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雑誌『平和』をめぐる人々 : 「日本平和会」の新史料とともに

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雑 誌 『

平 和 』 を め ぐる 人 々

「日本 平和 会 」 の新 史 料 とと もに

People surrounding

"Japan Peace Society"

and their

historical documents は じ め に こ こ に い う雑 誌 『平 和 』 と は、1892∼93年 に か け て 平 和 社(実 質 的 な 発 行 母 体 は 「日本 平 和 会 」)か ら発 行 さ れ た 日本 最 初 の 「平 和 」 主 義 雑 誌 の こ と で あ る 。 北 村 透 谷 が 主 筆 と な り、 彼 の代 表 的 論 説(「 各 人 心 宮 内 の秘 宮 」 「心 池 蓮 」 な ど)が 収 録 さ れ て い た こ とか ら、 透 谷 研 究 者 に は特 に 知 られ た 雑 誌 で あ る 。 第12号 ま で の 発 行 が確 認 さ れ て い るが 、 日 本 国 内 の 研 究 機 関 に現 存 す る の は創 刊 号 と第2号 を欠 い た 第3号 ∼ 第12 号 の み で 、 そ の す べ て は 同 志 社 大 学 人 文 科 学 研 究 所 に所 蔵 さ れ て い る 。 2005年 こ の 同志 社 本 か ら復 刻 版 が 作 られ 、 ジ ョー ジ ・ブ レス ウ ェ イ トが 発 行 した 「平 和 問 題 答 案 平 和 雑 誌 全 』 の 復 刻 版 と と も に 、 『近 代 日本 「平 和 運 動 」 資 料 集 成 』(不 二 出版 、2005年)第1巻 に収 録 され た。 今 回 の 復 刻 に よ り、 創 刊 号 と第2号 を欠 くもの の 、雑 誌 『平 和 』 の 隅 々 まで が 明 らか に な っ た とい え る。 雑 誌 『平 和 』 の復 刻 に あ た り、 私 は 「解 題 」 を担 当 し、 そ の 創 刊 事 情 か ら終 刊 に い た る 経 緯 を概 観 した が 、 も と よ り限 られ た 紙 数 の こ と、 関 1 係 史 料 を 十 分 に 盛 り込 む こ とが で き なか っ た 。 そ こ で 本 稿 で は 、 ア メ リ カ や イ ギ リス に残 され た 関係 史 料 を 紹 介 しつ つ 、 雑 誌 『平 和 』 の発 行 母 1坂 口満 宏 「解 題 」(『近 代 日本 「平 和 運 動 」 資料 集成 』 「解 題 ・総 目次 ・索 引」 不 二 出 版 、2005年)。 なお 、本 稿 は2005年5月20日 に 開催 され た 京都 女 子 大 学 文 学部 史 学 科 春 の公 開 講座 に お け る講 演 資料 「雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる 人h 一 「日本 平 和 会 」 の 新 史料 と とも に一 」 を加 筆 ・修 正 した もの であ る。

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2    雑 誌 「平和 』 をめ ぐる 人 々 体 で あ っ た 「日本 平 和 会 」 の創 立 事 情 か ら活 動 の停 滞 、 雑 誌 『平 和 』 の 終 刊 事 情 を再 検 討 す る 試 論 と論 拠 を 提 示 した い と思 う。 分 析 の 視 点 は 、 19世 紀 半 ば か ら20世 紀 初 頭 に か け て 欧 米 で 進 め られ て い た 「平 和 とイ中裁 」 Peace and Arbitrationと い う平 和 運 動 に 日本 で 発 行 さ れ た雑 誌 『平 和 』 と 「日本 平 和 会 」 の活 動 を位 置 づ け て み る こ とで あ る 。 図1は 、 本 稿 の 主 題 に か か わ る 人 々 の 関 係 図 で あ る。 本 稿 で は こ の 図 に で て くる 人 物 の す べ て に つ い て 言 及 す る 余 裕 は な い が 、 今 後 、 こ う した 人 々 と 「日本 平 和 会 」 との 関 わ りにつ い て 深 く掘 り下 げ て み た い と思 っ て お り、 本 稿 は そ の前 提 作 業 に位 置 す る もの で あ る 。 まず は19世 紀 か ら20世 紀 初 頭 の 欧 米 に お け る平 和 運 動 ・平 和 思 想 か ら概 観 して み よ う。 図1

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119世 紀 欧 米 の 平 和 運 動 「平 和 と仲 裁 」PeaceandArbitration イ ギ リ ス の 平 和 協 会ThePeaceSociety 1815年 ナ ポ レ オ ン 戦 争 が 終 結 し た が 、25年 間 に お よ ん だ こ の 戦 争 で 210万 余 り の 戦 死 者 が で た 。 こ う し た 悲 惨 な 戦 争 を 繰 り返 して は な ら な い と し て 、1816年6月14日 ロ ン ド ン に 発 足 し た の が 「恒 久 的 世 界 平 和 促 進 協 会 」(TheSocietyforthePromotionofPermanentandUniversal Peace、 通 称ThePeaceSociety「 平 和 協 会 」)で あ る 。 平 和 協 会 は 「戦 争 は キ リ ス トの 精 神 と 人 類 の 本 当 の 利 益 と 矛 盾 す る も の で あ る 」(War is inconsistent  with  the spirit of Christianity  and  the true interest  of mankind)を 信 条 と し て い た 。 メ ンバ ー は み な イ ギ リ ス 社 会 の 中 産 階 級 で 、 チ ャ ー テ ィ ス トの ジ ョ ウ ジ フ ・ス タ ー ジ も そ の 一 員 で あ っ た 。1822 年 に 機 関 紙The Herald of Peaceを 刊 行 、1843か ら53年 に か け て は 一 連 の 万 国 平 和 会 議 の 開 催 に 尽 力 し て い た 。1870年 普 仏 戦 争 が 勃 発 す る と 平 和 協 会 は イ ギ リ ス 政 府 の 中 立 主 義 を 支 持 す る と と も に 、 徴 兵 制 度 に 反 対 す

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る 活 動 も行 っ て い た 。

平和 協会 を支 える地方平和協 会 (Local Peace Association)

1870年 代 に な る と こ う し た 平 和 協 会 の 活 動 を 支 え よ う と す る 団 体 が イ ギ リ ス 各 地 に で き は じ め た 。 そ の 中 核 と な っ た の が1879年12月4日 、 プ リ シ ラ ・ペ ッ ク オ ー バ ー(PriscillaHannahPeckover)を 中 心 に し て 設 立 さ れ た 女 性 地 方 平 和 協 会(The  Women's  Loca1 Peace  Association)で あ る 。 そ の 基 本 的 な 立 場 は 「私 は 、 全 て の 戦 争 と 戦 争 の 準 備 は キ リ ス ト の 意 思 、 す な わ ち"あ な た の 敵 を 愛 し な さ い"、"あ な た を 憎 む 者 に 親 切 に し な さ い"と 説 い た そ れ に 反 す る も の だ と 思 い ま す 。 そ し て 私 は 平 和 主 義 を 促 進 す る 取 り組 み に 尽 力 し た い と 思 っ て い ま す 」(Ibelieveall war, and the preparation  for war, to be contrary  to the mind  of Christ, who

says: "Love  your  enemies,"  "Do  good  to them  that hate you";  and am

2 Official Report of the Fifth Universal Peace Congress held at Chicago, United States of America, August 14 to 20, 1893, The American Peace Society, Boston, pp.58 — 59.

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4雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる人 々

desirous  to do what  1 am  to further the cause  of Peace.)と の 「宣 言 」 に 集 約 さ れ て い た 。

そ の 後 、 女 性 地 方 平 和 協 会 は イ ギ リ ス 各 地 に 組 織 さ れ た 平 和 協 会 と も 連 絡 を は か り、1881年 に は 男 性 の 組 織 で あ る 労 働 者 平 和 協 会(Workmen's Peace  Association)と 合 同 し 、 「ウ ィ ズ ビ ー チ 地 方 平 和 協 会 」(Wisbech LocalPeaceAssociation)と 改 称 し た 。

労 働 者 平 和 協 会 と合 同 し た こ と に 伴 い 新 た に3つ の 活 動 目 的 が 加 え ら れ た 。 そ の 筆 頭 が 「1.す べ て の 国 際 紛 争 を 仲 裁 に よ っ て 解 決 す る こ と 、 そ し て そ の 仲 裁 を 目 的 と し た 国 際 高 等 裁 判 所 の 設 立 を 提 言 し ま す 。」(1. To  advocate  the settlement  of a11 lnternational  disputes  by Arbitration andtheestablishmentofaHighCourtofNationsforthatpurpose.)と い う 「仲 裁 」と い う 手 段 に よ る 平 和 活 動 宣 言 で あ っ た 。 こ こ に お い て ウ ィ ズ ビ ー チ 地 方 平 和 協 会 は 、 単 に キ リ ス ト者 と し て の 信 条 に も とつ く 平 和 活 動 か ら 「仲 裁 」 と い う 手 段 に 裏 付 け ら れ た 国 際 高 等 裁 判 所 の 設 立 と い う 具 体 的 な 活 動 目 的 を獲 得 す る に い た っ た 。 そ し て そ の 取 り組 み は 、 逐 次 、 機 関 誌Peace  and goodwillを 通 し て イ ギ リ ス 各 地 は も と よ り、 地 方 平 和 協 3 会 と連 携 す る 欧 米各 地 の 平 和 団体 に発 信 さ れ て い っ た 。 「平 和 と仲 裁 」一 仲 裁 裁 判 とい う方 法 地 方 平 和 協 会 の 活 動 目的 に常 設 的 な 「国 際 高 等 裁 判 所 」 や 「仲 裁 裁 判 所 」 の 設 置 とい う具 体 的 な課 題 が 掲 げ られ た の に は根 拠 が あ っ た 。 そ れ は1870年 代 以 降 の 欧 米 に あ っ て 、 二 国 間 の 紛 争 を処 理 す る に は 戦 争 とい う実 力 行 使 に で るの で は な く、 第 三 者 を 間 に立 て た 裁 判 で裁 定 す る こ と が 最 も理 想 的 で あ る と考 え られ る よ うに な っ た こ と に よ る 。 そ の 模 範 的 裁 判 とみ な され た の が 、 南 北 戦 争 時 の イ ギ リ ス の 中 立 義 務 違 反 を 問 う た ア ラ バ マ 号 事 件 裁 判(1874年 判 決)で あ った 。 こ の 裁 判 は 、 当事 国 の ア メ リ カ、 イ ギ リス か ら各 一 名 、 イ タ リ ア、 ス イ ス 、 ブ ラ ジ ル の 元 首 が 各 一 名 の 裁 判 官 を指 名 し、 ス イ ス の ジ ュ ネー ブ に 開 か れ た。 裁 判 長 は イ タ リ ア選 任 の 裁 判 官 、 法 廷 は第 三 国 の 国 民 を 中 心 に構 成 さ れ 、 彼 ら主 導 の も と に厳 正 な 書 面 審 査 と 口頭 審 理 が 進 め られ 3ウ ィ ズ ビ ー チ 地 方 平 和 協 会 の 発 足 経 緯 に つ い て はPeaceand  goodwill第1号 (1882年4月)に よ る 。

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た 。 判 決 は 四対 一 で イ ギ リス の 中 立 義 務 違 反 を認 定 し、 賠 償 金 の 支 払 い を命 じ る も の で 、 イ ギ リス も こ れ を 受 諾 す る と い う もの で あ っ た 。 こ れ 以 降 、 この 裁 判 は そ の 後 の 国 際 仲 裁 裁 判 の モ デ ル と 目 され る よ う に な り、 仲 裁 裁 判 を義 務 化 す る た め の裁 判 条 約 が 数 多 く締 結 され る契 機 と な っ た 。1875年(判 決 の 翌 年)に は万 国 国 際 法 学 会 が 発 足 し、 同 学 会 は1877年 の 決 議 にお い て 、 通 常 の 条 約 の な か に も 「そ の 条 約 の解 釈 お よ び適 用 に 関す る紛 争 」 を仲 裁 裁 判 に 付 す る た め の規 定 、 い わ ゆ る裁 判 条 項 を設 け るべ きだ と勧 告 す る に い た っ た 。 し か し、 仲 裁 裁 判 は そ の都 度 、 両 国 の 仲 裁 協 定 に よ っ て 具 体 的 な 法 廷 を 設 置 しな け れ ば な らず 、 法 廷 の 構 成 等 を め ぐっ て 両 国 の 意 見 の 一 致 が え られ な い と き は、 た と え条 約 上 4 の義 務 が あ っ て も裁 判 は 実 現 しな い とい う問 題 が あ った 。 こ こ に地 方 平和 協 会 が そ の 活 動 目 的 と して 常 設 的 な 「国 際 高 等 裁 判 所 」 「仲 裁 裁 判 所 」 の 設 置 を 求 め よ う と した ゆ え ん が あ っ た 。 仲 裁 裁 判 を義 務 づ け た 多 国 間 条 約 を 制 定 し、 互 い に加 盟 す る こ とで 紛 争 処 理 に向 け た 国 際 的 秩 序 を樹 立 し よ う と し た の で あ る 。 そ の 「実 現 」 は1899年 ハー グ に 開 か れ た万 国 平 和 会 議 まで 待 た ね ば な ら な か っ た が 、 イ ギ リス や ア メ リ カの 平 和 協 会 や 平 和 団 体 は、 と もに こ の 「仲 裁 裁 判 」 体 制(「 平 和 と 仲 裁 」Peace and Arbitration)と もい え る新 た な 国 際 秩 序 の樹 立 をめ ざ し、 各 種 平 和 会 議 を積 み重 ね て い く こ と に な っ た 。 そ う した平 和 運 動 の 波 が ウ ィ リ ア ム ・ジ ョー ンズ の 来 日 と と も に 日本 に も到 来 す る の で あ る。 2ウ ィ リア ム ・ジ ョー ンズ の来 日 と 日本 平 和 会 の 発 足 英 文 史 料 に よ る新 た な解 釈 ウ ィ リ ア ム ・ジ ョー ンズ の 平 和 活 動 と来 日 ウ ィ リ ア ム ・ジ ョ ー ン ズ(WilliamJones、1826∼1899年)は ウ エ ー ル ズ に 生 ま れ た 熱 心 な ク エ ー カ ー で あ っ た 。 英 語 は も と よ り、 フ ラ ン ス 語 、 イ タ リ ア 語 、 ド イ ツ 語 に 精 通 し て い た 。1870年 、 普 仏 戦 争 が 勃 発 す る と ジ ョー ン ズ は ロ ン ド ン の フ レ ン ド派(The  Society of Friends)に よ る フ ラ ン ス へ の 救 援 物 資 搬 送 員 に 任 命 さ れ 、 食 糧 や 生 活 物 資 の 搬 送 と と も に フ ラ ン ス 国 内 の 戦 場 を 視 察 す る こ と と な っ た 。 そ の 詳 細 な 見 聞 記 は 後 に

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6    雑 誌 『平 和 』 を め ぐる人 々

彼 の 自 叙 伝Quaker  Campaigns  in Peace  and  War(London,  Headley Brothers,1899)に ま と め ら れ 、 そ の 一 部(75ペ ー ジ か ら186 ペ ー ジ)は 第 一 次 世 界 大 戦 が 勃 発 し た1914年 、 ロ ン ド ン の 平 和 協 会 に よ っ てRe〃ainiscences  of the Franco-German  War  of 1870

(Peace  Society,  London,1914)

写真1

と し て 復 刻 さ れ 、 広 く読 ま れ た(写 真1参 照)。1881年 に は 平 和 協 会 の 会 員 勧 誘 員(Collector)と な り 、1885年 か ら1888年 に か け て は 平 和 協 会 の 書 記(Peace  Society  Secretary)と し て 活 躍 し 、 ウ ィ ズ ビ ー チ 地 方 平

      ら 和 協 会 の 会 合 に もた び た び参 加 し て い た 。   平 和 協 会 書 記 時 代 の1887年 、 ジ ョー ンズ は初 め て ア メ リカ を訪 問 して い る。9月23日 ク リ ー ブ ラ ン ド大 統 領 に面 会 し、 英 米 間 に 「仲 裁 条 約 」 を締 結 す る こ と と仲 裁 を 目的 と し た 国 際 高 等 裁 判 所 を設 立 す る こ と の 意 義 を 説 い て い た(11月1日 に は 大 統 領 と2回 目 の 会 談 を も っ て い た)。 そ の 後 ジ ョー ン ズ は イ ン デ ィ ア ナ 州 リ ッチ モ ン ドに 開 催 され た ア メ リ カ ・フ レ ン ド派 の 年 会 に 出 席 し、 年 会 後 に 開 催 さ れ た 平 和 会 議 に お い て       6 英 米 間 の 恒 久 的 な 「仲 裁 条 約 」 の 締 結 を 促 す 報 告 を お こ な っ て い る 。   1888年 平 和 協 会 を 引 退 し た ジ ョ ー ン ズ は 、 同 年9月 キ ャ サ リ ン ・ウ ィ ル ソ ン と 再 婚 、10月 に は そ の 結 婚 旅 行 も か ね て 「平 和 と 仲 裁 」 運 動 を 推 進 す る た め 世 界 一 周 旅 行 に で た 。 同 年11月 オ ー ス トラ リ ア の メ ル ボ ル ン で 開 催 さ れ た 第1回 フ レ ン ド派 植 民 地 間 会 議(The  First Intercolonial Conference  of"Friends"in  Australia)に 参 加 し 、 そ の 後 オ ー ス ト ラ リ ア 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ドの 主 要 都 市 で 平 和 協 会 の 活 動 を 訴 え て い る 。 そ の 後 中 国 と 日 本 を め ざ し た ジ ョー ン ズ は1889年7月10日   天 津 に て 李 鴻 章 と 面 会 し 、 イ ギ リ ス や ア メ リ カ で 進 め ら れ て い る 仲 裁 条 約 の 締 結 と仲 裁 裁 判 所 の 設 立 に つ い て 説 き 、 理 解 を 求 め た 。 そ の 模 様 は 彼 の 自 叙 伝

5   Paul  Laity,  The  British  Peace  Movement  1870‐1914,  Claredon  Press,  Oxford,2001 , p.115.な お 、 勝 本 清 一 郎 に よ れ ば ジ ョ ー ン ズ の 平 和 協 会 書 記 時 代 は1883か ら1888 年 ま で と あ る(『 透 谷 全 集 』 第3巻 、693ペ ー ジ)。

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Quaker  Campaigns  in Peace and Warに 詳 し い 。 そ の 後 ジ ョ ー ン ズ 夫 妻 は い っ た ん 上 海 に 戻 り、 日本 行 き の 船 に 乗 り か え 、 夏 真 っ 盛 り の 神 戸 に 上 陸 、 そ し て 汽 車 で 東 京 へ 向 か っ た 。 ジ ョ ー ン ズ の 来 日 は イ ギ リ ス 聖 書 協 会 の 職 員 ジ ョ ー ジ ・ ブ レ ス ウ ェ イ ト (GeorgeBraithwaite)の 招 き に よ る も の で あ っ た 。8月5日 東 京 に 着 い て い る 。12日 フ レ ン ド教 会 の 宣 教 師 ジ ョ セ ブ ・コ サ ン ド(JosephCosand) と と も に 条 約 改 正 交 渉 の 最 中 に あ っ た 大 隈 重 信 外 相 を 訪 問 し 、 仲 裁 条 約 の 意 義 を 説 い た 。 黒 田 清 隆 首 相 と は 面 会 で き な か っ た が 、 榎 本 武 揚 文 部   大 臣 と も対 面 し て い て い る。 大 隈 と榎 本 と面 会 した こ との 記 録 は、 先 の ク リー ブ ラ ン ド大 統 領 、 李 鴻 章 た ち の サ イ ンや 印 章 と と も に、 ジ ョー ン 8 ズ が 持 参 し た 署 名 簿 に 残 さ れ て い る 。 そ し て8月19日 、 東 京 の 明 治 会 堂 (厚 生 館)に て 日 本 で 最 初 と い わ れ る 「平 和 講 演 」 を お こ な っ た 。 そ の 速 報 は 『基 督 教 新 聞 』 第318、319号 に 掲 載 さ れ た 。 講 演 前 、 ジ ョ ー ン ズ 夫 妻 は ブ レ ス ウ ェ イ ト と も に 江 ノ 島 に 舟 遊 び に 出 か け 、8月22日 日 本 を 離 れ た 。 そ し て1889年9月 ア メ リ カ を 再 訪 し 、 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア で ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トの 義 兄 ウ イ リ ス ・ホ イ ッ ト ニ ー(Dr,Willis NortonWhitney)と 面 会 し て い る 。

も と よ り ジ ョ ー ン ズ の 自叙 伝Quakey  Campaigns  in Peace and  Wayの 訪 日 記 事 に は 日付 が 記 載 さ れ て い な い 。 こ こ に 記 し た 日付 は つ ぎ に み る ジ ョー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ ト書 簡 と ジ ョ ー ン ズ に よ る 通 信 文 か ら 補 っ た も の で あ る 。 以 下 、 こ の ブ レ ス ウ ェ イ ト書 簡 と ジ ョー ン ズ に よ る 通 信 文 を 対 比 し な が ら 、 つ ぶ さ に 検 討 し て み よ う 。 ウ ィ リア ム ・ジ ョー ン ズ の 来 日 と平 和 活 動 一 英 文 史 料 に よ る新 事 実 近 年 、 ジ ョー ジ ・ブ レス ウ ェ イ ト資 料 に 関 す る研 究 が 急 速 に 進 ん で き た 。 そ の 先 駆 け は 黒 木 章 に よ る一 連 の 資 料 紹 介 と翻 刻 で あ り、 尾 西 康 充

7 Ibid., Chapter XVIII — XXII. 8 Ibid., pp.84 — 85.

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8雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる 人 々 0 の 研 究 も 新 た な 水 準 を 示 し て い る 。 い ず れ も ロ ン ド ン の ク エー カー ・ラ イ ブ ラ リ ー が 保 管 す る ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ エ イ ト資 料 を 紹 介 す る も の で 、 と り わ け 黒 木 の 研 究 は ジ ョー ジ ・ブ レ ス ウ エ イ ト資 料 を 英 文 の ま ま 翻 刻 し て 紹 介 し て お り、 ジ ョー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トに 連 な る 人 々 の 他 の 記 録 と の 対 比 や 参 照 を 可 能 と し た 点 で 画 期 的 な 研 究 と い え る 。 そ こ で 以 下 で は 黒 木 章 が 翻 刻 ・紹 介 し た ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ ト書 簡 と ウ イ リ ァ ム ・ジ ョ ー ン ズ の 報 告 書 を 対 比 さ せ 、 ウ ィ リ ア ム ・ジ ョ ー ン ズ の 日 本 に お け る 活 動 の 意 義 を 再 検 討 す る こ と に し た い 。 ま ず は 史 料1「George Braithwaite書 簡 とWilliamJonesの 報 告 書 」 で あ る(本 稿 末 尾 「史 料 編 」 参 照 、 以 下 同 じ)。 こ れ は 、 ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トが 母 マ ー サ(Martha)に 宛 て た 1889年8月10日(土)付 書 簡 の う ち ウ ィ リ ア ム ・ジ ョ ー ン ズ の 東 京 で の 予 定 を 記 し た 個 所 とTheFyiends(1889年10月1日 号)に 掲 載 さ れ た ウ ィ リ ア ム ・ジ ョ ー ン ズ の 報 告 書 「ExtractsfromletterbyWilliamJones」 (1889年9月9日 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ で 投 函 さ れ た も の)か ら 抜 粋 し 、 対 比 し た も の で あ る 。 あ わ せ て 史 料2「1889年8月21日 付 妹Kittie宛 て ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ ト書 簡 」 も 引 用 し て お こ う 。 史 料1と 史 料2を も と に1889年8月 の ジ ョ ー ン ズ の 行 動 を 図 解 す る と 以 下 の よ う に な る 。

9黒 木 章 「透 谷 がGeorgeBraithwaiteに 雇 わ れ た 経 緯 とWilliam  Jonesの 平 和 講 演 会 の こ と一GeorgeBraithwaite資 料 の 翻 刻 と紹 介1-」(『 聖 学 院 大 学 論 叢 』 第16巻 第 1号 、2003年)、 同 「1887年 夏 ジ ョー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トの 東 北 地 方 旅 行 日記 一 George  Braithwaite資 料 の 翻 刻 と紹 介H-」(「 キ リ ス ト教 と 諸 学 」 第20号 、2005年)、 同 「1887年 ジ ョ0ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トの 九 州 ・中 国 地 方 旅 行 日 記 一George Braithwaite資 料 の 翻 刻 と 紹 介 皿 一 」(『 聖 学 院 大 学 論 叢 』 第17巻 第3号 、2005年)。 尾 西 康 充 「北 村 透 谷 とG・ ブ レ ス ウ エ イ トー ロ ン ド ン ・ク エ ー カ ー 図 書 館 所 蔵 資 料 か ら一 」(北 村 透 谷 研 究 会 編 『北 村 透 谷 と は 何 か 』 笠 間 書 院 、2004年)。

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図2  1889年8月 William  Jonesの 行 動   史 料1の 読 み ど こ ろ は 「仲 裁 」(Arbitration)と 「宣 言 」(Declaration) と い う 二 つ の キ ー ワ ー ドに あ る 。 こ の2語 に 着 目 す る と ま ず は8月12日 (月)午 前10時 、 ジ ョ ー ン ズ が コ サ ン ド と と も に 大 隈 重 信 外 相 と 面 会 し 、 「平 和 と 仲 裁 」 運 動 へ の 取 り組 み を 語 っ た こ と 、 そ し て 同 日 の 夕 刻 、 麹 町 で の 集 会 に 赴 き 、 そ こ で も 「仲 裁 」 に つ い て 講 演 し た こ と が わ か る 。 参 加 者 は お よ そ80名 、 そ の う ち28名 が 「地 方 平 和 協 会 の 宣 言 」 に 署 名 し た と 、 ジ ョー ン ズ は 記 し て い る(史 料1の ⑤'下 線 部 参 照)。   つ い で8月19日(月)ジ ョ ー ン ズ は 明 治 会 堂 で 平 和 活 動 に 関 す る 演 説 を 行 っ て い る 。 参 加 者 は500名 を 越 え 、 そ し て 聴 衆 の う ち 数 名 が 、 演 説 終 了 後 、 「平 和 協 会 の 宣 言 」 に 署 名 を し た と い う  (afew  of whom  signed the Declaration  of the Peace Association  at the close)o

  ち な み に 、 ジ ョ ー ン ズ の 報 告 書 に で て く るThe  Daily Mailと は 、 東 京 で 発 行 さ れ て い た 日 刊 英 字 新 聞The  Japan  Daily  Mailの こ と で あ ろ う 。 東 京 大 学 近 代 日 本 法 政 史 料 セ ン タ ー   (明 治 新 聞 雑 誌 文 庫)に は 、1889 年1月5日(1774号)か ら 同 年6月27日(1911号)ま で の 同 紙 が 所 蔵 さ れ て い る 。 だ が 、 ま こ と に 残 念 な こ と に 、 ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トが 二 度 に わ た っ て 書 き 送 っ た と 思 わ れ る ジ ョー ン ズ 関 係 記 事 掲 載 号 は 現 存 し て い な い 。   で は ジ ョ ー ン ズ 報 告 書 に 出 て く る 「宣 言 」(Declaration)と は い っ た い 何 な の だ ろ う か?  さ ら に 別 の 史 料 で 検 討 し て み よ う 。

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10  雑誌 『平 和 』 を め ぐる人 々 「宣 言 」(Dedaration) と 「日本平和 会入 会簿」 既 存 の 研 究 か らこ の 「宣 言 」 に 相 当 す る もの とみ なす こ とが で きる も の の 一 つ が 、 史 料3に 示 した(切 り取 り式)「 日本 平 和 会 入 会 簿 」 で あ 10 る 。 た だ し、 引 用 に 際 し て 同 「入 会 簿 」 の 形 体(9.3cm×21.4cm)が わ か る よ うに 枠 をつ け て み た。 この 史 料 は 勝 本 清 一 郎 が 編 集 し た 『透 谷 全 集 』 第3巻 に 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 と して 掲 載 され て い た もの で 、 勝 本 は そ の 「解 題 」で 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 につ い て 以 下 の よ う に解 説 して い る。 活 版 刷 入 会 票 廿 五 枚 綴 一 冊 。9.3cm×21.4cm、 紙 装 横 綴 。 日本 平 和 会 の 唯 一 人 の 生存 者 ・フ レ ン ド会 員 石 塚 伊 吉 が 未 使 用 の ま ま保 存 した も の。 恐 ら く世 界 の 弧 本 で あ ろ う。 入 会 票 廿 五 枚 の う ち 四枚 だ け は 石 塚 が 生 前 に切 り取 っ た の で 、 現 存 は 廿一 枚 で あ る 。(中 略)「 な ん ぢ 悪 かた それ に勝 る ・勿 れ … … 」 と 「夫 わ れ らが 戦 の 器 は … … 」 は 表 紙 の 裏(表 紙 の 二)に 印刷 して あ る 語 句 で あ る。 前 者 は ロ ー マ 人 へ の手 紙12・21、 後 者 は コ リ ン ト人 へ の 第 二 の 手 紙10・4であ る。 「日本 平 和 会 入 会 票 … …」 以 下 は 切 り取 る よ う に な っ て い る 入 会 票 の 本 紙 に 、 〔控 へ 用 〕と こ とわ り書 き した 部 分 は控 え 用 に残 す 紙 片 に、 そ れ ぞ れ 印 刷 して あ る 。 入 会 あだ 票 の 語 句 の うち 「汝 の 敵 を … … 誼 ふ べ か らず 」 はや は り聖 書 か らの引 用 で あ る が 、 文 字 通 りの 引 用 で は な く、 次 の三 ヵ所 の語 句 が 入 り交 っ にくむもの よ く のろふもの て い る。 ル カ に よる福 音 書6・2728「 其 仇 を愛 し爾 曹 を憎 者 を善 し誼 者 なやむるもの を祝 し虐 遇 者 の 為 に祈 祷 せ よ 」、 ロー マ 人へ の 手 紙12・14「 爾 曹 を害 ふ 者 を祝 し之 を祝 して 誼 ふ べ か らず 」、 マ タ イ に よ る福 音 書5・44「爾 曹 の あ だ いつくし の ろ しゅく よ く な や め せ む る 敵 を愛 み 爾 曹 を誼 ふ 者 を祝 し爾 曹 を憎 む 者 を 善 視 し虐 遇 迫 害 もの ・為 に祈 祷 せ よ」。表 紙 の 裏 の引 用 句 と合 せ て こ れ ら の語 句 は 、 日本 平 和 会 の 創 立 当 初 の 宗 教 的 平 和 主 義 思 想 の 拠 り ど こ ろ を示 した もの で あ る 。 厳 密 に 言 え ば こ れ らの 語 句 は 個 人 生 活 に お け る平 和 の 倫 理 を説 い た も の で 、 国 際 的 平 和 を 説 い た も の は一 つ も な い 。 こ れ らか ら い き な り 「凡 て の 戦 争 は 主 基 督 の精 神 に背 く」 とい う戦 争 否 定 の 結 論 へ 行 くこ と に は 一 つ の飛 躍 が あ る 。 ま た の ち に機 関 誌 「平 和 」 創 刊 に 際 して 透 谷 が 書 い た 「『平 和 』 発 行 之 辞(こ とば)」(第 一 巻 二八 〇 頁)に は仏 教 10勝 本 清 一 郎 編 『透 谷 全 集 』 第3巻 、395∼398ペ ー ジ 、 岩 波 書 店 。

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や 儒 教 との 超 宗 派 的 提 携 の希 望 が 示 され て あ る。 こ れ に は そ れ が 無 い。 こ の 入 会 簿 の 制 定 は加 藤 萬 治(か ず は る)の 手 に 成 っ た もの で あ ろ う。 次 の 「入 会 簿 取 扱 二 関 ス ル 心得 」 は裏 表 紙 の裏(表 紙 の 三)に 、 「日本 平 和 会 規 則 」 は裏 表 紙 の 表(表 紙 の 四)に 、 印 刷 され て あ る 。 後 者 は の ち に 「平 和 」 の 第 十 一 、 十 二 号 に も掲 載 さ れ た 。 文 字 の 異 同 は ニ カ 所 で 、 〔 〕 に か こ んで 示 した もの が そ れ 。 且 つ 末 尾 に小 活 字 で 「本 会 本 部 ヲ仮 二 赤 坂 氷 川 町 二 十 番 地 内 二 置 キ事 務 ヲ掌 理 ス 」 とい う 附記 が 加 え られ た 。氷 川 町 は加 藤 萬 治 の住 い で あ っ た 。 「心 得 」 も 「規 則 」 も 書 記 で あ る加 藤 萬 治 一 人 を 中心 に した構 造 に で きて い る 。 入 会 簿 の 制 ユユ 定 者 を加 藤 萬 治 とす る推 定 に 照 応 す る 。(下 線 は坂 口 、 以 下 同 じ) そ して 勝 本 は 平 和 協 会 英 国 平 和 協 会 員 ウヰ ル ヤ ム ・ジ ョ ンス 氏 が 英 国 平 和 会 の 目的 を齎 ら して我 国 に渡 来 し、一 場 の演 説 を な せ し こ とは 、 当 時 の 紙 上 に其 事 を記 し、 且 氏 が 演 説 筆 記 を も訳 載 した る こ と な るが 、 爾 来都 下 の 有 志 者 に して 専 ら此 事 の た め に尽 力 せ らる ・人 出 来 り、 巳 に会 則 を頒 ち盛 ん に 同志 を募 集 す る の 運 に至 りた り と云 ふ (『基 督 教 新 聞 』第331号 、1889年11月29日) とい う 『基 督 教 新 聞 』 の 記 事 を示 し、 「こ の 平 和 協 会 が 日本 平 和 会 で あ る 。 従 っ て 日本 平 和 会 の創 立 は 一 八 入 九 年 十 一 月 で あ る 。 透 谷 も石 塚 伊 12 吉 も そ の 創 立 に 際 して の有 志 者 の 一 人 で 、 透 谷 は の ち に委 員 に な っ た 」 と述 べ て い た 。 そ し て こ の 見 解 が 「日本 平 和 会 」 の 創 立 年 月 に 関 す る定 説 と して 認 知 さ れ て い る とい っ て い い だ ろ う。 しか し海 外 に は も う一 つ の 「宣 言 」(Decalaration)が あ っ た 。 そ れ が ユ3 史 料4、 史 料5に 示 し た2種 類 の 「宣 言 」(Declaration)で あ る 。 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 と対 比 し や す い よ う に 枠 で 囲 っ て み た 。 史 料4、 史 料5は い ず れ も イ ギ リ ス の 地 方 平 和 協 会 の 宣 言 書 名 簿 (DECLARATIONBOOKS)と 呼 ば れ る も の の 模 式 図 で 、Peaceand goodwill(No.1,1882年4月,12ペ ー ジ の 広 告)に よ れ ば 、25枚 、50枚 、 11勝 本 清 一 郎 編 『透 谷 全 集 』 第3巻(岩 波 書 店 、1955年)、700∼701ペ ー ジ 。 12同 前 、702ペ ー ジ 。

13 Swarthmore College Peace Collection (DG 42)

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IZ  雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる 人 々

100枚 綴 りの3種 類 が あ り、 い

ず れ も横 長 で 小 切 手 帳 の 形 態 を

と っ て い た(写 真2参 照)。

写 真2

DECLARATION BOOKS for

Local Peace Associations always in stock as cheque books, con-taining 25, 50, or 100 cheques; the largest 1s 10d. each.

(Peace  andgoodwill,  No.1,1882年4月,12ペ ー ジ 広 告)         (注)1s=1shilling、   10d=10  pence   史 料4と して掲 げ た 「宣 言 」 は 、1879年 に 発 足 した女 性 地 方 平 和 協 会 の そ れ で あ る。 一 見 して そ の 形 体 な らび に文 言 が 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 と類 似 して い る こ とに 気 づ くはず で あ る 。 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 そ の も の は イギ リ ス の 地 方 平 和 協 会 のDECLARATION  BOOKSを 翻 案 して 作 ら れ た の で は な い だ ろ うか 。 と な れ ば 「日本 平 和 会 入 会 票 」 に記 され た 聖 句 も 日本 平 和 会 の メ ンバ ー(勝 本 は加 藤 万 治 を想 定 し て い た よ うだ が) に よ っ て 選 定 され 日本 平 和 会 独 自 の 活 動 信 条 と さ れ た と み なす よ り も、 イ ギ リ ス の 地 方 平 和 協 会 、 と りわ けペ ック オ ー バ ー を 中 心 と して 組 織 さ れ た 女 性 地 方 平 和 協 会 の 「宣 言 」 を翻 訳 した もの とみ た ほ う が い い 。 準 拠 した 手 本 が 史 料5と して 掲 げ た1881年 以 降 の もの で あ っ た な ら 「仲 裁 を 目的 と した 国 際 高 等 裁 判 所 の 設 立 」 とい う国 際 平 和 に む け た 具 体 的 な 文 言 が 日本 の 「入 会 票 」 に も盛 り込 ま れ た こ と だ ろ う。   と も あ れ 、 勝 本 が 比 定 した よ う に 「日本 平 和 会 入 会 簿 」 が 作 られ た の は 『基 督 教 新 聞 』 に 「已 に会 則 を頒 ち」 との 記 事 が 載 っ た1889年ll月 の こ とで あ ろ う。 そ うで あ る な らば ウ ィ リア ム ・ジ ョー ン ズ が 同 年8月 の 講 演 で 提 示 した 「宣 言 」 書 とは 、 彼 が イ ギ リ ス か ら持 参 した 地 方 平 和 協 会 の そ れ だ っ た に ち が い な い。 日 本 に お け る 「平 和 協 会 」(Local  Peace Association)の 発 足 「宣 言 」(Declaration)へ の 署 名 を も っ て 「地 方 平 和 協 会 」 発 足 の 起

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点 とみ なす な ら ば、 日本 にお け る そ れ は1889年8月12日 と19日 に始 まっ た とい わ ね ば な らな い 。 か つ て イ ギ リス 平 和 協 会 の コ レ ク ター(会 員勧 誘 員)だ っ た ジ ョー ンズ は、 イ ギ リス の 「地 方 平 和 協 会 」 の 会 員 勧 誘 方 式 を使 い 、12日 と19日 そ れ ぞ れ の 講 演 終 了 後 、 自 ら 日本 人 賛 同者 に 対 し て 「地 方 平 和 協 会 」 へ の 入 会 「宣 言 」 書 に署 名 を求 め た の で あ る。 そ の 際 用 い られ た 「宣 言 」 書 は 、 ジ ョー ンズ が 持 参 した英 語 版 の そ れ で あ っ た に ちが い な い。 小 切 手 式 の 「宣 言 」 書 に残 され た 日本 人 署 名 数 は 、8 月12日 に28名 、19日 に は そ れ よ り も少 な か っ た の で 数 名 と報 告 され た の だ ろ う。 そ し て こ の 「宣 言 」 書 は 、 ジ ョー ンズ の 帰 国 と と も に イ ギ リス のWisbech地 方 平 和 協 会 す な わ ち ペ ック オ ー バ ー の も とに届 け られ た に ち が い な い 。 こ う した 「宣 言 」 書 の 入 会 方 式 と取 り ま とめ 方 を 認 識 して い た か ら こ そ 、 ブ レス ウ ェ イ トは ジ ョー ンズ の 「平 和 講 演 」 とそ れ を契 機 と した 日本 人 に よ る 「宣 言 」 へ の 署 名 を も って 「日本 に地 方 平和 協 会 が 組 織 され ま した 」(史 料2、1889年8月21日 付 ブ レ ス ウ ェ イ ト書 簡) と妹 の キ テ ィ に 書 き 送 っ た の で あ る。 そ して1889年11月22日 付 で は 母 マ ー サ に宛 て つ ぎの よ う に伝 え て い た 。 お 母 さ ん も当 地 で 平 和 会 が 結 成 さ れ た こ と に興 味 が あ る で し ょ う。 レイ チ ェ ル た ち も関心 が あ る とい うの で 英 語 と 日本 語 で記 され た規 約 の コ ピー を 送 っ た と こ ろ です 。 平 和 会 が 創 設 され た の は ウ ィ リ ア ム ・ ジ ョー ンズ が 最 近 訪 れ た こ との 成 果 の 一 つ です 。 ま だ会 員 は わ ず か で す が 、 次 第 に増 え る で し ょ う。 私 は 辞 退 した の で す が 書 記 に任 命 され 14 て し ま い ま し た 。 1889年11月 中 旬 ま で に は 日 本 語 の 規 約 や 組 織 体 制 が 整 い だ し て い た こ と が 確 認 で き る 。 筆 ま め な ブ レ ス ウ ェ イ トの こ と で あ る 、 同 じ 頃 、 彼 は ペ ッ ク オ ー バ ー に も 近 況 を 知 ら せ て い た に ち が い な い 。1891年5月20日 に 開 催 さ れ た 「地 方 平 和 協 会 提 携 団 体 」(LocalPeaceAssociation Auxiliary)の 年 会 に お い て 、 オ ー ス ト ラ リ ア や ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド と と も に 日 本 に も 「通 信 員 」 が い る と の 報 告 が な さ て い た(史 料6Peace and goodwill,Vo1.3No.6,1891年7月15日,82ペ ー ジ)。 こ こ に い う 「通 14前 掲 、 尾 西 康 充 「北 村 透 谷 とG・ ブ レス ウ エ イ トー ロ ン ド ン ・ク エ ー カ ー 図 書 館 所 蔵 資 料 か ら一 」240ペ ー ジ 。

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14  雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる人 々 信 員 」 と は、 「平 和 協 会 」 の 「書 記 」 に 任 命 さ れ た ジ ョー ジ ・ブ レス ウ ェ イ トそ の 人 の こ と で あ ろ う。   こ う して 日本 最 初 の 平 和 主 義 講 演 会 に よっ て 生 ま れ た 「地 方 平 和 協 会 」 は 、 日本 人独 自 の もの と して誕 生 し た とい う よ りは 、 イギ リス 各 地 に あ る 「平 和 協 会 」 と し っ か り結 び つ い た 、 日本 と い う地 方 の 「平 和 協 会 」 とい う認 識 の も とで発 足 した の で あ る 。   会 則 を定 め 、 「同志 を募 集 す る」 と の 記 事 を 「基 督 教 新 聞 」 に 公 表 し た 時 点 で の 名 称 は 「平 和 協 会 」 で あ っ た 。 日本 人 会 員 の 中心 は、 こ の 時 期 あ いつ い で フ レ ン ド派 の水 戸 伝 道 に 随 行 して い た 加 藤 万 治 と北 村 透 谷 だ っ た の だ ろ う。 目下 の と こ ろ、 い つ この 「平 和 協 会 」 が 「日本 平 和 会 」 と称 す る にい た っ た の か は わ か らな い 。 だが そ の 「同志 を募 集 す る 」 方 式=「 日本 平 和 会 入 会 簿 」 を比 較 す る 限 り、 彼 らが イ ギ リス の 「Local Peace Association」 の そ れ を翻 案 ・踏 襲 し て い た こ とは 明 らか で あ る 。 そ れ だ け に 日本 平 和 会 の 「平 和 」 に む け た活 動 理 念 、 さ ら に は雑 誌 『平 和 』で の編 集 方 針 を 考 察 す る に あ た っ て は、イ ギ リ ス の 「地 方 平 和 協 会」 とそ の 機 関誌Peace and goodwillか らの 影 響 、 さ ら に は 同 時 代 の平 和 運 動 に着 目す る こ とが 不 可 欠 と な っ て く る。 3  雑 誌 『平 和 』 の 発 行 と そ の論 説 ジ ョー ジ ・ブ レス ウ ェ イ トに よ る雑 誌 発 行 資 金 援 助 願 い   これ ま で の 研 究 に よれ ば 、1891年 秋 、 加 藤 万 治 が 『平 和 』 の 発 行 を発 議 し た と説 明 さ れ て きた 。 しか し欧 米 に 残 され た 史 料 に よ れ ば 、1891年 の 初 め 頃 に は ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トが 積 極 的 に 雑 誌 の 発 行 に か か わ り 、 そ れ に 伴 う 資 金 援 助 の 訴 え を 提 起 し て い た こ と が 明 ら か と な る 。 そ の 一 つ が 史 料7の 記 事 で あ る 。   こ れ はPeace  and goodwill第3巻 第5号(1891年4月15日)に 掲 載 写 真3

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さ れ た 「日本 に お け る 平 和 協 会 平 和 主 義 を 前 進 さ せ る 雑 誌 の 緊 要 性 」 (The  Peace  Society  in Japan:  Urgent  Need  for a Magazine  to Set Forth PeacePrinciples)と 題 す る 無 署 名 記 事 で あ る(写 真3)。 そ の 内 容 は 、 「平 和 協 会 」 の 活 動 は 飲 酒 を や め る よ う に と 個 々 人 の 内 面 に 働 き か け る 禁 酒 会 の そ れ と は 異 な り、 外 的 世 界 と の 闘 い で あ り 、 平 和 協 会 の 主 義 と 目 的 を 広 く 知 ら し め る た め に は 雑 誌 の 発 行 が 緊 要 ・不 可 欠 で あ る と し て 、 そ の 理 由8か 条 を 列 記 す る も の で あ る 。 記 事 そ の も の に は 雑 誌 発 行 資 金 の 援 助 を 願 う 直 接 的 な 記 述 は な い が 、 明 ら か に 資 金 援 助 へ の 賛 同 を も と め る 筆 致 で あ る 。 無 署 名 記 事 で は あ る が 、 ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ ト に よ る 通 信 文 の 一 節 だ と 考 え て い い だ ろ う 。 二 つ 目 は 史 料8に 掲 げ た 、 ジ ョ ー ジ ・ブ レ ス ウ ェ イ トが フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の 富 豪 ウ ィ ス タ ー ・モ リ ス に 宛 て 雑 誌 発 行 資 金 の 援 助 を 願 い 出 た 書 簡 を め ぐ る 一 連 の 議 事 録 で あ る 。 ウ ィ ス タ ー ・モ リ ス(Wistar Morris)と は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア ・フ レ ン ド外 国 伝 道 協 会 会 長 だ っ た メ ァ リ ・モ リ ス の 夫 で 、1890年3月 末 か ら4月 初 め に か け て 夫 婦 で 来 日 し て い た の で 、 ブ レ ス ウ ェ イ ト と も 面 識 が あ っ た 。 し か し ウ ィ ス タ ー ・モ リ ス は 日本 か ら ア メ リ カ に 帰 っ た 後 、 体 調 を 崩 し 、1891年3月23日 に 病 死 ユら し て い た 。 史 料8-1は 、 そ う した 事 情 を 知 ら な い ブ レ ス ウ ェ イ トが ウ ィ ス ター 宛 て に 送 っ た 資 金i援助 願 い の 手 紙 が 、1891年4月20日 に開 催 さ れ た フ レ ン ド ・フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 平 和 協 会(PhiladelphiaPeace AssociationofFriends)の 会 合 で 読 み 上 げ られ た こ と を示 す もの で あ る。 こ の 日、 フ レ ン ド ・フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 平 和 協 会 は 日本 に お け る 平和 雑 誌 の 創 刊 を 援 助 し よ う と して100ド ル の 支 出 を決 め て い る。 しか し実 際 に100ド ル の 送 金 と受 領 まで に は10ヶ 月 近 くか か っ た よ う で あ る 。1892年2月19日 の会 合 に お い て100ド ル 送 金 し た 旨 の 報 告 が あ り(史 料8-2)、 同 年4月12日 の 会 合 で 再 び ジ ョー ジ ・ブ レス ウ ェ イ ト か らの 手 紙 が 読 み 上 げ られ 、 ブ レス ウ ェ イ トが 平 和 雑 誌 発 行 援 助 金 の 100ド ル を受 領 した こ と、 雑 誌 発 行 が 遅 れ て い た が 、 第1号 が 印刷 され る とこ ろ まで きて い る こ とが 紹 介 さ れ て い る(史 料8-3)。 筆 まめ な ブ レス ウ ェ イ トは 、 こ の フ レン ド ・フ ィ ラデ ル フ ィ ア平 和 協 会 との や りと り につ い て もイ ギ リス に住 む 母 マ ー サ に知 らせ お り、 「最

15Friends'  Missionary  Advocate,VoL7No.5,1891年5月 号 に ウ ィ ス タ ー ・ モ リ ス の 死 亡 記 事 が あ る 。

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16雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる 人 々 近 の 郵 便 で 、 私 が 当 地 で 始 め よ う と して い る 「平 和 」 に 対 して フ ィ ラ デ ル フ ィ ア か ら100ド ル の 寄 付 が あ り、 先 に 受 け取 っ た もの と合 わ せ れ ば 16 3,000円 近 くに 上 り、 き わ め て 十 分 な額 に な っ た と思 い ま す 。」(1892年 2月25日 付 け 母 マ ー サ 宛 て 書 簡)と 書 き送 っ て い た。 フ ィ ラ デ ル フ ィア 以 外 か ら も相 当 額 の 寄 附 金 が あ っ た もの と思 わ れ る。 1889年11月 に 「平 和 協 会 」 と して の 名 乗 りをあ げ、 会 員 募 集 も本 格 化 させ たが 、 そ の 機 関 誌 『平 和 』 第1号 の 刊 行 は2年4ヶ 月 後 の1892年3 月15日 ま で ず れ こ ん で い た 。 そ の 理 由 と し て これ まで は 、 『平 和 』 の編 集 を担 当 して い た 加 藤 万 治 が 、 濃 尾 地 震 救 援 活 動 の た め1891年11月 か ら 翌 年5月 まで 岐 阜 県 に 出 向 い て い た こ と に よ り雑 誌 発 行 事 務 に 遅 延 が 生 じた もの と し、 加 藤 に代 わ っ て編 集 の 任 を 継 い だ 透 谷 が 主 筆 と な り 『平 17 和 』 の創 刊 に い た っ た 、 と さ れ て き た。 こ う した 説 明 は発 行 実 務 を担 う 人 的 要 因 に よ る もの と して 理 解 で き る。 だ が 、 同 時 に 雑 誌 発 行 資 金 の 問 題(た と え ば新 聞 紙 条 例 に も とつ く保 証 金 の 準 備 問 題 な ど)も あ っ た は ず で あ る 。 こ の 点 につ い て は今 後 さ らに深 め ね ば な ら な い 課 題 とい え よ う。 雑誌 『平和』 の論説 を読み直す こ れ ま で の 雑 誌 『平 和 』 の 研 究 と い え ば 、 『透 谷 全 集 』 全3巻 に収 録 さ れ た もの だ け で 語 られ て きた 。 透 谷 に と らわ れ ず に雑 誌 『平 和 』 の 全 体 を考 察 す る こ と、 そ の た め に は 『透 谷 全 集 』 に収 録 さ れ て い な い 『平 ユ8 和 』 の 論 説 は も ち ろ ん 、 雑 報 記 事 や 広 告 等 に も注 目 し な け れ ば な らな い 。 今 回 の 雑 誌 『平 和 』 の 復 刻 に伴 い 、 そ の 「総 目次 」 と 「索 引 」 が作 られ 19 た。 こ れ に よ っ て も透 谷 以 外 に 多 くの執 筆 者 が か か わ っ て い た こ とが 明 16前 掲 、 尾 西 康 充 「北 村 透 谷 とG・ ブ レス ウエ イ トー ロ ン ドン ・クエ ー カ ー 図書 館 所 蔵 資料 か ら一 」240ペ ー ジ。 17佐 々 木 敏 二 「明治 二 〇 年 代 の 平 和 運 動(一)一 日本 平 和 会 書 記 加 藤 万 治 小 論 」 (『キ リス ト教 社 会 問 題研 究 』 第30号 、1982年)。 18は や くか ら雑 誌 『平 和 』 の 書誌 的検 討 を加 え て い た のが 高 橋 正 幸 で あ る 。本 稿 も高 橋 正 幸 「日本 平 和 会 機 関誌 『平 和 』 に 関す る考 察 」(『桐 朋 学 園大 学 短期 大学 部 紀 要 』 第10号 、1992年)に 多 くを学 ん でい る。 19『 近 代 日本 「平 和 運動 」 資料 集 成 』 「解 題 ・総 目次 ・索 引」(不 二 出版 、2005年)。

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らか と な る 。 な か で も注 目 さ れ る の は 、 雑 誌 『平 和 』 の 「印 刷 人 」 で あ っ た 久 野 宗 熈 で あ る。 久 野 は 「く、 む/む 、 く/青 峰/白 菊 」 な ど複 数 の ペ ン ネ ー ム を用 い18点 の 記 事 を寄 せ て お り最 多 で あ る。 つ い で 論 説 数 の 多 い の が 河 路寛 堂 で6点 、 河 路(正 し くは川 路)は 「月 山 学 人 、 寛 堂 迂 夫 」 とい う筆 名 も用 い て い た 。 そ れ に次 ぐの が 渡 辺 精 一 の5点 で あ る。 また 、 「発 行 兼 編 集 人 」 で あ っ た加 藤 万 治 に よ る署 名 論 稿 が 『平 和 』 誌 上 にみ られ ない こ と も謎 の 一 つ で あ る。 北 村 透 谷 に 限 らず 無 署 名 記 事 を どの よ うに扱 う の か とい う点 につ い て は、 今 後 の 課 題 と した い 。 そ こで こ こで は 「平 和 と仲 裁 」 と い うキ ー ワ ー ドに着 目 して 雑 誌 『平 和0を 読 み 直 す 試 論 を示 して み た い 。 「平 和 と仲 裁 」 とい う語 句 に着 目 す る と、 河 路 寛 堂 「平 和 と戦 争 」(第3号 、 第5号)、 同 「中 裁 法The Arbitration」(第7号)、 白 雲 生 訳 「平 和 と仲 裁PeaceandArbitration」 (第5号)と い う 題 目 が 目 に 飛 び 込 ん で く る 。 さ ら に ウ ィ リ ア ム ・ ジ ョー ンズ の 講 演 筆 記 で あ る 「戦 場 の 実 歴 」(第1、2、4、6号)も 、 そ もそ も彼 の 世 界 旅 行 の 目 的 が 「仲 裁 条 約 」 の締 結 を 国 家 の 要 人 に訴 え る もの で あ っ た こ とか ら、 平 和 運 動 と して の仲 裁 裁 判 制 度 の 意 義 を語 る もの で あ っ た 。 こ こ で は宮 永 孝 の研 究 に依 拠 して 川 路 寛 堂 の 略 歴 を紹 介 して お きた い 。 川 路 寛 堂 は幕 臣 ・川 路 聖 誤 の 孫 で あ る。 幼 い と きか ら蘭 学 ・英 学 を 学 び 、 慶 応 二 年 幕 命 に よ りイ ギ リ ス に 留 学 した が 、 二 年 後 、 幕 府 倒 壊 に伴 い 帰 国、 明 治4年 岩 倉 使 節 団 に三 等 書 記 官 と して 随 行 し米 欧 を巡 歴 した 。 そ の 後 大 蔵 省 に 出仕 し たが 、 明 治10年 、 官 界 を退 い た 。 そ して 明 治18年 、 41歳 とな っ た 寛 堂 は す べ て を 放 棄 して 、芝 三 田 台 町 三 番 地 に 「月 山学 舎 」 とい う英 学 塾 を 開 い た 。 寛 堂 は慶 応 義 塾 の福 沢 諭 吉 とは 旧 知 で あ り、 同 義 塾 に入 学 しよ う とす る学 生 の 英 語 準 備 に な る と こ ろ か ら、 三 田 に この 私 塾 を 開 い た もの ら し い。 後 年 、 詩 人 ・美 術 評 論 家 と して 一 家 を な す 一 子 の 川 路 柳 虹(1888∼1959)が 生 ま れ た の は 、 こ の 三 田 の 学 舎 に お い て で あ っ た(川 路 柳 虹 『黒 船 記 』)。 「月 山 学 舎 」 で 英 語 を教 え た の は 、 明 治26年 夏 ま で の お よ そ9ヶ 年 で あ る。 この 年 の9月 、 備 後 の福 山 尋 常 中学 校 に招 か れ た の で東 京 を 離 れ て い る 。福 山尋 常 中 学 校 の前 身 は 、 祖 父 川 路 聖 護 在 世 中 の 老 中 ・阿 部 正 弘 の 藩 校 「誠 之 館 」 で 、 現 在 の 福 山 誠 之 館 高 校 に あ た る 。 明 治32年 (1899)7月 か ら明 治36年(1903)1月 ま で 淡 路 島 の洲 本 に住 み、 大 正3年

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m雑 誌 『平和 』 をめ ぐる人 々 5月 か ら大 正11年 まで は神 戸 の松 蔭 女 学 校(聖 公 会 系 ミ ッ シ ョ ンス クー 20 ル)の 副 校 長 をつ とめ 、 昭 和2年(1927)2月5日 、84歳 で 死 去 した。 宮 永 は 兵 庫 県 立 洲 本 高 等 学 校 が 所 蔵 す る 川 路 寛 堂 の 直筆 履 歴 書 を 「史 料 」 と して 紹 介 して い るが 、 川 路 自 身 、 明 治10年1月 か ら明 治26年8月 まで の 経 歴 を記 載 して い な い た め 、 空 白 とな って い る 。 川 路 が 雑 誌 『平 和 』に 論 説 を発 表 して い た の は、 ち ょ う ど この 「月 山 学 舎 」時 代 に あ た る。 川 路 が どの よ うに して 日本 平 和 会 と接 触 を もつ よ うに な っ た の か とい う 点 につ い て は、 他 の 寄 稿 者 や 会 員 の 事 例 と と も に今 後 追 求 しな け れ ば な ら な い が 、 『平 和 』 所 収 論 説 に よ っ て 川 路 寛 堂 の 空 白 の 履 歴 もわ ず か な が ら埋 ま った とい え る。 彼 の 主 た る 論 説 は 、 明 らか に イ ギ リス の 平 和 協 会 が 主 唱 す る 「平 和 と仲 裁 」 論 を 日本 に伝 え る もの で あ っ た(史 料9)。 『透 谷 全 集 』 に収 録 され なか っ た 唯 一 の 「社 説 」 雑 誌 『平 和 』 の 主 筆 が 北 村 透 谷 で あ っ た こ とか ら、 無 署 名 の 「社 説 」 で あ っ て も そ の ほ と ん どが 『透 谷 全 集 』 に 収 録 さ れ た が 、 唯 一 収 録 さ れ な か っ た もの に 『平 和 』 第9号(1892年12月26日)の 「社 説 」 「コ ン ネ ク チ カ ッ ト支 部 第 廿 六 回 万 国 平 和 会 の 報 告(千 入 百 九 十 二 年 八 月)」 が あ る 。 英 文 目次 に は と あ る が 、 正 し く は

[Official Report of the Universal Peace Congress] [Official Report of the Twenty-sixth Annual Meeting of the Universal Peace Union, Mystic, Conn., August 10th, 11th, 12th,

1892」 と す べ き も の で あ っ た 。 こ の 「社 説 」 はUniversalPeaceUnionの 機 関 誌7肋P6αoε 〃磁 〃 第11巻 第4号(1892年10月)に 掲 載 さ れ た 年 次 報 告 の 一 部 を 訳 出 し た も の で あ っ た 。 UniversalPeaceUnion「 世 界 平 和 連 盟 」 と は1866年 、 ア ル フ レ ッ ド ・ ラ ブ(AlfredH.Love)を 会 長 と し て ロ ー ド ・ア イ ラ ン ド に 組 織 さ れ 、 後 に フ ィ ラ デ ル フ ィ ア を 拠 点 と し た 平 和 団 体 で 、 「た と え 防 衛 の た め で

あ っ て も全 て の 戦 争 は 誤 りで あ る 」(all war, even defencive, is wrong) とい う確 固 た る 反 戦 論 を信 条 と して い た。1880∼90年 代 にか け て 、 コ ネ チ カ ッ ト州 ミス テ ィ ク に設 け られ た 平 和 寺 院 で 年 会 を 開 き、 毎 年 数 千 人 の 支 持 者 た ち が 参 加 し て い た こ とで 知 られ て い る。1889年 か らほ ぼ 毎 年 、

20宮 永 孝 「元 幕 臣 の 英 語 教 師 川 路 寛 堂 の こ と」(『社 会 労 働 研 究 』37巻3号 、 1990年)。

(19)

欧 米 の 主 要 都 市 で 開 催 さ れ た 万 国 平 和 会 議(Universal  Peace Congress)の 取 り組 み を支 持 し、 仲 裁 裁 判 条 約 の 締 結 、 ア メ リ カ 各 地 の 平 和 運 動 団 体 の 連 帯 を 図        ユ る 団 体 で あ っ た 。 写 真4は ス ワ ス モ ア 大 学 ピー ス ・コ レ ク シ ョ ン が 所 蔵 す るUniversal  Peace Unionの 看 板 で あ る。   問 題 は、 な ぜUniversal  Peace Unionの 年 会 報 告 が 雑 誌 『平 和 』 第9号 の 「社 説 」 と し て 取 り上 げ ら れ た の か で あ る(写 真5)。 あ く ま で も推 測 の 域 を で な い が 、 予 定 さ れ て い た 「社 説 」 記 事 が 締 め切 り ま で に 入 稿 さ れ な か っ た た め 、 本 来 な ら ば 「雑 録 」 や 「要 報 」 と して 扱 う予 定 で あ っ た 翻 訳 記 事 を拡 張 し、 「社 説 」 と名 づ け て 第9号 の 巻 頭 に掲 載 し た の だ ろ う。   こ こ で 注 目す べ き こ と は 、 ア メ リ カ の 平 和 運 動 団 体 の 年 会 記 写 真4 写 真5 事 が 、 わ ず か 二 ヶ月 余 りの 時 差 で そ の 主 要 部 分 が 翻 訳 ・紹 介 さ れ て い る こ とで あ る。 こ の 記 事 に よ っ て、 日本 平 和 会 の 情 報 網 が 単 に イ ギ リス の 平 和 運 動 団 体 の 動 向 や 雑 誌Peace and goodwillの 記 事 に と ど ま らず 、 ア メ リ カ の平 和 運 動 団 体 の そ れ に も 開 か れ て い た こ とが 明 らか と な る 。 こ う した 志 向 は、 た と え他 紙 か らの 転 載 で あ っ て も、 一 九世 紀 末 の 欧 米 で 取 り組 まれ て い た 各 種 平 和 会 議(万 国 平 和 会 議 、 列 国議 会 同 盟)の 動 向 を 逐 次 「雑 報 」 欄 に 紹 介 して い た こ と と も一 致 す る も の で 、 今 後 と もそ の 世 界 的 な つ な が りを検 証 す る必 要 が あ る。

21 Guide to the Swarthmore College Peace Collection, Swarthmore College, Swarthmore, 1981, pp.70 — 71.

(20)

20雑 誌 『平 和 』 を め ぐる人 々 4雑 誌 『平 和 』 の 終 刊 と 日清 戦 争 会 員の離脱 現 在 確 認 され て い る 雑 誌 『平 和 』 の 最 終 号 は、 第12号(1893年5月3 日発 行)で あ る。 しか し 同 号 に は そ れ が 最 終 号 で あ る 旨 の 記 述 は な い 。 広 告 数 を見 る と第10号7件 、 第11号5件 、 第12号1件 と激 減 し て い る こ とは 明 らか で あ る。1893年2月 に 開 催 予 定 で あ っ た 大 会 と演 説 会 も中止 とな っ て い た 。 主 要 会 員 で あ っ た 北 村 透 谷 も多 忙 を き わ め て お り、 川路 寛 堂 も広 島 へ 行 く な ど会 員 動 態 か ら も雑 誌 刊 行 の 困 難 さ が 予 想 され る 。 こ こで は ブ レス ウ ェ イ トの 不 在 に と もな う会 員 の離 脱 とい う問 題 を 指摘 して お きた い 。 1893年 か ら翌 年 春 に か け て ブ レス ウ ェ イ トは イ ギ リス に 帰 省 して い た 。 『幕 末 明 治 在 日外 国 人 ・機 関 名 鑑 』 第16巻1894年(ゆ ま に 書 房 、1996年 、

49ペ ー ジ)に も [George Braithwaite, Agent, Absent] との 記 載 が あ り、

1893年 か ら0年 余 り 日 本 を 離 れ て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 日本 に 戻 っ た ブ レ ス ウ ェ イ トは 、 無 沙 汰 を わ び な が ら 、1895年3月27日 、 ペ ッ ク オ ー バ ー に つ ぎ の よ う に 書 き 送 っ て い た 。 そ れ が 史 料10で あ る 。 た ぶ ん あ な た は ウ ィ リ ア ム ・ジ ョー ンズ の 来 日 を機iに、1889年 、 日本 人 に よ っ て 平 和 会 が 設 立 さ れ た こ と を 覚 え て い らっ し ゃ る で し ょ う 。0時 期300人 近 い 会 員 が い た と思 い ます 。 しか しそ の 活 動 は ほ と ん ど まっ た く 日本 人 に委 ね られ 、 そ の う ち の 何 人 か は ま った くの不 熱 心 で 、 昨 年 私 が イ ギ リス か ら戻 る 時 ま で に 会 員 か ら離 脱 し、 気 が付 い た と き に は ほ ん の わず か しか 残 っ て い ませ ん で した 。 これ らの 多 くは 単 な る名 前 だ け の会 員 で した 。 そ れ だ け に 日清 戦 争 が 勃 発 し試 練 の 時 が や っ て き た と き、 彼 らは耐 え る こ とが で き ませ ん で した 。 1894年8月 、 日清 戦 争 が勃 発 す る と 「『日本 平 和 会 』 は 一 と た ま りも な く消 し飛 び 、 芝 普 連 土 教 会 内 に も問 題 が 起 つ た」 と は、 つ と に知 られ た 『基 督 友 会 五 十 年 史 』 の 論 評 で あ る。1894年10月 、 フ レ ン ド教 会 は 日

(21)

清 戦 争 の 支 持 ・反 対 を め ぐ っ て 分 裂 し、 戦 争 反 対 派 の コサ ン ドた ち は 1895年7月 、 「普 連 土 」 とい う名 称 を を用 い ず 、 新 た に 「友 会 」 と して 22 伝 道 活 動 を再 組 織 す る とい う事 態 と な っ た。 G・ ブ レ ス ウ ェ イ ト と 「大 日 本 平 和 会 」 さ ら に史 料10は 、 日清 戦 争 中 の ブ レス ウ ェ イ トに よ る平 和 活 動 を詳 細 に伝 え て い る。 日清 戦 争 の さ な か 、 ブ レス ウ ェ イ トは 「大 日本 平 和 会 」 (JapanPeaceSociety)を 横 浜 の 自宅(山 手14番 地 、 史 料10で は14 Bluff, Yokohamaと 表 記 さ れ て い る)に 設 置 し、 同 規 則 を発 表 す る と と も に 、 有 志 数 名 と と も に 『平 和 問 題 答 案 平 和 雑 誌 』 と 『聖 書 平 和 の教 』(The ScriptureTestimonyConcerningPeace)を 日本 各 地 の キ リス ト教 会 、 貴 ・衆 両 院議 員 に送 付 し た とい う。 この こ とはす で に 『基 督 友 会 五 十 年 史 』 に も記 され て お り、 周 知 の こ とで あ る。 だ が 本 史 料 の 後 半 部 分 は新 た な 事 実 と して 注 目 され る 。 す な わ ち 、 か つ て の 日本 平 和 会 の 会 員 た ち に 運 動 に参 加 す る意 思 が あ る か と ブ レス ウ ェ イ トが 尋 ね た と こ ろ元 会 員 た ちか らの 返 事 は運 動 に参 加 す る気 は ない とい う も の で あ った 。 そ れ で も ブ レ ス ウ ェ イ トは3名 の 日本 人 協 力 者 と と も に と平 和 雑 誌 を発 行 した が 、2号 まで 出 した と こ ろ で 新 聞 紙 条 例 に抵 触 し て し まい 、 保 証 金 や 雑 誌刊 行 経 費 の 目途 が た た な くな っ た た め、 平 和 雑 誌 の継 続 を断 念 す る に い た っ た 、 と い う もの で あ る。 こ れ 以 降、 ブ レス ウ ェ イ トが 平 和 運 動 に 登 場 す る こ と は な い 。 本 来 の 業 務 で あ る イ ギ リス 聖 書 協 会 の 仕 事 に 専 念 す るが 、1899年 健 康 上 の 理 由 で 聖 書 会 社 を 辞 任 。1901年 基 督 教 書 類 会 社 を設 立 し、 文 書 出 版 事 業 に あ た る こ と に な る。 日清 戦 争 後 、 フ レ ン ド派 で は 、1897年5月 、 ジ ョセ ブ ・コ サ ン ドが 『基 督 教 と 国 政 』 を 著 し、 ア メ リ カで の仲 裁 条 約 運 動 へ の取 り組 み を紹 23 介 した 。 そ の2年 後 、 ロ シ ア皇 帝 ニ コ ラ イ ニ 世 の提 唱 に よ りハ ー グで 万 国平 和 会 議 が 開催 さ れ 、 「国 際 紛 争 平和 的処 理 条 約Jが 制 定 さ れ 、 「常 設 仲 裁 裁 判 所 」 の 取 り組 み が 始 ま っ た 。 しか しこ の 時 、 日本 に は そ れ を 受 22日 清 戦 争 へ の対 応 を め ぐる フ レ ン ド教会 の動 向 につ い て は戸 田徹 子 「日清 戦 争 下 にお け る フ レン ド教 会 の 分 裂 」(『キ リス ト教 史 学 』 第41号)、 高橋 正幸 「日清 戦 争 と普連 土 教 会 」(『桐 朋 学 園 大 学 短期 大 学 部 紀 要 』第13号)が 詳 しい。 23前 掲、 『近 代 日本 「平 和 運 動 」 資 料 集 成』 「付 録」 所 収 。

(22)

22雑 誌 『平和 』 をめ ぐる 人 々 け 入 れ る 平 和 団体 は なか っ た 。 そ の つ ぎな る取 り組 み は、 フ レ ン ド派 宣 教 師 ギ ル バ ー ト ・ボ ー ル ズ の 来 日 と 「大 日本 平 和 協 会 」 の創 設 を 待 た ね ば な らな か っ た 。 む す び 19世 紀 なか ば 、 欧 米 に お い て 「平 和 と仲 裁 」 とい う思 想 と運 動 が 台 頭 し て きた が 、 そ れ は多 くの 主 権 国 家 が 互 い に仲 裁 裁 判 条 約 を は じめ とす る多 国 間 条 約 を結 び、 た と え国 家 間 に紛 争 が 生 じて も武 力 を 用 い る こ と な く、 第 三 国 の 仲 裁 の も とで 紛 争 を解 決 し よ う とす る 国際 協 調 的 な秩 序 作 りの 運 動 で あ った 。 ウ ィ リ ア ム ・ジ ョー ンズ の 来 日 は、 そ う した 欧 米 で の運 動 を 日本 に伝 え る 第 一 歩 で あ り、 ジ ョー ジ ・ブ レ ス ウ ェイ ト主 導 の も と に組 織 され た 日本 の 「平 和 協 会 」 は、 欧米 で 進 め られ て い た 「平 和 と仲 裁 」 運 動 をい ち早 く日本 に 紹 介 す る 窓 口 で あ っ た。 そ の 意 味 で は 、 日本 平 和 会 の 取 り組 み は、 「平 和 と仲 裁 」 運 動 に代 表 さ れ る ヨ ー ロ ッパ 協 調 的 な 平 和 秩 序構 想 の 日本 へ の伝 播 と受 容 の 第1段 階 だ っ た とい え る。 日本 平 和 会 の 会 員 が どれ ほ ど こ の 「平 和 と仲 裁 」 運 動 の理 念 を理 解 して い た か そ の 実 態 を 明 らか にす る た め に は 『平 和 』 誌 面 の 総 合 的 な分 析 と と も に更 な る検 討 が 必 要 で あ る 。 そ し て この の ち欧 米 に お け る 「平 和 と仲 裁 」 運 動 に 関 す る 啓 発 活 動 は 、 ジ ョセ ブ ・コ サ ン ドそ し て ギ ル バ ー ト ・ボ ー ル ズ とフ レ ン ド派 宣 教 師 に 引 き継 が れ て い く。 日露 戦 争 と フ レ ン ド派 の対 応 、1906年 に発 足 す る 「大 日本 平 和 協 会 」 の 組 織 と実 態 と と も に さ ら に追 求 して い か ね ば な らな い 課 題 で あ る。

(23)

史料編 雑 誌 『平和 』をめ ぐる人 々 日本 平 和 会 の 新 史 料 と とも に・ 史 料1 George Braithwaite 書 簡 と (1)1889年8月10日(土)付 、 母Martha宛 て GeorgeBarithwaite書 簡 、(WilliamJonesの 東 京 で の 予 定 を 記 し た 個 所 を 抜 粋) William Jones

W. Jones and his wife reached here last 2nd day, they are both of them feeling the heat very much and wish to get away to the mountains as soon as possible, but cannot do so till they have made arrangements about seeing the various members of the Government whom they have come to see. ()Today is Monthly Meeting and W. Jones expects to attend and then ®tomorrow he hopes to attend the morning meeting in Ginza, and the afternoon meeting in the open air at Joseph Cosand's and then ®see the Minister for Foreign Affairs by appointment at ten o'clock on 2" day morning, find out from him about the other minister and ®lecture in the evening on Arbitration at the meeting in Kojimachi.

I hope to get them to go to Nikko for a few days to see the temples there and interest the missionaries in the cause of peace. I also hope they will spend a few days at Mito and give some lectures there. Then last but by no means least ®I want W. Jones to give two or three lectures in the Meiji Kwaido, the large hall here. They wish to leave for SanFrancisco in about three weeks as they wish to attend some of the American Yearly Meeting so they have not much time to spare, however I hope with care they may be able to accomplish all. I am rather sorry they have come just as it is such uncomfortable weather for going about and so many people are away, however inspite of that I hope they will be able to stir up some interest here and start a Peace Society that may continue to work after they have gone.

の報告書

(2)TheFriends,1889年10月1日 号 掲 載 WilliamJones報 告 書 「Extractsfromletter byWilliamJones」(1889年9月9日 、 サ ン

フ ラ ン シ ス コ で 投 函 し た も の か ら 抜 粋)

©'When I first arrived in Tokio, the Cabinet was engrossed with the important work of treaty revision, so that I was unable to see any of the Ministers. Ultimately, furnished with a letter from the British Minister, I succeeded in getting an appointment with Count Okuma, the Minister for Foreign Affairs.

Accompanied by our friend Joseph Cosand, who is the resident missionary of the Philadelphia Women Friends' Foreign Mission Association, ®'I went by appointment to the Foreign Office, where we were pleasantly received by Count Okuma and his secretary, an English-speaking Japanese, who interpreted for us. I gave him an outline of our visit to the Australian Colonies, and of our engagements there, on behalf of peace and arbitration. (41 ) aThe only other minister whom I was able to interview was Viscount Enemotto, Vice-Admiral and Minister of Public Instruction.

(411,11) ®'Our other Peace work consisted of a lecture on "Arbitration," interpreted by one of the Japanese "Friends;" . About eighty persons present, of whom twenty-eight signed the Declaration of the local Peace Association, which we started at Tokio; also CYa public meeting in a large Hall, over 500 persons present, presided over by Dr. McFarlane Ishimoto, said to be the best interpreter in Japan. He interpreted so as to secure the deepest interest in my personal experiences on the part of the large audience, a few of whom signed the Declaration of the Peace Association at the close. ®'I also delivered two Gospel addresses on "Peace," on First-days. The Daily Mail (English), also the Japanese press, have given wide publicity to my mission.

There are about thirty-two members of the "Friends— Society, and ©'we attended with much interest their Monthly Meeting, and their First-day meetings for worship.

(24)

24雑 誌 『平 和 』 をめ ぐる人 々

(1)TheLibrary,FriendsHouse,London所 蔵 「GeorgeBraithwaite書 簡 」(黒 木 章 「透 谷 がGeorgeBraithwaiteに 雇 わ れ た 経 緯 とWiliiam  Jonesの 平 和 講 演 会 の こ と」 『聖 学 院 大 学 論 叢 』 第16巻 第1号 、2003年 所 収 ④ 母Martha宛 て 書 簡 、139∼140ペ ー ジ)

よ り引 用 。

(2)WilliamJonesの 報 告 書 「Extracts from  letter by William  Jones」(The  Friends, 1889年10月1日 号)。 同 文 の 報 告 書 はThe  Byitish Friend,1889年10月1日 号 に も 掲 載

さ れ て い る 。

文 中 の 番 号 と 太 字 部 、 下 線 は 坂 口 が 付 記 、 強 調 し た も の で 、 対 応 関 係 を 示 し て い る 。

史 料21889年8月21日 付 妹Kittie宛 てGeorgeBraithwaite書 簡

As a result of Mr. Jones's short visit a Local Peace Association has been formed here, there are only a few members yet but I hope it will spread and grow. Some time this week I hope if possible to get the members together, fix the rules, appoint a Secretary, get everything into working order and set the members to work.

I hope if possible to get the Japan Mail to insert the report of the meeting verbatim but I am afraid it may be too long. They have already twice inserted things about him that I sent.

(前 掲 黒 木 章 「透 谷 がGeorgeBraithwaiteに 雇 わ れ た 経 緯 と William  Jonesの 平 和 講 演 会 の こ と」 所 収 ⑤1889年8月21日 付 妹Kittie宛 て 書 簡 、142ぺー ジ)。 ジ ョー ンズ 氏 の 短 期 訪 問 の 結 果 、 当 地 に 地 方 平 和 協 会 が 組 織 され ま した 。 そ の 会 員 数 は ま だ ほ ん の わ ず か で す が 、 拡 大 し成 長 して い く もの と望 ん で い ます 。 今 週 の い つ か 、 会 員 た ち を 集 め る こ とが で き るの な らば 、 会 則 を 決 め 、 書 記 を指 名 し、 あ らゆ る点 に お い て う ま く活 動 が 始 め られ る よ う に した い と思 っ て い ま す 。

(25)

史 料3日 本 平 和 会 入 会 簿(勝 本 清 一 郎 編 『透 谷 全 集 』 第3巻 、395∼ 398ペ ー ジ、 岩 波 書 店 、1955年) 表 紙1(表 紙) 日本 平 和 会 入 会 簿 通 常 会 員 年 費 … … … 五 銭 "P eaceandGoodWill"(年 四 回 発)購 読 者 … … … 三 十 五 銭 書 記 、 住 所 姓 名 … … … 表 紙2(表 紙 の 裏) か た か つ な ん ぢ 悪 に勝 る ・勿 れ 善 を もて 悪 に勝 べ し。 それ うっは と り で よ り 夫 われ らが戦 の器 は肉 に属す る者 にあ らず営 塁 を破 るほ ど神 に由 りて ちから 能 あ り。 切取 り式入会 票 日本 平和 会 入会 票 あだ いっく しゅく 余 は凡て の戦 争 は、汝 の 敵 を愛 しみ汝 を害 ふ もの を祝 し、是 を祝 し の ろ て誼 ふ べか らず と宣べ し主基 督 の精神 に背 くものな る事 を信 じ、平和 の主 義 を拡 張す る に尽力 せ ん と欲 し、弦 に署 名す る もの な り。 住 所 姓 名 〔控へ 用〕 日本平和 会 住所 姓 名

(26)

26雑 誌 『平和』 をめ ぐる人々 表 紙3(裏 表 紙 の 裏) 入 会簿 取扱 二 関ス ル心得 (1)入 会 簿 二署名 ス ル人 々 ノ姓 名 及 ビ住所 ハ最 モ 明瞭 二記載 セ シム ベ キ コ (2)入 会 者 ヨリ会 費 ヲ受取 タル 時ハ其 度 々入 会簿 二記 載ス ベ キコ (3)〔以 下略 一坂 口〕 表 紙4(裏 表 紙) 日本平和 会 規則 第一 条 目的 本会 ハ 基督 ノ教 旨 二従 ヒ平和 ノ主義 ヲ拡 張 スル ヲ以 テ 目的 トス 〔以下 、第 十条 まで あ るが略 す 一坂 ロ〕

史料4 Declaration 1 : Peace Association Declaration Forms

1879年 発 足 当初 の もの

(表 紙)

PEACE ASSOCIATION DECLARATION FORMS. LOCAL PEACE ASSOCIATION.

Members are requested to do what they can to inculcate Peace and Goodwill, and to discourage War.

Subscription to Local Association 1 d. per annum 1 1, Juvenile,, — 2d. Collector's Address 会 員 は、 平和 と親 善 を教 え 、戦 争 を思 い と どま らせ る ため 、 そ れ ぞれ が な し 得 る こ と に尽 力す る こ とが 求 め られ ます 。 地 方協 会 へ の会 費 年 間1ペ ニ ー 青 少年 の会 費 年 間2分 の1ペ ニー 会 員勧 誘 員 の 住所

(27)

(記入 票)

LOCAL PEACE ASSOCIATION

Local Peace Association

Name Residence

I believe all war, and the preparation for war, to be contrary to the mind of Christ, who says: " Love your enemies," " Do good to them that hate you" ; and am desirous to do what I am to further the cause of Peace. Date Name Residence Date 私 は、 全 て の 戦争 と戦 争 の準 備 はキ リス トの 意 思 、 す な わ ち"あ な たの 敵 を 愛 しな さい"、"あ な た を憎 む者 に親切 に しな さい"と 説 い たそ れ に反 す る も の だ と思 い ます 。 そ して私 は平 和 主 義 を促 進 す る取 り組 み に尽 力 した い と 思 っ て い ます 。 史 料4、 史 料5は いず れ も横 長 で 、 左 か ら3分 の1あ た りに切 り と り線 が あ る 。

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