Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Soolety for the Solenoe of Deslgn大
河
の
底流
の
ご
と
く
に
渡
邊
力
Watanabe Riki聞 き 手 宮 内
慙’
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…、
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、
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略 歴 1911イ「東 京に 生まれ る 1936年東京高等工芸学 校 木材−芸 科 卒 群馬 県工芸所 (ブ ルー
ノ・
タ ウ ト教 授の指 導を受 ける) 1940 年 東京 高等工芸 学校 (別 科 )助 教 授、
設 計製 図を担 当 匠943年 東京帝国大学農学部 林 学 科 〔木 材 材 料 学 )選科終 了 東京帝 国 大学 助 手 (航 空研 究 所 出 向 ) 1949 年 渡邊力デザイン事務所 設 立 1955年Q
デ ザ イ ナー
ズと 改称 !9S6年 日本生 産 性本 部派遣 の 工業デ ザ イ ン 専 門視察 団 の一
員と し て渡 米、
欧州 を旅行 1966−−
70年東 京造 形大学室内建築科教授 1976年 紫綬褒章を受け る 1984 年 勲四等旭 日小 綬章を受ける 1989年 オ ランダ大使 館の招 待で 訪 蘭 ミソ ション に参加、
ス ウェー
デン・
デンマー
ク を経て帰 国 1992年fi19
回国井 喜 太 郎 産業工芸賞受賞主
な作
品 1949 年 ハサミ材に よる家 具 新 制作 展に て新 建 築賞 19Sl 年 ヒ モイス発 表 19S8 年 ス ツー
ル と テー
ブル 仙 川 ラ タン)ミ ラ ノ ト リエ ンナー
レ 第 ll 回展に て金 賞 且966 年 ダンボー
ル に よる家 具 (1
条製 紙)に よ り毎日 産業デ ザ イン賞受賞 1968年 コパ ル国産初 デ シタ ルクロ y クのデザイン 1970年 SEIKO クロ ックの デザイン ig7[年 京王 プ ラ ザ ホ テ ル メ イン バー
のインテ リ ア デザ イン 第一
生命保険 (日比谷1
蒔計 台 1974 年 ee A’
ウロ教 会 (祐 天寺、 の家 具 設 計 渡 邊 力 氏は寡
黙の人であ る。
とりわけご自 身の作 品につ い て はt・
。 その数 少
ない言葉
か ら氏のデザ イン人 生 を再構
成 する。
東京 高等
工芸学 校
に学
ぶ 材 料と し ての木が好 きだっ た。
それで中 学 時 代、
芝 浦の東 京 高 等工芸 学 校の 記 念 祭に は か な らず 出かけた。
そ して木 材L
芸 科に 進 み た かっ た。
自分の行
く学 校は こ こ 以外にない と思っ て い た。
東
京 高
等工芸学 校 (
現
千葉 大学
」匚学 部)
は1922年
開校
。当時
た だ一・
つ のデザ イン教 育機 関
であ
っ た。美術
工芸
はとても盛
ん な時 代で、
美
術学
校で は 工芸
品作 家
へ向 け
て の教 育
が行
わ れ て い た。一
方、
その逆に柳 宗 悦 は 民 芸 運動
を展 開 してい た。
渡 邊
力はそのどち らで もない デザ イン(
もつ と も意 匠 とい っ た)
を 求め て東 京 高 等工芸へ 進んだ。
1933
年
に入 学し た高等
工芸
に は野 村 茂 治 (1901
−
1967
) 先 生 が お ら れ た。
野 村 先生 は1926年 京 都 帝 国 大 学 建 築 科 卒、
武 田五一
教授
の推薦
で1927年東 京 高等
工芸
学校
講 師と して赴 任。
1931年文
部省
在外
研 究員
とし て約2
年
間ドイツ、
イ ギ リス で学
び、
西 欧の息
吹を満 喫 し て帰
国し た新 進 気 鋭の32
歳の教授
であっ た。
セ セ ッシ ョ ン、
ヨゼフ・
ホフ マ ン、
コル ビジェの思 想 な どヨー
ロ ッパ の建 築 界の動 向 をお りこ んだ 建 築 室 内の講 義に魅 了 さ れ た。
家 具 やインテ リ アの仕事
に 進んだの は野 村 先 生の影 響によ るも
の で、
今でも
野村
先生 を恩 師と思っ て い る。
芝浦
に入っ た年
の春、
銀座
の資
生堂
で山脇
厳 夫 妻 がバ ウハ ウ ス留 学の成 果を発 表 され た小 さな 展 示 会 を見 た。
その年の夏 休 み に銀 座の並 木 通 りにあっ た 〈新 建 築工芸 学 院〉 の 夏 期 講 習 会 に通っ た。
ロシア の構
成 主 義と バウハ ウス的 な ものがミ ックス した よう な 教 育で得る と ころがあっ た。
プルー
ノ・
タ ウ トに 接 し て1936年 高
等
工芸 を 卒 業。
高崎 周 辺の 工芸 品 開発 を 熱 心に進 め ら れ ていた井
上房.
一
郎
が銀 座に 〈 ミテ ラス 〉 とい う 斬 新 な 店 を 開いていた。 タ ウ トのデ ザイン し た木 竹製
品、
椅
子 などが 置 か れ ていて、
そこ に2
,
3
ケ月
い て原 寸 図 な ど描いた。
それ から 新 設 され た ばか りの群 馬県
立工芸 所に入 所。
所 長は建
築 家・
上 野 伊 三 郎 (日本 インター
ナシ ョナル建 築 会 設 立.
メ ンバー
)
。
4年
ほ どの在
職中
、
タ ウトの デザ インした家
具や小 物の図ii
を描
い た り機 関誌
の編集
を し た。
学校
を卒業
し た て で、
わずかな 期間
でも あっ たの で、
残念
な が らタ ウ トの真 価 を
じゅう
ぶ ん理 解 す る に はい た ら な かっ た。
その後
、
羽田 の近 くにあ
っ た東 京 高等
[芸
学校 別 科に助 教 授 と し て迎 え られ、
設計
製 図 を担 当。
その頃、
「新 建 築
」
誌の11
芸・
家 具欄
を 担当
、
西 欧 の情 報を紹 介 する。
当 時 新 建 築 社の 吉 岡 社 長の 下 に若
い建 築
家が出 人 り し、
彼 らと交
流 する。
東 京 高 等
一
1二芸 学 校 を辞し、
東 京 帝 国 大 学 農 学 部 林学
科 選 科で 木 材 材 料 学 を 専攻
、
修
r
後助 手
とし て航 空 研 究 所で木 材の材料
48SPECIAL
「SSUE OF JSSD Vol l No T T993 デ ザ イ ン学 研 究 特 集 号Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of DesignN
実 験
に たずさ わ る。
航 空 研 究 所 が 人手
し たイ ギリスの木 製飛行 機モ スキー
トの破
片の精 緻 さにし びれ る。
1945年3
月 徴 兵、
終 戦 後はし ば ら くの間実
兄の塗 料の仕 事 を手伝 う
。 デ ザ イン事 務 所 設 立{
949
年、
渡邊 力
デ ザ イン事 務 所 設1オ。
1955年
、
同 事 務 所 を 拠 点に松 村 勝 男、
渡
邊 優ら とQ
デザ イナー
ズを
結 成。
仕掛
人 は「
モ ダン リビング」誌
の 編集 者の渡 邊 曙氏
であ
る。名
称のい わ れ は”
QUALITY
wORK”
の頭 文 字 を とっ た もの で、
3
人で協 同 する こ との意 義は仕 事
の量で はな く、
そ れ ぞ れの マ イナス面 をカバー
し、
プラス面 を倍 加す
る ことにある と考 え た か らであ
る。
後に 石井 幹
子、
垂 水 健 三 らが参
加、Q
デザイナー
ズは単 な るデザ イン事務 所
という
よ りは渡 邊学 校
とし て多 く
の 人 材 を 養 成 し た。
1961年
か ら10年ほ ど雑 誌 「室内」
の表 紙のデザ イン を 担当
、
あ わせ て海外
の デザ イン事
情の紹 介等
健 筆 をふ るう。
1949
年
9月、
新 制 作 第12
回展に建築
部が加わ る。
デザ イナー
側 か らただ一
人剣
持 勇が招 待 さ れる。
渡
辺氏は一
・
般 応 募 し、
細 い材 を使っ た収納家 具である 「ハ サ ミ材
に よ る家 具 」 が 新 建 築 賞 を授賞
する。
ヒモイス生ま れ るヒ モイス は
JIDA
が発 足 した年、
記 念の企画展 示会
に出 品 し た のが最
初の発表
だ と思う
。
1951
年
7月婦
人画報社
か ら「
モ ダン リ ビング」が倉
肝IJ、
次の文 章 と と もに 「ヒモイス」 が 登 場。
”
Riki”
とサ インさ れた 図面 もそえら れ た。
「
建
物はいれ ものであるのに対し、
家 具は身 近に生活
を とも
にする道 具で す。
建 物の ぞとず ら ばか り神
経を使わないで、
室
内や家具 に、
少し は ゆ と りのある予算
を 組むべ きでは ないで しょうか。
さ て、
どうし たら安い休 息
イ ス がつ くれ る か、
とい うこと を考
え ての デザ インです。
部材
も少
な くてす み、
構
造 も かんたん で、
非
常に丈 夫です。
座 と背
は、
三つ撚 りの綿のロー
プを
用い ま し た が、
ゆ る みもあ
ま りでず
、
坐 り心 地 も まんざら で はあ り ま せん。.
1
二に 置 く クッ シ ョンは家 庭にある座ぶ とん で も使い ま す。
」
勝 見 勝 氏は ヒモ イス を評し て和 船の側 面 を ほう
ふつ さ せ る と 絶賛
し た。
こ の椅r.
は、
1955年 国 際デ ザイン コ ミッ ティが グッ ドデザイ ン の選 定 に あ た り、
家 具の部 門で水
之 江忠 臣
の成
形合
板
の小椅
.
J’
一
と ともに第1
号に選 ば れ た。
以後
ヒ モイス は戦後
の新
しい住 生 活の象 徴 と して建 棄雑誌
を飾 り続 け
た。
その後の 渡 辺 氏の活 動は海 外にも
向
けら れ てい く。 1956年6 月の 日本 生 産性 本 部 派 遣のJ
:業デザ イン専門視 察 団 (小池 新二 団 長1
の.
・
員として渡 米、
その後一
一
・
人で ヨー
ロ ッパを徘
楓 し、
じゅ う ぶん充 電 して帰 国 し た 後、
山川 ラ タン を相手
に籐家具の デザ インを)1
.
皀
開 す
る。 1958fF 「モ ダン リ ビング」No、
14は藤イ ス の特 集
を紐
む。 その年 開
か れ た第
11回の ミ ラ ノ ト リエ ンナー
レ展でス ツー
ル と丸テー
ブルが 金賞
に皹いた。
ヒ モイス・
ヒ ノキ材.
(1951年)
ベ ンチ・
ナ ラ材’
(天童木工、
1961年1
プロ ダ ク トデ ザ イン から環 境 デ ザイ ン ま で渡 邊力
氏の仕事
の幅はき わめ て広い。
インテ リア デザ インの分
野で先 駆 的 な役 割 をは た し な が ら、
デ ジ タルクロックな ど プ ロ ダ ク トデ ザ インか ら環 境デザインまで手
がけて きた。
1例 として1960年
ll
月に 「インテ リ ア」 誌に発 表 され た 「ホ モ ニ ッ ト」がある。
これはオランダ の”
PASTOE”
の パ テ ン ト に よりハー
ドボー
ドを結
合 した もので、
従来
の箱の組 み 合わ せ で はない シス テム家 具の 日本的
リ・
デザ インとし て衝撃
を与え
た。 カラー
ダンボー
ルを使 用 した幼 児
のため の机
と椅
子、
遊 具(
.
卜条 製 紙 )はその先.
駆 性の故
に1966年
、
毎
日産 業
デザイン賞
を受賞
して い る。
壁 掛 け時 計(
SEIKO
)
も高い 評 価 を受
けた。
環境
デ ザ イン という
分 野の存 在 を 社 会に認
知さ せ たという意
味で、
凵 比谷の第.
一
生 命 保 険 本 社 脇の クロ ック・
ポー
ル があ げ ら れ る。
この仕.
昇は街の美観の創 出に大 き な役 割 を演 じ、
好 評 を得た 作 品 で あ る。
よ く知ら れ た重 厚 な建 物と新 しい機器
デ ザ インとの取 り合わ せ に おい て、
渡 辺 氏は重 量感かり 逃 げ きろ う と本能
的に思っ たと実 懐
し てい る。 そのこ とを勝 見 勝 氏は逃 げ たので はな く、
日本
の伝統
に みられ るッケ合
わ せだ、
伝 統
の 理 念が結
晶し た.
一
つ の形
だ と称賛
し ている。デ ザ イン掌 研究騎 集号 SPEC [AL ISSUEOF JSSD Vol
.
1 No.
1 199349Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Soolety for the Solenoe of Deslgn籐ス ツ
ー
ル (山川ラ タン、
1956年 ) 幼児
のた めの ス ツー
一
ル (十条 製 紙 株 式 会 社、
1966年 )r
.
.
t
’
tL
ひ 語纂 論桑一
解昏
1
諜 肅τ躍 時 計 塔 (日比 谷・
第一
生 命ビル、
1972年)一
と
トラ ンジスタ クロ ソ ク (セ イコー、
1971 年) 聖パ ウロ教 会 家 具改 司 妹こ京・
祐大Sil
、
1974年〕50SPECIAL
ISSUE OF JSSD Vol,
1 No.
↑ 1993 デ ザイン学 研 究 特 集 号Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design大 河の底 流のごと く に
渡 邊 力 先 生は
寡
黙の人であると述べ た。
ご自 身の デザ イン活 動を振 り返っ て どの よう な 感 想 をおも ちですか と問 えば、
し ば らく考え ら れてから 「一
生 懸 命やっ てきた。
も と もと不 器 用だ か ら、
こ んなこ としか出 来 な かっ た」
とお答
えになる。 そこ に は誇 張や思わ せ ぶ りはまっ た く存在
し ない 。筆 者
が40年
近く
前 に は じ め て お 目に かかっ た 時とまっ た く変 わってお られない。 だか ら、
勝 見 勝 氏 が「
サ イン・
アン ド・
デ スプレイ」誌
での渡
邊 氏 との対談
の中で「
岡 本 太 郎 流の陽 性の自信 を」
と注 文
し て い る が、
まっ たく
的はず
れの よけいな お 肚 話 なの である。
先生 は何 を 追 求 さ れて きたの です
か ?と 問
う
と「
結 局 生 活のため のデザ イン とい うことで じょう
か」と言わ れ る。
戦 後の一
時 期、
〈 ジャポニ カ 〉 〈 ジャ パ ニー
ズモ ダン 〉 とい われる時 代 が あっ た。
か くいう筆 者
も 未だ占 領 下の雰 囲 気が た だよう外 人事
務 所で、
東京
タ ワー
が尺 取 り虫のように天 空にの びてい くのを眺
めなが ら、
外 人
デ ザイナー
の ジ ャポニ カ・
デ ザ イン の國
面 を描
い た ことであっ た。 それ故 に、
あの ヒ モ イスは、
日本 人 が門本
人の た め に作
っ た は じ め てのイスで あ る。
その造 形美
は、
日本
の象徴
だ と心 酔
し たも
の である。
その点につ い て 渡 邊 氏 は、
囗本 的 造 形は、
形
をつ くるのに手
っ と りは やい手 段 で はある が、
そ れだ けの値
打ち し か ない。
自分は、
意 識 して 日 本 的 な 作 品 を作ろう
とし た こ と はなかっ た(日本レ ス トラン の ような仕事
は別に し て)。 日本に 生 ま れ、
日 本に生 きてい たデ ザイ ナー
が作る もの の形に日本の生 活 ない し文
化のにおい がに じ み出る の は当
然であ り、
ヒモイス の 日本 的 造 形 は あ くまで結
果であ
るという
。考 え
たこ と は、
座 敷に置 ける椅 子 という
こ と であ
る。当 時
は戦後
で貧 しく
、
なん とか 安 く作 れる椅 子 という
ことが頭にあっ た。厚
さ1インチの板が流 通 してい た の で、
こ の板で椅 チを作
っ たら安
くできる だ ろう
と思っ たとい う。
こ の よ
う
に考 えの根
底に先 述し た野 村 先 生がい る の である。
高等
工芸
に入 学 し た当 時、
家 具に対 して 西 洋 的 木工品 とい う、
もの と して の と らえ 方が支 齢 的であった。
そう
し た中
で、
野 村
先 生は、
空闘
と生 活 を媒
介 するのが 家具
であると説
か れ た。 そ の こと が 意 識の中にあっ た と思う
という
。
そこ で野村 茂 治先
生 をめ ぐっ て筆
者の思い が交
錯 する。
筆
者が教
わっ た当時
の野村
先
生は50歳後
半、
千葉 大学
の建 築科
の デザ イン教 育
の中心 的
な存
在で あっ た。
校舎
は ポロ だっ た が、
大 学で デ ザ インを 学ぶ幸 せ を満 喫し た。
野村先
生 の家具 と居住形式に 関する画期
的な学
位 論 文が結 実
す る頃であっ た。
1967年
、
干葉
大 学定年
退官
の2
ケ月 後に残 念な が ら こ の 世を 去ら れ た。
若
い 日の渡
辺 氏はどん欲
に時 代
の流
れ の中に身
を投
じ た。例
え
ば 銀 座の資
生堂
での山脇 厳 夫妻
に よ るバ ウハ ウ ス留
学の成 果
を 発 表 さ れ た小 さな 展 示 会であ り、
〈新
建 築.
1
二芸 学院
〉 の夏期
講 習 会であ り、
井L
房
.
・
郎 との出 会い であ り、
{洋馬 県 立.
:L
芸所
での タ ウ ト との 出会い である。
そ し て東 京 高 等」二芸 学 校 別科
の 助 教 授にな りな が ら、
間 もな くその職 を辞 し、
東 京 帝 国 大 学 農 学 部 林 学 科で木 材 材 料学
を学
ぶのであ
る。自
己のデザ
イン の 土 壌を豊か にする た めには、
惜 し む ものは何 もな
か っ た の であ る。
この よう に 渡 辺 氏は激 変の20
瓧紀、
デザ イン の「大河
の底 流 」に 身 を投 じ られ、
そ して自 己 顕 示 とはおよそ無縁
の立 場 をつ ら ぬき
、
常
に大
河の底
流であ りつづけ た とい うことができよう
。 若い人
々へ の メ ッセー
ジ○
デザ インとは何
か1+2
=
3で も・
一
応の形に は ま と まる。
しか しデザ インは、
1+2
が10に も30
にも な ら な ければデ ザ インと はいえま せ ん。
デザ イン の力は無 限に伸 びる奥 行 きの深さを持
っ てい ます。
1+2=
=
3
の過 程 を経 ない で デザ インは成 立し ない 。 1+2=
・
3と は何だ ろ う。
絵 画・
彫刻
でいえ ば、
基礎
となる デ ッサンカ
といえ
る か も しれ ない し、
デザ インで は、
デザ インを組
立て る骨 組、
あえ
て い え ば機
能、
技
術で しょう
か。 せ め て初 等 物
理 学(
特
に 力学 )
、
材料 学
な どは身
につけ
て欲
しいと思う
。私 は
若
い 人へ まず
職 人にな れ !とい
う
。
その意 味
は デザ イ ン の基 礎である技 術(
テ ク ノロ ジー
)
を身につ け なさいとい う 意 味である。
デザ インは自分の考
え を形 にす
る ことである。
形 にする技 術(
わ ざ)
を まず 職 人になっ た気 持
で やっ てい くとい うこ とが 必 要で はない か。
その上で 職 人 を超
えないと デ ザ イ ナー
に はな れ ない .職 人
が職入
で終
わ る の で はデザ
イ ナー
では ない(
筆 者注
:職 人
を蔑視
してい る の で はな く、
デ ザ イ ナー
の 職能
を述
べてい る の であ
る〉
。○
デ ザイ ナー
は建築家
と違
っ て無 冠
一
定
め られ た 資格
が あ り ま せ ん偽
っ と も安藤 忠雄
さ ん は建 築家
の資格
が なく
て ア メリカ の建 築 雑 誌で も話 題に なっ てい ますが)シェ フ、
詩 人、
作 家 な どと 同 じで実 力がモ ノをい い ま す。
自分の オ’
能、
実 力だけが頼 りだと考 えるべ きです。
○ 描く ことはそ れほど重 要 とは思わ ない 。特
に現代
はコ ンピュ ター
があ
る の で、
描 く
ことはまか せ て良
い 。大
切 なの は自分
の頭
の中
に そのもの の望
ましい在 り方
を搆
くことであ
る。 そ れ がコ ン セプ トである。 ○コ ンピュ ター
に屑 を インプッ トすると屑 が 出て くる。一
コ ン セプ トが 大 切です。
コ ン セプトの背 景にあるのは、
蓄 積さ れた 経 験 と 才 能です。
あるい はその入の 人 生 観、
哲 学ともいえ
る で しょう
。
○ 浅 瀬 を激 しく流 れるよ う な 時 間の短い 流 行 を追 うのではな く、
大 河の底 流 と なるよ う な デ ザ インを追 求 し たいもので す。
(付 記 ) 2月半ば、
今 回の特集号の た め に高井 戸の お宅で お話を お う かがい した ほ か、
Q
デ ザ イ ナー
ズの稲田愿さ ん を わずら わ し たり、
SD
、
室 内.
インテリ ア等の記事も参照し た。
(
み やう ちさと し
拓 殖 大 学
)
デザ イン掌 研究特 集 号 SPECIAL ISSUE OF JSSD VoL