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9 教科で 39 あった内申点も 32 に落ち込み音楽は 2 になりました 4 中 2 冬期講習内申は下がったものの ある意味狙い通りでした 結局 一番大事なのは3 年生の2 学期終了時の内申点なので この時期に大事なのは 一回失敗させることにより 今までのやり方では通用しないということを自覚させる

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Academic year: 2021

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【中学部 体験記の講師サイドからの詳細】 今年度の卒業生の受験までの成長過程です。本当に充実した一年半を送れました。 ①入塾前 彼と初めて会ったのは、塾を立ち上げるにあたって生徒募集のためにチラシ配りをして いた7 月の初めくらいでした。家族 4 人で出掛けているところを話しかけたのが最初でし た。彼はシャイな子で、知らない人とは関わらないというオーラが全開で、離れた場所で 私達のやり取りを見ていました。なので、あまり見えなかったこともあるとは思いますが、 最初は、女の子だと思いました。その後、数日して問い合わせに来ていただいた時に、実 は男の子だったと知りびっくりしたことを覚えています。 本人は英・国は出来るけど、数学の連立方程式の文章題ができないから、夏にちょっと 勉強しておこうかなという感じで夏期講習を受講しました。 ②中2 夏期講習 そして夏期講習が始まりました。もともと他の塾と公文に通っていて、学校の成績も良 かったために(当時の内申点は9科39 5科25でした)本人は口にこそ出してはいま せんでしたが、「俺はできる」というオーラを授業中に常に出していました。なので、宿題 もやっては来るけど、間違えたところやわからない問題は赤で書くだけで、特に出来るよ うにしようという意識はかけらもなく、それを注意するとふてくされて、まるで集中しな いというところからのスタートでした。 ③中2 2学期 9月に入ると一度は、もともと通っている塾に戻っていきました。そして、一ヶ月が経 ちました。我々の塾では毎月1回志望校の判定もでる業者のテストを行っているのですが、 8月の終わりに行ったテストの結果が返ってきました。結果は小松川で40~60%(偏 差値:英語53 数学49 国語59)というものでした。それから2ヶ月が経ち、定期 テストを3 週間後に控えた11月から正規の塾生として来るようになりました。 中2の夏休み明けからは、ちょっと器用に試験勉強をやっていたのでは対応できなくな る時期です。それは、再三本人に話してきましたが、今まで自分のやり方で結果を出せて いるという自負もあったのだと思います。特に自分のスタンスを変えようとはしませんで した。そのような状態だったので定期試験の前から結果はみえていました。まだ、信頼関 係も満足に構築されていない状態だったので、我々としても目先の結果を追うのは止めて、 まずは自分たちを認めてもらうために、授業が終わると2人で色々な話をしていました。 そして、2学期の期末に突入しました。我々の予想の通り、結果は散々なものでした。

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9教科で39あった内申点も32に落ち込み音楽は2になりました。 ④中2 冬期講習 内申は下がったものの、ある意味狙い通りでした。結局、一番大事なのは3年生の2学 期終了時の内申点なので、この時期に大事なのは、一回失敗させることにより、今までの やり方では通用しないということを自覚させることと考えていたからです。 しかし、いくら3年の2学期の結果さえ残せばいいとはいえ、学校の先生にも先入観は あります。一回いい点数を取っただけでは、なかなか評価はされません。3年生に可能性 をつなげるためには、3学期の学年末をしくじる訳にはいきませんでした。 また、最近は内申点よりも実際の得点力を要求される場合の方が多いので、本番の試験 で取れる得点力を付けていく必要もありました。 そして迎えた冬期講習。今までの話し合いで、やっと我々のことを少しは認めてくれる ようになったみたいで、宿題のやり方は少し改善されるようになりました。わからない所 は、聞きに来るようになりましたし、間違えた問題もやり直しをするようになりました。 勉強も塾以外で一日に1時間位はするようになりました。また、学力診断テストも科目 によるバラつきはあったもののちょっとずつ上がっていきました。 ⑤中2 3学期 3学期は1ヵ月ちょっとで試験が始まるということもあり、1月の中旬から宿題で定期 テストの範囲も出すようにしました。そして、次の授業でその部分の確認テストをすると いう形でおこないました。この時期は受験が成功するか失敗するかの最初の分岐点でした。 大部分の子供は中学 2 年生の 2 学期は部活や学校に慣れたことによってダラダラするの で、成績は落ちるものです。彼の場合も前述の通り落ち込みました。しかし、3 学期でもそ れを続けていると一年後の成功は、ありません。ですから、この1 月はどれだけ本人が我々 の言うことをきちんと聞いて試験勉強に取り組んでくれるかという部分が勝負でした。 本人としても、これはやばいという思いもあったのだと思います。9 科:35 5 科:2 1で音楽の2 も 3 になったので内申点の部分は、ここからさらに上げられるなという確信 が持てたテストでしたし、3 年生に向けて希望の持てる結果でした。 ⑥中3 1 学期 この1 学期が一番苦労しました。我々の塾では 3 月から新学年の扱いとなり、学校では

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中学2 年生ですが、塾では中学 3 年生の扱いになります。 大きな違いは、都立を志望するお子様に関しては3 教科から 5 教科に科目が増えます。 我々の塾では中学3 年間のカリキュラムを 1 年間(実際には社会は半年。理科は 4 カ月 でまず一通り終わらせます。)で理科と社会のカリキュラムを行うために、宿題は当然増え ます。 まず、最初のテーマは「勉強の体力をつける」ということをテーマに置き、3 月の下旬か らの春期講習会では営業時間(9:00~21:00)の間ずっと勉強をしてもらいました。ただ、 彼は卓球を部活とクラブチームでも行っていたために、毎日という訳にはいきませんでし たが、来られる日はとりあえず来ていました。 しかし、ずっと集中して勉強していたかというと、全くそんなことはなく、「この塾はお かしい」「そんなに勉強するなんて聞いてない」「嘘つきばっかりだ」など文句がはじまり、 そして文句を言い終わるとちょっと勉強始めて、やっているなと思ったら疲れたと眠り、 起こすとふて腐りながら文句を言いはじめるという繰り返しでした。ですから、塾には12 時間位いましたが、実際の勉強時間は授業の時間も入れて7 時間(授業が 4 時間)位でし た。ただ、今後やっていく中で最低限の成果は出たかなという状態ではありました。まず、 講習会はずっと塾にいるという覚悟が本人に持てたことは成果だと思います。 本当に大変なのは学校が始まってからでした。ここが第 2 の分岐点でした。部活も最後 の大会で忙しく、塾の宿題は倍増しているという状況の中、宿題はやらなければいけない という思いはあるものの、今まで自分が趣味やダラダラする時間にあてていた時間は維持 したいという思いは残っていたために、寝る時間を削るようになりました。 その結果、生活のリズムは乱れ集中力が低下したことにより、宿題はいい加減、授業は 全くやる気がない。そんな時期が続きました。その度に授業の後、話し合いをして、どの ようにしたら出来るのかということを二人で考えました。 もうこの頃には、お互いに心が通じ合い始めていたような気がします。最初のうちは黙 って何も話してくれなかったのが徐々に自分が今何を考え、何をしたいのかということを 話してくれるようになりました。そして、徐々に宿題もきちんと行うようになり、授業も 意欲的に聞くようになってきました。5 月に48まで落ちこんだ偏差値は6月に一気に62 まで跳ね上がりました。また1 学期の内申も、さらに上がり 5 科20 9 科38になりまし た。 ⑦中3 夏期講習前

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この時期に大事なことは、まず夏期講習の前に、ある程度の幅を持って受験校を決めて おくということです。 その理由として 1.本人が志望校を決めていない。 2.決まっているけど本人と保護者の意見が食い違っている。 3.そもそも学校を知らない。 ということが往々にしてあるからです。そのような状態で、夏期講習に臨んでも本人の自 覚が出るはずもなく、効果的な講習会は期待できません。 彼の場合は、入塾時からご家族・本人共に都立が絶対条件という希望があったので、都 立を中心に受験予定校を決めていきました。 基本的に我々のスタンスは「本人・ご家族の満足」が全てだと思っています。ですから、 ご家族・本人の希望を実現させるのが仕事だと思っています。 ただ高校受験はあくまで通過点であり、ゴールではありません。ですから、高校を選ぶ 際には、その先の大学や、もしくは何か専門的にやりたいことがあるのであれば、そこに つながるような受験校を提案することも我々の仕事です。 そこで、ご両親・本人とお話をしたところ、「早稲田・慶応は無理だけど、大学は明治大 学レベルにいけるといいな」ということだったので、そこに繋がるような学校と、本人は 卓球部の強い高校というのもあったので、そこも考慮した学校を提案しました。こうして、 夏の面談は終わりました。 <7 月時の受験予定候補校> 専修大松戸・日大習志野・国学院・日大豊山・明大中野・都立・併願優遇校 ※この段階では、小松川なら合格できるかな?ぐらいのレベルで他はかなり厳しい状況で した。これが、現実になるか失敗するかは、夏期講習にかかっていました。 ⑧夏期講習 そして、夏期講習に入りました。とりあえず、塾に毎日いることはできるようになって いたので、テーマは勉強をし続けるようにすることでした。とにかく、授業をどんどん進 めて、宿題を本気でやらないと終わらない量を出しました。 くじけそうになったこともありましたが、彼は諦めませんでした。我々もその思いに応 えるべく彼が帰るまで塾を開け続けました。一番長い日は夜中の3時まで残って勉強をし

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ていたこともありました。流石にこれはちょっと保護者の方に怒られるのでないかと正直 ドキドキでした。 ※事前に、お電話はして了解は得ていますし、帰りは自宅まで送りしました。 本当にお母様のご理解・ご協力がありがたかったです。 ⑧中3 2 学期 2 学期からは学校が終わると毎日塾に来て勉強をするようになりました。我々もやっと受 験生になったなと思っていました。 そして、模擬試験が始まり、授業でも過去問の演習を行うようになりました。本人とし ても夏に頑張った経験があったので、それなりに自信もあったのでしょう。しかし、1ヵ 月勉強したぐらいで結果が出るようなものでもありません。なかなか、出ない結果に、精 神的にかなり落ち込んでいました。この時期も授業の度に話し合いをしました。 そのような状態が続くなかで、徐々に点数が取れるようになってきて、本人も自信を持 てるようになってきました。 この時には、すっかり自立し、自ら考え行動できるようになっていたので、学校の定期 テストは「そろそろ勉強を始めようか」という指示は出していましたが、確認をするぐら いで十分な状態になっていました。そして、実際に内申点も5 科24 9 科42まで上がり ました。 ⑨中3 冬期講習・受験期 これで内申点も決まったので、受験校の最終決定をするために面談を行いました。そし て、決まったのが以下の通りでした。 <受験校> 専修大松戸・早稲田大学高等学院・東洋・本郷・明大中野・両国 この時期には、頼もしい受験生になっていたので、合格に向かって突っ走るだけでした。 結果は、1 月に専修大松戸を合格し、その後に早稲田大学高等学院が合格したので、本郷・ 明大中野・両国は受験をせず、受けた学校は全部合格という結果でした。こうして、彼の 受験は終了しました。

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⑩最後に 今まで色々書いてきましたが、成功した最大の要因は「家族」だと感じました。早い時 期から我々が学校説明会・学校見学に行っていただき、受験校に対するイメージを持つよ うに尽力していただきました。また、結果が伴わない時期も信じて結果が出るのを我慢し て頂きました。おそらく「あいつらに任せて大丈夫か?」と思ったことも1 度や 2 度では ないはずです。本当にお母さんにはご迷惑をおかけしました。 また、お父さんも志望校を巡り母子が対立していた時期に、その間でお互いの話を聞い て、その中で、どのような方向に進んでいくかということをして頂いたことは、受験期ま での本人のモチベーションを保つのに重要な役割を果たしました。 受験は本人の問題です。本人がこの先どのような人間になるかを決める最初のきっかけ になります。 しかし、受験は本人だけの戦いではありません。ご家族の戦いでもあります。本人だけ に任せても、まだ子供ですから、世間を知りません。易きに流れ、まず間違いなくいい結 果は待っていません。だからといって過干渉になっても、この時期は大人の面も出てきま すので反抗され、いい結果は待っていません。 うまくバランスを取りながら、家族一丸となって本人を支えてくれたと思います。その ような素晴らしい家族のお手伝いができたこと。そして、精神的に軟弱だった子が本当に たくましくなったこと。その過程に我々が関与できたことを誇りに思います。 ただ受験がゴールではありません。また、いい学校に行くことが全てでもありません。 これからが本当の勝負です。頑張ったことがあるという経験・自信を胸に誇りと優しさを もった人生を送ることを心より願っています。

参照

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