」に当た り,懲
戒 もあ り得 ると述べた。抗告人は,パ
ネ リス トとしての発言を取 りやめることにした。 ・集会に参加 した抗告人は,一
般参加者席か ら裁判官であることを明 らかにした上で,所
属長 か ら集会に参加すれば懲戒処分 もあ り得 るとの警告を受けたためパネ リス トとしての参加を 取 りやめた旨を述べ「 自分 としては,仮
に法案に反対の立場で発言 しても,裁
判所法に定め る積極的な政治運動 にあたるとは考 えないが,パ
ネ リス トとしての発言は辞退する」 という 趣 旨の発言をした。b)事
実の評価 こういった抗告人の言動を,最
高裁は次のように評価 した。 決定は,ま
ず,前
記の事実か ら次の ような「状況」を導 く。すなわち,集
会の実質的主催者は, いわゆる組織犯罪対策法案に反対する集団である。そして,抗
告人がパネ リス トとして参加を依 頼 されたのは,抗告人が法案に反対する立場であることが投書によって既 に明らか となってお り, 現職の裁判官 として集会で反対意見を述べれば,反
対運動をより前進 させ る効果があると考 えら-46-川又 伸彦 :表 現解釈 と表現の自由 一 日本の判例に見る憲法問題 としての司法事実認定 ― れた か らであ る。抗告人は
,集
会参加 に際 して この こ とを認識 していた。 また,参
加者 もそれ を 認識 して集 まって きていた, とい うのであ る。 そ して ,「 以上 の ような状況の下 においてな された抗告人の本件言動 は,発
言 の直接 の 内容 と して も,仙
台地方裁判所長 の警告は裁判所法の解釈 を誤 った ものであ って,そ
の ような本来従わ な くて もよい不 当な警告 に よ りやむな くパネ リス トとな るこ とを断念 した 旨を積極的 に表 明 した ものであ り,…
… 自分の本意 はあ くまで予定通 り壇上 においてパネ リス トとして発言す るこ とに あ る とい うこ とを訴 え る内容 を含 んでい る と認 め られ る。 そ して,… ……本件集会 の参加者 の予 備 知識 か らす るな らば,そ
れ らの者 は,
……『 仮 に』 と断わ ってはいる ものの,抗
告人 の本意 は壇 上 か らパネ リス トとして本件法案 に反対の立場 で発言す るこ とにあ る と理解 した もの と認 め るこ とがで きる。 この ように,本
件言動 は,…
…本件法案が裁判官の立場 か らみて令状主義 に照 らし て問題 のあ るものであ り,そ
の廃案 を求め るこ とは正 当であ る とい う抗告人の意見 を伝 える効果 を有す る」。 つま り,「 本件言動 は,本
件法案 を廃案 に追 い込む ことを 目的 として共 同 して行動 し てい る諸団体の組織的,計
画的,継
続的 な運動 を拡大発展 させ,右
目的 を達成 させ ることを積極 的 に支援 しこれを推進す るものであ」 る。c)反
対意 見 多数意見 の こうい った事実評価 に対 し,河
合仲一裁判官 は次の ような反対意見 を述べて い る。 抗告 人の本件言動 それ 自体 を「 多数意見 は,… …。それ に至 る経緯等 を背景 において評価 し,…
… 懲戒事 由に該 当す る として い る。しか し,た とえその ような評価 が可能であ る として も,それ は, いわば ざ りざ りの解釈 によってである。その意味で,本
件 はいわゆ る限界事例 であ り,だ
れがみ て も右事 由に該 当す るこ とが明 らかで」 あ る とはいえない と指摘す る。 さ らに,本
件 で問題 とな った懲戒事 由の要件 は「 多義的な,相
当に幅のあ る定 めであ る。 その ような幅 のあ る要件 につい て限界 まで懲戒権が発動 され る例 を見 るこ とに よ り,裁
判官 の中 に必要 以上 に言動 を 自制 す る も のが現 われは しないか と案ず る」 としてい る。 遠藤光 男裁判官 も,事
実 の評 価 について反対意見 を述 べてい る。抗告 人の集会 におけ る言動 は 「 出席者 に対 して,… ……反対運動 をせん導 し,又
は反対運動 の進め方 な どにつ き具体的 かつ積極 的 な発言 を した ものではなか った こ と,な
どにかんがみ る と,右
言動 によ り,抗
告 人の裁判官 と しての独立性及び前記外見上の中立性 ・公正性 が著 し く損 なわれ るに至 った と断定す るこ とはで きない」。 また,新
聞への投書 も「 本件言動 に至 るまでの前提 的事 実 にす ぎないの であ って,一
…本件言動 自体の内容 をなす ものではない。 したが って,こ
の点 を とらえて,抗
告人 を懲戒処分 とす る こ とは,許
され るべ きではない。」 とい う。 元原利文裁判官 の反 紺意見 も,や
は り事実の評価 を問題 としてい る。本件 の発言の うち,所
長 か ら警告 を受 けたためパネ リス トとしての参加及び発言 を取 りやめた とい う部分 は,「 経過 を説 明 した にす ぎす,こ
の発言 のみに限 っていえば,こ
れを 目して積極的な政治運動 を行 った とまで は到底 いいえないであ ろ う。」 また,仮
に法案 に反対の立場 で発言 して も積極的な政治運動 にあ た る とは考 えていない とい う部分 も「 本件集会の出席者 に対 し,盗
聴法 の制定 に対 す る反対運動 に参加 し,こ
れ を廃案 に追 い込むべ きこ とを,明
確 かつ積極的 に訴 えかけて い る と認 め るには程 遠 い ものであ る。 一……これを もって,反
対運動 を積極的 に支援 し,こ
れ を推進 す る役割を果た し た とい うのは,過
大 な評価 であ る。」 とす る。d)考
察 本件 の司法事実認定 の在 り方 について,た
とえば奥平康弘は次の ように指摘 してい る。最高裁 は,自
ら設定 した「積極的 に政治運動 をす ること」 についての定義,す
なわち「組織的,計
画的 又 は継続的 な政 治上 の活動 を能動 的 に行 う行為 」に本件言動 が該 当す るかの検討 を行 っていない。 ―-47-―県立長崎シーボルト大学国際情報学部紀要 第3号 最高裁は
,集
会が法案に反対する運動の一環 として開催 されているので,そ
れへの参加がただち に定義に該当するかの ように述べている。 しか し,か
りに集会および主催者団体が定義に該当す るような性格の団体だ としても,そ
の集会に参加 し発言をした行為の方 も,た
だちに「組織的, 計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行 う行為」になるとはいえない。「最高裁は,寺
西 氏が『組織的,計
画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行 う行為』をな したことを,そ
れ 自 体 として審理 し,そ
れを当事者および国民に納得できる形で説明すべきであった。」。) 本秀紀 も,最
高裁は,本
件言動だけでは積極的政治活動 としては「貧弱すぎるため,周
辺事情 をいわば『 合わせ技』 として動員 し」た もので,「苦肉の策 といえよう。」 とする。そ して,「こ こでは,『萎縮効果』をもた らす表現規制 に際 して,対
象の言動以外の周辺事情をここまで読み 込む ことが許 されるか という問題」があると指摘する(Ю)。 筆者 も同じように,最
高裁の司法事実認定に疑間を感 じている。順に述べていこう。 決定は,抗
告人の集会での発言を解釈 して,次
のような内容を導 き出している。①仙台地方裁 判所長の警告は裁判所法の解釈を誤っている,②
不当な警告によりやむな くパネリス トとなるこ とを断念した,③
本意はあ くまで予定通 り壇上においてパネ リス トとして発言することである。 ①について,抗
告人は,積
極的な政治運動にあたるとは考えていないと発言しているから,確
かに裁判所長 と解釈が異なるということは述べている。ある法規定について異なる解釈が導かれ 得るとしても,最
終的には一つが選択されるのであるから,裁
判所長 と解釈が異なるという発言 は,裁
判所長の解釈が成 り立たないということを合意し得る。その意味で,裁
判所長の解釈が誤 っているという趣 旨を含まないわけではない。 しかし,抗
告人は,自
分 としては該当するとは考 えない と言 っているだけであるか ら,い
ずれの解釈 も成 り立ち得 るが 自分 としては一方の解釈を 支持するというほどの意味に理解することも可能である。裁判官の発言ではあるが,判
決を下す わけではないので,確
定的で排他的な解釈を述べていると見る必要はない。①のように,他
を排 除する趣 旨で理解するには,少
な くともさらに理由付けが必要 に思われる。 ②では,「不当な」,「やむな く」 という修飾語が加えられている。確かに,「誤 った」解釈に基 づいていれば警告が「不当」であるという評価をすることは必ずしも不当ではないかもしれない。 しかし,抗
告人の主張には,当
不当 といった評価を含む表現はない。同様 に「やむな く」 という 言葉 ももちろん発言に含まれていないし,そ
れに代わる言葉 もない。最高裁は,① ,②
によって, 「誤 った解釈→不当な警告→やむな く断念」 というロジ ックを抗告人の発言から導いている。 こ の解釈は,確
かに成 り立ち得 るかもしれないが,決
して唯―の もの とはいえないのであって,そ
の ように解釈することについては,さ
らに説明が必要である。 ③ についても疑間がある。抗告人の発言は,あ
くまで「パネ リス トとしての発言を辞退する」 である。最高裁は「本意は」 としているが,こ
れは抗告人の内心を付度するものである。 とくに 抗告人が行 っているわけではない内容を発言の「本意」 と決め付けている。 しかし,抗
告人は, 予定 どお り発言 したかったか否かについては言及 していない。最高裁は,こ
ういった表現解釈に ついて とくに理 由を付することな く「 と認めざるを得ない。」 と結論づけているが,決
してその ような解釈が論理必然的に導かれるわけではない。元原裁判官が反対意見で述べているように, これは「過大な評価」 というべきであろう。最高裁の表現解釈は,発
言を抗告人に不利な方向で 解釈 し,これを前提に表現規制を首肯するものであって,表現の 自由の保障 という観点か らみて, 問題のあるもの といわざるを得ないであろう。 さらに,決
定が,抗
告人の本意を,「集会の参加者の予備知識」 によれば単 にパネ リス トとし て発言することではな く「本件法案に反対の立場で発言」すると解釈 していることにも,上
記の 批判が当てはまる。 この ような「合わせ技」が不当であることは,遠
藤裁判官の反対意見や本評 ―-48-―川又 伸彦:表現解釈と表現の自由 一 日本の判例に見る憲法問題としての司法事実認定 ― 釈が批判するとお りであろう。抗告人の発言を
,そ
れ 自体 として どの ように解釈すべきかが検討 されるべきである。 もっとも,
ドイツ連邦憲法裁判所が正当に述べているように,発
言内容の解釈を確定すること は一般の裁判権の任務であって,憲
法問題ではない。本稿でも,抗
告人の発言について,最
高裁 とは別の解釈の可能性 について検討 したが,そ
れは可能性の有無を示すことに主眼がある。司法 事実認定について,最
高裁の解釈だけが成 り立つものではないこと,別
の可能性 もあるのにそれ を検討せず,理
由を付す こともな く,抗
告人に不利な解釈を採用 していることを指摘 しようとし たのである。そ して,
ドイッ連邦憲法裁判所の判例を参考にするな らば,抗
告人の発言を規制す る必要のない解釈可能性があれば,表
現の 自由を保護するという憲法の趣 旨に鑑みて,そ
ち らを 採用すべ きことになろう。河合裁判官は反対意見において限界事例への適用が裁判官に対 して萎 縮効果をもた らすことを指摘 しているが,同
様の効果は発言の解釈の仕方について も生 じ得 るの である。憲法問題 としての司法事実認定 という観点からして,最高裁の本件決定には問題がある。(3)「
石に泳 ぐ魚」事件の訴訟活動 本件は,私
小説のモデル とされた原告が,小
説 によリプライバシーが侵害 されたなどとして, 作家および出版社に対 して単行本化の差止め と損害賠償 を求めた事件である(1つ。小説の表現が プライバシー侵害,名
誉毀損及び名誉感情の侵害 (以下「 プライバシーの侵害等」)に
あたると 主張された事件であるか ら,裁
判の過程において,適
用すべ きプライバシー侵害等の判断基準が 問題になるとともに,そ
の基準の当てはめ,な
いし該当性へ向けての具体的表現の解釈が問題 と なる。 ところで,本
件を検討するにあたっては,角
度を変えて,判
決ではな く原告,被
告の主張 に着 目してみたい。 というのは,
ドイツの憲法異議手続では,異
議申立人が意見表明の 自由を援 用する場合,異
議の対象 となっている判決による表現解釈に対 して適切に反論 しているかも,連
邦憲法裁判所によって重視されているか らである。つま り,当
事者 自身による司法事実解釈が重 要なのである。また,本
件においては,原
告被害者 と被告作家,雑
誌社等 とで,司
法事実認定ヘ 向けての主張が全 く異なる傾向を有 しているからである。そして,裁
判の帰趨にも,司
法事実に 関する主張の違いが大 き く影響 しているように思われるのである。両者の主張の傾向は,地
裁, 高裁 ともに共通であるので,よ
り特徴が明確である地裁での両者の主張を中心に検討する(認)。a)原
告側主張の特徴 原告側は,本
件小説を詳細に引用 しつつ論 旨を展開 している。 小説中の人物「朴里花」 と原告 との同定の可能性については,ま
ず,本卜里花に与えられた属性 で原告 と同じもの として,①
日本生まれの韓国系三世であること,②
小学校五年生まで 日本に在 留 していたことなど,合
計13点を指摘 している。 次いで,原
告 と被告 との交友の経過 と小説のス トー リー とを対応 させて,同
一 と見 られる箇所 を挙げて,同
定 される根拠 としている。 これは,た
とえば次のような部分である。 ①「原告の韓国の家には,魚
がだんだん変化 して鳥になってい く過程を何枚 もの五センチ四方 くらいのタイルに焼 き込んである作品がビアノの上に掛かっていた。原告は,被
告………を大学路 にある劇団まで送 った後,…
…大学へ行った。一 ―」 という,事
実を述べた上で,小
説中の所応 部分の頁 (26及び27頁)を
示 している。 これに対応する部分には,た
とえば「 ………ピアノの上に かかっている,魚
がだんだん と変化 してPに
なってゆ く過程を何枚 もの五センチ四方 くらいのタ イルに焼 き込んである作品に眼を止めた。全体では二十四/ン
チのテレビ程の大 きさである。… …電話を切った里花は『待ち合わせ場所は,………大学の校門に決めたよ。私 も大学に顔を出さな きゃいけないか ら送 ってあげる。………』………[待ち合わせの相手である]金は,………校門の前に立 一-49-―県立長崎シーボル ト大学国際情報学部紀要 第 3号 っていた。」 といった叙述 があ る。 ②「原告は
,被
告―……を車でソウル市内に案内した後,………[大学 に]登校 した。被告………らは, 湖厳アー トホールにおいて,映
画『 白い戦争』を観た。原告は,昼
食時に被告………らと合流 し, 冷麺を食べた。(小説中対応部分三〇及び三二頁)」。 これに対応する描写は,「里花は校門の門柱 の半分影になった ところに立 っていた。………[大学]前にある小さな食堂に入ると,………里花は… Ⅲ…『 ここは冷麺が美味 しいってことになってるの』 といい一番奥のテーブルに坐った。里花は冷 麺を注文する………。」「私たちは,午
前中は市内を案内します, という金の強引な誘いを断わって 映画を見 ることにしたのだ。」 という部分である。 原告は,こ
のように交友の経過における事実 と小説のス トー リー とを詳細に対比 して,対
応す る箇所を前記の ものも合わせて19点指摘 している。 さらに,本
件小説の主人公である「梁秀香」 及びその家族に,被
告及びその家族の属性が与えられていること,本
件小説が雑誌 に掲載 された 際に,雑
誌の 目次に「 自伝的処女小説」 と記載 されていることな ども指摘する。 これ らの詳細な 根拠を摘示 して,原
告 と朴里花 との同定可能性を主張 している。 原告は,本件小説 によるプライバシー侵害等についても,同 定可能性 について と同様の手法で, 小説の具体的表現を取 り上げて立証に努めている。摘示 されている部分の検討は,手
法が同じで あ り,また紙幅の関係 もあるので割愛する。摘示 されている箇所の数だけを記す と,プ ライバシー 侵害について19箇所,名
誉毀損について5箇
所,名
誉感情の侵害について14箇所である。 この他 に,本
件小説及び本件訴訟の経緯等を記載 した「表現のエチカ」などについて も,具
体的に問題 とすべ き描写部分を摘示 している。原告側は,こ
のように多数の衝所を摘示 し,そ
れ らがプライ バシー侵害等にあたる表現であるとしている。つま り,本
件小説の当該箇所について,そ
の よう に解釈 しているのである。確かに,場
所 によっては必ず しも十分に解釈の理由が付 されていると はいえないもの もあるが,表
現を摘示 し,原
告のプライバシー侵害等にあたるという解釈を示そ うとしていることは見 られる。 こういった原告側の態度に対 して,被
告側は,ど
の ように反論 し ているであろうか。b)被
告側主張の特徴 被告側は(1め,原
告が摘示 した部分に対 して逐一反論するとい う方法を取 っていない。およそ の主張は,作
品が純文学なので,内
容は虚構であ り具体的な人物を示すものではないか ら,プ
ラ イバシー侵害等にはな らない というものである。 まず,「朴里花」 と原告 との同定 について,次
の三点を主張する。①「純文学小説である本件 小説の一般読者の中に,こ
とさら『朴里花』のモデルが誰であるかについて関心を持つものはい ない」のであ り「一般読者が実在の人物 と作品の登場人物を同一視 しながら本件小説を読むこと はない。」②「原告は,著
名人ではな く,………一人の無名女子大学院生にすぎないから,『朴里花』 と原告 とを同定で きる読者は……極 く少数の者に限 られる」のであ り,「原告を知 らない一般読 者がモデル的興味を持 って本件小説 を読む こともない。」③「朴里花」 と原告 との同定性は「一 般読者の普通の注意 と読み方」を基準 とすべきであ り,こ
の基準に照 らせば同定されないか ら, プラ/バ
シー侵害等の問題は生 じない。 次に,被
告側は,本
件小説が虚構であるからプライバシー等の問題は生 じないことを,次
のよ うに説明する。 まず,「純文学 としての小説は,現
実世界における世界認識を梃に,作
者か らし か垣間見ることのできないもうひ とつの現実世界を提示 してい くもの ということができる。 した がって,………そこに登場する人物たちは,現
実のモデルの相貌を備えていた としても,…
…その 人物はやは り,現
実の人物 とは,似
て非なるもの といえる。純文学小説 における虚構性[のゆえ に]……現実 とそっくりな人物が描かれている場合でも,… …それは虚構の人物である。」そして ,-50-―
川又 仲彦:表現解釈と表現の自由 一 日本の判例に見る憲法問題としての司法事実認定 一 本件小説の虚構性について「実在人物の行動や性格がデフォルム (変容
)さ
れ,そ
れが芸術的に 表現 された結果,一
般読者をして小説全体が作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構 (フィクシ ョン)で
あると受け取 らせ るに至 っている。」 という。そ して,本
件小説が虚構であ ることについて「実在人物の行動や性格がデフ ォルムされ,現
実の事実 と意味や価値を異にする もの として表現 されているうえ,実
在 しない創造上の人物である『柿の木の男』……Ⅲ等を登場 さ せ,こ
れ らの人物 との絡みのなかで主題が展開されているか ら,読
者は『木卜里花』が原告でない ことを容易に認識 し得 る。」 と結論づけている。 しかし,論
証において,「デフォルム」されてい る具体的部分の摘示な どはない。c)考
察 東京地裁の判決は,原
告 と被告 との交友関係の事実 と,本
件小説の内容 とを照 らし合わせて, 原告 と被告 との現実の交友関係に依拠 した ものであることが窺われ,『ホト里花』 と原告 とを同定 することは可能であると結論づけている。 判決文中で も,事
実 と本件小説の内容 との対照は原告の主張に沿 う形で詳細に行われてお り, すべてを紹介することはできない。 ここでは対照の仕方を見 るため,一
例だけ紹介 してお く。 交友の経過 として,判
決は次の ような事実を認定する。「原告は,被
告……の訪韓 に同行 したD女
とは古 くから交友関係を結んでいる間柄であったため,………両名をソウル金浦空港まで車で 迎えに行 き,原
告の家に伴 った。………当時,原
告の両親は息子 (原告の弟)の
留学先に旅行中で, 原告が一人で留守宅を守 っていたが,そ
の家のビアノの上には,魚
が徐 々に変化を遂げて鳥にな ってゆ く過程を何枚 ものタイル (その一枚の大 きさは五センチ四方程度)に
焼 き込んである作品 が掛かっていた。」そ して,こ
れに対応する作品内容 として,次
の部分を摘示する。「『梁秀香』 は,ソ
ウル金浦空港 において,『小原ゆ きの』んおら友人の『木卜里花』を紹介される。………『梁秀 香』 らは,『朴里花』が運転する車で,韓
洋折衷様式の同人の家に向かう。『朴里花』の両親は, 当時,………に留学 している弟を訪ねて旅行中であったので,『梁秀香』………は,韓
国滞在中『朴 里花』の家に宿泊することになる。 この家のビアノの上には,魚
が徐 々に変化を遂げて鳥になっ てい く過程を何枚 もの五センチ四方のタイルに焼 き込んである作品が掛け られている。」 この よ うに,判
決 も本件作品の具体的部分を根拠 に,表
現解釈を理 由付けようとしている。 被告の主張する純文学性 と同定可能性 との関係については,本
件小説の「読者が『朴里花』が 原告をモデル とする人物であると認識するかどうかは,本
件小説の小説 としての価値評価 とは必 ずしも関連性がない というべ きであるか ら,仮
に,本
件小説が被告 ら主張の ような純文学小説な いしは文芸作品に当たる として も,そ
の ことによって直ちに,『ホト里花』 と原告 とが同定 されな い とい うことはで きない。」 とする。そ して「読者に とって,…
…モデルに関わる現実の事実で あるか,作
者………が創作 した虚構の事実であるかを我然 と区別することができない場合において は,小
説中の登場人物 についての記述がモデルの名誉を毀損 し,モ
デルのプライバシー及び名誉 感情を侵害す る場合がある」 と述べる。 さらに,具
体的判断で この基準を本件 に当てはめ,「原 告 と被告…… との交友関係 にかかる現実の事実 と被告………が創作 した虚構の事実が織 り交ぜ ら れ,渾
然一体 となって記載 されているか ら,…
…読者が,少
な くとも『朴里花』に関わる部分に ついては,全
体 として被告……の創作になる虚構の事実であると認識 しないであろう」 と結論づ けている。 判決が,概
ね原告の主張を受け入れていることは多言を要 しないであろう。 とりわけ,虚
構の 事実 と読者が認識 しない としている点は重要である。原告側は,交
友の経過における事実 と小説 のス トー リー とを詳細に対比 して,対
応する箇所を合わせて19点も指摘 していた。多 くの根拠を 挙げて,本
件作品中の『木卜里花』が原告であると解釈される,つ
ま り虚構の事実 と認識 されない-51-県立長崎シーボルト大学国際情報学部紀要 第3号 ことを論証 していた。 こういった作品解釈に対 して
,被
告側は,い
わば大上段に文学は虚構であ るか ら同定 されることは有 り得ない とするのみで,本
件作品が虚構 と解 されるべ きことについて 具体的な立証を行 っていない。原告側の本件作品の解釈に対する別の解釈の可能性を提示 しよう としていないのである。被告が敗訴 した原因の一つは,こ
の具体的立証活動の欠如にあると思わ れる。そして,こ
ういった原告 と被告 との主張の違いは,被
告側の控訴による控訴審において も 繰 り返 され,控
訴は棄却 された。本稿の観点か らみれば,表
現解釈について争わない以上は,裁
判を覆す ことはできな くて もやむを得ない と評 し得 よう。 もっとも,被
告 (控訴人)刺
のこうい った争い方 も,理
由がないわけではない。やヽわゆる『名 もなき道を』事件判決で平成7年
に東京 地裁が「実在人物の行動や性格が小説の趣 旨に沿 って………変容されて,事
実 とは意味や価値を異 にするもの として作品中に表現 され………ているため,一
般読者をして小説全体が作者の芸術的想 像力の生み出した創作であって虚構 (フィクシ ョン)で
あると受け取 らせる」 ときは,プ
ライバ シー侵害等は生 じない とした例があるか らである。 しか し,そ
うだ としても,変
容された部分を 摘示するな どして,作
品が虚構 と受け取 られることについての具体的立証は必要である。´ モデル小説 とプライバシー侵害等 とについての学説 における議論では
,判
断基準が問題 とされ ている。 た とえば奥平康弘は,わ
いせつ性の判断基準 として用い られる「作品全体 としての評価」 とい う判断基準が,文
学生芸術上の作品にも用い られ得 るとする。すなわち,政
治上 ・思想上 ・学問 上の作品 と同様 に,文
学上芸術上の作品に対 しても「 それにふさわ しい表現の 自由がよろずにつ け与 えられるべ きだ」 とい う(1の。 この主張 に対 して,棟
居快行による「 プライバシー侵害は秘 密情報の暴露であってわいせつ表現 との比較でいえば,む
しろいわゆる盗み撮 りした他人の裸を 芸術 と称 して公刊することに近い。その ような写真集が万一芸術性を有するとして も,『全体的 考察方法』によってプライバシー侵害の違法性が減少するな どとは とうていいえない」 という批 判がある(b)。 棟居がいうように,小
説の場合 もモデル と作中人物 とが同定 された場合,作
中人 物の私的な事項にわたる描写がモデルのプライバシー と受け取 られることになる。 これは作品の 芸術性 とは無関係に,プ
ライバシー侵害の有無 という法的評価の対象 となろう。む しろ「虚構ま で もがす ぐれた芸術作品のなかでは,事
実 らしさを帯びるに至 る」 ことに注意が必要である。棟 居は,判
断基準ついて,本
件「石に泳 ぐ魚」東京地裁判決の示 した,小
説全体が虚構であると認 識 されるように「実名の使用を避け,あ
るいは相当の変容を施すな どの十分な配慮」をすべ きと いう基準を評価する。そ して,「作品による実話のデフ ォル メ (変容)は
,評
価の相対的な『芸 術性』にたよって実現 されるべ きではな く,時
代 ・場所 。名称な ど,客
観的な記述の変容によっ て実現 されるべき」 とする。半」断基準その ものは本稿の課題ではないので,詳
細な検討は他 日に 行 うことにして,こ
こでは,棟
居の基準により親近感を覚えることだけ記 してお く。 本稿の関心では,い
ずれの基準を採用するにして も,そ
の基準に当てはまる(選てはま らない) 表現解釈を具体的に行 っているかが問題であった。そして,当
事者の主張における具体的表現解 釈の有無が,本
件判決の帰趨 に影響 した と思えるのである。 おわ りに 表現の 自由の保障に とって,表
現をどのように解するかが一定の意義を有すると思われる日本 の事例を取 り上げて検討 して きた。 これ らによって,少
な くとも表現の 自由が問題 となる事例に おいては,司
法事実認定の在 り方が表現の 自由保障に影響を及ぼし得,そ
の限 りで司法事実認定 も,単
なる事実問題ではな く憲法問題であることを示唆で きた と思 う。 もっとも,司
法事実認定 の在 り方について,ど
の ような基準を立ててい くべきかは,な
お課題 として残 っている。た とえ ―-52-―川又 伸彦:表現解釈と表現の自由 一 日本の判例に見る憲法問題としての司法事実認定 一 ば