武 末 祐 子
L’ impact des grotesques
Yuko TAKEMATSU
西 南 学 院 大 学 学 術 研 究 所 フランス語フランス文学論集
第 55 号 抜 刷
グロテスク装飾のインパクト
武 末 祐 子
「グロテスク」という言葉は、1480年頃、古 代ローマの遺跡が偶然に発見された際、地下 に埋没していた宮殿の壁に描かれていた奇妙 な模様が語源とされる。その独特の壁画装飾 は、ルネサンスから18~19世紀の新古典主義 時代まで、ヨーロッパの建築を始め絵画、工 芸、舞台装飾などさまざまな領域で流行する 一方、19世紀の前半にはヴィクトル・ユゴー などフランスロマン派の作家たちが、文学の 領域で「グロテスク」という言葉を新しい文 学精神の旗印に使うようになる。装飾の方で は、不思議な形をした人物、動物、植物、図 形などが壁にはびこるように描かれており、その異種混交性から生じる幻想的 な模様のインパクトは強烈である。この単語は、芸術史において特定の装飾を 指す美術用語であると同時に、「彼の行動はグロテスクだ」、「それはグロテスク だ」という場合、「滑稽な」、「奇怪な」の意味を含んだ用い方をする日常用語で もある。 ところが、この芸術史の「グロテスク」装飾と、特に19世紀文学の「グロテ スク」研究を結びつけるのは簡単ではない。イタリアで発見されたネロ皇帝の 黄金宮の壁に描かれていた、魅力的でもあり、奇怪でもあった装飾をすぐに「グ ロテスク」と名付けたところ、「滑稽な」「奇怪な」という意味がすぐに定着し、 以下の本論で論じるが、18世紀フランスの百科全書の解説者たちがいうように、 語源が何であったのかわからなくなったことにも問題があった。つまり、この 17世紀クールセル城(ロワール地方) の台所に使われていたタイル(個人蔵)装飾芸術は、15世紀後半、エスキリーノの丘で陥没した土地が埋め立てられて いたとき、偶然に古代ローマの宮殿跡が発見され、グロット(洞窟)にある装 飾という意味で名付けられるが、チェリーニらの反対があったにもかかわらず、 その名称が残ったのである。つまり「洞窟の」という意味と「滑稽な」「奇怪な」 という意味が、すぐに張り付いてしまったのである。 興味深いことに、18世紀に新古典主義芸術の流行とともに、グロテスク装飾 が再び大流行するが、そのあと、19世紀前半、フランスロマン主義文学の宣言 書と位置づけられ、グロテスク研究の最も重要なレフェランスともいえるヴィ クトル・ユゴーの「クロムウェルの序文」では、グロテスクの語源になったロー マの黄金宮への言及は皆無である。 ロマン主義文学の発展以降、19世紀においてはフランス文学だけでなく、ド イツ文学やイギリス文学においてもグロテスクなものへの嗜好が指摘されてい る。19世紀以降の文学では、グロテスクは国際的な研究テーマであり、イタリ ア、フランスだけに留まらない。1 ほとんどの辞書は、グロテスクの項目に「滑 稽な」ridicule,「奇妙な」bizarre,「突飛な」extravagant、「奇怪な」étrange などの同義語を載せているが、滑稽なものが必ずしも奇妙ではなく、奇怪なも のが必ずしも笑えるわけではない。グロテスクの研究者は、アンビヴァレント で矛盾するともいえる「滑稽な」と「奇怪な」の意味を両義的に持つものと定 義している。 文学におけるグロテスク研究は、ミハイル・バフチンの『フランソワ・ラブ レーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』を始め、エリシュバ・ローゼン の『美学研究における新旧グロテスクについて』、ドミニク・イールの『グロテ スクなもの』などがあるが、フランス文学だけでなく、ドイツ文学、イギリス 文学におけるグロテスク研究も多数あり、ウォルフガング・カイザー『グロテ スクなもの─その絵画と文学における表現』、アーサー・クレイバラーの『グロ テスクの系譜──英文学的交考察』、フロイトの『無気味なもの』などがある。 19世紀以降の文学では、ユゴー , ホフマン , カフカなどの作家が、おもにグロテ スク研究の対象になっている。フランス人作家の研究では、ラブレ、モンテー ニュ、ユゴー、ゴーチエ、ボードレール、フロベールなどがおもに研究されて いる。
芸術史におけるグロテスク装飾研究は、語源は、15世紀に発見されたネロ宮 であるが、壁画装飾自体は、古代ローマ時代から存在していたので、古代ロー マ絵画研究とともに、特にイタリアおよびフランス・ルネサンス期の建築装飾、 17世紀フランス古典主義装飾、18世紀新古典主義装飾がおもな対象になってい る。建築、絵画のほかは、舞台装飾、タペストリー、家具、壁紙、陶器、工芸 品装飾など広範囲の装飾研究において言及されている。 イタリア・ルネサンスで流行するグロテスク模様の分析では、フィリップ・ モレルの『グロテスク模様─ルネサンス末期のイタリア絵画における幻想の表 象』、アンドレ・シャステルの『グロテスク模様』、ニコル・ダコスの『ドムス・ アウレアの発見とルネサンス期におけるグロテスク装飾形成』、アレッサンド ラ・ザンペリーニの『グロテスク装飾』などがその中心となる研究書である。2 グロテスク模様は、その奇怪な形態から容易に幻想的で、怪物的なものの領 域と合流する。中世のマルジナリア研究、幻想芸術研究という観点からは、バ ルトルシャイテスの『幻想の中世』、ジルベール・ラスコーの『副次的芸術にお ける怪物』などが有名である。また、デフォルメされた人物ということでカリ カチュアの領域とも関係する。そこでは、トーマス・ライトの『カリカチュア の歴史─文学と美術に現れたユーモアとグロテスク』などが知られている。グ ロテスクの射程は広い。 本論の注目するところは、芸術におけるグロテスクであり、特に建築・絵画 装飾に用いられるグロテスク模様である。フランス語でグロテスクという言葉 は、イタリア語の grottesca から派生しており、美術史では、複数形で「グロ テスク装飾」をさす。この用語の形態生成は、「洞窟」grotte に、-esque をつ けて「グロット風の」という形容詞に始まる。この変形により、単語は、様式 を指すことがわかる。-esque という接尾辞は、grotesque のほか、arabesque, pittoresque などに使用される。「~風の」、「~様式の」、「~スタイルの」とい う意味が付加されている。ジャック・ダリウラは、16世紀、グロテスク装飾に 対してヴァザーリのとった態度について、彼は「グロテスク芸術を蔑視するど ころか、逆にひとつの様式練習 exercice de style とみなしている」3 といってい る。本論では、様式、スタイルという観点に重要性をおいて、グロテスク芸術 を検討していきたいと思う。
古代ローマのネロ皇帝が考えた黄金宮のスタイルは、どのようなものであっ たのか。その遺跡を発見したルネサンス・イタリアで流行したグロテスク芸術 とは、どのような装飾だったのか。その後、建築・絵画装飾の分野でグロテス ク模様が消滅していくのはなぜか。このテーマが、19世紀に文学へ移行してい く経緯は、グロテスク芸術様式のどのような特徴から生じているのかを考察す る。 ( 1 )ネロ皇帝の黄金宮 domus aurea ルネサンス時代(1480年頃)に発見されたネロ宮殿の遺跡は、紀元後 1 世紀 (64年から68年にかけての建設)、ローマのパラティーノの丘からエスキリーノ の丘、カエリウス、ヴェリア、オッピウス山に渡る80ヘクタールの土地に、宮 殿と庭園、森、湖、耕地を含むネロ皇帝の壮大な構想による建築物の一隅であっ た。宮殿(ドムス)はギリシアやパルトの王たちの宮殿を手本にして、64年の 大火を挟んで、ネロが新しい都市ローマを建設しようと考えたものである。そ れはどのようなものであったのだろうか。 ジアンニ・グアダルーピは、憤怒をあらわにしているが、なお称賛を隠しき れないローマの歴史家スエトニウスの言葉を次のように引用している。 玄関ホールには、120ピエもあるネロの巨大な彫像を建てることができた。 ドムスは大変広く三重の柱列と、1000歩の長さをもつ柱廊をもち、都市造 形のように建てられた家々に囲まれた海にも似た一つの水の空間があり、 さらに広大な田園地帯があって、そこには耕作地、ブドウ園、あらゆる種 類の家禽や野生動物がいる牧場や森が見える。そのほかの建築部分では、 すべてが金に覆われ、宝石や真珠貝で飾られている。複数ある食堂の天井 は、動く象牙の板に穴があり、そこから会食者たちの頭上に花や香水が振 りかかるようになっている。これらの部屋のなかでも主要なものは、丸く、 日夜、世界のように自転していた。浴場には、海水とアルビュラ川の水が 流入していた。4 ドムスの計画は壮大だった。敷地には耕作地、ブドウ園、牧場、森があり、
そこには家畜も野生動物もいる。広い敷地内には、海のように広い水の空間が あり、それを囲む家々に続いて田園があり、田園には畑や牧場が整備されてい る。飼育されている家禽がいるが、さらに田園に続く周辺部には森があり、野 生の動物たちがいて、しかもあらゆる種類の動物がいるというのである。宮殿 の中には、機械仕掛けの驚異の食堂が造られ、会食者たちを驚かす。浴場には、 大掛かりな灌漑装置によって海水と川水が引かれる。それは、幾重にも連なっ た部屋をもつ宮殿建築、田園という開拓された自然に続いて、森という未開拓 の自然を合わせ、複数の世界を一つにした建築物の総体であるといえる。 それはまた、プライベート空間とパブリック空間が区切られることなく連続 した世界でもあった。ローマの都市全体を一つの有機的な広がりをもつものと して視覚化し、建築と田園と自然が連続する平面を作ろうとする構想であると 思われる。 現在までに発掘され、知られている部屋は150室を数え、考古学研究では呼称 のため、各部屋に番号をつけている。プライベート空間の西翼とパブリック空 間の東翼に分かれており、その間を五角形の中庭が繋いでいる。部屋番号20番 の列柱回廊を含む西翼は、各部屋が縦と横に規則的に連なった伝統的な構造を もち、128番の八角形の部屋を含む東翼は、部屋の連結方法が興味深いのを見て もわかるようにイノヴェーションの対象であったという。 ドムスは、歴史家タキトゥスによると当時の建築家、セヴェルスとケレルに よるものとされ、彼らの作品で有名なものは、「動く天井」をもつ八角形の部屋 (128番)で、その周囲には放射状に複数の部屋が隣接しており、特に噴水をも つ124番の部屋への入口であったという。ジアンニ・グアダルーピ が「一種の プラネタリウム」という丸い部屋がこれである。このように、ドムスは伝統的 なスタイルの建築と前衛的なスタイルの建築が混合された建築様式の集合体で もあった。 ジルベール=シャルル・ピカールが、「精神道徳ではなく、美学に基づいた建 築を実現させたかった。」5 と説明するように、ネロはアウグストゥス時代の精 神道徳を中心にした建築原理ではなく、美を中心とした建築原理による宮殿計 画を立てようとしていたという。古典的美を嫌っていたわけではなく、古典美 も幻想美も含めて芸術を総体的に考えた態度の現れである。「ネロは古典を嫌っ
ていたわけではなく、逆に尊重していた。しかし、それを全体の中で占める芸 術側面の一つにしか見なさなかった。」6 とピカールはいっている。 ドムスの天井と壁は、さまざまな様式で上から下まで絵に覆われていた。ギ リシアの神々、神話に登場する人物、動物、植物、あるいは植物の精霊や半人 半獣のエジプトの神々などの奇怪な形態が描かれ、スタッコ(化粧漆喰)の浮 き彫りもあり、色彩的にも赤、青、黄、黒などカラフルな色が塗られていたよ うである。平らな壁面ではなく、漆喰で枠を作り、レリーフになっている凹凸 がある壁面である。 アレッサンドラ・ザンペリーニは、ドムスのスタイルは混合スタイルでロー マ風、ギリシア風、オリエント風が混じっていたと指摘する7。異種の様式を寄 せ集めた総体は、全体としてみると、ちぐはぐであり、調和に欠ける。どの様 式を基調としているのかわからず、良し悪しの区別もない。ローマの建築家ウィ トルウィウスが提唱した調和がとれた古典的な伝統建築用法とは異なり、さま ざまな様式が並列され、過剰に集積され、いくつもの世界が隣り合い、重なり あうようなスタイルであり、あらゆる様式が見出されるが、もちろんすべての 様式があるわけではない。それまで、ローマでは、「伝統的なローマの生活モー ドが個人に課されていた、その束縛を打ち破ろうとして開かれた美学(雑居、 不条理、豪華、無駄)を提唱したため、非難されてしまった」8 と、ピカールは、 黄金宮について説明している。ネロ皇帝がめざしていたのは、束縛のない自由 な、開かれた美学であるという。 『ローマ絵画』を研究したグループによると、黄金宮の壁画は、さまざまな様 式の混合体であり、さらに各部屋はその用途によって異なったスタイルが課さ れていたという。壁面の上下左右を豊かで、コントラストのきいた色彩で、し かも余すところなく埋めていく手法は、「空白の恐怖」horror vacui としばしば 呼ばれるが、黄金宮には、その手法が適用されていたと説明している。 特にヴォールトの飾りと縁取り要素は、幻想的生物や実用的物体(竪琴、 花瓶、動物、人間の顔など)で覆われ、過剰に寄せ集められ、装飾フリー ズに変形されている。まさにこの夢幻的な豊かさこそ16世紀の芸術家たち を、それによって彼らの時代の芸術を満たすほどまでに魅惑させたのであ
る。(ヴァチカンのロッジア、シエナのピコロミーニ家の書斎、ヴァチカン のビビエナ枢機卿のスタフェッタ(小浴室)、大使館宮殿、サン・タンジュ 城など)9 黄金宮の幻想的で美しい装飾が、1400年後にルネサンスのイタリアで発見さ れ、グロテスクと名付けられ、大ブームを起こすことになる。 ネロ皇帝のあと、ヴィテリウス皇帝、ウェスパシアヌス皇帝は、ドムス・ア ウレアを公共の建築物にする。ウェスパシアヌスの息子ティトスは公共浴場に する計画をたて、彼の弟ドミティアヌス皇帝がそれを受け継ぎ、その次のトラ ヤヌス皇帝の時代にできあがる。こうしてネロの名前は消し去られ、この空間 はティトスの浴場、トラヤヌスの浴場という名称で後世に引き継がれる。 もちろん、ネロの黄金宮は歴史から消えたわけではない。ローマの大火によっ てほぼ消滅した都市に、周辺の土地を含めた白紙空間といってもよい地形に、 黄金宮が刻まれ、その黄金宮の上に、歴代皇帝の建設による公共浴場が書き込 まれていく。都市ローマの歴史の「地」の部分にドムスが横たわっており、そ の広大さゆえに、消されることはなく、破壊さえできなかった。その広大さは、 完成されていないだけに、想像を絶するものであり、断片だけが散在し、決し て全体を見ることができない巨大な建築形態を示している。それは、終りがな い全体というパラドクシカルな建築様式であるともいえよう。 ( 2 )グロテスク装飾のメディア性と周縁性 終わりのない全体性を表象する「開かれた美」のスタイルとは、どのような ものであろうか。1480年、ローマで発見されたグロテスク模様というのは、ド ムス・アウレアのなかでもひときわ目を引くものであった。そのグロテスク模 様とはどのようなものであろうか。そしてルネサンス・イタリアでは、どのよ うに模倣されたのか。 ドムス・アウレアにおいては、グロテスク装飾は、おもに天井と壁面を覆う ように、ぎっしり描かれていた。129番の『ヘクトルとアンドロマックの別れ』 と名づけられた部屋の描写を見てみよう。
表面は、正方形または長方形の四角い空間を取り囲む一連の装飾帯で構成 されている。その四角い空間には、色のついた面にスタッコ(化粧漆喰) を施した各コマの内部にさらにスタッコの浮き彫り模様が施されている。 縁の部分には、動物の身体が燭台の形に長く伸びていて、その尻尾は大き なボタンのようなもので終わっている。小さな額縁の端から出た葉飾りが 絡まりあいながらトンネルをつくり、その中には小さな人間がいる。色彩 のコントラストがあり、強烈な赤、青、金が全体を支配している。部分的 に損傷しているが、中央部分には海景が描かれていたに違いない。天井の 側面パネルの内部にある彩色された小さな絵の方は、もっとよく保存され ている。それは『ヘクトルとアンドロマックの別れ』であり、家の外での シーンであることが、人物の背後に見える都市風景によってわかり、場面 に奥行きを与えている。しかし装飾部分の奇抜な豪華さに比べるとコマの 部分はもっとアカデミックな手法で描かれているように見える。10 このように、ドムスのグロテスク模様は、歴史画によって占められる中心部 分(『ヘクトルとアンドロマックの別れ』)を、幾何学形、人間、動物、植物が 絡み合いながらにぎやかに、帯状に周囲を取り巻く模様である。中心部分の歴 史画は、全体の比率からいうと、ほんの小さな面積しか占めていないので、そ の周囲を占めるカラフルなグロテスク模様に圧倒されそうである。 ここで絵画と装飾のヒエラルキーを見ることができる。装飾というのは何か を飾るものである。この壁ではヘクトルとアンドロマックの物語を飾るのがグ ロテスク模様であると理解してよい。 歴史画はある一方向から見ないと理解できないが、その周囲を取り巻く植物 や動物や図形の連なりであるグロテスク模様はどの方向からみてもかまわない。 見る方向を強制する歴史画は、どこから見てもかまわない装飾と異なって、や はり重要度が増す。見る方向を強いる絵というのは、当然意味を強いる。意味 を読み取らなければならない絵なのである。それに比べるとグロテスク模様は、 楽しく軽い。意味がないので雰囲気や様式を楽しむことができる。どの方向か らも見ることができ、多視点を許容するので、排他的ではない。 「装飾というのは、純粋にスタイル論理の問題であろう。これに反してテーマ
をもつ絵画は、その内容についての図像学さらには図像解釈学の問題になる」11 とフィリップ・モレルは、その著書『グロテスク模様─ルネサンス末期のイタ リア絵画における幻想の表象』の中で書いている。内容が重要なテーマ画に比 べると、装飾の場合は、スタイル style が中心になる。その場合、壁面では、中 心に対する周縁のヒエラルキーがグロテスク模様に適用される。 最も早い例では、クワトロチェントの末から、早くも黄金宮のグロテスク模 様を取り入れた画家の一人にピンチュリッキオがいる。彼はロベール・デル・ ロベーレ枢機卿をパトロンにもち、1488年サンタ・マリア・デル・ポポロ礼拝 堂の絵画装飾を担当している。 壁や窓の開口部のグロテスク模様は、グリザイユではなく黄金色の背景に くっきりと浮かび上がっている。各構成部分の輝くようなトーンは、ネロ 宮殿の天井のカラフルな彩色が起こした眩暈を彷彿させる。(…)物の連続 (仮面、繋がれたサチュロス、山羊の頭、貝、板、花束、紋章、竪琴)は単 に並列されていて、一つの支配的な構造に隷属しているわけではない。そ れは偶然ではないだろう。ピンチュリッキオはその後、サンタ・マリア・ デル・ポポロにもう一度呼ばれ、1484年購入、1503年改築、修復されたバッ ソ・デラ・ロベーレの礼拝堂を装飾する。(…)装飾性が優位をしめ、軽妙 さを作り、色彩(金、赤、青、黒)が重要な役目をはたす。12 サンタ・マリア・デル・ポポロ教会よりも前に制作されたサンタ・マリア・ デラーラ・クリ教会のビュファリーニ礼拝堂の装飾もピンンチュリッキオの作 であるが、ここでもグロテスク模様はピラスターを埋め尽くしている。 古代風装飾は、枠の部分、言い換えるとエンタプラチュア、アーチの内輪、 燭台型ピラスターに集中しており、それが壁に開いた窓のようにみえる物 語情景を切り離している。13 ピンチュリッキオのピラスターは、ドムス・アウレアで発見された85番の部 屋に見える貝殻の縦筋に埋め尽くされた美しいグロテスク装飾を思い出させる
という。ピンチュリッキオの例でわかるように、グロテスク装飾は、聖書の場 面を描いた物語の部分ではなく、その周囲を占め、中央の物語情景と強いコン トラストをなすようにピラスターやアーチの部分に配置され、空間を埋め尽く す。 ルネサンス・イタリアの研究家ニコル・ダコスは、14世紀後半から15世紀に かけて流行したグロテスク装飾の周縁性を強調する。 15世紀の終わりには、装飾はほとんどのピラスター、窓枠、絵画の額縁を 覆った。歴史画の中にそれらがあったときでさえもそうである。(…)別の 空間を暗示するため、パースペクティブを開くために、芸術家は、指標の 役割が強められるピラスターを飾ることによってコントラストを強調し た。14 同様に、 装飾がピラスターやヴォールトを覆うとき、グロテスク模様は表面をモ ティーフで活気づけ、それによって壁に描かれた遠景が価値づけられるよ うにしている。15 壁面の中心ではなく、周縁を埋め尽くす特徴をもつグロテスク装飾は、中心 にある歴史画を強調しながら、その周囲に続く空間を歴史画から引き離す役目 をもつ。物語の部分は、壁を穿つ窓として、見る人を強い幻想へと誘う想像力 の世界である。ピラスターや窓枠、額縁は、現実的な部分であり、物語画を見 る人の位置、見る人の現在とつながっている。グロテスク模様は、隣接する同 一平面上で、幻想と現実を分節すると同時につなぐ役割をしているのである。 物語の意味がそこで終わり、装飾部によって現実へと引き戻される。グロテス ク装飾が、幻想と現実のメディアになっている。 ルネサンス最盛期で最も有名なグロテスク装飾は、ラファエロ工房が手がけ た作品であろう。1517年着工のヴァチカン宮殿 4 階にあるビビエナ枢機卿の浴 室として使われていた小部屋(スタフェッタ)、さらに1519年着工の同枢機卿の
ロジェッタ(小型柱廊)は、それまでのように部分的ではなく、壁面と天井す べてにおいてドムス・アウレアにインスピレーションを受けて構想されており、 古代装飾をルネサンスに見事に復活させた作品として名高いという。ヴァザー リによると、全体構想はラファエロが行い、実際の仕事はジョヴァンニ・ダ・ ウディーヌ、そして彼に合流したペリノ・デル・ヴァーガが行ったという。ラ ファエロの天分は、グロテスク模様のような古典的規範から逸脱する芸術を非 難し、無視しなかったところにあるといわれている。 ザンペリーニによるスタフェッタの描写を見てみよう。 天井、円窓、壁面は鮮やかな赤で塗られている─この赤は18世紀になって 「ポンペイの赤」と呼ばれるようになる─その赤はドムス・アウレアとロー マ絵画の色調をそのまま残しているにちがいない。このカラフルな地の上 にグロテスク模様が描かれている。海の怪物、現実の動物たち(イルカ、 鶴、猫)、想像上の動物たち(スフィンクス、サチュロス)、一連の動物相 が壁面にひしめき、壷、ペルト(三日月型の小楯)、神々、プッティ(キュー ピッド)に混じっている。葉群の間から飾られた絵画が覗いている。16 「鮮やかな赤」の上に、「現実の動物」、「想像上の動物」などを描いたラファ エロ工房の芸術家たちによって、古代ローマが蘇る。グロテスク装飾は、古代 ローマとルネサンス・イタリアとを結ぶメディアの役割を務めている。古代と ルネサンスは、グロテスク装飾でつながっている。 ヴァチカン宮殿のビビエナ枢機卿のロジェッタの描写は以下のとおりである。 ネロの装飾の影響は、壁面にも明らかである。古代のレパートリー(植物 人間、海の怪物、絵画を支えるとがった燭台あるいは糸状のばかげた演台) が、偽の繊細な建物と、 4 つの季節を擬人化して着色された彫像がある偽 のニッチの間に配置されている。そこには自然の優れた動物描写もあり、 山羊、魚、さまざまな鳥たちが非常に現実的に描かれ、白地に浮彫にされ、 カラフルなスタフェッタへと接続される。外に開かれた部屋の明るさを強 調するこの白地は、後になって複雑な舞台装飾の真の立役者としての役割
を果たすことになろう。芸術と自然の親近関係が、パネルの軽さ、ミメー シスとファンタジーの混合、ニッチに置かれた手足が示す空間の奥行きと、 その他の地の部分が示す奥行きのなさの混合によって、くっきりと強調さ れている。17 ロジェッタでは、グロテスク装飾が壁面の大部分を占めている。 4 か所に、 奥行きのあるニッチに人物像が描かれ、リズムをつける。人物像が担うミメー シスの求心性と、装飾が担うファンタジーの遠心性が心地よく音楽を奏でてい る。ロジェッタのグロテスク模様には、美しい白地が使われていることも忘れ てはならない。特に白地は、外から差し込む光に明るく輝くようになっている。 ラファエロ工房は同時代、1518年から1525年にかけてメディチ家出身の法王 レオン10世とクレメンス 7 世のために仕事をするが、マダマ荘のグロテスク装 飾は有名である。クレメンス 7 世が枢機卿だった頃の所有地マダマ荘には、壁 面と天井部分に、白地に赤のメダイヨンやコンパートメントが仕切られており、 ネロ風プロトタイプのグロテスク模様が美しく蘇っている。 このような幾何学的構成と赤、白、黒、青がお互いを引き立てるような彩色 方法は、黄金宮の伝統を受け継ぎ、ルネサンス古典建築に調和させたラファエ ロ工房の力量を示している。「秩序を確立し、装飾連鎖のシンメトリーを造るラ ファエロのメソッドは、構成が厳格である必要性を明確化し、グロテスク言語 と古典の理論の間にある根本的な親密性を強調するのに役立った」18 とザンペ リーニがいうように、ラファエロ工房によって、ネロ宮のグロテスク装飾の美 しさが再認識され、後世に受け継がれていくといえるだろう。それは、ローマ の遺跡から発見された興味深い装飾を、ただ単にルネサンス建築にコピーした というのではなく、古典芸術の根幹であるシンメトリー構成と装飾の色彩重視 の側面がみごとに調和した美が実現されたことを意味する。 ジョヴァンニ・ダ・ウディーヌ、ペリノ・デル・ヴァーガ、ジュリオ・ロマー ノらの画家たちによって制作されたグロテスク装飾は、イタリアの地方へも広 がり、ジェノバではジョヴァンニ=バティスタ・カステロ、 パドバではジョヴァ ンニ=マリア・ファルコネット、ヴィセンツァではベルナルディーノ・インディ アなど多くの制作者たちが手がけた。
フランスもグロテスク装飾に興味を持つ。フランソワ 1 世は1531年、フォン テーヌブロー城にロッソ・フィオレンティーノを呼び、後に「フランソワ 1 世 ギャラリー」と呼ばれる渡り廊下の装飾を依頼している。 それは贅沢な陳列品である。スタッコの額縁が、限りない想像力によって 制作されており─マスカロン、道標、サチュロス、プッティ、花綱、カル トゥーシュ、現実の動物、ハイブリッドな動物など─絵画に対して彫刻の 3 次元性を称える紛らわしいコントラストを造っている。19 この渡り廊下には、両側の壁面に額縁をもつ絵画が掛けられているが、絵画 と壁面がはっきりと分節されず、両者が大胆な彫刻をあしらった額縁で接着さ れ、連続している。物語情景や人物が描かれた絵画を、壁から浮き上がるよう に高いレリーフが支えており、その形象群は、レリーフとも彫刻ともみなすこ とができる。壁面と絵画を連結しながらも、切り離しているというパラドクシ カルな言い方ができるかもしれない。レリーフ群の形象は、絵画の物語の中か ら出てきたような印象さえ与える。レリーフのスタッコが絵画に絡み付いてい る。フランスにおいて始めて、壁の絵画と、非常に深いレリーフのスタッコ装 飾と、木彫り彫刻とが融合した建築例であるとイヴォンヌ・ジェスタはいう。20 さらに翌1532年には、フランチェスコ・プリマティッチョがフォンテーヌブ ローに呼ばれ、ロッソの仕事を引き継ぐと同時に、「ユリシーズの回廊」の装飾 を任せられている。この回廊の芸術は、残念ながら失われている。 基本的には中心に歴史画を描き、それを取り囲む形で、グロテスク模様は配 置される。中心に描かれる絵画は歴史画が多いが、風景画や風俗画などもある。 想像力を展開させる絵画に比べて、周縁を囲むグロテスク装飾は、奥行きのな い表面的な感覚を与える。装飾というもの自身が深さを受け付けない。「装飾観 念の通常の意味は、実際、非歴史的であると同時に表面的である。」21 とフィリッ プ・モレルはいう。常に周縁に位置し、人物は動物と、動物は植物と、植物は 人物と目まぐるしい混合体をなすカオスの空間、「中心がなく、すべてが周縁で ある」空間、恒常的に欄外の空間が、グロテスク空間である。「グロテスク装飾 が住まうどこにもない空間では、すべてのジャンルが永遠のメタモルフォーゼ
の戯れの中で混淆し、あらゆる放縦が許される」22 とジャック・ダリウラはい う。 クワトロチェントの終わり頃、ピンチュリッキオが制作したのは教会の礼拝 堂であった。教会には、グロテスク装飾がしっくり調和する。中心に置かれる 物語画の周囲を埋め尽くし、壁の塗残しがないように空白を埋める。 壁面において、中心に対する周縁を占拠するグロテスク装飾は、もっと広く 捉えて、教会全体、宮殿全体でいうと、どの部分に適用されているのであろう か。一般的に、壁や天井やピラスターにグロテスク装飾が施されていたのは、 どのような用途の部屋だろうか。 ネロの黄金宮では、「部屋全体が塗られている部屋は、もっとも重要性が低い 部屋ということがわかっている」23 と『ローマ絵画』には書かれている。 チンクエチェントに、ラファエロ工房がグロテスク画を取り入れたのは、ビ ビエナ枢機卿の小さな浴室であった。ソドマは、ピエンザの近くのカンプルナ のサン・タンナ・オリヴェト会修道院の食堂をグロテスク画で覆っている。そ の変幻自在の形態性から、壁のすべての部分に、あらゆる表現方法をとって適 応したのである。ザンペリーニによると、教会内陣の聖職者席、小書斎の内壁、 礼拝堂や宮殿の入口、陶器、寄木細工、銀食器、金銀細工品、装飾本などがグ ロテスク模様の最適な場所であるという。 中心部を占める歴史画の額縁、窓や入口ドアなど開口部の周囲、アーチの内 壁などは最も好まれた場所である。つまり壁面では、主要な部分を支え、引き 立てる周辺部、また教会内、宮殿内では、公的な空間を取り囲む私的な空間、 重要な儀式などに関係する空間ではなく日常的な場所、まじめではなく遊びの 空間、さらに日常的に使用される工芸品も入れて、建築空間のヒエラルキーの 下位部分に相当する部分が、グロテスク模様がその美しさをみせるところであ る。 ラファエロとジョヴァンニ・ダ・ウディーヌらが取り組んだヴァチカンのビ ビエナ枢機卿のための作品は、「ロッジア」loggia と呼ばれる部分である。この ロッジアと呼ばれる建築物はどのようなものであろうか。1524年にラファエロ のお気に入りの弟子ジュリオ・ロマーノが制作したマントバのゴンザーガ宮廷 を見てみよう。
装飾の性質は、部屋ごとにその大きさ、その重要性、その用途によってさ まざまに異なる。表象機能が優位を占めている部屋では、グロテスク装飾 は副次的な役割しかはたしていない。たとえばプシケの部屋では、ジュリ オは物語情景を優先させ、コーニスの部分だけにサチュロス、猪、様々な 種類のハイブリッド生物が群がる繊細な唐草模様を配置している。しかし プライベート空間(風の部屋、鷲の部屋)、通路の部分になると関係性は逆 転する。メタモルフォーゼの部屋とプシケの部屋を結ぶミューズのロッジ アの天井全体は、T 型と十字型のコンパートメントに分割されており、赤 く縁取られているが、その縁自身もスタッコで縁取られている。スタッコ のエレガントな人物像は、ミューズあるいは豊穣の女神を表象しており、 完全に規則正しい枠で囲まれている。24 ジュリオ・ロマーノは、宮廷の各部屋のヒエラルキーを遵守し、部屋の用途 に合わせてその装飾を施している。有名なプシケの部屋はギリシア神話の物語 情景が圧巻であり、柱のコーニスの部分のみにハイブリッド生物群が配置され ている。しかしプライベートな部屋になると、その天井には格子とスタッコの 組み合わせで美しいグロテスク模様が描かれている。 ザンペリーニが指摘する「メタモルフォーゼの部屋とプシケの部屋を結ぶ ミューズのロッジア」というのは、いわゆる屋根がある渡り廊下の部分で、二 つの部屋を連結している。おもに階上にあって一方は壁で閉じられているが、 もう一方は柱が並び、柱と柱は、アーチが連続するオープンスペースで、庭な ど外部の自然空間に開かれている歩廊である。そこに足を踏み入れる人は、一 方の廊下の壁を埋め尽くす装飾芸術を眺めることもできるし、他方、庭を眺め たり、涼をとったりすることもできる。半分室内、半分戸外という空間で、イ タリアのような暑い国ではローマ時代からこのような空間があったという。 もともと、古代「ギリシアの家は、常に内側に向いており、そこでは居室が 中央の中庭の周囲に集められている」25 という。ギリシア文化を踏襲したローマ では、邸宅の中央に庭を造り、その中庭をペリスタイルという柱が並んだ回廊 が取り囲む造りになっている。ネロ宮の構想にもこのペリスタイル(列柱回廊) があった。黄金宮の西翼がペリスタイルを取り入れた形のものである。この自
然に向けられた半オープンスペース が、建物の階上にあるときロッジア と呼ばれ、ルネサンス貴族の大邸宅 に多く適用されたのである。 ミケランジェロ、ラファエロの影 響をうけたロッソ・フィオレンティ ーノ、ついで、ジュリオ・ロマーノ の推薦で、その弟子のプリマティッ チョが、フランスのフォンテーヌブ ローで行った仕事は前述したとおり である。通称「フランソワ 1 世ギャ ラリー」は、城の 2 階居室からトリ ニテール修道院の礼拝堂まで、外に 出ずに直接行けるように造られた回 廊である。この渡り廊下は両側に、 光を取り入れる窓があって、その窓 と窓の間の部分に各側で 7 個、合計 14個のフレスコ画とその周囲を囲む グロテスク装飾がある。 イヴォンヌ・ジェスタの指摘によ ると、14個のフレスコ画には、たとえば、『クレビオスとビトン』、『カタナの双 児兄弟』、『ダナエ』、『アドニスの死』、『ケンタウロス族とラピテス族の戦い』 など、解釈を試みようと思えばできないこともないが、それぞれの絵画の神話 情景は独立しているという。全体としてまとまった一つのテーマに基づいてい るわけではないということである。通常であれば、フォンテーヌブロー城の他 の部屋がそうであるように、壁の絵にはテーマがある。「ところが「フランソワ 1 世ギャラリー」はまったくそうではない。そこでは一連の壮大な絵画が(両 側に 7 個ずつ)、これといって目立った関係もなく、一つの物語の複数のエピ ソードを語っていないだけでなく、もしあるとすればの話だが、これらを結ぶ テーマは、隠されているのである。」26 そして、ジェスタは、特にその中でも、 パリ、パンテオン正面のペリスタイル パリ、パンテオン外壁天井
ケンタウロスとアキレスが画面の至る所に登場する『アキレスの教育』を注釈 して、「これは一種のマンガである。同じ人物が何カ所も登場する」と指摘す る。 このギャラリーは、まさにグロテスク空間であり、一つのテーマのもとに、 絵画やレリーフの各要素が調和的に配置されたのではなく、むしろそれぞれの 絵画、レリーフ作品が独立する形で、それらが寄せ集められた空間になってい る。さらに、一つの絵画に同じ人物が複数回登場するのでマンガのようだとい う指摘は、アイロニックな要素を含んでいる。一つの絵画にアキレスが何度も 登場し、それぞれ独立した場面になっているが、それを集めて一つにする様式 は、グロテスク模様そのもののアイロニーになっている。 こうして、渡り廊下のグロテスク装飾は、居室と礼拝堂の異質の二つの空間 を連結する役目を担う。この渡り廊下は長いので、中央の部分に 2 カ所ほど外 側にキャビネットが造られ、誰にも聞かれないように私的な話ができるように なっていたという。回廊に外側から接木されたこのキャビネットは後になって 壊される。さらに、ルイ16世が隠遁する部屋を増築したとき、廊下の片側の窓 をすべて封鎖してしまったので、現在ではロッジアのように、もう片方側の窓 からしか光が入らない。このギャラリーの真下には、フランソワ 1 世が浴室と して使用していた部屋がある。 以上のようにグロテスク模様は、「空白を埋める」という言い方がよくされて いるように、内と外の結び目、あるいは二つの場所のつなぎ目に現れる目地の ような役割をはたしている。二つの異質の機能をもつ空間、二つの異なるテー マをもつ空間が、唐突に隣り合っているのではない。そこを通る人は、グロテ スク装飾によって、一旦、現実に引き戻され、この回廊で空想の世界がリセッ トされる。ペリスタイルから見える中庭、ロッジアから見える庭園は、緑の木々 がある現実の自然との連結を促す。 ( 3 )グロテスク装飾の同化力 グロテスク装飾が、建築物の壁面や天井に、半人半獣、あるいは悪魔的怪物 など幻想的で非現実的な形態を繰り広げる一方、現実の動物や植物なども織り 込んでいることは前述した。非現実的形態をもつ怪物や悪魔は、ギリシア神話
や聖書の話とつながり、物語画の枠から飛び出して装飾の空間で連続性を維持 している。一方、現実的要素も多く描かれていることも見逃せない。グロテス ク装飾は、ルネサンスのヨーロッパに一時的に流行し、消滅した芸術ではない。 時代とともに進化、発展し、各時代の要素を取り入れていくのである。では、 どのように展開されていったのであろうか。グロテスク装飾の「時代」を生き る生命力は、どこにあるのだろうか。 まず、古代ローマ時代に出現したこの装飾についてどのような解釈がされて いるのかみてみよう。古代ローマ時代の重要な建築書は、紀元前 1 世紀に生き たウィトルウィウスの手になるものであるが、これは後の初代ローマ皇帝オク タウィアヌスに捧げられている。この書物のなかでハイブリッド生物群が非難 されている。 これらの自然から借りてきた美しい模範を、我々の退廃した嗜好は退けて しまう。壁面には、自然で真実の表象ではなく怪物しかみあたらない。柱 の代わりに葦を置き、ペディメントは、縮んだ葉や軽い渦巻きで筋をつけ られた銛や貝殻に置き換わっている。燭台がまるで根のように生え高い建 物を支えていたり、渦巻きの茎が坐像の人物を意味なく支えている。さら に、茎から生物が生え、またそこから半生物が生まれている。あるものは 人間の顔をし、あるものは動物の頭をしている。それこそ、この世には存 在しないもの、存在不可能なもの、決してこれからも存在しないものであ る。しかし、この新奇さは、他を凌いでいるので、消極的判断をするなら、 芸術は衰頽に向かうだろう。これら偽りのものをみても何の非難もきかれ ない。それが可能かどうかなど、気にせずに楽しんでいる。27 このウィトルウィウスの言葉は有名で、グロテスク装飾の否定的価値が、古 代ローマ時代にすでに確立している証拠としてしばしば引用される。この装飾 に対するウィトルウィウスの考察は、「退廃した嗜好」、「意味(理由)がない」、 「芸術の衰頽」といった不健全性(非道徳性)と非論理性(非理性)を強調して いる。その判断基準は、この世に存在するかどうか、つまりミメーシスの原理 という一点である。また、ウィトルウィウスは、この装飾を「新奇」といい、
これまでの伝統美術に対して、新しく出現し、流行してきた芸術だと書いてい る。 クワトロチェントにネロの黄金宮が発掘されたとき、やはりこのハイブリッ ド装飾は大流行した。ヴァザーリは、ウィトルウィウスを参照して、その理論 を引き継ぐ形で、次のようにグロテスク模様を定義しようとする。 グロテスク模様は、古代に発明された自由 libre で滑稽な cocasse 絵画のカ テゴリーであり、空中に宙づりされた形のみが可能な壁面装飾である。芸 術家たちは、自然の気まぐれ caprice、あるいは芸術家の突飛なファンタ ジーから生まれた怪物的な歪曲物を表象していた。彼らは規則を逸脱する 形態を作り上げ、非常に細い紐にそれが支えきれない重量のものを吊るし、 馬の足を葉に変形し、人間の脚を鶴の足に変え、そのようなやり方で多く の悪戯や法外さを描いた。最も狂気的な想像力をもつものが、最も卓越し ていると見なされた。のちにいくつかの規則が導入され、フリーズやコン パートメントにおいて見事な作品が作られた。28 ヴァザーリの文章には、ウィトルウィウスの文章にないグロテスク模様の特 徴が二つ現れている。一つは、「滑稽」cocasse という心理である。ウィトル ウィウスの文章では、グロテスク模様が、存在しないものを描いており、存在 するものを描くという芸術の規則から外れていることが書かれている。これに 対して、ヴァザーリは、グロテスク模様は、芸術家たちの気まぐれ caprice あ るいは、独創的想像力 fantaisie から生まれ、規則に従わない描き方を「自由」 といい、その効果を「滑稽」といっている。そしてヴァザーリは、すでに装飾 を絵画のひとつのカテゴリーとみなしている。「滑稽」という心理は、描く芸術 家たちの心理であり、装飾を見る人の反応ともいってよい。ヴァザーリの言葉 によって、ウィトルウィウスの時代の建築関係者は、共通の考え方を持った 人々であったが、ルネサンスでは、「滑稽」という心理を共有する他の鑑賞者た ちがいることがわかる。 ウィトルウィウスとヴァザーリの文章の違いは、もう一つある。ウィトル ウィウスは、「柱の代わりに葦を置く」、「ペディメントは…銛や貝殻に置き換
わっている」など、建築の要素を中心に考え、「燭台が…高い建物を支えていた り」、「渦巻きの茎が坐像の人物を…支える」など、重力に反する描き方を指摘 している。また、「茎から生物が生え」、「そこから半生物が生まれて」というよ うに、ひとつのものが進化し、連続するように書かれている。これに対してヴァ ザーリは、「細い紐にそれが支えきれない重量のものを吊るし」と、やはり重力 の無視を指摘しているが、続いて「馬の足を葉に変形し」、「人間の脚を鶴の足 に変え」という表現によって、変身のさまを指摘している。その変身の様態は、 「馬」や「人間」の姿がまず基準にあって、それが植物に変わったり動物に代 わったりしている。ユマニスムのルネサンスとヒエラルキー思想が、垣間見ら れる書き方である。 ウィトルウィウスの書き方では、グロテスク形態は、建築物の進化・発展形、 あるいはむしろ退化形であるが、ヴァザーリの書き方では、個別の身体の変身 形であり、「笑い」を誘う。このように、グロテスク装飾の見方は、時代精神や 思想によって異なり、それが表現方法に反映されている。同じ装飾を見てもそ の感じ方、表現の仕方が違う。もちろん、どちらが正しいというのではない。 そうではなく、そこには時代、作る人の意匠、見る人の精神が相互に投影され ている。 ニコル・ダコスによると、ラファエロ工房のジョヴァンニ・ダ・ウディーヌ は、オランダ人画家から静物の描き方を学び、自然と写実的ディテールに興味 をもち、観察力もあり動物のデッサンが好きであったという。飛ぶ鴨、キリン、 象、禿鷹、ガゼル、梟、ライオン、鶏、リンクスなど、また平たい足のダマシ カ、トンボ、バッタ、キジバト、猿、鸚鵡、アンティロープ、山羊、コウノト リ、兎、ハヤブサ、鶴など、ダコスは列挙している。29 こうして自然科学の標本 にある生物が、早くもグロテスク装飾空間に登場し、古代のモティーフに同化 されていった。ウディーノの動物画は、本当の動物と思うほど迫真に満ちてい る。グロテスク装飾空間は、ルネサンスには、自然博物史研究のコレクション 室の様相を呈している。 ドムス・アウレアの洞窟に入って、壁面をコピーしたジョヴァンニ・ダ・ウ ディーヌの動物好き、ディテール表現の巧妙さから生まれる自然主義的傾向は、 ダコスが指摘するところであり、ウディーヌ制作のヴァチカンのロッジアにつ
いて、「グロテスク構造に組み入れられると、動物は装飾機能しかもたなくなる が、一旦、芸術家がその表象を増殖すると、次はその完全なレパートリーを作 るという考えが生じる」30 といっている。グロテスク要素コレクションの百科全 書的側面が強調されている。描かれる動物は、意味を伝えることを止め、形態 の美しさ、おもしろさによってその数が増殖される傾向を示す。この百科全書 的野心は、排他的でない。あらゆるものを許容する。白鳥や鷲などの高等動物 だけでなく、エスカルゴ、兎やネズミ、蛇、花、フルーツなども登場している。 ヴァザーリによるとラファエロは「特に動物、フルーツ、ディテールに関して 優れ、他に類をみない」ジョヴァンニ・ダ・ウディーヌを選んだという。 モレルもまた、グロテスク装飾のコレクション性の側面を指摘して、ウディー ヌ制作であるフィレンチェのフランチェスコ 1 世のロッジア(ウフィツィ美術 館)は、鳥類のコレクションかと思われる廊下であり、政務室の東側天井には 「ヤツガシラ、緑首、グレー鷺、トキ、鶴、ヒワその他の鳥類が描かれてい る」31 という。さらに、 自然の産物 naturalia は、通常、コレクション室にある動物たち─剥製にさ れた鳥や小哺乳類、天井につり下げられた魚、棚に整理された貝─や実物 あるいは描かれた植物標本、珍しく貴重な鉱物などに代表される。ヴァチ カンのラファエロのロッジアに、ジョヴァンニ・ダ・ウディーヌが描いた 百科全書的自然主義は、装飾の主要な構成要素の一つであり、彼がもつフ ランドルや古代の影響をはるかに凌いでいる。32 とモレルは付け加える。 モレルがいうように、天井のグロテスク装飾に見られる鳥類、哺乳類、貝類 などの形態は、その邸宅に住む主人のコレクションの写生である。天井や壁に 描かれたものは、収集され、剥製にされ、保存されている生物たちを詳細に観 察して再現されたものである。これら自然の産物は、もとあった環境から脱文 脈化され、意味を剥奪され、原寸大で剥製にされ、部屋の壁にコピーされ、人々 の視線にさらされる。オリジナルが、壁や天井にコピーされることによって反 復される。コレクションの貴重さ、唯一性が、グロテスク画によってパロディ
化されている。 同じメディチ家の « マダマ・ディ・カメラ camera di Madama » といわれる トリブーナ Tribune のアネックスは、小型の珍品や貴重品に当てられている。 炉の周りにあるのは、小瓶、蒸留器、ダチョウの卵、さいの角、奇妙な魚、 エジプトのミイラ、珊瑚の枝、普通の化石や石化物であり、もちろん剥製 にした象もあり、サイレーンの手、大トルコ人からもらった解毒剤もある。 別のところでは武具のコレクション、宝石、時計、陶器、クリスタル、硬 石もあった。33 まさに、16世紀のヨーロッパはコレクションの時代であった。ゲルマン諸国 の城では、ヴンダーカマーと呼ばれるコレクション室があり、芸術の部屋、驚 異の部屋などがある。有名なものは、フェレンチェ、メディチ家のフランチェ スコ 1 世、チロルのフェルディナンド・ダンブラ、プラハのロドルフ 2 世、バ イエルンのアルバート侯爵などのコレクションであると、ロラン・シャエール は説明している。34 ルネサンスに流行したこのようなコレクション室は、美術館といってよい。 アジアやアフリカから来た珍品・奇品、時計など機械工学系の発明品、陶器な ど工芸品、おそらく錬金術に使われた蒸留器など化学実験機器などが、「サイ レーンの手」など貴重品かどうかわからない出自の怪しい骨董品とともに、陳 列されている。 グロテスク模様は、実際のコレクション室ではなく、壁面の、もっといえば 紙上のコレクション室であり、そこには、時代に流行したものが描かれ、伝統 的な形態と同居し、伝統に同化する姿を観察することができる。各時代の「現 在」を取り入れているのである。その例をいくつかあげておこう。 モレルの報告によると、ルネサンスのイタリアに伝わってきた伝説的民族を グロテスク模様に取り入れている画家ソドマがいる。1493年に、ハートマン・ シュデルが出版した『年代記』Liber Chinicarum には、インドやアフリカなど にいると推定された想像上の民族の版画が載っており、フィリップ・モレルに よると、そこに描かれた怪物たちは、12年後、ソドマがモンテ・オリヴェト・
マジョーレの回廊で再現しているという。 回廊のピラスターには、中央の燭台から左右に広がった葉群の先端に、マン トヒヒ、一眼男、無頭男、両性具有、無鼻男、唇男、大耳男、サチュロスなど が、黄色地に赤、青、白色などで描かれている。これらの怪物の存在について は、ヘロドトスがまず言及したあと、中世とルネサンスに、プリニウス、ソリ ナス , アウグスティヌス、イシドール・ド・セヴィリアがそれぞれ言及してお り、中世の百科全書、動物寓話集、ミラビリア・ムンディ、アレクサンドロス・ ロマンス、特に15世紀後半の一般年代記ものがこの伝説を信用しており、ルネ サンス時代には、社会に広く伝播したとモレルはいう。ソドマは、15、16世紀 イタリアで出版され、流布した異国の伝説的生物を、グロテスクのコレクショ ン空間に取り込んでいるのである。 コレクションは、16~18世紀ヴェネチアのコレクターを研究したクリスト フ・ポミアンによって「経済流通回路からはずれ、閉じられた場所で特別に保 護され、視線にさらされている一時的、あるいは決定的に保存された自然物あ るいは人工物の総体である」35 と定義される。経済的価値をもたない、つまり有 用性をもたないコレクションの品々は、もし売買されると途方もない値段がつ けられるものから、一文の価値もないものまで、多種多様である。 モレルは、ルネサンスの発明品や、数学機器などもグロテスク装飾に描かれ ていると指摘する。「ピンチュリッキオは、グロテスク装飾の古代ローマの考古 学モティーフに、天体観測器や天球儀などルネサンスの発明品を付け加えたこ とで知られている。」36 また、メディチ家のフランチェスコ 1 世の武具コレク ション室には、コンパス、定規、天球儀、日時計などの計測器などが描かれて いたという。 グロテスク装飾研究者たちは、グロテスク模様が容易く同化しているものの 一つに、この時代流行したヒエログリフや錬金術のシンボル記号をあげている。 1419年、ホラポロの『ヒエログリュピカ』Hieroglyphica が出版された。これ は、各絵柄の意味をシンプルに図式的に示したもので、イメージの象徴的意味 を明らかにするものであった。ホラポロの影響をうけてピエリオ・ヴァレリー ノは、1556年『ヒエログリフ集』37 を出版する。ホラポロの本の版画を参考にし て出版されたこの本は大成功を博し、さまざまな言語で34版を重ねたとモレル
は説明する。もう一つ、ヒエログリ フの流行に拍車をかけたのが、1499 年、ヴェネチアで出版されたフラン チェスコ・コロンナの『ポリフィル ス狂恋夢』Hypnerotomachia Poliphili である。 メディチ家のフランチェスコ 1 世 は、実験精神旺盛で、アトリエやラ ボラトリーでは、鍊金術や見かけは 職人技的な、たとえばクリスタル生成や中国の陶器づくり、エッセンスの蒸留、 永遠運動装置発明などを行っており、 8 角形の部屋「トリブーナ」Tribune に は、最も貴重な品々が保存されていたという。最も偉大な画家たちの絵画、彫 像、メダル、カメオ、宝石が中央の書斎にしまわれていた。たとえばアガット、 アメジスト、瑪瑙、紅玉髄などの彫刻された壷、皿または杯があった。 1 ポン ドある金鉱石、二つの真珠を持つ貝、胃石(解毒剤)、 クリスタルのピラミッ ド、錬金術師レオンハルト・トゥルンアイサーによって金に変えられた釘も あったという。38 ルネサンスを過ぎると、17、18世紀、フランスのジャン・ベランが、猿芝居 singerie と呼ばれる猿の絵を装飾に取り入れたことが、ザンペリーニによって 次のように説明されている。 ジャン・ベランの猿芝居は、流行の洋服を着た猿や、人間の行動をパロディ にする「コメディア・デラルテ」の登場人物たちを主人公にして描かれて いる。それは結局、ルネサンスの「造化の戯れ」lusus des putti の、より 滑稽なヴァージョンなのである。39 別の例では、ルーブルにあるジャン=バティスト・ウードリのビュルレスク 喜劇のパネルがある。そこには、バイオリンを弾く猿、アクロバットをする猿、 シャンデリアを操作しながら綱渡りをする猿たち、その下には、熊と踊ったり コントラバスを弾いたりするアルルカンたちがおもしろおかしく描かれている。 パリ 6 区サン・ジェルマン・デ・プレ教会横の 公園にある噴水
猿芝居は、18世紀のグロテスク装飾では「中国趣味」とも混じり合って発展す る。 グロテスク装飾は、このように、時代によって異なり、その時代に流行し、 普及した嗜好を難なく同化する。時代時代の現実嗜好を取り入れていくことが できる。その現実適応性、同化力と柔軟性は、グロテスク装飾の根本的な特徴 といってよい。部屋の用途に合わせてコレクション室、台所、浴室、廊下、遊 戯室、玄関などに柔軟に適応することができただけでなく、ネロ風古代のモ ティーフに、ルネサンス、マニエリスム、新古典主義とあらゆる時代の精神を 様式化し、モティーフにして付け加えていくことができた。 グロテスク装飾の本質的な特徴である柔軟性は、古代のモティーフ、中世 あるいは現代モティーフ、またシンボル解釈、鍊金術解釈など、ネロ装飾 の要素に同化しやすい構成要素との融合を可能にしている。40 流行を取り入れることができるということは、グロテスク装飾が各時代の形 態要素を、古典芸術の規範と同居させ、追加する形で、取り込むからである。 グロテスクは、衝突や葛藤を好まない。形態要素を平面に加算し、積算し、ハ イブリッド形態を構成するのである。古いテーマは新しいテーマとすぐに隣接 し、古い様式のモデルは新しい様式のモデルとなんの支障もなく肩を並べる。 日常的なものが普遍的なものの横に並ぶ。俗悪の隣に神聖がある。アンティー ムなものと儀式的なものが並列する。現在と過去が結びつく。グロテスクは、 現在が歴史に変わる手段なのである。ザンペリーニの言葉を借りれば、「非常に 新しくなった古代精神に、一旦許可されたグロテスク装飾は、その差異性にい らつかされなくなっただけでなく、他の装飾モティーフ同様、現在が<歴史> に結びつく手段の一つとなった。」41「イタリア」と「モデルニテ」がグロテス クのコノテーションであると、批評家は重ねて書いている。こうして現代性と 古代性が結合し、仲良く並ぶことで、「古代」と「現代」が同時に喚起される。 「骨董=古代的作品」antiquitas、「技術=芸術品」artificialia、「自然の産物」 naturalia がコレクションの三大要素42であると谷川渥はいう。天井、壁、床を 埋めるグロテスク装飾では、これらはすべて等価におかれる。いずれの価値も
優位にたたない平等性を生むのがグロテスク装飾の特徴である。隣接された骨 董品 antiquitas、芸術品 artificialia と自然の産物 naturalia は相互に否定しあい、 あるいは認め合い、相互にパロディとなりながら同居している。 ( 4 )グロテスク装飾の表面性 グロテスク装飾が意味を持たない、深さを持たないというとき、それはどう いうことなのか。ヒエログリフや錬金術的要素を囲いながら、その文脈から引 きはがす操作をし、形態や様式のおもしろさを獲得する場合、装飾にはどのよ うな役目があるのだろうか。描かれる人物、動物、植物、幾何学図形などの配 列や形態は、画家によって異なる。画家たちのスタイルは、どのように生まれ るのであろうか。 壁や天井に描かれたグロテスク模様を想像してみよう。 ルネサンスに絵画理論を書いた人のなかで、グロテスク装飾に言及したのが アントン=フランチェスコ・ドーニである。彼は文学者でもあり、『素描論』 Disegno を1549年に出版している。ダコスによると、そのなかでドーニは「気 まぐれ」capriccio の概念を展開しており、グロテスク装飾は、画家の「ファン タジア」fantaisia を刺激するカラフルなシミや雲を喚起するといっている。レ オナルド・ダ・ヴィンチが『手記』のなかで、弟子たちに壁のシミをよく見る ようにいっているが、芸術のインスピレーションの源としてのシミの話は、ル ネサンスには広く知られていたという。 ダニエル・アラスは、ルネサンスの悪魔の形態生成とレオナルドのシミの話 とを結びつけて、「注意深くシミを見ていると、君はすばらしい創造物を見出す だろう。画家の才能がそのシミを利用して動物と人間の戦争とか、悪魔や幻想 的なものといった自分の名誉になるものを組み立てるからである」43 と報告して いる。レオナルドにとってシミは、芸術家の才能を引き出す想像力を刺激する 役目をもっている。想像力は、壁のシミを見ることで誘発され、動物と人間の 戦闘、あるいはまた悪魔や幻想的で非現実的な情景も喚起させる。 アラスはさらに、ルネサンスの悪魔の表象は、もはや宗教的恐怖を掻き立て るものではなく、想像した芸術家の手柄の対象になるといっている。悪魔像は、 宗教的意味を喚起する対象ではなくなり、芸術の対象になる。画家の技術の表
出、才能の認識対象になるのである。 悪魔のつぎはぎだらけの肖像は、やがて消えていくに違いない。というの もルネサンスの発展とともにハイブリッドの怪物は、モティーフとなり、 絵画の領域でグロテスク装飾というよい場所を見つけたからである。44 ダコスは、グロテスク装飾論におけるドーニの意義は、レオナルドのシミと グロテスク芸術を連結させたことにあると書いている。 暗示的なシミを解読することは、─グロテスク模様を具象芸術との境界に 位置づけるほどであるが─純粋な創作を可能にするものであり、曖昧な ヴィジョンから生まれ、怪物的なものを生み出す傾向をもつ。ドーニ説の 新しさはレオナルドのシミとグロテスク装飾を結びつけた点にある。グロ テスク装飾は、空想という手段で芸術家のファンタジーから生じ、絵画に おいては夢の翻訳に対応する。45 壁ににじみ出たシミや絶え間なく 形を変える雲は、芸術家の空想力を 刺激したにちがいない。ルネサンス の芸術家たちの創作の源泉は、これ ら具体的な形をなさない点や線や塊 であった。モレルは、ドーニが「幽 霊」や「夢」、「他の不可能なもの」 まで具象化する芸術家を詩人と呼ん でおり、ブルキエッロを「グロテス
クの詩人画家」poète peintre de grotesque と呼んだと指摘している。46
このように、空想力がある画家は、詩人と同じであり、形のないものに形を 与える力をもち、想像力がある画家であると同時に詩人である。グロテスク画 家は詩人なのである。
しかしなぜ、ドーニは壁のシミとグロテスク装飾を結びつけたのかという疑
問についてダコスは大変興味深い指摘をしている。 16世紀のグロテスク装飾の解釈に、特に豊かなこのような照合がみられる 最初の理由は、おそらく古代の壁画を発見した芸術家には、湿気に蝕まれ てシミやカビが生えていたのが見えたからであろう。47 つまり、グロテスク模様=シミの解釈を促すのは、15世紀後半に遺跡が発見 されたとき、湿気に蝕まれて実際にシミやカビが生えていたからであろうとい うのである。 アンドレ・シャステルは、アルメニーニの『絵画真範』(1587)に言及して、 グロテスクという言葉はモンテーニュの時代には、日常的に使用されており、 その指示するものは「空想を描く絵画」であったという。 これらのモティーフは、昔、白かった壁に発見される割れ目やシミから生 まれたものだと考えられている。研ぎすまされた感覚で観察されたこれら のシミは、ファンタジーや奇異なものの前代未聞の形を露出させる。48 グロテスク装飾は、壁の表面の割れ目、裂け目、汚れ、カビを見て、発想さ れた装飾だというのである。湿気や乾燥や地盤沈下など、壁の外からくる圧力 や障害によるシミや裂け目もあるが、壁自身の石材のもろさ、あるいは硬さか らくる割れ目や穴などもある。そのような、地殻変動や時間の経過も相まって、 壁の表面に現れてくる建築上の偶然のトラブルが、画家の想像力を刺激する。 あらかじめ予想されていない偶然の出来事から生じる形態を利用して、その延 長上に芸術的形態が完成されていく。シミが芸術家の連想の才能を引き出そう とする。シミを見る画家の連想力が形を生成する。自然が造る形態と人間が生 み出す形態とは連続しているという考え方でもあろう。 しかも、この形態生成は、表面で起こる。シミも割れ目も表面に出てきた形 であり、人間が生み出す芸術も、芸術家の才能の露出である。この表面におい ては、シミと割れ目と芸術的形象が等価価値をもつ。 連想力というのは、画家によって深く熟考される力ではない。むしろインス