―増加する長期的避難民と疲弊する受け入れ先コミュニティー―
円 城 由 美 子
Post-Saddam Hussein Iraq and its Internally Displaced Persons
―Increasing protracted evacuee and exhaustion of the evacuation communities―
Yumiko Enjo
抄 録
イラク戦争、フセイン政権崩壊を経て、イラクは独裁国家から「民主的」国家へと体制 転換を遂げた。そのイラクでは、近年、「イスラム国」の侵攻で 100 万人超の国内避難民 (Internally Displaced Persons: IDPs)が発生している。しかし、この大規模な IDPs 発生前 からイラクは既に 5 年以上避難生活を送る IDPs を 100 万人規模で内包し続けている。なぜ か。本稿では、フセイン政権時代から IDPs 発生の経緯を確認した上で、マリーキー前政 権の支援策や、時間の経過に伴う IDPs の意思の変化から、避難長期化の理由を検討する。 さらに、出身地でも避難先でも住居や雇用の問題を抱え選択肢のない IDPs の現状と、IDPs を抱え疲弊する避難先住民の状況および両者の軋轢を明らかにし、戦後社会の問題として 提示する。 キーワード:国内避難民(IDPs)、イラク戦争、フセイン政権、マリーキー政権、帰還 (2014 年 9 月 30 日受理)
Abstract
It has been more than 10 years since the US-led Iraq attack, collapse of the Hussein government, and change from an authoritarian government to a democratic one. The recent advancement of the "Islamic State" in Iraq has created more than 1 million Internally Displaced Persons (IDPs) in Iraq. However, even before this recent security problem, there had already been about 1 million IDPs in Iraq during the past several years. This paper examines why the IDPs have not been able to return. First is the complex history of the IDPs from the time of the Hussein regime. Next are possible reasons for the prolonged displacement including the IDPs assistance policy of former Prime Minister Maliki, as well as socio-economic problems such as shortage of housing and employment. Finally it reveals the situation of evacuees as having no other options and the exhausted local people who constitute one aspect of the post-war Iraq society.
Keywords: IDPs, Iraq war, Hussein government, Maliki government, return (Received September 30, 2014) 「ちょっと助けてもらうことや注意を引くことはそう難しくはないけれど、ホストコミュニティーの人たち から(国内)避難民と言われると、自分は彼らより劣っていて、住む権利も働く権利もないように感じます」 ―イラクの国内避難民1
1. はじめに
1. 1. 問題意識 本稿は、フセイン政権崩壊後に見られたイラクにおける大規模な人の移動を手掛かりに、 イラク戦争後の社会の一端を明らかにすることを目指している。米英主導の攻撃で始まっ た 2003 年のイラク戦争から 10 年以上が過ぎたが、イラク攻撃以降に国内外に避難したイ ラク人は―イスラム教過激派武装組織「イスラム国」の影響が見られる 2013 年 12 月ご ろまでで―それぞれ 200 万人以上と見られている(IOMI22013: 7)。人口約 3000 万人の 主権国家にとって決して少ない数字ではないことに異論は少ないだろう。しかし、イラク 戦争後のこのような大規模な人の移動の実態や影響については、これまで十分な検証や考 察がなされてきたとは言い難い。 イラク戦争後のイラクは、政治的な側面では、サッダーム・フセインによる権威主義体制 から少なくとも制度的には「民主的」国家へと移行した。今年 8 月に退陣したマリーキー 政権下では政治不正やシーア派偏重の不公平な政策等の問題は抱えつつも、選挙の実施や 言論の自由など、民主化の面で一定程度の進捗は見られた。治安に関しては 2007 年から 2009 年は宗派対立によって内戦状態に陥り、2013 年末には、「イスラム国」の侵攻により、新たに 180 万人とも言われている大規模な国内避難民(Internally Displaced Persons: 以下
IDPs)を発生させている(IDMC3 2014)。しかし、その前の 2010 年から 2013 年前半ごろま では、比較的治安が改善された状態で安定していた4。にもかかわらず、比較的治安が安定 していた時期でさえもイラクには依然として IDPs は 100 万人規模で存在し続け、避難生活 が 5 年以上のいわゆる長期的避難民5の存在が指摘されている(IOMI 2013: 7)。治安が改 善され新たな IDPs が発生していなかった状況下でも帰還が進まず、長期的 IDPs となって いるのはなぜか。本稿の目的はその理由を論究することで、戦後のイラク社会が抱える問 題を明らかにするとともに体制転換が及ぼす社会的影響を考察することである。 1. 2. 研究の背景および対象 イラク戦争後の約 10 年間にイラクの人の移動に関する学術的な研究は、その現象の大 きさおよび問題の深さに比べて、決して十分に蓄積されてきたとは言えない。早期の段階 からこの問題を学術的に詳しくとり上げた研究の一つはマーフリート(Marfleet 2010)に よる論考で、2003 年のイラク攻撃直前、直後の人の移動を中心に、その国内外への流れを
主に米国の政策や国内の混乱状況から説明した。バグダード出身のサッスーン(Sassoon 2009)は、イラクにおける人の移動を、フセイン政権時代の政策およびイラク難民の主要 な出国先であるシリアをはじめとする近隣諸国との関係と関連づけながら、概観した。ま た国内でも酒井紫(2008)や錦田(2009)らが難民・避難民問題を主に人道的な視点から 取り上げている。ただし、いずれもイラク国内での内戦状態がもっとも悪化したと見られ ている 2006 年から 2007 年を中心に取り上げており、それ以降の時期を含めた研究はあま り進んでいない。 難民として国境を越えた人々は、イラク国内に戻ってからも IDPs として経済的・政治的 に周縁化されたままであることは最近でも多くの人道支援団体が指摘している(UNHCR6 2014; IDMC 2014; IOM 2013)が、近隣諸国への影響がより直接的で国際社会から注目を浴び やすい難民の移動に比べて、IDPs は基本的には当該国の問題ととらえられる傾向がある。 このため、難民の数字の増減はメディアでも比較的大きく報じられるものの、IDPs につい ては、大規模な発生時にはある程度注目されるが、その推移については国際社会の関心が 大きいとは言えない。 このような状況を踏まえた上で、本研究では、イラク国内での IDPs の推移は、イラク戦 争およびフセイン政権の崩壊を経たイラク社会の実情を示す貴重な要素と位置づける。実 際にはイラク戦争後のイラク人の大規模な移動はイラク国内だけで発生しているのではな い。国外への流出および国外からの帰還の移動も大規模に起きており、また、両者が密接 に関係していることも、UNHCR などの複数の人道支援団体や上述した先行研究で指摘さ れている。しかし本稿では、そのことを十分認識しつつ、国内での移動者である国内避難 民を中心に論考を進め、国境を越えた移動については、IDPs との関わりで必要な部分のみ の言及にとどめておく。また分析の期間は、フセイン政権崩壊から、2011 年末の駐留軍撤 退を経て、イスラム国の影響がイラクに及び武力衝突が発生した 2013 年 12 月前までの約 10 年間を対象とする。この 10 年間を、フセイン政権崩壊後の新生イラク社会を検証する 一つの区切りとし、この間の IDPs の状況分析を通じて、体制転換後のイラク社会の一端を 明らかにする。 以下、主に支援団体のデータや報告を基礎資料として用いながら論考を進める。まず 2 節で IDPs の定義および対応の難しさについての議論をまとめ、3 節でイラク国内における IDPsの発生状況を時期ごとの要因と併せて概観する。4 節でマリーキー政権の対応策を主 に宗派間の不平等性という視点から検討し、5 節で長期化の要因を考察する。6 節では、そ れまでの内容を踏まえて長期化する避難生活の実態からイラク社会の現状を論じる。
2. IDPs 問題の難しさ
本節では、イラクでの IDPs の問題を論じるにあたって、まず、IDPs に関する定義およ び、IDPs 支援一般に見られる問題や支援の難しさについてまとめておく。2. 1. 誰が支援するのか 2. 1. 1. IDPs とは誰か 「難民」7とは、内戦や紛争あるいは迫害から身を守るため、安全な場所を求めて国境を 越え、他国に避難した人を指すが、IDPs とは「難民と同じような理由で居住地を離れざる を得なくなりながらも、国境を超えず、国内の別の地域に移動した人々」を指す8。つま り、実際上は難民と同じ環境にいながらも、国境を越えていないために難民条約では難民 とは見なされない人々のことである9。国際的に承認されている IDPs の特徴は二点である。 第一に紛争や暴力、人権侵害、災害などによって移動が余儀なくされたという移動に強制 的側面があること。第二に、移動が国境内で発生していること。つまり、国境を超えた難 民とは異なり、法的には国家の庇護の下にいる、ということである10。 2. 1. 2. 国家主権の問題との関連 既に述べたように、自己の領内で自国の市民を保護するのは国家の責任であり、IDPs は 法的には国家によって庇護されるべき存在であることが前提とされている。そのため、過 去には UNHCR が率先して IDPs 支援を行うことで、国家主権の侵害にあたるとみなされた ことがある。旧ユーゴ解体に伴って発生したボスニア紛争では、1992 年ボスニアからの 国外脱出を図る IDPs を UNHCR がボスニア国内で支援したことで、広範な批判にさらされ た11。そのため現在では UNHCR は、援助の必要性と難民問題への関連性を状況ごとに評価 し、事例ごとに取り組みを決めているのが実情である。ただし、この件に関する重要な変 化が近年見られるようになってきた。IDPs やその他「自国内で援助や保護の必要な人々」 のために外部者が介入することに対して、国家が理解を示し始めたことである(小泉 2009: 65)。イラクも例外ではない。フセイン政権後のイラクにおける UNHCR の活動は、イラク政 府の承認のもと IDPs に対して救済と保護を与えることで国際難民になるのを防ぐ一方、シ リアをはじめとする出国先からの帰還者への経済的支援を中心に進められている(UNHCR 2014)。 2. 2. なぜ把握が難しいのか―登録手続きを阻む要因 IDPs の定義は既に見たとおりだが、公式に認められるには、IDPs として政府の担当省 庁への登録が必要である。各コミュニティーの登録機関がこれにあたる。しかし、多くの 場合、登録手続きは避難民にとって困難を伴う場合が少なくない。現在のイラクにおける IDPs登録を阻む要因として、2013 年の IOM による報告書は少なくとも以下の 4 点を指摘 している。第一に法的には国家の庇護の下にあるべき IDPs は、実際には国家による庇護が 十分でないために避難している訳であり、IDPs の多くは国家への不信感を抱えている。そ のため国家に自分の居場所を知らせることへの不信感から、公的機関へ出向いて登録する ことを控える人が少なくない。第二に、登録に必要な書類を得るには IDPs の出身地の担当 機関に行かねばならないが、出身地は戻れるような治安状況ではなく、身分を証明する上 で必要な書類が入手できない。第三に、避難民登録するための避難先の機関が破壊されて
いて登録手続きができない。第四に避難先を転々と変えているため特定の場所での登録が できない。他にも、家族が離散している、避難先コミュニティーに対する不信感により情 報開示をためらうなども指摘されている(IOM 2013: 12)。 以上の特徴は他国における IDPs でも共通の問題だが、現在のイラクでは、政府機関に対 する IDPs の不信感、書類入手の問題、登録機関の不在、IDPs という居住先の不安定性が 避難民登録手続きの低下へとつながっていると言える。結果的に、庇護者のはずの国家が IDPsの規模、居住先等を正確に把握できない現状へと結びついており、このことが、政府 が適切な政策を実施できない一因ともなっている。イラク政府の支援策に関する問題につ いては後に詳述する。 2. 3. IDPs からの脱出とは IDPs の正式登録を阻む要因をこれまで見てきたが、その反対に、IDPs と認定された人が IDPsではなくなったと判断される基準は何だろうか。自身の国から出国し、他国で庇護申 請し難民となった人は、帰国することで、少なくとも法的な意味では難民ではなくなる。 国内に戻っているからである。しかし、国内にいる人が IDPs から IDPs ではなくなる明確 な客観的な基準は、「国境を越えているかどうか」という難民のケースほど簡単には見つけ
られない。IDPs 専門の支援機関 Internally Displaced Monitoring Centre(IDMC)によれば、 一般的に、IDPs の自立支援のための一時援助金を政府が支払い、IDPs 登録が抹消されるこ とは可能であるが、実際に再避難民化していない保障はなく、実態を正確に確かめる手段 はない(IDMC 2014)。後に詳述するが、一時金支払いと IDPs 登録の抹消については同様の ケースがイラクでも報告されている。実質的な「脱 IDPs」の基準の設定および基準と照ら した検証の困難さが、登録だけでなく登録抹消にも見られ、いつの時点で避難民状態から 脱したのか、客観的な判断を下すことが難しいことも IDPs の実態把握や支援を困難にし、 結果的に IDPs の状態から抜け出せない人々を作り出している一因である。 以上、本節では IDPs を対象とする支援や政策を効果的に実施することの難しさの根底 に、IDPs の定義の難しさ、把握の難しさが一般的に存在していることを確認した。次に、 イラクにおける IDPs 発生の主要な要因をフセイン政権時代の政策との関連も含めて考察 する。
3. フセイン政権崩壊後の IDPs 発生の推移
フセイン政権崩壊後のイラクにおける IDPs 発生の主要な原因は 2006 年から 2007 年に、 宗派間対立が暴力化し「内戦」と見なされる状態に陥ったためと言われている(IOM 2013)。 しかし、IDPs の発生要因はそれだけではなく、それ以前、つまりフセイン政権時代の強制 移住政策や避難民発生を伴う弾圧にも起因している。本節では、現在の IDPs の存在が単に 2003 年以降の紛争や治安の悪化からの単純な逃避ではなく、フセイン政権時代の歴史的経 緯といかに密接かつ複雑に関係しているのかを発生時期ごとの特徴も踏まえて確認する。3. 1. フセイン政権時代からの影響―強制移住者の帰還と潜在的な宗派対立の 表面化(2003 ~ 2006 年) フセイン政権下に、北部クルド地区で強制移住の対象となった人は 63 ~ 80 万人と言わ れる12。1974 ~ 87 年の「アラブ化」政策では、クルド人の 46%が、さらに 1988 年の「ア ンファル」作戦13およびその後には 28%が、強制移住させられたと推定されている。ま た、南部シーア派地区では、30 ~ 40 万人が資源確保目的や政治的な理由から強制移住の 対象となった。これらの強制移住によって家を追われ IDPs となった人は 100 万人以上とみ られている(Cohen 2009: 301)。フセイン政権時代に強制移住させられた人の中には、政 権崩壊後に、元の家や土地の所有権を主張する者が少なくなかった。フセイン政権崩壊後 のこのような「元の家」への帰還は、現居住者を追い出すことになった。主にシーア派の 帰還によるスンナ派避難民の発生であり、これが、この時期に発生した IDPs 約 20 万人の 主な避難要因の一つとされている(Sassoon 2009: 10-11)。 後に激化する宗派対立による攻撃は 2004 年初頭に現れ、2005 年に勢いを増してきてい る14。IDPs の発生が顕著に現れ始めたのは 2006 年初頭である。ただし、この時期、IDPs へ の国際社会およびメディアの関心はまだ薄い。イラクに関する統計「イラク・インデック ス」をまとめている米国のブルッキングス研究所でさえ、「IDPs」という項目を統計に加え たのは 2006 年 5 月になってからである。そこで次に、紛争が激化する契機となった 2006 年 2 月以降から比較的沈静化するまでの約 2 年間についての治安状況を見てみよう。 3. 2. シーア派聖堂の爆破と宗派を軸にした政治対立のさらなる暴力化(2006 ~ 2007 年) 3. 2. 1. 選挙から「内戦」へ 政治的な宗派対立が暴力的になり IDPs が発生していく中で、カギとなったのは宗派を 軸に展開された選挙運動である。戦後イラクでは主権移譲(2004 年 6 月)、制憲議会選挙 (2005 年 1 月)、憲法制定(2005 年 10 月)、国民議会選挙(2005 年 12 月)などの民主化プ ロセスが進められ、フセイン政権時代に国外に亡命していた亡命政治家を中心とするシー ア派イスラム主義政党による連立政権が成立した(山尾 2012: 101)。この一連の政治的な流 れの中で、2005 年 1 月に実施された制憲議会選挙後から、スンナ派の過激派による米軍や シーア派を狙った武力攻撃が頻発し、国内の治安が次第に悪化していった。さらに、2005 年 12 月の国民議会選挙前から宗派色を強調する選挙運動が展開され15、選挙後の 2006 年 2 月 22 日、イラク中部にあるシーア派の主要聖堂アスカリーヤ・モスクが爆破された。こ れを契機にイラク国内の治安は急激に悪化し、シーア派とスンナ派の武装勢力が報復を繰 り返す「内戦状態」の様相を呈していった。 3. 2. 2. 暴力の激化と連動する IDPs の発生 IDPs の避難の動きも 2005 年 12 月の後に徐々に顕著になり、2006 年の事件後は爆発的に 増加した (UNHCR 2005: 14)。避難の流れは 2004 年に現れ始めてはいたものの、2006 年半
ば以降の流れは、規模がそれまでとは著しく異なっている。以下の表 1 でも規模の違いは 明らかである16。 表 1:IDPs の避難した時期 2009 年時点でのイラク IDPs の避難時期 2006 年以前 2006 年 2007 年 2008 年以降 2009 年時点でのイラク IDPs 全体に占める割合 4.5% 67.8% 25.6% 2.0% 出典:IOM (2009: 2)をもとに著者が作成。 IOM によると、2006 年から 2009 年までの IDPs は 160 万人。これは当時の推定人口の約 5.5%にあたる(IOM 2010)。月別で IDPs の数が最も多かったのは 2006 年 7 月である。これ は 2006 年 2 月のモスク爆破事件以来、宗派対立が激化し、それまでは「先行き様子見」の 姿勢をとっていた人々も、相次いで避難していったためと見られている(IOM 2010)。2006 年 7 ~ 12 月までの半年間で、2009 年時点の約 42%、2006 年 7 月~ 2007 年 6 月の 1 年間 では、2009 年時点の 90%以上を占める IDPs が発生しており、急速に規模が拡大していっ たことが分かる。 3. 2. 3. 避難へと向かわせた「恐怖」の実態 先に見たように、宗派対立が治安悪化の引き金となった時期と IDPs の規模が拡大した時 期は一致しており、避難の主な理由は治安の悪化に伴う恐怖および自らの生命への危機で あるといえる。グラフ 1 の数字は、このことを裏付けている。 グラフ 1:避難の理由 出典:IOM (2010: 5)をもとに著者が作成。 実際の治安悪化の実態は他の複数のデータが裏付けている。グラフ 2 はイラク・ボディ・ カウントによる民間人死亡者数の推移である。2003 年 5 月~ 2005 年 12 月は、(大規模な
戦闘や爆破があった月を除けば)毎月の戦闘員以外の死亡者数はほぼ 1,000 ~ 1,500 人であ る。しかし、2006 年は前年の約 2 ~ 3 倍に急増している。この 2006 ~ 2007 年の死者の増
加傾向は、他の調査機関の結果とも一致している17。
グラフ 2:イラク攻撃後のイラク国内における年別死亡者数(民間人殺害者)の推移
出典: Iraq Body Count イラク戦争後の死亡者数の推移 https://www.iraqbodycount.org/database/ (2014 年 9 月 25 日アクセス) また、治安項目として挙げられている住宅や道路脇の車両爆発事件(グラフ 3)も、死 亡者数と同じ 2007 年をピークに以降、減少している(Chatty 2011: 5, 11)。 グラフ 3:爆発事件数の推移 出典:(Brookings 2011: 4)をもとに筆者が作成。 IDPs の数字の推移が、実際の「死亡件数」の推移と同じ傾向を見せていることから、住 民は単に「治安が悪化しているのではないか」という漠然とした思い込みで移動したので はなく、実際に身近に死亡事件が頻発し、切羽詰った状況で移動したと推察される。さら
に、ブルッキングス研究所は、死亡事件を当初、「戦闘によるもの」と「他の暴力行為によ るもの」に分けていたが、この時期から二つを分けるのをやめ、その理由を「二つの要素 を区別するのはもはや不可能であるため」としている。狙われる原因を一つに断定するの が困難な状況が、住民を「常に脅威にさらされている」と感じさせ、移動へと向かわせた と考えられる。この間の IDPs の移動は、最大規模の 200 ~ 250 万人と報告されている18。 この時期イラク政府が実施した世論調査では、当時のバグダード住民の 50% 近くが国内の 別の場所への移動を考えていたとされ、首都での情勢不安が広範囲に拡大していることが うかがわれる(MPDC 2008: 67)19。 3. 3. 新たな IDPs の減少(2007 年秋以降)と人道支援機関による帰還促進 2007 年 9 月末からは新たな IDPs の数は激減し、以後、急激な増減は見られない。新たな IDPs発生数が減少したのは、グラフ 2・3 からもわかるように治安が改善したこと、およ び、各県が IDPs の受け入れ制限を強化したことが主な理由と見られる。バグダード市内は、 シーア派とスンナ派が混在しており、戦後一貫して最も治安が悪く、最も多くの IDPs を生 んできたが、この時期は米軍がバグダード駐留の兵士を増員したことや、シーア派の急進 派リーダー、ムクタダ・アル・サドルが 6 ヶ月間はシーア派民兵による攻撃を停止させる と表明したことが、一時的に治安を改善させ IDPs 発生を抑制したと見られている(UNHCR 2009: 4)。さらに、この頃、国内 18 県のほとんどが、IDPs 受け入れと居住許可に対して何 らかの制限を設けるようになったため、国内での移動がより困難になったことも発生を抑 制することにつながった(Sassoon 2009: 13)。 この状況変化を支援機関はどう評価したのだろうか。UNHCR は 2008 年 2 月にはまだ 「イラクは UNHCR が帰還を促進する基準を満たしていない」と判断したが(Sassoon 2009: 159)、2009 年 1 月には「イラクは転換期を迎えている」と位置づけ、「強制移動させられ たイラクの人々の持続的な帰還(the Sustainable return of Iraq's displaced)」プロジェクト を立ち上げ、緊急支援重視から、帰還者支援重視に支援内容を大きく転換させた(UNHCR 2009: 4)。同様の方向転換は他の機関でも見られる20。 では、IDPs は減ったのか。あくまでも各機関への登録者数に基づいた推定の数字だが、 各機関の 2013 年の見解は概ね以下の内容で一致している。すなわち、2013 年現在も 100 万人以上は IDPs が存在し、その多くが 5 年以上避難生活を送る、いわゆる長期的避難民の 様相を呈している、ということである(UNHCR 2013)。イラク国内の治安は改善し、支援 機関が帰還へ向けて政策転換したにもかかわらず、大量の IDPs が避難先に滞留しているの である。
4. IDPs の短期的な帰還の現状
前節では歴史的な経緯を踏まえた IDPs 発生の状況を概観した。本節では新たな IDPs 発 生が減少した直後の帰還状況を確認する。4. 1. 避難者の一部に過ぎない帰還者 帰還者の数は調査機関によってかなり幅がある。IDPs の帰還および発生は国外へ避難し た難民の帰還とも密接に関係している。一般的には国内の帰還は国外からの帰還に先行し て起きると見られており、そのため多くの支援機関は両方の帰還動向を報告している。IOM の報告では、帰還のピークは 2008 年秋で、2010 年時点での国内および国外からの帰還者 は計約 374,000 人。ほぼ同時期の帰還者についてブルッキングス研究所は計 275,000 人と しており、支援機関によって帰還者数にかなり幅があることがわかる。ただし、IOM もブ ルッキングス研究所も以下の二点については同じ認識を示している。第一に、IDPs および 難民の帰還者数を比較すると IDPs が圧倒的に多く、IDPs と難民を合わせた帰還者全体の ドホーク ニーナワー
ト ル コ
シ リ ア
イ ラ ン
ク ウ ェ イ ト
サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア
サラーフッディーン アンバール カルバラー ナジャフ ムサンナー カーディスィーヤ ズィー・カール クルド 凡 例 0 100m バスラ マイサーン ワースィト バービル バグダード ディヤーラー スライマーニーヤ キルクーク イルビール スンナ派アラブ スンナ派アラブ・クルド混在 シーア派アラブ シーア派・スンナ派アラブ混在 スンナ派トルコマン 地図 1:イラクの行政区分と宗教・民族の分布 出典:山尾大(2009: 153)より。約 80%を IDPs が占めていること。第二に、IDPs と難民を合せた国内外への避難民全体か ら見れば、帰還者はごく一部であり―全体を何人とするかによるが―1 割未満もしく は 1 割程度であるということである(IOM 2010: 3; Brookings 2010: 21)。 この時期に見られた帰還の理由は、国内の治安の改善(48%)、避難先での生活の困難さ (12%)、この二つの理由と政府やその他の支援機関による帰還後の物的・金銭的支援の不 足など複合的な理由(26%)があげられている(IOM 2010: 3)。 IDPs の帰還の中でも出身県内の避難民の帰還は全体の半数以上を占めている(IOM 2010: 4)21。また、避難の流れと同様に、シーア派はシーア派が主流の土地へ、スンナ派はスン ナ派が主流の土地へと帰還している(IOM 2010: 4)。自分の宗派と出身地の主要宗派が異な る場合は帰還が進んでおらず、帰還は宗派別の住み分け区分を守った範囲内で、且つ、県 内での近距離移動でしか起きていないことがわかる。 帰還者数については、2007 年 5 月から 2009 年 2 月ごろまでは帰還が一定程度は見られた ものの、2009 年以降は著しい進捗は報告されていない。そこで、この時期までを帰還状況 を検証する際の一つの区切りとし、以下では最も IDPs が大量に発生した 2007 年から 2010 年ごろまでの約 3 年間、つまり多くが長期的避難状況となる前までの帰還状況を分析する。 4. 2. 帰還希望者の割合と帰還への障害 表 2 は 2009 年時点での今後の居住先についての IDPs の考えを示している。帰還の流れ が大きくならない理由の一つは、必ずしもすべての IDPs が元の居住地への帰還を望んでい るわけではないから、ということがわかる。表 2 によれば、避難から 2 年以内の IDPs が大 半を占める 2009 年時点で帰還を望んでいるのは IDPs の約 60%である。 表 2:IDPs 今後の居住先についての考え このまま避難先 に居住したい 元 の 場 所 で も、避難先でもない 別の場所に居住 元の場所に戻り たい 新 た な 1 ~ 2 要素を考慮してか ら決定する 回答者の割合 21.4% 19.1% 58.0% 1.4% 出典:IOM(2009: 3)をもとに著者が作成。 IDPs の帰還への障害は、治安、家の損失、雇用機会の不足、コミュニティーでの基本 サービスの不在があげられている。中でも家の損失は、帰還後の生活を再スタートさせよ うとする際の大きなハードルとなっている22。2009 年の IOM の調査で、元の家に戻ること ができる状態と回答したのはわずか 9%である。31% は家が破壊もしくは他人に占領され ているために戻ることができないと回答し、28% は状況が不明という(IOM 2010: 10)。ま た、避難生活の中で最も重要なニーズは何かという質問(複数回答可)に対しては、仕事 (73%)、住居(62%)、食糧(61%)との回答が得られている(IOM 2010: 10)。帰還を望む 約 60%の中で、避難を長期化させずに実際に帰還出来る人は、元の家の保全状態が比較的 良く、雇用の確保の目処がついているなど、帰還後の状況にある程度の見通しがついてい
る人たちということであろう。次節では、IDPs が解消できない理由を検討する。
5. 長期化の原因
これまで、イラクにおける IDPs の発生の波はフセイン政権時代から複数回あり、現在 のイラク IDPs の存在がフセイン時代の政策と密接に関連していることを確認した。また、 2009 年ごろからイラク国内の治安改善は支援機関の間で広く認識され、IDPs 帰還支援に力 が入れられてきたこと、それにもかかわらず、少なくとも比較的短期的な帰還状況を見る 限りでは、大規模な帰還は見られなかったことを見てきた。本節では、イラク政府による 支援内容と、時間の経過に伴う IDPs の帰還に関する意識の変化を検討することで長期化の 理由を考える。 5. 1. 支援策による IDPs の区別化 まず、イラク政府の支援内容から見てみよう。政府にとって経済支援は主要政策の一つ である。IDPs に帰還、避難地への定住のいずれかの選択肢を与え、選択に応じて一時金 を支払うというものである。支援額は、出身地への帰還者へは 400 万イラク・ディナール (約 3438 米ドル)であるのに対し、定住者に対しては 250 万イラク・ディナール(約 2148 米ドル)である(IOMI 2013: 16)。帰還のための移動費用がかかる分、帰還者には高額が支 払われている、という解釈も成り立つが、政府は IDPs の希望に関わらず、定住よりも帰 還促進へ力を入れている、というのが IOMI の見方である。しかし、支援金を受け取るだ けで避難生活を続けているケースが後を絶たず、実際の支援金の効果は不明という(IOMI 2013: 17)。 次に、避難民に対する土地財産の復権や補償の問題への政府の対応を見てみよう。土地 財産の復権や補償への対応は、マリーキー政権にとって IDPs 対策の重要な部分を占めて きた (IOMI 2013: 17)。対応策を提示するにあたって、政府は IDPs を避難時期ごとに分け、 区分ごとに異なる対応をしている。1968 年から 2003 年までのフセイン政権時代に強制的 に奪われた土地・財産については、2004 年に設立された財産請求委員会(Property Claims Commission: PCC) に対して原状回復もしくは補償を求めることが出来る。しかし 2003 年 から 2006 年までの事案については、民事訴訟による解決を図ることとされている。また、 内戦とされる 2006 年から 2008 年までの事案については、法令に基づき、避難民登録の抹 消と引き換えに一家族 100 万イラク・ディナール(約 860 米ドル)を受け取ることができ る。 このことは何を示唆しているのか。2003 年までの第一期に避難した IDPs の大半は、フ セイン政権時代に弾圧等で居住地を離れ、政権崩壊直後から帰還しているシーア派が中心 である。2003 年から 2006 年はフセイン政権が崩壊した直後で前政権関係者が主に攻撃対 象とされた時期であり、避難した IDPs の多くはスンナ派である。つまり、シーア派に対し ては土地所有権の原状回復もしくは補償を請求できるシステムが確立しているが、スンナ派に対しては、民事訴訟で関係者自身による解決を促すという政府の不介入のスタンスと 見ることができ、シーア派優遇とも取れる措置である。 以上、二つの支援策を見てきたが、フセイン政権崩壊後から 2006 年以前に避難した多く のスンナ派は、イラク政府から支援を受けることが出来ずに継続的に周縁化された状況に 置かれている可能性が高いことになる23。 5. 2. IDPs の実情 前節では、イラク政府が帰還偏重の政策をとっていること、および、避難時期によって シーア派優遇の宗派差別的とも取れる方法で IDPs を区別し、結果的に特定の人々が支援か ら排除されている可能性が高いことを見てきた。本節では、避難生活が長引く IDPs 自身の 意思の変化を確認する。 5. 2. 1. 選べない現状―時間の経過に伴う避難民の意識の変化 まず、帰還支援策偏重の政府に対して、IDPs はどのような選択肢を望んでいるのかを 見てみよう。長期的な避難民状態から脱するための選択肢は以下の三つである。①元の 居住地に戻る(return)。②別の場所に移動する(transfer)。③現在の避難場所に居住する (integration)。IOMI の調査によれば、避難民の多くは①と②の選択肢を現実的にとること ができないために③の選択肢に不本意ながらとどまっているケースが大半である。選択で きない理由は次に詳述するが、重要なことは、現在の避難地にとどまることを積極的に選 んでいるわけではない、という点である(IOMI 2013: 14-16)。 さらに、IOMI が継続的に行っている IDPs の希望調査によれば、避難生活が長期化すれ ばするほど、出身地への帰還を希望する割合が低下している。調査は、2003 年以降で宗派 対立が最も激化した 2006 年、2007 年、2008 年に避難した IDPs を対象としている。帰還 を望む人の割合は、先の 2009 年には調査対象者の 58%だったが、2011 年の同じ調査では 6% に過ぎず、避難生活を数年間送るうちに帰還への希望者が激減していることがわかる (IOMI 2013: 18) 。 5. 2. 2. 宗派対立による攻撃への恐れ 希望の変化について、複数の支援団体が指摘している理由の一つは、避難した最大の理 由である「身の危険を感じる」という認識が依然として払拭されていない、という点であ る。 表 3 は宗派民族別に見た、イラク国内で自分の居住地を「安全」と感じる人の割合の推 移である。全体的には 2007 年から 2009 年へと移行するに従い改善されてきている。ただ し、内訳を見ると、2009 年にはシーア派の 67%が安全と感じていると回答しているが、ス ンナ派ではこの数字は 33% と、宗派によってかなり安心感に開きがあることも浮き彫りに なっている。体制転換によって政治的支配層となったシーア派よりもフセイン時代に優遇 されたスンナ派の市民は、より身の危険を感じていることがわかる。そのような状況下で
実際に身の危険を感じて家を離れたスンナ派が出身地へ戻る決断を簡単に下すことは出来 ないでいることが推察される。 表 3:イラク国内で自分の居住時域を「安全」と感じるか? 2007 年 3 月 26% (スンナ 3%、シーア 29%、クルド 67%) 2007 年 8 月 26% (スンナ 6%、シーア 24%、クルド 74%) 2008 年 2 月 37% (スンナ 13%、シーア 38%、クルド 78%) 2009 年 2 月 59% (スンナ 33%、シーア 67%、クルド 85%) 出典:Brookings(2009: 46)をもとに著者が作成。 出身地の状況に変化があるのかどうかを現実的に判断する上で IDPs が参考にするのは、 知り合いの帰還報告である。家が破壊されていた、民兵組織に占拠されていた、帰還した ものの殺害されてしまったという話が帰還の抑制要因となっているケースも少なくない (IOMI 2010)。IDPs の多くは、治安状況が改善していない、との判断を継続的に下しながら 避難先での生活を長期化させていると考えられる。 5. 2. 3. 避難の決定要因と帰還の決定要因のかい離―生活基盤確立の困難さ ほとんどの IDPs にとって、治安の悪化、身の危険を感じるなどの安全性の問題が、避 難する際の決定要因となっている。しかし、帰還の決定要因は複合的で、経済的な要因が より重視されている(IOMI 2013: 8)。つまり、もし出身地で身の安全が確保できると確信 できるようになったとしても、それは必要条件を満たしているだけであり、十分条件は満 たされないままである。治安改善だけでは帰還はできないのである。避難前の職場や住居 が確保されているわけではなく、また出身地のインフラ整備の状況も考慮しなければなら ない。帰還を決定するまでには、そのような複数の要因を満たす必要がある。さらに、避 難地での生活が長期化すればするほど、避難民は出身地での生活基盤も、雇用や住居、イ ンフラ整備状態に関する出身地の情報もますます失ってしまう(IDMC 2013)。加えて、避 難民は経済的にはそれまでの貯金に頼っているケースが多く、避難生活が長引くほど厳し い経済状況がより一層深刻になり、別の場所に移動することがますます難しくなる(IOMI 2013: 8)。IDPs が避難直後には帰還を希望しているにもかかわらず避難から時間が経過す るに従い、帰還や第三の土地への移住を希望する割合が減少している実情は、避難生活が 長期化する中、貯金だけでは立ち行かない経済的な困窮も反映していると見ることが出来 るだろう。 5. 3. 国外の状況による影響 イラク人難民の大きな受け皿の一つは隣国シリアであり、2011 年時点で約 100 万人のイ ラク人がシリアに滞在していると推定されていた。しかし、2011 年以降、シリアの国内情 勢の悪化により、シリアからイラク人難民が帰国している。その規模は、イラク政府の発 表によると、2011 年に前年の 2 倍の 67000 人、翌 2012 年は第一四半期だけで、2011 年の
2 倍を超えている(UNHCR 2013)。また、シリアの首都ダマスカスにある国家治安維持本 部で爆発が起きた 2012 年 7 月には、10 日間で 15000 人のイラク難民の帰国が確認されて いる(IRIN 2012)。しかし、イラクに帰ってきたものの、国内での居住先はなく、その大半 は IDPs となって国内を転々としていることも指摘されている(IRIN 2012)。現存する IDPs の避難民生活が解消されないまま、国外からの難民の帰還により新たな IDPs が発生し、仕 事や住む場所などの限られた資源を分かち合わざるを得ないという構図が出来上がりつつ ある。
6. 避難の長期化と戦後イラク社会
IDPs が抱える帰還に関する問題は、雇用や住宅の不足、インフラの未整備、宗派間の敵 対する感情、暴力による支配に伴う治安への不安など複合的であることを確認した。本節 では、IDPs の置かれている状況から明らかになる戦後のイラク社会の実情を考察する。 6. 1. IDPs の帰還抑制要因が示すイラク社会の実情中東を中心に難民・IDPs の支援および研究を行っている Middle East Institute Refugee Cooperation(MEIRC)は、イラクでの IDPs 長期化の実情は、IDPs 以外のイラクの人々の 生活環境をそのまま反映している、と指摘している。先に挙げた帰還を抑制している要因 は、そのまま IDPs 以外の人々が抱える問題ということである(MEIRC 2011)。2013 年の UNDPの調査によると、イラクでは平均的な家庭の 90% が自家発電機を利用して不足分を 補っており、一日の平均電気使用可能時間は、自家発電と併せても 14.6 時間である。飲料 水については人口の 20% が安全でない水を飲み、下水道へのアクセスは 30% に限られて いる(UNDP 2013)24。IDPs の最大の出身地であり避難先でもあるバグダードについて言え ば、67% のごみ収集所が機能していない。また失業については、全国で 11%(男性 7%、女 性 13%)、若者(15−24 歳)の失業率は 18% で、とりわけ高等教育を受けた若者の間で比 較的高くなっている(UNDP 2013)。2009 年よりは改善されている分野もあるものの、全 体的には依然として、日常生活で最低限必要とされる基本的な社会サービスが不十分であ ることがわかる。 6. 2. IDPs のホストコミュニティーの負担と IDPs との関係 避難生活の長期化に伴い、IDPs の避難先となっているホストコミュニティーの負担も増 大している。先に見たように、IDPs の状況は地域の不安要因やニーズを反映している。IDPs に最大の問題と位置付けられている雇用や住宅不足は、先に示した失業率も示している通 りイラク社会の取り組むべき深刻な問題として政府の最優先課題と位置づけられている (IOM 2013)。とりわけ多くの IDPs の避難先となっている地域にとっては、IDPs へのサービ ス負担と併せて、より深刻な問題になっている。ホストコミュニティーが現在の地元住民 に対して雇用や住宅を提供できないならば、現在の IDPs がその避難先で職や住宅を得るの
は一層困難である。ゆえに、IDPs にとってそのような避難先への定住は現実的な選択肢に は成り難い。しかし、実際には、出身地での雇用や住宅が確保でき、避難先から移動でき る IDPs はすでに帰還もしくは別の土地に移動しており、他に選択の余地のない IDPs が現 在のホストコミュニティーで避難生活を長期化させているのが実情である(IMDC 2013)。 さらに、ホストコミュニティーの住人に対して行われた意識調査では IDPs が自分の地域 に定住することについて経済的にネガティブな影響があるという答えが半数近くあり、投 資や経済活動が活性化するなどポジティブな影響があるという回答は 20% 程度にとどまっ ている。ネガティブな影響として挙げられているのは雇用機会の減少および賃金の低下で ある(IMDC 2013)。この調査はあくまでも「意識」の調査であり、「実態」は必ずしも意 識と一致していない可能性もあるが、重要なことは、地域住民の IDPs に対する批判的な意 識は IDPs の滞在期間が長期化するほど深刻になり、各地の避難地域の住民と IDPs との間 に新たな確執を生みかねないということである。IDPs の最大の避難先であるバグダードの 住民の意識調査でも「IDPs はよそ者(stranger)であり、地元統合は難しい」との回答が 複数報告されている(IOM 2013)。地元住民のこのような意識は IDPs の定住への決断をさ らに阻む要因となり、かといって移動する先もないまま避難生活をさらに長期化させ、住 民との関係をより悪化させる、という負のスパイラルが進行していると言える。
7. 結論
7. 1. まとめと考察 本稿では、IDPs が長期的避難民化している実態を分析し、その理由を検討した。避難 の経緯、支援策、帰還の状況から長期化の理由を考察することで、100 万人を超える IDPs が住居、雇用など治安以外の問題も解決できないまま選択肢もなく現状に留まり続けて避 難を長期化させている現実を明らかにした。同時に、長期化する避難生活で疲弊している IDPsの抱える様々な問題は、イラク社会全体に共通して見られる状況でもあり、特に IDPs の受け入れ先コミュニティーでは、そのことが IDPs との新たな軋轢を生みつつあることを ある程度示すことが出来た。 以下、本稿で述べてきた内容をもとに三点考察を示したい。第一に、敵対関係解消の難 しさについてである。イラクでは、フセイン時代の歴史的な迫害の経験に基づく負の感情 が、フセイン政権後にも政治的な動員目的に利用され、政治対立が最終的には激しい暴力 の応酬へと発展した。そのような経験は出身地に帰還すれば殺される、という認識を IDPs の中に深く刷り込んでしまった。IDPs の避難先は同宗派が支配的な地域であり、彼ら彼女 らは出身地の主要宗派が自分と異なる場合は、長期的に戻れずにいる。帰還の決定は複合 的な要因であり、治安状況の改善だけで決定していないことは既に見てきたが、宗派別の 住み分けが常態化してしまったイラクで、異宗派の支配的な出身地には戻れないのも事実 だろう。住み分けの既成事実は、表面上は衝突が減り治安が改善したように見せつつも、 長期的には関係を改善する機会を失い敵対的な関係を一層強化する効果を持ち得ないだろうか。少なくとも、一旦敵対的な関係が発生し、実際に住民同士で殺害が行われたコミュ ニティーで、敵対関係が解消されるのは容易ではないということが、IDPs の分析から推察 される。さらにマリーキー政権のシーア派優遇、スンナ派冷遇を思わせる宗派差別的な政 策が、IDPs の間で政府に対する不信感を高めただけでなく、宗派間の溝をさらに深めてい ることも推察される。 第二は、イラクにおける IDPs 支援の難しさである。次々と多様な理由で IDPs を発生さ せてきたイラクでは、全員が同一の災害により避難民化している状況とは異なり、避難時 期ごとに異なる対応が必要とされる。また、治安状況はコミュニティーごとに異なり、さ らに宗派ごとに抱える問題や政府への不信感も異なる。避難生活の長期化に伴い避難先住 民との確執も表面化しつつあり IDPs 支援策が極端な優遇措置と見なされない配慮も必要 である。さらに、主権国家であるイラク政府や最大の支援国である米国との協調も不可欠 である。 第三は、IDPs に対する国際社会の認識の不十分さについてである。国際社会の中で、IDPs への関心は現在も決して高いとは言えない。事実、2003 年時点での米英によるイラク攻撃 前に、攻撃による被害を推測した人道支援機関の多くは、攻撃による死傷者、インフラの 破壊等を予測し、それに伴う 100 万人規模の国外への人の移動を懸念していた(Haroon Ashraf 2003: 630)が、IDPs についての予測や言及は、非常に限られていた。国外への人の 流失に対する関心がより大きいことは支援機関全体の予測や警戒の記述に共通して見られ た傾向である。しかし実際には、100 万人を超える IDPs が、自国にいながら身分証明の書 類さえままならず、場合によっては支援も受けられないまま、現状維持を何年も続けてい るのは見た通りである。吹き溜まりのように蓄積されている彼ら彼女らは、イラク社会の 中で最も周縁化された人々の一群である。このような深刻な事態を引き起こす可能性につ いて予測する努力が、2003 年時点の国際社会に十分あったとは言い難い。 7. 2. おわりに―今後の課題:国際社会からの影響と国際社会への影響 人の移動に伴う問題は一般的に、主に国境を越え、難民(もしくは移民)となってから注 目を浴びてきた。難民・移民問題は主権国家中心の国際社会の中で、近隣主権国の治安や 秩序を脅かしかねない存在だからである。しかし本稿では、自国の領土内で行き場を失っ ている IDPs も選択肢がないまま周縁化され続け、国内で増加し続け、自国の存続を脅かす 存在であることを示してきた。その意味で、IDPs の存在は―主権国家はもちろん―国 際社会にとっても無視できない存在と言える。 2013 年末からの「イスラム国」のイラクへの侵攻および、その対応としての米国による 空爆が 180 万人以上もの IDPs を既に新たに発生させたとの報告もある(外務省 2014)。「イ スラム国」の拡大によってイラクという国家が存続の危機であることは明らかである。が、 同時に、空爆や地上戦が大規模に展開されれば、すでに行き場を失っている 100 万人を超 える長期的 IDPs の上に、さらに大きな避難民の波が幾重にも折り重なっていく。IDPs の さらなる増加はすでに負のスパイラルへと陥りかけている問題を一層深刻化かつ複雑化さ
せる。すでに IDPs を増殖させ滞留させ続けているイラク国家で、さらに内部からも浸食が 進むことになるだろう。その意味でもイラクは国家存続の危機といえる。 IDPs は、独裁政権からの体制転換が武力を伴う戦争もしくは紛争という形をとった場合 には「副次的な被害」のように必ず発生するのだろうか。それとも、100 万人規模の IDPs が発生し、何年にもわたって避難民状況を解消できずにいるのはイラクの特殊性、つまり、 歴史文化的な要因が大きく作用しているのか。米国の占領統治政策によって発生を抑制す ることは可能だったのだろうか。この疑問は今後の長期的な課題とし、研究を進めるなか で答えを考え続けていきたい。また、本稿では IDPs へと多くが転化している海外からの帰 還者の事情、および北部クルディスタン区域との関連についは取り扱うことができなかっ た。この問題については、別の執筆の機会に取り上げ、さらに多面的にイラク戦争後のイ ラク社会の状況を分析していきたい。 注 1 調査対象となった IDPs の 1 人。IDPs と呼ばれることに対するコメント。名前、性別、出身地は不明。 筆者訳(IDMC 2013: 22)。
2 International Organization for Migration – Iraq。IOM(国際移住機関)は人の移住および移動の問 題に取り組む国際機関。
3 The Internal Displacement Monitoring Center。難民支援を行っている人道支援 NGO の Norwegian Refugee Council (NRC)の一部であり、国内避難民を専門に調査、分析活動を行っている。 4 イラク戦争後の治安については(山尾 2012)が紛争の内容、治安状況および治安政策を詳しく
分析している。
5 「長期的難民状況(protracted refugee situation)」とは、避難民状態が 5 年以上続き当面、元の家 へ帰ることも、生活の改善も望めない人々の状況を指す(カールズ 2011: 197)。
6 UNHCR は 難 民 支 援 を 専 門 と す る 国 連 機 関。 正 式 に は United Nations High Commissioner for Refugees。日本語では国連難民高等弁務官。
7 もっとも頻繁に使用される「難民」の定義は、国連の「難民の地位に関する条約」(1951 年難民 条約とも言う)と、同じく国連の「難民の地位に関する議定書」(1967 年国連難民議定書とも言う) の定義である(小泉 2005: 82)。
8 The International Displacement Monitoring Centre (2013) "The definition of an internally displaced person (IDP)," http://www.internal-displacement.org/8025708FOO4D/(CC32D8C34EF93C88802570F8 00517610?OpenDocument. 9 このため難民支援団体である UNHCR が公式援助を IDPs に対して行ったのは 1972 年のスーダ ンが初めてである。また、国内紛争による IDPs の相次ぐ発生を受けて国連総会は UNHCR に "displaced persons"として難民条約上の定義外にある人々への保護の拡大を認めてきた(小泉 2009:11)。UNHCR はそのような人々に対して一時的な保護措置を取っているが、しかしすべて の状況のすべての IDPs を含んでいるわけではない(小泉 2009: 66)。
10 IDPsと難民との違いについてはThe International Displacement Monitoring Centre (2013) "The definition of an internally displaced person (IDPs)," http://www.internal-displacement. org/8025708FOO4D/(CC32D8C34EF93C88802570F800517610?OpenDocument が詳しい。 11 1992 年、UNHCR がセルビア人による「エスニッククレンジング」から逃れるために出国を希
望するボスニア人ムスリムをボスニア領土内で支援したことが批判され、難民支援機関が IDPs の出国を手伝うことが理にかなっているのかどうか、という問題を提起した(ウェイナー 1999: 104)。
12 ただし、フセイン政権の情報操作により正確な数字は残されていない。数字は Internally Displacement Monitoring Center (IDMC) (2007) より。
13 イラン・イラク戦争末期にクルド人に対して行われた軍事作戦。(Sassoon 2009: 174)が詳しい。 14 当時の様子を 2005 年 11 月 20 日付 The New York Times は「イラク社会を長きにわたって分裂さ
せてきた亀裂が全面的に現れてきた」と報じている(The New York Times 2005)。
15 選挙戦の様子は「モスクが党本部へと変わり、聖職者が政治家に転身し、選挙戦は、宗教的な立 場を明らかにする告白の場となり果てた 」と報じられた(Marfleet 2007: 410-411)。
16 以下の表 1 には記載されていないが、2006 年の推移をさらに詳しく調べると、IDPs の数は、 2006 年 3 月の 46,000 人から 2006 年 8 月には約 20 万人、2006 年末には約 40 万人と短期間で急 増している(IOM 2010)。
17 2006 年 12 月 UNAMI(United Nations Assistance Mission for Iraq)の報告書によると、殺害された 市民の数は 2006 年だけで 34,452 人、2007 年 12 月のイラク保健省と WHO の共同調査では 2007 年の年間死亡者数は 151,000 人とされ、1 年間で前年の 4.5 倍に増えている(MPDC 2008: 65)。 18 IDPs の数字は調査機関によって異なるが、IOM の September 2007 Report では 225 万人。 19 ただし、想定している移動先については、この調査では問われていないため、考えている移動先
が国外であるのか国内であるのか、その割合は不明。
20 米国で対外支援を担当する United States Agency for International Development(USAID:アメ リカ合衆国国際開発庁)の災害支援担当部署 Foreign Disaster Assistance (OFDA:海外災害援助 室)は、イラク国内の状況変化に対応して 2011 年中に IDPs への人道支援活動を終了することを Government Accountability Office(GAO:米政府監査院)の報告書で明らかにした(GAO 2010: 31)。活動終了の理由はイラクが「危機的な状態から開発の段階への移行期間であるため」(GAO 2010: 31)と説明し、状況が安定し、避難先での人道支援よりも帰還後への対応がより重要になっ てきたとの認識を示している。 21 県別で帰還者の数が多いのは、避難民の出身地の上位 3 県であるバグダード、ディヤーラー、ニー ナワーで、この 3 県への帰還者が全体の 79% を占めている(IOM 2010: 4)。 22 バグダードはもともと住宅不足の問題を抱えていたが、2003 年のイラク攻撃、市場経済導入に よる価格高騰、不法占拠等でさらに悪化し、2005 年時点ですでに 100 ~ 150 万戸の住宅が不足 していた。その後も戦闘や帰還者向けの住宅需要の上昇でさらに深刻化し、不足解消には新たに 300 万戸が必要という(Reuter 2013)。特に過去の所有権については、どの時点までさかのぼっ て正規の所有者を判断するのか、という問題もあり、住宅問題の解決は難しい。IDPs と住宅問 題との関係については拙著(円城 2012)参照のこと。 23 さらに、避難民登録は家族単位で行うため、男性家長を出身地に残すなどして避難している男性 家長を欠いた家族をはじめとする、一家離散し、個人で避難している人たちは支援策を受けるこ とができず、スンナ派避難民同様、周縁化されている人々と言える。 24 公共サービスの問題については、フセイン政権崩壊後の混乱および、その後の米国占領統治期に 連合国暫定当局(CPA: Coalition Provisional Authority: CPA) が行った脱バース党政策によるテク ノクラートの追放がその一因とされている(MEIRC 2013)。
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