一
根 岸 正
入 費本の利用に閲し、利息は恰も影の形に添ふ如く緊密なる関係を有し、資本利用のある虚には必然の如くに利 息計算の問題が伴ふべきであると利息包含論者は諭するのである。 資本真申なる支配人としての立場から観るならば、自己の手中に重ねられたるものが企業所有者それ自身の資 本であらうが、他より借入れられる軍に依って調達されたものであらうが、製造の用に供すると云ふ専管の上に 於て寸萄の差欒lもない。借入金に等質上利息を支彿往、従って之を正取引として原偶にとり入る1以上、自己資 ︵詣三三︶ 本にも亦利息を計算し之を原偶にとり入るべしと云ふのが包含蕗者の主張である。pa什○コの示すが如く、或る倉 敷が或る年度に汀萬弗の六容利附敵債券を蟹行したりとLて、之に利息声帯弗の支沸をなし、翌年之を増資の形 を以て株券に引直し沓操たりとするならば、最早此の暗から利息の蟹際的支出は不必妥となり来るであらう。唯 だ純利益の生じたる時に配常金なる名義のもとに彿出をなせぼ可なる結果となるであらう。蓋し、菅際の排出を なす場合には原慣に算入するが、然らざる場合には原偶に算入せすとするならば、此の場合単なる財路上の時換 原偶ミ白己辞林利息原債ヾ﹂自己資本利息 ︵三︶
︵二三九︶一七︵二四〇︶ 山八
第六巻 第三躾
軒けによつてート奥の他の専偶に何等攣化なきに拘らす1直ちに製品の製造原憤を引下げ得る寄となる る斯かる考へ方は大なる過誤をなすものであつて、若し前者の場合に利息を原偶に編入するならば、後者の場合 忙も亦利息相雷額を原慣に編入しなくてはならない。黙らざれば原償計辞の結果は大なる錯視に陥ると云ふので ある0 之に勤して、利息非包含論者は云ふ。企菜は敢債磯者に劃して必ずのヰうに瑚定の利息を安梯ふ義務があるが 株券に書換へられたるもの即ち株主に勤しては利息支沸の鵡務はない。唯だ企柴が純利益を挙げたる場合に配首 を行へばよいのである。而して此の配富は企柴経費の支出ではない。株主に勤し山定の利息を文挑ひ、其の常葉 期末に企柴が純損失の若干数字を出すやうな寄があらば.それは倉計的にも法律的にも共に明かに違法である。 此の鮎からして敵債なる場合と資本なる場合とには明らかに別偶の取扱方法が存して可なるべきであると主張す るのである。 叉更に、非包含論者は資本の調達と製退の運行との聞には鮮くとも直接の関係はないと主張する。即ち資本の ︵誌三四︶ 調達は一般財務忙銅する問題であつて製造上の問題ではないと云ふのである。藍に之を敷節するならば原慣なる 観念を種々に分類し、例へば製造原慣︵エ場原慣︶、販資原債、絶原偵に分っとして、自己資本利息は或は組原債 観念の下には原憤嬰囚であり得ても、単なる製造原慣なる観念の下に於ては原偵嬰囚であり得ないと主張する番 に蹄漕する澤である。もとく酔依にしても自己資本にしても、螢柴資金の調達は財務hの問題をなすもので、之に紬聯して起る利 息問題は十般盛衰損益で虚報すべきであつて、製造原侶として掬すペきものでない。今∴胎的でぁる企柴経常費 用を、其の企業の製造放資する商品の原憤に加へんと欲する絶原職なる観念が成立するとするならば、此の種利 息は線原偶にぬて原憤要因たり得ても、製踏原偵或はエ場原償の観念に於ては原偵嬰因以外の存在でぁると主張 せんとするのである。 併かし此の議論は、資金を調達と云ふ斯からのみ親祭せんとする場合の考へ方であろて、如く調達せられたる 資本が工場内に働くか、或はエ場外の叫般鮭螢管靴の部門乃至放蟹の部門の申に働くかに着眼しての論議ではな い。調達と云ふ鮎にのみ着脱しての論議が立ち得るならば、其の利用の状態と云ふ鮎に滑脱Lての議論も同様に 成立する詳であらう。即ちエ婁に働く資本の上に必要とする費用︵此の場合利息︶をエ場原慣に加ふべしとする議 論も成立し得る諾である。敵情たより得たる資金の全部をエ場設備に投じたる場合に、酷使の上に支排ふ利息む 一般経食費として、一般一Ⅷ帳の損益口座で販資品よる来る収益と相殺すべきか、或は叉此の利息を預め製品の擾 偶に運んで、後に起り乗る賢上牧益よりの拉除に備へ愚くべきかは、棚卸偵格の膨脹とか未蜜鋭利益の計上等の 議論敦盛れて考ふるとき崗議論の故地はあり得る。併かし此の婁合祀偶の利息は現賛に企党外に排出すのである から、何れかの部分に於て正合計記録として取扱はる1黎は明かである。ぬが、自己資本の場合に於ては硯蜜に 利息の支排を行はないから、之を製造原憤で彪珪すべきか、或は血般損益で慶球すべきか、の直接的なる遮輔問 原憤ご自己沓哀別息 ︵二四†︶ 一ノ九
︵二四二︶ 二〇 第大食 第三堆 竃は此の際重要昧を帯びないのである。従って財務問題なるが故にとの條件の下に於ては非包含諭ば樺威を持た ない軍となるのである。 九 利息包含論非包含諭の封立は以上述べ来った如くに、橙々の論鮎或は見解の上に基礎を婁くのである。其ぬで 此の桐者の封立を靡くに雷つては、利息包含論を後生した動横を探り求めて研究し見るの必要があると訟くもの ︵乱三五︶ がある。而して其の動槙を段々詮索して見ると、其の申にSe≡コ瞥es什なる感情が刺戟的一因として敬見し侍ら る1と説く著があるのである。自己資本利息を原情状加算する結果は勢ひ製品の原憤を引上げる事となり、自然 資償を高める方法に出づる事となるであらう。即ち利息包含は企党利益を増進する政策ともなるものである。又 聾憤を高める方法打出づる寄能はぎる場合には、翻って、斯く尤大したる原慣を膳東如何に合理的に引下ぐべき や、其の引下げに特別の注意を喚逸すること1なるであらう。玄に於て管理者は節約乃至改善の飴地ある原慣項 目を漁り求むる番となり、能率増進の方法を嘗地に施し行く途を誘導し来る寄となる。此の鮎に於て利息包含は 多大の効果をあぐるものであると柄へんと欲するのである。自己資本を無利息の観念の下に利用して自己製品の 製造原償が低廉なるを誇玖、或は必然的なる原慣要因を漫然と把捉より逸して、原惜の低廉なるに甘まへて経営 の穿きを貪ぼるが如きは索よ旦急用道断である。此の鮎に於て自己資本利息を唯だ漫然と安倍決定の要件或は檻
皆の大局的親祭から逸して顧みないと云ふ事は常を得た理論ではないのである。併かし特に安倍を釣り上げんが 篤めに原偶に自己資本利息を加へんと欲するのであれば、それは殴りに方便的であると云ひ得る。文事賃此の方 法を應用しても、周囲に於ける競寧の苺偶により、或は市場の景気如何により、目的通りに密偵の決定をなし待 ない場合もあらう。さりとて叉極度に畿抑したる能率を以て理想の域に管理経営が進められて居る場合には、之 が焉めに特に能率改善の途は求め得られないであらう。賀し自己資本の計欝が斯く方便的のものであるならば其 の之を原偶にとり入るゝ事に依りて製品償格を特に騰資せしめ のでない。此の鮎から利息包含論は散りにjEしき理論の上に立ちたるものとは稲し得ない。唯だ正常なる賛慣決 定の基礎としての原憤を求むる馬めに、或は能率改善方法としての標準の梯立並に維持の蔑めに利息計罫が原債 嬰因としての重要さを持つと云ふのであれぽ構成を持つ、此の鮎に於ては非包含恋着も統計記録として原偶数宇 陀加へ観る方法がある事をすらSu送eSt Lて居るのである。 更に原慣に利息を包含せしむる方法により、特に製品並に什懸品の棚却偵格を膨腋せしめんと欲しても、資金 ︵註三六︶ 倍出の場合に於けるが如くに、銀行業に勤しては何等効兼を療らさないと云ふ議論もある。利息を原偶に堺入す る革によつて信用或は塘保品慣格を増す政策に供せんと欲しても、銀行柴者は其の慣格の申に含ましめたる利息 を拉険し見るの用意む怠るものでないと云ふのである。此の鮎から此の反討論は起されるのであるが、叫慣に銀 行業老が信用の設定に首ってエ婁製品の如きを許偵せんとする場合には、常に特別の梗準を用意するものであつ 原醗ミ白已資本制息 ハニ凹三︶ 〓一
十 更に利息包含論を生する一つの動機と七て、原慣計算法の均仙化運動を奉げるものがある。論者の云ふ庭に従 へば、現今の叫般原慣計算方法を見ると、自己資本利息を考ぼに探り入るゝ方法が多きを致して尽る。此の鮎か ら見て一般、の方法に順癒して利息を原慣に加ふる寄は、自己の企発と他人の企業との原償比較をなすが如き場合 に必要且つ有益である。而して此の原償比較は自己の経営にとりて絶大なる参考を供するものであるから、利息 ︵籠三七︶ 包含を以て泣も安常とすると云ふのである。即ち﹂。rdaコaコd〓arrisが掲げて居るやうに、﹁ewis﹀H.エaコeyは叫 九州八年鵬二月二七日Thepヨer首aコ訝sOCiatiOコ○¶ごコiくerSi什y−コStr宍tOrS古君cOuコt言に澱て次の如く・に報告し て屠るやうである。 第六怨 第三既 ︵二門四︶ 二こ て、正常恵る原惜そのものが直ちに此の場合の標準をなすものではない。従つて又、銀行業者が製品原偶申に食 めたる自己資本利息を接険し見るからと云って、甚の二番が利息包含を否定する観き印由とはなり得ない。畢蒐 此等の論議は枝英に覚るものであつて問題の中心を射披く地位に立つもの﹁ではない。 ︵詰三三︶ ︵註三四︶ ︵詔三三︶ ︵話三六︶
PatOコaコn S什e完コSOコーPriコC垣es OraCCOuコ〓コ禦PP一望u・巴心.
LOrdかコaコdエarri∽こbid.−P.念u.
LOrdaコaコdエarrisこbid.−P”缶00.
﹁今や投下資本に射する一定め應償を原偶に加ふるの努力が叫般に試みらるゝの気道に向つ食。斯くて問題は郵
退化落着くこ上ゝなるであらうか。技術家の技術が企柴家をして、原慣通りで響mを安らしめて、葡且つ企業 家に其の投下資本に劃する應償を得せしめるの碧くaコCedec。コ。︳cs点eに達したものであると見る事を得ないであらうか﹂
Haneyの云ふ如く、原概に利息は勿論利潤に屈する叫切を加へて、原慣即ち費慣であるとして、原慣通りに販資 して其の問に佃企糞所有者に利潤︵資本利息も︶履も得せしめるの方法は、宵際手段として或は利便多き方法であるか戊知れない、。併かし利潤を加へたる原慣通りで常に放資が行はれるものとは約束されて居ない。孟ハの約束
のなき事こそ企業別潤なるもの1時に許さるゝ理由ともなるものである。而して叉原慣に食められた利息も亦放 資によりて回収されるとは約束されて屈ないのである。靭頭=城頭の公式で投下資本の利息並に利潤が得られる計算を形づけても、其の計算の取扱ふ範園が正しいか否やは保謹されるものでない。
︼時、或竺切の原惜計算が自己資本利息のとり入れに傾いたかも知れない。併かし今日並に将来此の方決が
永久に勢力を持腰し、或は積極的に諒を風靡するか否かは今日の傾向と云ふだけでは預断を許さない飢利息包
含の常否が料蓼的に決せられなくては其の持摸性の如何は断じ得られないのである。
此の叫般に臓臆すると云ふ論鮎から凰ひ起す二軍は、彼の均義憤計算法械立の大道勤である。寄寓、北米合
親閲に於て鱒原偵計算制度の確立普及、それも奴の均品なる虎偵計算制度即ちUコ箸ヨCOS什∃e旨ds樹立の馬 原慣ミ自己暦本利息 ︵二四五︶ 二三第六巻 第三戟
︵二四六︶ 二組 めに公私多大の努力が致されつゝある寄を見るであらう。殊にTradeassOC貧○コSに依ってなされた原惜計算上の 貢献は凛大なるものがある。彼のFedera−TradeC。mヨ ってなしたる原慣計算知識の普及と通常なる原償計算削虔の托用に致した努力とは、特筆大書するに足る寄嘗で ある。其の他H2−b2rtエ00く2r卓宰時代のロepartヨeコtOf︹○ヨヨerCeのなしたる製品の規格繚二・無駄の排除を目 標としたる改善の大運勤並に之に開聯して原偵計算制度の確立に封する努力亦看過すべからざる虚である。此の 外北米合衆図商工合議例の均叫原慣計算制度梯立の運動、就中↓heロeparぎeコtOf三aコUfactureOftheChaヨberが Dぎs仙。コ。fC。StanC。uコt茸を設けて、或は蜜際家の禽合痘痕甘、或はパンフレットの莞行を企て1、均二悼惜計 算制度の樹立正数した努力も看過し得ない。叉此の原憤計算制度に多くの趣味と驚際関係とを有する者が互に相 寄って、Theコati。コalass。Ciati。コ。fn。StaCn。uコ叶aコtSの如きを組結し、鮮慣計算の料撃と驚行方式の研究並に普 及に大なる努力を致したる革も明かなる革質である。 斯かる兜覚的大運勤が世界大戦後の米図工柴界に惹剋せられた寄は、エ発の∴般経常をより能率的ならしめた 事勿論であるが、其の努力中に於ける均二塀憶計算法の樹立普及が特に著しく経営の合理化を顛現せしめた寄も 亦明白である。玄に謂ふ均山原慣計界法はUコ⋮叫OrヨCOSt苫ethOdsを指すのであつて、uコ芽rヨ3elhOdsOf︹OSt fぎ草屋或はSta⊃darmCOSt・f夏コ茸systeヨと呼ばれてもよい。要はエ柴の言r当Chに於て個々の企業者が勝手の 見解の下に任意の取扱をなすことを醍めて、統一ある見解・婁叫したる取扱法を寒行せんとする場合の形式を云ふのである。併かし斯′去へばとて、此の均二力法の應用と云ふ事が絶射的なるこ閲の鋳則となつて、同一秤耕 のエ業に於ける各個の企菜を批判すると云ふ意味のものではない。各工場の助産を其の分類法に於て、使用書式 の上に於て、葛搾取扱手綬の上に於七・・千欒側律的に親御しょぅと云ふ意味ではない。叉世閥には此の均劇的方 汲を以て、原情態事象二辞して資偶の協定をなし、宣T↓rustrawやclay什。⊃宣に依って禁ぜられたる虚を破つ ︵証三八︶ て、管行に移そうとするものであると難するの凪があるそうであるが、之を目的としたものでない畢は勿論であ る。まして人馬的・裁定的な金額を以て製造原偶の数字であるとせうとする運動でもない。唯だ之が薦めに求む る日棟は理論の均ノ妄あり、そして各方法の類似性であり、叉手粒の近似性であつて、特別のエ場に於ては絶封 ︵謡三九︶ 的の均山を或る鮎に放て欒更欒形する箪を許容すると云ふ諒解の下に行ふ魔のものである。叉自己資本利息の如 きを特に響岸偶に算入する寄を弧削せんとしたものでなき事も事嘗に敬して明かである。又北米合衆開法侠は ︵註四〇︶ 自己資本利息を製造原偵に編入する事を許さゞる旨の判決を下して居るのであつて、其の啓寛は此の場合併せ一 考を要する啓柄であるっ UコifOrヨCOSt.ヨe旨Ods制定は 山、資質的に同株なる勘定の分類及び財政表の形式の採用。 二、製造費用を製品へ割賦する方法の標準、放資並に管鱒費用を割賦して製造及販嚢の原偵を求むる上に於け る同叫方法の採用。 原侶ミ自己資本利息 ︵こ四七︶ 二五
︵こ四八︶ 二六
第六懸 第手紙
三ヽ補助部門並に製缶部門に分類し、或は何等か特定の目的の雷めに特定の部門を構成するかにつきて同様の 原班の採用。 阻∵製品につき、程度。大さ・捜等類似の製品に同叫の分類法の應肘。 五、材料並にエ貸の計欝に於て状態が同剛なる場合に、驚質的に同側の方法の採用。 六、費用の分類に槙準的分類法恕使用L、祁助部門原偶の割賦方法に梗準的の方法の膝用。 ゐ上に於ける努力をなすもので、著L同〓主業に於て数個の企染が其の紳披、其の方法、其の設備等に於て全ぺ 同一であるとするなちば、此のすべてのものには同一の方法が應用せられなくてはならないと云ふ親側から承認 せられたる運動である。斯くて此の均一制度は之を利用する寄に依つて、各自の失費多き試験の伊黍を避けて直 ちに効弟ある方法を授けるし、競寧場裡にあつて最も探き知散のあるもの∼揚ぐる結果を自らも揚げ得るのであ る。又〓尊を直ちに統制ある困濃の舘に有効に侍へ、一般公衆をして賛偵は十分なる原偵知識を持つ製造糞者に 依り、合印的に定められたるものなる欝を信ぜしめる。叉製造染着をして、柏手就学者が有効に利用して居る方 法を、自らも利用するが有姦である専を知り得せしめる。今迄不利益なる基礎の上に製造或は販賛し居たる品種 を明かにし、之では到底引合はないと云ふ如き危険級の頚見、慣値・能率・労働者・松城・製法・経常其の他粂鰹 疫射する舵螢上の無駄の指示者として役立つ。叉梗準と蟹際との比較に関する時報を得せしめて能率の評定を可 能ならしめるのである。均一制度と其の利用上の利便は殆ど独尊に退なき磨であるが、唯だ此の均叫制度が應用十−
以上楼れ包含諭非包含詞の主張を展開し、且つ場合忙よつてはそれを批評も七たのであるが、数多き論議の中
で、経臍的原則に基きて包含論を是とすべきや、或は愈計的原惜を是認して、非包含論を是とすべきやは中心の
画題をたし、炎ぎ把比較の方便諭も亦仙洞重要なる陶磁をなすものである番を知り得る。ノ自飴の諸間超はそれぞ
れ艶に欠陥を有し且つ樺準の関係をなすに過ぎないものである′。
合計的原慣が自己資本利息と利潤とを混二衣示すペしとか、利息は利潤の形で開展者に交附すべきものである
との主張は、食酢配嘗ぬ関する法規の定むる朗、法律の主義尭張する炭によく合して、法律的には正七義論で
ある。叉斯くする番に依りて愈計原嘩は其の粍紳に於て形式に於て至極簡易凝るを得る。然るに経済原則に従つ
で利息は生産の⋮要因をなすものであるとの包含諭の主張も、経済的には確かに正しき議論である。鼓Ⅵ経済朗
読論と所謂合計的︵従来の合計鱒坪の意︶乃至法律的議論との問に衝突を釆たすのであるが、法律的議論は、其の 交附の形式に於て膝用せらる1議論であつて、賛紫外に之を梯出す場合には少く之も問題となり得るが、内部的 ある。 ない。寧ろ此の均二叩度を押流める場合に利息包含の嘗香を合面的に論究しなくてはならないと云ふだけの事で され抵奨され、従って周囲が均等になつたからせ云って、此の明暗で利息包含論が聯を制したもの4見てはなら 原棋王自己資本制冶 ︵こ四九︶ 二七第六春 希三妨 ︵二五〇︶ 二八 計算殊に原偵計堺の矯めの紺係に於ては、閲輿む持つべき性質のものでない。此の歩合は唯だ合計原理が大勢を 左右するの存在たるのみである。磨が此の禽計原理が、逆に法律的の結果から判定する議論に根椋を畳いて、非 包含を是認せうとしたならばそれは確かに誤りである。即ち鋸魔者に封し交附の形がどうであるかに伐つ三且諭 するならばそれは誤謬である。合計原理が収支或は蜜硯の取引をのみ取扱って、仮設的の寄蟹を正記録として取 扱はないと云ふ確論を女将し、更に自己資本利息計算の侶設の革質たるに間違なけれぼ、合計原理の主張する利 息非包含論は正しい。自己資本利息が恨設的のものでなく、眞蜜に蟄生性のものであるとか、或は収支又は賛硯 の取引のみを取扱ふのが合計原理でないとの主張が成立すれぼ、経済原則の主張する利息包含諭も亦誤りでない。 併かし利息包含論者からは此の繍の議論は行はれて居ない。億づ問題は此の鮎から解決Lて行かなくてはならな いのである。 釈臍原則から自己資本利息を原憤の一要因であるとなす包含論の主張も正しい。利息を度外にして製迫が運行 されるものでない革も明かである。経営が資本利息の回収惣も自的とL、更に共の上にも⋮窟の利潤を揚げなく てはならないとの企岡は、jEしきものであり且つ常然の寄許である。此の場合原慣計算の関する限りに於て、之を 原債として取入るゝ許諾をなす事竜も芸文なき寄であり、且つ常然の黎である。一般愈計原理が驚際の収支或は 後生性の収支むのみ取扱ふと云ふ硯鮎からするならば、此の鮎に於て或は二般合計原理と原惰観念とは異なりた る意聞を持つものとなるであらう。即ち原慣計算に於て利息包含を是認すべき啓は、非包合論者が利息を統計記
錬として正助字還さすとも参照卜見る方法が存すると主張するに鑑み、非包含論者が眈に之軒是認して居る苺
を知り得るのである。統計方法によりて原偵に加へ見ると云ふ箪は、密計原理として設定したる﹁恨設の取引は
荘勘意として取扱はす﹂との自ら設けたる原則を擁適せんが馬めであ言、原債要素としての利息否定其のもの
ではない。もし否定であるならば統計記録としてゞも参照し見る必贅はなき筈である。
︵認四一︶ 彼の比較の間趨にして見ても、Cトu−︵トか詮くが如くに、或る工警於て例へば1日UO梯の資本を投じた機 械を設備したとして、此の機械の減債鋪却を八房とするならば、之に資本利息不%を見破ると香とは次の如き結果の相異を生するのである。
包 合 法六〆の利息 八少の城慣鏑却
計 年経費∵
非包含鍵 利 敵八〆の滅偶鏑却
計 年経費原傾ご自己棄水利息
六〇弗 八〇弗 一囚○弗 八〇弗 八〇弗 ︵二芳一︶ 二九の封算となる。非包含鋪の記録を通じては暫械械も新機械も伺仙経費であるから取替ふるも取替へざるも可なる
結⋮筈示すが、包含論の群銀を通じて見ると、製造能率に差のなき以上、批の場合取蓉薮行ふペきものでない事
訂白に知為るのである。此の鮎に於て経営に参若供する慧の原他計算に於ては、利息が経済原則的に原
慣の嬰囚であるなしを諭する迄もなく、原概要由としての取扱をなす必螢がある串を感ぜしめるのである。即ち
第六番 第三兢
︵こ革︼︶ 三〇 即ち年経鎗計算は斯く相異し来るのである。若し此の場合此の機械室﹁00C弗の憤梅の別の機械と取替んとし て∵敵機械が懲機軸より堅警ある蔑めに四岩城憤鈴却で済むならば、製也能力阿山であろても此の芸は問 題となり得るであらう。新棟繊の場合は 包 含、法 年六郎の利息 町%の減債餌却 計 年経費 非∵包含法 利..良 明〆の減債鈴却 封 年経費 八〇弗 八〇弗 叫二〇弗 八〇弗 二〇〇弗膵臓計穿と云ふ考へ方に立っては総柄原則的の親方が特に盈宴を致すので教つて、之を原憤婁凶と看撤す事に寸
竜の不可はない。唯だ叫股合計が山般原理として蜜際の収支と云ふ立場から利息非包含の態度を持するに貰って
濁り原偵計算が別の原則を玄海す、るならば、血般合計と原慣計算との問に不調和を米たす寄となるであらう。此
の場合に佃原慣計算竺般合計原理に順臆せしめんとならば、原憤計算金牌を参考的資料として統計記録たらし
ひるか、或は原償計算を禽計の露記録の上に立たしめて、自己資本の利息の計堺を本編﹁六﹂鱒示したるが如くし
て輿品棚卸或は仕響蒜却より拉除するの折衷策を講すべきである。此の折衷覚を講ザると云ふ壷が、利息む
原傾要因とすべしとの諭接を薄弱ならしむると詮く者があるがノ、寄蜜決して然るものでない。叉此の場合貸方科
日が直接準備金に化するとの批難が行はれるが、之は此の際飴り盈嬰でない。準備金に化するのが不可であらぼ
他のSuspeコSeの勘定として残し竃くの方便もあり得るからである。 尭木原慣計昇歓幾何の程度に於て二堅甲計と調和せしめるか、両者それ′ル∼弼立の計算たらしめて美文なしとしたる人と場合とがあつたであらう。今日竺般禽計に於七多く統轄勘嘉を用ひ、原憤計堺を其の下に配して、
両者の正確なる聯閲を企固する寄が通則であるかの如く取扱るゝに至ったのである。見れもとより常然の企てゞ
あるのであるが、此の際此の原慣計算の下に今日漸く企閲せられんとする梗準原慣StaコdarmC。StSの制度を考へ見る欝は無用の業ではない。標準原憤を原慣計算の正記録に取入るゝか、或は之を参考記録或は統計記録たる鱒
留めて、嘗際計算との餐躇に傭へる桂皮に留むるかについて.、必ずしも人々の態度は二致して屈たいやうである 原侶ミ自己資本制息 ︵こ恵三︶、三一弟六巷 第三既 ︵二五Fq︶ 三二 今日の原債計昇に於ては、エ場に於て硯賛に教生し来りたる結果を記録統計して、それで製品原情の決定を全部 路了するものと考へてはならない。コarrisOコがよく諷刺せる如く、普通の人々は馬が厭から盗み去られるのをま って速かに橘の盗撤を報告さへすれば、それで職安を十分に述したと考へて居るのである。厩の扉が堅固に飽か けられて、盗み去らる1やうな不幸の起らざるやうに、常に気を配る事が管理者の臓蕾である尊を忘れて居るの である。エ場の製造能率、換言すれば原慣切下げの努力は、エ場管理畢の負櫓であつて、際偵計算の領域でない と考へるものがある。彼の科興的管甥迭の如きに依って能率の改善に努めれぼ、其の結果の計算たる原憤計算は 自然に最小の原憤激字を示すもので、根本は管狸法にあらとする者が極めて多いのである。併かし此の管理法が 偉大なる科挙の力と嘗際の経験とに訴へて、諸種の事項に標準を梯宜して共の棟準の維持に力めても、其の標準 の示す所の叩想と賛際の計算の結果とを比較するの方法がなく、其の嘗際の結英が棟準以下にある額合の理由を 明かにする方法がなかつたなら、科嬰的管珊の運行従てまた経密能率の改善は園滑なる進行を圃り得ないであら ︵託四二︶ ぅ。同時に叉、今日の原惜計算方法は料率的管理法精油の應用によつて進められなくてはならない。即ちすべての 原概要因に封し、標準を設薩し、其の棟準に剖する賓際の運行が如何なる程度に於て調和を得居るや、或は其の ︵詣四三︶ 調和を得ぎる原因那遊に存するや、此等を明かにする原僧計算でなくてはならないのである。RetrOSPeC苦eCOS什 accOuコ〓コ∽即ち回顧的原憤計罫法はたゞ徒らに過ぎ滋つたる溺嘗による原惜計算に終始し偽るのであるが、此の 市銀では今日親寧の激甚なる粧臍界にあつて駿正なる賛偵の決定はもとより、碩廠的に能率閃畿の企固に封する
合計として甚だ不足多きものとなり終るであらう。
唯だ此の場合に於て、諸原憤項目に封する標準数字を如何に取扱ふや、之を正記録に探り入る1か或は之を単なる参考数字として取扱ふや、文花記録として取扱ふ場合に如何なる方法を探るペきや、共の合理的研究には尚
漢多の日月を要するであらう。榛準原慣計算法が自′己資本利息を原慣要因と認むるや否やを論議せんとするもの
ではないが、横準原偵計算の意固よりすれば利息問題は看過すべからざる重要番項をなし、梗準数字として或は
能率測定数字として、之を如何に利用し或は魔球すべきやは、一個重要なる問題をなすであらう。
自己資本利息を原偶数字として原慣計算の取扱項目とする場合に起る手数、殊に流動資産或は運柑資産の上に
動く資本利息の上に計算上の可能性が疑はれ、計欝の易き固宋資産の上旺動く資本利息のみを以て原憤激字とな
さんとする傾向は、利息包含諭の崩壊を思はしむるとの議論は為に述べた磨であるが、原慣計算が智行の問題に
移り、相封的の完全さにそ払、併かも原慣計算の遅行の費用を経螢能率を通じて観るとき、止むを得ざるの車と
なさゞるを得ない場合も起るであらう。是を要するに自己資本利息の非包含論は施に述べたるRe叶rOSPeCtiくenOSt accO亡茎コ色の粛鮎を著しく曝露して居るものと見るべきであらう。︵完︶ ︵証三七︶ LOrdaコaコd〓arrisこbぎーPP=金甲畠p ︵証三八︶ ↓heJOu∃致OfannOuコt当Cy、<○−.、声P小山田 ︵潜三九︶ Law−2コCe.︼bid..P一巴︳ 庶慣ミ自己資本利息 ︵こ五五︶ 三三︵註四〇︶ The JOuヨa−OfaccOuコ什aコny︶<○︼●−仇−P●︼△u●
︵謹四こ 声エa⋮iぎコChurch−○くerheadE竜eコSeiコRe蜜一〇コtOnOStS㌫a一es当dPrOfitsこ竜・u00冨芦
︵誕凶こ︶ ∩.︹harterエarr訂○コーStaコdard nOS︷s lコS亘︼atざコーOper已iOコaコd Use pp◆N甲山O●
︵註四三︶ C−宣○コエ.SnOくeニーnOS什accOuコニコ色aコd Burdeコ3pp芳atiOコーP●彗・
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